47-3
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朝。
目覚ましよりも早く目を覚まし、顔を洗ってジャージに着替える。
寮外へ出た途端、全身を包み込む冷気。
朝はもう、冬といって良いくらいの寒さ。
ゆっくりを体を解し、暖まってきたところで走り出す。
頬に当たる冷たい風。
薄闇の中を流れていく景色。
牛乳配達のスクーター。
犬を散歩させる老夫婦。
足早に先を急ぐスーツ姿の弾性。
変わらない光景の中、白い息を吐いて私もそこに溶け込む。
疲れ切る前に寮へ戻り、シャワーを浴びる。
少し休んでから制服に着替え、荷物を持って外へ出る。
布団が物言いたげだけど、さすがに今戻す気力は自分にない。
食堂でパンをかじっていると、渡瀬さんがトレイを置いて前に座った。
「おはようございます」
眠気を感じない爽やかな表情。
私は逆に、眠気が一段とぶり返してきた所。
欠伸混じりに返事をして、ホットミルクに口を付ける。
「布団、どうします?」
「ショウに頼む。私には無理って分かった」
運んで運べない事は無いが、それ程良い事もない。
何より今は眠くて、思考がいまいち続かない。
「あはは」
突然笑い出す渡瀬さん。
それ程面白い事を言ったつもりもないんだけどな。
「どうかしたの?」
「いえ、何でもありません。私、ちょっと用事があるので」
「分かった。また後で」
「はい、失礼します」
肩を揺すりながらトレイを運んでいく渡瀬さん。
意味が分からないが、私も悠長にパンの耳をかじってる暇は無いだろう。
学校へ登校し、筆記用具を揃えながらじっと待つ。
「おはよう」
「おはよう」
サトミの挨拶におざなりに返し、じっと待つ。
「何」
「今忙しい」
「欠伸してるじゃない」
細かいな。
というか、変な所で敏感だな。
「おはよう」
「おはよう」
モトちゃんにもおざなりに返し、じっと待つ。
ちょっとじれてきたな。
とはいえ、大して待つ事もなくショウも登校。
木之本君と何か話しながら、こちらへとやってくる。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
「布団運びたいから、お願い」
「ふ、布団?」
何故か声を裏返すショウ。
布団って、そんなに驚くような単語だったかな。
「昨日寮に泊まって布団を運び込んだから、それを戻してって事。私だと重くて運べなかった」
「ああ、その布団」
「どの布団の話だと思ったの」
「馬鹿だな、あはは」
別に馬鹿ではないと思うし、顔を赤くする理由が分からない。
そうする間に、気付くとケイが後ろの席に座っていた。
「布団運ぶからお願い」
「夜逃げか」
「そうじゃなくて、寮の部屋に布団を運んだの」
「いっそ、ショウの実家に運んだらどうだ」
なるほど。そういう事か。
私にもやっと意味が分かってきた。
というか、随分飛躍してくれたな。
放課後。
自警局へ到着し、例のソファーに落ち着く。
今日も少しわずかだけど、貯金をするか。
「……あれ」
持ってみると、少し重く感じられる。
降ってみると、昨日よりも明らかに音がする。
「うふふ」
通りすがり様、そう笑って去っていく渡瀬さん。
どうやら彼女が入れてくれたようだ。
「ぷっ」
こっちはもっと露骨に笑って遠ざかる神代さん。
なんだろうか、一体。
ソファーから離れて自警局内を歩くと、真田さんと目が合った。
笑いはしない。
これでもかというくらい、笑いは堪えてるが。
「なんなの、一体」
「ふっ」
現れた途端失笑する緒方さん。
なにか、笑われるような恰好でもしてたかな。
「渡瀬さんから聞きましたよ」
「布団の事?」
「何言ってるんですか」
怒られた。
どうやら、それは関係無いらしい。
「貯金です、貯金」
「ああ、入れてくれたんだ。でも、どうして」
「それは、ねえ」
話を振られても、まだ笑いを堪える真田さん。
