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三が日も過ぎ、サトミではないがいつまでも遊んではいられない。
まずは宿題。予習と復習。
合間に、大学のパンフレットや入学案内も確認する。
「……大体隣で授業があるんだ」
隣というのは草薙高校の隣で、以前の東側。
これだと、中等部と併せて10年近くあの場所へ通う事になる。
「借地権はどうなってるの?」
「まだ、モトの名義のまま」
私の部屋で、ベッドに横たわったまま答えるサトミ。
とはいえ本は手放しておらず、自堕落という言葉からは縁遠い人だと思ってしまう。
「学校からお金が支払われてるんでしょ。何に使ってるの?」
「不正な事では無いわよ。奨学金の基金や、生徒組織関連施設の維持費にも使ってるから」
「ふーん。普通に貯めてるとばかり思ってた」
「ただ、借地権が生徒側にあるという事実は大きいわね。卒業すれば、話は違ってくるにしろ」
私が卒業するなら、同学年のモトちゃんも卒業。
今後はOGとして関わる事となる。
「お金自体は、誰がしてるの?」
「予算局の生徒。新妻さんはそれを自主財源に充てたらと主張してる」
「それは可能?」
「どうかしら。そこまで行くと生徒の自治どころか、学校からの独立よ。話としては面白いけど、現実的ではないわね」
醒めた口調で告げるサトミ。
確かにそれでは、生徒が先生を雇う話にもなりかねない。
そうなると本当に全てを生徒が運営。
それを高校と呼ぶのかどうかは、かなり疑問になってくる。
現段階の自治制度でも、周りからはかなり疑問に思われてるらしいが。
頭を使ったので、少し疲れた。
そう自分に言い訳をして、キッチンへと向かう。
「夕ご飯、まだ後よ」
「ちょっと食べるだけ。チョコか何か無い?」
「クリスマスの残りがあったでしょ」
食器棚の下を指さすお母さん。
言われた通りにそこを漁ると、封を開けていないお菓子がたくさん入っていた。
雪野家は3人家族。
お父さんはお菓子をあまり食べる方ではない。
私とお母さんは食べる方でも、絶対的な量が少なめ。
これを全て消費するには、春を待つ必要がありそうだ。
チョコクッキーを少しつまみ、牛乳で流し込む。
甘さが体に広がり、気分が晴れていく感じ。
やはり、甘い物は良い。
「あなた、いつから学校なの」
「来週から。まだまだ休み」
「結構な身分ね」
料理の本をめくりながら呟くお母さん。
それは確かにその通り。
働き出せば、ここまでまとまった休みは取りづらいと思う。
現にお父さんは、少し前から普通に仕事へ行っている。
「お母さんは仕事しないの?」
「主婦はみんな、当分休みみたいね」
お母さんは時折、料理教室の講師をやっている。
ただ生徒が来ないのなら、開店休業。
私同様、時を過ごすしかない。
とはいえ、たまにはこういう時があっても良い。
年中働きづめとか勉強し続けるのは、多分私にとっては無理な話。
適度な休息があってこその人生。
それがなければ、間違いなく潰れてしまう。
「そもそも優は、卒業出来るの?」
たまに聞いてくるな、これ。
こちらは退学になった身なので、仕方ない話ではあるが。
「出席日数は足りてるし、単位も取れてる。これからずっと休んでも、卒業は出来る」
「退学するなんて事、無いわよね」
「ある訳じゃないじゃない」
「実際あったじゃない」
しつこいな。
まさしく、実際にあったんだけどさ。
とはいえあの時だって、自分の意志で退学した訳では無い。
あくまでも退学させられただけで、私は草薙高校へ通うつもりだったから。
退学の覚悟自体は、当時あったにしろ。
「あの時みたいに学校と対立してる訳でも無いし、そういう大きな問題もない。大体今退学になったら、泣くに泣けない」
「それはこっちの話よ」
すごい目で睨まれた。
私にすれば以前の退学はもう済んだ話だが、お母さんにとっては事あるごとに思い出す話のようだ。
という訳で、キッチンから撤退。
