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シャワーを浴びて服を着替え、鏡を見てため息を付く。
着替えたのは、モトちゃんの制服。
スカートは床を擦りそうで、袖は指先がかろうじて出ているくらい。
放っておくと肩からずり下がり、不格好この上ない。
「ジャージとか無いの」
「全部濡れてるのよ」
「とてつもなく間抜けなんだけど」
「今更だろ」
ふざけた男の脇腹を強く掴み、取りあえず制裁。
少し気分を良くする。
「とにかく、動きにくい」
「今日はもう諦めて。それに、動かなければ問題ないでしょ」
袖の余りをたすき上げ、安全ピンで留めていくモトちゃん。
見た目の間抜けさは少し減ったが、ピンで留められている間抜けさが加わった。
もう、泣くに泣けないな。
ソファーに座り、お茶を飲んで一息つく。
サトミが被害状況をモトちゃんに報告しているが、その半分も聞こえていない。
聞こえたところで、私には関係無いんだけれど。
「帰って良いかな、もう」
「まだ風は強いし、ガラスが割れるかも知れないでしょ」
「……割れたら、私が掃除するの?」
「誰も、こんな雨の中出て来ないの」
だからって、呼び出さないでよね。
なんか、一気に疲れてきたな。
「あー」
「しわになるから、横にならないで」
「だってさ」
「それと、よだれで濡らさないで」
失礼だな、随分。
大体濡れてないっていうの、少ししか。
動いた後にシャワーを浴びた物だから、とにかく眠くて仕方ない。
刺激が無いと、座ったままでも寝てしまいそうだ。
「コーヒーでも飲みますか」
笑顔でマグカップを差し出してくれるエリちゃん。
香りだけで意識が覚醒するような感覚。
美味しい物は、飲まなくても匂いだけで分かってしまう。
「ありがとう。ショウのコーヒー以来、ちょっと避けてたんだけどね」
「俺のコーヒーに文句があるのか」
「文句以外何があるのよ。自分でも飲んだでしょ」
「この、覚えてろ」
訳の分からない捨て台詞と共に走り去るショウ。
まさかと思うけど、作ってこないだろうな。
目の前に置かれるコーヒーポット。
しかも、サイズがやたら大きいと来た。
「どうだ」
何とも満足げな表情。
全くもって意味不明だな。
「私は飲まないけどね。エリちゃん、お代わり頂戴」
「俺のを飲め、俺のを」
「飲まないって。ケイ、コーヒーあるって」
「そんな泥水飲めるか」
そう吐き捨て、お茶のペットボトルへ口を付けるケイ。
私もエリちゃんが持ってきたコーヒーを、心ゆくまで堪能する。
勝のコーヒーポットへ手を付ける人は誰もおらず、エリちゃんは今すぐに立ち去りそうな雰囲気。
一度飲んでるからな、この人も。
「飲まないなら、俺一人で飲むぞ」
「お腹壊すよ」
「普通のコーヒーだ。壊す訳無いだろ」
馬鹿でかい耐熱グラスに注がれるコーヒー。
ショウは腰に手を当て、喉を鳴らしてそれを飲み始めた。
どうでも良いけど、熱くないのかな。
「……なんだ、これ」
吹き出しはしないが、途端に顔をしかめるショウ。
飲めるはず無いんだ、あれが。
「おかしいな」
「だから、薄いんだって」
彼の場合、質より量。
カップラーメンの量を増やすために、お湯を多めに入れるような人。
大体、そもそも雑なんだ。
目分量じゃなくて、ちゃんと計って入れてよね。
「そんなに作って、どうする気」
「飲むさ。飲めば良いんだろ」
むきになってコーヒーをぐいぐいと飲み進めるショウ。
美味しくてもここまで飲めないが、まずい物を良くここまで飲めるな。
「……罰ゲーム?」
コーヒーを飲むショウを見るなり、そう呟くモトちゃん。
