48-8
48-8
クリスマスも終わり、気付けば大晦日。
大掃除も済んで、取りあえず今年中にやるべき事は終わったはず。
また来年に回しても、それ程困りはしない。
「庭は掃除しないの?」
「優がする分には構わないわよ」
窓を拭きながら答えるお母さん。
そういう問題かなと思いつつ、庭へ降りて落ち葉を集める。
明日になればまた積もっているとは思うが、せっかくの大晦日。
少しは綺麗な状態にしたい。
そう思っている先から舞い込んでくる落ち葉。
この庭にある大きな木は、白樺とドングリの二本。
葉が落ちてくるにしろ限界がある。
「別な場所から吹き込んでくるんだね」
「きりがないのよ」
「まあ、それでもやらないよりは」
それこそ何もしなければ、積もっていく一方。
次の瞬間舞い込んできても、今を諦める必要はない。
などと、落ち葉で悟っても仕方ないが。
「ぬぁ-」
鳴き声を上げながら塀を歩いていく黒猫。
お母さんは途端に目付きを悪くして、足元にあったホウキを構えた。
「止めてよ、大人げない」
「ここは雪野家で、猫を招いた覚えはないの」
「何もしてないじゃない」
「鳴いたじゃない」
それすら駄目なのか。
この人の恨みも相当だな。
ただ私はそこまで悪くは思っていないので、植え込みを避けつつ塀へと近付く。
「今年ももう終わりだね」
「ふー」
怒られた。
私の台詞に怒った訳では無いが、向こうは上で私は下。
あまり良い状況では無い。
「駄目だね、この猫」
「猫その物が駄目なのよ。どうしてこの生き物は、平気で外を歩いてる訳」
「基本的に害が無いでしょ。ゴミ袋を荒らすくらいで」
「襲って来るじゃない」
そんなニュース、見た事無いけどな。
でもって今は塀の上で毛を逆立て、私を睨み付けてるけどな。
イエネコに初めて襲われた人間として新聞に載るのは恥ずかしいので、こちらは背を丸めて猫から逃げる。
ただ相性はともかく、ああいう自由な生き方は羨ましい。
その分自立し、自活する必要はあるが。
何より野良は決まった家もなく、食べ物も必ず得られる訳ではない。
それを見習うとは言わないが、その生き方自体は偉いと思う。
また私には無理だからこそ、憧れるような気もする。
「あなたって、猫とは相性が良くないのね」
掃除道具を片付けながら話してくるお母さん。
「とは」と言われても困るが、良くないのは確か。
私がというより、向こうがあまり親しく近付いてこない。
「生き方が犬的とは言われるけどね」
「なんにしろ良い事よ」
「何が」
「相性が良かったら、この庭に猫が集まってくる」
それは、お母さんが知らないだけだと思うけどな。
なんにしろ私には住むべき家があり、食べたいと思えばいつでも食べ物が食べられる。
などと、オムライスを食べながら今の幸せを噛み締める。
「幸せだよね」
お茶を吹き出すサトミ。
そんなにひどい事言ったかな、私。
「急に、何」
「いや。いつも猫を見てて、思ってたから。あの子達って家もないし、食べる物も必ず見つかる訳じゃないでしょ。それに比べて私は恵まれてるなって」
「その分猫は自由でしょ。何をするにも」
自由、か。
私は義務ではないけれど、やるべき事はいくつもある。
当然学校、家の手伝い、ガーディアンもそう。
大きな事を言えば、憲法で決められた義務。
納税、勤労、子供を育てる。そして国防。
猫にそういう義務は一切存在しない。
義務と自由が相反する物とは思わないが、両者を並立させるのが難しいのも確か。
「自由の方が良いのかな」
「あなた、今でも自由にしてるじゃない」
「猫程じゃないよ」
「そうかしら」
案外理解されてないな。
とはいえ今は義務も何も無く、夕ご飯までのんびり時間を過ごすだけ。
これでは猫にも笑われる。