部屋に戻り、卓上端末で出席日数と単位を確認する。
やはりどちらも問題なく、草薙大学からの入学内定通知も届いている。
もし今退学したら、それも取り消し。
困るどころか、人生設計自体おかしくなってくる。
「卒業、出来るよね」
「今出来なかったら、泣くに泣けないわね」
さっきの私みたいな事を言うサトミ。
それはこの時期の3年生に共通した心境。
逆にそう考えると、去年の天満さんや中川さん達は偉いなと思う。
卒業を取り消される可能性もあったのに、自分達の信念を貫いたんだから。
「偉いね、天満さん達って」
「去年の話?多分私達とは思い入れが、また違うんでしょ。その先輩が退学したり、転校してるんだから」
「ああ、そうか。……私達がそうなったら、真田さん達も色々思うのかな」
「馬鹿な先輩だと思われるだけでしょ」
確かにそういう考え方もあるか。
その先輩の心境を確かめるべく、服を着替えて外出。
ドアの前に立ち、インターフォンを押す。
「……何してるの」
私の顔を見下ろしながら、うしゃうしゃと笑う池上さん。
舞地さんの家に来たつもりだったんだけど、相変わらずいりびたってるな。
「ちょっと話を聞きに。舞地さん、いる?」
「いるけど、寝てるわよ」
いつまで経っても変わらないな。
人の事は言えないけどね。
部屋へ上がらせてもらい、こたつに埋まっている舞地さんと体面。
今年初めての出会いがこれ。
私もコメントのしようが無い。
「コーヒーで良い?」
「ありがとう。いつ起きるの、この人」
「さあ」
マグカップを私の前に置き、小首を傾げる池上さん。
彼女にすれば、これが舞地さんの日常。
気に留める事でも無いようだ。
「去年の話なんだけど。卒業を取り消されるって思わなかった?学校と対立してる時」
「唐突な話ね。考えなくもなかったけど、私達は契約があったから」
「でも、卒業も大事でしょ」
「その天秤は難しい部分よね。とはいえあそこで意思を曲げてたら、今こうしてのんびり過ごしてはいない気もする」
くすりと笑う池上さん。
卒業は出来た。
だけど大きな悔いも残った。
1年近く経っても、癒えない傷が残るほどに。
池上さんは、そう仮定して考えているようだ。
「でも、卒業だよ。卒業」
「ああ。雪ちゃんも、もうそんな時期。……まさか、卒業出来ないって話?」
「いや。それは大丈夫」
「良かった。もしかしてと、ちょっと心配してたのよね」
何よ、もしかしてって。
そう思われるような行動は、今までしてきたけどさ。
話し声が聞こえたのか、もぞもぞと起き出す舞地さん。
とはいえ、横になっていたのが縦になっただけ。
単に座ってこたつを見つめるだけで、今までとあまり大差無い。
「起きた?」
「誰が」
素で答えられた。
ここまで来ると、尊敬するな。
「去年の事を、聞きたいんだけど」
「何の話」
「高校で揉めたでしょ、学校と。あの時、卒業出来なくなるって思わなかった?」
「卒業資格は持ってたし、高校だけが人生でもない」
ごく普通に答える舞地さん。
今度こそ、本当に尊敬してしまいそうになった。
あくまでも、しまいそうになっただけ。
何しろ、目を閉じながら顔を伏せて答えてる状態。
どう考えても、半分寝てるとしか思えない。
「何の話をしてるか分かってる?」
「私は卒業して、雪野は退学になった。それが全てだ」
なんだ、それ。
確かに、それが全てではあるけどさ。
というか、この人に聞くんじゃなかったな。
舞地さんをもう一度寝かせ、改めて池上さんに尋ねてみる。
「今の話は、どこまで本当なの」
「概ね真実ね。真理依が言ったように卒業自体は形式で、卒業資格がある以上それにこだわる必要は特にない。だから、多少の無茶も出来たのよ」
「だったら、塩田さん達はどうなの。あの人達は、資格はないと思う」
「それは思い入れの違いでしょ。卒業をするより大切な何かがあったんじゃないの」
分かったような、分からないような話。
私ももうすぐ卒業。
それを投げ出してまで守るべき何かがあるとは、さすがに考えにくい。
