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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第44話
504/596

エピソード(外伝) 44   ~御剣君・苦悩編~






     最強の下で




 終わった。

 もう何もかもが終わった。 

 例えではなく、俺の人生が終了の時を告げた。

「……何してんの、あんた」

 書類片手に、怪訝そうな顔でこちらを見てくる神代。

 何と言って、段ボールの整理中。


 多分それは、彼女も分かっていると思う。

 聞きたいのは、どうして俺が総務局へいるのかだろう。

「武士さん、済みませんが先程の書類は元へ……。あら、あなた」

「先日行われた会議の資料を持って参りました。それで、たけしさんって?」

「御剣武士さんですから」 

 俺を指さしながら答える矢加部さん。

 雪野さん達と揉めて俺が助けを求めたのは彼女。

 昔から俺にも好意的で、理解のある人。

 他に頼る人がいないとも言える。


 神代は適当に頷き、なおも俺を見続ける。

「雪野先輩の所へ戻らなくて良いの」

「戻ってどうする」

「あそこがあんたの居場所でしょ」

「違うね。俺は自分の足で立って」

「ここに逃げ込んだって事?」

 かなりのきつい台詞。

 またそれは何一つ間違ってもいない。

 俺は自分の意志も何も、ただ逃げてきただけ。

 大層な理由や使命があった訳では無い。

「あなたは」

「神代と申します」

「ああ、元野さんの。武士さんについては私が面倒を見ますからお引き取りを」

 分かりやすく彼女を遠ざけてくれる矢加部さん。

 またそこまで言われてまで話す理由も無いと思ったのか、神代は彼女に頭を下げて歩き出した。

「お、おい」

「別に責めてないよ。ただ、ここにいて何が解決するのかなと思っただけ」

 そう言い残して消える背中。


 逃げて解決出来るのなら、俺は何も困っていない。

 またここは草薙高校の生徒会。

 雪野さん達との距離はあまりにも近く、逃げた内にも入らない。

 本当は北海道くらいまで行きたいが、それは相当に危険な行為。

 俺が本当に逃げたと彼女達にアピールするような物で、間違いなく地獄を見る。


 軽い咳払い。

 何かと思ったら、矢加部さんが積み上げた段ボールの一番下を指さした。

「資料、そこに入ってますので」

「今取ります」

 積み上げた段ボールを一つずつ降ろし、一番下の段ボールを手前に寄せてふたを開ける。

 良くは分からないが、予算関連の資料。

 矢加部さんはそれを数枚抜き取り、元へ戻すよう告げた。

「もう良いんですか」

「抜き取りチェックです。またしまうので、それは一番上にでも」

「分かりました」

 今の段ボールを脇へ寄せ、それ以外の物を元の位置へと再び戻す。

 5年間の保管期限の間絶対見直さないと聞いていたが、例外もあるようだ。

「疲れたでしょうし、お茶でもいかがです」




 矢加部さんに与えられた個室でお茶を飲む。

 正直そういう心境ではなく、今は苦痛と不安の連続。

 逃げたは良いが、打つ手はない。

 そもそも逃げた時点で全て失敗。

 良い事なんて、何一つ無い。

「もう戻るおつもりですか」

「滅相もない」

 慌てて首を振って、紅茶を飲む。 

 今戻れば、制裁は早く済む。

 だけどまだ、その覚悟が出来ていない。

 とはいえ戻るのが遅くなればなるほど、制裁は後回し。

 この気分が続く事となる。

 どちらにしろ制裁は絶対。

 それが無くなる訳はない。

「……去年四葉さんも、似たような事をしてました」

「なんかありましたね、春先に」

「彼は結局、戻っていった訳ですが」

 寂しげに呟く矢加部さん。

 雪野さんと四葉さんの絆を考えれば当然の事。

 むしろ離ればなれなのは、あまりにも不自然。

 考えにくい事である。


 問題は、話の行き先。

 だから俺も早く戻れと言いたいのか、それともまだ慌てるなと言う意味か。

 ただ彼女も俺をいつまでも甘やかせてはくれないだろうし、俺もそのつもりはない。

「仕事があれば、何でもしますけど」

「……風紀委員気取りの生徒が何名かいて、護衛を求めてます。つまらない仕事でしょうけど、何事も経験です」

「それって危なくないですか。仕事がじゃなくて、雪野さん達に見つかったら」

「一度くらい、地獄を見るのも良いでしょう」

 何が良いのか全く不明。

 しかも見るのが前提か。




 指定された部屋に行くと、その風紀委員気取りらしい連中が集まっていた。

 生徒会のメンバーらしいのが数名。

 後は傭兵風の男が数名。

 草薙高校にこういうのは馴染まないと思うが、やるのは勝手。

 それこそ地獄の端を覗き込んでる気もするが。

「矢加部さんの推薦とありますが、実力は」

「まあ、そこそこ」 

 謙遜しても仕方ないし、護衛としてきたからにはそれなりの実力がないと無意味。

 少なくとも、ここにいる連中に負けないくらいの自信はある。

「私達の使命は草薙高校の秩序を保つ事。今自警局のガーディアンは資格を停止されていますが、未だにガーディアン気取りの生徒も大勢います。そういう彼等に注意するのが、今日の仕事です」

