45-4
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翌日。
お昼は食堂ではなく、内局へとやってくる。
理由は言うまでもなく、昨日の残り。
そのまま食べられそうな物は、電子レンジで加熱。
問題はこのサラダ。
ビニール袋に入れたのが失敗だったのか、とにかく見た目は最悪だな。
大きめのフライパンにサラダオイルを注ぎ、油が馴染んだ所でご飯を入れる。
押したり回したりしながら水気を飛ばし、野菜を少し。
「レタス、入ったわよ」
いちいち報告してくるサトミ。
分かってるって、私だって。
「味付けさえ失敗しなければ、大丈夫」
塩とコショウを掛け、中華スープの素も入れる。
後は昨日の残りである、唐揚げの千切り。
これからも味が出るはずで、後は私の体力次第だな。
大きいフライパンを振るうのは、さすがに無理があった。
一度仕上げた所で、あっさり限界。
後はモトちゃん達に託す事にする。
「もう終わり?夜はまだまだ、これからよ」
晴れやかな笑顔で言い放つ、髪全体にウェーブのかかったお嬢様風の女の子。
どう考えても、お昼じゃない。
「腕が疲れたの。暇なら、代わりにやって」
「私、そういうのに不向きなの」
「だったら、何に向いてるの」
「今は、自分探しがマイブームね」
何を言ってるんだか。
モトちゃんと渡瀬さん。
後は内局の子も手伝ってくれて、野菜は全部片付いた。
その分チャーハンも大量に作られ、それが次々と運ばれていく。
「どこよ、ここ」
苦笑しながら突っ込む、清楚な顔立ちの眼鏡っ娘。
確かにこれだけを見れば、中華料理屋の厨房だな。
「後はスープかな。卵といて」
「一応言っておくけど、それは内局の備品よ」
「だから?」
「本当、幸せな性格ね」
しみじみ語られた。
悪かったな、脳天気で。何も考えてなくて。
いや。そこまでは言われてないか。
スープも完成し、昨日の残りは全部片付いた。
後は洗い物だけ。
これも手早く済ませるか。
「まずは、食べたら」
おにぎりにしたチャーハンを差し出してくる、前髪にウェーブを掛けた優しげな顔立ちの子。
その厚意を受け取り、一口食べる。
唐揚げの濃い味がご飯全体に広がって、意外と良い感じ。
幸い、レタスも入ってない。
「確かに、捨てるよりは良いわね」
「でしょ」
「ただ、余るほど作る必要はあったの?」
それには答えず、卵スープを口にする。
世の中、理屈だけじゃないんだって。
多分。
食事を終えて、ようやく一息。
後は、甘い物が食べたくなる。
「お菓子も持ってきたよね」
「それは全部手配しました」
さらりと告げる真田さん。
何がと思う前に、リストが提出された。
「生徒会へ半数を納め、後はSDCと図書センターに。若干ですが、お金は戻ってきてます」
「売ったって事」
「問題でしたか」
「いや。よくやった。はは」
虚しく笑い、ポケットを探る。
しかし出てきたのは消しゴム一つ。
でもって、何で消しゴムなんだ。
予算を改めて確認。
少し足は出ているが、どうにか補えそうな金額。
そこまで私が気を病む事でも無いが。
「さて、帰ろうかな」
「どうして」
「今日はお昼で終わりでしょ」
教育庁長官を迎えるに辺り、学内の大掃除。
実際はもう来てるんだけど、公式な訪問は来週。
掃除を避ける理由にはならない。
とはいえこちらは資格停止中。
教室の掃除はもう済んでるし、特に割り当てられた部署もない。
無いはずだけど、地図がテーブルの上へと舞い降りてきた。
「私達は正門の掃除が担当」
胸を張って言い放つサトミ。
恰好良いけど、言ってる事は掃除当番でしかない。
「3年生は学校の外を掃除するの」
「あ、そう。良いけどね、窓を外から拭けと言われるより」
やってやれない事は無いが、やるなら春か秋。
