44-2
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名雲さんは九州へ帰り、私達にも高校生としての日常が戻ってくる。
まずは授業。
そして放課後は、自警局としての活動。
私自身は特にやる事も無いが、みんなは忙しそう。
大変だなと思いつつ、自分のアームガードを磨く。
「ユウ、ちょっと来て」
書類片手に私を手招きするモトちゃん。
アームガードを装着する必要はない様子。
それは机に置き、衝立の脇を通って彼女の所へと向かう。
示される、一枚の書類。
「生徒規則に関する懇親会」とタイトルはなっている。
「私は出るんだけど。ユウはどうする」
「管理案の時と同じような物?」
「大体は。違うのは、生徒の支持が私達だけには傾いてはいない。他校から流入してきた子は、今の多少厳格な規則に慣れてるから」
「私は前の、自由な雰囲気に慣れてるけどね」
それが正しいとか、押しつけるとまでは言わない。
ただ私はその方が合っているし、良いとは思っている。
もし規則の厳格化を求めるのなら生徒の自治なんて言う資格はないし、草薙高校と名乗る理由もない。
「出るよ。出て良いならね」
「大人しくしてくれるなら大丈夫」
「それは任せて」
「全然意味が分からない」
さらっとひどいな、この人も。
一応資料に目を通し、自警局の主張が私の意見とほぼ重なっている事に安心する。
さすがに、私一人が意気込んでいても結構虚しいので。
「雪野さんも、参加するんですか」
バインダーを抱えた小谷君が、意外そうに私を見てくる。
不安そうに、と言い換えても良い。
「するよ。駄目かな」
「いえ。是非ともお願いします」
いまいち心のこもらない言い方。
この手の事に関しては、あまり信用されてないな。
「相手は誰」
「別に戦う訳ではないんですけどね。生徒会長と情報局、外局は現状維持。内局、自警局、予算局は規則の再改正を表明しています」
「多数派なんだよね、一応」
「ただ生徒会長と情報局。つまり総務局という生徒会の中心は、現状維持ですから」
数では勝っていても、力で劣るか。
それは今に始まった事でもなく、別に驚きも困りもしない。
気になるのは、また別な点だ。
「情報局って事は」
「ええ。矢田さんと相対する事になりますね」
自分から認める小谷君。
彼にとって矢田局長は、中等部からの先輩。
かつてはその傍らに控えていた事もある間柄。
その心中は、複雑な物があるだろう。
「良いの?」
「戦う訳ではないですからね。仮にそうなっても、俺は自警局の主張が正しいと思ってますし」
「そう」
「ご心配、ありがとうございます」
苦笑気味に頭を下げる小谷君。
本人はそう言っているが、実際の所は私達と矢田局長の間での板挟み。
それ程気楽な状況ではないはず。
だけど私に、それを打破する良い考えは思い浮かばない。
本当、後輩には迷惑を掛けてばかりだな。
時間が来たので、自警局から懇親会の会場へ移動。
場所は例の会議室。
管理案の時も使っていた広い部屋。
懇親会という名目ではあるが、構図は結局以前と同じ。
規則を巡っての対立。
また私達がこちら側、矢田局長が向こう側という立場も変わらない。
あの時の彼は、前生徒会長や金髪達の影に隠れていた印象が強い。
でも今は、彼が全面に立って規則の強化を推進している。
自警局局長に就任したての頃は、彼に期待もしていたしもっと親しく接していたと思う。
少なくとも、今のような距離感は感じていなかった。
それは彼が変わったのか、私達が変わったのか。
単に時の流れがそうさせてしまうのか。
小谷君はああ言っていたが、結局の所私達は敵同士としか言いようがない。
「それでは規則改正に関する懇親会を始めさせて頂きます。ただしこれはあくまでも意見交換の場。相手を攻撃するような発言はお止め下さい」
「無理だろ、それは」
ぽつりと呟くケイ。
