エピソード(外伝) 46-2 ~風成(ショウの従兄弟)視点~
戦いの果てに
後編
翌日の放課後。
生徒会の情報局を訪ね、それとなく今回の件。
管理売春について尋ねてみる。
「まあ、珍しくは無いですよ」
大人しそうな顔の男子生徒は平然と答え、自分と俺の顔を指さした。
「思春期ですし、そういう気持ちになる時もあるでしょう」
「大人が絡んでるケースは?」
「むしろそれが一般的かも知れませんね。何しろお金がありますから」
「強制的にやらされてるって事は無いのか」
「そこまでは知りませんし、実際目にした訳でもありませんから」
どうでも良いですと言いそうな態度。
もしくは、関わりたくないと言ったところか。
俺も関わりたくはないが、どうでも良いとまでは割り切れない。
「マフィアとか、そっちが絡んでるのかな」
「ドラッグと売春は彼等の収入源らしいですからね。昔は高校生に手を出すのは御法度だったらしいですが、今はむしろ良い客。さすがに中学生は世間がうるさいので、そこまでは手を伸ばしてないらしいです」
「そういうものなのか」
「今度はマフィアと抗争でも?」
真顔で尋ねる男子生徒。
それには答えようも無く、適当に礼を言って通路を引き返す。
マフィアはともかく、管理売春が行われているのは信憑性が高い話になってきた。
とはいえ末端を捕まえていてもきりがなく、今聞いたように個人と組織の見分けは付かない。
流衣達からすればどちらも許し難いだろうが、そもそも深入りすべき問題では無い。
強制的にやらされているような場合以外は、はっきり言えば管理売春でも出来れば関わりたくない。
「どうだった」
廊下で待っていた流衣は俺を見るや、すぐに尋ねてきた。
俺は男でこいつは女。
この件に関しては、俺と違う考えを抱いてる様子。
後は性格的に、受け付けないのかも知れない。
「その手の事をやってる連中がいるのは間違いない。ただ、組織だっているのか個人なのかは分からん。強制的にやらされてるかどうかも」
「この学校でそういう行為に及ぶ事自体が問題でしょ」
見かけたら、男も女も容赦せず叩きのめしかねない勢い。
それは間違った考えではないだろうし、迂闊に反論すれば俺が叩きのめされる。
「警察も調べてるし、俺達に出来る事なんて限られてるぞ。大体マフィアが関わっていれば、リスクが高すぎる」
「だから」
無駄な事を言うなと言いたげな顔。
どうも普段と調子が違う。
幸い通りすがる生徒一人一人に質問をするような真似はせず、ラウンジでお茶を飲む流衣。
何しろ生まれ育ちがお嬢様。
憤りはあっても、結局何をすればいいのか分からないんだろう。
「この先はどうするつもり」
「確実とは言えんが、羽振りの良い生徒やドラッグ使用の疑いがある生徒を当たる。なにしろ金になるし、ドラッグとも関係が深い」
「詳しいのね」
答えたら答えたで怒られる。
やりにくいどころの話では無い。
小さくなってお茶をすすっていると、露骨に不快そうな顔をしたガーディアンのリーダーが近付いて来た。
「何を言いたいのかは大体分かるが、好きでやってる訳じゃないからな」
「首を突っ込む理由はあるのか」
「俺にはない。ただ、色々と事情がある」
「傍観していろとでも?」
シャツの袖口に手を隠す流衣。
そこから何が出てくるかは、言わずとも知れる。
知らないリーダーも危険は悟ったのか、軽く咳払いしてラウンジの周りを見渡した。
「言ってみれば大スキャンダルだし、誰が関わってるか分からない。絶対問題になるぞ」
「そうなる前に処理すれば済む話よ。警察より先にね」
「出来るのか?」
「何もやらなければ、出来る事なんて何も無いわ」
さながら笹島のような台詞。
妙なやる気には疲れてくるが、そこまで言われて何もしないのでは男が廃る。
「仕方ない。お前はガーディアンを使って、やばそうな連中を軽くつついてくれ。抑止力になるし、馬鹿なら主人の下に走る」
「そんな上手く行くのか」
「行かなければ、次の手を探すさ」
