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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第6話
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6-9






     6-9




「無断撮影って、まずいですか」

 会議室を出てしばらくしたところで、不意に沙紀ちゃんが口を開いた。

 その凛々しい顔は、いつになく不安げだ。

「目的によります。例えば床に伏せっている友人にお見せするという事ならば、むしろこちらからお願いしたいくらいですが」

 柔らかい、包み込むような栗栖さんの微笑み。

 沙紀ちゃんは口元を抑え、同時に胸元も押さえた。

「丹下さんもしかして、ビデオ撮ってたとか?」

「は、はは。優ちゃんや玲阿君は、性格的にそういうのしないなと思って」

 私の場合は、しないんじゃなくて思い付かないんだけどね。

 その辺の言い回しは、彼女の気遣いだろう。


「相当ケイに感化されてるな」

 ククッと笑い、端末をワイヤレスリンクさせるショウ。

「うん、綺麗に撮れてる。声もクリアだし、それに視点が高くていいよ」

「ありがとう。それでは、彼女に見せて上げてもよろしいですよね」

「ええ、勿論です」

 優しくクリスチナさんが微笑んだところで、ケイが壁に手を付いた。

「ちょっと、浦田」

「大丈夫、単に寝不足だから。鎮痛剤の副作用もあると思う」

「いいから、あなたも休みなさい。ごめん優ちゃん、遠野ちゃんに渡しておいて」

 私にDDを手渡し、ケイに寄り添う沙紀ちゃん。

 彼は首を振り、距離を置いた。

「大丈夫だって。寮なんてすぐそこだから」

「うだうだ言わないの。みんな、また後で。シスター・クリス、栗栖さん。失礼いたします」

 よろつき気味の男の子を支え、彼女は足早に先を急いだ。

「あいつも、何無理してんだ」

「男の子だからじゃないの」

「なるほどね」

 何故かそれで納得してくれるショウ。

 何を納得したのかは、全然分からないけど。



 その後も色々とあって、気付けば夜になっていた。

 キッチンからは、いい香りが漂ってくる。

 程良い温もりとみんなの笑い声の中、その香りが胸を満たす。

 私の好きな瞬間だ。

「はい、どうぞ」

 クリスチナさんが、大きな皿をテーブルの上に乗せる。

 私はそこに乗っていた揚げ物を取り分け、サトミの前に置いた。

 衣には例のパンを使っているという、色々意味深い物でもある。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 ヘヘッと笑う私達。

