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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第42話
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42-1






     42-1




 勢いよく踏み切られる軸足。

 その後を追ってたなびく砂塵。

 綺麗な弧を描き、しなやかにバーの上を越えていく体。

 バーに触れる寸前で足が跳ね上げられ、その体はマットの上へと柔らかく降りる。

 小さな拍手と歓声。

 バーを越えた青木さんは小さく頭を下げ、控えのブースへと歩いていった。


 今日は草薙高校の体育祭。

 走り高跳びの決勝に残った青木さんが華麗な跳躍を見せた所でお昼休み。

 優勝とはならなかったが、3位入賞。

 あの体格で3位なら十分すぎる程。

 そう思ってるのは私だけで、本人はより上を目指していたとは思うが。




 片付けの始まったトラックを横切り、フィールドに入って着替えを済ませた青木さんに声を掛ける。

「お疲れ様」

「どうもです」

 照れ気味に笑う青木さん。

 スケジュールが押しているため個別の表彰式はなく、彼女は競技委員から受け取ったらしいメダルを首から掛けている。

「練習不足ですけど、どうにか3位に入れました」

「残念だったね」

「私の限界ですよ」

 諦め、それとも達観。

 確かにトップ選手との差は、素人の私から見ても相当の距離がある。

 諦めた時点で終わりと言う人もいるけれど、努力して届く範囲と届かない範囲がある。

 彼女は努力をして届く範囲にまで辿り着いた上での言葉。

 それをたやすく流す事は、誰にも出来ない。

「これで選手としては、正式に引退ですね」

「止めるの?」

「体力維持程度にはトレーニングをしますけど。後は大学に入ったら考えます」

 明るく笑う青木さん。

 その言葉に、私もふと我に返る。


 私達は高校3年生。

 順当に行けば、来年には大学生。

 余程の事がない限りは、ストレートに進学出来る。

 そろそろ、そういう事も考えておく時期に来ているようだ。




 食堂はイベント時に良くある、バイキング形式。

 おにぎりやサンドイッチがテーブルに、これでもかと言うほど積まれている。

 とはいえそれ以上に生徒が訪れるため、その山も一瞬にして消えて無くなる。

 運動をした後の高校生は、さすがに桁外れとしか言いようがない。

「青木さんは、学部を決めてる?」

「家政科とか、そういう方面ですね」

「私も、それは考えてるんだけど。やっぱり、スポーツ系に進みたくて」

「両方履修すれば良いのでは?」

 簡単に言ってくれるな。

 まあ、目の前にいる人は4つも5つも履修するつもりらしいけどね。

「カリキュラム、組んであげましょうか」

 頼む前に、早速端末でチェックし始めるサトミ。

 運動に関しては鈍いのに、こういう時だけは機敏だな。

「どうかした?」

「全然。あー、おにぎり美味しい」

「玲阿さんはいないんですか?」

「そう言えば。お昼にいないなんて、あり得ないんだけど」

 回りを見渡すが、彼の姿はどこにもない。

 とはいえとにかく人が多すぎて、誰がどこにいるのかすら分からない。

 いくら彼が目立つタイプにしろ、ここで人を探すのは無理がある。



「楽しそうね、随分」

 首から端末を5つくらいぶら下げて現れる黒沢さん。

 彼女はSDC代表。

 体育祭における最高責任者の一人。

 のんきに、将来について語ってる暇はないようだ。

「楽しいよ。おにぎり食べる?」

「人が足りないのよ、人が」

 昔、この手の話を天満さんから良く聞いたな。

 でもって、すぐにショウ達が狩り出されたな。

「……ショウに、何か頼んだ?」

「大玉を運んでもらってる」

 おにぎりを頬張りながら答える黒沢さん。

 学校最強の男が、大玉運びか。

 まあ、本人が嫌とは言わないから良いけどね。


「暇なら手伝って」

「暇ではないよ。それにニャンとの試合があるから、無理をしたくない」

 去年のリレーは、私の負けで終わった。

 というか、中等部以降私が勝った試しはない。

 相手はオリンピック強化指定選手。

 私はただの高校生。

