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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第50話
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50-1






     50-1




 庭を見ると、日だまりの中で猫が丸くなっていた。

 お昼でも外は寒く、じっとしているだけで腰の辺りから冷え込んでくるくらい。

 それでもこの庭は風が吹き込んでこないため、日差しを浴びていれば比較的温かめ。

 もしくはそういう噂が、猫の間で流れているかだ。

「下、地面だよね。汚れないの?」

 返事もせずに、耳だけをこちらへ向ける猫。

 警戒だけはしているようだ。

「どいた方が良いよ、そこ」

 私の言葉が通じたのか、それとも異変を感じ取ったのか。

 のそりと起き上がり、塀に飛び乗えていずこへと消える猫。

 名残は惜しいが、それは今言っても仕方ない。

 猫に関しても、この件に関しても。




 スコップを背負い庭へ現れるショウと御剣君。

 彼等はそれを地面に突き立て、勢いよく穴を掘り始めた。

 パワーショベルか彼等かという程の勢い。

 あっという間に巨大な穴が空き、その下に張る木の根が見えてきた。

「根は果てしなく、どこまでも伸びてるんじゃないの。それこそ家の下まで」

「全部は掘らなくても大丈夫だよ。それよりも、植え替えた後の手入れだね」

 カメラで撮影をしながら語る木之本君。

 園芸にも詳しいのか、この人は。

 まあ、理系の分野と言えば分野だけどさ。



 幹と木の根に布が手際良く巻かれ、塀越しにはクレーンが伸びてきた。

 クレーンは幹に巻かれたバンドをフックで引っかけ、何ともたやすく上へと持ち上がる。


 あっさりと塀を越え、トラックの荷台へ乗せられる白樺。

 やってしまえば一瞬。

 あっけないの一言に尽きる。



 次いでドングリの木。

 正確にはコナラらしいが、私にとってはドングリの木だ。

 こちらも手際よく作業が進められ、軽々と宙を舞う。

 幾つもの思い出を与えてくれた、私と共に育った木が。

「この穴はどうする訳」

 私よりももう少し現実的らしいお母さんは、腕を組みながら庭に空いた大穴を見つめている。

 私が入ったら、地面まで手が届かないほどの高さ。

 穴自体の大きさも、庭のほぼ半分程度。

 当たり前だが、放っておく訳では無いが。

「代わりに何か植えますか」

 怖い事をさらりと言ってくれる木之本君。

 この子、なんのために今の木を植え替えると思ってるのかな。




 結局掘り返した分の土と、追加の土を埋め直して終了。

 整地はされてないが、人が踏んでいく内にある程度はならされていくだろう。

「よし、行くぞ。運転してくれ」

 ショウから渡される、トラックのキー。

 クレーンは御剣君が運転し、木之本君は私の隣。

 ショウは荷台で、木を見ているらしい。

「寒くない?」

「木が転げ落ちるよりはましだろ」

 落ちはしないと思うが、絶対とは言い切れない。

 とはいえ落ちそうになったところで、人間の力で押しとどめられるとも思えないが。




 彼が凍える前に、玲阿邸へ到着。

 今度はパワーシャベルが導入され、さっき以上のペースで穴が開けられる。

 そこに二本の木が植え替えられ、土が改めて盛られて終わり。

 本当に、やってしまえばあっけない。

 作業としては大がかりだったが、済んでしまえば全てが終わる。

 当たり前だけど、もう少し余韻や後始末的な事があれば感慨に浸れたはずだ。

「この後はどうするの?」

「こまめに様子を見てれば大丈夫だと思うよ。こちらから出来る事も、限られてるしね」

 太い木の幹に触れて笑う木之本君。

 確かに私達が出来る事は、ここで改めて育つよう願うだけ。

 それ以外の事は、それ程出来そうにはない。

