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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第48話
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48-1






     48-1




 リビングでテレビを見ていると、草薙高校の正門が現れた。

「あ、モイモイ」

「何、それ」

「あの子の愛称」

 正門をバッグに、草薙高校の説明をするモイモイ。

 テレビで観てもやはり可愛く、意外と落ち着いていて台詞もスムーズ。

 そういう人独特のオーラが、テレビ越しにも感じられる。

 お母さんはモイモイを見て私を見て、もう一度モイモイを見た。

「優と年齢は同じくらいなのに、向こうはしっかりしているわね」

「私もしっかりしてるわよ」

 返事もしないお母さん。

 それでは、娘も駄目になる訳だ。



 場面が切り替わり、今度は食堂。

 ケイの言う演出で、選ばれた生徒と一緒に食事を取るモイモイ。

 その回りには野次馬も写っていて、私も姿も時折見える。

「優はどこかにいるの」

「結構写ってる」

 写っているのは、頭の先。

 誰かの肩越しに、時折私の髪がちらっと見える。

 とはいえ人様に誇るような容姿でもないので、むしろその方が安心。

 絶望的な容姿とも思ってないけどね。


 草薙高校の紹介は終了。

 スタジオでのトークへと代わり、その特徴が改めて解説される。

 設備、制度、規模。

 どれもが全国的にトップクラスで、非常に優秀な学校との事。

 私には、そういう自覚は薄いけれど。

「……特徴的なのは、生徒の自治ですね。つまり学校運営を、生徒主導で行っている訳です」

「出来るんですか、そんな事?」

 懐疑的な意見を述べる、年配の俳優。

 思わずテレビを揺すりそうになるが、それはどうにか思いとどまる。

 これこそ演出だとしても、言われて面白い事でも無い。

「私もいまいち、この自治って理解出来ないのよね」

 あられをかじりながら呟くお母さん。

 どうやら、その程度の意識でしかないようだ。


 反論するような事でも無いが、私にとっては自治が前提。

 まずは自治があり、その上での学校生活。

 そのために一度は退学になったけれど、後悔はしていない。

「大体優は、何やってるの」

「ガーディアン。治安の維持と回復」

「それって、生徒がやる事?」

 これも、過去何度となく繰り返された質問。

 とはいえ自治を保つためには、外部の介入を出来るだけ避ける必要がある。

 また自分の事は自分で解決するべき。

 そうなれば、自分達で警備をするのは必然の流れ。

 生徒の次次である以上、生徒がやる以外に無い。

「お母さんの頃はいなかったの。ガーディアンは」

「警備員が数人いたくらいでしょ、正門辺りに。それに学校の事は、先生がやってたから」

「先生は勉強を教えるのが仕事じゃないの」

「草薙高校はそうみたいね。でも前あなたが通ってた、名古屋港高校。あそこは、先生が色々やってたでしょ」

 そう。

 転校して一番驚いたのは、むしろその事かも知れない。



 クラブの顧問は、まだ分からなくもない。

 学生時代に選手だったり、趣味でやってる人もいるだろうから。

 進路指導も、教師としての範囲内。

 生徒指導の辺りから、少し怪しくなってくる。

 体育教師は大抵が、竹刀持参。

 見回りと称し、それを担いで学内を徘徊している。

 あれを見ると、どちらが治安を乱してるのかとも思っていた。


 それ以外にも生徒と一緒に掃除をしたり、積立金の集金をしたり。

 雑務全般を行っていたと思う。

 勿論専門的な事は業者に依頼していたが、基本は教師の仕事。

 どうしても出来ない事だけを、外部に委託する感じ。

 草薙高校のように、勉強だけ教えていれば良いとは行かなかった。


「そう考えると、他の学校の先生は偉いね」

「草薙高校の先生がたるんでるのかもしれないわよ」

 視点を変えて語るお母さん。

 確かに、そういう見方もあるか。

「でも先生は、勉強を教えるのが仕事でしょ」

