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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第42話
479/596

エピソード(外伝) 42   ~無名の陸上部員視点~






     風に向かって




 頬を打つ強い風。

 その疾風は一瞬にして、目の前のゴールラインを過ぎ去った。

「また負けた」

「私が、ユウユウに負ける訳無いのよ」

 乱れた前髪を整えながら笑う猫木先輩。

 彼女の隣では、小柄な少女が悔しそうな顔をしている。


 猫木先輩はオリンピック強化指定選手。

 国内はおろか、アジアでも敵無しの短距離走者。

 当然学内で、彼女に叶う人などいない。

 それでもあの小柄な少女は、いつも先輩に勝負を挑んでいる。


 結果は猫木先輩が言うように、先輩の勝利で終わる。

 とはいえ圧勝という程ではなく、意外に僅差。

 先輩の体調が悪かったりすれば、負ける事だってあるだろう。

「次は勝つ」

 ヘアバンドを取り、スパイクをスニーカーへ履き替える少女。

 彼女は猫木先輩の、小等部からの友達。

 見た目は子供だが、昨年度の学校のと抗争では先頭を切って生徒を率いていた。

 言うなればこの学校の英雄であり、雲の上の存在。

 猫木先輩同様、私など及ぶべくも無い。




 部活の終業時間。

 器具や用具を片付け、着替えを済ませて部室のベンチに座る。

 寮は学校のすぐ近くだが、今は動きたくない気分。

 少し休んで、体調を整えたい。

「大丈夫?」

 優しく声を掛けてくれる青木先輩。

 彼女は走り高跳びの選手で、今は陸上部よりもSDCの運営がメイン。

 それでもこまめに顔を出しては、後輩の私達に気を遣ってくれている。

「ええ。少し疲れただけですから」

「無理しないでね。怪我をしたら、元も子もないから」

「はい」

 素直に返事をして、大きなバッグを抱えて立ち上がる。

 無理、か。

 無理と言う程、私は日々の練習に励んでいるのだろうか。




 寮へ戻り、着替えもせずに食堂で夕食を食べる。

 高タンパク低脂肪。

 一応それらしい食事を心掛け、食べ過ぎる事もしない。

 学校で授業を受け、部活動をして、寮に帰る。

 毎日それの繰り返し。

 変化のない単調な日々。

 大きなハプニングを望む訳ではないが、何も無い毎日も退屈なだけである。


 少し離れたテーブルから聞こえてくる明るい笑い声。

 猫木先輩の友人である、あの少女。

 今は寮生ではないようだが、他の友達へ会いにここへ来る事も多い。

 一緒にいるのはモデルのような美少女と、穏やかな顔立ちの女性。

 確か学年学内一位と、自警局局長。

 私とは縁がない人達で、元々の出来がそもそも違うんだろう。



 食事を終え、部屋に戻ってお風呂に入る。

 湯船に浸かると、そのまま寝入ってしまいそうなくらい。

 全てがお湯と共に消えていけば、そんな楽な事はない。

 ただ宿題もあれば予習復習も残っている。

 胸につかえた思いも、消える事は無い。




 翌日。

 普段通り早く家を出て、学校へ登校。

 クラブハウスに荷物を置き、グラウンドを走る。

 初めからジャージ姿で着替える必要は無く、歩いてきたため体も多少温まっている。

 少し早めに一周走り最後を締めて、軽くストレッチ。

 後はメニュー通りのトレーニングをこなしていく。


 義務ではないし、何の制約もない。

 嫌なら止めれば良いだけで、部活への参加も強制ではない。

 走るのは好きだし、それなりの自信もある。

 猫木先輩ほどではないが、大会でそこそこの成績を残した事もある。

 ただ選手として生活していける程ではないし、そこまでの思い入れも無い。

 好きだから走っているのかと言われれば、答えに詰まる。

 そんな根源的な問題に、答えがあるとも思えないが。




 シャワーを浴び、制服に着替え教室へとやってくる。

