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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第45話
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45-8






     45-8




「おはよう」

 普段通りの穏やかな挨拶をしてくるモトちゃん。

 私に襲いかかってくる事は無いし、かといって過剰に優しくもない。

 昨日は昨日、今日は今日。

 ずるずると引きずる事は無いようだ。

「誰が悪いのか、一度じっくり話し合いましょう」

 私の背中を睨んでくるサトミとはかなりの違い。

 でもって私の机には、書類の束あると来た。

 この辺の棒グラフとか俳句とか、一体どういう意味があるのかな。




 サトミのプレッシャーを受けている間に、村井先生が到着。

 彼女は全員が揃ってるのを確認し、黒板に文字を走り書きした。

「一日長官が見学されます」

 当然のブーイング。

 私は予感をしていたので、特に反応はしない。


 担任が学校のオーナー家であり、校長の妹。

 クラスには長官の先輩の娘がいる。

 教育庁が特別待遇を指定する生徒も、私の背中を睨んでる。

 むしろ、ここを選ばない理由が無い。

「色々不満はあるでしょうが、今日一日我慢して下さい。それとくれぐれも失礼のないように」 

 私へ注がれる視線。

 それにはもう慣れたので、反応はしない。

 失礼があった時、困るしね。

「……ふざけた生徒は退学させるので、そのつもりで」

「はは、助かった」

 後ろから聞こえる笑い声。

 バインダーが飛んでくるのも無理はない。



 一時限目は古典。

 また源氏物語か。

 文学作品としては一流でも、倫理的にこれを高校の教材にして良いんだろうか。

「刹那的な生き方と無常観。源氏物語の根底には、そんな要素も含まれています」

 源氏物語の原本を振りながら話す先生。。

 そうかな。

 不埒な男の生き様が含まれてるだけじゃないの。

 ただそれは、私の意見。

 大多数の人間の考えではない。

「彼は己の不遇を気に病む事があるのですが、臣下に下ったとはいえ元は皇子。また不義の末に生まれた冷泉帝にも優遇され、端から見れば何不自由ない暮らしをしている訳です。それでも彼は満たされ無い。それは何故か」

 さあ。

「過ぎたるは及ばざるがごとし。権力を得ようと地位を得ようと、莫大な財を残そうと、それが全てではありません」

 淡々と語る古典の先生。

 権力者が見学してるのに、良く平気だな。

「有り余る力を持ちながら満たされない。それ先程述べた、無常観とも繋がってくる訳です。源氏物語ではないですが、祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。これは平家物語の冒頭。意味について興味のある方は、皆さんで調べてみて下さい」