結構失礼だな、この人。
待てよ。貯金、貯金、貯金。
「貯金って。……、ああそういう意味」
ここでようやく、昨日の事。
渡瀬さんに話した内容を思い出す。
どうも良い意味で誤解をしたというか、私が設置した意図を悟ってくれたようだ。
「でも別に、みんなは無理をしなくても」
「いや、そんなに入れてないですから」
「ああ、そう」
待てよ。
小銭なら良いんだけど、変なクーポン券とかが入ってたらさすがに困る。
「お金を入れてくれてるんだよね」
「私達は」
「ありがとう」
すぐにソファーへ戻り、貯金箱をいじっていた男の脇腹をスティックで突く。
「な、何を」
「それはこっちの台詞よ。何してるの」
「盗んでた訳じゃない。俺もユウとショウのために、少しでも力になりたいと思ってさ」
脇腹を押さえながら、真剣な顔で答えるケイ。
そんな台詞を吐く時点で、嘘確定。
貯金箱を手に取り、勢いよく振ってみる。
「貯まるまで出すなよ。子供じゃないんだから」
「何を入れたの」
「俺の善意を」
今なら真っ二つに切り裂いても、全然後悔しないだろうな。
埒が開かないので木之本君を呼び、ふたを開けてもらう。
私では非力だし、ショウを呼ぶ問題ではない。
何より彼では、壊しそうな気がする。
「開けて良いの?」
「変なのを入れられた気がするから」
「分かった」
ケイを見ながら貯金箱を裏返す木之本君。
どうやら底が外れる仕組みで、それが固く固定されている様子。
彼は工具を取り出し、小さな隙間に先端を差し入れて梃子のように動かした。
乾いた音と共に外れるふた。
中を覗き込むと、結構小銭が入ってる。
「……これは」
「俺の善意だよ」
クーポン券でもなければ、福引き券でもない。
小さい字で細かく書かれた書類。
それのコピーだ。
「始末書?」
「なんて言うのかな。戒めだよ、戒め。楽しい事ばかりが人生じゃない。こうした苦労も乗り越えて、自分達は結ばれましたって」
最後まで話は聞かず、もう一度脇腹を突いて黙らせる。
本当、ろくな事をした試しがないな。
「今度入れたら、ポールに吊すからね。木之本君、元に戻して」
「始末書は」
「……それは外に出して」
今のやりとりから、どうしてその台詞が出てくるんだ。
だから、保管はしなくて良いんだって。
コピーはゴミ箱へ捨て、貯金箱は元の位置に戻す。
「木之本君、張り紙お願い。浦田珪、絶対触るなって」
「雪野さん。書いても触る事は出来るんだけど」
「あー」
「叫ぶなよ。それより金がいるなら、良い話がある」
また悪い顔で近付いてくるな、この人は。
ただ悪徳ではあるにしろ、増えると言って減った事は無い。
あまり良い話で無いのは分かっているが。
「何するの」
「まずは預けてくれ。額によって考える」
「ちょっと」
「アパートだろうと官舎だろうと、家具は新品が欲しいだろ。そのくらいは何とかするよ。俺からのお祝いに」
分かったと、思わず言ってしまいそうな台詞。
今の額だと、買えるのはせいぜいテーブルくらい。
それが一式揃うというのは、ちょっと興味が湧いてくる。
「危ない事じゃないでしょうね」
「株とか投機とか、そういう不確実な事はやらない。堅実派なんだよ、俺は」
堅実が聞いて呆れると思うけどな。
貯金から一旦離れ、ガーディアンの削減について考える。
資料と、先日聞いた話のまとめ、いつの間にか集まっているレポート。
書類の山を見てるだけで疲れてきた。
「読みなさい」
無慈悲な言葉。
仕方なく一番上を手に取って、目を通す。
「昨日読んだ」
「何か気付く点は」
「気付くのなら、昨日の時点で気付いてると思う」
「考えが深まった分、今までとは違う視野で認識しているはずよ。違う?違わないわよ」
勝手に結論づけるサトミ。
そんな能力があるのなら、それこそ今まで苦労していない。
書類からも一旦離れ、生徒会の組織図を見る。
「削減したら誰が得する?」
