46-6
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一般教棟正面玄関。
掲示板に貼られる再編案の骨子。
普段はその存在すら忘れられているようなそれへ、大勢の生徒が集まっている。
ただ彼等は掲示板を見るよりも、集まっている生徒同士での意見交換や議論が主な目的の様子。
再編案に興味はあっても、仲間内だと保有する情報や話し合う内容はどうしても限られる。
新しい情報、違った視点を得るには、今まで関わった事のない人間から聞くのも一つの手段。
端末を利用しての情報交換も盛んだが、それらは真偽が不明。
もう少し言うと、非常に怪しい。
その結果生徒達は最も確実である、直接的な接触という道を選んだ。
掲示板から少し離れ、廊下に背をもたれてその様子を眺める秀邦。
視線はいつになく鋭く、輝きに満ちている。
しかし彼の位置から議論は聞こえず、彼等の会話よりもその行動に関心が向けられているようだ。
「覗き見なんて、趣味が悪いわね」
「コミュニティ論のレポート。その参考になると思って」
彼等から視線を外さず、笹原の問いに答える秀邦。
笹原は苦笑して、彼の肩越しに掲示板目の生徒へ視線を向けた。
「何が分かった?」
「人は群れたがる。老若男女、時代を問わず。結局はそこに尽きる」
「どうして群れたがるのかしらね」
「完全に自給自足が出来ない限り、純粋に一人で生きるなんて不可能だろ。何より、一人で生きていけるほど人は強くない。その体も、心も」
「いっそ、教祖にでもなれば」
今度は鼻先で笑う笹原。
彼の観念的な推論には、あまり感心をしなかったようだ。
秀邦は特に起こった様子も見せず、掲示板に背を向けて歩き出す。
「もういいの?」
「君と一緒にいればどうしても目立つ。それにデータは取れたよ」
「どんなデータか知らないけど。再編案のプロデューサーとして、見通しはどう?」
「俺はアイディアを出しただけ。プランナーの一人に過ぎない。プロデューサーは生徒会長だろ」
気のない返事。
その言葉通り、生徒会の再編も自治にも興味はない様子。
実際アイディアを出したのも、依頼を受けたからに過ぎない。
そこに彼の意志はなく、求められたから応じただけ。
断りはしないが、自分が望んだ訳でも無い。
そういう意志が、わずかに垣間見える。
生徒会、再編委員会(仮)。
分室と張り紙のされた部屋へ入る笹原。
中は会議室ではなく、カーペット敷きの部屋。
本来は休憩用の部屋らしいが、どうやら彼女が勝手に占拠をしているようだ。
「忘れてると困るから、もう一度言うよ。俺、結構忙しいんだ」
「昨日まで学校を休んでたでしょ。私は真面目に来てるのに」
「大学には毎日行ってた。東京にも日帰りで行った」
珍しく愚痴っぽい台詞。
しかしそれに取り合うようなら、彼女は笹原とは呼ばれていない。
「私も正直、再編とか自治には興味はない。ただ関わった以上は、責任を持ちたい。それだけよ」
「俺はアイディアを出す事で、責任は果たした。この先は君達か、生徒会長の仕事。今日辺り、ニュートリノが観測出来ると思うんだ。それをチェックしたいんだよ」
「流れ星じゃあるまいし、そうそう降ってこないわよ。大体、筑波から射出してるんじゃないの」
「射出用の電磁ホーンが故障してるんだ。結局、天然物が一番だよ」
素粒子を活魚のように評する秀邦。
笹原はそれ以上取り合わず、再編案のパンフレットを彼に渡した。
「帰っても良いけど、目は通しておいて。それと、玲阿君も参加するから」
「諸刃の剣だと思うけどな」
「立ってる者は親でも使えって言うでしょ。枯れ木も山の賑わいよ」
「彼が聞いたら、泣いて喜ぶね」
教室で帰り支度を始める風成。
流衣は前髪を横へ流しながら、彼へ声を掛けた。
「帰るの?」
「残る理由は無いだろ」
「戦うんでしょ、学校と」
「だから根本的に……」
舌を鳴らし、流衣を睨む風成。
それは彼女の発言への不満ではない。
「いたわね」
胸を反らし、のしのしと歩いてくる笹原。
教室を出るのがもう少し早ければ、彼女との接触は避けられた。
つまりは、流衣と会話を交わさなければ。