聞こえたのは私達の周りだけだが、その意図は矢田局長にも伝わったらしい。
「浦田君、何か」
「いえ、別に。議事を進めて下さい」
「……では、浦田君のご意見からお聞かせ下さい」
いきなりの先制攻撃。
不意を突いたつもりか。
ただ結局の所、彼はケイという存在をまだ分かっていない。
ケイは椅子に深く座り、彼を見据えて言葉を発した。
「生徒会を解体して、生徒の自主性に全てを委ねる。というのは」
「……規則はどうするんですか」
「生徒の自治は草薙高校の校是。生徒による学校運営が基本であって、学校の方針に尻尾を振るのはその意図に反する。規則は最低限の生活規範のみ。後は生徒の自主管理にも任せる」
生徒の自治を否定する事は、当然だが誰にも出来ない。
ケイが言うように、それは校是。
つまりは草薙高校のあり方自体を否定する事に繋がるから。
「大体管理案は導入しないと、前年度に学校と合意が出来たはずだけど」
「勿論、導入はしてません」
「規則の名称を言ってるんじゃない。規則の厳格化を総称して、あの時は管理案と呼んでた。そして今、規則は厳格化の一途を辿っている。それで、導入されてないってどういう意味」
矢継ぎ早に攻め立てるケイ。
矢田君は、導入はされてないとの一点張り。
出だしから、ムードは最悪としか言いようがない。
さすがに問題があると思ったのか、生徒会長が声を掛け二人を止める。
「二人とも、落ち着くように。相手を攻撃する場ではないと、冒頭に説明したはずだが」
「俺は事実を述べたまでですよ。生徒を縛り付けたいなら、他の学校でやってもらいたい」
「現在の規則は、一般生徒の支持も受けている」
「だったら、その生徒が間違えてるんでしょう」
根底からの否定。
極端な言い方ではあるけれど、それは私達の共通した認識。
生徒の自治を体感し、体で理解している私達。
自治とは何かと聞かれても答えにくいが、現状が自治とは程遠くなっているのは分かっているつもり。
何も自分達の優越。
元々この学校に通っている事を声高に叫ぶ訳ではない。
ただケイが言うように、草薙高校には草薙高校の流儀や伝統がある。
それを否定するのなら、私は断固として戦う。
いきなりの休憩。
軽く頭をはたかれるケイ。
叩いたのは、私ではない。
「揉めてどうするの」
定規片手にいきり立つサトミ。
ただこの姿を見ている限り、どっちもどっちという気はするが。
「話を振られたから、答えただけさ。むしろ、大人しく答えたと褒めて欲しいね」
「いっそ、来年まで停学してたら」
「それは困ったな」
変に朗らかな笑顔を浮かべるケイ。
勿論場は和むどころか、気まずくなるだけ。
誰も愛想笑いすら浮かべない。
「でも浦田君の発言は論外だとしても、現状に問題があるのは確かだからね」
「論外ですか、俺は」
「浦田君がじゃなくて、発言がね」
いまいち意味のない説明をする木之本君。
発言が論外なら、当の本人も結局論外じゃないの。
「規則自体は、変えられるの?」
「生徒会長が指示をするか、総務局として意見をまとめるか。全校投票で可決するか。前の二つは無理で、投票くらいだね。可能性は」
「支持されてないんでしょ」
「他校から転校してきた生徒は、今くらいの規則が分かりやすいらしいよ。自由すぎると、何をして良いのか分からないって」
それこそ、訳の分からない話。
自由は自由。
それ以外の、何でもない。
といった考えの違いが、根底にあるのかも知れない。
私達が話し合っている所へ近付いてくる久居さん。
彼女は内局の局長。
それ程立場を明確にはしていないが、私達よりの意見を表明はしている。
「程々にね」
苦笑気味に諭す久居さん。
確かに、強硬な意見は広い支持を受けにくい。
というか、あれはケイ一人が悪いんじゃないの。
「転校組が結構ネックだと思うわよ。多分全生徒の1/3は転校組だから」
「全員が全員、厳しい規則を求めてる訳でも無いんでしょ」
