46-11
46-11
朝からの雨。
草薙高校へ向かう道には傘の列が並び、生徒は一様に顔を伏せて先を急ぐ。
雨独特の重苦しさ。
会話はあっても、暗い空と湿った空気がそれにまとわりついていくよう。
足元の水たまりを避け、傘からはみ出た肩を濡らし、風に吹かれて細かな雨粒が吹き込んでくる。
憂鬱。
そんな言葉が当てはまる状況。
西の空は暗く重く、しばらく晴天は望めそうにない。
濡れた廊下をモップ掛けする数名の生徒。
清掃に関しては業者に委託しているが、早朝の今は彼等も出勤前。
生徒達は黙々と、廊下にモップを掛けていく。
モップを掛け終わった場所に、傘の先を付けて歩いていく生徒。
誰しもが濡れているのだから、拭いた場所が汚れていくのは仕方ない。
ただ、それを最小限に防ぐ事は可能。
少しの気遣い。相手への配慮によって。
だが傘の先は水の筋を廊下に付け、それが途切れる事は無い。
掃除をしている生徒達の不満を感じたのか、傘を振り回すようにして振り返る生徒。
相手を見下すような表情で。
「どうせ何も出来ないんだ。掃除くらい、きちんとしろよ」
「何?」
「おい。生徒会に逆らうとどうなるか分かってるのか。玲阿みたいに処分してもいいんだぞ」
引き合いに出される風成の名前。
最近生徒会の一部生徒が利用している手口。
自分の横暴を押し通すための手段として。
前に出かけていた生徒達は動きを止め、男は嘲笑と共に去っていく。
傘を振り回し、廊下を汚しながら。
生徒達の刺すような視線に気付きもせずに。
小さな諍い。
その、ただ一つの例。
学内で頻発しつつある中のでの。
教室内の空調は全開で除湿中。
それでも生徒達の服や荷物が濡れている以上、湿度が極端に下がる事無い。
教科書やノートも湿りがち。
つられる訳でも無いだろうが、教室の空気もまた。
「……玲阿さんっていますか」
生真面目な顔で尋ねてくる数名の男子生徒。
風成は軽く手を振り、自分の居場所をアピールした。
一礼して教室内に入ってくる生徒達。
そして、廊下で起きた出来事を彼へと話す。
「生徒会、ね。嫌な奴だとは分かったが、それを俺に話されても困る」
「見過ごすんですか」
「見損ないました」
意外と手厳しい生徒達。
ただそれが、風成の良さ。
学校最強とも呼ばれながら、非常に親しみやすい人柄。
知らない者でもこうして気軽に声を掛ける事が出来、彼もそれを受け入れる。
いつでも、という訳では無いが。
「あのな。目の前でやられれば、俺も対処のしようはある。でも話を聞いただけでは、何もしようがないだろ。それともそいつが誰かを調べ上げて、殴り倒せばいいのか」
「そ、それは」
「だからって、ああいう態度はないでしょう。生徒会って何ですか、一体」
「俺に言うな。それと授業が始まる。ああ、後は自分達でそいつを糾弾しようと思うなよ。生徒会にはガーディアンが付いてる。難癖付けられて、自分達が殴られる可能性もある」
最後の一言は聞いたのか、肩を落として教室を出ていく生徒達。
風成は教科書をめくり、数式に目を通し始めた。
「あれで良いの?」
「子供相談室じゃないんだ。世の中で生きていくのは難しいって分かっただろ、あいつらも」
「随分立派な考え方ね」
「人に構ってる余裕も……。無くもないのか」
教室になだれ込んでくる武装集団。
その先頭に立っていた茶髪の男が、竹刀で黒板を激しく叩く。
「予算緊縮の折りに付き、生徒諸君には善意の寄付を行ってもらう。あくまでも善意、強制ではない」
再び竹刀で黒板を叩く男。
水を打ったように静まりかえる教室内。
秀邦は風成へ視線を向けるが、彼は椅子へ座って腕を組んだまま動こうとしない。
ペンで突いても同じ事。
反応はない。
宙を舞う机と椅子。
それは竹刀を振り上げていた男の真上に落下し、変な声を上げて男は床へ押しつぶされた。
「やっちまえっ」
「おおっ」
ある者は椅子、ある者はホウキ、ある者は隠し持っていた警棒。
クラスメート達は一致結束し、武装集団を片っ端から殴り始めた。
唐突かつ、圧倒的な人数差での反撃。
男達は抵抗するどころか、自分の身を守るので精一杯。
最後の一人に椅子が投げつけられた所で、混乱は収束。
男達は教室の外へ捨てられ、室内には再び平穏が戻ってくる。
「……なんだ、これは」
「自治だろ、自治」
「君が関わってるのか」