「予算局と言いたいけれど、実際はそうでもないわよ。先日言ったように、備品の納入も減る訳だから。その分当然予算局が運用出来る予算も減るの」
「新妻さんは違うのかな、考え方が」
「お姉さんがお姉さんだから、そうかもしれないわね。もしくは自主財源を得るよう考えているのかも知れない。ある意味究極の自治かしら」
自分でお金を稼いで、自分で運用。
確かにそれなら外部からの圧力も跳ね返せるが、そんな簡単にお金が稼げるとは思えない。
何より、それを高校生と呼ぶかはかなりの疑問が残る。
「自警局としてはどうなの」
「半々かしら。人が減れば人事管理や労務管理の手間は省ける。ガーディアン自体が起こすトラブルも減少する。ただ、影響力の低下は避けられないわ」
「難しいな」
言いたくないが、ついこの台詞が出てしまう。
というか簡単なら、とっくの昔に誰かが手を付けているんだろう。
「サトミはどうなの」
「減らす事自体は賛成よ。実際数は多すぎると思う。少数精鋭の方が変な威圧感も無くなるわ」
「エリート意識に繋がるって言ってなかった?」
「そういう人間も排除すれば良いだけでしょ」
簡単に言ってくれるが、それこそ理想。
彼女の場合自分自身が優れているから、肩書きも何も必要としない。
しかし大部分の人間は、自分を大きく見せるためには何かにすがりたくなる。
それは例えば生徒会であり、ガーディアン。
場合によっては不良という肩書き。この場合はレッテルか。
「あなたこそ、どう思ってるの」
「減らすべきだと考えてはいる。手始めに、私が辞めてみてもいい」
これは意気込みであると同時に、自分なりの決意。
人を辞めさせておいて、自分だけのうのうと残るのはさすがに違うと思うから。
「それもどうかしらね」
「何が」
「辞めさせるのなら、最後まで責任を全うするのが筋って事。辞めれば済む話でも無いでしょ」
「そうだけどさ」
ここで重なるのが、河合さん達。
彼等も責任を取って、草薙高校を退学した。
私とは実績もその覚悟も全く違うだろうけれど。
ではその決断が本当に正しかったかと言えば、部外者の私から見ても疑問は残る。
とはいえ学校に留まり続けるのも、かなりの覚悟が必要。
この場合は、屋神さんがそれに当てはめる。
引くも地獄進むも地獄とは良く言った。
何もしない内から行き詰まった気分。
難しい所じゃないな、これは。
「削減って、可能なの?」
「自警局内で反対してる人は少ないわよ」
「ガーディアンは」
「色々ね。未練も何もない人、補償や別組織への斡旋を望む人、断固として辞めない人。どうしてガーディアンをやってるのか分からない人とか」
「やっぱり少し聞くべきか」
考えていても仕方ないし、ここにいては何も進まない気がしてきた。
実際、全然進んでないしね。
「どこかで訓練やってるよね。ショウが」
「もう少し、考えてみたら」
「話を聞くだけ。何かする訳じゃない。その書類、読んでおいて」
「あなた、何言ってるの?」
それは私も知りたいな。
やってきたのは、小さな武道館。
体育館や一般的な武道館の1/3程度。
その分占有して使う事が出来、団体として使いたいならこの方が良いのかも知れない。
「お邪魔します」
小さなドアから中へ入り、つい目を押さえる。
外の明るさと、中の照明のギャップ。
普段はそんな事もないんだけれど、予想以上に暗かった。
「がーっ」
突然響き渡る悲鳴。
思わず身構えるが、誰かが倒れている気配はない。
見えるのは床に備え付けるタイプのサンドバッグ。
また奴か。
気味の悪い叫び声に閉口しつつ、壁沿いに歩いて訓練しているガーディアン達の様子を眺めていく。
ずば抜けたとまではいかないものの、そこそこの実力。
私が思う少数精鋭の部類に入るレベルでもある。
ただ人数としては20人程度。
これだけで学内の治安を守るのは、さすがに無理がある。
「よう。遊びに来たのか」
