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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第7話
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7-3






   7-3




 教室の後ろでぼんやりと授業を聞いていたら、近くにいた子達の会話が聞こえてきた。

「女?」

「ああ。こないだ見たぞ」

「食堂で、一緒にいただろ」

 彼等の前には、シャープを手の中で転がしているケイがいる。 


「誰なんだ、あれ」

「ちょっとした知り合い。悪い連中に絡まれてるから、相談に乗ってくれって」

「結構仲良く見えたけどな。一緒にいたのも、何度か見たし」

「浦田に、女ね」

 どっと笑う彼等。

 ケイは鼻を鳴らし、教師がボードに書いた方程式を写している。

「無駄な事するな。どうあがいても、お前は赤点だ」

「そうならないように、俺は頑張ってる」

「じゃあ、この例題分かるのか」

「努力と結果は結びつかないんだよ、俺は」

 再び起こる笑い声。 

 今度はケイも、一緒になって笑っている。


 この数学は必修科目の一つ。

 ただ最初に出席データを送れば後は自由にさせてくれる先生なので、席は半分も埋まっていない。

 数学嫌いな彼が残っているのは、最後にもう一度取る出席確認でわずかな考査点をもらうためだ。

「お前ら、ちょと黙れ。全然先生の話が聞こえん」

「ああ、悪い。それより、UNOやろうぜ」

「おい、俺の話も聞こえてないだろ」

「いいから。負けた奴がジュースおごりな。いや、浦田は女からもらった時計だ」

 冷やかしの声が上がり、ケイは苦笑気味に見慣れない腕時計を抑えた。

「それは冗談として。浦田にプレゼント、ね」

「俺だって、たまにはいい思いしたっていいだろ。ようやく、運が向いてきたんだよ」

「使い果たしてるって。それを、今から証明してやる」

 配られていくカード。 

 結局ケイも筆記用具をしまい、カードを不器用に仕分けている。

「いきなりドロー4かよ」

「はい、リバース」

「かー」

 彼等の楽しげな声が、教室の後ろに響いていく。

 だが私には先程の話が頭に残り、それを気に止める事はなかった。

 ケイと、おそらくは大内さんが一緒にいた。

 それを私達に黙っていた事実。

 言う必要は無い事かもしれない。

 また、何の問題も無いかもしれない。

 でも私の心には、小さなわだかまりが生まれつつあった。



 授業が終わってもその話を聞くのをためらわれ、私は教室を一人後にした。

 今は昼休みなので、しばらく間は空く。

 少し冷静になろう。

 昨日名雲さん達が言っていたように、彼なりの思惑があるのかもしれない。

 それに、何の関係も問題もない可能性だってある。

 そう願いたい。

 無理矢理自分に思い込ませ、私は廊下を歩いていった。


 テイクアウトのフリーランチをもらい、人気の多い食堂を後にする。

 今はその喧噪に浸れる気分ではない。

 とにかく、気にするなという方が無理なのだ。

 私はそこまで冷静になれないし、落ち着いていられない。

 だから駄目なんだと自分では思うけど、それでも気持は押さえきれない。

「珍しく、落ち込み気味だな」

「え?」

 沈んでいた顔を上げると、塩田さんが笑っていた。 

 左右には副会長と沢さんの姿もある。

 副会長はいつもだけど、残りの二人も珍しく制服だ。

「またトラブルですか」

「い、いえ。ちょっと個人的な事で」

「君達の個人的は、すぐ全体的に発展するからね」

 おかしそうに微笑む副会長と沢さん。

「そういえば、シスター・クリスを一喝したらしいな。お前、無茶し過ぎだ」

「あ、あれは、その。大体その話は、オフレコになってるはずですけど」

「一般生徒にはともかく、私達には多少なりとも伝わってきます」

「是非詳しく聞きたいね。そうだろ、二人とも」

 沢さんの提案に、大きく頷く塩田さん達。

 少し困るけど、いい機会だ。

 やっぱりこの人達にも、ケイの事を聞いてもらおう。

 人に頼ってばかりで、あまりいい気分ではないにせよ。

 何もせずに、一人で悩んでいるよりはいい。

 自分の辛さでみんなが笑えるなら、私は迷わず辛さを選びたいから。


 冷めかけたランチを抱えてやってきたのは、生徒会副会長執務室。

 幾つもある執務室の一つで、大きな机とその近くに小さな机が二つ。

 中央には大きめのテーブルもあり、卓上端末も最新機器が揃っている。

 室内のインテリアもやや明るい感じの物で揃えられ、なかなかいい感じだ。

 壁際には本棚と書類を入れる棚が居並び、ラックからは入りきらないDDが溢れている。

 落ち着いた外観ではあるけれど、あくまでも仕事用のスペースだと実感させられる。

「こんないい部屋持ちやがって。その金を、俺達に回せ」

「私が使ってない時は、他校生徒の研修や委員会の会議などにも使っています。現会長になってからは、無駄を出してませんよ」

「じゃあ会長がいる以前。お前がトップの時はどうだったんだ」

「簡易宿泊室でした。学校に泊まっている生徒に、開放していたんです」

 何でも今は命令系統や提出書類の簡素化などを図り、前よりも仕事が速く終わるとか。

 その結果泊まり込む生徒も数を減らし、この部屋も使い方を変えたのだろう。

 副会長がトップだった時は例のごたごたの処理に追われて、職務どころではなかったらしい。

 またそのごたごたについては、「その内話す」というのを待つしかない。 