「なんて言うのかな。このクラスは、訳ありの奴が多い。となれば、当然敵も多い。結果、自己防衛には長けてくる」
長けるどころか、むしろ過剰。
おそらくは、骨折した者もいるだろう。
何となく硬い表情でクラスを見渡す秀邦。
雰囲気は先程と全く同じ。
平穏で、平凡で、平和。
だがそれはあくまでも、今だけの事でしかない。
昼休み。
いつものように食堂へ向かう風成達。
その行く手にやはり武装した集団が現れ、道をふさぐ。
「検問だ。荷物を出せ」
「……何かの冗談か、これ」
「今の学内はいびつな状態だ。それが分かりやすい形になって現れたんだろ」
「訳が分からん。……とにかく、どけ」
容赦無用とばかり、足を振り上げ顔面に前蹴りを食らわす風成。
ブーツの底を鼻にくらった男は血を真上に吹き上げ、全身を赤く染めながら後ろ向きに倒れ込んだ。
「乱れすぎだろ、どう考えても」
「そのためのガーディアン。治安維持の目的で権限を強化して、学校を支配する事も出来る。ガーディアン連合は、そっちが狙いかも知れない」
「そういうタイプには見えなかったぞ」
「推測だよ、あくまでも。ただ、否定する理由は見当たらない」
倒れた男を写真に撮る秀邦。
そしてジャケットを漁り、身元を特定出来そうな者を探し出す。
「IDは無し、か。学校外生徒は、こういう悪事に荷担するのかな」
「契約が全てだから、当然そういう人もいるわよ。結局は個人の資質じゃなくて」
「参考になった」
端末を捨て、手を払う秀邦。
後は倒れた男を一瞥もせずに、その脇を通り過ぎていく。
ただ風成達は、すでに食堂内へ入った後。
男達にどんな意図があったにせよ、それは道端の石ほどの価値も無かったようだ。
テーブルに付き、食事を取る風成達。
食堂内は相変わらずの喧噪。
ただ彼等の周囲は空気が重く、張り詰めている。
生徒会への反対姿勢を明確にし、それと戦う意志すら示しているグループ。
彼等が何故生徒会と反目関係にあるのかを考える者、知っている者は殆どいないはず。
それでも異変には敏感で、好奇心も旺盛。
高校生とはそうした物であり、それが良さとも悪さとも言える。
「意外に平和だな。もっとねちねちやられるかと思ったぜ」
「さっき、検問があっただろ。教室にも入ってきた」
「あんなの、気に留めるようなものでもない」
襲ってきた連中にとっては、あまりにも屈辱的な台詞。
だがそれは、風成の本意。
彼等に実害は無いし、行動においても何一つ制限されていない。
つまり彼を屈服させるのは容易ではなく、だからこその余裕であり仲間からの信頼を生み出す。
生徒会。生徒会長執務室。
机に肘を突き、組んだ手で口元を押さえる生徒会長。
彼の前にいるのは、いかにもといった不良達。
その後ろには、高級そうなスーツを着た壮年の男性が立っている。
「持ちつ持たれつだよ。君は自治を貫きたい、我々は利権が欲しい。一見矛盾するようだが、これは決して遠い関係ではない。生徒が学校を運営する。運営するには物資もサービスも必要だ。そして自治だから、何をするにも自分達で決められる」
「協力するメリットがない」
「分かってないようだな。君は先日、学校のヒーローを追放した。確かにあれは目障りだ。もう一人のヒーローもだがね。生徒会の容赦ない姿勢は示せたし、様々な問題を彼に押しつける事も出来た。ただ、人気はがた落ちだ。君達は処分すれば悪行も彼について回ると思っただろうが、民衆はそうは思わない。理屈より感情で考えるからね、連中は」
尊大な態度で煙草を吹かす男。
生徒会長が咎めるような視線を向けるが、男は構わず灰を床に落とす。
「選択の余地はないんだよ。玲阿だったか。あの男を切った時点で、進むべき道は定められた。仲間を裏切ったという状況は、どこまでも追ってくる」
「仲間ではないし、裏切ってもいない」
「それは君の主観であり、言い訳だ。ただ恥じる事は無い。自分のために事を成すのが人間だ。それは悪い事ではない」
瞬の言葉に似た台詞。
ただ本質。根本の部分でそれは大きくねじ曲がっている。
「どうしても協力したく無いなら、それも良い。その際は君達も込みで追い落とすだけだ」
「不良連中に学校をしきれるとでも」
「御輿はいくらでもいるよ。君の代わりもね。何なら、替え玉でも用意してみようか」
「……情報部か」
