48-2
48-2
目覚まし時計のアラームで起床。
すぐに飛び起き、カーテンを開ける。
全身に朝日を浴び、窓を開けて軽く深呼吸。
朝の清々しさを体に吹き込み、部屋を出る。
キッチンへ入り、昨日仕込んでおいた野菜と鶏肉を調理。
ご飯はすでに炊けていて、そちらはお弁当箱へ詰めて海苔ご飯にする。
「……出来たかな」
フライパンの上でジリジリと音を立てる鶏肉。
やっぱり、ほんの少しだけオリーブオイルを足しておこう。
油無しのレシピだったけど、多少のアレンジは許してもらいたい。
いい具合に焦げ目が付いたところでお皿に移し、醒めるのを待つ。
その間に卵をフライパンへ落とし、目玉焼きを作る。
だし汁はもう用意されているので、後は味噌を溶いて刻んだネギをさっと散らす。
さっき出した海苔をもう少し切って皿に盛り、漬け物と塩辛を用意。
「焼けたよね」
目玉焼きを皿へ移し、ご飯をよそって椅子に座る。
「頂きます」
純和風とは行かないまでも、朝食らしいメニュー。
私としては、お昼もこのくらいで十分だけどね。
半分くらい食べ終わったところで、お母さんが欠伸をしながら現れた。
「……今日も早いわね」
「お弁当を作ってたから」
「そうなの。あーあ」
なにが「あーあ」かは知らないし、本人も分かってないだろう。
例により人の波に揉まれながら、学校へ到着。
中学校前で押し出されなかっただけ、まだましか。
寒さのせいか、正門前で挨拶を呼びかける生徒はまばら。
その声もかなりか細く、どう見ても縮こまって見える。
このまま冬眠してくれると、もっと助かる。
教室に付いたところでようやく暖房の効果が現れ始め、ブルゾンを椅子に掛ける。
こんな寒いに外で立ってるなんて、私には考えられない。
そう考えると警備員さんはつくづく偉いなと思う。
冬は寒くて、夏は暑い。
雨が降る時もあれば雪が降る時だってある。
時には危ない目にも遭うし、私にはおおよそ勤まらないだろうな。
「朝からどうしたの」
「何が」
「重い顔してるから」
私の顔を指さすサトミ。
ちょっと感情がのめり込み過ぎていたようだ。
「警備員さんは大変だなと思ってたの。夏は暑いし、冬は寒くて」
「楽な仕事なんて、この世の中には存在しないのよ」
随分大きくまとめるサトミ。
それを言われたら、話が終わってしまう。
筆記用具を揃えていると、モトちゃんも到着。
彼女はコートをロッカーへしまいに行き、肩を押さえながら戻って来た。
「外、寒いよね。というか、モトちゃんの家の方って寒いよね」
「郊外だから、この辺とは数度違うと思う。氷は張るし、雪もちらつくし。良い事無いわ」
「自然が多いじゃない」
「カエルも多い」
どうしてもそこへこだわるモトちゃん。
とはいえ自宅の回りにカエルがいたら、私もあまり楽しくはない。
木之本君はダウンジャケット。
ショウは、セーターを着ただけで教室に入ってくる。
寮はすぐそこだけど、セーター一枚では私なら耐えきれない。
「どうしてセーターなの」
「寒いだろ」
「セーターだけで、寒くないの?」
「何言ってるんだ」
いや。それは私の台詞だと思う。
最後にケイが、この世の終わりみたいな顔で到着。
この子もブルゾンで、当たり前だが暑さや寒さを感じる事はあるようだ。
「朝、乾布摩擦してきたら。そうしたら、目が覚めるんじゃない?」
返事もせずに椅子へ座るケイ。
そのまま顔を伏せ、だるそうにため息を付き始めた。
この人こそ、その内冬眠するんじゃないだろうな。
予鈴のチャイムが鳴り、村井先生が教室へと飛び込んでくる。
実際に飛び込んできた訳ではないけど、私のイメージ的に。
「おはようございます。もうすぐ年末。色々なイベントがあると思いますが、くれぐれも羽目を外さないように」
私の方を見ながらの注意。
それを気にせず、プリントの裏にサンタとトナカイを書いていく。
いや。トナカイよりも猫の方が面白いかな。
猫だとそりを引くのは無理。
むしろサンタが引っ張る構図か。
「それとイベントが近いからと言って、あまり浮かれないように」
全くもって、その通りだ。