「ただ少しは外部委託にするなり、学校に委任するなりしないと保たないですね。学生の自治といえば聞こえはいいですが、実際は事務の雑用が半数を占めてますから」

「その権利を勝ち取ったのは俺達だぜ。議論してもいいテーマだとは思うが」

「生徒会で、生徒に提案すればいい。学生の自治を、どこまでにするのかを」

 彼等も現状の生徒会や委員会には、そう満足していないようだ。

 自分達で出来る事と、出来ない事。

 私の目から見ても、無理をしている部分が生徒会には見られる。

 今塩田さんが洩らした「勝ち取った権利」が多過ぎたのか、押し付けられたのか。

 私達は学校運営以外にも、勉学というもっと優先される事柄がある。

 その辺りの兼ね合いをどうするか。

 今後考えなければならないテーマの一つだろう。


「大体、その会長様はどうしようってんだ」

「まずは委員会と生徒会の統合。ガーディアン組織の統廃合。各種権限の返上と簡素化。生徒会長制の廃止、正確には議会制の導入。個別には無数にありますが、主立った方針はこれらですね」

「口で言うだけなら、俺でも出来る。その内の一つでもやれたら偉いもんだ」

「君だってガーディアン連合の代表だ。他人事ではないよ」

 それとなく釘を差す沢さん。

 会話もそれぞれの役割があるようで、聞いているだけで面白い。 

 ただ私も、実行出来るかどうかはちょっと疑問だ。

 それに生徒会長制の廃止なんて、その理由すら分からない。

 全体としては生徒会の権限を少なくして、生徒にも責任を委ねるという事だろうか。


「ただ生徒会と委員会の統合は、俺も賛成だな。企画部門と実行部門が別れてる必要もないし、今でも殆ど一体化してるんだからよ」

「一応権力の分散化を図ったんですが、結局生徒会の意向通りになってますからね。アイディアは悪くないにせよ、もう少し検討してから実行に移すべきでした」

「時間が無かったからな。置き土産か、あの人達の」

「遺産は活かせなかったにせよ、次への道は開かれている。僕達は、そこを歩いていくだけさ」 

 素っ気なく呟く沢さん。

 塩田さんと副会長は、考え込むような眼差しをテーブルへ落とす。



「……ああ、悪い。浦田の話だったな」

「彼に関して気に病む必要は、何一つ無いと思うんですが」

「僕も、同意見だ」

 昨日の名雲さん達と同じ感想。

 もしそうだとしても、私は納得出来ない。

 自分が傷付くだけならまだしも、彼が傷付くなんて耐えられない。

 それはケイだけでなく、他の子でも。

 例え無力だと分かっていても、彼等のために頑張りたい。

「不満そうだな、雪野」

「だってみんなそう言いますけど、前の一件だってあの子を放っておいた結果なんですよ」

「退学するつもりでしたからね、彼は。確かに、若干の注意は必要でしょう」

「浦田の監視は丹下がやってるんだろ。あいつは何してる」

 少し元気がありません。

 とは答えられないので、口元だけで適当に呟いた。


「友達を心配する雪野さんの気持は、よく分かるよ。それに、問題が起きないと動かないとは言わない。君達をトラブルに巻き込んでるのは、僕達でもあるんだから」

「沢、それは後でいい。大体、浦田が女にたぶらかされる人間か?」

「それもないけど、その逆もなさそうですね」

「だからって、何かあってからじゃ……」

 机を叩いて立ち上がったら、それより先に塩田さんが席を立った。

 そして私には目もくれず、ドアへと忍び足で歩いていく。

 歩き方自体は普通だが、気配も音もしない。

 先祖が忍者という噂も、これを見ていると素直に頷ける。

「……何してる」

 ドアを開け、仁王立ちする塩田さん。

「盗聴していた」 

 悪びれず答える生徒会長。

 手にはその言葉通り、盗聴機らしい装置も持っている。

 とはいえヘッドフォンは首から下がっているだけで、使った形跡はない。 

「まあいい。少し来い」

 塩田さんは強引に会長を引き入れて、空いてる席に座らせた。

 軽い会釈が、副会長や沢さんとの間でかわされる。


「あんた生徒会会長なんだから、生徒の悩みを解決してくれ」

「私の管轄は、個人的な案件の処理では無いんだが。……浦田君の事だったね」

「ええ。あの子が、どうも気になって」

 すると会長は意味ありげな視線を、副会長へと向けた。

「彼をどう思う?」

「当初は、私が色々な事件を引き起こしてると考えていたようですね。塩田と共謀して、何か企んでると」

「一時その矛先が私にも向いたが、今は違うらしい。なかなかに、面白い人だ」

 それはケイに対しての感想か、それとも副会長の率直な言葉に対してか。

 ともかくこの人だって、普通じゃない。

「情報局に問い合わせても、彼が怪しい行動に出ているという報告は無い。勿論一般生徒の目撃情報程度だから、あまり当てにはならないが」

「ディフェンスラインに関しては、どうなのかな」

 さりげなく尋ねる沢さん。

「いい噂は聞かない。ただ雪野さんの話や目撃情報以外、大内さんとその男性が関係しているという情報もない」

「という事は、かなり意図的な状況が作られたと考えていい。途中でディフェンスラインが絡んできたのは、それ以上の尾行や監視を防ぐためだろう」

「フリーガーディアンは、そう読みますか」

「僕なりの推測だよ」

 会長と沢さんの視線が、複雑に絡み合う。

 しかし二人はどちらからともなく視線を逸らし、話を続けた。

「そういう状況を見れば、雪野さんは当然浦田君を疑いたくなる。そして彼は自分の事を語らない人間だから、彼女と会っているなんて話さない。その結果不信感が、君達の間に芽生えていく」

