表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第47話
536/596

47-1






     47-1




 学校生活に問題は無く、体調も万全。

 せいぜい、視力の不安があるくらい。

 何の憂いも無く時を過ごせる幸せ。

 何も無いからこその幸せとも言える。


 自宅の縁側に腰掛け、小さな庭を眺める。

 日だまりの中で丸くなっている黒い猫。

 相変わらず、どこからとも無くやってくるな。

「お母さんに怒られるよ」

 返事もしなければ反応も無し。

 返事をされても困るけどさ。


 確かに暖かいが、外で寝るほどではない季節。

 時折吹いてくる風は肌寒く、庭にも落ち葉が目立ってきた。

 晩秋。

 そろそろ、冬と言っても良いだろう。


「冬、冬、冬」

 一人でそう呟き、ひさし越しに青空を眺める。

 冬も間近。

 今年ももう終わり。

 少し切なくなってきた。

「いや。沈み込んでる場合じゃない」

 立ち上がった途端、それに反応して逃げる猫。

 こういうところは敏感だな。


 とはいえ猫に構っている暇もなく、そのまま浴室前の更衣室で掃除道具を探す。

 バケツ、洗剤、雑巾。

 後は随時考えればいいか。




 まずは机の上を拭き、窓を拭き、壁も拭く。

 棚も拭いて、床も拭いて、仕上げに掃除機。

 見違えるようにとは言わないまでも、少しは綺麗になったと思う。

 後はいらない物を整理して、年末に備えるとしよう。


 雑誌を集めて紐で縛り、ドアの前に置く。

 次によく分からない書類や広告。

 それもドアの前に置く。

 多分もう着ないだろう服も置く。

「ふぅ」

 動きづめで、ちょっと疲れがたまってきた。

 一旦床に座り、欠伸をして目を閉じる。

 いっそこのまま寝てみたい気分。

 そこまで自堕落になるのは問題で、何よりまだ片付いてない。


 片付いてないというより、雑誌や書類の束を抱えて階段を降りる必要がある。

 それを考えるだけで憂鬱というか、気分が滅入ってくる。

 とはいえ片付けなければ、一生雑誌はドアの前に置かれたまま。

 そう考えると掃除業者の人は大変だなと思う。


 なんて事を考えていても仕方なく、縛った雑誌を持って階段を降りる。

 さすがに私も量は考えていて、重さで転げ落ちる程では無い。

 気楽に駆け下りる程でも無いけれど。

「今日、ゴミの日じゃないわよ」

 リビングで、せんべいをかじりながら指摘するお母さん。

 今は返事をする余裕も無く、ひぃひぃ言いながら雑誌を抱えて歩いていく。

「どこ行くの」

「庭、いや玄関。……どっち?」

「庭の物置に入れておいて。資源ゴミの日に、外へ出せば良いから」

 誰が出すんだろうな。

 少なくとも、お母さんは出す気がなさそうだな。



 書類と服も物置へ入れ、掃除道具も片付け終わる。

 これで今日の仕事はやり終えた。

 後はご飯を食べて眠るだけ。

 いっそ、今から寝ても良いくらいの心境でもある。

「優、卵買ってきて」

 キッチンから聞こえるお母さんの声。

 ソファーに寝転ぼうとしていた矢先の。

「眠いんだけど」

「卵がないと始まらないのよ」

 始まらないのよって、もう作り始めてるじゃないのよ。




 スクーターも寒いので、自転車に乗ってスーパーへ向かう。

 木之本君が修理した例の自転車。

 普段は学校に置いてあるが、先日ショウが乗っておいていったまま。

 取りに来るとは言っていたので、その前に私も乗り心地を試してみたい。


 電動モーターが搭載されているため、非常にスムーズ。

 軽く漕ぐだけですっと前に出て行く感じ。

 自転車特有の負荷が無く、漕ぐのは前に進むという意思を伝える合図にも思えてくる。

 それでも体を動かす分スクーターよりは寒くなく、短い距離ならばかなり便利な乗り物と言える。


 疲れる事もなくスーパーへ到着。

 駐輪場へ自転車を止め、キーをロック。

 元々は拾い物だけど、今は私達の物。

 また木之本君が言うにはかなり高額な物らしく、その辺はしっかりとしておきたい。


 店内に入り、まずは卵。

 いや。頼まれたのはそれだけで、買うべき物は買った。

 とはいえ、それだけでは始まらない。

 牛乳プリン、シュークリーム、豆大福。

 種類が多すぎて却って迷ってしまうくらい。

 本当、贅沢な悩みだな。




 結局牛乳プリンを買って、スーパーの外へ出る。

 すでに日は落ち、西の方がどうにか明るいくらい。

 スクーターだと走るのに不安もあるが、自転車ならそれ程速度も出ない。

 私の視力でもどうにかなるだろう。


 ヘッドライトを付けても漕ぎやすさは変わらない。

 ただ暗い分視力はかなり低下。

 行きよりも慎重に走り、周囲に意識を張り巡らせる。

 昔なら考えもしなかった行動。

 スクーターに乗ってすぐに到着し、今は家に戻っていただろう。

 それとも寮にいて、そもそも自宅にいなかったかもしれない。


 なんの、どんなきっかけでこうなったのか。

 理由は様々で、人為的な物もあれば不可抗力もある。

 納得しがたい事も、勿論。

 とはいえ、今の自分がここにいるのは事実。

 それは揺るがしようが無く、だとすればまずはそれを受け入れるべき。

 目が見えにくくても、それは私が歩んできた人生の結果なんだから。




 玄関に並ぶ赤い靴。

 リビングから聞こえる笑い声。

 卵を携え廊下を歩いていくと、楽しそうに笑っているサトミと目が合った。

「お帰りなさい」

 ただいまって言えば良いのかな。

 ここって、誰の家だったかな。

「優、卵は」

「ああ、買ってきた」

「冷蔵庫に入れておいて」

 箸でキッチンを指し示すお母さん。

 で、卵がないと何が始まらないって?



