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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第6話
49/596

6-7






     6-7




 ようやく髪が乾き始め、体も暖かくなってきた。

 あれだけバタバタした後に休んでしまったので、動くのが面倒な気分。

 まったりした感じでラウンジにいると、後ろを生徒達が駆け抜けていく。

 どうやら、シスター・クリスの講演も終わったようだ。

 さぼってた訳ではないけど、このまま座り続けているのも少々気まずい。

 でも、動きたくもない。

 という訳で、廊下から見えない場所へと私達は移動した。


 しかし壁も何もなく、基本的には廊下の一部といってもいいラウンジ。

 隠れる場所なんて殆ど無い。 

 せいぜい、柱の後ろくらいだ。

「逃げてるみたいで嫌だね」

「シスター・クリスが通っていくのを、座って眺めてる訳にもいかないだろ。仕方ないさ」

 そうのんきに話してたら、人影が突然飛び込んできた。

「わっ」

 驚き様、蹴りを出す私とショウ。

 だがそれは宙で止められ、ゆっくりと引き戻される。

「あ、済みませんっ」

「いや。君達は、ここの生徒かい」

「は、はい。その、疲れたので一休みしてるんです」

「なるほど」


 軽く頷くスーツ姿の男性。

 SPではなく、軍の警備関係者のようだ。

 まだ若い彼は私達に微笑みかけ、胸元から手を戻した。

 そのふくらみ具合から見て、銃を携帯しているのは間違いない。

 冷静な人で良かった。

 というか、私達が冷静じゃない。

「もうすぐシスター・クリスが通られるから、それまではここで大人しくして貰うよ」

「はい。そうします」

 勿論最初からそのつもりだったので、素直に従う私達。

 そうこうしている間にに、廊下がさらに騒がしくなってくる。

 隠れているのではっきりとは分からないが、彼女が来たようだ。

「顔、出さないでね。向こうの警備が、警戒するといけないから」

「あ、はい」

 願ったり叶ったりである。

 私は柱に背をもたれ、そのまま床へしゃがみ込んだ。

 そしてスカートを整えて、見えないようにする。

 スパッツ履いていても、そういい気分はしないので。

「眠くなってくる」

 他の柱に隠れているサトミが、口に指を当てた。

 はいはい、静かにします。

 という訳で、膝を抱えて頭を倒す。

 あー、本当に寝ちゃいそう。 

 でもいいか。

 体が小さいから、もし横へ倒れても見つかる事はあまりない。

 そうそう、人間無理が一番良くない。

 5分。3分でいい。

 それだけ休めば、まだ元気が戻る。

 みんな、頑張って。

 それと、お休みなさい……。



 意識にもやが掛かり始めたところで、突然目が醒めた。

 音ではない。

 張りつめた空気に、つい体が反応してしまったようだ。

「どうしたの。またテロ?」

「そうじゃない。けど、もっと性質が悪いかも」

 いつ間にか隣にサトミがいる。

 廊下の一群から見られる角度だが、向こうがこちらを気にしていない。

「シスター・クリスの取り巻きが怒ってるのよ」

「今度は小鳥でも逃がせって?」

「あれ」

 沙紀ちゃんが指さす方を、目で追っていく。

 人が多くて見えないけど、場所は分かる。

 前回の大戦に出兵した人の、慰霊碑がある場所だ。

 彼等はこの学校の前身となった高校の出身者で、今でも献花が絶える事はない。

 私達も折に触れては花を供えたり、黙祷を捧げている。

 ただ慰霊碑といっても、彼等の名前が入ったプレートと追悼文があるだけのこじんまりとしたものだ。

 それにそういうのは、むしろ彼女達が喜ぶべき行為のはずだ。

 一体、何が気に触ったというのだろう。


 柱の陰から様子を窺う私達。

 騒いでいた生徒達が鎮まり始め、張りつめた空気がさらに高まっていく。

 代わって、たしなめるような声が響く。

 シスター・クリス本人の声じゃない。

 本人は大分離れたところで、一部の生徒達に乞われた説法だか講話だかを行っている。

 だから騒いでいるのはその取り巻き、修道会と財団の幹部達だ。

「慰霊という目的は、私達も異論ありません。ですから何度も申し上げている通り、その方法を言っているのです」

「しかし」

 反論しているのは、歓待委員会のメンバーらしい。

 繊細な感じの、華奢な男の子。

 困惑した表情を浮かべてはいるが、ただ彼女達に従うという様子でもなさそうだ。

「神は御一人でしかないのです。これは別段他宗教を批判しているのではなく、それは事実なのですから」

「ですからこれは、日本の慣習というか風俗でして。その、神様を見立てている訳ではないんですよ」

「道祖神、と呼ばれていてもですか」

「た、確かに神という文字を使いますけど、意味合いが少し違うんです」

 困惑して道祖神を説明する男の子。 

 幹部達は頷きも笑いもせずに、醒めた表情で彼を見つめている。

 そんな彼等の間にある、道祖神。

 つまりは、お地蔵様。


 とても小さくて、私の膝程もない。

 人目に付かない事を気にした人がいるのか、お地蔵様は台の上に納められていて私の腰くらいの位置にある。

 それがあいにく、彼女達の目に留まったのだ。

 そして、気に触った。

 私に民俗学の知識は無いけど、道祖神を「神様」だなんて無理があり過ぎる。 

 大体あそこにいるお地蔵様は有志が手作りで制作した物で、普通のお地蔵様よりももっと身近な存在である。

 「神様」という高い位置ではなく、前回の大戦で亡くなった人達を思う彼等の気持そのものなのだ。


「とにかく、この偶像は撤去して下さい。何もキリスト教式の慰霊碑を作れといってはいません。ただ誤った「神」と、偶像を崇拝するのは良くないと申し上げているのです」

「し、しかし……」

「これは、クリス修道会及び、財団からのお願いでもあります」

 一気に張りつめる空気。

 国家首脳すら逆らえない彼女達の言葉が、単なる高校生に突き付けられる。

 彼は有能かもしれないけど、この場面では荷が重い。

 理不尽な要求に一歩も引かないという姿勢だけが、唯一の救いだ。

 またそれは、ここにいる私達全員の思いでもある。

 大体会長は、どこにいるんだ。

 こういう時こそ、新カリキュラムの才能を生かして欲しいのに。

 それと、責任者としての役割を。


「チッ」

 舌打ちが間近で聞こえる。

 すぐ隣でショウと名雲さんが、苦い顔で彼等を睨んでいた。

「ふざけやがって」

 抑えた、低い声。

 それと同時に、柱が揺れる。 

 二人の前蹴りを容赦なく受け止めてしまって。

「な、何です?」

「じ、地震でしょうか?」

 突然の不自然な揺れに、明らかに動揺する幹部達。

 相当に慌てふためいているが、同情はしない。

「あ、あの。君達」

「済みません」

「腹が立ったので」

 あまりにも率直に答える名雲さん。

 警備の男性はどう対処していいのか分からないらしく、取りあえず二人に落ち着くよう言った。

「……どうかなさいましたか」

 混乱する慰霊碑の前に、突如現れる会長。

 来るのがちょっと遅いけど、何とかしてくれないかな。


「あ、あなたにも申し上げておきたい事があります。この道祖神ですが」

「それ、ですか。他意はありません。日本では「お地蔵様」などと呼ばれ、旅人の安全や色々な願掛けなどに使われる石像です」

「分かっています。私達が問題としているのは」

「性的な部分に関して、でしょうか」

 会長の言葉に、幹部達の顔色が変わる。

 彼はそんなの気にも止めず、お地蔵様の頭を愛おしそうに撫で始めた。

「子宝に恵まれるようにと願うケースが、よくありますから。これは慰霊のためなので違いますが、もっと形状が極端な物があります」

「極端?」

「ご婦人方の前で説明してよろしいのかどうか。これを撤去するのは簡単ですが、そうすると私達もそれなりに資料を提出させていただきます。例えば、道祖神のバリエーション」

 軽く咳払いをして、視線を自分へと向けさせる。 

 上手く間を作ったところで、会長はおもむろに口を開いた。

「今言った子宝の場合ですと、男性をイメージさせる形状になります。ですからその写真やビデオを資料として、皆様に見て頂く事になるんですよ。それでも、よろしいですか?」

