47-2
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オフィスの棚に貯金箱を置き、お金を入れる。
ジュースを飲んだ事にして、その分を。
「あー、喉渇いた」
その貯金箱を手に取り、逆さにして振り始めるケイ。
取りあえず脇腹を握り、床に倒して貯金箱を回収する。
「な、何を」
「それは私が言う事でしょ。今度触ったら、喉を握るからね」
「ちまちま小銭を集めても仕方ないだろ。……良い儲け話を知ってるんだ」
悪徳商人か、この人は。
それでも一瞬心が揺らぎそうになるが、これは大切な結婚資金。
堅実に貯めて行くに限る。
「そういう事はしないの。でも、入れてくれるなら良いよ」
「どうして、何のために。誰が」
一気に引いたな、この人。
私でも、他人の貯金箱にお金を入れる習慣は無いけどさ。
「大体、貯金ってなんだ」
「これからは無駄遣いをしないようにするの」
「つまらんな。明日マグマが吹き出して、地球が真っ二つに割れるかも知れないんだぞ」
「極端な事言わないで。それと、入れて良いからね」
再度アピールし、メモ用紙にその旨を書く。
それを貯金箱の下に張り、資金を広く募る。
入れてくれる人がいるとは思えないけれど、書いて困る事でも無いだろう。
「募金でも始めたの」
醒めた目で貯金箱を見つめるサトミ。
その言葉に首を振り、個人的な物だと告げる。
「個人的……。ふーん」
そう言いつつ、お金を入れてくれた。
どうしてと自分でも思ったが、昨日からの流れで何かを悟ってくれたのかも知れない。
「もっと入れて良いよ」
「強欲は、身を滅ぼすわよ」
怖い言葉までもらってしまった。
それ以降は、誰も入れる人は無し。
当たり前と言えば当たり前なんだけど。
「先輩、これ」
目の前に積まれる書類。
そのまま去っていこうとする神代さん。
すぐに袖を掴み、軽く引っ張りこちらを向かせる。
「多いんだけど」
「自警局へのクレーム。好きでしょ」
好きな訳あるか。
大体、どうして私の所へ持ってくるのよ。
一番上の書類を手に取り、目を通す。
「……局長直属班雪野優の行動が及ぼした被害は」
取りあえずそれは戻し、適当な所から改めて抜き出してみる。
「雪野優によりその被害は……。誰よ、これを書いたのは」
「全部読めば分かる。反論したいなら、書類にまとめて提出して」
「全部?」
「半分以上は先輩宛だよ」
何か、一気に汗が出てきたな。
でもって喉も渇いてきた。
「お茶買ってくる」
「貯金は」
「ああ、そうか。節約だ、節約」
キッチンへ走り、お湯を沸かしてティーポットへ注ぐ。
ここで飲む分には、経費は自警局持ち。
お金としては出て行くんだけど、悪い言い方をすれば私のお金ではない。
「よいしょと」
ティーセットを持って、例のソファーへ移動。
書類はショウがすでに運び込んでいて、それに目を通してる。
「どう思う」
「つまりは、向こう側からの意見だろ。俺達側からの意見じゃなくて」
「まあね」
「俺達は悪く無いっていう客観的な証拠を示せば良いんじゃないのか」
客観的な証拠、ね。
それがあるなら苦労はしないし、そもそも何をして客観的な証拠とするんだろうか。
私達二人では埒が開かず、サトミを呼び出す。
「良いじゃない、放っておけば」
「言われっぱなしで我慢しろと」
「何をしようと文句は言われるのよ。仮に反論したところで、それに対する反論が来るだけよ」
妙に悟った意見。
らしくないというか、この手の事には敏感なタイプ。
それこそ毛の先に付いて言われただけで、100枚くらいの書類を書いて反論するくらい。
もしかして、人間的に丸くなったのかな。
「本当に放って置いて良いの?」
「罰がある訳でもないんだから。有名税と思って受け取ったら」
「そんな物かな」
紅茶をすすりつつ、一枚チョイス。
私に対する批判だが、具体的にどんな事を言っているのか理解出来ない。
相手の敵意だけは、嫌と言う程伝わってくるが。
「読んでるだけで、ストレスが溜まる」
「だから止めなさいと言ったの。無駄よ、時間の無駄」
「随分悟ってるんだな」