 高らかに言い放つ女。

 この先の結果が嫌と言う程見えてきた。


 磁場と言うんだろうか。

 何もしていなくても、彼女達は様々な物を引き寄せる。

 それは必然の場合もあるが、偶然の時もある。

 以前より半分の敷地になったとはいえ、以前として広い学校。

 彼女達に出会う可能性はそれ程無い。

 だけど会うから恐ろしい。


「怖いのか」 

 俺が深刻な顔をいているのを見て、鼻で笑う傭兵。

 それに反感は覚えるが、怯えていたのは事実。

 特に否定はしない。

「でかい体して、肝っ玉は小さいんだな」

「俺の事はどうでも良いだろ」

「取り分の問題がある。人数が減れば、報酬も変わってくるんだよ」

 下品に笑う男達。

 そういう意味かと思い、顔の前で軽く手を振る。

「俺は傭兵じゃないから、報酬はあんたらが分ければいい」

「聞き分けが良くて結構。それと俺達の行動に口出しは無用だぞ」

「ああ」

「素直な奴だ。お前、大物だぞ」

 小馬鹿にしたように笑う傭兵達。

 生徒会のメンバー達も失笑気味。

 体だけ大きくて役に立たないでくの坊と思っているのだろう。




 浦田さんを殴り倒し、無言のまま引き上げる。

 廊下を歩いていても回りとは距離があり、空気はひたすらに重い。

 舐められる事は無くなったが、友好的な関係を結ぶのも難しくなった。

 それを望んでいる訳では無いにしろ、あまり良い気分でないのも確か。

 浦田さんの無抵抗振りも妙に気になる。 

 俺に恩を売ったのか。 

 もしくは違う意味があるのか。

 まさか、手を出して失敗だったらどうしよう。

 何しろ相手が相手。

 ある意味雪野さん以上に危険な存在。

 厄介ごとを一つ増やしてしまった気もする。



 総務局に戻り、個室にこもって鍵を掛ける。

 この先、何があろうと不思議じゃない。

 例えば、ドアを蹴破って誰かが……。

「え」

 どすどすという低い音。

 どう考えてもドアを叩いてる音。

 叩いてどうなるような厚さではないし、構造でもない。

 しかしドアは叩かれ、まさかとは思うがこのまま押し破るつもりだろうか。

「開ける、開ける、今開ける」

 慌ててセキュリティを解除。

 警棒に手を触れつつ、腰を落として身構える。


 そのドアから入って来たのは四葉さん。

 それも、非常に爽やかな笑顔を湛えた。

「よう」

 挨拶までされた。

 意味は分からないが、こちらも頭を下げてそれに応える。

「どうしてドアを叩いたんだ」

「お前が逃げ込んだって聞いたからさ。無理矢理開けようと思って」

「……逃げた訳じゃない」

「お前な、小さいぞ」

 たしなめるように俺を睨む四葉さん。

 それには思わずこちらも目付きを悪くする。


 そもそもの原因はこの人。

 本箱とゆで卵と、過去の色々な経緯が頭の中で渦巻いていく。

 この人がいる限り、俺は常に2番手。

 上に行く事は無い。

「それに俺の事は良いけど、ユウ達には逆らうな」

 一転なだめるような口調。

 こういう人の良さが、俺の敵わない理由でもある。

「別に逆らってはない」

「だったらいい。それと、無理に頭を下げる必要もない。どっしり構えろ、どっしり」

「雪野さんにそう言えるのか」

「俺は相手が誰だって、自分を貫くさ」

 そう言って笑う四葉さん。

 俺しかいないと威勢がいいな。


 つまり、俺以外の人間がいたらどうなるかだ。

「俺はとても言えないけどな」

「だから小さいんだ、お前は」

「あ、雪野さん」

「えっ」

 声を裏返し、体を小さくしながら後ろを振り返る四葉さん。

 語るに落ちるとはまさにこの事。

 学校最強の面影はどこにもなく、その姿はむしろ小動物。

 というかこの人がこうして怯えるから、俺も影響を受けたんだ。

「自分が一番気にしてるんだろ」

「はは。馬鹿だな、お前。演技だよ、演技。ちょっと、お茶でも飲みに行こうぜ」

「遊んでて大丈夫なのか」

「どっしりと構えろ、どっしりと」

