45-1
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玄関先に積み上げられる段ボール。
その上にそっと添えられる封筒。
「これ、なんですか」
「お届け物です」
それだけ告げ、さっさと帰っていく宅配業者。
新手の嫌がらせかな。
段ボールはとても運び込める入る量ではなく、全部道路に置いたまま。
さすがに通りすがりの人がこちらをみてくる。
「優ちゃん、引っ越すの?」
「いや。お届け物です」
「……ペットショップでも始めるつもり?」
笑いながら去っていく近所のおばさん。
積み上げられた段ボールは、全部ペットフード。
そこでようやく、これの送り主に気付く。
封筒はお礼状。
相手は、昨日のペットショップ業者。
犬と猫を探してくれたお礼ですと書いてある。
お礼は良いけど、ペットフードを段ボール単位で贈られて嬉しい人はいるんだろうか。
「……これ、何」
玄関から顔を覗かせるお母さん。
それは私が聞きたいところだ。
「近所の猫に振る舞うつもり?」
中身がペットフードと分かるや、一点目付きを悪くするお母さん。
たまにはそれも良いんじゃないの。
なんて言ったら襲いかかってきそうなので、笑ってごまかす。
「昨日犬と猫を助けたから、そのお礼」
「犬と猫から?」
「そんな訳無いでしょ」
「だったら、どうしてペットフードなの」
その辺は、私も一度聞いてみたい。
どちらにしろ一人では片付けようもないので、応援を呼ぶ。
「これ、全部か」
そう呟き、トラックの荷台へ積み上げていくショウ。
断るとか嫌そうな顔をするとか、こういう事に関してはあり得ない人だな。
「大丈夫?」
「大した量じゃない」
爽やかに答えられた。
ただ段ボールを荷台に載せて、荷台に載ってそれを積み上げて、降りてまた載せる。
決して楽な作業ではなく、私なら二つくらいで限界。
しかし気付けば山積みの段ボールは、半分くらいがトラックの荷台へ収まっていた。
「無理しなくて良いよ」
「無理?何が」
意味が分からないという顔。
色んな意味で羨ましいな。
さすがに彼の息が切れ始めたところで、積み込みは完了。
私も助手席に乗り込み、トラックが出発する。
行き先は玲阿邸ではなく、これに関しては当てがある。
名古屋北西部の郊外。
住宅地の中を抜けた先にある、大きな施設。
大きなというか、予想以上の広大さ。
建物はそれ程でもないが、敷地がかなりの規模。
見渡す限り、なんて表現が当てはまる。
「学校か工場の跡地かな」
「かもしれん」
長い塀沿いに走っていくトラック。
やがて正面玄関が見え、特に誰もいないそこをトラックが通過。
ロータリーとなっている建物の前へ停車する。
建物の玄関脇にある、「Uアニマルセンター」の文字。
野犬や野良猫を収容している施設で、ここならペットフードがいくらあっても困る事は無いはず。
仮にここで消費しきれなくても、他に回すくらいはしてくれるだろう。
「矢加部さんはいないよね」
車を降り、慎重に建物の中を覗き込んで彼女の姿を探す。
ショウはトラックの後ろへ回り、観音開きのドアを開いて笑い出した。
「いても良いだろ」
全然良くない、とは答えずその姿が見当たらない事に安堵する。
ショウが準備をしている間に私は建物の中へ入り、受付の女性に声を掛ける。
「済みません。ペットフードを寄付したいんですけど」
「寄付。えと、どういったご関係の方でしょうか」
「草薙高校の生徒です」
学校のIDを提示。
彼女はそれを見つめ、後ろを振り返り、最後に私を見た。
「あなたが、雪野さん?」
どうやら私を知っている様子。
設立を提案したのは私なので、矢加部さんから話くらいは聞いているのかも知れない。