馬鹿でかいジョッキで紅茶を飲みながら尋ねるショウ。
この人は悟ってるどころか、突き抜けてるな。
「時間は有限なのよ。卒業まで、後何日だと思ってるの」
端末のカレンダーを見せてくれるサトミ。
その横に表示されている、卒業までの日数と時間。
「今こうしている間にも、貴重な時間は刻々と過ぎていくの。クレームに関わってる暇なんて無いのよ」
「今まで、ずっと関わってきたじゃない。それは無駄な時間だったの?」
「昔は昔。今は今。前向きな思考になりなさいって意味よ」
本当、随分悟った事を言うようになった。
クレームを全て無視するのもどうかとは思うが、関わって楽しい物でないのは確か。
その言葉は、確かに一理ある。
そういう訳でクレームの書類は一旦脇に置き、先週の報告書をまとめる事にする。
「……領収書の額と、余った金額が合わないんだけど」
「計算し直して」
「したよ」
「何度でも、計算し直して」
あまり悟ってない台詞。
昔の顔が覗いてきたとも言える。
「そんな複雑な計算じゃないんだって」
「だったら、お金を数え直して。何度でも数え直して」
……待てよ。
妙に理解があると思ったら、主眼はこっちか。
「貯金箱のお金は使わないよ」
「当たり前じゃない。別な所から持って来ても意味がないんだから」
そんな事は論外だという口調。
ただ、その視線が一瞬貯金箱へと向けられる。
「……どうしてもと言うのなら、仕方ないけれど」
「どうしても使わない」
「意地にならなくて良いのよ」
なってるのは自分だろう。
ひたひたと、人の後を付いてくるサトミ。
誰だ、時間が有限だって言ってたのは。
「足りない分はどうにかして」
「後でもう一度計算するから。大体自分のお金を足しても意味ないでしょ。計算が合わないんだから」
「補填と考えればいいわ。責任と言い換えても良いわね」
あくまでも私に払わせようとするサトミ。
大した額ではないが、あの金は私の結婚資金。
そこから補填するなんて事はあり得ない。
「サトミが、自分のお金を使えばいいでしょ」
「私は、そういう不正に関わりたくないの」
おい。
人にさんざん言っておいて、自分はそれか。
悟ってるどころか、煩悩全開だな。
やってきたのは予算局。
ここから予算を得る訳ではなく、書類を届けに来ただけ。
たまには外へ出ないと気が詰まる。
「……お金は出さないわよ」
受付にいた新妻さんは、私達を見るなりそう言ってのけた。
どこまでも信用が無いな。
「そうじゃなくて、書類。これを持って来ただけ」
「ありがとう。それで、ガーディアンの削減は」
もはやこれが挨拶。
私としては削減したいが、サトミは別な考えを持っている様子。
そのため簡単に請け合う事は出来ない。
「削減は」
「私は良いんだけどね」
「誰か拒んでいる人が?」
「いるのかしら」
しれっと答えるサトミ。
針のむしろに座っても、平気で笑うタイプだな。
当然予算が降りる訳もなく、そもそも中へ入れてもらえず追い出された。
「削減すれば良いんじゃないの。その分の予算も多少は回してもらえるんでしょ」
「精鋭揃いなら減らしても良いでしょうね。でも、そんなに有能な人間ばかり?」
髪を撫で付けながら歩くサトミ。
ばかりと答えたいが、残念ながらそこまで練度は高くない。
有能な人もいるし、もっと学内が狭いならガーディアンを半減してもやっていけるはず。
だが今の規模ではとても無理。
むしろガーディアンを増やすべきだという意見もあるくらいだ。
「減らす事自体は簡単でも、治安維持がおろそかになっては意味がないでしょ」
「そうだけどさ。難しいな、これは」
「もしくは装備を根本から変えるかね。銃を本格的に導入するとか」
「あれはあまり好きじゃない」
銃と言っても、出てくるのはゴム弾。
当たっても、せいぜいあざになる程度。
威力としてはたかが知れている。
ただ銃口を向けられた時の威圧感は、警棒の比ではない。
有効な武器なのは認めるが、私の体質というか考えにあった武器ではない。
とはいえ少数で対応するには、多分導入するべき備品。
今でも一部のガーディアンは装備していて、それなりの成果も上げている。