「新カリキュラムは、そう読むのかい。それとも、君の個人的な推測かな」

「両方です。ともかく、一応気を付けておいた方がいいと思う」

 何か知っているのだろうか。

 それともまた、彼なりの推測から出た言葉だろうか。

 この人もまた、全てを明らかにしてはいないようだ。 



「えと、ちょっと話が逸れるんですけど。連中に絡まれた時、屋神さんに助けてもらったんです」

「顔はともかく、人は良いからね」

 塩田さんを意識しつつ、沢さんが話を聞いてくれる。

「どういう人なんです?」

「雪野さんが感じたとおりさ」

 髪を掻き上げ、薄く微笑む。

 やはりそこからは、何も読みとれない。

 彼への信頼と、敬意以外は。

「大山君はどう……。聞いてないな」

 いつの間にか会長と副会長は机に書類と端末を広げ、熱心に仕事をこなしている。

 お互い思惑は違うようだが、生徒会の仕事に関しては限りない信頼をそれぞれに抱いているようだ。

 つまりは学校と生徒に対しての限りない愛情を、この二人は持っている。

「じゃあ、塩田君は」

「ついでに聞くな」

 塩田さんは難しい顔で壁を睨んでいる。

 この話になると、どうも意固地になるな。

「そう。僕としては、屋神さんを頼ってもいいと思うけれど」

「どうでもいい。それに浦田も馬鹿じゃない。自分がどういう状況にあるかなんて、あいつが一番分かってるさ」

「ええ、そうなんですけど」

「それか、思い切って聞け。勿論それは、雪野の自由だが」 

 突き放してくる塩田さん。

 あくまでも解決の糸口は、自分自身で見つけろと言う訳か。

 でも私は、その彼らしい言葉が嬉しかった。

 私を一人の人間として見てくれる。

 全て面倒を見てもらうだけでなく、自分の力を認めてくれる。

 その分責任と辛さは伴うけど、それでもしなければならない事もある。

 いつまでも逃げるのは、私らしくないのだから……。



 そんな事を考えている間に帰りのHRまで来てしまい、私はオフィスに向かった。

 やはりサトミとショウの姿はなく、一人で席に座る。

 今日提出の書類とDDデジタルディスクを調べていると、署名の欄に目が留まった。

 どれを見ても、私とショウとサトミ。 

 ケイの名はどこにもない。

 勿論私達も書類の処理はするけれど、半分近くはあの子がやっているはずだ。

 「字が下手だから」、という理由をよく口にする。

 しかし電子サインでも、彼の名はない。

 目立つのを好まず、成果を人に譲っても気に止めない。

 世間の評価などどうでもよく、むしろ批判的な意見を楽しんでいる。

 ただそれは私の推測であって、彼自身の考えはよく分からない。

 もう少し、何か言ってくれると助かるのだけど。

 いや、やはり自分から聞くべきだ。

 悩んでいるのは彼ではなく、私なのだから。

 それを彼に委ねてはいけない。


「……早いね」

 普段通り、素っ気なく入ってくるケイ。

 表情や雰囲気に変わったところはなく、彼が悩んでいたり思い詰めている素振りはない。

 また、女の子に舞い上がっているような様子も。

 それでも、聞かなければ分からない。

「最近、沙紀ちゃんと遊んでる?」

「あの子忙しいらしくて、顔見てない。俺も、多少やる事あったし」 

 早速書類を手に取るケイ。

 すでに卓上の端末が起動され、片手で文字が入力されていく。

 不器用だけど、この手の作業は私の数段上を行っている。

「他の女の子とは、仲いいみたいね」

「さっきの話聞いてた?仲いいというより、ただの相談さ」

 あくまでも自然な受け答え。 

 嘘を言っている訳でも、むきになって怒る気配もない。

「……私見たんだ。あの子が、男の子と歩いてるのを」

「彼氏?」

 やはり彼は態度を崩さない。

 端末からも、目を離さない。

「それは分からない。ただ一緒にいたのは、ディフェンスラインの男だった。ケイに、警棒と突き付けた」

「え?」

 キーを叩いていた手が止まり、微かに驚きの表情が浮かぶ。


「あの男と一緒?そういう話は、大内さんから聞いてないけど」

「信じていいの」

「大内さんを?それとも、俺を?」

 鋭く厳しい質問が逆に返される。

 私は言葉でなく、彼を見つめる事でそれに応えた。

「……いきなりそういう話を聞かされて、「関係ないよ」とは言い切れない。現に大内さんと会ってたのを、みんなに黙ってたんだし。彼女が、ディフェンスラインとつながりがあるんじゃ余計に」