半袖スパッツで爽やかに笑うショウ。
冬だよね、もうすぐ。
「ちょっと見学。この子達、どう?」
「悪く無い。七尾君と武士が普段は鍛えてるらしい」
「なるほど」
そっちの系統か。
あの二人は、訓練に対しては非常に真摯。
手を抜く事は無いし、育て方も上手。
質が高くなるのは当然と言える。
「二人は?」
「他を見に行った」
流れ者の指導者だな、まるで。
とはいえここにいるガーディアン達だけを見ていられないのも確か。
そう考えるとガーディアン自体もだけど、指導者も必要。
「難しいな」
「最近、そればかりだな」
「いや。ガーディアンの削減でね」
「採用を減らせば済むんだろ。3年が卒業して、1年を半分に減らす。次の年は今の2年が卒業、また採用を半分に減らす」
ショウが言っている事は、私も分かってはいる。
ただこれだと、ガーディアンになるのが狭き門となってしまう。
それに加え、優秀かも知れない人を事前に断ってしまう可能性も出てくる。
多く集めてふるいに落とすではないけれど、時間を掛けなければ分からない事もある。
そう考えると、採用を極端に減らすのはちょっと難しい。
「難しいよ」
「考え過ぎるな」
「そうも行かないの。ちょっと、何人か呼んでみて。話を聞いてみたいから」
すぐに頷き、数名を呼んでくるショウ。
私達の前に立った子達は、全員妙に緊張気味。
震えてるように見えなくもない。
「落ち着いて、話を聞きたいだけだから。ショウ、お茶お願い」
「俺が?」
「他に誰が?」
「本当だよな」
ため息付かないでよね。
マットの上に座り、お茶を置き、落ち着いたところで話を聞く。
「今ガーディアンの削減を考えてるんだけど、どう思う?」
唐突すぎるとは思ったが、あれこれ前置きをしても仕方ない。
動揺が走るのも承知の上だ。
「どう、とは。俺達を辞めさせるという意味ですか?」
慎重に尋ねてくる男の子。
普通はそう考えるだろうな。
「そうじゃない。ただ、そうなる可能性もなくもない。だから、どう思うかって聞きたいの」
「俺は別に。辞めて困る事は無いですから」
かなり淡泊な答え。
見た感じ何事もそつなくこなしそうな雰囲気。
言ってみればガーディアンでなくてもやっていけるので、特にこだわる必要もないんだろう。
ガーディアンに対して、特別な思い入れがなければ余計に。
「あなたは?」
「わ、私もそれ程は。ただせっかく頑張ってきたので、続けられるなら続けたいです」
「だったら、ガーディアンを減らす事自体は?」
「半々ですね。多すぎる気もするし、とはいえ減らしすぎたら何かあった時困る気もします。多少余分なくらいが丁度いいのではないでしょうか」
沙紀ちゃんと似たような答え。
余裕があれば、いざという時の対応が出来る。
ただ問題は、そのいざという時がいつ起きるのか。
分からないからこそ、そう言うんだろうけど。
どうもここにいるのは良識派の人ばかり。
指導の賜物なのか、元々そういうタイプなのか。
逆に言うと、こういう人達には残ってもらいたい。
しかしさっきの話だと、ガーディアンに未練はない様子。
それはそれで困った話である。
「どういう人を辞めさせるつもりなんですか」
逆の質問。
辞めさせるつもりはないんだけど、向こうからすれば同じ事。
それを訂正しても仕方ない。
「まずは辞めたい人、次にガーディアンとして不適格な人。基本的にそれ以外の人はガーディアンのままでいてもらう」
「不適格の基準は?」
「特には決めてないけど、大体みんながイメージ出来る範囲になると思う。能力もだけど、気構えとか態度とか。そういう事かな」
何も厳格な規律を求めてはいないし、それなら私達は即刻辞めさせられている。
つまりはガーディアンという立場を悪用したり、笠に着て行動するような人間。
そういうのは、嫌だと言っても辞めさせる。
「ああ。それと、この話は黙っておいてね。まだ確定じゃないし、大きな騒ぎにしたくないから」