 そもそも勝負を挑む事が無謀。

 そんな事は分かってるが、それは理屈の問題。

 私の感情は、また別だ。


 予選は突破し、全て一位通過だったため本予選も免除。

 明日の決勝で、ニャンの組にシードされた。

 かなり恣意的な力が働いた気もするが、それも含めて気合いが漲ってくる。

「遠野さんは」

「私、カリキュラムを組むので忙しいの」

「……意味が根本的に分からないんだけど」

「御剣君でもケイでも、ガーディアンは自由に使って良いから。モトも、そう言ってなかった?」

「本当に良いの?良いのね?後で駄目って言わないわよね」

 そんなに念を押さなくても良いと思うが、サトミは黙って頷くだけ。

 というか、そっちは念を押してショウは勝手に使ってたのか。

 つくづく、あの子の立場が思いやられるな。



 結局手の空いているガーディアンは全員招集。

 ただ元々半数くらいは手伝っていたみたいで、結局人手が足りないのは変わらないようだ。

「私は動かないよ。明日まで絶対無理はしない。ニャンに勝つまではね」

「オリンピック強化指定選手に勝つ気?」

「相手が誰でも勝つという気持ちが無くて勝負に挑むなんて、そもそも間違ってるでしょ」

 そう答えた途端、回りから感嘆の声がちらほら聞かれた。

 自分では分からないけど、意外に良い事を言ったようだ。

「まあ、良いわ。それより、青木さん。あなた、何してるの」

「おにぎりを」

「試合の事よ。今日明日は忙しいと、あれほど言ったじゃない」

「予選に出たら、たまたま通過したので。つい」

 たははと笑う青木さん。

 さっきの話ではないが、私達は高校3年生。

 体育祭に出られるのも、今年が最後。

 だったら少しくらいの無理はしたくなる。

「黒沢さんは、ハードル走に出ないの?」

「私が跳んだハードルは、誰が片付けると思ってるの」

 そんな事まで知らないわよ。




 結局青木さんは連れて行かれ、サトミと二人おにぎりの山を見る。

 いや。次々に減るんだけど、次々に追加されるので。

 一体何升炊いたのか、ちょっと聞いてみたくなるな。

「モトちゃんは?」

「あの子は自警局長だから、黒沢さん並に忙しいでしょ」

「サトミは忙しくないの。補佐なんだから」

「人間、たまには息抜きも必要よ」

 端末から目を話さず答えるサトミ。

 で、息抜きが何だって。



 あまり遊んでいても後が怖いので、サトミを引っ張り自警局のブースへとやってくる。

 体育祭の運営本部である仮設テント内にそこはあり、風景としては見慣れた物。

 卓上端末が何台も並び、その前にインカムを付けたガーディアンが待機。

 指示の声が行き交い、人が忙しく出入りするという。

「お昼、食べてきた?」

 多少浮ついているガーディアンとは対照的に、椅子へどっしりと座りお茶を飲んでいるモトちゃん。

 この人が慌てる姿はまず見た事無く、今も全く余裕の態度。

 ガーディアンの落ち着きの無さを楽しんでるくらいではないだろうか。

「おにぎり食べて来た。モトちゃんは?」

「差し入れのお寿司を」

 ふーん。

 立場が違うと、待遇も違うな。

 良いけどね、おにぎり好きだし。



 卓上端末で、現在の状況を確認。

 体育祭の運営に人を取られている割には、警備に支障はない模様。

 生徒の殆どがグラウンドにいるため、目も配りやすいという事か。

「私は、何もやらなくて良いよね」

「明日のために、体を休めておいて」

「分かった」

 その言葉を素直に受け取り、上着を羽織り直して空いている椅子に座る。

 今更トレーニングをしても仕方なく、むしろクールダウンしたいくらい。

 精神的には、かなり高揚しているが。


 状況は分かったので、次は天気を確認。

 数日は快晴が続くとなっている。

「これで良しと。サトミは玉入れでも出てきたら」

「何のために」

「高校生活の、最後の思い出のために」

「玉入れが、どんな思い出になるの」

 普通に、すごく真剣に尋ねられた。

 その場のノリとか勢いとか。

 そういう言葉を知らないのかな、この人は。

「もういい。モトちゃんは」

「何が良いのよ」

「だから、もう良いって」

「私もこう見えて、意外と忙しいの。天満さん達の気持ちがよく分かるわね」 

 取っ組み合いかけた私達越しにグラウンドへ視線を向けるモトちゃん。