 古典が終わり、一旦休憩。

 調べるのも面倒だし、調べなくても詳しい人は身近にいる。

「結局なんだったの」

「おごれる平家も久しからずと言うでしょ。どれだけ頂点を極めようと、いつかは没落するという意味よ」

「おごってないけどね、私は」

 おごるほど頂点を極めた経験がないし、そもそも下から数えた方が早いくらい。

 慎ましやかに生きるのが、私には合っている。

「ちなみに祇園精舎は、インドの寺院。お釈迦様が説法を行った、信者から寄進を受けた土地を指すの」

「ふーん」

「昔アンコールワットと勘違いして調べに行った人もいたけれど、そもそもアンコールワットはカンボジアだから」

 なるほどね。

 とはいえ私は学内でも迷うくらいなので、インドとカンボジアを間違えた昔の人を笑えない。



 教室の後ろで、古典の先生と話し込んでいる長官。

 雰囲気は至って穏やか。

 いかにも視察、見学と言った所。

 いきなり演説を始める事は無く、落ち着いた大人の振るまいである。

 これが普通といえば、そうなんだろうけど。



 2、3、4時限目と、何もなく授業は終了。

 という訳で、お昼休みが訪れる。

 教室で食べる人もいるが、私達は食堂へ移動。

 カウンターの列へ並び、何を頼もうか考える。

「お勧めは」

「和食です」

 そう答え、後ろを振り向く。

 ショウの腕越しに見える、スーツの袖。

 並んでるよ、この人は。

「良いんですか」

「生徒と同じ物を食べないとね」

 もっともらしい事を言う長官。

 ただ実際は、性格から来た行動。

 こういう人が多い所を見ると、いてもたってもいられないんだろう。



 テーブルにトレイを置き、斜め前に長官を見る。

 どうして同じテーブルに座ってるのかな。

「煮物と焼き魚と漬け物。それに味噌汁。バランスは取れてるね」

 ふむふむと言いながら頷く長官。

 そしてご飯に味噌汁を掛けて食べ出した。

 食べ方は人それぞれだけど、結構ひどいな。

「……これが一番美味しい食べ方なんだよ。急いでる時は、特にね」

 急いでる時以外はどうなんだろう。

 厨房のおばさんも、こちらを鷲のような目で睨む訳だ。



 私はそういう真似はせず、あくまでも普通に食べる。

 おかずを一つ食べ、ご飯を食べ、次のおかずを食べて、ご飯を食べて、味噌汁を飲む。

 これが一番美味しいかどうかはともかく、一番普通な食べ方。

 少なくとも、睨み付けられる食べ方ではない。

「勉強が出来て、ご飯が食べられて、言う事ないですね。天崎さん」

「ああ」

 硬い表情で頷き、パスタをすする天崎さん。

 いるんだ、この人も。

「日本の教育行政は間違えていなかった。そうですよね」

「ああ、そうだな」

「調子でも悪いんですか、先輩」

「君には一生分からんよ」

 とうとう投げ出した。

 その気持ちは分からなくもないが。




 ラウンジへ場所を移しても熱く語る長官。

 どうも、食堂へ行ったのが良くなかったようだ。

 明らかに、変なスイッチが入ったな。

「午後からは課外授業だそうですよ。楽しみですね、先輩」

「私は聞いてないが」

「急遽予定が変更になったようです。守山駐屯地での見学だとか」

「ふーん」

 口調はおざなり。

 目付きは鋭いの一言。

 その先には長官がいて、明らかに彼を疑っている。

「私じゃありません。事務次官から、そちらへ行けと指示があったので」

「次官が?スケジュールの変更なんて聞いてないんだが。……警備はどうなってる」

「特に問題はありません」

 ソフトクリームを舐めながら、顔を赤くして答える女性のSP。

 天崎さんも、もう少し違うタイミングで尋ねてよね。




 守山駐屯地は同じ市内にあるが、歩いていける距離ではない。

 地下鉄か、バス。

 それか、車での移動が必要。

 ただクラス全体ともなれば、多少手間だと思う。

「お待たせ」