「ガーディアンの意味合い自体が変わってくるのかな」
「何よ、急に」
「私のイメージはトラブルの鎮圧なんだけどさ。銃を持つと、多分抑止力が強まると思う。それは良いんだけど、脅してるような気もしてね」
「そういう意味」
小さく頷くサトミ。
彼女も、そこは理解してくれているようだ。
自警局へ戻り、前に自分が書いた資料。
ガーディアン削減に関する物を引っ張り出す。
自分で書いたから、何を書いてあるかは大体分かっている。
またそれは、今考えていた内容と大体同じ。
急激で大幅な削減ではなく、段階的な削減。
そのためにはガーディアン個々のレベルを上げ、装備も充実。
また学内の秩序がある程度安定しているのも条件。
新年度での、新入生のガーディアン採用を減らす事がまず手始めとなる。
「難しいね」
「自分が辞めるって手もある。それで一人減る」
私の資料を読みながら呟くケイ。
極端な例とは思うが、言っている事は最も。
自分が手本を示さないで、人に強要するばかりでは仕方ない。
「第一、誰もが納得する方法なんて無い。辞めさせられれば文句は出るし、出来なくても文句は出る」
「そうだけどさ」
「本当、大変だ」
特に結論も得ず、資料を机へ戻すケイ。
ストレスだけを与えられた気もする。
「ガーディアンを減らす事自体は良いんでしょ。多すぎるのは、みんな認めてるんだから」
「自主的に辞める奴もいるとは思う。ただ、新妻さんが納得する数は揃わない。だとしたら、強制的に辞めさせるしかない」
「強制的に?」
「新妻さんの言う通りにするのなら。そうすれば、自警局の予算は増える」
予算は増えるけれど、それは誰の意向かという話。
少なくとも自警局。ガーディアンの立場に立った行動ではない。
卓上端末を起動し、別な資料を検索。
ガーディアンの総数と、学年別の人数。
ガーディアンとしての適正別、能力別などでも分類。
それでシミュレートをしてみる。
「……減らしても、治安は維持出来るって」
「所詮機械。数字で判断してるだけだ」
卓上端末をぺたぺた叩くケイ。
言い方はともかく、言っている事は事実。
数字で全てが量れるのなら、世の中そんなに楽な事は無い。
「まあ、いいか。一度希望者を募ってみよう。……緒方さん、ちょっとこっち」
「私、忙しいんですけど」
目が合った途端逃げ出そうとする緒方さん。
その彼女をソファーの側へ引っ張り込み、資料を見せる。
「削減、ですか」
「そう。希望者を募るから、文章を作って配付して」
「有能な人間が辞めていったらどうします?」
「それは困る」
そして不要な人間ばかり残ったら、もっと困る。
「俺が何か」
「別に。だったらどうすれば良いと思う?」
「やはりこちらで選別すべきでしょう。この人は辞めさせる、この人は残すと」
「そんな上の立場で良いのかな」
私はそこまでの判断も出来ないし、何より覚悟がない。
責任を負いたくないという気持ちもある。
とはいえ削減とは、そういう事。
そこにいる人をいなくする訳だから、当然軋轢は生まれる。
「胃が痛くなりそう」
「無理に削らなくても、中途採用も停止したらどうですか」
「それこそ、有能な人が来なくなったらどうするの」
「だから選別ですよ。採用する基準をより厳しくすれば、訳の分からない人は入ってこれませんから」
資料を読みながら語る緒方さん。
言っている事は分かるし、それは正しいんだろう。
ただ、その通りだと賛同出来もしない。
やはり私に、人の人生に踏み込むだけの覚悟が備わってないからなんだろう。
喉が渇いたのでお茶を買いに行こうと思ったが、貯金箱が目に入った。
「紅茶でいいか」
ティーポットに紅茶を注ぎ、立ち上る湯気をぼんやり眺める。
お茶を買いに行くのは喉を潤すのもだけど、外へ出て気分を変える意味もあるんだろう。
ここにいれば動かなくても済むが、ストレスは積もっていく気がする。
「ショウは」
「ガーディアンを指導するとか行ってましたよ。そういうタイプでしたっけ、あの人」
潮時とばかりに席を立つ緒方さん。
彼女に礼を言い、改めてガーディアンの総数を確認する。
「練度が上がれば、減っても良いんだよね」