クリスマス、大晦日、お正月。
私の場合は、すぐに誕生日。
確かにイベントが目白押し。
そして今期は、最後に卒業式がある。
気付けばあっという間の3年間。
まだ卒業までは3ヶ月あるけれど、さすがにこの時期になるともう3ヶ月。
残りわずかという気持ちになってくる。
浮かれるよりも、切なさの方が先に立つな。
1時間目から体育。
さすがに外ではなく、体育館で。
「あーあ」
膝を抱えて壁際にしゃがみ、切なさを噛み締める。
こうしていられるのも、あと3ヶ月。
気は重くならないけれど、爽快な気分とは程遠い。
「何してるの」
「丸くなってる」
サトミにそう答え、膝に顔を埋める。
その途端横に押されて、床の上を転がった。
「ちょっと」
「早く起きなさい。チーム分けするわよ」
例の張り切りモード。
鈍いのに、勝敗には異常なほど執着するからな。
今日の授業は、タグラグビー。
タックルがないので、どちらかと言えば鬼ごっこの感覚で楽しめるスポーツ。
厳密にルールを適用しなければ、子供にだって楽しめる。
チーム分けは、端末を使ってのくじ。
私は赤と出た。
「ふっ」
鼻で笑い、私の前に立つサトミ。
どうやら、彼女は白だったようだ。
私もラグビーは得意ではないけど、サトミが100人いても勝てる自信はある。
というかこの子の無意味な自信って、一体どこから来るんだろうか。
人数が多いため全員は出られず、興味がない子は見学。
私もそうしたいが、サトミの視線が刺すように痛い。
「どうでも良いけど、怪我しないでよ」
「私を誰だと思ってるの」
「遠野聡美じゃないの」
「分かってるなら良いのよ」
それ以外、どう答えろっていうのよ。
軽くストレッチをしたところで、試合開始。
相手チームがボールをパスで回し、そこへ全員が殺到。
戦略を立ててのプレイも面白いが、こういうのもまた楽しい。
また直接的な接触プレイが禁止されているので、ストレスが少ないのも魅力。
後ろの方で転がりそうになってる人は、ともかくとして。
などとサトミを笑っていても仕方なく、私もゲームに参加。
勢いよく走る女の子の目線を追い、パスコースを見定める。
パスカットも良いが、せっかくのタグラグビー。
タグを取る事も楽しみたい。
「パ、パス」
山なりで横に飛んでいくボール。
必死の形相でそれを受け止める女の子。
素早くその後ろへ回り込み、ジャブの要領で手を伸ばす。
指先に掛かる、タグの感触。
すぐに手を引き戻し、タグをゲット。
「タグッ」
リボン状のタグを頭上にかざし、タックルを宣言。
すぐにその女の子から距離を取り、パスするスペースを作る。
正確には、3秒以内にパスするのがルール。
まごついてすぐ近くの生徒へパス。
そこでもタグを取られ、その繰り返し。
あっという間にこちらの攻撃に代わる。
密集するのが良くないみたいだな。
こういうぐだぐだした感じが、また面白いんだけどね。
「プレイ」
今度は私達の攻撃タイム。
審判である先生の合図で、ボールがパスされる。
私はボールの行方を目で追いながら、持っている子の近くを併走。
「タグッ」
すぐ横での宣言。
慌ててボールをパスしてくるモトちゃん。
頭の上を飛んでいったボールに飛びつき、片手でキャッチ。
着地様、一気に加速。
後ろにいた生徒を置いていく。
このまますぐにトライと思った所で、行く手にサトミが現れた。
体育の授業。
たまにはこの子に花を持たせても。
なんて思った所で、勝手に転ぶサトミ。
彼女が立ち上がるのを待つのも変で、その上を飛び越えトライ。
そしてサトミの元へと戻り、背中を両手で押してみる。
「何してるの」
「ユウが、フェイントをするから」
「何もしてないし、その位置はオフサイドでしょ」
「言ってる意味が分からない」
それは私の台詞だっていうの。
程よく動いたせいか体も温まり、その後の勉強にも身が入る。
かどうかはともかく、集中して授業を受ける。
そしてお昼。
「それは?」
真上から、私の手元を見下ろすサトミ。
見てるだけなんだけど、この行為自体がプレッシャーなんだよね。