「まあね。ただ元々の学校は、もっと厳格だった所もある。今くらいが、彼等にとっては分かりやすいみたいね。何でもかんでも生徒がやるのは、付いていけないって」
「でも、そのための自治でしょ」
久居さんが悪い訳ではないが、ついつい口調が強くなってしまう。
草薙高校の校是は、生徒の自治。
それを求めて、彼等はこの学校に来たはず。
だとすれば、自治を維持するのは当たり前。
ケイが言う生活規範を保つために、規則を作るのは構わない。
でもそれは、最低限のルールのみ。
何もかもを規則で縛っては意味がない。
それは自治制度の否定であり、草薙高校が草薙高校ではなくなってしまう。
「あー」
「な、なに」
「あ、何が」
「こっちの話」
さらっと流された。
訳の分かんない人だな。
「私は多少の厳しさはあっても良いと思ってる。自由と好き勝手にやる事を取り違えてる人もいるし」
「いるかもね。それも含めての、自治制度でしょ。駄目な所を、みんなで直してくのも」
「生徒会長?」
そう呟く久居さん。
何も、そんな立派な事は言ってないと思う。
床に倒れて、笑い転げてる人がいるくらいだし。
変な人は放っておくに限る。
「生徒会長だって、生徒会長。生徒会長?」
うるさいな。
私だって、その器でない事くらいは分かってる。
「良いじゃない、雪野生徒会長で」
無責任に言い放つサトミ。
何一つ良くないじゃないよ。
「だったら遠野生徒会長でも良いでしょ。今から立候補すれば」
「来年には卒業でしょ。大体私は、その器じゃないから」
「じゃあ、元野生徒会長は」
これは比較的現実味がある話。
サトミが言うように私達は卒業なので物理的には不可能だが、私達の中で誰が適任かと言えば彼女。
今でも自警局局長。
実際、春先にはそういう話もあったらしい。
停学後だったので、彼女の方から辞退したのだが。
ただ、それはそれ。
はっきり言えば、どうでもいい話。
モトちゃんはともかく、私達に生徒会長は不釣り合い。
また上に立たなくても、出来る事はいくらでもある。
大切なのはその気構え。
気持ちの持ち方だと思う。
休憩も終わり、話し合いが再開。
ケイが黙ると、空気も落ち着く。
いまいち、議論が盛り上がらないとも言える。
とはいえ、初めに言われたように揉めるための集まりではない。
あくまでも意見交換。
双方の意見を示し、お互いの立場や考えを理解する。
ただ分かったからと言って、それが現状の打破。
もしくは状況の改善に繋がるとは限らないが。
極端に言ってしまうと、この話し合いの意味を考えたくもなる。
それは管理案の時と会合と同じ。
話し合っても、その後に変化がなければ同じ事。
単なるガス抜き。
時間を消費するだけに過ぎない。
全て無意味とは思わないが、その先の展開が見えなければ仕方ない。
「本日はありがとうございました。大体意見は出尽くしたと思うので、今日はこの辺りで終わりたいと思います」
話し合いの終わりを告げる矢田局長。
それに対して、特に異論は示されない。
私もわざわざ言う事は無い。
冒頭にケイが、多少無茶な方法ではあったが盛り上げた。
せいぜいそこがポイントだったくらい。
とはいえ、揉めれば良いという物でもない。
平穏無事に終わって良かった。
という事にしておこう。
三々五々会議室を出て行く生徒達。
私も残る理由は無く、資料を片付けているモトちゃん達を待つだけだ。
「ガーディアン、減ってないわよ」
すっと近付き、サトミへ声を掛ける新妻さん。
おかしいな。
この前、ケイが100人減らしたばかりだったのに。
私の疑問を読み取ったのか、薄く微笑む新妻さん。
その笑顔は、サトミからケイへと流れていく。
「あの後、再募集したでしょ」
「減った分は埋めないと」
「予算、返して」
「それはもう。今すぐにでも」
机に置かれるカード。
新妻さんは端末でそれを確認。
瞳が微かに見開かれる。
「……どうしたの、これ」
「お金はお金。それ以上でも、それ以下でもないよ
