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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第6話
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エピソード(外伝) 6 ~ 池上映未視点~





     漂う心




 フラッシュの閃光が目元から去り、代わって柔らかな日差しが戻ってくる。

「はい、撮れました」

 可愛らしい顔をほころばせ、端末のモニターでチェックする雪ちゃん。

 映っているのは、今撮った私達の集合写真。

 正直特にどうという物でもなく、強いて言えば全員制服姿という程度。

 でも彼女にとっては、何にも代え難い価値を持つのだろう。

 私としても、それに異論はない。

 そんな雪ちゃんを、優しく見守っている玲阿君。

 聡美ちゃんと智美ちゃんも。

 また彼等とは一歩離れて、浦田君が一人佇んでいる。

 協調性がないのか、情がないのか。

 分かるのは、冷静という一言だけでは片付けられないという事。

「どうかしました?」

「ん、考え事を少し」

 声を掛けてくれた沙紀ちゃんに、軽く微笑み返す。

 まさか「あなたが気にしている男の子を分析してるの」とは、答えられない。


「人数が減ったわね」

 考え事をしている間に、帰っていった人がいるようだ。

「七尾君は学校に用事、木之本君は彼女と予定があるそうです」

「雪ちゃん達は?」

「彼女の家へ遊びに行くとか。みんなご両親と仲いいですから」

「沙紀ちゃんは行かないの?」

「ちょっと、宿題がありまして」

 久し振りに聞く単語。

 普段あまり授業に出ないから、それも当然とも言える。

「国語の授業で、植物をスケッチしてくるように言われてて。何でも、感受性を養うそうです」

「真面目な先生ね。確かに知識も重要だけど、実体験もまた大事だから」

「僕は、そういうの面倒だな」

 可愛らしく微笑む柳君。

 隣の名雲君も、その大人びた顔を頷かせている。

「なってないわね、あなた達は。私達はふらふらしてる分、他の人以上の勉強が必要なのよ」

「俺はしてるぞ」

「僕も、それなりに」

 柳君は、またもや可愛らしく微笑んだ。

 とはいえ彼等だって、大卒程度の知識は持っている。

 最低限その程度の能力が無くては、「渡り鳥」なんて稼業はやっていない。

「頑張れ」

 それまでの経緯を聞いていないのか、素っ気なく励ます真理依。

 沙紀ちゃんも、「はぁ」と答えるしかない。 

「じゃあ、俺達も頑張ってくるかな」

「何を」

「フリーファイトの団体が、県武道館で講習会をするんだって。その見学にちょっと」

 楽しそうに笑う柳君。

 見学だけで済めばいいのだが、彼が参加してはインストラクターも大変だろう。

 この子程、外見と実力のギャップが激しい子はいない。

「……名雲君」

「心配するな。あいつも、そこまで子供じゃない」   

「それは分かってるけど」

「とにかく、頼む」

 柳君に聞こえないところで頷き合う私達。

 不安は色々あるけれど、保護者役でもある名雲君に一任しておこう。

 仮に柳君がふとした拍子で暴発しても、彼の言う事なら聞いてくれるはずだ。

 また精神的な部分とは別に、止めるだけの力も持っている。

 だからこそ私や真理依も、名雲君には強い信頼を置いている。

 能力的に、そして人間として。


「浦田君も行く?」

 話を振る柳君。 

 何故だか、彼と気が合うらしい。

 外見も性格も相当に違うけれど、却ってそれがいいのだろうか。

 ただ私としては、可愛い弟に悪い友達が出来たような気持がある。

 駄目な友達、と例えてもいい。

「パス。殴り合いは好きじゃないし、用事があるから」

「そう。マットに横たわる浦田君を期待してたのに」

「するな」

 浦田君は速攻で突っ込み、拳を軽く柳君へ向けた。 

 それは難なく、突然跳ね上がってきた足刀で返される。

「柳、やり過ぎだ」

「いいの、浦田君だから」

「なるほど」

「納得しないで下さい」

 楽しげに笑う彼等。

 こういう場面を見ていると、みんな普通の男の子だなという気持にさせられる。 

 高い能力や何かを引きずっているような部分も、今はまるで気付かない。

 勿論、無くなった訳ではないのだが。


 そんな訳で、いつしか正門前には私達しかいなくなっていた。

 真理依、沙紀ちゃん、浦田君。

 そして、私。

 さっきまで大勢いて話し声や笑い声が絶えなかった分、少し寂しい雰囲気すらある。

 当然そこには、「主観としては」という注釈が付く。

 寂しいと思うのはあくまでも感情であり、客観的な視点から見れば音量の減少と他者との距離が空いただけだ。

 これのどちらに重きを置くかが、その人の考え方の一つを表す。

 雪ちゃんは前者の代表、人と人とのつながりを何よりも大切にするタイプ。

 一見冷静な聡美ちゃんも、意外とそちら側だろう。

 智美ちゃんは客観性の方に、沙紀ちゃんは感情に傾いているが、二人は中間に位置すると言える。

 男の子達はまた違うけれど、それは後でいい。

 今は、私の可愛い妹達を分析する方が先だ。


「どうした」

「ん、ちょっとね」

 今度も適当に答え、顔を上げる。

 真理依は、「またか」という半ば呆れ気味の顔だ。