「生徒は勉強するのが仕事でしょ。それであなたは、何してるの」

 改めての質問。

 これは結構返事に困る。

「一度、根本から考えて見たら」

「私は経営者でもないし教育庁でもないから、なんの権限も無いんだけど」

「むしろ管理案って優が呼んでた体制の方が良かったかも知れないわね。あれをもう少し緩くしたスタイルが」

「ふーん」

 これが多分、親目線という奴。

 あの頃はお母さんも管理案に反対をしていたが、それは極度な厳格さに対して。

 制度自体への強硬な反対ではなかったと思う。


 ただ私も、管理案の概念自体は多少なりとも理解はしている。

 導入した方が良いだろう箇所があるのも。

 問題はその運営。

 駄目な人間が運営すれば、制度がどれだけ良くても意味は無い。

 それは生徒の自治についても言える事だけど。




 テレビも飽きたので、散歩がてら家を出る。

 さすがに冬。

 すぐに体が冷えてきて、足元からかじかんでいく。

 晴れているが風は冷たく、空気が澄み切っている分余計に厳しさを感じさせる。

 そんな中、のそのそと塀の上を歩く茶トラの猫。

 よく見ると。

 いや。よく見なくても、裸足で歩いている。

「寒くないの」

 当然返事は無し。 

 手袋を貸してくれと言われても困るけどね。

 私もこのくらいの強さがあれば良いんだろうかと、ふと思う。

「頑張ってね」

 こっちも見ずに塀の向こう側に降りる猫。

 つくづく、話し相手に向かないな。




 という訳で、近所の商店街にあるペットショップへとやってくる。

 ケージの中では可愛らしい子猫や子犬がどたばたと暴れていて、かと思うと隅の方でぐったり寝ている猫もいる。

 本当、こういうのは見ていて飽きないな。

「うわっ」

 ケージ一杯に入り込んでいるラブラドール。

 どう見ても入りきらないサイズで、しかも成犬。

 まさかと思うが、売り物ではないだろうな。

「ああ。それは、さっき間違えて入り込んじゃって。ほら、出て来い」

 ケージの前でジャーキーを振る、若い男性の店員さん。

 ラブラドールはケージに向かって鼻を押しつけるが、出口に顔を向けようとはしない。

 犬に人間並みの知性は求めないが、もう少し賢くても良いと思う。

「これて、売れ残ったらどうするんですか」

「安くして売るか、ブリーダーに返すかな。繁殖用に回される事が多いね」

「へー」

「最近だと郊外に出来た施設へ送ってるらしいよ。広い土地で、のんびり暮らしてるとか。羨ましい限りだね」

 そう言って笑う店員さん。

 人間、色んな願望があるようだ。



 ただ、ここにいるのは全部血統書付きの犬や猫。

 値札に書かれている価格は総じて高め。

 私が手を出せるような金額ではない。

「どれか、欲しい子でもいる?」

「いえ。私は、自分の面倒も見られないので」

 どっと笑う店員さん。

 周りにいたお客さんも一緒になって笑っている。

 そんなに変な事を言ったつもりもないんだけどな。




 羽未とコーシュカのおやつを買って店を出る。

 これは今度、彼女達に渡すとしよう。 

 ショウに渡すと、間違えて自分のおやつ代わりにしそうだから。

 次は、自分のお腹を満たすとするか。

 あまり重くなくて、すぐに食べられそうな物。

 どうもショウといると、お肉とかお腹にたまる食べ物がメインとなるので。


 ウインドウショッピングをしながら、飲食店もチェック。

 近所の商店街なので、大抵の店は入った事がある所ばかり。

 その経験と記憶から、選択肢を少しずつ減らす。

 「超絶檄々カレー。この味、神秘体験ゾーン」

 ……絶対食べたくないな、これは。

 というか、何味なのよ。

 こっちはなんだ。

 「スーパーレアな、あのお肉が遂に登場。なんのお肉かは、食べてからのお楽しみ」

 ……あり得ないって。

 そこは、真っ先に教えて欲しい部分だと思う。



 結局繁華街まで出て、ファーストフードのハンバーガー屋さんに落ち着く。

 フィッシュバーガーと、チーズフライバーガー。

 それにミルク。

 ポテトは残しそうなので、パスをした。

 2階の窓際に座り、外を見ながらハンバーガーにかじりつく。

 今日は休日。

