45-9
45-9
翌日。
普段通りにバスに乗り、相変わらずの混雑にため息を付く。
バスは次々と到着するため押しつぶされる程ではないが、当然快適な訳では無い。
「この時間は仕方ないわね」
吊革に掴まり、窓から若干渋滞している道路を眺めるサトミ。
私は一生そこへ手が届きそうにないため、座席の上にある手すりに掴まる。
「通うのは、やっぱり寮の方が良いのかな」
「通うだけなら」
「でもご飯も出てくるし、生活に必要な物は一通り揃ってるでしょ」
「それでも言えとは違うのではなくて」
何が違う、とまでは言わないサトミ。
ただ彼女が言うように、やはり家と寮は似ていても別。
家に帰れば家族がいて、私を迎えてくれる。
寮にも当然寮生はいて、賑やかさはそちらの方が上。
それでも本当に信頼出来る場所、人と言えばやはり実家には敵わないと思う。
サトミは実家との折り合いが悪いため、その辺をぼかして答えたんだろうけれど。
「草薙中学、草薙中学。草薙中学の生徒さんは、この停留所でお降り下さい」
出口へ勢いよく流れ出す生徒達。
普段なら私もこの流れに巻き込まれ、場合によっては外に出る。
しかし今日は、私の立ち位置は少しも変わらない。
理由は隣にいるサトミのせい。
中学生達は彼女を避けるようにして移動。
それは男の子も女の子も一緒。
とにかく彼女には近付かないよう、迷惑を掛けないよう行動している。
私も一生に一度くらいは、こういう気の使われ方をして欲しい。
「草薙中学の生徒さんは、ここでお降り下さい」
念を押すような車内アナウンス。
バックミラー越しに私を見てくる運転手。
そういう気の使い方は止めて欲しい。
説明をするのも面倒なので、この停留所で下車。
窓ガラス越しに手を振ってるサトミを見送る。
一緒に降りてくれても良いじゃないよ。
ただ高校へ向かう生徒は、私一人ではない。
中学生のパワーには、さすがに高校生も敵わないといった所か。
それに歩くと言っても停留所一つ分。
また中学校と高校はすぐ隣で、他よりも短めの距離。
歩く事は、大して苦ではない。
別に、歩きたい訳でも無いけれど。
「おはようございます」
後ろから声が掛けられ、隣へ女子生徒が並んでくる。
「エリちゃん。寮って、こっちだった?」
「中等部へちょっと用があったので。バス、押し出されました?」
「まあね」
中学生と間違われましたとは答えづらく、曖昧にぼかして早足になる。
すでに高等部の正門も見えていて、サトミの姿もぼんやりとだが見えている。
彼女の顔ではなく、そのシルエットが。
「聡美姉さんは、どうしてあそこに?」
「裏切り者だから。一度、怒ってやって」
「そういう事は、元野さんへお願いします」
苦笑しながら断るエリちゃん。
サトミに面と向かって文句を言いたい人も、そうはいないか。
そうする内に、正門へと到着。
サトミは黙って顎を振り、後ろを示した。
「正門しかないよ」
「それについて思う事は」
「当たり前の事じゃないの」
というか、無かったら困る。
コンテナでふさがれた事はあったけどね。
「30点ね」
おい。
大体、点を付けるような事なのか。
しかし私は、すでに落第。
次なる生徒。
優等生へ解答権が移る。
「永理」
「いつもの集団がいない。挨拶の励行を呼びかけてる集団が」
「85点」
どこまでも厳しいな、この人は。
大体その答えで100点じゃないの。
「マイナス15点分はなんなの」
「どうしてあの集団がいなくなったか。肝心な部分が抜けている」
「それは分かりようがないでしょ」
「分からない事を調べるのが学問でしょ」
学問ではないでしょう。
正門をくぐり、改めてサトミに質問をする。
「点数は良いからさ。結局なんなの」
「長官の意向が働いたみたいね」
「そんなの、分かる訳無いでしょ。ねえ、エリちゃん」
「ん?、ええ、まあ」
曖昧に答えるエリちゃん。