「分かりました」
素直に頷くガーディアン達。
多少情報が漏れるのは仕方ないが、それは少しでも遅らせたい。
またガーディアンの削減は、案としては以前からある話。
それが現実化してきたと思ってもらうしかない。
訓練に戻るガーディアン達。
私は壁にもたれ、その様子をぼんやり眺める。
辞めさせる。
削減とは、つまりそういう事。
私が恣意的に選ぶ訳では無いにしろ、責任はついて回る。
その覚悟がなければ、削減などと口には出来ない。
「あまり思い詰めるなよ」
「大丈夫。もう少し、色々考えてみる」
何をと言われると困るが、事務的に進める事でないのは確か。
そして自分だけはなく、人の生き方にも責任を負う必要に迫られる。
冷静に、慎重に考えよう。
自警局へ戻り、今聞いた話を要約して文章にする。
あらかじめ存在する資料やデータとは別の、私が作った資料も少しずつたまりつつある。
削減と言っても、私一人で何もかもが出来る訳では無い。
いや。卒業までに出来るかどうかも分からない。
その場合は後輩や、もっと後の世代の誰かがこれを使ってくれればいい。
責任を押しつける事になる気もするが、さすがに私も一生高校生をやってはいられないから。
「調子、どう?」
にこにこと笑いならが現れるモトちゃん。
彼女は資料を手に取り、頷きながらそれを読み始めた。
「辞めても良いって人も、結構いるんだね」
「いるわよ。優秀な人は、ガーディアンにこだわってない」
あっさりと認めるモトちゃん。
ただそれを言ってしまえば、私達も似たような物。
ショウやサトミがガーディアンを始めたのは、私への付き合いから。
ケイは入学時に、半ば強制された結果。
木之本君は確か、塩田さんに勧められて。
私は塩田さんに憧れてて、ただ彼がガーディアンでなければ他の事をやっていた可能性もある。
「モトちゃんは、自分でガーディアンになったんだよね」
「まあね」
「どうして」
「今更聞くわね、あなたも。前から言ってるように、平穏な日々を送りたいと思ったから。それには学内の治安が安定してないと困るでしょ」
だから自分がその一端を担うという事か。
「でもガーディアンじゃなくても出来ると言えば、出来るよね」
「まあね」
「だったらどうして」
「あの頃は子供だったから。今でも子供だけれど、あまり深く考えてなかったんでしょ。今だったら、初めから生徒会を目指してる」
そうのたまう、自警局局長。
当時の私達はガーディアン連合のガーディアン。
現場レベルでのトラブル解決は出来ていたが、学内の治安を安定させていたかと言えば疑問が残る。
私達の残した成果は、少なくとも当時は非常に限定された規模。
自分達のオフィスがある付近や、良くてせいぜい教棟の一部フロアくらいだろう。
だとすればより影響力のある生徒会に参画した方が、力は発揮しやすい。
という考え方も出来る。
「でも生徒会だって万能じゃないし、現場で何が起きてるかも分かりにくいでしょ」
「その辺はネックよね。私はますますここにこもるから、外の様子が分かってない」
仕方なさそうに笑うモトちゃん。
力を得る分、世間から遠ざかる。
大げさに言うなら、そんな所。
私も以前ほどは外に出て行かないので、その辺は実感出来る。
「やっぱり難しいな。削減といっても、優秀な人間ばかり辞めていったら仕方ないもんね」
「とはいえそういう人ばかり優遇しても仕方ないから。難しいのよ、本当に」
机へ戻される資料。
彼女はその難しい状況の中、今までずっと頑張ってきた。
つまりは私の知らない苦労を背負ってきた。
逆に言えば、私は何をしてきたのかとも思ってしまう。
「またそういう顔して」
「どんな顔」
「この世の不幸は自分一人で背負ってますみたいな顔」
「そこまでは思い詰めてないけどね」
普段気楽に振る舞ってる分、内向きになる時はギャップが大きく感じられるようだ。