「よろしいですかと言われても、一体?」

「これだけの人前で話すのは、私でもためらうような事柄です」

 深い沈黙があり、シスター・クリスの幹部達が慌てて顔を寄せる。

 そして赤い顔を、会長へと向けた。

「わ、分かりました。この件に関しては、不問と致します。資料の提出も結構です」

「承りました。パーティまでしばし時間がありますので、しばらくお休み下さい。誰か、彼女達をお連れして」

「はい」

 数人の女の子が前に進み出て、動きの固い幹部達を誘導していく。

 黙って彼等を見送る生徒達。 

 そしてその姿が見えなくなったところで、安堵のため息を全員が洩らす。


「会長。済みませんでした。俺が、ちゃんと説明出来なかったばかりに」

「いや。君が頑張ってくれたおかげで、彼女達と合意する事が出来た。それにお地蔵様を守ったのは、誰でもない君自身だ。そうだろ」

 不意に話を振られた関係ない男の子が、戸惑いつつも頷く。

 やがて同意の声が静かに広がっていき、生徒達全体に伝わる。

 自分達の意見を曲げなかった事への満足感、それを代表してくれた彼への称賛。

 声にならない、だけど確かな一体感。

 それを促した会長の姿はもう中心にはなく、人混みから離れた所で委員会の子達との打ち合わせに勤しんでいる。

 扇動や意識操作とも違う彼の手腕。

 私は何事もなかったような顔をしている会長を、また見直していた。

 よく分からない人だけど、決して悪い人じゃない。

 何より今の行動は、生徒と学校のためにした事だから。 

 もし彼に何かの思惑があるとしても、私は彼を信じたい。

 この先も……。



 そんな事もあったので、名雲さんは気分を悪くしてアパートへ帰ってしまった。

 侮辱とは言わないまでも、慰霊目的のお地蔵様にああいう態度を取られたせいだ。

 彼はお父さんを戦争で亡くしているため、私達には想像出来ない憤りがあるのだろう。

 それに、荒れていたという柳君の様子を見に行くらしい。

 舞地さんも池上さんもいないし。

 駄目だよ、ワイルドギース。

 ちなみに私達は、自分のオフィスで休んでいる。

 あまり人の事は言えない。

「機嫌悪そうね」

「悪い」

 全く隠そうとしないショウ。

 彼もお地蔵様に文句を付けられたのは、相当頭に来たようだ。 

 まだ幸いなのは、それを命じたのがシスター・クリスではなかった事。

 もしそうだったら、もう冗談じゃすまなくなる。

「あーあ」

 例のマントを机の上に置き、大きく伸びている。

 私も釣られて、欠伸を少し。

「帰ろう、もう。帰ってゲームをやろう。どうせパーティには出られないんだし」

「出席出来なくても、警備はあるの。それに関しては、全ガーディアンが対象よ」

「人が美味しいの食べてる時に、後ろで突っ立てろって?ご冗談でしょう、遠野さん」

「冗談じゃないの、浦田君」 

 視線を交じ合わせる二人。

 結局ケイが先に折れ、ゲームをやり始めた。

 サトミに弱いという事より、争う意味がないと思ったんだろう。

 それに本気で言ってたなら、人の話は聞かないし勝手に帰ってる。

 今何を考えているのかはさっぱり分からないけど、まだ学校に残るつもりなのは確かだ。

 悪いね、もう少しだけ頑張って。


「お腹空いてきた」

 サトミの包帯を替えていた沙紀ちゃんが、私と目を合わす。

 お昼に、ほんの少しパンを食べただけコンビで。

「ガーディアンは、先に食堂で何か食べるようになってないの?」

「まずはシスター・クリスが優先。生徒達の事は、その後」

 きっぱりと言い放つサトミ。 

 こちらは言い返す気力もない。

「だったら、外に何か食べに行こうぜ」

「玲阿君に賛成」

「俺も」

「だって、サトミ」

 別に責任者ではないけど、今回そういった権限は彼女にあると言っていい。

「……パーティまではもう少しだから、軽くならいいわよ」

「ハンバーガー屋さんあるじゃない。南門の正面に。私、割引チケット持ってるの」

 「お得な秋限定セット。今なら半額」と書かれたチケットを取り出す沙紀ちゃん。

「6人分使えるから、ここいかない?」

「5人だし、いいわね」

「ユウ、急がないで」

 廊下へ飛び出たらサトミにたしなめられた。

 うがーっと吠えたくなるのを堪え、廊下でみんなを待つ。 

「そんなにお腹空いてるの?」 

「気分的な問題。言うなら、はらぺこペコリなの」

「は?」

 固まるみんな。

 おかしいな、有名な絵本なのに。

 私はそれこそ、何度読んだかしれない。

「困りん子は放っておいて、早く行こう」

「あ、ああ」

 ケイに促され、私を本当に置いていくみんな。

 ちょ、ちょと待ってよ。



 相変わらず雨は降り止まず、ハンバーガー屋さんへ着いた頃にはまた濡れてしまった。

 お店のサービスであるタオルを借り、服や髪を拭く。

 学校に帰ったら、もう一度拭かないと。

 外へ出たのは、ちょっと失敗だったか。

「あなた、知ってるんじゃないの。腹ぺこペコリ。困りん子を知ってたし」

「名前くらいは、聞いた事ある。でも、話は知らない」

「もう。心も一杯胸一杯。私はこの道駆けていく、雨降り風もなんのその。さあ……」

「だから、知らないって」

 邪険そうに手で追い払われた。

 つまんない子だ。

 いいんだけどさ。

「私はシスター・クリスの伝記を読んでたわね。それで彼女を好きになったというか、考え方に共鳴したというか」

 そう言って、タオルをテーブルへ戻すサトミ。

 表情は、どこかあどけない。

「へぇ。昔から……」

「みんな、何してるの」


 地の底から響くような声に反応して顔を上げる。

 テーブルの脇で仁王立ちしているモトちゃんと、目が合った。

 彼女は背が高いので、私なんて相当見下ろされている。

 それにしても、よく居場所が分かったな。

 仕事を放り出して逃げる塩田さんの捜索で慣れているにしろ。

「見ての通り、ハンバーガー待ってる」

「食事は、パーティまで待って。そういう決まりでしょ、サトミ」

「そうだけど、ユウ達はお腹空いてるから。出席はしないんだし、いいんじゃなくて」

「んー、ちょっと違う。天満さんから連絡聞いてないの?」

 連絡?