 クラスメートは今登校してきた所。

 あちこちで挨拶が聞かれ、私も半分眠りながらそれに答える。

「眠そうだね」

 くすくすと笑いながら、後ろの席へ歩いていく渡瀬さん。

 彼女は自警局のガーディアン。

 小柄だが、女子の中では屈指の腕前と聞く。

 それでいて飾らず気取らず、自然体で過ごしている。

 出来る人は、何かが違うんだろう。

 何かが。


「お、おはよう」

「ん、おはよう」 

 素っ気なく挨拶を返し、後ろの席へ行く御剣君。

 精悍な顔立ちと見上げるような長身。

 周りの女子生徒も、自然と彼へ視線を向ける。

 彼も自警局のガーディアン。

 学内においては最強と呼ばれ、その武勇伝は数知れない。

 彼に思いを馳せる女子生徒も多く、私にとってはやはり雲の上の存在。 

 高い、遙か高見にいる人だ。



 午後から、体育の授業。

 競技はソフトボール。

 球技は苦手なので、取りあえず見学。 

 無理矢理参加させられるまでは、大人しく座って体力を温存する。 

 授業が終われば、また陸上部の練習。

 ここで無理はしたくない。

「ホームラン、行きます」

 バットを担ぎ、笑いながらそう宣言する渡瀬さん。

 昔北米の野球選手がそんな事を言ったらしく、それの真似をしているんだろう。


 ピッチャーはにやりと笑い、マウンドを足でならし始めた。

 言ってしまえば、たかが体育の授業。

 ヒットを打とうがホームランを打とうが、成績が目に見えて良くなる訳でも無い。

 それでも彼女達は真剣に、戦いの場に挑もうとしている。


 予想以上に早いボール。

 初球はファール。 

 渡瀬さんも足場をならし、バットを一回転させて、ジャージの肩口を軽く引いた。

 再びの速球。

 勢いよくバットを振り抜く渡瀬さん。

 ボールは青空高く舞い上がり、外野の頭上を大きく越して隣のグラウンドまで飛んでいった。

「逆転満塁サヨナラホームラン」

 そう言って、ベースを回る渡瀬さん。

 試合は初回。

 塁に選手は誰もおらず、スコアは0-0。

 意味が分からないが、そのくらい気分が良かったんだろう。 



 意外に盛り上がったまま進む試合。

 ただ私は朝練と早起き。

 食後とあって、かなり眠い。

 そして放課後の練習を考えれば、今はじっとしていたい。

「出番よ」

 突きつけられるグローブ。

 何がと思ったら、外野を指さされた。

「眠いし、野球は下手なんだけど」

「それはあなたの都合でしょ」

 そう言って、自分は壁にもたれて眠り出す緒方さん。

 さすがに言葉が無く、他の子にグローブを渡すのも気が引ける。

 それと時間的に、これで最終回。

 ボールが飛んでこなければ、外野はかかしと同じだ。




 サードゴロと三振。

 最後のバッターは渡瀬さん。

 外野も内野も全体的に下がり気味。 

 それを見て浅めに打つ事も出来るが、彼女はそういう小細工をするタイプでは無い。

「月まで飛ばす」 

 多分映画か何かで見た台詞。

 ピッチャーはやはりにやりと笑い、足場をならし始めた。


 渡瀬さんは右打席。

 私の守備位置はライト。

 彼女がフルスイングすれば、こちらへ飛んでくる可能性が高い。

「本気?」

 センターを守っていた真田さんが、かなり怪訝そうな顔をしてくる。


 私が最終的に立ったのは、隣のグラウンドの中。

 男子がサッカーをしているすぐ手前。

 さすがにフィールド内ではないが、すでに野球のグラウンドではない。

「そこに言ったら、さすがにホームランの判定でしょ」

 なかなかに理屈っぽい考え。

 そうかも知れないが、ボールを取る事を考えればここまで下がるべきである。

「まあ、いいけど」

 言葉の割には、あまり納得していない顔。

 渡瀬さんは、ここまで風切り音が聞こえてきそうな素振りを繰り返している。



 初球は見逃し。

 2球目はファール。

 そして3球目。


 フルスイングからのジャストミート。

