43-8
43-8
終業時間を迎えた所で帰宅する。
自宅ではなく寮へ。
こちらの方が学校に近く、何かあった時に対応しやすい。
家に連絡をして、脱いだブレザーをハンガーに掛けてベッドサイドに腰掛ける。
思わず漏れるため息。
削減をされたのは、内局だけではなかった。
情報局、予算局、外局、そして自警局も。
そのどれもが、自警局からの内部告発という噂付き。
噂ではなく、それはおそらく事実。
ケイがため込んでいた情報を使い、立て続けに告発をしているのだろう。
あの後はそのクレーム処理に追われ、仕事も話し合いも何もなかった。
ただ精神的に疲れはしたが、落ち込むような状況でもない。
削減されたのは、そうされるだけの理由があった生徒達。
組織としての立場上クレームをしてきたと思われるケースもあり、これはガーディアン削減の時同様歓迎する声もあった。
私から見ても、削減自体は問題ではないと思う。
その対象をどこまで広げるのか。
一個人がそこまでの力を持ち得て良いのかといった疑問はあるが。
また、そこが一番の問題だとも言える。
彼が専制君主のように振る舞っているとは思わない。
だがそういう見方をされてもおかしくはない行動。
そんな彼を責める人もいれば、媚びを売る人間も出てきそう。
少なくとも、あまり楽しい展開は想像出来ない。
負担を掛けすぎないよう、考えるのは一旦止める。
完全に考えを消せる訳ではないが、出来るだけ意識から遠ざけるのは可能。
そうする内に、少しは忘れる事も出来るだろう。
遅くなったが食堂へ行き、フリーメニューを注文。
天津飯とラーメン。
ちょっと量が多いなと思いつつ、トレイを持ってテーブルに運ぶ。
「……自警局の方、ですよね」
控えめな調子で声を掛けてくるロングヘアの女の子。
その後ろには、友達らしい子が数人固まっている。
自警局という入り方に引っかかりつつ、それに頷く。
すると彼女は、私の手に小さな茶封筒を押しつけてきた。
「後で、見て下さい」
「何か入ってるの?」
「見れば分かります。くれぐれもよろしく」
頭を下げ、逃げるようにして走り去っていく女の子達。
取りあえず天津飯を口に運び、封筒を片手で開けて中身を取り出す。
出てきたのは、文字がぎっしりと書き込まれた書類。
告発文、とでも言おうか。
内局の一部に、業者と癒着して不当に高く設定した仕入れ値の差額を懐に入れている生徒がいると書いてある。
その人物の名前と所属付きで。
これはケイがやっている事の副産物。
自警局は内部告発を扱うという目で見られ始めている。
ただこれは、良くない兆候。
ここに書かれてある生徒が本当に不正を働いているなら、まだいい。
いや。良くはないが、それをただせば済む話。
だが不正を働いていないなら。
つまりこの告発が虚偽だとして、それに乗っかりこの人物を処分してしまったら。
それは単なるえん罪だけではない。
自分が陥れたい相手を自警局へ告げ、それを叶えるという流れが出来てしまう。
あまりにも直結しすぎた考え。
全てを悪く考え過ぎてしまっているとは、自分でも思う。
しかしそうなってもおかしくはない状況が生まれつつはある。
現に私は、告発文を受け取っているのだから。
楽しくもない食事を終え、告発文を携えモトちゃんの部屋を訪れる。
彼女はベッドに背を持たれながらそれを読み、肩をすくめた。
「便利屋と勘違いしてるのかしら。内部告発なんて、昔でも出来たでしょ」
「都合よく利用されない?陥れたい相手を告発して、それをケイが処分するとしたら」
「罪もない人間までは処分しないでしょ。ただ人間関係を見るには良い材料よね。むしろこれを元に、脅されるんじゃなくて」
全然おかしくなさそうに笑うモトちゃん。
それは盲点。
つまりケイを利用するつもりが、逆に利用されるという訳か。
「どちらにしろさ。こんな内部告発なんて、流行ってて良いの?悪い人間がいたなら、正面から告発すればいいじゃない」