 どうやら、この言葉が気に入ったらしい。




 姿勢を低くし、人目を避けるようにして生徒会内を移動。

 そのままラウンジへと滑り込み、隅の方でお茶を飲む。

「どうして隠れるんだよ」

「隠業の練習だ。日々何事も鍛錬だぞ」

「雪野さん達から逃げてるだけじゃなくて?」

「そんな事は無い。俺は逃げも隠れもしないんだ」

 少し硬くなる表情。

 何かやってきたのかな、この人。

「あ、遠野さん」

「騙されるか」

「すごいこっち睨んでるけど」

「サトミの一人や二人、なんて事は」

「その二人目は、私のクローン?それともドッペルゲンガーかしら」

 冷ややかな、氷の刃みたいな声。

 四葉さんは椅子から転げ落ちそうになり、つま先をテーブルに引っかけてどうにか踏みとどまった。


 ただ、踏みとどまったのは体勢だけ。

 精神的には崖を転げ落ちている所だろう。

「私がどうかしたのかしら」

「ぜ、全然。今、武士と褒めてた」

「へぇ」

 依然として冷ややかに笑う遠野さん。

 軽く指先で突けば崩れ去るのが分かっているのに、敢えて遠くから地面を足で踏んでるような。

 それ自体にはなんの効果もないが、精神的には悪いの一言に尽きる。

「それと図書館から本を借りてくるよう頼んだでしょ」

「他の生徒が借りてるから、一週間待ってくれって言われた。用は済ませてある」

「済ませたら戻るのよ」

 殆ど飼い犬扱いだな。

 つくづく不憫というか、人ごとではないというか。

「御剣君、どうかしたの」

「い、いえ。俺はなにも」

「そう言えば、最近態度が違うわね。随分大物みたいだけれど」

 一転、内臓をえぐるような台詞。

 思わず口ごもり、視線をそらして、気配を消す。


 今すぐ逃げてしまいたいが、その視線は釘のように俺の心に突き刺さる。

 一歩でも踏み出せば、待つのは地獄かこの世の終わり。

 良い事など、何一つとして無い。

「質問をしているのよ、私は」

 見逃すつもりもないのか、なおも責め立ててくる遠野さん。

 言葉の代わりに、嫌と言う程汗が噴き出る。

「それとも、私とは話す気にもならないとか」

「め、滅相もない。俺は別にも。他意は無いです、全く」

「あなたに他意があるとか無いとか、そんな事はどうでも良いの。ユウに、余計な心配を掛けないで」

「心配?心配ですか?」

 怒ってはいると思うが、心配ってなんだ。

 俺を殴りすぎないかという心配だろうか。

「とにかく、ユウに迷惑を掛けないで。私が言いたいのはそれだけよ」

「いや。特にそう言うつもりは無いですが」

「あなたの行動が、結果として迷惑を及ぼしてるの。自立するのは構わないけれど、周りを見て行動しなさい」

 険しい眼差しで俺を睨み付け、長い黒髪をたなびかせながら去っていく遠野さん。

 生きた心地がしなかったとは、まさにこの事だ。

「遠野聡美、恐るるに足らずだ」

 冷や汗を拭いながら笑う四葉さん。

 だったら、顔くらい上げてくれよ。




 生徒会の業務が終了。

 家へと帰り、少し遅めの夕食を食べる。

「元気ないな」

 日本刀を照明にかざしながら声を掛けてくる父さん。

 それへ適当に答え、小さくため息を付く。

「悩みでもあるのか」

「いや、別に」

「お前も思春期だ。悩みの一つくらい無いと困る」

 そう言って笑う父さん。

 そこまで脳天気だと思われてるのかな。

「将来はどうする」

 唐突な質問。

 とはいえ、過去何度か交わされた内容ではある。


 御剣家は鶴木家や玲阿家同様、武を持って生きる家系。

 先祖は大体武士か軍人。

 実際父さん達も軍人で、俺もそうなる物だと幼い頃は思っていた。

 ただ戦争が終わって、早10年。

 そういう物でも無いという話が、親戚の間でも大勢を占めたらしい。

 選択肢は多い方が良く、今更軍でもないだろうと。

 とはいえそれはこちらが言う話。

 散々軍の話を聞かせておいて、いざとなったら行く必要が無いと言われても困る。


 しかし半ば反対されている状態で自分を貫く程の覚悟もないし、決心もない。