「今日は帰るぞ。敵は倒すが、話し合いをする気は無い」
「猪ね、まるで」
「何とでも言ってくれ。それと、プロテクターは身につけておけよ。絶対に襲われるから」
声を潜めて忠告する風成。
流衣はシャツの襟元を少し広げ、その中を笹原へ見せた。
「……そんなに切迫してるとは思えないけど」
「考え方の違いって奴だな。俺達はもう何回か襲われてる。それで困る事は無いが、お前は困るだろ。いきなり警棒で殴られたら」
「困らない人間はいないでしょ」
困らないとすれば、今彼女の前にいる二人。
風成に至っては、殴られる予兆を感じただけで相手を殴り倒しているだろう。
少しの沈黙。
笹原は軽く咳払いをして、腕時計に視線を落とした。
「ちょっと出かけるから、後はよろしく」
「おい」
「筑波にパーツを届けないと行けないのよ。夕方には戻ってくるから。一度行ってみたかったのよね、HKEK」
「どこにでも行ってこい」
ちなみに彼女が行こうとしているのは、Hyper Energy Accelerator Research Organization。
筑波にある、素粒子研究施設である。
「あなた達なんて、筑波からニュートリノで狙い撃ちよ」
「どうやって届くんだ、筑波から」
「素粒子レベルだと、物質は結構隙間だらけなの。ニュートリノはその中でも透過性が高いのよ。だから発見も難しいんだけどね」
「お前の言ってる事が難しい」
「私も素粒子は専門外よ。それと私が危ないなら、遠野君も危ないんでしょ。彼の事も気にしておいて」
軽く手を振り、さっさと部屋を出て行く笹原。
二人は部屋に残され、何となく顔を見合わせる。
「どうするよ」
「取りあえず、お茶でも飲む?休憩するには都合が良さそうだし」
「あの女。ここに住んでるんじゃないだろうな」
「まさか。遠野君も呼んでみたら」
鼻歌交じりでキッチンへ向かう流衣。
むしろ彼女の方が、良い隠れ家を見つけたくらいに思っているようだ。
今まで見た事が無いくらいに愛想のない顔。
流衣がお茶を出しても、表情はわずかにも変わらない。
「忘れてるかも知れないから、もう一度言うよ。俺、結構忙しいんだ」
「だから休め。仕事はここでも出来るんだろ」
「フィールドワークも大事なんだ。……砂糖あるかな」
「甘党なのか」
「脳の活性化に、糖分は必要不可欠だよ」
栄養ベースで語る秀邦。
風成は首を振りつつ、自分のマグカップに角砂糖を一つ入れた。
「笹原さんは」
「筑波に行くってさ。パーツを届けるとか吠えてたぞ」
「明日で良いって言ったのに。……済みません、遠野です。……ええ、例の射出用のパーツ。リニアで出かけてるので、昼前には到着するはずです。……いえ、データ自体はどこでも受信出来るので。カミオカンデへの連絡をお願いします。……はい、では」
ため息と共に終わる通話。
そして卓上端末のモニターが点灯し、複雑な数字のデータが画面一杯に表示される。
「ニュートリノって奴か。何でも通過するんだろ」
「正確には、通過しやすい。だけどね」
「それの研究って、何かの役に立つのか」
「千年経てば分かると思うよ」
苦笑気味に説明する秀邦。
ニュートリノの研究は、まだ基礎的な段階。
そもそもその物質自体なんなのかが未解明な部分も多く、観測する事自体非常に困難。
ただ素粒子は、物質の最も小さな構成単位。
極端な言い方をすれば、万物の大元となる存在。
この研究は即ち、無限の可能性を秘めている。
秀邦が言うように、その応用は長い時を必要とするだろうが。
「そのニュートリノが一番小さいのか」
「今のところはそう言われてるけどね。研究が進めば、さらに小さな物質で構成されてる事が判明するかも知れない」
「気が遠くなりそうだ」
「普通に生きていく上では、考えなくても良いジャンルだよ。考えて困る事は無いけどね」
画面上の数字を目で追いながら、一人頷く秀邦。
ニュートリノの観測はされてないが、それはそれで彼には興味深いデータとして移っているようだ。
そんな彼に構わず、カーペットへ横たわる風成。
彼は腕を枕にして目を閉じ、小さく欠伸をして寝返りを打った。
「帰って良いかな、もう」