「まあ。仲間もいるから、良いか」

 植えたのは、庭の中でも林に近い側。

 林というか木々がたくさん植わってるだけの場所だけど、私の印象としては林である。


 一応木にプレートを掛け、分かりやすくしておく。

 周りにも木がたくさん植わっている分、これとそれとを見分けるのが正直困難。

 正直言ってプレートの見える側までこないと、見分けは付きそうにない。

 長年付き合ってる割には、かなりひどい話だが。




 足元に気配。

 のそりと歩いてきたコーシュカは白樺の方へと歩み寄り、鼻先を近づけた。

 まさかと思うけど、粗相するつもりじゃないだろうな。

「なーっ」

 変な声を上げ、幹に爪を立てるや上へと上っていくコーシュカ。

 叱ろうにも、すでにはるか頭上へ上った後。

 この事を忘れてた。

「大丈夫かな」

「少しくらいならね。毎日爪を研がれると困るけど」

「うーん」

 今更ながら、お母さんの気持ちが良く分かった。

 猫は敵だな、やっぱり。

「おーい」

「ばうばう」

 遠くの方にいた羽未が駆け寄ってきて、私の足元に腰を下ろした。 

 信に足るのは、やはり犬。

 人類の友人とも言うしね。

「コーシュカに、爪を研がないよう言っておいて」

「ばうばう」

「出来れば、あまり近付かないようにって」

「ばうばう」

 周りから感じる白い視線。

 確かに、犬へ言付けてる場合でも無いか。




 家に帰ると、庭先でお父さんが佇んでいた。

 妙に哀愁のある背中で、声を掛けるのもためらうくらい。

 そこまであの木に、思い入れを抱いてたんだろうか。

「……ああ、優。どうかした?」

 それはこっちの台詞だと思う。

 ただ一応、一つ確認はしておくか。

「もう何も植えないよね」

「え、どうして」

「いや。なんとなく」

「そういう予定は特にないよ」

 川の上を走る風みたいな声。 

 妙に爽やかというか、澄み切っているというか。

 心ここにあらずとでも言おうか。

「たまに見に行けば良いんじゃないの?そんなに遠くないし」

「ん、そうだね」

 曖昧に笑い、縁側へ腰掛けるお父さん。

 そこへ猫が寄り添い、足元で伸びをした。

 私には近付いてこないので、この辺は雪野家と白木家の違いが何かあるんだろう。

 いや。私も雪野家だけどさ。



「ご飯、もうすぐ出来る……。何してるの」

 縁側に腰掛け、俯き加減のお父さん。

 それを見てはお母さんも、思わず声を裏返すという物だ。

「ん、どうかした?」

「私はどうもしないけど。調子でも悪い?」

「全然。元気全開だよ」

 おおよそ頼りない微笑み。

 ここまで真逆な台詞も珍しいな。

「大丈夫なら良いけど。ご飯はどうする?」

「僕はしばらく、ここにいるよ」

「……優、ちょっと」

 お母さんに手招きされ、部屋へと上がる。

 さすがに私も、この姿は不安になってくる。


「大丈夫なの?」

「特に変な所はないけどね。黄昏れてるだけだと思うよ、多分」

「妙なところで繊細なんだから」

「お母さんは、何とも思わない?」

「日当たりが良くなって、洗濯物が干しやすいなとは思う」

 随分現実的だな。

 また主婦としては、そういう目線になるのも仕方ないか。

「近いんだし、見に行けばいいと思うんだけどね」

「木を見せて下さいって?それはそれでどうなの」

「私は平気だよ」

「あなたはそうでしょうけどね」

 なにやら含みのある言い方。

 まさかと思うけど、私は無神経って意味じゃないだろうな。



 庭先でもそもそおにぎりを食べるお父さん。

 私はパスタを食べ終えたので、庭へ降りて白樺とドングリの名残を確かめる。

 それにしても一気に空が広くなった感覚。

 あの木がなくなるのは寂しいが、これはこれで悪くもない。

 などと言ったらお父さんが落ち込みそうなので、お母さんの花壇を眺めてみる。

「こっちは、まだ咲かないね」

「冬だからね。春は遠いよ」

 つくづく沈んでるな。

「ちょっと出かける?」