 上着を置いてリビングに戻ってくると、ちらし寿司が目の前に置かれた。

「お土産」

「高そうだね」

 乗っている具材も出し、盛りつけも綺麗。

 器もプラスチックではなく、木製である。

「どうしたの、これ」

「知事と懇談したから」

 知事と懇談。

 私の前にはお吸い物を飲んでいる父がいるけれど、多分違うだろうな。

「懇談する事なんてあるの?」

 私なら用があっても断りたいし、そもそも共通の話題が見つからない。

 初めましてと言ったきり、後は黙りこくるしか無いと思う。

「卒業後の進路についてとか、色々とね」

「ふーん」

 言ってみればスカウトか。


 何しろこの子は、根本的な出来が私達とは違う。

 単に学業だけではなくて、実務もこなす事が出来る。

 研究者タイプで自分の殻に閉じこもる方だとは思うが、仕事を振られればそれをこなすには厭わない。

 それにこの容姿なら、用が無くても懇談はしたいだろう。

「卒業したら公務員にでもなるの?」

「大学を卒業したら考えるわ。それか、大学院を卒業したら」

 だとすれば、後4年先か6年先か、8年先。

 先行投資も良い所で、知事の任期を考えると意味がない気もしてくる。

「聡美ちゃん、優も売り込んでおいて」

「私は良いの。RASレイアン・スピリッツのインストラクターを目指すんだから」

「なれなかったら?」

 怖い事を言ってくるな。


 私が志望するのは、インストラクター一本。

 それ以外の選択肢は正直考えていない。

 何より向いてない気もする。

 会社勤めというタイプでは無いし、そういう需要もないはず。

 向こうが雇ってくれるならともかく、それに見合うだけの働きが出来る気があまりしない。

「安定してるのよ、公務員は」

「試験があるでしょ」

「だから聡美ちゃんに頼んでるんじゃない」

 何を言ってるんだか、それも真顔で。

 大体、そこまで安定志向だったのかな。

「お父さんも、公務員が良い?」

「優がやりたい事をやればいいと思うよ。インストラクターが良いなら、僕もそれで良いと思う」

「はは」

 さすがはお父さん。

 私の良き理解者だ。

「またそういう甘い事を言って。公務員は恩給も付くのよ。私の老後も安泰じゃない」

 安泰なのは私の老後で、お母さんの老後じゃないと思うけどな。



 牛乳プリンを食べながら、ぼんやりテレビを見る。

 就職はともかく、高校の卒業は間近。

 まだ3ヶ月以上先ではあるけれど、もう3ヶ月しか無いとも言える。

「どうしよう。もうすぐ卒業だよ。それにその先は?」

「それはあなたの人生でしょ。相談したいなら、まずは行動計画書を示しなさい」

 聞く相手を間違えた。




 とはいえ、文章にするのは悪く無い。

 理屈だって考えるとでも言おうか。

 まずは卒業。

 すでに草薙大学への進学は内定。

 出席率も問題なく、単位も取得。

 残り全部を休んでも大丈夫なくらい。

 これはほぼ確定事項で、大きな問題は無い。


 進むのは体育学部でコーチ学のある学科。

 草薙大学だと、スポーツ科学部の競技スポーツ科学科。

 それとは別に家政科の講義も選択。

 インストラクターもだけど、調理師と栄養士の免許も可能なら取得したい。

「……となると、料理人?」

 ソファーに座りテレビを見ていたサトミは書きかけの文章に視線を向け、それを私のお母さんへと向けた。

「と、仰ってますが。調理師の免許って、そんな簡単に取れました?」

「試験はあるけど、大抵は卒業と同時に取得出来るわよ。ふぐは少し難しいけど」

「管理栄養士は難しいと聞きますが」

「栄養士は卒業すれば自動的にだけど、管理栄養士は試験だから。私も苦労した」

 タオルを畳みながら笑うお母さん。