 今は昼休み。

 その間を利用して次の種目の準備に励んでいる生徒達。

 彼等の努力に対して拍手が送られる事はなく、称賛の拍手も降り注がない。

 何のために、といった疑問を抱く人もいるだろう。

 極端な事を言えば、生徒のために。

 そして学校のため。

 そこまで大げさな話ではないと言われそうだが、天満さんや新妻さんはそんな気持ちを抱えていたと思う。

 私はそこまでの域に達してはいないけれど、モトちゃんはきっと同じ気持ちで同じ視界を共有してるはず。

 明日の事はあるけど、私も少しは彼女の手助けをしよう。




 という訳でサトミと一緒に、入場門へとやってくる。

 何かの種目に出場する訳ではなく、様子を見に。

「いたいた」

 大きな赤い玉の向こう側。

 その上から覗く髪。

「おーい」

 私が声を掛けると、玉がこっちに転がってきた。

 冗談、だよね。

「ちょ、ちょっと」

「良いから、逃げて」

「逃げって、むしろこの方が」

 私に突き飛ばされ、マットの上に倒れるサトミ。

 彼女の怒りを買うよりも、まずは転がってきた玉を避ける方が先。

 でもって、どうしてこれは私が逃げる方へ向かってくるのよ。


 地鳴りみたいな音を立てて転がってくる大玉。

 誰かが押してる訳でもなく、どうやら単に勢いが付いているだけの事。

 転がすには向いている構造だが、目の前に迫ってくるとなれば話は別。

 とはいえここで大玉の下敷きになっても仕方なく、地面を踏み切り宙に舞う。


 青木さん程華麗ではないが、玉を飛び越えるには十分。 

 いや。少し助走が足りなくて、玉の上に足を掛けて激突を回避。

 そのまま上を飛び越え、反対側に降りたって事なきを得る。

 玉が転がった後に誰かが倒れるように見えるけど、きっと気のせいだ。

 中等部の頃見た光景が思い出されただけ。

 デジャブだろう、多分。



 黙って地面から起き上がり、ジャージに付いた土を払うケイ。

 あの時も、このくらい無愛想な顔だったな。

「何やってるの」

「避けようと思ったら、軌道が変わった」

「あはは」

「全然楽しくないぞ」

 昔の出来事を思い出して懐かしい。

 とは言い出しそうにない表情ではある。

「悪い」

 それ程悪びれた様子もなく玉を回収に来るショウ。

 悪ふざけをする人ではないため、あくまでも偶然。

 もしくは、他に悪い人でもいたんだろう。

「管理しておけ」

「ぶつかったら大変だもんね」

 嫌そうな顔で鼻を鳴らすケイ。

 この人の場合は、大変だったと言うべきか。

「ケイも、手伝ってるの?」

「荷物の手配だよ。俺も体育祭を楽しみたいな」

 青空を見上げ、しみじみと呟きだした。

 ただ彼がスプーンに玉を乗せて、よたよたと走っていく姿も想像は出来ない。

 日の光ではしゃぐ姿とは無縁の存在。

 もっと体育倉庫とか教棟の裏とか、そういう場所じゃないのかな。



 愚痴る男は放っておいて、大玉を転がしていくショウの隣に並ぶ。

「何か、出ないの?」

「色々忙しいんだ。あれこれ用意があって」

「高校最後の体育祭だよ」

「まあ、そうだな」

 あまり気のない返事。

 そんな軽い思い出よりも、今は大玉の行方が気になるようだ。

 ただ私も、一緒に何かへ出ようという心境ではない。


 明日のニャンとの試合のために、今は少しでも体力を温存したい時。

 ここに来たのも手伝いよりは、気分転換。 

 思い詰めそうになるのを少しでも和らげるためもある。


 大玉が所定の位置にセットされ、ショウは再び通用門へと戻っていく。

 隣を歩く私も、また。

「ご飯、食べた?」

「今から食べる」

 本当に食事を抜いてまで手伝ってるのか、この人は。

 人が良いというか、損をする生き方というか。

 らしいと言えばらしいんだけどね。

「サトミ、代わりに手伝ってやってよ」

「どうして、私が」

「友達じゃない。ほら、大玉でも何でも運んで」

 玉入れの道具を手配しているケイにサトミを押しつけ、私はショウの腕を引っ張り歩いていく。

 高校生活最後の体育祭。

 このくらいは許されると思う。

 サトミが私を許してくれるかは知らないが。




 グラウンドを離れると、学内は一転静けさに包まれる。

 木々の上では小鳥がさえずり、枯れ始めた葉を通して光が降り注ぐ。

「まだ、温かいね」