「そういう気分じゃないんだけど」

「良いから、早く行こうよ。別に、ショウの家じゃないよ」

 そっちも良いかとは思ったけど、なんだか逆効果の気もしたので。



 やってきたのは名古屋港水族館。

 特に理由は無いが、私にとっては何とも落ち着く場所である。

「にゃにゃにゃにゃにゃ」

 猫がいると思ったら、いたのはイルカだけ。

 そして今のは、イルカの鳴き声らしい。

「何、それ」

 イルカに突っ込むお母さん。

 色の黒いイルカはわずかにも反応せず、魚の入っている青いバケツを凝視するだけである。

「人間、食べてる時が一番楽しいよね」

「イルカじゃない」

 それもそうだ。



 お父さんと言えば、シャチとじっと向き合ったまま。

 向き合うと言っても、向こうはプールサイドに顎を乗せた状態。

 お父さんは手すり越しに、ぼんやりとシャチを眺めている。

 どうでも良いけど、得体の知れない会話でもしてないだろうな。

「シャチ好きだった?」

「生態系の頂点だからね。シャチに敵う動物はこの世にいないよ」

「カバが意外と強いらしいよ」

「あー、カバかー」

 何で詠嘆するのかな。

 それでは隣にいた子供も、慌てて逃げ出す訳だ。



 スタンド席でたこ焼きを食べ、パフォーマンスの開始を待つ。

 お父さんは依然として、ぼんやりとメインプールを見つめたまま。

 魂が抜け出たように見えなくもない。

「本当に大丈夫?」

「さあ」

 お母さんと二人して首を傾げ、ため息を付く。

 とはいえ今更白樺とドングリを戻す訳にも行かない。

 つくづく困ったな、これは。




 そうしている内に、パフォーマンスが開幕。

 イルカの群れが、メインプールをぐるぐると回り出す。

「はは、すごい」

 初めて見る訳では無いが、見ればやっぱり面白い。

 思わず手を叩き、一人ではしゃいでしまう。

「わっ」

 水面から跳び上がり、スタンド席にいる私達よりも上に跳び上がるイルカ達。

 ビルの3階くらいまでは飛んでるはずで、おおよそ人間が太刀打ち出来るレベルではない。

 その飛沫が風に乗って飛んできて、頬の辺りに少し掛かる。

 それもまた楽しいと言おうか、一層の興奮を誘う。



 オープニングが終わり、MCのお姉さんが登場。

 イルカの説明をしているのを聞きつつ、お父さんの様子を窺う。 

 私のように興奮してる訳では無く、たださっきまでよりは生気が戻って来た様子にも見える。

「……ちなみにこのイルカは、和歌山の太地町からやってきました」

「へー。随分遠くから来てるんですね」

「今は大勢の仲間と、元気一杯に過ごしています」

 MCのお姉さんと、トレーナーとのトーク。

 それを聞いていたお父さんは、一人静かに頷いている。

 もしかして、白樺とイルカを重ね合わせて見ているのかも知れないな。




 パフォーマンスも終了。

 水族館を出て、隣にある遊園地へとやってくる。

 本格的なそれではなく、幼い子供が喜びそうな乗り物系のがメイン。

 私もさすがに、小さな電車に乗ってはしゃぐ年ではない。

「これ、乗ってみる?」

 お母さんが指さしたのは観覧車。

 それ程高い場所は好きではないが、足場も多いし問題は無い。

 などと、落ちる事を想定して考えても仕方ないが。



 結構狭い観覧車に乗り込み、慌てて手すりにすがる。

 恐怖ではなく、観覧車が止まらず上昇し始めたので。

 人が乗り込む度に止まっていても、仕方ないけどね。

「浮いた浮いた。……結構上るわね」

 今更ながら後悔してそうなお母さん。

 それは乗る前に、少し上を見上げれば分かったと思う。

「和歌山は見えるかな」

 名古屋港の方を見て、一人呟くお父さん。

 反対側を見れば名駅のビル群は見えるけど、余程大気が澄んでいても和歌山はどうだろうか。

 大体私は、和歌山がどの辺かもそれ程は分かってない。


 私達の感慨をよそに上っていく観覧車。

 これが途中で止まったら、パニック所の話ではないな。