軽く頷くと、彼女は目を輝かせて私の手を両手で握りしめた。
「お会い出来て光栄です」
「いや。私は別に」
「犬や猫達も、是非あなたにお会いしたいと申してます。一度お礼がしたいと」
言わないと思うけどな。
実は私が、その犬なんです。
なんて言わないだろうな。
幸いそういう事は無く、ペットフードも職員が降ろしてくれると事。
熱烈歓迎したそうな受付の女性に別れを告げ、ショウと一緒に建物内を見て回る。
基本的に動物事にフロアが別れていて、それが性別や種類。
後は体調などで分けられ、飼われている様子。
敷地が広いのは、運動用のスペース。
職員以外にも獣医が数名常駐していて、ご飯も当然毎日もらえる。
思った以上にしっかりした施設なんだな。
「……あれ、何」
愛らしい犬や猫ばかりと思っていたが、窓ガラスの向こうに見えるのはどう見ても蛇。
ただの蛇ではなく、消防車に積んでいるホースみたいなサイズ。
それがぐるりと丸くなり、ゲージの中で居眠りしてる。
いや。寝てるかどうかは知らないが、寝ていて欲しいので。
「色々持ち込まれてくるらしい」
「だからって、あんな蛇はどうなのよ」
「俺も好きじゃないけどな」
この人は、長い生き物が苦手。
蛇だけでなく、ウナギもあまり得意ではない。
食べるのは構わないらしいが。
ウナギも蛇も。
それはそれで、どうかとも思うが。
建物内を一通り見回った所で、運動場へ出る。
見た感じドッグランと同じような雰囲気で、地面は土。
周囲を少し高い柵で区切ったスペースが、数面点在する。
今も数頭の犬が、気ままにじゃれ合い楽しそうな声を上げている。
「良いところだね」
「蛇がいなければな」
意外にこだわるな。
気持ちは分かるけどさ。
見学を終えた所で受付の女性に挨拶をして、施設を後にする。
この後は全くのフリー。
何の予定も入っておらず、それがまた良いとも言える。
「ご飯食べる?」
「俺がおごるぞ」
にやりと笑い、ハンドルを握りしめるショウ。
ご馳走してくれるのは珍しくないが、自分から宣言するのはあまりない。
何か食べたい物があるんだろうか。
名古屋市街に入って到着したのは、一軒のうどん屋さん。
「本場讃岐風。セルフサービス、その分激安」とある。
店内は、テレビで見る四国のうどん屋さんと同じ。
麺を湯がく場所と、汁用のタンク。
後は薬味におかず。
食べ放題なんてコースもあるようだ。
手慣れた人はうどんに生醤油と生卵。
それを一瞬で食べて、店を出て行く強者もいる。
粋なのかどうかは、ちょっと分からないが。
「何を食べようかな」
まずは少なめの麺をチョイス。
後はわかめ。
もう少し入れたい所だが、多分これだけで十分だろう。
代金を払って、器に汁を注ぐ。
その上にネギと一味を少し掛けて完成。
まずは一口食べてみる。
本場と謳うだけあり、麺は腰があって歯応え十分。
かといって固すぎもせず、程よい所でかみ切れる。
ダシも濃厚で、シンプルにわかめだけ入れたのが良かったようだ。
「本気?」
「俺はいつでも真剣だ」
どんぶりに麺が3玉。
それの上に乗っかるちくわの天ぷら。
良いけどね、私が食べる訳でも無いし。
結局彼は、3回お代わり。
しかしちくわは、その一本で最後まで食べきった。
何がしたいのか全くもって不明だな。
「デザートでも食べるか」
聞き間違いかな。
さっき、うどんを10玉食べた人が言った訳じゃないよな。
次にやってきたのはお洒落なケーキ屋さん。
店内は女性客が多く、男性は数える程度。
それも全てカップルで、男同士の組み合わせは見当たらない。
いてもちょっと困るけど。
「レアチーズケーキと紅茶をお願いします」
「このでかい奴」
メニューに載っている、ホールサイズのケーキを指さすショウ。