反省したいと言いたいが、こればかりは直しようもない。
「それでも減らすの?」
「多いのは問題なんでしょ。何よりガーディアン自体の存在が問題とも思えてきた」
「さらっと言うわね、あなた」
さすがに笑うモトちゃん。
確かにガーディアンである私が言う事でも無いが、いない方が理想。
実際名古屋港高校においてガーディアンは存在せず、それでも普通にやっていた。
学内の規模と雰囲気さえ良ければ、それが可能な証拠。
私はそれを、この目で見てきている。
しばしの沈黙。
私は私の考えに浸り、モトちゃんも自分の考えに浸る。
多分そんな状況。
集めた資料を読むとは無しに目を通し、頭の中で色々と整理をする。
「……一度、他の部署も見てみる?」
「何が」
「ユウが。今はガーディアンの視点であれこれ考えてるでしょ。たまにはそうじゃなくて、違う見方をしても良いかなと思って」
違う見方、か。
そう言われてれば、私は外部からガーディアンを見た事はあまりない。
資格停止や連合の解体でガーディアンの肩書きが無くなった事は過去数度あったが、それでも自分はガーディアンという意識を持ち続けていた。
物事を見るのも振る舞いも、自然とその視点から。
一方的な視点と言っても良い。
「どこか希望の局はある?」
「SDCは」
「あはは」
笑われた。
どうやら笑うだけの理由。
笑うしかない理由があるようだ。
多分、黒沢さんから何か聞いてるな。
私を絶対に寄越すなととか。
生徒会は組織が以前と変わったが、基本的には同じ。
総務局、予算局、内局、外局、自警局。
厚生局と運営企画局は内局へ吸収。
代わりにSDCが生徒会に参加し、その一翼を担っている。
「内局で良いでしょ」
いつの間にか現れ、生徒会の組織図を指さすサトミ。
良いでしょと言うより、ここにしなさいと言ってるように聞こえなくもない。
「総務局は?」
「矢田局長がいるわよ」
「ああ、そうか」
これは論外。
絶対に避けたい選択肢の一つだ。
「予算局は?」
「計算、得意?」
苦手ではないが、得意と胸を張れる程でも無い。
何より、お金の計算はちょっと怖い。
「外局は」
「社交的だった?」
それ程陰気ではないと思う。
ただ、知らない人と興味のない話で盛り上がれる訳でも無い。
後は自警局。
しかしこれは、今所属してるので意味がない。
「やっぱり内局でしょ」
「そうだけどさ」
ここはここで問題がある。
組織がではなく、所属してる人間が。
「矢加部さんもいるんじゃないの」
「いる可能性はあるわね。内局以外にも出向く事はあるから、必ず会うとは限らないけれど」
簡単に認めるサトミ。
出来れば拒否したかった理由はこれ。
矢田局長も避けたいが、彼女からも遠ざかりたい。
これはもう、考え以前の問題。
犬が嫌いとか猫が嫌いとか、そういう人が挙げる理由と同じ。
感覚的に違うんだと思う。
しかし他に選択肢は無く、あるのかも知れないが私には見えてない。
「だったら、内局で良いのね」
「良くはないけどね」
「久居さんに連絡しておくから、いつから行くか考えておいて」
私の頭を撫でて去っていくモトちゃん。
来年の4月を過ぎてからと言いたいくらいで、ちょっと気が重くなってきた。
「サトミも行くよね」
「私も?」
あまりいい顔をしないな、この人も。
矢加部さんとの相性は、私ほどではないがそんなに良くもないので当然だが。
「まさか私一人って事は無いでしょ。人に勧めておいて」
「色々忙しいのよ」
「私は暇だとでも」
「違うの」
違わないだろうな。
すぐにモトちゃんから連絡が入り、久居さんはいつでも良いとの事。
いつでも良いと言うのが一番困る。
なんというのか、むしろせかされてる気になってくるから。
「サトミは行くとして」
「ちょっと」
「ショウとケイも連れて行こう」
「たまには一人で行動しなさい」
なかなかに耳の痛い台詞。
しかし、出来ないんだから仕方ない。
今回の場合は、特に。