 この後は特に予定も無く、のんびり過ごせば良いだけ。

 たまにはこういう時間を作るのも良いと思う。

 普段も予定を詰め込みすぎている訳でないが、余裕とは程遠い生活をしているのも確か。

 体よりも、精神的なゆとりが欲しい。




 食事を終えて、再び商店街を散策。

 お昼になって少し暖かくなってきたせいか、人の姿も見えてきた。

 またお店もシャッターを閉じている所はあまりなく、商店街にありがちな寂れた雰囲気もない。

 こうしてあてもなく歩いているだけでも楽しめるし、人の笑顔が溢れている。

 平凡だけど、かけがえのない幸せ。

 私の望む物とでも言おうか。


 とはいえ、冬は冬。

 外にいるのも限界で、すぐに本屋さんへの中へと逃げ込んでいく。

 私が悟れる時間は、数分もないようだ。

「料理の本は、と」

 ネットワーク上からでも検索出来るが、作りながら確かめたい場合は本の方が便利。

 また色々書き込めたりもするので、紙は紙で便利だと思う。

 備品使用状況書は別として。

「お弁当特集か」

 学校では食堂での食事、家ではお母さんの作った食事。

 自分で作る事は無く、例外として先日の野菜騒動があったくらい。

 お母さんの手伝いはたまにしてるが、大学では家政科の講義も受講するし少しは腕を磨いた方が良いだろう。


 まずは料理の本を手に取り、次に絵本のコーナーへと向かう。

 はらぺこぺこりの新刊は無く、ただ持っていない作品もちらほらとある。

 とはいえ、それだけでもかなりの量。

 最近買っていないので、その分がたまっていたようだ。

 これは今後の課題として、心の中でチェック。

 次を物色する。


 今度は地図のコーナー。

 九州の地図を一冊選び、久留米市への行き方を調べてみる。

 福岡まで、リニアか飛行機。

 その先は電車。

 乗り換えのタイミングもあるだろうが、4時間あまりで着く事が出来る。

 言ってみれば、日帰りも可能。

 途中で会うなら、お互い2時間ずつ掛ければ済む。

「はは、馬鹿みたい」

 思わずそう呟き、そばにいた若い女性にぎょっとされる。

 地図を見ながら口に出す事ではなかったな。



 次に軍事コーナー。

 これは日本軍を筆頭に各国の雑誌や解説本がずらりと並んでいる。

 その中から、陸軍の雑誌を選択。

 適当にページをめくる。

 基本的には訓練や兵器の紹介。

 ただ海外でのPKOやPKFなどの活動。

 国連軍に参加している兵士の活動もかなりのページが割かれている。

 戦争自体は行っていないが、国内で訓練だけしている訳でも無い。

 これを買うのは止めておこう。


 結局お弁当の雑誌だけを買い、お店を出る。

 日が沈むのはまだ先だけど、すでに傾き気味。

 風は冷たさを増し、気持ちよく散策出来る時間は過ぎた。

 買う物も買ったし、そろそろ家に戻るとしよう。




 家に戻り、服を着替えてキッチンへ入る。

 当然、さっき買った料理の本を持って。

「ヘルシーメニュー。油を使わず、あっさりライフ」

 私もあまり脂ぎった食事は好きではなく、必要最小限に留めたい。

 量を食べるなら、なおさらに。

「一度茹でて、脂を落としてから焼きましょう。か」

 書いてある通り、鳥肉をお湯に通して引き上げる。

 確かに脂は落ちたが、その分うまみも落ちた気がする。

 難しいな、これは。


 出来たのは鳥肉のソテーに、ニンジンとブロッコリーのドレッシング和え。

 食べてみると、あっさりしててなかなか美味しい。

 人によっては物足りないとか良いそうだが。

「何やってるの」

「お弁当作ってる」

「ピクニックでも行く気?」

「学校へ持って行こうと思って」

 そう言って、今作った料理をお母さんに味見してもらう。


 そこはプロ。

 さすがに表情が真剣になり、慎重に箸を運んでいく。

「……私は良いけど、物足りない人もいるのかしら」

「どうするの、それなら」

「湯がくお湯に味を付けてみたら。多少濃いめにすれば、食べた気になるでしょ。勿論、塩分の摂りすぎには注意してね」

「難しいな」

 鍋に塩コショウを追加。

 それに鳥肉を通し、軽く炙る。

 さっきよりは美味しくなったが、塩分が増えたのは気に掛かる。

「料理って大変だね」