今と昔とは状況が違うので、それを比べる事自体無理がある気もするが。
「何、卒業出来ないの?」
この質問は、さすがにむっと来る。
「出席日数も単位も問題ない。卒業は出来る」
「だったら何が問題なの」
「問題は無いけど、先輩達はどういう心境だったのかと思って」
「色々考えてたんじゃないの。後輩には責任を負わせないようにとか、退学にならないようにとか」
逐一胸に刺さる言葉。
そう考えると、我ながら最低としか言いようがない。
あの時は自分の行動が正しいと思っていたけれど、先輩からすればそう思って当たり前。
私も渡瀬さんや緒方さん達が退学するなんて事は、耐えられない。
「難しいな」
「難しくは無いでしょう、別に。それと卒業が無事に出来そうなら、問題は無いんじゃなくて」
「無いけどね」
そっちの問題は無い。
ただ言葉に表しようのない、漠然とした不安は存在する。
具体的に何かがある訳ではなく、おそらくは時期的な物。
自分はもうすぐ卒業するという事で、多少不安定になってるんだろう。
「それに雪ちゃん達が退学になった後も、後輩達は学校に残って頑張ってたんでしょ」
「まあね」
「だったら余計に、問題ないじゃない。それが本人達の資質か、雪ちゃん達の背中を見て育った結果かは知らないけど」
笑い気味に諭してくれる池上さん。
まさに私の悩みは杞憂だと言わんばかりに。
「私って、良い先輩なのかな」
「えっ?」
寝ながら驚いた声を出す舞地さん。
今の質問は、撤回した方が良いらしい。
家へと戻り、ベッドへ潜り込んで目を閉じる。
落ち込んだ訳でも無いし、体調も悪くない。
ただ少し休みたかっただけ。
どうも時間をもてあますと、余計な事を考えてしまう傾向がある。
それを少しでも抑えるためには、取りあえず寝てしまった方が良い。
本当に良いのかどうかは、今は深く考えないでおく。
やがて意識が薄れだし、それまでの悩みや考えも遠のいていく。
人間、寝てる時が一番幸せなのかも知れない。
生産性からも、かなり程遠い気もするが。
目が覚めて、すぐに端末で時間を確認。
すでに夕方になっていて、窓の外は真っ暗。
無駄な時間の過ごし方をした気もするが、今日に限っては有意義だったと思いたい。
少しは気分も軽くなり、精神的な負担が取れた気分。
あくまでも気分であり、様々な問題は特に解決はしていない。
欠伸混じりに階段を降り、リビングのソファーへ座ってテレビのニュースを見る。
事件、事故がばかりが続き、明るい話題はなかなか無い。
それはニュースとしての傾向として、仕方の無い事でもあるが。
「あーあ」
結局ソファーに横たわり、もう一度目を閉じる。
寝て起きたばかり。
もう一度寝られる状況は整っている。
逆だと言われそうだが、その辺も気にしない。
「優、卵買ってきて」
前も聞いたな、この台詞。
卵はなんにでも使えるので、何回言われてもおかしく無いけどさ。
「コンビニで良い?」
「安ければね」
「分かった」
お母さんからお金を受け取り、部屋に戻って上着を羽織る。
この暗さなら、スクーターも自転車も無理。
歩いていくとしよう。
暗い夜道をゆっくりと、慎重に歩く。
街灯や車のヘッドライト。家から漏れている明かりもあるので、本当の暗闇という訳では無い。
それでも昼間のようには行かず、何より速く歩くと物が極端に見えづらい。
卒業が間近なのに、私まだこの状態。
1年近く経っても、回復の度合いは非常に緩やか。
完全に元の視力に戻る可能性は、この調子ではあまり期待出来そうにない。
物事の移り変わりを、まさに自分の体で実感する。
どうにか無事にコンビニへ到着。
雑誌の表紙だけを軽く眺め、卵を買い物かごへと入れる。
後はお菓子を少し。
ジュースも買いたいが、あまり重くなると帰りが辛い。
買い物も済ませ、暗い夜道を引き返す。
以前ならもう家に戻り、のんびりテレビを見ていたはず。
でもこれが今の私。
現実とも言える。
とはいえゆっくりではあるが、前には進んでいる。
それもまた事実。
