エピソード(外伝) 46-1 ~風成(ショウの従兄弟)視点~
戦いの果てに
前編
いきなり机が叩かれ、書類が一枚そこに置かれた。
突っ込みたい部分はいくらでもあるが、それを手に取り目を通す。
「……文化祭のお知らせ」
「模擬店をやりなさい」
お願いではなく、命令口調。
笹原は腰に手を当て、俺を睥睨するような視線を向けてきた。
「遠野じゃないけど、言わせてもらう。俺も、そんなに暇じゃない」
「だったらバザーに何か出店しなさい。あなたの実家、お金持ちでしょ。玲阿財閥は」
「財閥ではないが、それは親に聞いてみる」
その程度で助かったと言うべきか、そちらへ誘導されたとするか。
大体こいつ、俺達には関わらないんじゃなかったのか。
しかし今や、この女が生徒会長。
絶対権力者ではないが、マンガみたいな権限を持つ立場なのは確か。
ここは頭を低くしておいた方が得策だろう。
「それだけで良いのか」
「用は済んだ。後は自分の学業に専念しなさい」
何目線なんだ、一体。
生徒会活動が忙しいのが、授業にも出て来ない笹原。
平穏で落ち着いた日々が続くとも言える。
「バザーだってよ」
「洋服とかでも良いのかしら」
スープパスタのパスタを、器用にホークで巻き取る流衣。
出す物に制限はあまりないが、こいつは性格が性格。
一応釘を刺しておくか。
「服は良いが、あまり高価な物は出すな。あくまでも、普通に買える値段の物だ」
「家にあるんだから、買える値段の物でしょう」
「お前が買った訳ではないだろう」
「選んだのは私よ。それに私も、何がいくらでどのくらいするかは分かってるわ」
突然牙を剥く流衣。
お嬢様扱いされるとすぐにこれだが、実際お嬢様なのだから仕方ない。
生活態度がではなく、その性格が。
蝶よ花よと育てられた訳では無いにしろ、実家は裕福でこの容姿。
大切に育てられたのは確かで、自分から何かをする必要はなかった人生。
無論身の回りの事は一通りこなすが、それ以外の事はいまいち不得手。
俺も含め、周りが甘やかしすぎたとも言える。
「それにしても文化祭か。たまにはぱっと弾けるか」
「誰が」
素で尋ねられた。
これもやはり、こういう性格。
感情の起伏に乏しいというか、振り幅が小さい。
とはいえ大はしゃぎするこいつも、あまり見たくは無いんだが。
放課後。
HRが終わったと同時に、笹原が飛び込んでくる。
教師は苦い顔をしているが、そういう事を気にしない人間。
こっちの胃が痛くなる。
「バザーの話は聞いた」
「いつの話をしてるのよ。その前に体育祭あるでしょ。その時、演舞やってよ」
「……体育祭だよな」
「外部の人間に、草薙高校ここにありって所を見せつけたいの。良くあるじゃない、瓦を割るとか氷柱を叩き割るとか、スイカを叩き割るとか」
叩き割ってばかりだな。
とはいえその手の演舞にインパクトがあるのも確か。
技術や能力の以前にだ。
「あれは素材に仕込みをしておけば、お前でもやれるぞ。氷なんて、重みで勝手に割れるだけだからな」
あくまでも、仕込みをしていればの問題。
そして、配置やバランスの計画も必要。
無造作に積み上げた氷や瓦は、単なる鈍器でしかない。
「そういう話は聞いたことあるけど。知識はあるの?」
「空手部に行けよ。あっちは専門家だ」
「良いから来なさい。そっちのお嬢様も。ほら、早く」
連れてこられたのは武道館。
すでに道着姿の生徒が集まっていて、気合いと共に瓦を割りまくっている。
「資源の無駄遣いじゃないのか」
「粉砕して、再利用するらしいわよ。流衣ちゃん、あなたは何が出来るの」
「私も?」
「むさい男共では見栄えが良くないでしょ。やっぱり、華がないと」
もう突っ込む気にもなれんな、これは。
「私は刀とかナイフだから」
「刀持って来て」
笹原がそう告げると、本当に日本刀が運ばれてきた。
真剣か、これ。
「無銘だけど、良い物らしいわよ。どう?」
「軽いし、悪くはないわね」
鞘を抜き、照明に刃をかざす流衣。
なんだかんだと言って乗せられてるな、こいつも。
