45-3
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慰労会は今日の夜。
それまでは普段通りの授業が行われ、自警局としての活動が行われる。
「……気を付けるように」
帰りのHRで、何かを言ってる村井先生。
こっちは半分も聞いていなく、まだ削れる出費がないか考え中。
飲み物は出来るだけカット。
自警局や生徒会の在庫を一掃させる。
賞味期限が迫っている物もあるので、一石二鳥。
これである程度は浮かせられると思う。
「聞いてるの」
「お酒は無しで行く」
「……何の話」
バインダーを振り上げながら、私を見下ろす村井先生。
本当、何の話かな。
すでにHRは終了。
後は自警局で、もう少し削れる分を考えたい。
「……気を付けるように」
「分かってます」
全然分かってないがそう答え、領収書のリストを確認。
削るのが惜しい物も中にはあるが、そういう物は大抵高額。
本当に惜しいが、敢えて削る。
「大丈夫ね」
「どうにか、予算内に収めます」
「何言ってるの?」
「私、忙しいんです」
リュックを背負い、ノートを見ながら教室を出る。
二宮金次郎って、こんな気分だったのかな。
多分、全然違うだろうな。
気付けば自警局に到着。
例のソファーに座り、お茶を飲んでいた。
「そう言えば普通に活動してるけど、資格停止はどうなったの」
「今日まで借りているだけ。慰労会のためにね」
「ふーん。そのわずかな間に、部屋代を稼いでたんだ」
「ある意味、すごいわよね」
肩をすくめるモトちゃん。
すごいというか、ひどいというか。
それは改めて追求するとして、今は予算の削減を考えないと。
「司会?こんなのパス。小牧さん呼んで」
「いつの話をしてるの」
「ああ、いないのか。じゃあ、これはモトちゃん」
「ちょっと、誰の慰労会だと思ってるの」
やいやいうるさいので耳栓を使う。
だけど、声だけははっきりと聞こえてきた。
そういう耳栓だったな、これは。
それでも話を聞かず、予算を出来るだけ削っていく。
ただやり過ぎて、貧相になるのも問題。
加減が難しいな。
「ケーキ?」
「それは家庭科部に頼んである。業者よりは安く上がると思う。オードブルも、ある程度はまかなえる。サラダもね」
「花?これ、華道部がどうにかしてくれないの?」
「そもそも華道部に発注したのよ。ひまわりが欲しいとか言ってたわよ」
即却下。
この時期にひまわりなんて、一体いくら掛かると思ってるんだ。
しかしこうしていると、中川さんや新妻さんの気持ちがよく分かる。
「予算の無駄遣いって、罪だよね」
「その辺はよく分からないけど。もう慰労会の準備はしてるわよ」
「まだまだ、これからよ。とにかく削る」
「意外と合ってるのかしら、ユウに」
人を鬼代官みたいに思ってるのかな。
結局途中でモトちゃんに引っ張られ、慰労会の会場へとやってくる。
場所はラウンジ。
大勢の人が集まるには最適で、この手のイベント用にキッチンも併設されている。
出入り口が柱と柱の間という大きな作りのため、出入りはかなり自由。
途中の退席も簡単だし、参加もしやすい。
今更だけど、こういう作りって結構大事だな。
「この花、何」
壁に飾られた、一面の花々。
綺麗は綺麗だが、予算オーバーじゃないだろうか。
「小姑みたいな事言わないの。もう予算は大丈夫でしょ」
「どうだろうか」
「最悪ケイ君の財布を頼りなさい。隠し財産の一つや二つはあるでしょ」
怖い事をさらりと言って、空いてる席へ座るモトちゃん。
器が大きいというか、懐が広いというか。
上に立つ人は、そもそも気構えからして違う。
ただケイに押しつけられるなら、私も一安心。
予算はある程度クリアしてるし、これ以上やると反感を買う可能性もある。
「随分盛大ね。予算はどうなってるの」
眼光鋭く登場するサトミ。
税務署の査察官でも、もう少し愛想が良いと思う。