「顔を出すのは、意外に抵抗があるのよ。それに自分でやろうと思うと、かなりの労力と時間が必要になる。でもこうして書類を作って出すだけで、誰かが処分してくれるならその手間が省ける」
淡々と説明するモトちゃん。
なるほどねと言いたいが、何か間違っている。
言ってみれば、密告推奨。
一番悪いのは勿論、不正を働いている生徒や教職員。
その告発自体が悪いとは思わない。
ただもっと、なんだろうか。
上手く言えないが、正面からぶつかる方法だってあるはず。
どうもその辺が引っかかる。
いまいち気分が優れず、何故かローテーブルの上に合った知恵の輪に意識を集中。
しかし輪は、少しも外れる気配がない。
すぐに外れそうだが、意外にこういう物は難しい。
今の自分を象徴しているとまでは言わないが。
「くっ」
力を込めて引っ張るが、反応無し。
せいぜい、指先が痛くなっただけで。
「いつから、そんな力持ちになったの」
「気持ちだけでもと思ってね。止めた」
これを途中で投げ出しても、誰も困りはしない。
むしろ、下らない事に時間を費やしてしまうだけ。
取りあえず、そういう言い訳をさせてもらおう。
「サトミは」
「まだ、何か調べてるみたい。こういう事になると、あの子は燃えるわね」
それも随分厄介な性格だな。
私も、今気付いた訳ではないが。
その後も知恵の輪と格闘するが、全くもって外れる気配がない。
「壊れてない、これ」
「そんなはずはないと思うけど。サトミ、呼ぶ?」
「呼ばない」
あの子を呼べば、一瞬で外すのは目に見えている。
私と違って、手先は器用。
またこういうパズルに関わる物は得意な方。
よく分からないが外す法則があり、大抵の場合はそれに沿って動かせば外れるんだとか。
後は形状をよく見れば、大して難しくは無いとの事。
余程、ペンチで無理矢理曲げてない限りは。
「モトちゃんは外した?」
「まあ、難しくないから」
さらっと答えられた。
そんな事を言われると、私も結構困る。
というか、向きになる。
なったところで外れる訳はなく、虚しさが募るだけ。
これほど無意味な時の過ごし方も珍しいだろうな。
「ケイ、ケイは」
「また、そういう事言って。大体、今呼んで来る訳無いでしょ」
「それはそれ、これはこれでしょ。……私。すぐモトちゃんの部屋に来て。……そんな事は聞いてない。来てって言ってるの。今すぐに。……だから知らないって」
ごちゃごちゃうるさいので、こっちから一方的に通話を切る。
すると珍しく、彼の方からかけ直してきた。
でもってそれも、すぐに切る。
「ひどいわね」
「大丈夫」
「何が」
それは私が教えて欲しい。
待つ事しばし。
相当の仏頂面をして、ケイがモトちゃんの部屋を尋ねてきた。
「ああ、もういい。用は済んだ」
「……あ?」
地の底から響くような低い声。
そんな彼に、満面の笑みで知恵の輪を見せる。
綺麗に外れた、複雑な形の輪を二つ。
「……外れたから、もう用は無いって言うのか」
「うるさいな。だったら、やってみてよ」
折角外したところだが、何もしないで帰らせる訳にも行かないだろう。
という訳で輪を再び重ね、それをケイに渡す。
「どうせ一生出来ないだろうけどね。お茶いれてくる」
「その間に外す」
「寝言は聞いてないんだって」
キッチンからお茶を持って戻ってくるが、当然輪は繋がったまま。
でもって何をどうしたのか、指先を握りしめて顔をしかめている。
「挟むような物でもないでしょ」
「生きてるぞ、こいつ」
相変わらず意味不明だな。
「外せないなら、外せないって言ってよ」
「自分は外せるのか」
「外れてたじゃない」
「もう一度やってみてくれ」
突き返される知恵の輪。
ちょっと汗が出てきたな。
まずは深呼吸。
そして、さっきの記憶を蘇らせる。
こうして、こうして、ここをこうして。