冷え込んで来たこの時期には避けたい仕事。
外の仕事も避けたいが、宙吊りになって風に吹かれるよりはましだ。
「2年生は道具を揃えて、1年生はまず大きなゴミを拾いに行って。はい、素早く行動する」
インカムを付けて、どこかに指示を出しているサトミ。
こういう事には変にやる気を出すな。
「何」
「別に。それで、銅像でも磨くの?」
「そんな物、正門に無いでしょ。ユウは表札を磨いて。掃除の花形よ」
掃除の花形ってなんだ。
とはいえ逆らう訳にも行かず、正門へ移動。
すでに道具は用意されていて、ショウが手際よく雑巾を絞っていく。
私がやっても良いけど、とにかく握力不足。
だだ濡れの雑巾が出来上がる。
「……難しいな」
拭く行為自体は、別段難しくない。
雑巾を掴んで、腕を上下に動かすだけ。
ただそれは、拭く物の場所による。
つまりは、届かない。
「何か無い?」
「肩車するか」
「高くなりすぎるんだけどね」
とはいえ断る理由も特になく、ショウの背中へ飛び乗ってそのまま上へと這い上がる。
靴を脱ぎながらというのが、結構難しいな。
まごつく事もなく、ショウの肩の上へ到着。
頭に手を掛け、上の方から拭いていく。
「多年制学校法人……。多年制って何」
「多年は多くの年月、長い年月。つまり小等部から大学までの一貫教育を差してるのよ」
大きな地図を広げながら答えるサトミ。
本当、何でも知ってるな。
「草薙グループ、高等部か」
これは私も知っている。
草薙高校というのは通称。
公式な文書でも草薙高校と表記もされるが、正確には草薙グループで一旦切れる。
ただそれでは語呂が悪いので、草薙中学であったり草薙高校となってるらしいが。
しかし拭いても拭いても、いまいち綺麗になってこない。
「洗剤取って」
「力が無いんじゃないのか」
「だったら代わる?」
「無理だろ」
爽やかに笑うショウ。
私も吊られて、一緒に笑う。
澄みきった空の下。
少し冷たい風も心地良い。
「これから、いちゃついた奴は罰金取るか」
馬鹿げた事を言い出した男へ雑巾を投げる。
さすがにそれはキャッチされ、足元のバケツへと放り込まれた。
「それ、すすいで」
「他に言う事は無いのか」
「固く絞って」
文句を言うのも馬鹿らしいと思ったのか、バケツで雑巾をすすぐケイ。
またそこは、一応男の子。
固く絞られた雑巾が飛んできた。
「ありがとう。それと、洗剤」
「文字が消えるくらい強烈を使ってみようか」
陰気に笑い、洗剤を漁り出すケイ。
こういう事になると、途端にやる気を出してくるな。
「消してどうするの」
「意味は無い。強いて言うなら、消すという行為自体に意味がある。ご飯を食べる時、意味なんていちいち考えないだろ」
聞きようによっては立派な事を言い出した。
やろうとしてる事は、最低としか言いようがないが。
取りあえず普通の中性洗剤を渡してもらい、表札に噴霧。
何となく綺麗にはなったが、見違えるようにとは行かない。
「どうも、納得出来無いな」
「塩酸だ、塩酸。木之本君、塩酸」
「多分、思った程綺麗にはならないよ」
「じゃあ、硫酸。溶かせば消えるだろ。その後で、関係無い表札を埋め込んでも面白い」
確かにそれは面白そうだな。
それをやる意味とか、やった後どうなるかはともかく。
「弱酸性の洗剤でも、良く落ちるよ。無ければ、酢でも良いけどね」
「つまらんよ、そんなのは。ユウも言ってたように、後々まで残るような事がしたいね」
「面白さは求めてないのよ」
「うわっ」
珍しく、悲鳴を上げて転げ回るケイ。
サトミは彼を一瞥して、手にしていた瓶をポケットへしまった。
「何、それ」
「Na2CO3。洗剤よ」
「……何なの、結局」
「炭酸ソーダ。まあ、硫酸よりはね」
苦笑する木之本君。
ケイは腕を押さえながら起き上がり、血相を変えてサトミへ詰め寄った。