 知らない人から見れば単なる無愛想な表情だけれど、付き合いが長いので真理依分析には長けている。

「いいの。あー、いい天気」

 大きく伸びをして、これまた大きく白い雲を見上げる。

 こうして日差しを浴びているだけで、心が安らいでいくようだ。

 これでもその人の指向性を判断出来るけど、今は心地よさに身を任せていたい。

「それじゃ、宿題をやりに行きますから」

「スケッチの当てはあるのか」

「川原で描こうと思ってます」  

 秋の日差しに、爽やかな微笑みを返す沙紀ちゃん。

 スケッチか。

 しかも、沙紀ちゃんが。

 楽しそうだ。

 いや、楽しいに違いない。

「私も行こうかな」

「え?」

「何。問題でもあるの」

「そ、そうじゃないです。ただ、予定があるかなと思って」

 凛々しい彼女の顔が一瞬揺らいだが、私はあえて見過ごした。

「彼氏もいないし、予定もない。いいじゃない、後輩に付き合ったって」

「映未さんが良ければ、私は」

「じゃあ、私も行く」

 突然私達の間に割って入ってくる真理依。

 そのため、私との密かな押し合いが繰り広げられる。

「あ、あの?」

「何でもない」

「ええ、何でもないわ」

 体術では真理依が断然上だが、単純な押し合いなので体格のある私にも多少は分がある。

「そ、それでどこ行くって?」

「木曽川にしようと思ってます。近いですし、ちょっとピクニック気分で楽しそうですから」

 ますます聞き捨てならない。

 もしかして、この子お弁当作ってるのだろうか。

 じゃあ、誰が食べるのだろうか。

 勿論私だ。

「二人とも行けばいいでしょう」

 醒めた声が後ろから掛かる。

 正門に背を持たれ、腕を組んでいる浦田君からだ。

 まだいたのか。

「仕方ない。それじゃ、着替えてくる」

 いつもより軽い足取りでアパートの方向へ歩いていく真理依。

 私も制服では何だから、着替えに行こう。

 そう、用意をしよう。 

 色々と……。



 着替えを済ませ正門に戻ってくると、沙紀ちゃんの車が止まっていた。 

 背の低いライトブルーのRVで、学割と学生融資、後は親から出してもらっているらしい。

 買ったばかりなので手入れも行き届いているし、乗りたくてたまらない時だろう。

 ちなみに彼女は薄茶のキュロットに白のシャツ、濃紺のGジャンを羽織っている。

 足元は普段のブーツではなく、動きやすいスニーカーだ。 

「お待たせ。真理依は?」

「中で休んでます」

 車の中を覗き込むと、窓にもたれて目を閉じている女の子がいた。

 この子も結構な猫体質だ。

 彼女は普段のジーンズにGジャン、例により黒のキャップを被っている。

 赤の時もあるが、それは単に気分の問題だろう。

 私はスリムジーンズに白のTシャツ、黒の革ジャンという出で立ち。

 足元はやはり、スニーカーだ。

「今日は、緑なんですか」

「ん、まあね」    

 首に掛けた水晶を軽く振り、その緑光を周りに投げかける。

 真理依と同じで、赤と青の色違いも持っている。 

 私の場合は特別の意味を持つ、何物にも代え難い価値を持っている。

「長良川河口堰開門記念碑でも見に行きますか。それとも木曽三川治水の礎となった、薩摩武士の慰霊碑を拝みに」

 正門の方から、ローカルな話題を口にする子が現れた。

 ジーンズに、無地のパーカー。

 中肉中背で、やや猫背。

 浦田君だ。

「どうしたの?」

「俺も宿題があるんです。丹下と同じ、国語B取ってるんで」

 彼の言葉に、ようやく沙紀ちゃんが表情を揺るがした意味が理解出来た。

 確かに宿題だけれど、ある意味デートか。

 まずかったな。

 当然、帰る訳はないけれど。

「……悪かったわね」

「え?い、いえ別に」

 少し慌てる沙紀ちゃん。

 私の言った意味は、すぐに分かったようだ。

 しかし、浦田君のどこがいいんだか。

 智美ちゃんも言っていたけど、彼女が道を誤らないようにしっかり見ていないと。

「私が運転するわ。真理依はどうせ寝てるし」

「でも」

「いいから。浦田君の運転よりは安心でしょ」

 これには彼女も、おかしそうに笑った。

 彼の運転技術は普通だが、走るだけで疲れるようなドライバーには任せられない。

 一応彼には彼なりの理由がある。

 何でも車は人を撥ねると大変だけど、バイクは自分が死ぬだけだから安心だとか。

 理屈は分かる。

 でも納得は出来ない。    

 本当、どうして沙紀ちゃんはこんな子を……。



 都市高速を使うほどでもないので、のんびりと一般道を走る事にした私達。

 車の流れは比較的良く、メーターも80km/h辺りを行き来している。

「早過ぎません?」

 後ろで、真面目に間抜けな事を言う男の子。

「制限速度内よ」

「んー」

 沙紀ちゃんに軽く突っ込まれ、一人唸っている。

「暑い」

 助手席では、真理依が顔をしかめている。

 太陽の位置上、彼女側に日が差し込む。

 後ろの席は多少場所を動けるが、助手席では身をよじるくらいがせいぜいだろう。

「涼しい」 

 開けた窓から吹き込む風に、束ねた後ろ髪をなびかせる真理依。

 どうでもいいけれど、もう少し語りなさい。

「スケッチなんて、その辺ですればいいのに」

「気分の問題よ。それに感受性を養うのなら、ロケーションにも凝らないと」

「養う物じゃなくて、素養があるか無いかだと思いますけど」

 浦田君の口調は普通だが、内容はかなり意味深い。

 それに対して沙紀ちゃんは、「そうかもね」と答えた。