 キッチンでは栗栖さんを、モトちゃんが手伝っている。

 クリスチナさんも。

 テーブルに付いているのは私とショウ、沙紀ちゃん、そしてケイ。

 ショウのおじさん達がさっき来たんだけど、今は名雲さんとどこかへ行っている。

 なんでも、彼のお父さんと戦友だったとの事。

 複雑な話があるらしく、私達は遠慮してここに落ち着いている。


「私は、そろそろ限界」

 箸を置き、テーブル狭しと並べられた料理にため息を付く。

 美味しそうではあるが、入る場所がない。

 神様は何を思って、私を小さく作ったのかな。

「残す程作っては、問題ではないのですか」

「食べ盛りの子供がこれだけいるんです。それに、誰かのために作るというのは楽しいですから」

 笑い声と共に、栗栖さんの答えが返ってくる。

 サトミは彼女の背中に会釈して、ぎこちなく怪我した右手を動かした。

「はい、どうぞ」

 するとクリスチナさんが手ずから、サンドイッチを口に持ってきてくれる。

 最初はためらっていたサトミも、今はごく自然にそれを受け入れている。

 過保護ではなく、それがシスター・クリスだから。

 困った人の力となり、共に生きるのが彼女だから。

 恩着せがましさよりも前に、その気持ちが伝わってくる。

 サトミが何故彼女をあそこまで崇拝し、愛して止まないのか。 

 今の光景を見ているだけでも、その理由が分かる。


「自分で食べたら」

 笑いつつサラダを食べるケイ。

 彼も右手を怪我してるけど、左利きなのでさほど問題ない。

 どっちにしろ不器用なので、ぽろぽろ落とすけど。

「慈しみと労りの心を持ち人と接するのは、恥ずかしい事ではありませんよ。それを受け入れるのも」  

 ケイのからかいなど、露ほどにも感じさせないクリスチナさんの答え。

 さすがの彼も会釈だけを返して、この場をやり過ごした。

「さて、取りあえずこれで終わり。後はデザートがあるから」

「私達も、一休みしましょう」

「はい」

 ようやくテーブルに付くモトちゃんと栗栖さん。

 サトミは丁度、栗栖さんとクリスチナさんの間に収まる格好となる。

「場所取られたな、モト」

「いいわよ、ショウ君の隣だから」

 慌てそうになったら、その前にモトちゃんが「冗談」と目で言ってきた。

 分かってるけど、分かってないから。


「本当に申し訳ありませんでした。うちの子のために、皆様にはご迷惑をお掛けして。それに今回の事件自体、財団のSPや幹部が絡んだ事。どれだけ謝っても、済む事では無いと分かっています」

