43-1
43-1
自警局局長執務室。
その机越しに私達を見てくるモトちゃん。
「私、今日明日と東京へ行くの。生徒会の用事で」
個人的には、前から聞いていた話。
ただこの場で話すのは、局長として伝えたい事があるんだろう。
「丹下さんと北川さんも、今週は北地区に行ったり予定があるの。それで代理を立てたいんだけど、他の課長が嫌がっちゃって」
「サトミか木之本君で良いんじゃないの」
「私もモトに付いていくのよ」
「僕はちょっと」
胃を押さえそうな顔をする木之本君。
現時点で無理っぽいな、これは。
局長の継承順位は、まず総務課課長。
次いで自警課課長。
後は各課長へと続いていく。
その課長が嫌というなら、よその局から誰かを連れてくる必要があるらしい。
「前も話したけど、もう一人適格者がいるの」
「誰。エリちゃん?」
「彼女は任命した代理。継承順位とは、また別」
「小谷君?」
それにも首を振るモトちゃん。
とはいえ、私と言い出しそうでもない。
「誰」
「いるじゃない。目の前に」
目の前って、今いるのは昔からの仲間達。
モトちゃん。
サトミ、木之本君。
ショウと、私。
「来たな、俺の時代が」
ショウの後ろから聞こえる、不気味な呟き。
喉元で笑い声が漏れ、影の中で瞳が輝く。
「冗談でしょ。一番の不適格者じゃない」
「おい」
「二人とも静かに。規則上、自警課課長代理は、局長代理の継承順位を持つの。単独ではなくて、何人かの合議制にはなるけれど」
モトちゃんの言葉に、薄く笑うケイ。
絶対間違えてると思うけどな、この判断は。
「文化祭の時も代理を務めてもらったし、大丈夫でしょ」
「あれは非常事態じゃない」
「自分が遊びに行っただけだろ」
ぎろりと睨むケイ。
そういえば、そうだったっかな。
「都合の良い事ばっかり言いやがって。こんな国など、滅びてしまえ」
随分飛躍するな、この人は。
大体滅びたら、自分も駄目になるじゃない。
とにかく前回同様、監視や共同して責任を持つ人が必要との事。
それはこちらで選任した人なら、誰でも良いらしい。
「丹下さんは他の用事もあるけれど、原則的にはここにいるから彼女の指示に従う事。それと、余計な真似はしないでね」
「俺はみんなの幸せしか考えてないよ」
「……ヒカル君が、大学院を休めないか聞いてみる」
すぐに連絡を取るモトちゃん。
でもってあっさりと、了承が得られたらしい。
本当に大丈夫なのかな、あの人。
「私が監視してようか」
「ユウも、私と一緒に東京へ行くのよ。護衛として」
「あ、そう」
モトちゃんがいなくて、サトミがいなくて、私がいない。
これってもしかして、歯止めが無いって事じゃないの。
「本当に大丈夫?」
「二日だけよ。連絡も入れるし、総務局からも内偵が入るって」
「そこまでするなら、違う人に頼んだ方が早くない?」
苦笑気味に尋ねるサトミ。
モトちゃんは深くため息を付き、小さく首を振った。
「その隙に内部をかき回されても面倒でしょ。私達は、そういう立場にあるんだから」
「もっとかき回される気もするけれど」
「頭が痛いわ」
椅子に深く腰掛け、改めてため息。
対照的に、ケイは薄い笑顔を浮かべたまま。
野生の獣が、温かい人間の家に招かれたような顔。
心地良くて食べ物もあって、自由に振る舞える。
喜ばない訳がない。
でもってその後どうなるかは、想像もしたくない。
監視役として。
実際の名目は代理補佐として呼び出されるエリちゃんと小谷君。
こうなる事は分かっていたらしく、さほど驚いた様子はない。
「とにかく、お願い」
「分かりました」
「まあ、なんとか」
「ケイ君。私は明日の準備があるから、今日はプレケースとして少し代わってみて」
さっきまでは、あくまでも言葉として。
実際に彼が代わりを勤めていた訳ではない。
だけど今はモトちゃんが席を譲り、そこにケイが腰を下ろした。
つまりここから先は、彼が最高責任者となる。