ある意味間違ってはいないだろう。
何より、好きでこれを飲む人はいないと思う。
「それより、雨漏りがしてきた。補修をお願い」
「そういうのは、業者がやるんじゃないの」
「他が忙しくて、来るのは明日以降ですって。木之本君が言うには、道具さえあれば直せるらしい」
そんな事まで、私達がやるのか。
でも自治と言えば、自治の基本のような気もするが。
道具と言っても、私はバケツと雑巾。
でもって再びレインジャケット。
これなら、着替えるんじゃなかったな。
「雨漏りじゃないでしょ、これは」
言うなれば、滝。
雨どいでも走っているのか、壁から強烈に雨がこぼれ落ちてきている。
廊下は水浸しどころか、ちょっとした小川。
土嚢がいるな、これは。
「私達だけで大丈夫?」
「まあ、無理だろ」
淡々と答え、無造作に亀裂が入っている壁の下に立つショウ。
当然雨が激しく降り注いでくるが、それ起きにした様子はない。
濡れる事に無頓着なのではなく、自分が濡れるより今は補修が優先。
非常に彼らしい行動である。
「通風口だな、多分。その部品が割れて、雨が流れ込んできてる。無理矢理埋めればいいのか」
「図面で確認するね」
壁に図面を広げ、そこにペンを走らせる木之本君。
私からすれば、直線と数字の羅列した大きな紙。
全体からはかろうじて廊下だと理解出来るが、細かな配線や箇所は全く不明。
仮に分かった所で、どうやって直すのかが分からない。
それでも木之本君は何度か頷き、滝のように水が迸っている壁を指さした。
「無理矢理ふさいでも大丈夫だと思う。他の配管とは接続されてないから。上に小さい屋根があって、そこから落ちてくる水が流れて来てるんだと思う」
「ふさぐって、これだけの水だと水圧もすごいでしょ。何かを詰めても押し戻されない?」
「水自体を止めれば何とかなるよ。屋根に登らないと行けないけどね」
この雨の中、不安定な場所での高所作業か。
私はちょっと気が進まないな。
「任せろ」
窓を開け、さっさと外へ出て行くショウ。
躊躇とかためらいとか、そういう言葉とは一切無縁。
というか、道具も持って行ったんでしょうね。
結局道具はロープで引っ張り上げ、やがて迸っていた水の勢いが弱まり出す。
この上でショウが何をやってるのかは知らないが、成すべき事はしてくれているようだ。
「浦田君、今の内にその鉄板を固定して」
「また、俺に不向きな事を」
文句を言いつつ、脚立に登って鉄板を取り付けるケイ。
背面は接着剤が付いているらしく、すぐにそのままあっさり固定された。
「後は角の4点に、ボルトを打つ。その後で上からパテで埋めれば、固まると思う」
「こんな場所で、ボルトって。木之本君、代わってくれ」
「パテの配合が難しいんだよ。浦田君も、両腕をパテに埋めたくないでしょ」
バケツの中身を棒でかき混ぜながら笑う木之本君。
私は近付かない方が良さそうだな。
多少不格好だが、ボルト締めは終了。
その上から木之本君がパテを塗っていく。
「屋根の方は、玲阿君が今やってくれてるはず。それで殆ど水は入ってこなくなるから、これはなくても良いんだけどね」
「おい」
「万が一を考えてだよ。外は雨が降ってるから、パテが上手く固まらない可能性もあるし。その前に、雨が止むかも知れないけどね」
「しかし、肝心な時にいないな」
木之本君が乗っている脚立を支えながら呟くケイ。
これはおそらく、御剣君を想定しての言葉。
彼がいればショウと一緒に屋根へ登っても良いし、ケイ達の代わりに脚立の上で作業しても良い。
勿論人は他にも大勢いるが、頼みやすい人ややってくれる人は限られる。
その中で筆頭に上げられるのは、御剣君。