「いいんです。私達は、自分の意志で行動したに過ぎませんから」

「ありがとう、遠野さん。あなたに言って頂くと、私も気が休まります」

 サトミの手を優しく握りしめる栗栖さん、そしてクリスチナさん。

 暖かな、強い絆がそこには感じられる。

 血のつながりは無いけれど、でも確かなつながりが。

 胸が熱くなる。

 こうしてサトミには、たくさんの人が付いている。

 彼女達をそう呼ぶのは失礼かも知れないけど、家族が。

 本当に、よかった。



「あの、俺も怪我してるんですけどね」

「あ、そうでした」

 ケイの突っ込みにころころと笑うクリスチナさん。

 白のシャツとジーンズに着替えているので、気さくなお姉さんといった雰囲気だ。

 とても綺麗な、という但し書き付きのね。

「でもあなたは、空港で問題を起こした方ですので」

「え?」

 知ってたのか。

 もしかしてと思ったけど、やっぱり。

「SPや軍の方を止めたのは私ですので。その点はお忘れなきよう」

「失礼致しました」

 大げさに頭を下げるケイ。 

 どっと笑う私達。

 その中で一人、ショウが神妙な面持ちである。 

 そして彼が、ぽつりと洩らした。

「あの、シスター・クリス。いえ、クリスチナさん」

「はい、なんでしょうか」

「……この間は、失礼な事を申し上げて申し訳ありませんでした。俺こそ謝らなければいけないと思っていたのですが、その機会が無くて」

 クリスチナさんは手を軽く振り、彼を制した。

「理不尽なのは、私の方でしたから。勿論怒れてはきましたけど」

 冗談めいた口調。

 ショウを見つめる眼差しは、どこか寂しげに見えた。

「あのくらいはっきり仰ってくれないと、私も気付きませんでしたから。自分の意見が簡単に通ってしまう事に。また、自分の力の大きさに」

「いえ、そこまで深い意味は。それに、結局は俺の勘違いでしたし」

「別な意味が、あるんですよね。私の警護をお断りになったのは」

 押し黙るショウ。

 くすっと笑ったクリスチナさんが、さらに続ける。


「あなたにとって人を守るという意味が、どれだけの重みを持つのか。私なりに考えたつもりです。あなたのお父上の話を拝聴して、その思いはより確かな物になりました」

「いえ」

「それについてはともかく。あなたはたやすく、人を守る人ではない。職務としてはまた別ですが。だからこそ、あなたに守られている人が羨ましく思えます」

 最後の方はとても小さい声で、少し離れていたショウに届かなかったかも知れない。

 伏せ加減だった眼差しが上げられた時には、朗らかな笑みがあったけど。

 その気持は、私には痛いくらい分かった。

 ショウに守られている、私には……。



 やがて食事も終わり、テーブルにはお茶とお菓子が並べられている。

 余った食べ物は、また明日食べるという楽しみのためにラッピング済みだ。

 誰の楽しみって、私の。

「今日は私が泊まりますから、何かありましたら遠慮なく仰って下さい」

「い、いえ。そこまでして頂く程の怪我ではありません」

「そう仰らずに。まずは、頭を洗いましょうね」

「あ、あの」

 戸惑うサトミを、半ば強引にバスルームへと連れて行くクリスチナさん。

 少しして笑い声が聞こえてきたので、安心した。

「妹くらいに思っているんでしょう。クリスチナは」

「そうなんですか?」

「普段周りは大人ばかりで、慰問する際はどうしても崇拝の対象になりますからね。でも遠野さんの場合は、親愛に近い感情をクリスチナに抱いて下さるようです」

「妹、か」

 優しく微笑むショウ。

 そのまま私と、目を合わせる。

「ん、何。私の方が小さいから妹だって?」

「そこまでは言わない」

「言ってるような物じゃない」

 私も笑って、包帯の巻かれていない方の肩を軽くつつく。


「あ、あの。この前サトミが叫んでた、グルーピとかいうのはどういう意味なのでしょうか」

 適度な刺激がくすぐったいのか、笑いながら尋ねるショウ。

「ああ。遠野さんがクリスチナに言ったという。私もロシア語はあまり得意ではないのですが、単語としての意味は分かります」

 言葉をため、笑い声の絶えないバスルームへ眼差しを送る栗栖さん。

 紛れもない、母親としての表情で。

「глупышка.でしたよね」

「ええ」

 彼女の顔がさらにほころび、おかしそうに口元を押さえる。

「簡単に言えば、「馬鹿」という意味です」

「え?」

 言葉に詰まる私とショウ。 