「後ろに手が回る類のお金じゃないでしょうね」
「あはは」
軽く笑い飛ばすケイ。
全くもって、嫌な笑顔だな。
お金の出所は知らないが、それでもカードは受け取る新妻さん。
悪魔と手を結んだような気もするんだけどな。
「新妻さんは、怒ってないの?今の状況に」
「規則?他校だと、これでも緩いくらいよ。あなた達は他の学校をあまり知らないから、気付かないだろうけど」
「いや。私は夏まで、他にいた。確かに規則は厳しかったけどさ」
「ああ、そうか。多分、考え方の違いね。飼い慣らされた犬か、自分で獲物を見つける狼か」
意外に辛辣な事を言い出す新妻さん。
この場合飼い慣らされた犬は、おそらく現状に不満を抱かない生徒。
狼が、それに反抗的な生徒という意味。
普段は軽い雰囲気も見せるが、この辺はお姉さんとの血筋を感じずにはいられない。
「新妻さんはどっちなの」
「私は犬よ。姉さんは虎だったみたいだけど」
「今の規則には反対なんでしょ」
「反対でも、面と向かって噛み付きはしないって事。あまり賢くないわよ、そういうやり方」
軽くたしなめられた。
ただ賢くないと言われても、そういうやり方以外私は知らない。
だから賢くないと言われるんだろうが。
「自治区を作って独立するとかしてみたら」
「何それ、マンガ?」
「昔はそんな事もやってたって。それこそ、雪野生徒会長で良いじゃない」
何も良くはないし、独立って何だ。
誰も支持してくれなかったら、恥ずかしいどころの騒ぎじゃない。
この手の反抗は、言ってみれば反対意見があってこその反抗。
一人で独立を叫んでいても、優しく見守られたらたまったものではない。
独立はともかく、生徒会でも意見は割れている。
とはいえ単に転入組が現状追認でもない。
例えば新妻さんが、そう。
ああ言ってはいたが、少なくとも生徒会長や総務局の意見に賛成は表明していない。
また性格的に、多分私達寄りの気がする。
自警局の例のソファー。
そこへ収まり、スティックを磨く。
つくづく仕事をしてないな、私は。
「雪野さん、暴れてますよ」
「私は落ち着いてるよ」
「いえ。御剣君が暴れてますよ」
半ば棒読みで教えてくれる受付の女の子。
意味は分からないが、わざわざ伝えに来るくらい。
見に行った方が良いか。
彼が戦っていたのは、私が10人くらい入りそうな本棚。
それを蹴る、殴る、叩きのめす。
間違いなく、暴れている以外の何でもない。
「……聞きたくないけどさ。何してるの」
「捨てたいんだけど、サイズが大きすぎて持ち運びが出来ないそうです」
「木之本君を呼んで、電動ののこぎりか他の道具で小さくして」
「こっちの方が早いんだけどな」
実際本棚は、すでに半壊。
現時点で、持ち運びはかなりしやすくなっている。
ただ運べないからと言って、いきなり壊す物だろうか。
最近少し落ち着いたと思ったが、まだこういう部分が残っていた様子。
一応、気にしておいた方が良いだろう。
「ほうきとちりとりとゴミ袋。取りあえず、片付けて」
「俺が?」
「私がやるの?」
「間違いなく、俺の仕事ですね」
風を切って、飛ぶように去っていく御剣君。
というか、あの人は壊した後にどうするかを考えてなかったのか。
ただ、呆れているのは私くらい。
周りには自警局の生徒が何人もいるが、男の子は感心しきり。
女の子は少し赤い顔で、友達と興奮気味に盛り上がっている。
どうやら今の光景が、格好良かったらしい。
確かに相手はタンスでも、それを半壊出来る人間はそうそういない。
「ゴミか、これ」
すっと現れ、半壊した本棚を確認し出すショウ。
彼は近くにいた生徒に台車を運ばせ、それに本棚を乗せた。
半壊していても、本棚は本棚。
人一人が持ち上げるような代物ではない。
だけど、持ち上がったんだから仕方ない。
端を少し上げて台車に乗せただけでも、多分車を一人で浮かすくらいの力がいると思う。
詰まりは、あり得ないの一言に尽きる。
「捨てればいいのか、これは」
