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例のソファーがある場所へと移動し、棚の上にある貯金箱を確認。
少しだか、位置がずれてる気もする。
「誰か触った?」
首を振るサトミとショウ。
ケイは知らんとばかりに距離を置く。
「……減ってはないか」
持ち上げてみると、重さは多分変化無し。
細工された様子もなく、ただ誰かが触ったのは間違いない。
「これを持って行こうとしたのかな」
だとすれば問題。
それは理屈ではなく、まさにケイの言う感情の問題。
私物を置くなと言われても、これは意味合いが根本的に違う。
現金という事では無く、この貯金箱の持つ意味。
お金を入れてくれた人の気持ちが。
「減ってないなら良いだろ」
ぺたりと私の頭に手を置くショウ。
それもそうかと思い、元の位置に貯金箱を戻す。
逆に減っていたら、どうなるかという話だが。
ソファーに座り、まずは一息。
目を閉じて、気持ちを楽にする。
「寝るのか」
ショウの突っ込みを気にせず深呼吸。
少し荒れていた気持ちが落ち着いていく。
「タオルケットがいるのか」
……全然落ち着けないな。
厚意は嬉しいけどさ。
結局タオルケットは持って来てもらい、膝の上に掛ける。
暖房は効いているが、あって困る物でも無い。
それに意識自体は、比較的冷静。
周りを観察するくらいの余裕はある。
サトミは角を生やしっぱなしで、ケイは尻尾が生えたような状態。
沙紀ちゃんは落ち着きがなく、ショウも少し不安げ。
自分が冷静だからこそ分かる、周囲の態度。
一歩引いた場所から見るというのは、多分こういう事なんだろう。
いつもは私が感情的になりすぎ、周りが見えていなかった。
ただ今回は周りの方が熱くなっているので、私は少し出遅れた心境。
また感情的になる時期を、私はもう過ぎたのかも知れない。
大人。
その表現があってるかどうかはともかく、何らかの成長は遂げたのだろう。
そう自分の中で納得させ、ソファーへ横になる。
タオルケットもあるし、後は寝るだけ。
小谷君の張り切り方かららして、私に仕事が回ってくる事も無いと思う。
「寝てる場合ではないわよ」
上から押しつぶすように声を掛けてくるサトミ。
そうかも知れないが、起きていてやる事も無いと思う。
「あなた、このままで済ます気?」
「実害は無いんだし、私は困ってないからね。それに2年生が経験を積むのは、良い事じゃないの」
「独断で行動しても良いと言うの?」
「それは問題だろうけど、間違った事はしてない訳だし」
小谷君達が今でも活動出来るのは、おそらくそのため。
勝手な判断はともかく、その行動自体は間違ってはいない。
そうなると咎めるのも難しく、むしろ文句を付ける方が気後れしてしまう。
後輩がせっかくやる気になっているのに、邪魔をするなんてと。
ただそういう考えは、サトミには通用しない様子。
また通用していれば、ここまで難儀な性格にもなってないだろう。
「このまま見過ごす気?」
「問題が起きない限りはね。後2ヶ月すれば、この状態が当たり前になるんだから」
「2ヶ月経てば、でしょ。それで、いつ2ヶ月経ったの?」
「経ってないかもね。でもこうしている間に過ぎて行く気もする」
小谷君達からすれば、そういうつもりもあるんだろう。
なし崩しとでも言おうか。
問題が多少あっても続けていけば、やがてそれが普通に思えてくる。
昨年度の連合解体に伴う、私達の活動みたいに。
あれは規則違反どころの話ではなく、そう考えると小谷君達のやっている事は可愛い物だ。
私のやる気の無さを感じ取ったのか、視線を一層鋭くするサトミ。
ただ私としては、現状がそれ程問題とは思わないのは確か。
小谷君達の行動は、規則を逸脱はしていないし誰かに迷惑を掛けてもいない。
考えようによっては、むしろ好ましい部類。
後輩がそうして頑張るのなら、先輩たる私達はそれを見守るべきではないだろうか。
「とにかくこれは」
サトミが何かを言いかけた所で、神代さんが衝立の向こうから顔を覗かせた。
「……お忙しいですか、今」
「暇よ。仕事が何も無いんだもの」
