46-10
46-10
自宅に届く処分通知。
処分内容は生徒会長が事前に告げた通り、厳重注意。
あくまでも文章による警告に過ぎず、停学に比べればあってないようなもの。
非常に軽微な処分と言える。
ただこれは警告。
通常は問題を起こすたび、処分の内容は重くなる。
次もまた文章による注意だけで済むとは限らない。
今日は二人で当校をする風成と流衣。
違うのは、流衣が少し前を歩き気味な所。
お嬢様扱いされてきた事に今更気付き、それに反発をしているようだ。
「急ぐなよ」
「良いから、私に付いてきて」
「行き先は一緒なんだ。付いて行くもなにもないだろ。……というかバスってなんだ」
「大丈夫、これは草薙高校へ行くから」
流衣が立ち止まったのはバス停の前。
風成が路線図を見るより早く、バスが彼等の前に停車する。
「これよ」
「違ったらどうする」
「乗り換えれば済む話でしょ」
「まあ、大丈夫か」
バスの進行方向は南。
草薙高校は彼等の自宅から見て南に位置するため、方向としては間違っていない。
また通勤通学の時間帯は本数も多く、乗り換えも容易。
最悪の事態は避けられると思ったのだろう。
「おはよう」
元気良く挨拶をしながら教室に入ってくる流衣。
いつにない上機嫌。
彼女には似つかわしくないハイテンションに、クラスメートは戸惑いつつ挨拶を返す。
調子が良いのは単純に、乗ったバスが神宮駅へ到着したから。
地下鉄よりは時間が掛かったが、無事に到着したのも確か。
流衣の気分が良くなるのも無理はない。
ただバスに乗っただけにしろ。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
愛想良く微笑んで席に付く秀邦。
彼は筆記用具を取り出しながら、仏頂面をしている風成に声を掛けた。
「彼女、どうかしたの」
「お前が焚きつけるから、あれこれやりたがって仕方ない」
「困ったね、それは」
人ごとのように答え、秀邦は顔を伏せた。
「おはよう」
「……熱でもあるの」
即座に疑問を呈する笹原。
流衣はにこりと笑い、その嫌みを軽く受け流した。
「……あれ、なに」
「バスに乗れたのが、余程自慢らしい」
「乗るって、お金を払えば誰でも乗れるじゃない」
「本人にそう言ってやってくれ」
ため息混じりに呟く風成。
笹原は肩をすくめ、流衣越しに秀邦へ視線を向けた。
先日までにはなかった、明らかな壁。
不可視の、だが触れる事すらあたわない堅牢で鋭利な。
「どうかしたの」
かなりのんきな調子で尋ねる流衣。
笹原は儚い表情で首を振り、授業の準備を始めた。
一時間目の授業が終わると同時に教室を出ていく笹原。
リュックを背負い、彼等に挨拶をする事もなく。
「どうかしたのかしら」
「生徒会が忙しいんだろ」
適当に返す風成。
彼はすでに生徒会自警局を除名。
生徒会活動とは関わりが無く、もはや関わる理由もない。
「お前、ケンカしてるのか」
「別に。元々、あんなものだよ」
「まあ、どうでもいいが」
やはり適当に答える風成。
秀邦は雑に髪を撫で付け、流衣に書類を渡した。
「先日渡した物と同一の内容。昼休みにやって欲しい」
「どうやって」
「放送部には話してある」
「分かった」
軽い調子で請け合う流衣。
風成は疑わしそうな視線を、秀邦へと向ける。
「……こうするために、調子に乗せてたのか」
「まさか。君も彼女も自立が必要だと思っただけだよ。程度がもっと重いと、共依存って言うんだけどね」
「誰が信用出来ないって、お前じゃないのか」
「君には負けるよ。俺も一応、武装はしておこう」
机の上に置かれる警棒。
小型のスタンガン。
発煙用のボール。
防犯グッズの延長ではあるが、高校生が日常持ち歩くものではない。
風成は警棒を手に取り、それを振って感覚を確かめた。
「人を殴った経験は?」
「無いよ。暴力とは無縁に生きてきた」
「だったら、警棒は止めろ。奪われて、自分が殴られるってオチになる。まだスタンガンの方がましだ」
「分かった」
素直に忠告を受け入れる秀邦。