「まずは渡瀬さん神代さんと真田さんと緒方さん。それと高蔵さん達を呼んで」
言われるままに呼び出される後輩達。
ケイは机に肘を付き、私達を見渡した。
「モトはお茶、サトミは肩もみ。渡瀬さんと神代さんは団扇で仰いで、真田さんと緒方さんと君は歌。ユウはその辺で、ふ菓子でも食べてなさい」
ハーレムでも作る気か、この人は。
良いけどね、ふ菓子好きだし。
言われるままにふ菓子を食べる私。
ただ、言う事を聞いたのは私だけ。
他の子は全員今にもケイを刺し殺しそうな顔で、警棒を手にしている子もいる。
「冗談だよ、冗談。資料持ってきて、何でも良いから」
「何でも?」
「それを見て、また必要な資料を持ってきてもらう。それと、自警局とガーディアンの全リスト。これがないと始まらない」
酷薄な、あまり親しみたくはない笑顔。
彼らしいといえば、らしい表情ではあるが。
机に資料が積まれ、しかしケイはそれに目を向けずに自警局とガーディアンのリストを真っ先に手に取った。
魂の一覧表を見た悪魔が、もしかしてこんな顔をするのかも知れない。
「やりがいがあるな」
「何の」
「俺に構わず、みんなは明日の準備をしてくれよ。渡瀬さん達も、モトを手伝って。後は、永理と小谷君だけで良いから」
半ば追い出されるようにして、局長執務室を後にする。
ケイ一人ならともかく、エリちゃんと小谷君がいるなら大丈夫だと思う。
多分。
「準備って、何かする?」
「資料は全部揃ってるし、チケットも手配出来てる。後は、着替えの用意くらいね」
「寮に戻って良いのかな」
私の質問に少し唸るモトちゃん。
ケイに任せてある以上、自警局から離れるのに問題はない。
後は信用の問題だ。
「戻っても構わないでしょ。何かしたらどうなるかは、本人が一番分かってるわよ」
そう言って、すたすたと歩き出すサトミ。
むしろ、何かあった方が良いと言いたげにも見える。
今度は彼女に付いていく恰好で、寮まで戻ってくる。
私はまだ自宅から通っているため、ここに来ても仕方ないが。
とりあえずモトちゃんがバッグに着替えを詰めていくのを眺め、時間を過ごす。
「東京へ何しに行くの?」
「生徒の自治について、教育庁や政府関係者との話し合い。ここまで生徒の裁量権が認められてる学校は、他にないから」
「そういう学校を増やすのかな、それとも減らすのかな」
「ただ聞くだけかもね。さてと、終わった」
あっさりと終わる準備。
事前にある程度支度はしていて、後は決まった服を入れるだけだったらしい。
その内サトミもやってきて、もう終わったと告げてきた。
「ユウは」
「家に戻らないとね。それでも良いのかな」
「良いに決まってるじゃない。今日はもう終わり。自警局なんて関係ないのよ」
関係なくはないと思うが、今更戻るのも確かに不自然。
ケイを信用してないというより、それ以外の人達を信用してないという事にもなりかねない。
という訳で、今度は私の家へとやってくる。
文化祭の時以来の、3人での行動。
それは少し嬉しくもある。
「お菓子は持っていかないわよ」
後ろで何か言っているサトミは放っておいて、キャラメルをリュックのポケットに入れる。
こういうのが、ふとしたきっかけで見つかると嬉しいんだって。
「何、出かけるの?」
興味津々といった顔で近付いてくるお母さん。
東京へ行くと告げ、すっと手を差し出す。
「手相は見ないわよ」
「お小遣いは」
「そんな言葉、雪野家には存在しないのよ」
しなかったのか。
だったら、この前サトミに上げてたお金は何だったんだ。
ただ、それはそれ。
東京を通過した事はあるが、東京自体に行くのは初めて。
何しろ向こうは日本の首都。
少しの緊張が無くもない。
別な国ではないが、その辺のコンビニへ行くのとは訳が違う。
当たり前だけどさ。
東京特別行政区。
関東庁の中心であり、日本の首都。