思わず笑いそうになったが、店員は特に突っ込みもせずそのまま下がっていった。
意外と多いのかな、このくらい食べる人は。
というか、でかい奴ってどんなオーダーよ。
すぐに運ばれてくるレアチーズケーキと紅茶。
さっきうどんを食べたばかりで、正直言えばこの半分でも良いくらい。
ただ甘い物は別腹と言うし、食べて食べられない事は無い。
「お待たせしました。本日のお勧めでございます」
ショウの前に置かれる、オーダー通りの馬鹿でかいケーキ。
雪野家なら全員で食べても、間違いなく翌日に残る量。
私の前にも取り皿が置かれるが、せいぜいクリームを舐めるくらいだと思う。
「太らない?」
「低カロリー低脂肪と書いてある」
「書いてあっても、一つ丸ごと食べるんでしょ」
「それは間違いない」
断言しないでよね、変な所で。
レアチーズケーキを端からちまちま食べている内に、ショウはケーキを半分食べ尽くしていた。
ペースの違いどころではなく、見ているこっちが胸焼けしそうになってくる。
でも甘い物って、自分から積極的に食べるタイプではなかったはずなんだけど。
「そのケーキ、好きなの?」
「そういう訳でも無い」
「だったら、どうして一つ丸ごと食べてるの」
「軍では、支給される食事が限られるらしい。量はあっても、ケーキ丸ごとはないってさ」
フォークでざくざくとケーキを切り取り、ご飯みたいに食べていくショウ。
つまり今の内に、食べ貯めているという事か。
「食べ物欲しさに脱走しないでよ」
「そこまで飢えてはない。……彼女が食べてるケーキを追加で」
側を通りかかったウェイトレスさんに注文するショウ。
それで、誰が飢えてないって?
ブルーベリーパイも食べたところで、ようやく店を出るショウ。
どうでも良いけど、食べ過ぎじゃないのかな。
「本当に、太らない?」
「たまには良いだろ」
「まあ、ね」
良いといえば良いんだけど、ここまで来るとさすがに心配になって来る。
駐車場に停めてあるトラックへ近付いてく私達。
洋館風のケーキ屋さんとは明らかに異質な外観で、赤い軽から降りてきた女の子達がくすくす笑うのも無理はない。
でもって運転席のドアへショウが手を掛けたのを見て、頬を赤らめるのも仕方ない。
「色んな意味で違和感があるね」
「見た目はともかく、パワーはある。高速でも、そこそこ走るぞ」
「それはそれで怖いんだけどね」
助手席へ乗り込み、周囲から視線を浴びる。
トラックへ乗り込んだ女への侮蔑ではなく、ショウの隣へ座った事に対する嫉妬。
一応5年間は一緒にいる間柄。
そのくらいは大目に見て欲しい。
「どうかしたのか」
「別に。この後、どうする」
「折角これに乗ってるんだ。でかい買い物でもするか」
本当、妙に景気が良いな。
確かにでかい買い物をした。
長い買い物、とでも言い換えた方がいい気もするが。
「何よ、物干し竿って」
「頼まれてたのを忘れてた。これはなかなか買えないだろ」
「まあ、車には積めないね」
「トラック万歳だ」
真顔で言ってのけたよ、この人は。
という訳でショウの実家。
八事の邸宅ではなく、マンションの方へとやってくる。
「乗れないね」
エレベーターに物干し竿を入れようとするが、どう見ても長すぎ。
それこそ半分にでも折らないと入らない。
「俺は階段で行くから、先に行っててくれ」
「良いの?」
「大した事無い」
物干し竿を担ぎ、エレベーターの脇にある階段を上り出すショウ。
それ程高層階ではないが、何かを持って上がりたい階数でもなかったはず。
労をいとわないというか、生真面目だよな。
こちらはボタンを押すだけで、目当てのフロアに到着。
廊下を抜けて、ドアの前でインターフォンを押す。
「あら。四葉は」
私の頭越しに、廊下へ視線を向けるショウのお母さん。