何と言っても相手は百戦錬磨のプロ。
暴力とその対処法について、彼ほど詳しい人間はこの学校にはいない。
風成は手を伸ばし、秀邦の肩にそっと手を添えた。
「きゃっ」
「変態っ」
「最悪っ」
一斉に女子生徒から上がる悲鳴。
言ってみれば、ただ触っただけ。
だが彼女達から見れば秀邦が襲われた。
それこそ、穢されたくらいに思ってるのかも知れない。
「さ、触っただけだろ。プロテクターは着てないのか」
「動きにくかったから、今日は着てない」
「プロテクターは必須。刺された後では遅い」
「分かった」
先程より少し真剣な顔で頷く秀邦。
彼なりに、自分が進む道の危うさを認識し始めたようだ。
「1年、遠野秀邦君。遠野秀邦君。事務局までお越し下さい。1年、遠野秀邦君……」
校内放送での呼び出し。
思い当たる節はないといった顔で首を振る秀邦。
しかし呼び出されたのは事実。
彼は席を立ち、リュックを背負ってドアへと向かった。
「帰るのか」
「どういう状況になるか分からないからね」
「気を付けろよ」
「廊下を歩くだけだよ」
気楽に笑い、外へ出る秀邦。
その途端、武装をした男子生徒に取り囲まれる。
「遠野だな」
「誰、それ」
自然に、なんの迷いもなく答える秀邦。
それには男達も顔を見合わせ、一人の男が写真を撮りだした。
「てめぇ。本人だろ」
「誰の事を言ってるのか知らないし、私女だから」
「え」
「ほらね」
薄く微笑み、目の前の男にしなだれかかる秀邦。
乱れた髪から漂うコロンの香り。
指先が背中を縦に真っ直ぐ走り、男は痺れたように震え上がる。
「……お願い、助けて」
「え?」
「あなただけが頼りなの。私を、逃がして」
耳元へ息を掛けながらの甘いささやき。
男が抱きすくめるより早く秀邦はその後ろへ回り込み、そっと背中に手を添えた。
「お願い」
「うぉーっ」
絶叫を上げて、仲間に襲いかかる男。
予想もしない事態に、側にいた仲間から警棒で殴り倒されていく。
「お、落ち着けっ」
「どうした、おいっ」
「死ね、全員死ねっ」
「この馬鹿。とにかくこいつを取り押さえろっ」
もはや対象は、秀邦から男へと変化。
仲間同士が入り乱れての大乱闘となる。
怒号、血飛沫、呻き声。
秀邦はそれらを一瞥すらせず、乱れた髪を整えながら立ち去っていった。
特別教棟事務局。
ドアを開け、挨拶をしながら中へ入る秀邦。
バインダーを抱えていた清楚な女性が、彼を見て滑るような動きで駆け寄って来る。
「どうかなさいましたか?」
「呼び出されました」
「呼び出し?誰か、知ってます?」
広い事務室に声を響き渡らせるが、視線は秀邦を捉えたまま。
そして返事は返ってこない。
「聞き間違いだったかも知れません。出直します」
「そう仰らずに。すぐお茶を、お菓子をお持ちしますので。そちらでお待ち下さい」
応接セットを指さし、風を切って走り去る女性。
秀邦は回りの職員に頭を下げながら、ソファーに腰を下ろした。
その言葉通り、すぐに運ばれるお茶とお菓子。
女性はお盆を抱え、秀邦の前へと腰を下ろす。
妙な間と雰囲気。
しかし秀邦は女性を邪険にはせず、愛想良く微笑んで壁を指さした。
「校内放送は、誰でも出来ますか?」
「放送部か、教職員でしたら」
「特定の場所を選択して放送するのは?」
「教室単位で可能と聞いてます」
その言葉に、優しく微笑む秀邦。
女性はテーブルに身を乗り出し、とろけそうな笑顔で頷き返した。
優雅にティーカップを傾ける秀邦。
女性はお盆を抱え、彼に見入ったまま。
そこを神経しそうな顔をした職員が通りかかる。
「仕事を……。お前は」
「何か」
「い、いや。なんでもない。人違いだった」
「そうですか」
愛想良く微笑む秀邦。
職員は青い顔をして、すぐさま彼等の元から去っていく。
「お茶、ご馳走様でした」
「え、もう?」
「また来ます。それでは」
「待ってる。ずっと待ってる」
悲壮な別れのシーンを連想させるような台詞。
とてもお茶を運んできただけの女性が言う台詞とは思えない。