戦前ほどの人口密度はなく、金融行政センターとして地方都市よりも人が少ないくらい。
この都市を警備するために軍が常駐していて、一部行政区域には検問もあるとの事。
そういう場所には近付かないようだが、あまり親しみやすい場所ではなさそうだ。
難しい文章が羅列しているガイドブックを置き、横になって目を閉じる。
タオルケットが欲しいところだな。
「寝ないで」
「もう遅い。タオルケットお願い」
ふわっと肩に何かが掛かる感覚。
お礼を言おうと思ったが、掛かったのは小さなタオル。
全然違うが、肩くらいは覆われる。
まだ寒いという程でもないし、うたた寝くらいなら良いだろう。
目の前にぶら下がる、猫の絵。
それがTシャツと気付いたのは、少し後。
体は温かく、周りはお日様の匂いで一杯。
ただそれ程ふかふかした感覚はなく、時折ごわついていたりもする。
「……なんだ、これ」
薄暗い穴から這い出て、顔だけを外に出す。
そこで洗濯物に埋まっていたんだとも気付かされる。
「猫みたいね」
正座して洗濯物を畳みながら、くすくすと笑うモトちゃん。
性格的には犬だと言われるが、行動は確かに猫かもしれない。
「よく寝た。東京って、怖い?」
「……ユウがどんなイメージをしてるのか知らないけど、名古屋と何も変わらないわよ」
「そうかな」
「パンフレットは大げさに書いてあるだけ。名古屋だって官公庁とこの辺とでは、全然違うのと同じ」
その言葉に気を楽にして、彼女の膝に頭を乗せる。
柔らかくて温かくて、良い匂いがして。
なんだか、また眠くなってきた。
「よだれ、垂らさないでよ」
せっかくの良い気分も台無しになってきた。
まずは口を拭き、何か言われる前に立ち上がる。
「サトミは?」
「おばさんと買い物へ行ったみたいね」
「娘を置いて?」
「そんな大げさな話?」
やはりくすくすと笑うモトちゃん。
この子は、この家でのサトミの立場を知らないからそう笑ってられる。
やっぱり、一度戸籍は確認しておこう。
まさかと思うけど、もう雪野聡美になってないだろうな。
洗濯物も畳み終わり、今度は二人で食事の準備。
サトミがいないと、とにかくはかどるな。
「どうかした?」
「サトミがあれこれ言わないから、仕事がスムーズに進む」
「あの子は、そういう意味では実務向きではないわね」
苦笑気味に同意するモトちゃん。
知識は豊富で考察力もあり、分析も得意。
ただその実践は、また別。
それらがありすぎて、むしろ空回りしてしまうタイプ。
無いよりはましかも知れないが、ただ本当に困っているのは本人自身かも知れない。
「あの子って、一人で生きていけるのかな」
「大丈夫でしょ、多分」
多分って何よ、多分って。
孤独を好み、単独で過ごす事を気にしない性格。
ただそれは思索に耽っている間。
どれだけ孤独を愛そうと、現実的には誰かと向き合わなければ生きてはいけない。
何もそんな大げさな話ではなく、家事と買い物というレベルにおいて。
決めれば早いが、決めるまでの時間が長い。
マヨネーズ一つ買うにも、原材料と製法と他店との価格差を考えてしまう。
それ自体悪くないとは言え、普通の店で売ってる物は正直大差はない。
悩む間に他の事をやればいいと思うが、彼女にとってはそうして物事を追求するのが当たり前なんだろう。
「逆に言えば、良く生きてこれたよね」
「それは、そうかもしれない」
豆腐をサイコロ状に切り、熱せられたフライパンへ放り込むモトちゃん。
麻婆豆腐か、今日は。
というか、私達で自立して生きてる人ってどれだけいるんだろう。
モトちゃんは間違いなく、その一人。
それどころか、他の人を引っ張っているくらい。
その恩恵を受けているのは、間違いなくサトミと私。
つまり彼女がいなければ私達もどうなっていたか分からない。
後は、木之本君。
彼も自立しているし、他の人の面倒まで見ている。
気の弱い部分もあるが、それは優しさ故。