ちくりと刺すサトミ。
神代さんは小さく身を震わせ、それでも衝立を回り込み私達の所へとやってきた。
「済みませんが、これをお願いします」
テーブルに置かれる書類の束。
随分古い資料に見える。
「備品使用状況書です。廃棄するんですけど、他の書類が混じってないか確認して下さい」
「私達にふさわしい仕事ね」
じわじわと追い詰めるサトミ。
神代さんは、ぎこちなく笑い後ずさった。
「残りもすぐ持って来ますので」
「ええ。すぐ、お願い」
いたたまれないとは、多分こういう事を言うんだろう。
というか神代さんも、こうなると分かってて良く持って来たな。
彼女を不憫に思ったのか、代わりに書類を取りに行くショウ。
私達は与えられ仕事。
備品使用状況書の山から、違う書類を探す作業に移る。
「良いじゃない。簡単な仕事で」
「この程度の仕事しか出来ないと言われてるのよ」
書類の束を持って、その端を持って滑らせるサトミ。
書類は一気にめくれていき、その束がテーブルの脇に寄せられる。
アニメを見るような要領だが、彼女には関係無い物が混ざってないか確認出来ているようだ。
「動体視力みたいなもの?」
「認知と情報処理の系統よ。違う物なら気付くわ」
次の束を確認していたサトミはすぐに手を止め、今度は一枚ずつ書類をめくりだした。
彼女が引き抜いたのは、備品の広告用紙。
違う書類は確かに発見出来た。
発見出来なくても、あまり困らないと思うが。
「生産性に乏しいわね」
「暇が潰れて結構な事だ」
そういう割には書類へ手を伸ばそうともせず、雑誌を読み耽るケイ。
ただ、やる気を生み出しにくい作業なのは確か。
もっと言ってしまえば、嫌がらせと取れなくも無い。
「困ったわね、ちょっと」
一枚一枚慎重に確認しながら書類をめくる沙紀ちゃん。
生真面目な部分は、こういうところにも現れるな。
「小谷君って、元々ああだった?」
「そうでもないと思う。ただ意識は高かったから、こういう事になっても不思議ではないのかな」
一度見た書類を、もう一度見直す沙紀ちゃん。
私の中にはおおよそ無い行動。
つくづくこういうところに性格が出るな。
ショウが運んできた残りの分はサトミが大半を片付け、すぐに作業終了。
不要な書類は、数枚混じっているだけ。
また見つけなくても、誰も困らないような物ばかり。
言いたくは無いが、かなり虚しい時間を過ごしたとも言える。
「そろそろ帰るか」
雑誌を机の上へ置き、席を立つケイ。
やる事が無いのは確か。
とはいえ帰るというのも大人げない気はする。
「雑用がしたいのなら、俺は止めないけど」
「帰って何かするの?というか、帰る事に意味はあるの?」
「ここにいても寮にいても大して変わらん。それに、帰ろうとすれば向こうが反応をする」
狙いはむしろそこか。
帰りたい訳ではないが、反応は確かめてみたい。
という訳でケイの後に付いて、受付へと向かう。
彼の推測通りと言うべきか。
行く手を遮る数名のガーディアン。
腰の警棒に手を掛けてはいないが、道をふさがれたのは間違いない。
「まだ、終業時間前ですが」
「だから?」
素っ気なく返すケイ。
ガーディアンは、彼が背負っているリュックに視線を向けた。
「帰るおつもりですか」
「用がないんだ。仕事を全部取られた」
「仕事は他にもあると思いますが」
「言い方を変えようが。俺に任せられている仕事を、他の人間が勝手に行っている。だから俺は、自分の仕事が無い」
非常に分かりやすく告げるケイ。
ガーディアン達は気まずそうに顔を見合わせるが、しかし道を空けようとはしない。
「まだ終わってませんので」
「困ったな、これは。だったら、俺は何をしたらいい」
「色々とあると思います」
「分かったよ。俺は自警課課長補佐で、ガーディアンの運用を任されている。それに付随して、ガーディアンの規律を糺すのも仕事の一つ。さて、この中にガーディアンはいるかな」
道をふさいでいるのは、全員ガーディアン。
腰の警棒を見れば、それは明らか。
つまりケイの管轄下にある。
「俺に意見したいなら、正式な書類を持ってきてくれ。それと全員、IDを提出。今から仕事を与える」