それにも秀邦は柔らかく微笑み、そっと彼女の肩に触れて去っていった。
事務局を出て、人気のない階段に腰掛ける秀邦。
彼は端末を起動させ、職員の一覧が載ったデータベースを検索しだした。
「……閲覧不能。この先は、情報局のデータベースをご利用下さい。閲覧に関しましては、情報局閲覧ブースにおいて生徒会終業時間まで可能になっています。……なるほど」
端正な横顔に浮かぶ思案の表情。
今の彼にとって、情報局は鬼門。
閲覧ブースは一般生徒も立ち入りが自由だが、情報局は笹原の管轄下。
先日のように、叩き出される可能性もある。
情報局、閲覧ブース。
新生徒会発足後の人気スポット。
ここでしか閲覧出来なデータも多く、放課後にはそれを楽しみにした生徒で常に賑わっている。
「きゃっ、美味しそう」
「わっ、可愛い」
「ひゃー、怖いー」
悲鳴と嬌声と笑い声。
一際騒がしくなる閲覧ブース。
これには情報局のスタッフも、何事かと様子を見に来る。
卓上端末に群がる大勢の女子生徒。
そんな彼女達に囲まれる恰好で卓上端末を利用する秀邦。
情報局のスタッフは端末を取り出し、すぐに連絡を取った。
情報局。局長執務室。
「……遠野君が?……いや、排除はしないで。多分、その女子生徒の反発を招くから。……閲覧制限は無理?……ええ、メンテの時間を早めるよう伝えて。……多分、もう遅いだろうけど」
通話を終え、端末を机に置く笹原。
モニターにははしゃいでいる女子生徒の陰に、秀邦の姿が確かに映っている。
「ハッキングはさすがに止めたみたいね。……職員のリスト。こんなの、どうして」
秀邦が閲覧しているリストを保存し、再度展開。
内容は彼女が言う通り、単なるリスト。
特別重要な物でも無く、せいぜい名前の上に顔写真が載っている程度。
細かな情報は一切記載されてない。
「……ええ、生徒会長に同じデータを送って。……いや。特に何も伝えなくて良いから。……お願い」
連絡を終え、再びリストに見入る笹原。
どの部分に時間を割いてみていたかは、データベースが数ページに渡っていればデータとして蓄積される。
しかし秀邦はかなりの速度でページをめくり、すぐにデータベースを閉じてしまった。
彼の目的は分からずじまいである。
生徒会。生徒会長執務室。
笹原から送られてきたデータベースを確認する生徒会長。
「なるほど。あの男らしい」
「何が」
「カムフラージュするなら、他のデータベースも見れば良い。でも、彼はこれしか見ていない。この情報が筒抜けになっている事を見越してのアピールだろう」
「天才の呼称も、伊達じゃないって?厄介な奴が敵に回ったな」
その言葉の割には、至って気楽そうな議長。
生徒会長は彼よりは重い顔で、データベースが表示された画面に指を触れる。
「調べれば分かるが、多分職員に何かを仕掛けられたんだろう。だがそれを軽く回避した」
「敵が多い男だな」
「敵がいないのも、また問題だろ」
「それもそうだ」
敵がいない。
それは存在価値の薄さをも示していると、彼等は考えるのだろう。
秀邦同様、敵を多く持つ者としては。
情報局からの帰り。
再び彼の元に、武装した生徒達が現れる。
先程の連中とは別口。
秀邦は苦笑しつつ、後ろに下がった。
しかしそちらからも武装した生徒が現れ、退路を断たれる。
「止めた方が良い。お互い後悔する」
「後悔するのは、お前だけだ」
構えられる木刀と警棒。
彼を囲む輪は狭まり、逃げ道は一切無い。
秀邦は壁を背にして、完全に挟撃される事を防いだ。
ただそれでも左右から挟まれている事に代わりはなく、事態はどれほども好転しない。
「俺を殴って、なんの得がある」
「理由を話す義理も無いだろ。ドラマの見過ぎだ」
「参考になったよ」
秀邦がそう答えた途端、左右から木刀が打ち込まれる。
腕を上げてそれを防ぐが、その体はあっさりと床へ崩れ落ちる。
「プロテクターがあれば助かるって思ったか?まあ、骨は折れないだろうな。衝撃は知らんが」
秀邦からの回答は無し。
男達はハゲタカのように倒れた秀邦を取り囲み、一斉に武器を振り上げた。