 端末は使えるようになってるけど、何も無い。

「ユウ達に、パーティの警備を頼みたいって。今日あなた達頑張ったでしょ。だから、そのお礼の意味も兼ねて」

「モト、それは逆だ。俺は、警備しない方がお礼になる」

「あなたの意見は聞いてません」

 ばっさり切り捨てられるケイ。

 放っておいたら、テーブルにあるソースを飲みそうな顔だな。

「サトミ、どうかしら」

「この姿では、雰囲気を悪くするわ」

「責任は、天満さんと会長が取って下さるって」

「……分かった」

 席を立ち、サトミがカウンターへ向かう。

 おそらくオーダーをテイクアウトに代えているのだろう。


「警備、ね」

「機嫌悪いじゃない、ショウ君」

「別に。サトミが出たいって言うなら、俺も付いてくけどな」

 気乗りなさそうなショウ。

 すると沙紀ちゃんが、遠慮気味に口を開いた。

「私もいいのかしら?」

「当たり前でしょ。元直属班隊長として、帰っていった人の分まで頑張って貰わないと」

「真理依さん達か。なるほどね、了解」

 頷く沙紀ちゃん。

 そこへ戻ってきたサトミに、モトちゃんが話を向ける。

「大体私は、委員会の人間じゃないのよ。分かってる、その辺を」

「あなた、最近愚痴っぽいわね。さ、みんな行きましょ」

「まったく。私がご褒美欲しいくらいだわ」

 笑いながらサトミが手に提げていたテイクアウトの袋を持つモトちゃん。

 だって、お姉さんだから。

 妹を労るのは、当然なんだよね。

 本当、モトちゃんにもお礼しないといけないな。

 今日だけじゃなくて、いつもの分も合わせて。

 不肖な妹達の、ささやかなプレゼントを。



 オフィスでまた一休み。 

 さぼってると言うより、体を動かしたくない。

 鎮痛剤もそうだけど、お腹が空いてきているから。

 目の前にあるハンバーガー屋さんの袋が、妙に恨めしい。

 食べたい。 

 でも食べれない。 

 より正確に言えば、食べてはいけない。

「パーティの警備なんだから、結局食べられないんでしょ」

「シスター・クリスも、今は何も食べてないわ。警備といえども、一応は彼女に合わせて」

「はいはい」 

 震えてきそうになるので、袋を目に付かないところへ置く。 

 くー、この香りがまた。

「あれだ。シスター・クリスがいない会場の警備にいけばいい。そうすれば、料理に手を付けてもさほど問題ない」

「彼女がいる会場の警備をして下さいと、連絡を受けてるの」

「あれも駄目、これも駄目。俺は修道僧か」

 露骨に面白くなさそうな顔をするケイ。 

 トイレが近くなるので、お茶まで控えているのだ。


 パーティの会場は幾つかあり、今言ったようにシスター・クリスがいない場所も存在する。

 シスター・クリスと食事を共に出来るのは、おそらく500名ほど。

 それは委員会や生徒会のメンバーを除外しての数。

 希望者の中から、審査をくぐり抜けた幸運な人達。

 クリスチャンが主で、後はサトミのような彼女のファン。

 そんな堅苦しい状況で食事したい人なんてそうはいないから、希望者はほぼ彼女と食事を共に出来る事になっている。

 そして彼等は、モトちゃん達が一所懸命作った服を着てパーティに出席するのだ。

 中には、自分で作った服を着る人もいるだろう。

 それとも、食事を食べて貰える人がいるかも知れない。

 会場や寝室、休憩用の部屋の飾り付けや調度品は、かなりを有志の手作りやバイトで貯めたお金で賄っている。

 シスター・クリスが質素で、華美な事を好まないという事を踏まえて。

 生徒達の手作りで、みんなの頑張りで成り立っている。

 今までの事も、これからも。

 そしてこのパーティが、一番の見せ場じゃないのかな。 

 あいにくガーデンパーティは中止になったけれど、でもみんなの気持ちは変わらないと思う。

 シスター・クリス達を心からもてなしたいという、その思いは。



 ようやくお呼びが掛かり、パーティ会場へと足を踏み入れる私達。

 その前に、お医者さんからもらった鎮痛剤を飲んでいる。

 今は大丈夫だけど、パーティの途中で痛いなんて顔してられないから。

 多少のだるさや眠気と戦うのも、後少しの辛抱だ。

「……という訳で、丹下さんの指示に従って下さい。基本的にその場から動かないで、後はこちらからの指示を仰ぐ形で」

 延々と警備方法を説明する局長。

 まともに聞いている人は、多分いない。

 怪我や鎮痛剤の影響だけではなくて、警備は軍や警察に任せればいいと思ってるから。

 取りあえず頷いて、話が終わるのを待つ。

 目の前を料理が通り過ぎていくのを眺めながら。

 デザートは、これが食べ終わってから運ばれ来るんだろうか。

 プリンがいいな、私は。

 余ったら、一つ貰おう。


「……以上です。質問は」

「無い」

 素っ気なく答えるショウ。

 普段と違うその態度に局長が訝しげな顔をするが、それでも変化はない。

「ほら、誰か呼んでるぞ。早く行ってやれ」

「あ、はい」

 局長はまだ何か言いたそうだったけど、彼を呼んでいる委員の方に走っていった。

「大変だな、あいつも」

「地位の高さに応じて、その責任も大きい。俺達下っ端には、何一つ関係ない」

 鼻で笑い、綺麗に活けらえた花を軽くはじくケイ。

「そんな事したら怒られるわよ」

「大丈夫だって、もう見ちゃいない……」

 局長と目が合い、慌てて手を振る。

 馬鹿だ。


 そうこうする間に会場へは、一般生徒が集まり始めてきた。

 着飾ったという服装ではなく、どちらかといえば大人しいデザインと色合い。

 でもそれがまた、手作りさを感じさせる。

 すでに警備のガーディアンは、全員壁に張り付いている。

 その間を縫うようにして、軍と警察の警備関係者も。

 教師や職員に扮して、会場内をチェックしている人達もいる。

 シスター・クリスに疎まれている事を知っていても、職務を果たす姿勢。

 嫌々ではなくて、また仕事だからという態度でもない。 

 自分の役割を認識し、そのために努力を惜しまない彼等。

 私がする事ではないだろうけど、ご苦労様と一人一人に声を掛けていきたいくらいだ。


 壁へもたれてだるさに身を任せていると、スーツ姿の男性がこちらへ近付いてきた。

「休んでないのか」

「ええ。もう少し、頑張ろうと思いまして」

 代表して答えるサトミ。 