「ただ才能が無くても、努力で補える部分はあるわ。なまじ才能に溺れるよりも、その方がいいんじゃなくて?」

「そうかもね」

 今度は浦田君が、同じ言葉で返す。

 納得したというニュアンスが含まれているかどうかは、少し読み取りにくいが。

「確かに、たまにはショウみたいな奴もいる。素質はある、それを生かすだけの環境と素地がある。さらに、努力を惜しまない。本当、性質が悪い」

「浦田は、この前は玲阿に勝っただろ」 

「いや。本気でやり合ったら、俺なんて全くかないませんよ」

 そこには、冗談ではなく本心を語る浦田君がいた。

 それも、どこか誇らしげに。

 彼にとっての玲阿君は、そんな存在なのだろう。


「お前は弱いからな」

「舞地さんが強過ぎるんです。これでも一応、ボクシングと柔術はやってるんですから」

 確かに、真理依と比べるのは無理がある。

 この子と対等に戦えるのは、私が知る限り両手で足りるかどうか。

 それに真理依が強いのは格闘技の実力だけでなく、その心にある。

「私も弱いわよ」

「映未さんは、その代わり頭良いですよね」

「才色兼備ですもの」

 そう言って笑ったら、沙紀ちゃんに笑われた。

「なに?」

「いえ。優ちゃんがよく言ってますけど、「うしゃうしゃ」笑うから」

「そんな笑い方しないわよ」

 すると真理依も浦田君も、私を見つめてきた。

 私はバックミラーと隣を、交互に睨み返す。

「花も恥じらう17才の乙女が、何が悲しくて「うしゃうしゃ」なの」

「ひゃっひゃっ、かも」

「ひっひっ、じゃない?」

「ひーひーだろ」

 人の笑い声を分析している。  

 面白いけれど、面白くない。

「ふんっ」 

 鼻を鳴らし、アクセルを踏み込む。 

 体がシートに押し付けられるような感覚と、風景が向こうから飛び込んでくるような錯覚。

 胸の空く、心地よい瞬間だ。

 みんなも少し驚いたらしく、下らない分析を中断した。

 いい気味だ。

 つい、笑いがこみ上げてくるくらいに。

「ほら、うひゃうひゃ笑ってる」

「……え?」

 沙紀ちゃんの指摘に、こくりと頷く真理依。

 バックミラーを覗くと、浦田君が端末を振っている。

「なんなら、再生しましょうか」

 さらにアクセルが踏み込まれたのは、言うまでもない……。



 車を降り、再び秋の空気を満喫する。

 川辺にあるせいか、市街より風は冷たい。

 それが却って、心地良い。

「さてと」

 感慨に浸ったところで、私は車のトランクを開けた。

「何持ってきたんですか」

「見ての通り」

 大きめのバックを指差し、沙紀ちゃんにその中を覗かせる。

「スケッチブック、絵の具……。映未さん、絵を描くの好きですものね」

「あなたの話を聞いて、つい」

 我ながら子供っぽいと思いつつ、バックに手を伸ばす。

 すると横から手が伸びて、それは私の目の前から消えた。


「紙なのに、束になると結構重いんだな」

 下らない感想を洩らす浦田君。

 そして私がお礼を言おうとする前に、そのまま歩いていってしまう。

「何、あの子」

「見ての通りです。地味で、訳の分からない事を言う子です」

「そのままじゃない」

 沙紀ちゃんの的を射た解説に、思わず笑ってしまった。

 もう一つ付け加えるなら細やかな心遣いを見せる、だ。

 すでに彼の手には、沙紀ちゃんが持ってきていたバッグとバスケットも提げられている。

「いい召使いを持ったな」

「給料を払ってませんから。後が怖いですよ」

「踏み倒せばいいだけだ」

 いつもの淡々とした口調で悪い事を言う真理依。

 無論浦田君が報酬などと申し出ないのを、承知しての発言だ。 

 今まで彼には色々してもらったが、冗談は別として見返りを求められた記憶はない。

「本当、何考えてるんだか」

 感心半分、呆れ半分で沙紀ちゃんがため息を付く。

 私達より彼の気性や言動を知っているので、思う部分は色々あるのだろう。

「浦田って、確かに私達には優しいですよ。でも相手によっては女の子でも、平気でビールを頭から掛けたりするんですって」

「人を選ぶ、か。あの子に選ばれても、光栄かどうかは分からないわね」

「好きにさせておけばいい。あいつはあいつなりの考え方があるんだろう」

「それを言ったらお終いです」

 それはそうだ。

 でも分かりにくい部分は表層で、内面は普通の大人しい男の子だと思う。

 彼なりの韜晦と無表情さに隠されているだけで。

 それは無愛想さと精悍な顔立ちで、みんなが誤解している真理依にも共通する。

 もう一つ両者に共通するのは、他人からの視線を意に介さないという点か。

 それだけ信念を持ち、自分に自信があるとも言える。

 浦田君の場合は、それを分かっていても理解しがたい部分があるけれど。


 川辺に降り短い下草の上を歩く。

 秋の緩やかな日差しに水面が輝き、涼風がそれを無限の広がりに代えていく。

 黄金色の光が水面を走り、川辺までもを彩るように。

 散華、光の乱舞、燐光……。

 真理依ではないけど、幾つもの単語が頭に浮かぶ。

 太陽の角度による、可視光線の変化。屈折率と乱反射、一時の興奮による感情過多。

 と言った言葉も。

 私が絵を描くのはそれが好きなのと同時に、今言った両面を表現出来るからだ。

 心が感じた光景と、知識として理解する現象。

 その狭間で漂う自分を。



「これ、いいですね」

 いつもよりも高い沙紀ちゃんの声に、ふと現実が戻ってくる。 