「凝り出せばきりがないのよ。極端な事を言えば、生で丸かじりしても良いんだし」

 まな板の上にあるニンジンを指さすお母さん。

 逆に手間を掛ける分、バリエーションは増えるという事か。




 夕食の食卓に並ぶ鳥肉のソテーとほうれん草の煮浸し。

 そして出し豆腐と豆ご飯。

「結構、あっさりしてるね」

 控えめな感想を漏らすお父さん。

 鳥肉以外は確かにあっさり目。

 男の人には物足りないかも知れない。

「ダイエットでもしてるの?」

「そうではないんだけど。ヘルシーメニューが料理の本に乗ってたから。体には気を遣わないとね」

「ふーん」

 あまり気のない返事。

 気持ち濃いめに作ったのだけど、それこそ精進料理を食べてるような気分なのかもしれない。

 私的には丁度良く、むしろ食が進むと言いたいくらいだ。



 デザートは洋梨。

 甘さ控えめの優しい味。

 このくらいだと胃にもたれず、ゆったりとした気分で食事を終えられる。

「……物足りないの?」

「いや、全然」

 キッチンから視線を外すお父さん。

 私は何となく、そのお腹に視線を向けてみる。

 特に丸くは感じられないが、精悍に引き締まったイメージもない。

「お父さんって、普段運動してる?」

「運動?」

 すぐに尋ね返された。

 そう言えば、そういう姿を見た記憶がないな。

「毎日走れとは言わないけど、少しは動いた方が良いよ」

「年を取ると腰が重くなってね。それに運動は得意でもないし」

「お母さんは」

「私もパス。鈍くはないけど、動き回るタイプでも無い」 

 両親から返ってくる、似たような台詞。

 ますます、私の突然変異決定だ。



 古いアルバムを持って来て、その前の方をめくっていく。

 私が写っておらず、お母さんばかりが写っている部分を。

「先祖や親戚に、私みたいな人はいなかった?」

「白木家の家系では聞いた事無いわね。ごく平凡な人間しかいないと思うわよ」

「雪野家も同じだよ。普通に、人並みに生きてきた」

 私も人並みに生きてるんだけどな。

 そこは取りあえず、突っ込むのは止めてこう。


 またどこを見ても、怪我をしている写真は出て来ない。

 私の場合は意外と高い確率で、包帯を巻いた写真が現れるのに。

「少し生活態度を改めよう」

「急に料理をし出したりして、どうしたの」

「もうすぐ卒業でしょ。だから、思う事が色々あるの」

「深いんだか、浅いんだか」

 そう言って、小さく欠伸をするお母さん。

 結構真面目なシーンだったんだけどな、今。




 自室へ戻り、部屋を整理。

 普段から出来るだけ片付けてはいるが、不要な物もそこそこある。

 ため込む傾向があると言うべきか。

 いらない物はドアの前へと運び、本棚や引き出しの中を整頓。

 ついでに、月曜日に必要な教科書やノートをリュックに詰める。

「後は服か」

 クローゼットを開け、しまってある服をチェック。

 怖いのは、下に掘っていくと小学校の頃着ていた服が現れる事。

 さすがに今は着ていないが、サイズ的に絶対無理という訳でも無い。

 とはいえ捨てるにも忍びず、いくつかはどうしてもタンスの奥で眠ってしまう。

 この調子だと、私の子供に着させそうだ。

 それこそ、いつの話かと言われそうだけど。


 一通り片付け終え、ベッドの上に横たわる。

 まだ眠るには早い時間。

 取りあえずラジオを付け、流れていく流音楽を聴きながらぼんやりとする。

 何もせず、目を閉じて横たわるだけの自分。

 何も無いからこその有意義さ。

そんな時の過ごし方も、たまにはあって良いだろう。




 目が覚めた。

 しかし室内はまっくらで、カーテンの向こうから微かに街灯か月明かりが漏れるだけ。

 どう考えても、まだ真夜中。

 時計を確認しても、そういう事になっている。

「あーあ」

 ベッドから降り、部屋を出てトイレへ向かう。

 真夜中は気が進まないんだけど、濡れた布団を朝干す訳にも行かないので。


 用を済ませ、忍び足で廊下を歩く。

 昼と違ってどこもかしこも薄暗く、物音もしない。

 しても困るけどさ。

 暗いと視力は端的に低下。

 そこに何かがあるか無いかが分かるか程度。