 私はどうにもでも降りられるけど、お母さんは手すりにしがみついて動かないと思う。

 現時点で、かなり嫌な顔をしているし。

「高い所、嫌いだったの?」

「ここまで高いとは思わなかった」

「初めに見れば分かると思うんだけど。……あの辺が家かな」

 背伸びして北東を指さすが、建物が余りにも多くて判別不能。

 その辺のどこかにはあるだろうが、どこにあるかは全く分からない。

「和歌山はどこかな」

 それはもう良いんだって。




 和歌山も我が家も見つけられないまま、地上に到着。

 よろめき気味のお母さんに手を貸しつつ、外に出る。

「面白かったね」

 きらめくような笑顔を浮かべるお父さん。

 対して今度は、お母さんが沈みがち。

 ただそれでも観覧車に乗ろうとしたんだから、もしかしてお父さんを気遣ってなのかも知れない。

「この乗り物、どういう存在意義があるのかしら」

 今の台詞を聞く限り、どうにも疑わしいな。




 車でスーパーに立ち寄り、夕ご飯を買い込む。

 どう見てもお母さんは、ご飯を作れそうにないので。

「そんなに怖い?」

「人間があの高さに上るなんて、普通はあり得ないでしょ」

「飛行機は平気だったじゃない」

「ああいうのとは別なのよ。くるくる回ってるだけよ、観覧車って」

 価値基準が、全くもって意味不明だな。

 それを言い出したら飛行機だって、ふわふわ浮いてるだけじゃない。


 まずはおにぎり、そしてお寿司のパック。

 後は揚げ物を少し。

 私はこれだけで十分。

「いや、デザートか」

 これなくしては始まらない。

 何が始まるかは分からない。


「優、危ないよ」

 何がと思って周りを見るが、特に危険な物は無い。

 それでもお父さんは、戻るように手を振ってきた。

「どうかしたの」

「一人で先に行くと、危ないよ」

 私を何才だと思ってるのかな。

 確かにちょこまかはしてるけど、危なくはないし迷子にもならないと思う。

「何か勘違いしてない?私、もう高校生だよ」

「え。ああ、そうか。昔から優は、こういうところに来ると一人で先に行くから心配してね。すぐ迷子になるし」

 その辺は、今も昔も相変わらずが。 

 ただ、私自身は迷子になった記憶があまりない。

 正確には、迷子になって困った記憶が。

「泣いたりした?その時」

「いや。大抵、ふ菓子の前で立ってたからね」

 本当に私って、進歩がないな。


 という訳で、今日は牛乳プリンではなくふ菓子を買う。

 味として安定してるし、これに敵う食べ物も世の中にそうそう無いと思う。

 ケイに言わせると、人間の食べ物ではないらしいが。

 まあ、鯉も好きらしいけどね。




 家に着くと、もう夕方。

 洗濯物を取り込み、半分埋もれるようにしてそれを畳む。

 洗濯物も外の冷気を吸い込んでいて、触っていると手がかじかんでくるくらい。

 冬の良さもあるけれど、出来れば寒さはもう少しどうにかして欲しい。

 寒いから冬なんだろうけどさ。

「すっきりしたね」

 庭の方を見ながらタオルを畳むお父さん。

 その言葉通り、少し気分は晴れた様子。

 一気に立ち直るとまでは行かないが、庭で猫と黄昏れる事は無さそうだ。

「お母さんは大丈夫?」

「観覧車って、どの省庁の所管なのかしら」

 知らないわよ、そんな事。




 買ってきたお寿司と総菜を食べ終え、デザートにふ菓子が登場。

 世間一般のデザートとは違うと思うが、今日はさすがに特別だ。

「あなた、それ好きね」

 ご飯を食べて少し立ち直ったのか、ふ菓子を指さすお母さん。

 デザートの中では、これか牛乳プリンが双璧かも知れない。

 後は、チョコバーか。

「あっさりしてるからね」

 食べ物に対する私の基準は、それが大きなウェイトを占める。 

 牛乳プリンも同じ事。

 チョコバーを食べる頻度が低いのは、それも関係している。

「なんか、食べた気になれないんだけど。これは」

「そうかな」

 そう言いつつ、一本完食。

