48-7
48-7
ツリーに吊されたサンタを眺めているところで、ふと思い出した。
「モトちゃん、ちょっと」
「どうかしたの」
グラス片手に近付いてくるモトちゃん。
顔は赤いが、足元は確か。
話をしても問題は無いだろう。
「備品使用状況書。あれが廃止になった」
「へぇ。よかったじゃない」
「他の書類も廃止になったり電子化は進むけど、あまり期待するなとも言われた」
「そういう回答にはなるでしょうね」
サンタの被っている兜に触れて笑うモトちゃん。
私は何もおかしくないが、今の彼女には笑える事だったらしい。
話が聞こえたのか、サトミもツリーのそばへとやってきた。
「ある程度は廃止されるんでしょ」
「資料持ってくる」
階段を駆け上がり、お昼に受け取った書類を持って戻ってくる。
サトミとモトちゃんはそれを確認し、不満そうな顔で頷いた。
「ぱっとしないクリスマスプレゼントね」
苦笑気味に語るモトちゃん。
私が見ても冴えない内容で、二人からすれば相手の真意はより明確に読み取れるのだろう。
「でも、無くならないよりはましなんだよね」
「前向きに考えれば。ただこれ以上減らないなら、あまりいい結果とは言えないわね。とはいえ、書類以外にも問題はあるんだからこればかりに関わってもいられない」
「規則全体の事?」
「ええ。書類では妥協しましたから、こちらでは厳しく行います。なんて言われる可能性もある。とはいえ規則は一応生徒会が決めているから、まだ改善の余地はあるけれど」
ますます冴えない話。
自然と、私達の空気も重くなってくる。
そこへ笑顔を湛えて現れるヒカル。
一転空気が明るくなった。
とまでは言わないが、一方的に沈み込んでるよりは良くなったと思う。
「クリスマスなのに、空気が重いね」
「色々と問題があるのよ」
静かに答えるサトミ。
ヒカルは彼女が持っていた資料に目を向け、少し表情を硬くした。
「まだやってるの?」
そう言われると辛いが、やっているのは確か。
進歩がないと思われても仕方ない。
「妥協ってしないよね、みんな」
「そうかな」
「そうだよ」
かなり真顔で答えられた。
私達はいつも一緒に行動しているから気付かないけれど、端から見れば自分達の意思を徹底的に貫くと思われてるのかも知れない。
また今までを振り返ってみると、そういう面は確かにある。
全く妥協しない訳では無いが、全てを譲る事はあり得ない。
これは性格的な問題と、後は草薙高校の自治制度が関わっていると思う。
自分の意志を主張するのが良しとされる風潮があり、妥協すれば相手に付け込まれる一方。
実際に付け込まれる訳ではないとしても、つい身構えるのは確か。
その辺がヒカルにすれば、頑なに思えるのかも知れない。
「もう少し、柔軟でも良いと思うけどね」
「それで物事が解決するかしら」
「相手の意見をくみ入れるのも大切だよ」
「自分の意見を主張するのも大切よ」
強く言い返すサトミ。
彼女はその典型。
頑なであり、強固。
妥協するのは自らの敗北を認める物だと思ってる節もあるくらい。
また自分の意見を貫く事が彼女のアイデンティティであるとすれば、妥協はまさに敗北。
自分の存在を否定する事に他ならない。
「本当に変わらないね」
「変わって良い事と悪い事がある。これは変わってはいけない事なのよ」
「有意義だと思う?そういう時間の使い方は」
「変節するよりは、余程ましよ」
ヒカルはそこまで言ってないが、サトミはそういう考え。
妥協など論外としか思ってないようだ。
つまりはこの場のやりとりですら。
さすがにヒカルもこれ以上は無理だと思ったのか、仕方なさそうに笑って去っていった。
後味が悪いとは言わないが、あまり晴れやかな気分ではないのも確か。
重さばかりが先に立つ。
「……何よ」
目付きを悪くして睨んでくるサトミ。