「火傷したぞ」
「寒いから丁度良いじゃない。とにかく余計な事はせず、言われた通りに行動しなさい」
「……明日の朝までやる気か」
サトミのスケジュール表を見て、そう呟くケイ。
スケジュールの終了期限は夕方。
ただ日程が、例により分刻みの過密スケジュール。
人手が倍は欲しい所だ。
「無駄口を叩いてる間に、手を動かしなさい」
「自分は何やるんだ」
「私はスケジュールの管理よ」
果てしなく不毛な会話だな。
ただ、こうしてじゃれているのもまた楽しい。
昔と変わらない、ずっとこの先も続く光景。
続くと思いたい光景、と言った方が正確か。
全員が揃っていられるのは、後半年。
時を、思い出を共有出来るのも。
こうして下らない事を言い合って、ふざけ合って、笑っていられるのも。
だとすれば、何もかもが貴重な一瞬。
永遠の思い出だ。
それはそれとして、今は掃除の時間。
表札も拭き終わり、今度は塀を綺麗にしていく作業。
どうするのかと思ったら、トラックが塀の側へ横付けされた。
そこから大きなホースが引っ張り出され、ノズル部分がショウへ渡される。
「水に洗剤が入ってるから、ブラシでこすらなくても良いわよ」
「デッキブラシで磨くんじゃないのか」
「来年までやる気?。受け持ちここだけだから、多少贅沢に使っても良いわよ」
洗剤を贅沢に使うか。
今まで、あまりない発想だったな。
勢いよく吹き出る洗浄水。
みるみる間に塀の汚れが消えていくとは言わないが、何となく色が変わった気はしないでもない。
「いつもこれをやれば良いんじゃないの」
「塀の長さを考えると、予算が確保出来ないのよ」
「だったら今日の予算は?」
「あるところにはあるのよ」
禅問答みたいな話になってきたな。
もしくは、普段はお金を隠してるかだ。
「モトちゃんいないね」
「長官のお相手よ、あの子は」
「ふーん」
穏やかな性格で人当たりも良い。
多分天崎さん以上に、接待には向いたタイプ。
適任というか、私には無理な仕事。
そもそも、何をすればいいのか分からない。
「やってますねー」
なんだろう、この声は。
でもって、目の前にいる人は誰だろう。
「建物が綺麗だと、気持ちも綺麗になってきますよね。私も良いですか」
「はぁ」
「では、失礼して」
ショウからホースを受け取り、洗浄水を塀に掛けていく長官。
誰の為の掃除だって?
彼の隣で困った顔をしているモトちゃん。
いくら穏やかで人当たりが良くて包容力があっても、こういうタイプには通じないらしい。
というか、困った人だな。
「何、これ」
「普段の生活を見てみたいって。止めたわよ、私は」
「止まらなかったの?」
「ユウが大人になったらこうなのかなと、少し思った」
思わなくて良い。
私だって、状況よっての振る舞うべき行動くらいは分かってるっていうの。
「長官、掃除はもう結構ですから」
「楽しいよ、これ」
誰も、今の気分は聞いてない。
それでも丁重にノズルを返してもらい、下がってもらう。
よく見るとスーツに水が付いてるが、そういうのは気にしない様子。
豪傑タイプかな、もしかして。
「天崎さんは?」
「仕事。逃げたのかもしれない」
結構辛辣な事を言うモトちゃん。
ただこの人の相手は、確かに結構疲れそう。
そういう選択肢があっても良いだろう。
「それで、この後は?」
「例の会合が見たいって。規則改正の」
「問題ないんじゃないの、それは」
「まあ、普通なら」
すごい答えをしてくるな。
でもってトラックを運転してるところを見ると、どう見ても普通ではなさそうだな。
話を聞きつけた職員も全員集合。
期せずして人数が増え、仕事は一気に片付いた。
もしかしてサトミがリークしたんじゃないだろうな。
「何?」
「別に。今日は大人しくしてるから」