 過去形という事は、その資格を所有してるという訳か。

 ちょっと見直した。


「お父さんは、何か資格持ってる?」

「国家資格は特に無いね。仕事で必要な、民間の資格を少し持ってるくらいで。それも、数日研修を受けたら受かるようなものばかりだから」 

「ふーん。無くても良いんだ」

「あっても困らないけどね。何をしたいかで、取るべき資格も違ってくる訳だから」

 それもそうだ。

 料理人になりたいのに、潜水士の資格を取っても仕方ない。

「まあ、良いか。管理栄養士も目指す、と。4年後に卒業で、後はRASに就職活動。……これって、どこ行けば良いんだろうか」

「普通の就職活動と同じで、大学にエントリーが来ると思うわよ。大企業だから」

「大企業?」

「何しろ世界展開をしているような格闘技団体。町道場とは違うわ」

 なるほどね。

 私の抱くRASのイメージは、水品さんの道場。

 あそこが私にとってのRASであり全て。

 つまりはこじんまりとした印象しかない。


 そうなると、意識の変化が必要。

 格闘技の技術を磨いて水品さんに頼むだけで済む話ではないんだから。

「スーツとか着るの?」

「小論文を書いたり、就職用の簡易試験を受けたり。そのスーツを着て、討論をしたり。大変ね」

 人ごとみたいに言ってのけるサトミ。

 ただこの子こそ、会社勤めのイメージが浮かんでこない。

 実際将来は研究者になるだろうし、人に仕えるなんて多分無理だと思う。

「なに」

「別に。結構面倒だな」

「それが世の中なのよ」

 随分大きい話になってきた。

 言いたい事は分かったが。


 部屋に戻り棚を漁り、RASのパンフレットを持ってリビングへ戻る。

 後ろの方をめくると採用情報が載っていて、条件や待遇も記載されている。

「インストラクター希望者は、実技経験者のみ。加えて実技試験も実施します。当たり前か」

「RASしか受けないの?」

「敵に組みしろと?」

「敵って誰よ」

 それは私も聞いてみたい。



 今度は卓上端末を持って来て、RAS以外の格闘技団体を検索。

 知っている団体名がいくつも並び、インストラクターの採用情報も記載されている。

 基本通年で採用。

 やはり条件は実技経験者であり、それ以外は筆記試験に実技。

 待遇も、それ程の違いはない。

「海外研修ありですって。ここにすれば」

「観光旅行とは書いてないよ。それに、RAS以外へ行くイメージが無い」

「可能性を狭めてるんじゃなくて」

 なるほどね。


 それは確かに言われる通り。

 とはいえ私はインストラクターになりたいのではなく、RASのインストラクターになりたいだけ。

 だから可能性を狭めていると言われれば、それまでだが。

「お父さんって、今の会社にどうして入ったの?」

「試験を受けたら受かったから。優みたいに、どうしてもという訳でも無いよ。選べる立場でも無いしね」

 それもそうか。

 というか普通に考えれば、こちらは選ばれる立場。

 無論どこを受けるかは選べるが、採用されるされないは向こう次第である。

「難しい?就職試験って」

「受ける所によるんじゃないかな。草薙大学は手厚く斡旋してくれると言うから、上を目指さない限りはほぼ自動的に就職出来ると聞いてるよ。インストラクターはともかく」

「じゃあ、インストラクターの方が難しいって事?」

「僕もその辺は詳しくないけれど、専門性が高い仕事だからね。格闘技に精通してるだけではなくて、人に教える技術や素養はまた別だから」

 さすが大人の意見。

 改めて言われると、なるほどと頷く以外に無い。




 翌日。

 さっそくRASのトレーニングセンターを訪れ、水品さんの話を聞く。