「言い訳や弁解はしないの」

「したからって、ユウの考えが変わるかな。ちょっと、コーヒー取って」

「……私が、あなたを疑ってるって?」

 腰を浮かし、机に手を付く。

 ケイは座ったまま、立ち上がった私を見上げている。

 そして机の上にあった、ショウの缶コーヒーを飲み始めた。

「聞くのは勝手だよ。ただこっちも、自分の気持ちや考えを全て語るつもりはない。俺は俺、ユウはユウ。例え仲間でも、踏み込まれたくない事がある」

「随分信用がないのね、私は」

「お互い様なんじゃないの」

 鼻を鳴らし、腕時計を外すケイ。

 見慣れないタイプ。

 教室で聞こえた、贈り物とかいうあれか。

「別にいいだろ。俺が何しようと、誰と会っていようと。それとも、報告義務でもある?」

「ふざけないで。あなた、私達を裏切る気じゃないでしょうね」

「裏切るも何も、元々俺は生徒会の人間だし。今でもここは、仮にいるだけさ。いい話があれば、すぐにでも乗るさ」 

 皮肉めいた笑い声。

 同時に時計が机を滑り、反対側の端から床へと落ちた。



「……という事です」

「何よ、それ。嘘つき少年」

「自分だって」

「今日はあなたの考えを読みとったんだから、ご飯でもおごってもらうわよ」

 おかしな表示になっている時計を拾い上げ、机の上に置く。

「光のIDの時にも、そのくらい反応して欲しかったね。前襲われた時は、「リーダー」だけで通じたのに」

「あの時はこっちも気が動転してたの。だから今は、あなたの悪知恵に乗ったんじゃない」

 ケイは鼻で笑い、時計の左右に付いているボタンを何度か押した。

「せっかく女の子からもらったのに。壊れちゃった」

「壊したんでしょ。大体それ、盗聴器じゃない?」 

「あーあ、どうせ俺はそういうキャラか」

 冗談めいてはいるが、寂しいのは案外本音かもしれない。

 その証拠に、動かなくなった時計を未だに操作しようとしている。

「もう諦めなさい。柳君も言ってたけど、あなたがもてるなんて最初からおかしいのよ」

「へっ、悪かったね」

「私も、最初から疑ってたけど」

 と、ごまかしてみる。

 ふう。

 とにかくよかった。

 やっぱり、ちゃんと聞いてみる物だ。

 ケイの淡い夢が破れたのは、この際置いておくとして。


「俺だって、たまには人を信じる時もあるんだよ。それを、あー」

「うるさいわね。いいじゃない。女の子とデート出来て、プレゼントも貰えて」

「何一つよくない。それに今思うと、大内さんって前に見た気がするんだ」

 唐突に驚くような事を言うケイ。

 それこそ、冗談ではないようだ。

「誰よ」

「分かってたら、騙されない。まあいいや。さっきの嘘トークで、向こうも何か仕掛けてくるから」

「私は知らないわよ。あなた勝手にやって」

 池上さんばりにうひゃうひゃ笑い、自分のコーヒーを飲む。

 さっき彼の変化に気付いた理由。

 いつもならまず飲まないコーヒーを、「取って」と言い出したケイ。

 しかも人の物を勝手に飲むなんて、それこそあり得ない。

 サインというか、さすがに気付く。

「名雲さんや塩田さん達は、浦田なんて放っとけなんて言ってた」

「ちっ、使えない先輩だ。やっぱり、持つべき物は仲間だな」

「あなたさっき、「俺は俺ユウはユウ」って言ってたじゃない」

「まさか。雪野さんあっての俺ですよ」

 そう言って、大げさに頭を机に付ける。

 本当に聞いてよかった。 

 そして、何でもなくてよかった。

 世話は焼けるけど、この人もやっぱり私にとって大切な人。

 ショウともまた違う思いを抱ける、素敵な男の子だから……。



 ずっと文句を言っていた男の子と別れ、私は寮へと戻った。

 お昼同様ご飯を食堂で受け取り、ようやく自室に落ち着く。

 色々あったけど、これで少し安心だ。

 制服からジャージに着替え、さてご飯を……。

「私」

「あ、今開ける」

 セキュリティを解除して、ドアを開ける。 

 入ってきたのはサトミ。

 白のシャツにホットパンツという、私とは違う格好。

 髪は後ろで束ねていて、普段よりも凛々しく見える。

 女子寮だからいいんだけど、私としてはよくない。

 よって、色んな思いを込めて睨み付ける。

「な、何」

「風邪引くわよ」

「エアコン効いてるじゃない」

 ああ言えばこうだな。

 その内、もんぺでも履かしてやる。

 頭巾も被せてやる。

 でも、私の方が似合ったりして……。


「何か用?」

「随分冷たい態度ね。昨日頼んだ化粧水は」

「そこにある」

 目を点にして固まるサトミ。

 私が指を差したハイチェストの上には、青々したヘチマが転がっている。

「あの、私は化粧水を頼んだんですけど」

「忘れたのよっ」

「何怒ってるのよっ」

 二人で怒鳴りあい、叫びながら掴み合う。

 実際には腕を軽く持つだけなんだけど。

「あのね。今時ヘチマは無いでしょ」

「いいの。化粧水はまた今度買ってくるから、しばらくはそれで我慢して」

「それに、どこで見つけたの」

 サトミはおかしそうに笑いながら、ヘチマを手に取った。

「時期としては、合ってるのかしら」

「私も知らないけど、花屋さんで安く売ってたから。化粧水買い忘れたし、丁度いいと思って」

「全然良くない。ヘチマって、本当に」

 まだ笑ってる。

 そんなにおかしいだろうか。

 まあ、買ってきた私自体はおかしいけど。


「あ、ご飯まだだったの。ごめんなさい」

「いいよ。サトミも何か食べる?」

「そうね。冷蔵庫にある物もらうわ」

 勝手知りたる私のキッチンに消え、お茶とサラダセットを持って戻ってきた。

「それとユウ」

「何」

 きんぴらゴボウを頬張りながら、顔を上げる。

「ヘチマ水は、茎から取るのよ」

「そ、そうなの?」

「実から取る方法もあるかもしれないけど、茎は?」

「もらってない。大体、茎からなんて絞れないじゃない」

「ヘチマ水は、植えている茎から取るの。覚えておきなさい」

 冷徹に言い放つサトミ。

 そうなのか、面白くないな。

 使えないよ、ヘチマ君。

「仕方ない。そんなサトミさんに、朗報があります」

「何よ」

「タンスの下から2段目」

 言われるまま、サトミは引き出しを開ける。

「あ、ヘチマ水。あなた、隠してたのね」

「だって。実はサトミに上げたんだから、ヘチマ水は私に使う権利があるじゃない」

「だから、実からは絞らないの。漬け物にしなさい、これは」

 それこそ無理だ。

 無茶言う人だな。

 でも、お母さんなら知ってるかも。

 あの人、料理好きだし。

 ただ、ヘチマジュースを出してこない保証はない。


「それより、今日何してたの。人に仕事を押し付けて」

「連合の仕事と、生徒会を少し手伝ってきた。局長が予算を増やしてくれたから、そのお礼も兼ねてね」

「ふーん、孝行娘じゃない。でも、ここにお金はやってきてないよ」

「まずは予算編成局の許可を経て、生徒会自警局からガーディアン連合に臨時予算が配分されるの。それはさらに審議をされ、使用意図が妥当と判断された案件にのみ予算が執行される訳。私達の手元に、直接届く訳じゃないわ」

 限りなく冷静、かつ事務的な説明。

 要は、ここにお金はやってこないと。

「じゃあ、壊れたプロテクターは。すぐ止まる端末は。前期壊されたままのロッカーは」

「陳情なら、塩田さんにお願い。私は一仕事終えて、もう疲れました」

 そのまま床に転がるサトミ。

 白くて長い綺麗な足が、私の目の前に伸びてくる。

 私も肌がきめ細かいと言われるけど、短いからね。

 せめて、足だけでも取っ替えられないのかな。

「……どうかした」

「え?」

 いつの間にか手にしていた果物ナイフを、私は笑ってテーブルに戻した。

「その、ヘチマの種取ろうと思って」

「足じゃなくて良かったわ」

 ちっ、お見通しか。

 仕方ない、サトミバラバラ事件はまた今度にしよう。 


「誰か来たわよ……。ショウね」

 寝転がったまま、端末の画面でセキュリティをチェックするサトミ。

 それはいいけど、今日来るって言ってたっけ?