いや。それは失敗した時の記憶。
こっちがこれで、この曲がりをここに引っかけて。
「……とにかく、一度外した。ね、モトちゃん」
「まあ、外れたのは確かね」
何となく含みのある言い方。
偶然外れたと言われたような気がしなくもない。
「私は良いから、ケイが外してって言ってるの」
「俺は忙しいんだ。片っ端から首を切って」
「そういう事をやるから、評判が悪いのよ。真田さん、怖がってたわよ」
「何が」
素で聞き返してくるケイ。
ああいう事をやっておいて、本人はこの態度。
本当、最悪だな。
「さっきのメール。盗聴の。どうやって、会話が分かったの」
「盗聴、会話?……ああ、ちょっとしたテクニック」
もごもごと口ごもるケイ。
ひどいとしか言いようがないな。
「みんな、ケイを捕まえるって言ってた」
「捕まえればいいだろ。というか、こんなのやってられるか」
とうとう知恵の輪をテーブルへ放り投げるケイ。
これこそタイミング。
その瞬間を計っていたと言うべきか。
薄ら笑いを浮かべて、サトミが訪ねてきた。
そしてケイがいる事には一切触れず、知恵の輪を手に取ると一瞬にしてそれを外してみせた。
「嘘だ」
同時に声を上げる私とケイ。
あれだけ難しかったのが、今突然外れる訳がない。
夢だ夢。
悪い夢を見てるんだ。
「大して難しくもないでしょ、これは。初級のよ」
「嘘ばっかり」
「本当の事しか、私は言わないの。モト、違うの出してあげて」
「二人には無理だと思うけどな」
苦笑しつつモトちゃんが棚から取り出してきたのは、輪が3つ繋がっている知恵の輪。
一つ外してももう一つ残る寸法。
もしくは、同時に3つ外さないと駄目なのか。
これこそ嘘としか言いようがない。
ケイと交代で取り組むが、外れるどころか絡み合う一方。
あり得ないとしか言いようがない。
「外れないってオチじゃないの」
「俺もそれに賛成」
「下らない事言って。つまり、私の勝ちで良いのね」
「ああ?……ショウ、ちょっとモトちゃんの部屋に来て。……いや、急いではいない。でも、早く来てくれると助かる。……ご飯?いや、用意するけどさ」
訳の分からない会話となり、そのままキッチンへ向かう。
とにかくサトミには負けられないんだって。
少しして、ショウが到着。
そして彼に、知恵の輪を見せる。
「用って、これか」
「良いから外して」
「あまり得意じゃないんだけどな、こういうの」
大きな手でそれを掴み、ただ意外と細い指で知恵の輪を動かしていくショウ。
簡単らしい方はどうにか外れたが、3つの方がびくともしない。
そして、眉間にしわが寄ってくる。
「引っ張れば外れるぞ、多分」
「意味が違うでしょ、それ」
「というか、それ以外にどうやって外すんだ」
この辺は私達と同意見。
形状は初めのとは比較にならない程複雑で、しかもそれが3つ絡み合っている状態。
外れる訳がない。
故意。
いや。少しむきになりすぎたのか、指先がやけに大きく動き輪が揺らぐ。
気付けば掴んでいた部分が縦に伸び、輪が二つテーブルへ落ちた。
虚しく響く金属音。
垂れ込める重い空気。
世の中やっていい事と悪い事があるけど、これは悪い部分だな。
予想も期待もしてたけどさ。
「何、それ」
醒めた目で、じっとショウを見据えるサトミ。
するとショウは知恵の輪を三つ重ね、改めて力を込めた。
輪はすぐに重なったが、どう見て結合。
余裕の部分が一切無く、叩こうが転がそうが動かない。
「これの存在自体が悪いんだ」
言い結論を得るショウと、それに頷く私とケイ。
サトミは依然冷ややかな態度。
出来る人とは相容れないな、やはり。
しかしこのままではどうしようもないので、結局木之本君まで呼ばれる事となる。
「ペンチでも使った?」
素尋ねてくる木之本君。
実際力尽くで外せるなら、私やケイがやっていた。
知恵の輪が小さい分、力を込めても伸ばすのは困難。