「私の軍歴はどうでも良いだろう。仮にそうだとして、何かが変わる訳でも無い。ただ我々に協力してくれるなら、援助は惜しまない。草薙高校の利権は君が思っている以上の利益と権力を生み出す。マルチ商法にしろ何にしろ、始めに上へ立った者だけが得をする。損をすると分かって、逆らう理由もないだろう」
机に放られる封筒。
それは鈍い音を立て、生徒会長の前まで転がった。
音と厚みからして、かなりの高額。
生徒会長は儀礼的に中身を確認し、微かに眉を動かした。
「手付けだと思ってもらおう。これは本来君が得るべき報酬に比べれば、微々たる物だ。無論私も利権構造には食い込むが、全てを手に入れるつもりはない。そこまでやれば恨みを買うし、リスクは大きすぎるからね」
「これを受け取れと」
「それは君の自由だよ。私にとっては、大した額ではない。何なら彼等に渡しても構わないがね」
下品な笑みを浮かべている不良連中を指さす男。
生徒会長は舌を鳴らし、机を指先で叩いた。
「話を聞かせても良いんですか」
「脅迫されるとでも?そんな真似をすればどうなるかは、彼等が一番よく分かってる。草薙高校では最近転校していく生徒が多くてね。一体、どこへ行ったのやら」
その言葉を聞いた途端、不良達の顔から笑顔が消える。
裏切った者には、相当凄惨な罰が待ち受けているようだ。
しばしの沈黙。
生徒会長は顔を伏せたまま、男に問いかけた。
「……リスクについて、詳しく」
「無論贈収賄に関わるから、刑事罰もあり得る。懲役だけではなく、罰金刑も科せられるだろう。捕まったらの場合だが」
「あなたが裏切らないという保証は」
「それはお互い様だ。覚え書きをかわそう。それをお互いに持ち合い、その牽制とする」
すでに紙は用意されており、生徒会長はそれを受け取って短い文章と署名欄に目を通した。
「改めて別な紙に書いてもらいます」
「その程度は頭が回らないと、こちらも困る」
机に置かれた紙を手の平で撫でる男。
すると文字が滲み出し、数度こする内に完全に読み取れなくなった。
「君も下らん細工はしないように」
一瞬鋭くなる男の目付き。
生徒会長は鼻で笑い、部屋の隅にあるラックから数枚の書類を持って来た。
「古い通達。これの裏に書くなら問題ないでしょう」
「……良いだろう。文章は一字一句同一で」
「分かりました」
先程の覚え書きを見ながら文章を書く二人。
最後にそれを交換し、署名欄に名前を書き込む。
「これで我々は一蓮托生。君が下らん正義心を起こすのは勝手で、自分の行為を自白するのは全然構わん。ただ、私の名前は出さないように」
「それこそお互い様でしょう。業者選定は直接自分が関わる分、リスクはこちらの方が大きい」
「警察へ出頭する人間はいくらでもいる。ノウハウについてもある程度は助言しよう。なに、仮に捕まっても資金を隠しておけば良いだけだ。日本の法など、あって無いがごとしだよ」
声を上げて笑う男。
しかし瞳の輝きは鋭いまま。
親しみの欠片もそこにはない。
「心配する事は無い。今は不安でも、すぐに分かる。リスクよりもリターンが多い事にね」
「リターンですか」
「それは金銭的な事だけではないよ。君の好みは知らんが、言ってくれればいくらでも用意しよう。あまりマニアックな事を言われても困るが」
卓上端末に送信されるデータベース。
それは女性のプロフィール。
全員非常に整った顔立ちで、かなり高学歴な者もいる。
写真は顔のアップが一枚。
そしてもう一枚は、人によっては眉をひそめたくなる程の露出した恰好である。
「つまりはそういう事だ。取りあえず二人連れてきてある。……入りたまえ」
ドアが開き、紺のスーツを着た綺麗な女性が二人入ってくる。
一人は大きくはだけた胸元を押さえつつ生徒会長に近付き、その膝の上に乗って首に手を回す。
もう一人はブロンドヘアを口元へくわえながら、机の上に腰掛けた。
「では、今日は失礼する」
「ああ……」
すでに心にあらずと言った返事。
男は喉元から笑い声を漏らし、不良達を威嚇して部屋の外へと出て行った。
陰惨な笑みを隠そうともせずに。
体育会。代表執務室。
卓上端末に送信された予算案を確認し、口元を押さえる真山。
彼女は画面上の、「予算局」という部分に指を触れた。
「……済みません、体育会代表の真山です。……いつもお世話になっております。……いえ、今月の予算について。……一桁間違ってませんか?……しかしこれでは、今までの10倍に……。勿論、困りはしませんけどね」