「当分半袖で大丈夫だろ」 

 それは違うんじゃないのと思いつつ、彼と並んで歩いていく。

 卒業までは、すでに半年を切っている今。

 こうして彼と一緒に過ごせる時間も限られる。


 サトミやモトちゃんは同じ大学へ進学し、学部が違っても毎日会う事は出来る。

 それは例えば、今年卒業した舞地さん達と同じ。

 一方で名雲さんとは、卒業以来一度も会っていない。

 彼は士官学校へ進み、今は九州での寄宿舎暮らし。

 休日はあるようだが気軽に会いに行ける距離ではないし、外出制限もあるらしい。

 そしてショウも、卒業後は士官学校へ進む予定。

 すでに試験は受けていて、学科は合格。

 後は細々した検査を受けるだけ。

 つまり余程の事がない限り、彼が士官学校に進むのは確定した事実。

 それが揺らぐ事はない。

 彼の昔からの夢は。

 またそれは、必然的に別れへともつながる。


 今気付いたという訳でもないが、実感を抱き始めたのはこの最近。

 回りが卒業や進学に浮き足立ち始めた頃から。

 とはいえ実感して何か変わる訳でもなく、時が過ぎるのを眺めているに過ぎない。

 諦めでもないし、投げやりでもない。

 ありがままを受け止める。

 そうありたいと思える自分なりたいという願望も込められてはいるが。



 並木道を抜け、教棟の正面玄関へと辿り着く。

 安らぎの時もつかの間。

 グラウンド同様、普段通りの学校といった雰囲気。

 ジャージ姿の生徒が行き交い、華やいだ空気に包まれている。

 落ち着いた時の過ごし方も良いが、こういうのもまた悪くはない。

 いつまでもこんな時がと思いつつ、少し早足になってきたショウに追いすがる。

 今のこの人に、情緒を求めるのは無理のようだ。



 食堂以外の教室も開放されていて、正面玄関に一番近い教室で食事を始めるショウ。

 置いてあるのはおにぎりとお茶だけ。

 これだけでは寂しいと思うのか、たまに人が来て一つ手に取りそのまま帰って行くだけ。

 確かに、おかずの一つくらいは欲しいところだな。

「良いの?」

「梅なら」

 私の聞きたい事ではなかったが、至って満足げにおにぎりを食べ進めていくショウ。

 人間、炭水化物だけでも大丈夫らしい。

 私はさっき食べたばかりで、さすがにもう入らない。

 後はショウが食べ進めるのを見ているだけ。

 それだけで胸一杯。

 なんて甘い事でも言いたくなる。



 おにぎりを食べ終えお茶を飲み、一息つくショウ。

 午後の競技も間もなく開始。

 このまま二人でゆっくり過ごしたいと、私は思う。

 ただ彼は黒沢さんに頼まれて、機材の運搬を手伝っている。

 私が言えば一緒にいてくれるだろうが、それは彼の本意ではない。

 だとすれば、ここで私のわがままを優先しても仕方ない。

「お別れだね」

「旅行でも行くのか」

 ごく普通に尋ね返してくるショウ。

 確かに、言い方がちょっと唐突だったな。

「荷物、運ぶんでしょ」

「いや。午後からは、競技に出るよう言われてる」

「……それは断っても良いんじゃないの」

 何というのか、彼にはイメージがある。

 私が勝手に抱いている。

 もしくはこの学校の女子生徒が抱いているイメージが。


 100m走や走り幅跳びなら別に良い。

 ただ出場を頼まれるのは、元々参加者の少ない競技。

 彼がパン食い競争をする姿は、私はあまり見たくない。

「障害物競走でもやるの?」

「特には聞いてない。ただ、頼まれたからには出ないとな」

「断るって言葉知ってる」

「俺が断ると、困る人もいるだろ」

 さらっと答えるショウ。

 だったら自分が困る、なんて事は考えないらしい。

 本当、この人ほど外見と内面が一致する人も珍しいな。




 そういう訳で、再びグラウンドへと戻ってくる。

「来たな」

 薄く笑い、スケジュール表をチェックするケイ。

 人買い商人って、もしかしてこんな感じかな。

「機材の運搬じゃなかったの」

「それもやる。人の手配もする。ユウが出ない分は、ショウが出る」

「変なのに出さないでよ」

「玲阿ブランドは守る。でも、そのさじ加減は俺がする」

 私の意図は分かってる様子。

 ただ、相手が相手。

 ある意味天満さん直系で、この手の事に関しては信用が出来るというか出来ないというか。

「とにかく、真っ当な競技に出てもらっては困る。仮装競争が一人空いてるけど」