間違いなく、私より下にはいる訳ないしね。
「物干し竿を持って、階段を上がってきてます」
「それはお父さんに頼んだのに。ちょっと、来て」
「俺はもう、ソファーの上で生活する事に決めた」
リビングから聞こえる、間の抜けた台詞。
私なら、靴箱の上に置いてある花瓶を投げつけてるな。
リビングではその宣言通り、瞬さんがソファーの上に寝転んでいた。
でもって胸元にテレビのリモコンが置いてある。
これだけで、どうやって生活するのかな。
「こんにちは」
「やあ、いらっしゃい」
依然動かない瞬さん。
良いけど、ちょっと嫌だな。
「寝てないで、物干し竿を持ってきて」
「四葉に頼んだ。あいつに聞いてくれ」
「持ってきて」
低い、地の底から響くような声。
威圧感は、虎か狼かといった具合。
この人も、サトミタイプだな。
ソファーから降りて、部屋を飛び出ていく瞬さん。
でもって、すぐに物干し竿を背負って戻ってきた。
「持ってきた」
「四葉は」
「レシートを忘れたとか言って降りていったぞ。階段で」
なんだ、それ。
でもって、多分本当だろうな。
少しして、息を切らして戻ってくるショウ。
手にはそのレシートを持って。
「ありがとう。ただ、レシートは別にいらないんだけど」
「分かった」
あっさりゴミ箱へ捨てるショウ。
すごいな、この人も。
「物干し竿、どうするんだ」
「それはあなたが、責任を持ってベランダへ持って行って」
「分かりました」
素直に答えてベランダへ向かう瞬さん。
物干し竿は長いが、それを器用に動かして部屋の中を移動。
この辺の体術はさすがだな。
ショウはよく分からないが、段ボールをごそごそいじっている。
つくづく、段ボールに縁がある人だ。
「ショウって最近お金使いが粗いですけど、どうなんですか」
「お小遣いを上げてるから。でも粗いって、何に使ってるの」
「今日はうどんとケーキ。昨日はラーメンとクレープ。季節外れのスイカも買ってました」
「……ちょっと、待っててね」
にこりと笑い、段ボールと格闘しているショウに近付くおばさん。
でもって彼に何かささやいて、徐々に表情を硬くしていく。
最後に段ボールが派手に叩かれ、ショウは体を小さくして頷いた。
「ごめんなさい。私、ちょっと出かけてくるから」
「はぁ」
全身から怒りのオーラを発しながら出ていくおばさん。
何だろうな、一体。
軽い咳払い。
姿勢を正し、ショウは私の前に立った。
「怒ってるか?」
「全然。というか、怒る理由が無い」
「怒れない程呆れてるとか」
「いや。意味が分からないんだけど」
それでもショウは頬を指で掻きながら、私をじっと見つめてきた。
「いや。俺はあれで良いのかなと思ってて」
「物干し竿の長さ?多分、あれで良いと思うよ」
「何言ってるんだ」
真顔で尋ねられた。
いや。それはお互い様じゃないの。
「うどんとかケーキの事」
「美味しかったけどね」
「そうじゃなくて。なんて言うのかな。もう少し違う使い方があったんじゃないかって」
「カレーとか、和菓子って意味?」
それにも首を振るショウ。
ますます意味が分かんないな。
取りあえずテーブルへ付いてお茶を飲む。
ショウもだが、私も少し落ち着きたい。
「最近、金をもらってるんだ。父さん達から」
「それは聞いた。ローンが無くなったんでしょ」
「まあ、それもある。それもあるけど、それもある」
どれもあるのよ。
などと茶化す場面でもなく、話の続きを聞く。
「つまりさ。使い道だよ」
「食べたい物を食べるために使うのは良い事でしょ。しばらく食べられないなら、余計に」
「いや。軍の食事が制限されるだけで、休みの日は外に出られる。だから、食べられる」
「ああ、なるほどね。それでも休日以外は駄目なんだから、構わないんじゃないの」