どうやら私には分からないが、彼女にはその答えを導くだけの何かが見えていたようだ。
それはともかく、いないのは確か。
そういえば、昨日の夜何か言ってたな。
「お礼がこれって事?」
「どうかしらね」
「だって私はいらないんだよ、あの挨拶は」
「長官は、その事までは知らないのよ」
なるほどね。
確かにそれは不自然。
とはいえ調べれば分かる事でもある。
「結局なんなの」
「教育庁の強引な介入、とでも見るべきかな」
醒めた口調で語るエリちゃん。
私とは全く逆の考え。
むしろこの状況が悪いと彼女は言っている。
介入、か。
草薙高校の校是は、生徒の自治。
それは何も、警察権力に対してだけではない。
行政。
つまりは教育庁に対しても、意味を持つ。
「ありがた迷惑って事?」
「それならむしろ気が楽だわ。もっと別な意図。つまり、介入と分かってやっていたら?」
「なんのために」
「自治制度自体に不満を抱けば、介入はするでしょう」
サトミの言う事は分かるが、昨日の夜にお父さんが言った言葉は長官も覚えているはず。
私達のためにという言葉を。
あの時はお酒も飲んでいなかったし、忘れるような状況でもなかった。
「教育庁対雪野優という構図なんですか」
かなり真顔で尋ねてくるエリちゃん。
私はそこまで大物ではないし、私自身が対立している訳でも無い。
「挨拶は生徒会が主導してたんだから、そっちとの対立でしょ。私は関係無いよ」
「本当に?」
「本当に。ほら、自分の教室へ行って」
「私は雪野さんが関係してると睨んでますけどね」
そう念を押して去っていくエリちゃん。
つくづく信用が無いな。
「今回に関しては、私は知らないよ」
「今回に関してはね」
そういう念の押し方も困る。
教室に付くと、すでにモトちゃんが待っていた。
いつもは私より遅いのに、珍しいな。
「どうしたの」
「……頭が痛い」
教育庁の問題で頭が痛い。
という訳でもなさそう。
顔色も悪く、少しお酒の匂いもする。
二日酔いか、この人。
「ユウ、水を持ってきて。2Lくらい」
「飲める?」
「飲めるじゃないの。飲ますのよ」
腕を組み、仁王立ちで言い切るサトミ。
ただそれも良いけど、違う考えが無くもない。
「ほら、いつも得体の知れない木の枝とかあるじゃない。あれはないの?」
「良い考えね」
モトちゃんのリュックを机の上に置き、勝手に漁り出すサトミ。
のろのろと手が伸びてくるけどそれは軽くはね除けられ、小さな黒いビニール袋が現れる。
可愛いドクロの絵がプリントされてあって、この時点で中身は決定した。
「……分類はされてるわね」
「されてないと困るでしょ。見当違いな物を出されても困るじゃない」
「だったら、今まで合ってた物ってあった?」
「なかったかもね」
いや。もしかして何らかの効き目はあったかも知れないが、それ以前に味がひどくて何もかもが吹き飛んだ。
むしろそのせいで、体調が悪くなりそうなくらいに。
サトミが手にしたのは、「酔い覚まし。私は飲まない」と書いてある小さなビニール袋。
自分が飲まない物を、良く人に飲ませてきたな。
「ほら、これ飲んで」
「絶対嫌」
「嫌じゃないの。ユウ、口を開けさせて」
「はい、来た」
後ろへ回り、モトちゃんの脇腹を軽くくすぐる。
その途端笑い声を上げ、口が大きく開いた。
素早く放り込まれる木の枝。
席を立ち、今まで見た事も無い早さで教室を飛び出ていくモトちゃん。
こんなの、普通に所持してて良いのかな。
「サトミも、指を舐めてみれば」
「冗談でしょ。でも、手は洗わないと」
軽く手を払うサトミ。
それがもう駄目だと言いたいが、時遅し。
多分指先に付いていた粉が舞い散り、わずかな量が口に入ったんだと思う。
サトミもすぐに教室を飛び出し、私一人が残される。
取りあえず、劇物指定と書いておくか。
しばらくは二人とも無言だったので、お昼休みに改めて話を聞く。
目が醒めてきたケイにも。