「モトちゃんは行かないのかな」
「自警局はどうするの。木之本君も同じよ」
「他には」
「後輩を見繕ってみたら」
お総菜を選んでるんじゃないんだからさ。
ただ、悪く無い考えではあるな。
矢加部さんとの間に入って問題がなさそうなのは、面識のある渡瀬さんか神代さん。
緒方さんは、何となく相性が悪そう。
真田さんも、それ程良いとは言えなかった。
御剣君は親戚とあって付き合いも長く、友好的。
ただあの子は忙しそうな気もする。
小谷君はもっとそうか。
「エリちゃんは」
「代理よ、あの子」
「私達は、とことん暇だね」
「私は、と言い換えて」
細かいな。
後は誰だ。
誰もいないか、もう。
「あなたの子飼いを連れて行ったら。郎党を」
「何、それ」
「直属班の1年」
「それもどうなんだろうか」
問題がない子もいるだろうし、問題しかなさそうな子もいる。
正直そこまで面倒を見る余裕も無い。
「たまには苦労するのも良いでしょ」
「あまり好きじゃないんだけど」
「それが糧になるのよ、いつの日か」
「いつ」
それには答えないサトミ。
それって、ならないって意味じゃないのかな。
行くのは良いが、何をすればいいのか不明。
という訳で、改めてモトちゃんに話を聞く。
「向こうでどうすれば良いの」
「久居さんに一任してあるから、大丈夫」
「本当に?」
「勿論」
自信満々に頷くモトちゃん。
彼女の言う事は信じられるが、内局は言ってみればアウェー。
ちょっと心配になる。
「いじめられたりしないかな」
「誰が、誰を、どうやって」
すごい不思議そうに尋ねられた。
この人は、私を何者だと思ってるんだろうか。
「いや。慣れない場所だから、色々不安で」
「ユウをいじめるなんて、考えただけでも怖くなるわ。ねえ、サトミ」
「そうね」
私を見ずに答えるサトミ。
いるじゃないよ、ここに一人。
「どうかした」
でもって、睨まないでよ。
旅行ではないので特に持っていく物はなく、用意する物もない。
仮に必要な物があれば取りに戻れば良いだけで、以前とは違い各局の距離は近くなっている。
「そんなに不安なら、挨拶してくれば」
「分かった。連絡はしておいて。アポが取れた取れてないで揉めたくない」
「いつの話よ、それ」
くすくすと笑うモトちゃん。
とはいえ連合時代は、生徒会へ来る度にあった話。
今は私も生徒会の構成員なので、そういう事はあまりないが。
という訳で内局へ到着。
受付もスムーズに通過。
清楚な女の子の案内を受け、奥へと進んでいく。
「待遇良いね」
「不安なのは、むしろ向こうでしょ」
さらっと告げるサトミ。
そう言われてみると、周りの目が若干気にならなくもない。
「あの雪野優がやってきたともなれば、当然ね」
「私は至って大人しいよ」
「大人しい人は退学にならないの」
なるほど。
また一つ勉強になった。
自分が退学した事は、一言も口にしないが。
局長執務室へ通され、久居さんと体面。
私も数度話した事はあり、爽やかで優しい感じの人。
いわゆるモトちゃんタイプだな。
「雪野さん達は研修という形で、ここに在籍してもらう。それで良いわよね」
「ええ、お願い」
「部屋を一つ用意するから、ここにいる間はそこを使って」
「いや。別にそこまでしてもらわなくても」
「本当、お願い」
困ったように笑う久居さん。
つまりは私達を囲い込むための場所。
柔らかい檻のような物か。
ますます、周囲の不安説決定だな。
「何をしてもらうかは明日から説明するけれど、自警局とは手法が違うと考えてね。ガーディアンと違う、かな」
「どういう意味?」
「つまり、力では解決しないという事」
私。
正確には私の肩からはみ出ているスティックを指さす久居さん。
ガーディアンである以上、これは必須の道具。
そして力に訴えるのは、ガーディアンなら当然。
無論それ以外の方法で解決出来る場合もあるが、基本は力である。