だけどいない以上、それは仕方のない話でもある。
窓が開き、ずぶ濡れになったショウが廊下へと戻ってくる。
レインジャケットは着ているが、視界を保つためかフードは外したまま。
髪も顔もずぶ濡れで、素手で作業していたらしく手は真っ赤。
それでも文句一つ言わず、黙々と後片付けをしていく。
本当に、偉い以外の言葉が見当たらないな。
「お疲れ様」
「一回落ちた」
「え」
「いや。ワイヤーが途中で外れてさ。慌てて屋根の端に捕まった。握力を鍛えてて良かったな」
例により、爽やかに笑うショウ。
私も笑えばいいのかな、ここは。
廊下を簡単に拭いて、自警局へ戻って改めてシャワー。
朝から水ばかり浴びて、さすがにふやけてきた。
「……誰の、これ」
「団子侍の売れ残り。良いだろ」
「良いのかな」
私が着ているのは、赤の着流し。
乾いているのでさっぱりはするが、普段学校で来る物でもないだろう。
「こんな小さいサイズもあるんだ」
「子役用の余りだよ」
半笑いで教えてくれるケイ。
今すぐ脱ぎ捨てたくなるな。
「他にないの?」
「ユウのサイズに合う服はない」
「誰が決めたの、それ」
「神様だろ」
随分大きなスケールで語るケイ。
ただサイズに関しては、私が騒いだところでどうにかなる物でもない。
彼が言うように、神様が私をこの大きさに決めている以上は。
いや。そこまで神様が私に関わってるとも思えないが。
ソファーに座ってまったりしていると、またモトちゃんが現れた。
「また雨漏り?」
「雨が止んだみたい」
なんだ、それ。
こうなると、さっきの作業が全く無意味に思えてくるな。
「止んだのか」
「良かったね」
「ああ」
素で喜び合う善人二人。
つくづく人が良いというか、突き抜けた考え方が出来る物だ。
「だったら、もう帰って良い?」
「良いわよ。私も戸締まりをしたら帰る」
「分かった」
確認が必要な窓を手分けしてチェック。
キッチンの火の元も確認。
荷物はレインジャケットと、初めに着てきたジャージだけ。
と言うか、これは結構厄介だな。
今の、私の服装も含めて。
「……何で、雪駄しかないの」
「着流しにスニーカーは似合わないだろ」
リュックを背負いながら答えるケイ。
それはそうだけど、本当にこの恰好で合ってるのかな。
教棟の外に出て、階段へ乗り上げている車を発見。
雨が止んだ後だと、その光景がかなり異様な事に気付かされる。
降っていても、異様だったけどね。
「私は寮だから、歩いて帰る」
「僕も」
先に断りを入れるモトちゃんと木之本君。
浦田兄妹は、すでに姿がない。
「サトミは?」
「先に帰ったみたい。レポートを作るらしいわよ」
「補修箇所の?それって、あの子の仕事?」
「どうかしらね」
苦笑しながら、手を振って歩き出すモトちゃん。
木之本君も彼女に続き、残ったのは私とショウになる。
車が階段から下りてきて、ショウも車から降りてくる。
何かあるのかと思ったら、私に向かってそっと手を伸ばしてきた。
「乗れるか」
私の今の服装は着流し。
車は車高が高いので、エスコートをしてくれるようだ。
「多分ね」
足を開くと、裾も大引く開いて素足が見える。
涼しくて気持ちいいというか、ただそれでもステップの上に足は届かない。
「多分、乗れないね」
いや。足を全開まで開けば、乗れるには乗れる。
着流しでそんな事をすればどうなるかは、言うまでもないが。
ショウは私の手を離すと、後ろに回り込んで脇に手を差し入れてきた。
「ちょ、ちょっと」
「暴れるな」
「あ、暴れるなって。脇に、手が、ちょっと」
じたばたしてる間に、助手席へ到着。