また輪自体は結構太いので、ペンチやニッパーでも使わなければ無理だと思う。
普通なら。
「折角作ったのに」
「あれ。木之本君が自分で作ったの?」
「そうだよ。余った部品でね」
「でも、外れなかったよ」
私の言葉に、苦笑して別な知恵の輪を取り出す木之本君。
モトちゃんが初めに出した初歩よりも、もっと簡単な形状。
これならと思い、手にとって試してみる。
試したからと言って、外れる訳ではない。
ケイもやるが右に同じ。
私達が外せない理由は、若干異なる。
私の場合は、根気がない。
ケイは、明らかに不器用。
また理由はどうでも良くて、知恵の輪が外れない。
その事実が、私達の前にあるだけだ。
なんて思っていたら、それを受け取ったショウが意外とあっさり外してしまった。
「簡単だな、これは」
「じっくり取り組めば、いつかは外れるよ」
「良い事言うな、お前」
すっかり上機嫌で木之本君の肩に触れるショウ。
誰が裏切り者って、この人が裏切り者じゃないの。
「あーあ、面白くない。誰よ、知恵の輪を発明したの」
「中国発祥とも言われているけど、馬具の余った部品で作る事もあるらしいから具体的にどことは限らないと思うわよ」
誰も、そんな細かい事は聞いてない。
というか発明したなら、外す方法も一緒に広めてよね。
しかし、文句ばかり言っても仕方ない。
簡単とされる知恵の輪を改めて手に取り、形状を確認して通せそうな部分へ輪を移動。
何となく、良い感覚。
力を込めなくても輪が進み、自分の思っている方向へと向かっていく。
「あ」
まさに一瞬。
やってみれば、これほど簡単な事かと思うくらいあっけなく外れた。
「はは、外れた」
「偶然だろ」
陰気に呟くケイ。
それもそうかと思い、輪を重ねて改めて外しに掛かる。
「はは、外れた。もう分かった、これは解ける」
「下らん。知恵の輪なんて、この世から消えてなくなれ」
相変わらず極端に走る人だな。
それとも、敗者はやはりこんな物かな。
「もういいよ、帰って」
「おい」
「それとも、まだ外す?」
「どいつもこいつも、俺を馬鹿にしやがって」
余程悔しかったのか、顔を赤くして立ち上がるケイ。
しかし、彼を相手にする人は誰もいない。
ショウは違う知恵の輪に取りかかり、木之本君はねじ曲がった知恵の輪の修理。
モトちゃんは眠そうにベッドへもたれ、サトミは雑誌を読んでいる。
「くっ。後で謝っても遅いからな」
「意味が分かんないし、何をやっても私達が止めるからね」
「もう知らん。今日からは敵と味方。友達でも何でもない」
「昔から、何でもないでしょ」
雑誌のページをめくりながら、ぽつりと呟くサトミ。
ケイは低い声で唸り、しかし言葉にならないのか顔の前で手だけを動かした。
「木之本君、お土産を渡してあげたら。誰にでも解ける、簡単なのを」
「これとか?」
こういう時の彼は空気を読むというか、読まないというか。
木之本君が取り出したのは、本当に輪が二つ重なっただけの知恵の輪。
若干湾曲はしているが、多分少しずらしただけで外れるはず。
子供以前に、お猿さんとかが実験で使いそうな代物だ。
「良かったわね」
「くっ。こ、こんなの」
「だったら、外してみたら」
あくまでも追い込むサトミ。
ケイはひったくるようにして知恵の輪を掴み、さすがにこれはあっさりと外して見せた。
「すごい、すごい」
一斉に拍手を送るみんな。
生ぬるい笑顔と共に。
「くっ」
「そればっかりだね」
「あーっ」
最後には叫び声を上げて部屋を飛び出ていくケイ。
何をやってるんだか、一体。
いや。それは私達も含めてか。
ただこういう空気は久し振り。
みんなで集まって、下らない事で騒ぐのは。
特に何かがある訳でもない、平穏な時間。
振り返った後で、その価値に気付くような。
価値があると思ってるのは、私達だけかも知れないが。
気持ちの良い朝。