「予算はクリアした。座って」
私が答えるより早く、サトミを座らせるモトちゃん。
でもってグラスを持たせ、それにお茶を注いだ。
「お疲れ様」
「まだ、会は始まってないでしょ」
「風船の方。そろそろ完成よね」
「ええ。後は天然ガスの燃焼具合ね」
何の話をしてるんだか。
それでもサトミがごまかされたのは確か。
そうこうする内にショウ達も集まってきて、私達のテーブルへと付く。
「ほぅ」
山盛りの唐揚げに眼光を鋭くさせるショウ。
こういう人がいるから、予算がオーバーするんだ。
「サラダボールがメインディッシュだからね」
「おい」
「お肉ばかり食べても仕方ないでしょ」
「肉食わずして、何の人生だ」
本気で言ってないだろうな、この人。
「皆様お揃いのようですので、そろそろ始めたいと思います。早速ですが、乾杯の音頭を元野さんお願いします」
指名と拍手。
モトちゃんは特に動揺する事もなく立ち上がり、グラスを手にしてにこりと微笑んだ。
「本日は私達3年生の慰労会という事で、準備をして下さった方々にはお礼も申し上げます。折角の料理も冷めますので、長い挨拶は無しで」
非常に手慣れた挨拶。
私なら、メモが欲しい所だな。
「皆さんグラスを……。よろしいですか?では、乾杯」
「乾杯っ」
気持ちの良い唱和。
そして拍手。
一気に空気が緩み、ラウンジは喧噪に包まれる。
私達もグラスを重ね、飲み物を一口。
モトちゃんは、お茶なのが多少不満そうだが。
「アルコールは高いから、全部カットしたの。それに学内だし、酔って暴れも困るでしょ」
「私、暴れた経験は無い」
「くだは巻くじゃない」
冷静に指摘して、ニンジンのサラダスティックをかじるサトミ。
飲んでなくても飛ばすな、この人達は。
私は少し疲れたので、ちびちびお茶を飲みながら周りの様子をぼんやり眺める。
慰労会と言っても、結局の所みんなが食べて飲んで騒ぐだけ。
特に3年生だけに限定してもてなされる訳ではない。
またそういう事をされても、却って困る。
「始まったばかりではありますが、そろそろ演目の方へ移りたいと思います」
マイク片手になにやら言い出す緒方さん。
何だ、演目って。
でもって現れたのは、御剣君。
腰には警棒。
ではなくて、小刀を差して。
何をやる気だ、この人達は。
「お名前と、出し物をお願いします」
「2年、御剣。出し物は、居合い切り」
無責任に沸くラウンジ内。
しかし小刀で、そんな事出来るのか?
彼の前に運ばれてくる、わらの束。
良く居合い切りで見かける、例のあれ。
御剣君が束に手を掛けるとさすがにラウンジ内も静かになり、固唾を呑んでその状況を見守る。
ひらめく右手。
小さく鳴る鞘。
何が起こったのか分かったのは、ほんの一握りの人間だと思う。
視力が落ちている私も、多分分かってない部類。
「あ」
誰かがそう声を上げたと同時に、中央から斜めにずれていくわらの束。
それは滑るように寸断され、あっけなく床へと転げ落ちた。
再び沸き立つラウンジ。
御剣君は一礼して、特に何を言う事もなく退出していった。
「すごいのね」
素直に感心するモトちゃん。
ただ分かってる人間からすると、疑問を抱くような行為。
「あんな事、出来るの?」
こうして戸惑うサトミのように。
居合抜きで使うのは、本来もっと長い刀。
刀の切れ味もそうだが、その重みや遠心力で切る部分もある。
逆に刀が短ければ短い程、切るのは困難。
言ってみれば、すりこぎでホームランを打つような物。
ただ刀の切れ味が良くて技術が備わっているなら、可能は可能。
つまりは、そういう事なんだろう。
「俺だって出来るぞ」
腕をまくって、前に出て行こうとするショウ。
そういう場面ではないので、袖を引いて彼を椅子へと引き戻す。
「慰労会なんだって」
「あいつ。あんなの、別に。ああ?」
ちゃんと、単語を発してよね。
さすがに居合抜きなんてやる人はその後現れず、手品やジャグリングなんて軽めで誰でも楽しめる出し物が続く。
