42-3
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入場ゲートに集まってくる、騎馬戦へ出場する選手達。
当たり前だが個人戦でもなければ、チーム戦でもない。
この競技は団体戦。
私達は自警局ガーディアンチームの所属。
ルールは色々あるが、それぞれのチームに大将がいてその人が倒されても駄目らしい。
「で、誰が大将」
「誰って、それは」
出場するメンバーを確認していた小谷君が、じっと私を見つめてくる。
回りにいたガーディアン達も一斉に。
ちなみに私が出場を決めたのは、ついさっき。
それまで出たいとは一言も言ってないし、そもそもそんな気持ちすら無かった。
「よろしければ」
「よろしくないし、初めに決めた人がいるでしょ」
「雪野さんをさしおいて、そんな」
朗らかに笑ってのける小谷君。
そういう場面なのかな、今って。
「私、前に出て戦いたいんだけど」
「その辺は任せます。生徒会も、色々考えているようですが」
含みのある言い方。
彼は元々自警局所属で、現総務局長の元側近。
生徒会の動向には、私以上に詳しいのだろう。
ただ少し考えると。
いや。あまり考えなくても、一つの事実にすぐ気付く。
「私達って、生徒会だよね」
「自警局と言うくらいですから」
ごく普通に返ってくる答え。
これ一つとっても私達の立場とか、自警局の存在が理解出来る。
間違っても主流ではないなと。
「当然、生徒会を倒しても良いんでしょ」
「団体戦で、チームは別。問題はありません」
「それさえ聞ければいい。じゃあ、簡単に作戦を決めようか」
出場するガーディアン達を回りに集め、話をする。
しようと思ったけど、圧迫感を感じたので距離を置くように告げる。
周りを囲まれて見下ろされるのは、当たり前だが何一つ楽しくないな。
全員と少し距離を取り、改めて話を続ける。
「私達は基本的に前で出る。守る必要はないから、むしろ囮くらいに考えて。寄ってきた騎馬を逆に狙っても良い」
「簡単な合図でも決めます?」
「私が周りを見ながら手を挙げたら撤収。後ろに下がって。それと前に手を振ったら、突撃。私達が走る方向へお願い。どこへ突っ込むかは、分かると思うけど」
ガーディアンから一斉に起きる笑い声。
私達も一応は生徒会所属。
すぐ側には、生徒会のチームも控えている。
だから、ここであからさまな事はさすがに私も言えない。
ただその意図は、十分に理解してくれたようだ。
「相手がおかしな事をしないなら、こっちからも無闇には手を出さない。あくまでも、騎馬戦として戦う」
「騎馬戦以外の戦い方って何だよ」
後ろからの声を聞き流し、メンバーを確認。
誰もが学内でも有名なガーディアンばかりで、相手が誰だろうと憶する事はない人達。
私が、今更あれこれ言う必要もないだろう。
「一応私が大将になってるけど、そこは気にしないで。連合、じゃなくてガーディアンとして頑張ろう」
「ああ」
重ねられた手の上に、私も小さな自分の手を添える。
「ファイトッ」
「オーッ」
入場ゲートの回りに響くかけ声。
一瞬にして回りを圧倒するほどの迫力と一体感。
心の内から沸き上がる強い思い。
私は今、この場にいられる事を強く感謝する。
勝敗が決まる前から感慨に耽っていても仕方ないが、そこはそれ。
勝つと思って挑んでいるため、別に問題はない。
ニャンとのレース結果については、この際忘れるとしよう。
すでに全チームグラウンド上で配置を済ませ、陣形を取って待機中。
私達は特に陣形も何もなく、横一列。
大将の騎馬を守るなら配置に凝る必要もあるが、私も最前線に出るので細かな連携は必要ない。
前に出て、前に出て、前に出る。
強いて言うなら、それを相互に確認するだけだ。
「熱くなりすぎてないか?」
顎の真下。
つまり、私を背負う恰好になっているショウが、前を向いたまま呟く。
その自覚は、自分でも十分過ぎる程にある。
初めはモトちゃんに飲まされた木の枝が原因とも思ったけど、多分違う。