「殺す訳じゃない。ただ、二度と学校には来れなくするだけだ。顔だけは止めてやるよ」
背中にめり込むつま先。
身をよじる秀邦。
男達は嘲笑を彼に浴びせかけ、端末でそれを撮影し始めた。
「天才君。頭を使って、この状況を切り抜けろよ。ああ?」
再びの蹴り。
上がる呻き声。
男達は下品に笑い続け、その一部始終が撮影される。
「じゃあ、次は服でも脱がすか。この事を誰かに言ったら、楽しい写真が出回ると思ってくれ」
「一生遊んでやるよ。そういう趣味の奴もいるから、お前にも取り分の10%くらいは分けてやる」
「優しいな、俺た……」
臑と壁に顔を挟まれ、血を吹いて崩れ落ちる男。
倒れていく背中に肘が二発。
下から膝が突き上げられ、顎に一発。
床に倒れた所で、膝の裏を踏みつけられる。
「……映像は」
「抑えました」
拘束された他の男から端末を回収する、ヘルメットを被り角棒を持った男。
つまりはガーディアン連合のガーディアン。
秀邦は女性のガーディアンに助け起こされ、血の滲んだ口元を拭いながら壁により掛かった。
「助けてくれて、ありがとう」
まずはそのガーディアンに一言。
そして正面に立って腕を組んでいる議長にも笑いかける。
「……どういう事だ」
「通報するのに、名前を名乗る必要は無いからね」
ポケットから取り出される端末。
彼が普段使用している物とは違う物で、当然端末に固有となっているアドレスも別。
通報をしても、彼と判別出来ない。
秀邦と議長の間に走る緊迫感。
その間を嫌ったのか、苛立ちが上回ったのが。
議長は厳しい表情で彼に詰問する。
「暴れる生徒を取り締まるのは、確かに俺達の役目だ。ただ個人的な利益のためには行動をしない」
「襲われたから通報したまでだよ。それとも、連中の身元が分かると困る事でも」
「何の話だ」
「さあね。それと護衛が欲しいな。玲阿君は、従兄弟の護衛があるだろうから。俺個人の護衛が」
さらに議長を挑発するような台詞。
二人の空気がさらに険悪になった所で、長身の女性が颯爽と間に割って入る。
シャギーの入ったセミロングの髪は茶色に染められ、高校生にしては化粧も濃い。
ただ、その濃さを生かすだけの整った顔立ち。
腰に差しているのは警棒と鞭。
足元はロングブーツで、金属でも埋め込まれているのか歩くたびに固い音が響き渡る。
「私で良ければ、護衛を務めるけど」
「どうして」
「悪い奴を、殴って殴って、殴り倒せば良いんでしょ。そういう仕事、やってみたかったのよね」
血に飢えた狼でも、もう少し品が良いだろうという表情。
瞳はぎらぎらと輝き、誰かが目の前を通り過ぎれば警棒を振り下ろしかねない素振りすらある。
秀邦は思案の表情を浮かべ、しかしすぐに頷いて彼女に微笑みかけた。
「これから、よろしく」
「こちらこそ。良い男だけど、なんか悪そうね」
「良く言われるよ」
「とにかく殴って、殴って、殴り倒す。大丈夫、普通の人には優しいから。でも、それ以外の奴は殴って殴って殴り倒す。本当、ガーディアンって最高よね」
発言は最悪の一言に尽きるが、当時のガーディアン連合には比較的存在したタイプ。
治安の維持や自治以前に、自分の力を振るいたい者達は。
この女性は、その傾向が人一倍強そうではあるが。
放課後。
秀邦達の教室を訪ねてくる、件の女性。
黒のスーツにロングブーツ。
腰にはやはり、警棒と鞭。
どう見ても高校生のする恰好ではなく、ただ誰がこんな恰好をするかと問われても難しい。
映画に出てくる刑務所の看守が、比較的近いかも知れない。
「誰」
さすがに怪訝そうな声を出す笹原。
ただ異質さでは彼女も引けを取っておらず、何より笹原の場合は容姿よりもその内面が異質。
その意味において、彼女に敵う人間はいない。
「俺の護衛だよ」
おそらくは今日初めて交わされる両者の会話。
笹原はそれには言及せず、女性と秀邦を交互に指さした。
「何者、あれは」
「ガーディアン連合のガーディアン。腕は立つ、と思う。どうかな」
「そこそこのレベルだろ。人間性は知らんが」