 私でも簡単に食べきれるので、確かに食べ応えという意味では物足りないか。

 それが良いと思うんだけどね、逆に。



 改めて庭を見に行くと、暗闇の中に緑色の光がちらついていた。

 どう見ても猫がいる様子。

 一体何が、猫をここに引き寄せてるのかな。


 寒いので、窓越しに猫を観察。

 リビングから漏れる明かりだけなので姿ははっきりしないが、ただ座っているだけ。

 これが噂の、猫の集会かな。


 さすがに気になって窓を開けた途端、一斉に睨まれて逃げられた。

 当たり前と言えば、当たり前の話。

 後はせいぜい、風に乗って猫の毛が部屋に舞い込んできたくらい。

 虚しさの欠片もないな、これは。

「あーあ」

 大きく伸びをしたところで、空が視界に入る。

 いつもよりも広い空。

 星の瞬きもより多く、降って来るとまでは行かないが今までとはまるで違う景色。

 猫達は、これを見に集まってきたんだろうか。




 お父さんの影響か、多少夢見がちになっているかもしれない。 

 という訳で、その勢いを買って部屋に戻って古いアルバムをめくる。

 私がまだ小学校へ入る前。

 その隣には、細い白樺の木が植わっている。

 ドングリは、まだ植えられてないようだ。


 写真は、私を挟んでお父さんとお母さんという構図。

 お父さんは今よりも若く、髪型も少し違う。

 少し痩せているというか、今が若干ふっくら気味。

 対してお母さんは、殆ど変わりがない。

 よく見れば勿論若く見えるけれど、写真レベルでは違う所を探すのが難しいくらい。

 年を取っていないというか、むしろ今の私に近い感じ。

 童顔なので、余計にそう見えるのかも知れないが。



 少し私が大きくなり、白樺の隣に小さな幹が伸びている。

 おそらくこれがドングリ。

 庭で写真を撮った記憶は無く、つまりはそのくらい昔の写真。

 それなのに、写真は存在するのが少し面白い。


 そんな私も、今は高校生。

 4月には大学生となる。

 時の流れは速いと言うけれど、この写真を見たりしているとつくづく実感する。

 などと、この年で思っていても仕方ないが。




 翌日曜。

 様子を見に、早速玲阿邸を訪ねてみる。

「ばうばう」

 玄関先で私を出迎えてくれる羽未。

 その頭を軽く撫で、背中に手を伸ばしていく。

 この子と出会ったのは、この家へ来るようになってから。

 私はそう思っていたんだけど、ショウが言うにはそれ以前に会った事があるらしい。

 そう言われてみると、どこかで見た顔。

 犬に使う表現ではないかも知れないが。


 羽未と一緒に歩いていくと、今度はコーシュカと出くわした。

 出迎えてくれたではなく、出くわした。

 さほど私を歓待している顔ではなく、また何を考えてるのか分からない表情。

 相手はヤマネコなので考えは元々分からないが、羽未の場合はまだ理解出来る部分がある。

 しかしこの猫は別。

 いや。猫だから、余計に分かりにくいと言うべきか。

「おはよう。調子どう?」

 返事もしないときた。

 それでも耳だけはこちらへ向けていて、警戒は怠っていない。

「あなたって、どこから来たの?故郷に帰りたくない?」

 それこそ、何を言ってるんだという顔で振り返られた。

 実際ここまで日本に馴染んでいたら、今更故郷の山なり野原に戻されても困るだろう。

「今、幸せ?」

 鼻を鳴らし、背を向けて去っていくコーシュカ。

 態度は気に入らないが、幸せなのは何となく理解出来た。




 母屋の玄関に到着すると、ショウと風成さんが大きなタンスを運んでいた。

 そういえば部屋を片付けるとか、前言ってたな。

「どうするの、これ」

「知り合いが欲しがってたから、持っていってもらう」

「今ある服はどうするの?」

「……ああ、俺の部屋にある奴じゃない。何でも古い家具で、値が張るとか言ってたな」

 値が張る物を、持っていってもらうか。

 つくづく、そういう執着がない人達だな。