 山峰さんは苦笑して、彼女の腕へ目を向けた。

「若いというのはいいな」

「それ程でもありませんが。ところで、あなたの怪我は」

「職務の妨げになる程ではない」

 スーツの下は見えないけど、多分私達以上の状態だろう。

 またそれは一人で幾人ものSPを相手にし、倒した結果だ。

「このパーティが終わったら、君のお父さんの話でもしよう」

「あ、はい」

 ぺこりと頭を下げるショウに微笑みかけ、山峰さんは私達の元から去っていった。


「あの人こそ、よくやるんじゃないの」

「俺には無理だね。やれと言われても、やらないけど」

 やってよ。

「とにかく、後少しで終わりだから。ね、サトミ」

「ええ。明日もまだあるけれど」  

 ぎょっとする私達。

 でも彼女は、別に冗談で言っている訳ではないようだ。 

 シスター・クリスがこの学校にいる限り、サトミは頑張り続ける。

 当然私達も、サトミに付き合い続ける。 

 今日は、早く寝よう……。



 一人を除いて本当に壁の染みになっていると、辺りが騒がしくなってきた。

 どうやらシスター・クリスがやってきたらしい。

 例により警備の人間が素早く周囲に配置され、彼女達の到着を待つ。

 あくまでも、気付かれないように。

 そして黒のマントを身につけた数人が、ホールの中へと入ってきた。

 続いて起きる拍手。

 白くほっそりとした手が、たよやかに振られる。

 華やいだ幾つもの笑い声が、ホールに広がっていく。

 暖かさと荘厳さが重なり合い、何とも表現しがたい雰囲気に包まれる気分。

 柔和な笑顔を絶やさないシスター・クリス。

 今日一日だけでなく、これまでずっとそうしてきたのだろう。

 そんな素敵な笑顔を見ていると、私も今までの嫌な気分が洗われていくような気がする。

 頑張ってるのは私達だけじゃなくて、きっと彼女も頑張ってる。

 そう思ったら、拍手にも自然と気持がこもってくる。

 腕を吊っているサトミの分まで、少し大きめに。


 何となくいい気分になっていたら、どうも様子がおかしい。

 笑い声や拍手が小さくなり、空気が張りつめてきているのだ。 

 さっきラウンジでもあった、あの嫌な雰囲気。

 また幹部が騒いでいるのだろうか。

「今度は何。お肉は食べられませんって?」

「ヒンズーやイスラムじゃないんだから。それに彼女がベジタリアンだなんて、聞いた事無いわ」

「だったら、一体どうしたっていうのよ」

 無論サトミが知る訳もなく、シスター・クリスのいる位置も遠いので状況が全く分からない。

 かといって、わざわざここを離れてまで見に行く事でもない。

 今の私達は、一応警備としてここに来ているのだから。

 そこまでの野次馬には、さすがになれない。


「あ、こっち来た」

「どこ?」

 ケイの言葉に反応するけど、人が邪魔で全然見えない。

「待ってれば、その内ユウにも見える。っていうか、ここを目指してる」

「う、うそ。私達目当て?」

「まさか。誰か、責任者でも捜してるんでしょ」

 そう冷静に指摘したサトミの視線を辿ると、天満さんの姿が見えた。 


 運営企画局局長、そして今回のシスター・クリスの来校に関する実質的な責任者。

 彼女もシスター・クリスが自分の元へ来ていると分かったらしく、厳しい顔で立ち尽くしている。 

 その隣には、モトちゃんが。

 まだいてくれたんだ。

「あれ、会長は」

「あの人は、ここ以外の仕事も一杯ある。かかりっきりって訳にはいかないさ」

 何故か答えてくれるケイ。

 彼については、多少知っているようだ。

「文句言いに来たって顔だな」

 危ぶむようなショウの声。

 しかし彼女へ近付くような真似はしない。

 言い方はおかしいが、今の自分の立場を弁えているのだ。

「やな雰囲気ね。大丈夫?」

 誰にともなく洩らす沙紀ちゃん。

 私は曖昧な返事を返し、事の行方を見守り始めた。



 ついにシスター・クリスが、天満さんの前に立つ。

 彼女の後ろには、修道会や財団の幹部。

 天満さんの後ろには、歓待委員会のメンバーが居並ぶ。

 人数では歓待委員会の方が多いが、その威圧的な雰囲気に圧倒され気味だ。

「天満さん」

「は、はい」

 やや声を上擦らせたが、まっすぐシスター・クリスを見つめる天満さん。

 シスター・クリスはおもむろにホール内を振り向き、中央に並べられているテーブルを指さした。

「随分、料理をご用意したのですね」

「え、ええ。人数が多いものですから。無論余った場合は、各自が持って帰るようにはします」

「量もそうですが、料理の種類もかなりになります」

 一旦言葉が切られ、シスター・クリスの指がすぐ近くのテーブルへ向けられる。

「中には高価な食材を利用している料理も見受けられます。たやすく手に入らない物も、いくつかあるのではないのですか」

「は、はい。その通りです」

 恐縮して頷く天満さん。

 それに満足したのか、シスター・クリスは鷹揚に頷いた。

「事前に申し上げた通り、私達は質素をその旨とします。衣食住、その全てにおいて」

 彼女の視線が、今度は会場内の生徒へと向く。

「着飾るのが悪いとは申しません。ただ程度という物があるはずではないでしょうか」

「そ、それは。その、違うんです」

「服を新調する余裕があるのならば、それはパーティ以外の目的に使った方が有意義なのではないでしょうか。一時の歓楽に費やすなど、私には理解出来かねます」

 一斉に顔を伏せる生徒達。

 シスター・クリスはかまわず話を続ける。 


「私達は、このような贅沢をするために生きている訳ではありません。これだけの料理を用意するお金があるのなら、例えばそれを寄付に回したらどうです。違いますか」

「い、いえ、その」

 天満さんは言葉が出ない。

 汗がひどい。

「先程私達が泊まる部屋を見せてもらいましたが、あんなに豪華な設備がどうして必要なのでしょう。私達はこちらの倉庫でもお借りできれば十分です。毛布は持参していますから、これ以上のお気遣いは無用です」

「あ、は、はい」

 汗を拭き、しきりに頭を下げる天満さん。

 顔は青く、今にも倒れそうだ。

「そして最も言わなくてはならないのは、あなた達の心の問題です。そのような服装、このような食事。それはあなた達の心のおごりから来ているのです。本当に困った人達の事を考えるのなら、その人達と同じ立場になって考えてみて下さい」