「玲阿ブランドはどうしたのよ」

「細かい女だ。じゃあ、これは御剣君と」

 御剣君にもイメージはあるだろうけど、御剣ブランドまでは関与してないのでそれはスルー。

 我ながら、多少ひどいとは思うが。



 まずは障害物競走にエントリーされるショウ。

 さっき、変な事を言ったのがまずかったのかな。

 しかしスタートラインに並ぶと、場違いというか一人浮いてる感じ。

 羊の群れに狼が間違えて入り込み、所在なげにしているとでも言おうか。

 もう少し華やかな競技か、戦いの意味合いが濃い競技にして欲しかった。

「それでは障害物競走を始めます。選手の方は、位置について下さい」

 一斉に構えを取る選手達。

 ショウは遠慮してか、集団の後方に待機。

 まあ、障害物競走であまりやる気を出されても困るけど。



 スタートを告げる高らかな号砲。

 勢いよく走り出す選手達。

 まずは網くぐり。

 即座にもたつき出す選手達をよそに、ショウは素早く身を伏せて匍匐前進で網を突破。

 いきなりトップに躍り出る。

 正直あまりこの競技で目立つのもどうかと思うが、手を抜く性格ではないので仕方ない。

「恰好良いの、あれは?」

 ぽつりと呟くサトミ。

 それは私も知りたいところだ。


 次ははしごくぐりの連続。

 これもまた妙にしなやかな動きで、するするとはしごのステップをスライディング気味に通過。

「ウナギかよ」

 お腹を抱えて笑うケイ。

 笑い事ではないが、言い得て妙だな。

「というか、手を抜け。手を。盛り上がらないだろ」

「生真面目な子なのよ」

「空気を読まん奴だ。おいおい、本気か」

 ケイが呆れた理由は、ショウが平均台をワンステップで飛び越えた事。

 つまりは地面を踏み切り、平均台に着地。

 次の瞬間には、反対側の地面に到達。

 バランスを崩すとかよろめくとかは一切無く、行く手を遮る高い塀もロープを伝ってあっさり登坂。

 ダントツどころではない早さでゴールを通過し、優勝を決める。


 どっと沸く観客席。

 サトミ達の感想はともかく、見ている人達は意外に面白かった様子。

 この後にゴールする人達の心境までは、私には分からないが。

「今日は、玲阿君による玲阿君のための玲阿君デーじゃないんだぞ」

「良いじゃない、それでも。ねえ、ユウ」

「私に言われてもね。ただ明日は雪野優による、雪野優のための雪野デーになるから。私がニャンに勝って」

「二人揃って、つくづく幸せだな」

 しみじみ呆れられた。

 幸せで、一体何が悪いのよ。




 戻ってきたショウにタオルを渡し、労をねぎらう。

「大人げないぞ、お前」

 私が声を掛けるより早く、彼を諫めるケイ。

 ショウは何がという顔で、タオル越しにケイを見る。

「お前一人でやってる訳じゃないんだ。周りを見て行動してくれ」

「勝つためにやってるんだろ」

「……機微って言葉を知ってるか?吉備団子の事じゃないぞ」

「やるからには全力を尽くす。手の抜く方が、却って失礼だ」

 彼の言葉に感嘆の声を漏らす、周りにいた生徒。

 確かに、今の一言は恰好良かったな。

 さっきの行動はともかくとして。

「もう良い。次は二人三脚だ」

「相手は誰」

 思わず出てしまう低い声。

 まさかと思うけど、女の子じゃないだろうな。

「ユウが出たいなら、今すぐ登録する」

「怪我したら困るだろ」

「そう言うと思ったから、相手は決めてある」

「出番ですか」

 かなりげんなりした顔で現れる小谷君。

 すでに場の空気を読んでいる事からも分かるように、ケイの意図も二人三脚の性質も分かっている人。

 何か言い含められてるかも知れないな。



 再びスタートラインに立つショウ。

 その隣で、苦い顔をしている小谷君。

 足を引っ張れとまでは言われてないにしろ、急ぐ必要はないくらいの指示は受けてると思う。

「無駄だと思うよ、私は」

「何が」

「小谷君の体重ならって意味」

「その意味が分からん……。おい」


 先程とは違う、素早いスタート。

 小谷君の体を抱えるようにして、軽やかに宙を舞うショウ。

 人一人分の体重を全く感じさせない動きで、これには再び観客席が沸き上がる。

 それは彼の早さにもだろうけど、その真剣さに対してだとも思う。

 また早いと言うより、一人違う競技をしているペース。