「お前も寝ろよ。あくせく働いても、良い事なんて何もないぞ」
「良い事はなくて良いんだよ。自分のためにやってるんだから」
「案外独善的だな。そういうの、悪く無いぞ」
「……取りあえず、紅茶をもう一杯」
少し苛立たしげにマグカップをテーブルに置く秀邦。
流衣はそれに紅茶を注ぎ、寝ている風成の頭を叩いた。
「ちゃんとしなさい」
「だらだらするのが好きなんだ、俺は」
「お父さんみたいになっても良いの」
「それは困るな」
その言葉は意外と効果的なのか、素早く起き上がる風成。
この場合のお父さんとは、流衣の父親である瞬。
軍人やセキュリティコンサルタントとしてはこの上なく優秀だが、家庭人として。
また社会人としては、不適格の部類に入る。
姿勢を正して、紅茶をがぶ飲みする風成。
流衣は壁に背をもたれ、膝に置いたファッション雑誌を読み耽っている。
「まったりするのも良いんだけど、俺忙しいんだ」
「お前がいなくても地球は回る。どうせ飛び級で他の人間より生き急いでるんだ。一日や二日、気にするな」
「その一日や二日のために努力してるんだよ。大体自分達こそ、のんびりしてる暇は無いだろ。自警組織はどうなった」
「自警組織自体に興味はない。敵を倒す。ただそれだけだ。そのための肩書き用に、って事さ」
「案外策士だな」
皮肉っぽく告げる秀邦。
風成は悪びれた様子もなく、空になったティーポットを振って最後の一滴まで紅茶を飲み干した。
普段の行動はがさつで大ざっぱ。
深い考えがないように思える。
ただいまの発言を聞く限り、それなりには計算もしている様子。
何より彼の父は、知略で名を馳せた情報将校。
その血を最も濃く受け継ぐ彼が、がさつで粗暴な男の訳もない。
「君の人間性は分かったよ。それで、今から何をする」
「トランプでもするか。頭を使う事はお前に有利すぎるから、違う事をやる」
「何を」
「ピラミッドだ」
何故かテーブルの上にあったトランプを広げ、二枚手に取る風成。
それを立てて、上の部分を向かい合わせにそっと重ねる。
「……器用だね」
「ばたばた動くだけが格闘技じゃない。急所を狙う時は、1mm単位の精度が求められるからな」
「色々参考になったよ」
その隣にトランプを組み立てる秀邦。
少し揺れたが、どうにかトランプは立ったままの状態を保っている。
となると、後は最後の一人が組み立てる事になる。
「……やらないわよ」
「遊びだ、遊び。罰ゲームなんて無い」
「おい」
「こういう人なのよ。私はそういうのが嫌なの」
どうやら、過去に不条理な仕打ちを受けてきた様子。
しかしここで参加しないのも興が冷めると思ったのか、流衣は手慣れた仕草でトランプを組み立てた。
その上に風成が横にトランプを置き、そこにトランプが立てられる。
「崩した奴は覚悟してもらう。勿論、ずるは無しだぞ。接着剤やテープを使うのは」
「そういう経験でも?」
「この人の父親は、ヨーロッパでそういう事ばかりやってきたの。だからその手口を、この人も教わってるのよ」
「持つべき者は父親だな」
へらへらと笑い、トランプを指し示す風成。
秀邦はシャツの袖をまくり、息を止めて慎重にトランプを立てた。
彼は知力のみならず、大抵の事に関して人並み以上にこなすタイプ。
手先も器用ではあるが、今は競技性のある状態。
そして暗に、罰ゲームも匂わされている。
地味にプレッシャーが掛かる状況で、すでに卓上端末のモニターは見向きもされない。
「よし、次は流衣だ」
「言われなくても。……本当に、何もしてないでしょうね」
「俺を信じろ」
「その台詞自体が……」
最後は言葉にならず、トランプへ全神経が集中。
一瞬大きくたわんだが、トランプはどうにか持ちこたえた。
ついに4段目。
トランプを置くだけでも、かなり危険。
秀邦は後ろ向いて深呼吸をし、息を止めてトランプをそっと立てた。
「馬鹿め」
彼に対して、もっともふさわしくない罵倒。
しかし組み上げたトランプがあえなく崩れたので、今回に限ってはそれを甘んじて受け入れるほか無い。
「泣くな、泣くな。天才でも、駄目な時はある」
「本当に、細工はしてないだろうね」