「は、はい……」

 会場は静まり返り、シスター・クリスの言葉だけがいつまでも続けられる。

「とにかく私はこの料理に手を付ける訳にはいきません。私達には、紅茶とオートミール、そしてひとかけらのチーズを下さい」

「は、はい。ただいまご用意いたします」


 天満さんが近くの委員を呼ぶ。

 モトちゃんは表情一つ変えず、黙って彼女の傍らに控えている。

「……やはり、急にはちょっと。オートミールなんて用意してないですから。10分もあれば何とかします」

「ごめん。とにかく、早く頼むわ」

 素早く頷いて、ホールを飛び出ていく女の子。

 その間にシスター・クリス達は差し出された紅茶を手にして、ようやく席に付いていた。

「ああ、構いませんよ。みなさんは、お食事を楽しんで下さい」

 明るい口調で勧めるシスター・クリス。

 しかしあんな事を言われて手を付けれる人がいるはずもない。

 会場は水を打ったように静まり返り、一転重苦しい空気に包まれる。

 華やいだ笑顔や笑い声、暖かな雰囲気など遠い過去の話だ。


「どうしました」

「あ、会長」

 壁際に下がって肩を落としていた天満さんが、弱々しく顔を上げる。

 そして、今の経緯をかいつまんで説明した。

「……そうか。過去の例だとこの程度のパーティでは問題がないと聞いていたんですが。済みません、私の配慮が足りなかった」

「いえ。パーティの責任者は私ですから」

「分かりました。それで、後の問題は」

「チーズが、もう無いんです。お昼に余った分は、料理で使ってしまって」

 口を押さえ、顔を伏せる天満さん。

 会長は彼女の方にそっと手を置き、顔を上げさせた。

「近所で、そのチーズが売っている店は」

「このために殆ど買い占めてしまって。栄の中央地下街へ行かないと、ちょっと」

「私が買ってきます。悪いが、それまでここを」

 そう言い残し、足早にホールを出ていく会長。

 その後を、数人の男の子が続く。

 今外は、暴風雨警報が出ている程の大雨。

 中央地下街までは、車でも10分はかかる場所。

 まして会長は、今まで激務をこなしていた体。

 それでもただ、「買いに行く」の一言で出ていった。

 後に続いた男の子達の気持が、痛い程分かる。


「オートミールは?」

「もう少しかかります」

「そう……」

 憔悴しきった顔で、シスター・クリスの様子を窺う天満さん。

 彼女達は何事もないかのように、紅茶を楽しんでいる。

 対照的に生徒達は、どうする事も出来ずに立ちっぱなしだ。

 食事は勿論、口を聞く余裕もない。

 全てを否定され、それでもここに居続けなければならない彼等。 

 重い沈黙の中、ティーカップの音だけがホールに響く。



「何です、あなたは?」

「警備担当の雪野優です」

 血相を変えて駆け寄ってくる天満さん達を手で制し、シスター・クリスを睨み付ける。

「ああ、昼食でご一緒だった方ですね。私達に、何かご用ですか」

 清らかで純粋な笑みを浮かべる彼女。

 私という存在を受け入れてくれる、心からの微笑み。

 だけど、もう……。

「そうよ。あなたね、自分のやってる事がどれだけ迷惑掛けてるか知ってるの?」

「その口のきき方は何です。本来ならあなたのような者は、お目通りすらかないませんよ」

 取り巻きのシスターが立ち上がり、高い所から私を見下ろす。

「何よそれ。さんざん愛だ、平等だっていっておいて、私とあなた達とは身分が違うってでも言うつもり?冗談じゃない」

「な、なんて事を」

 悪魔でも見たような顔をして十字を切る、幹部のシスター達。

 私は構わず、彼女達を睨み付けた。


「いい?あなたがここにある料理に手を付けないから、みんなも食べられないのよ」

「だから私は、私達に気兼ねせず……」

「主賓が食べなくて、どうして私達が食べられるっていうの」

「そ、それは……」

「それにこの料理が贅沢だって言ってたけどね、これは全部この学校の生徒達が作った物なのよ。あなたに一口食べてもらいたくて。みんなで仕事をして、お金を貯めて……」

 私はこみ上げてくる怒りと悔しさを、深呼吸して押さえ付けた。

「あなたの寝室だって、カーテンもシーツも枕も、女の子達が毎日この日のために刺繍した物よ。着ている服だって。それを分かってるの?」

「そ、それは知りませんでした……」

 かすれそうなささやき。

 驚きと戸惑いの表情。

 心に微かな痛みが走るが、私はそれでも続けた。

「自分で質素にしているつもりかもしれないけど、あなたが一言言うだけでどれだけの人間が動くと思ってるの。オートミールが食べたい?今キッチンで、汗流しながら女の子達が作ってるわよ。チーズ?あなたがいつも食べているチーズがこの学校にはなかったから、今男の子達が買いに行ってるわよ。こんな雨の中っ」