 青空高く舞い上がるボール。

 みんなが空を見上げ、私は後ろへ下がり出す。

 頭上を高く越していくボールを追いかけながら。


 走り出した時点で、すでにトップギア。

 距離があるため、スタートの出遅れもさほど無い。

 近付くボールとの距離。

 落下してくる角度を見極めつつ、全速でグラウンドを駆け抜ける。


 落下地点を見定め、前を向いてグラブを上へと構える。

 ここで落球しては元も子もない。

 慎重に位置を確認。

 ボールとグラブを重ね、丁寧に両手でキャッチ。

 沸き起こる拍手と歓声。

 それに戸惑いつつ、頭を下げる。


「ここサッカーグランドだぞ」

 ぽつりと呟く御剣君。

 今度は笑い声が沸き起こる。

 その気恥ずかしさに、全身が焼けたように熱くなる。

「ご、ごめん」

「でも、すごかったよ」

 そう言って私の肩に触れて去ってく御剣君。

 改めての拍手と歓声。

 今度はくすぐったいような気恥ずかしさ。

 形容のしがたい気持ちが、胸の奥で広がっていた。




 放課後。

 いつものようにクラブハウスで着替えを済ませ、グラウンドへ集合。

 軽いジョギングとストレッチ。 

 後は各自の種目に沿ったトレーニングへと移っていく。


 私はスタートの練習。

 スターティングブロックに付いて、そこからの姿勢を延々と試行錯誤する。

 ここで出遅れれば、その後どれだけ頑張ろうと勝つ事は出来ない。

 またそれは、短距離走に限った話でも無い。

 才能がある人は、初めから一歩も二歩も私の前を行く。

 その差は縮まるどころか、広がる一方。

 追いつく事は一生無い。


 隣のコースで、淡々とハードル間の距離を測っている黒沢先輩。

 彼女はハードル走の選手。

 ただSDCの代表でもあるため、青木先輩以上にここへ顔を出す事は希。

 陸上選手としては普通だが、それを補ってあまりある才能を彼女も有している。



 スタートの練習を止め、水分を補給して一旦休む。

 嫌でも思い知らされる自分の平凡さ。

 突出した物は何も無く、そう見せかけるだけの技量もない。

 平坦な凪いだ人生が、どこまでも果てしなく続く。

 普通に学校を卒業し、就職をし、誰かと結婚して平凡な家庭を築く。

 それに不満がある訳でもない。

 だけど周りの人を見る度思う。

 自分という存在の小ささを。




 練習を終え、仲の良い友人と学校近くのファミレスへ向かう。

 交わされる、とりとめのない話。

 昨日したような、多分明日もしているような。

 何の変哲もない、果てしない延長線上の行為。

 だけどそれを変える術はなく、努力もしていない。

 今という壁に囲まれ、そこから出る事すら出来はしない。



 寮に戻り、シャワーを浴びる。

 そして予習に復習、後は宿題。

 撮りためていたテレビ番組を適当に流し見て、友人からのメールに返事を返す。

 惰性で過ぎていく時。

 単調で、色のない、何の変哲もない時間。




 翌日。

 いつも通りに朝練を済ませ、授業を受ける。

 授業の内容は勿論違うけれど、その流れは変わらない。

 昨日の自分と入れ替わっても、明日に紛れ込んでも気付かないくらいに。

「では少し早いですが、今日はここまで」

 そう言って教室を出ていく数学の教師。 

 次は昼休み。

 クラスメート達は弁当箱を取り出したり教室を出ていったりと、食事の準備を始め出す。


 自分も教室を出て、一番近い食堂へとやってくる。

 早く終わったはずなのだが、すでにカウンターには短い列が出来ていた。

 とはいえ回転は早く、待つという感覚はあまりない。


 その短い列に割り込んでくる柄の悪い男女。

 誰かが小声で文句を言うが、彼等に睨まれ失笑される。

 ああいう連中に逆らって良い事など何も無い。

 たかが列に割り込んだだけ。

 迷惑ではあるが、大した害もない。

 放って置けば済む事。 

 相手にする理由など、何も。