「さあ。捨てて良いの?」
「え、ええ。捨てて頂いて下さい」
何に対する、どういう敬語なんだ。
それでもケイは優しく微笑み、受付の出口に向かって本棚を押し始めた。
誰かに頼まれた訳でも無く、また彼の仕事でもない。
だけど彼は、何も言わずに本棚を運ぶ。
周りにいた生徒が、思わず拍手したのも頷ける。
「……あの、何を」
ほうきとちりとりを持って戻ってくる御剣君。
そしてショウと目を合わせ、少し苦い顔をする。
「それは俺が」
「運ぶのか」
「……壊すんだよ」
「お前、すごい発想だな」
素で褒めて、その頭を撫でるショウ。
ここまで来ると、大人と子供。
ショウの大きさが際立ってくる。
御剣君はその手を避けて、彼に本棚から離れるよう告げた。
「これは、俺が運ぶ」
「じゃあ、頼む」
あっさりと譲るショウ。
彼からすれば本棚にこだわる必要はない。
ただ御剣君は違った様子。
本棚ではなく、ショウに対してのこだわりだと思うが。
「どうかしたのか」
「……何でもない」
半壊した本棚を力強く押していく御剣君。
ちょっと不安定っぽいな。
「神代さん、ちょっと」
「あたし、忙しいんだけど」
「仕事は私が代わる。何人か連れて、御剣君の後を追って」
「たまには、意味のある事を言ってよね」
ひどい台詞を残して、それでも御剣君の後に付いていく神代さん。
意味があるって、後輩を気遣うのは十分意味がある事じゃないの。
例のソファーではなく、自分に与えられた執務室へ資料を持ち込み神代さんの仕事へ取りかかる。
支出の監査、か。
領収書と報告書と、去年のデータ。
物品の適正な市場価格。
「大体合ってれば良いんじゃないの」
「良くないだろうな、多分」
「だよね」
仕方なく数字を確認。
端末に入力されている分は、ソフトが確認してくれるので問題ない。
問題なのは領収書。
金額をごまかしていないか。
二重に計上していないか。
無意味な支出はないか。
私が判断するのはどうかと思うけど、露骨に怪しい物はチェックしていこう。
領収書の束を上から見ていくが、不審な物は特にない。
価格も適正。
必要な物を買っている。
「でもこれだけ物が買えるのは、お金があるって事だよね」
「贅沢な話だ」
しみじみと呟くショウ。
別に贅沢ではないと思うが、言いたい事は分かる。
思い出されるのは、やはり連合の時代。
あの頃は、とにかく予算がなかった。
プロテクターすら買えなかった状況で、まさしく必要な経費まで削られていた。
それを思うと、今は天国。
不満を抱く理由がない。
取りあえず、資金や資材に関しては。
「御剣君、怒ってたね」
「機嫌の悪い時もあるだろ。あいつは、怒りっぽいしな」
いまいち取り合わないショウ。
よく分かっていないとも言える。
御剣君の機嫌が悪かったのは、間違いなく彼のせい。
彼が悪いのではなく、その存在の大きさ。
御剣君に取って彼は兄であり、ライバルであり、頼れる仲間。
ただその壁は厚く、高い。
越えようと思って越えられる物ではない。
戦いにおいてなら、まだ可能性はある。
体格はほぼ互角。
身体能力も、種目によっては御剣君が上回る物もあるはず。
越えられないのは、その人間性。
なんだかんだと言っても、ショウはやはり大きい。
さっきのような、自然な優しさ。
周りを包み込む暖かさ。
人への気遣い。
器の大きさを感じる。
御剣君も人間として悪い訳ではない。
ただそういう細やかさは、持ち合わせていない。
ショウも持ち合わせてはいないけど、がさつでない分丸みを感じる。
もしくは、度量と言った方が良いだろうか。
これは育った環境もだし、そもそもの性格。
高校生にまでなって、今更全てを変えられる物でもない。
だからこそ、御剣君の苦悩は深まるのだろうが。
取りあえずチェックは終了。
私が見た限りにおいて、不審な点は見当たらなかった。
後はサトミにでも任せよう。
もしくは、押しつけよう。
「御剣君は?」