苦笑気味に答えた真山は通話を終え、改めて予算案に目を向けた。
彼女が口にしたように、予算額は前月のほぼ10倍。
そして代表の裁量で動かせる額は、20倍以上になっている。
確かにあって困る物ではない。
ただ、その増え方があまりにも急激。
しかも明確な理由が告げられず、金だけがばらまかれている。
真山は口元を押さえたまま、机の前に立っている部下に尋ねた。
「どう思いますか、これは」
「懐柔策では?自分で言うのも何ですが、体育会は不安定要因ですからね」
「しかし額が大きすぎます。そもそも、生徒会にそこまでの予算があるのでしょうか」
「悪い事でもやってるとか。というか、やってるんでしょう」
平然と答える男子生徒。
真山は苦い顔で頷き、情報局のデーターベースにアクセスした。
彼女は生徒組織幹部のため、上位の情報にもアクセス出来る。
それによると、他の生徒会組織や生徒会各局も予算は一気に増額。
体育会の10倍は破格にしろ、最低2倍以上にはなっている。
「……各部へ個別に資金が回ってる可能性は」
「それはあるでしょう。さらに言えば個人的に回ってる可能性も。資金だけではなく、飲食費として使う場合もあるようです。栄養費って言ったかな」
「買収と考えて良いんでしょうか」
「良いんじゃないんですか」
至って気楽に答える男。
生徒会の常軌を逸した行動に驚いた様子はなく、それを淡々と受け止める。
度量の大きさや自信の表れなのか、そもそも無関心なのか。
彼もまた、かなり特殊な人間なのは間違いない。
「……意味は無いかも知れませんが、一度総会を開きます」
「分かりました。すぐ手配します」
「それと私に賛同してくれると思われるクラブ、もしくは個人をリストアップして下さい」
「分かりました」
すぐに端末で連絡を取り出す男子生徒。
真山は真剣な表情を崩さず、卓上端末の画面に表示される予算額を見つめ続けた。
体育会臨時総会。
会議室に顔を連ねる各クラブの幹部達。
ジャージ、ユニフォーム、道着。
服装は様々で、ただ上座を占めているのは道着姿の生徒達。
それは体育会の主流を物語ると同時に、その性質も示している。
「お忙しい中お集まり頂き、ありがとうございます。本日の議題は、生徒会から配分された予算についてです。すでにお分かりの方もいるでしょうが、今月度の予算が相当に増額されています。配分されたものに関しては、各クラブで自由に使って頂いて構いません。ただ」
前置きをする真山。
幹部達も、次の言葉に意識を向ける。
「何故これほど高額の予算が組まれたのか。どうしてそんなに予算があるのか。これは生徒会が1年間に使うと予想される額を遙かに上回っています」
「株を運用したとか、そういう事ではないんですか。予算局でしたっけ。あそこは投資での資産運用をしているとも聞いてます」
挙手をして指摘する、ランニング姿の女性。
それに真山は首を振り、自分の背後にある大きなモニターを指さした。
表示されたのは、体育会として配分された予算。
これは前年月のほぼ10倍。
幹部達はさすがにどよめきの声を上げる。
「運用益にしてはあまりにも額が大きすぎます。また予算をここまで増額する理由がどこにあるでしょうか」
「貰える物は、貰えばいいだろ」
雑に返す道着姿の大男。
それには他の生徒達も同意の声を上げる。
実際予算はあって困る物ではなく、言ってみれば100倍でも良いくらい。
意義を唱える方がおかしいという空気。
しかし真山は、なおも問う。
「……まず皆さんに申しておきたいのは、体育会の存在についてです」
「存在?」
「体育会は、生徒会の傘下組織ではありません。あくまでも独立した存在。必要以上の予算を受け取り、それでもなお独立性を保てるとお思いですか」
舞い上がっていた各部幹部への強烈なメッセージ。
資金だけを提供され、礼を言って終わり。
世の中、それで済む訳はない。
何らかの見返りを求めると考えるのが当然と言うべきだろう。
静まりかえる会議室内。
ただそれは、生徒会の意図を知ってショックを受けたからだけではない。
真山の指摘は先刻承知。
逆にそれを指摘され、痛い所を突かれたという者も多いだろう。
「……とはいえ、体育会はあくまでも親睦組織。具体的にどう行動するかは、皆さんの自主性にお任せします」
「え」