俺自身にその気は無くても、トラブル事態は継続中。
またそれに一度は関与した身。
放っておいても、向こうから接触してくるだろう。
予想通りというべきか。
教室へ戻る途中、渡り廊下で囲まれた。
左右は中庭で、生け垣があったりして隠れるには便利。
だからといって、出てくれば同じ事。
一人残らず叩き潰すだけだ。
全員まだ若く、服装も普通の私服。
年齢は不詳だが、高校生かその前後。
学内に侵入してきても、警備員に止められにくい外見。
その分所持品の制約を受け、結果手にしている武器は警棒だけ。
木刀ともなると、その長さに警備員がさすがに声を掛けてくる。
「玲阿風成だな」
声を掛けられたと同時に、一番近い奴へ飛び蹴り。
顔をかかとで叩き潰し、地面へ降りる。
名前を聞いてる余裕があれば襲ってこい。
「き、貴様。何を……。がっ」
何か言いかけ、そのまま足を押さえてうずくまる別な男。
足には太いナイフが刺さっていて、それは柄に付いていたワイヤーで回収。
押さえていた手を改めて傷付け、もう一度のたうち回る事となる。
流衣はナイフを回収すると刃をティッシュで拭い、ワイヤーを振ってナイフを頭上で回し始めた。
こうなると、どちらが悪人か判断に苦しむ状況だな。
結局何の手応えもなく、すぐに制圧。
こちらは無傷で、息も殆ど乱れていない。
「何者なのかしら」
ナイフを袖口へ仕舞い、小首を傾げる流衣。
それは多分、この連中が言いたいだろう。
「管理売春の元締めに雇われたのか、とにかくその関係者だな。向こうから情報を持って来てくれたんだから、礼は言っておくか」
「情報って何」
「話を聞くだけさ。なあ」
足元に倒れていた、腕が見慣れない方へ曲がってる男の頭を掴み持ち上げる。
何を言ってるか聞き取れないので、優しく微笑み語りかける。
「俺も気が長い方じゃない。聞いた事を正確に、分かりやすく答えてくれ。違ってたり訳の分からん事を言ったら。……分かるよな」
「は、はい。はいっ」
必死で首を縦に振ろうとする男。
だが俺が上から持ち上げているので、振るどころか姿勢を保つので必死。
その分、本気にはなっただろう。
IDを持っていないので、名前と住所を確認。
他の男の懐をまさぐり、端末を探し当ててその名前を検索。
「名前はある。これで呼び出せなかったら、楽しみだな」
アドレスを指定してコール。
幸い、男の胸元から着信音が鳴り響いた。
「取りあえず信用してやる。次はお前達の組織と、俺達を襲った理由を話せ」
「お、俺達はただ雇われただけです。お金が振り込まれて、指示した場所へ行って写真の男を脅せと」
「誰に雇われた」
「全然知らない。街で会った男で、前金で支払いをしてくれた」
そこまで分かりやすく辿れはしないか。
とはいえ、仕掛けてくるほど焦りがあるのは事実。
もう少し煽れば、向こうも別な対応を考えるだろう。
「受け取った金は、全額指定する口座に入金しろ。全員分を全額。少しでも額が違ったら、その時はお前が全責任を負え」
頭を離し、他の男を踏み越えて教棟へと戻る。
今の俺の行動も監視されていると考えた方が妥当。
学内、学外、マフィア。
やはり例の学校外生徒が間を取り持っているのだろうか。
「それで、何が分かったの」
普段と変わらない調子で尋ねてくる流衣。
分からない事が分かったとは答えず、適当に呟きこの場をごまかす。
「こんな悠長な事をしていて良いの?」
「急がば回れだ。それに網は手広く張ってある」
「私は学内でこういう真似をする事自体許せないし、信じられないのだけど」
「色んな人間がいるからな」
全てはこれに尽きてしまう。
管理売春を組織する奴と、それに同調する奴。
参加して金を支払う奴もいるし、雇われて俺達を襲う奴もいる。
となると、部屋を貸している奴もいる。
内局を訪れ、設備の管理について質問。
空いている部屋の使用許可を、特に聞いてみる。
「生徒が管理する場所と、学校が管理する場所がありますからね。職員がいるのなら、学校の管轄ですよ」