「介入か。相手の意図や結果はともかく、口を出してくれば介入だ。程度にもよるけど」
あっさりと結論づけるケイ。
サトミとモトちゃんもそれに頷き、彼の言葉を肯定する。
「でも、どうして介入してくるの」
「まだ酔ってるんじゃないのか」
「私は二日酔いではなくて、ただの寝不足。二日酔いなんてなった事は……」」
何かを言いかけ、頭を押さえて俯くモトちゃん。
つくづく重症だな。
「……相手の意図がどうであれ、自治は貫く。教育庁であれ、総理大臣であれね」
思わず身震いが起きるような台詞。
寝息を立て始めなかったら、多分もっと良いシーンだったと思う。
「でも何かやればそれが介入と取られる事くらい分かってるはずでしょ」
「酔ってるのか、分かってるのか、意図があるのか。確かなのは、介入された事実よ」
醒めた口調で切り捨てるサトミ。
私はもう少し、感情を重ねたい心境。
つい昨日までは私達へ親切にしてくれ、おかしな事もしていたけど楽しくて優しい人だった。
それを信じる信じないではなく。
私には、その事が事実としか認識出来ない。
放課後。
自警局へ向かう途中で、行く手をふさがれた。
正確には、生徒会のエリアへ入る手前で。
行く手を遮ったのは、武装をした警備員。
今まで見た事のない制服と顔。
相手が動くより先にスティックを抜き、サトミとモトちゃんの位置を確認。
後ろへかばい、ショウを警備員側へ立たせる。
「サトミ、渡瀬さんか御剣君に連絡。沙紀ちゃんにガーディアンの状況を聞いて」
「分かった」
唐突な私の行動にも意義を唱えず、すぐに対応をしてくれる。
ただ目の前の警備員への対応は、私達の仕事。
正面だけなのか、挟撃目的なのか。
初めから敵と判断する材料は乏しいが、これは理屈以前の問題。
今まで過ごしてきた、決して長くない人生からの教訓。
敵については、特に敏感となっている。
「どちら様ですか」
私越しに尋ねるモトちゃん。
警備員は見慣れない身分証を提示。
顔写真と警備会社の名前が書いてあり、サトミがすぐに確認。
私の耳元でささやく。
「軍と提携してる会社。……現役に近いと考えて」
「分かった」
グローブを装着。
隙を見せている訳ではなく、私の前にはショウがいる。
だとすれば、靴紐を結び直しても良いくらいだ。
グローブを装着し終え、軽く息を整える。
それを確認し、モトちゃんが改めて質問を重ねる。
「ここの警備は、生徒が担当をしていますが」
「私達は、学校へ頼まれただけですので」
今度提示されたのは許可証。
小さい字なので読めないが、多分そういう事が書いてるんだろう。
また学校の許可無しに、武装した人間がここまで入り込むのは不可能。
少なくとも、学校の意図は働いているんだろう。
「入ってよろしいですか」
「IDの提示をお願いします」
一歩前に出かけるが、モトちゃんが私の肩に手を掛けた。
「ここは引いて。相手の出方を見る」
「自治はどうなったの」
「警備員と殴り合うのが自治では無いでしょ」
「生徒会への立ち入りに警備員の許可がいるのは、自治への介入でしょ」
私としては断固抵抗したいが、前に進めば良い物でも無い。
何よりモトちゃんがそう判断したのなら、それに従うまでだ。
全員IDを提示。
一応許可は下り、生徒会のエリアへの立ち入りは許された。
どうして私達が、そういう許可を得る必要があるのかとは思うが。
「なんのために、ここの警備を担当しているのですか」
「生徒は学業だけに専念すべきと聞いています」
そうとだけ答え、姿勢を正す警備員。
こういう台詞。
理屈は、過去何度か聞いてきた。
最近だと天崎さんや、長官。
正門での異変、警備員の常駐。
意図はともかく、介入されているのは明らか。
いつまでも黙ってはいられないが、ここで警備員をなぎ倒して澄む問題でもない。
「……どう思う」
「問題無い無い」
小声で告げるショウ。