今他の部局へ放り出されても、彼は普通にとけ込める。
自分という物が確立されてるし、生き方に迷ってもいないから。
ショウはちょっと微妙。
ある意味サトミタイプで、世慣れてない。
サバイバルなら問題ないけど、だったら一人暮らしが出来るかと言えば疑問が残る。
ケイは、その意味では比較的まとも。
自立独立型で、むしろその方が自然に思える。
後輩は、特に困るような人が思い付かない。
いるとすれば御剣君くらい。
後は一人でも普通に生きていけるはず。
そう考えると、つくづく私達はだらしないというか頼りない。
とてもではないけど、先輩とは名乗れないな。
料理を作り終えたところで、お母さんとサトミが帰ってくる。
食材を買いに行ったと思ったんだけど、袋から出てきたのは秋物の上着。
おかしいな、私は買ってもらってないけどな。
「私の分は」
「あなた、去年のがまだ着られるでしょ」
「あれは、中等部の頃のだよ」
「聡美ちゃんはサイズがきつくなってきたの」
そういう物理的な問題か。
余計に悲しくなってくるな。
良いけどね、好きで着てるんだし。
「ご飯、作っておきました」
「ありがとう。おかずは少し買ってきたから、食べましょうか」
上着を椅子に掛けて座るお母さん。
その上着を羽織り、前を揃える。
普通に着れるな、これ。
というか、これって私のじゃないの。
麻婆豆腐と卵スープ。
ザーサイに、お母さん達が買ってきた餃子。
中華風の夕食を楽しく食べる。
服は別に欲しい訳でもないので、この際は気にしない。
それ以前に、体型の方が気になるしね。
「お母さん、東京に行った事ある?」
「修学旅行の乗り継ぎで、駅に降りただけ」
「お父さんは?」
「仕事で何回か。名古屋と大して変わらないよ」
さらっと答えるお父さん。
どうやら私が、勝手にイメージを膨らませすぎてしまっているようだ。
何しろ相手は日本の首都。
つい身構えてしまうのは仕方ない。
戦う訳じゃないけどね。
食後はやはりお母さん達が買ってきたマンゴープリン。
甘さが控えられたタイプで、癖のない風味が食後の体には優しくて嬉しい。
「遊びに行くの?」
「仕事だって、モトちゃんとサトミは」
「ユウは」
「私はおまけ」
護衛と答えたら、また誤解を招きそう。
私が親なら、夜通し問いただしたくなる。
「お土産お願いね」
「東京って何?」
正直これは、全くイメージが湧かない。
名産があるような土地ではないし、そもそもどんなところかも分かってない。
食事を終えてお風呂に入り、今日は家に泊まるモトちゃんとサトミをベッドの上で待つ。
その間ベッドにガイドブックを広げ、東京について改めて調べてみる。
日本の首都だが、お父さんが言うには名古屋と別に変わりない。
載っている写真も、テレビで時折見るような場所ばかり。
当たり前だがロボットが歩いていたり、道路が自然に動いてはいない。
大体、どこにも近未来都市なんて書いてない。
「まだ見てるの?」
バスタオルで頭を拭きながら部屋に入ってくるモトちゃん。
私が東京について気にしてるのが、余程おかしいようだ。
「何度も行ったけど、おじさんが話してた通り名古屋と大差ないわよ」
「そうだよね。考えすぎだよね」
「何を考えすぎてるのかが、私にはよく分からないんだけど。明日は早いし、もう寝る?」
「寝られるかな」
取りあえず横になり、毛布を掛けて目を閉じる。
モトちゃんが使っているドライヤーの音が遠くに聞こえ、考え事が一つ一つ溶けて消えていく感覚。
それに重なる足音と、サトミの声。
側に感じるぬくもり。
意識は薄れ、消えていく。
目が覚めて、朝だと気付く。
というか、叩き起こされた。
カーテンはすでに開けられ、着替えが毛布の上に乗っている。
何故か、ボックスティッシュも。
「まずは、拭きなさい」
上から聞こえるサトミの声。
朝から機嫌が悪いなと思いつつ、口を拭いて欠伸をする。
「何時、今」