自分でも、さすがに自覚はあるようだ。
「妥協はともかく、相手の意見は聞いても良いんじゃないの」
「そうね。許容出来る範囲なら」
「出来ないから、主張を貫いてるんじゃない」
それこそ私達にも噛み付いてきそうな勢い。
ヒカルの言葉が身に染みる。
「自分の意見を貫こうとして、私達は今まで行動している訳でしょ。むしろ今更意見を変える事こそ問題。背徳行為じゃない」
「誰に対しての背徳なの」
「自分自身へのよ」
「せめて、後輩や先輩と答えて」
呆れ気味に指摘するモトちゃん。
しかしサトミは足でも踏みならしそうな表情。
彼女にとってはまさしく譲れない一線。
それこそ、逆鱗と呼んだ方が良いのかも知れない。
私はサトミの言いたい事も分かるし、ヒカルの意見も分かる。
両方を分かりたいと思うのだから、私も多分妥協を良しと考えているのだろう。
無論なし崩しに全てを譲るのではなく、ある程度は相手の意見を受け入れる程度には。
つまりはその見極め。
どこまで譲歩するかが問題。
際限なく譲っていては、今まで頑張ってきた意味がない。
「……クリスマスだし、この件は忘れようか」
「どうして」
それこそ、今から資料を再検討しそうなサトミ。
私は資料を全部まとめ、目に付いた棚を開けてその中へしまった。
「今日だけはって事。それに学校も休みだから、私達に出来る事はあまりないでしょ」
「そうだけど。このままで良いとは思ってないでしょうね」
「それは勿論。でも、今日だけは」
サトミの背中を押し、みんなの元へと戻る。
ここまでこじれるなら、相談しなければ良かったな。
ただ相談した相手はモトちゃんであって、サトミではないんだけど。
思案の表情で鳥の丸焼きを見つめるサトミ。
どう考えても忘れているようには見えず、頭の中はさっきの件で一杯なんだろう。
「難しい話でもしてた?」
サトミの様子を見つつ話しかけてくる木之本君。
彼なら大丈夫だと思い、書類の件を簡単に告げる。
「僕も妥協が必要だともうよ。それにある程度削減してくれるなら、前よりは改善されるんだし」
「中途半端にごまかされるって思わない?」
忘れると自分で言っておいて、つい話し込んでしまう。
ただこのくらいは、見逃して欲しい。
「一気に全てを解決するのは難しいからね。この先は後輩に託すくらいに思ってみないと」
「厄介ごとを押しつけられたって思われないかな」
「大丈夫だよ。それに、もう退学する訳にも行かないから」
強烈に釘を刺してくる木之本君。
昨年度は私達が熱くなりすぎ。また性急に事を運ぼうと思いすぎた。
その結果があの暴走であり、退学や停学。
管理案自体は撤回出来たが、失った物もまた多かった。
そう考えると、冷静になった方が良いのは私にも分かる。
とはいえ譲れない事もある訳で、その兼ね合いが難しい。
再び重い空気の中、もそもそと鳥の丸焼きをかじる。
せっかくのクリスマスに沈んでいても仕方ないが、晴れやかな気分とは程遠い。
気の持ちようだとしても、今の現実がそうたやすく変わる訳もない。
「そもそも、書類を減らす必要はあるのかな」
ぽつりと漏らす木之本君。
無駄な書類が多くて煩雑なのは、彼も理解をしている。
それでも敢えて言うからには、何か考えがあるんだろう。
「あるからこうしてやってるんでしょ」
「書類が無かったら、仕事が無くなる人もいるからね。学校だけではなくて、生徒会も」
「それは分かるけど。だからって、それは無駄のために人を雇えって意味?」
「急激な変化には対応しない人もいる。特に今の学校は。僕達があまり支持を受けないのは、その辺りにあると思う」
僕達とぼかす木之本君。
つまりは私やサトミのような意見。
性急な変化を望み、それを無理矢理でも押し通す考えを差していると思う。
今の学校は編入生が半分程。
彼等にしてみれば、自治は与えられた概念。