「ごめん。お邪魔だったみたい」

「何言ってるの。別に何でもないわよ。大体、サトミは足を隠して」

「いいじゃない。人に見せるための、ホットパンツなんだから」

 うっすらと微笑み、わざとらしく素足に指を滑らせる。

 幼さと成熟さの狭間にある一時の妖艶さ。

 私も喉を思わず……。

 っと、馬鹿な事言ってる場合じゃない。

「何でもいいから、その辺の履いてよ」

「ユウのなんて、足がはみ出るわ」

 馬鹿にしている訳じゃなく、本当の事を言っているだけだ。 

 言われている私は、馬鹿みたいだけど。

「じゃあ、ほら」

 ベッドの上にあったタオルケットを掴み、彼女に投げる。

 受け止め損なって頭から被ったけど、見なかった事にしよう。

「もう、投げないで」

「いいから。ショウ、開いてる」

 セキュリティを解除して、彼を招き入れる。


「悪い、こんな時間に……」

「気にしないで」

「あ、ああ」

 タオルケットを足に巻き、恨めしそうに睨んでくるサトミ。

 ショウは腰が引けた様子で、DDとノートを渡してきた。

「何、これ」

「理科の宿題。一緒にナスの成長を観察してただろ」

「あっ」

 今さらながら思い出した。

 そういえば、提出期限は明日だった。

 そのために、花壇の花をずっと見てたのに。

 あー、肝心な所で何やってんの。

 いや、私が。

「定点カメラの超倍速画像と、そのデータ。一応俺のレポートもあるから、これ見ろよ」

「あ、ありがとう」

 気にするなという感じで微笑むショウ。

 私はDDとノートを大事に受け取り、軽く胸の中で抱きとめた。


「光合成って、デンプンを作るんだろ」

「まあね。光エネルギーをATPに変換する明反応。その化学エネルギーであるATPを有機物に変換する、暗反応。光合成は、大まかに言えばその両者を差すの」

 さすがは学年トップ。

 何も読んでないのに、すらすらと言葉が出てくる。

「授業でやってたでしょ、これくらいは」

「物覚えが悪いんだよ」

「じゃあ、今すぐ覚えなさい。ユウも、早くレポート書いて」

 牛を追い立てるようにせき立ててきた。

 しかも、顎だけで。

「ちょっと。人に何かさせるのに、それは無いでしょ」

「レポート出来ないって夜中に泣き付いてきても、私は知らないわよ」

「い、いいじゃない。友達を頼るのは」

 開き直ってテーブルを揺すったら、サトミは足に掛けてたタオルケットへ手を伸ばした。

「暑いわね、この部屋」

「さあ、どんどん書きまくろう」

 きょとんとするショウを放って、自分のノートと卓上の端末を持ってくる。

 別にいいけど、あまりショウへは見せたくないから。

 サトミの生足なんて、若い男の子には目の毒なの。


「いい、いくわよ。……植物と動物の細胞的な見地からの違いは、細胞壁の存在と葉緑体の存在である。特に葉緑体は生命誕生期に細胞内共生を経て、現在に至ると思われる。その根拠はミトコンドリア同様、細胞内の他組織とは異なる独自のDNA情報を……」