「まだ戻ってきてませんが」
自警局全体を見渡しながら答える受付の女の子。
出入り口はここ一つ。
彼女が見ていないなら、戻ってきていないんだろう。
「どこかで、トラブルとか起きてないよね」
「特に聞いてませんが」
「分かった。ありがとう」
大丈夫だとは思うが、一応確認するか。
端末で神代さんをコール。
すぐに通話が繋がる。
「……私。……いや、大丈夫かと思って。…そう。……ならいいよ。……いや。それはショウが持って帰る」
「おい、何言ってるんだ」
「張り紙しておいて。はい、分かった」
「何も分かってないぞ」
私の横で吠えるショウ。
そんな彼の肩を叩き、自警局の外を指さす。
「出かけるよ」
「何もやらないぞ」
私には反抗的だな、どうにも。
ただ、それはそれ。
彼を引っ張り、目的の場所へ到着する。
「何だよ、ここは」
やってきたのは、ゴミの集積センター。
御剣君達が、壊れた本棚を運び込んだ場所でもある。
「面白い物が置いてあったんだって」
「捨ててあっただろ」
「そういう言い方もあるかもね」
それ以外の言い方はないと思うが、今は品物を探す方が大事。
建物内は焼却施設なので、外の不燃物を見に行く。
昔はコンテナが倉庫並みに並んでいたが、今はそれが半分程度。
敷地が半分になったので、ゴミも半分になったらしい。
「上に登るのか」
「いや。見えるところに置いてあるって。……これか」
コンテナとコンテナの間に見える一枚の張り紙。
「これは、私の。雪野優」
……誰が、私の名前を書けと言った。
「自転車か」
「まだ乗れそうでしょ」
赤く塗装された、結構新しいモデルの自転車。
タイヤがパンクしていて、フレームも少し曲がっている。
ただ、直せば乗って乗れない事は無いと思う。
「木之本なら、直せるのかな。家で乗るのか」
「学内移動用にとも考えてる」
「俺は乗らないから、良いけどな。……お、モーターが付いてるぞ」
妙に甲高い声を上げるショウ。
で、誰が乗らないって。
自警局へ自転車を運び込んだ所で、仁王立ちしているサトミに出迎えられる。
行く手を遮られたとも言える。
「本棚を捨てにいったんでしょ」
「それは御剣君達。私は自転車を拾ってきた」
「ゴミを増やしてどうするの」
「直せば乗れるって。木之本君、これ見て」
遠巻きに様子を見ていた木之本君が苦笑気味に近付いてきて、自転車を確認。
どうやら、少し手を加えれば乗るには問題ないレベルにまで直せるらしい。
「モーターは動くかな」
「これは壊れてないはず。フレームが歪んでるから捨てたんだろうね」
「歪んでても、乗るだけなら大丈夫でしょ」
「俺が、どうかしたのか」
じとっとした目で見てくるケイ。
それには何も答えず、自転車へまたがる。
フレームは曲がっていて、タイヤはパンク。
チェーンもさび付いている。
それでもバランスさえ気を付ければ、十分乗る事が出来る。
「……ここ、どこだか知ってる?」
地鳴りみたいな低い声。
そんな事、全然忘れてたよ。
修理は木之本君へ頼み、もう一つの問題。
いや。本題の方を確かめる。
「神代さん」
自警局へ戻ってきた神代さんを呼び寄せ、改めて話を聞く。
通話では一度聞いたが、万が一という事もある。
「御剣君は?」
「本棚を捨てて、ここまでは戻ってきたけど。来てない?」
「見てない」
「生徒会のブースまでは一緒に来てたからね。その先は、ちょっと分からない」
申し訳なさそうに首を振る神代さん。
そこまでの責任を彼女に負わせる事は出来ず、その肩へと触れる。
「ありがとう。後は私達で探すから」
「あいつ、何かやったの?」
「やらないように見張ってる。最近は大人しいけど、ちょっと嫌な兆候を感じるから」
「あれで大人しいんだ」
不思議そうに呟く神代さん。
確かに普段の彼を見ていると、とても大人しいとは言い難い。
ただ血気盛んに暴れ回っていた昔に比べれば、そう例えても良いくらいの落ち着きは保っていた。