「え」
「北門と正門と西門を見回って、30分後に報告。それが済んだら、もう一度。拒否するなら、それは自警局への反抗と見なす」
淡々とした口調で告げるケイ。
ガーディアン達は顔色を変え、一歩前へと踏み出した。
「文句があるなら今聞く」
「横暴じゃないですか、そんな」
「随分な口を聞くな。上下関係を持ち出したくはないが、組織を維持するためにはそれも必要だ。従うか、この場を去るか。選べ」
徐々にきつくなる口調。
ガーディアン達の雰囲気も悪くなり、腰の警棒に手を掛ける者も現れる。
「大して強くもない癖にいきがって。なんて思われてるかな、俺は」
そう言って一人笑い、突然彼等に背を向けるケイ。
何をするかと思ったら椅子を一つ担いできて、いきなりそれを投げつけた。
悲鳴が上がる間もなく距離を詰め、ローから肘。
一番近くにいたガーディアンは、声すら上げず床に倒れた。
「それで、何か言いたい奴は」
返事は返らず、受付前は耳が痛くなる程に静まり返る。
ケイは反応が一切ないのを確かめ、改めて椅子を担ぎ上げた。
「門を見回りたい奴は、今すぐ走れ」
「は、はいっ」
金切り声を上げて走り去るガーディアン達。
久し振りに見たな、こういうのも。
止めない時点で、私も同罪だが。
空気としては最悪。
受付を通る必要がある生徒達は、私達を大きく避けて移動。
目を合わすどころか、こちらを見ようともしない。
「何がしたかったの」
「規律を糺しただけだよ」
平然と答えるケイ。
しかしどう考えても規律を乱したのは彼の方。
少なくとも今の行為は、良い影響を生み出さないだろう。
「向こうがその気なら、こっちもそれ相応の態度を示すって事さ」
「今みたいな?」
「何事も甘くは無いんだよ。むしろ、このくらいで日和られたら困る」
無茶な行動に走った割には、非常に冷静な態度。
感情に任せて椅子を投げたのではなく、彼なりに考えての行動らしい。
椅子を投げる時点で、どうかとも思うが。
つまり小谷君達はそういう人間を相手にする訳で、かなり大変。
無論彼も、そこは分かっているはずだとしても。
ただ一歩引いて見ていると、その行動はやはり最悪。
無軌道で破滅的としか言いようがない。
また今まで自分がその先頭に立ってきたかと思うと、ぞっとする。
「どうかしたのか」
「いや、全然。私達は無茶苦茶だなと思っただけ」
「そうでもないぞ」
私の肩に触れて、にこりと笑うショウ。
椅子を人に投げつけ、そうでもない。か。
やはり色々と、問題がありそうだ。
話を聞きつけたのか。
それとも事前に来る事が決まっていたのか。
小谷君がこちらへ向かって歩いてきた。
その後ろには真田さんと緒方さん。
他にも1、2年生がちらほらと見える。
「何があったんですか」
張り詰めた空気の中、落ち着いた口調で尋ねてくる小谷君。
ケイは床を指さし、鼻で笑った。
「道をふさがれたから、どいてもらった」
「椅子が飛んだと聞いてます」
「ロケットが火星まで飛ぶんだ。椅子が飛んでも、大して不思議じゃない」
相当に馬鹿にした答え。
小谷君は薄く微笑み、それに応えた。
「何分、穏便にお願いします」
「俺はいつでも穏やかだよ」
「穏やかに椅子を投げるんですか」
「はは」
今度は爽やかに笑ってみせるケイ。
空気は張り詰める一方。
私ならここで逃げ出すか、さすがに謝る。
しかし小谷君は、淡々とした態度を崩さない。
彼の意図ややり方はともかく、この姿勢は立派だと思う。
「とにかく、あまり無茶な事はしないようお願いします」
「以後気を付けるよ」
「それと今日はお帰りですか」
「仕事が無いんでね。ここに残っていても仕方ない」
先程と似たような台詞。
受付前に再び走る緊張。
ただ小谷君は道をふさぐ真似はせず、薄く微笑むだけである。
「終業時間は、まだ来ていませんが」
「やる事が無いんだよ。与えられた仕事も終わった」
「困りましたね」
「本当、俺もつくづく困ってる」
あくまでも静かに交わされる会話。
この場で聞いていると、刃物を相手に向かって投げ合っているような気もするが。
間が良いのか、それとも悪いのか。
珍しく、矢田局長が自警局を訪ねてきた。