空気が温かくて、みんな楽しそうで。
こういうのも、たまには良いな。
「随分、盛り上がってるね」
にこやかな笑顔で話しかけてくる壮年の男性。
誰だと思いつつ、一応愛想良く笑顔で応じる。
「後輩が慰労会を開いてくれてるんです」
「良い話だ」
しみじみ頷く男性。
それは良いけど、誰なんだ。
軽く私の袖を引くサトミ。
どうやら彼女は誰だか知ってるようで、耳をそちらへ近づける。
「教育庁長官よ」
「……来週じゃないの」
「朝言ってたでしょ。非公式に、今日の夕方から訪れるって」
それで村井先生が、やいやい言ってた訳か。
予算を削るのに必死で、全然聞いてなかったよ。
「お邪魔だったかな?」
「お気になさらずに。どうぞ、こちらへ」
椅子を動かし場所を作っていくモトちゃん。
長官はお礼を言って運ばれてきた椅子に座りかけ、後ろを振り向いた。
「先輩、どうぞ」
「長官こそ」
「今の話の流れで行くと、私が座る訳には行きません」
「仕方ないな」
苦笑しつつ席へ着く天崎さん。
そして追加された椅子に、ようやく長官も腰を下ろす。
そちらも気になるが、私が気になるのは背後。
ラウンジの出入り口に佇む数名の男女。
気配が濃いというか鋭いというか。
間違いなくプロ。
それも警備員といったレベルではない。
長官のSPだと思われるが、警戒の度合いが強すぎる。
余程私達が信用されてないのだろう。
春先にあれだけ暴れて、信用して下さいというのも無理はあるけれど。
長官の接待は天崎さんとモトちゃんに任せ、私は一旦席を外す。
どうしてもSPが気になって仕方ない。
単に長官を護衛するだけならそれで良い。
ただ万が一という事もあるし、ある程度の情報は仕入れておいて損はない。
「気にしすぎだぞ」
そう言って、私の隣に並ぶショウ。
私が気付いて、彼が気付かない訳がないか。
何かを仕掛けるのは不自然。
あくまでも自然に近付き、雰囲気と武装を探る。
「お疲れ様です」
軽く挨拶。
向こうも会釈。
そのまますれ違い、ラウンジの外へ出る。
廊下を歩いて、周囲に人がいないのを確認。
ショウと感想を述べ合う。
熟練したプロというのは共通した感想。
武装はおそらく小銃と警棒くらい。
プロテクターは来ているが、それ程過剰な装備はしていないはず。
小型の武器までは分からないにしろ、スーツに隠せる物はサイズにも量にも限りがある。
「どう?」
「問題ないだろ。現時点では戦う訳でもないし」
彼が言うように、悪意は特に感じなかった。
現状では純粋に、長官の護衛。
春先の騒動があったので、少し多めに来ているだけだろう。
そのまま廊下を引き返し、ラウンジへと戻る。
SPの姿は無く、別な入り口に移った模様。
生徒相手にも警戒が必要なんて、酷な仕事だな。
「武士、警察官になるって言ってたぞ」
「向いてるのかな。向いてないのかな」
「機動隊とかは似合ってそうだが」
それは確かに、そのまま。
ただ彼が交通整理をしている姿は、あまり想像も出来ないが。
「審査で跳ねられないのかな。ショウは大丈夫だった?」
「面接では色々聞かれた。とにかく聞かれた」
二度言うくらいなので、余程聞かれたんだろうな。
つまり私達は、外ではそんなに評判が悪いって事か。
少し反省をしつつ、席へ戻る。
今後は、行動を改めないと行けないな。
「では、そろそろ3年生にも何かをやって頂きましょうか。雪野さん、お願いします」
飲みかけていたお茶を吹き出し、サトミが差し出したタオルで顔を拭く。
誰の、誰に対する慰労会だって?
「聞いてないよ」
「そこはお約束という事で。これこそ雪野さんという所を見せてやって下さい」
「何それ」
私の小ささでも知らしめろって言うのか。
「天井に、手形づけて」
誰だ、勝手な事を言ってるのは。
でもって、手形コールは止めろ。
「ちょっと。緒方さん」
「無礼講です、無礼講」
言葉の使いどころが間違ってないか?