嫌な注釈を付ける風成。
それはとにかく、その見た目に尽きる。
ただ性格は多少違うらしく、女性は廊下を歩く秀邦の後ろに付き従う。
あくまでも護衛の分を出ず、自分を主張する事は無い。
「意外と大人しいのね」
後ろを気にしつつささやく流衣。
風成は肩をすくめ、先頭を颯爽と歩く笹原に顎を振った。
「ああいうのは特別だ。やろうと思ってやれる物じゃない」
「それは良い事なの?」
「資質って奴かな。良いかどうかは分からん」
投げやりな返事。
考えたくもない、といった所かも知れない。
笹原と秀邦は生徒会へ。
風成達は教棟を出た所で、正門へと向かう。
彼等はすでに生徒会を除名。
ガーディアンで無い以上、学校に留まる理由は無い。
「帰るのは、まだ早いよ。少し付き合って欲しい」
二人を呼び止める秀邦。
笹原はその様子を気にしつつ、一人先に生徒会のブースがある別な教棟へと向かう。
「例のスピーチか」
「大した内容でもないし、文章も短い」
「出来るか?」
「読むだけでしょ」
反発気味の口調。
流衣も一人で歩き出すが、行き先が分からなくなったらしくすぐに戻ってくる。
「放送部は、生徒会内にスタジオがある。そこへ行こうか」
放送部。第1スタジオ。
カメラ、照明、モニター、プロンプター、ブルーシート。
ニュースで見るような机に座らされた流衣は、周りを女性に囲まれた。
「……化粧品は、どのブランドを?」
「資生堂のルナティックかしら。ただ、乳液とか化粧水くらいで。化粧はしてません」
「ルナティック、持って来ました」
つづらのような化粧箱から取り出される、化粧品一式。
それが机の上に並び、女性達は手際よく流衣のメークアップを始め出す。
「ナチュラルメイクで頼むよ」
「分かりました」
流衣の意思は関係無く、完全に秀邦主導。
ただ人に何かをされる事には慣れているのか、彼女は大人しくそれを受け入れる。
その様子を見つつ、肘のストレッチをする風成。
暴れる準備ではなく、体を動かさないと落ち着かないのだろう。
「お前も除名になってないのか」
「ここは生徒会のブースにあるだけで、生徒会ではないからね。その影響は強くても、組織は別」
「だからって、頼めばやってくれる事でも無いだろ」
「誠意だよ、誠意」
朗らかに笑い、スタジオの上。
副調整室の窓に手を振る秀邦。
薄暗くて見づらいが、そちらからも手が振り返される。
「封筒持ってないか」
「気のせいだろ」
「賄賂か」
「資金援助といって欲しいな。お金は抱えてても意味がない。どの場面で、なんのために使うかだよ」
経営者か政治家のような発言。
資金の出所は、理事から受け取った賄賂か戦時国債を換金した物。
彼が手にした額の合計を考えれば、ここで使った額は微々たる物。
逆に言えば、資金が潤沢でないと彼が言うような使い方は難しい。
「準備出来ました」
メイクをしていた女性からの台詞に秀邦は頷き、フロアディレクターを呼び寄せた。
「基本的に正面から、やや引きで。大丈夫だと思うけど、もし詰まったら横顔で。その場合は照明を強く」
「分かりました」
「何か映像は」
「草薙高校創立時の資料があれば、それを背景に。目立たない程度にね」
真摯な表情で頷くディテクター。
秀邦はもう二三細かな指示を出し、流衣に正面を向くよう促した。
「……化粧してるのか?」
「テレビ映りが良くなるメイクだよ。カメラを通してみると、もう少し違って見える」
「何者だ、お前は」
「ただの中学生さ。……キャッチアップは、今は弱めに。そう、そのくらい。後ろの花は、彼女を挟んで左右対称に……。いいね、それで」
もやは彼がディレクターといったところ。
風成は諦めたように首を振り、後ろへ下がってカメラ越しにその様子を眺めた。
大きなスケッチブックに書かれた数字。
それがめくられる事に、数字は小さくなっていく。
5の所でディレクターが、数字と同じ本数を指で合図。
3、2、1となったところで、指が正面へ向けられる。