「会合の事?今までも荒れた事は無いし、気にしなくても良いんじゃなくて」
彼女も、長官が視察する事は知っている。
知っていて、この余裕。
大物というか、物怖じしないというか。
権威とか権力に媚びる事がない。
「でも、正式な視察は来週だよね」
「こうしてイレギュラー出来た方が、本来の姿を見られるという考え方は良いかも知れない。周りは迷惑だとしても」
この場合の周りは、同行している秘書やSP。
学校の教職員。
後は、天崎さんとモトちゃんか。
「叱る人はいないのかな」
「誰よ、教育庁長官を叱る人って。内閣の一員なのよ」
その長官は、塀によじ登ろうとしてSPに止められている。
で、誰が内閣の一員だって。
ただ世の中、本当に自由な人なんて存在しない。
苦手な人、頭が上がらない人は必ずいる。
私だとサトミやモトちゃん。
当然長官にも、そういう人はいるようだ。
いつもの会議室に集まる生徒会の幹部達。
今日は長官も臨席し、自然と空気は張り詰める。
張り詰めていないのは長官だけだと思っていたが、静かに入って来た女性を見て彼の表情が一変する。
「お久しぶりです」
「ああ、どうも。元野先生……。いや、今は天崎さんでしたか」
「元野で結構です。学内では、旧姓を名乗ってますので」
たおやかに微笑むモトちゃんのお母さん。
長官は姿勢を正し、完全にかしこまっている。
まるで別人というか、街中で教師に出会った小学生のようだ。
「知ってるんですか?」
「政治家になる前、私が勤めていた学校へ来てたの。お父さんよりは、出来が良かったかしら」
おほほと笑うモトちゃんのお母さん。
控えめで、落ち着いていて、包容力があるのはモトちゃんと変わらない。
前は我慢をする人かなと思っていたけれど、多分懐の深さが根本的に私とは違うんだろう。
物の見方に付いても。
私は一瞬一瞬のみで判断してしまいがち。
その点モトちゃんはもっと長い視野で物事を捉えてる。
そのお母さんはさらに長い視野。
それこそ、数年単位で物事を見ているのではないだろうか。
かしこまったまま、会議室の隅に直立不動になる長官。
それはそれで厄介だが、机の上に乗られるよりはましか。
「では、会合を始めたいと思います。本日は見学者の方がいられますので、その点をご了承下さい」
「よろしくお願いします」
丁寧に挨拶をする長官。
身元は明かさないが、ここに集まっている人間なら誰でも知っているはず。
分からないのは、むしろモトちゃんのお母さんが。
淡々と進んでいく状況報告。
ここは結構真剣な顔となり、長官はメモを取り始める。
「仕事してるじゃない」
「猫の絵でも描いてたらどうするの」
冷ややかに答えるサトミ。
そこまでひどくはないだろう、さすがに。
というか、それは私のノートの事を言ってるのか。
「私は良いんだって、この話には興味がないから」
「どうかしましたか」
神経質そうにこちらを伺う矢田局長。
何でもないと答え、猫を手で隠す。
見えてはいないだろうけど、精神的に。
「つまらない話かも知れませんが、しばらくはお静かにお願いします」
「分かりました」
注意に素っ気なく答え、改めて猫を描く。
せめてこのくらいはしないと、やっていられない。
何をしにここへ来てるかは、ともかくとして。
「では本題に入りたいと思います。以前より継続して議論している、規則改正問題。これに対して、何かご意見のある方は。……どうぞ」
指名されたのはモトちゃんでもなければ、新妻さんでもない。
会議室の隅に立っていた長官だ。
「もう少し詳細に、状況を説明してもらえますか」
「分かりました。現在草薙高校では規則。他校で言う校則の改正を行っている所です。それについてどういった規則が順当であるかを、生徒同士で話し合っています」
「対立する意見があると考えて良いのでしょうか」