彼女の後ろに控えていた男子生徒が、珍しく驚いた声を上げる。
しかし驚いたのは彼だけではなく、各部幹部は先程以上のどよめきの声を上げる。
「私としての考えはありますが、それを強制は致しませんしペナルティも科しません。とはいえ、その結果まで私が責任を見る訳にも参りません。その点を各自留意し、今後は行動して下さい。私からは以上です」
何の余韻もなく話をまとめる真山。
そして一礼し、席を立って後ろに下がった。
さらに騒然となる会議室内。
会議室内を飛び出ていく者もいれば、幹部同士や知り合い同士で話し合う者もいる。
呆然とする者も当然。
「代表、どうするおつもりですか」
「皆さんの自主性にお任せします」
「しかし、それでは」
「先程も申しましたが、私なりの考えはあります。それに賛同して頂いても構いません。無論その場合の結果については、私が全ての責任を負いますが」
またもやどよめき。
ただ今回のは、歓喜のそれに近い。
責任云々もだが、自分の考えのみで行動するにはリスクが大きすぎる。
その点大勢で行動すれば、リスクは軽減される。
もしくは、そのつもりになれる。
秀邦が指摘したように、人は群れる者。
ただそれは決して悪い事ばかりでもない。
一人では出来ない事も二人でなら出来る事もある。
仲間のために力を尽くし、犠牲を最小限に減らす事も。
「……良いんですか」
小声で問いかける男子生徒。
真山は申し訳なさそうに頷き、壁へ背をもたれた。
「私に出来るのは、せいぜい責任を取る事くらいですから」
「自己犠牲ですか。あまり感心しませんね」
「でも」
「人からは感謝されても、自分自身は何も得しませんよ。俺はまあ、人より自分。自分が一番大切ですから。戦うのは自分のため。人に構うだけの余裕もありません」
真山を諭す男子生徒。
ただそれは己の限界。
真山の大きさを暗に示しているのだが。
生徒会。生徒会長執務室。
机に置かれた封筒をじっと見つめる生徒会長。
ブレザーは床に落ち、シャツははだけたまま。
息づかいは荒く、頬もうっすらと赤い。
「……いや。構わないから、通してくれ」
卓上端末越しに会話を交わす生徒会長。
やや間があって、議長が執務室を訪ねてくる。
「お邪魔だったかな」
ソファーに横たわるグラマラスな美人とブロンド美人。
生徒会長はネクタイを締めつつ、首を振った。
「何か用でも」
「急に予算が増えたから、どうしたのかなと思って。無論、予算が多いに越した事は無いが」
「スポンサーの収益が上がったので、臨時に予算が降りた」
「それで豪遊か」
ソファーには娼婦と見まごうような女性。
テーブルにもアルコール類の瓶や缶が散乱し、あまり褒められた状況とは言い難い。
生徒会長は締まりそうにないネクタイを放り投げ、椅子に崩れて議長を睨み付けた。
「説教か」
「いや。意外と人間らしくて助かった。それと、このお姉さん達は帰らせて良いかな」
「ああ」
「……悪いが、外に出てくれ。俺達は、用がある」
二人を軽く揺する議長。
その手が払いのけられた所で、議長は警棒を抜きそれを喉元に押しつけた。
「外へ出るか、声帯を潰されるか。選んでくれ」
「ひっ」
スーツを抱え、半ば下着姿で飛び出していく二人。
議長はそれを見送り、ソファーに座ってまだ残っていたビールの缶へ手を伸ばした。
「炭酸が飛んでるな」
「……何の用だ」
「予算が増えた理由と、さっきの女達。その理由を尋ねない方が、どうかしてるだろ」
当然とも言える答え。
生徒会長は頭を押さえ、机に顔を伏せた。
ただ返事をする気がないというより、疲労と頭痛に苛まれているようである。
「理事と会ったか」
「ああ。それ程ではないが、封筒を置いていった。俺の所に来たのは職員だけど」
机の上にある、分厚い封筒を指さす議長。
どうやら組織の大きさや影響力によって、待遇には差が付いてるらしい。
「別に不満を言ってる訳じゃない。封筒とは別に、予算も増えてるんだから。ただ、詳しい説明は連中から聞いてないんだ」
「草薙高校に利権構造を構築したいらしい。自治の名を利用して」
「そういう連中も出てくるだろう。ただ、どうしてそれを受け入れた」
「玲阿君を切った点に言及された」
「それは痛いな。反論のしようがない」
人ごとのような口調。
生徒会長は頭を押さえたまま、苛立たしそうな視線を彼へと向ける。