 スーツを着崩し、ネクタイの襟を緩めながら教室へやってくる瞬さん。

 守山駐屯地は、その名の通り軍の駐屯地。

 となれば、彼が現れるのは当然か。

「全員正門へ集合。バスで出発だ」

「どこへですか」

 事情を知らない子がそう尋ねると、瞬さんはにやりと笑って激しい勢いで黒板に文字を書き殴った。

「守山駐屯地。軍人さんの恰好良い所を見てやってくれ」

「軍には興味ないんですけど」

「なくても見るんだよ。逃げる奴は独房入りだ」

 その言葉を聞いて、頭を抱えるショウ。

 この人と彼が親子だとは、にわかには信じられない話。

 不憫としか言いようがないな。




 大きな観光バスへ乗り込み、改めて行き先を告げられる。

 独房はともかく、教育庁の指示ともなれば従う以外にない。

 従わなかった過去はあるが、それはそれだ。

「四葉、お前が運転だ」

「俺?」

「いいから走らせろ。地の果てまでな」

 何を言ってるんだか、この人は。


 それでもショウは素直に運転席へ座り、座席とミラーを合わせてエンジンを始動させた。

「窓の外は見るなよ。いつ銃撃されるから分からないからな」

「玲阿さん、少し落ち着いて」

「俺はいつでも冷静ですよ。あー、ライフル持ってくれば良かったな」

「玲阿さん、本当に落ち着いて」

 やつれた顔で頼む天崎さん。

 その名前が出たところで、ようやく彼とショウが親戚。

 もしくは親子と気付く人も出てくる。

 知ってる人は知ってるが、実際に前大戦の英雄を見るのは初めての人も多いだろう。

「顔は良いけど、無茶苦茶だね」

「雪野さんみたい」

「ああ、俺もそう思った」

 思わなくて良いんだってば。




 昼間とあって、道路は比較的空いた状態。

 渋滞はなく、信号待ち以外はスムーズに走っていく。

「大丈夫?」

「問題ない」

 大きいハンドルを器用に回して交差点を右折するショウ。

 私なら回す事すら難しく、多分その間に足がアクセルから離れると思う。

 ともかくバスは滑らかに右折して、少し狭くなった路地を器用に走っていく。

「意外に慣れてるね」

「一度走らせれば、大体の感覚は掴める」

「ふーん」

 私は正面の視界も保てないので、感覚もなにも無い。


 ちなみに私がいるのは、運転席の隣の補助席。

 普段はおそらく、バスガイドさんが座るような場所。

 空いてる席がないからって、補助席もどうかと思う。

「ユウ、膝の上に座る?」

 相変わらず優しい事を言ってくれるモトちゃん。

 負担とは思うが、補助席の座り心地はいまいち。

 モトちゃんの膝の上とは比べものにならないだろう。



 という訳でショウの後ろに座っていたモトちゃんの膝に腰を下ろし、靴を脱ぐ。

 脱いだのはくつろぐのもだが、足が宙に浮くため。

 体型が冗談抜きで、大人と子供だからな。

「重くない?」

「全然」

 撫でられる頭。

 伝わるぬくもり。

 つい気持ちが良くて、このまま寝てしまいそうになる。

「寝るのは止めてね」

 鋭く釘を刺された。

 そこまでは甘えてはいけないようだ。




 いけないけれど、そこはそれ。

 気付くと完全に眠っていた。

 でもって地球が傾いていた。

 いや。傾いているのは、私の方か。

「あー、よく寝た」

 体を起こし、伸びを一つ。

 モトちゃんの膝から降りて、靴を履く。

「いつから寝てた?」

「止めてねって言った後」

 まさに一瞬か。

 しかし寝てしまった物は仕方ない。

 前向きに生きていくんだ、私は。

「それで、もう着いた?」

「もうすぐ。サトミに謝ったら」

「謝るって、どうして」

 そう言って隣を見ると、膝の上でタオルを畳んでいるサトミと目が合った。

 敢えて何も言わないところが、地味なプレッシャーとしてのし掛かる。

「大丈夫。全然濡れてない」

「自分で言わないで。それと、耳鼻科に行きなさい」