 それにも笑った栗栖さんが、説明を続ける。

「ただし親愛の情を含んだ言葉で、お馬鹿さんくらいの意味合いですけど」

「は、はあ」

「クリスチナは罵倒には慣れていますが、そんな事を言われた経験が無いと思うのです。だから余計、遠野さんには親しみを覚えているのでしょう」

「うーん」

「しかし、言うか普通」

 全く呆れるというか、感心するというか。

 その知識ではなくて、度胸の方に。


「困った女だ。言葉を選べ、言葉を」

「浦田は、行動を慎んだら。ガムで停学なんて、恥ずかしい」

「丹下こそ、言葉を選べ。馬鹿発言は、サトミだけじゃないだろ」

「何もしないのが一番」

 そう洩らし、二人に睨まれるモトちゃん。      

「済みませーん。ボディシャンプーの替えをー」

「あ、はい。今行きます」

「逃げたな」

「飲んだくれ姉さん、覚えておいてよ」

 沙紀ちゃんとケイの鋭い視線が、逃げるように席を立ったモトちゃんの背中に突き刺さる。

 それでも彼女は棚の奥にあったボディシャンプーをたやすく見つけ、それを持っていった。

 何と言っても、元祖お姉さんだから。


「皆さん世話焼きだ事で」

「なんなら、あなたは私が洗って差し上げましょうか」

 暖かな笑顔を向ける栗栖さんに、ケイは失礼のない程度に手を振った。

「利き腕は大丈夫ですから。それより、サトミの方をお願いします」

「自分の事よりも、彼女を気遣うんですか?」

「兄の婚約者みたいな人ですので、多少は」

 いつになく真剣な、そして素直な表情。

 でも、彼らしい発言ではある。

「血縁は無くても、そういう気遣いが出来るんですね」

「それは栗栖さんも同様でしょう。俺は血のつながりよりも、精神的なつながりが大事だと思ってますよ……。っと、俺らしくない発言だったかな」

 今のは鎮痛剤のせいではない。

 きっと栗栖さんと話す事で、彼の本心が現れたのだ。

 普段は心の奥にあり私達の目に触れない、彼の優しくも現実的な部分。

 またそれを自然と引き出す栗栖さん。  

 何故彼女が世界中で慕われてきたのか、少し分かったような気がした。


「さてと、俺は帰ります。少々だるくなってきたんで」

「よろしければ、私が付き添いますよ。今度は、冗談ではなく」

「ありがとうございます。でも、そのお気遣いだけで結構です。栗栖さんは、ここでサトミの面倒を見てあげて下さい」

 笑い声の重なるバスルームへ目をやるケイ。

「娘と一緒に泊まって行けと」

「俺は、一人の方が気楽なだけです」

 後ろ手で手を振り、ぶっきらぼうだけど優しい男の子は帰っていった。

「全く、素直じゃないんだから」 

 怒りつつ、ちょっと嬉しそうな沙紀ちゃん。

 ショウは大きなおにぎりを一つ手にして、彼が去ったドアへと歩き出した。

「少し様子見てくる。別に泊まる訳じゃなくて、すぐ戻ってくるから」

「お願い。何かあったら呼んで」 

「ああ」

 仕方ないなという顔で後を追うショウ。

 普段色々言ってるけど、結局は気になるらしい。

 ショウはショウで素直じゃない。


「沙紀ちゃんは行かなくていいの?」

「本人が大丈夫って言ってるから。駄目なら自分で言ってくるわよ」

 端から聞けば冷たい意見に聞こえるかも知れないけど、彼を知る人間からすれば十分納得出来る答えだ。

「あなた達は、皆さん仲が良いんですね」

「まあ、そうです」

 照れもせず、素直に頷く私。

 沙紀ちゃんは、ちょっとはにかみ気味に頷いている。

「私から見ていても羨ましく映るくらいです。クリスチナが思わず羽目を外したくなったのも、無理ありませんね」 

「子供っぽいのが難点とよく言われます。いえ、彼女ではなく特に私が……」

「優ちゃん、またそういう事言って。その、クリスチナさんには何らかの処分が下るのでしょうか。財団や修道会、または日本政府から」

「今回のアジア歴訪は私の代理として赴いたと、各関係機関に連絡しておきました。仮に処分を受けるとしたら、それはあの子を派遣した私です」

 力強い口調、そして強く大きな愛。

 彼女の小さな手は、私達や世界中の人だけに向けられている訳ではない。

 その愛娘であるクリスチナさんにも、等しく向けられている。

 いや、親子の分だけの愛情をさらに込めて。

 リタイアしたはずの栗栖さんが、あえて自分で責任を被ろうとしている。

 それは過保護とも、やり過ぎとも言えるかも知れない。

 でも、だけど。

 もし私がクリスチナさんだったなら、素直に嬉しい。