「インストラクター?私は先生に頼まれて、この仕事を始めただけですからね」

「先生……。ああ、ショウのお祖父さん」

「昔はここまで大きな団体でもなかったですし、本当に町道場みたいな物でした。そう考えると、時は過ぎましたね」

 また遠い目をし出したな。

「今はどうなんですか」

「通年採用のインストラクターと、4月採用の幹部候補生の2系統ですね。ただし雪野さんは、4月採用を受けて下さいね」

「幹部って柄でもないんですが。大体、受からなかったらどうするんです」

「努力しましょう」

 それ以外の言葉はないだろうな。

 結局スーツはいる訳か。


 ため息混じりにサンドバッグの前に立ち、軽く肘。

 少し揺れたところで前蹴り。

 戻っていくタイミングに合わせて肩から当たり、横へ周り肘膝頭突き。

 跳び回し蹴りで大きく跳ね上げ、下をくぐって戻って来たサンドバッグにかかとを振り下ろす。

「ふぅ。……でもこれって、叩いても叩いても壊れませんね。当たり前だけど」

「コツがあるんですよ。表面の素材を破るコツが。デモンストレーションとして、たまにやる人もいます」

「インパクトはありそうだけど、それだと中身が出てきますよね」

「ウォーターバッグなら、まだまし。砂だと目も当てられません」

 それもそうだろう。

 ここに突然砂の山が現れたら、数日間はやる気を無くす。



 その後もぺたぺたサンドバッグを叩いていたら、半袖姿のショウが現れた。 

 そろそろ冬だと思ってたんだけど、気のせいかな。

「何かの冗談?」

「走ってきたんだ」

 簡単に言ってくれるな、この人は。

「帰りは自転車だよ。寒いと思うけど」

「上着はある。でも、暑い」

 だから、走ってくるからだって。


「ショウは、将来の事考えてる?」

「……考えて無くも無い」

 突然重くなる表情。

 私の視線を避けるような態度。

 やはり彼にとって、軍に進むのはそこまで思い詰めるような事だったのか。

「真剣なんだね」

「当然だろ。一生に一度だぞ」

「何が」

「何って、それは……。何の話だ」

 こっちが聞いてるんじゃない。


 ショウは水品さんに視線を向け、何かを悟ったのか一人で「ああ」と呟いた。

「特には考えてない」

 ……なんだ、それ。

「何が一生に一度だったの」

「しゅ、就職」

「二度も三度も出来るじゃない」

「不誠実だな」

 意味が分かんないよ。



 ただその意味では、水品さんは先輩。

 何と言っても、元空軍将校だから。

「インストラクターは分かったけど、軍はどうして?」

「前も言ったように、玲阿流に対して政府から働きかけがありましてね。それ程望んでいった訳でもありません」

「そうだったんですか」

「月映さんや瞬さんは初めから入隊してたので、そういう事は無いんですが。言うなれば、雰囲気です。当時の世論と言いますか。若い成人男性は軍へ進むべきという」

 その典型が、私のお父さんか。 

 つくづく、今がそういう風潮でなくて良かったと思う。

「どうして軍に残らなかったんですか」

「戦争が終わったので。私には、それ程魅力的な職場でもありませんし」

「待遇は良かったんですよね」

「将校でしたし、パイロットだったのでその辺は優遇されてました。ただ規律が厳しく、制約の多い職場。好きに空を飛べる訳でも無いですから」

 そんなものか。

 私はイメージすら抱けないので、全くもって分かりようがない。

「四葉さんも、あまり期待はしない方が良いですよ。少なくとも、夢の職場ではないですからね」

「はぁ」

「何しろ極端な閉鎖社会。軍だけで完結して行動出来るから、外部の意見よりも軍の意見が優先。理不尽な事も多々あります。何度、参謀本部へミサイルを撃ち込もうかと思いましたよ」