「絶対嫌。死んでも嫌」

「死んだら行けないでしょう」

 そんな冷静に言わなくても良いでしょう。



 痛いのは苦手だし、検査も好きではない。

 大体よだれが垂れるだけで、私は何も困ってはいない。

 そうい自分に言い訳をして、口元を軽く拭う。

「……着いたみたいね」

 窓の外へ視線を向けるモトちゃん。

 長い塀が途切れ、銃を持った歩哨が二人ゲートの前に立っている。

 私の知る日常とは違う、物々しい雰囲気。

 すると瞬さんがバスのドアを開け、そこから顔を外へ出した。

「お待ちしておりました。玲阿中尉」

 姿勢を出し敬礼をする歩哨。

 この時ばかりは瞬さんも真面目な顔で返礼し、ゲートを開けるよう頼む。

「今日は、例のあれが来ておりますが」

「そのために来たんだ。言ってやれよ、人間には敵わないって」

「掛け率は、1:5で向こうが高いですよ」

「馬鹿だな。俺は有り金全部、自分に賭けたぞ」

 聞けてくる馬鹿げた台詞。

 何に対して掛けているのか知らないけど、有り金全部掛ける時点で破滅してるんじゃないのかな。



 駐屯地内のロータリーに止められるバス。

 クラスメートは若干緊張気味にバスを降り、小さな建物の前に整列をした。

 すると建物から軍服姿の男性が数名現れ、やはりショウへ敬礼をする。

「お待ちしていました。しかし、本気ですか」

「熊よりは弱いだろ」

「いや。強いですよ」

「お前は知らないんだ。熊がどれだけ強いのか」

 大抵の人は知らないと思うけどな。

 まあ、いいか。


 その後に出てきたのは、白衣姿の男性達。

 私のスティックを作ってくれた技官の人達である。

「本気ですか」

 繰り返される同じ台詞。

 戦車とでも戦うつもりなのかな。

「何やるんです?」

「後のお楽しみ。まずは軍人さんの訓練を見学しようか」

 ジャケットを脱ぎ、肩を回し出す瞬さん。

 この人も、どう見ても良くない兆候を示し出した。

 普段からこんな調子だとは思うけど、それをさらに輪を掛けた感じ。

 良い要素が全くもって見当たらない。



 隊列を組んでグラウンドへ移動させられる私達。

 場所が場所だけに、全員かなり緊張気味。

 道の脇には装甲車が止まっていたりして、日常とは違う異質な空気を醸し出している。

 普通に生きていれば装甲車を見る機会などなく、この場所。

 この状況が違うのだとは思う。


 建物の前に立たされ、ポールを見上げる私達。

 すると軍服を着た数名の男女が現れ、大きな旗をポールにセットしてそれを掲揚し始めた。

 当たり前だがポールは、こういう用途に使う物。

 人を吊す道具ではない。


 ただ非常に気になるのは、旗の図柄。

 どこからどう見ても、しゃちほこが描かれている。

「何、あれ」

「第10師団のシンボルマークでしょ」

 さらりと答えるサトミ。

 確かにここは、まず正門からしてしゃちほこが鎮座してる。

 戦車や装甲車にもしゃちほこは当たり前。

 兵士の肩にも、しゃちほこのマークが張られている。

 それが掲揚されるというのは、色々複雑な心境でもある。



 しゃちほこ。

 ではなく師団旗の掲揚も終わり、胸に略章をたくさん付けた鋭い雰囲気の男性が私達の前へと進み出た。

「師団長に注目っ」

 突然の大声。 

 びくりとするクラスメート達。

 止めてくれないかな、こういうのは。

「瞬、静かにしろ」

「それは失礼。全員、半分聞き流せ」

「……そういうのも止めろ」

 苦い顔で瞬さんを睨む師団長。

 本当この人って、英雄だったんだろうか。


 まずは咳払い。

 少しの間を置き、師団長は務めて表情を和らげ話し始めた。

「突然こんな場所へ連れてこられて戸惑っているかと思います。ただ軍と言っても、我々も皆さんと同じ人間。当たり前のように学校へ通い、高校生活も過ごしてきました。今もその思い出は、我々一人一人の胸に残っています」