 正確には二人だけどね。


 さすがにこのままでは危ないと思ったのか、小谷君もショウの動きに合わせて走り出す。

 息が合い出せばペースはさらに加速し、今度もダントツで優勝。

 他の選手達は、まだ半分も走り終えていない。

「お疲れ様」

「え、ああ。はい」

 呆然とした顔でタオルを受け取る小谷君。

 一応軽く屈伸をしてもらい、怪我がないか確認。

 特に痛む所も無いようで、それに一安心する。

「俺の話、聞いてたか」

 未だに喘いでいる小谷君越しに話しかけるケイ。

 ショウはペットボトルのお茶を飲み干して、それを彼に放り投げた。

「話は聞いた。でも、俺はやる」

「さっき言ったはずだぞ。玲阿君による、玲阿君のための玲阿君デーじゃないって」

「それは知らん。出るからには全力を尽くす。それだけだ」

 あくまでもそこは譲らないショウ。


 ただ彼にしては少し頑な。

 手を抜くという表現はともかく、周囲への配慮が出来ない子ではない。

「……君はもしかして、高校生生活最後の体育祭だからって思ってるのかな」

「まさか」

 少し上ずる返事。

 ケイは頭を押さえ、私達一人一人の顔を指さした。

「最後なのはお前一人じゃない。ここにいる人間もそう。お前と一緒に走った人間もそう。見ている生徒もそう。それについてはどう思う」

「それも含めてだろう。俺は俺に出来る事をする。手を抜く方が失礼だってさっき言わなかったか」

「空気を読むんだよ、空気を。周りの目が冷たいなとか、妙に張り詰めてるなとか。そういうのは感じないのか」

 そう語るケイだが、周囲の反応はむしろ逆。

 彼への期待が高まってきているように感じられる。

「良いじゃない。いっそ全種目優勝を狙えば」

 他人事のように話すサトミ。

 ショウはもともとそのつもりだったのか、ごく自然に彼女へ頷いて見せた。

「そういう苦情は、全部俺の所に来るんだぞ」

「だったらショウの代わりに自分で出たら」

「くっ。あー、神様。俺が何か悪い事でもしたって言うのか」

 そんなの、今更尋ねるまでも無いじゃない。




 トラックでは男子の100×4リレーが行われ、ショウは一旦休憩。

 座っている彼の肩を揉んで、疲れを取る。

「まだまだやれそう?」

「出来る限りの事はする」

 何とも頼もしい言葉。

 空気を読まないというのは、私も少し思わなく無い。

 ただ出場する以上全力を尽くしたいと言う彼の姿勢も共感出来る。

 だとすれば、私に出来るのは彼を応援する事くらいだ。

「失望したよ。君に期待した僕が馬鹿だった」

 部下を叱責する嫌な上司みたいな事を言い出すケイ。

 ショウは何がという顔で、彼を見上げる。

「君は機材の運搬に格下げだ。最後に借り物競走があるから、それにだけ出なさい」

「俺はまだ戦える」

「チャンスは二度も三度もないんだよ。君は自分でその機会を逃したんだよ。家に帰って、その事実を噛み締めなさい」

 そんな大げさな話ではないと思うし、むしろ裏方の方が良い気もする。

「最後も本気を出すぞ」

「本気でも元気でも勝手に出してくれ。俺は天満さんに顔向け出来ないよ」

「天満さんが関係あるのか」

「あの人はこういうイベントを盛り上げるのが本当に上手かった。三島さんの使い方とかも含めてさ。三島さんも、その辺の空気を良く読んでたし」

 嫌みを言い残して去っていくケイ。


 三島さんといえば、かつての学校祭強。

 そして今学校最強と呼ばれるのは、言うまでもなくショウ。

 必然的に比較の対象となり、前年度までは色々と言われていたらしい。

 ただこれはケイが言うように、三島さんはショウよりも神経が細やかで空気を読むタイプ。

 自分の意志がない訳ではなく、学校への思いが私達とは少しレベルが違う。

 結果こういう行事でも、彼が出なくてもと思うものにまで参加。

 そういう部分も含め、彼は強く支持を受けていたんだと思う。

「俺が間違えてるのかな」

 さすがに今の言葉は堪えたのか、多少不安げな表情になるショウ。

 でも、それは今更。 

 軽く彼の背中を撫でて、気にしないように告げる。

「三島さんは三島さん。ショウはショウでしょ。大丈夫だって」

「そうかな」

「そうだよ。張り切っていこう」

「ああ」

 最後は爽やかに笑って立ち上がるショウ。

 私はもう一度その背中を撫でて、彼を送り出す。