 当然認識はしていたが、集中の比率が今は内面に傾いていた。

 彼女が指差す先には、薄いオレンジ色の花が一輪咲いている。

 やや長めの花びらに黄色の花弁。

 緑濃い下草の中、その姿を見せている。

「何でもいいよ」

 彼は徹底的な現実志向なのだろう。

 特に感慨も洩らさず、スケッチブックを開く浦田君。

 そしてしゃがみ込み、いきなり描き出した。

「もう少し、観察して描いたら」

「いいの、俺はこれで」

 全く耳を貸さず、鉛筆を走らせている。

 沙紀ちゃんも説得を諦め、スケッチの用意をし出した。

「描かないの?」

「映未ほど得意じゃないから」

「じゃあ、昼寝でもしてなさい」

 真理依に微笑んで、私もスケッチブックを広げる。

 近景の静物画。

 でも後ろのきらめく川を見ていると、もう少し動きのある絵にもしたい。

 構図的には、やはり水を入れたい。

 花に焦点を当てるか、それとも引き気味視点で……。


「終わった」

 そう宣言して、スケッチブックを畳む浦田君。

 早いのは感心だけど、一体どんな出来なのだろう。

「浦田」

「はい」

「ちょっと見せて」

「……どうぞ」

 彼にしては珍しく、ためらいがちにスケッチブックが差し出される。

 それを受け取った真理依は、今彼が描いたページを開いた。

 私も見てみたいので、彼女の後ろから覗き込む。

「浦田」

「はい」

「ちゃんと描け」

「描いてますよ」

 彼にしては珍しい、真剣な表情。

 確かに嘘では無さそうだけれど、この絵は何だ……。


 とにかく直線が無い。

 まっすぐに表現してしかるべき線が、全て震えた線になっている。 

 鉛筆のみの単色だから仕方ないにせよ、陰影も全く描き切れていない。

 遠近感もなく、大体筆圧が弱いせいで全体の印象も頼りない。

 また書き込み不足のためか、紙の上に絵がぽつりぽつりと浮かんだような状態になっている。

 子供でも、もう少しまともな絵を描く。

「いいんですよ、俺はこれが限界なんだから」

「どういう限界なのよ」

「勿論能力のです。ひどさの限界ではありません」

 本人も自覚はしているようだ。

 不器用だとは聞いていたが、まさかここまでとは。

「精神鑑定物だな」

「光にも、そう言われました。俺が描いた絵を臨床心理士に見せたら、「君のケース(ここでは患者)か」って尋ねられたらしいです」

「本物のお墨付き。納得だわ」

 ヒカル君とは、大学院で心理学を専攻している彼のお兄さんだ。

 私は面識が無いけれど、この子と同じ顔だという。

 しかも、聡美ちゃんと付き合っているとか。

 その内、天誅を喰らわそうとは思っている。


「とにかく、書き直しなさい」

「え?」

 まるで知らない外国語でも聞いたような顔をされた。

 とはいえ、ここで譲る訳にはいかない。

 先輩として、また絵を愛する者として。

 彼の絵は、断じて許し難い。

「そうよ。浦田は、早く描き過ぎなの。もう少し落ち着いて、丁寧に描いたら?」

「いやだ。ゆっくり描いてると、イライラしてくる」

 彼が言うには、集中が続かないらしい。

 頭に一応描きたい絵は浮かぶけれど、手の方でそれを表現しきれない。

 それが続くと集中が切れて、投げやりに描いてしまうとか。

 気持ちは分かるが、いい事ではない。

「じゃあ、少しずつ休んで描きなさい。イラッと来たら、鉛筆を置くの」

「俺は、早く描きたいんです」

「何でそうせっかちなんだ。沙紀、浦田を監視してろ」

「あ、はい」

「え?」 

 露骨に顔をしかめる浦田君。

 そして沙紀ちゃんに睨まれて、がくりと肩を落とす。

 いいじゃない、素敵な女の子と一緒に絵が描けるんだから。

 それに彼女となら、少しはそのイライラも収まると思う。

 真理依も、寝ぼけている割にはやってくれる。 

「……どこ行くんです」 

 隠滅な声が、真理依の背中に飛ぶ。

「一休みしてくる。私は絵を描かないから」

「あんた人に辛い思いさせて、自分は寝るんスか」

「寝るんス」 

 素っ気なく言い返し、真理依は反対側の川辺へと降りていってしまった。

 しかし、他に言い返す言葉もあるだろうに。 

 自分で言っていたが、もう少し舞地真理依としてのイメージを保ってもらいたい。

「あー。描く、描いて俺も寝る」

「描けたらね」

 しっかりと釘を差す沙紀ちゃん。

 戻ってくるのはやるせないため息と、弱々しくスケッチブックの上を滑る鉛筆の音。

「もう少し強く描くのよ」

「十分強いつもりだけど」

「せめて、その倍。自分で濃過ぎると思えるくらいが、浦田には丁度いいの」

「苦手なんだよな」

 強く描く分、直線のブレも減る。

 この子の場合問題点は星の数程あるが、大きな部分は今すぐにでも無くせられる。

 宿題の目的である、「感受性を養う」から若干外れていくのはともかくとして。



 何となく川の流れを眺めていた。

 スケッチブックは傍らに置き、鉛筆も手にしていない。 

 構図は決まっているし、イメージはすでに頭の中にある。

 でも、こうして眺めているのもまた楽しい。

 木曽三川の治水は、江戸時代まで遡る。

 雄藩であり反幕府の傾向が強い薩摩藩の財力を削ぐために、幕府は氾濫の絶えない木曽三川の治水を命じた。

 木曽川は名古屋の西部。

 薩摩藩が九州に位置する事を考えれば、その横暴さが分かるだろう。

 しかし薩摩武士は命に従い、励んだ。

 結果木曽三川の治水は成し遂げられた。