そこにこの空気。
彼が途中で足を止めるのも仕方ない。
「……何か、問題でも」
「何も。俺達は帰るから、後はよろしく」
「まだ終業時間では無いと思いますが」
「やる事が無いんだよ。勿論他の仕事をやっても良いけど、怒られると困る」
冗談っぽく告げ、矢田局長の隣を抜けるケイ。
彼は何かを矢田局長にささやき、振り返りもせずに自警局を出て行った。
また椅子こそ投げないが、やる事が無いのは私達も同様。
結局彼の後を追う事になる。
苦い顔をしている矢田局長の隣を通って。
廊下の途中で待っていたケイに追いつき、何を話したか尋ねてみる。
「小谷君を注意してくれと言っただけだよ」
「お前が言うな」
静かに突っ込むショウ。
それは私も同感だ。
「帰ってどうするの?まだ時間は早いけど」
腕時計を指さして困った顔をする沙紀ちゃん。
授業自体は終わっているので、時間としてはそこそこ。
帰って困る事は無い。
「高校生らしく、遊んで帰ろうか」
深刻さの欠片もない事を言い出すケイ。
とはいえ、このまま家に帰りたい心境でないのも確かだが。
駅前のゲームセンターに立ち寄る私達。
最新機種はちょっとついて行けないので、馴染みがあるゲーム。
もしくは、操作法が分かっているゲームを探す。
「無いね、あまり」
ゲーム自体はどれだけでもあるが、古いゲームは本当に数えるほど。
とはいえ、それは当然の流れ。
いつまでも、昔のゲームが幅を利かせている訳が無い。
「時は流れてるんだね」
「……何の話だ」
さすがにぎょっとして私を振り返るショウ。
確かに、ゲームセンターで悟る事でも無かったか。
結局ゲームをやっているのはケイだけ。
プレイしているのは、カードを使った対戦ゲーム。
これは器用さが関係無く、どちらかと言えば知略が重要。
意外と彼も勝ち進んでいる。
「それって、負けるとカードが没収されるの?」
「そんな怖いルール、誰もやらないだろ」
笑いながらカードで前衛を組み立てていくケイ。
確かにそれではリスクを負い過ぎか。
「でもさ、多少はリスクがないと面白く無いでしょ」
「筐体を介さないか、同じゲームセンター内でならそういう事もある。お互いが同意してるなら」
「その方が真剣にならない?」
「真剣にはなるけど、後味は悪い」
なるほどね。
色々参考になるな、これは。
5人目でケイが負け、ゲームは終了。
それでもそこそこの成果はあったらしく、珍しく人の良い笑顔で戻って来た。
「レベルでも上がったの?」
「それに近い。とはいえこのカードゲームも、その内無くなる。入れ代わりが激しいんだ、この辺は」
「それでもやるの?」
「あり続ける限りは、やり続ける。俺はやり抜くよ、最後まで」
妙に言い切ったな。
一瞬良い事を言ったとも思ったけど、結局はゲームをするかしないか。
あまり意味のある話でも無かった気がする。
結局ケイが楽しんだだけで、ゲームセンターを後にする。
それでもまだ終業時間前。
まだ家には帰らず、ハンバーガー屋さんへとやってくる。
ここからはショウが楽しむ時間。
私は控えめに、フィッシュバーガーとポテトのセットをオーダーする。
「それ、何」
ショウが運んできたセットメニューに視線を向ける沙紀ちゃん。
右手がダブルバーガーのセット。
左手が、メンチカツバーガーのセット。
しかもどちらもラージサイズ。
でもってどちらも自分の前に置き、交互に食べ始めると来た。
「それで大丈夫なの?」
「ああ、結構控えてる」
「へぇ」
さすがに平坦な声で返事を返す沙紀ちゃん。
間違いなく、彼女の予想を超えた返事だったな。
とはいえ体型が体型。
また一日の運動量が普通ではないため、基礎代謝だけで成人男性の倍くらいはあるはず。
私達からすれば食べ過ぎでも、彼からすれば適性に近いのだろう。
栄養については、かなり疑問が残るけれど。
「今日は、ぱっとしない一日だったね」
「ぱでもぷでも、どうでも良いよ。明日は、何をやっていじめようかな」
悪い顔で笑い出すケイ。
悪意を持ってやってないのは何となく分かるが、端から見れば悪意しか感じない行為ばかり。
本当、こういうのは好きだよな。
「まだ何かやるの?」