「お弁当。作ってきた」
「どうして」
さながら職務質問だな。
受けた事は無いけどさ。
「意味は無いよ。たまにはと思って」
「中身は」
もう良いよ。
みんなは普段通りに、フリーメニューをオーダー。
私はお茶だけをもらい、お弁当を広げる。
「随分あっさりしてるわね」
昨日のお父さん同様、控えめに表現するモトちゃん。
鳥のソテーと、ほうれん草の煮浸し。
それと海苔ご飯。
私が男の子なら、ちょっとがっかりすると思う。
「このくらいあっさりしてる方が、私には良いの。精進料理とは言わないまでもね」
まずは鳥を頬張り、その優しい味を堪能。
次にほうれん草を食べて、海苔ご飯を食べ進める。
ラーメンや揚げ物も良いけれど、毎日はちょっと重い。
私としてはこれで十分。
また体の事を考えれば、むしろこういうメニューの方が良いと思う。
作る手間やレパートリーを考えると、限界はあるが。
そんな私の前で、黙々と豚汁をすするケイと木之本君。
「豚汁、そこまで好きだった?」
返事もしない二人。
そう言えばこの子達、お昼前まで見なかったな。
正確に言えば、男子生徒全員。
「今まで、どこ行ってたの」
窓の方を箸で指し示すケイ。
外、か。
つまりは、四時限の間。
それは豚汁もすすりたくなるという物か。
「突然マラソンやるとか言いやがって。熱田神宮の回りをぐるぐる回ってた」
恨み骨髄に徹するとは、多分今の彼を言うんだろう。
私もこの寒空の下でそんな事をやらされたら、愚痴の一つも出るとは思うが。
「でも、どうして急に?」
「君達はもうすぐ卒業です。その前に、最後の思い出作りをしてみませんか」
突然語り出すケイ。
多分、体育教師の台詞を真似しているんだろう。
「まあ、結果としては良い思い出になったよ」
遠い目で語る木之本君。
ここまで追い込まれてもそんな事が言えるとは、この人も相当だな。
その二人に比べ、ショウは至って普通。
普段との違いと言えばせいぜいセーターを脱いで、半袖でご飯を食べてる事くらい。
いや。半袖姿は比較的よく見かけるか。
「俺?俺はまだまだ走れるぞ」
「楽しい?」
「冬は良いな。どこまでも走っていける気がする」
前世は犬と思ってたけど、意外と馬だったりするんだろうか。
何が意外か知らないけどさ。
そういう訳で、午後の男子は全員討ち死に。
机に伏せて、動こうともしない。
教師も諦めているのか、注意すらしない。
思い出作りも良いけど、この状況が許されるのかな。
とはいえ数学は私も苦手。
食後とあって、自然とまぶたは重くなる。
「寝ないで」
真後ろから首筋にペンを突き立ててくるサトミ。
寝るなと言っても、数字と戯れる趣味はない。
「何度も言うけどさ。この数学の授業が後々私の人生で役に立つの?」
「知識が多様で困る事は無いでしょ」
「役に立つかどうかを聞いてるの」
「だったら、ユウに子供が出来た時の事を考えてみたら?」
子供、か。
「お母さん。この問題、解けないんだけど」
「二次方程式?……こんなの、生きてく上でなんの意味もないわよ」
「テストはどうするの」
「さあ」
……最悪な親だな。
いや。実際にそう答える訳では無いし、そもそも子供がいないけどさ。
「子供が二次方程式を解けないって決まった訳じゃないでしょ」
「あなたが何を想像して言ってるのか知らないけれど、聞かれる可能性は皆無ではないのよ」
「勉強は自分でやって欲しいな」
「親のしつけ次第ではなくて?」
さらっと流すサトミ。
しつけもないも、雪野家はどちらかと言えば放任主義。
無理矢理何かをやらせたり、頭ごなしに怒る事は無い。
基本的に私がやりたい事をさせてくれたし、援助はしてくれても制約を受けた記憶はあまりない。
私も子供には、そういう方針で臨みたいところ。
いないけどさ、まだ。
「そもそも、このサインとかコサインってなんの意味があるの」
「分かりやすいところでは、測量ね。あれは三角関数の応用よ」
そう言われて見れば、あれは確かに三角形の辺を求める計算の応用。
なるほどねとは思う。