「誰の?」
「事務局でしょう。何か使いたい部屋でも?」
「まあ、そんなところだ」
やはり適当に答え、礼を言って受付を離れる。
生徒ならともかく、職員は少々厄介。
こちらの手が及びにくい。
「私の力が必要なら必要と言いなさい」
知り合いの教師に頼んで手を打つか、悪そうな職員を捜し出してみるか。
それとも寄付を名目に、親父達からのルートを使ってみるか。
「私の力が必要なら……」
「分かったよ、もう。何の用だ」
とうとう根負けして、口を聞いてしまう。
笹島は胸を反らし、俺と流衣の顔を交互に見つめた。
「例の件を追ってるんでしょ。私も混ぜて」
「お前、仕事は」
「下らない事をやってる場合じゃないでしょ」
到底生徒会長の口から出るとは思えない言葉。
ここまで来ると、あっぱれとしか言いようがない。
とはいえ生徒会長は生徒会長。
俺達より学校には近い立場にある。
「先日の部屋を誰が管理していたか知りたい。そいつを辿れば、組織に近付ける」
「おやすいご用よ。他には」
「生徒の噂は情報局で扱ってるだろうが、職員の噂や素行までは分からん。そっちも頼む」
「私一人では手に余るわね。応援を呼ぶわ」
そう言って、端末を取り出す笹島。
こいつが呼ぶ応援か。
少し嫌な予感がしてきたな。
一瞬にして周りに光が満ち、花が咲き誇る。
そんな訳は無いんだが、ともかく辺りの雰囲気は一変。
生徒達は一斉に浮き足立ち、しかし過度に騒ぎ立てはしない。
「言った方が良いかな」
「お前が忙しいのは分かってる。俺も暇でやってる訳じゃない」
「頼むよ、本当に」
前髪を優雅にかき上げて呟く遠野。
今日ばかりはさすがに同情するな。
呼び出された要件も含めて。
生徒会の会議室に放り込まれる俺達。
そして遠野に資料を配付。
「意見を出しなさい」
「これはどうなったら解決と言えるのかな。首謀者を捕まえたらか、学内からこういう行為を一掃出来たらか、関わった人間を放逐したらか。難易度は後者になるほど難しいし、相当混乱を招くよ」
「首謀者の確保は大前提。一掃は望ましいけれど、個人で行ってるケースは把握しきれないでしょう。関わった人間は、悪質なケースに関しては放逐。それ以外も最低限警告はすべきね」
「これは難問だ」
資料に視線を落としながら呟く遠野。
そこで一応、俺達が的になっている事も告げる。
「つくづく、トラブルに巻き込まれやすい体質だね」
「勘が働くと言ってくれ」
「生徒会の一部とガーディアンは協力、か。これなら首謀者の確保は難しくないよ。職員に関しては、僕から話しておく。まずは、部屋の管理か」
卓上端末を操作。
どこかのデータベースにアクセスしたらしく、教棟の見取り図が表示。
そこを管轄する部署名が表示される。
「事務局総務課となってる。借りる場合はここを通すから、誰が借りたかを突き止めればいい。これで仕事の半分は終わったよ」
「そんなに単純な物なの?」
「自分は捕まらない。なんて高をくくってるからね。そういう連中は、得てしてガードが緩い」
今度はプリンターが起動。
検索されたデータが一覧となって表示される。
管轄は事務局総務課。
ただ貸出先は外部の人間。
だから良いと言う訳ではないが、草薙高校が直接関係していない事に少し安堵する。
「これだけの事をしてるんだから、理事か職員に当然協力者はいると思うよ」
あっさりと嫌な事を言ってくる遠野。
しかしそれは、奴が言うように当たり前の話。
だからこそ、余計に許せない。
「情報関連企業の分室か。企業自体が関わってるはずはないから、これに関しては個人的な組織だろうね。その個人と、学内の関係者が首謀者。生徒や学外の人間が雇われ、仕事を実行。つなぎ役に学校外生徒。組織としてはそんな所だろう」
卓上端末に入力された組織図もプリントアウト。
一気に話が進んできた。
「やっぱりお前がいると、話が早い」
「あくまでも推測のレベルだからね」
「後は任せろ。情報を掴んだ上で動けば、こちらもやりやすい」