おそらくは、ニャンとの試合の余韻。
張り詰めた感情が、結局は薄れていないのだろう。
試合は終わったが、そこまで簡単に気持ちまでを切り替えられない。
何より発散する前に寝てしまい、気持ちが途切れるどころではなかった。
「大丈夫。怪我はしない程度にやるから」
「相手はどうなんだ」
「それは向こうの出方次第でしょ。自分こそ、こんな所で怪我しないでよ」
「せいぜい気を付けるさ」
体に伝わる緩い振動。
どうやら、少し笑ったようだ。
「柳君は大丈夫?」
「ちょっと恥ずかしいけどね」
なにやら、気の弱い事を言い出す柳君。
今の彼はプロの格闘家。
大観衆の前で試合をする事だってある。
「別に気にする程でもないでしょ」
「試合とはまた違うよ。気分的にね」
感慨深げに呟く柳君。
そんな物かと思いつつ、ゲートの所でこっちを見ていたケイに手で合図。
すぐに私の意図を悟り、彼は競技委員と一緒に私達の所へ走ってきた。
「ありがとう。柳君、それ被って」
「これって」
「そう。舞地さんのキャップ」
私が彼女から託された、大切な宝物。
普段からも使っているが、今は騎馬の上にいるため被っているのはそれ用の帽子。
何より、彼が被る事に意味があると思う。
しかし柳君はそれ程喜んだ様子もなく、むしろ嫌そうな顔でキャップを被った。
「怖いな、ちょっと」
「何が?」
「真理依さんに怒られてるみたいで」
怒られてはいないと思うが、彼はそう捉えた様子。
また舞地さんに対する印象は、私とはかなり違っている。
私からすれば、無愛想で取っつきの悪い先輩。
しかし柳君にとっては、畏怖を抱くような相手。
キャップ一つ被るにも、軽々しい気持ちではいられないようだ。
「被ってれば顔も隠れるし、丁度良いだろ。プロが何してるんだって、言われなくて済む」 この辺は小声で呟くケイ。
確かに、今の彼は高校生というよりはプロ格闘家。
のんきに騎馬戦をやって遊んでる場合でもない。
「御剣君も柳君も、危ないと思ったら逃げた方が良い。たかが騎馬戦なんだし」
「俺は良いのか」
「一人で背負っておいて、何言ってるんだ」
鼻を鳴らして突っ込むケイ。
彼が言うように、私の体は彼にほぼ寄りかかった状態。
足の裏も彼の手の平に収まっていて、柳君達は支える恰好をしてるだけ。
とはいえ彼に負ぶさって戦うのも、相当に間抜けだと思う。
サトミ辺りに言わせれば、出場してる時点で間抜けらしいが。
グラウンドに響く号砲。
しかし歓声はさほど起こらず、むしろ静かなくらい。
おぼろげな視界で観客席を確認すると、彼等の視線は生徒会の騎馬へ向けられている。
どうやら彼等の行動は、ある程度噂になっているらしい。
「……生徒会が引き抜いてるって事は、他のチームはどうなってるの」
「主力が抜けてるって事だろうな」
私が予想している通りの答えを返すショウ。
チームの構成は、生徒会と私達自警局。
後は1年生、2年生、3年生、SDCという分類。
ただ主力が生徒会に集まっていれば、力を尽くすと言っても限界がある。
生徒会という圧倒的な強者に挑むといえば聞こえは良いが、逆に狩られる事も考えられる。
むしろ、そういう構図が成り立つと言うべきか。
「……私達も陣形を取る。生徒会に対して、正面から対峙。横二列。数が足りないなら、まずは横一列に」
私の言葉を受け、四方に散っていたガーディアンの騎馬が横に並ぶ。
言うまでもなく、私の意図を悟って。
「誰でも良い。前に出られそうな人は、前に出て」
今度は後ろを振り返り、そう声を掛ける。
前に出る理由は、ただ一つ。
彼等を守るため。
それはガーディアンとして。
この学校に通う者としての使命であり、当たり前の行動。
迷う理由など何もない。
少し、また少しと埋まっていく横2列の隊列。
前列はガーディアンとSDC。
後列は、1年2年3年生からの有志。
その後方に、それ以外の生徒達の騎馬が並ぶ。
「隊列は目安。崩れても構わない。危ないと思ったら、すぐに騎馬を降りるか逃げて。無闇に戦う事自体が偉い訳じゃない。自分達の事も考えて行動して」