 何の話をしてるんだか。




 私が家から乗ってきた自転車を軽快に漕いでいくショウ。

 私は後ろに乗って、気ままに過ごす。

 朝晩は寒いけれど、昼のこの時間は風がまだ心地良いくらい。

 流れていく景色をぼんやり眺めるのも、また気持ちいい。

「腹減ったな」

 でもって、情緒もなにもないと来た。


 やってきたのは、尹さんのステーキハウス。

 私はチーズハンバーグランチ。

 ショウはステーキの2枚重ね。

 というか、重ねる物なのかな。

「お代わり出来るよ」

 怖い事を言ってくる尹さん。

 ショウはすぐにオーダーを入れているが。

「尹さんは、どうしてお店を始めたんですか」

「俺も軍にさほど未練はなくてね。実家が洋食店をやってたから、その流れ。ただ、ここまで儲かるとは思わなかった」

 そう言って笑う尹さん。

 私が知る限りでも、5店舗は店を所有している。

 儲かって仕方ないとは言わないまでも、左うちわなのは間違いない。


 私は作る事は出来ても、商売に不向きなのは文化祭でよく分かった。

 どうしても、利益よりも味重視。

 コストを度外視してしまう。

 当たり前だが利益を出さない事には意味がなく、それでは経営どころか生活が成り立たない。

「難しいですね、商売って」

「急に、何?それに俺は、あまり難しく考えてないからね。やったら売れた。そのくらいだよ」

 さらりと言ってのける尹さん。

 出来る人は言う事からして、そもそもちがう。

「尹さんが軍に行ったのはどうして?」

「当時の風潮かな、俺も。瞬達みたいに職業軍人ではなかったけど、あの時代は戦うのが当然とされていた。人間追い込まれると、冷静な判断が出来なくなるんだよ」

「今の時代でもそうなると」

「俺はそう思ってる。俺達の頃は元々戦争の影は濃かったんだけど、実際に戦争が起きるとは思ってなかった。まして自分が戦場に行くとはね。それが気付けば、銃火の下を走り回ってた。絶対自分にだけは関係無い、とはもう思えないよ」