恥ずかしいというかなんというか、誰もいなくて良かったな。
ドアが閉められ、ショウも運転席へ乗り込み車を発進させる。
さっきは雨で気付かなかったが、学内を車で走るのはかなり不思議な感覚。
私が立って歩く時とは視界が違うのと、景色が流れていく早さ。
今が特別な時なんだと、改めて気付かされる。
着流しを着てる時点で、普段とは何もかもが違うけれど。
大通りに出ると、そこはもういつもの光景。
車がひっきりなしに行き交い、道路は乾きだしている所もあるくらい。
所々に出来た水たまりが、かろうじて大雨の名残を伝えるくらいで。
「これなら、無理して出て来なくても良かったのかな」
「雨は降ってたし、無意味って事は無いだろ」
「そうだけどさ。やらなくても良い仕事をしたんじゃないかと思って」
「そうかな」
私の言っている事が理解しづらいという顔。
彼の言う通りあの時点では大雨で、補修は必要だった。
ただこれだけすぐ止むのなら、やってもやらなくても同じというのが私の考え。
でも彼は、そのわずかな時間でも意味があると考えている。
価値観、物事の見方の違い。
これは多分、ショウがより善意で物事を見ているから。
私は多少、計算で物事を見ているせい。
つまりは努力に対する見返り。
この場合は、どれだけ雨が吹き込むのを防げたか。
それを考えると今日の行動は、あまり報われてない気が私はする。
ショウは逆で、雨が防げたのなら自分はどれだけ努力しても構わないという発想。
無心とでも言うのだろうか。
私にはあまりない、彼の特性。
周りの人から評価をされる部分。
彼より容姿が整っている人、強い人は他にもいるかも知れない。
だけどここまで人のために尽くせる人物は、そうはいない。
いるとしたら彼の周りに二人くらい。
またその二人も、彼に負けないだけの評価を世間から受けている。
御剣君が悩んだり気にするのは、多分この辺り。
彼はケイが言っていたように、がさつではあるが悩みもするタイプ。
自分の行動がどんな結果をもたらすか、もたらしたかと。
ショウのように、無心で行動する事は無い。
暴れ回る事に関しては、また別だが。
ただ考えて行動するのは、言ってみれば普通。
自分にとっての利益、デメリット、利害を考えるのは。
考えずに行動する方が、本来はどうかしている。
だけどそれが善意に基づいているのなら、話は別。
決して報われなくても、褒められこそすれ非難される事は無い。
そういう人間が兄弟のような距離で身近にいれば、気になって当然。
自分との違い。差を思い知らされる。
多分以前なら、それ程は気にもしなかったと思う。
でも御剣君自身も成長し、視野が開けてきた今は違う。
ショウの行動の一つ一つが気になり、意識される。
そして自分と比較した時、自己嫌悪に陥ってもおかしくはない。
「ついたぞ」
「ん、ああ」
顔を上げると、自宅の玄関前に到着していた。
外から見た限り、これといった被害はなさそう。
あったところで、お母さんにそれを防ぐ術があるとも思えないが。
「ありがとう。寄っていく?」
「ああ」
車を降り、助手席のドアを開けてくれるショウ。
大丈夫と言いたいが、地面までの距離はそれなりにある。
ここは、彼の厚意に甘えるとしよう。
「くすぐったいって」
「暴れるな」
「無理、無理っ。……ひゃーっ」
最後に悲鳴を上げた所で、お母さんが玄関から顔を覗かせた。
「ただいま」
「お帰り。何はしゃいでるの、あなた」
「別に、はしゃいでは」
ちなみに今の私は、赤の着流しを着てショウに抱きかかえられている状態。
はしゃいでいなくて何なのかと、自分なら突っ込むと思う。