「君の場合は、結局人が良いから。分かっていても、見逃してたんだろ」
どうにも耳の痛い台詞。
人が良いつもりはないが、悪い所を見たくないのは人のとしての心理。
それが自分の通う学校なら、余計に。
こいつは実質的な生徒でないのは勿論、かなり冷静な性格。
だからこそこうして分析が下せる訳だ。
俺にはない強さとも言える。
「今日はもう帰って良いわよ。用があったら、また呼ぶわ」
「しばらく東京にでも行ってるよ」
「その時は東京から戻ってくるのよ。はい、お疲れ様でした」
「いっそ君を放逐した方が良さそうだね」
恨み節を残して去っていく遠野。
ただ、去っていけるだけまだましか。
笹島は組織図を机の上に置き、それを手の平で勢いよく叩き付けた。
「当然警察も、同程度の推測はしてるはず。小物はそちらに任せ、あなた達は首謀者を捕らえなさい」
「捕らえてどうするつもりなの。拷問でもする気?」
「捕まえた後で考えるわ。とにかく、私の学校でこんな真似をする奴は許されないのよ」
さながら自分の私物みたいな口調で語る笹原。
色々と突っ込みたいが、それ程間違った事は言っていない。
「警察は立件するだけの証拠が必要だから、首謀者を捕まえるのは時間が掛かりそうだ。俺達が先手を打つのは難しくない」
「分かった。この企業と関係ある職員や理事に関しては、私が調べておく。あなた達はその企業関係者を捕まえて来なさい」
簡単に言ってくれるな、この女は。
改めて武装を確認。
インナーのプロテクターと警棒。
念のために懐へナイフ。
本来警棒は所持出来ないが、俺と流衣は一応特例として認められている。
普段は身に付けなくても、こういう時には非常に助かる。
流衣は相変わらずナイフを仕込み中。
俺も一応、もう1本追加するか。
「これ、もらうぞ」
細いナイフを手にして、袖にしまう。
上手く使えば暗器代わりにもなる。
スポーツではないので、相手へいかにダメージを与えるかが重要。
むしろ暴力的であればあるほど良い。
「捕まえるだけで解決するの?」
「それは捕まえた後で分かる」
「似たような組織がまた作られる可能性もあるでしょ」
「それも捕まえた後で分かるさ。こういう真似をしたらどうなるか、教えてやればいい」
学内なのでこそこそ隠れる事もなく、普通に廊下を歩く。
その企業のが入っているブースを目指すため、学内の地図を見ながら。
向こうも一直線に目指してくるとは思ってないだろうし、先日襲ってきた連中程度なら難なくあしらえる。
何より時間を置いてする事ではない。
「全員捕まえるつもり?」
「結果としてはそうなるだろ。俺達は警察じゃないから、その辺の制約はない」
「ひどい話ね」
だから引き返すとは言わず、むしろ歩く速度は早くなる。
この件に関しては俺よりも積極的。
女性だからだけではなく、これもまた四葉のためか。
結構過保護だよな、表には出さないけど。
周囲を囲まれる事もなく、出資企業が入っているブースに到着。
もう一度地図を見て、目的の企業の部屋を確かめる。
「一気に制圧するからな」
「相手は武装してないの?」
「してたらしてただ」
「処置無しね」
鼻で笑い、袖口に指を触れる流衣。
どっちがだよ、それは。
自動ドアをくぐり、室内へ突入。
受付のカウンターを飛び越え、近くにあった机の上に乗る。
流衣がドアをロック。
それを確かめ、警棒の反対側に提げていたサバイバルナイフを抜いて照明にかざす。
「動くな。動いた奴は、これで斬る」
机の上にあった分厚い本を足で拾い上げ、ナイフを振り下ろす。
本は中央で二つに寸断。
それでも動く奴はいて、窓際にいた男がその窓を開けて逃げようとした。
袖口のナイフを抜いて、それを投擲。
小さい悲鳴が上がり、すぐに卒倒。
肩を軽く刺しただけで、全治三日と言ったところ。
とはいえナイフを刺された経験が無ければ、悲鳴も上げるし倒れたくもなるだろう。
「もう一度だけ言う。動くな。次は、こっちで斬る」