 その時代を生き、実際に経験をしてきた人の話はためになる。

 逆にこの話を聞くと、今に生まれて良かったとばかりも言ってられないな。




 お腹を満たし、次にやってきたのは御剣家。

 庭を歩いてると、日本刀を担いだ御剣さんが歩いてきた。

「こんにちは」

 爽やかに笑うな、この人は。

 日本刀を担いだまま。

「こんにちは。どうしたんですか、それ」

「たまに使わないと悪くなる」

「錆びるって事ですか」

「それは手入れでどうにかなるんだ。ただ、なんて言うのかな。使ってない家は傷みやすいって言うだろ。感覚としては、それに近い」

 素早く抜いたと思うと、落ちてきた落ち葉が寸断されて日本刀は鞘に戻っていた。

 達人と言って良いほどの技の冴えで、人間なら多分切られた事にも気付かないだろうな。

「御剣さんって、普段どんな仕事をしてるんですか」

「RASの経営だよ。俺はその手伝い程度だが」

「経営」

「俺の柄でもないんだけど、他にする事が無くて。刀を振って生きていける訳でもないし」

 それもそうだ。

 誰かが、そんな希望を言ってた気もするけれど。


「将来に不安でも?」

「不安というか、RASのインストラクター一本で良いのかと思って」

「良いと思うよ、やりたい事があるのなら。中途半端に妥協すると、後悔ばかりする」

 後悔か。 

 後悔ばかりの人生という気がしないでもないが。

「それとも他にやりたい事が?」

「いえ。特には。会社勤めというタイプでもない気がして」

「無くはないと思うけど。インストラクターとOLではちょっと違いが大きすぎるかな。それで、四葉君は」

「俺は軍に進むだけです」

 難の揺るぎもない答え。

 御剣さんはそれに頷き、改めて彼に質問をする。

「進んでどうする?入隊した後は。それで終わりって訳でも無いんだろ」

「それは、まあ」

「辛いよ、軍は。本当に辛いよ。とてつもなく辛いよ」

 3度言わなくても良いと思うけどな。


 ただこの手の話は、ショウが子供の頃からされてきた話らしい。

 冗談もあるだろうが、彼を諦めさせるために。

 それでも自分の意志を貫いたんだから、ただ偉いとしか言いようがない。

「俺はあまり賛成しないけどね。武士がまたそんな事言い出しそうだし」

「あいつ、警官になるって言ってましたよ」

「中途半端に妥協したらしい。その代わり特殊部隊を目指すとか。言ってる意味が、俺には理解出来ないよ」

 これでは妥協どころか、むしろ悪化。

 今は戦争が行われていないので、軍に進んでも戦闘をする事は無い。

 しかし国内においては、凶悪犯罪は日常的に起こっている。

 それに対処するのは警察で、現場に向かうのはおそらく特殊部隊。

 つまりは、そういう事か。

「育て方を間違えたのかな。彼女とかいれば少しは変わる気もする気がするんだけど、そういう雰囲気がないんだよね。学校ではどうなってる?」

「見た事無いですね。ただ、最近は女の子に人気があるみたいですよ。ワイルドっぽい所が良いみたいです」

「人気、ワイルド」

 単語で話さないでよね。

「その内、彼女を連れてくるかも知れませんよ」

「だと良いんだが。いっそ優ちゃんも、結婚すれば。そうすれば、就職しなくても済む」

「そういう問題なんですか」

「旦那によるね」

 どうしてショウを見るのかな。

 でもってショウは、頷くのかな。




 流れ的に、鶴木家へ到着。

 こちらは庭で剪定をしている所。

 枯れてるな、結構。

 木々がではなく、人間が。

「真由は出かけてるよ」

 それは幸い。

 とは言わず、先程からの質問を鶴木さんにもぶつけてみる。

「俺も御剣と一緒で、今はRASがメインかな。それと実戦系剣術のプロ化。こんなの、やりたがる奴がいるとも思えんが」

「いないんですか」

「いるんだよ、それが」

 どっちなのよ。

 言いたい事は分かるけどね。


 盆栽の向こうに見える黒い猫。

 手を伸ばしたらすっと奥に隠れ、しかしこっちの様子を窺っている。

「猫、猫がいますよ」

「いるだろうね。というか、いて困る?」

「粗相しません?」

「気にした事無いな」

 大きなはさみを空にかざす鶴木さん。

 これでは猫も、粗相をする気になれないだろう。

「こうして気楽に生きていくのも良いと思うよ」

「気楽すぎません?」

「生きていくだけなら十分だよ。人間は、そこに目的が重なるから厄介だけど。究極な言い方をすれば、食べて寝る場所があればいい」

 ただそこで、一つ前の台詞。

 目的があるならば、それでは仕方ない事になる。

「なんですか、目的って」

「俺も知りたいね。ただ、そういう事を考えられるのは余裕がある証拠。つまりはそういう事さ」

「どういう事ですか」

「全然分からん。明日は多分、違う事を言うはずだ」

 何だ、それ。

 つまりそれも、余裕がなせる技という事か。




 最後はやはり、玲阿邸。

 ソファーに寝そべっていた瞬さんは小首を傾げ、意味が分からないという顔をした。

 鶴木さんのような深さもなければ、何かの暗喩でもない。

 本当に、素で意味が分からないと言いそうな顔である。

「仕事なんてしなくてもいいんだよ。猫みたいに、自由気ままに生きていければそれで良い」

 ……この人こそ、野良猫だな。

 いや。野生の虎か。

「瞬さんも、RASの経営には関わってますよね」

「形式としては。俺もう、一生分働いた。後はこのソファーの上で過ごすだけさ」

 すごいな、この人。

 これをかなり本気で言ってるんだから。

「私もソファーの上で過ごせと」

「そこまでは言わないけどさ。インストラクターなんて、大して面白くもないぞ。上からは指導が雑だって怒られて、生徒からは分かりにくいって文句を言われて。変な奴は絡んでくるし、掃除もするし、雑用もあるし」