理由があっても、いきなり本棚を壊すような事は無かった。
その辺が、どうも気に掛かる。
「なんか、良い雰囲気になってきたな」
魔。
人の弱い部分。
不安定な部分を嗅ぎつけてきたのか。
気付けば影が差し、悪魔が傍らに忍び寄る。
例えてみるなら、今はそんな心境だ。
「何ですか、良い雰囲気って」
純粋に質問する渡瀬さん。
多分彼女のような人間には分からないだろうな。
人の良さ。
善意の中で育ってきた人には。
「御剣君だよ。あれ、裏切るぞ」
ストレートに告げるケイ。
渡瀬さんはまさかと言いたげに笑い、ケイも酷薄に微笑んでみせる。
「ああいう精神状況の時は、極端に走りたがる。昔もいたんだ。突然自我に目覚めて暴走したり、敵に寝返ったり、仲間割れした人間が」
私達へと向けられる視線。
暴走は、多分ショウ。
寝返ったというのは、管理案の頃のサトミ。
仲間割れはやはり、その頃の私とサトミとモトちゃんか。
ケイは薄い微笑みをたたえたまま、私達の前をゆっくりと歩き出した。
「一度その胸に手を当てて、よく反省しなさい」
「反省する事なんて無いよ」
「ユウはしなくていい。当てるだけの胸がない。せいぜい、パットでも当ててればいい」
私もにっこり笑い、取りあえずロー。
体が倒れてきたところで、こめかみに肘。
悲鳴も上げさせず床へ転がし、息を整える。
誰が裏切り者って、自分こそ前科何犯なのよ。
ただケイの言った事。
裏切るという部分。
特に御剣君の不安定さは、渡瀬さん達も分かった様子。
元々がさつではあるが、本棚をいきなり壊すような真似はしていなかった。
そう言われてみれば、という部分。
「あんな物じゃないんですか、男の子って」
渡瀬さんとは異なる意見を述べる緒方さん。
彼女は高等部から。
それも途中から彼と出会った人間。
つまり私が言う多少落ち着いた頃。
ちょっとやんちゃな男子、くらいの印象を持っているんだと思う。
実際、今の彼ならそう評しても問題はないが。
「真田さんは、どう思う?」
「雪野さんが心配するように、嫌な感じはしますね。生徒を数珠つなぎにして、廊下を引っ張ってきますよ」
「どういう意味?」
「言葉通りの意味。拘束した生徒を連れてくるのが面倒だから、全員縛って床を引きずってくる。象が車を引っ張るデモンストレーションってあるでしょ」
変な例えに、曖昧に頷く緒方さん。
意味は分からないが、私達は何となく理解出来る。
車を引っ張った所で、別に誰も困りはしない。
象の力のすごさを知るだけの事。
ただその力が、常に車を引っ張る事に使われるとも限らない。
「その辺に閉じこめるか。中に風呂とトイレがあれば、大丈夫だろ」
「彼を閉じこめるなら、ケイ君はトイレも何もない場所へ閉じこめるわよ」
さらっと彼の話を流すモトちゃん。
彼女は人を信じるタイプ。
特に仲間へは、絶対的な信頼を置く。
そして彼女がそうすると言った以上、私達はそれに従うだけ。
御剣君を拘束しないのなら、彼は自由である。
「ケイ君が言ったように、思春期なんでしょ。去年のショウ君みたいに」
「俺の事は良いんだ」
「良くないの。それといざという時は、あなたとユウで止めて。……止まるわよね」
少し不安げに尋ねるモトちゃん。
多分前なら、こうして尋ねる必要はなかったと思う。
御剣君が、もっと荒れていた頃ですら。
でも今の彼は体も大きくなり、その実力も付けてきた。
昔のように彼を懲らしめるのは、確かに難しいとは思う。
「止めるさ。あいつに負けるようなら、ここにいる理由もない」
静かに、決意を込めて答えるショウ。
私もその傍らで、強く頷く。
モトちゃんは満足げに微笑み、2年生達へ視線を向けた。
「私達も気にしておくけど、あなたたちも注意しておいて。七尾君と小谷君を呼んで」
「本当に、止まられるんですか」
「ユウが止めると言ったら、ダンプカーだって片手で止まるわよ」
何者なんだ、私は。
大体止まる以前に、頭上を通り過ぎるってオチじゃないだろうな。