「極端な言い方をすれば、ショウが5人いれば秩序は保たれる。でも一人しかいないから、秩序は保たれない」
「そういうレベルの人間を揃えろって事?」
「さあね。人数が多いから目が届くし、一定の抑止力になってるとのデータもある。何より減らせば負担が増えるし、エリート意識も生まれてくる。簡単な話でも無い」
先程から、いまいち乗り気では無い発言。
こういうのは彼の分野だと思ってただけに、少し意外でもある。
私の言いたい事が伝わったのか、ケイはソファーに座って資料を指で触れた。
「そもそも、ガーディアン自体イレギュラーな存在。いなくても問題は無い。ただ現状においては、いない事には学内が動いていかない。自治制度がある限りは」
「警備員に任せろって事?」
「そういう意見も当然出てくる。ガーディアンに掛かるコストと、警備員を雇うコストを考えれば」
「お金の問題でもないでしょ」
「ただ、関係はしてくる。まあ予算局が本気なら、自警局への資金を止めれば済む話なんだけど」
鼻先で笑うケイ。
確かにそれは有効な手段。
とはいえ仮にそんな事をすれば、自警局。
ガーディアンの不満は爆発。
秩序を保つどころか、こちらが秩序を乱す側に回りかねない。
「そういう可能性があるの?」
「実際あっただろ。ついこの間まで」
「ああ、連合の解体。でもあれは、特殊な状況でしょ」
「特殊でも何でも、無い話でも無い」
静かに告げるケイ。
彼が示したのは極端な例だが、そういった形での圧力は可能性があるだろう。
これ以上は私が一人で考えていても仕方なく、総責任者に話を聞く。
「削減、ね。理想はガーディアン自体がいなくなる事なんだけれど、それは現状においてあり得ないから。減らす事に対しては賛成よ」
ペンを振りながら答えるモトちゃん。
とはいえそれを実行に移してない事からも、大幅な削減をする意思はないようだ。
「緒方さんは、自分で選んで辞めさせろって」
「優秀な人間だけを残すなら、その手法も良いと思う。ただ当然不満は出るし、ガーディアンにしておく事で問題行動を防いでいる場合もあるから」
「何、それ」
「野に放つと危険な人間を監視下に置くという意味よ」
何故か私を見ながら話すサトミ。
そこまで無茶ではないけどな、私は。
しかし例えば御剣君は、その例に当てはまる。
最近でこそ大人しくなってきているが、本質的にはサトミが言うように危険をはらんだ存在。
彼がガーディアンなのは、まさに私達の目が届く範囲に置くため。
その意味では、ケイも範疇に入るだろう。
「難しいな」
「逆を言えば、そんな事を考えられる余裕が出てきたんでしょう」
「何が」
「学内の治安も、私達も」
にこりと笑うモトちゃん。
なるほど、そういう考え方もあるか。
昨年度までなら、減らすどころか有志を募っていたくらい。
それを考えれば、確かに良い方向へ向かってはいるようだ。
「でも、減ってはいないんだよね」
「人を辞めさせるのは難しいし、利権やら権利やら色々複雑なの。ガーディアンは自警局だけど、装備に関しては内局や予算局も関わってくる。当然業者もね」
「嫌な話だな」
「理想だけでは、世の中は回っていかないのよ」
モトちゃんの口から漏れるため息。
それはそうだけど、出来れば理想を追い求め続けていたい。
また理想を追求しなくなった時点で、それはもう終わっていると思う。
「……減らすのに反対する人もいるって事?」
「いるでしょうね。サトミが詳しいわよ」
「詳しいというか、今モトが言った通り。備品を納入する業者は、ガーディアンが多ければ多いほど良い。訓練を依託されてるインストラクターもそう。それに自警局としても、ガーディアンが多ければ予算を獲得しやすい。ガーディアンが減って喜ぶのは、不良連中だけかも知れないわね」
面白くなさそうに笑うサトミ。
でもって今の話を聞いていると、それが本当に思えてくるから怖い。
「一度責任者に聞いてみれば」
「責任者はモトちゃんでしょ」
「ガーディアンの責任者に」
自警局自警課。
自警課長執務室。
机に顔を伏せていた沙紀ちゃんは、私の言葉を聞いて顔を上げた。