「向こうが済みませんと言ってくるまでは」
「言ってこなかったら?」
「卒業までが、毎日お祭りだ」
改めての笑顔。
そんなに楽しいのかな、この状況が。
「ショウはどう?」
「小谷も自分がどういう立場にあるかは分かってるんだろ。だったら俺達は、それを受け止めるだけじゃないのか」
「ふーん」
随分大人の、理解ある台詞。
それには私も、ただ感心するしかない。
「もっとひどい事をされたら?」
「腕を切り落とすとか、そういう訳でもないだろ。十分に受け流せる」
随分極端な事を言い出したな。
とはいえこの人は自分に対する攻撃へは耐性が並外れて強いので、今もそよ風程度にしか感じていないんだろう。
問題はやはりサトミ。
あの子は爪の先みたいな事でも、富士山くらいの勢いで反応しだす。
ただそれは、外部の人間に対して。
身内にも厳しさは見せるが、それはむしろ甘えの部類。
そこに来て小谷君の反抗。
彼女からすればショックの方が大きくて、どうして良いのか戸惑っているのかも知れない。
もう一人は沙紀ちゃん。
いつもはもっと落ち着いているのに、今回はかなり過敏。
小谷君達を焚きつけたと思い込んでいるようで、ただそれがここまで反応する物かとも思う。
「沙紀ちゃんって、他に何かあるの?小谷君達の件で」
「何って?」
「いや。妙に気にしているから」
「やっぱり後輩は、先輩に従うべきじゃない?」
生真面目な返答。
なるほどとも、私にはない発想だなとも思う。
私達も無論先輩は敬うが、基本的には横の関係で成り立っている。
またケイが以前言っていたように、例え先輩であろうと理不尽な振る舞いは糺す。
そう塩田さん達から教わってきたし、実践もしてきた。
先輩後輩である以前に、お互いは独立した個人。
その意識を、少なくとも私は強く持つ。
「だからその先輩に逆らう後輩には、制裁を加えるんだよ」
シェイクのストローを抜いて、それでポテトをつつくケイ。
行動の意味は分からなかったが、彼は普段の冷静さを失ってはいない。
何より、この人が動揺する事はあるんだろうか。
自宅へ帰り、お風呂に入って一段落。
リビングでソファーに座り、お茶を飲みながらテレビを見る。
「お母さんは、先輩っていた?」
「あまり縁がなかったわね。部活に入ってなかったし、大学もサークル活動なんてやってなかったから」
「ふーん」
遺伝という訳では無いが、親子代々先輩後輩の関係には馴染みが薄いようだ。
「やっぱり先輩の命令は絶対なのかな」
「単に年上か年下かだけでしょ。大体あなた達高校生なんて、私から見れば全員一緒よ」
それもそうか。
体感的に一学年違うだけで天と地ほどの差をイメージするが、高校生ともなると見た目は大体同じ。
3年生が「1年生です」と名乗っても、それが普通に通ってしまう。
「私って良い先輩なのかな」
「優が?先輩?どうして」
「どうしてって、私は今3年生だよ。そうすれば、必然的に先輩になる」
「あなたって、そういうタイプじゃないと思ってた」
さすがに娘の事は良く分かってるな。
翌日。
バスを降りて正門に向かうと、その脇に小谷君が立っていた。
朝に出会った記憶は殆ど無く、彼の意図が働いているのは間違いない。
「おはよう」
「おはようございます」
挨拶だけして通り過ぎようとするが、彼も一緒になって歩き出した。
サトミやケイならともかく、私に何か用でもあるんだろうか。
特に会話もないまま教室に到着。
筆記用具を並べていると、ようやく小谷君が口を開いた。
「我々に協力してもらえませんか」
「協力?サトミ達に反抗しろって言うの?」
「後輩のためと思って」
昨日の、私とお母さんの話でも聞いていたのかな。
そういう言われ方をすると気持ちは揺らぐが、今まで考えても見なかった発想。
何より、私がそうするべき理由が無い。
まさに、「後輩のために」という部分以外は。
また何が「後輩のため」なのかも不明。
言ってみれば、小谷君が大人しくしていれば平穏な日常が続いていた。
それを敢えて乱したのは彼の責任で、私がそれに荷担する理由が無い。
「悪いけど、私が協力する理由が思い付かない」
「先輩、ですよね」