上段に構え、わずかに眼を細める流衣。
俺がプリントを宙に舞わせると、その腕が一瞬きらめき元の構えへと戻る。
「え」
笹原が変な声を上げるのも道理。
その足元へ、二つに寸断されたプリントが落ちているから。
固定された物を切るのはたやすいが、この芸当はそれとは一線を画する。
また日本刀自体が良い物なんだろう。
「近くで見れば分かるけど、遠いと意味不明ね」
「……意味は分かるわよ」
「巨大なわら人形を切りまくるとか、それはどうなのかしら」
「それこそ、どんな意味があるの」
この会話にこそ、どんな意味がある。
もはや付いて行けず、二人から離れて壁により掛かっている角材に手を触れる。
これは細工をしておらず、しかも結構固い。
折るためではなく、これを武器にするのかな。
「これはお目が高い」
インチキな店員みたいな声を出して来やがる道着姿の男。
というか、角材に目が高いも低いも無いだろうよ。
「それはラワン材を使用しておりまして、非常に強度に優れております」
「武器代わりか」
「ええ。ですが最後には、結局折りますけどね」
「ほう」
普通の角材ならともかく、これを折るのはちょっと難しいはず。
かなりの使い手がいるか、良いアイディアの持ち主がいるかだ。
「どうやって折るんだ」
「……これは、あなただけにお話しするんですが」
ますます店員決定だな。
「この部分をよく見て下さい」
「……火薬か」
「相手の手刀が角材を寸断という設定です。これからは演出も重視していかないと、演舞は廃れる一方ですよ」
演舞にはやり廃りなんてあったのか。
とはいえこれはちょっと面白そう。
当日は期待しておこう。
他の素材も、大半は仕込み済み。
それに意義を唱えるつもりはなく、むしろ普通だと思う。
「人間の手は、それ程硬くはないですからね」
薄く微笑み、継ぎ目のある丸太に触れる男。
変な所でリアリズムだな、こいつ。
「俺も何かやれって言われたんだが、簡単そうな奴はあるか」
「小細工無しで、丸太を叩き割るのはどうですか」
「……人間の手は、それ程硬くないんだろ」
「残念ですね。……ただ玲阿さんは敵が多いので、仕込んだつもりでも実際はという事になりかねません。そこは気を付けておいて下さい」
小声で警告する男。
私がその筆頭ですとか言わないだろうな。
「分かった。ただ丸太はともかく、角材や瓦くらいなら平気だぞ」
「だったら異種格闘技はどうですか?私、動物のインストラクターと懇意にしていまして」
そういう意味なのかよ、異種って。
気付けばクラブの終業時間。
ちょっと楽しかったと思いつつ、正門を抜けて地下鉄の駅へと向かう。
「良い夜ね」
狼男みたいな目付きで、夜空に浮かぶ月を見上げる笹原。
こいつはナイーブになるとか気力が萎えるとか、そういう事とは無縁なんだろうな。
寮住まいのこいつが付いてくるのは、家でバザーへの出店商品を確認するため。
出来れば避けたい所だが、面倒ごとは早く片付けるに限る。
ホームで地下鉄を待っていると、視界の隅に制服が映った。
それ自体は珍しくもない、ありふれた光景。
隣に、年配の男がいなければ。
好意的に解釈すれば、父親。
もしくは列を作っている間に、たまたま位置が横になった。
しかし二人には意思の疎通があり、ただそれが少しぎこちない感じ。
気にしておいた方が良さそうだ。
地下鉄に乗り込み、その二人を隣の車両から観察。
男は手すりに掴まり、女は椅子に座る。
お互いが正面で、女は怠惰な表情。
面倒さを隠していないと言うべきか。
「どうかしたの」
さすがに不審そうに尋ねてくる笹原。
相手に悟られないよう、微かに顎を振って隣の車両に注意を向けさせる。
「何も無いわよ」
「高校生と、おっさんがいるだろ。女は座ってて、男は立ってる」
「あれが何」
「ちょっと気になる」
正直に言えば、嫌な想像が先に立つ。
俺が首を突っ込む事柄ではないかもしれないが、気付いてしまった物は仕方ない。
ターミナル駅である新瑞橋で降りる二人。