すっきりした気分でベッドから降り、景色の違いに気付く。
「ああ、寮か」
やはり自宅へは戻らず、そのまま寮で一泊。
生活に必要な物は元々揃っているし、ある程度は運び込んでもある。
着替えもあるので、後は着替えてご飯を食べるだけ。
パンをかじりながら端末を見るが、特に着信はない。
もしかして夜通し無言で通話をしてくるかとも思ったけど、私が完全に寝入っていたので意味は無かっただろう。
後片付けを済ませ、身だしなみを整え部屋を出る。
時間としては、家を出る時とそれ程変わらない。
寮は学校の側だが、家からバス停までの距離と同じくらい。
バスに乗っている時間分早くなるけれど、この辺は朝のリズム。
変にずらすと、二度寝してしまいそうな気もする。
寮の敷地から外に出て、一瞬立ち止まる。
朝に、ここから学校へ行くのは久し振り。
つまりは迷いそうになった。
ただ自分で判断するより早く、生徒達はみんな左へと向かう。
後はそれに付いて行けば良いだけ。
一人二人と右に向かう子もいるが、この集団が違う所に行くとも思えない。
また、行った時は行った。
世の中、なるようにしかならない。
多分そんな大げさな話でもなく、思った通り路地を抜けると大通り。
右に曲がった子達は、コンビニにでも寄ったんだろう。
もしその姿しか見ていなかったら、多分私も右へ行ったが。
信号を渡り、塀沿いに歩いて正門へと向かう。
生徒の数は徐々に増え始め、上着を着ている子もちらほらと見える。
そろそろ秋も深まってきたな。
「朝の始まり、元気な挨拶。さあ、そこのあなたもご一緒に」
朝から異様にテンションの高い掛け声。
まさかと思ったが、そのまさか。
例の集団が、正門前に整列していた。
しかし今までと違うのは、その配置。
前は塀と正門の端に沿って点在。
だけど今は正門を囲むようにして。
つまりは彼等の間を抜けていかないと、正門をくぐれないようになっている。
結果として、そのハイテンションな掛け声を嫌でも浴びる事になる。
これは廃止されたと思っていたが、今更どうして。
いや。違うか。
私がこれをあまり好まないのは、例の男も知っている。
そのためだけに、これを復活するくらいの事はやりかねない。
やっぱり、あの男は敵だった。
「さあ、あなたも」
「朝からうるさいのよ」
「ひっ」
青い顔で飛び退く男の子。
だけど今の台詞、ケイみたいでちょっと嫌だな。
自己嫌悪、なんて言葉を思い出した。
「挨拶は良いけど、もっと控えめにやってよね。それと正門をふさがないで。邪魔よ」
「い、いや。これは、生徒会としての仕事ですから」
「だったら、自警局自警課特別室室長として抗議する。責任者を呼んできて」
「今すぐにっ」
脱兎のごとく駆け出す男の子。
でもってその言葉通り、逃げたんじゃないだろうな。
幸か不幸かそういう事は無く、責任者を名乗る女の子が現れた。
生真面目な雰囲気の、大人しそうな女の子。
ただ、ケイを慕うグループの中で見た気がしないでもない。
「挨拶は良いけど、程度を考えて。それと、正門をふさがないで」
「お一人お一人に挨拶をしてもらうには、これが良いと思いまして」
「将棋倒しになったら危ないでしょ。どうしてもやると言うなら、自警局としても抗議する」
「えと、それは元野さんもご承知ですか?」
控えめに尋ねてくる女の子。
承知はしてないだろうが、承知はさせる。
という事にしておこう。
「承知、承知。挨拶はともかく、門はふさがないで」
「自警局の要請でよろしいんですね」
「よろしいよ。とにかく、危ない」
私が登校してきた時点でも、結構門の前は詰まっていた。
今は時間が経ち、スムーズに入れない分塀の左右に生徒が列をなしている状態。
これが一気に押し寄せれば、将棋倒しにもなりかねない。
いまいち納得はしてないようだったが、正門は開放。
生徒達は集まってきていたガーディアンの誘導に従い、整然と門をくぐっていく。