「面積も求められるし、音の波形もこの関数で計算が可能。和積公式の合成でね。第一理系においては基本の分野だから、これが無くては何も始まらないわ」
「日頃、あまり接する機会は無いんだけど」
「テレビを見る時、その仕組みをいちいち考えないでしょ。青と赤がどう配分されて、緑色の比率はどうかなんて。分からなくても使う事は出来る。ただ、分かった方が便利な事も多い。そういう事よ」
大きくまとめるサトミ。
三角関数が大切なのは分かったが、この練習問題はわずかにも理解出来ないな。
嫌な疑問を残したまま、全ての授業が終了。
鬼門のHRも終わり、後は自警局へ行くだけだ。
「終わったよ」
「だから」
伏せたまま返事をするケイ。
起きるどころか、意識すら定かでは無さそうだ。
「自警局へ行かないと。教室で泊まり込む訳に行かないでしょ」
「ああ」
返事はするが、起きる気配はまるで無し。
放っておくと明日の朝出会いそうなので、ショウに目配せをする。
「おう。任せろ」
そう言うや、ケイの襟首を掴んで顔を持ち上げるショウ。
何が任せろなのかは、全くもって分からない。
「この、俺は。まだ……」
何か言うが、言葉がそれ以上続かない。
そのくらい、今は体調が優れないようだ。
「木之本君は?」
「あまり良くないね」
いつになく頼りない笑顔。
それでも自分で起き上がるくらいの気概はある。
ショウに起こされるのを嫌ったようにも思えるが。
ぐずるケイを引っ張り、自警局へ到着。
彼は受付に置いていき、私達は奥へと向かう。
とはいえ私は、例のソファーに座るだけ。
自分に与えられた部屋もあるけれど、あそこはちょっと気詰まり。
何よりサトミやモトちゃんの私物で溢れていて、ある意味ここ以上に仕事で使うには向いてない。
まずは貯金箱を確認。
前よりも、少し重くなった気分。
ポケットから硬貨を取り出し、それを数枚中へと入れる。
結婚資金にはまだほど遠いが、数年経てばそれなりのお金になるだろう。
「ユウ、お客さんよ」
仕切り越しに私を見てくるサトミ。
私へ会いに来る人と言えば、ニャンだろうか。
少し気持ちを浮き立たせながら、身だしなみを整えつつ受付へ到着。
カウンターに背をもたれて寝ているケイは無視して、ニャンを探す。
しかし日に焼けた笑顔はどこにも見えず、違う笑顔がちらついた。
出来ればこのまま引き返したいが、会いに来たと言われれば会わない訳にはいかないだろう。
「やあ、こんにちは」
爽やかに手を降って来る五月君。
笑顔は綺麗で、物腰も柔らか。
柔らかすぎる気もするが。
「こんにちは。何か用?」
「君、ガーディアン削減派なんだって」
「一応。無意味に削減する気は無いですけどね」
「僕も削減賛成なんだよ。気が合うね」
何故か差し伸べられる、華奢な手。
握手くらいなら良いかと思いつつ、軽くその手を握る。
「意外と柔らかいね」
何が意外かなと思い、すぐに手を離す。
言葉に出来ない、ちょっと嫌な感覚が背中を走ったので。
露骨な敵意には慣れているが、こういうタイプは不得手。
どちらかと言えば、関わりたくはない。
「ガーディアンの件はまたいずれ話すとして。イベントの警備を頼みたい。クリスマスイベントのね」
「そういう話は沙紀ちゃん……。丹下さんにお願い。私は、局長の護衛や他のガーディアンの応援が仕事だから」
「個人的な警備だよ。僕とか、関係者の」
「気が進まないな」
つい言葉にして答えてしまう。
また相手の意図が読めない以上、ここで同意するのは危険。
元々接点のない人で、私に頼む理由が分からない。
「君達は、元々そういう仕事もしていたと聞いているが。去年までは」
「それは、先輩のためにね。天満運営企画局局長」
「ああ、あの人」
今まで見た事のない、澄んだ笑顔。
いつもこういう顔をしてくれれば良いんだけれど、それは無い物ねだりという物か。
「天満さんの事、知ってるの?」
「外局と運営企画局は関わりが深かったからね。彼女にも、良く助けてもらったよ」
「ふーん」
「君達を紹介してくれるよう頼んだけど、いつも断られてた」
それに関しては、改めて天満さんに感謝したい所。