「ええ、まあ」
曖昧にごまかそうとする矢田局長。
しかし対立する意見には何もなく、つい机を叩いてしまいそうになる。
それはさすがに思いとどまり、取りあえず長官の質問を聞くと話に聞く。
私達からすれば、十分理解している内容。
ただ初めて聞く人にとっては、ある程度の説明が欲しい所だろう。
メモを取りながら熱心に質問をする長官。
さすがというべきか、当然というべきか。
ただふざけているだけの人ではなかったようだ。
「つまり規則を強化する側と、より生徒の自主性に任せる側の対立ですか」
「そういう解釈もあります」
なおも言いつくろう矢田局長。
学内が揉めてる事を知られたくないのかも知れないな。
「となると生徒会が、規則強化ですか」
「遵守、です」
「そう、遵守。すると元野先生の娘さんは、自主。自治を重んじる立場ですか」
「ええ、まあ」
やはり曖昧に頷く局長。
ただ話は、ここで終わりはしない。
「元野先生の娘さんは、どういう立場でここに参加されてるんでしょうか」
当然の疑問。
矢田局長が答えるより早く、モトちゃんが口を開く。
「一生徒としてです」
「そういう方は、他にいらっしゃいますか」
反応は無し。
ここにいるのは、全員生徒会の幹部かそれに準ずる立場。
モトちゃんの言う一生徒の立場で参加している者は、誰もいない。
「どうして彼女達だけ、そういう立場での参加なのでしょうか。これは学内にそういうムードが高まっていて、彼女達が代表として選ばれてるんですか」
「違います。彼女は自警局局長です」
「ですが、一生徒と言うのは」
「現在自警局は、活動を停止するよう命令を受けています」
やはり先に答えるモトちゃん。
矢田局長は露骨に不快な顔をして、彼女を見つめる。
「何が問題でも」
「何でもありません」
「資格停止。草薙高校は、未だ争乱状態が続いてるようですな」
メモを取りながら頷く長官。
矢田局長は勢いよく立ち上がり、血相を変えて話し始めた。
「そ、そうではありません。活動停止というのは一時的な措置です」
「生徒会の内紛ですか」
「い、いえ。そうではなく。あくまでも限定的な措置。組織改革に伴う、暫定的な措置。対立している訳ではありません」
あっさりと活動停止を撤回する矢田局長。
これは拍子抜けというより、馬鹿らしい限り。
結局彼の胸先三寸で全てが決まってるんじゃないのか。
ただ活動停止が解かれたのも確か。
長官が私達。
天崎さんの娘であるモトちゃんを助けてくれたのか、単なる偶然か。
それとも政治家は、疑問についてはとことん追求しないと気が済まないのかも知れない。
「今日は時間がないため、後日改めて会合を行いたいと思います」
強引に終了させる矢田局長。
言いたい事はいくらでもあるが、時間が欲しいのはこちらも同じ。
活動再開ともなれば、仕事の一つや二つは私にもある。
「自警局って何」
一転、くだけた口調で尋ねてくる長官。
間違いなく、これが地。
探求心と言うより、好奇心の類だな。
「生徒の自警団とお考え下さい。自治を標榜する以上、治安は生徒が守るべきだと我々は考えていますので」
そつなく答えるモトちゃん。
長官はメモを取らず、ただ頷くだけ。
こうなると、さっきのメモも怪しいな。
結局自警局にまで付いてくる長官。
言いたくはないが、暇なのかと思ってしまう。
「しかし生徒の自警団か。昔は考えられませんでしたね、元野先生」
「そうかしら」
気のない返事をして受付の前に立つモトちゃんのお母さん。
その視線の先にはモトちゃんがいて、大勢の生徒に指示を出したり意見を求められている。
私からすれば見慣れた光景。
当たり前の光景と言おうか。
ただ彼女にとっては、初めて見る姿なのかもしれない。
「あの子って、ああいうタイプだったの?」
「家で話しません?」