俺もすぐにその後を追う。
「追う気?」
「お前は流衣と家に行け。何があるか分からん」
「冗談でしょ。これは絶対に見物じゃない」
好奇心。
もしくは何らかの義憤を抱き始めているのか。
猪なら、前足で地面を削り取っているところ。
一緒に降りてきた流衣は、何がという顔だが。
「お前は見ない方が良いと言いたいんだが」
「何が」
「まあ、いい。一応武器の確認だけしておいてくれ。荒事にならんとも限らん」
駅の外に出て、繁華街を歩いていく二人。
会話は殆ど無く、ただ距離は一定で離れる事も無い。
やがて明かりが消え始め、二人は街の外へと向かっていく。
「あの二人がどうかしたの?」
三周遅れくらいの質問をする流衣。
とはいえ、このくらいの方が人間としては楽しいかも知れないな。
大通りから外れ、路地へと入っていく二人。
店もろくに無いような道で、ただ行く手には派手な看板が一つだけ見えている。
「状況は把握出来た。帰るぞ」
「あの男を叩きのめすんじゃないの」
すごい事を言ってくる笹原。
対して流衣は、ここがどこかも良く分かってない顔。
ただ俺は、宣言した通り状況は把握した。
俺が見たのは、女が男の手を引いてホテルに入った所。
逆なら違う対応も考えたが、これでは口を挟む余地は無い。
そこに何が絡んでいるかはともかく、お互いが同意してるなら余計に。
少し遅れたが家へと戻り、バザーに出店出来そうな物をリビングへ運び込む。
古い家電製品、服、小物、本。
これだけ出せば、家の中も整理出来るだろう。
「全部良いんですか?」
自分で言い出しておきながら、意外そうな顔をする笹原。
親父は満足げに頷き、担いでいたゴルフバッグを床へ置いた。
「使ってない物ですからね。それが世の中の人のためになるのなら、これ幸いです」
「助かります。現金とは行きませんが、お礼は必ずさせて頂きますので」
「楽しみにしています。荷物に関しては風成が運びますから、後でリストを確認しておいて下さい」
手渡される書類。
いつの間にそんなのを作ったのか知らんが、元情報将校は手際がいいな。
流衣と一緒に洋服を見てはしゃぐ笹原。
しかしこちらはそういう心境とは程遠く、先程の光景がまだ意識に残っている。
あの二人がどんな関係だったのかは分からないし、そもそも高校生かどうかも不明。
また強要された風にも、俺からは見えなかった。
しかし楽しい光景でないのも、また確か。
悪意が本当に存在しないとは言い切れない。
足元に違和感。
何がと思うと、山猫が組み付いていた。
一緒にするものではないが、これも悪意はないと思いたい。
「笹原、これも持って行け。珍しい種類だから、高く売れるぞ」
「……何、それ」
さすがに引きつった顔をする笹原。
俺達は見慣れているが、街中をうろつく猫とはまるで違うサイズと顔立ち。
檻越しに出会うのが普通で、少なくとも普通の家には住んでいない。
「猫だ。ちょっと育ちすぎた」
「冗談でしょ。大体その耳。山猫の印が出てるじゃない」
「耳?」
猫をテーブルの上に置いて耳を確認。
なにやら、白い斑点が付いている。
「虎耳状班とも言うんですけどね。野生の猫科に見受けられる特徴で、いわゆるイエネコにはありません」
解説を始める親父。
そんな物かと思いつつ、テーブルの上に寝そべった猫を見下ろす。
動物学の見地からも、こいつが野生種だと確認された訳か。
笹原は流衣と共に客室へ移動。
今日は泊まるつもりらしい。
「何か悩み事ですか」
ゴルフクラブを担ぎながら尋ねてくる親父。
しかしこの巨体だと、武器にしか見えないな。
「ちょっと変なのを、地下鉄で見かけたんだ。制服を来た女と、年配の男の組み合わせ。気になって後を付けたら、ホテルに消えた。まあ、お互い同意の上みたいだけど」
「そういう話ですか。確かにお互い同意をしているのなら、こちらからは何も言えませんね。法的、倫理的には問題があるにしろ」
「それと思ったんだ。本当に、お互い同意してたのかって」