「宿題でもしたら?」
「今年分は終わった」
「無理に分けなくても、全部済ませればいいでしょ」
さらりと言ってくれるサトミ。
やろうと思ってやれない訳ではないが、その分負担は増大。
せっかくの休みを、ストレスで埋め尽くす事となる。
「猫の方が良いとか言わないでよ」
「まさか。初詣、どこかに行く?」
「行かない理由は無いでしょう」
相変わらず、原理原則で生きてるな。
適当とか自堕落とか、そういう言葉とは無縁。
犬や猫という分類より、時計が近い。
ただたまにとんちんかんな事もするので、ねじ巻き式のアナログ時計かもしれない。
サトミに睨まれながら、地図を広げて神社を探す。
以前遠くまで出かけた事もあったが、あの時はとにかく悲惨の一言。
また今は、暗い所の運転は不可能。
とはいえサトミの運転も不可能。
それなら歩いていった方がましだと思う。
「何?」
「別に。……熱田神宮が良いかな、やっぱり」
三が日は恐ろしいほど混み合うが、家からは近いしどの神社よりも親しみがある。
それに今度は、多分みんなで集まれる最後の初詣。
だとすれば熱田神宮に行くのがふさわしいと思う。
端末でみんなに連絡。
すぐに返事が返ってくる。
「みんな来られるって」
「ショウと二人で出かけなくて良いの?」
からかい半分で尋ねてくるサトミ。
高校生活最後の初詣。
そういう選択肢もあるにはあると思う。
ただやはり、私としてはみんなで過ごす方を選びたい。
またショウも、多分そう考えてくれると思う。
「良いと思う。夜に行く?朝に行く?」
「夜は危なくない?見えないでしょ」
「見えなくもないけど、安定はしてないね」
正直に言えば、夜は避けたいところ。
見えない以前に、暗いのは怖い。
何より眠い。
少し気は早いが、明日の準備。
上着と手袋。
混み合うので、杖に使えるようスティックも。
「優、破魔矢を持って行って」
「それは今年の事でしょ」
「それはそうでしょう」
破魔矢をちらつかせながら話すお母さん。
良いけどね、別に。
やはり暇そうにしているサトミと一緒に、バスで熱田神宮へとやってくる。
広い歩道にはすでに屋台が準備され、多分普段よりは人の行き来も多いと思う。
大鳥居をくぐり、砂利の上を歩いて再び鳥居をくぐる。
「……これって、なんだろうね」
「寄付でしょ」
普通に答え、すたすたと歩いていくサトミ。
私がなんだと思ったのは、鳥居の右手にある樽の山。
それには漬け物屋さんの名前が書かれていて、毎年これを見る気がする。
「私が寄付しても、あそこには飾られないよね」
「額もあるし、熱田神宮との関係もあるでしょ」
「漬物屋さんと熱田神宮と、どう関係あるの」
「昔から漬け物を奉納してた事の変化というか名残でしょ。漬け物を祭る神社もあるわよ」
分かったような、分からないような。
ただこれを見ると、年末。
お正月という気がする。
その左斜め前。
大楠の木の奥に設置された、破魔矢を納める仮設の建物。
破魔矢をそこへ入れて、今年一年ありがとうございましたと心の中で告げる。
そのまま真っ直ぐ本殿へと進み、改めてありがとうございましたと告げる。
「後は、また明日来るだけか」
「早いわね、1年が過ぎるのも」
「というか、もう6年だよ」
「ああ、私達が出会って」
すぐに分かってくれるサトミ。
ついこの間のように思えて、だけど6年という時は確かに流れている。
卒業間近だからか、最近はその事を良く意識する。
「6年後は……。24才だよ」
「背筋が寒くなるわね」
大げさに自分の肩を押さえるサトミ。
現実的でないというか、信じられないというか。
24才になると、さすがに大人。
しかし今の感じだと、自分が24才になっても大人になっているとは思えない。