とはいえここで断るのも無粋。
絵の具を用意してもらい、濃いめに水で溶いて手に付ける。
しかし、つくづく小さいな。
「ショウ、ちょっと協力して」
「届くか?」
ニンジンを丸かじりしながら天井を指さすショウ。
普通に飛ぶなら、さすがに私も届かない。
だけどスティックがあれば。
そして彼がいれば、出来ない事は無い。
「アイディアがある。耳貸して」
彼の耳に口を寄せ、リンスの香りにしばしくつろぐ。
しばらくの間、こうしていようかな。
周囲の視線が色々厳しく、それは断念。
ただ方法は伝えたので、特に問題は無い。
危険。やり過ぎ。度が過ぎる。
まあ、それは今更だ。
まずはラウンジの正面。
みんなが演目をやっていた場所に出て、緒方さんや周りの人を遠ざける。
「よっと」
特に前置きも無く走り出し、スティックを斜め下へ放り投げる。
グリップを下向きに落下するスティック。
それが大きくバウンドしたのを確認し、力強く床を踏み切る。
綺麗に真っ直ぐ真上へ跳ねるスティック。
タイミングと角度は問題なし。
出来るだけ力を掛けず、上を向いているスティックの先端へと右足を掛ける。
後はショウを待つだけ。
そして彼が、絶妙なタイミングでスティックの下へと回り込む。
「せっ」
足を真上へ振り上げ、足の裏でスティックのグリップを捉えるショウ。
私の体重プラス、スティックのバランス。
しかし彼の足は、わずかにも揺るぎはしない。
「よっと」
足場を固め、改めて跳躍。
ここでスティックがずれたら終わりだが、依然足元は安定したまま。
地面を踏みしめるような感覚を足の裏に感じつつ、天井へ向かって舞い上がる。
ショウの足の長さプラス、スティックの長さ。
さらに私の身長と、勢いを付けての跳躍。
ラウンジの天井はかなり高いが、ここまでやれば天井はまさに目と鼻の先。
無理をせずとも天井に手の平が軽く付く。
手をゆっくり離し、手形が綺麗に付いたのを確認。
後は下へ落ちていくだけだ。
若干前傾姿勢になり、スカートを押さえながら降下。
景色がめまぐるしく変化し、胸の奥が押さえつけられる感じ。
だが床へ降り立つ寸前でショウに抱きかかえられ、暖かいそれへと変わる。
自分一人でも着地は出来たが、このくらいの役得はあっても良いだろう。
地響きのような歓声と拍手。
足元には白い紙包みが飛んできた。
おひねりか、これ。
予算の件もあるし、ここはありがたく頂いておくとしよう。
おひねりを回収し、愛想を振りまきながら席へと戻る。
でもって、サトミに獣みたいな目で睨まれる。
「な、なによ」
「今朝、どんな話をしてた?」
「長官が来る」
これは後で聞いたんだけど、そう答えると余計怒られそうなので。
でもって長官は、私達と同じテーブルに付いている。
「それで、どうしろって言われた?」
「笑顔で歓迎?」
「暴れないように、でしょ」
ハンバーグに突き刺さる磨き込まれたナイフ。
まさかと思うけど、ハンバーグを私に見立てて無いだろうな。
「いやー、すごかったね」
角を生やしそうなサトミの肩越しに話しかけてくる長官。
どうやら彼には、それ程悪い印象を与えなかった様子。
結局、サトミが気にしてるだけなんだ。
という事にしておこう。
「それ程でも。ただ飛んだだけですから」
「私も昔は、ああいう事をしたんだけどね。普通に椅子を積み上げるだけだったよ」
「その方が却って危なくありません?」
「そう。バランスが悪いんだ」
どっと笑う長官。
意外にきさくというか、話せるタイプ。
完全に角を生やしたサトミとは大違いだな。
「お褒め頂くのは結構ですが、非常に危険な行為です。出来れば、そういう発言はお慎み下さい」
静かに、しかし言葉の影に刃を忍ばせて諭すサトミ。
本当、この人こそ相手が誰でも関係無しだな。
サトミの冷ややかな笑顔に何を感じ取ったのか、長官は乾いた笑い声を上げて体を小さくしてしまった。
SPも睨む訳だ、これは。
「そもそも日本の教育行政は、根幹的な問題が……」
「彼女、ちょっと酔ってますので」
無理矢理サトミの話を遮るモトちゃん。
この辺はさすがに、如才ないな。
サトミの相手をモトちゃんがして、ようやく場が収まる。
私も少し落ち着くか。
「先輩、どうぞ」
妙に殊勝な表情で、お茶のペットボトルを持ってくる神代さん。