今の規則も厳しいとは感じないらしく、むしろ緩いとさえ思ってる節がある。
「編入生だけの問題ではないよね」
「過渡期だから、色々軋轢があると思う。体勢を立て直すだけで、余裕が無いのかも知れない」
「ふーん。だからって、書類を残す理由にはならないでしょ」
「まあ、そうなんだけど。敢えて今でなくてもと思って」
少し表現を変える木之本君。
私がまた燃え盛り始めたと思ったのかも知れない。
「私は落ち着いてるよ。それと、書類は無くす」
「そう」
なんだか寂しく微笑まれた。
まるで私だけが悪いみたいな雰囲気だな。
いまいち納得出来ないまま、もそもそとポテトサラダを食べる。
誰か明確に悪い存在がいれば、もっと行動もしやすいし分かりやすい。
それがいないため、矛先の持っていき所が難しい。
真っ先に思い浮かぶのは、矢田局長。
後は最近なりを潜めているが、生徒会内の反乱分子。
矢田局長は意見や立場が違うだけという見方も出来る。
だからといって、彼を理解する気にもなれないが。
反乱分子も特定の誰かではなく、一定の意見。
そういう意見を持つグループの集団を漠然と指しているだけで、いまいち正体が掴めない。
「難しいな」
「考え過ぎだろ」
鳥の丸焼きをかじりながら言ってくるショウ。
私が何を考え過ぎてるのかは、あまり分かって無さそうだが。
「幸せ?」
「勿論」
断言された。
だとすれば、私から言う事は何も無い。
彼の言うように考え過ぎ。
それに今日はクリスマス。
心穏やかに過ごし、今という時を楽しもう。
例によりポーカーを始める雪野夫妻と元野夫妻。
お母さんの札を後ろから覗き込み、今年も鼻を押さえる事となる。
「優」
「分かってる。というか、それで勝負する気?」
「黙ってなさい」
「はいはい」
3、5、6、10、13。
全くもって話にならない手札。
しかしお母さんは、平然とマッチ棒を場に置いた。
「そういつまでも、引っかかりませんよ」
さらにマッチ棒を追加する、モトちゃんのお母さん。
お母さんもにやりと笑い、改めて追加した。
「……降ります」
ため息を付くモトちゃんのお母さん。
カードを置いた時にちらっと見えたのは、Aが2枚。
猪相手では、ちょっとやそっとの策では無理か。
私の場合お母さんのような度胸というより、単なる無鉄砲。
それとも年を重ねると、ああいう勝負勘が生まれてくるんだろうか。
「お父さんは、いつも降りるのが早いね」
「リスク回避だよ」
「負けても大した事無いんだし、もっと弾けたら?」
「そういう性格でね」
苦笑気味に答えるお父さん。
確かに、あまりはしゃがれても困るけどさ。
間違っても今のお母さんみたいに、奇声を上げる事は一生無いんだろうな。
気付くと手持ちのマッチを全部失い、あっさり惨敗。
やはり私に、こういう遊びは向いてない。
「あーあ」
負けたとはいえ、困るようなペナルティがある訳ではない。
また時間が進めば、そのペナルティすらうやむやになってしまう。
それも含めて、クリスマスといった所か。
「ショウの家に行こうか」
「私はパス。少し眠い」
欠伸をしながら壁にもたれるサトミ。
モトちゃんは完全に床へ倒れていて、時々ふにゃふにゃした笑い声が漏れてくる。
「木之本君は?」
「そろそろ帰る。実家にね」
「こんな時間に?」
「電車に乗ればすぐだよ」
朗らかに笑ってみせる木之本君。
そんな物かと思いつつ、浦田兄弟に視線を向ける。
ヒカルはともかく、ケイもかなり眠たそう。
二人とも、行こうとする素振りすら見せようとしない。
「まあ、いいか。ショウ、行こう」
「ああ」
彼の車に乗り、流れていく光をぼんやり見つめ、ラジオからクリスマスソングが流れて来た所でようやく気付く。
そう言えば、二人きりになったなと。
クリスマスに二人きり。