「責めてる訳じゃない。俺も金を受け取った身だ。人にとやかく言える筋合いでもない」
「……どうして受け取った」
「金に名前は書いてないし、使い方も書いてない。金は金だよ」
非常に割り切った考え。
しかし生徒会長の機嫌が直った様子もない。
片付けられるアルコールの空き缶。
生徒会長はだらしなく椅子に座り、それをぼんやり眺めている。
「一気に楽しくなってきたよな」
「何が」
「この混乱具合が。自治制度を確立するには、むしろ一度全てが混乱した方が良い。そこから改めて、初めから作り直せる」
「そんな間単に行く物か。混乱はどうやって収め……。ガーディアン」
さらに鋭くなる視線。
生徒会長は腰を浮かせ、しかし力が入らなかったのかそのまま椅子へ崩れ落ちる。
「連中を焚きつけたのか」
「まさか。俺の考えを言っただけさ。ただ、悪い考えでもないだろ」
「ガーディアンにそんな権限はないし、やっていいものなのか」
「元々ガーディアンは、そういう存在。正義の味方とは限らない。特に草薙高校は、自分達の権利を主張した生徒グループがガーディアンの基礎になっているらしい」
ソファーに落ち着き、そう答える議長。
表情はいつになく生気に満ち、やる気に満ちあふれている。
「連中は派手に金をばらまいてるから、学内の箍は相当に緩む。好き勝手に暴れる馬鹿も増える。それを徹底的に粛正。ガーディアンの権威を知らしめる」
「生徒会の権威にしてくれないか、そこは」
「そこは俺にも立場がある」
両者の間に散る火花。
しかし議長の方が両手を小さく上げ、先に折れた。
「分かった、分かった。手柄は生徒会に譲ろう。ただ、俺達には駐留場所を提供して欲しい」
「連合の力が強まりすぎないか」
「それはお互い様だろ」
「……分かった。空き教室のいくつかを連合に提供する。ただ指揮権は今まで通り、生徒会が保有する」
妥協点を示す生徒会長。
議長はそれに頷き、希望する駐留場所のリストを示した。
「金もある、権限もある。人員も揃ってる。これで自治は確立されたも同じだな」
「学校の紐付きでもか」
「考え方の違いだな。向こうはあんたを利用するが、こっちも向こうを利用する。それに放って置いても、組織は勝手に駄目になる。だったら自分がコントロール出来る体制を整えればいい」
「参考になるよ」
雑に答える生徒会長。
議長は警棒で肩を叩きながら立ち上がり、封筒を指さした。
「連中は具体的に、何を要求してる」
「納入業者の選定だろう」
「そのくらいの見返りは必要か。うるさくならないように、関係者には気前よくばらまいた方が良い」
「それでも従わない相手はどうする」
「言っただろ、そのためのガーディアンだと」
酷薄な笑みを浮かべる議長。
空気は重く、濃く。
暗く陰り出す。
情報局。局長執務室。
ソファーに寝転び、ファッション雑誌を読み耽る笹原。
「済みません、仕事をして頂けますか」
申し訳なさそうに声を掛ける女子生徒。
笹原は視線だけを動かし、すぐにそれを元へと戻した。
「済みません」
「印鑑はあるから、適当に押して。サインは勝手に書いて。私が目を通す必要がある書類は、特になかった」
「済みません、それが仕事なので」
「形式主義というか、官僚主義というか。こんなの、自治でも何でもないじゃない」
ファッション雑誌を机へ放り投げ、悲鳴を上げる笹原。
草薙高校生徒会の今後を示す予兆は、この時点からすでにあったと言える。
1人では埒が開かないと思ったのか、2人3人と増えていく女子生徒。
その数が10人目になったところで、笹原は舌を鳴らして起き上がった。
「分かったわよ、もう。全部書類を運んで。それと総務局に連絡。不必要と判断した分は、全部元の局へ戻して。反論は一切受け付けない」
「分かりました。それと予算局から、内密に話があるそうです」
「丸聞こえで、内密も何もないじゃない。で、何なの」
「予算が突然、尋常ではないほど増額されたとか」
端末の画面を示しながら説明する女性生徒。
笹原はそれに目を向け、大げさに肩をすくめた。
「宝くじでも当たったの?」
「不正行為をしているとの噂が広がってます。ただ広範囲に資金を配っているので、批判の声は上がってません」
「くれるんだから貰えば良いじゃない。……前月、前年度と比較して、予想される額だけ口座へ。余剰分は、別にプールして」
女子生徒は無言で頷き、端末を操作。