「負けず嫌いだな、案外。でも、それでこそ人間だ。完璧な奴なんて、この世には存在しないぞ」
随分上からの意見。
しかし敗者たる秀邦に、それへ反論する資格はない。
トランプが手早く片付けられ、軽く咳払い。
風成はにこりと笑い、秀邦の顔を指さした。
「何がしたい」
「早く帰りたいよ」
「そうじゃないよ、遠野君。本来なら裸でグランド一周してもらうところだが、それはあまりにも忍びない。という訳で、3つの内から一つを選ばせてやろう」
「どれを選んでも、君の望んだ結果になるんだろ」
全くもって信用のない台詞。
風成はにこりと笑ったまま。
流衣は我関せずと言いたげに、ファッション雑誌を再び読み始めた。
「だったら、完全に確率の問題で良い。サイコロがあるから、それを振ってくれ」
「出目の調整なんて、一番ありがちだろ」
「信用無いな。じゃあ、ハンディだ。俺は一度だけ振る。お前は3回振って良い。合計数の多かった方が勝ちで、その場合罰ゲームは無しにしてやる」
「元々罰ゲーム自体、存在しないだろ」
そう呟いた彼が取り出したのは20面体のサイコロ。
あまり日常的に持ち合わせる物ではないが、確率の計算をする際のデモンストレーションとしては時折使われる。
「このくらいのハンディも認めてくれるよね」
「好きにやってくれ。俺は普通の6面体を使う。ただこれで負けたら、相当に恥ずかしいぞ。俺なら切腹するね」
「挑発には乗らないよ」
あくまで20面体を手放さない秀邦。
風成は鼻で笑い、ラックの上にあったサイコロを手にしてテーブルへ転がした。
仮にここで3以下が出れば、その時点で彼の負け。
秀邦は、全ての出目が1でも3になるのだから。
「よし」
しかし彼が出したのは、6。
秀邦は即座にサイコロを手に取るが、細工は発見出来なかったようだ。
「信じなくても良いが、普通のサイコロだぞ。試しに振ってみろ」
言われるままに転がす秀邦。
出目は2。
この数字に意味は無いが、あまり嬉しい予行演習の結果でもない。
「止めた方が良いわよ。あなたは天才かも知れないけどこの人は詐欺師だから」
「人聞きが悪いな。俺は構わんぞ。済みません、玲阿さん。僕は、あなたには叶いませんでした。って言ってくれれば。罰ゲームなんてチャラだ、チャラ」
「だから、元々そんなのはないんだよ。それより俺が勝ったら、君に何かをしてもらう」
「出来る事となら何でもやってやるぞ。名古屋港で泳いだって良い」
そういってゲラゲラ笑う風成。
秀邦はそれを無視し、20面体のサイコロを転がした。
「……本当に、何もしてないよね」
「したように見えたか?」
「いや」
苦い表情で答える秀邦。
出目は1。
確率としては1/20。
別に、不思議な事ではない。
不自然さは、嫌という程付きまとうが。
秀邦は素早く20面体を手に取るが、不審な点は見当たらなかったらしくそれを固く握りしめる。
「6はハードルが高すぎたな。4を出せば良かったか?」
「うるさいよ」
苛立ち気味に返す秀邦。
先程からペースを乱されてばかりで、彼自身が本来持っている冷静さや判断力は全く見えてこない。
「……お、頑張ったな」
今度の出目は、2。
1よりは良いが、未だに6へは及ばない。
「何もしてないぞ」
風成は先程から、両腕を上へ上げたまま。
20面体には触れてもいない。
「なんなら、こっちのサイコロを使うか?」
「その手には乗らないよ」
「人を信じないって寂しいな」
「黙っててくれ」
若干激しめにテーブルへ放られる20面体。
それは大きくテーブルの上で跳ね、マグカップに当たって跳ね返ってきた。
「また、2か。惜しかったな」
20面体を指さし、ゲラゲラ笑う風成。
出目の合計は5。
惜しいと表現されたように、数値の差は1。
ただ結果は、秀邦の惨敗として勝負が終わる。
「いやいや。君も頑張ったよ。本当、良く健闘した」
「何をした」
「今日は一日、それを考えてろ。俺からの宿題だ」
愉悦に満ちた表情でそう語る風成。
秀邦は顔を横にしてテーブルの上を注意深く観察する。
「初めに調べただろ。罰ゲームは、買い物で許してやるよ。購買で、このリストにある物を全部買ってきてくれ」