「問題はもう一つ。あなたは女性を被害者と考えているかも知れませんが、それで利益を得ているのなら議論の余地はありません」
なかなかに辛辣な台詞。
世間的にこんな事を公言すれば袋だたきに遭うだろうが、さすがに身内以外には言わないだろう。
「男女の仲は、他人には分かりかねる部分もありますしね。案外、自由恋愛かも知れません」
「自由、恋愛?高校生とおっさんの?」
「年の差がある夫婦は珍しくないでしょう。例えば20才差なら、そういう事も起きてきます」
なんだか嫌な話になってきたな。
でもって、背筋が寒くなってきたぞ。
翌朝。
昨日はいまいち寝付きが悪く、起きても気分爽快とは程遠い心境。
下らない事を考え過ぎた。
いや。下らなくもないか。
「眠そうね」
こちらは元気溌剌。
それこそ発電でも起こしそうなくらいの笑顔を見せてくる笹原。
対して流衣はいつも通りの落ち着いたトーンで、地下鉄の手すりに掴まり窓の外を眺めている。
トンネルだから何か見える訳でも無いが、こいつの思考はたまに読めん。
「昨日のカップル?」
「まあな。お互い同意に見えたが、違ってたらなんて考えてた」
「生真面目というか、融通が利かないというか。もっと言えば、それとあなたと何か関係ある?」
それを言い出したら全てが終わる。
とはいえ俺が考える必要があるかと問われれば、今のように返事に詰まる。
「……さっきから、何を見てるの?」
「地下鉄って、どうやって地下に入って来たのかと思って。材料を一つ一つ、階段で運んでくるのかしら」
真顔で言ってのけたな、こいつ。
これは笹原もさすがに突っ込まず、優しく笑って彼女の頭をそっと撫でた。
「何よ」
「どこの天使かなと思っただけ」
「何の話?」
「何もかもの話よ。朝からどっと疲れたわ」
学校でも授業に身は入らず、気付けば昼休み。
食欲が落ちている訳では無いため、食事はしっかりと取る。
「昨日から、何かあったの?」
やはり3周遅れくらいの質問。
俺はカレーの皿を脇に寄せ、カツ丼の丼を手前に引き寄せた。
「大した事じゃない。男女の仲について、考えてただけだ」
「そういうタイプ?」
こましゃくれた子供を見るような目付き。
言いたい事は俺にも分かる。
「もっと違う意味だ」
「どういう意味」
「お前には分からんよ」
というか、分かられても困る。
放課後。
廊下へ出たところで、思わず足が止まる。
笹原が前に立ちふさがった訳ではない。
昨日見た女が、遠くに立っていたからだ。
友達の輪に収まる、普通の女子高生。
おかしな所は何も無く、昨日の一件がなければ気にも留めなかったはず。
ただ暗い影は感じられず、それには少し気が軽くなる。
「この学校に、悪い噂ってあるのかな」
「悪い生徒がいるなら、悪い噂もあるでしょう」
耳元の髪をかき上げ、そう答える流衣。
それがどうしたと言いたそうな目付きで。
「なんでもない。帰るぞ」
俺の考えが何かを引き寄せたのか。
それとも、この手の事が流行っているのか。
昨日と同じような場面に、また出くわした。
最悪なのは、それが学内だった事。
笹原を避けようとして、人気のない廊下を選んだのが失敗した。
俺が見たのは、昨日と似た組み合わせ。
制服姿の女と年配の男。
ただ学内なら、普通に生徒と教師で済む話。
別段珍しい取り合わせでもない。
問題は、二人の態度や距離感。
男は妙に馴れ馴れしく、女は距離を取りがち。
周りに人がいないと思っているのか、男は女の肩に手を回しだした。
「あれは、何」
低い、氷の刃物みたいな声を出す流衣。
すでに細身のナイフを手に持ち、今にもそれを投げそうな雰囲気である。
「落ち着け。まだ何も分かってない」
「男女の仲って、こういう意味だったのね」
パーツがはまったという顔。
変な所で鋭いな。
無いも無い廊下なので姿の隠しようが無く、出来るだけ距離を置いて相手に悟られないよう後を付ける。
会話を聞き取れば良いのだが、それこそ廊下の端と端。
二人の挙動を判断するので精一杯だ。