 彼等の貴い犠牲と共に。

 今でもここには彼等を偲ぶ慰霊碑があり、千本松原として名所にもなっている。

 またその現代の治水工事として行われた、長良川河口堰。

 前大戦中、北米政府の諜報部員がそれを破壊。

 しかし大雨の時も川の氾濫は起こらず、戦後河口堰は正式に開門される事となった。

 一部では環境保護派の謀略とも言われているらしい。

 何にしろ、鮎達には助かる話だろう。


「いい天気ですね」

「あれ、絵はいいの?」

「一休みです」

 隣に腰掛けた沙紀ちゃんが、精悍な顔を和ませる。

「考え事ですか?」

「浦田君から聞いた話を少しね。木曽三川の治水について」

「あの人、無駄な事は知ってますから」

 なるほど、言い得て妙だ。

「大切な事も知ってますけど」

「どっちなのよ」

「はは」

 朗らかに笑う沙紀ちゃん。

 私もおかしくなってきて、笑ってしまった。

 勿論、「うしゃうしゃ」ではない。

「絵はどうなった?」

「大まかには描けました。浦田も、半分くらいは」

「それは結構。頑張って下さい」

「何ですか、それ」

 柔らかく微笑み、沙紀ちゃんの手が下草を滑っていく。

 彼女の視線がそれとなく、そこへ落ちる。


「……映未さん達は、いつまでここにいるんですか」

「はっきりとは決まってないけど、当分はいるつもりよ。契約も、そうなってるし」

「でも、突然いなくなる事もあるんですよね」

「それは否定しない」

 あえて真実を語った。 

 沙紀ちゃんが傷付き、悲しむのを承知で。

 彼女はそんな事では負けないと分かっているから。


「出会いがあれば別れもある、ですか」

「まあね。私達が前の学校を去ったから、今こうしてあなたと会えてるんだもの。何がどうなるかなんて、それこそ神様にも分からないわよ」

「辛い、現実ですね」

 涼しげな風に乗り、沙紀ちゃんの呟きは川へと流れていく。

 水面の煌めきの中へと。

「……真理依さんとは長いんですか」

 風に流されるささやき。

 遠い目で川の煌めきを眺める沙紀ちゃん。

 私は小さく頷き、下草を少しちぎった。

 手から放れたそれは、冷たい風に吹かれどこへともなく去っていく。

「中1の頃かしら。まだ真理依も子供で、私はもっと子供だった。転校してきた彼女と出会って、色々あったのよ」

「色々、ですか」

「前も真理依が言ってたけど、結局は私の方が追いかけたのかな。あの子が寂しそうだったし、私はどこかへ行ってしまいたい気分だったから」

 あの時の私達は、本当に子供だった。

 当てもなく無謀に転校を繰り返し、時には危ない目にもあった。

 お互い自分に自信が無く、何より自分達が何をしたいかが分からなかった。

 渡り鳥なんて名乗る前の話で、あやふやな立場で奨学金と単位をもらっていた。

 思い出すだけで笑ってしまうような、遠い昔の話だ。


「お互い馬鹿だったのよ。とにかく突き進む事だけしか考えて無くて、その先に何が待ってるかなんて思ってもみなかった。勿論、それはそれで楽しかったのだけど」

「いいですね、そういうの」

「まだ昔を懐かしむような年でもないわ。私も真理依も、これから楽しみが待ってるの」

 私はいつものように笑った。

 きっと「うしゃうしゃ」笑っているのだろう。

 それもまた、私らしい。

「名雲君達と会ったのは、その後ね。彼は柳君と一緒に、やっぱり全国を渡り歩いてたの。武者修行というか、ケンカ修行というか」

「え?」

「その頃は名雲君も、結構強面だったのよ。何と言っても、柳君に勝った数少ない人間なんだから」

 私は彼等との出会いを、簡単に説明した。

 これはこれで笑えるのだが、あまり他人に話す事柄でもない。

 沙紀ちゃんだからという部分である。

「その後で、一緒に動くようになったの。色恋関係にならなかったから、こうして長続きしてるのかもね」

「そうなんですか」

「あいつがいれば、また話は……」

「はい?」

「ん、なんでもない」  

 私はすぐに手を振り、強引にごまかした。

 忘れるつもりはないが、これこそ他人に話す事柄ではない。

 若気の至りどころの騒ぎでは無かったな、あれは。

 本当子供だった、あの頃は……。



 顔が熱くなってきたので、手で仰ぐ。 

 気温ではなく、あくまでも精神的な物だ。

 私の変化には気付いているだろうが、沙紀ちゃんはぼんやりと川の流れを眺めている。

 いい子だ。

 さすがに、我が妹。

 頬以上に熱くなる胸の内。

 彼女への思いが……。

「何さぼってんの」

 人のいい気分を打ち壊す無粋な声。

 振り向けばそこには、無愛想な浦田君が立っていた。

「自分こそ、何さぼってるのよ」

「これ以上続けて描いたら、本当におかしくなる」

 憔悴しきった地味な顔。

 普段以上の猫背。

 かなり追い込まれているようだ。 

「はいはい。じゃあ、あなたは少し休んでなさい」

「言われなくても休む」

 崩れるようにしゃがみ込む浦田君。

 沙紀ちゃんは彼の頭に草を乗せ、土手を上っていった。

 最後に手を振ってきたので、私も両手で振り返す。

「……どうかしました?」

「沙紀ちゃんが戻っていっただけ。それより、ちゃんと描けてる?」

「俺の主観としては。他人の主観では、分かりません」 

 上げた頭から、草が落ちる。

「ん?」

「妖精の悪戯なんじゃない?」

「ポニーテールの、ですか」

 この程度はお見通しのようだ。

 怒らないのも、また彼らしい。