今度大学に、甘い物でも届けに行こう。
どちらにしろ勝手に了承出来る事ではないため、沙紀ちゃんへ話を通しに言ってもらう。
警備は構わないけれど、彼の警備は回ってこないようお願いもしおいた方が良さそうだ。
「もうすぐ、クリスマスですね」
私の肩に手を添え、にこっと笑うエリちゃん。
そういう事には大げさに反応しないタイプだと思ってたけど、何かあるのかな。
「デートはしないんですか、今年は」
「特に予定は無いけど」
去年はショウから誘われたけど、今年は何も聞いてない。
また彼は士官学校へ進むので、みんなで集まれるのは今年が最後。
だとすれば、むしろそちらの方を優先したい。
「エリちゃんこそ、誰かいないの」
何となく変わる、周囲の空気。
露骨に足を止め、こちらの話に聞き入ってる男の子もいる。
しかしエリちゃんは首を振り、爽やかに笑ってみせた。
「私なんて、全然。相手にしてくれる人もいませんよ」
「そうかな」
「それに一応、理想は高いので」
この台詞で、半分以上は撃沈したな。
まだ耐えてる子も、いるにはいるが。
「どっちにしろ、ケイが許さないか」
「干渉しないと思いますよ。私も干渉してませんし」
「もっと過保護だと思ってた」
「というより、私に近付いてくる子は何かの意図があるのでは勘ぐってるのかも知れません」
そう言ってあははと笑うエリちゃん。
ケイに睨まれる、か。
彼女とお近づきになるには、そういうリスクも含まれる。
回りの男の子達も、自然と逃げ帰っていく訳だ。
などといつまでも遊んでいても仕方なく、ガーディアン削減の案を練る。
書類の削減に関しても同様に。
「エリちゃんは、この辺をどう思う?」
「ガーディアンの削減は賛成ですよ。経費も掛かりますし、力尽くで押さえ込んでいる印象がありますからね。トラブルを起こさない体制を作る事こそ、大切だと思います」
「書類は?」
「論外な物も多いんですが、慣習化しますから。特に職員で年配の方は、書類に愛着を持ってる人も多いですし。聡美姉さん風に言えば、リスクの比率を下げる事にもなってます。つまり書類で保管し、データとしても保管。仮にどちらか一方が無くなっても、もう片方は残ってます」
私の前で両手を広げるエリちゃん。
その片手が握られ、ただもう一方は開いたまま。
つまりはそういう事か。
「難しいな」
「今ある制度を変えるのは、誰しも抵抗があると思います。それに慣れて、当たり前になってる訳ですから」
「でも、今のままでは良くないんだよね」
「協力者を募ってみては?自警局以外で」
自警局以外で、この考えに賛成してくれる人か。
さっき会った五月君は、いきなりその話題を振ってきた。
ただ彼の意図は理解出来ないので、保留。
新妻さんは、ガーディアン削減には賛成。
書類の件も理解してくれるだろう。
久居さんや黒沢さんも、問題ないような事は言っていた。
「生徒会幹部は、協力してくれそうな気がする」
「私は文章を作っておきますので、優さんは、一度みんなに会ってきたらどうですか」
「いや。この後モトちゃんの警備がある。私の代わりに誰かいないかな。サトミ以外に」
「私がどうかしたの」
再び現れ、私を見下ろすサトミ。
本当、こういうところは逃さないな。
「ガーディアン削減の件で、新妻さん達と相談してきて欲しいと思っただけ。でもサトミは揉めそうだから止めた」
「議論をしてると言って欲しいわね」
「同じ事でしょ。誰か丸くて角の立たない人は?」
「木之本君は忙しいし、モトも同じね。いたかしら、そんな人」
真顔で小首を傾げるサトミ。
そう考えると、随分ひどい組織だな。
3年生は論外。
モトちゃんと木之本君はいるが、自分の仕事で忙しい。
だとすれば1、2年生から選抜するしかないか。
エリちゃんも忙しいし、小谷君も同じ。
後は神代さん達だけど、あの子達も一長一短。
「人を選ぶだけで、結構難しいね」
「人材は豊富だけど、ここはタイプが偏ってるのよ」
「愛想ばかりいいガーディアンも、ちょっと変じゃない」
「変かどうかはともかく、交渉が得意で人当たりが良い人は限られてるから」