「仮に風成の言う男女の仲だとしても、学内でああいう行為は許されるの?」
「いちゃついてる連中はいくらでもいるだろ」
「生徒と教師だとしても?」
「大人だけに倫理観を求めても仕方ない」
結構良い事を言ったつもりだが、流衣はそう思わなかった様子。
その視線だけで殺されるかと思ったぞ。
「お前な。男は悪くて女は悪くないなんて、偏見も良い所だぞ」
「そうじゃなくて、教師が生徒に手を出すのはどうかって言っているの。仮に男女の仲でも、ここは学校よ。最低限の自制心はあるべきでしょ」
意外と保守的なんだな。
あまり進歩的でも、勿論困るが。
二人の姿が廊下から消えたので、この論争は一旦中断。
また距離を詰める良いチャンス。
二人が消えた角まで一気に走り、角に付いた所で壁に張り付きながら様子を窺う。
「……ミラーは」
無言で細いミラーを手渡してくる流衣。
普段使っている手鏡では無く、どうやらそれにはこの二人を写したくないようだ。
とはいえ物が反射するなら何でも良く、少しだけミラーを角の向こうに出して状況を確認。
男は周りを警戒しつつ、廊下の途中にあった部屋のドアを開けた。
女はつまらなそうな顔をしているが、逃げる素振りはない。
そして男は女の腰に手を回し、耳元で何かささやきだした。
「さて、どうする。自由恋愛かもしれないからな、これは」
「学内よ、ここは」
「分かった、分かった」
ミラーを返し、深呼吸。
気持ちを整理させ、軽く肩を回してから角を飛び出す。
派手な足音と、この巨体。
嫌でも二人には気付かれるし、それも意図の内。
部屋に入りかけていた二人は、怪物にでも出会ったような顔でこちらを見てきた。
「こんにちは」
我ながら相当に間の抜けた挨拶だなと思いつつ、笑顔を浮かべる。
ぎこちないながらも笑顔を作る男。
女は不審さを全面に出した表情。
お互い、俺が何者かは当然理解出来ていない。
「今何時でしたっけ」
全く意味不明な質問。
男はそれでも腕時計を確認し、今の時間を告げてきた。
徐々に白け始める空気。
募り出す不自然さ。
男は少しずつ後ずさり、愛想笑いを浮かべて俺から距離を取った。
「き、君達も早く帰りなさい」
「ええ、失礼します。先生」
「私は先生では……。あ、いや。なんでもない」
とうとう背中を見せて走り去る男。
あの慌てぶりで嘘をつけるなら、ここから逃げ出すとは思えない。
だとすれば職員。もしくは企業や自治体関係者か。
「誰」
当然の疑問を投げかけてくる女。
ただそれは、こっちの台詞でもある。
「お前こそ、ここで何してた」
返事はなく、視線を逸らされた。
まあ、これが答えのような物か。
「中は確かめさせてもらうぞ」
「それは」
「……女を見てろ」
いまいち状況が読み込めない顔をしている流衣に後を託し、室内へ足を踏み入れる。
雰囲気としては仮眠室。
大きなベッドとモニター。
別室はキッチンとおそらくはシャワールーム。
これだけなら問題はない。
ただベッドサイドのキャスターには、いまいち品の良くない道具が数点。
用途が非常に限定された道具、とでも言おうか。
念のためにモニターのリモコンを操作。
写ったのは、やはり品の良くないビデオ。
適当にチャンネルを変えると、室内の映像に切り替わった。
それは天井からと前後左右からのアングルがあり、小さなカメラがあちこちに取り付けられているようだ。
壁際にあるクローゼットを開けて、派手な衣装をチェック。
まず間違いないな。
「……これか」
ローラックの上にあった紙を手に取り、目を通す。
使用者と、相手。
入室時間と退出時間を記入する欄がある。
性的行為のレベル、有無についても。
紙を手にして部屋の外に出ると、流衣が女を床に倒して背中に足を乗せていた。
「……逃げようとするから。ナイフ持ってたわよ」
「セルフディセンスだろ。色々と物騒だからな」
「どういう意味」
「その内話す。女は縛って、この部屋に放り込んでおけ。これは、厄介な事になりそうだぞ」
手際よく女を縛り上げ、言われたまま部屋へ放り込む流衣。