家に入り、ジャージを洗濯機へ放り込んでレインジャケットはお風呂場に干す。
さっきも、こんな事やってたな。
「着替えるの?」
「歩きにくいからね」
着流しを脱いで、部屋から持ってきたトレーナーとスパッツに着替える。
名残は惜しいが、着にくい以前にあまり似合わない。
「ショウは」
「庭を見てる。掃除でもしてくれるのかしら」
さらっと怖い事を言うな、この人は。
さすがの彼もそこまでの事はしておらず、白樺の木に手を添えて上を見上げていた。
「意外に丈夫だな」
「塀があるし、この辺は風があまり吹き込んでこないんだよね」
だから冬でも暖かいし、それが猫を呼び寄せる原因ともなっている。
二人きりの穏やかな時。
私達が憩うにも悪くない……。
突然の着信音。
良い気分が台無しだなと思いつつ、通話に出たショウをぼんやり眺める。
「……いや、大丈夫。……ああ、すぐ戻る」
空耳かな。
玄関の方へ歩き出してるから、空耳ではないだろうな。
「学校へ行くの?」
「配水管が壊れたらしい」
「私も行こうか」
「疲れてるだろ。ゆっくり休めよ」
軽く手を振り、庭から玄関へ続くドアを使って外へ出て行くショウ。
さながら一陣の風が吹き抜けていった感覚。
だけど今帰ってきたばかりなのに、普通に戻っていったな。
私は多分ショウより疲れてないはずだが、さすが今から学校へ戻ろうとは思わない。
「あれ、四葉君は?」
「学校へ戻った」
「よく分からないけど、つくづく苦労する性格ね」
しみじみと呟き、庭を眺めるお母さん。
でもってタイミングよくというか、悪くと言うか。
太り気味の黒猫が塀の上からこっちをじっと見つめていた。
「雨の時って、猫はどこにいるのかな」
「猫の巣があるのよ。そこに猫がひしめいてるのよ」
何本気の顔で言ってるんだ。
大体、猫の巣って何よ。
猫はお母さんに任せ、私は部屋で一休み。
布団へ潜り込み、読みかけの雑誌を適当にめくる。
内容の半分も頭に入らず、一枚めくる事に眠気が襲ってくる感覚。
この瞬間が、一番幸せかも知れないな。
気付けば夕方。
窓からは頼りないながらも日差しが差し込み、空は薄く茜色に染まっている。
雨はようやく上がった様子。
一日何をしてたのかと少し疑問に思うが、悩んだところで時間は戻ってこない。
そう前向きに解釈して、一階へ下りる。
「ごはん、まだ」
「今作り出した所よ。合挽のミンチ買ってきて」
渡される小銭。
少し体がなまってきてるし、せめてスーパーまでは走っていくか。
息が切れる少し前くらいで、スーパーに到着。
夕方とあって、店内はかなりの混雑具合。
押し合いへし合いではないが、悠長に品定めをしていたら欲しい物が無くなってしまう可能性はある。
女性客が大半を占めるそんな店内に、ぽつんと目立つ精悍な顔立ちの男性。
明らかに見覚えのある顔で、ちょっと鼻が出そうになった。
「よう」
手にしていた干し椎茸を振りながら挨拶をしてくる塩田さん。
ようは良いけど、アパートは大学の近く。
つまり、草薙高校の側。
ここに買い物へ来る理由がない。
もしかして、私に会いに来てくれたのかな。
干し椎茸をお土産に?
無いな、それは。
などと、一人で舞い上がって落ち込んでいても仕方ない。
「こんな所で何してるんですか」
「自炊だ自炊」
「アパートは、もっと遠くですよね」
「1円でも安い物を探すって言うだろ」
そう言って、からからと笑う塩田さん。
1円の安さを求めて、1円以上の労力を使っていそうな気もするが。
まあ、その辺は言わないでおくか。
「今日は、鶏肉が安いですね」
相変わらずの優雅な物腰で現れる大山さん。
この二人、もしかして同棲してるのか?