 まるで人がいないかのように静まりかえるホール内。

 シスター・クリス達だけでなく、生徒達も顔を伏せる。

 そして私も、ただ床を見つめ続けていた。

「失礼な事言って済みませんでした。失礼します……」 

 どうにかそれだけ言って、シスター・クリスに背を向ける。

 足取りも定かでないが、出口を目指す。

 すると私の周りを、スーツ姿の男性が取り囲んだ。

「悪いが、拘束させてもらう」

「はい」

 素直に答え、体の力を抜く。

 スティックは持ってきていないので、ボディチェックにも引っ掛からない。

「本部へ連絡。シスター・クリスに示威行動を取った人物を拘束。今より、連行する」

 誰かが端末で連絡を取っている。

 実際に拘束されてはいないが、前後左右は完全に抑えられている。


「高校生相手に、と大人げないんじゃないんですか」

「……君は」

「彼女の友人です」

 私を囲んでいる警備関係者の前に立ちふさがるショウ。

 姿勢はやや低く、どうとでも動ける体勢だ。

「年齢や立場は関係ない。要は、彼女に危害を加える可能性があるかどうかだ」

「俺には、意見しているだけに見えましたが」

「判断は我々がする。これ以上前に立つと、君も拘束するぞ」

 私が何か言うより先に、ショウは一歩前へと出た。

 即座に警備の人間が彼を囲み、彼の両腕を押さえる。

「何、やってんだ」

「仲間を見捨てるのは、性に合わなくてな」

「洒落にもならん」

 鼻を鳴らしたケイが、警備関係者の隣へと動く。

 そして警戒する彼等だけに聞こえるくらいの声でささやく。

「シスター・クリスから疎まれているのに、それでも彼女のために働くんですか」

「仕事だからな」

 誰かが感情のこもらない返事を返す。

「そこの小さな子の言った事が、理屈としては正しいとしても?」

「理屈や感情じゃない。彼女に危険が及ぶかどうか。それだけだ」

「なるほどね」

 くすっと笑い、ジャケットの胸元へ手を入れるケイ。 

 鋭い当て身を受け、彼の体が警備関係者の中へ消える。

「馬鹿っ」

 叫ぶ沙紀ちゃん。

 ケイを取り押さえた警備関係者が、厳しい顔を彼女へ向ける。

「誰がだ」

「……あ、あなた達よ」

 多分ケイに向かっての言葉だったのだろう。

 しかし勢いか、とんでもない事を口走ってしまった。

「おい」

「はっ」

 当然沙紀ちゃんも囲まれる。

 そしてその足元には、ケイの手から落ちたガムが転がっている。


 突然の事態に、シスター・クリス達は勿論生徒達も動揺を隠せない。

 彼女を怒鳴り散らした私が拘束され、さらにその後で文句を付けたショウ達も捕まえられてしまった。

 しかも、シスター・クリスが嫌うべき警備関係者に。

 ここにいる全員が両者の関係を理解しているだけに、この状況をどう受け止めていいのか分からない様子である。

 連行されていく私達。

 鎮痛剤のせいか、頭がはっきりしない。

 分かっているのは、怒りに身を任せてしまった事だけだ。

 後それで、みんなに迷惑を掛けてしまった。

 ごめん。


「глупышка.」

 やや大きめな、サトミの声。

 顔を赤くするシスター・クリス。

 幹部がサトミを指さし、警備を激しく促す。

「ちょ、ちょっと。彼女は怪我してるのよっ」

「安心しろ。手荒な真似はしない」

「だったら」

「我々は、シスター・クリスの指示に従うよう命ぜられている」

 彼等の口からそれを言われたら、こちらも返す言葉がない。

 結局サトミも囲まれて、私達はそのままドアの方へと連れられていった。



「あ、あの」

 鈴の音のような澄んだ呼び掛け。

 小さいけれど良く通ったその声に、ふと振り返る。

「い、頂いてもよろしいでしょうか」

 キャビアが盛られたお皿に、金のスプーンを差し入れているシスター・クリス。

 もう片方の手には、黒パンが持たれている。

「ど、どうぞ。あ、誰かレモンとタマネギを」

 天満さんの指示で、それらが即座に差し出される。

「ありがとうございます……」 

 可愛らしい口を少しだけ開け、キャビアの添えられた黒パンを口にした。

 固唾を飲んでそれを見守る一同。

 そして。

「美味しいです。天満さんもどうぞ」

「い、いえ。私はホステス役なので、その」

「そう仰らずに、さあ」

「は、はい」

 シスター・クリスから渡された黒パンを、ぎこちない手つきで頬張る天満さん。

「お、美味しいです」

「私達だけで楽しんでも仕方ありませんから、みなさんもどうぞ」

 その呼び掛けに、ホール内から拍手と歓声が上がる。

「オーケストラの方、音楽をお願いします。料理スタッフは、コース2から始めて下さい。給仕スタッフは、A-2テーブルから順に……」

 シスター・クリスと歓談を交わす天満さんに代わり、モトちゃんがみんなを促す。

 控えていたオーケストラメンバーが楽曲を奏で、ウェイターやウェイトレス姿の生徒達が足早に行き来する。

 華やいだ笑い声と楽しげな会話。

 笑顔、はにかんだ表情、慌てている顔もどこか心地よさそうだ。

 消えかけていたあの雰囲気が、誰でもないシスター・クリスの手によって蘇った。