私の言葉に聞き入る仲間の騎馬達。
いや。正確には、SDCや1年生達の騎馬は仲間ではない。
対生徒会という構図がある以上、彼等が蹂躙される可能性を見過ごす訳にはいかない。
「助け合う、裏切らない、信頼する。そんな言葉もある。覚えておいて」
足元から聞こえる微かな笑い声。
私も、この言葉を使ったのは久し振りだ。
「ガーディアンである以上、一応相手の出方を待つ。……と言うまでもないか」
真正面から、真っ直ぐに私達へ向けて進んでくる生徒会の騎馬。
数としては私達の方が多いが、実働に耐えうる騎馬は相手をやや上回る程度。
防御主体になる分、不利な状況とも言える。
そんな事、今に始まった話でもないが。
「どうする」
真下から聞こえるショウの声。
普段とは違うこの感覚に新鮮さを感じつつ、彼の頭に手を置く。
「まず、突っ込んでみよう」
「先駆けか。武士、柳君」
「問題なし」
「いつでもどうぞ」
すぐに応え。
ショウは微かに顎を引き、滑るような動きで前に出た。
「掴まってろよ」
「走るつもり?」
「いきなり相手の大将を倒すっていうのもありだろうな」
微かに伝わる振動。
それは走っているためだけではない。
ショウの、御剣君の、柳君の笑いが揺れとなって伝わってくる。
戦いに生き、そこに己を見いだす人達の感覚。
この場をむしろ望む人達だからこその。
勢いよく駆けだしたところで、生徒会の騎馬の隊列と正面から向き合う。
向こうはかなり連携が取れていて、Vの字。
私達を挟み込む隊列を取っている。
このために練習でもしたのかなと思いつつ、背伸びをする。
「大将って、誰かな。生徒会長?」
「本部にいるぞ」
「だったら?」
「想像通りだ」
再びの震動。
生徒会の騎馬越しに見える、騎馬の小集団。
その中にぼんやりとだが、大将の帽子を被った人間が見えている。
顔もはっきりとは分からないが、誰かは認識が出来た。
「なるほどね」
生徒会の大将は、矢田総務局長。
彼の意図かどうかはともかく、現状を象徴する状況なのは間違いない。
「取りあえず、名乗りでもあげる?」
「戦国時代じゃないんだ」
「少し面白いと思ったんだけどな」
いまいち緊張感のない会話をショウと交わしつつ、周囲を確認。
生徒会の騎馬は少しずつ私達との距離を縮め、囲みつつある。
ただ、これも善し悪し。
単騎の私達にこれだけの騎馬を割いては、大将が手薄になるし私達の本隊を攻められない。
陣形を取るまでは良かったが、戦術的にはどうなんだろうか。
そこまで、私が気を回す事でも無いか。
まずショウの頭に置いていた手を肩に戻し、姿勢を保つ。
そして膝で彼の胴を挟み、安定を確保。
「うわーっ」
緊張感に耐えきれなかったのか、背後から突然悲鳴が聞こえてきた。
そこまで焦るような場面ではないが、それこそ私が思う事でもない。
しかしそちらへは振り向かず、あくまでも今の姿勢を維持。
多少身構える程度で、やり過ごす。
背後から迫る足音。
距離を詰めてくる正面の騎馬達。
逃げ道は無く、絶体絶命。
考えもない馬鹿な連中。
なんて、生徒会の騎馬は思ってるんだろうか。
「せっ」
気合いの声と同時に少しの揺れ。
一瞬振り向くと、生徒会の騎馬が足元に崩れていた。
騎馬戦は騎乗している人間の帽子を取り合うのが基本。
ただもう一つの基本的なルール。
騎馬が崩れても負けというのがある。
帽子の取り合いはともかく、崩し合いなら私達も分がある。
「突進してきたから、つい」
少し気まずそうに話す柳君。
軽く手を振り、彼の健闘に私も応える。
「大丈夫。こうなる事は分かって、ここにいるんだから。私達は」
「ただ、手応えが少し変だった。プロテクターは着てるだろうね」
「ふーん」
感心して出た呟きではない。
予想していた。
そして、呆れた上での呟き。
だとすれば、私達の行動はただ一つ。
回りの騎馬を蹴散らし、大将を倒す。
当初の考え通りに行動すればいい。
「本隊は?」
「少し生徒会の騎馬が取りついてます。まあ、問題無いでしょう」