「今大佐殿が、良い事を言ったぞ」

 馬鹿げた合いの手。

 しかし師団長も馬鹿らしくなってきたのか、注意もしない。

「日頃こういった場所に足を踏み入れたり兵士を見る機会はないと思うので、短い間ではありますが彼等の姿を見ていって下さい」

 敬礼する司令官。

 場の雰囲気が影響したのか、それに釣られて何人かが敬礼で返礼する。

 気持ちは分からなくもない。



 グラウンドに出てきたのは兵士の集団。

 一糸乱れぬ隊列を組んでいるが、全員かなりの重装備。

 背中には大きなリュック、肩にはライフル。

 腰や膝にもバッグが取り付けられている。

「散開」

 静かに告げる司令官。

 即座に全方向へ走り去る兵士達。

「4列縦隊」

 今度は全員が密集し、縦列隊形。

 司令官が手を前に振ると、その体勢のまま走り出す。


 すぐに列を作るのもそうだが、彼等は全員重装備。

 訓練の成果と言ってしまえばそれまでだが、そう簡単に真似の出来る事でも無い。

 体力は勿論、強固な意志が必要。

 日々を漫然と生きている私からすれば、考えされられる光景である。


「耳をふさぐように」

 何がと思った途端の大音響。

 隊列の最前列の兵士が片膝を突いての一斉射撃。

 空砲だとは思うが、それこそ空気が震えるような音。

 これを聞くだけで逃げ出す人がいてもおかしくはなく、撃ち合いながら戦うなどとてもではないが信じられない。

「建物へ注目」

 もはや反射的に振り向くクラスメート達。

 すると建物の屋上からロープが垂れ下がり、装備を付けた兵士が一斉に降りてきた。

 ロープと言っても、本当にただのロープ。

 私やショウが使っている特殊な器具ではなく、あくまでも普通のそれ。

 まさしく自分の腕一つで降りてくる訳で、精鋭という言葉が自然と思い浮かぶ。




 クラスメートが呆然としている間に演習は終了。

 戦車が装甲車が砲撃をしながら目の前を過ぎていけば、誰でもこうなるだろう。

「すごかったね、今のは」

「そうだね」

 自然にそう答え、違和感を感じて後ろを振り向く。

 違和感ではなく、馴染んだ感覚かな。

「お父さん」

「やあ」 

 朗らかに挨拶をしてくるお父さん。

 どうしてここにと言いたいが、それはお互い様。

 お父さんも思ってる事だろう。

「社会見学で、無理矢理連れてこられた。お父さんは?」

「パワードスーツの取材にね」

「何、それ」

「あれ」



 砂塵を巻き上げながら疾走してくる巨大な兵士。

 全身が機械で覆われた、さながらロボットのような外見。

 見えているのは顔と関節の隙間から覗く手足くらい。

 SF映画ではたまに見るけど、本物を見るの初めてだ。

「北米では、すでに実戦投入されてるらしいね」

 そのパワードスーツを撮影しながら説明するお父さん。

 出版社に勤めているとは聞いていたが、こういう取材もするとは知らなかった。

「家庭菜園じゃないの、お父さんの専門って」

「そういう専門は存在しないんだけどね。元々僕の分野でないのは確かだよ。ただ人出が足りなくて、急に呼ばれたんだ」

「ふーん。でもあれって、実際はどうなの?」

「スペック表を見る限りは、まさしく映画だね。あれを装着した兵士が一人いれば、戦車とも戦える」

 大きく構えを取り、腰を落とすパワードスーツ。

 そこに突進していく軽トラック。

 まさかと思う間もなく、両者が激突。


 しかし兵士は平然と軽トラックを受け止め、逆にそれを押し返した。

 押し返したと分かるのは、トラックのタイヤが白煙を上げている事。

 そして前輪はグラウンドへめり込んでいる。 

 トラック自体が前に進んでいるのは間違いなく、しかしそれを上回るパワーをパワードスーツが発揮している。 

 戦車はともかく、人間離れした力が発揮出来るのはよく分かった。

 でもって嫌な予感もしてきた。

「瞬さん」

「どうした」

「戦うって、まさかあれじゃないですよね」

「そのまさかだよ。人間より強い生き物はないんだよ」

 平然と答える瞬さん。

 でもってあれは、どう見ても生き物じゃないんだけどな。




 せめてプロテクターくらいは着るかと思ったが、着替えから戻ってきた瞬さんは軍服姿。

 濃いグリーンの、何の変哲もない軍服。

 靴もブーツで、装備は何も無し。

 ヘルメットすら被ってない。

「本気ですか?」

「みんな分かってないんだよ。俺やユンファは、シベリアであれと戦った事もある」

「その結果は?」

「俺は生きて、この場所にいる。それが全てさ」

 思わず口を開けて頷いてしまうくらいの素敵な台詞。

 周りにいた女の子が頬を赤らめるのも無理はない。



 しかし結果自体は語られぬまま、パワードスーツと相対する瞬さん。

 彼は決して小柄ではないが、相手は2m強。