「4時。急ぐわよ」
めまいがしそうな事を言ってくるな、この人は。
というか、この時間から急ぐって一体なんだ。
「リニアの始発に乗るの」
「一応聞くけどさ。始発って何時」
「7時」
「……着替えてご飯を食べても、3時間は掛からないでしょ。名古屋駅まで」
「早く着くに、越した事はないでしょ」
馬鹿馬鹿しいは眠たいはで、反論する気にもなれない。
というか、こんな時間にどうやって名古屋駅まで行くのかな。
ご飯を作る時間もないし、お母さん達もまだ夢の中。
ごそごそする訳にも行かず、何も食べずに家を出る。
すると、玄関前に車が一台。
でもって、体を解している男の子と目が合った。
「何してるのって、聞いた方が良い?」
「聞かない方が良い」
欠伸混じりに答えるショウ。
申し訳ないというか、頭が下がるというか。
たまには断ってよね、本当に。
「急ぐわよ」
特に礼も言わず、後部座席に乗り込むサトミ。
ようやく東の空が、微かに色が薄くなったかどうかと思える程度。
空にはまだ星が瞬き、近所の家も明かりが灯っている所は一軒もない。
モトちゃんはさすがに無言。
私も今は、とにかく目を閉じて休みたい。
朦朧としながら車を降り、周りを見渡す。
さっきまでよりは少し明るく、ただ人の気配はあまりしない。
早朝の名古屋駅。
地下鉄も電車もバスも、始発はまだ先。
酔っぱらったOLやおじさんが、時折タクシーに乗り込む姿を見る程度。
後は駅員さんくらいか。
「俺は帰るぞ」
「ご苦労様」
「誰に挨拶してるんだ」
誰って、ショウに。
と思ったら、タクシー乗り場の標識だった。
ただ正直、だからどうしたと言いたくなる眠さ。
多分見当違いの方向へ手を振り、目を閉じて顔を伏せる。
サトミに引っ張られて、駅の構内を移動。
チケットはすでに買っているらしく、ただ目の前に現れた改札を通る事はない。
「入らないの」
「まだ、開いてないのよ」
「……もう一つ聞きたいけどさ。始発で行く必要はあるの?」
「早いに越した事は無いでしょ」
それは聞いてない。
始発で行く意味があるのかどうかを聞いてるんだ。
結局サトミは何も答えず、ようやくやってきた駅員さんに声を掛ける。
「今日は、定刻通りに出発しますか」
「特にトラブルがあるとは聞いてませんね。良いご旅行を」
改札を通過する私達を、気持ちよく見送ってくれる駅員さん。
良いご旅行か。
まず、無理だろうな。
ホームについても状況は同じ。
改札が開く時間なので、乗客はさすがに私達以外にもちらほらと現れ始める。
殆どがスーツ姿のサラリーマンやOLといった雰囲気。
制服姿の女子高生は、どこにもいない。
「結構目立つね、私達。私服の方がよかったんじゃないの」
朝はさすがに涼しくなってきているので、一応上着は羽織っている。
それでも胸元を開けていれば、制服なのは一目瞭然。
ただでさえサトミの外見で人目を引くのに、これではその二乗三乗といった所。
私に関しては、自然が頭の上を過ぎていくけどね。
風を切る音と共にホームへ滑り込んでくる流線型の筐体。
名古屋発の東京行きリニア。
ホームにはデジタル表示の時刻表があちこちにあって、次発の時間も読み取れる。
ちなみに次は10分後に、大阪発のリニアが到着する予定。
その後も10分刻みでリニアは到着し、東京へと向かう。
慌ててこの始発に乗る必要は、何一つ無いと思う。
「急ぐわよ」
それはもう良いんだって。
サトミの誘導で案内されたのは、指定席。
さっき見たけど、自由席は半分あまりが空席。
良いけどね、今更。
取りあえずリュックを上の棚に乗せ、椅子を倒して上着を胸元に掛けて目を閉じる。
東京が終点で、寝過ごす心配はない。
何より、サトミ時計が付いている。
微かな震動。
少し体が前に流れる感覚。
それが終わると今度は後ろへ引っ張られ、やがてその感覚も消えていく。
どうやらスムーズにスピードへ乗った様子。