 そして二度とそうしないよう、頑張るだろう。

 きっとクリスチナさんも、同じだと思う。


 彼女だって、一人の人間なのだから。

 私達のように、怒って笑って傷付いて。

 それでも立ち上がり、前を向く。



 何となく考え込んでいたら、いつの間にかショウが前に座っていた。

「あ、戻ってたの」

「疲れてるのか?」

「ん、少しね」

 口にする事でもなかったので、曖昧に答える。

「ケイはどう?」

「薬飲んで、今は寝てる。明日の朝にでも、また見に行くよ」

「お願い。さてと、私達もそろそろ帰ろうか。沙紀ちゃんも、もう帰ってたし」

「ああ」

 ちょっと書き置きを書いて。

 「……帰りますので、親子水入らずで楽しんで下さい 玲阿四葉・雪野優」

 うん、出来た。

 しかも、連名で。

 いいじゃないよ、名前くらいは。


 廊下に出ると笑われた。

「親子って、全員他人だろ」

「血縁としてはね」

「でも、心はつながってるって?ケイじゃあるまいし」

 自分で答えるショウ。

 からかうような笑いではなく、共感の微笑みを浮かべて。

「どうも俺達は、人の世話になってばかりだな。クリスチナさん達だけじゃなくて、モトとかさ」

「本当。たまには駄目な妹や弟達でお礼しないと」

「迷惑を掛けるような事を慎むのが、先の様な気がする」

 鋭い指摘に、足が止まる。

 でもいいんだ、自分の部屋の前だから。

 私は逃げるようにドアを開け、そそくさと中に忍び込んだ。

「今日は、トレーニングとかしちゃ駄目よ」

「ああ。ユウもな」

「うん。それじゃ、おやすみ」

「おやすみ」

 苦笑してる彼に別れを告げ、ドアを閉める。

 さてと、シャワーでも浴びるとしますか。


 ガーゼの部分を避けるのは結構大変で、昨日同様濡れタオルで大部分を済ませてみた。

 熱いシャワーを頭から浴びるあの爽快感を味わえないのは、ちょっと辛い。

 でも、この程度で済んで良かった。 

 サトミやケイはもっとひどい怪我だし、山峰さんは口にこそ出さないけどその二人以上だろう。

 早く怪我を治して、私もサトミの手助けが出来るようにならないとね。

 そういう訳で、夜更かし厳禁。

 寝る子は育つ。

 はずもないけど、寝てしまおう。

 寝ても覚めても、育たないのよ……。



 暗がりの中、ずっと天井や壁を眺めていた。

 別に、思い悩んでいる訳ではない。 

 寝る時間が早過ぎて、寝付かれないのだ。

 私以上に夜更かしの激しいケイが寝ていられるのは、睡眠作用のある鎮痛剤のせい。

 こっちはお腹一杯食べたばかりだから、体の方が頑張りますって言ってるようなもの。

 午後からは薬も飲んでないし、目が冴えているったら。

 あまりいい事じゃないけど、軽くお酒でも飲もうかな。

 ショットグラス一杯分くらいなら却って体に良いと、サトミも言ってたし。

 あの子自身は、寝酒なんてしないけどね。


 それに私だって、枕元にお酒を置いておく程ではない。

 キッチンにあるお酒を目指し、ベッドからもそもそと降りる。

 おつまみは……。

 いや、そういう問題じゃない。

 寝るために飲むんであって、楽しむためじゃない。

 なってないよ、雪野優。

 自分に怒りつつ、足元にある棚を開ける。 

 ありました。 

 モトちゃんのおじさんからもらったお酒。 

 福井の名酒、「くりや

 辛口で、美味しいんだこれが。

 でも、もう少し度数の高いお酒の方がいいのかな。

 えーと。 

 出てきたのは、この間お父さんからもらった黒ウォッカ。

 ちょっと、度数が高いか。

 出来れば、ウイスキーかバーボンが欲しい。 

 でも、ここには無さそうだし。

 仕方ない、探索の旅にでも出掛けよう。

 モトちゃんは今サトミの所だけど、飲んだくれ姉さんは彼女だけじゃない。

 そうそう。

 グラスを持っていかないと。

 変かな、これだけ持って「お酒ちょうだい」って言うのは。

 まあ、いいや。

 今さら恥の一つや二つが増えても……。



 静かにドアを開けると、視界に人影が見えた。

 いくら寝るには早いとはいえ、廊下で話し込むような時間でもない。

 人でも待ってるのだろうか。

 そう思い、人影の方へ視線を移す。 

 あれ、いない。

 何かの陰に隠れたのかも知れないけど。

 もしかして、シスター・クリスを警護する人だろうか。

 でもここへは、お忍びで来てるって言っていたはずだ。

 すると……、今度こそテロリスト?