焦りすぎる事は無い。
そんな考えが、ふと浮かぶ。
卒業を間近に控えて色々考え過ぎていたが、残り3ヶ月で出来る事などたかが知れている。
また無理をしてその間に何かをしたとしても、あまりいい結果が得られるとは思えない。
それに後輩達は、皆優秀。
私が張り切りすぎ無くても、彼等に後を託しておけばなんの不安もない。
去年のように学校と完全に対立している訳では無く、物理的な被害を受ける可能性も少ない。
だとしたら私は一歩引いて、彼等を見守る側に回っても良いのかも知れない。
そんな事が思える程度には、私も成長をしているんだろうか。
家へと戻り、夕ご飯を食べる。
今日はうどんすき。
どうでも良いけど、卵を使った形跡はない。
「サトミは?」
「図書館に行くとか言ってたわよ。鶴舞の」
「ああ、中央図書館」
私にすれば本は本屋さんで買うか、ネットワーク上で調べれば済む話。
しかし彼女は本その物に愛着を抱く傾向がある。
また市販されてない古典や海外の本も好むので、街中にある本屋でその欲求は満たされないんだろう。
「優は良いの、いかなくて」
「図書館に行く用事がないからね」
「そんな物かしら」
物言いたげなお母さん。
よく分からないけど、図書館に思い入れでもあるんだろうか。
「お父さんは、図書館好き?」
「学生の頃は、それなりに利用したよ。お金も掛からないし、勉強するにはいい場所だからね」
「返すのが面倒じゃない?」
「そうだけど、図書カードを見る楽しみもあってね。誰が借りたとか、前に借りた人はもう卒業してるとか。色々と、考えさせられる」
感慨深げに呟くお父さん。
私には図書カード自体が理解出来ないので、いまいち付いて行けないが。
ご飯を食べ終え、お風呂に入り、リビングで横になる。
「どれだけ寝る気なの」
「ちょっとだるい」
「風邪でも引いた?」
「いや。お風呂が熱すぎた」
軽く頭をはたかれた。
確かに、我ながら最低な返事だったな。
「もう学校へ行きなさい」
「まだまだ休みだよ。ちょっと旅行でも行こうかな」
「そんなお金、どこにあるの」
「ああ、そうか」
お年玉はそこそこもらったが、殆どを貯金へ回してしまった。
それを使えば旅行は出来るが、また一から積み立てる必要がある。
「いいや。モトちゃんの家に行こう。あそこ、遠いし」
「安上がりな体質ね」
それは私も自覚してる。
翌日。
あくまでも、私の運転でモトちゃんの家へと車を走らせる。
「私も、免許は持ってるのよ」
助手席から、刺すような視線を向けてくるサトミ。
ここが無人の平原なら彼女に任せても良いが、今走ってるのは郊外の一般道。
左右は田畑なので大事故には繋がらないと思うが、好んで事故を起こしたくもない。
「聞いてるの?」
それこそ耳を掴み上げてきそうな口調。
朝から元気だな、この人は。
「もうすぐ卒業なんだよ」
「最近、そればかりね。卒業して、何か問題なの?」
「問題は無いと思う。むしろ喜ばしい」
「だったらいいじゃない」
それもそうだ。
などと納得出来るなら、私もここまで考え込んではいない。
何を考え込んでいるかは、自分でもよく分かってないが。
程なくして、モトちゃんの家へ到着。
よく見ると。
いや。よく見なくても、前の畑にビニールハウスが出来ていた。
「こんなの、なかったよね」
「おば様が、この土地を買ったらしいわよ」
「家庭菜園でも始めるのかな」
「それもあるでしょうね」
だったら、それ以外もあるって事か。
あまり突っ込まない方が良さそうだな。
門をくぐってインターフォンを押すまでもなく、モトちゃんが現れた。
冴えない顔というか、陰気な顔で。
「2日酔い?」
「……どうして、いつもそう尋ねる訳?」
「いつもお酒飲んでるから」
「いつもは飲んでない。それと2日酔いになった事は無い」
はっきりと言い切るモトちゃん。
では何故、朝からここまで憂鬱なのか。
その不機嫌そうな視線を辿ると、向かいの畑にあるビニールハウスへと辿り着いた。
「あれ、何?家庭菜園?」