「分かった。私達はここを突破。敵の大将を倒す」
「その言葉、待ってました」
唸るように返事をする御剣君。
こういう場面では、怖いくらいに頼りになるな。
「ショウ。適当に前進。隙が出来たら突破して、大将を目指して」
「掴まってるか?」
「大丈夫。何があっても離さない」
「今の言葉、感動すれば良かったのか」
確かに、ちょっと場違いな台詞だったな。
二人で下らない事を言ってる間に、生徒会の騎馬がさらに距離を詰めていた。
周りは騎馬だらけで、隙間は一切無い。
だとすれば、隙間を作るだけだ。
「まずは小細工無しで、真っ直ぐ走る」
「了解」
ショウの言葉に反応する二人。
私は彼の肩から手を離し、膝の方へ力を込める。
突然の加速。
言葉通り、真正面へ突っ込んでいくショウ。
御剣君と柳君もそれに追随し、私達は真正面の騎馬へ突撃する。
「せっ」
伸びてきた相手の足を下から蹴り上げ、そのまま跳躍するショウ。
私を抱えてどうやってと思うが、視界が高くなったので跳んだのは間違いない。
飛び前蹴りが相手の騎馬の誰かに当たり、支えきれずに騎馬が崩れる。
その上にショウが降り立ち、無慈悲に上を御剣君と柳君が踏み越える。
足元から悲鳴が聞こえてくるけど、一つ間違えば私達がそうなっていた。
大して同情する気にもなれず、周囲に意識を向ける。
「よっと」
伸びてきた腕をかわし、下から肘を掌底で叩く。
柳君が言っていたような、プロテクターの手応え。
ジャージを着てるのは転んだ時の擦り傷対策もあるが、彼等に取ってはこれも隠すためか。
ただダメージを軽減する事はあっても、全てが無くなる訳ではない。
それに私の叩いた場所は、肘でも神経の集中する部分。
その腕は一瞬にして下へ落ち、ガードががら空き。
ショウの肩に手を置き、両足を振り上げて横に薙ぐ。
靴先が相手の帽子の鍔を捉え、そのまま真上へ跳ね上げる。
青空に舞った帽子は騎馬の向こう側まで跳んでいき、どこに行ったのかすら見えなくなった。
帽子が落ちた時点で敗北。
だがそれを無視して突っ込んでくる騎馬。
どうしようかと悩む間もなく、相手の騎馬は一瞬にして地面へ崩れ去った。
突っ込んできた所を真正面から御剣君が受け止め、鳩尾辺りに肩を入れたようだ。
「全員、怪我は」
「誰に言ってるんだ、それ」
再び笑うショウ。
御剣君も、柳君も一緒になって笑い出す。
確かに怪我はしてないな。
少なくとも、私達は。
「分かった。改めて前進。遠慮無く進んで」
突破というより、押しつぶしたと言った方が正確。
行く手をふさいできた騎馬に対して何かをする訳ではなく、真正面から突っ込んでいくショウ。
人間が集まればかなり強固な壁になるのは、ラグビーのスクラムを見ていればよく分かる。
少し押したくらいではびくともしないし、プロテクターを付けていればなおさら。
ただあれは、至近距離からのチャージ。
加えて、あくまでもスポーツ。
ルールに定められた行動をする、あくまでも善意に基づいたぶつかり合い。
しかし今は、ルールなどあってないような物。
相手を倒す。
叩きつぶす事が、むしろ目的。
そして私達は、そのために今までの人生を過ごしてきた人間。
私はそこまでの域に達していないが、私を支えるショウ達はまさにそれ。
プロテクターを着ていようと相手が屈強な高校生だろうと、それは彼等を阻む壁とはなりえない。
ショウの前蹴りと共に大きく開く前方。
「一気に行くぞ」
「了解と」
姿勢を低くして、彼に密着。
慣性で後ろに引っ張られる感触を味わいつつ、真上から振り下ろされた腕を蹴り飛ばす。
帽子を取るだけならもう少し遠慮したが、攻撃前提ならこっちもそれに対応するだけ。
囲みをすぐに突破し、体育祭の運営本部前に陣取っている局長目指して突き進む。
「後ろは?」
「追っ手はまだ。防衛ラインも問題なし」
「ショウ。真正面から突っ込んで」
「容赦ないな」
そう答え、しかし走る速度を緩めないショウ。
局長を護衛する騎馬が前に出てくるが、右に回ってそれを回避。