差し出されるリストとカード。
秀邦は刺すような目で、彼を睨み付けた。
「それと、聞かれたらこう言えよ。「いえ。自分用です」って」
「おい」
「心配するな。それ程ひどいのは書いてない」
そう言って笑った彼を見もせずに部屋を出て行く秀邦。
ドアが閉まったのを確認した風成は含み笑いを漏らしつつ、本棚の奥に手を突っ込んだ。
「……カメラ?」
「基本だろ。俺はあいつに勝った。そういう事実を映像に収めた」
「いかさまでしょ」
「何もないぞ」
一層濃くなる笑顔。
またあそこまで出目が偏れば、何もしてない方がどうかしている。
風成はドアへと向かい、キーをロック。
そこへ耳を当て、一人頷き戻ってくる。
「大して難しくない。……やってみるか?」
20面体を受け取り、それをテーブルへ転がす流衣。
風成はにやにやしながら、転がる20面体をじっと見つめる。
今度の出目は20。
流衣はすぐに20面体を手に取るが、やはり細工は見つからない。
「どうやったの」
「テーブルを軽く叩くだけだ。大きくやれば気付かれるから、本当に少しだけ。座り直すだけでも良い。カーペットの下は畳だから、そのくらいでもテーブルは揺れる」
「本当に悪いわね」
「目は良いぞ。そうじゃないと、出目を調整出来ない」
実際転がるサイコロの出目を追うのは至難の業。
テーブルを揺らして出目を調整するのは、さらに至難の業であるが。
「揺れた事には気付いてないのかしら、彼」
「あれだけ熱くなれば、自分の体が勝手に揺れる。基本だよ、基本」
「それで、何を買いに行かせたの?」
「冗談の範囲内さ。大した物じゃない」
大勢の生徒で賑わう購買。
普段は授業の行われている時間だが、今日はすでに終業。
議論に疲れた生徒やあまり関心のない生徒達が集い、高校生の旺盛な食欲を満たしている。
そんな生徒達の間に割って入る秀邦。
ざわめく生徒達。
彼が一体何を買うのか。
妙な緊張感と高揚感が漂う中、秀邦は購買の前にその身を置いた。
購買にはいくつかコーナーがある。
日用品、文房具、雑誌。
そして最も人気が高いのは、駄菓子のコーナー。
普段は大人びている高校生の彼等も、この場にいる限りは童心に帰って思い思いのお菓子を手に楽しい時を過ごす。
「……酢漬けイカ下さい」
野次馬の後ろから聞こえる悲鳴。
人が倒れる音もする。
草薙高校創立以来の天才にして、花月もかすむ端正な容姿。
その彼が、「酢漬けイカ」
勿論、酢漬けイカは悪く無い。
ただ世の中にはイメージという物があり、天才美少年が買う物ではないとされている。
「そこにあるよ」
素っ気なく告げる購買の職員。
いってみれば、駄菓子屋のおばちゃん。
そしてその指摘通り、酢漬けイカはカウンター前のショーケースに並んでいる。
正確にはプラスチックケースに、その串が詰まっている。
おそらく駄菓子を買った経験など無いはず。
知識としては充分に持ち合わせているだろうが。
幼い頃から勉学が第一で、また遠野家は比較的裕福な家系。
また両親は、各種の専門的な分野の翻訳をこなす文学者。
言わばインテリ層で、その意味においても駄菓子と接する機会は無い。
それでも手順は分かったのか、専用の袋にリストの品を入れていく秀邦。
酢漬けイカ、得体の知れないカラフルなゼリー、チョコバー、ふ菓子。
「後、それを」
彼が指を差したのは、隣のコーナー。
文具品が並ぶ場所。
「サイズは」
「Mで。それを2つ」
「はいよ」
海パンを無造作に掴み、袋へ詰める職員。
やや時期外れ。
かつ、2枚。
それには違和感を感じたのか、職人は精算を済ませながら彼へ尋ねる。
「これ、どうするの」
「いえ。自分用です」
「二つも?」
「ええ」
屈辱。恥辱に塗れた表情。
再び悲鳴と、人の倒れる音がする。
海パン二つを自分で使用。
想像は多方面へ導かれ、女子生徒の大半は赤らめた顔を伏せる。
男子生徒にも、顔を赤くしている者は多いが。
彼等同様、顔を赤くして部屋に飛び込んでくる秀邦。
風成に海パンが放り投げられ、彼はそれを片手で受け止める。
「この学校。温水プールがあるんだぞ」
「誰が得をするんだ、これは」