「君は、色々と損してるわね。それだけの優しさがあって、能力もあるのに。何か冴えないように、みんなから思われてるじゃない」

「目立たない方が好きですから。そういうのは、全部ユウ達に任せます」

「だから裏に回って、あの子達を守るって?」

「いえ、最後に美味しいところをかっさらっていくだけです」

「たまには、本当にそうしなさい」

 しかし彼は、薄く笑っただけで済ませてしまった。

 一歩前に出れば評価を得られるのだが、あえて下がる子なのだ。

 そこがまた、面白い点でもある。

「大体モトだって、同じです」

「智美ちゃん?」

「例えばこないだシスター・クリスと揉めた時、あの子は何もしなかった。その後の自分が何をすべきかを考えてですけど」

「なるほどね」

「あそこで俺達に同調すれば、彼女もそれなりの評価を受けました。あの出来事はオフレコになってますけど、一部の生徒にはどうしても伝わりますから」

 冷静な、そして人の心まで読みとるような分析。

「サトミもそうです。あれだけの能力があって大学や企業から勧誘があるのに、未だにのんびり女子高生を楽しんでる。モトよりは前に出るけど、基本的にはユウを立ててます」

「鋭いわね。それで、どうしてその二人なの」

「池上さんが特にお気に入りだから」

 なるほど、いい読みだ。

 みんなも気付いているだろうけど。

「頭で勝負するタイプですからね、あの二人。サトミはやや感情的で、モトは冷静さに傾いてますけど」

「沙紀ちゃんは?」

「あの子は、意外と冷静です。一見熱血タイプで、実際は相当な客観性を持ってますから」

 面白いな、この子の分析は。

 当然私と違う部分もあるし、同じ部分もある。

 ただ彼というフィルター越しにみんなを見るのは、なかなかに楽しい。

「あくまでも、俺から見た視点ですが」

 私が思っていた事を、すぐにフォローしてくる。

 本当に、冷静な子だ。



 その後は私と彼の人物評が繰り広げられ、ようやく全員が出きったところで彼が伸びをした。

「人の悪口は面白いですね」

「別に、悪くは言ってないじゃない」

「本人が聞いたら、そうは思わないんじゃないですか」

 確かに、知らない所で自分の評価をされるのは面白くないだろう。

 名雲君のように受け流せる人、真理依のように気にしない人、柳君のように笑って済ませられる人はともかくとして。

「そういえば、女の子にビールを浴びせたんですって?」

「誰がそんな事言ってました」

「いいから。こないだは女の子を殴ってたし、随分ね」

 苦笑気味に口元を緩める浦田君。

「殴った経緯は、池上さんも知ってるでしょ」

「ビールも、同じだっていうの」

「近い物があります。サトミ達に下らない事言ったので、ちょっと」

 その後彼の簡単な説明を聞いて、少し納得した。

 しかし、ビールを浴びせるだろうか。

「いいじゃないですか、ショウみたいに殴らないだけ」

「あの子は、女の子を殴らないでしょ」

「男女の権利は、平等に保証されています。そして権利には、義務と責任が当然備わってきます」

 正論に聞こえるが、殴ったりビールを浴びせるのとはまた別な気もする。

 私も同じ立場なら、彼に倣うのは分かっているが。

「そうだから、女の子にもてないのよ」

「嫌な事言いますね」

 露骨に顔をしかめる浦田君。 

 ただ彼には沙紀ちゃんがいるのだけど、その辺りは突っ込まないでおこう。

 まだ微妙だし、他人が首を突っ込む話でもない。

 そして彼女が思い直してくれれば、言う事無しだ。

「いいですよ。俺の周りにはショウも柳君もいるから。女の子なら、向こうから寄ってきます」

「ハゲワシみたいな事言って」

「俺は、狼じゃないんで。そこまで気高くありません」

 彼らしい言葉を残し、立ち上がる。

「さてと、続きを描いてきます。もう、頭がどうかなりそうですよ」

「知らないわよ、私の頭じゃないんだから」

「冷たい人だな」 

 あなただけには言われたくないと、土手を上っていく彼の背中に思ってみる。


 そして気付けば、私一人になっていた。

 しかし、人恋しさに心寂しくなる程初々しくも無い。

 親元を離れ、友とも別れ、全国を渡り歩く日々を過ごしてきたのだから。

 どちらかといえば、以前に戻ったようなものだ。

 長い間同じ学校にいたので、この感覚を忘れていた。

 周りには誰もいなく、語る相手もなく、思いをかわす事もない。

 一人、ただ佇む。

 全てを、その内に向けて。

 誰もいなくても、自分はここにいる。

 その自分に語る。

 思いを、苦しみを、喜びを。

 誰よりも理解してくれる、もう一人の自分へ。

 虚しいとは思わない。

 それが今の私を育ててきたのだから。

 自分と自分との対話が思考を深めていく。

 新たな発想へと繋げていく。

 見過ごしていた事に気付かせてくれる。

 どれほど寂しくても、悲しくても。

 自分はここにいる、理解してくれる、いつまでも。



 冷たい川辺の風に吹かれていたせいか。

 少々重い考えに流れてしまったようだ。

 私の表層を知っている人から見れば、意外な一面と取るだろう。 

 内面を知る人ならば、納得してくれるだろう。

 どちらにしろ、気持がやや沈んでしまった。

 正直沙紀ちゃん達には会いたくない気分だ。

 一人で、この気持を整理したい。

 それまでは、誰とも会いたくない。

 私は川に背を向け、土手を斜めに横切っていった。

 このまま上に行けば、多分沙紀ちゃん達がいるから。