ロマンチックと言えばロマンチックな状況。
とはいえ去年ですらそれ程浮かれなかったので、今もそれ程普段と心境的な変化はない。
多分、良い意味で。
「今年も終わりだね」
「それ、好きだな」
「今年が終わったら、来年が来るんだよ」
「来ないと困るだろ」
それもそうだ。
本当、これではムードも何もあったものではないな。
やがて玲阿家本邸へ到着。
車庫の奥には緑色の輝きがちらちらと見え、どうやら猫が潜んでいる様子。
明るい場所でならともかく、今はあまり出くわしたくない相手。
向こうからすれば、安眠妨害と言いたいのかも知れないが。
「あの猫達、追い出さなくて良いの?」
「追い出す理由が無い」
よたよたと歩いている私の手を取りながら話すショウ。
この人こそ、昔と何も変わってはいない。
玄関を上がり、リビングで玲阿家の面々。
そして、水品さん達に出迎えられる。
「飲む?」
高そうなワインの瓶を振る瞬さん。
それを断り、グラスだけ受け取ってお茶を注ぐ。
多分この先も、アルコールを口にする事はあまりないはず。
あるとしたら結婚式とか、そういう行事くらいだろう。
「二人だけ?」
「みんな眠いみたいです」
「そうしてぐだぐだ過ごすのも、また楽しだ」
げらげら笑い、近付いて来たコーシュカにお腹を踏まれる瞬さん。
楽しは良いけど、床に寝そべってるのもどうかと思う。
「ばう」
顔の真横から聞こえる鳴き声。
そちらへ顔を向けると、羽未が舌を出してこちらを見ていた。
「今日は家に入れてもらったの?」
「ばうばう」
「お酒飲む?」
「ばう」
いらないと言わんばかりに首を振る羽未。
取りあえずその首筋を撫で、毛皮の触感を心から楽しむ。
「なー」
テーブルの上に乗り、そこから私の膝に乗ってくるコーシュカ。
行儀とか礼儀とか、多分そういう事とは対極にある存在。
しかも、それを分かってやっているから始末が悪い。
「クリスマスくらい、反省したら?」
「なーう」
少し低くなる声。
何かあれば、すぐに飛びかかりかねないような。
つくづく自分中心に生きてるな。
またそれが許されるんだから、幸せな人生だと思う。
などと、猫の生き方に憧れても仕方ないが。
少し緊張が和らいだのか、私も急に眠くなってきた。
みんなの声は半分も聞こえていなく、体の感覚も薄れ気味。
すでにソファーへ埋まっていて、目は開けられそうにない。
「眠いのか」
「ちょっとね」
ちょっとどころではないが、今はそれ以上答えられそうにない。
体の浮く感覚。
誰かが私を抱えたのか、体の力が完全に抜けて眠りに落ちる手前なのか。
それを確かめる間もなく、意識は緩やかに溶けていく。
見慣れない天井。
見慣れない壁。
見慣れない毛布。
意識と景色が一致せず、一度目を閉じ夢だと結論づける。
そのまま寝入ってしまい、少しして再び目が覚める。
今度はかろうじて景色を覚えていて、意識も少しずつはっきりとし出す。
ショウの家に来て、羽未の首筋を撫でている内に眠くなってきた。
後はやはり、誰かに運ばれた様子。
さすがに気を抜きすぎたか。
「あーあ」
ベッドから降り、背筋を伸ばして目元を押さえる。
一応見えてはいるが、照明が無いため輪郭が掴める程度。
また自宅ではないためどこに何があるのか分からず、慎重に歩いた方が良い。
これは昔とは大きく変わった部分。
以前は夜目も効いた方で、このくらいの中なら昼間のように動いていられた。
とはいえ見えない物は仕方なく、その分慎重さを心掛ければ良いだけだ。
外を出て、人気のない廊下をひたひた歩く。
照明が無い分歩きやすいが、まだ眠たいので視界の悪さはあまり変わらない。
何より、ここがどこだか分かってない。
そうする内に、壁へ遭遇。
どうやら行き止まりで、来た道を引き返す事となる。
人の家で寝入って迷うなんて、クリスマスとは程遠いな。