 腕や足は冗談抜きで丸太ほど。

 そしてパワーは先程見た通り。

 そもそもあれを見て戦おうと思う人の気が知れない。

「さすが、英雄は勇ましいですな」

 のんきに感心する長官。

 それに愛想良く笑うお父さん。

 二人の視線が重なり、長官の顔色が途端に変わる。

「あなた、あの時の」

「え」

「シベリアですよ、シベリア。川の手前で敵兵に囲まれた時、私を救ってくれた」

「そんな事、ありました?」

 困惑気味に首を傾げるお父さん。

 長官はその肩を掴み、激しい勢いで揺すり始めた。


「間違いありません。吉岡です、吉岡」

「いや。お名前は存じてますが。教育庁長官でいらっしゃいますよね」

「そうなんですけど。そうじゃなくて。天崎さん、教えてやって下さいよ」

「私は現場にいた訳じゃない。ただ雪野さんはシベリアに出兵してるから、どうなんだろう」

「私は、そういう柄では無いんですが」

 これはお父さんの言う通り。

 人柄の良さは私も知っているが、決してヒーロータイプでは無い。

 ただ人が良い分、そういう事をする可能性はなくもない。

 本人は意識しなくても、回りが恩義に感じる場合は特に。



 瞬さんそっちのけで、地面に絵を描き出す長官。

 お父さんも天崎さんも地面へしゃがみ、その絵に見入る。

「小川が流れてて、私達の小隊は川を越えようか橋を探そうかと考えてたんですよ。するとそこへ、北米軍が対岸から押し寄せてきまして」

 川の前で囲まれる小さな丸。

 どうやらその丸が、長官の小隊らしい。

「死ぬのか捕虜になるのか、とにかくもう終わりと思ったその瞬間」

 軽く地面を叩く枝。

 この辺は相変わらずだな。

「鳴り響く銃砲。一斉に視線を彷徨わせる北米軍の兵士達。私達は隙を見て、これ幸いと囲みを突破。何人かが怪我をしましたが、どうにか生きて逃げ帰る事が出来ました」

「……ああ、そういえばそうだったかな」

 思い当たる節があるのか、絵を追加するお父さん。


 丸の外へ、小さな丸が追加。

 それがお父さんらしい。

「確かに味方が襲われてるから、注意をこちらへ引きつけようと思いまして。ご無事でしたか」

「おかげさまで。皆さんの消息を掴もうと思ったのですが全く手がかりがなく、こちらで問い合わせても分からないとの回答しか得られなくて」

「シベリアで抑留された兵士の資料は、散逸していると聞きますからね。僕の資料も、当時のは残ってないと思います」

「あなたは命の恩人です」

 目を潤ませ、お父さんの手を握りしめる長官。

 かなり困惑しつつ、それでもにこやかに笑うお父さん。


 そもそもその時の事を覚えてない時点で、人が良すぎるどころの話ではない。

 でもって自分が捕まっているとなれば、なおさらに。 

 逃げ出せとは言わないが、子供としてはもう少し賢い生き方を選んで欲しかったとも思う。

「本当、ご無事で何よりです。抑留されていたので、ご無事ではありませんが」

「お気遣いなく。出兵した時点で、覚悟は出来ていましたから」

「何かお礼が出来ればと思うのですが。私に出来る事なら、何でも仰って下さい」

「子供達が自由に勉強出来る場所を作ってあげて下さい」 

 笑顔でそう語るお父さん。

 自分の事ではなくて、私の事でもない。

 あくまでも人のため、より広い視野での発言。

 今こそ、この人がお父さんであって良かったと思う。

 雄叫びを上げながら、パワードスーツを投げ飛ばしてる人ではなくて。




 シャワーを浴びて着替えを済ませ、ロッカールームのベンチに座る。

「寝ないでよ」

 軽く肩を揺すってくる誰か。

 その震動が、むしろ眠気を誘う要因。

 意識が遠くなっていく。

「起きなさい」

 一転、かなり激しく揺すられた。

 これで寝られるなら、多分交差点の真ん中でも寝られるだろうな。

「起きた、起きた。今起きた」

 欠伸をしながら腕を伸ばし、最後に口を拭く。

 運動の後のシャワーは、とにかく堪える。

「食事に行くわよ」

 腕時計を指さしながら話すサトミ。

 もうそんな時間かと思いつつ、のろのろと立ち上がる。

「時間がないの」

「コンビニで良いよ、もう」

「レストランの予約は、もう入れてあるの」

 また難しい事を言ってくるな、この人は。


 もう一度伸びをして、意識を覚醒。

 改めて話を聞く。

「レストランって何。そんなお金無いよ」

「長官が是非とも雪野さんをご招待したいんですって」

「……恩人がどうとかって話?」

「そういう事」

 少しずつ蘇ってくる記憶。

 お父さんに戦争中助けられたという話で、名古屋に来た目的もそれが理由の一つらしい。

「堅苦しくて苦手なんだけどな、レストランとかは」

「個室ですって。逆立ちして食べたって、誰も文句は言わないわ」