前からそういう嫌な噂があったのは私も知っている。
仲が良いのも知っている。
あくまでも、噂でしか無いと思ってた。
でもこういう光景を見てしまうと、それを信じてしまいそうになる。
「言っておくけど、一緒には住んでないからな」
「ああ、そうですか。そうですよね」
「隣の部屋には住んでますけどね」
さらっと言ってのける大山さん。
なんか、嫌な汗が出てきたよ。
強引に塩田さんへ引っ張られ、スーパー内の軽食コーナーで説明を受ける。
言い訳、とでも言った方が良いのかな。
ただ何をどう言おうと、隣に住んでいる事実は無くならない。
女の子同士が隣に住むのは構わないけど、男同士が隣というのはちょっと薄ら寒いものを感じてしまう。
それが知り合いなら、なおさらに。
「聞いてるのか」
「聞いてますよ」
「この事は、誰にも言うな。浦田や遠野には、特に」
強く念を押してくる塩田さん。
ケイはともかく、サトミはもう知ってそうな気もするけどな。
二人と同じアパートに一部屋借りて、盗聴していてもおかしくないくらいだ。
「そんな事より、私の話も聞いて下さい」
「たこ焼きでも食べたいのか」
「そういう下らない話ではありません」
「お前、それだと話す事が無くなるぞ」
これが今まで慕っていた先輩の言う事か。
でもって、それがもしかして真実か。
ご飯前なのでたこ焼きは止めて、お茶をごちそうになる。
そろそろ、温かい飲み物が嬉しい季節だな。
「御剣君が、最近機嫌悪いんです。ショウの事を意識して」
「ライバルみたいな物だし、それは仕方ないだろ。あいつも独り立ちする時期が来たんだ」
「不安定で、見てるこっちが怖いんですけど」
「苦労するな、お前も」
すごい人ごとのような言い方。
彼はもう卒業しているので、実際人ごとでしかないんだけど。
「不満か」
「それは勿論」
「でもな。昔の俺の気持ちの半分も味わってないぞ、お前は」
なんだ、それ。
私達が、そんなに手間の掛かる後輩だって言いたいのか。
思い当たる節がありすぎて、反論する余地もないな。
「好きにやらせとけ」
「良いんですか、そんなので」
「無理に止めれば、暴発する。お前達のように」
いちいち、そういう修飾語はいらないんだって。
「私達は、あそこまでひどくはなかったと思いますけど」
「それはお前の見方。俺の見方じゃない。始末書の山とかクレーム処理とか、請求書の処理とか。見てないだろ」
「始末書は自分で書いてたから、見てますけどね」
「一度自分達の履歴を調べてみろ。御剣なんて、可愛いもんだ。俺なら気にもしないね」
そう言ってたこ焼きを頬張る塩田さん。
自炊じゃなかったのか。
彼に聞いてもあまり楽しい返事は返ってこないので、大山さんに話を振る。
「私の話、どう思います?」
「私はそういう後輩を持った事がないので、難しいんですが。めったやたらに暴れ回らないなら、注意して見ているだけで良いと思いますよ」
「見ているだけで疲れてくるんですが」
「それが先輩の仕事です」
良い事を言われたような、上手くごまかされたような心境。
どちらにしろ、特効薬は無いという事か。
「とにかくお前は、一度胸に手を当てて反省しろ。過去の事を。そして、今を」
「今は普通ですよ。昔も」
さすがにむっとして言い返す。
すると塩田さんは飲んでいたお茶をむせ返し、涙目で私を睨んできた。
「それって、何かの冗談か」
「非難されるほどひどくはないと言いたかっただけです」
「一日、自分の映像を撮ってみろ。俺の言った意味がよく分かる」
翌日。
教室で筆記用具を並べつつ、木之本君の到着を待つ。
「昔の履歴?見なくても覚えてるでしょ」
前髪をかき上げて、怪訝そうに返してくるサトミ。
この子ならそれこそ、日付と時間まで覚えていそうだな。
「塩田さんが言うには、自分達の悪行を振り返ってみろだって」
「男と同棲してる人に言われたくないな」
やっぱり知ってたのか。
同棲じゃないけどね、正確には。
「おはよう」
ショウと共に、爽やかに登校してくる木之本君。
そんな彼を手招きして、背負っているリュックを指さす。