その画面を見せられ、笹原も頷き返す。
ソファーから起き上がり、髪を整え、手鏡をチェック。
壁に掛けていたブレザーを羽織り、改めて鏡でチェック。
「生徒会長に会ってくる。私の個人的な護衛っていないの?」
「自警局に頼みますか。ただ自警局局長は、生徒会長が兼任してますから」
「信用出来ない、か。というか、生徒会長が信用出来ないってどんな学校よ」
「学校外生徒でしたら紹介出来ますが」
その言葉に、怪訝そうな顔をする笹原。
学校外生徒が注目されるのは、彼女達の次世代以降。
存在自体は戦前からあるが、混乱した国内情勢により彼等の情報が一般化するまではまだ時がある。
笹原が局長室を出たところに待っていたのは、熊のような大男と大人しい地味な雰囲気の少女。
ただ二人とも腰には警棒を差していて、彼女を見るやすぐに頭を下げた。
「よろしくお願いします。しばらくの間、護衛を務めさせて頂きます」
「……礼儀正しいのね」
「そういうタイプを呼んできました。一般的には、がさつで粗暴なタイプが多いようです」
「助かったわ」
苦笑気味に答える笹原。
大男は彼女の前を行くように歩き出し、少女は斜め後ろに付き従う。
「じゃあ、後はよろしく。すぐ戻るから」
「分かりました。お気を付けて」
「それはむしろ、襲ってくる連中へ言ってみたら」
生徒会長執務室前。
床にしゃがみ込み、馬鹿笑いをする男達。
茶髪、金髪、サンダル、上半身裸。
世が世なら山賊と言った所で、生徒会長に用があるだろう生徒達は遠巻きに彼等の様子を窺っている。
「何、あれ」
「傭兵と呼ばれる連中。金のためなら、何でもします」
吐き捨てるように答える大男。
少女の方は警棒を抜き、彼等を覗き込もうとする笹原を後ろに庇った。
「ボウガンを所持している可能性もあります。気を付けて下さい」
「いや。この距離では気を付けようも無いんじゃないの」
「私が盾になりますから、前に出ない限りは大丈夫です」
強烈な自信と職業意識。
笹原も珍しく素直に頷き、その後ろへ身を寄せた。
熊のような大男と、少女が二人。
男達も自然に彼女達へ注目をする。
「何だ、お前ら」
「男に用は無い。女だけ置いて帰れ」
どっと沸く男達。
それに対して大男はくすりともせず、丁寧に頭を下げた。
「申し訳ありませんが、そこを通して貰えますか」
「今日から通行料が必要になった」
「ご冗談を」
「俺は本気……」
問答無用のローキック。
それを食らった男が吹き飛び、横にいた男も巻き添えにして床へ押しつぶされる。
「て、てめぇ」
立ち上がろうとした所で、顔面につま先での前蹴り。
立ち上がった別な男は襟首を掴まれ、そのまま壁際へ一気に突っ走られ背中と後頭部を強打。
戻って来た反動で背負い投げ。
男達は反撃する余地もなく鎮圧され、哀れな呻き声を上げる事となる。
「どうぞ」
倒れた男達を見向きもせず、執務室への道を作る大男。
そこは笹原も、一角の人物。
平然と頷き、ゆったりと大男に先導させて歩いていく。
「……世の中、強い人ってどれだけでもいるのね。玲阿君が一番強いと思ってたわ」
「玲阿風成ですか」
「知ってるの?」
「あれは別格。俺が100人いても敵いません。もし玲阿風成が敵となった場合は、是が非でも逃げさせて頂きます」
表情一つ変えず答える大男。
後ろを振り返るが、少女も黙って頷くだけ。
笹原は周りに視線を配りつつ、腰を落として慎重に歩いていった。
そのわずかな距離の間に風成が襲撃してくる事は無く、執務室内に通される笹原。
生徒会長は、今も机の上に崩れたまま。
封筒だけが、虚しく机の上に転がっている。
「随分楽しそうね」
「……何か用か」
「予算増額の件。みんな、不審がってるわよ」
「貰える物は貰っておけばいい。あって困る物でも無いだろ」
投げやりな台詞。
笹原は眉をひそめ、生徒会長に詰め寄った。
「何があったの。自治はどうしたの。私を巻き込んだ責任はどうしてくれる訳」
「自治は貫く」
素っ気なく答える生徒会長。
もはや反射的とも言える反応である。
笹原は封筒の中身を確認。
再び眉がひそめられる。
「会員制クラブ?」
「世間は広いな。色々と分かったよ、俺も」
「そんな世間は知りたくもないわね。それってわざとやってるの。それとも本気?」
「わざとだ」
気だるそうに答える生徒会長。