お酌のつもりかな。
「ありがとう」
そう答えたは良いが、今でも紙コップにお茶は一杯。
第一、そんなに飲める物でも無い。
「私より、ショウをねぎらってあげて」
「はぁ」
「何にしろ、予算が抑えられて良かったわよ」
「どれだけ減らしたの、一体」
半分以上減った領収書の束を彼女に見せ、二人で笑う。
後輩の行動に対して一緒に笑う日が来るなんて、思っても見なかったな。
今に始まった事ではないけれど、彼女達の成長は著しい。
またその1年生達にしたって、度は過ぎるがその思いは充分に伝わった。
私達は後輩に恵まれた、幸せな立場と言って良いだろう。
「それは良いけど、天井に手形を付けるってどういう事」
一転、刃物みたいな口調で問い詰めてくる神代さん。
恵まれてるんだろうな、これも一応は。
これ以上追求をされても困るので、彼女もモトちゃんに任せ席を離れる。
こういう騒ぎも良いが、少し落ち着きたい気分。
一度ラウンジの外へ出て、廊下の冷えた空気を味わう。
ラウンジ内と違って暖房が落とされていて、気温は外気の影響を強く受けている。
みんなの騒いでいる声もどこか遠く、少し切なさを感じるくらい。
何となく壁にもたれ、一息付く。
こうしてみんなと過ごせる時間も、後半年もない。
貴重な、きっと何よりも大切な時間。
少し距離を置くと、その事を強く実感出来る。
しかしどうしても一人になると、内向的になりがちだな。
ポケットへ手を入れ、スティックの位置を確認。
足の指に力を込め、腰を若干落とす。
襲われそうになった訳でも無いし、その兆候もない。
ただ目の前を、SPが通っていっただけ。
彼等から敵意は何も感じない。
それでも反応してしまうのは、彼等の雰囲気。
単なるSPにしては雰囲気が鋭すぎ、またそれが剥き出し。
腕は立つのだろうが、護衛としては不向きな気もする。
「さっきの、すごかったですね」
不意に振り向き、にこやかに話しかけてくる若い女性。
ショートヘアで、服装はスーツだが靴はパンプス。
そのスーツも部分部分が不自然な膨らみを見せていて、拳銃くらいは所持していそうだ。
「ああ、天井の。あれは私よりも、一緒にいた男の子がすごいだけです」
言ってみれば私は、彼に助けられて飛んだだけ。
それ程すごい事をしたという意識は、自分ではない。
また今の質問自体が誘導だったのか、彼女の目付きが鋭くなる。
「彼って、玲阿君?お父様が前大戦の英雄でいらっしゃる」
「ええ」
こういう質問、尋ねてくる人は昔から大勢いる。
好意的な場合もあれば、悪意に満ちている場合もある。
単なる好奇心の場合も。
「その血を、受け継いでいるのかしら」
「さあ」
後は、こういうタイプ。
強さ。
自分の実力を計りたいとでも言うのか。
悪意はないかも知れないが、ある意味厄介な相手。
答え方次第、こちらの出方次第では面倒な事になる。
私の意思が伝わったのか、女性はくすりと笑い顔の前で手を振った。
「彼を襲うなんて考えてないわよ。私は長官の護衛なんだから」
「はぁ」
こうなると、身分も少し怪しいな。
SPなら警察官。
ただこの言動からすると、もしかして軍人。
または軍出身者かもしれない。
この辺は、サトミに一度頼むとしよう。
それとなく彼女と距離を置き、危険のない場所にまで移動する。
銃の射程範囲はより広いが、抜いて構えるまでにいくらでも対処は出来る。
「私、そろそろ戻りますので」
「ええ、楽しんで来てね」
「では、失礼します」
背中を見せたい相手ではないが、別にそれ程困る事でも無い。
何より、前を向いたまま立ち去るというのも相当に不自然だ。
ノートに文字を書き連ねているサトミの隣へ座り、声を掛ける。
「調べて欲しいんだけど」
「いつまでも寺小屋の意識でいるから、おかしいのよ」
おかしいのは自分だろ。
「そうじゃなくて。長官のSP。身分が怪しい」
「怪しい人間が護衛には付かないでしょ」
「いや。警官じゃないみたい」
「SPが?」
ここでようやく話が理解される。
後は放っておいても彼女が自分で調べていくれるので、私は安心してお菓子を食べる。
端末に表示される、SPのプロフィール。
どうやって調べてたのかは知らないが、全員のかなり詳細な部分まで載っている。