「今日、カメラ持ってる?動画を撮せる方」
「あるけど、どうかした?」
「塩田さんが、自分達の一日を撮影してみろって」
「アルバムでも作るの?」
非常にのんきな答え。
そういう目的ならどれだけ良かった事か。
取りあえず撮影開始。
ケイが教室に入ってきた所から映し出す。
しかし出だしがこれというのも、いまいちだな。
「おはよう」
挨拶するが、返事無し。
これに関しては、最悪と言えよう。
「おはようって言ってるじゃない」
「オウムを連れてこい」
最悪以前の問題だな。
次にHRを撮影。
カメラを構えた途端、睨まれた。
「お構いなく」
「構うわよ」
何故か髪型を整え出す村井先生。
そういう目的じゃないんだけど、ここで揉めても何だし黙っておくか。
「それと今度、教育庁長官が当校へお見えになります。ただ特に取り繕う事無く、普段通りに振る舞って下さい」
なるほど。良い事言ったな。
でもって、私を見てきたな。
「あなたは、自重して行動するように」
「どうして名指しなんですか」
「一度、寝ないで一日考えてみなさい」
そんな言い方もないじゃないよ。
授業中はさすがに撮影を止め、休憩時間から再開。
ただ特に撮す物もなく、結構手持ちぶさただな。
「歌でも歌う?」
「そういう目的ではないでしょ」
苦笑しつつ、カメラを手にして私を映し出すモトちゃん。
これって撮してる時は平気だけど、撮される側に回ると結構緊張するな。
「歌は?」
「歌わない。それより、私は撮さなくて良いから」
「ユウを撮すためでしょ。趣旨を聞く限りは」
趣旨は、私達全体の行動を自分自身で把握するため。
別に、私へ限定された物ではない。
と思う。
「取り合えず、自己紹介でもしてみたら」
「……草薙高校3年、雪野優。特技は料理と格闘技」
「昼寝が抜けてるだろ」
ぼそりと呟くケイ。
それは特技と言わないんじゃないの。
一通り全員の自己紹介を取り終え、お昼休みを迎える。
「よしと」
席を立ち、食堂へ直行。
今は何を置いても、食堂へ向かう。
それが全てにおいて優先される事項。
急ぐ以外に道はない。
食堂に到着し、長い列の後ろへ並ぶ。
ただオーダーされるメニューの大半はすでに出来上がっているので列が進むのもかなり早い。
こうしてじらされるのが、また食欲の増す理由でもある。
やがて私の番が回ってきて、カウンターの奥にいるおばさんと顔を合わせる。
「えーと、中華を少なめで」
「はい、毎度」
すぐに出てくる中華のフリーメニュー。
エビチリとレバニラ。
卵スープにザーサイ。
ご飯はおこわか。
トレイをテーブルへ置き、それに向かって手を合わせる。
「頂きます」
まずはおこわ。
笹の葉を取り、裏側についた餅米をかじる。
もちもちとした、程よく出しの染みこんだ良い味。
今度は本体にかじり付き、山菜の歯応えも堪能。
これ一つでも十分な気がしてきた。
気付くと、目の前にカメラ。
出来たら、こういう所は写さないで欲しいな。
「感想は」
「濃厚だけど、癖のない良い味」
「今の心境は」
「幸せ」
これ以外に答えようはない。
何を答えてるのかという疑問はあるが。
デザートは定番のプリン。
これなくして始まらないというか、やっぱり食後はデザート。
今は全てのデザートメニューも復活して、ようやく一安心。
「感想は」
「濃厚だけど、癖のない良い味」
「グルメリポートなら、落第だ」
うどんをすすりながら呟くケイ
分かってるわよ、私だって。
午後からは体育の授業。
女子はサッカー。
そろそろ、外に出るのは辛い時期。
体が温まり出すまでが勝負だな。
「サトミを撮してみたら」
苦笑気味に、風へなびく黒髪を指さすモトちゃん。
陽光を浴びてきらめく姿は様になっている。
どたばたしなければ、これ以上絵になる光景もないと思う。
ウォーミングアップが終了し、チーム分けをして試合開始。
私は一応、フォワード。
体育の授業では、そこまで細かい分担も無いとは思うが。
自陣からの大きなロングパス。
体育の授業で細かいパスワークも殆ど無く、こういう縦パスが中心。
試合としては雑だが、ボールは激しく行き交うので体力は使う。