「だったら、別な勝負にするか?」
「君とは二度とやらない」
駄菓子の袋から酢漬けイカを取り出し、それをかじる秀邦。
それ自体は結構興味があったようだ。
「美味しいだろ。流衣は食べないけどな」
「大体それはイカなの?食べて良い物なの?」
「どこのお嬢様だ」
「駄菓子って何。なんなの?」
どことなく笹原っぽい口調。
彼女の概念。
許容出来る範囲に、駄菓子は含まれてないようだ。
「スルメイカだと思うよ、この手の物は。場合によっては、マツイカも使うそうだけど」
「何、それは」
「アルゼンチンの方で獲れるイカ」
「それは本当にイカなの?」
もはや拒否反応しか示さない流衣。
秀邦は串をゴミ箱へ放り、駄菓子の袋を漁りだした。
「余程の物でない限り、食べて死ぬ事は無いよ」
「だからって、何かも分からない物を食べる理由にはならないでしょ」
「それもそうだ」
彼が取り出したのは、得体の知れないカラフルなゼリー。
それは彼にも食べる理由が無かったらしく、風成に渡される。
「ただいま」
朗らかに微笑みながら部屋へと飛び込んでくる笹原。
手には筑波土産ならぬ、名古屋駅で買った雰囲気全開の紙袋。
彼女はそれをテーブルに置き、流衣の前にあったマグカップを手に取った。
「研究所、見てきたわよ。その内、小型の核融合炉も作るとか言ってた」
「それは結構。ニュートリノも観測は出来たよ」
「あれこそ一瞬ね。リニアが早いと言っても、時速500キロくらいでしょ、せいぜい」
「それを言い出せば、宇宙の歴史は150億年だ」
大きなスケールで語る秀邦。
酢漬けイカをかじりながらでは、いまいちインパクトに欠けるが。
「ちょっとは休めた?」
「どうかな」
相当に苦い顔。
例の海パンは、すでに風成のリュックの中。
取りあえず、笹原の目に触れる事は無い。
「じゃあ、今日はぱーっと行きましょうか」
かなり唐突な提案。
これには秀邦だけでなく、風成と流衣も怪訝そうな顔をする。
紙袋ではなく、背負っていたリュックから出てくる小さな瓶。
「純米吟醸・霞ヶ関」とある。
「向こうでもらったの。今日はお酒を飲みましょう」
「誰が」
「私達が。生徒会再編案発表を記念して」
「再編が済んだらにすれば」
至って冷静に告げる流衣。
また、かなりの道理でもある。
ただ、それは世間一般としての話。
笹原理論とは異なる。
「私がやると言ったら、地球が二つに割れてもやるのよ。買い出し行って来て。場所はここ。メンバーも揃えて。料理誰か作って。とにかく動きなさい」
矢継ぎ早に、指示を出す笹原。
逆らうのも無理。
もしくは面倒と思ったのか、黙って立ち上がる秀邦。
「逃げたらひどいわよ」
「そこまで馬鹿じゃない。非力だし買い出しは玲阿君に任せるよ。適当にメンバーを集めてくる」
「変なのは連れてこないでね」
それには答えずに部屋を出る秀邦。
ただ彼も、一応は常識人。
その辺は弁えているだろう。
買い出しを済ませ、部屋へと戻ってくる風成。
「……こういう事か」
すでに秀邦も戻って来ていて、タマネギの皮を剥いているところ。
その隣には、無愛想にポテトを潰している生徒会長がいる。
「大勢で食べる食事は楽しいよな」
適当な調子で告げる議長。
彼は生クリームのホイップ中。
秀邦が集めてきたのは、生徒組織の主要なメンバー。
そしてキッチンから、真山が申し訳なさそうに現れる。
「済みません。お手伝いまでしてもらって」
「構わないよ。料理は女性がするべし、なんて法律はないからね」
爽やかに笑い、タマネギを差し出す秀邦。
真山もにこりと笑い、ゴボウを彼へ渡した。
「笹切りにしてもらえますか」
「何でもやるよ」
手慣れた調子で、ゴボウを削いでいく秀邦。
水のたまったボールに笹切りとなったゴボウがたまり、それには真山も感心する。
「お上手なんですね」
「名古屋に来てからは自炊してるんだ。味付けの方はいまいちだけど。良かったら、今度教えてよ」
「え、ああ。はい。私で良ければ」
さらりとナンパする秀邦。
真山はその辺がよく分かってないのか、恐縮しつつキッチンへと戻っていった。
「よう。プレイボーイ」
「良いだろ、料理を教わるくらい。やましい事をする訳じゃない」