「やっぱり軍人か」
「何がやっぱりなの」
「ショウの事。というか、そのお父さんの事を聞いてきた。それ自体は珍しくないけどね」
口調や態度、熱のこもり方。
後はやはり、あの尖った雰囲気。
何かするとは思えないが、警官とは基本的な考え。
行動原理が違う。
警戒は怠らない方が良いだろう。
「おじさまの知り合い?でも、全員若いわよね」
「憧れてるのか、腕試ししたいのか。気を付けておいた方が良いかも知れない」
「いい年した大人でしょ、向こうは」
いまいち取り合わないサトミ。
私もそうは思うが、過去いい年をしたその大人がろくでもない事をしていたのも知っている。
今回は大丈夫そうとはいえ、全く気にしないという訳にもいかない。
「雪野さん、どうぞ」
お茶のペットボトルを持って現れる渡瀬さん。
それはもういいんだって。
「私はお腹一杯だから。ショウかケイにお酌してあげて」
「気持ちですよ、気持ち」
お茶を強要されても困るし、飲めないってば。
「とにかく、気持ちだけで良いから」
「遠野さんは?」
「私も結構。あなたもくつろいだら?」
「なかなかそうもいかなくて」
朗らかに笑い、他の3年生の間を回り出す渡瀬さん。
以前はああでもなかったけど、かなりの気の遣いよう。
年を取れば、そして立場が変われば振る舞いも自然と違ってくるのかも知れない。
ただ私が気になるのは、やはりSP。
ターゲットはショウか、それともその父親か。
瞬さんや月映さんなら、仮に闇討ちされても平然と撃退出来るはず。
ショウも問題は無いと思う。
とはいえ学内で仕掛けられたら、何かと問題。
そこまで短慮に走らないと思いたいが、軍人が警備に付く事自体不自然。
何をやってもおかしくはない。
「ショウ、ちょっとこっち」
「どうした」
鳥の腿肉をかじりながらやってくるショウ。
言いたい事は色々あるけど、それは取りあえず押さえるとしよう。
「さっきのSP、軍人だって」
「何しに来てるんだ」
「ショウのお父さんを狙ってるのか、ショウ自身を狙ってるのか」
「俺を狙う理由は無いと思うけどな。大体、護衛だろ。そんな事するか?」
非常にもっともな疑問。
どちらにしろ、慎重な行動は心掛けた方が良いだろう。
突然どたばたとし出すラウンジ内。
何事かと思う間もなく、テーブルの上に人が立った。
「それではご要望にお応えしまして、一曲」
ペットボトルを逆さに持って、訳の分からない事を言い出す長官。
酔ってるのかとも思ったが、初めからアルコールは置いてないし持ってきているとも思えない。
だとしたら血迷った。
日本の最高権力機関の一員が?
「あれ、何」
手拍子に合わせて調子よく歌う長官。
サトミは肩をすくめ、ラウンジ全体を見渡した。
「生徒と話してる内に、熱くなったみたいね。政治家には良くある事よ」
「熱くなる事が?それとも、突然歌い出す事が?」
「さあ」
非常に投げやりな答え。
熱くなるのはまだ分かる。
ただ歌い出すのは、かなり変わっている。
しかもテーブルの上に飛び乗るのは、相当に。
「良いの、あれは」
肩をすくめお茶を飲むモトちゃん。
関知しない。
もしくは、関知したくないようだ。
「天崎さん」
「止めて止まる奴じゃなくてね」
サトミ以上に投げやりな口調。
どうやら後輩は後輩でも、不祥の後輩らしい。
いつしか合唱になってきた長官リサイタルから少し離れ、天崎さんに話を聞く。
「本当に、単なる見学なんですか」
「それ以外の理由は聞いてないよ。私の一応は教育庁の幹部だからね。私の頭越しに指示が出る事は無い」
「では、あのSPは?軍人ですよ」
「軍人?」
声を裏返す天崎さん。
でもって何かを考え込むような素振りをして、一人で笑い出した。
「違うよ、多分」
「軍人ではないんですか?」
「え?何の話?」
全くもって聞いてないな。
というか、大丈夫かな。
「やっぱり、何か理由があるんですか」
「あるのかな。無いのかな。あるのかな、無いのかな」
花占いじゃないんだからさ。
どうやら、長官がここへ来たのは何らかの理由があるとだけ分かった。
それも教育庁長官ではなく、また政治家でもなく。
おそらくは、個人的な理由で来たのだと。
「初恋の人が、ここで教師をやってるとか」