 私は気配を消し、壁伝いに歩き始めた。

 いや、駄目だ。 

 自分一人では到底かなわない。 

 それはこの体が、一番よく分かっている。

 向こうに気付かれないように、早く部屋へ戻ろう。 

 まさか端末を傍受されてはいないだろうし、されたら相手への牽制にもなる。

 そう思って走り出そうとしたら、突然背後に気配を感じた。

 しかし殺気めいた物は感じられず、それに代わって声が掛けられる。 

 かなり遠慮気味に。

「お、俺だ」

「ええ?」


 大声が出かかりそうになったのを、無理矢理抑え込む。

 ショウはその大きな体を壁と柱の間に入れ、さらに身を小さくしている。 

 だから、無理だって。

「何してるの」

「その、あれだ。クリスチナさん達が、ちょっと気になって」

「それで、陰ながら護衛?」

 ぎこちなく頷くショウ。

 そんな事より、自分の怪我を心配する方が先なのに。

 でも、そういう人なんだよね。

「大丈夫よ。寮にはセキュリティもあるし、彼女達が持ってるセキュリティ機器も見せてもらったでしょ」

「ああ。理屈で安全なのは、俺だって分かってる」

 でもその凛々しく整った顔には、納得していないという表情が見て取れる。

「とにかく、ここじゃあなたが不審人物になっちゃうわよ。まず私の部屋に来て」


 半ば強引にショウを引き込み、明かりを付ける。

「何言っても聞かないんでしょ」

「まあな」

「もう。怪我人だっていう自覚が無いんだから」

 私は赤のパーカーと警棒を、彼の前に置いた。

「廊下にカメラを置いて、部屋の中から監視すれば。一応エアコンも付けるけど、寒かったらこれ使って」

「ありがとう……。って、これ俺の?」

「前期に借りっぱなしにしていた、あれ」 

 どういう経緯で借りたかは、恥ずかしいので口に出さない。

 ショウも何となく赤らんで、パーカーを膝の上に置いた。

「私のカメラは、下の玄関が見える窓の外に出して置くから。はい」

 端末と、その映像や情報を写し出せるポータブルのモニターを差し出す。

「お腹空いたら、キッチンにある物食べて。さっきクリスチナさん達が作った物も、ラップして置いてあるから。お茶は、冷蔵庫ね」

「悪いな。迷惑掛けて」

「私が同じ事言いだしても、ショウはそう思わないでしょ」

「まあ、そうかもしれない」

 はにかんだ笑顔に、私はグラスを……。

 あ。


「何だ、それ」

 掲げられた空のショットグラスを、真顔で見つめるショウ。

 私はそれを、彼に突き出す。

「が、頑張ろう」

「乾杯じゃなくて?」

「べ、別にそれでもいいけど」

 何がいいのかは分からない。

 ショウは、もっと分からないだろう。

「いいから。監視して、監視を。私はもう寝るから」

「電気、消そうか」

「大丈夫。暗がりで襲われたら困るもん」

「誰が襲うんだよ」

 鼻で笑って、カメラをセットしに玄関を出ていくショウ。 

 失礼な人だな。 

 そりゃ襲われたら困るけど、襲う気にもなれないっていうのもちょっと嫌じゃない。

 いや、そんな事言ってないけどね。

 あー、面白くない。

 ウイスキーはやめだ。

 缶ビール飲んで寝よう。

 寝酒じゃなくてやけ酒みたいだけど、気にしない。

 もう、どうとでもなればいいのよ。

 本当になったら困るんだけど。

 とにかく、見られてもいいような寝相と寝顔でいよう……。



 目が醒めると、カーテンの隙間から薄白い光がこぼれていた。

 まだ朝と呼ぶには弱い日差し。

 気だるげな気分が、ベッドに横たわる楽しさを高めてくれる。

 言い知れない満ち足りた気持のまま、私は顔を枕へと埋めてみた。

「ひゃっ」

 思わず飛び上がり、頬の辺りを押さえる。

 枕から、言い知れない冷たさが伝わってきたのだ。

 原因は考えなくても分かってる。

 口元から垂れているそれを、ティッシュで拭っている自分には。

 駄目、駄目。

 こんなの人に見られたら、恥ずかしいどころの騒ぎじゃない。

 ん?