 四葉さんとは違って。

 また俺にはそこまでの思い入れも無く、駄目なら違う道を模索するだけだ。

「警察に入ろうかと思ってる」

「警察。お前が。警察」

 どうして二回言う。

 それとも、俺は取り締まられる側とでも言いたいんだろうか。

「特殊部隊ってあるだろ。SATとかSITって」

「おい」

「ああいうのなら向いてると思うんだ。刑事とか交番勤務は無理でもさ」

「それと軍とどう違う」

 眉間に突きつけられる切っ先。

 どうやら、あまり賢い回答ではなかったようだ。


「い、いや。別に殺し合う訳じゃないし。それにサラリーマンって柄でもないし。だったら、そういう道しかないだろ」

RASレイアン・スピリッツのインストラクターだってある」

「それもいいけど。やっぱり実戦じゃないのかな」

「頭が痛くなってきた。……はい。……ああ、上がってくれ」

 苦い顔で端末をテーブルへ転がす父さん。

 少しして、陽気な笑顔を浮かべた真由さんが現れた。

「空気重いわね。おじさん、どうかしたんですか」

「こいつが、警察の特殊部隊に行きたいと言い出した」

「確かにそれは頭が痛いというか、頭の悪い話ですね」

 つくづく遠慮がないな、この人は。



 呆れたのか、ダイニングを出て行く父さん。

 真由さんは父さんに代わって俺の対面に座り、背もたれに身を任せて俺を見つめた。

「どうして特殊部隊なの」

「実戦的かなと思って。やっぱり俺達は、戦ってこそだろ」

「それは否定しないけれど。あまり賢くもないわよ」

「どうして」

「根本的な部分から説明しないと駄目みたいね」

 部屋の隅にあった広告を一枚持って来て、それをテーブルの上に置く真由さん。

 そこに、「軍」と「警察・特殊部隊」という文字が書き込まれる。

「軍は確かに殺し合いをする組織だけど、今の日本はどことも戦争をしてない。つまり、そういう機会がない」

「ああ」

「対して特殊部隊は、テロリストや武器を持った籠城犯を相手にする。それは毎日とは言わないまでも、確実に起きる」

「実戦的だろ」

 いきなり顔の前に飛んでくるペン。

 やはり、あまり良い答えでは無かったらしい。


 真由さんは俺が返したペンを受け取り、それで特殊部隊という文字を突いた。

「つまり、ある意味軍より危険なのよ」

「考え方の違いだろ」

「……ある意味と言ったでしょ」

 その内包丁でも持ち出しそうな顔。

 回答には、もう少し慎重になろう。

「危ない事を止めて欲しいから、軍へは行くなとみんな言ってるの。特殊部隊は、それと同じでしょ」

「ただ、人のためになる」

「え?」

 声を裏返す真由さん。

 目の前にいた犬が突然話し出した、みたいな顔をして。



 そんな俺だって何かを考えもするし、少しくらいは成長もする。

 そう考えだしたのは、おそらくガーディアンとしての経験。

 元々ガーディアンになった事自体は、自分の意志ではない。

 四葉さんや雪野さんに、無理矢理放り込まれたような物。

 昔は俺が無闇に暴れ回って、取り締まられる側になると思っていたらしい。

 初めはどうあれ、それからはガーディアンとして4年以上を過ごしてきた。

 嫌な経験、苦い経験も数多くあった。

 だけど、こんな俺でも多少は人の役に立った事もあったはず。

 俺の思い込みだけではなくて。


 考えは浅いし、絶対的な信念がある訳でもない。

 それでも戦いにおいては、それなりの自信は持っている。

 それだけは、俺の中では譲れない。

 警官へ飛躍するのは唐突とも言えるが、俺の中では一応の一貫性を保っている。

 あくまでも、俺の中でだけは。


 真由さんは訝しげに俺を見つつ、ペンを手の中で何度か回して見せた。

「まあ、何か考えがあるのなら良いんだけれど」

「ありがとう」

「それに試験が受かるとも限らないし」

「試験?」

 今度は俺が声を裏返す番。

 推薦制度ってなかったっけ。

「……警察は、地方公務員。自治体の職員と同じで、当然筆記試験も面接もあるわよ」