「卒業生で、恥ずかしい何かが保管されてるとか?」
「隠し子じゃないの」
勝手に盛り上がり出すサトミ達。
もう少し、違う発想はないのかな。
それ以外はと聞かれると、私も思い付かないけどさ。
「そういう甘い話ではないよ。戦争中の出来事。その時世話になった人が名古屋にいて、その人を捜してるらしい」
あっさりと否定する天崎さん。
無難というか、何となく想像は出来そうな話。
ただ人捜しにしては、漠然とし過ぎてるな。
「名前も何も分からないんですか?」
「所属してる中隊は分かってるらしいがね。以前から名古屋に行きたいとは言ってたが、そういう理由か」
一人納得する天崎さん。
だとすれば、SPが軍人なのも納得出来る。
初めから、軍の協力を得るつもり。
また警察と軍は基本的に仲が悪いので、その辺も関係しているんだろう。
「それはショウのお父さんなんですか?」
「いや。玲阿さんなら、すぐ分かる。何しろ、有名人だからね」
「ああ、そうか。だとすれば、尹さんか御剣さんかな」
あの二人も瞬さんに負けないくらいの英雄。
人助けの100人や200人はしていてもおかしくはない。
それとも、水品さんだろうか。
「長官は陸軍だったから、助けてくれた人も陸軍だろうね」
なるほど。
となると、海軍の御剣さんと空軍の水品さんは無い。
完全に無い、とまでも言えないが。
でもって、私が頭を悩ます事でも無いか。
やがて慰労会も終了。
気付けば長官もいなく、天崎さんもため息を付いてラウンジを後にする。
ああいう、後輩がいると苦労するんだろうな。
今頃になって、塩田さんの気持ちが分かった気もする。
「結構余ったね」
飲み物は1/3。
食べ物も、封を開けてないお菓子がちらほら。
作った物でも、サラダ類は売れ行きが悪い。
「まだまだ削る余地はあったのかな」
「キャンセル代が100%なら、意味ないでしょ。食べられる分は、明日食べたら」
「揚げ物とかは良いだろうけどね。サラダは難しいよ」
しかし捨てるのは惜しいので、サラダはサラダで集めていく。
大きなビニール袋一杯の野菜。
中はキャベツに、レタスに、タマネギに、トマト。
パセリやほうれん草も混じっている。
「どうする気」
あまり嬉しそうではない顔をするサトミ。
確かにこれを見るだけでは、正直焼却炉へ走りたい見た目ではある。
「明日、チャーハンの具に使う」
「チャーハン?」
声を裏返す程の事でも無いでしょう。
「レタスが入ってるわよ。炒めた後に巻くのはあるだろうけど、レタスを炒めるの?」
「無くはないよ。ね、モトちゃん」
「まあね。私はあまり好きじゃないけど」
なにやら嫌な事を言ってくるモトちゃん。
それを言い出したら、私だってそれ程好きな調理法ではない。
妙な熱視線。
それに構わずビニール袋を台車に乗せ
「ゴミじゃない。冷蔵庫にしまう」
と、紙を貼る。
「誰が食べるんだ、それ」
まずその第一候補だろうショウが、陰気な声で呟いた。
それには答えず、紙皿もビニール袋へ捨てていく。
「おい、同じ扱いなのか」
細かいな。
食べられそうな物は別個に保管。
そちらはビニール袋へ入れず、紙皿へラップをしていく。
どうしてもという物は、さすがにビニール袋へ。
こうすると、ちょっと見分けが付かないな。
「食べるのか、それ」
「こっちはゴミ」
「どう違うんだ」
それは私も知りたいな。
自警局へ荷物を運び込もうとするが、入り口に封印のロープが張られている。
私達が出て行ってすぐにやったんだろう。
下らないところで手際が良いな。
「どうする、これ」
「さあ」
小首を傾げるモトちゃん。
私は関わらないと言いたいようだ。
ただそれも、無責任さから来ている訳ではない。
今日の集まりは、1、2年生が主体。
だとすれば、この事態に対処するのも彼等。
彼女は暗にそう告げているのだろう。
「内局へ相談してみます」
そう言って、連絡を取る真田さん。
すぐに了承が得られたらしく、行き先が変更。
私達は、彼女の背中を追う事となる。
これからは、こんな光景が当たり前になるんだろう。
そして、私達が去った後も。
それは寂しくもあり、頼もしくもある事。
決して遠い未来ではない、少し手を伸ばせば届く未来。
その時は確実に迫っているのだと、今改めて実感をする。
プ