「一応はね。ただ、あの中は当然温かいでしょ。温かいと、どうなると思う?」
「私は嬉しいよ」
「他の生き物も嬉しいみたいなのよ」
ここから先は、聞かない方が良さそう。
家庭菜園兼温室の観察スペースか。
「猫とかは喜びそうだよね」
「外からは入れないのよ」
「だったら入れないじゃない」
「土の中からは入れるのよ。土の中って、何が住んでると思う?」
全然知りたくないし、少しも聞きたくない質問だな。
私もそういう生き物とは無縁に行きたいので、家に上がってモトちゃんの部屋にこもる。
ここも温かいが、それは暖房のせい。
得体の知れない生き物は、間違っても存在しない。
「あー」
頭を押さえ、深いため息を付くモトちゃん。
結構重症だな、この子も。
「もっと楽しい話題はないの?」
「今後100年くらい無いと思うわよ」
何を言ってるんだか。
家から持って来た宿題を済ませ、予習と復習も続けて行う。
そんな事をやっていると、もうお昼。
これでは学校とあまり変わりないな。
「ご飯、出来たわよ」
優しく声を掛けてくれるモトちゃんのお母さん。
それに返事をして、教科書やノートを片付ける。
「何よ、逃げる気」
「……何言ってるの。というか、何が出てくるの」
「言って良いの?」
薄く微笑むモトちゃん。
聞かない方が良さそうだ。
幸い、用意されていたのは普通のラーメン。
得体の知れない物は特になく、それでもモトちゃんが食べたのを確認してから端を手に取る。
「あのビニールハウスって、なんのためにあるんですか」
「家庭菜園の用途と、観察用ね。この時期だと見られない生き物も集まってくるから」
「結構のんきなんですね、その辺の生き物も」
あははと笑うが、モトちゃんはくすりともしない。
一体何を見かけたんだろうか。
「あの土地って、どこまで買ってます?」
「道路で区切られてる区画は全部」
「それってすごくありません?」
「土地代だから、金額は大した事無いのよ。それにあくまでも、農地としてしか使えないから」
つまり勝手に家を建てたり、あそこで商売を始める事は出来ないという訳か。
ただあれだけの広さなら、遊ばせておくのは少しもったいない気もする。
「優ちゃんも、何か育ててみる?」
「良いんですか?」
「智美は勧めても、全然興味を示さないから」
「私は食べられれば十分よ」
まさしく関心も示さないモトちゃん。
私もそれ程関心がある訳ではないが、土地があるなら何かを育ててはみたい。
ご飯を食べ終え、上着を羽織って畑へと向かう。
特におかしな物が跋扈はしておらず、至って平穏その物。
当たり前だけどね。
「やっぱりジャガイモとかサツマイモかな。あまり手入れをしなくても、勝手に育ちそうだから」
「ショウ君の家でも植えてなかった?」
「あったね、そんな事も」
私の中では、すでに過去形。
しかしまだ収穫はされているそうなので、玲阿家としては現在進行形。
その辺は、あまり気にしないでおく。
「後はひまわりとか、れんげ草とか」
「私はヘチマを育ててみようかしら」
畑に細いコードを差し込みながら呟くサトミ。
どうやら、土壌の成分を検査しているようだ。
「ヘチマ、好きだね」
「観察には丁度いいのよ。育つのも早いし」
「あれって、弦が巻き付くための棒というか柵が必要だよね。作れる?」
「言うまでもないわ」
だから作れるかどうかを言ってよね。
元野家の物置から運ばれてくる木の棒とひも。
支えを作るにはまだ早いが、まずは試してみる事が大切。
サトミは手早く書いた図面を見ながら、レーザーポインターで距離を測定している。
「適当に地面へ刺して、固定すれば良いんじゃないの」
「日当たりや水はけ。道路からの距離。安定した場所。条件はいくらでもあるでしょ」
相変わらず面倒な子だな。
でもってモトちゃんは、畑に入ろうともしないと来た。
「こっち、こないの?」
「蛇と会いたくないもの」
その言葉を聞いたか聞かないかの内に、三段跳びで道路へ戻る。
勘弁してよね、もう。