車内のアナウンスも、定刻通りの出発と到着予定を告げている。
後は寝るだけ。
いつもなら、今起きても早起きと言える時間。
眠くない方が、どうかしてる。
「ビールくらい良いだろ」
「仕事で行くんですよ」
「固いなお前は」
「瞬さんが適当すぎるんです」
隣から聞こえる、聞き覚えのある声と名前。
これにはさすがに目が覚める。
「……先生。瞬さんも」
「おはようございます」
丁寧に挨拶をしてくる水品さん。
私もそれに挨拶を返し、二人を指さす。
「私達は、RASの仕事です。東京本部へ用がありましてね」
「名古屋が総本部なんだ。向こうが来いって言いたいね、俺は」
くだを巻き、座席に崩れる瞬さん。
人ごとだけど、この人と旅をするのは大変だろうな。
なんて事を、向こうも思ってるかも知れないけど。
何か話そうかと思っている内に寝てしまい、サトミに起こされる。
「どこ、今。静岡?」
「……横浜を過ぎた所よ」
さすがに、そこまでは気が早くはなかったようだ。
どうせならここで降りて、中華街にでも寄っていきたいな。
なんて思ってる間に、横浜は通過してるだろうけどさ。
間もなく東京に到着するとの車内アナウンス。
本当ならこのタイミングで起こして欲しいが、余計な事は言わず身の回りの物を確かめる。
リュックと上着、スティックと財布と眼鏡にサングラス。
最悪手ぶらでも、サトミとモトちゃんがいれば問題はない。
サトミを先頭にドアを出てホームに降り立つ。
ホームには朝日が差し込み、空気も少し温んだ感じ。
見慣れない光景だが特に気になる所はなく、大きな駅といった感想くらい。
ただリニアや電車が切れ間無く到着し、それから乗客が降りては乗っていく。
名古屋もそこそこ大きな都市だとは思っていたが、この辺はさすがに東京か。
「優ちゃん達はどこに行くの?」
「教育庁だそうです」
「送るよ。迎えが来てるから」
「済みません」
バスや電車よりは寝られそうだし、途中で休めるような所を見つけて下ろしてもらっても良い。
それと時間があったら、私も東京本部に行ってみようかな。
「私も、後で本部に行って良いですか」
「良いよ。暴れなければね」
「そんな事はしません」
「まあ、そういう事にしておこう」
売店でお茶と新聞を買い、笑いながら階段を降りていく瞬さん。
何も面白くないけどな、私は。
というか、どうしてみんな笑っているのかな。
複雑な構造の駅構内を抜け、ようやく外へとたどり着く。
私一人なら、一日迷ってそのまま名古屋に引き返してるかも知れないな。
駅前のロータリーに停まっていたのは、黒塗りのリムジンみたいな車。
映画俳優が乗るようなあれではないが、威圧感は十分。
これが後ろに付いたら、問答無用で道を譲ると思う。
運転席から降りてきたのは、紺のスーツを着た体格の良い男性。
水品さんよりも、少し若い雰囲気。
その動きに隙はなく、格闘家というより軍人といった感じ。
瞬さんか水品さんの部下だった人かも知れないな。
「悪いが、先に教育庁へ行ってくれ。息子の友達を送りたい」
「承りました」
丁寧に頭を下げ、後部座席のドアを開ける男性。
こちらもお礼を言って車へ乗り込み、革張りのシートにどっしり座る。
こういう車には定番なのか、座席の前には冷蔵庫。
別に何も飲みたくはないが、開けて中身を確認。
ビールにワインに日本酒。
お酒ばかりだな。
なんて思っている内に、車は出発。
例により、揺れも音も殆ど無い。
これは車の性能もだけど、運転する人の技量も大きく関係すると思う。
窓から見える景色は、名古屋の都心部と変わりない。
少し過密なのと、高層化が進んでるくらいで。
東京、恐るるに足らずだな。
別に恐れてないし、競い合う必要もないけどね。
完全に寝入る前に、教育庁の前へ到着。
朦朧としながら車を降り、お礼を言って手を振る。
だけど、車は走り去った後。
全然知らない赤い車が目の前を通り過ぎ、結構間の抜けた事になった。