「一応ね。ただ小谷君のやってる事が正しいとは言えないし、心情的には私もサトミやケイ寄りだからね。先輩の言う事が絶対ではないけど、敬意は払って然るべきでしょ。大体サトミ達を怒らせて、どんなメリットがある?」
「怒らせるつもりはないんですが。では、また来ます」
早足で教室を出ていく小谷君。
それと入れ替わるようにして、サトミが教師に入ってくる。
「……何か話してたの?」
私を疑るような視線。
もしかして、これが狙いだったのかな。
ただ、私を引き込んでどんな得があるのかという話。
彼等を護衛する事は可能だが、サトミやケイもそういう真似はしないはず。
だとすれば、私がする事は何も無い。
「協力してくれって頼まれただけ。スカウト」
「誰を、誰が。どういう理由で」
言うと思ったよ、もう。
来る人来る人みんなに、今の話を繰り返すサトミ。
そんなに私の引き抜きは意外なのか。
「アイディアとしては悪く無いでしょ。やっぱりシンボリックな存在だから」
なにやら好意的な意見を言ってくれるモトちゃん。
ただ役に立つから、という意見でないのも確か。
実際私も、何が出来るか想像すら出来ない。
「小谷達に協力するのか」
それもありだろう、みたいな顔のショウ。
この人こそ、前から彼等に理解を示してるな。
「する理由が無い。向こうに行ってやる事も無いし」
「スパイしてきなさい、スパイを」
真顔で変な事を言う人は放っておこう。
授業が終わると、端末に着信。
廊下に出てきてくれとある。
サトミの視線が厳しいけれど、私も一応は先輩。
話だけは聞いてあげたい。
今度は真田さんも参加。
地味にプレッシャーを与えてくる。
「考えて下さいましたか」
「みんなにも話したけど、私が協力しても大して役に立たないって結論を得た」
「それは遠野さんの意見。私の意見ではありません」
反対するのはサトミだけだと読んだ上での意見。
実際、そうなんだけどね。
「だったら聞くけど、私に何を求めてるの」
「そこにいて下さるだけで結構です」
こうなると、モトちゃんのシンボリック説が浮上する。
もしくは、お飾り。
御輿かな。
「必要とされるのは嬉しいんだけど、それって私じゃなくても良いんでしょ。対外的に目立つ人なら」
「そういう訳でもないんですが」
「私にしか出来ないとか必要とされてるとか、そういう話ではないんだけど。ただそこにいればいい。なんて言われても、結構困るんだよね」
困るというのは、精神的な部分。
座っているだけで良いなら、そんな楽な事は無い。
チャイムが鳴り、サトミがドアから手だけを出して手招きする。
幽霊じゃないんだからさ。
「また来ます」
「返事は変わらないと思うよ」
「失礼します」
一礼して、軽い足取りで去っていく小谷君。
誠意は感じられるな、なんにしろ。
無言で去っていた真田さんはともかくとして。
次の休憩時間にも現れる小谷君。
今度は緒方さんも参加。
二人は後ろに控えるだけで、話すのは小谷君。
内容は今までと変わらず、参加して欲しいの一点張り。
しかしそれは、サトミ達への裏切り行為。
明確な理由が無い限り、私が彼等に協力する事は出来ない。
「困りましたね」
「ショウを貸そうか。あの子の方が、まだ役に立つよ。荷物を運んだり、段ボールに物を詰めたり。高い物も簡単に取れる」
「雑用をする人はいますので」
さらりとかわす小谷君。
というか彼は、普段そんな雑用ばかりやってたのか。
後でちょっとねぎらってあげたいな。
「とにかく、私は協力出来ない」
「では、また後で」
やはり爽やかに去っていく小谷君。
しかし話をするのが当たり前の空気になっていて、彼が私に会いに来るのもごく自然に思えてくる。
「良い営業マンになれそうね」
いつの間にか廊下に出てきて、彼の背中をじっと見つめるサトミ。
そういえば、そんな話を聞いた事がある。
まずこまめに顔を出して覚えてもらい、初めは世間話から。
数度通った所で徐々に仕事の話へ移行するという。
私からすれば面倒でたまらず、出会ってすぐに本題へ入りたくなる。
「でも、どうして私なんだろう。自分でも知らない能力でもあるのかな」