 頼もしく大きな背中。

 私にとって、いつも最高の場所にある人を。




 三度スタートラインに並ぶショウ。

 当然盛り上がる観客達。

 ケイは鼻を鳴らして、醒めた目を彼に注いでいる。

「もっと素直な子だと思ってたよ、僕は」

「誰よ、僕って。大体あれはあれで素直じゃないの」

「たまに変なスイッチが入るんだよな。体育祭だからって浮かれてるのか」

「というか、浮かれて悪いの?」

 反論ではないが、控えめにショウをフォロー。

 あまり空気を読まない行動なのは確かだが、張り切って悪い理由はない。

 ケイは他の3年生も高校生活最後の体育祭と指摘した。


 ただ逆に言えば、彼にととってもそれは当てはまる。

 3年間堪え忍んできた彼が、少しくらいは羽目を外しても悪くないと私は思う。

 それが障害物競走であったり、二人三脚なのはともかくとして。


 やがて聞こえる号砲。

 そして歓声。

 トラックを走っていく選手達の中に、ショウの姿も見える。

「これは運の要素が強いでしょ。牛一頭なんて書かれてたら、その時点で終わりじゃなくて」

 笑い気味に尋ねるサトミ。

 そこまで行くと運以前の問題だと思うが、彼女の言う事も確か。 

 走るのはともかく、何を借りてくるかには大きく左右される。

 グラウンド内で手に入る物を想定はしているにしろ。


「……こっちに走ってくるわよ」

「そういう事もあるだろ」

 投げやりに答えるケイ。

 サトミはもの言いたげに、彼の顔をじっと見る。

「何か仕組んだ?」

「全然。ただ、玲阿君による玲阿君のための玲阿君デーなのはよく分かった。あいつ、一生分の運を使い果たしたな」

「そんな大げさな借り物?」

「他の人間にとってはどうか知らない。でも、ショウにとってはどうなのかな」

 少し笑うケイ。

 いつもの皮肉っぽさは影を潜め、おかしそうに、楽しそうに。 

 どうしてか。

 その理由は、考えるまでもなく証明される事となる。


 グラウンドと観客席を右往左往する選手達。

 そんな中、真っ直ぐ通用門を引き返してくるショウ。

 借り物が書かれたメモ用紙を握りしめ、彼は真っ直ぐ私達の所へと走ってくる。

「本当に、仕組んでない?」

「運が悪かったんだろ。いや、良かったのか」

「何の話?」

 戸惑う私の前に押し寄せる突風。

 目の前を通り過ぎていったショウはすぐに引き返してきて、私の手を握りしめた。

「行くぞ」

「どこに」

「ゴールに」

「何が書いてあるの?」

 ここでようやく、さっきのサトミの言葉の意味に気付く。


 つまり私か私達を選択するしかない事が書かれているのではないかと。

「俺は知らん。それより、悠長にしてる時間はないと思うけど」

 グラウンドを指さすケイ。

 目当ての物を手に入れたのか、得体の知れない巨大なぬいぐるみを抱えて走る生徒の姿が見える。

「私で良いの?」

「ユウ以外にはいない」

 いつにないはっきりとした答え。

 そこまで言われて、体調維持がとは私も言えない。

 何より私にとっても最後の体育祭。

 少しくらいは羽目を外しても良いだろう。



 次の競技に備えて控えている生徒や運営側の生徒。

 その間を素早く駆け抜け、通用門からトラックへと出る。

 どっと沸き立つ観客達。

 その声に圧倒されつつ、だけど速度を落とさずゴールを目指す。

 握ったっても離さない。

 ショウも離そうとはしない。

 手を繋ぎ、息を合わせ、足並みを揃え。

 トラックを大きく周り、ぬいぐるみを追い越し、野次とも歓声とも付かない声を浴び。

 女子生徒が持っているテープを、二人並んで通り抜ける。


 温かい拍手と歓声。

 ショウに渡される、優勝の証しである小さなシールと記念品。

 陸上競技はメダルだが、こういうどちらかといえば軽い競技はシール。

 ただそれはジャージに張れるため、むしろメダルより使い勝手は良いかも知れない。

 彼の胸元にはすでに二つ、赤いシールが貼られている。

 そして三つ目が、その下へと追加された。

「おめでとうって言いたいんだけど。何を借りてくるって書いてあるの?」

「それは、その。いや、別に変な事は書いてない」

「ふーん。まあ、いいけどさ」

 話し込んでいる間にも、選手達が次々にゴールしてくる。


 さっきの変なぬいぐるみ。

 大きなお弁当。

 年配の先生。 