受付で、未だに寝たままのケイ。
交渉は得意かも知れないが、人当たりは悪い方。
そう考えていくと、本当に難しい。
「広報か渉外。そっちにはいないの?」
「いるけど、ユウの意思を正確に伝えられるかどうかはまた別ね。関係無い方へ話を持って行かれても困るでしょ」
「珍しく真面目に話してるわね。ユウ、行くわよ」
にこりと笑い私の肩に手を置くモトちゃん。
珍しくと言うのは、どうかと思うが。
取りあえず書類はエリちゃんとサトミに任せ、私はショウと一緒にモトちゃんの護衛。
今日は職員と意見交換があるらしい。
「モトちゃんって、いつ暇になるの」
「この間までは暇だった。受付をやったりして」
私の頭を撫でながら答えるモトちゃん。
そう言えば、そんな事もあったな。
というかその時に、交渉へ言ってもらえば良かったのか。
つくづく無駄な事をやらせてしまったというか、自分の馬鹿馬鹿しさに呆れてくる。
「誰かいないかな。交渉が得意で、人当たりの良い人。それで、暇な人」
「いたら忙しいでしょ、間違いなく」
「そうだよね」
「ガーディアンの削減は大きなテーマだから、ユウが会いに行かなくても向こうから来てもらう方法もあるわよ」
それはそれで気が詰まりそう。
また会議という手もあるが、本格的に話し合うのはもう少しに詰まった後にしたい。
今のままでは意見が飛び交うだけで、話が進まない気がする。
「ユウも、そういう事を考えるようになったのね」
「成長したの」
「自分で言われても困るんだけど。その通りかも知れない」
意外とあっさり認めるモトちゃん。
私は冗談のつもりで言っただけに、むしろこちらが戸惑ってしまう。
「成長してるのかな」
「してなかったら困るだろ」
真顔で答えるショウ。
では、この人はどうだろうか。
身体的に、出会った頃に比べると見違える程大きくなった。
精神的にも落ち着きが出てきて、少しの事では動じない。
分かりやすく成長した一人かも知れないな、もしかすると。
「自分で実感がある?」
「体型以外はあまりないけど、成長してないと困る」
「やけにこだわるね」
「そういう年頃なのよ」
ざっくりとまとめるモトちゃん。
とはいえ彼は思春期真っ直中。
第二次反抗期の兆候もあるし、成長したい年頃なのは間違いない。
私は年中反抗期のような気もするが。
幸い途中は何も無く、事務局のブースへと到着。
以前は教職員で独立した建物を使っていたが、今は一般教棟の上層階がそこに当たる。
学校自体が縮小したので人数が単純に減ったのと、使ってない部屋を生徒側へ開放したらしい。
逆を言えば、今までどれだけ贅沢な使い方をしてたのかとは思う。
綺麗な女性に案内され、小さな会議室へと通される。
モトちゃんは席へ座り、私とショウは後ろに立つ。
外へ出る事も考えたが、万が一の可能性もあるので。
「どうぞ、お座り下さい」
「いえ。お構いなく」
腕を後ろで組み、女性に微笑みかけるショウ。
そんな事をしたら、相手も顔を赤くするというものだ。
「お茶、お茶をお持ちします」
どう考えてもショウのために持って来そうな勢いで飛び出ていく女性。
なんだか、一気に疲れてきたな。
どちらにしろ席には座らないので、運んできたお茶にも手を付ける事は無い。
私達の役目は警備であって、会議への出席ではないから。
「お待たせしました」
入って来た数名の職員は、全員かなりの若手。
村井先生と同世代くらいだろうか。
「では時間もありませんので、早速本題に入らせて頂きます。まずは直近の警備計画について、学校からの要望を数点」
早速話し合いを始める職員とモトちゃん。
私はそれに耳を傾けつつ、外部のカメラ映像を端末で確認。
誰かが待ち伏せていないか警戒する。
考え過ぎと言われそうだけど、襲われた後で後悔するよりはまし。
また元々恨みを買いやすい組織。
警戒しすぎてし過ぎる事は無い。
意見交換もやがて終了。
職員の一人が書類をまとめながら、私に笑いかけてきた。
「何か質問とか、ご意見はありますか」
質問、ご意見。