彷徨い歩く事しばし。
ようやく人の声が聞こえてきた。
ただ見覚えのある場所ではなく、さすがに忍び足となる。
幽霊かお化けなら来た道を引き返したい。
いないのは分かっていても、それは理屈の問題。
私の感情は、常に彼等を身近に感じてる。
「だから、婚約ですよ」
「こんにゃくではないのか」
……どこかで聞いた会話。
というか、聞いた事のある声。
違う意味で引き返したくなってきた。
「どうします、一体」
「私は構わんぞ。孫になる訳だからな」
「日和りましたね、先生も。昔なら、日本刀を持ち出していたと思います」
「だからそれを持って来たのか」
かなり物騒な話。
「それ」で何をやるのかは、あまり聞きたくはない。
「そもそもお互い、まだ子供ですよ」
「お前も結婚したのは、学生ではなかったのか」
「それはそれ、これはこれです」
「意味が分からん。それと、優ちゃんが四葉と結婚して何が困る」
……何の話をしてるんだ、一体。
話の主は、どうやらショウのお祖父さんと水品さん。
私達の事に対して、意見があるらしい。
特に、水品さんは。
「先生は認めるんですか、この件を」
「認めるも認めないも、当人達の問題だ。私が口を出す事柄ではない」
「私はその権利がありますよ。何しろ、雪野さんは唯一の弟子ですからね」
はっきりと誇りを持って言い切ってくれる水品さん。
それは非常に嬉しいが、だったら祝福してくれても良いと思う。
「お前は何が不満なんだ」
そうそう。
私もそれが知りたい所だった。
「不満ではありません。まだ早いと言ってるんです」
「結婚する訳ではない。あくまでも婚約だ」
そうそうって、随分詳しいな。
まさかとは思うが、ショウが話したんだろうか。
ただこういう事は、何があろうと語らないタイプ。
やはり、余計な事を吹き込んだ人間がいるんだろう。
忍び足で再び移動。
来た道を引き返す。
さすがにあの場へ行って、「何の話をしてるんですか」と尋ねる度胸はない。
そして、また同じ道を戻ってくる。
再び壁に出会ったので。
こうなるとさすがに、「何の話をしてるんですか」と尋ねる以外に道はない。
忍び足を止め、足音を立てて移動。
いっそ歌でも歌いたい所だが、さすがにそれは控えておく。
足音が聞こえたのか話し声が収まり、私も近付きやすくなった。
今は、そういう事にしておいて欲しい。
「何してるんですか」
部屋の中を覗き込み、二人に声を掛ける。
幸い殴り合いや斬り合いはしておらず、テーブルを挟んで向かい合っているだけ。
何故ここでとか、どうして二人でという点はともかくとして。
「ちょっと相談事をね」
「そうでしたか。私、迷ってしまって。リビングはここを歩いていけば着きますか?」
「ああ、それ程は遠くない」
おおよそ家の中とは思えない会話。
私の家なら、遠いも近いもなにもない。
ひたひたと後を追ってくる足音。
一瞬二人が付いて来たかと思ったが、振り向いた先にいたのはコーシュカ。
少し薄暗いし、一人では寂しいと思っていた頃。
ここはお供を願うとしよう。
「おいで」
「なー」
機嫌がいいのか、愛想良くすり寄ってくるコーシュカ。
しかしここで遊んでいても仕方なく、その背中を押して先を急ぐようにお願いする。
「リビング、リビングまで行って」
「なー」
とことこと小走りで急ぎ出すコーシュカ。
どうやら、話せば分かる相手だったらしい。
やってきたのは玄関前。
リビングではなかったし話が通じてる訳でも無かったが、ここから先は私一人でもどうにかなる。
「ありがとう。お陰で助かった」
「……何話してるんだ」
かなり怪訝そうに尋ねてくるショウ。
ヤマネコに頭を下げていれば、誰でもそう言いたくはなるだろう。
「道案内を頼んだだけ。リビングに行きたかったけど、取りあえずここまでは連れてきてくれた」