事前の練習通り御剣君達もそれに追随し、滑らかに騎馬をパス。
次の騎馬も右側からかわし、正面には局長の騎馬だけが残される。
加速をやや弱めるショウ。
後ろは運営本部で、このままの勢いだとそちらへ突っ込む可能性がある。
つまり、それを回避する目的だけ。
局長の騎馬に突っ込む事へのためらいではない。
覚悟を決めたのか為す術がないのか、ほぼ棒立ちの騎馬。
ショウは構わず、真正面からその騎馬に肩から当たる。
体格が良いためか吹き飛ぶ事はなかったが、前のめりに倒れ込んできた。
騎馬の構造上、後ろに人がいるため衝撃が抜けきらなかったのだろう。
かろうじてバランスを保つ騎馬。
ショウがそれを押しつぶす恰好で、さらに前へと進み出る。
体を引いて逃げる局長。
構わず手を伸ばし、裏拳で鍔をはたく。
局長の動きより早く私の拳が返り、帽子はあっさり地面へ落ちた。
「という訳。体育祭くらい、普通にやったら」
「僕は、何も」
言い訳を聞く気にもならず、何よりショウが後退をし始めた。
局長の帽子が落ちた事はすぐに全体へ知れ渡り、拍手と歓声が観客席から巻き起こる。
私達が倒したのは、あくまでも生徒会チーム。
それ以外のチームは残っているが、ムードとしてはすでに終了。
何より、今更他のチームと戦う理由がない。
ショウの肩に手を掛けて騎馬を降り、自分が被っていた帽子も取る。
戦いはもう終わった。
高校生活最後の体育祭も。
少し釈然としない部分はあるが、それも含めて終わり。
これがこの先どう影響するかとか、どんな思い出になるかは分からない。
降り注ぐ拍手と歓声。
それに耳を傾けながら、入場ゲートへと戻る。
私を待ってくれている、仲間の元へと。
何が待っていたかと言えば、後片付け。
楽しい打ち上げとか、思い出話に花を咲かすとか。
目の前に積み上げられたパイプ椅子を見る限り、そういう事とは縁が無いようだ。
「どう考えても、私は運べないんだけど」
「ユウは良いわよ、何もしなくても」
「帰って良い?」
「帰れるなら、構わないけど」
パイプ椅子の数を数えながら指摘するサトミ。
すでに周りは薄暗く、かろうじて西の空に赤い残滓が残っている程度。
正門へ続く通路は当然薄暗い。
そこを一人で帰るとなれば、さすがに喜んでとは言い難い。
結局サトミと一緒に機材の確認をするが、とにかく眠い。
5つ数えると、そこで意識が途切れる感じ。
このままだと、明日の朝までパイプ椅子は5脚しか存在しない事になる。
「もう良いから、休んでなさい」
「じっとしてると、寒いんだよね」
「疲れてないの?」
「倒れそうなくらい疲れてる」
体力的には、限界を遙かに超えているはず。
騎馬戦で改めて気を張り詰めたため、かろうじて意識を保っているような物。
明日は疲労と筋肉痛で、動く事もままならないと思う。
「打ち上げとかやらないの?」
「今日は無理でしょ。文化祭の後にでも考えたら」
「そうだね」
再び意識が薄れ、目の前がぼやけ出す。
今度こそ、さすがに限界だな。
「世話が焼けるわね。ショウは」
「あいつは、パイプ椅子の鬼と化した」
訳の分からない事を言って、片付けられていく機材をチェックしていくケイ。
気付くとパイプ椅子は殆ど無いので、彼が運んでいったという事か。
「雪野さん達、まだいたの?」
昨日同様、首から端末をいくつもぶら下げて現れる黒沢さん。
返事をするのもだるく、欠伸をして小さく頷く。
「頑張り過ぎよ。後は私達がやるから、雪野さん達は帰って良いわよ。あなた達、文化祭も警備するんでしょ」
「そうなの?」
「自警局である以上、何もしない訳には行かないのよ」
軽く笑うサトミ。
なるほどと思う一方、文化祭という言葉に戸惑いを覚える。
最近はずっと体育祭の事だけを考えていたため、文化祭の事を全く気にしていなかった。
ただ私の場合は疲労が抜けるのに少し掛かりそうなので、警備の役立つかどうかは分からないが。
結局立っているのも怪しくなってきたため、機材の片付けから戻ってきたショウに頼んで送ってもらう。