 そういえば、ショウがいたな。


「はは。ちょっと恥ずかしかったね」

 キッチンの方へ声を掛けるけど、返事無し。

 玄関かな。

 そう思ってもう一度声を掛けるも、応え無し。

 どうやら、外へ行っているようだ。

 いいんだけど、それはそれで恥ずかしい。 

「あーあ」

 伸び様ベッドから飛び降り、パーカーを羽織る。

 昨日ショウに返した物じゃなくて、自分用の小さな物。

 小さな犬が背中を走り回っているのがお気に入り。

 いいの、子供っぽくたって。


 部屋の中をぐるっと見渡しても、やはりショウはいない。

 何かあって、外に出たんだとは思うけど。 

 少し気になって、私は玄関のドアを開けてみた。



 澄んだ柔らかい笑い声。

 ちょっと戸惑い気味の、引き締まった低い声。

 クリスチナさんとショウだ。

 良かった、特に問題は無いみたい。

 多分クリスチナさんが部屋から出てきたので、挨拶にでも言ったのだろう。

 安心したら、また眠くなってきた。

 後はショウに任せて、私はベッドに戻るとしよう。

 締めかけたドアの隙間から、クリスチナさんの声がする。


「でも、よろしいんですか」

 笑いを含んだ、優しい声。

「はい、お供させていただきます」

 丁寧な、それでいて真摯さのこもった声。

「前の道を少し散歩するだけですから、私一人でも大丈夫だと思うんですが」

「ご迷惑は承知で、申し上げています」

「……ありがとうございます。私はあなたにとって、信に足る人間だったようですね」

 安堵と喜びの折り重なった、クリスチナさんの透き通った笑い声。

 私はドアを閉め、部屋に戻った。


 ベッドに座り外を見ていると、二人の姿が現れた。

 全てに感謝を捧げるように、一歩一歩を大切そうに歩いていくクリスチナさん。

 そのわずか後に付き従い、周囲へ気を配っているショウ。

 白い日差しと朝もやに包まれ、二人の姿が消えていく。

 ほんの一瞬。

 朝が訪れる前の、全てが始まる前のわずかな一時。

 それが終われば1日が始まり、いつもの日常が戻ってくる。

 でも今のこの瞬間だけは、世界は二人のために動いている。

 見えなくなった二人の背中に、私はそう思った。


 いや、祈ったのかも知れない。

 神様が用意してくれた、クリスチナさんとショウの時を。

 私と代わらない、綺麗な女の子のために。

 今だけはシスター・クリスではなく、一人の男の子に恋をするクリスチナさんでいられるように。



 どうしてハンカチを欲しがったのか。

 護衛を依頼したのか。

 側にいて欲しいと頼んだのか。

 世間知らずで権威を傘にきたというのは、それを隠すためではなかったのだろうか。

 申し出を断られてあんなにも怒ってしまったのも、彼女がわがままや狭い心の持ち主だからではない。

 それはきっと、好きな子に思いが通じないのを苛立つような気持。

 他の人が否定しても、私には分かる。

 同じ思いを抱く、私には。


 だから、祈る。

 クリスチナさんが、今という時を心から楽しめますように。

 ショウが、彼女に優しく接してくれるように。

 二人が幸せでいられるように。

 同情や、自暴自棄の考えではない。

 同じ思いを抱くからこそ、彼女にも幸せになって欲しい。

 きっと彼女は思いを伝える事が無いと分かっている分、せめて今だけはその気持ちを素直に表して欲しい。


 でもそれはショウが彼女に思いを寄せないと考えている、私のずるい考えかも知れない。

 一時の、ただの出会いだけで終わる関係だと。

 それを承知で、私は祈る。

 二人が幸せでいられるように。

 心から、そう願う……。




 学校のヘリポートで別れた時も、やっぱりクリスチナさんはショウに何も言わなかった。

 どちらかといえばシスター・クリスとしての顔を見せ、彼女はヘリへ消えていった。

 ヘリの中で栗栖さんが何か言っていたようだけど、それはジェットタービンとプロペラの音に掻き消えていた。

 全てはもう過去の事で、彼女はこれからもシスター・クリスとしての人生が待っている。

 人がそれを求める限り、クリスチナさんに戻る事は無いだろう。

 私達には縁がない、別の世界へ行ってしまったような気すらする。

 ああして出会えた事自体、今となっては夢のような話だ。

 彼女はシスター・クリスとしての生活に、私達は学生へと戻っていく。

 いつも通りの日常が繰り返される。

 過ぎた日々は過去に埋もれ、いつか遠い思い出としてだけ語られる。

 それはそれで悪くない。


 けれど私は、この胸に刻む。

 いつでもその思いが蘇るように、強く刻む。

 彼女達との出会いを、出来事を、全てを。

 そして彼女がヘリの窓から見せていた狼の人形は、始まりと終わりの思い出……。




 シスター・クリスに出会えて良かったと思う。

 栗栖さんにも出会えて。 

 それと、もう一つ。

 クリスチナさんに出会えて良かった。

 私と同じ思いを抱いていた、少し大人だった少女に。

 もう会う事は無いかもしれない。 

 それでも。



 あなたがショウに抱いた思いの分まで、私は彼と共にいる。

 例え彼がどう思おうと、それは変わらない。

 私の胸には、クリスチナさんの思いが息付いているから。

 いつかこの思いを告げる日、私はあなたの思いを共に運ぶ。











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