刺すような鋭い視線を向けながら。
「減らす?体重を?」
「だから、ガーディアンだって」
「無理無理。今でも空いているオフィスがあるくらいなんだから。ローテを回すだけで精一杯で、減らすのは無理」
多分これが、現場の意見。
私が彼女の立場なら、同じ事を言うと思う。
「でも、多すぎるって意見もあるよ。私もそう思うし」
「大は小を兼ねるって言うじゃない。減った分を補うと、質の低下は免れないわよ」
「なるほど」
つい納得してしまった。
説得をしに来た訳ではないが、やはり意見は広く求めるべきだな。
「現場を見る人間としては、人数は余分に確保したいくらいなのよね。そうすれば、いざという時に対処しやすいから」
「いざって、どんな時?」
「どんな時って、そんな時」
禅問答みたいなってきたな。
いや。禅問答が何かは知らないけどさ。
「だったら、どうすれば良いの」
「多いのは確かで、減らすのは悪くない。そうなればやはり個々の練度を上げるか、治安を今より良くするか。もう少し学内が狭ければ、方法はあるんだけど」
狭くするのは物理的に不可能。
将来は系列校を増やすらしいが、それは数年後の話。
明日出来る訳ではないため、今は全く関係が無い。
「難しいな」
「あなた、そればかりね」
腕を組みながら、冷静に告げるサトミ。
それ以外に言葉が無いんだから、仕方ないじゃないよ。
沙紀ちゃんに改めてガーディアンの各種データを見せてもらう。
「有能な人ばかりなら、それこそ半減しても良いと思う。ただ、そういう訳でも無いでしょ」
「まあね」
「それに今は、優ちゃん達が特定オフィスにいる訳ではないから。玲阿君とか優ちゃん達がもう数人いるなら、何とかなるんだけど」
ショウはともかく、私がもう数人いても困るだけだと思う。
少なくとも、もう一人の私にはあまり出会いたくはない。
「数を減らしても、やっていける方法はあるんだけれど」
「何それ」
「規則を厳格化して、学内の規律を保つ事」
「それって」
「そう。管理案」
苦笑気味に答える沙紀ちゃん。
またそれは、少し考えれば行き着く話である。
管理案に反対して行動した自分が飛びつける話でも無いが。
とはいえ全てが悪いとは、当時からも思ってはいない。
それなりの規律は必要で、生徒の極端な権限や負担の軽減は私も賛成。
改めて、これを勉強した方が良いのかも知れない。
「管理案に詳しいのって誰」
「生徒会長とか、矢田局長とか」
「その人達以外で」
「遠野ちゃんは詳しいでしょ」
私の後ろにいるサトミを見つめる沙紀ちゃん。
知識としては、多分誰よりも詳しいだろう。
ただ彼女は、私達と共に行動をしてきた。
つまり知識はあっても、それを運用してきた訳では無い。
その意味では少し弱い気がする。
とはいえ、矢田局長に話を聞きたいとも思わないが。
他に誰かいないかを、改めて聞いてみる。
「矢加部さんは?」
また、困った名前が出てくるな。
仕方ないと言えば仕方ないんだけど。
私の身内は全員管理案に反対した立場にいたため、名前が出て来ないのは当然。
やはりサトミに聞くしかないか。
「先輩の話を聞いてみるとか」
「先輩?」
「河合さんや右動さん。あの人達はこの間の管理案とは違うけれど、導入しようとしてたから。知識も経験もあるし、基礎的な部分を作り上げている。どうして管理案なのかも分かってるはずよ」
「なるほど」
それは盲点。
そして今は、大学の敷地はすぐ隣。
都合良くそこにいるとは限らないが。
廊下を出たところで、ブルゾンを羽織った沙紀ちゃんが横へ並ぶ。
背は高くて胸は大きくて顔立ちは整っていて。
なんか、ため息ばかり漏れてくるな。
「ん、どうかした?」
「いや、なんでもない。沙紀ちゃんも来るの?」
「たまには先輩の顔を見ないと」
そう言って、屈託なく笑う沙紀ちゃん。
彼女からすれば、河合さん達はただの先輩ではない。
中等部時代からの先輩。
私にとって見れば塩田さん以上の存在なのかも知れない。
正門からではなく、ロープで仕切られた敷地の境を通り越えて大学側へ移動。
一応立ち入り禁止と書いてあるが、許可は得ている。