「そこを曲げて」

「私に頼んでどうするの。とはいえ大学卒業後ならまだ5年はあるんだし、ゆっくり勉強したら。格闘技に精通してれば、実技くらいは免除してくれるでしょ」

 適当に言って笑う真由さん。

 人ごとだと思って、気楽に……。

 いや、待てよ。

「真由さんは、将来何になるつもり?」

「おばさんや流衣ちゃんの手伝いね。RASの経営を」

「出来るのか」

「失礼ね。やろうと思えばなんだって出来るのよ、この私は」

 自信だけは、相変わらず超一流。

 実績と実力がどの程度伴っているかは疑問だが。




  自警局へは戻らず、未だに総務局へ止まり美帆さんの手伝いをする。

「なんだよ」

 じっと俺を見て来る小谷。

 そして、俺の手元を指さした。

「書類の整理だ。悪いか」

「被害妄想だね」

 嫌な奴だな。

 またそれは、今の事だけを言っているのでも無いだろう。

 雪野さん達から離れた自分の心情を指摘された気もする。

「何か用か」

「矢田さんが君を気にしてる。何かやらかさないか、心配らしい」

「俺が、何を」

「分からないから心配なんだろ。とはいえ、心当たりが無いとは言っている欲しくない」

 あくまで俺に問題があると言いたいのか。


 胸に手を当て考えれば、思い当たる節は無くも無い。

 諸手を上げて歓迎しますとは、多分だれも言わないだろう。

「でも俺は、美帆さんには」

「矢加部さんは、比較的君に甘いからね。ここへ受け入れてるのが、その証拠だよ」

 苦笑する小谷。

 つまりは矢田局長にも、美帆さんにも迷惑を掛けてるという訳か。

 何より、雪野さん達にも。



「そんなにゆで卵が食べたかった?」

「なんの話だ」

「玲阿さんと、どっちがゆで卵を食べるかで喧嘩したのが原因だろ」

 世の中の全てが理解出来なくなった瞬間とでも言おうか。

 疑われる事には慣れているが、ここまでひどいとさすがに萎える。

「そんな訳ないだろ。四葉さんがそう言ったのか」

「いや。ただ君に、ゆで卵を届けてくれとだけ」

 なんだか、めまいを起こしそうになった。

 何も言わず出て来た俺も悪いが、今回に関しては四葉さんも同罪だ。

「そうじゃない。最後に一つ残ったから、それを譲り合っただけだ」

「それにしては、随分暴れてたけど」

「俺達からすれば、それほど大した事でも無い。それと、ゆで卵を取り合った訳でも無い」

 ここは改めて念を押す。

 こうなると、つくづく自分がどう見られているかを実感する。

 とはいえ、ゆで卵一つで暴れると思われていたとはショックだな。




 小谷は自警局へ戻らず、美帆さんの手伝いを始めた。

 俺のように形式的にではなく、その代理を努められるくらいに。

「どうななさいましたか」

 陰気に壁と向かいあっていた俺に声を掛けてくる美帆さん。

 とはいえ拗ねているのではなく、壁の高い位置を補修中。

 業者に頼む手間と経費をはぶいた結果だ。

「別に普通ですが」

「そうですか。それで、いつまでここにいるつもりですか」

「お、追い出すんですか?」

 多分今は、相当哀れっぽい声が出たと思う。

 美帆さんの方を始めから向いていたらすがりついたかもしれない。

「何を仰ってるんです。大体自立したのではなかったのですか」

「あ、相手が相手ですよ。雪野さんですよ、雪野さん。あの雪野さん」

「四葉さんは、遠野聡美恐るるに足らずと仰ってましたが」

 どこから聞いたんだ、それ。

 でもって、根本的に分かってない。


 大きく深呼吸。

 気持ちを落ち着け、改め美帆さんへと向き直る。

「遠野さんは確かにひどいです。でも、そこはそれ。一般常識を兼ね備えてます、あの人は」

「雪野さんは違うとでも?まあ、違う所もあるでしょうね」

「そんな甘い話じゃないんですよ。あの人は、常識では量れないんですって。白と言ったらカラスは白とか、そんなレベルじゃないんですよ。虎が二本足で立って、俺に敵意を向けてるんですよ。虎ですよ、虎。どう思います」