「誰しも、時には幻想を見たがるものよ」
さらっと失礼だな、この人も。
昼休み。
食堂でカウンターの列に並んでいると、後ろに小谷君が付いて来た。
「考え直して頂けましたか」
「頂けない。私よりモトちゃんに頼んでみたら?それか、木之本君」
「あのお二人は、立場がありますからね。……雪野さんを軽んじている訳ではありませんよ」
軽く予防線を張られた。
良い突っ込みどころだったんだけどな。
テーブルにトレイを運ぶと、正面に小谷君が収まった。
右隣が真田さん。
左隣が緒方さん。
サトミ達は隣のテーブルに集まりだし、この構図自体ちょっと問題な気もする。
「私、隣に行きたいんだけど」
「たまには良いじゃないですか。デザート、プリンでよかったですか」
「物に釣られるタイプでも無いんだけどね」
それでもプリンは頂き、サトミにすごい目で睨まれる。
良いじゃないよ、くれる物はもらったって。
食事を進めながら交わされる世間話。
普段の延長。
以前と変わらぬ光景と言おうか。
ずっとこうしていたいと思うが、ただそれは叶わない話。
彼等に協力するしないではなく、私はあと2ヶ月で卒業だから。
願おうと祈ろうと、時の流れは止められない。
この平穏な時間も、また。
トレイをカウンターへ戻し、お茶を飲んで一息付く。
まだ時間はあるし、購買でも行こうかな。
そう思って廊下へ向かうと、小谷君達も付いて来た。
いっそ走って逃げたくなるくらいの心境だ。
混み合っている購買で、駄菓子をチェック。
色々ある中から、やはりふ菓子に手を伸ばす。
プリンを食べたばかりだし、このシンプルさはいつ食べても心が安まる。
「好きですね、ふ菓子」
「あっさりしてるし、お腹にもたれない。それに安い」
「良い事ばかりとも限りませんよ」
ふ菓子を一つ手に取り、それを顔の前で振り始める小谷君。
なんだろう、ふ菓子について語る気なのかな。
それは聞きたくもあるけど、聞きたくないが。
「世の中、楽しい事。自分にとって良い事ばかりではないですよね」
そういう話か。
まあ、ふ菓子について語る事もあまりないとは思うが。
「雪野さんも、そう思いませんか」
「それとふ菓子と、何か関係あるの?」
「ふ菓子は関係無いですが、今の俺達とは関係があります。ふ菓子は忘れて下さい」
だったら、ふ菓子を持たないでよね。
良いけどさ、この際は。
「耳障りの良い言葉、当たり障りのない対応、都合のいい報告。それでは仕方ないでしょう」
「今の自警局がそうだって?さすがに違うでしょ」
「勿論、自警局は規律が保たれています。ただ規律は乱れる物ですし、相手によって対応も変わります。いつでも誰に対しても同じ態度で臨み、変化のない対応がされる。それが正しいあり方だとは思いませんか」
「まあ、そうかもね」
それについて否定する要素はなく、私も一応は同意する。
小谷君は満足げに頷き、混み合っている購買から離れるよう促してきた。
私はもう少しいたいんだけど、仕方ないか。
結局ふ菓子を買って、購買から離れた廊下の隅へと移動。
そこでふ菓子を食べながら、小谷君の話を聞く。
「もしくは個人による、運用の違い。これは絶対に無くすべきではないでしょうか。誰がその仕事に携わろうと、行う事は同じ。人によって違いがあってはならないと思います。無論能力の差はありますが」
「ちょっと話が読めないんだけど」
「勝手に規則の解釈を変えるとか、自分の考えのみで行動するとか。そういう話です」
耳が痛いな、これは。
でもって、多分私達には相当当てはまるんだろうな。
その私を前にして、ここまで行ってみせる小谷君。
さすがというか、彼の覚悟という物が伝わっては来る。
「つまり、誰がやっても同じ結果。誰が相手でも同じ対応。そういう画一的なシステムが理想って事?」
「端的に言えば」
「分かるけど、人がやってる以上無理でしょ。一人一人の考えは絶対に違うし、微妙な差も生まれてくる。私は独自の解釈というか、多様な解釈はあって良いと思うよ」
「それは出来る人の考え。上からの意見です」
たしなめられた。
ただ、私が上にいるとはいまいち思えないんだけど。