 床を滑っていく、柄の悪い男子生徒。

 悲鳴を上げて床にへたり込む女子生徒。

 その喉元に突きつけられる細い棒。

 突きつけているのは、猫木先輩の友達。

 あの小柄な人だ。


 強いというのは噂でしか聞いておらず、ずっと噂なんだと思っていた。

 体型としては私よりも小柄で、手足も細い。

 足は速いが力は無く、砲丸を持ち上げるのもやっとだった。

 英雄ともてはやされるのも、あくまでも言葉の上だけ。

 ああいう小さい女の子が体制に立ち向かうという構図を作り上げる、イメージ戦略だと思っていた。


 だけど彼女は列から柄の悪い男女を力尽くで排除した。

 たかが列に割り込まれただけ。

 でも彼女は、たかがとは思ってない様子。

 肩を怒らせ、列の後ろへと戻っていく。

 何か一言。

 そう思う間もなく彼女の姿は列の後ろへ消え、自分はカウンターの前へとやってきてしまう。



 トレイを持ち、カウンターの側で待機する。

 少しして、彼女達もトレイを持ってテーブルへと歩き出した。

「どうかした?」

 私の視線に気付いたのか、気さくに話しかけてくる少女。

 ただ、私の事など覚えてもいない様子。

 印象もなにもない自分の事などは。

「陸上部の子でしょ」

「え、そう?」

「ごめんなさいね。この子、本当に人の顔を覚えないの。びっくりするするくらいに」

 くすくすと笑う綺麗な女の子。

 彼女は私が誰だか知っているらしい。

 それに少し心が軽くなると同時に、気恥ずかしくもなる。

「し、失礼しました」


 慌てて頭を下げ、急いでテーブルへ付く。

 彼女を待っていたのは良いが、特に話す事もない。

 胸の中に気持ちが募っただけで。

 それがどんな気持ちなのか、何を思ったのか自分でも分かってはいない。

 単なる感情の高ぶり。

 先程の行為を見ての、一時的な高揚感でしかない気もする。



 私から離れたテーブルに付く彼女達。

 側の席は空いているが、私が逃げたような素振りをしたので気を遣ってくれたのかも知れない。

 こうして見ていても、彼女達は輝いている。

 その外見も、話す言葉も、雰囲気も。

 彼女達の周りは光に包まれ、暖かい輪に覆われているよう。

 私が立ち入る事など出来ない別世界。

 少し歩けば届く距離。

 だけど私には、果てしなく遠い彼方にそれは思える。




 放課後。

 バッグを抱え、クラブハウスへと向かう。

 いつも通りの練習。

 そこに何の変化もなければ、きらめきもない。

 ルーチンワークが、果てしなく続くだけで。


 階段を降りていくと、さっきの柄の悪い男女と出くわした。

 出来れば避けたい相手だが、ここで逃げるのはあまりにも露骨。

 壁際に寄れるだけ寄って、気配を消してすれ違う。


 そう思った所で、バッグが軽く引っ張られた。

 さっきの件で虫の居所が悪いのか、元々こういう連中なのか。

 どちらにしろバランスを崩し、階段を踏み外す。


 顔から引いていく血の気。

 迫ってくる階段の角。

 咄嗟に両手を前に出し、最悪の事態だけは回避する。

「え」

 固い。

 だけど暖かく、心地良い感覚。

 私が飛び込んだ先は階段ではなく、御剣君の胸の中。

 そうと分かったのは、彼が私を抱き起こして通り過ぎた後。


 彼は何の警告もなしに、私を引っ張った男の背中を蹴り上げた。

 悲鳴か息が漏れた音なのか。

 あまり聞いた事のない音がして、男は階段をずり落ちていった。

 他の連中も似たような物。

 女は多少手加減されたようだけど、階段にうずくまってるのは間違いない。

「大丈夫か」

 そんな連中には見向きもせず、私を気遣う御剣君。 

 何か違うような気もするが、恐縮しつつ彼に頷く。

「最近、この学校も荒れてきたな」

 そう言って、振り返りもせず階段を上がっていく。

 お礼の言葉も掛けられないままに。

 私はただ、その背中を見送るだけしか出来なかった。




 走り高跳び用の厚いマット。

 その前に立ち、軽く蹴ってみる。