 明かりが無ければ無いほど物は見えず、後は勘と経験を頼りに歩くだけ。


 それでも以前のような不安定さはなく、全く見えなくなる事もこの数ヶ月はない。

 最悪の時期は、さすがに過ぎたんだろう。

 また、見えなくなったらそれ相応の生活をすれば良いだけ。

 決して歓迎すべき自体ではないにしろ、それを受け入れられる気持ちの余裕は多少ある。

 少なくとも、今は。



 何かにぶつかる事も無く、自室のベッドへ到着。

 すぐに布団へ潜り込み、体を丸めて冷えた手足を温める。

「……ちょっと聴こうかな」

 ラジオから流れる古いヒット曲。

 真夜中に一人きりで聞いているせいか、切なさはより一層募っていく。

 ふと思い出す、視力が失われていた頃の自分。

 今考えても気分が悪くなるような、本当に最悪の時期。

 視力の低下を受け入れる余裕はあるが、あの頃はそんな余裕も無かったし回復の兆しも見えなかった。

 絶望という言葉がそのまま当てはまる状況。

 こうして闇の中で音楽を聴いていると、当時の心境も蘇ってくる。

 暗く、空虚で、全てを遠くに感じていた頃の自分が。


 それからどうにか立ち直りはして、心のゆとりも出来てきた。

 あの頃の自分があったから逆に、それを見つけられたとも言える。

 最悪の時期ではあったけれど、好意的に解釈するのならそういう側面もあった。

 それが良かったとまでは、さすがに言えないが。




 再び目が覚めた。 

 今度はカーテンから白い日差しが差し込み、ラジオからは今日の予定や天気予報が早口で繰り返される。

 また消すのを忘れたな。

「あーあ」

 ベッドから降り、カーテンを開けて軽く伸びをする。

 まだ時間は早く、ジョギングする余裕もありそうだ。


 ジャージに着替え、軽く息を整えてから外へ出る。

 全身を包み込む冬の冷気。

 昼はまだしも、朝晩は真冬と同じ寒さ。

 じっとしていると下の方から冷えて来る。

 まずは軽くストレッチ。

 十分に体を解してからゆっくり走り出す。



 後ろへ流れる自分の息と回りの景色。

 スクーターの微かなエンジン音。

 新聞を配る少年。

 子犬を散歩させている老夫婦。

 足早に駅の方角へと急ぐサラリーマンもいる。

 町並みは変わって、そこに住む人も移りゆく。

 だけどその営みは変わらない。




 コンビニで買ってきた牛乳をリビングのテーブルへ置き、グラスへ注いで口を付ける。

 常温保存のため、少し甘く感じられる。

 同時に、体へ優しさが染みこんでいく気分。

「パン、パンと」

 キッチンを漁り、食パンをゲット。

 それをトースターへ放り込み、その間にバターとジャムを用意。

 後は卵くらいは焼いておくか。


 薄焼き卵が出来たところで、トースターからパンが飛び出てくる。

 その上にバターを薄く塗り、卵を乗せてマヨネーズを少し垂らす。

「次はと」

 熱い内にもう一枚へもバターを塗り、そちらにはイチゴジャム。

 グラスへ牛乳を少しつぎ足し、朝食が完成する。

「頂きます」

 まずは卵。

 ふんわりとして、あっさりとした優しい味。 

 ジャムの方もバターを塗った分、イチゴの甘さが和らいだ感じ。

 それを牛乳で流し込み、至福の時を満喫する。

 随分安い時だなとは、自分でも思うが。



 食器とグラスを洗い、朝食も終了。

 ようやくお母さんが起きてくる。

「出かけるの?」

「早起きしただけ。おじいちゃんの家でも行こうかな」

「どっちの」

「どっちも」

 母方も父方も、スクーターでなら簡単に行ける距離。

 たまには会いたいし、もしかしたら向こうも待っていてくれるかも知れない。

「だったら、これ持って行って」

 テーブルの上に置かれる小さな瓶。

 どれも中身の色は違い、持ってみると若干重い。

「ジャム?」

「前から持って行こうと思ってたんだけど、いつも忘れてたの」

「分かった。リュック持ってくる」

「後は、なんだったかしら」

 私を宅配業者と間違えて無いだろうな。


 リュックは座席の後ろへくくりつけ、慎重に発進。

 バランスを崩す程では無いが、落としました済みませんでは仕方ない。

 そう思うと、宅配業者や郵便屋さんはつくづく偉い。

 私からすれば、道を迷わないだけで尊敬の対象だ。