彼と一緒なら、薄暗い正門への並木道でも幾分平気。
しかし暗いには暗いので、楽しくて浮き浮きするとまでは行きそうにない。
「痩せたか」
顔の前から聞こえる声。
理由は簡単で、彼の背中に負ぶさっているから。
今日は一日中、ここにいるような気がするな。
「少し絞り込んだから、痩せたのかもね。脂肪は落ちてると思う」
「ああ、100m走」
「もう少しだったんだけど」
言葉にすると悔しさが再び蘇ってくる。
相手はオリンピック指定強化選手。
ただの女子高生である私が挑む事自体無謀。
そんな事は、私が一番分かっている。
そして結果がこれでは、言い訳のしようもない。
「慰めてくれないの」
「ん?ああ、惜しかったな」
とってつけたような言い方。
彼らしいといえば彼らしい、少し不器用な態度。
あまり彼が世慣れた調子で私を慰めてきても、それはそれで困るのだが。
何しろ彼は、戦う事。
勝つ事を前提に生きている人。
負けるなんて単語は、意識の中には殆ど無いんだろう。
「あーあ」
「……泣いてないだろうな」
「どうして」
「なんか、ひやっとした」
言いにくそうに呟くショウ。
そんな訳は無いと思いながら、目元に手を添える。
別に濡れてはいないし、そこまで感情も高ぶっていない。
それ以上に眠気が上回り、高ぶる前に意識が途切れる。
途切れればどうなるか。
「泣いた泣いた。わんわん泣いた」
「犬か」
嫌な突っ込み方をされた。
取り合えずこっそり口元を拭い、大きく深呼吸。
一緒に帰った思い出がこれでは、後で思い出しても泣くに泣けないな。
寮の方が近いけど、今日は自宅へ帰宅。
でもって、お母さんに不安そうな顔で出迎えられる。
「怪我でもしたの?」
「走って疲れただけ。明日は休む」
「体力がないんだから、無理しないでよね」
それでもドアが支えられ、私はショウに背負われたまま家へと入る。
そのまま2階へ上がり、着替えを済ませてリビングへ。
シャワーは学校で浴びてきたし、今お風呂に入ったら多分湯船に浸かったまま寝てしまう。
こうして起きている事自体、今の自分にとってはぎりぎりだ。
「じゃあ、俺は帰るから」
何故か梨を丸ごとかじりながらそう告げるショウ。
梨って、ああやって食べる物だったのかな。
「ありがとう。明日は休むから」
「分かった。無理するなよ」
「今日、十分したからね。一日寝てる」
「ああ」
苦笑して、軽く私の頭を撫でるショウ。
でもってお父さんとお母さんの視線に気付き、気まずそうに体を小さくしてリビングを出て行った。
良いじゃないよ、頭を撫でるくらいはさ。
リビングでベッドに横たわり、ぼんやりテレビを眺める。
普段ならまだ学校にいるくらいの時間。
あまり見た事の番組で、馬鹿でかい犬がクイズに答えてる。
正確には回答席へ犬が座り、声だけを人間が当ててているはず。
面白いには面白いけど、見ていてちょっと怖い。
「頭良いわね、この犬」
小難しい経済問題を解答する犬。
それを見て、お母さんが大笑いする。
実際犬が本気でこれを答えていたら、笑い事では済まないと思う。
「結構暇だな、この時間って」
「あなた、学校では何してるの」
「書類作ったり、パトロールに行ったり。色々」
「前期は普通に家へ帰ってきてたじゃない。夏休み前」
そう指摘され、心の中で一人頷く。
夏休み前。
つまり名古屋港高校へ通っていた時は、放課後になればすぐに帰宅していた。
たまに寄り道をする事もあったが、大抵はそのまま帰宅。
その時はその時で、あまり気にせず一日を過ごしていた。
「慣れたのかな、今の生活に」
「普通3年生は、引退しない?」
正解のご褒美に煮干しをもらい、転げ回る猫。
お父さんはそれを見て肩を揺らしながら尋ねてきた。
「普通はね。でも今は、何かと忙しいから。卒業までは無理だと思う」
「大変だね」
「そうでもないよ。私一人が頑張ってる訳でもないし」
逆を言えば、それが大きいと思う。
周りが引退して私一人残っていれば、負担や不安は想像も出来ない。