「ど、どこ」
「普通にいるわよ、この辺では」
「ふ、普通?」
「蛇でも蛙でも普通にいるの」
何で二度言うのよ。
というか、普通って何よ。
雪野家の周りに出るのは、せいぜい猫くらい。
間違っても蛇が家の近所に遊びには来ない。
いや。元野家にも、遊びに来る訳ではないだろうが。
「蛇よけの道具とか無いの?」
「私は聞いた事無い。そもそも蛙がいるから、蛇がいるのよ」
「どうして蛙がいるの」
「池を作ったからでしょ」
陰鬱な顔で呟くモトちゃん。
当たり前だが物事には、なんにでも理由がある。
そういえば前から、池を作る事には反対してたな。
「蛇以外は出て来ない?」
「山奥ではないから、それ以外の動物はあまり見ないわね」
「蛇くらい、良いじゃない」
そう言って、道路からポインターを使うサトミ。
まさかと思うけどこの人、逃げてきたんじゃないだろうな。
私も蛇には会いたくないので、畑から退散。
蛇が出ない日を見計らって作業をするとしよう。
蛇の予定表まで走らないけどさ。
「あーあ」
縁側に上がり、周りを警戒。
幸い今のところ、不審な姿は見当たらない。
「狐とかは出て来ない?」
「狸は見るわよ。たまに、蛇と戦ってるみたい」
戦ってるっていうのかな、それ。
一方的狸が襲いかかってるだけの気もするけど。
「だったら、狸を餌付けしてみたら?蛇が来なくなるかも知れないよ」
「条例があって、その辺は難しいの。それに餌を置いておいても、狸以外の物がやってくるから」
なるほどね。
こういう土地ならではの問題もあるという訳か。
ただ蛇はともかく、狸は愛嬌があって可愛いと思う。
私も狸顔だしね、どちらかと言えば。
「狸は生涯、同じ相手と連れ添うのよ」
古いアルバムを見ながら呟くサトミ。
生涯、同じ相手。
意外と義理堅いな、狸なのに。
いや。それは狸に失礼か。
それはともかく、ちょっと狸を見直した。
それにしてもこうしてはしゃいでいると、昨日までの悩みが嘘のよう。
全く悩みが消えた訳では無いが、かなり薄れた気はする。
やっぱり私は、人の中にいないと駄目なようだ。
タイプとしては犬。
大勢の中で、群れて過ごすのが性に合っている。
モトちゃんも多分同じで、彼女はその中でもリーダーだと思う。
ショウも同系統かな。
サトミは間違いなく猫科。
基本的に群れないし、単独で行動するのを厭わない。
ただ虎ではなく、豹とかそういう小型の猫科だと思う。
ケイも単独型だけど、猫科のイメージもあまりない。
そもそも、あの子に当てはまるジャンルなんてあるんだろうか。
古いアルバムを見て盛り上がっている間に、気付けば夕方近く。
そろそろ帰らないと暗くなる。
「サトミ、帰ろうか」
「私が運転」
「しないって」
ここはとにかく強気に言い切り、断固としてその意思をはね除ける。
この先大した出来事があるとは思えないけれど、まだ人生を終わらせるつもりはない。
「私が運転出来ないとでも思ってるの?」
「思ってるから言ってるの。ねえ、モトちゃん」
「さあ。私はサトミの運転に興味ないから」
我関せずという態度。
ただこの子も運転技術は同類なので、敢えて突っ込みはしないのかも知れない。
「……何?」
「全然。……まあ、この辺だけなら良いけどさ。街中に出たら、絶対代わってよ」
「たかが車の運転でしょ」
髪をかき上げ、颯爽と部屋を出て行くサトミ。
張り切るのは良いけど、上着くらいは持って行って欲しい。
完全に舞い上がってるな。
モトちゃんとおばさんに別れを告げ、シートベルトを確認。
ナビも起動させ、カメラもチェック。
エアバッグも大丈夫だと思う。
「ゆっくりだよ、ゆっくり」
もう返事もしないと来た。
むしろシートベルトはしないで、外に飛び出す準備をした方が良いのかな。
再三口やかましく言ったのが良かったのか、取りあえずは無難に発進する車。
道路を走ってるのはこの車だけで、ぶつかる心配は今のところ無い。
ただ左右にガードレールがないので、その点は少し心配。
落ちても畑なので、怪我の程度は軽いと思うが。