 同時に私達は警備関係者に拘束されたまま、会場を後にした。



 待たされる事しばし。

 重い空気の中、「小会議室(理事用)」とのプレートがかかった部屋へと呼び出された。

 小会議室とはいえ、そこは理事用。

 室内は相当に広く、また調度品も高級そうな物ばかりが揃っている。

「……掛けて結構です」

 正面に並んで座っていた中の一人が、沈んだ声を出す。

 言われるままに座ると、誰かがため息を洩らした。

 当然私達ではなく、反対側に座っている理事や職員から。

「さて、理由を聞こうか」

 その中の一人が、こめかみの辺りを抑えて話し掛けてくる。

 聞きたくもないという顔で。

「理由というか、あまりにも彼女達の態度が尊大だったのでつい」

「なるほど」

 ため息を付く生徒指導主任。

 学内の風紀や治安はガーディアンが抑えているので目立たないけど、刑事事件や警察沙汰の場合は彼の出番らしい。

 確かに私達は、その例に当てはまる。


「取りあえず君達は、1週間の謹慎とする。オンラインによる授業は受けられるので、その間勉学に励むように」

「生徒会からの嘆願書と君達のガーディアンとしての功績を考え、今回は軽い処置にしました。ただ、今回のような事は二度と無いように」

「彼女達は、各国首脳との親交も深いんです。もし何かあれば、国家間の問題ともなりかねなかったと分かってたんですか」

 やいやい言われて小さくなる私達。

 ではなかった。

 ショウとケイは明らかに不満の態度を見せているし、沙紀ちゃんは険しい顔で査問メンバーを睨み付けている。

 私も、こみ上げる怒りを抑えている有様なのでどうしようもない。

 ただサトミは怪我の程度が重いので、この査問から外されている。

 今は寮で、一休みしているだろう。


「君達は、反省という言葉を知らないのか」

「反省といっても、間違った事をしたとは思ってませんから」

 私は胸を張ってそう答えた。

 こう言えば余計問題なんだけど、知った事ではない。

 とにかく我慢が出来ないのだ。

「みんなは彼女の考えに沿って、出来るだけ手作りであのパーティを構成したんですよ。それなのにあんな言い方されて。最後には、優しいところを見せてはくれましたけど」

「分かった。とにかく査問は終了、処分は先程の通り。それと軍と警察では処分しないそうだから、安心しなさい」

「安心しろって」 

 馬鹿馬鹿しいので、怒るのを止めた。

 処分って、怒鳴っただけじゃない。

 どんな罪だっていうのよ、一体。

 それによく考えたら、学校は前から私達を退学させたがってたな。

 するとこの中に、私達をよく思わない人間がいるのだろうか。

 もしかして今回の件をネタに、それを蒸し返してきたりして。


「まだ何か言いたい事でも」

「いえ、別に」 

 睨んでいた目を逸らし、脇腹をさする。

 理事といっても全員来てる訳じゃないし、学校経営に関わっている人間はもっと大勢いる。

 ここにいる人は、広報と生徒指導関係の人達だけだし。

 まあいいや。

 鎮痛剤でだるいから考えるのも面倒になってきた。

 というか、元々考えるのが苦手だ。

「一応謹慎処分だが、内申書には記載しないよう配慮する。大学進学や推薦の場合にも不利益にはならないので、それは覚えておいてくれ」

「どうもありがとうございます」

 慇懃に頭を下げるケイ。

 隣から見ていたら、舌打ちしている。 

 でも上がってきた顔は、素直そのもの。

「それで、俺達はもう帰っていいんですか」

「ああ。学校へは二日に一度、教務課へ顔を出すように。生徒会ではなくて、学校の教務課に」

「分かりました」

 関心なさそうに答え、ショウが立ち上がる。 



 私達も席を立ったら、後ろのドアが突然開いた。

「あっ」

 殆ど全員が声を上げる。

 しかし入ってきたシスター・クリスは、気にした様子もなく私達と理事の間にその身を置いた。

 珍しくお付きのシスター達がいない。

「彼等の査問をしていると、お伺いしたのですが」

「は、はい。失礼な事を申し上げたそうで、学校を代表しましてお詫び申し上げます」

 一斉に頭を下げる理事達。

「そのような事は不必要です。私にも落ち度はありましたし、そもそも処分をする程の事では無いでしょう」

「しかし」

「違いますか」

 うっすらと微笑むシスター・クリス。

 その中に見えた威圧感に、理事達は気圧されたように頷いた。 

 国家首脳とやり合えるのは、その外観やカリスマ性だけじゃない。

 心の中にある強靱な意志が、そうさせるのだ。

「いえ、シスターがそう言われるのなら。彼等への処分は、直ちに撤回いたします」

「それを聞いて安心しました」

 今度はその微笑みが、こちらへ向けられる。

 どこか勝ち誇った顔で私を見据えたようにも見えたけど、気のせいだろう。

 この程度で恩を着せる程の人間ではないはずだ。


「そう言えばみなさん、そのお怪我はどうなされたのですか?」

 聞かされていないのだろう、心配そうに尋ねてくるシスター・クリス。