問題無いというのは、警備員の技量。
立ち振る舞いで、相手の実力はある程度理解出来る。
そこそこの実力があるのは確か。
ただ、勝てないと思える程のレベルではない。
そして今はショウと私が揃っていて、渡瀬さん達も到着する。
彼等がどうしてここにいるかは、モトちゃん達が考える話。
私は、そんな彼女達を守る事を考えるだけだ。
自警局ではなく、予算局の会議室へ入りドアをロック。
木之本君が、盗聴をチェックする。
「……大丈夫。カメラもないね」
アナライザーをしまう木之本君。
予算局は、自警局以上にセキュリティが厳重。
また生徒会や草薙高校から独立した面もあるため、今回のような場合には非常に助かる。
「ここまで露骨にやってくるとはね。モト、何か聞いてる?」
「全然」
頭を押さえながら答えるモトちゃん。
まだ、寝不足は解消されてないようだ。
「昨日、長官と一緒にいたんでしょ」
「家で寝てたら、瞬さんと一緒に尋ねてきた。夜通し騒いでたわよ、あの二人」
「済まん」
多分、瞬さんの代わりに謝るショウ。
つくづく不憫としか言いようがない。
「昨日というか今日は上機嫌で、おかしな事をする様子はなかった。ただ政治家だから、言葉と行動は一致しないかも知れない」
意外に辛辣な台詞。
とはいえ彼女の言うように、私が抱く政治家のイメージもそんな感じ。
もし政治家が品行方正で言葉にした事が全て真実なら、日本は天国になっている。
「でも、なんのために?」
「学校から、甘い物でももらったんだろ」
鼻で笑うケイ。
つい彼を睨むが、真っ先に思い付く理由はそれ。
他の子は、それを口にしていないだけだ。
「仮に甘い物をもらったとして、それは教育庁長官がわざわざやるような事なの?」
「政治家が何を考えるかなんて、サトミが言うように分からない。それとも天崎さんへの個人的な嫌がらせとか」
「どういう人間よ」
「そういう人間なんだろ」
そう言われてしまうと、反論のしようがない。
この数日の彼の行動を見ている限り、大人とは思えない時もしばしばあった。
しかしそれらは、まだ笑って済ませられるような事。
今回のような、圧力めいた行動ではなかった。
「本人に聞いてみようか」
「どうやって」
「会いに行けば済む話でしょ」
「どうやって」
同じ質問を繰り返すサトミ。
どうもこうも、歩いて会いに行く。
それだけだ。
「冗談は聞いてないの」
「あ、そう」
私も勿論、本当にそんな事が出来るとは思ってない。
そのくらいの覚悟はある。
そう言いたかっただけだ。
「お話は終わったかしら」
冷ややかな笑みと共に現れる新妻さん。
その視線は私を通り過ぎ、真っ直ぐサトミへと向けられる。
「終わったわよ。教育庁の監視を避けただけだから」
「……よそでやってくれない?そういう面倒事は」
「でも、もう終わったから」
にこやかに笑うサトミ。
もはや確信犯以前の問題。
私なら机を半分に割ってる所だな。
ただ新妻さんには自制心という物があるらしく、眉間に皺を寄せつつも怒りをどうにか抑え込んだ。
「教育庁が介入してると聞いたけれど、本当なの」
「正門の挨拶。あれが急に止んだでしょ。誰が止めたと思う?」
「矢田局長本人、でもないわね。再開したばかりなんだし、今止めたら面子も何もない。へぇ」
横へ裂ける口元。
肩の辺りから立ち上る赤い揺らめき。
実際に何かが出ている訳ではないが、感覚的はそれを確かに感じられる。
強い闘志。
怒りにも似た感情を。
彼女もまた、戦士なんだと改めて思い知る。
新妻さんはサトミが差し出した資料に目を通し、鼻を鳴らしてテーブルへ投げ捨てた。
「教育庁ごときが、何をする気」
中央官庁が、ごときか。
相当突き抜けてるな、この人も。
「何か不満でも」
「全然。新妻さんは、教育庁と戦うの?」
「向こうが仕掛けてくるなら、北米軍とだって戦うわよ」
言い切ったよ、この人は。