「次を右折して下さい」
私が言ったのではなく、ナビの台詞。
それに対するサトミの反応はゼロ。
前を見たまま、微動だにしない。
「曲がれって」
「機械と私、どっちを信じるの」
そういう問題では無いだろう。
結局車は直進。
ナビも迂回したルートを表示する。
「次を、左折して下さい」
今度は言われたままに曲がるサトミ。
「次を左折して下さい」
やっぱり曲がった。
なんか、嫌な予感がするな。
「次を左折して下さい」
三度曲がったところで、さっきと同じ道に出た。
「次を右折して下さい」
今度は右へ曲がるサトミ。
なんだ、それは。
「結局ここで曲がるんじゃない」
「ナビが正常に機能してるか確かめただけよ」
平然と言ってのけたよ、この人は。
でもって自分は、正常に機能してるんだろうか。
そういう問題はあったが、走行自体は意外と安定。
これならと思い、市街地に入っても彼女に運転を任す。
横でゆっくり一休み、という心境にはならないにしろ。
もしかしてこの人、影で練習してたのかも知れないな。
やはり人間、努力をすれば成長する。
「何か買って帰る?」
「難しい事言うわね」
どうにも不安な台詞。
走るのは出来ても、駐車が出来ないと言いたいようだ。
立ち寄ったのは、平面の駐車場がある大きなスーパー。
ここならテクニックも必要とせず、空いた所に停めれば良いだけ。
入り口近くは車が密集しているが、離れれば離れる程空きが目立つ。
という訳で、殆ど駐車場の出口前に停車。
後はのんびり歩く事になる。
「いつ、運転の練習したの」
「言ってる意味が分からない」
わざとらしくとぼけて、すたすたと歩いていくサトミ。
つくづく負けず嫌いだな。
テナントとして入っている洋菓子屋さんへ入り、ホールサイズのチーズケーキを買う。
好きだしね、チーズケーキ。
「済みません、保冷剤を多めで」
「無しでも良いでしょ」
「万が一を考えてね」
「急げば良いだけじゃない」
それが怖いから、保冷剤を多めに頼んでるんじゃない。
いつしか日は落ち、景色は一転闇の彼方へ消える。
見えるのはヘッドライトや街灯の明かり。
私にはそれもぼんやりとしか見えていないが。
「もう着くわよ」
「ゆっくりね、ゆっくり」
「少しは人を信用しなさい」
まるで私が悪いみたいな言い方をされた。
とはいえこれは、今までと逆の会話。
私が普段からサトミやモトちゃんに言われていた台詞でもある。
自分では大人しくしていたり成長したつもりでも、周りから見れば危なっかしくて仕方ないんだろう。
幸い何事も無く、自宅へ到着。
保冷剤も、余分で済んだ。
「……難しそうね」
ミラーで車庫を確認しながら呟くサトミ。
やはり前へ進むだけで精一杯。
この先は、さすがにパスしてもらいたい。
「良いよ。私が入れるから」
「どうやって」
「カメラの映像があるから大丈夫」
ハンドルに手を添え、モニターを確認しながらバック。
車幅と車庫の広さを理解していれば、それ程難しい作業ではない。
「右っ、じゃなくて左っ。ぶ、ぶつかるっ」
どっちなのよ。
それと、人の頭を叩かないでよね。
当然どこにもぶつかる事無く、車は車庫へと綺麗に収まる。
これこそ慣れているので、大げさに言えば目をつぶっていても出来る行為。
カメラが使えなくて知らない場所だったら、さすがに手を出せないが。
「これ、ケーキ」
「気が効くわね。お金、余ってるの?」
「余ってはないよ。むしろ、貯金したいくらい」
とはいえ貯めてばかりいてもストレスがたまる。
むしろその反動の方が怖く、だったら多少なりとも小出しにしてストレスを抜いた方が良い。
何故かきりたんぽ鍋。
特にサトミが関係してる訳でも無く、またきりたんぽ自体も市販の物。
というか、これは食べ甲斐がありすぎるな。
「ご飯だよね、これ」
つまり、ご飯をおかずにご飯を食べるような物。
法律で禁止されている訳では無いが、ちょっと違和感は感じてしまう。
「美味しければそれでいいでしょ」