「会場設営の際に、搬送中の大型照明を倒してしまいまして。怪我は、大した事ありません」

 しれっと答える沙紀ちゃん。

 本当の事を言う気もしないので、私達もすぐ頷く。

「そうですか。お大事に」

「いえ」

「ところで」

 言葉に間が空く。

 彼女のグリーンの瞳が、一瞬輝いた。

「私の警護をしていただきたいのですが」

 視線の先には、かしこまっているショウがいる。

「勿論、今すぐという意味ではありません。私が日本にいる間、それかアジア各国を回る間、あなたにお願いしたいのです」

 からかってる訳でないのは、誰もが分かっている。

 当然、嘘を言ってる訳でもない。

「一ヶ月位なら、休学しても問題ありませんよね」

「は、はい」

 シスター・クリスに見つめられ、必要以上に頷く教務課の職員。

「軍や警察に頼るのはあまり好きではないですし、SPも周りに置きたくないのです。私は身一つで、この世に生まれてきたのですから。守って下さる事には、常に感謝致しておりますが」

「でしたら、私も必要ないのでは」

 やや抑えたショウの声。

 シスター・クリスは顎へ手を添え、うっすらと微笑んだ。


「名目上、あなたに警護して頂くという格好を取りたいのです。そうすれば他の警備は退けられますから」

「飾り、ですか」

「言い方が悪かったですね。私としては、一友人としてあなたと共にいたいと思っているだけなのですが」

 たった一言の言葉。

 それが室内の空気を一変させる。

 困惑、興味、驚愕。

 しかし彼女は全く気にした様子もなく、疑いなき笑顔をショウへ向け続けている。

「必要以上の拘束は致しませんし、人前に出るのを控えたいならそれでも結構です。ただ私の話し相手として、個人的な場にいてくれればそれで」

「修道会や財団の方達は、ご承知なのですか」

「ええ。その程度の権限は、お飾りである私も持っています」

 意味ありげに口元が緩み、勝ち気な眼差しへと変わる。

 幹部達に唯唯と従っている世間知らずのお嬢様では無いとでも言いたげに。

「何か、仰りたい事はありますか。契約書や具体的な報酬についても、ご希望でしたらすぐに用意しますけど」

「いえ。それには及びません」

 席を立ったショウが、彼女の前に歩み出る。

 跪きかける彼を、シスター・クリスはたおやかに手を振って制した。

 そして髪へ手を触れた彼女と、私の視線が一瞬重なった。

 例の勝ち誇ったような強気の瞳。

 その意味は分からないが、明らかに私達へと向けられている。


「さて、取りあえず私の部屋へ……」

「待って下さい」

 シスター・クリスの言葉を遮るショウ。 

 そして彼女が戸惑うよりも早く、頭を下げる。

「申し訳ありませんが、あなたと共に行く事は出来ません」

「お急ぎの用件でも?でしたら、明日でもかまいませんが」

 しかしショウは首を振り、それを否定した。

 シスター・クリスの顔が微かに強ばり、指先が苛立たしげに揺れる。

「私とは一緒にいたくない。そう仰るのですが」

「いえ」

「それなら、どうしてです」

「私には過ぎた申し出です。また名目上とはいえ、やはり警備は専門家に任せた方がいいと思います」

 誰もが納得出来る正論。

 そしてショウは、もう一度頭を下げた。

「私も、それは分かっています。ですから、それを踏まえた上でお願いしているのですよ」

「承知しています」

「それでも、断ると言われるのですか」

 白い頬に赤みが差し、表情がさらに硬くなる。

「財団からの要請としてなら、従います」

「私個人の意見には動かされないと」

 顔の赤みが増し、ショウを見据える眼差しに力がこもる。

「信に足る人間ならば、自ら警護を申し出るのもやぶさかではありません」

「私は、あなたの信頼を勝ち得ない人間だと言うのですか」

「失礼ながら」

 シスター・クリスの顔が、見る見る強ばっていく。

 しかしショウは頭を下げたまま、今の言葉を取り消そうとはしない。


「お嬢様のわがままには付き合えないとでも言いたそうですね」

「そこまでは申しませんが」

「結構です。確かに、私が間違っていたようです。失礼致しました」

 慇懃に頭を垂れるシスター・クリス。

 そして他には目もくれず、ドアへと足早に歩き出した。

 その足がドアの前で止まり、小さな声が聞かれる。

「今の話はお忘れ下さい。あなたを頼ろうとした私が、馬鹿だったようです」 

 ある意味捨て台詞とも取れる言葉を残し、会議室を出ていくシスター・クリス。 


 残された私達には、何とも言い表しようが無い雰囲気が漂う。

 口を開くのもためらわれるような状況の中、理事の一人がゆっくりと立ち上がった。

「シスター・クリスの仰られた通り、君達への謹慎処分は取り消そう」

 彼の笑顔が深くなる。

「では、改めて処分を言い渡す。全員停学1週間。しばらく、頭を冷やすように」

 鎮痛剤と今のやりとりでぼんやりとなった頭に、その言葉が繰り返される。

 勿論頭は冷えるどころか、ますます混迷を深めていくのだった。











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