「雪野さんっ」
目の前に落ちてくるボール。
迫ってくる相手チームの選手。
授業とはいえ、勝負は勝負。
負けて楽しい訳でも無い。
ボールをまたぎ、かかとで端を軽く踏みつける。
反動で舞い上がったボールに気付かず、私を通り過ぎていく相手選手。
構わず前に出て、落ちてきたボールを肩でトラップ。
ヘディングで前へ落とし、リフティングで進んでいく。
あまり得意ではないが、少しの距離くらいなら問題は無い。
ゴール前に到達したところでボールを落とし、ワンバンドさせて回し蹴り。
足の甲で綺麗に当てて、力任せに蹴りつける。
曲がりはしないがホップするように突き進むボール。
キーパーが悲鳴を上げて逃げ出した所で、ボールはゴールネットに突き刺さる。
「やった」
一仕事終えた達成感と疲労感。
後はボールを追いかけて、ぼんやり時間を過ごすとしよう。
いい汗を掻いた所で、試合終了。
ボールを片付け、シャワーを浴びる。
こうなると昨日同様、何もやる気が起きてこない。
とにかく寝てしまう以外にする事がない。
目が覚めるとHRも終了。
机に置いておいたタオルが、妙に湿っぽいけど気にしないでおこう。
「よく寝た」
小さく欠伸をしたところで、カメラと目が合う。
まだ撮してたのか、これ。
「私は良いんだって」
カメラを避けて、口元を改めて拭く。
本当、出ない日はないな。
自警局へ到着し、テレビの前に座らされる。
そしてカメラがリンクされ、映像が開始。
出だしは、無愛想なケイ。
オウムがどうとか言っている。
次に現れたのが私。
こうして自分で見ると、笑うくらいに小さいな。
でもって自分の事だと思うと、笑い事じゃないな。
サイズもそうだけど、とにかく落ち着きがない。
あっちへ行って、こっちへ行って。
時々奇声を上げて、まだどこかへ行って。
目的を持って行動しているとはとても思えず、好き放題やってるとしか言いようがない。
私は私なりに色々考えて行動しているつもりだが、客観的に見るとこんな調子。
ひどいという言葉以外、思い付かない。
「これって、たまたま今日はこんな調子って事だよね」
一斉に白い目で見てくるみんな。
それこそひどくないか?
「少しは反省したかしら」
腕を組み、じっと私を見据えるサトミ。
対抗上、こちらもすぐに睨み返す。
「これって私をメインに撮してるから、私のあらが目立つだけでしょ。基本的に私達は同じ行動を取ってるんだから、サトミもショウも一緒でしょ」
「程度の問題よ。それに、私達は普段に関しては大人しい」
「私だって大人しいじゃない」
テレビのスピーカーから聞こえる、「あー」という奇声。
自分の事ながら、めまいを起こしそうになってくる。
取りあえずカメラを止め、間の抜けた声も止めさせる。
「あー」
「何よ、それ」
「え、何が」
「こっちの話。良いわね、年中幸せで」
にこやかな表情で頭を撫でてくるサトミ。
褒められるような事をやったかな、私って。
「と言うか問題なのは私じゃなくて、御剣君でしょ。それとショウ」
「俺は至って落ち着いてるぞ」
「御剣君が張り合う原因はショウにあるんじゃないの」
「挑んでくるなら、叩きのめすだけだ」
胸を張って言い放つショウ。
なにせそこは古武道宗家直系の血筋。
戦いに対する姿勢が、根本的に私達とは違う。
大切なのは勝つ事であり、経過も経緯も関係無い。
最後に自分が立っていれば良く、卑怯も卑劣も存在しない。
そういった家風や考え方は理解出来るが、ここは高校で彼は後輩。
簡単に叩きのめしてもらっても困る。
「そうね。ショウ君は出来るだけ自重して、我慢して」
「俺が?」
「得意でしょ」
「好きで我慢してる訳じゃない」
むっとして言い返すショウ。
しかしモトちゃんは取りあえず、決定と告げてカメラを木之本君へ渡した。
「それと今日はユウの行動だったけど、さっき言ったように私達もそれ程行動としては大差無い。御剣君を非難する前に、自分の行動をよく考えてね」
おざなりに返事をするみんな。
こういう話になると、絶対自分には関係無いと言いたげだな。
私も含めてではあるが。