言ってみれば、何に使うかは彼の自由。
食べるのが好きなら、それに使うのは何も悪い事ではない。
ただ彼は、違う考えを持っている様子。
いや。さっきの様子から見ると、おばさんは違う意味でお金を彼に渡したのかも知れないな。
「ユウが喜ぶのは何かなと思ってさ」
「私?私は別に、何も無いよ」
喜ぶ物が無い訳ではない。
敢えて彼から何かをもらったりとか、してもらう必要が無いという意味。
言ってみれば、彼の側にいられればそれでいい。
さすがに、口に出してまでは言わないけれど。
「私のために、もらったお金なの?」
「そういう訳じゃないけど、そういう訳らしい」
「ふーん」
おばさんが怒った気持ちも、分からなくはない。
女の子のために使えと渡したお金が、うどんやラーメンに消えてしまっては。
ただ彼は彼なりに私を喜ばせようとして使った訳だし、私はショウがそれで良いと思うなら構わない。
「私は気にしないけど。うどんでもピラフでも」
「良いのかな」
「私はね」
これは非常に、主観的な意見。
私はそう思うという話。
世間一般の女の子からは、相当に異論があるかも知れない。
またサトミやモトちゃん辺りが聞いたら、彼女達も段ボールを叩くだろう。
それでも私の答えに多少は気が良くなったのか、笑顔を浮かべるショウ。
冷静に考えると多少どうかとは思うが、そこは黙っておこう。
「でもまだ先の話でしょ。入隊するのは」
「先は先だけど。もう、半年もないぞ」
「それでも、数ヶ月はあるでしょ」
そう答え、壁のカレンダーへ視線を向ける。
自分で数ヶ月もあるとは答えたが、ショウが半年しかないと言うのも最も。
一ヶ月すれば、今年も終わり。
卒業が3月で、その辺は色々慌ただしいはず。
ゆっくり過ごせる時間は、決してそう多くはない。
広告を一枚持ってきて、裏の白い部分に今日の日付を書く。
そして入隊する日付も書く。
後はそれを計算。
確かに、それ程時間はないな。
実際は数ヶ月もあるんだから無い訳はない。
ただ別れが迫るとなれば、話は別。
色々考えは巡るが、具体的なアイディアは何も出て来ない。
ショウがうどんへ走った訳も、今は納得出来る。
まずはお茶を一杯。
お菓子がないな。
「お菓子ある?」
「全部食べた」
「いや。この家にあるお菓子だよ」
「だから、全部食べたって言ってるだろ」
妙に強気で返すショウ。
それにしても全部って、どういう事よ。
「買い置きでもないの」
「無いよ。何もない」
「無い訳は無いでしょう」
勝手にキッチンへ入り、冷蔵庫から棚から全部見る。
しかしお菓子は一切無し。
甘い物であるのは、砂糖とみりんくらい。
何だろう、これは。
「仕方ない、作るか」
「さっき、ケーキ食べただろ」
「それは、それ。これはこれ」
「よく食べるな」
自分が言わないでよね。
小麦粉と砂糖とベーキングパウダーと卵。
後は牛乳とバター。
材料としてはシンプルだが、これだけあればどうにかなる。
小麦粉とベーキングパウダーをふるいに掛け、卵や砂糖を混ぜてかき混ぜる。
後はフライパンを熱して、サラダオイルを投入。
一度火を止め、フライパンを濡れ布巾に載せる。
サラダオイルを軽く拭き取り、フライパンに油が馴染んだのを確認。
改めて火に掛け、今度は生地を投入。
「まだか」
うるさいな。
それと、フォークは持たないでよ。
「一から作るのは結構手間が掛かるの。良いから、お皿用意して」
「一枚だけか」
うるさいって言うの。
結局2枚重ね、その上にバターを一欠片。
さらにメープルシロップを掛けて、牛乳を添える。
「頂きます」
私は一枚の半分。
バターは少し、シロップも少し。
それでも味としては申し分なく、手作り感独特の柔らかい味。
たまには、自画自賛しても良いだろう。