 言わないだろうけど、する意味もないだろうよ。




 正門まで歩いてくると、目の前に黒塗りの車が横付けされた。

 矢加部家で見かけるのともまた違う、がっしりとした作り。

 快適に走るのと同時に、外部からの攻撃に耐えうるための設計がされているんだと思う。

「お嬢様はこちらへ」

 欠伸をしながららサトミを見上げるが、反応無し。

 だったらモトちゃんか。

「優お嬢様は、こちらに」

 指名された。

 でもって、誰がお嬢様だって。

「私、お嬢様ではないんですが」

「そう仰らずに。ささ、中へどうぞ」

 かなり強引に私を車へ押し込める長官。

 一人で乗り込むのは不安なので、車の奥からサトミとモトちゃんを手招きする。


 しかしそうして乗り込んだら、サトミが後部座席の中央。

 私とモトちゃんがその左右。

 聡美お嬢様のお供に見えなくもない。

「それでは出発致します」

 恭しく頭を下げて車を走らせる運転手。

 この手の車に良くある、走り出した事にすら気付かないスムーズな発進。

 それは車の性能もだが、運転側の技量も大きいんだろう。

「取りあえず、寝る」

 レストランに着くまではやる事も無いし、とにかく眠い。 

 いっそこのまま、明日の朝まで寝ていたいくらいだ。




 気付くと椅子に座り、目の前には細長いグラスが置かれていた。

 琥珀色の液体には泡が揺らぎ、不自然に半分くらい減っている。

「誕生日?」

 にしては、隣に座るサトミの視線が非常に鋭い。

 違うだろな、間違いなく。

「……ああ、会食」

 だけどここに座った記憶も無ければ、歩いてきた記憶も無い。

 このシャンパンだかジュースを飲んだ記憶も。

 人間、意外と何でも出来るものだ。



 どうやらオードブルは、すでに終わった様子。

 少し重めの料理が出てきて、長官が瞬さんと激しく盛り上がっている。

 なんというのか、似た者同士。

 相性は良いと思う。


 ただ肝心のお父さんはといえば、私の前で大人しくサラダを頬張っている所。

 慎ましいというか、大人しいというか。

 弾けるお父さんというのも、想像出来ないんだけど。

「長官を助けたって話、本当なの?」

「そういう事があったのは、僕も覚えてるよ。ただそこに長官がいたかどうかまでは分からないからね。違う事と勘違いされてるかも知れない」

 恩を押しつけようとか自分から主張しようとか。

 そういう事が一切無い。

 本当に人が良いというか、損をする性格というか。




 山盛りのパスタをフォークで突き、ため息を付く。

 メインディッシュはこの先で、私はこれだけで十分。

 そう考えるとイタリア料理のフルコースを普通に食べられる人は、羨ましく思う。

「優、食べないの」

「もう十分」

 巨大なお皿を隣へずらし、少しのパスタをすする。

 そういうお父さんも、パスタは少し。

 ワイングラスをゆったり傾けて、食べるつもりはあまりないようだ。

「大体お父さんが主賓じゃ……」

 突然聞こえる馬鹿笑い。

 何事かと思ったら、瞬さんがワインをボトルでラッパ飲みし始めた。

「ちょっと」

「まあまあ。お酒の席は、ああいうものだよ」

 そういって、ゆったりと背もたれに崩れるお父さん。

 この人、寝るつもりじゃないだろうな。


「少し静かにしてもらえますか」

 控えめにモトちゃんが声を掛けるが、効果無し。

 そもそも向こうの騒ぎ声が大きすぎて、聞こえていないだろう。

 サトミは何も聞こえないという顔。

 個室なので他の人に迷惑は掛けないが、だから何をやって良い訳でも無い。


 床へグラスの水を撒き、テーブルの上座へ流す。

 一度で切れ目無くそれは端の椅子まで届き、最後の滴が床へと垂れた。 

 こういう真似をするのはどうかとも思うけど、騒ぎすぎも良くはない。

 その内グラスやボトルを割るような気もするし。

「うぁっ」

 悲鳴を上げて床へ転がる瞬さん。


 理由は簡単。

 水の筋へスティックを付け、スタンガンを作動させただけ。

 電圧は低めで、心臓への負担も無し。

 それでも、悲鳴を上げるくらいの効果はあると思う。

「はは、飲み過ぎましたか」

 上機嫌でボトルをラッパ飲みする長官。

 こっちにやるのは私もさすがに抵抗があり、ただその前に瞬さんが理由に気付いた様子。

 何かを言われる前にスティックを軽く振り、先端から火花を散らす。

「ま、まあ、今日はこのくらいで。飲み過ぎは、体に良くないですからね」

「まだまだ飲めますよ、私は」

「長官、その辺で」

 控えめに声を掛けるSP。

 まだ多少は理性が残っているのか、長官は渋々といった顔でボトルをテーブルへ戻した。

「玲阿さん、また明日飲みましょう。明日」

「ん、明日?まあ、多少なら」

 いまいち歯切れの悪い瞬さん。