私も日頃からみんなにあれこれ言われているが、この人に比べれば可愛らしい物。
小学生と高校生くらいの違いはある。
体格の事ではなくてね。
ただいきなり突撃しないだけの理性はある様子。
その辺も、私と違う所だな。
「まあ、大丈夫でしょ。私は、長官を信用してる」
「義兄弟の杯でも交わしたの?」
「……人間性の問題を言ってるのよ」
「それはごめんなさい」
悪びれずに謝るサトミ。
それでもモトちゃんが大丈夫というなら大丈夫。
この中で人目を見る目が一番あるのは彼女。
その彼女を信用している以上、長官も信用する以外に無い。
何より、まだ彼が関わった証拠や事実は何も出ていない。
そもそも、その理由が無い。
「でも、長官が関わってるのは確かでしょ」
「何、それ。悪意はないけど、やってるって事?」
「悪意?悪意もあるかも知れない」
ますます意味が不明。
いや。そうでもないか。
「試されてるって訳?」
「可能性としては、無くもない。遊び半分か本気かは知らないけれど」
苦笑気味に頷くモトちゃん。
確かにタイプ的にはやりそうな話。
またそれは視察の目的とも合致するはず。
草薙高校の現状を知る上では良い方法だとも言えるだろう。
「だから無闇に暴れなくても良いわよ。警備員にしろ、長官がいなくなれば一緒にいなくなるでしょ。そこに居続ける意味がないから」
「本当に?」
「違ったら、その時対処すれば良いだけよ。ポスターも守ってもらえて都合が良いんじゃなくて」
「まあね」
良い点と言えば、せいぜいそれくらい。
正直警備員の学内常駐は不満だが、相手か教育庁なら私もさすがに一歩下がる。
「意外と甘いのね」
分かりやすく不満を示す新妻さん。
甘いのは自分でもよく分かっている。
今までの対応とは違うのも。
ただあの警備員を排除すれば、相当の問題になるのは必至。
背後に長官がいれば、ストレートに教育庁との対立へと結びつく。
新妻さんもそれは分かっているはず。
分かっていて、この台詞。
結構困った人かも知れないな。
「あなたは何もしなくて良いわよ」
あらかじめ釘を刺すモトちゃん。
新妻さんは曖昧に笑い、テーブルを手の平で軽く叩いた。
「今更下がる気?春には、全面的に対立したじゃない」
「今回は試されてるだけよ。状況が違う」
「本気だったら?」
「戦えばいい」
明快に、なんの迷いもなく答えるモトちゃん。
新妻さんは頬を赤らめ、気の抜けた顔で彼女をしばし見つめた。
これこそ良くない兆候。
彼女をぐっと引き離し、その間へと割って入る私とサトミ。
良くないんだって、本当に。
「邪魔しないで」
「するのよ。帰りなさい」
「ここは予算局よ」
「だから」
すごい事を言い出すサトミ。
ただ、その気持ちは私も同じ。
彼女に思いを寄せるの良いが、過度に思いを寄せるのは良くはない。
それは、私もサトミも許さない。
「お姉様」
出たよ、これが。
まずは、対予算局。
対新妻さん対策をした方が良さそうだ。
監視も緩んできただろうと判断し、自警局へと移動。
木之本君が盗聴や盗撮のチェックをしながら、私達も自警局のブースを奥へと進んでいく。
「この先どうするの」
「おかしな圧力が掛けられない限りは様子見と言いたいけれど。一度、お父さんに話を聞いてみる」
私がいつも座っているソファーへ腰掛け、端末で連絡を取るモトちゃん。
その表情が微かに曇り、端末がテーブルへとそっと置かれる。
「正門の挨拶を止めるよう圧力を掛けたのは長官。それは確認した」
「それだけ?」
「自警局も解体すると言っている。警備会社に警備は一任して、生徒は勉強だけをしていればいいって」
「お父さんの言葉を曲解してるって事?」
「してるのか、してないのか。それも込みでという話でしょ」
どういう話か知らないし、受付の辺りが騒がしくなってきた。
そして今話を聞いたばかり。
何が起きているかは、大体予想がつく。