「ソーセージがあっても良いよな」
本当に底が無いな、この人は。
ただ甘い物を食べたせいか、気持ちは少し軽くなった。
頭が良く回転する訳でも無いんだけど。
「旅行、は無理か」
もうすぐ年末だし、お金もいれば時間もいる。
そういう余裕はないと思う。
何か心に焼き付くような思い出。
私とショウに限定する必要はない。
みんなで共有出来て、しかもお手軽な何か。
そんな都合良い物があれば苦労はしないが。
「旅行がどうした」
「卒業前に、思い出が欲しいなと思って」
「でかい何かを作るか」
だから何よ、でかいって。
二人では埒が開かないので、話が分かりそうな人を呼ぶ。
「文化部が集まって、今作ってるよ。それに協力したら」
「彫刻でも作るの?」
「風船アートって言うのかな。大きい風船をいくつもつなぎ合わせて、恐竜を作るって」
両手を大きく広げる木之本君。
どうやら、風船のサイズを示した様子。
だけどそんな風船が割れたら、とんでもない事になるんじゃないの。
「危なくない?」
「割れた時?音はすごいと思うよ。ただ移動させるのは簡単だし、最後は自走式にするって言ってた」
妙に楽しそうに語る木之本君。
間違いなく、一枚噛んでるな。
「じゃあ、それでいいや。私達も参加出来る?」
「それは問題ないよ。ただ、揉めないでね」
「私も、意味もなく暴れたりはしない」
「そうだね」
寂しく微笑み、端末で連絡を取る木之本君。
地味に失礼だな、この人。
3人で近所のおもちゃ屋さんに行き、同じサイズの風船を買ってみる。
まず膨らます前から大きくて、ちょっと腰が引けてくるな。
店の駐車場で膨らませようとするが、自転車の空気入れとかそう言うのが必要なサイズ。
口で膨らませす物ではないだろう。
そう思っていた矢先、深呼吸と共に風船へ口を付けるショウ。
でもって立て続けに息を吹き込み、風船を膨らませ始めた。
「……これって、器具を使うんじゃないの」
「普通はね」
苦笑気味に語る木之本君。
ただ一つくらいなら、もしかするとどうにかなるはず。
私は膨らますという発想自体、考えられないが。
みるみる間に大きくなっていく風船。
ショウの呼吸も少し荒くはなるが、ペースはそれ程落ちては来ない。
すでにサイズとしては、私が一人は入れるくらい。
もう十分な気もするが、風船にプリントされた女の子の絵は多少細長い感じ。
まだまだ膨らむ余地はあるようだ。
「これを組み合わせるんだよね。どうやるの」
「結び目を結合させて、ロープで吊したりするんだと思う。配置図さえしっかりしていれば、大して難しくないよ」
「そんなものかな」
ジグソーパズルも満足に作れない私からすれば、どう構成すると恐竜になるかが全くイメージとして沸いてこない。
こう言うのは空間の把握。
道に迷う私には、難しいジャンルだと思う。
そうこうする内に、風船は完成。
さすがにショウは何も言わず、膝に手を付いて喘いでいる。
「お疲れ様。それでこれ、膨らました後はどうするの」
「割るしかないよね」
意外と冷静に語る木之本君。
少しドライとも思うが、実際それ以外に処理のしようがない。
サイズとしては軽自動車より少し小さい程度。
それを持って移動するのは、一般常識から大きくかけ離れている。
ただこれだけのサイズだと、さっきも言ったように相当の音がするはず。
分かってはいても、あまり楽しい物ではない。
「……付いてくるんだけど」
「静電気じゃなかな」
なるほどねと言いたいが、分かった所で風船は離れない。
というか、ひたひた私の後を追ってくる。
「冗談は良いんだって。しっ」
手を振るが、離れる気配はまるでない。
むしろそれが悪かったのか、さっきより近くに寄ってきた。
「木之本君、どうにかして」
「割るしかないよ」
それはもういいんだって。