 どうやらインストラクターの経験自体はあるようだ。

 この人は選手としては良いかも知れないが、指導者というタイプではなさそうだからな。

「それと四葉君。君は、まだ軍に行きたいのかね」

「もう手続きは済んでる」

「馬鹿だな、お前は。軍は本当に最悪だぞ。嫌だと言っても逃げられないんだぞ」

「でも瞬さんは、辞めたんですよね」

「まあ、そういう事もある」

 どういう事があるんだか。



 それでも姿勢を正そうとはせず、ソファーに寝そべったままの瞬さん。

 ここまで来ると、大物としか言いようがない。

「大体さ。どうしてインストラクター?」

「先生。水品さんの影響ですね。子供の頃に先生を見て、私もこういう仕事がしたいって思ったんです」

「あいつ、外面は良いからな。そもそもRASにこだわる必要もないだろ」

 サトミと同じような台詞。

 必要はないかも知れないが、私としてはそこはセット。

 不可分であり、別々になる理由がこそがない。

「他に何かあるんですか」

「どの団体も、似たり寄ったりだけどね。もう少し待遇の良いところもあると思うんだ」

「待遇よりも、私はRASに愛着があるので」

「俺はないんだけどな」

 さらっと言うな、この人は。




「なぅっ」

 突然テーブルの上に飛び乗ってくるコーシュカ。

 何をするのかと思ったら、皿の上にあったケーキをかじって走り去っていた。

「あの野郎っ。猫っていうのは、本当に最低だな。四葉、捨ててこい」

「さっきまで褒めてませんでした?」

「前言撤回。人間、規律が一番だ」

 猫だってば。

 言いたい事は分かるけどさ。

「あーあ、俺も高校生に戻りたいな」

「戦争の色が濃かったって、尹さんは言ってましたよ」

「その代わり、何の責任もなかった。気楽で良かったよ、本当に」

 今でも十分気楽そうなんだけど、どうなんだろうか。

 それに私は、そんなに気楽だったかな。

「大体就職なんて、4年以上先だろ。まだ早いよ」

「そうでしょうか」

「俺の4年は短いけどね。年を取ると、1年経つのが早く感じられる」

 何かしんみりするような事を言ってきた。

 老け込むになまだ早いだろうが、いつまでも元気一杯という訳でも無いらしい。





 寝入った瞬さんから離れ、ショウの部屋にやってくる。

 相変わらず物が無く、少しの雑誌とトレーニング器具。

 住んでいる部屋ではないんだけれど、マンションや寮の部屋も似たような物。

 ストイックとしか言いようがない。

「まだ、将来を考えるのは早いのかな」

「遅いよりは良いだろ。いつかは考える事なんだし」

「本当」

「勿論」

 何が本当なのかも知らないし、勿論なのかも分からない。

 そういう事にしておこう。



 あまり先走りすぎても良くないけれど、確かに気付いたらその時期を迎えていたというのも困る。

 大々的に人を集めずとも良く、知り合いだけで十分。

 やっぱり熱田神宮での神前式だろうか。

 その後は友人と親戚だけで披露宴。

 そして二次会をやってもらい、気付いたらサトミ達と一緒に寝てた。

 なんてのが理想で、また現実のような気もする。

「貯金してる?」

「……急に、なんだ」

「いざという時、お金がいると思って。結構掛かるみたいだよ」

「意味が分からんし、貯金はない」

 はっきり、きっぱり、清々しく言い放った。

 とはいえ彼に貯金がないのは、私が原因。

 大げさな言い方をすれば、私の借金のせいだ。


「無いのか」

「い、いや。働き出せば、貯金はするぞ。士官学校でも給料は出るし」

「大丈夫?」

「食事も寝る場所もあるし、せいぜい服を少し買うくらいだろ」

「食べ物も買うでしょ。我慢は良くないよ」

 全てが食費に消えるとは思わないが、何しろこの体型と運動量。

 我慢しろという方が無理な話だ。

「私も少しずつ貯めようかな」

「車でも買うのか」

「将来に向けてね」

「老後の資金?」

 そこまで先の事は考えてない。




 家に帰り、自宅で通帳を確認。

 結局の所、子供のお小遣いの積み重ね。

 額としては知れていて、大金と呼ぶには程遠い。


 階段を駆け下り、リビングで雑誌を読んでいるお母さんに通帳を見せる。

「何か買うの?」

「そうじゃない。昔のお年玉。あれ、この口座に振り込んで」

「あはは」 

 別に、笑うような事は言ってないんだけどな。

 でもって、それきり何も言わなくなった。

「お年玉。もう一度言うよ、お年玉」

「使い込んでないわよ。ただ、印鑑がないから引き落とすのが面倒なだけ」

「何、印鑑って」