「たまに役職へ付いたとか、そういう事を聞くくらい。私はもっとこじんまりとした組織だと思ってたから」
ため息を漏らしながら話すモトちゃんのお母さん。
確かに組織としての規模も所属する人数も、相当な物。
また自警局はガーディアンを抱えているため、他の部署より人数は多い。
娘を過小評価している訳ではないだろうが、実際働いている姿を見ると圧倒されるのかも知れない。
「あの子、大丈夫かしら」
「大丈夫すぎる程ですよ」
くすくすと笑うサトミ。
私達からすれば、モトちゃんでない方が大丈夫ではない。
適任者は他にもいるとは思うけど、誰がリーダーかと言われれば彼女の名前が真っ先に挙がる。
「聡美ちゃんの方が向いてるのではなくて?」
「無い、無い。それはない」
そう答えた途端、すごい目で睨まれた。
だって、本当の事じゃないよ。
そんな私も、いつまでも遊んでる訳には行かない。
別段やる事は無いが、せめて装備品くらいは手入れをしたい。
最初は、やはりスティック。
普段から持ち歩いているしチェックはしていても、初めはやはりこれだ。
まずは一旦、全部解体。
重りの位置を確認し、中を清掃。
駆動モーターについては使う機会がないし、下手に触りたくないので放っておく。
基本的に電子機器はメンテナンスフリー。
何より知識がないので、迂闊に触る方が怖い。
「これの世話になったというか、無かったらどうしてたんだろう」
「無いなら無いなりにやってるさ」
私の頭に手を置いて笑うショウ。
こういう時の私は、内向的になりがち。
その事を少し気にしてくれたのかも知れない。
「たまには、警棒でも使ってみようかな」
「大丈夫か」
「何が」
「いや。何でもない」
多分、失礼な事を思い出したいんだろうな。
でもって、本当に大丈夫かな。
まずはフォルダーを腰に装着。
この時点で、サイズが合わない。
「ウエストが細いんだろ」
好意的に解釈してくれるショウ。
それはどうかなと思いつつ、シャツを縛って厚みを作る。
どうにかフォルダーは固定。
少なくとも、ずり落ちる事は無くなった。
次に警棒をフォルダーへ差し入れる。
その途端、右側へ傾ぐ感覚。
スティックよりも確かに重いが、普段体の横へ付けて無いせいもあるだろう。
まずは試しに、数歩歩く。
そのたびに警棒が足へ当たって、歩きにくい事この上ない。
ただ昔のように、引きずるのではというほど長くはない。
いや。警棒の長さは変わらないか。
「取りあえず、歩けるには歩けるか」
歩ければ良い物でも無いが、昔よりはましだ。
次は、スティックを抜いてみるか。
抜こうとは思った。
半分は抜けた。
ただ私のリーチとフォルダーの長さが噛み合わなかった様子。
全部抜ける前に、腕が伸びきった。
「駄目だ、これ。背中に付けよう」
「付くのか?」
「スティック以外も装着出来るとは聞いてる」
背中へ手を伸ばし、警棒をアタッチメントに装着。
今度は背中が重くなる。
「バランスが悪いな」
「そんなに重くないだろ」
「体感的にね」
それでも抜くのは、腰の時より楽。
ここまで来ると、何のために装着してるのかとも思えてくるが。
「君、それで戦うの」
早速現れる長官。
でもって私の後ろへ回り込み、しきりに頷きながら前へ戻ってきた。
「これを使った経験は?」
「普段は少し違う物を所持してるんですけど、使った事はありますよ」
「物騒な学校だな。意外と荒れてる?」
「まあ、そこそこには」
私が取り繕う理由は無いし、荒れてるのは確か。
大体荒れていないなら、自警組織自体必要が無い。
「警備は警備員に任せられないのかな」
「自治の基本ですからね」
「勉強だけして欲しいな、出来れば」
ここはさすがに教育庁長官としての顔が覗く。
また天崎さんもこれに近い事は、常日頃から言っている。