今にも寝息をかきそうな雰囲気で、ただ書類やDDは一切無い。
「仕事は」
「署名をして、印鑑を押すだけ。そんなの、誰にでも出来る」
「生徒会長としての責務は」
「知った事か」
究極とも言える台詞。
笹原は鼻で笑い、彼の後ろに掲げられている大きな額を指さした。
「校是 生徒の自治。なんて書いてあるわね。生徒会長はその先頭に立って、自治を広めるんじゃないの」
「だから好きにやっている」
あくまでも投げやりに答える生徒会長。
話が進展する雰囲気はない。
笹原は軽く息を整え、机に手を付いた。
「玲阿君達を切った事は、確かに問題だったかも知れない。ただ、それは初めから分かってた事でしょう。あの子達はあくまでも、スケープゴート。厄介事を背負わせるための存在だって」
「君は割り切ったのか」
「だから辞めずに、ここにいる。何の犠牲もなくて、何かが得られるとは思ってない」
「犠牲を生み出すような組織や制度に意味は無い。大体そんな人間を、誰が信用する」
笑い気味に問いかける生徒会長。
笹原から、それに対する返事はない。
「所詮高校生のお遊びだったんだ」
「何が」
「自治が認められて、それが実際に施行され。学校にとってのメリットは非常に薄い。それでも協力してたのはどうしてか。都合が良いと思った人間がいたんだろう。生徒会を利用して、私物化する方が」
「それも分かった上で行動したんじゃないの。リスクは承知の上でしょう」
机を叩く笹原。
生徒会長は気が抜けたように笑い、彼女と目を合わせた。
「相手を利用してるつもりが、こっちが利用されてたんだ。多少の事はやむを得ないと割り切ったつもりで。そしてこれが現実だ」
封筒から出てくる、クラブの会員権、高級レストランの無料招待券、タクシーチケット、あまり品は良くなさそうな店の名刺。
生徒会長はそれを引き出しへしまい、鼻先で笑った。
「君はどうするつもりだ。想定の範囲内だから、気にもならないか」
「そうよ。利権構造を与える代わりに、学校とのコネクションは強まる。単に生徒会という立場だけで、自治が貫けるとは思ってない」
「だったら君が責任を取ればいい。俺は少し休む」
「勝手にすれば」
吐き捨てるように答える笹原。
彼女はきびすを消し、振り返る事無く執務室を後にした。
外へ出た途端、大勢の生徒が笹原めがけて殺到してくる。
素早く前に出て、生徒を遮る大男。
少女も警棒を抜き、笹原の横へ付く。
ただ全員手にしている物は、書類やDD。
襲撃には、いまいち不向きな道具である。
「是非これを」
「この案なら絶対です」
「私、総務課に異動したいんです」
「まだまだ予算が足りませんっ」
つまりは陳情団。
純粋に仕事を持って来ている生徒もいるだろうが、それはごく一部。
大半は彼女への要望。
生徒会長の権限を一時的に委任されたと、彼女が外へ出た時点で連絡が入ったのだろう。
「……とにかく下がって。陳情は後。仕事が先。今度集まってきたら、端から順に縛り付ける」
「ひっ」
悲鳴を上げて強ばる生徒達。
その中をおずおずと、数名の生徒が書類を携え前に出てくる。
「来週のスケジュールです」
「休みがないんですけど」
「何ですか、休みって」
真顔で尋ね返す男性生徒。
笹原はしばし彼と見つめ合い、軽く咳払いをした。
「後で、目を通す。誰か、秘書はいないの」
「どなたをお呼びしますか」
「……何人いるの」
「第5秘書まで今日は登校しています。第8と9が東京。第7が大阪。第6は北米へ行っておりますが」
「ふーん」
おざなりに頷く笹原。
彼女は珍しくため息を付き、スケジュール表で顔を仰いだ。
「分かった。遅滞なく進行するように、万全の対策を講じて。私はしばらく泊まり込むから、食事と宿泊の準備も。他に泊まる人の分も」
「手配させて頂きます」
「それと休憩は随時取って。オーバーワークは絶対に認めない。そういう人がいたら、私が処分する」
「注意しておきます」
静かに頷く男子生徒。
笹原は彼に下がるよう手を振り、大男と少女を呼び寄せた。
「あなた達も泊まれるの?」
「命令があれば、何日でも」
「だったら、お願い。夜襲ってあるのかしら」
「セオリーでしょうね」
静かに答える少女。
草薙高校においてのセオリーではないが、彼女にとっては特に珍しくも無い事らしい。
稼動し出す、笹原生徒会。
波乱と不安と期待の入り交じった空気の中で。