その間に、ガーディアンと警備員の集団が到着。
俺達に挨拶をして、室内に踏み込んでいく。
「どういう事だ」
血相を変えて詰め寄ってくるガーディアンのリーダー。
こういう熱いタイプは苦手なんだが、来てしまった物は仕方ない。
「管理売春だろ。ほら」
例の紙を見せ、室内へ顎を振る。
俺が見つけた明確な証拠はこれだけだが、探せば他の物も出てくるだろう。
「どういう事だ、これは」
「俺達は現場を見ただけに過ぎん。それに生徒主導か、大人側の主導かも分からん。まさか、生徒が一方的な被害者って言うなよ」
「しかし無理矢理というケースもあるだろう」
「個別の件では、あるかもな。とにかく後は任せた。さすがにこれは、警察に報告するぞ」
そう告げて、端末で警察に連絡。
俺がやる事では本来無いが、学校側に話を通せば止められる可能性もある。
しかし体面よりも大切な事は世の中にいくらでもあり、今回がまさにそれ。
何より、関わりたいような問題でもない。
職員に呼び出され、刑事と面会。
簡単な説明だけをして、後の事を頼む。
刑事は若い女で、ただいかにも切れ者という顔。
他にも刑事はいるが、この件に関しては彼女が指揮を執るようだ。
役職の高さではなく、試験的な意味合いが強そうにも見えるが。
「私もここの卒業生です。こうなる前の、学校ですが」
「はあ」
「生徒の自治については理解していますので、表立っての行動は控えます。ただ管理売春ともなれば暴力団やマフィアの関与も予想されますので、担当者は全員武器を携帯します」
せいぜい小銃かと思ったら、ショットガンやらマシンガンを取り出してきた。
これは、自分達で解決した方が良くなかったか。
「ご心配なく。実弾ではなくスチールボールを射出するタイプの銃で、命中しても致命傷には至りません」
「犯人はすぐに捕まりそうですか?」
「組織の形態次第ですね。生徒が小遣い稼ぎにやっているのなら、今日中にでも。もっと大がかりな組織なら、少し時間が掛かります。ただ学内関係者の犯行なのは分かってますから、最悪一人一人をしらみつぶしに当たれば良いだけです」
なるほどと思い、席を立つ。
後は彼女達に任せ、この件から手を引くとしよう。
「後はお願いします」
「ええ。万が一に備え、警備を付けましょうか」
「いえ。それには及びません。では、失礼します」
会議室を出たところで、鳩尾に肘がめり込んだ。
俺じゃなかったら、肝臓が破裂してたぞ。
「どういう事」
険しい表情で問い詰めてくる流衣。
しかしこれって、順序として正しいのか?
「説明された通りだ。学内で管理売春をやってる馬鹿がいる」
「黙ってた理由は」
「お前に言っても信じないだろうし、そもそも分かってるか売春って」
「当たり前でしょ」
頬を赤く染め、顎に肘を突きつける流衣。
その反応もどうなんだ。
「とにかくこの件は、学校と警察に任せた。俺達が関わる問題ではないし、関われる問題でも無い。危険で、気分が悪くて、解決しても達成感がない」
「結局、誰が首謀者なの?」
「よく分からんし、知りたくもない。ただ、警戒はしておけよ。俺達が発見したような物だから、逆恨みされる可能性はある」
廊下の周囲を警戒。
ここは私服の警官がたむろしているので、まだ安心か。
その分、こちらも暴れづらくはあるが。
地下鉄の駅を降り、雑然とした八事の街を歩いていく。
急な坂とそこに乱立する様々な店。
大学と霊場と病院が一箇所に集中する街。
それに関わる店が建ち並ぶため、統一感とか整然といった言葉とはおおよそ無縁。
ただそれは、駅の周辺に関しての話。
西へ向かうと店が途端に無くなり、道路沿いには生け垣が現れる。
行政が管理する物では無く、個人の家を囲う生け垣が。
たまにはどこで終わるんだと思える程の長い生け垣もあり、それは当然家の大きさに比例する。
そういった生け垣沿いに歩き、路地へ入り行き止まりへと辿り着く。
「襲われるかとも思ったが、何も無かったな」
「犯人グループが掴まったんじゃなくて」