二年生が下がったところで、今度は七尾君と小谷君がやってくる。
七尾君は、御剣君の直接の上司。
小谷君は、次期局長。
つまり、彼との関わりが深い人間である。
「という訳で、彼は多少荒れ気味になると思う。私達に襲いかかる事は過去無かったし、基本的に理不尽な事はしない。ただ相手によっては容赦なくなる。その辺は、気を付けておいて」
「雪野さんと、どう違うの」
「そうね。ユウよりは、まだましって考えておいて」
面白い冗談だな。
でもって、笑ってるのは私だけだな。
「そこまでひどくないと思うけどね、私は」
「自覚も無しね。それは良いとして」
私は、何一つとして良くないよ。
モトちゃんは小谷君を正面から見据え、真剣みを帯びた表情で彼に話し掛けた。
「大丈夫だとは思うけど、あなたに矛先が向かう可能性もある。そこは、気にしておいて」
「最近は、特に揉めてませんよ」
「最近は、でしょ。今の彼はちょっと違う。言ってみれば、攻撃する対象を探してるようなものね」
「獣だな、まるで」
肩を揺らして笑う七尾君。
その内、狩るとか言い出しそうな雰囲気で。
彼からすれば、その程度の認識。
また七尾君は、フリーガーディアンの研修を受けたほどの人間。
相手が誰であれ、憶する事も無ければ対処する方法も身につけていると思う。
一方小谷君は、優秀ではあるが体術はごく普通。
普通のガーディアンと、それ程の違いはない。
御剣君が彼に襲いかかれば、それは勝負とすら呼べない状況になると思う。
「俺を襲う可能性もあるんですか」
「基本的に仲間は襲わないし、あなたも多分その仲間と思われてる。だから、大丈夫のはず」
「はず」
「ただ相性が悪いから、攻撃の対象にはなる可能性はある」
横へ流れるモトちゃんの視線。
それは私達を通り過ぎ、暇そうに壁の掲示物を眺めているケイへと向けられる。
彼は相性が悪いというか、御剣君が苦手にしている人間。
それは今も昔も変わりない。
だからこそモトちゃんの言う、攻撃対象になりうる。
「浦田さんは、その時どうしたんですか」
「虎に勝てる人間はいない。でも、虎は人間の言葉を理解しない。だったら、それ相応の事をするしかない」
「なんですか、それ」
「罠を仕掛けても良いし、道具を使っても良い。むしろ、俺を襲えと言いたいね」
すでに準備は万端。
抜かりはないと言いたげな顔。
ケイも小谷君同様、体術に優れている訳ではない。
だからこそ、身を守る術は身につけている。
言ってみれば、過剰なほどに。
「……俺がそれを真似する必要はないんですよね」
「どうするかは自由さ。俺は罠を張る。ただそれだけの話。それに襲ってくるかどうかも分からん。一番矛先が向くのはショウだから」
「俺?どうして」
やはり不思議そうに尋ねるショウ。
ここまで自覚がないと、御剣君が可哀想に思えてくるな。
「こういう、脳天気なのもいる。小谷君は、むしろ御剣君の監視に重点を置いても良い。次期局長として、ああ言う人間を部下に置く事を視野に入れてさ」
「監視、ですか」
「部下を使うのも長の役目。何なら、切っても良い」
自分の首に手を添えるケイ。
つまりは馘首という意味か。
ひどい話ではあるが、無くもない考え。
組織の枠に収まらないなら、留めておく理由は無い。
と、普通は考える。
「そうならないよう、努力してみます」
控えめに答える小谷君。
婉曲に、ケイの提案を断ったとも取れる。
邪魔だからと言って、排除するのは簡単。
だけど彼は仲間。
例え相性が悪くても、距離があったとしても。
だとすれば、共に歩く道を選ぶ。
多分彼は、そんな選択をしたんだと思う。
私が望んでいた選択を。
「それで、あいつは今どこに」
「矢加部さんの所だろ。昔からの知り合いで、ここ以外に行くとすればあそこしかない」
その言葉に、思わず足を踏みならしてしまう。
仲間って、そういう意味か。
なんか、今の考えを全てひっくり返したくなったな。