「言いたい事は少し分かった。そういう意見もあるなってくらいには」
さっき言ったように、私は多様な価値観。考えがあって然るべきだと思う。
無論組織としては小谷君の発想が正しいが、それは私に馴染まない考え。
正直今ですら少し窮屈に感じるくらい。
私が曲がりなりにもガーディアンを続けてこられたのは、やはり連合に所属していたから。
その組織は、良く言えば自由。
悪く言えばルーズ。
規則は当然存在したが、解釈はかなりの幅があった。
だからこそ私達も在籍してこられたし、それに不満を感じなかった。
またそれに対して、生徒会と対立した事もしばしば。
そして今は、生徒会自警局の話。
私が馴染まないのも無理はない。
「やっぱり、ショウを頼った方が良いよ。あの子なら、間違いなく協力してくれる」
「俺達には、雪野さんが必要なんです」
「私はそう思えないんだけどね」
もしくは、敢えて私を指名する何らかの意図があるかだ。
つまり私を必要としているのではなく、私をサトミ達から引き離す。
もしくは、私を手元に置く何らかの理由が。
そう考えると、少し興味は湧いてくる。
冷静だからこそ出てくる考え。
私も、多少なりには成長をしたようだ。
「……何もしないよ」
「いて下されば、それで結構です。勿論、意見を求めはしますが」
「大して役に立たないし、サトミ達とは直接戦わないからね」
「構いません」
手を差し出してくる小谷君。
握手の習慣は無いんだけれど、一応その手を握りお互いの意思を疎通させる。
何を思ったのか、突然手を引く小谷君。
顔色は、悪いの一言に尽きる。
「どうかしたの」
「い、いや。握り潰されるかと思って」
……誰が、誰を必要としてるって?
これは、もう少し突っ込んだ方が良さそうだな。
「私の待遇は」
「え?」
「待遇。わざわざそちら側に付くんだから、何も無いって事は無いでしょう」
「ああ、そういう意味ですか。何らかのお礼は考えてますし、こちらにいる間は人を付けます。欲しい物があれば、手に入る範囲で対応します」
「それは私を特別扱いするって事?今までの話と矛盾するしてるけど」
ぎこちない笑顔を浮かべ、言葉を途切らせる小谷君。
やはり何か、裏があるか。
「まあ、良いけどね。取りあえず、お茶とお菓子。それとサトミ達に、付け届けをしておいて」
「分かりました」
「後はタオルケットとクッション」
「手配します」
それこそ、もう用意してます。みたいな顔。
良いけどね、別に。
小谷君と別れて教室に戻ると、満面の笑みを湛えたサトミに出迎えられた。
「契約金はいくら?」
まるで話を聞いてたような質問。
本当、こういうところは鋭いな。
「どうしてもって言うし、何か意図がありそうだったから。それに私が向こうにいても、困らないでしょ」
「随分、後輩思いなのね」
「あの子達が悪い事をするなら、それを止めるくらいは出来ると思う。それに一応、必要とはされてる」
どういう意味での必要かはさだかではないが、ああ熱心に誘われれば私の気持ちも多少は揺らぐ。
小谷君の意図とは別に、私もそれなりに甘いようだ。
「敵か」
にやりと笑うケイ。
こちらも薄く微笑み、スティックを抜いて彼に先端を向ける。
「私はそのつもりはないんだけど、宣戦布告なら受けて立つよ」
「冗談だ、冗談。本当、冗談だよ」
にやにやとしながらスティックを避けるケイ。
取りあえずこの男だけは、敵と判断しておこう。
大してショウは、いつも通り。
元々小谷君達には同情的だったので、むしろ良かったと思ってるのかも知れない。
「私の判断で決めたけど、よかったかな」
「俺は良いと思うぞ。小谷の思惑は知らんが、それを見守るのも先輩の役目だからな」
後ろから聞こえる舌打ち。
絶対に制裁だな、これは。
「じゃあ、こっちの事はよろしく」
「ああ」
爽やかに微笑み、私の手にそっと触れるショウ。
私も少し指を絡め、頷いてみせる。
彼等の思惑。
これからの展開。
それはショウが言うように、定かではない。
だけどそれを受け止めるのも、先輩としての度量。
私もそういう事をするべき時期が来ているのだろう。
それとも、出来るようになったと誇るべきだろうか。