「だと良いんだが」
流衣を通用門から中へ入れ、周囲を確認。
不審者はおらず、監視カメラも俺の方に向いている。
一件落着とは行かないが、俺が関わる必要はなくなりそうだ。
「遅かったわね」
リビングで、梨をかじりながら俺達を出迎える笹原。
もう突っ込むのも馬鹿らしく、笑顔を浮かべてそれに迎合する。
「笑ってる場合じゃないのよ」
本当に難しい奴だな。
「管理売春の件はどうなった」
……頼むから、人の家でそういう単語を口にしてくれるなよ。
親父も目付きが変わっただろ。
「警察が調べてるから、俺達がやる事は何一つ無い。もう一度言うぞ、俺達がやる事は何一つ無い」
「二回言わないで。それで、どうする気」
「……何もしないんだ。これも、もう一度言うぞ。何もしないんだ」
声を張り上げるが、壁に話しているような心境。
つまりは手応えがない。
わざわざここに来ている時点で、何らかの意図なり理由がありそうだが。
こちらから尋ねるまでもなく、笹原は足を組み替え俺をきつく睨み付けた。
「これは草薙高校への挑戦ではなくて?」
「風紀は乱れるが、挑戦かどうかまでは分からん。それと何度も言うが、俺達が関わる事でも無い。マフィアか暴力団が関わってるぞ、これは」
「それがどうしたっていうの」
昨日は雨でしたねと言われたような顔をするな、こいつ。
しかし器はでかいかも知れんが、それ以外が全然駄目だ。
「とにかく、俺達が関わる理由は無い。大体そう言っただろ、生徒会を抜ける時に」
「例外は何事にも付きものだわ」
都合の良い事を言い出しやがる笹原。
大体、これは何度目の例外だよ。
親父も座らせ、事情を説明。
笹原には、その危険度を。
親父には、俺は一切関与していない事を。
めまいがしそうだな、本当に。
「だとしてもよ。学内でそういう事が行われてるのは、許せる訳?」
「勿論面白くはないが、警察を差し置いて行動する理由は何も無い。もう一度言うからな。何も無いぞ」
「お父様、何か言ってやって下さい」
上目遣いでしなを作る笹原。
しかし親父は、筋金入りの情報将校。
こういう手合いの相手には慣れていて、笑顔こそ浮かべはするが反応は鈍い。
「お父様」
「気持ちは分かりますがね。風成が言うように、大変危険です。死ぬくらいならまだ良いですが」
「はい?」
「極端な事を言えば、監禁されて客を取る状況になったらどうするかです」
とてつもない事言いやがるな、この親父も。
それは笹原も、さすがに黙り込むさ。
というか、この空気の重さはなんなんだよ。
「それでも私は、戦いたいんですっ」
もう知らん。
こちらはしがない高校生。
宿題に予習復習。
勉強をせずとも良い点を取れる連中とは訳が違い、授業に付いていくがやっと。
余計な事に関わっている暇は無い。
「勉強してるの?」
部屋に入って来るなり、意外そうな顔をする四葉。
こいつ、俺をそこまで駄目な人間だと思ってたのか。
「いつもしてるんだ、俺は。成績が伴わないだけで」
さすがに赤点を取るほどではないが、他人に誇れるような点を取るのも希。
勉強量以前に、向き不向きがある。
という事にしておこう。
「何か用か」
「これをもらった」
差し出されたのは、どう見ても指輪。
素人目にも高価な物と分かる、小学生がやりとりするには少々異質なレベルである。
「……誰からもらった」
「女の先生」
年齢とか容姿を聞くと、多分倒れたくなる。
しかし俺とは、また随分違う悩みだな。
従兄弟なのに、一体何がそこまで違うんだろうか。
まあ、顔か。
それにこいつ、意外と繊細というか甘いからな。
女もその辺は、敏感に悟るんだろう。
その結果が、女性教師からの指輪になって現れた。
とにかく見ていると虚しさしか募らないので、それは四葉に押し返す。
「指輪は先生に返せ。気持ちはありがたいですけど、僕にはまだ早すぎますって」
「何それ」
「相手を傷付けない言い訳だ。しかし指輪ってなんだよ」
「普通、大切な人に贈るんだよね」
また夢見がちな事を言い出したな、こいつも。