「料理はやましくない。でも、お前の家で作るんだろ」
「道端にコンロはないからね」
そう言って、ゴボウの入ったボールを抱えて去っていく秀邦。
風成は舌を鳴らし、仏頂面でポテトを潰している生徒会長へ視線を向けた。
「楽しいか」
「そもそも、連れてこられた理由が分からない」
「それはみんな同じだ。よし、もう食べようぜ」
テーブルの上にあるのは、潰しただけのポテトとホイップ中の生クリーム。
食事になるような物は何もない。
しかし彼は本気。
本気で、味も何も付いてないポテトを食べようとしている。
「ある意味、尊敬する」
「口に入れる物があるだけましだって、俺の叔父さんは良く言ってる」
「何の話だ」
「戦時中の話だろ。味が付いてないと、わずかにも美味しくないな」
「だったら、血の味でも付けてみる?」
首筋に突き刺さるナイフ。
風成はポテトをつまんでいた手を止め、ゆっくりと両手を挙げた。
「今度食べたら、頸動脈まで切り裂くわよ」
「腹が減ったんだ、俺は」
「だったら、これを食べてなさい」
テーブルの上に置かれる皮を剥いただけの、ふかしたジャガイモ。
今食べていたのと、物としては同じ。
味が付いてないという意味においても。
ただそれで納得したのか、ジャガイモを丸かじりする風成。
これには生徒会長も、呆れ気味に首を振る。
「君達は、なんなんだ」
「付き合いが長いからな。それにあいつも、加減は知ってる」
「どう見ても、血は出てるぞ」
「死なない程度の加減は出来てるって事だ」
ジャガイモを全て食べ終え、再び落ち着きが無くなる風成。
しかし流衣がキッチンから顔を半分だけ出して、彼をチェック。
取りあえずの平穏は守られる。
ようやく出揃う料理。
ポテトサラダ、デリバリーのピザ、パスタ。
コンソメスープにカレー。
おにぎり、揚げ物、スナック菓子とジュース。
「では、乾杯の音頭を」
生徒会長を見ながら、そう話す笹原。
この場において一番の適格者はやはり彼。
笹原がそれを認めるほどに。
生徒会長はグラスを掲げ、全員に飲み物が行き渡ったのを確認した。
「再編案はまだ発表されたばかりだが、きっと草薙高校は良い方向へ向かうと思う。草薙高校の反映と発展を願って、乾杯」
「乾杯っ」
重ねられるグラス。
どっと沸く室内。
銘々が箸を伸ばし、手で掴み、時には叫び声を上げて料理を取り分け出す。
彼等が集まって一番の盛り上がり方。
お互いの顔と名前をようやく知り始めた同士の、きっと初めての一体感。
今は何も気付かない。
いつか振り返った時に思うだろう、最高の瞬間。
初めは決まっていた席順も、食事が進むにすれ少しずつ変化。
食べたい物が遠くにあったり、トイレへ行ったり、食器を下げたり。
そうする内に配置が変わり、グループに分かれ出す。
「あー、良い匂い」
流衣の長い黒髪を掴み、鼻先へ持って行く笹原。
それを肴にグラスを一口。
あまりにも枯れているというか、俗物過ぎる。
「止めて」
「止める。いや、止めない。やっぱり止めるっ」
自分で言って自分で笑う。
最悪としか言いようのない状況。
流衣は彼女の手をふりほどき、大きなクッションを彼女にあてがってそこから離れた。
移動した先は、真山の隣。
彼女は大人しく、小鉢に盛られていたおからを食べていたところ。
誰が持って来てかも不明で、これこそ枯れた好みである。
「大人しいのね」
「皆さんに比べれば、私なんて」
あくまでも謙虚。
笹原ほどではないが、この場にいる者はそれなりの自信化。
勿論それだけの実力も兼ね備えてはいるが。
謙虚、控えめ、一歩下がる。
そういう事とは無縁の存在。
その点真山は、彼等とは真逆。
控えめで、大人しく、前に出過ぎる事も無い。
これは自信のなさより、性格故。
通常その手のタイプが組織の長に上り詰める事は無いのだが、何事にも例外はある。
「野球部のマネージャーだったのよね」
「ええ。運動は苦手なんですが、見る事は好きなので」
「それがどうして?」
「前の代表が辞任した時、何故か私を指名されまして」
申し訳なさそうに語る真山。
弱気と言うより、自分には荷が重いと思っている様子。