その6年後だと、30才。
「本当かな」
「何が」
「いや。私が30才になる事が」
「時が経てば、自然となるでしょ」
それは当たり前というか、疑問の余地すらない出来事。
逃げても避けても、誰でも30才になる。
「大丈夫かな、私」
「努力すれば。大人になる」
「努力する物?」
「さあ」
いまいち冴えない返事。
サトミの場合雰囲気は今でも大人だが、内面はかなり子供。
それとも私も彼女も、その時が来れば自然と大人になるのだろうか。
家へ戻り、ぼんやりしている間に夕ご飯。
こっちの時間も過ぎるのが早い。
軽めの夕食を食べ、後はのんびりテレビを見て過ごすだけ。
家族が揃い、温かな食事と安らげる場所がある。
これこそ幸せと呼べば良いんだろうか。
……目が覚めた。
大して寝てはいないと思うが、タオルケットが掛かっているのでそこそこは時間が経過してるはず。
「また、年は越してないよね」
「越しても問題ないでしょ」
ざるそばをすすりながら答えるお母さん。
これを食べているという事は、まだ年は越していない様子。
私ももぞもぞ起き上がり、キッチンへと向かう。
ざるそばはこの前食べたので、私はかけそば。
かまぼこを入れて、少しの彩りを添える。
少し遅い時間にこれを食べると、大晦日の気分がより高まってくる。
「あー」
「……何してるの」
「いや。別に」
「あ、そう」
怪訝そうな顔をしながら、日本酒を持って戻っていくお母さん。
そばを前にして、感慨に浸ってる場合でも無かったな。
おそばも食べ終え、お風呂にも入り、これでやる事は完全に無くなった。
後はせいぜいテレビと時計を見るくらい。
そうする内に時が過ぎ、厳粛な雰囲気のお寺が映し出される。
テレビから聞こえる除夜の鐘。
私も知らない内に、気持ちが引き締まっていく。
「今年も、残す所あとわずか……」
よく考えれば、やり残した事ばかりかも知れない。
しかし今更慌ててどうにかなる物でも無く、今は過ぎて行く時の流れに身を任すだけ。
今年1年を振り返りながら。
来年に、思いを馳せて。
00:00になる、テレビの左端。
同時に明るくなる画面。
お寺の境内にいた人達は一斉に笑顔を浮かべ、本堂の賽銭箱へ向かってお金を投げ入れだした。
中継先は、東京の大型リゾート施設。
夜空に花火が打ち上がり、電飾でライトアップされた猫の群れがきらびやかな光を放ちながら練り歩く。
いつも思うけど、この切り替えはすさまじい物があるな。
「お寺にお賽銭で良いの?お正月に」
「神仏習合の名残でしょ」
「名残ばかりだね」
「良き伝統とも言うわ」
欠伸をして席を立つサトミ。
どうやら寝るつもり。
私も明日に備え、ゆっくり休むとするか。
「お母さん達は寝ないの?」
「まだまだ、これからじゃない」
ミカンを剥きながら答えるお母さん。
こうなると、誰が大人で誰が子供かという気になってくる。
「お父さんは?」
「年に1度くらいはね」
何故かお母さんの肩を揉んでいるお父さん。
本人達は楽しそうだし、ここは二人きりにしておくか。
サトミと分かれ、私もすぐにベッドへ潜り込む。
年は越したけど、気持ち的にはまだ大晦日。
それでも少しは、年が明けたという意識もある。
不思議な、多分この時だけしか味わえない感覚。
そんな感覚も、すぐに夢の中へと溶けていく。
目覚ましと共に目が覚めた。
正確には、目覚ましに起こされたんだけどね。
手を伸ばしてアラームを止め、背筋も軽く伸ばす。
そのまま起き上がり、カーテンを開けて外の様子を確認。
紺色の薄暗い空。
ただ東の方はうっすらと赤く染まり始め、日の出が近い事を告げている。
「少し早いけど、拝んでおくか」
そう呟き、初日の出が上がるだろう方向へ手を合わせる。