 痛くはないが、バランスを崩して転びそうになった。

「なに、それ」

 冷ややかに私を見下ろす黒沢さん。

 それには答えようもなく、俯いて時が過ぎるのを待つ。

「怪我をするから止めなさい」

「済みませんでした」

「大体蹴るとか殴るとか、野蛮なのよ」

 最後は小声になり、自分もマットを蹴る黒沢さん。

 それには私も、思わず彼女を見つめてしまう。

「……ごほん。今のは冗談だから。練習をしなさい、練習を」

「あ、はい」

「雪野さんが復学してから、どうも空気がおかしいわね。変な電波でも出してるのかしら」

 小声で呟きながら去っていく黒沢さん。

 確かに怪我をしては仕方ないし、格闘技の素養もない。

 陸上選手としての素養があるとも、あまり思えないが。




 今日は休日。

 朝練もなく、起きるのはいつもよりかなり遅め。

 食堂でゆっくりと朝食を取り、部屋に戻ってぼんやりとテレビを眺める。

 予定は特に無く、疲れた体を休めるのも悪く無い。


 気付けばお昼。

 再び食堂で食事を取り、部屋へ戻る。

 テレビを付けたまま、雑誌を眺めて時を過ごす。

 無為に過ぎていく時間。

 しかし出かける用事も、突発出来的な出来事もない。

 過ぎていく時間を惜しみはしても、それを留める術はない。


 夕方。

 うたた寝をしていた分、時が過ぎるのは余計に早く感じられる。

 食堂へ向かい、食事をして部屋へ戻る。

 明日も予定は何も無く、せいぜいここで体を休めるだけ。

 そして月曜日から、また同じ時間が流れ出す。

 変化のない、単調な日々。

 自分は今も、その流れの中にいる。




 その日曜日。

 お昼を食べに食堂へ向かうと、黒沢さんに呼び止められた。

「今、時間大丈夫?」

「え、ええ。特に予定はないですが」

「悪いけど、学校のグラウンドへお願い。ちょっと練習するから」

「分かりました」

 彼女はSDCの運営に追われる多忙な身の上。

 平日の練習はままならず、こうして休みの時くらいしか出来ないんだろう。

 休むと言っても、さすがに体がなまり始めていた頃。

 外へ出るのも悪くはない。



 一応ジャージに着替え、グラウンドへとやってくる。

 そこにいたのは猫木先輩と、数名の陸上部部員。

 そして、あの少女。

 Tシャツにスパッツ。

 スパイク。頭には、ヘアバンドを着けている。

「もう一度やるわよ」

「分かった」

 スタートラインに付き、腰を下ろしてスターティングブロックに足を付ける二人。

 スターター用のピストルを上へ上げる部員。

 張り詰めていく空気。

 息苦しい緊張感。

 それがピークに達した頃。


 勢いよく飛び出す猫木先輩と少女。

 若干少女の方が早く、しかしフライングと判定される。

「ユウユウ、早すぎ」

「3秒でしょ」

「理屈ではね」

「難しいな」

 スタート位置に戻る二人。

 スターターはピストルを上へ上げ、二人はスタートの練習を繰り返す。



「……もうやってるわね」

「黒沢さん」

「猫木さんが、どうしても練習したいって言うから」

 苦笑する黒沢さん。

 ただ見ている限り、練習しているのはむしろ少女のほう。

 そのわがままに、私達が付き合われてる気もする。

「不満そうね」

「そうではありませんが」

「一流の走りを見るのも良い勉強よ。それに彼女は、元陸上部だから」

 これは聞いた事がある。

 一昨年少しの間だけ、陸上部に籍を置いていたと。

 また彼女に短距離走者としての才能があるのも認めている。

 私がどれだけ練習を積み重ねようと、決して届かぬ位置にいるのも。




 休憩を挟み繰り返されるスタートの練習。

 部員達は一人帰り二人帰り、それでも練習は続けられる。

「今度、体育祭があるでしょ。その練習よ」

「来週ですよね。今から練習しても意味がないのでは」

「何もしないよりは良いと思ってるんでしょ」

 そう言って苦笑する黒沢さん。