ただみんながいればそれらは分担し、補い合える。
一人で抱え込む事が何を招くかは、短い人生の中で嫌と言う程味わってきた。
それは性格なので直すのは難しいにしろ、人に頼る事も少しは覚えたと思う。
「無理はしない方が良いよ」
「そう見える?」
「たまにね」
そう言って苦笑するお父さん。
でもって、今の自分を鑑みる。
ベッドに横たわり、半分目を閉じて身動きすらしない。
そうなったのは、無理をした結果。
語るに落ちたとは、まさにこの事だ。
「今日は仕方なかったの。ニャンとの試合があったから。……そう言えば」
端末を手に取り、テレビのチャンネルを変える。
そこに映ったのは、ホテルのラウンジのような場所でインタビューを受けているニャンの姿。
短い特集番組をやると聞いていて、当然録画はしている。
それでも今見れるのなら、それまで我慢する必要はない。
簡単に彼女のプロフィールと戦績の紹介。
試合や練習のダイジェストが放送され、インタビューへと戻る。
内容は当たり障りのない、この手の番組に良くあるもの。
それでも生真面目に答えるニャンが、少し新鮮でおかしかったりする。
「では、猫木さんにとってのライバルはどなたでしょうか」
小首を傾げて尋ねる、綺麗な女性。
ニャンは微かに思案の表情を浮かべ、少し視線を上げた。
「国内にも海外にも、強い選手や目標としている選手は大勢います。ただ本当のライバルは、一人だけですね」
「やはり、海外の選手ですか?」
「いえ、国内です。小学校以来のライバルで、私は彼女に勝つ事がまず第一の目標です」
熱を込めて語り出すニャン。
私も体を起こし、姿勢を正して彼女の話に耳を傾ける。
少しの間。
インタビュアーに促され、ニャンはさらに話を続ける。
「それは、どなたですか」
「公式戦には出場しないので、名前を挙げても分からないと思います。でも私にとっての本当のライバルは、彼女ただ一人。……今日。多分放送日当日、その子と試合をしているはずですね」
笑い気味に話すニャン。
そのままCMへ入り、CM明けには話題が変わって今後の展望が語られ始めた。
まずは端末を手に取り、アドレスをコール。
すぐに笑い気味の声が聞こえてくる。
今、テレビから聞こえるのと同じ声が。
「……見てたって。……いや、いいけどさ。……というか、まだ終わって無いからね。……大学もあるし、大人になった後でも良いじゃない。……だから、今勝てないだけだって。……認めないの、私は。……分かった。……はい、お休み。……うん、ありがとう」
通話を終えて、小さくため息。
込み上げる喜びと暖かさ。
彼女のような人間に認めてもらえた事。
それを伝えてくれた事。
その思いを、私も彼女に感じている事に。
朝。
気持ちの良い目覚めとは程遠く、悲鳴を上げそうに体が痛い。
というか、体自体は相当に悲鳴を上げていると思う。
ベッドから降りるのも一苦労で、それこそ這うようにしてベッドから這い出す。
そして壁に伝って立ち上がり、軽く体に触れてみる。
痛くない場所がとにかくなく、足は限界。
立っている事自体、相当に辛い。
やはり這うようにして、後ろ向きで階段を慎重に降りていく。
思っていた通り、2階に上がったのは失敗だった。
いつもは意識もせずに降りている階段が、今はさながら断崖絶壁。
一段下りるだけで、汗が前進から噴き出てくる。
どうにか階段を降りきり、四つんばいで廊下を移動。
そのままリビングへ入り、昨晩同様ソファーの上に転がる。
後は何もしたくなく、目を閉じて体を丸める。
「……そこで寝たの?」
怪訝そうに声を掛けてくるお母さん。
それに手を振り、その震動に顔をしかめる。
「自分の部屋で寝た。今降りてきた所」
「病院は?」
「無理。そこまで行けない」
「仕方ないわね」
ため息を付いて去っていくお母さん。
お茶でも持ってきてくれるのかな。
差し出されたのは小さな小瓶。
それに慌てて飛び退き、苦痛に耐えきれず床の上で転げ回る。
「嫌だっ、絶対嫌だっ」
「結構元気じゃない」