「サトミ、訳分からん」

「レポートに関係ない事はいいからさ。正気に戻ってよ」

 するとサトミは鼻を鳴らして、そのまま床に転がった。

「ひまわりは、向きを変える事からその名が付いたと言われています。さて、一体何に対して向きを変えるのでしょう」

「誰が、小学生の理科をやれといった」

「じゃあ、葉っぱの数でも数えてなさい」

 そう言って丸くなる、物覚えのいい女の子。

 まったく、すぐ拗ねるんだから。

「おい、寝るな」

「あなた達、つまらないのよ」

「別にレクチャーしなくてもいいから、レポートの手伝いだけしてくれ」

「ショウ、私はね……。もういい」

「だから、寝るなって」 

 全然人の話を聞かず、ハイチェストに寄り添っている。

 案外隅っこが好きなんだよね、この子。

「無駄な話は、ケイだけで十分だ」

「あの子と一緒にしないで。そういえば、今日はどうしてた?」

 ハイチェストに張り付いたまま尋ねてくるサトミ。

 丁度いい機会だ、この子達にも話してみよう。



 ケイとのやりとりや名雲さん達との会話を、簡単に説明してみた。

 そんな私の話を聞き終えた二人は、何となく感想に困っているようにも見える。

「ディフェンスライン、ね。街の警備隊が、まだ何かする気かしら」

 冗談めいて呟くサトミ。

「何するの?」

「それは私も知らない。ただ、注意はしておいた方がいいわ」

「ブラックリストに載ってるもんな」

 面白く無さそうに笑うショウ。

 私達もそれに付き合って苦笑した。

「後は、その大内さん。彼女とは、どういう関係なのかも」

「ただの知り合いか、それとも仲間かって事?」

「ケイに盗聴器を渡すくらいだから、疑った方が無難だろ」

 精悍な顔を引き締め、ショウは部屋の中を見渡した。

「それで、張本人はどこいった」

「自分の部屋で寝てるんじゃない。せっかくもてたと思ったのに、騙されてたんだから」

「一応、そのくらいの感情はあるのね」

 さりげなくひどい事を言うサトミ。

「でも私達のいい加減な話を盗聴してたなら、何か仕掛けてくると思うよ。もしかして、もうケイの所に連絡が入ってたりして」

「なる。ちょっと聞いてみるか」

 ショウは端末を取り出し、手慣れた動作でケイへの連絡を取った。


「……俺だ。……寝てた?いや、ちょっと聞きたい事があって」

 さすがにためらいの間を作るショウ。

 でもその顔が引き締まり、おもむろに口が開いた。

「ユウから、その、話は聞いた。……ああ。……そうか。いや、お前に任せる。ああ……。分かった。……馬鹿。……またな」

 笑い気味に通話を終え、端末がしまわれる。

 そして端末の画面が、こちらへと向けられた。

 表示されているのは、ケイから転送された通信記録。

 そこには「大内」の文字が表示されてる。

「明日、駅前で会うらしい。俺達も来いってさ」

「監視しろっていうんでしょ、他におかしな連中がいないかどうかを」

「たまにはいいじゃない。駄目な男の子の復讐を、とくと拝見しましょ」

 サトミの言葉に笑う私達。 

 でもそこには、微かな翳りが存在していた。

 大内さんが、ディフェンスラインとつながっているという事実。

 私達に、下らない恨みを抱いている連中。

 逆恨みとはいえ、常に私達に付きまとう感情。

 それから引き起こされる出来事は、決して楽しい思い出にはつながらない。

 だけど、頭を下げる気持もない。

 自分が、自分達が正しいと信じている限りは。

 例え恨みを買おうと、非難されようと。

 私は自分の道を行く。

 その信念だけは、絶対に譲れない……。



 明けて翌日。

 午後の授業を休み、駅前へとやってきた私達。

 熱田神宮を正面に望める、神宮前ショッピングモールと総合駅の複合施設。

 店数と品揃えの良さから、平日の昼間でも若者の姿は絶えない。

 無論都心部の地下街程では無いけれど、大抵の物なら十分揃えられる。

 また神宮の杜が涼しげな風と光景を運んでくれ、街中にいながら郊外の気分を味あわせてくれる。

「来た?」

「ほら、あそこ」

 窓に顔を寄せ、サトミが指を指した先を見る。

 淡いピンクのブラウスに薄茶のカーディガン、やや長めのジーンズスカート。

 髪はやはり、三つ編み状に束ねている。

 前髪が掛かったメガネも。

「さて、いきなり切り出すか。それとも、もう一仕掛けしてくるのか」

 ヘッドフォンを耳に当て、何とも楽しそうな顔をするサトミ。

 そこからは、ケイのマイクを通じて彼等の会話が入ってくる。

 知らない人には、音楽を楽しんでいる美少女にしか見えないはずだ。

「ただ自分で言うのもなんだけど、良い趣味じゃないわ」