 今は、他人の存在が辛い。


 反対側の土手に周り、やや茂った藪を掻き分ける。

 さすがに彼女達も、ここまでは来ないだろう。

 お互い端末は持ってるし、私を捜す事もないはずだ。

 私がいないのを知って、何かを察してくれる子達だから。

 そんな彼等を避けるのは心苦しいが、重い気持のまま会う方が辛い。

 我ながら最悪だと思いつつ、藪を抜ける。

 その藪のせいか、川に煌めきはなく色もどこか褪せて見える。

 それは私の主観かもしれないが。

 どちらにしろ、今の自分に似合った光景だ。

 肌寒さを感じつつ、斜面の緩い場所へ腰を下ろす。

 川の流れは緩やかで、せせらぎの音が微かに聞こえている。

 目を閉じ、ただ身を任せていたい。

 せめて胸の重みが消えるまでは、このまま……。


 伏せ掛けた視界に、影が走る。

 すぐ前に、人が寝ていたらしい。

 自分の考えにとらわれ過ぎて、全く意識が向いていなかった。

 他人を避けたはずが、こうなってしまうとは。

 いや、他人ではないか。

「どうした」

 いつも通りの、出会った時から変わっていない素っ気ない口調。

 私を見上げる鋭い眼差しも。

 そこに含まれる、見過ごしてしまいそうな優しさも。

「私だって、一人になりたい時くらいあるわよ」

「そう」

 真理依はそう呟き、再び身を横たえた。

 切なげなメロディーが、彼女の口元から聞こえてくる。

「懐かしいわね。昔は、よく二人で歌ってたのに」

「寂しさを紛らわすために。こんな寂しい歌を」

 誰の歌かはもう忘れたし、歌詞やメロディーが合っているかどうか分からない。

 真理依と一緒に旅をするようになって、持っていたラジオからよく流れていた曲だ。

 何もない部屋や車の中で、この曲が何度も流れた。

 友、それとも恋人と別れる歌詞だった気がする。

 私達はその曲を口ずさみ、眠れぬ夜を明かした。

 どうしてもっと明るい歌を歌わなかったのだろうか。

 それでも口ずさめば、気持が暖かくなった。

 悲しい分、切ない分。

 自分だけじゃない、みんなそうなんだと思えた。

 そう思い込もうとしていた。

 子供らしい、純粋な思い。

 今も胸の奥にしまわれる、かけがえのない思いでもある。


「親に、会いたくなったんじゃないのか」

「ここにいるわ」

 私は胸元から下がった、グリーンの水晶を振った。         

「両親から送られた物なんだろ、それは」

「ええ。赤はお母さん、青はお父さんから。あの二人が離婚してても、私の親である事には変わりないもの」

「遠野にでも聞かせてやりたい話だ」

 微かに笑う真理依。 

 聡美ちゃんは。ご両親を絶対に認めないと言い切っている。

 智美ちゃんも、昔は何か問題があったらしい。

 彼女達が抱えている親との確執。

 私自身もそうだったから、彼女達に強く思い入れをする理由の一つになっているのだろう。

 その辛さや苦しみが、同じではないけれど理解出来るから。

「あなたはどうなのよ。親と全然会ってないんでしょ」

「お互い会う気もない」

 乾ききった反応。

 彼女とその両親との事は知っているので、私もこれ以上は話さない。

「親、か」

「何が」

「別に、意味はないわ」

 自分で言って、自分で笑う。

 真理依は気の抜けたため息を付き、ゆっくりと体を起こした。

「一人になりたかったんだろ」

「あなたは他人じゃないもの」

「血縁は無いつもりだけど」

 それはそうだ。 

 義姉妹の契りをかわした訳でも、養子になった訳でもない。


「分かってるでしょ、私が言ってる意味くらい」

「一心同体、か」

 真理依は独り言のように呟き、束ねている後ろ髪を撫でた。

 いつも被っているキャップは、彼女の傍らに置かれている。

 出会った頃は髪を束ねていなかったし、キャップも被っていなかった。

 変わらないのは一見クールな佇まい。

 そして静かにゆっくりと暮らしている方が好きな女の子。

 それは今も同じだろう。


「沙紀ちゃんが言ってたわ。私達は、いつまでここにいるのかって」

 答えは返らず、髪が撫でられる。

 彼女の心は、語られなくても分かっている。

 私達は一心同体なのだから。

「ここで卒業出来るなら、そうしたいわ。契約が終われば、生徒登録を完全に済まそうかとも思ってる」

「その後で、丹下達と一緒にいられるという保証がない。規則としてではなくて、心情的に」

「それでも。あなただって、そう思ってるでしょ」

 今度も答えは返らない。

 その代わりに、手が重ねられた。 

「何かあっても、映未達は守ってみせる。映未が残りたいのなら、そう出来るようにしてみせる」

 私のよりも小さな華奢な手に力がこもる

 あの日私を連れて行ってくれた、真理依の手に。

「さっきは随分寂しそうだったけど、どうした」

「別に。少し昔を思い出してただけ」

「あいつの事とか?」

「そんな訳、ないわよ……」

 自分でも声が小さくなるのが分かった。

 真理依はただ微笑むだけだ。

「大体自分だって」

「別に、付き合ってた訳じゃない。変な事言わないで」

 少し彼女の口調が女の子らしくなる。

 私もそれには、ただ微笑むだけだった。

「お互い、男運がないわね」

「かもしれない」

 笑顔と笑顔が重なり、心が伝わっていく。

 何も言わなくても、ただ見つめ合うだけで。

 あの日からずっと、そうだったように。

 蘇った遠い思い出を胸の中で繰り返し、私は川のせせらぎに身を任せていた……。 