「昔作った通帳で、当時は印鑑が必要だったの。印鑑手帳って知らない?」

 聞いた事も無いし、印鑑を押す習慣自体がない。

 あれは名前を書くのが面倒な時に使う物だとばかり思ってた。

「サインで良いんでしょ」

「最近は良いのかしら。昔は印鑑がないと、とにかく引き落とせなかったから」

「意味が分からない」

「私も分からないわよ。大体、驚くような額でもないわよ。お年玉なんだから」



 まずは通帳を見せてもらい、金額を確認。

 目も眩むとは行かないが、私の貯金の倍はあった。

「あるじゃない、結構」

「親戚からもらった分もあったんでしょ。金利とか、付いてるのかしら」

「とにかくこれは引き落として、こっちの口座に振り込むから。それと印鑑は?」

「どこかにあるんでしょ」

 棚やら箱やら紙袋の並ぶ押し入れ。

 通帳はそこから出てきたが、印鑑がそこにある保証はない。

 そもそもあれば、お母さんが引き落としてただろう。

「探すのは良いけど、後片付けはしておいてよ」

「いや。探すとは言ってない。サインで済ませてもらう」

「銀行は預けるのは簡単だけど、引き出すのは難しいわよ」

 随分嫌な話だな。

 理屈としては仕方ない気もしてくるが。



 とにかく、これで少しは資金が集まった。

 後は、なんだろうか。

「ああ、新婚旅行。……お母さんは、どこに行った?」

「行ったのかしら。披露宴も家族でやっただけだから、行ってない気もする」

「そうなの?」

「何しろ、世界中で戦争が起きてた時期だから。海外へは行けなかったし、静岡か下呂か。行っても多分、国内の近場だと思う」

 何か、慰安旅行みたいな話になってきた。

 とはいえ戦争中ならそれも当然か。


 旅行。

 国内か、海外か。

 海外も良いけど、ちょっと怖い。

 英語もそれ程話せないし、それ以外は聞き取る事も不可能。

 通訳用のソフトは端末に組み込まれていても、自分の意志を本当に伝える自信がない。

「今でも国内で良いのかな、新婚旅行で」

「本人同士が良いのなら、構わないでしょ」

 それもそうか。

 少なくとも私は国内で問題ない。

 相手の意思は、この際深く考えないでおこう。


 旅行から帰ってきたら、なんだろうか。

「ああ、住む場所」

「結婚でもする気?」

「そうじゃないけど。そういう時はどうするのかと思って」

「婿入りはちょっと考えにくいから、相手の実家に住むか自分達で家を借りるかね」

 確かにそういう流れになるだろう。

 でもここは実家ではないし、確か持ち家のはずだ。

「この家、どうしたの」

「お父さんの親戚から安く譲ってもらったの。土地代はただみたいなもので、家の建築代くらいね。それでも高いんだけど」

「ふーん」

「どうしてもと言うのなら、ここに住めば」

 にまりと笑うお母さん。

 私はまさしく実家なので、非常に楽だし気も遣わない。

 ただ、相手はそうも行かないだろう。


 やはり私が相手の実家に住むか、家を借りるか。

 ただあのマンションは部屋数もそれ程はなく、ちょっとイメージも湧いてこない。

 むしろ八事の邸宅の方かな、考えられるのは。

「……いや、違うのか」

「何が」

「いや。違う」

「だから、何が」

 お母さんの質問におざなりに答え、記憶を辿る。

 軍に所属しているのなら、もしかすると官舎暮らし。

 絶対ではないにしろ、そういう事もあるかも知れない。

 彼が赴任した土地の、という注釈も付く。


 だとすればもしかして、名古屋以外もあるんだろうか。

 それはちょっと困るというか、かなり困る。

 生活面もだし、みんなと別れる事も。

 これはちょっと盲点だった。

「どうしよう」

「何が」

「困った」

 もう尋ね返しても来ないお母さん。

 私も答える余裕が無い。




 部屋へ戻り、端末でショウのアドレスをコール。

 手の平にかいた汗を拭いつつ、慎重に尋ねてみる。

「あのさ。入隊した後って、どこに配属されるの?……うん。……ああ、そうなの。……いや、なんとなく。……分かった、ありがとう」

 端末を置き、ため息を付き、ベッドに倒れ込む。


 一応、希望は出せるとの事。

 また地域については、大体叶えられるとも言っていた。

 彼は守山駐屯地。

 名古屋を希望するとも。


 軽くなる意識。 

 薄れていく感覚。

 体の力が抜け、今は何も考えられない。

 ただその安らぎと心地よさに、身を委ねたい。





   






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