建物が多いので、正確な日の出とは結局ずれると思ったから。
太陽も、その辺は多めに見てくれるだろう。
そういう感覚が、向こうにあるのなら。
一旦外へ出て、朝の静謐な空気に身を任せる。
早朝で、しかもお正月。
いつにも増して音が無く、空気も澄みきっている。
誰も来ない郊外の道にいるような気分。
気温が低い分、余計に気持ちが落ち着いていく。
今年一年何があるか分からないが、こういう気持ちを少しでも保っておきたい。
結局寒くなったので、すぐに家へと戻りリビングの暖房を付ける。
テレビは当たり前だが、お正月ムード一色。
おせち料理、お笑い、イベント。
ただ楽しい事ばかりをやっているので、気分は楽。
朝から陰鬱なニュースは見たくない。
半分寝つつテレビを見ていると、欠伸をしながらお母さんが現れた。
「早いのね、優」
「初日の出」
「ああ、そういう事」
だったら私も拝みに行かないと。
とは言わないお母さん。
この人は、あまり形式にはこだわらないよな。
「お父さんは?」
「まだ寝てる。お正月だから」
これも随分使い勝手の良い言葉。
使える時期は、かなり限定されてくるが。
お母さんを手伝い、おせちを並べてお雑煮を作る。
お餅は一つで良いか。
「お酒は?」
「飲まない。目に影響があるかも知れないし」
「意外と慎重なのね」
意外と言われても困るけど、今まで出来るだけ避けていたので急に飲むのも少し怖い。
飲まないとやってられない訳でも無いし。
やがてお父さんも起きてきて、お互い少し眠そうな顔で新年の挨拶。
起きてこないのはサトミだけか。
「遅いな、あの子」
「寝たのが遅かったんでしょ」
「いや。多分あの後すぐに寝たはず」
私が起きてて、彼女が寝ている。
そういう理不尽な事が、あっていい訳が無い。
階段を駆け上がり、サトミの部屋に到着。
ドアノブに手を掛けるとあっさり開き、良い匂いが漂ってきた。
芳香剤、香水、シャンプー。
それともサトミ自身の匂い。
いや。匂いに参っている場合ではない。
忍び足で室内へ侵入。
こんもり盛り上がってるベッドに辿り着く。
微かに上下する丸み。
それを上から押して、声を掛ける。
「朝だよ」
「だから何」
陰気な、氷河の中から聞こえてきそうな声。
どうやら起きてはいるようだ。
「お正月だって」
「それと私を起こすのと、どういう因果関係があるの」
「一年の計は元旦にありじゃないの」
「大晦日もお正月も、突き詰めれば単なる一日。特別だと思うのは、人が勝手に定めた暦のせいでしょ」
朝からとことん下らないな。
それもお正月の初めから。
取りあえず布団と毛布を剥いで、丸まっているサトミを剥き出しにする。
それこそ、恨み骨髄に徹すといった目付き。
本当、寝起きは最悪だな。
「あけまして、おめでとうございます」
「……おめでとうございます」
丸まったまま答えるサトミ。
今年はどうやら、私にアドバンテージがありそうだ。
挨拶は済ませたので、リビングに戻りおせちを食べる。
単に朝から遊んだだけとも言われそうだが、その辺は気にしない。
「聡美ちゃんは?」
「自堕落に寝てる。寝正月だって」
「誰が寝正月よ」
髪を綺麗にセットし、白いセーターと赤いプリーツスカート姿で現れるサトミ。
薄く化粧もしていて、例の良い匂いも漂わせながら。
「あけまして、おめでとうございます」
丁寧に挨拶をするサトミ。
お父さんとお母さんも丁寧にそれへ返し、私とじっと見据えてくる。
対してこちらは、寝て起きたままの恰好。
未だにパジャマで、化粧どころか寝跡が付いているかも知れない
「誰が自堕落なの」
私の髪を引っ張りながら尋ねてくるサトミ。
多分その部分は、寝癖が付いているんだろう。
「それと今日のスケジュールを言うわよ」