サバイバルナイフを振り、再度警告。
斬るといったからには、今度こそはこっちを使う。
俺の本気度が理解出来たのか、全員棒立ちのまま動きを止める。
後は流衣と共に、持って来た指錠を全員にはめて床へ転がす。
次は室内にある卓上端末のデータを全て収拾。
データの入ったDDをポケットへしまい、床に転がった職員達を見渡す。
一番側にいた男を立たせ、腰を屈めさせて上半身を机の上に倒す。
「管理売春をやってる馬鹿がいるらしい」
「な、何の話ですか?」
「この企業関係者とまでは分かってるんだ」
「し、知りません。わ、私は何も」
もがこうとする男の首筋にサバイバルナイフ。
すぐに危険を悟ったのか、動きが止まる。
「10数える内に話せ。10、9、8、7、6」
「ほ、本当に何もっ」
再びもがき出す男。
多少傷付いても、死ぬよりはましと思ったようだ。
数を数えながら、周りを確認。
ドアの側にいた女が、微かに表情を緩めた。
なるほどと思いつつ、一気に数字を数え終える。
「お前は終わりだ。知ってる奴がいるまで、一人ずつ殺す。全員殺す」
男以上に顔色を変える女。
確定だな、これは。
男を床へ転がし、その女を立たせて壁に張り付かせる。
「何か知ってるみたいだな」
「や、止めて。お、女に手を出す気?」
怯えつつ、媚びを売る表情。
腰を微妙にくねらせ、上目遣いで、隙あらば俺にしだれ掛かろうとする。
なるほどと思い、指錠を解いて女の肩を抱く。
「別な場所で話を聞こうか」
「ええ、そうしましょう」
しなやかに体を寄せてくる女。
俺の腰にも、女の手が回る。
俺にも運が巡ってきたな。
事前に見つけておいた空き部屋に入り、ドアをロック。
外に音が漏れないかを確認する。
「服は早めに脱いだ方が良いぞ」
「随分せっかちなのね」
くすくすと笑う女。
それでもブラウスのボタンに手を掛けながら、俺に意味ありげな視線を向ける。
「どういうサービスがお好み?勿論料金を取ろうなんて言わないわよ」
「俺がサービスする側だよ」
「若いのに、色々知ってそうね」
「今からじっくり教えてやるよ」
サバイバルナイフの束で、鼻を殴打。
鼻血が飛び散り、ブラウスが赤く染まる。
床へ倒れた女の足を踏み、髪を掴んで顔を持ち上げる。
「だから脱げって言ったんだ。高いんだろ、その服」
「な、何をっ」
「話してるのは俺なんだ」
もう一度鼻を殴打。
当然鼻血が出て、顔が赤く染まり出す。
そろそろだな、これは。
その辺にあったタオルで手を拭って部屋を出る。
壁にもたれていた流衣は俺を見ると、顎を振ってドアへと向けた。
「どうだった?」
「俺みたいな男は嫌いだってさ」
「ひどいわね、あなたも」
もう一度鼻で笑う流衣。
傍観してた時点で同罪だろ。
「企業自体は関わって無くて、女の独断行動らしい。後は理事と職員のリサーチ待ちだな」
「彼女は何がしたかったの」
「金だろ、純粋に」
「お金を儲けて、どうするの」
恐ろしく初歩的な質問をされた。
これだからお嬢様の相手は困るんだ。
「答えたくもないって顔ね」
「そうじゃないが。現代日本は資本主義体制だ。そして商品やサービスには、その対価として通貨が支払われる。お金その物に意味はないが、政府がそれに価値があると保証している。だが通貨を得るには労働が必要で、その労働に見合うだけの通貨を労働者は雇用者から」
「あなた、遠野君?」
どうするって聞いたから答えたんだろ。
根本的な部分からよ。
生徒会へ戻ると、胸を反らした笹原に出迎えられた。
この調子だと、情報の聞き込みは成功したようだ。
「馬鹿共は特定した。そっちは」
「おそらくは犯人を見つけた。企業のブース自体を封鎖してるから、処理してくれ」
「任せなさい。それと、すぐにここへ行って捕まえて来て」
猫の子じゃないんだぞ、相手は。
「簡単に言うけど、ここまで暴れれば相手も警戒してるんだぞ」
「今更でしょ、そんな話は。警察が来る前に、動きなさい」
ますます悪者決定だ。