「まずは少し落ち着いて下さい」

 たしなめられた。

 俺としては冷静さを保っていたつもりだったが、端から見ると恐ろしく焦っているように見えるらしい。

「雪野さんに一般常識が欠けているのは承知してますが、いきなり武士さんを闇討ちする訳でも無いでしょう。大体そのくらい、返り討ちにしたらどうですか」

「返り討ち。誰が、誰を」

「武士さんが、雪野さんを。いくら強いと言っても、所詮は小娘。あなたより強い人なんて、この学校に何人います?」

 俺の顔を指さしながら尋ねてくる美帆さん。


 いるとすれば、四葉さんくらい。

 強い人は他にもいるにしろ、こちらは戦いに全てを賭けて過ごしてきた身。

 言い方は悪いが、根本的な考えが違う。

 俺達は、人を殺す事を前提とした鍛錬を日々積んでいる。

 その力を限定的に使っているのが日頃の俺達で、拘束したり倒すのは妥協した結果。

 経験こそ無いが、そういう立場に追い込まれれば自らの手を血に染めるのにためらいはしない。


 ただ、雪野さんは例外。

 RASという素地に加えて、水品さんの弟子。

 彼は玲阿流宗家以外では筆頭に当たる存在。

 その人の技を幼い頃から学び、体得している。

 以前はそれでも、また勝てる要素は見いだせた。

 体型、体力、筋力で。

 精神的に引け目は感じても、自分が上待っている部分が多かった。

 今でもそれらは、俺の方が上回ってるはず。


 だけどその分、雪野さんは異常なまでに感覚を研ぎ澄ませている。 

 勘の鋭さが普通ではなく、こちらが動く前にそれを読み取るくらいはすると思う。

 そしてあの瞬発力から繰り出される技は、まともに食らえば失神どころか再起不能。

 四葉さん以上に戦いたくない相手である。

「雪野さんが、そんなに強いとでも?」

 鼻先で笑う美帆さん。

 俺も虚ろに笑い、拳を固める。

 明日からは、プロテクターを必ず着用しよう。

 警棒も持とう。

 俺もまだ、死にたくはないから。




 翌日。

 陽気な笑顔を携えて現れる小柄な少女。

「はは。何してるの」

 人を見るなり笑う渡瀬。

 以前より大人しくなって成長したかと思ったが、人間本質は変えられないようだ。

「仕事をしてる。自分こそ、何しに来た」

「面白そうだなと思って」

 雪野さんと共通する、特殊な思考。

 まあ、いきなり殴りかからないだけましか。

「それに仕事って、天井を拭くのが仕事?」

「経費削減で、清掃業者を断ったらしい」

「単なる雑用なんだね、結局」

 胸の奥をえぐるような台詞。

 おそらく他意は無い。

 だからこそ、余計に堪える。

「あ、あのな」

「何」

「……なんでもない。俺は忙しいから、小谷と遊んできてくれ」

「あの子は多分、仕事をしてると思うよ」

 そう言って去っていく渡瀬。

 だったらなにか。

 俺は仕事をしてないって言う事か。

 全くもって、その通りだな。



 次に足元を通りかかったのは神代。

 何も言いたくは無いので、そちらを見ずに黙々と天井を拭いていく。

「馬鹿じゃないの」

「あ?」

「こっちの話。掃除、頑張って」

 耐え難い屈辱と言いたいが、馬鹿なのも確か。

 反論のしようもない。

 その前に、どこかへ行った。

 これってもしかして、浦田さんの罠じゃないだろうか。


 馬鹿な事を考えている内に、今度は真田がやってきた。

 こちらも見ないし、声も掛けようとしない。

 ますますもって疲れてきた。

「お、おい。どこ行くんだ」

「聞いてどうするの」

 間違いなく、どうもしない。

 そんな考えを読み取ったのか、真田は鼻を鳴らして去っていく。

 まずはここから降りよう。

 そして冷静になろう。

 今俺は何をやるべきかを考えよう。



 床を蹴り、鋭角に角を曲がって警棒を抜く。

 そこにいたのは、カメラを構えた緒方。