……気のせいかな、目の前に紙が一枚置かれた。
でもって、分刻みで色々と書いてある。
「大きな予定としては、熱田神宮への初詣。これはモト達と合流。その後昼食を食べ、玲阿家へ年始のご挨拶」
「わざわざ予定にしなくても、大体で良いでしょ」
「計画的に行動しなくてどうするの。せめてお正月くらいは、気持ちに張りを持ちなさい」
これなら起こすんじゃなかったな。
テレビを見つつ、年賀状の仕分け。
小牧さん達からも届いていたりして、ちょっと嬉しかったりする。
ただ彼女達は住所が書いてない。
この辺は池上さんにでも聞いて、送り先を確かめよう。
後は来ているけど出していない人をチェック。
こちらは殆ど無く、今年初めの仕事は取りあえず終わった。
「準備は」
席を立ち、今すぐにでも出かけると言い出しそうなサトミ。
今度は私がぐずる番だ。
「まだ早いよ」
「待ち合わせの時間があるでしょ」
「それが早いって言ってるの。大体元旦から慌てても仕方ないじゃない」
「一年の計は元旦にあり。初めが肝心なの、何事も」
多分一年の内で、今日使うのが最もふさわしい言葉。
ただ感心はするけど、今はまったりしたい気分。
少し時間を無駄に過ごしたい、とも言うべきか。
またこうしてサトミとやり合うのも、また楽しだ。
とはいえいつまでものんびりとはしていられず、私も着替えを済ませて出かける準備を整える。
「優、忘れ物だよ」
上着を羽織っていた私に、笑顔で近付いてくるお父さん。
端末でも忘れたのかと思ったら、小さな袋を差し出してきた。
「ああ、お年玉」
確かにこれを忘れていては、話にならない。
中身は、可能な限り貯金に回すとしよう。
「ありがとう」
「無駄遣いはしないでね」
「大丈夫。貯金するから」
「貯金」
一瞬鋭くなる瞳の奥。
その言葉から、何かを連想したのかも知れない。
「深い意味は無いよ。一度に使ってももったいないでしょ」
「まあね。何か予定はある?今年の抱負とか」
「健康第一、何事も無く今年1年を乗り切る」
「そう」
寂しげに微笑み、リビングへ戻るお父さん。
誘導尋問だったのかな、今のは。
外はさすがに寒く、ただ風が無い分日に当たっていると気持ちはかなり安らいでくる。
「バスかな、やっぱり」
「だったら急ぐわよ。すぐに臨時便が来るから」
「私は急いでも良いけどね」
「……お正月から慌てても、意味はないわね」
すぐに悟ってくれるサトミ。
彼女はロングブーツにロングコート。
ただでさえ鈍いのにこの恰好。
走ればどうなるかは、本人でなくても想像は付く。
「鈍いからではないわよ」
エスパーだな、まるで。
臨時便らしいバスへ乗り込み、まずは手すりを確保。
車内には振り袖を着ている人もいて、ますますお正月のムードが高まっていく。
「そういえばお正月って、雨のイメージが無いね」
「太平洋側では晴れの特異日みたいなものよ。ただ東北や北陸なら、雪が降ってもおかしくないと思う」
「雪か。風情はあるけど、出歩くのは大変そうだな」
「私はたまに懐かしいけれど」
この人は秋田、男鹿半島出身。
豪雪地帯ではないが、雪が降るのは当たり前の土地。
ただ昔の事はあまり語らないので、今は彼女なりに気持ちが緩んでいるのかも知れない。
それもやはり、お正月ならではか。
車道に車はあまりなく、何よりトラックの姿が殆ど無い。
それでも全くない訳では無く、お正月から大変だなとつくづく思う。
「どうかした?」
「いや。お正月なのに働いている人がいるから、偉いなと思って」
「消費者のニーズがある限り、サービスする側はそれに応えようと努力するのよ。そもそも、このバスがそうでしょ」
「なるほどね」
このバスは臨時便で、三が日だけの運行。