得ていなくても、ここを監視している人はいないが。
私達が歩くのは、かつての高校の敷地。
また借地権を得た場所でもある。
……待てよ。
「ここの借地権って、どうなってるの?」
「まだ、モトの名義になってる」
「学校からは、お金が入ってきてるって事?」
「あはは」
笑ったな、この人。
でもって、そのお金はどこへ消えてるんだ。
やがて教棟。
今は草薙大学、白鳥校舎の教棟に到着。
八事とは違ってごみごみした雰囲気は無く、いかにも大学のキャンパスといった雰囲気。
すでに夕方だが意外と人の姿が多く、ベンチに座って楽しそうに話し込んでいる人達もいる。
「いたいた」
教棟の手前にあるオープンカフェだろうか。
パラソルの下でパフェを食べている大男。
冬の夕方。
そして外。
正直暖かい物を食べていても辛いくらいで、その人の行動の意味が理解不能である。
早足で歩く沙紀ちゃん。
その後を追い、パフェを食べる大男の前に到着。
でもって、空のグラスが二つあると来た。
「お久しぶりです」
「ああ。なんか、立派になったな」
「いえ。河合さん達に比べれば、全然」
「こっちは退学になった身だ。比較にならん」
そういって、豪快に笑う河合さん。
私も退学した身なので、その言葉は身につまされる。
「それで、管理案だったか」
「ええ。是非お話を伺いたくて」
「俺よりも下北さんの方が詳しいんだが、まだ忙しいらしい。とにかく、ここは寒い。中へ行こう」
だったら、パフェを食べないでよね。
やってきたのは、教棟内のラウンジ。
これは草薙高校時代と同じ内装で、雰囲気も似たような物。
そこにいるのが高校生か大学生かの違いがあるだけで。
「管理案導入を主導したとはいえ、それ程深く分かってる訳でもない。骨子は学校がすでに作り上げていて、その手直しはしたが」
「そもそも、あれはなんだったんですか」
「生徒の自治を無くすための措置だろう、本来の目的は。ただ当時の俺達は、行きすぎた生徒の自治に疑問も抱いてた。だから管理案に賛成した」
紙コップを手の中で転がす河合さん。
明らかに、私達とは違う考え。
別な視点を持つ人。
私からすれば管理案自体が悪。
そこに良い点があるのは認めるが、導入する事は考えもしない。
だからそれに反対し、戦った。
彼はその逆。
現状を良しとしない考え。
とはいえこの人が私利私欲のために管理案を導入したはずもなく、そうなると自分の見方が一方的すぎるのかなとも思ってしまう。
「規則の厳格化や規律についてはどうなんですか」
「当時の高校や南地区は、良く言えば自由。悪く言えば、規律が乱れてた。自治という言い訳を元にして。俺達も自治制度に反対してた訳ではないが、それを名目に何でも出来るという考えも好きじゃなかった。それに秩序を保つためには、規則を厳しくする必要がある」
「厳しすぎるんですけど、管理案は」
「そこは運用の問題だ。俺達は導入出来ずに退学したから何とも言えないんだが。自治にしろ管理案にしろ、運用する側のコントロール次第だろ」
まるでその両者が共存するような言い方。
視野や物事の見方が、私の数段上を言っている感じ。
だからこそ生徒会長を務め、今もこうして慕われる訳か。
ただそれでも、管理案には生理的に受け付けない部分がある。
私にとって自治は絶対で、当たり前のように存在するもの。
生徒が全てに関わるのはやり過ぎにしろ、学内の運営が学校主導で行われ兼ねない管理案には同意出来ない。
「俺も管理案が正しいとは思ってない。ただ行きすぎた自治への歯止めが必要だとは思ってる。良くは分からんが、今の高校は程よいバランスじゃないのか」
「はぁ」
「一度管理案が導入され、それが潰れた。それで管理案の駄目な部分、良い部分も見えてきた。同時に、自治制度の良い点や問題点も。そこを上手くすりあわせて行けば、よりよい学校になると俺は思う」
思わず深く頷きたくなるような台詞。
管理案に引っかかりを覚える私ですらこの状態。
そうで無い人は、黙って彼に従うなんて事もあるだろう。
管理案の良い点、か。
思うのはやはり、秩序の維持。
生徒の行動に一定の規制を掛けるのは悪く無いと思う。