さらりと流し、マイタケに箸を伸ばすサトミ。
良いんだけど、どうも気になる。
食べるんだけどさ、結局は。
謎のままきりたんぽを食べ終え、デザートのチーズケーキを冷蔵庫から持ってくる。
しっとりとしたレアチーズで、口の中で濃厚なうまみが溶けていく感じがたまらない。
後はお風呂に入って眠るだけ。
なんの憂いも無く、今という時をゆったりと過ごせばいい。
「落ち着いてるわね、今日は」
私の顔を見ながら話してくるサトミ。
最近多少不安定だったので、気にしてくれているのかもしれない。
「まだ学校も始まってないし、少しは気楽になろうかと思って」
「あなたって、反動が怖いのよ」
お母さんにも似たような事を言われた記憶はある。
感情の幅が大きいというか、極端から極端に走る傾向は確かにある。
私自身はあまり気にしてないが、周りから見ればそれこそ不安定で仕方ないんだろう。
「もう大丈夫。私はゆったり生きる事にした」
「たまにそういう事言うけど、ゆったりした試しがないわよ」
改めての指摘。
苦言とも言い換えられる。
とはいえ私も、さすがに物事を学んでいるし少しは成長をした。
いつまでも、今までと同じではないと思う。
自分に出来る事だけをして、後輩を信じ、分を弁えて行動する。
そういう生き方をしてもいい年だと思う。
まだ何か言いたそうなサトミから離れ、お風呂に入る。
温かいお湯に浸かっていると、わずかな考えもその中へ溶けていくよう。
気持ちが一層軽くなり、心が癒されていくのがよく分かる。
とはいえ、いつまでもこんな気分でいられないのも分かってはいる。
それは高校の事だけではない。
大学に進み、社会人になればそれぞれの場所でそれぞれの問題が待っているはず。
その時はまた膝を抱え、悩みに沈む時が来ると思う。
今のようにみんなが周りにいるとは限らず、自分の力がより試させる。
だとすれば余計に、前に向かって進む必要がある。
将来のためにも、今の自分のためにも。
……どうも一人になると、やはり良くない。
考えが内向き内向きに変化する。
それが悪いとは言い切れないが、考え過ぎる傾向は否めない。
浴槽から出てシャワーを頭から浴び、気持ちを切り替える。
それだけで変わる訳では無いんだけど、まさに気分的に。
意識は変化しないが、考えが沈み込んでいくのは収まった感じ。
我ながら、ひどい解決方法とは思うが。
浴槽に戻り、肩まで浸かって目を閉じる。
少し眠気が訪れ、考えもまとまらなくなっていく。
眠る時に似た、ただそれより少し高揚した感じ。
お風呂の熱さが、気分にも影響してるんだろう。
ただこれも、結局はモラトリアム。
一時的な猶予に過ぎない。
ここにいても悩みは解決しないし、問題も片付いては行かない。
それでも少しの息抜きは必要。
何しろ今は冬休み。
せめて今だけは、ちょっとくらい足踏みをしていたい。
第48話 終わり
第48話 あとがき
比較的落ち着いた、年末年始編。
卒業を、確実に意識し始めた時期にもなっています。
かなりユウ達も落ち着いたというか、成長をしてきた様子。
気持のムラみたいな物が減ってきたと思われます。
そうなるだけの年齢であり、経験も重ねてますしね。
また彼女達はエスカレーター式に、大学へ進学が可能。
進路に付いて思い悩む必要がないため、精神的な余裕があるのも大きいのでしょう。
そういった事もあるのですが、今回のポイントはユウとショウの関係性におけるターニングポイント。
お互いの好意を、明確に認め合いました。
今までも、それぞれの胸の内では確定。
周囲も公認、割って入る者も無し。
すでに既定路線でしたが、言葉にしたのは今回が初めて。
我ながら、良く引っ張ったと思います。
自分で書いているように、口に出したか出さないかの違いだけですが。
またユウ達以外も、全体に変化。
冒頭に書いた通り落ち着いてきたというか、大人びてきました。
後数ヶ月で大学生ですし、精神的に成長しつつあるのでしょう。
逆にしないと困ると言いますか。