もっと言ってしまえば、バスの運行は年中無休。
雨が降ったからとか、日曜だからといって休みにはならない。
「みんな偉いね」
「それが世の中の仕組みなの。電気や水道なんて、24時間休み無しよ」
「ああ、そうか」
「だから彼等のストは有効で、労働三法でも特務条項として」
最後の方は聞き流し、流れていく景色に視線を向ける。
私はお正月から働くなんて、多分無理だなと思いながら。
今でも働いてないけどね。
そうしている間に、草薙高校前へ到着。
例年通りここを待ち合わせ場所にしている生徒はかなりの数で、ちらほらと見た顔にも出会う。
「おはよう。じゃなくて、おめでとう」
「ああ。明けましておめでとうございます」
丁寧に頭を下げてくるショウ。
その後ろには、頭を押さえているモトちゃんの姿も見える。
「……あまり聞きたくないけどさ。2日酔いとか?」
「大丈夫。もう、殆ど大丈夫」
「何が大丈夫なの」
「水、水頂戴」
多分、砂漠で遭難した人よりも悲痛な声だと思う。
ショウが買ってきたお茶を飲み、ようやく表情を和らげるモトちゃん。
「言っておくけど、2日酔いではないわよ」
「だったら、なんなの」
「ちょっと話しすぎて、疲れただけ」
「話しすぎ?」
スピーチでもしたのか、何かを依頼されたのか。
ただサトミは首を振っているので、私の推測は間違っているようだ。
「何を話したの」
「いや。大した事では無い」
そこははっきり答えないモトちゃん。
ここでようやく、意味を悟る。
相手はおそらく名雲さん。
彼を相手に、端末でずっと話をしていたという意味か。
「端末をずっと耳に当ててたら、肩が凝って。それで頭が痛くなったんでしょ」
「多分ね」
肩を押さえながら顔をしかめるモトちゃん。
ヘッドフォンやインカムもあるけれど、それを思い付く前に肩が痛くなったんだろう。
それとも思い付く間もないほど楽しかったとか。
モトちゃんの肩と腕をサトミと一緒に解していると、ケイ達がやってきた。
ヒカルは相変わらずの、眩いばかりの笑顔。
ケイは例によって、何が正月だと言いそうな顔。
天真爛漫な笑顔を見せられても困るけどね。
「木之本は、実家か」
背を伸ばし、周りを見渡すショウ。
この人ならこうすれば、この場に誰がいるかはすぐに分かると思う。
私は背伸びをしても虚しいだけだが。
「では、行きましょうか」
かなり回復したのか、笑顔を浮かべて指さすモトちゃん。
その先は、言うまでもなく熱田神宮。
私達も笑顔で頷き、歩き出す。
境内は、まさに立錐の余地もない状況。
流れに乗らないと押しつぶされてしまいそうで、必死にショウの腕にすがりつく。
彼と手を取り合うのは良いけど、毎回こんなシチュエーションばかりだな。
「帰ろう、もう」
露骨に陰気な声を出すケイ。
それに思わず頷きそうになるくらいの混雑ぶり。
見えるのは人の背中と頭だけ。
今までの記憶と経験で、自分がどの辺を歩いているかやっと把握出来るくらい。
目隠しして軽く回されたら、見当違いの方向に歩いてもしばらくは気付かないと思う。
それでもどうにか大鳥居をくぐり、後は真っ直ぐ本殿へ向かって進むだけ。
例の漬け物樽も、人の背中に隠れて今は上の方がわずかに見える程度。
ただ照明が当たっているので、妙な神々しさがある。
「意外と流れてるね」
「逆に流れなかったら、事故が起きるわよ」
悠然と髪をかき上げ、ゆったりと歩いて行くサトミ。
周りの人間も彼女に近付くのはためらわれるのか、わずかではあるが空間が空いている。
何年もそばにいる私ですら見とれる容姿と、独特のオーラ。
知らない人からすれば、見えない結界があるような気分かもしれない。
やがて人の流れが止まり、頭の上を小銭が飛んでいく。