河合さんの言う、運用次第だとも。
「さっきも言ったが、俺は導入に失敗した人間。結局の所、良くは分かってない」
「そうでしょうか」
「そうなんだよ。行き着くのは規則や制度よりも、結局は人間。それに尽きる」
尽きるだろうが、それを言い出したら話が終わる。
分かるけどね、言いたい事は。
河合さんと別れ、ロープを越えて草薙高校の敷地へと戻ってくる。
正確にはロープが途切れている、狭い通用口を抜けて。
本当に渡ったら、サトミ辺りは転ぶと思う。
「何?」
「いや、別に。参考になったなと思って」
「人それぞれ、色んな考え方があるから。私達の考えが絶対でもないし、河合さんの考えが絶対でもない。その妥協点を探るのも大切よ」
指先に息を吹きかけながら話すサトミ。
妥協か。
この人とは、最も縁遠い言葉だな。
「なにか」
「全然」
「沙紀ちゃんはどう思う?」
「私も河合さんと同じ意見というか、それ程管理案自体が悪いとは思ってないのよね。やっぱり運用の部分は大きいと思う。それは自治制度にしろ」
そうなるとさっきの河合さんの話。
人に行き着く。
制度がどれだけ優れていても、それを使う側が駄目ならどうしようもない。
何より、それを言い出してはどうしようもない気もする。
時間が遅くなったので自警局へは戻らず、そのまま帰る。
そして気付けば、寮の食堂でご飯を食べていた。
「あれ」
「どうかしたの」
パスタをすすりながら尋ねるサトミ。
この子は寮住まい。
沙紀ちゃんも寮。
私も寮に部屋はあるが、今住んでいるのは自宅。
全然意識せず、ここに来てしまったな。
「まあ、良いか。……お母さん?……今日は、寮に泊まるから。……寮だって、寮。……だから、寮。……はい、はい。……だから、寮だって」
しつこいな。
思わずこっちの顔が赤くなるじゃない。
食事を終え、部屋に戻る。
戻って、ベッドサイドに座り、立ち上がる。
とにかく物が無い。
あるのは雑誌が少し。
布団すらないと来た。
それ以外であるのは、サトミかモトちゃんの私物。
物置じゃないんだからさ。
取りあえず上着を羽織り、布団部屋へと向かう。
一度に運ぶのは多分無理。
敷き布団、掛け布団、毛布と枕。
そしてシーツ。
4往復は必要だろう。
「あれ、寮に戻ってきたんですか」
首にタオルを掛け、上気した頬をしている渡瀬さん。
間違えて寮に来たとは告げず、もごもご言って行く手を指さす。
「ちょっと、良い所行こう」
「ラウンジですか?」
「もっと良い所。ふわふわして、ぽかぽかしてる」
「お風呂は今入って来たんですけどね」
干したばかりなのか、ふわふわのぽかぽか。
取りあえず掛け布団の山へ寄り掛かり、その感触を堪能する。
「雪野さん、雪野さん」
「え、ああ。寝てない、寝てない」
慌てて口元を拭き、適当なのを抱えてみる。
……敷き布団一つでも、結構重いな。
「お布団、無いんですか?」
「ベッドの台だけあった。それではさすがにね。反対側、お願い」
「私達は非力ですね」
「本当に」
しみじみため息を持ち、敷き布団を抱えて外へ出る。
後は二人して、よたよた廊下を歩く。
たかが布団と侮ってたけど、意外と難物だな。
「……ちょっと休んで良い?」
「雪野さん」
「いや。本当、5分だけ」
実際に5分も休む訳ではないが、日頃使ってない筋肉を使ったせいか疲れが一気に押し寄せてきた。
そう考えると、毎日段ボールを持ち上げるショウは偉いな。
それが仕事でもないんだけどさ。
床に座り、敷き布団を膝に掛けて目を閉じる。
温かくて良い匂いで、なんならここで寝ても良いくらい。
「雪野さん、雪野さん」
「……大丈夫、寝てない」
やはり慌てて口を拭き、飛び起きて布団を抱える。
今日中に終わるかな。
さすがに朝日を迎える前に全て運び終える事は出来た。
ただ、問題はもう一つ。
運んだからには、戻す必要がある。
これはショウに頼むとしよう。
「なんか飲む?」
「お酒ですか?」
「この部屋には何も無いけど、行く場所によるね」
「はぁ」
何となく警戒気味な渡瀬さん。
昔ならもう外へ飛び出てた気もするんだけど、この人はすっかり落ち着きが出てきた。