 見た感じ、確かに古民具風のタンス。

 ただ日本製ではなく、ヨーロッパとかそっちの系統。

 大きな家なので、探せばこの手の物はいくらでもあるんだろう。

「ユウも何か持って行くか」

「むしろ家の物を運び込みたいくらいだけどね」

 玲阿家とは比べられないが、雪野家もそれ程狭い訳ではない。

 ただ物というのは、どうしてもたまっていく物。

 それが雪野家の歴史の分だけ、あの家には詰まっている。

 必要な物以外に、捨てられない物とかも。

「そろそろ運ぼうぜ」

 タンスの向こうから聞こえる、風成さんの声。

 この人達、よく考えたらタンスを抱えたままずっと立っていた訳か。

 話しかけた私も悪いけど、改めてすさまじいな。



 ショウ達がタンスを運んでいる間に家へと上がり、リビングへとやってくる。

 そう言われて見ると、見慣れた景色に空間が空いてる気もする。

「よう」

「おはようございます。ここにタンスがあったんですか?」

「あったんだよ。よく分からんが、値打ちがあるらしい」

「良いんですか、それを譲っても

「人間、タンスが無くても生きていけるよ」

 究極的な事を言い出す瞬さん。

 それはそうだけと、タンスがあっても生きていけると思う。

「ここには何か置きます?」

「流衣と鈴音がはしゃいでたから、もう注文してるかもな。俺には理解出来んよ」

「あのタンスに愛着とかは?」

「タンスに?愛着?タンス?」

 二回言われても困るんだけどな。

 先日ショウに突っ込まれた事も思いだした。


 どうもこの家の人は物に対しての執着心が薄いと思う。

 それは玲阿家の家風とも、おそらくは関係しているのだろう。 

 刹那的な生き方を強いられたという意味で。

「惜しいとか、寂しいとか。そういう気持ちですよ」

「分からんな。物が入れば、それこそ段ボール箱でも良いだろ」

「金銭的な価値はどうなんですか」

「それは惜しいかもな。ただこの家にあっても、誰もありがたがらん。むしろ、その方が惜しい」

 なるほどね。

 ちょっと良い事を言われた気がする。

 床に寝転んでいなかったら、もう少し感動をしてた所だ。




 やがてショウと風成さんが戻ってきて、壁際に出来てる空白へと目を向けた。

 瞬さんはああ言っていたけど、二人には何らかの感慨があるのかも知れない。

「名残惜しいですか?」

「いや、別に。新しいタンスをどう格納すればいいのか考えてる」

 素で答える風成さん。

 まあ、現実的で良いけどね。

「それは業者がやるんじゃないんですか」

「細かなセッティングは俺達の仕事らしいよ。業者も、そう取っ替え引っ替えは動かしてくれないしね」

 それもそうだ。

 箸やお茶碗を動かすのとは訳が違う重さだから。

「ショウは、何か思い入れがある?」

「まあ、多少寂しいかなとは思う」

 さすがに彼は若干ナイーブだけあり、そういう気持ちはあるようだ。

 お父さんのように、沈み込むまでは行かないけれど。




 私はそのスペースを掃除。

 ついでに隣の家具の裏を覗き込む。

 こういうところには、得てして無くした物が落ちてたりするので。

「止めた方が良いよ」

 小声で警告してくる瞬さん。

 何がと思ったら、風成さんも頷いている。

「悪い物でも隠してあるんですか?」

「それすら思い出せん。ただ、良い物を隠す訳が無い」

 嫌な事を言い出すな、また。



 定規を借りて捜索するが、出てくるのはホコリばかり。

 後は小銭やペンとか、そういった類の物ばかり。

 誰かにとって危ない物は出て来ない。

「何も出て来ないですね」

「これ幸いだ。酒でも飲むか」

 一体、何を隠したんだか。

 そう言われると、余計に探したくなるな。

「ショウ、隣の棚もどかして」

「どかしてどうする」

「……ちょっと確かめる。……済みません、雪野ですけど。……いえ、隣の棚を動かしたくて。……分かりました。では、そのようにやっておきます。買ったタンスが大きいから、一度全部動かすんだって」