「……こんにちは。こちらは草薙高校放送部です。本日は予定を変更しまして、生徒の皆様から寄せられた生徒会に対する意見をご紹介していきます。なお本日予定しておりました、「草薙高校・ファイナルトーナメント。勝つも地獄負けるも地獄は、明日の同時刻に放送する予定です」
「なんだ、それは」
モニターを見ながら小声で突っ込む風成。
今のインフォメーションは、第二スタジオからの映像。
読み上げているのは放送局へ内々定が決まっている女子生徒であり、スーツを着ているとキー局の女子アナと遜色がない。
慌ただしくなるフロア内。
カメラの上にあるランプが点灯し、ディレクターが秀邦に指示を仰ぐ。
「そろそろですが、よろしいですか」
「ええ。そちらのタイミングでお願いします」
「分かりました。5秒前から入ります。5、4、3」
第二スタジオと同じカウントダウン。
それを見ている流衣は、至って冷静。
緊張した様子は一切無い。
「では、次のご意見をご紹介致します。これはご本人様がスタジオに来ていらっしゃいますので、そちらへ繋ぎたいと思います。では、どうぞ」
切り替わる映像。
ディレクターの指示で一礼し、顔を上げる流衣。
彼女は流れた横髪をかき上げ、手にしていた資料へ視線を落とした。
「……初めまして。玲阿流衣と申します。本日は、草薙高校の自治について私なりの意見を申させて頂きます」
淀み無くコメントを読み進める流衣。
ちなみに資料は白紙。
コメント自体はその先にあるプロンプターに表示されている。
冒頭の挨拶が終わり、いよいよ本題。
ディレクター達スタッフの顔も固くなる。
「最近にわかに叫ばれている、生徒の自治。生徒による学校運営。ですがこれは本当に実現しているのでしょうか。結局は学校の代弁者として、生徒会がその代わりを務めているだけではないでしょうか。生徒のための制度ではなく、一部の生徒のための制度。私はそうなりつつある現状に危惧を抱いています」
もう一礼する流衣。
ディレクターがOKサインを出し、カメラがオフ。
モニターの映像は、第2スタジオの物へと切り替わる。
「……これだけ?」
戸惑い気味に尋ねる風成。
あまりにも素っ気なく、かつ尻切れトンボのような内容。
彼が不思議に思うの無理はない。
だがそれは彼の感想。
全ての状況を見聞きした上での。
秀邦は薄く微笑み、副調整室を指さした。
「今、問い合わせの通話やメールが殺到してると思うよ。どうして彼女が、何が言いたかったのか。途中で打ち切ったのかって」
「何?」
「疑問を抱けば、調べる者も出てくる。今の生徒会が何をやっているのか、何を目指しているのか。自分達が全てを行う必要は無い。無論、ポイントは抑えさせてもらうけどね。そろそろ、俺達にも連絡があるよ」
「本当に悪いな、お前……。俺だが……。批判して何が悪い。……そこまで知るか。……おお、いつでも来い。……それはこっちの台詞だ」
指が白くなるくらいに握りしめられる端末。
端末は端の方がきしみ、小さな破片が床へとこぼれ出す。
「壊れるよ。それと相手は?」
「生徒会長。調子に乗るようなら、考えがあるってさ」
「痛い所を突かれたんだろう」
「というかあいつらは、何がしたいんだ」
「自治を貫きたいんだろ。ただそれは、彼等の思い描く自治。生徒全体が共有する思いとは異なる。君も彼に従ってる生徒も、それへ利用されてるに過ぎない。それ自体悪いとは言わないけどね。自分が正しいと思う事を遂行のは」
生徒会長達に理解を示すような台詞。
ただその行動自体は、生徒会批判の急先鋒。
理解はしても、同調はしない。
「しかし実際、こんなちまちましたやり方で良いのか」
「いきなり君が生徒会へ突撃しても、それこそ訳が分からないだろ。生徒会がどういう存在か生徒達が分かれば、こちらにも大義名分が出来る」
「基本は基本か。で、大義が出来なかったら?」
「作るまでさ」
軽く言ってのける秀邦。
それはつまり、情報の捏造。
だが彼が悪びれる様子はなく、状況によっては実際にそうするつもりなのだろう。
そんな二人の会話を見守っていた女性は、舌なめずりしそうな顔で秀邦に声を掛けてきた。