廊下をとって返し、今度は事務局へ向かう。
自分でも言ったように、俺達が暴れ回っている情報はすでに伝わってるはず。
万全とは言わないまでも、一応の準備はしているだろう。
「気を付けろよ。カメラで撮られてる可能性もある」
「二人だけで乗り込む馬鹿と思って、油断するんじゃなくて」
「そういう軽い相手なら良いが」
また軽かろうと重かろうと、相手の装備次第によって危険度は変わる。
ナイフだけでは正直心許ないが、そこはどうにかするより無い。
事務局のフロアに到着した所で走り出し、目的の部屋まで駆け抜ける。
笹原が言ったように、後は警察との時間勝負。
問題はそれだけだ。
「……ここだな」
ドアに張り付き、コンソールを操作。
しかしドアが開く気配はない。
「どいてろ」
コンソールのスリットにカードを挿入。
端末でボタンを操作。
コンソールが火を吹き、ドアが勝手に開いていく。
理屈は分からんが、父さんから手に入れた特殊なカード。
軍時代の物らしく、今回の件で使えとだけ言われて渡された。
「殆ど犯罪ね」
「全く犯罪なんだよ。突入するから援護しろ」
「了解」
ドアの隙間から中へ侵入。
頭上を過ぎて行くナイフを追いかけながら、振り下ろされた警棒を肘でブロック。
それを横から掴み、手首をひねって男を倒す。
その鳩尾を踏んで飛び越え、近くの机に乗ってサバイバルナイフを抜く。
乾いた音と火薬の匂い。
幸い体に穴は空いておらず、空砲か外れか警告。
一瞬振り向くが流衣も無事。
この時点で、勝ちを確信する。
室内にいるのは全部で5人。
一人は俺が倒し、もう二人は流衣のナイフを食らってうずくまっている。
残りは2人で、2人とも銃を所持。
俺を狙ってはいるが、当てる度胸がないか当てる腕がないかのどちらかだ。
構えが定まっていない内に机を踏み切り、右側の男の顔を蹴る。
そのまま左へ飛んで、左側の男も蹴りつける。
今度は肩をかすめたが、縛っておけば止まる程度。
「……笹原か。全員倒したから、部屋をロックして資料を集める。……ああ、次は理事だろ」
データの収集は流衣に任せ、その間に転送されてきた学内の見取り図を確認。
警察が到着したとも告げられる。
「勿論捕まえる前に逃げるさ。……ああ、資料は後で送る。……流衣」
「データは収集、削除したわ。消して良いのよね」
「消す方が主な仕事だ」
好きで客を取ってた奴は良いが、強制的に取らされてた人間がいないとも限らない。
それに関しては、さすがにデータを消してやりたいから。
部屋を飛び出し、今度は初めから廊下を走る。
目指す場所は最上階。
ここは初めから警備員がいて、簡単に辿り着くのは難しい。
「この辺か」
廊下の窓を開け、窓枠に飛び乗って身を乗り出す。
腰に装着してあるワイヤーを伸ばし、それを上のフロアへ投擲。
フックを窓枠に引っかけ、磁石を作動。
完全に接着したのを確認し、流衣を呼び寄せる。
「それは、試した事あるの?」
「四葉を抱えて、しょっちゅうやってる。ほら、早く」
「絶対落ちないでよ」
文句を言いつつ、俺の懐に入る流衣。
そのウエストを左腕で抱き、右手でワイヤーを操作。
後は運を天に任せるだけだ。
どうにか無事に上層階へ到着。
電磁式の解錠を使い、ロックを開けて窓の中へ飛び込む。
振り下ろされたバトンを、こっちは振り上げた足のかかとでブロック。
そのまま押し切り相手とのスペースを確保。
流衣がナイフを投げ、一件落着となる。
「大丈夫か」
「今のところは」
囲まれてはいないが、おそらく階段かエレベーターの方へいた集団がこちらへ駆け寄って来る。
倒すのは簡単でも、こっちは警察とも勝負。
悠長にしている暇は無い。
「ナイフで牽制。その間に、部屋へ突っ込む」
「そればかりね」
「他の手があるなら教えてくれ」
答えないと来た。
だからやるしかないんだよ。
先程と同じ手順でコンソールを破棄し、ドアを開ける。
しかしドアは少しスライドしただけ。
どうやら机か何かを倒して、ドアのスライドを防いでるらしい。