「これって、誰の指示。浦田珪?」
「誰です、それ」
素で聞き返してくる女の子。
もしかして私への嫌がらせかと思ったが、彼もそこまで暇ではないのかも知れない。
「矢田総務局長の指示です。挨拶の励行を心掛けるようにと言われまして」
「この前まで、止めてたじゃない」
「それが、気にくわなかったようです」
「下らないな」
そう呟いた所で、二人にぎょっとした顔で見つめられる。
相手は総務局長。
実質的な、生徒会のNO.2。
下らないなどと言える相手ではないらしい。
でも、下らないならそう言うより仕方ない。
面白くない気分のまま教室へ到着。
筆記用具を取り出し、シャープの芯を出す。
……興奮しすぎて、全部出した。
苛々するのは良くないな。
まずは深呼吸。
そして大きく息を吐く。
その勢いで、芯が床に転がった。
泣きたくなってきた。
「何してるの」
私の頭を撫でながら話しかけてくる、髪全体にウェーブを掛けたお嬢様っぽい子。
シャープの芯が落ちたと告げて、床に這いつくばって芯を拾う。
しかし下から見ると、この子の足って結構長いな。
「……何してるの」
「足が長いなと思って。取り替えてよ」
「バランスが悪くなるわよ」
それもそうか。
足だけ長くても、却って不格好。
それなら、腕も胴も取り替える必要に迫られる。
結局私は、この体で生きていくしかなさそうだ。
当たり前だけど。
シャープの後ろを開けて、芯を戻す。
でもって、これが結構難しい。
ケイほど不器用ではないが、とにかく指が短すぎる。
「楽しい?」
眼鏡を押し上げながら尋ねてくる、清楚な顔立ちの女の子。
眉間にしわを寄せている人間が、楽しい事をやってるように見えるのかな。
「指、指」
「赤ちゃんみたいね」
「そこまで小さくはない」
とはいえ、大人の手に比べれば相当に小さい。
それでも一応は思った通りに動いてくれるから、不思議としか言いようがない。
シャープを元へ戻し、時間割を確認。
1時間目は、体育の授業。
相当に無駄な事をしたようだ。
「その内、報われるわよ」
明るく笑い飛ばす、前髪にウェーブを掛けた優しそうな子。
全然意味が分からないし、そこまでひどい状況ではないと思う。
「私って、そんなに小さい?」
「何を基準とするかでしょ。だって、猫よりは大きい」
「いや。高校生を基準としてさ」
「あはは」
それはもういいんだって。
ジャージに着替え、武道館へ集合。
今日は空手をやるらしい。
「小さくても、強ければいいじゃない」
「小さい事言わないの」
「本当、小さいわね」
やいやいうるさい三人を無視して、ストレッチ。
ゆっくり体を解し、気持ちも落ち着ける。
彼女達が言うように、強さが私の取り柄。
まずはそれを自覚し、進むべき道を進む。
ただそれだけを考えよう。
体育教師とは別に臨時の講師が登場し、簡単に挨拶。
空手着を着た若くて綺麗な女性。
背が高く、均整の取れたプロポーション。
この人は、強くて綺麗。
小さくはない。
若干もやもやした物を感じつつ、突きの練習。
足を肩幅より広く開き、気合いと共に拳を突く。
フォームはともかく、小柄な体型。
迫力にはいまいち欠ける。
それでも合図に従い拳を突く。
「はい、そこまで。こう言うのもつまらないと思うので、簡単に組み手をやってみましょうか」
随分飛躍した提案。
ただ生徒同士が殴り合うのではなく、講師と拳を交えるとの事。
相手は空手着姿の綺麗な女性。
お姉様的な魅力が良いのか、意外と対戦希望者が多い。
人間、やっぱり見た目。
今更気付いた、17の秋だ。
壁際で丸くなり、講師相手にはしゃぐクラスメートをぼんやり眺める。
強さは、私の取り柄かも知れない。
でも世の中には、それに見た目を兼ね備えている人もいる。
私は、残念ながら違うけど。
というか、誰が連れてきたんだあの人を。