どうやら、本殿のかなり近くまで来た様子。
私には人の背中しか見えないので、出口ですと言われても信じてしまうが。
「えいえい」
それでも小銭を投げて、その方向へ手を合わせる。
私のお願いを聞いてくれるほど神様も暇ではないと思うが、年の初めくらいは少しくらいわがままを言わせてもらいたい。
家内安全、無病息災、交通安全、学業成就。
後は、なんだっけ。
いや。それは、お守りか。
みんなで無事に卒業し、その後も今まで通り仲良く過ごせますように。
これは自分達の努力次第だけど、不可抗力という物が世の中には存在する。
出来たら神様には、その辺をどうにかして欲しい。
そんな細かい事まで関われないと言われそうだけど。
お参りはこれで終わり。
後はおみくじでも引いて帰るとするか。
「俺はやらん」
何も言わない内から拒否をするケイ。
確かこの人、前は凶を引いてたな。
「良いじゃない。年に一度くらい。それに、ただの占いだよ」
「信じる信じないは別にして、嫌な事を書かれて楽しい訳がない」
それはそうだけど、やはり年に一度の事。
迷わずお金を払い、大きな筒をひっくり返して出てきた棒に書かれた番号を巫女さんに告げる。
「……小吉。春まだ遠く、ただ行く道に花の咲き誇る姿が見えるよう。落ち着きが肝要。日々鍛錬、修練、努力を惜しむべからず。1日をおろそかにする物は、将来に禍根を残す」
最後のはともかく、なるほどと思うような言葉。
少しずつでも良いから、毎日自分に出来る事をやっておこう。
みんなも大体似たような結果。
しかしケイは私達には近付かず、売店の脇にあるおみくじを結ぶ柵へと逃げていく。
「見せてよ」
「幸せが逃げる」
「大吉なの?」
それには答えないケイ。
とてつもなく陰気な顔をしてるので、大吉では無さそう。
まさかと思うが、大凶なんて入ってないだろうな。
熱田神宮を後にして、全員で玲阿家へと移動。
まずは、ばうばうと羽未が出迎えてくれる。
「おめでとう、調子どう?」
「ばうばう」
「お年玉、もらった?」
「ばうばう」
足元から骨を拾い上げる羽未。
かなりの大きさで、豚骨か牛の股辺りの骨っぽい。
どうでもいいけど、随分豪快なお年玉だな。
「コーシュカは?」
「ばうばう」
全然分かんないな。
分かっても困るけどさ。
家へと上がり、おじさん達へと挨拶を済ます。
私はコーシュカを膝の上へ置き、壁に背をもたれて窓から差し込む日差しに眼を細める。
今はなんの予定も無く、ただのんびりと時を過ごせばいいだけ。
このまま寝てしまっても問題は無く、こういう時の使い方こそ贅沢だなと思う。
気付くとコーシュカは膝の上からいなくなり、代わりにタオルケットが掛けられていた。
慌てて顔を上げるが、それ程時間は経過してない。
早起きした分、少し寝不足だったようだ。
「あー」
軽く伸び上がり、タオルケットにくるまったまま移動。
サトミが刺すような視線を向けてくるが、お正月故の無礼講としてもらいたい。
もそもそと数の子をかじり、テレビを見て少し笑い、小さく息を付く。
平穏無事で何より。
毎日こんなのんびり出来ればと、つくづく思う。
「眠いの?」
「いや、そうでもない」
やはり慌てて顔を上げ、すぐに口元を拭く。
眠くはないが、気を抜いているのは確か。
ちょっとリラックスしすぎな気もする。
「言ったでしょ、一年の計は元旦にありって」
「終わりよければすべてよしじゃないの」
「それは、成果を残した後に言いなさい」
まなじりを上げてテーブルを叩くサトミ。
確かにそれはもっともだ。
とはいえ特に予定も無ければ計画もない。
何より、正月くらいは何も考えずのんびりと過ごしたい。
「難しい事は、三が日が開けたら考える」
「4日には、レポートを提出出来ると考えて良いのね」