「馬鹿にしやがって」
床に転がっていたバトンを差し入れ、梃子の要領で無理矢理押していく。
バトンが曲がって曲がって、さらに曲がり。
それと同時にドアも少しずつだが開いていく。
これを開けるなら、車を押した方が簡単じゃないのか。
嫌な音と反動があり、バトンがへし折れる。
その甲斐あって、ドアにはどうにか通れるだけのスペースが確保出来た。
「またナイフだ」
返事もせずに頭上を越してナイフを投げる流衣。
分かってるよ、俺だって。
さっきよりも軽快な音と火薬の匂い。
腹に一発衝撃を受けたが、プロテクターが功を奏したのか激痛は無し。
あくまでも突き抜けなかっただけで、破片くらいはめり込んでるだろうが。
二度目の掃射が来る前に部屋へ突入。
目に付いた机を持ち上げ、マシンガンを抱えていた奴に放り投げる。
銃弾と机。
勝負はあっさりと付き、男は悲鳴も上げずその下敷きになった。
廊下の外は流衣に任せ、データを収集。
幸い部屋の中にいたのはマシンガン男一人だけ。
他人を信用しないタイプかも知れず、その分助かった。
「……笹原か。全部収拾した。……いや、警察の動向を知りたい。……ああ、逃げるから問題無い。……流衣、こっちだ」
流衣を部屋に招き入れ、机をドアへ積み重ねる。
ついでに本棚もその前に倒し、簡易バリケートが完成。
これで時間稼ぎは出来た。
「脱出するぞ」
「今ふさいだのに?」
「こっちからだ」
執務用の大きな机の後ろは馬鹿でかい窓。
名古屋北部が見渡せる絶景とも言える眺めで、天気が良いからテレビ塔が良く見える。
「……まあ、割れる」
拳で全力の連打。
少しヒビを入れ、割れる事を確認する。
今度は椅子を叩き付け、椅子を破壊。
ヒビはさらに大きくなる。
「避難ばしごでもあるの」
流衣の台詞には耳を貸さず、別な椅子で連打。
破片が一つ外へ落ちて、穴が空く。
「せっ」
腰をためて、前蹴りを一発。
空気が一気に外へ漏れ、吸い込まれる感覚と共に窓ガラスが四散する。
高所用なので、断面は丸め。
下に誰かいても怪我を負う心配はない。
「来い」
「嫌よ」
ここに来て俺の意図を悟る流衣。
拒否権はないんだよ、この際は。
「飛び降りる訳じゃない」
「絶対嘘よ」
「嘘でも良いんだ。来いって」
「死んだら化けて出るわよ」
刺すような視線で睨みながら懐に入って来る流衣。
流衣が死んだら俺も死んでるはずだから、化けて出ようもないとは思う。
ワイヤーの磁石を窓枠に接着し、窓の外に出てそのまま降下。
風は強いが眺めは最高。
空と同じ位置を見ながら風を感じるなんて、かなりの贅沢だと思う。
むしろ金を取っても良いんじゃ無いかな。
「ワイヤーの長さは無限なの?」
俺の腕にしがみつきながら尋ねる流衣。
質問へ答える前にワイヤーの長さが限界に到達。
幸い高さは3階程度。
なんて事は無い。
「ちゃんと捕まってろよ」
「ワイヤーの長さは無限なの」
今しただろ、その質問は。
ウインチの操作ボタンに触れ、解除ボタンを確認。
下も見て、危険物がないかを確かめる。
「喋るなよ、これから。舌を噛む」
「降りたら話があるわよ」
落ちたらだろと突っ込みたいが、まだナイフで刺されたくはない。
まずはワイヤーを解除。
途端に感じる浮遊感。
全力でしがみついてくる流衣。
悪いなと思いつつ、彼女を軽く抱きしめる。
膝をクッション代わりに着地の衝撃を和らげ、そのまま全力でダッシュ。
落ちていく間に、制服警官の姿を発見したので。
向こうがこっちを見ていたとは限らないが、今は逃げる以外に選択肢は無い。
幸いこういう時は、草薙高校の特性が助けになる。
元々が庭園だったために、緑が非常に豊富。
場所によっては森や林のようになっていて、そこを抜けて行けば殆ど人目に付く事は無い。
出来るだけ人気の無く、体を隠せる森の中を疾走。
息が切れる前に塀が見えてきて、それに飛び乗り道路側へ降りる。
後は地下鉄の駅を目指すだけ。