 猫木先輩と少女は、なおスタートの練習を繰り返す。

 この二人のレベルなら、今更練習する必要もないはず。

 多少スタートで出遅れようと、その程度は走りで軽く補える。

 それでも二人は、飽きる事無く練習を繰り返す。

 何度でも、何度でも。


 たぐいまれなる才能を持ちながら、なおも果てしなく練習を重ねる二人。

 それでは、凡人の私が及ぶべくもない。

 戦わずして負けているようなもの。

 そもそも二人には、私など眼中にないだろうが。

「……私も帰って良いですか」

「ええ、ご苦労様。わざわざ悪かったわね」

「いえ。良い勉強になりました」

 背を丸め、逃げるようにしてその場を立ち去る。


 赤く染まり出す日差し。

 背中に当たる笑い声。

 薄く長い影が自分の行く手に伸びている。

 頼りなく、ぼんやりとした影が。

 自分の行く手に伸びている。




 体育祭当日。

 猫木先輩は、当然シードで決勝に進出。

 あの小柄な少女も予選を勝ち上がり、決勝まで駒を進めてきた。

 100m走は数レース行われるが、誰かが配慮したのか二人は同じレースに出場。

 分かりやすく決着が付けられる。


「いくら賭けた?」

「ちょっとだけ」

「全部賭けろよ」

 用具の置かれたエリアを歩いていると、数名の男子が集まって騒いでいた。

 どうやら何か、賭け事をしている様子。

 そう言えば、イベントにはアングラな組織が賭場を開いていると聞いた事がある。


 知り合いに聞いてみると、今日の体育祭もその対象になっているとの事。

 アクセス先を教えてもらい、短距離のオッズを確認する。

 猫木先輩は、限りなく1に近い数字。

 当たり前と言えば当たり前。 

 先輩と同じレースに出場する選手のオッズは、10とか20。

 余程の事が無い限りは勝つと思われていない。

 あの少女を除いては。


 彼女のオッズは2。

 猫木先輩に比べれば倍だが、オリンピック強化指定強化選手に対しての2。

 それがいかに破格なのは言うまでもない。

「賭けるの」

「え」

 気付くと、渡瀬さんが目の前に立っていた。

 大玉の前にしゃがみ込んでいる私の前に。

「私は雪野先輩に賭けたよ」

「……猫木先輩が負けるとは思えないけど」

「確かに勝てる要素は殆ど無いね。でも、賭ける」

 答えになってない答え。

 ただそれも、彼女の導き出した答え。

 思いである。




 やがて100m走が開始。

 賭はすでに閉め切られ、後は結果を待つだけ。

 グラウンドには猫木先輩とあの少女が登場し、観客席は爆発したような盛り上がりを見せる。

 まるで大きなレースのような雰囲気。

 二人がスタートに付くと一転して静まり返り、静寂の後スタートの号砲が打ち鳴らされる。


 理想的なスタートを決める二人。

 若干猫木先輩が有利。

 二人は後続をあっという間に引き離し、殆ど並ぶような距離で走っていく。

 それでも、二人のわずかな距離は埋まらない。

 遠く離れて見ていると、本当に少しだけなのに。

 走っても、走っても、その距離が埋まる事は無い。



 レースは一瞬にして終了。

 結果は大方の予想通り、猫木先輩の勝利で幕を閉じる。

 先輩は軽く手を挙げ観客達の声援に応え、すぐにその手を下ろして走り出した。

 向かった先は、あの少女の元。

 彼女はグラウンドにうずくまり、固まったまま動こうとしない。


 見ていれば分かる。

 全力を尽くし、限界の先まで力を振り絞った結果。

 倒れて動けなくなるまで、彼女は戦った。

 自分の全てを懸けて。


 だけど結果は負け。

 接戦でも、良い勝負でも。

 敗北した事実が変わる事は無い。



 血の滲むような努力を繰り返し。

 勝てる訳がないと言われたレースに挑み。

 体力が尽き果てるまで全力を振るい。 

そして結果は敗北。


 そうなるのは誰も分かっていて、多分彼女自身も気付いているはず。

 それでも彼女は手を抜かず、力の限りを尽くした。