手を出してくる久居さん。
その手を握り、柔らかい感触に眼を細める。
「ユウ、何してるの」
非常に冷ややかな声を出し、スティックを指さすサトミ。
ああ、そういう事か。
「ごめん。これは私物だから手放せない」
「私物?武器でしょ?」
「プライベートで作った物なの。それに、触ると危ないよ」
「え」
素早く飛び退く久居さん。
そこまで慌てるとは、私の印象も相当に悪そうだ。
「……とにかく、それは使用禁止。持ち歩くのも駄目。少なくとも、ここにいる限りは」
「それは困るんだけど」
「……だとしたら、武器としての使用は禁止。これでどう?」
少しずつ妥協してくれる久居さん。
そして何が驚くといって、頭ごなしではない事。
サトミなら、問答無用で金庫に放り込んでる所だ。
私もそれには同意し、封印を約束。
実際スティックに関しては、精神的な依存をしているだけ。
無くても戦う事は可能で、特に制約を受ける訳では無い。
「それと今言ったように、力での解決は禁止。暴力に訴えないでね」
「相手が理不尽でも?」
「理不尽でも」
「殴ってきたら?」
「その時はさすがに回避して。ただ、絶対過剰にはならないように。もう一度言うわよ、やりすぎないで」
言い方を変えなくても分かるけどな。
やっぱり印象は最悪のようだ。
それでも私達を引き受けてくれたんだから、私としては頭を下げる他ない。
「他に質問は」
「今は、特に無いです」
「では、また明日。資料を用意するから、暇なら読んでおいて」
また資料か。
こういうのは、どうしても重なるな。
小さな紙袋を携え、自警局へ戻ってくる。
中身は内局に関する書類。
パンフレットや、おそらくは新人のためのガイドブック。
なるほどねと思いつつ、適当にページをめくっていく。
「良い人だね、久居さん」
「上に立つには、能力だけあっても駄目なのよ。モトもそうでしょ」
「確かに」
モトちゃんは能力として優秀なだけでなく、人間性も際立っている。
自警局という特殊な組織がまとまっているのも、彼女の存在が非常に大きいだろう。
また彼女を支えているのは、沙紀ちゃんと北川さん。
二人もモトちゃん同様能力も人間性にも優れていて、なるべくしてなったといった所だ。
「……でも、前は矢田局長だったでしょ」
「例外もあるわ、世の中」
辛辣に言い放つサトミ。
あの人の場合能力は問題ないだろうが、人間性にはかなりの疑問符が付く。
悪いというより、日和見。
保身なのか言動が一貫せず、力のある方へと向きがち。
いわゆる信念が感じられない。
無くても良いとは思うが、それは私のような末端の場合。
組織を率いるのならば、なにがしらの意見を持っていて然るべきとも思う。
「明日、内局へ行くんだって」
例により半袖で現れるショウ。
身だしなみについては言われなかったが、それも多分重要だろう。
「行くよ。半袖は止めて、武器も一応禁止」
「制服でも着るのか」
「そこまではしなくて良いと思う。ただ、ちゃんとした恰好をお願い」
「堅苦しいんだな」
少し面倒そうな顔をするショウ。
とはいえ、行けば行ったですぐに順応する子。
問題は無いと思う。
もう一人の問題児は、大人しく資料を読んでいる所。
理由も無くおかしな事をするタイプでは無いので、大丈夫だと思いたい。
「何もしないでよ」
「する理由が無い。ただ、内局はストレスが溜まるぞ。暴れれば済む訳じゃないから」
「ガーディアンだって、暴れて済む訳じゃないでしょ」
「最後にはそれで片付けて、始末書を書けば終わるだろ。根本的に発想が違う。ガーディアン?まあ、野蛮ね。くらいに連中は思ってる」
身をよじるのはともかく、言いたい事は分かった。
考え方の切り替えが必要な事は。
とはいえ私も、同じ場所で足踏みを続けているだけでは仕方ない。
慣れなくても不安でも、少しでも前に進むしかない。
生徒として、人として。
その努力は惜しみたくない。