椅子や机をいくつか飛び越え、生徒の間とくぐり抜けて受付へと到着。
そこにはすでに警備員が10名以上集まっていて、中へ入る機会を窺っている。
端末のイヤホンを耳に装着し、マイクの音量を最大。
インカム代わりにして、声を出す。
「モトちゃん、警備員が侵入しようとしてる」
「立ち入りは絶対阻止して。責任は私が取る」
「了解」
私単独で行動してもいいが、ここの責任者はモトちゃん。
彼女の意図を無視した行動もあり得ない。
またそれが私の気持ちと一致する以上、ためらう理由は何もない。
相手が例え教育庁であろうともだ。
アドレスをオープンにし、親しい人間全員に聞こえるように設定。
警備員の動きに注意しつつ、話を続ける。
「渡瀬さん。自警局へ戻ってきて」
「挟撃ですか」
「出来ればね」
「すぐ戻ります」
なんの躊躇もなく了解してくれる彼女。
それに頼もしく思いつつ、次の名前を呼ぶ。
「御剣君」
「向かってますが、生徒会の入り口にもいますね。これはどうします」
「通れるなら通って。邪魔をされるようなら、排除して構わない」
「了解」
「かい」の辺りで聞こえる悲鳴。
渡瀬さんより、御剣君の到着が先かも知れないな。
「七尾君」
「装備を調えてる。雪野さんは無理しなくて良いよ。武装してないだろ」
「まあね」
「ここは俺が押しきる。草薙高校を舐めるなって話だよ」
かなり血の気がたぎってる口調。
立場上は彼の方が上で、彼が自分に任せろと言うのなら私はそれに従う。
ただ彼が到着するまでは、ここを断固として死守。
受付より先には入らせない。
ガーディアン達の前に立ち、スティックを振って警備員を牽制。
向こうは完全武装で、火花を散らすバントも構えている。
対して真っ先に駆けつけたガーディアン達は、全員制服姿。
警棒すら持っていない子もいる。
それでも彼等は警備員と対峙し、この場を守っている。
その気構え、勇気を私は誇りに思う。
だからこそ、彼等を背にして警備員と向き合う。
彼等と共に、この場を守る。
幸いと言うべきか、警備員と牽制し合っている間に七尾君が完全武装のガーディアンを引き連れて到着。
私達はその後ろへ下がり、今度は彼等が壁になる。
受付を横3列でふさぎ、最前列は盾を構える。
最後列はショットガン。
中央の列はバトンを前へ突き出し、盾の前までそれを伸ばす。
ここを突破するにはまずバトンを避け、次に盾を突破。
その間ショットガンの銃撃を受け続け、当然ガーディアンも排除する必要がある。
向こうは訓練されたプロだろうが、こちらも集団での戦いには慣れている。
また人数ではこちらが3倍以上。
こちらは高校生ではあるが、そう簡単に突破出来はしない。
「……到着しました」
イヤホンから聞こえてくる渡瀬さんの声。
警備員が受付の前に固まっているため姿は見えないが、生徒会のエリアには入っているようだ。
「何人?」
「雪野さんの直属班全員と、パトロール中のガーディアンを一部。20人程度です。武装はしてません」
「取りあえず、その場で待機。他の局に警備員がいないか確かめて」
「了解」
フェイドアウトする渡瀬さんの声。
この通話はサトミも聞いていて、彼女達の行動はそっちでも把握済み。
どこへどう向かうかは、彼女達が指示を出してくれるはず。
私はまず、この場所を守る事に勤めたい。
「御剣です。警備員は全員排除。応援は、今のところ来ませんね」
「身元は分かる?」
「軍人か元軍人。それっぽいマーシャルアーツを使ってました」
サトミの説明を裏付ける証言。
後はその背後関係か。
それは尋ねるより先に、サトミから聞かされる。
「ショウのお父さんに確認を取った。軍は関わってないそうよ。あくまでもOBが所属するだけみたい」
「了解」
これが分かっただでもかなり大きい。
いくら気構えを持っていようと、相手が軍ともなれば話は別。
まともにやり合って勝てる訳もなく、そもそも高校生の戦う相手ではない。