私の足にまとわりつき、声を上げるコーシュカ。
本当、今日は随分愛想がいい。
「この子、何かあったの?」
「猫の気持ちまでは分からん。クリスマスで浮かれてるんじゃないのか」
「本当?」
勿論返事もしなければ、こちらを見ようとすらしない
そして次の瞬間には私へ背を向け、勢いよく暗闇に向かって走っていった。
結局は気まぐれな生き物。
意思の疎通には限界があるようだ。
ただそれは、猫と人との話。
人同士の話ではない。
人同士だからといって、意志が通じ合うとも限らないが。
「水品さん、私達が婚約するのに反対のかな」
「どうして」
「日本刀がどうって言ってた」
「ああ、そういう意味か」
少し青い顔で頷くショウ。
どうやら、思い当たる節があったらしい。
「斬りつけられたの?」
「そうじゃないけど、変な棒を担いでた。仕込み杖かも知れないな」
「どうして?」
「親の心境かも知れない」
親。
それって、父親。男親って意味だろうか。
お父さんもこの手の話題は避けたがるというか、それ程嬉しそうにはしない。
ただ穏やかで控え目な性格なので、それ程露骨に表現する事も無い。
水品さんもそういう性格だとは思っているが、昔は荒れていたとも聞いた。
だとすれば、日本刀を持ち出すのも頷ける。
一般常識からすれば、全くもって頷けないが。
「気持ちは嬉しいけど、それは困るよ」
「俺だって困る」
「誰が得するの」
「誰もしないだろ、それは」
随分嫌な結論に到達したな。
どちらにしろ玄関先で話し込む事でもなく、久し振りにリビングへと戻る。
水品さんとお祖父さんは未だに姿が見えず、瞬さんがソファーに崩れて欠伸をしてるのが目に付くくらい。
この人が、全ての原因。
問題を引き起こしてる張本人に思えてならない。
「ん、どうかした?」
「……最近、先生と何か話しましたか」
「水品と?日本刀がどうって言ってたから、少し練習した。でも刀で人を切るのは難しいぞ。気力も技術も体力もいる。幕末の武士は偉かったね」
噛み合っているようないないような会話。
どちらにしろ、一枚噛んでいるのは理解出来た。
「それ以外では?」
「仕事の話かな」
「仕事?誰が」
「……俺も多少は仕事をするよ」
傷付いたと言いたげな顔の瞬さん。
本当かなとなおも疑いつつ、質問を続ける。
「もっとプライベートな話です。……私に関係するような」
「ああ、したした。優ちゃんが四葉と結婚したらいいなって」
至って気楽に話す瞬さん。
どうやら私が思っていたのとは違い、故意に煽った訳では無さそう。
そこに誇張や創作が含まれ、誤解と共に伝わった可能性は大きいが。
「……どうして結婚なんですか」
「例えばの話だよ。それとも、武士と結婚したい?」
「そういう訳ではないですけどね」
「あいつって最近、結構まともなんだよ。らしくないというか、つまらんというか。退学になるのは、絶対武士だと思ってたんだけどな」
悪かったな、後輩を差し置いて。
謎が解けたとは言わないが、悪意や作為が無い分多少は救われた気分。
それで何か解決した訳では無いにしろ。
「あーあ」
私もソファーに崩れ、顔を埋めて目を閉じる。
一気に疲れたというか、気が抜けた。
しかし仮定の話だけでこれ。
本当に報告をしたらどうなるか、あまり今は考えたくもない。
「寝るのか」
「寝ないよ」
ふにゃふにゃ答え、肩に掛かったタオルケットを自分好みに掛け直す。
寝はしないけれど、心地良い体勢を保って悪い理由も無い。
「枕は」
「大丈夫」
何が大丈夫か知らないが、差し入れられたクッションに頭を委ねて体を丸くする。
安心したせいか、体の力が抜けて一気に眠気が襲ってきた。
それに今日はクリスマス。
多少は自堕落に過ごしても許されると思う。
目が覚めると、周りは暗闇。
カーテンの隙間から漏れる月明かりが、カーペットの一部を薄く浮かび上がらせる。