モトちゃんが余計な事は言わなくて良いという目をするので、私も分かっているとばかりに頷く。
「特に、これといって。ただ紙媒体でのやりとりが多いので、その辺を少し減らしてくれると助かります」
このくらいなら良いだろうし、何が言いたいといってまずはこれ。
経費削減の見地から見ても、減った方がいいはずだ。
「うーん。我々もそれに関しては努力してるんですけどね。年配の方は、重要な書類に関しては絶対紙だという意見が多いんです」
「重いし燃えるし、場合によってはなくなりますよね」
「やはり形式。実物があると安心するんでしょう。データですと、頼りない気がするのかも知れません」
そう言って笑いながら部屋を出て行く職員。
モトちゃんは私を振り返り、安堵のため息を付いた。
「よく我慢したわね」
誰も我慢はしていない。
親友からしてこの台詞。
周りが誤解をする訳だ。
もう一度端末で外の様子を確認。
誰もいないのを確かめた所で、ショウを先に出す。
彼に勝てる人はこの学校におらず、この時点で廊下の安全は保証される。
「大丈夫だ。誰もいない」
「随分警戒してるのね」
「そういう仕事だから」
モトちゃんを送り出し、最後に私が外へ出る。
軽く周りを見渡すが、特に問題は無し。
さすがに警戒をし過ぎたか。
なんて油断が魔を引き寄せるのか。
事務局のブースを出たところで行く手をふさがれた。
武装はしてないが、あまり親しみやすい雰囲気でもない。
余計な事でも言いに来たと考えるのが打倒だろう。
「蹴散らすか」
軽く肩を回すショウ。
モトちゃんはすぐに首を振り、慎重に前へ出るよう手で合図をした。
攻撃を仕掛けてくる雰囲気はなく、薄い笑顔を浮かべたまま。
ある程度距離が詰まったところで、先頭に立っていた男が手を挙げる。
「職員と会合か。自警局長ともなると、色々忙しいようだな」
この台詞で、モトちゃんをターゲットにしてるのが確定。
周囲にも意識を向けつつ、相手の出方を待つ。
「君のような立場の人間がいつまでも組織の上に立つのは問題じゃないのかな」
「……何の話?」
「私は停学したでしょ。そういう話」
小声で会話を交わす私達。
しかしモトちゃんが停学を受けたのは、今年の春。
そしてもう少し経てば、次の春が来るどころか卒業する。
これほど、言っても意味のない事も無いだろう。
ただ男達は今こそ良い機会だと思っているから、私達の前にいるんだろう。
これ以上口を開かせる気も無いが。
「大体、停学して生徒会に」
スティックを背中から抜き、上段から振り下ろす。
その風圧が男の顔へと掛かり、前髪を激しく揺らす。
「それ以上言うなら、覚悟を決めて」
「げ、言論に暴力が」
「覚悟を決めてと言った。理屈は聞いてない」
スティックを腰にため、息を整える。
その先端は男の喉へ向けられ、いつでもそれを貫ける体勢。
男もそれが分かったのか、途端に顔を青くして後ずさり始めた。
「ユウ、落ち着いて」
「無理」
「無理って言わないで。もういい。ショウ君、排除して。あくまでも、穏便にね」
「任せろ」
後ずさった男の顔を掴み、そのまま右側の壁へと引きずるショウ。
彼は掴んだ顔を、その壁へと押しつけた。
「まず一人」
低い声で宣言するショウ。
となると、次は二人目が必要となる。
掴んで壁に押しつけられるだけ。
怪我をするような行為ではない。
その威圧感と恐怖は、どうか知らないが。
効果は絶大。
一瞬にして目の前から人がいなくなり、モトちゃんのため息がはっきりと耳に届いてくる。
「ありがとうって言いたいけど、ああいうのは受け流して」
「流せないの。我慢する必要はないでしょ、あれは」
「同感だ」
「あのね。私だって、文句を言われて楽しいはずはない。それでも停学になったのは事実で、批判を浴びる対象なのも確かなの。退学よりはましだけど」
さらっと何か言ったな、今。
いや。良いんだけどさ。
「だってさ、もう卒業だよ。どうして今更」
「むしろ逆ね。もうすぐ卒業だから、今の内に文句を言っておきたいんでしょ。卒業した後では、あまりにも虚しすぎる」
「まだ増えるって事?」