 鈴音さんの了承も得られたので、後は全部動かすだけ。

 私が動かす訳ではないけどね。




 掃除機と洗剤と雑巾。

 後はゴミ袋。

 それ以外は、適宜持ってくるとしよう。

「とにかく一度、庭なり廊下へ出して下さい。ついでにカーペットも掃除しますから」

「大変だ、それは」

 そのカーペットに転がったままの瞬さん。

 ここまで来ると、あっぱれだな。

「よし、運ぶぞ。四葉、そっち持て」

 何かあったのか、妙に積極的な風成さん。

 流衣さんにでも怒られたのかな。

「丁寧に運んで、新聞を敷いた上に乗せて下さいね。それと角はぶつけないように」

「ぶつけたらぶつけただよ。物は壊れるためにあるんだよ」

 良い事を言ったのかな、今。




 それでも家具は全て外へ出され、最後にカーペットが引きはがされる。

「父さん、どいてくれ」

「嫌だね。俺は一生寝て過ごす」

「四葉、構うな。簀巻きにしてやれ」

「おう」

 瞬さんが逃げようとするも、時遅し。

 あっという間にカーペットが巻かれ、瞬さんがその間に巻き込まれた。

 しかしそこはさすがに、前大戦の英雄。

 間一髪で、カーペットから脱出した。

 仕草としては恰好良かったけど、やってる事は最低の一言に尽きる。

「つまらんな」

「つまらなくて良いですから、瞬さんは家具を乾拭きして下さい」

「仕方ないな。本当、人生というのはとかくままならん」

 何を言ってるんだか。



 カーペットはショウと風成さんに頼み、2階からつり下げてもらう。

 日に当てる物では無いかも知れないが、一生に一度くらいは太陽を拝んでも悪い気持ちはしないだろう。

「後は掃除機を掛けて。それと洗剤。壁も拭いてね。御剣君は?」

「用があるとかで、出かけてる」

「女かな。最近もてるって聞いてるぞ」 

 妙な情報を持ち合わせてる風成さん。

 いや。この件に関しては、妙でもないか。

「むしろ私は、そういう噂があって安心しますけどね。一生格闘技の事しか考えないなんて、逆に怖いですよ」

「そんな物かな」

 大げさに肩をすくめ、掃除機をかけ出す風成さん。 

 ショウには椅子を使って、この際天井のホコリも落としてもらう。

 ここまでやったんだから、とにかく妥協はしたくない。



 という訳で2階へ上がり、スティックでカーペットをぺたぺた叩く。

 しかし私のリーチでは、叩ける範囲はたかが知れてる。

 仮に倍でも、全部を叩くのは無理だろう。

「えーと、これか」

 手首を返し、設定を解除。

 高周波振動装置を作動させ、軽くカーペットに触れる。

 長時間押し当てるとカーペットは寸断してしまうが、触れる程度なら振動が伝わるだけ。

 かなり良い感じでホコリが落ちていく。

 ただこんな使い方は、スティックを作ってくれた人には絶対見せられないな。




 そろそろお昼の時間。

 とはいえ今更作るのも面倒で、家人は全員出払っている。

「出前で良いですか?」

「ああ。何でも好きなの頼んで良いよ。……あの二人もいるから、質より量で」

 タンスを拭きながら苦笑する瞬さん。

 確かにショウと風成さんでは、そう言いたくなるのもよく分かる。

「ピザで良いですか?キャンペーン中みたいだし」

「あいつら、平気で一人2枚を食べるからな。10枚くらい頼むよ」

「はぁ」

 一人2枚でも、二人で4枚。

 私は1/4程度。

 瞬さんが1枚食べても余ると思うが、まあいいか。



 やがてピザが到着。

 何も無いリビングで無理に食べる必要はなく、どこかは知らないがテーブルのある部屋にピザを積む。

「大丈夫ですか、10枚も頼んで」

「兄貴もそろそろ戻ってくる。すごい銃を手に入れたらしいんだ」

「……それって、個人が所有して良いんですか」

「許可は得てるよ。そう言ってる間に、戻って来たか」

「やあ、いらっしゃい」

 細長い筒を抱えて部屋に入ってくる月映さん。

 瞬さんはそれを受け取り、包んであったビニールシートを剥がし出した。


「意外と軽いな」

「北米製ですからね。武器の技術に関しては、さすがに一流ですよ」

「結局それは?」

「長距離射撃用のマシンガン。ライフル並みの精密射撃が出来て、かつ連射も可能。使い勝手は難しいけどね。昔これがあれば、もう少し楽を出来たんだが」

 もはやピザそっちのけで、銃を構える瞬さん。

 私は付き合っていられず、ピザを月映さんに取り分ける。

「余りそうなので、どんどん食べて下さい」

「余るほど食べ物があるのは良い事ですね。無駄ではあるけど、心に余裕が生まれます」

 その内何かを拝みそうな表情。

 従軍経験者は、言う事が一つ一つ重いな。

「あの銃は、個人が所有して良いんですか?瞬さんは、許可を得てるって言ってましたけど」

「結局、弾が無ければただの筒ですからね。一応、そういう名目になってます」

「実際には撃てないって事ですか」

「市街戦なら、通常のマシンガンの方が有利でしょう」

 そういうレベルでの話はしてないんだけどな。



 私も一応銃を手に取り、構えてみる。

 確かにかなりの軽さで、サイズは大きすぎるが携帯性は抜群。

 ただ、こういう物が溢れていない日本に生まれて良かったとも思う。

「良くないですね、こういうのは」

「優さんは駄目ですか」

「私、銃はあまり好きではないので。学校で配備されてるモデルガンも出来れば避けたいくらいです」