「それって、私も参加して良いの?」
「勿論。俺達は仲間がいなくてね。特に、戦える人間は」
「任せて。この人には及ばないけど、人を殴るのは得意だから。命令されれば、今すぐにでも生徒会長を捕まえてくる」
「用があったら、その時に頼む」
やんわりと諭す秀邦。
女性は分かってると答え、笑顔を湛えたまま警棒を撫で始めた。
「……大丈夫か、こいつ」
「契約で完全に縛ってるからね。それなりの報酬も渡してる」
「何者だ」
「学校外生徒って知ってる?どうも、その経験があるらしい」
秀邦の言葉に頷く風成。
そこで彼の表情も、少し改まる。
学校外生徒は求めに応じて各地の学校を渡り歩く生徒の事。
総じて技量は高く、ただ性格には難があると言われている。
「もう少しまともなのを連れてこいよ」
「こういうタイプの方が、むしろ良いと思ってね。いざという時躊躇されても困る。その点学校外生徒なら、躊躇する理由が無い」
「本当に悪いな」
「相手は生徒会であり、草薙高校。多少は無茶をしないとね」
さらりと答える秀邦。
風成もそれには一応頷いてみせる。
そこに、メイクを落とした流衣が若干上気した表情で戻ってくる。
落ち着いていたように見えたが、彼女なりに緊張はしていたようだ。
「あれでよかったかしら」
「完璧だよ。君にも護衛……は、必要無いのか」
「こいつは、俺よりひどいぞ」
そう言った途端、鳩尾に肘。
しかもかなり容赦のない、鋭い一撃である。
「お、お前。普通なら、内臓が……」
「普通ではないし、加減したわよ」
平然と答える流衣。
秀邦は彼女と少し距離を置き、突っ立っているだけの女性に声を掛けた。
「……彼女に勝てる自信はある?」
「まあ、無理ね。玲阿流ってRASの母体でしょ。戦争での話も凄いし、人を殺すために鍛錬してるんだから。根本的に発想が違う」
「大丈夫かな」
「味方なら良いじゃなくて。私も、いっそ彼女の護衛の方が良かったわ」
小声でささやく女性。
普通の女性なら、どう考えても秀邦の護衛を良しとするはず。
普通ならば。
流衣を見つめる瞳は鋭く、潤みがち。
その腕は、それとなく流衣の腕に絡みつく。
「……そういうタイプ」
「まあ、色々いるからな」
少し距離を置く秀邦と風成。
ただ女性に取り付かれている流衣は、至って冷静。
少し大きめな猫がまとわりついてるくらいの態度しかない。
「落ち着いてるね」
「免疫があるんだろ。そういうタイプには人気がある。それと」
「それと?」
「多分、よく分かってない」
女性の方は、熱意向き出し。
今にも流衣を取って食べてしまいそうな勢い。
しかし流衣の方は全くの無関心。
自分の行動の妨げにならない分には、気にならないようだ。
「ある意味大物だね」
「頼もしい限りだ。俺は男に言い寄られても、ぞっとしない」
「それが普通だよ」
しみじみ語る二人。
第2スタジオは奇妙な空気に包まれたまま、撤収作業が進められていく。
秀邦の先導で歩いていく風成達。
生徒会を除名された今、彼等が使える部屋はない。
授業後は教室が空いており、暇をもてあました生徒はそこを利用するが当然機密性には乏しい。
ただ生徒会と敵対している以上、どこでも自由に使える訳でもない。
「当てはあるのか」
「図書センターを使う」
行く手に現れる大きな建物。
敷地は草薙高校内。
ただ地域の図書館としての役割も果たしており、運営は外部主導。
草薙高校とは、一定の距離を置いている。
長いスロープを上り、エントランスに入る彼等。
図書館独特の静寂と本の香り。
秀邦の頬は薄く赤らみ、足も速くなっていく。
「好きなのか」
「嫌いになる理由が無いよ」
「そんなものかね」
受付前のロビーに置いてある新聞を手に取る風成。
「北海道のゲリラ活動、遂に掃討終了。それでも、共和国宣言の道は変わらず」
「沖縄自治政府、台湾との貿易協定を締結」
「牛島ジュニア、30連続セーブ達成」
ヘッドラインはそんなところ。
北と南は同じ日本でありながら、中央政府の統制から外れつつある状況。