 統一性はなく、ショウが引いたメモもやはり偶然。

 何かが上手く噛み合った結果、私はここにいるんだろう。

「で、何が書いてあるの」

「その内話す。本当に、変な事は書いてない」

 変な事が何を差すのか分からないが、多分言っている通り。

 私が不快になる内容ではないんだろう。

「それで、良い思い出になった?」

「ん。まあ、それなりに」

「控えめな思い出だね」

「俺はこのくらいがあってるんだよ」

 彼の胸元に張られた3枚のシール。

 陸上競技に比べれば軽く見られがちな物。

 だけど彼は、誇らしく微笑む。

 彼らしいささやかな、微笑ましい態度で。




 その後のショウは運営側に回り、機材の運搬。

 私は自警局の本部へ戻り、モトちゃんの手伝い。

 顔を合わせないまま、1日目の日程が終了する。

 ショウは引き続いて後片付け。

 私も自警局で、似たような事。

 気付けば空には星が瞬き、肌寒い風が吹いてくる。

「ユウ、もう良いわよ」

「そう?」

「明日もあるんだから、今日は早く帰って休みなさい」

「分かった」 

 モトちゃんの厚意を素直に受け取り、他の子にも挨拶をして自警局のブースを出る。


 薄暗い学内の通路。

 点々と灯る街灯。

 その光に浮かぶ、通路を囲む雑木林。

 夜に一人で歩く事は滅多になく、目が悪くなった後は記憶がない。

 前ほど見えにくくはないが、この中を一人で帰るのはちょっと無理。

 物理的にというより、精神的に。

 ここは恥を忍んで、誰かに頼んで一緒に帰った方が良い。

「一人で帰るなよ」

 振り返ったところで声を掛けられ、つい指を差す。

 どうしてここに。

 いや。それは今更か。



 通路に響く靴音。

 ぼんやりと浮かぶ影。

 夜風に吹かれ、葉擦れの音が闇の彼方から届く。

 澄んだ空に浮かぶ幾つもの星。

 さっきまでは怖いと思っていた景色も、今は穏やかに受け入れられる。

「目、大丈夫か」

「歩くくらいならね」

 そう言って、ショウにすがっていた体を少し直す。

 この明るさなら、ゆっくり歩くだけならどうにかなる。

 ただ昔のように、暗闇の中でも遠くまで見通す事は不可能。

 今雑木林の中に入れば、方向感覚を完全に見失う。


 ショウにすがるのも、甘い気持ちからではない。

 目が悪いからという、身体的な理由。

 それを良しとすべきなのか、自分のふがいなさを嘆くべきなのか。

 今は、あまり深く考えない方が良いだろう。

 せっかくの二人だけの時間を、おかしな考えで埋めたくはない。

「大丈夫か」

「見えてるよ。街灯の明かりが届く範囲は」

「俺がいなくても?」

 少し真剣さを帯びる彼の口調。

 蘇る昼間の思考。


 彼は来年には士官学校へ進学。

 その先は、こうして私を支えてくれる事は出来ない。

 いなければ困る。

 それは言うまでもない話。

 夜道を歩くのも。

 何より、私の気持ちとして。


 泣いてすがれば、彼は士官学校への道を諦めるかも知れない。

 そうすれば大学に進学し、今までと変わらない時間を過ごせるだろう。

 理想的な話。

 甘い、自分でも笑ってしまうような。

 それも選択の一つではある。

 決して否定もしない。


 だけど彼が私を心配するように、私も彼の事は思っている。

 彼自身が追い続けた夢。

 お父さんの後を継ぎ、軍へ進む事を。

 それにどれほどの価値が、意味があるのかは私には正直分からない。

 でも彼がそれを強く望むのなら、彼にとってはそれだけの意味がある。

 だとすれば、私がそれを阻む理由はない。


「困るよ。でも、今は一緒にいられるから」

「ああ」

「それとも、泣いてすがった方が良い?そういうのが良いのなら」

「そういうタイプじゃないだろ」

 笑い気味に返すショウ。

 それもそうだと思い、笑って彼にすがる。

 ほんの少しだけ。

 ささやかに身を寄せる。


 私にとっては精一杯の勇気を振り絞り、私の気持ちを込めて。

 目が悪いからではなく、彼に寄り添っていたいという思いから。

 冷えた肩に添えられる彼の手。

 伝わるぬくもり。

 彼の思い。

 重なる影に従い、私達は夜道を行く。






    






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