「ケースバイケースでしょ。当然二人も言われるわよ、退学してるんだから」
妙に、そこへこだわるな。
いっそ、この子を私のターゲットにしたくなってきた。
その後は何事も無く、自警局へ到着。
ケイはまだ受付にへたりこんでいて、動こうという気配がない。
「いつまで寝てるの」
「あの体育教師に言え」
「言っても意味ないでしょ」
「意味ってなんだ」
返ってくる、末期的な答え。
人の事は言えないが、論理的な思考が出来てないようだ。
「それより、モトちゃんに文句を付けてくる馬鹿がいる」
「上に行けば、やっかみも増える。そればかりは無くならない」
「無くしたいの、私は」
「相手を人間だと思うから腹が立つ。ロバとか山羊とか、そういうのが鳴いてると思えばいい」
また極端な事を言い出すな。
大体そこまで割り切れるのなら、初めから怒ってないだろう。
小さく怒りを発散していると、エリちゃんが書類を持って近付いて来た。
「文章をまとめてみました……。どうかしたんですか」
「変なのがモトちゃんに文句を言ってきたから、怒ってる」
「怒らなくて良いのよ」
苦笑気味にたしなめてくるモトちゃん。
この子は人が良いし、まさしく上に立つ人間なので感情的に振る舞えない立場でもある。
ただそれはモトちゃんの話であって、私の話ではない。
「やっかみですか」
「多分ね。ああいう輩こそ、取り締まれないの」
「実害がある訳では無いですし、音声を録音するとかそういう方法しかないですね」
あまり実効性のない提案。
それとも私が過剰に反応しすぎてるんだろうか。
「つくづく猪だな」
「うるさいな、山羊の癖に」
「……なんですか、それ」
私も良くは分かってない。
ソファーへ戻り、資料をチェック。
私が書くよりは数段まとまった文章で、丁寧に資料も付いている。
サトミと違うのは、事細かにレクチャーを始めない事。
あの子がいたら、まず私の動機から聞き始めるだろう。
「今が750人か。元々、何人だったっけ」
「資料を見ろよ」
「なるほどね」
ショウの指摘を受け、資料をめくる。
以前はF、G、H、I、Jの5棟。
それがAからEまで分割され、さらにその中で5つに分割。
計125のオフィスが存在した。
生徒会ガーディアンズが大体7人程度。
連合も同様で、ただ連合は半分程度のブロックで空きがあった。
データでもそうなっていて、総計1500人程度。
以前は生徒数が3万近かったので、20人に一人がガーディアンの計算。
これはさすがに多すぎる。
とはいえ3万人いる場所の警備だから、絶対的に少ないとも言い切れない。
「いや。今は規模が縮小してるのか。生徒が半分で1万ちょっと。教棟が3つだと、ブロックが75。各10人ずつとして、750人。……大体半減だね、ガーディアンも」
「数字だけ聞くと、多いのか少ないのか分かりにくいな」
「20人に一人だから、やっぱり多いんじゃないの。軍は1億人の人口に対して、10万人じゃない。だとしたら、千人に一人だよ。警官は、えーと」
「資料を見ろよ」
「なるほどね」
なんか、この会話ばかりだな。
調べてみると、この地域では大体500人に一人の割合。
そう考えると、20人に一人はさすがに多く感じられる。
警官や軍人とは装備も権限も違うので、同列には語れないが。
「難しいな」
「諦めるなよ」
誰も、そんな事は言ってない。
ただ、難題なのは改めて理解出来た。
数を減らすなら質を上げるか、装備を充実させるか。
権限を拡大するか。
最後はパスで、質か装備が無難。
ただ装備も資金の問題があるので、限界がある。
だとしれば、やはり質か。
「質の向上だね、結局は」
「何が結局なのかは知らないけど、そんな簡単に向上するか」
「さあ。私もその辺はちょっと」
ガーディアンの育成は、七尾君の管轄。
今は御剣君もそれに関わっている。
もっと以前のこの問題を強く意識していれば、ガーディアンの訓練にも携わっていた。
でもそれは今更の話。
全ては自分の行動が招いた結果でしかない。
無為に過ごそうと有意義に過ごそうと。
それは自分自身で選んだ道だ。