結局紐を付け、それをショウが確保。
私は遠くに離れ、彼が割るのをじっと見守る。
「わっ」
何の前触れもなく割れる風船。
ショウや木之本君が触れた気配はなく、地面にこすれていたため風船自体が脆くなっていた様子。
これは結構難物だな。
つまりこちらが意図しなくても、風船が傷付けば勝手に割れる。
ぼんやりしていると後ろで破裂、なんて事も十分ありうる話。
「耳栓した方が良い?」
「困る事は無いと思う。人の声だけ聞こえるようなタイプもあるからね」
「それを使う。さすがに、これが割れるのはあまり楽しくない」
これはおもちゃ屋さんでは手に入らず、少し離れたドラッグストアへ移動。
ゆっくり休日を過ごすどころか、動き詰めになってきた。
「えーと、これか」
安眠コーナーで、それっぽい耳栓を確保。
私の場合寝付きは良いため、ここにあるグッズや薬は必要ない。
そのために来た訳でも無いが。
まずは耳栓。
次に、さっきよりは小さい風船をドラッグストアの駐車場で膨らませる。
この時点で、すでに音は殆ど遮断。
木之本君の声が、多少くぐもって聞こえる程度で。
「割るよ」
「いつでも」
ニッパーの先で風船を突く木之本君。
風船は即座に破裂。
破れたゴムがだらしなく地面へ落ちるが、音は殆どしない。
机を指で叩いたような小さい音がしたくらいで。
「これ、良いね。街中で付けてると、危ないけど」
聞こえるのは人の声くらい。
それ以外が聞こえないのは、歩行や走行にはかなり危険。
車の接近や周囲の異変に気付かないため、自分から危ない場所へ突っ込んでしまう可能性がある。
使いどころは、少し慎重になった方が良いだろう。
風船対策も出来て一段落。
さて、次はどうしよう。
「じゃあ、僕はこれで」
にこりと笑い、立ち去ろうとする木之本君。
急ぎの用事でもあるのかな。
「どこか行くの」
「いや。その。邪魔かなと思って」
邪魔。
駐車場に立ってはいるが、周囲には車も人もいない。
特に邪魔という事は無い。
塀の上から、猫がじっとこちらを睨んでるくらいで。
「邪魔ではないでしょ。誰もいないし」
「そういう事でも無いんだけどね」
「意味が分かんないな。折角トラックがあるんだし、木之本君も何か買っていったら?」
「全く意味が分からないんだけど」
それもそうだ。
それでもホームセンターに立ち寄り、さっきの物干し竿くらいの角材と板を購入。
そのまま寮へとやってくる。
「犬小屋でも作るの?」
「犬がいないよ」
普通に突っ込まれた。
だが私の貧相な発想力では、そこが限界。
後は棚か椅子くらいしか思い付かない。
「ショウは分かる?」
「木馬とか」
誰が乗るのよ、それ。
出来上がったのは小さなテーブル。
かなり簡素だが、強度としては問題なし。
何のためにテーブルなのかは、かなり疑問だが。
「これ、どうするの」
「一度作ってみたかったんだよね」
「テーブルを?」
「サイズがサイズだから、今までは止めてたんだけど」
確かに元の材料はそれなりの大きさ。
作ろうという意思だけで作れる物ではない。
作りたいと思えるような物でもないが。
完成をしたら、これを使う場所。
もしくは、収める場所が必要になってくる。
「……置き場所なんて無いぞ」
ドアの隙間から目だけを覗かせ、陰気に告げるケイ。
まだ、何も言って無いじゃない。
「そのテーブルだろ。燃やせ」
「今作ったばかりなの。マンガを捨てて、代わりに置いてよ」
「言ってる意味が根本的に分からん。それと俺は忙しい」
どう見てもそうは思えないが、ドアが開かない事には話にならない。
仕方なくスティックを隙間に差し込み、てこの原理で前へ押す。
少しの抵抗はあったが、どうにかテーブルが入るくらいの隙間が出来た。
後は、中へと運び込むだけだ。