 喉に警棒を突きつけているので、さすがに顔色は優れない。

「何してる」

 かろうじて動く口元。

 それももっともだと思い、警棒を引く。

「な、な、なに」

「落ち着け。それと、何してる」

「あ、あなたが好き勝手やってるから、みんなで様子を見に来たんじゃない。わ、私は遠野さんに脅されて、ただ働きよ」

「……遠野、さん?」

 また嫌な名前が出てきたな。

 つまりこいつらの後ろには、遠野さんが控えてるという訳か。

 これは、迂闊な真似は出来ないぞ。

「雪野さんは?」

「あなたの事を心配してたわよ」

「怒ってなかった?」

「それは無いんじゃないの。そういう人でもないでしょ」

 全然分かってないな。何一つ、全くもって。


 確かに今は、何も思ってないかも知れない。

 でもそれは、今の話。

 彼女の中で何かが作用すれば、瞬間それは俺への怒りと変わる。

 怒りは揺らぐ事なく、俺の上へと降り注ぐ。

「今自首すれば、助かると思うか」

「自首?警察に?」

「雪野さんに」

「意味が分からないけど、謝るなら早い内が良いかもね」

 至って人ごとみたいに緒方。

 カメラをこちらに向けたままで。

「……この映像、遠野さんに送ってないだろうな」

「まだ送ってないわよ」

「絶対止めてくれ。金なら払う。倍払う」

「どうしてそこまで怯えるの。確かに無茶な所もあるけど、良い先輩じゃない」

 やっぱり何も分かってない。

 ここは一度、じっくり話し合う必要がありそうだ。



 という訳で全員を会議室に集め、ボードに雪野さん達の名前を書いていく。

「いいか。この人達を普通と思うな。常識が通じるのは、四葉さんだけだ。だけど四葉さんは、絶対的に雪野さんに弱い。その時点で、もう駄目だ」

「玲阿さん批判?」

 眉をひそめる神代。

 一つ一つに突っ込むなよ。

「四葉さんはこの際置いておく。放っておけば大人しい。地蔵と同じだ」

「地味に失礼だね、あんた。浦田さんみたい」

「それこそもっとも危険な存在。とにかくあの人には絶対近付くな。関わるな。知ろうとするな。地獄を見るぞ」 

 欠伸をし出す緒方。

 他の連中も半分以上聞いてない顔。

 悪魔が目の前にいますと言われても、信じないのは当たり前。

 だから、そこに浦田さん……。悪魔が付けいる隙はある。



 ホワイトボードを軽く叩いて注意を喚起。

 今度は遠野という文字にペンを持って行く。

「この人も常識はあるが、それは非常に限定された常識。自分にとって不利益にならない常識だ。世界の法則はこの人が勝手に決めている。逆らうな」

「マンガの見過ぎだね」

 醒めた口調で指摘する小谷。

 本当に分かってないな、何もかも。

「……そして問題は、この人。雪野さん。今までの3人は、結局この人のために存在する。雪野さんが気持ちよく何でもスムーズに出来るために、手足となって行動をする」

「そんなわがままかな、雪野さん」

「わがままじゃない。この3人が過保護なんだ。雪野さんの行く道をならし、降りかかる火の粉を防ぎ、何もかもを用意する。彼女は絶対的な存在と思えばいい」

 白けきる室内。

 寝言を言っても、もう少し親身に聞いてくれると思う。


「俺はみんなのためを思って言ってるんだぞ。分かってるのか、それを」

「話を続けて」

 ハンドクリームを指先にすり込みながら促す真田。

 人の話を聞く態度ではないが、良しとしよう。

「その雪野さんには、理屈は通用しない。虎が制服を来て学校に着てるのと同じ。普段は大人しいが、機嫌を損ねればどうなるか。人間が、虎に敵う訳がない」

「そういうタイプかしら、雪野さんって」

「タイプなんだよ。虎が何を考えてるかとか、何を理由に怒るかなんて分からないだろ。それと同じ。そしてひとたび火が点けば、もう誰も止められん。だから俺は、もう終わった」