人間、やれば大抵の事は出来るものだ。
「降りて良いかしら」
胸元から聞こえる澄んだ声。
良く見なくても、流衣がしがみついていた。
「忘れてた。降りてくれ」
「ありがとう」
皮肉なのか本気なのか、礼を言って道路へ降りる流衣。
周囲に警官の姿は無く、いるにしろそれは正門やそれ以外の門。
ただの塀までは警戒していないだろう。
さすがに神宮駅は使わず、金山まで抜けてそこから地下鉄に乗車。
八事で降りて、後は家へと向かう。
「大丈夫なの?」
「すぐに気付かれる証拠は残してないし、警察が来ても取引材料は抱えてる」
「ひどいわね」
まるで俺が悪いような言い方。
こいつ、自分で言い出したって分かってるのかな。
「何」
「いや、別に。よう、お出迎えか」
珍しく家の前に座っている馬鹿でかいボルゾイ。
しかし俺にはあまり興味がないらしく、隣を通っても横目で見ただけ。
犬は人に仕えると聞いていたが、あれは単なる俗説か。
庭を抜けて母屋へ着くと、親父に出迎えられた。
こちらは間違いなく、俺を待っていたようだ。
「どうですか」
「データは全部押収した。やばいデータだけを消して、それを警察に渡す」
「それなら警察も司法取引に応じてくれるでしょう。前科は付きません」
「前科って?」
怪訝そうに尋ねてくる流衣。
こいつ今まで俺達がしてきた事を、犯罪行為って気付いてなかったのか。
「いずれ警察から連絡が来るでしょうから、それは私が対応しましょう。二人は休んでいて下さい。それと、武器の手入れは忘れずに」
「前科って何?」
おおよそ、家族でする会話ではないな。
日本の警察は俺が思っていた以上に優秀らしく、当日の内に連絡が入った。
何をどう交渉したかまでは分からないが、取りあえずお咎めは無し。
多少厳しめの事情聴取を受けただけで。
DDのデータ削除は笹原に一任。
その後遠野にも回ったらしいが、特定のデータさえ消えれば用は無い。
「停学って何」
憮然とした表情で、テーブルに置かれた停学の通知書を指さす流衣。
その上をヤマネコがのしのしと歩き、通知書を踏み越えていった。
「むしろ停学で助かったと思えよ。下手すれば今頃、警察の留置所だぞ」
「だからって」
「善意があれば何をしても良い訳じゃない。大体何人の骨を折った」
「いちいち数えてなんていられないわ」
平気で答える流衣。
本当、停学でよく済んだ。
流衣が言うように、報われてないとは多少思う。
悪い奴を倒し、困っている人のために行動した結果が停学。
とはいえ行きすぎた行動があったのは確か。
また、感謝をされるためにやった訳でも無い。
「退学にならなかっただけ、まだましだ」
「後ろ向きな考え方ね」
自嘲気味に呟き、停学の通知書に触れる流衣。
その上にヤマネコが寝そべり、動かなくなった。
「この程度の事なんだろ、結局は」
「意味が分からない」
「俺も分かってない」
報われないし、何も得ないし、感謝もされない。
言うなれば自己満足だけが残る結果。
いや。満足すらしていないか。
あるのは処分の通知と、俺達の体に流れる戦いの業。
それを振るう時は結局、このような時以外に無い。
俺達の存在自体が異端とも言える。
「馬鹿が減った。それだけで十分だろ」
「四葉が入学した時にあんな組織があったら、確かに困るわね」
「そういう事だ。まあ、あいつのためにはなった」
「それで十分って?」
くすくすと笑い、猫に触れる流衣。
その気持ちが伝わったのか、今日は珍しく喉を鳴らして機嫌が良い。
ささやかな報酬。それとも感謝。
家族からですらない、猫からの。
その程度が、俺達にはお似合いだ。
了
エピソード46 あとがき
基本的には、第46話と同じ展開。
内容がではなく、混乱に巻き込まれる形が。
また今回の件は、本編3年編で一部語られた出来事。
この手の武勇伝は、彼らにとって氷山の一角。
それがさほど有名になってないのは、やはり当時の時代背景。
「良くある出来事の一つ」で片付けられていたのでしょう。