それが理想だとは思うが、私達は現実に対処する必要もある。
何より自治という大前提がある以上、これは何があろうと譲れない。
「……君、たまに怖い顔するね」
「そうですか」
どちらかというと、温和な顔のタイプ。
鋭さの欠片もないと、いつも言われている。
それでも、場合によってはそういう事もあるんだろう。
「殺されるかと思ったよ」
大げさだろう、それは。
何か言おうとした途端、突然の入電。
機能してるんだな、これ。
「A棟正面玄関で生徒同士の衝突が発生。多数生徒が集まり、危険な状態です。出動出来るガーディアンは、直ちに現場へ向かって下さい」
取りあえず私は手が空いている。
装備品は、今見に付ける。
「君も行く?」
「手が空いてますから」
「私も良いかな」
「え」
学内が荒れてるのをわざわざ見せたくはない。
何より危ない場所へ連れて行くのは不安がある。
「SPは?」
「いるよ。外に待機してる」
「彼等を連れてきて下さい。それなら付いてきてもらって構いません」
「分かった」
そのまま外へ向かう長官。
でもって入れ代わりに、モトちゃんがやってくる。
「良いの?」
「断っても、隠れて付いてきそうでしょ。だったら、側にいた方が監視しやすい」
「まあ、そうだけど。お母さんからも、一言言っておいて」
「いい大人でしょ、あの人も」
しみじみとため息を付くモトちゃんのお母さん。
将来私が、モトちゃんにこうい言われそうだな。
直属班が揃わないので、いつものメンバー。
つまりは、エアリアルガーディアンズ。
今はこういう呼び方も、まずしないが。
「私が行く必要はあるの」
警棒の位置を直しながら尋ねてくるサトミ。
無いとは言えず、もごもご言って行く手を指さす。
「そろそろ、廊下が混んできた」
「その先、ラウンジよ」
何でも知ってるな、この人は。
でもって、私は何も知らないな。
「走らないのかな」
それこそ、今すぐ走り出しそうな勢いの長官。
急いだ方が良いのは確かだが、それはケースバイケース。
私達以外にもガーディアンは向かっているし、すでに到着しているガーディアンもいるはず。
到着したは良いけど息を切らしていては、意味がない。
「今は走るほどではありませんから。それより、絶対前へ出ないで下さいね。SPの方もお願いします」
それに頷く長官。
SPは、もう少し真剣に。
彼等は本職だが、その目的は長官を守る事。
一応、こちらも気にはしておいた方が良いだろう。
そうこうする内に、正面玄関近くまで到着。
すでに混乱は収まっていて、ガーディアンが生徒の集団を左右に分けて押さえ込んでいる所。
野次馬も整理済み。
私達がやる事は、特にない。
「さて、どうしようか」
腕まくりをし出す長官。
彼の事はSPへ任せ、廊下の左右に分けられた野次馬の間を通り抜けていく。
原因は、例によりよくある話。
肩が当たった、当たらない。
そこに関係無い人間が首を突っ込み、野次馬も集まってくる。
そういう元気を他に回せないのかなと思ってしまう。
「問題は、なさそうね」
「ええ。暴れられるだけまし、という考え方もありますし」
警棒で肩を叩きながら答える男の子。
何がと思う間もなく、向こうから語ってくれた。
「規則が厳しくなれば、暴れる即停学。なんて状況だったら、みんな大人しくしてるでしょう」
「そういう意味。だったら規則が緩いせいで暴れるって事?」
「あると思いますよ、そういう面も。だからって暴れたら即停学なんて、ありえないでしょう。難しいところですね」
人ごとのように語り、トラブルの首謀者らしい生徒を連れて行く男の子。
意見の一つとしては、意識しておこう。
徐々に去っていく野次馬達。
混乱は収まったので、ここに留まる理由は無い。
それは私達も同様。
何事もなくて良かったと言える。
「もう終わり?」