特に沖縄はほぼ独立状態で、駐留北米軍が領土を防衛。
国防に関しても、自前で行っている。
「日本も荒れてるな」
適当な事を言い、新聞を戻す風成。
受付で職員と話していた秀邦は、彼を手招きしてエントランスを指さした。
「戻るよ」
「ここを使うんじゃなかったのか」
「色々と事情があってね」
やはり先を歩く秀邦。
ここは仕事と割り切っているのか、女性も彼のすぐ側に付く。
そんな彼等に導かれてやってきたのは、一般教棟。
怪訝そうな顔をする風成を振り返り、秀邦は正面玄関の脇にある案内標識を指さした。
「図書センター分室。第一二開架図書コーナー」
と、そこには書いてある。
「図書センターは遠すぎるからね。ここを使わせてもらう」
「使用許可は」
「色々と貸しがあるし、了解を得てきた」
今度はゆっくりと正面玄関へ入っていく秀邦。
図書センターの時のような高揚感は、ここでは生まれないようだ。
分室に到着し、受付の女性に声を掛ける秀邦。
すぐに了承が得られ、奥へと案内がされる。
「へぇ」
感嘆の声を漏らす風成。
彼等が通されたのは、20畳ほどの広い部屋。
部屋の左右にはドアも付いていて、そちらにも部屋がある事を示している。
家具や調度品も一通り揃っており、彼等数人が使うには十分な場所。
整い過ぎているくらいである。
「何かお持ちしましょうか」
「いえ、今は大丈夫。ただ誰かが尋ねて来たら、その時は気を付けて。こちらもカメラでは監視するけど、危ない相手だと困るからね」
「でも」
「君に怪我はさせないよ。僕達が守るから」
女性の肩に手を触れ、そっと部屋の外へ送り出す秀邦。
ドアが閉まった所で、白い視線を一斉に浴びせかけられる事となる。
軽く咳払い。
部屋の中央にある大きな机に資料が置かれ、それを手に取るよう秀邦は告げる。
「今後具体的にどうしていくか。その意見を集約したい」
「お前はどうしたいんだ」
「向こうが自治をねじ曲げるなら、こっちは自治を主張する。断固として、この学校に自治を根付かせる」
「じゃあ、それで良いだろ」
「そうね」
あっさり意見を集酌させる二人。
秀邦は笑い気味に、資料を軽く振った。
「学校と、決定的な対立になっても良いと?」
「やるかやられるかだ。正直自治はどうでも良いが、少なくとも一度はそれに俺も賛成した。だったら最後までやり通すべきだろ」
「意外と熱いんだな。君は」
「平穏な学校生活を望みたい所だけど、仮に学校がおかしな方向へ向かうのだとすれば躊躇する理由もないわね。それにこれは私達だけの問題でもない。この先入学してくる人達にも関わってくる。私の分は越えてるけど、そういう事を考えても良いのではなくて」
静かに、心を込めて語る流衣。
その言葉を聞いた秀邦は口元を抑え、自分の胸元を指さした。
「……通常なら、俺はまだ中学生。君の言う、後に続く世代だ。そのためにも戦うと」
「正確には、弟の為ね。いつも苦労ばかりしてるから、せめてそのくらいはしてあげたい」
「君の弟が苦労してる姿は、想像出来ないんだけど」
「性格的な問題よ。人が良すぎるの」
「それは問題だ。良いように利用されて捨てられる。君の従兄弟みたいに」
鼻を鳴らす風成。
その言葉には、反論しようが無かったようだ。
「君は?殴って殴って殴り倒すのは良いけど、リスクも大きいよ」
「報酬分だけの仕事はするわ。ただ、名前は残らないようにしてね。」
「約束しよう」
「たった4人で戦うなんて、本当最悪の状況よね。一体、何人を相手に戦えば良いのかしら」
真横に裂ける口元。
獲物はよりどりみどり。
自分がどれだけ危険な立場にいるかより、どれだけ戦えるかの方に彼女は興味があるらしい。
「人のためじゃない。自分のために戦えって、俺のおじさんは言ってたけどな」
「俺もそのつもりだよ。状況も思想も最悪だね」
「それで良いんじゃなくて」
失笑する流衣。
風成達も仕方なそうに追従する。
使命感でも正義のためでもない。
自分のために戦う。
それを公言し、実行に移す。
それこそが彼等の大義。
そして誇りとなっていく。