 あれだけの才能がありながら、努力を惜しまず自分に出来る限りの事をやり遂げた。




 体育祭は終了。

 器具の後片付けをして、空に星が瞬く頃私達も帰る事を許される。

「お疲れ様」

 ジャージを肩に羽織り、笑いながら陸上部員に声を掛けている猫木先輩。

 私も挨拶をして、彼女と視線を重ねる。

「あの。先輩の友達はどうなったんですか」

「怪我もないし、普通に帰って行ったわよ。ただ、数日は休むと思う」

「休む」

「元々体力がないから。あそこまで走るのは無理なのよ」

 小さな声、陰る表情。

 今にも消え入りそうな、儚い雰囲気。


 あの少女は、まさに精も根も尽き果てるまで戦った。

 日々の努力も惜しまず、それに耐え、続けきった。

 では翻ってみて、私はどうだろうか。


 自身の才能の無さを嘆くだけで、ただ惰性に流され生きていただけではなかったのか。

 苦しく痛む胸の奥。

 全ては自分次第。

 私は勝手に制約を掛け、易きに流れていたに過ぎない。




 寮へ戻り、シャワーを浴びて食事を済ます。

 後はいつも通りテレビを眺め、ぼんやりと過ごす。

 体育祭でも試合には出ず、体は少しも疲れていない。

 気持ちがただ重いだけで。

自分には何も無い。

 才能も、努力する気持ちも、全てを懸ける覚悟も。

 だからこうして無為に時を過ごし、それを結局は受け入れている。

 惰性、怠惰、諦め。

 それが私の人生。

 今まで歩んできた結果である。




 数日後。

 週明けからは文化祭。

 学内は華やかなムードに包まれ、誰もがこの時を楽しんでいる。

 今の私には遠く、どこかかかすんで思えるが。


 教室のドアに並ぶ、たこ焼き屋の旗。

 生徒会がたこ焼きでイベントを企画したとは聞いていた。

 大して食欲もなく、何より興味もないためその前を足早に通り過ぎる。


 そんなたこ焼き屋の前に佇み、たこ焼きを頬張っているあの少女。

 屈託のない笑顔を浮かべ、何とも嬉しそうに。

 体を悪くしている様子はなく、特に問題はなさそう。

 それに少し気持ちが軽くなる。




 私はあそこまで強くはなれない。

 素直にもなれそうにない。

 彼女と同じになんて、なれるはずもない。

 彼女は彼女、私は私。

 その事実は覆しようもない。

 彼女が様々な事に秀で、きらめいているのも。

 私は嘆くばかりで、何も無いのも。


 でも、私にも出来る事はある。

 それが何かは分からなくても、努力をする事は出来る。

 全力を尽くす事だって。

 彼女が身をもって、それを教えてくれた。 



 立ち止まる事もあるだろう。

 また嘆く時もあるだろう。

 それでも前を向いていこう。

 彼女のように。

 私も、その背中を追いかけよう。






                                                          了











     エピソード 42話 あとがき




ユウはガーディアンでありながら、短距離において類い稀なる才能を持つ存在。

ただスタミナがないため、連続して走れないという事になってます。

真摯に陸上へ取り組んでいる者からすると、すごいと思うと同時に何故とも考えてしまう訳です。

陸上部でもないのに、どうしてと。

その辺の複雑な感情が、彼女の中で渦巻いてるんでしょうね。


とはいえユウ自身も短距離には真摯に取り組んでいて、その部分を外部の人間は知らないだけ。

短距離走用のトレーニングは格闘技の訓練とは別に行っており、体育祭前はそれを本格化。

陸上部並みの事はしています。

また自分に体力がないのは分かっているのと邪魔にならないよう、あまり陸上部の練習には参加しないようにしています。


才能を持つ人間は憧れや敬意を抱かれもするけれど、時には嫉妬や敵意の対象になる。

みたいなところ。




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