まあ、それも今更か。
「それで、話し合いはいつ?」
「まだ早いけど、中で待たせてもらいましょう。喫茶店へ行くのも面倒だし」
苦笑して周りを見渡すモトちゃん。
視界に映るのは大きなビルと広い道路。
歩道を慌ただしく歩く大人達だけ。
喫茶店どころか、自販機すら見当たらない。
短い階段を上り、教育庁の大きな正面玄関へ到着。
当然と言うべきか、そこには警官が数名バトンを手にして立っていた。
「済みません。本日会合予定の者ですが」
「IDか、身分証明書をお願いします。……はい、結構です」
あっさりと了承する警官。
もしかして足止めされると思っただけに、少し意外というか拍子抜け。
生徒会のイメージと重ねすぎてしまったようだ。
ただ庁内は、生徒会とかなり似ている。
作りや内装品は勿論違うが、その雰囲気。
張り詰めた空気と、エリート独特の空気。
忙しく通路を行き交う所は、まさにそのまま。
正直言えば、馴染みたくない場所である。
とはいえ引き返す訳にも行かず、廊下の突き当たりにある自販機コーナーに辿り着く。
いくつかソファーが置いてあり、一休みするにはもってこい。
ホットレモンを買い、その暖かさに目を細める。
「朝、食べてなかったね」
「おにぎりあるわよ。さっき、駅で買ってきた」
袋ごと渡されるおにぎり。
コンビニのそれではなく、手作り。
袋に書いてあるシールを見て、梅を取る。
「こういうのもたまには良いね」
「たまにはね」
欠伸混じりにおにぎりを頬張るモトちゃん。
サトミには優雅に、アールグレイの紅茶をたしなんでいる。
良く平気だな、この人。
やがて呼び出しがされ、端末に送信された部屋へと向かう。
机が円卓状に並んだ、生徒会でなら小会議室といった場所。
実際ここでも、そういう使い方をしてるとは思う。
私達を待っていたのは、スーツ姿の男性が3名と女性が3名。
まずは簡単にお互いの挨拶を済ませ、席へ着く。
配られる資料。
囲まれた机の中央に展開するモニター。
モトちゃんが立ち上がり、現在の草薙高校の概要を簡単に説明する。
「……という訳ですが」
「少し資料を読みたいので、待っててくれるかな」
「分かりました」
頷いて席へ座るモトちゃん。
その言葉通り、資料へ視線を落とす職員達。
資料はモトちゃんが話した事が、より詳細に書いてある。
ただこれは事前に送付されているはずで、今更読み返す必要はないはず。
少しの違和感。
嫌な予感、とでも言おうか。
これは理屈ではなく、感覚的な問題。
またこれらの予感が外れた事は、あまりない。
終わらない資料読み。
モトちゃんは何も言わず、黙ってそれを待つ。
サトミはどちらかというと、我関せずと言った態度。
私は苛々が募りつつある。
「……まあ、大した事はない」
放られる資料。
侮蔑気味の表情。
この後の言葉も、大体は想像が付く。
「所詮高校生のお遊びか」
なるほどと思いつつ、ポケットへしまっていたスティックへ手を掛ける。
しかしモトちゃんに手首を掴まれ、それが外に出る事はない。
取りあえず、今は。
「何か、問題でもありますか」
「もう少し、ためになる話が聞けると思ったんだが。下らんね」
「事実を記しただけです」
「絵空事だね。自治は認めん。そういう結論だよ」
頭ごなしに全てを否定する職員。
話し合いも何もなく、あまりにも一方的な内容。
下らないのはこっちの方だ。
「話し合いと伺って、我々は今日こちらへ赴いたのですが」
「その必要はない。生徒の自治など認めない。帰って生徒なり職員なりにそう伝えなさい」
「我々の自治は条例に基づいて施行されています。これは教育基本法へ優先する条例であるとの判例も出ています」
「黙れっ」
激しく叩かれる机。
それに動じたのは、周りにいた職員達。
私達は、驚くどころか欠伸でもしそうなくらい。
こういう相手には慣れていて、その中を私達は戦い抜いて今の場所にいる。