また体育会の主流が格闘系クラブである以上、野球部の元マネージャーでは確かにインパクトに欠ける。
「でも、辞めないのね」
「私を見込んでくれた以上、そのご期待には添いたいと思いまして。私よりもふさわしい人が現れるまでは、職務を全うしたいと思います」
強い責任感。
揺らぐ事のない強い意思。
彼女が指名された理由は、おそらくそこ。
能力的にふさわしい者は、他にも大勢いただろう。
だが彼女ほどの責任感を持つに人間は、一体何人いるだろうか。
何があろうと、その責任を果たし。貫き通せる人間は。
「玲阿さんは、どうして?」
「私は、ただ付き合ってるだけ。正直言えば、自治も再編もどうでも良いの」
「どうでも良いんですか」
投げやりな台詞に苦笑する真山。
ここまではっきり言われては、笑う以外に無い。
気だるそうにグラスを傾ける流衣。
彼女の基本的なスタイル。
大勢の人が知る姿。
怠惰ではないが、何かに熱心になったり張り切る事は無い。
物憂げで、気だるげで、儚げで。
心ここにあらずと言った感じ。
男子生徒からすれば、それがまた魅力的に見えるのだろうが。
「彼は」
「とにかく暴れたいんでしょ」
身も蓋もない言い方。
真山はくすりと笑い、お茶のグラスを両手で包み込んだ。
「そのくらい元気な方が良いんでしょうか」
「どうかしら。単に破滅へ向かってるだけの気もするわ」
「でも、学校のためになるんですよね。そのために、生徒会に入るのでは?自警組織に」
「そういう事、らしいけれど。私は無理ね、自分の面倒すらみきれてない」
自嘲気味に答える流衣。
どこか厭世的に。
今の自分を遠くに見るような表情で。
組み上げられていくトランプ。
しかしそれは3段目であえなく崩れ、生徒会長が口元を抑える事となる。
「いやー、惜しかったな。という訳で、罰ゲーム決定だ。軽く歌ってくれ」
「おい」
「負けて、逃げて、泣いて。俺なら、切腹するね」
「……紺色のー、スクリーン、浮かぶースター」
震え気味の声で歌い出す生徒会長。
これには深刻な顔をしていた流衣も、クッションを抱いてにやけていた笹原も反応をする。
「……永遠のー、きらめきをー」
「よっ、大統領。次は、何やる」
「やらないよ」
きっぱりと拒否する秀邦。
生徒会長は俯いたまま。
議長は彼と目を合わせようとしない。
「つまらんな。腕相撲しようぜ。俺対、お前達全員で。負けたら裸でグラウンド一周してやる」
「本当、だな」
「ああ。パンツなんて履かないぜ」
「全員という部分がだ」
苦い顔で問いただす生徒会長。
風成は笑いながら頷き、シャツの袖をまくった。
その途端強ばる全員の表情。
腕の太さは、シャツの上からでも分かる。
だが筋肉の付き具合、その発達の仕方は別。
熊の腕がそこにあるのではと思うくらいの迫力。
引き際があるとすれば、おそらくはここ。
しかし人間、譲れない場面という物がある。
「本当に、全員で良いんだね」
「100人でも200人でも来いよ」
「……配置を決めよう」
まずは風成に構えさせ、議長に組ませる。
その右隣へ生徒会長。
秀邦はさらに左へ収まり、両手で全員の手を掴む。
「両手が反則とは言わないよね」
「勿論。腕が折れても文句言うなよ」
「え」
唐突に腕を倒す風成。
一斉に引っ張られる秀邦達。
だが彼等も男の子。
そこは意地を見せ、傾いた体を必死で元へと戻す。
「ほ、本気で」
「お、俺は本気を……」
「手首が……」
顔を真っ赤にしながら、それでも必死に力を振り絞る秀邦達。
風成の腕が反対側に傾いた。
それに彼等が一瞬歓喜する。
が、それも一瞬。
獣のような声と共に腕が跳ね上がり、3人を吹き飛ばすようにして腕を反対側へ押し倒した。
「やっぱり俺が一番だな」
力こぶを作り、一人悦にいる風成。
倒れた3人は重なり合い、それに反応もしない。
彼等の様子を見守っていた流衣達は苦笑気味。
やがて笑い声が大きくなり、それは部屋全体へと広がっていく。
楽しい時は永遠に続く。
そんな事を信じたくなるような一時。
間違いなく重なり合った彼等の心。
今という一瞬だけは、決して消え去りはしない。