思い浮かぶのは、昨日捨て台詞を残して去っていった男の顔。
今頃どこかで、お腹を抱えて笑ってるんじゃないだろうな。
「あの男、許せんな」
「……何、急に」
さすがに怪訝そうな顔で私を見てくるサトミ。
確かにちょっと、唐突すぎたか。
「いや。あんな講師を誰が、どうして呼んできたのかと思って」
「空手の授業だからでしょ」
「綺麗で強くて?」
「それが、問題?」
普通に尋ね返された。
この人は、綺麗で天才。
私の気持ちは、100年経っても分からないだろう。
「もういい。寝る」
「寝ないでよ。それと、呼んでる」
「誰が」
顔を上げると、講師が私に向かって手を振っていた。
「あなた、強いんですって」
「いえ。そういう訳では、別に」
「良いから、こっちへ」
額に浮かんだ球のような汗を手の甲で拭い、微笑んでみせる講師。
笑顔も爽やかときたものだ。
それを断る訳にも行かず、彼女の前に進み出て構えを取る。
「空手にこだわらなくて良いわよ」
「分かりました」
だったらという訳で、後屈立ちを止めて前傾姿勢。
腕を顔の前まで上げ、上半身を軽く振る。
「ボクシング?」
「RASです」
「なるほどね。だったら、関節も投げもありで良い。大丈夫、怪我はさせないから」
「はい」
相手は講師に呼ばれるような人間。
遠慮する必要は、あまりないだろう。
「じゃあ、来て」
その言葉を受け、軽くジャブ。
腕を回してそれがはね除けられた所で、その流れに従いサイドステップ。
そこから体を翻し、裏拳から後ろ蹴り。
今度は腕で受け止められる。
構わずジャブを連打。
スピードと打ち込む角度を微妙に変え、立ち位置も変化。
少しずつ隙を見つけていく。
「せっ」
ジャブをかいくぐり、やや強引に打って出てくる講師。
拳の出だしを見計らった動きだが、接近戦に弱い訳ではない。
すかさずこっちも距離を詰め、回し蹴りをダッキングで回避。
小さいから、そんな事も出来たりする。
「っと」
頭上を過ぎていく長い足を抱え、軸足を払って地面へ倒す。
空手にはない動きだが、お互いそういうルールの元で戦っている。
だとすれば、私は自分に出来る事をするだけだ。
床から飛んでくるかかとを避け、足首をひねって体重を掛ける。
講師は小さく悲鳴を上げて、すぐに床をタップした。
私も足首を離し、彼女から距離を置いて一礼する。
「すごいわね、あなた」
「いえ。たまたまです」
「私も、RASへ通おうかしら」
負けてもなお清々しい笑顔。
クラスメート達はそんな彼女へ、優しい眼差しを送る。
私には、空気を読めと言わんばかりの冷たい視線を。
横暴な講師ならともかく、彼女はあくまでも親切で爽やか。
悪い部分は何もない。
つまりは、そこまで私がやる必要はなかったという訳。
ただ戦いにおいて手を抜くなど、相手にも失礼。
私は自分に出来る事をやっただけ。
それが空気を読まないと言われてしまえば、仕方ないが。
授業が終わり、着替えてていても雰囲気は同様。
更衣室の空気が冷ややかなのは、秋が深まっているせいだけでは無いだろう。
「雪野さん、ひどい」
人のお腹を撫でながら話しかけてくる、髪全体にウェーブを掛けたお嬢様っぽい子。
意味が分かんないな、全く。
「試合なんだから、勝ちに行くのは当然でしょ」
「場の空気があるじゃない。空気が」
「それは分かるけど、手を抜くのも失礼じゃない」
「それも踏まえてよ」
難しい事を言ってくるな。
というか、私がそこまで気を遣わないと駄目なのか。
もぞもぞシャツを着ていると、左の袖が結ばれた。
「ちょっと」
「いじめ」
眼鏡を押し上げながら呟く、清楚な顔立ちの女の子。
それは、自分がやってる事じゃない。
「だから、今言ったでしょ。戦いだって。勝つか負けるか、それだけなの」
「勝つだけが全てじゃないでしょ」
「まあね。でも、勝つ事には意味があるよ」
「意味って何?」
私に聞かないでよ。