 まずは白木家へ到着。

 リュックを降ろし、それを必死に持ち上げながら玄関のインターフォンを押す。

「……何よ」

 お玉片手に現れるお祖母ちゃん。

 それはこっちの台詞だと思う。

「お土産持って来た」

「旅行でも行ったの?」

「お母さんからの。ジャムとピクルスと干物」

「あの子も、変な所でマメなのよね」

 そう言って、あっさり引き返していくお祖母ちゃん。

 重そうだから手伝おう、なんて言葉は出てこない。

 とはいえ体型は私よりも小柄なくらい。

 白木家は、生きていく上では不向きな家系かも知れないな。


 結局おじいちゃんに手伝ってもらい、リュックを居間まで運ぶ。

「これがジャム。こっちがピクルス、こっちが干物」

「ピクルスなんぞ、わしは食わんぞ」

 長い瓶に入ったキュウリを指さして、眉間に皺を寄せるお祖父ちゃん。

 保守的な性格だと思っていたけど、それは食べ物にも適用されるらしい。

「美味しいよ。サンドイッチとかに入れると」

「西洋漬け物だろ、結局は」

「それがどうかしたの」

「いや。意味は無い」

 なんだ、それ。

 言いたい事は、分からなくもないけどね。



 瓶や干物がしまわれた思ったら、別な瓶が現れた。

「梅のハチミツ漬け。こっちが塩辛。こっちは」

「いや。いいって。帰りが重くなる」

「嫌よ嫌よも好きの内って言うでしょ」

 何言ってるんだ、この人は。

「お。このサンドイッチはうまいな。酸味が良いぞ」

 ピクルス入りのサンドイッチを頬張り、一人にやけているお祖父ちゃん。

 何もかもが意味不明だな。




 さすがに付き合いきれなくなったので、白木家を後にして雪野家へとやってくる。

 こちらは至って常識人の集まり。

 というか、白木家がどうかしてるのかも知れないな。

「悪いわね、わざわざ」

 にこにこ笑いながら瓶をしまっていくお祖母ちゃん。

 代わりに得体の知れない瓶が押しつけられる事もなく、こちらとしても一安心。

 向こうのお祖母ちゃんも、好意でやってくれてるんだけどね。

「どうだ。卒業出来そうか」

 出だしからして重い台詞。

 これもまた、家風。性格の違いという訳か。

「問題ないよ。今から全部休んでも卒業出来る。大学の内定も出てるし」

「退学になったんだろう」

 それは出来れば言わないで欲しい。

 だったら、退学になるなって話だけどさ。


 お祖母ちゃんが出してくれたホットココアを一口飲み、気持ちを落ち着ける。

「退学は退学。卒業は卒業。それに今は、大人しくしてる」

「誰が」

「私がよ」

「うーん」 

 唸りだしたよ、この人は。

 私は年中暴れてないと、イメージにそぐわないのかな。

「お祖父さん、変な事言わないの。優ちゃんは昔から、悪い事はしてないわよ」

「そうか?」

「人様に迷惑は掛けてないし、退学だって学校や生徒のために戦った結果でしょ」

 非常に理解のある事を言ってくれるお祖母ちゃん。

 そこまでの物かと自分でも少し疑問に思うが、そう言ってくれるのは素直に嬉しい。

「大学では、何を勉強するの?」

「コーチ学と家政科。インストラクターになりたいし、料理も好きだから」

「もう将来の事を考えてるのね」

「それ程大した事でも無いよ」

 あははと笑い、クッキーをかじる。

 理解ある人と、暖かな空気。

 こんな幸せな時がいつまでも続けばいいなと思える瞬間。




 長居したせいか、日没間近。

 日が落ちてからスクーターを走らせるのはあまりにも危険。

 という訳で、若干速度を上げて家へと急ぐ。

 幸せというのは、残念ながら永久には続かないようだ。


 もう少しで家に着く所で、完全に日が落ちた。

 ただここからなら、歩いてもたかが知れた距離。

 スクーターを降り、エンジンだけ掛けてハンドルを押しながら歩いていく。 

 スタビライザーが作動しているためバランスを崩す事もなく、押していても抵抗は殆ど感じない。

 逆を言えば、エンジンを切ってスタビライザーが機能していなかったら一歩進むだけで汗が噴き出てくるだろう。



 息を切らす事もなく自宅に到着。

 まずはリュックを降ろし、少しよろめきながら玄関をくぐる。

「ただいま」