ただ警備会社という肩書きならば、まだこちらに勝機はあるし戦う事にためらいも薄い。
軽く肩を解し、時計で時間を確認。
終業時間はまだ先だが、これでは仕事どころではない。
また今後を考えれば、出来るだけ体は休めたい。
戦わずにこの状況を収めるためにも。
「……七尾君、数日学校へ泊まれる?」
「構わないけど。……ここに常駐するって?」
「問題かな」
「そういうのを待ってた」
予想通りというか、例により血の気の多い反応。
この場は彼に任せ、私は自警局の奥へ後退する。
モトちゃん達はソファーから、局長執務室へと移動済み。
私も中へと入り、意見を述べる。
「受付の完全な封鎖、ね。食べ物はどうするの。帰りたい人とかは」
「警備員もずっといる訳ではないでしょ。飽きれば帰るし、私達はここを守り続けるだけ」
「分かった。サトミ、ローテーションを組んで。それと食料品と日用雑貨の確保。家に帰りたい人のリストもお願い。その子達は、どう?」
「帰せと言うのなら無理矢理にでも突破するよ。それか、警備員との交渉だね」
多分向こうも鬼ではなく、出て行く分には文句を言わないはず。
もし言う場合は、私もそれなりの対応をさせてもらう。
リストや細々した事はサトミ達に任せ、私は自分の寝床を確保する。
ソファーはさすがに不安。
自分の執務室に入り、寝られそうな場所を探す。
取りあえずソファーがあるし、タオルケットを持ってくるか。
ただ私以外の人間もと考えれば、布団か寝袋が欲しい所だな。
「ショウ、いる?」
「帰るなら、突破するぞ」
「私は泊まる。布団か寝袋ってどこにある?」
「待ってろ、持ってくる」
すぐにフェイドアウトする声。
まさかと思うけど、警備員を突破して取りに行くんじゃないだろうな。
幸い怒号が飛び交う事は無く、台車に乗せられた布団が到着。
それらをまずは局長執務室に運び込む。
仮眠室もあるがスペースは限られるし、男の子はともかく女の子は個室の方が良い。
少なくとも私は、それを望みたい。
「布団はそれ程無いぞ。外に取りに行くなら別だけど」
布団を巡る警備員との戦いか。
出来れば避けたい行為だな。
「ここにいる全員が残る訳でも無いし、せいぜい50人程度でしょ」
居残り組の推測をするモトちゃん。
今の段階で自警局のブースには、ガーディアンを含めると200人くらいいるはず。
そして50人という数字がそれに対して多いのか少ないのかは、判断の難しい所である。
リュックを背負い、こそこそと受付へと逃げていく人影を発見。
すかさず後を追いかけ、その前へと回り込む。
「どこ行くの」
「帰るんだよ」
全く悪びれず答えるケイ。
帰るのは自由。
それは全然問題ない。
私も止めないし、モトちゃんも止めはしないだろう。
ただ、誰も彼もが帰れると思ったら大間違いだ。
「戻って」
「おい、冗談じゃないぞ」
「私も本気よ。せいぜい二三日だから」
「籠城するのは、助けが入る時だけだ」
そんな話、前にも聞いた事がある。
でもこれは籠城ではないし、警備員が帰る事も予想している。
籠城と言うよりは、この場所を確保するだけ。
花見の場所取りに近いと思う。
取りあえずケイを自警局の奥へ押し込め、ガーディアンに監視するよう告げる。
こうなると本末転倒だが、この際は気にしない。
後は彼の言う、外からの助けだな。
「渡瀬さん、どう?」
「警備員の応援は無し。他局にも警備員は配置されてません。そろそろ引き上げるという話も出ています」
「分かった」
「私は一旦内局で待機します」
そう言って切れる通話。
彼女も居残り組か。
「あたし、帰りたいんだけど」
ちょっと言いづらそうに告げる神代さん。
多分さっきの、ケイとのやりとりを気にしての態度。
とはいえ、帰りたいなら帰るだけの話。
それを止めるつもりはないし、理由もない。