寝たというか、寝入ってしまったよう。
端末で確認すると、すでに日付は過ぎている。
「……何?」
妙なぬくもりと圧迫感。
暗闇の中で目を凝らすと、コーシュカが毛布の中でお腹を上にして眠っていた。
この子こそ自堕落というか、野生さを微塵も感じさせない態度。
あまり野生に溢れていると、一緒に寝てるどころではないが。
「みんなは」
当然返事もせず、微かな寝息が聞こえるくらい。
予想以上に図太いな。
私も含めて。
コーシュカを毛布へ残し、家の中を移動。
あくまでも分かる範囲を。
「おい」
「おわっ」
咄嗟に飛び退き、壁を蹴って宙を舞う。
音の定位と風の動きで相手の位置を確認。
そちらへ膝を向け、真上から舞い降りる。
「おわっ」
何か叫びながら倒れる人影。
さらに追い打ちを掛けようとしたところで、間近になった顔が見える。
「何してるの」
「それは俺の台詞だ」
肩を押さえながら話すショウ。
なるほどねと思い、マウントポジションを解く。
暗闇でなかったら、顔の赤さがより一層目立っていただろう。
みんなはすでに寝ていて、ショウは様子を見に来たとの事。
本当律儀というか、人が良いとしかいいようがない。
「なんか、今年のクリスマスは駄目だね」
「何が」
「ぐだぐだしてる間に終わった」
正確にはイブだが、日本ではイブが最も盛り上がる日。
明日。
これも正確には今日だけど、ここからは年末というイメージが先に立つ。
暖房の効いたショウの部屋。
相変わらず物はなく、トレーニング器具とわずかな雑誌。
後はベッドがあるだけ。
実家の自室も似たような物で、基本的に物が無い。
彼がスティックのローンにお金をつぎ込んでいたのは最近知った話。
もしそれが原因でこんな生活をしていたとしたら、私にも十分な非がある。
「何か、欲しい物とかない?」
「毛布かな」
「毛布?カシミヤとか、そういうの?」
「材質は何でも良いよ。ちょっと寒い」
……まあ、こういう人だ。
もう少し、ストレートに聞いた方が良いだろう。
「物が全然置いてないけど、これってスティックのローンでお金がないから?」
「別に、そういう訳でもない。欲しい物も、これといってない」
「服とか、良いテレビとか、オーディオセットとか」
「あれば良いけど、無くても困らん」
ケイじゃないけど、ますますお坊さんじみてきた。
よく考えると、趣味らしい趣味がない人。
そういう事にお金を掛ける必要が無いとは言える。
バイクや車はおじさんと兼用で使っているし、服もおじさんや風成さんのお古が多く元々贅沢とは無縁なんだろう。
「何もいらない?」
「そういう訳でもない」
ちょっとむっとされた。
当たり前だが、さすがにそこまでは悟ってないらしい。
何度か細かく寝たせいか、眠気は薄い。
ただそれは、私の話。
「眠くない?」
「少し寝た。今起きた所だ」
毛布のめくれているベッドを指さすショウ。
なるほどねと思ったが、今は真夜中。
特にやる事も無ければ、遊びに行くような時間でもない。
ただこうして向かい合っているのも、いまいち手持ちぶさた。
「……トランプでもやる?」
「任せとけ」
いまいち意味の分からない受け答え。
良くは分からないが、やる気だけは感じられた。
机の引き出しからトランプを取り出し、それを座布団の上に置くショウ。
封がしてあり、見た目は新品。
その事を示したようだ。
「やっぱり、リスクがないから盛り上がらないんだよね」
「俺に勝つつもりか」
「当たり前じゃないの、それは」
たかがトランプ、されどトランプ。
やるからには、例え遊びだろうと力を尽くす。
全力を尽くすとまでは言わないが。
「罰ゲームは何にする」
「明日一日、言う事を聞く。いや、今日か」
「ふーん」
いかにもそれらしい罰ゲーム。
それにお互い、一応常識は兼ね備えているはず。