例え教育庁の職員だろうと、それは何も変わりない。
静まりかえる会議室。
モトちゃんは口を閉ざし、サトミは相変わらず。
私は初めから、話す気もしない。
「良いか。生徒の自治など認めん。そもそも学校は、教育庁の管轄下にある。我々の意向を無視した行動が取れると思っているのか」
「それを含めての自治です。また教育庁の通達に反する行動は取っていませんし、過去問題となった事例については改善がなされています」
「高校生風情が調子に乗るな。我々が本気になれば、お前達を退学にするなどたやすいんだぞ」
「……本気、ですか」
一瞬にして気配を濃くするモトちゃん。
それにたじろぐ職員。
下がった彼に代わり、今度はモトちゃんが身を乗り出す。
「私達が前年度どんな行動を取ったか承知の上で、そう仰ってるんでしょうね」
「な、なに?」
「戦闘機が学校上空を飛来した件は知っているのかと聞いてるんです」
突然激しく揺れる窓。
とてつもない轟音。
これにはさすがに、全員の視線が窓へと向けられる。
そこにいたのは、バルカンポットをこちらに向けた武装ヘリ。
ヘリの左右にはミサイルポットも搭載されていて、ヘリの先端から発せられたレーザー光が職員の胸元をポイントし続ける。
大慌てで机の下に隠れる職員。
ヘリはすぐに機首を翻し、轟音を響かせて空へと舞い上がっていった。
再び訪れる静寂。
モトちゃんが席を立つと、机の下に逃げ込もうとしていた職員が怯え気味に彼女を見上げた。
「話し合い、でしたよね」
「あ、いや。それは、その。また後日」
「では、自治制度は今後も存続すると考えてよろしいですか」
「え、ああ。それは、勿論」
激しく、首が取れるかと思うくらいに頷く職員。
モトちゃんはくすりともせず、資料を整理してそれをリュックへと詰めた。
「私達は急ぎますので、失礼させていただきます。重ねて申し上げますが、自治制度の存続をよろしくお願いします」
「は、はい。必ず」
「では、失礼いたします」
会議室を出ると、職員達が青い顔で廊下を走り回っていた。
武装ヘリが飛んでくれば、誰でも慌てるの当たり前。
普通の反応とも言える。
「あれって、瞬さん?」
「偶然でしょ」
さらっと答えるモトちゃん。
偶然武装ヘリが飛んでくるはずが無く、民間のヘリでもここは飛行禁止区域じゃないのかな。
こうなると、彼等の出張という話も少し怪しくなってきた。
「結局、脅しにきただけって事?」
「話し合いよ。そこに偶然、ヘリが飛んできただけ」
「偶然、ね」
「あまり良いやり方とは思わないけれど」
すっと前へ流れる視線。
その先には慌てて走り回っている職員には目もくれず、早足で歩いていくサトミの姿ある。
やっぱり、絵を描いたのはこの人か。
「今必要なのは結果。ヘリ一つで問題が解決するなら良い事じゃない」
「そういう事にしておくわ。夕方のニュースが怖そうね」
「大丈夫よ。多分」
むしろ確信を込めた表情。
まさか報道各局に圧力を掛ける訳ではないだろうが、報道されないような策もある程度は手を打ってある訳か。
その内生徒の自治どころか、独立とでも言い出しそうだな。
一応警戒をしつつ、混乱している教育庁の庁舎を後にする。
玄関前にはパトカーが何台か停まっているが、職員は何もないの一点張り。
勝手に立ち入る権限も警察にはないらしく、警官は不満げにパトカーへと戻っていく。
「少し早いけど、お昼でも食べる?」
至って気楽に話すモトちゃん。
ああいうやり方はさっきも言っていたように、あまり好まないはず。
ただなりふりに構っていられない時。
それよりも大切な事があれば、自らの信念を翻す必要もある。
私にそこまでの強さ。決断力があるだろうか。
そこはちょっと自信がない。
「ユウ、聞いてる?」
「何が」
「ホテルのランチか、天ぷら屋さんかどっち?」
「ランチ」
こういう決断は早いと来た。