「嫌だって言ってるのっ」
「勘違いしてない?」
再び突き出される、オリーブオイルの小瓶。
それを避けようと大きくのけぞったところで、ソファーの足で頭を打った。
「ちょっと、何やってるの」
「だ、だって。それ」
「パスタに入れるかどうか聞きたいんだけど」
……なんだ、それ。
頭を押さえながら首を振り、出来るだけオリーブオイルから距離を置く。
蘇る、あの時の悪夢。
あんな思いをするなら、死んだ方がまし。
いや。死なないけどね。
「オリーブオイルがどうか……。ああ、マッサージ。して欲しいの?」
すごい素で聞いてきた。
どこをどう見たら、私が喜んでるように見えたのかな。
「絶対に嫌だ。マッサージは必要ない」
「お父さんにやったら、大喜びしてたわよ」
「涙を流して?」
「よく分かったわね」
分からない訳がない。
というか、単に嫌がってるだけじゃない。
朝からパスタは重いなと思っていたら、もうすぐお昼。
寝過ごしたどころの騒ぎではない。
今更学校に行く時間ではないし、そもそも玄関まですら辿り着けない。
この調子だと、明日もちょっと怪しいな。
「それで、パスタは?」
「ああ。食べる。オリーブオイルはいらない」
「コクが出るわよ」
「あっさり控えめで良い」
オリーブオイルは嫌いじゃないけど、今はとにかく避けたい気分。
想像しただけで、足元から震えが来た。
「風邪でも引いた?」
誰のせいだと思ってるのよ。
生クリームとバター控えめのカルボラーナを食べて、デザートにプリン。
少し気分は良くなってきたけど、体の痛さは相変わらず。
スプーンを動かすだけで、顔をしかめたくなってくる。
「もう良い」
食欲はあるが、食べるたびに引きつっていては先に進まない。
やっぱり寝ていた方が良さそうだ。
「マッサージは」
それも良いんだって。
結局リビングで横になり、タオルケットを被ってテレビを見る。
見るというよりも、音を聞くというべきか。
時間的にはどの局も基本的にワイドショーか、古いドラマの再放送。
内容も似たり寄ったりで、何が面白いのかちょっと分からない。
連続ドラマの場合は、特に。
「夕ご飯はどうする?」
「おにぎりでいい」
出来たらスープをストローで飲みたい心境。
腕を動かすのも辛く、つくづく馬鹿な事をしたなと思う。
「買い物行ってくるけど、大丈夫?」
「戸締まりさえしてくれれば。それに、いざとなったら本気を出す」
「いざって何よ。それと、本気って」
それは私も知りたいな。
ワイドショーも飽きたので、音楽チャンネルに変えてオーケストラの演奏に耳を傾ける。
曲名は知らないが、壮大でスケールの大きい音楽。
もう少し言えば、眠気を誘われる。
これほど眠い時に向いてる曲も無いと言うくらいで、意識は半分くらい飛んだ状態。 テレビを消そうとするが、腕を動かしているのか何をやってるのか分からない。
まあ、良いか。
これを子守歌代わりに……。
音楽越しに聞こえる微かな音。
庭先で、窓が叩かれている。
泥棒か不審者。
さすがに一瞬で目が覚め、筋肉痛がどうとも言ってられない。
タオルケットの上に置いてあったスティックを手に取り、気配を消して庭に面した部屋へと走る。
痛みよりも緊張が上回り、普段と同じ動きで慎重に窓の横へと張り付く。
この時点で、ようやく気付く。
音の大きさ。
何より、庭を叩くという行為に対して。
しかしクラッシックの音楽越しに、私も良く聞こえたな。
「何よ」
「むなー」
無愛想に泣いてみせる茶トラの猫。
ご飯でも欲しいのかと思ったが、私と目を合わせるなり顔を逸らして逃げ出した。
まさか、お母さんが留守の時に勝手に入り込んでるのかな。
「まあ、泥棒よりは良いか」
下らない事で目が覚めたが、動いた分少し体が軽くなった。
縁側にそのまましゃがみ込み、足をふらつかせて庭を見る。
空は青く、木々はまだ少しの緑を保っている。
塀があるため風も来ず、猫が浮かれて窓を叩き出すのも無理はない。
本当に浮かれたかどうかまでは分からないが。