でもってそういう部分が受けるんだろうな。
羨ましいとまでは言わんが、我が従兄弟ながら眩しすぎる。
「まあ、そういう事だ。お前もそういう相手が将来出来るんだろうな」
「俺に?」
「なんだよ。お前、一生をあの猫と犬に捧げる気か」
「今も捧げてないよ」
それは俺の勘違いか。
でもって、ドアの隙間から見える光はなんなんだ。
甘い話に癒されたと言いたいが、その分現実に引き戻されると辛い。
「良いですか」
のそりと部屋に入ってくる親父。
全然良くはないが、俺の意思を考慮するつもりは無さそうだ。
「四葉君も、そこにいるように」
「はい」
「例の件ですが、彼女に協力してあげなさい。言いたい事は分かりますが、考え方を変えました」
いつも通りの落ち着いたトーン。
義憤に駆られるタイプとも思えんが、笹原を見て情を移したのかな。
「暴力団やマフィアが出てくるなら、より実戦的な戦闘も出来るでしょう。戦い方に制限を加える必要も無くなります」
結局そっちか。
本当、四葉とは雲泥の差だな。
「マフィアと戦うの?」
「状況によってはです。玲阿の家訓は引く無かれ。戦いに自分から突っ込む必要はありませんが、戦いから逃れる理由もありません。四葉君も、良く覚えておくように」
「はい」
今更言わずとも、こいつはその家訓を愚直に守っている。
ただ少しセーブしないと、その内取り返しの付かない事になる気もするが。
親父と四葉が部屋を出て行き、入れ替わるようにして笹原が現れた。
「誰かいた?」
「いや。それで、何か用か」
「お父様が、あなたを頼れって。つまりは、管理売春の組織を潰せって」
「警察が捜査してるし、リスクも高い。俺達が手を出す必要は本当にないんだぞ」
「草薙高校を穢す存在なのよ、連中は。それを許しておいていい訳?あの子達に、そう言える?」
あの子達とは、生徒会長や議長の事か。
それを言われてしまっては、俺も視線を逸らすしかない。
「確かにあの子達も、悪い事はしてきたと思う。でも、管理売春に荷担してた?」
議長は知らんが、生徒会長は斡旋を受けていた。
とは言わず、適当に言葉を濁す。
ただあれはもっと巨大組織であって、……。
「結構根が深いな、これは」
「何が」
「いや。色々と」
生徒会長が紹介されていたのは、年上の女。
ただ行為は学内で行われていて、それを手引きする人間がいた。
あの時の理事は、すでに排除済み。
しかし管理売春はまだ行われていて、生徒も荷担。
点は幾つも見えるが、線には繋がらない。
息を整え、笹原を見据える。
言いにくい事だが、言わない事には先に進みそうにない。
「お前がどんな幻想を抱いてるか知らんが、生徒会長も斡旋は受けていた」
「冗談でしょ」
「高校生じゃなくて、もっとプロっぽい連中だったけどな。ただ学内で事に及んでたのは間違いないし、手引きした人間もいる。それはまた別組織の可能性もあるが、多分綺麗事じゃ済まないぞ」
「……だとしてもよ」
少し弱くなるトーン。
こいつも生徒会長達に、強い思い入れがある訳ではないと思う。
それでも一時期は同じ志を抱いていた。そう思い、共に戦った者達。
思い出はだからこそ甘く、美化されていく。
「それと生徒が荷担してるんだ。お前の知り合いが出てきたらどうする」
「……それでもよ」
「俺はそういう連中にも容赦しないぞ」
「望むところだわ」
搾り取ったような声を出す笹原。
言い過ぎかとも思ったが、覚悟がなければ出来ない仕事。
それは俺にも言える話だ。
ろくに会話もなく、すぐに帰って行く笹原。
あれで思い直してくれれば助かるが、反発力が働き余計に燃え上がる気もする。
「ナイフ、ナイフと」
床に武器を並べ、状態を確認。
刃物類は問題なく、プロテクターも良し。
後は銃があれば、言う事無いか。
「高校生のやる事じゃないな」
ついそう呟き、苦笑する。
危険が迫っているのに、顔を背け続けても仕方ない。
家訓以前に、自分の身を守るのは当然の事。
それより大切な存在を守るためにもだ。