「どうしてその結論になるのよ」

 鼻で笑う緒方。

 俺も虚しく笑い、ホワイトボードを消していく。

 派手に散るか、地味にいつまでもやられるか。

 選択肢はその二つ。 

 どちらにしろ、俺が助かる道はない。




 医療部の個室で、ベッドに横たわり天井を見る。

 結果は華々しく散って終わり。

 いや。特に華々しくもなかったか。

 しかも呼び出された理由が、犬の救助。 

 それにはさすがにむっときて、思わず反発。

 まさか犬の事で怒られるとは、思っても見なかった。


 俺より犬が大事なのか、犬目線で語る雪野さん達。

 それに歯向かった結果がこれ。

 屋上ではどうにか堪えたが、打撃を受けた箇所がきしむように痛む。

 骨折は免れてる物の、全身があざだらけ。

 医者は、木刀で突かれたと思ったようだ。


 ただ、一度怒られればそれまで。

 俺も自分のふがいなさ、身勝手さを反省した。

 あの人達には敵わないとも痛感をした。

 やっぱり俺は小物。

 彼等の足元にも及ばない。

 今回は、命があった事をよろこぶとしよう。


 ドアがノックされ、返事を返すと影が忍び込んできた。

 入って来たのは浦田さん。

 暗殺、それとも毒を仕込みに来たんだろうか。

「……怪我は」

「大した事無いですよ。鎮静剤と鎮痛剤を打たれたから、少し安静にしてるだけで」

 隙を見せるのは危険。

 警棒、警棒はどこへやった。

「言っておくけど、闇討ちに来た訳じゃない」

「はぁ」 

 取りあえず笑顔。

 その間に警棒を探し当て、毛布の下で握り返す。

「ユウもさすがに反省してる。やりすぎたって」

「俺は別に、何も思ってませんよ。全部俺が悪いんだから」

「自立はどうした」

「それは、その」

 結局うやむやになってしまい、俺の考えも何も飛んでしまった状態。

 とはいえ雪野さん達に敵わないとは思ったが、全てを諦めた訳でもない。

 それだけで、俺の道が閉ざされたとは言えないんだから。


 点滴のケースに触れ、一人頷く浦田さん。

 まさか、毒を入れてないだろうな。

「警戒するなよ。毒なんて入れてない」

「はは、そんな。まさか」

「自立結構。自分の信念も大事。良いと思うよ、そういうの」

「はぁ」

 いつにない理解ある台詞。

 この人の武器は知性だけではなく、物理的な攻撃力もある。

 つまりは、高火力のライター。

 この至近距離では避けるのも困難。

 いっそ先手を打って、それを防ぐか。

「俺はそろそろ帰るから」

「ありがとうございました、わざわざ」

「頑張ってよ、これからも」 

 軽く笑い、部屋を出て行く浦田さん。

 まさに普通のお見舞い。

 何かを仕掛けていった形跡はなく、嫌みを言われた訳でもない。

 だからこそ、不安は一層募っていく。

 もしくはそういう疑心暗鬼を俺に植え付けるために来たのかも知れない。




 これ以上病室に留まるのは危険。

 服を着替え、受付を済ませて外に出る。

「もういいのか」

 玄関を出たところで俺を待ち受けていたのは四葉さん。

 彼は俺のリュックを担ぎ、ゆっくりと歩き出した。

 いつもの優しい、頼りがいのある姿そのままで。

 本当、浦田さんとは大違いだな。

「どうした」

「い、いや。なんでもない。……遠野さんは?」

「ユウと一緒に、犬を見に行った」

 それは助かった。

 とは言わず、痛む腕を押さえながら四葉さんに付いて行く。

「自立は出来そうか」

「無理だ」

 きっぱり、はっきり、予断なく答える。

 この人達がいる限り、それは無理。

 物理的にも、精神的にも。

 それを今日は、改めて思い知った。


 だけど彼等も、来年の4月には卒業。

 四葉さんは遠くの士官学校へ入学し、気軽に会うのもままならなくなる。

 その時俺は、嫌でも自立を促される。

 結局は、これでもかと言う程彼等の影響を受けている訳だ。

「俺は駄目だな」

「何が」

「何もかもが」 

 彼等に勝る事は何一つ無く、その彼等に頼り切り。

 自立どころか、自分の足で立つのも危うい状態。

 これでは雪野さん達が俺を叱りつけるのも無理はない。

「お前はお前で良くやってるぞ。最近は、みんな褒めてる」

「誰が」

「モトとか、サトミとか、丹下さんとか。勿論、ユウも」

「そう?」

「少しは自信を持て。俺達がいない間、この学校を守ってきたのはお前なんだから」

 軽く叩かれる肩。

 少しの痛みと少しの喜び。




 誰も見ていない訳では無い。

 理解してくれない訳でも無い。

 俺自身が気付かない何かを分かってくれる人がいる。

 だからこそ、立ち止まってはいられない。

 そんな彼等の期待に応えるためにも、一層の努力と研鑽が必要だ。

 それは結局彼等の影響を受けているだけかも知れない。

 でも今は、そんな自分が誇らしい。






                                                                 了










     エピソード 44 あとがき




第44話のあとがきにも書きましたが、彼は非常に辛いポジション。

すぐ上にはショウがいて。

彼の側にはユウがいて。

ユウの側にはサトミ達がいて。

格闘技。

単純な殴り合いなら彼はショウ以外の人間を歯牙にも掛けませんが、人格や人間性の点では及ぶべくもありません。

もしくは、及ぶべくも無いと本人は思い込んでます。

その辺の複雑な心境が今回の行動となって現れた様子。


ただショウは、彼にとって乗り越えなければならない壁。

また本来は、その下で収まるだけの器でもないんですけどね。

単純にショウしかいないのなら、越える機会もあったでしょうしここまで追い込まれてもいなかったはず。

彼の不幸は、ショウの回りにより優れた人物が集まっていた点。

それは彼にとって有益な点でもあるのですが、人格形成には相当影響を与えたはず。

伸び伸び育っていれば、今頃ショウに匹敵する可能性もあった存在。

とはいえ歯止めが利かなくて、相当な厄介者になっていた可能性もありましたが。

その辺のブレーキが効きすぎた結果、今のような状態に。

雑な性格ではありますが、彼は彼なりに色々苦労をしてるようです。



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