 特に返事はないが、リビングの明かりが廊下に漏れているのが見える。

 というか、漏れてなかったら困るんだけどさ。

「ただいま」

 改めて告げて明かりの中へ入っていくと、お父さんとお母さんがご飯を食べていた所。

 二人しかいないのに、隣り合って食べるってどういう事よ。

「帰って来たの」

 さらっと怖い事を言うお母さん。 

 こういう台詞を聞くと、つくづく白木家の血が濃いんだと分かる。

「外、寒くなかった?」

 対してお父さんはこれ。

 お祖父ちゃんはどちらかと言えば厳しいタイプだから、お祖母ちゃんの影響なんだろう。

 後は、本人の資質。

 お母さんとはかなり違うタイプ。

 だからこそ噛み合ってるとも言えるが。

「で、お土産は」

 思わずため息も漏れるという物だ。



 白木家から持って来た瓶を並べ、雪野家からもらったチケットも置く。

 よそから回ってきたらしい歌謡ショーの招待券で、おそらくお母さんくらいの世代を対象にした舞台。

 私も歌謡ショーを見に行くほど枯れてはいない。

「私は良いから、今度お父さんと行ってきたら」

「では、ありがたく。優、ご飯は」

「ああ、食べる」

 ご飯をつぎ、キッチンにあった皿を運んで席に付く。

 お母さんは、すでに塩辛の瓶を開けている所。

 せめて、娘が来るのを待ってよね。

「美味しい?」

「まずくはないわね。もう少し寝かした方が良いかも知れない」

 そう言って、私とすれ違い冷蔵庫へ入れるお母さん。

 まさかと思うけど、隠すつもりじゃないだろうな。


 さすがにそういう事は無く、代わりに違う塩辛を持って来てくれた。

 こちらは程よく味がこなれていて、ご飯も非常に良く進む。

 お茶漬けにしたくなってくるな、こうなると。

「流行ってるの?塩辛が」

「私とお母さんの間でね」

 テーブルに並ぶ3つの瓶。

 普通は買う物で、作る人はそう多くはないと思う。

 というか、どうやって作るのか自体が分からない。




 ご飯を食べ終え、お風呂に入って、部屋で休む。

 動き回った訳では無いが、明日からは学校。

 英気を養うのも必要だろう。


 ベッドに転がり、テレビを付けてチャンネルを変える。

 特に興味を引くような番組はなく、犬と猫がじゃれ合ってるだけの映像をぼんやりと見る。

 宿題は済ませ、予習復習も終えた。

 トレーニングも終わっていて、後は眠るだけ。

 昨日も思ったけれど、こういう何も無い時間がどれだけ大切なのかが今は少し分かった気がする。


 気付くと顔をベッドに伏せていて、口の辺りが少し冷たい。

 やはり寝てしまっていたようだ。

 顔を上げて口を拭き、時計を見る。 

 寝たと言っても、5分程度。

 頭を休めて、むしろ気分が良くなった気がする。



 階段を降りて、キッチンに入り冷蔵庫を確認。

 お弁当の事を忘れてた。

「お腹空いたの?」

「お弁当作る」

「まだ夜よ」

 かなり真顔で指摘するお母さん。

 私も、そこまでは寝ぼけてはない。

「下ごしらえだけするって事。取りあえず、全部切る」

「明日、作るの忘れないでよ」

「大丈夫」

 だと思う。


 必要な分の野菜を切って、タッパに移し替えてから冷蔵庫へと戻す。

 鶏肉は茹でたのをやはりタッパに入れ、冷蔵庫へと。

 後は使ったまな板や包丁を洗い、椅子に座ってゆっくり休む。

「……妙に落ち着いてるわね」

「元々こうだよ」

「ふーん」

 全く信じてない顔。 

 確かに、自分で言ってても虚しいけどさ。

「あなたって、安定してないから怖いのよね」

「そうかな」

「弾けたと思ったら大人しくなって、今度は暴れ出すし。加減っていうものが無いの?」

「無いのと言われても困るんだけど。人間だし、多少の波はあるでしょ」

 いつも同じ気分ではいられないし、その時々の感情もある。 

 それにお祖母ちゃんも言っていたが、意味なく暴れ回っている訳でも無い。

 と、思う。


 ただ、今が比較的落ち着いているのは事実。

 お母さんは、その反動があると言いたいのだろう。

 私自身はそう思わず、むしろこのまま安定していく気分。

 全くこの調子が続くとは言わないが、大きな波はそうそうないはずだ。