「お互い様。常に自分だけが安全な場所にいるとは限らないの」

 醒めた事を言った沙紀ちゃんは、ヘッドフォンを当てず彼等を見ようともしていない。

 怒っている様子ではないが、サトミのように楽しんでいる訳でもなさそうだ。


「済みません、アイスティー下さい」

「はい、かしこまりました」

 愛想良く微笑み、カウンターの向こうへオーダーするウェイトレスさん。

「あなたが緊張してどうするの」

「僕は、こういうのは好きじゃないんで」

 空になったグラスを傾け、氷をかじる木之本君。

 盗聴器の設置は、全部彼の手による物。

 相手に気付かれないよう、周波数のランダム変更やオートジャマー機能も付いている。

「いいじゃないよ。仲間のためにやってるんだから」 

「だったら盗聴しないで、素直に聞いた方がいい」

「相手の出方を、まずは探りたいの。本当にあの子が前自警局長と関係ないなら、そうやって尋ねる事自体失礼よ」

「それは、詭弁だと思う。関係ないなら、盗聴なんてもっと失礼だ」

 サトミと木之本君の間で、一瞬火花が散る。

 この子は気が弱いけど、でも自分の信念を譲るような事はしない。

 だからこそ、私達も厚い信頼を置いている。

 今睨み合っているサトミだって、それが分かっているからこそ彼に敵意を見せていられるのだ。

 もしお互いが本気なら、会話すら成り立たない。

 気が弱いといっても、人が良い事の裏返しだけどね。


「その辺でいいじゃない。今は、二人の会話を聞きましょ」

 さりげなく両者の間に入るモトちゃん。

 サトミ達も怒ってはいないので、すぐに睨み合うのを止める。

「……どう思う、モト」

「お金と女には気を付けろじゃないけど、まさにそれね」

 喫茶店内に響かないよう、小声で会話を交わすサトミとモトちゃん。

 この辺りの情報処理や判断はお手の物なので、二人に任せておくとしよう。

 私も盗聴なんて手口は好きじゃないから、ヘッドフォンはしていない。

「仲間が近くにいるみたい。すぐ会えるような口振り」

「一人二人じゃないわね。さて、ケイ君は大丈夫かな」

「……向こうも、盗聴してる」


 険しい顔で、一言洩らす木之本君。

 盗聴の状況を端末でチェックしているのだけど、何か異変があったようだ。

「浦田君の腕時計に反応してるんだと思う。周波数が微妙に揺れてる」

「気付かれてるの?」

「いや。周りにそれらしいサインを送ってる人がいない。それに、短時間で気付かれるようなシステムは組んでないよ」

「あっ」

 私の声に、沙紀ちゃんが反応する。

 大内さんが、ケイの腕に絡み付いたのだ。

「……地下駐車場に誘ってる」

「私達も行きましょ。黒幕へ会いに」

 レシートを取り、足早に歩いていく沙紀ちゃん。

 私達も身支度を済ませ、一斉に喫茶店を後にする。


「僕、ちょっとトイレ」

「飲み過ぎなのよ。ケイじゃないんだから」

「ごめん。それと、ケンカは駄目だよ」

 私達とは反対方向へ歩いていく木之本君。

 人をたしなめている場合じゃないのに。 

 ただこの後でトラブルがあっても、その時は彼が関係機関へ連絡をしてくれる。

 冷静な彼を残すのも、悪くないか。

 取りあえずこっちは、ケイの後を追おう。



 緩やかなスロープを、やや足早に降りていく。

「ここね」

 表示のあるドアを指さすサトミ。

 でもいきなりは入らず、ヘッドフォンで様子を探る。

「車に乗るのかしら。仲間はまだ、出てきてないけど」

「ケイは」

「お金の計算で精一杯。どうする?」

 サトミとモトちゃんの視線が、私そして沙紀ちゃんへと向けられる。

「車に乗ったら危ないと思う。行きましょ」

 迷わずドアを開ける沙紀ちゃん。


 同時に女の子の楽しげな笑い声が耳を打った。

 それに合わせて、抑え気味の笑い声も聞こえてくる。

「そんなに遠くは……」

 微かな驚きの声が上がる。

「久しぶり、大内さん」

 凛とした姿勢で、一歩前に出る沙紀ちゃん。

 大内さんは、戸惑い気味にケイと彼女を交互に見つめた。

「い、一体どういう事?どうして、あなた達が?」

「本当、俺も聞きたい」

 ケイは真面目な顔で首を振り、私達との距離を開ける。

「わ、私に、何か用ですか?」

「デートの邪魔で無いのは確かね」

「言えるのは、その子がお金や女の子に騙されるタイプじゃないって事」

 モトちゃんの指摘に、大内さんの表情が変わる。

 驚きではなく、鋭さの方へ。

 怯えが無くなり、か弱そうな素振りが陰を潜める。

「人の話を、盗聴したの」

「お互い様でしょ」

 私は、例の腕時計をしているケイの左腕を指さした。


「……なるほど」