「分かった。サトミから帰る人達のリストをもらって、その人達を集めて。話せば警備員も通してくれるでしょ。向こうはここに入りたいだけで、閉じこめるのが目的じゃないから」
「先輩はどうするの」
「今日は泊まるよ。少しなら着替えも置いてあるし」
「ふーん」
いまいち理解出来ないという態度。
私もそれ程賢い行動だとは自分でも思っていない。
それでもここに留まるのは、半ば維持。
行き着く先は七尾君の言った、草薙高校という存在。
そこの生徒である限り、馬鹿げて言おうと世間から非難をされようと私は自分のやり方を貫く。
例えそれで不利益を被ろうともだ。
少しして、大勢の生徒が神代さんに連れられてやってくる。
リストを見ると、大体150人。
モトちゃんの推測通りという訳か。
「……七尾君、今から帰りたい子達を受付から通す」
「分かった。警備員とは俺が交渉をするから」
「お願い」
端末をしまってスティックを抜き、集団の先頭に立つ。
後ろはショウに頼み、彼等の回りを居残るガーディアンで固める。
大丈夫だとは思うが、最低限の事だけはしておきたいから。
受付前に到着すると、そこを封鎖していたガーディアンが左右に分かれて道を作る。
警備員もかなり後ろまで後退し、壁の左右に張り付いている。
物理的に通るのは問題ない。
後は、精神的な問題。
警備員の間を抜けていくのが一点。
それと、自分達だけが帰るという負い目。
「では、失礼します」
そう挨拶をして、私の前を歩き出すエリちゃん。
局長代理で、私達にも近しい存在。
その彼女が真っ先に帰っていく。
他の子達も少し表情を和らげ、遅れないようにと彼女の後へと続く。
私もすぐにエリちゃんへ追いつき、警備員を意識しつつその隣へ並ぶ。
「良いの?」
「外の様子も見ておきたいですしね」
ごく自然に答えるエリちゃん。
彼女の行動は帰って行く子達の気持ちを和らげる事につながる。
引け目、負い目を全て背負う事にも。
それに申し訳なく思いつつ、そっと彼女の肩へと触れる。
幸い何事も無く、受付を通過。
その先には数名のガーディアンがいて、ここからは彼等に後を託す。
「では失礼します」
にこりと笑って去っていくエリちゃん。
その背中に手を振り、帰って行く他の子達も見送る。
「先輩は」
列の最後尾。
ショウの前を歩いていた神代さんが、改めて尋ねてくる。
今私がいるのは、自警局の外。
すでに警備員からも遠く、このまま帰る事だって出来る。
「戻るよ。ただ、神代さんは気にしなくても良いから。残る方が、むしろおかしいしね」
「おかしい」
「最悪非常のシャッターでも下ろして、みんな帰れば良いだけじゃないの。結局こういう騒ぎには、みんな血が騒ぐんだって」
それだけではないと思うが、大きな理由の一つではあるはず。
旧連合のガーディアンは大半が残っている事からも、それは裏付けられると思う。
名残惜しそうに帰って行く神代さん。
意外と気にするタイプなんだなと思いながら、小さくなっていく背中を見届け自警局へと戻る。
ただ出るのは良いが、入るのは制限したい様子。
警備員が、それとなく行く手を遮り出す。
さて、どうしたものか。
結局、小細工はせず堂々と入る事にした。
変な動きをすれば、向こうも過敏に反応をする。
だとすれば、胸を張って入ればいい。
ここは、私の学校なんだから。
「戻るよ」
「どうやって」
「普通に、受付を通って」
「ふーん」
何かを言いたそうに頷くショウ。
それは分かっているが、もう決めた事。
迷っていると、私自身の考えも変わってしまう。
スティックを背中へ戻し、軽く身なりを整え受付へと戻る。
警備員は一斉にバトンを構えるが気にしない。
廊下の左右から伸びてくるバトン。
それを上に眺めつつ、黙って受付前を通り過ぎる。
ここで襲われるようならそれまで。
別になされるがままにされるという意味ではなく、私も考え方を変えるというだけ。
その場合は一直線に長官を目指す。