「終わりました。後は帰るだけです」
「捕り物は?」
「ありません」
これ以上残っていると、長官自身が暴れかねない。
いや。そんな事はしないと思うが、何をしでかすか分からない。
つくづく厄介な人だな。
自警局の帰り。
長官の不満を和らげるため、少し遠回りのルートを選ぶ。
廊下。
学内の雰囲気はいつもと同じ。
私達の後ろに付いてきているのが教育庁長官と分からなければ、生徒達も単なる外来の客と思って軽く会釈する程度。
普段の華やかで賑やかな草薙高校と言える。
「自由な空気というのは良いね」
しみじみ語る長官。
それはそうだが、私にとってはこれが普通。
当たり前の空気。
制限がある事自体、耐えきれない。
無論、秩序が保たれている事は前提だが。
「私が中学高校に通っていた頃は、もっと学内が荒れててね。いじめ、校内暴力、他校との抗争。とにかく、教育現場は荒れていた」
「だから、今の仕事に?」
「一応ね。私は天崎先輩ほど優秀ではなかったから、政治家という安直な道を選んだが」
「政治家が安直ですか」
「試験は必要ないからね、政治家には。無論選挙はあるが、個人よりも政党の力の方が物を言う」
冷静な、やや醒めた意見。
いつもこうだと助かるんだけどな。
「昔の天崎さんって、どうだったんですか」
「今と同じだよ。真面目で思慮深くて、落ち着いていて。頼りになる先輩だった」
「モトちゃんのお母さんは?」
「やっぱり今と同じかな。優しくて、包容力があって、落ち着いていて」
軽やかに笑う長官。
彼からすれば、頼れる先輩だったという事か。
突然性格が180度変わると思えないし、やっぱりあの二人は昔からああだったんだ。
つまり、私がああなる可能性はかなり低い。
分かってたけどね、それは。
突然前に出てくる生徒。
咄嗟に警棒を抜き、長官の位置を把握。
ただ、そこはさすがに軍人か。
SPは自分達を盾にして、長官を後ろへかばっている。
「銃は抜かなくて助かったな」
皮肉っぽく呟くケイ。
今は私も、それに笑う余裕がある。
もう少し緊迫した場面になれば、お互い笑い事では済まないと思うが。
「誰」
「名乗る訳ないだろ」
挑発的な台詞。
なるほどねと思いつつ、改めて長官の位置を確認。
それこそ相手が銃を持っていない限り危険はない。
「何の用」
「ガーディアンは死ね」
分かりやすい連中で助かった。
それと、長官狙いでないと分かって。
「サトミ、自警局へ連絡。連中の身元を確認。ショウとケイはここをお願い。私が前に出る」
「了解」
私が告げる前から対応している彼等。
あくまでもこれは、事後確認。
意思の疎通を図っただけに過ぎない。
一斉に警棒を構える男達。
この時点で地面を踏み切り、一番近い男の懐へ飛び込む。
警棒を大きく振り上げる隙を突き、胴を薙ぐ。
右の男に横蹴り。
左に跳び前蹴り。
倒れていく男達上を飛び越え、後ろで余裕を見せていた男の喉元へ警棒を突きつける。
警棒を振るわなかったのは、武器を構えていないから。
ただそれだけに過ぎない。
「戦うか、捕まるか。選んで」
「つ、捕まる。か、勘弁してくれ」
あっさり地面へしゃがみ込む男。
その動きの中で警棒が抜かれるが、この程度は予想済み。
警棒がこちらへ向けられるより先に、首筋へ警棒を振り下ろす。
一件落着。
長官がいなければもう少し言葉を尽くしたかも知れないが、時にはガーディアンとしての威信を示すべきでもある。
「単純にすごいね、君は。格闘技のプロ?」
「昔から習っているだけです」
「継続は力というレベルでもないと思うけど。何にしろ助かったよ。彼等が手を出したら、マスコミも色々うるさい」
苦笑気味にSPを見つめる長官。
確かに軍人が高校生を殴り倒すのは問題。
高校生が殴り倒して良い理由にもなりづらいが。