 大仰に頷き、ケイに寄りかかる大内さん。

 彼はそれを避ける事も、戸惑う様子もない。

「私を信用してくれないの」

「勿論信じてる」

 はっきりとした応え。

 大内さんは大袈裟すぎる程の笑みで、彼を抱きしめようとした。

 ただそれは未遂で終わり、彼女の顔が微かに歪む。

「……何してるんだ」

「女の子に頼られてる」

「ナイフ突き立てられても、そう言えるか?」

 突然二人の後ろから姿を現すショウ。

 彼の手には、大内さんが持っていたらしい細長いナイフが握られている。

「不良に絡まれた時、身を守るためさ。そうだよね、大内さん」

「え、ええ」

 ぎこちなく頷くが、視線は油断無く全体を見渡している。

「仲間ならこないぞ。車のドアが開かないから」 

 駐車場の奥にあるワゴンへ目線を送るショウ。

 大内さんはついにケイを押しのけ、一気に私達との距離を開けた。

「騙されたのは、私の方って訳」

 皮肉めいた、強気な口調。

 髪を束ねていたリボンが取られ、ウェーブの掛かった髪が左右にたなびいていく。

 顔を伏せ、眼鏡に手が掛かる。

 前髪がかき上げられるのと同時に、その顔が上がった。

 綺麗な、しかしどこか険をはらんだ表情。


「……久しぶりね、雪野さん」

 言っている意味が分からなくて、私は彼女の顔を食い入るように見つめた。

 見下し気味の大きな瞳に、高い鼻筋、皮肉そうに緩んだ大きな唇。

「思い出せない?何なら、階段の上から蹴ってあげましょうか」

「あっ」

 前期の終わり、私を階段から蹴り落とそうとした女の子。

 生徒会長のアシスタントスタッフで、転校したと聞いていたけど。

「思ってた通り、この程度の小細工は効かないようね」

「あの時の恨みでも晴らしに来たつもり」

「殴られて大人しくしている性格じゃないのよ」

 端正な顔が、暗い情念に覆われていく。

 プライドを傷つけられた人間独特の、最もストレートな反応。

 だけど、どうして今さら。

「まだ、何か企んでいるんじゃなくて」

 厳しい表情で尋ねるサトミ。

 しかし大内さんは薄く笑い、私達に背を向けた。

「大人しくしてれば、あなた達には何もしないわ。そこの、地味な子はともかく」

 甲高い笑い声が、地下駐車場に響き渡る。

「警察に訴えるわよ」

「出来るのならね」

 後ろ向きのまま手が振られ、優雅な足取りで奥へと歩いていく。


「追わないの」

「大人しくてろって言われたじゃない。こっちから、無理に揉める必要は無いわよ」 

 そう言ってみた物の、自分でも信じてはいなかった。

 ここまで手の込んだ罠を仕掛け、それだけで終わりなんて。

 正直、信じられない。

「それで、木之本君は」

「トイレ」

「じいさんか」

 自分を棚に上げ、鼻を鳴らすケイ。

 何を思っているのか、珍しく顔付きは硬い。

「彼女の事、怒ってるの」

「そうじゃない。ただ、これからどうなるかなって思ったら。どうせ、狙われるのは俺だけだし」

 あくまでも醒めた、素っ気ない態度。 

 自分が騙され、もしかして身に危険が及んだ事も意に介してない。

「あのワゴンに誰が乗ってた」

「男が3人、女が二人。隠してたけど、赤のバンダナがシートに落ちてた」

「やっぱりディフェンスラインが絡んでるか。思った以上に、やばいかも」

「他人事みたいに言って。彼女が狙ってるのは、ケイ君なのに」

「向こうが掛かってくるなら対処する。ただ、それだけさ」

 あくまでも無関心な態度は崩さない。


 でもさっき見せた、厳しい表情は。

 私達にも危険が及ぶのを憂いているのか。

 彼女達の得体の知れなさを心配しているのか。

 今後起こるだろうトラブルを懸念してるのか。

 そのどれもかもしれない、それとも全然違うかもしれない。

 彼の心は誰にも分からないし、彼自身分かってもらうつもりもないだろう。

「ユウ、どうかした」

「ん、別に」

「ごめん、色々迷惑かけてもし何かあっても、俺が自分で処理するから」 

 少し寂しい言葉。

 私達を考えに入れていないような。

 でもそれは違うと、私は思う。

「それと。もし俺を捕まえたとか言われても、そんな誘いに乗らなくていい。どうせ罠に決まってるんだし」

「だけど」

「大丈夫。ユウは俺なんかより、みんなの事を心配してて」

 素っ気ない顔が、ほんの少しだけ緩む。 

 私を気遣ってくれる、優しい笑顔。

 さっきまでの冷たさや厳しさは、その欠片すらない。


 だけどこれも、彼の持つ一面。

 本当に、この人だけは分からない。








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