本当、後輩の背中を追いかける日が来るとは思わなかった。
やってきたのはモトちゃんの部屋。
接待は彼女に任せ、私はベッドに寝転び目を閉じる。
「ちょっと」
「大丈夫、寝ないから」
「寝ても良いけど、よだれは垂らさないで」
「冗談ばっかり」
口を拭き、すぐに起きて床へ座る。
どうして、普通に日本酒が置いてあるのよ。
「こ、これは渡瀬さんの分だから。ユウは、何飲む?」
「お酒以外」
「前は飲んでましたよね、雪野さん」
「禁酒じゃないけど、刺激は避けるようにしてるの。何より、酔っぱらった時が怖い」
理由は言うまでもなく、目の問題。
お酒を飲むなとは言われてないが、それ程良い影響があるとも思えない。
飲むのはせいぜい、低アルコールの物。
元々飲まないとやってられない体質でもないので、それ程困る事は無い。
「ま、一杯」
「おっとっとっと」
お猪口に口をもっていき、溢れそうになった日本酒を飲むモトちゃん。
どこのおじさんよ、一体。
「何」
「別に。渡瀬さんも、程々にした方が良いよ。酒は飲んでも飲まれるなってね」
「私はそこまで飲めないんですが」
実際彼女のペースはモトちゃんの1/3程度。
というか、モトちゃんが飲み過ぎなのか。
「少し控えたら」
「今日はたまたま。休肝日も作ってる」
ますますおじさん決定だ。
この年で休肝日って、一体何よ。
ベッドにもたれ、立てた人差し指を回す渡瀬さん。
酔った訳では無く、何か言いたい事があるようだ。
「えーと、あれ。お二人は、いつ結婚するんですか」
思わず飲んでいたお茶を吹き出した。
唐突に聞いてくるな、とてつもない事を。
「誰が、何を、どうやって」
「ユウ、落ち着いて。それに、結婚って何」
「元野さんも名雲さんとの付き合いは、もう2年くらいですか」
「まあ、ね。でも、将来を語り合うとかそういう事は特にないわよ。私もそこまで深く考えてはないから」
非常にもっともな意見。
高校生の内から、そんな先の事を考えても仕方ない。
とはいえ考えて悪い訳でもない。
女の子に生まれたなら、一度は必ず夢見るのが結婚。
かつては単なる憧れであり、今もまだその域。
だけど少し手を伸ばせば、そこに届きそうな所にまでは来ている気もする。
「渡瀬さんは、そういう願望でもあるの」
「願望というか、漠然と思っただけです。お二人とも、付き合っている相手がいるので」
「相手」
モトちゃんは、名雲さん。
私は、なんだ。
それだ、あれ。
「いや、そのさ。私がどう考えるかもだけど、相手の気持ちも大切な訳じゃない。貯金にしろ、結局私の空回りな気もするし」
「貯金してるんですか。……ちょっと待って下さい。あの貯金箱って」
「い、いや。そういう意味でもなくもなくもない」
非常にお酒を飲みたい気分。
それこそ火が点そうなのを、一気に煽りたい。
でもって、飲む前から顔が熱くてたまらない。
刺激は避けたいので、普通に冷えた水を飲む。
気持ちは慌てたままだが、火照った体は少し落ち着いた。
「でもユウは、ショウ君と出会って何年?いや。私と同じだから、3年と2年半か」
「まあね」
今更否定しても仕方ないので、その前提で話を進める。
「5年半よ、5年半。普通、倦怠期じゃないの」
何が普通なのよ。
でもって、倦怠期って何よ。
私は100年先でも、今と同じ気持ちでいられる自信があるけどな。
「……ちょっと待って下さい。そうすると他の人と付き合った事は?」
「無い。選択肢がそもそも無い」
どうしてモトちゃんが答えるのよ。
まさしく、その通りなんだけどさ。
「ちょっと感心しました」
「そうかな」
「一途なんですね、雪野さんって」
「そうかな」
自分ではその辺りの実感があまりない。
モトちゃんが言うように選択肢がない状態。
いや。本当はあるんだろうけど、私には違う選択肢が見えていない。
それを一途と言えば一途という事か。
そう考えてみると、インストラクターを目指すのも同じ。
昔からこの考えは変わっていなく、他の道を見ていない。
一途なのか、頑固なのか。
猪突猛進という言葉も思い浮かんだが、それはこの際忘れる事にしよう。