最後にブレザーへ袖を通し、襟のリボンを結ぶ。
「格好良かったわよ」
そのリボンへ手を掛けてくる、前髪にウェーブを掛けた優しそうな子。
誰が、固結びにしろと言った。
「私は私で一所懸命やってるの。大体、綺麗で強くて爽やかって。それだけ恵まれてるなら、私が勝っても困らないでしょ」
「勝って楽しかった?」
「面白さを求めてる訳じゃないからね。本能みたいなもの」
「明智光秀?」
とことん下らないな。
ようやく訪れるお昼休み。
良く動けばお腹も空く。
という訳で、いつも以上に張り切って食堂の列へ並ぶ。
並ぶ事に張り切っても、仕方ないけどね。
すぐに自分の番が回ってきたところで、カウンター越しに洋食を注文。
でもって、今頃カウンターの上にぶら下がっている張り紙に気付く。
「本日、デザートありません」
カウンターに拳をめり込ませたい気分。
そんな事出来ないし、カウンターに罪はないが。
「これ、なんですか」
「業者の一つが、食中毒を出したんだって。念のために、他のお菓子も納入しないらしいよ」
「ここで作ってるお菓子は?」
「よく分からないけど、念のためにそれも中止だって。太らなくて良いんじゃないの」
豪快に笑いながらカツ丼を出してくる、小太りのおばさん。
おおよそ説得力に欠けるな。
カツ丼と味噌汁と漬け物。
後はドレッシングの掛かったサラダと酢の物。
このメニュー自体に不満はない。
ただデザートがないのは致命的。
美味しくご飯を食べたら、最後は甘い物。
これは理屈ではない。
男がいたら女がいる。
それと同じ事だ。
「あー」
「購買で買えばいいでしょ」
「そうだけどさ」
無いから余計に食べたくなる心理だろう、今の私は。
でもって苛立ちの原因は、それだけではない。
私がデザートを食事以上に好むのは、身内なら誰でも知っている事。
それがないと、不満に思うのも。
どうしても、例の陰気な顔が脳裏をよぎる。
彼にそこまでの権限があるのかとは疑問に感じるが、デザートが無いのは事実。
だとすれば、彼を疑う理由にもなる。
「これって、誰の仕業」
「食中毒なら、細菌でしょ」
スープパスタを優雅にすすりながら答えるサトミ。
また随分、小さい相手を出してきたな。
それでは私も、さすがに戦えそうにない。
食事を終えて購買にやってくるが、結局お菓子は手に入らなかった。
まず業者の納入がストップしているから。
それを免れたお菓子は、他の生徒が全部買った後だったから。
いつもはいまいち人気の無いふ菓子も売り切れ。
「売り切れごめん」
という、団子侍のイラストが妙に虚しい。
「これは何?誰かの陰謀?」
「大げさね」
苦笑して私の頭を撫でるモトちゃん。
そういう甘さは嬉しいが、胸のもやもやは癒されてもお腹の具合は満たされない。
「うー、あー」
「落ち着きなさい。まだ売ってるでしょ」
サトミが指さしたのは、強烈にカラフルなゼリー。
去年から売れ残ってそうな代物で、これはさすがにみんな手を出そうとしない。
カップの上から下へ、七色のゼリーが階層を作っているのは良い。
着色料しか入れてませんという色や、「刺激的な味」なんてキャッチコピーが入ってなかったら。
買いたくはなかったが、周りが進めるので仕方なく購入。
ふたを開け、表面の赤い部分だけをすくって口に運ぶ。
「……もういい」
まずくはないが、甘さ以外の何も感じない味。
これでは細菌も軽くはね除けるだろう。
「もったいないわね」
「多分、一ヶ月分くらいの砂糖が入ってると思うよ」
「残りはどうするの」
「ケイに届ける。全部、あの男が悪い」
「証拠はあるの」
モトちゃんの言葉を聞き流し、ふたを閉める。
後は箱にでも入れて、誰かに届けさせるだけ。
でも私の食べさしというのは、ちょっと嫌だな。
「宛先は、ショウで良いか」
「何が良いの」
「大丈夫」
「つくづく幸せね」
ため息混じりに言われても困る。