相変わらず物が無いというか、マンガとゲームしかないな。
ただ一度全部処分されてるので、以前に比べればかなり少なめ。
テーブルを置くスペースも、確保されている。
「ショウの部屋へ置け。あっちの方が、まだ広い」
「トレーニングの邪魔なんだって」
「……俺も邪魔なんだ」
「すぐ運ぶから。少しの間だけ」
「それって、卒業までって言わないだろうな」
その質問には答えず、マンガをどかしてスペースを確保。
ショウと木之本君が、そこへテーブルを設置する。
「大体、何だこれ。木材を組み合わせただけだろ」
「もうすぐ卒業じゃない。その記念に」
「まだ半年先だ。来年やってくれ、そういう事は」
意外と悠長だな。
それとも私達が、変に先走ってるだけなんだろうか。
仕事は一段落。
後は、室内でも物色するか。
「何か、面白い物無いの」
「俺は、ユウを楽しませるために生きてる訳じゃない」
「つまんないな。……このゲームは」
「まあ、好きにやってくれ」
テーブルを見ながら、投げやりに答えるケイ。
少し疲れてるみたいだな。
どうして疲れてるかは、この際考えないでおくとして。
それはそれとして、ゲームを起動。
FTPって言うのかな。
自分視点の戦闘ゲーム。
普通は戦場だったり廃墟だったりするんだけど、これは舞台が草薙高校。
草薙高校陥落ゲームの派生版かも知れない。
「これも、私とかいる?」
「ユウはスティック。近接戦闘に持ち込むしか勝ち目はない」
ケイがそう答えた瞬間、足元に着弾。
遠くから狙われたらしい。
「だったら、銃を持ってる人が圧倒的に有利じゃないの」
「金だよ、金。買えば良いんだよ。銃でも何でも。人の心でも」
何を言ってるんだか。
取りあえず購買へ立ち寄り、マシンガンを購入。
購買で銃が売ってるのも、どうかとは思うが。
「血は出ないよね」
「一応、ゴム弾という設定になってる」
「ならいいや」
いくらゲームでも、相手が血飛沫を上げて倒れるのはさすがに見たくない。
突然は以後からの掃射。
咄嗟に伏せるが、少しダメージを受けた。
相手は渡瀬さんと神代さんと真田さんと緒方さん。
「何、これ」
「本人がプレイしてない場合もある」
でもってケイもパットを握り、ゲームをプレイ。
彼の動きに合わせ、彼女達も動き出す。
「本人の許可を得れば、キャラを動かす事も出来る」
「ああ?」
「あー、楽しいなー」
気付くと周りは、知り合いで一杯。
それが全員、私に向かって銃を乱射。
ゲームとはいえ、あまり面白い光景ではないな。
彼等を撃つ気になれず、頭上を飛び越え逃亡。
背中へ銃撃が浴びせられるが、気にせず逃げる。
ゲームだしね。
建物の影に隠れ、息を潜める。
というか、やるんじゃなかったな。
「思い出だろ、思い出」
「何の思い出よ。木之本君、どうにかして」
「良いけどね」
パットを握る木之本君。
やがて地響きが鳴り響き、重戦車が現れた。
どうやら運転しているのがショウ。
砲手が木之本君のようだ。
スピーカーからの轟音。
吹き飛ぶ教棟。
なんだ、これ。
「ちょっと」
「大丈夫。時間が経つと、元に戻るから」
「著しく、ゲームバランスを壊してない?」
「ガソリンと弾薬の制限があるからね。見た目ほど有利な武器じゃないよ」
私が乗り込んだところで戦車が出発。
中に入ると、ゴム弾では反撃不可能。
ゴム弾相手に戦車というのも、大人げないが。
正門を抜けたところで、一旦ゲームを終了。
サトミが悲鳴を上げていたように見えるが、気のせいだろう。
「こういう思い出じゃなくてさ」
「思い出なんて、苦くて苦しいだけだぞ」
何を真顔で言ってるんだ。
というか、今までどんな人生を歩んできたんだか。
でもってショウと木之本君は、どうして頷いてるんだ。