 別に飲むなとは言わないが、今日みたいのは論外。

 迷惑もそうだし、体に良くない。




 その後は何事も無く食事が進み、デザートのシャーベットが出てきて全ての料理が終わる。

 人が悪いのか、お酒が悪いのか。

 とにかく、飲み過ぎるのは良くないな。

「……何」

「いや。別に」

 モトちゃんから視線を外し、溶けてきたシャーベットにスプーンを入れる。

 美味しい食事も堪能して、後は家に帰るだけ。

 今日一日、楽しい時間を過ごしたと言えるだろう。

「次はどこへ行きましょうか」

 スーツを羽織りながら声を掛けてくる長官。

 あれだけ飲んで食べて騒いで、まだ何かするつもりか。

「ご厚意は嬉しいのですが、子供達は明日も学校がありますので」

 やんわりと断るお父さん。

 相手が相手なだけに言いにくいとは思うが、気負うでもなく卑屈になるでもなく言うべき事は言う。

 これが本当の大人だと思う。

「そうですか、残念だな。玲阿さんはどうです」

「い、いや。俺はちょっと飲みすぎて、体が少しふらふらするので」

 足。

 丁度水の筋が付いた右足をさする瞬さん。

 分かってくれて、助かった。




 お店を出ると、すでに車が待機。

 運転手も恭しく頭を下げてくる。

 こちらも恐縮して頭を下げ、両方でしばし頭を下げ合う。

 とことん慣れないな、こういう対応は。

「待ってましたよ」

 地の底から響くような低い声。

 こういうのには、慣れている。


 腕を組んで仁王立ち。

 刃を思わせる鋭い視線。

 天崎さんは真っ直ぐ長官を見据え、口元だけをわずかに緩めた。

「今夜は、知事とお会合があったはずですが」

「いや。そっちは面白くなさそうだったので」

「……つまらなくでも、仕事です」

「固いな、先輩は。この後、どこか行きますか」

 天崎さんの怒りを意に介さず、その肩を抱く長官。

 私なら投げ飛ばしてるか、投げ飛ばしてるか、投げ飛ばしてるところ。

 しかし天崎さんはせいぜいため息を付いただけ。

 その腕をそっと離し、車を指さした。

「まだ間に合います。乗って下さい」

「分かりました。では雪野さん、玲阿さん。また明日」

 手を振って、素早く車へ乗り込む長官。

 天崎さんはもう一度ため息を付き首を振って車に乗り込んだ。


 SPの先導で走り去る車。

 私は家に帰って眠りたいくらいで、今から仕事はしたくない。

 そこはさすがに政治家というべきか。

「玲阿さん、私達も帰りましょうか」

「ん、ああ。そうですね」

 足をさすりながら答える瞬さん。

 でもって私と目が合い、慌てて車に乗り込んだ。

「どうかしたの?」

「知らない」

 知らない訳はないが、口に出せない事もある。

 お父さんは「飲み過ぎたのかな」と言って、そのまま車へ乗り込んだ。

 本当、悪い子供だな。




 途中でモトちゃんやショウ達と別れ、私達は自宅へ到着。

 車を降りて、サトミがカードキーで玄関を開ける。

 どうしてこの子が初めに開けるのかは、全く意味不明だが。

「入らないの」 

 お土産のケーキを抱えながら振り返るお母さん。

 入らない理由は無く、しずしずと一番最後に家へと入る。



 お父さん達がお風呂へ入っている間に宿題と予習を済ませ、軽く体を動かす。

 食べ過ぎてはいないが、一日のリズムは保ちたい。

 運動不足という以前に、これは習慣。

 歯を磨いたり顔を洗うのと同じような物だ。


 軽く汗をかいた所でお風呂が空いたので、自分も入る。

 湯船に浸かると一日の疲れが全部外へ出ていく感じ。

 目を閉じると眠ってしまいそうで、今日はもう眠る以外は何もしたくない。


 咄嗟に目元に手を添え、ゆっくりとまぶたを開ける。

 白い湯気と明るい照明。

 手の平はうっすらと赤く、ボディーソープの容器は淡い青。


 視力が低下する事は最近殆ど無いが、ふとした瞬間強烈な不安に襲われる。

 安心すればするほどに。

 嫌な考えではあるが、あの感覚を一度味わうと忘れるのは難しい。



 昔のお父さんが多分、そうだったんだと思う。

 不意に汗をかき、ブランコに座って動かなくなる時があった。

 いや。あれは椅子だったか。

 記憶はさだかではないが、そういう姿を幼い頃何度か見た記憶がある。




 今は普通に生活をしているが、そういう過去を背負ってお父さんは生きている。

 戦争に苦い記憶、辛い記憶を。

 私とは比較にならない、想像も出来ない話。

 それでもお父さんは、今を強く生きている。

 その血を継ぐ私もいつかは目の事を克服し、そうやって過ごす事が出来るんだろうか。 













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