「なるほど。私達はこれがないとむしろ不安なタイプでしてね。つくづく業が深いですよ」

 そう言って笑う月映さん。

 彼等は前大戦で、戦闘に携わった人達。

 それこそ、相手を撃たなければ自分が死ぬような環境で。

 その現実は過酷すぎて、私がたやすく口を挟める物では無い。

「昔は装備品もままならず、今になってその反動が来てるんでしょう。大人がおもちゃを買い漁るような心境です」

「はぁ」

「我ながら趣味は悪いと思うんですが、こればかりは仕方ありません」

 そう言って、ピザを一枚完食する月映さん。

 これでは10枚もあっという間だな。



 飲み物を取りに廊下を歩いていると、お祖父さんが前から歩いてきた。

 そう言えば、いるって聞いてなかったな。

「ピザありますけど」

「ああ、ありがとう。それと月映が、銃を持ってこなかったかな」

「来ましたよ。細長いライフルみたいのを」

「ほう」

 鋭くなる眼光。

 彼も、銃に思い入れを抱くタイプだったようだ。

「今日って、ずっと家にいました?」

「いや。今帰って来た。銃はどこに?」

 まさか、それを見るために戻って来たんじゃないだろうな。

「部屋の配置が分からないので、部屋の場所は分からないんですけど。ただあの銃って、必要ですか?」

「生きてく上では必要無い。ただ、あって困る物でも無い」

 あると困ると思うけどな。



 台所も分からなかったのでそこまで案内してもらい、改めて部屋へと戻る。

「私はあまり好きではないんですが」

「我々は特殊な生活を送ってきたからね。子供が銃に目を輝かせたら、私も困る」

 それもそうか。

 とはいえ、心浮き立たせて慌てて帰ってくるのもどうかとは思うが。

「それとリビングを掃除して、全部荷物を出しました」

「何も出て来なかったかな。古い通達とか」

「特には。カーペットもめくりましたけど、これと言った物は」

「だったら、リビングではないのか」

 唸り声を上げ出すお祖父さん。

 どうやら、隠している事前提らしい。

「そんな事してたんですか、あの二人」

「証拠を隠滅するだけなら、燃やせばいい。……私の事じゃないよ」

 誰も何も言ってないんだけどな。

 どうやら、聞かない方が良い過去があるようだ。




 もう食べられないので、私はリビングへ戻り掃除の続き。

 取りあえず、拭ける所を雑巾で拭いていく。

 何をやってるのかと自分でもちょっと思うが、ショウと出会ってからはずっとこの家。

 そしてこの部屋のお世話になってきた。

 だったらこのくらいの掃除はしても、むしろ当然かもしれない。


 人が拭いた場所に、ぺたぺたと足跡を付けていくコーシュカ。

 幸い泥だらけではないが、あまり楽しい気分でもない。

 とはいえ叱って言う事を聞くタイプでも無く、手で追い払って出来るだけ遠ざける。

「……じゃれついてこないでよ」

 どうやら猫には逆効果だな。

 仕方ないので一度抱き寄せ、部屋の隅へと運ぶ。

 そして庭に出してあったタオルケットを持って来て、それをコーシュカの上に掛ける。

 後は自分で勝手に、良い寝床を作ってくれるだろう。


 そうしている間に私も、少し眠くなってきた。

 朝から動き詰めで、食事を取った後。

 少し横になるとするか。

 という訳でタオルケットを私も被り、壁に寄り添って目を閉じる。

 部屋が広いだけに、少しでも隅にいかないと落ち着かないので。

「なー」

 もぞもぞと、タオルケットの中に潜り込んでくるコーシュカ。

 窓を開けたままなので部屋の中はかなり寒く、ただ彼女の体温があると一気に温もってくる。

「春は遠そうだね」

 喉を鳴らしながら体を丸めるコーシュカ。

 湯たんぽも到着したし、少し眠るとするか。




 周りを囲まれた感覚。

 何がと思って目を開けると、目の前にタンスが見えていた。

「……ああ、もう運び込んだの」

 軽く伸びをして、タオルケットから這い出る。

 すでにコーシュカはおらず、これでは私が自堕落に寝ているだけになる。

 実際、そうなんだけどさ。

「配置は?」

「入らなかったから、一つどかした」

 そう言って、私が寝ているスペースを指さすショウ

 私の記憶内にあった棚が無いので、それを別な場所へ運んだらしい。

「お世話になってるし、たまにはこういう事をしないとね」

「誰に」

「いや。この家に」

「ふーん」

 平坦に返事をされた。

 どうもこの人は、物に対しての思い入れが薄いよな。


「ショウもこの家に住んでたんだから、色々思い出はあるでしょ」

「思い出はあっても、それはそれだろ」

「まあ、いいけどね。しかし、よく寝た……。私が寝てた場所は、何か置く予定でもあった?」

「いや。カーペットを敷いて終わりだ」

 そう言って、巻かれていたカーペットを手で押すショウ。

 するとそれは床を覆い、綺麗に角へと収まった。

「他の部屋は掃除しないの?」

「俺の部屋くらいだろ」

「ああ、そうか」

 彼は卒業後、士官学校へ入学。

 学校は九州にあり、そちらでの寮住まい。

 ここにはいなくなる。


 この家で刻まれた幾つもの思い出。

 それにもう一つ。

 切ない思い出が増えそうだ。











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