無闇な事を相手に強いる真似はしないと思う。
多分。
とはいえ、全くリスクがない訳でもない。
それにこれは戦い。
罰以前に、勝ちを目指す行為である。
「ポーカーで良い?二人なら、出来る事も限られるし」
「良いのか」
なにやら余裕の笑顔。
そう言えば前の旅行で、サトミ相手に完勝してたな。
対して私は、駆け引きは苦手。
ポーカーフェイスとは無縁にある。
とはいえ自分で言ったように、出来るゲームは限られる。
いや。あるにはあるかもしれないが、私達がお互い知っているゲームは限られる。
何より勝負が早く、厳密にしなければルールも比較的簡単。
駄目なら、また違うゲームを考えるとしよう。
親はショウ。
滑らかな動きでカードが切られ、手元に5枚配られる。
3、3、5、7、8。
最悪ではないが、小躍りするほどの手でもない。
私らしい組み合わせではあると思うが。
「替える」
5、7、8を捨て、3枚もらう。
3、3、5、9、9。
言葉にしづらい、微妙な展開。
でも、この辺が限界か。
私は2ペア。
ショウは3カード。
いきなり負けて、ゲームセンターのコインが移動する。
「相手が悪かったな」
余裕のある笑み。
それ程熱くはなってないが、負けて嬉しい人もあまりいないと思う。
今のはちょっと、気に障った。
そうして熱くなる事自体、負けを導く要因なんだけど。
A、8、8、12、12。
かなりの良いカード。
Aを捨てて、一枚受け取る。
「……う」
再びのA。
技術以前に、引きがない。
今度はショウも2ペアだが、11と13の2ペア。
やはり負けて、コインが移動。
何も楽しくないな、このゲーム。
結果としては、私の負け。
よく考えると、この手のゲームで勝った記憶があまりない。
もしかしなくても弱いのかな、私。
「さてと」
トランプを片付け、私と向き合うショウ。
こちらも姿勢を正し、頭を下げる。
「負けました」
「結構」
随分上からの言葉だが、こちらは負けた身。
何かを語る資格はない。
「明日。今日だけど、明日は言う事を聞いてもらう」
「変な事しないでよ」
「……なんだ、変な事って」
かなり気分を害した顔。
彼の人間性は承知してるが、絶対など存在しないのがこの世の中。
さすがに限度を超えれば、私も我慢はしないと思うが。
「特に深い意味は無い。明日、どこかにでも行くの?」
「いや。普通に過ごす。まだクリスマスだろ」
「まあね」
案外二人きりで過ごすと思っていたが、それは私の考え過ぎ。
ちょっと助かったとも言えるし、残念とも言える。
緊張が緩んだせいか、また眠くなってきた。
細かく寝てはいるが、眠い物は仕方ない。
「ちょっと寝る」
ベッドに上り、毛布にくるまって目を閉じる。
せっかくのクリスマスに何をやってるのかとは思うが、たまにはそういう時もあると思う。
「そこで寝るのか」
「ショウが寝るなら、他に行くよ」
「いや、いい。電気消すぞ」
「お休みなさい」
一緒に寝ようか、という台詞は特に聞かれない。
聞かされても、返事のしようが無いけどね。
苦悩と呼ぶ程では無いが、問題は山積。
気が晴れるような出来事もあまりない。
また以前のように、何もかも忘れて騒ぐ事も。
年を重ねた故の結果。
私達に科せられた責任とでも言おうか。
何も考えず、ただその時だけを生きていればいい時期は過ぎたんだろう。
それは嬉しくもあり、重みもあり、少し切なくもある。
今は少し分かる、そんな時の大切さ。
当たり前で、平凡で、だからこそいつまでも続くと思っていた日々。
でもそれは決して、永遠ではないと。
少し重いクリスマスを味わった後は、余計に。
それとも、そうして人は成長していくと考えればいいのだろうか。
あまり嬉しくはない、ただ現実に近そうな結論。
薄れる意識の中で、私はそんな事を考えていた。