 ランチタイム



 並べられた食事に、つい頬が緩む。

 雪ちゃんのように、食べるのが好きというのもある。 

 それにこうして、みんな一緒に食べるというのがまた楽しい。

「美味しいわね」

「ああ」

 素っ気ない反応を返す真理依。

 ペラペラしゃべりまくる子ではないので、私もそれ以上は求めない。 

 気付くと紙コップには、お茶が満たされている。

 さっき飲んだはずなのに、どうして。

 すると沙紀ちゃんが隣を指差した。

 どうやら、浦田君が注いでくれたらしい。

 気の利く女の子みたいだ。

「何か」

「別に……。あ、これ美味しい。ねえ、真理依」

「ああ」

 良く味の染みた竜田揚げが、口の中で妙なる味を創り出す。

「そうですか。しょう油が多過ぎるかなと思ったんですが」

 淡々と語る浦田君。

 私の手と、そして真理依の手も止まる。

「ちょ、ちょっと待って。これ作ったの、沙紀ちゃんじゃないの?」

「少し、手伝ってもらったんです」

「そ、そう」

 おにぎりを置き、ぎこちなく笑う。

「映未、草だ。草を食べて、今のを外に出そう」

「あんた、猫か」

 珍しく大笑いする浦田君。

 余程彼のツボにはまったようだ。

「失礼ですよ、二人とも。浦田だって、一生懸命作ったんですから」

「不器用なのに、良く作れたな」

「寮の生活が長いので、一応」

 そう言っている側から、食べかけのおにぎりをこぼす。

 それを拾おうとして、今度はお茶をこぼした。

 さらにそれを拭こうとして、ペーパータオルの箱に遊ばれている。

 ペーパータオルが何故かしら出てこないのだ。


「全然出来てないじゃない」

「わざとです、わざと」

「もういい、ほら」

 見るに見かねて、真理依が難なくペーパータオルを取り出す。

「へぇ」

「感心する所じゃない。いいから、早く拭いて」

「あ、はい」

 何か拭き方も変で、また何かこぼしそうな手付きだ。

「もういいわよ。私がやるから」

 私もペーパータオルを簡単に取り出し、浦田君を手で追い払う。

 ランチマットなので、破水性が高く非常に拭きやすい。

「へぇ」

「だから、感心しないで。沙紀ちゃん、ちょっとその子見張ってて」

「あ、はい」

 こくりと頷き、彼の膝にペーパータオルを広げる沙紀ちゃん。

 出来の悪い子供みたいだ。

「あの、これは恥ずかしいんですけど」

「だったら、首から下げる?」

「いえ、ありがとうございました」

 思わず笑う沙紀ちゃんと私。

 隣の真理依も、声に出して笑っている。 

 クールに見える、でもどこにでもいる普通の女の子が。

「人を笑い者にして楽しいですか」

「これ以上ないくらいに楽しい」

 真理依の言葉に、笑い声が膨らんでいく。


 一人には慣れている。

 寂しさや、苦しさにも。

 でも大勢でいる事が、当たり前に思えてきている。

 楽しさや、安らぎにも。



 その始まりは、二人だった。

 この先、何が待っているのかは分からない。

 楽しさよりも、苦しさが多いかもしれない。

 だけど、傍らにはこの子がいる。

 あの日、私の叫び声に振り向いてからずっと。

 彼女が私を守ってくると言ってくれたように。 

 私も彼女を守る。

 守ってみせる。

 そして、彼女だけでなくみんなを。

 真理依がそう思っているから。

 彼女の思いは私の気持ち。

 親友の横顔に、そう語りかけた。

 これからもよろしくと、一言添えて。






                                         終わり









     エピソード6 あとがき




 特にテーマを決めず、何となく書いてみました。

 前回の元野智美同様、冷静な視点でみんなを見ています。

 こういうキャラが、好きなんです。


 池上映未。

 渡り鳥(通常は、転校を繰り返すアシスタントスタッフを差す)のトップと言われる、ワイルドギースのメンバー。

 綺麗で、優しくて、家庭的。なおかつ頭も切れ、判断分析力にも長けています。

 ユウ達がやや発展途上なのに対し、彼女達ワイルドギースはほぼ完成されています。

 無論悩みや問題は抱えていて、当然それに立ち向かっています。

 この辺りについては、いずれ本編で。

 また作中で書いた伏線も、エピソードで書いていきます。

 舞地の出会いや名雲達との出会いは、必ず。

 というか、まず本編ですね・・・。


 こうして書いてみると、内向的な面がある人でした。

 それは昇華してますけど。

 大人というか、格好良いというか。

 自分で書いていて何ですが、素敵です。

 過去に色々あったみたいですし、ただの綺麗な女の子じゃないのがまたいいです。

 ワイルドギース(舞地達)はユウ達と並ぶメインキャラなので、今後も彼等についてはエピソードを積極的に書いていきます。

 当然本編でも、相当の見せ場があります。

  また第6話のラストでも多少表現してますが、「舞地-ユウ、丹下」、「池上-サトミ、モト(元野)」という図式になっています。

 勿論それぞれクロスする部分もありますが、つながりとしてはそんな感じで書いています。

 簡単に言えば、武と知のラインですね。

 男の子達もラインはありますが、それはまたいずれ。






   

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