「それに私も、もうすぐ18才だよ。落ち着かない方がどうかしてるでしょ」

「誰が18才なの」

「私が」

「……え」

 目を丸くして、じっと見つめてくるお母さん。

 この人、娘の年齢も把握してないのか。

「もうすぐ来年でしょ。でもって、2月。そこで18」

「だって、まだ高校生……。この前入学したばかりじゃない」

「それ、3年前だって」

「ええ?」

 今度は声を裏返して周りを見渡した。

 見失ってるな、自分自身というものを。



 端末を取り出し、西暦まで確かめ出すお母さん。

 でもって顔を強ばらせ、自分の肩を抱きしめた。

「怖い話ね」

「何が」

「私、3才も年を取ったのよ」

 何を言ってるんだ、今更。

 とはいえ私の3才も大きいが、お母さんにとっての3才もまた違う意味で大きいはず。

 私も同じ年代になったら、1年1年が重いと思う。

「とにかく私も、大人だから」

「それはそれで怖い話ね」

「何が」

「もう結婚出来るって事じゃない」

「ああ、そういう意味」

 結婚が出来る年齢は、男女とも18才から。

 20才までは保護者の承諾が必要だけれど、それが可能な年齢となる。

 当然、相手がいたらの話。

 いなければ、何才だろうと関係はない。



 そう考えると、その事も少し意識しておいた方が良いのかな。

 いや。私一人が意識しても仕方ないけれど、心情的に。

「何、結婚する気」

「まさか。大体一人で結婚は出来ないでしょ。……お母さんって、何才で結婚した」

「20かな。大学にいた時だから、多分22は越えてない。優を産んだのも、学生の頃だったはずだから」

「お父さんは同級生?」

「ええ」 

 なるほどね。

 つまりそれ程変わった話でも無い訳だ。

 今からそういう事を考えてみても。

「玲阿優って、語呂はどうなの」

 思わず、飲んでたお茶をむせ返した。

 さらっと言ってくれるな、この人は。


 でもって背後に気配。

 何かと思ったら、お父さんが陰気な顔でマグカップを持っていた。

「お茶のお代わり?」

「ん、ああ。語呂って何?」

 ちょっと引きつり気味の笑顔。

 聞いてたな、間違いなく。

「優が、けっこ」

「血行をよくしたいなって。血行結構、コケコッコー」

 別に私が思い付いた台詞ではない。

 お母さんが読んでいた雑誌の隅に、そんな広告が載っていただけだ。

「そうなんだ」

 未だに固い笑顔のまま。

 良いんだけど、ちょっと嫌だな。




 これ以上突っ込まれると困るので、部屋に戻って公民の資料集をめくる。

 やはり結婚は18才から。

 年齢としては可能な訳だ。

 ただ冷静に考えれば、少し先走りすぎ。

 18才で結婚しても良いが、30才で結婚しても構わない。

 こればかりは相手のいる事だし、タイミングや状況もある。

 また私に焦る理由は特にない。


 焦る理由は無いが、考える事自体は悪くない。

 次に卓上端末で、結婚式場を検索。

 個人的な希望は、熱田神宮で神前式。

 その後は神宮会館かその近くの式場で、身内だけの披露宴を行いたい。

 あまり大人数ではなく、親戚と親しい友人だけで。

 ただそれは、私の希望。

 相手の希望ではない。



「あー」

 一瞬にして限界点に達し、思わず叫んで顔をベッドに押しつける。 

 妄想が極まったというか、我ながら先走りすぎた。

 恥ずかしい所の騒ぎじゃないな。

「あー」

 顔を伏せたままもう一度叫び、足をばたばたさせる。

 とにかく、じっとしていると恥ずかしくて死にそうだ。

「あーあ」

 最後には馬鹿馬鹿しくなり、卓上端末の電源を落としてため息を付く。

 どちらにしろ、まだまだ先の話。

 そういう事もあるのかな、くらいに思っていこう。

 とはいえ結婚はまだでも、婚約はどうだろう。

「婚約?婚約って何」

 思わず自問して、小首を傾げる。

 言葉からすると、結婚をする約束か。

 それはそれで、かなりめまいがしそうなイベントだな。




 どちらにしろ、私一人では決められない事。

 そもそも、相手ありきの話。

 全くもって、困った物だ。












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