聞き間違いかな。
宿題を言いつけられた気がするんだけど。
「あのさ、何言ってるの」
「計画性を持って行動しなさいと言ってるの。いつまでも、自堕落に過ごせば言い物では無いのよ」
その言葉が聞こえたのか、床に寝転んでいた瞬さんが咳払いをしながら起き上がる。
正月くらいは良いと思うんだけど、サトミからすれば正月だからこそと思ってるのかも知れない。
つくづく厄介な性格だな。
「……何」
「全然。今年も大変だなと思っただけ」
「前もって準備をして計画をしておけば、何があっても問題ないわよ」
「そんなものかな」
問題というのは、予定外の事が起きるからこそ。
つまり準備や計画外の事が。
無駄だとは言わないが、サトミの言うように自分の決めたままに物事がする無事自体希。
それこそ、絵に描いた餅だ。
サトミの側はプレッシャーを感じるので、そこから離れてモトちゃんの隣に座る。
また飲んでるな、この人は。
「お正月くらい、控えたら」
「大吟醸よ、これ」
だからなんなのよ。
いまいちこの辺の種類や区別が分からず、味もどれだけ違うのかが不明。
明らかに安いお酒よりは美味しいが、それ程ありがたがるものなのだろうか。
「ユウも飲んでみる?」
「いや。お酒は避けてるから」
「あはは」
大笑いされた。
駄洒落を言ったつもりではないんだけどな。
小さな湯飲みに大吟醸を注ぎ、舐めるように飲むモトちゃん。
私は今言ったようにアルコールや刺激類は避けているので、普通にお茶を飲む。
今飲んだら慣れていない分、体には絶対良くないと思う。
「目は大丈夫なの?それで飲んでないんでしょ」
「まあね。明るいところなら大丈夫だけど、不確定要素は出来るだけ避けたい」
「もったいない話ね」
感極まったように首を振るモトちゃん。
元々お酒がそれ程好きでもないため、そこまで困りはしないが。
「飲んでるね」
「頂いてます」
湯飲みを軽く掲げるモトちゃん。
瞬さんは大吟醸をグラスへ雑に注ぎ、そのモトちゃんに睨まれる。
「もったいないですよ」
「質より量だよ」
意味があってるのかな。
多分、間違ってるだろうな。
誰もがそう思ったのか、代わりに与えられたのがラベルのない一升瓶。
中は白い液体が入っていて、小さな粒が浮いて見える。
「どぶろくだよ。昔は良く作った」
「家で作る物なんですか」
「米と麹があれば、意外と簡単に出来る。酔うだけならこれで問題ない」
やはり雑にグラスへ注がれるどぶろく。
匂いはかなり強く、これこそ飲まない方が良さそうだ。
「……どうですか」
「これはこれで悪く無いよ。大吟醸と比べる物でも無いけどね」
そう言って、立ち上がる瞬さん。
そして、大きなワインボトルを持って戻って来た。
「こっちはワイン。昔に作った奴だから、味はこなれてると思う」
「作れる物なんですか、これこそ」
「美味しく作るのは難しいけど、アルコールを発生させるだけなら簡単だよ」
今度は多少慎重に注がれるワイン。
瞬さんはそれに口を付け、満足げに頷いた。
「悪く無い」
「……これって」
「四葉が生まれた時に作った。というか、その時俺はいなかったけど」
豪快に笑い、グラスを口に運ぶ瞬さん。
彼はその時戦場で戦っていた聞いている。
そしてこのワインは、ショウと同じ年に作られた物。
私もお祖母ちゃんの家には、同じ年に作られた梅干しや梅酒がある。
これにはそういう人の思いや気持ちが込められているんだろう。
「美味しい?」
「味が丸い」
くいっとワインを飲み干すモトちゃん。
少し飲みたい気もあるが、やはりパス。
願を掛けている訳では無いにしろ、今は飲む時期ではない気がする。
放って置くと、モトちゃんが全部飲んでしまいそうな気はするにしろ。




