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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第41話
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41-10






     41-10




 結局、その話題はそれきり。

 お互いに分かっていた。

 それを避けて、敢えて触れなかっただけで。

 またそれを意識してしまえば、後は早い。

 何もかもが。




 差し出されたお茶を飲み、添えられたクッキーをかじる。

「お代わりは?」

「少しぬるめ」

「はいはい」

 マグカップに注がれる紅茶。

 両手を添えて差し出されたそれを受け取り、程よい暖かさにため息を付く。

「肩揉む?」

「少し弱め」

「はいはい」

 優しく、やはり程よい力加減で圧迫されていく肩と首。 

 思わず目を閉じて、しばし別な世界旅だってしまいそう。


 気付くと完全に寝込んでいて、膝にはタオルケットが掛けられていた。

「はい」

 そっと差し出されたティッシュで口を拭き、軽く伸びる。

 少し寝たせいか、体が軽くなった気分。

「ちょっと直すわね」

 髪を後ろから撫でられる感覚。

 寝癖でも付いてたかな。

「何をしてるの、あなたは」

 醒めた目で私を見下ろすサトミ。

 何をしてると言われても、何一つしていない。

「亭主関白?それとも、お嬢様?」

「……ああ、そういう事ね」

 あまりにも彼女が私の世話を焼いてくれるので、その事にすら意識が及ばなかった。

 良妻賢母って、多分こういう人を言うんだろうな。

 でもってサトミは、間違いなく小姑だろうな。



 不穏な空気が流れたので、軽く咳払い。

 冷えてたはずのお茶は、いつの間にかいれたて。

 私がいつ起きても良いように、準備をしてくれたようだ。

「厳しく育てないと駄目なのよ、この子は」 

 口から火を噴きそうな顔で言い切るサトミ。

 この人は、私の親か。

 大体厳しくされて良かった思い出なんか、何一つ無いけどな。

「文句でもあるの?」

「全然。私は良いから、サトミの世話でも焼いてあげて」

「結構」

 口では断りつつ、いつの間にかマグカップを手にしているサトミ。

 この人も、なんだかな。



 サトミの事はともかく、いつしか自警局へ溶け込んでいる彼女。

 自分の存在をアピールする訳でもないし、かといって片隅で小さく縮こまってる訳でもない。

 普通にその場にいて、それを誰も疑問に思わない自然さ。

 特に何かをしてる用ではないが、お茶を運んだり書類を揃えたり、受付を手伝ってみたり。

 私達の中にはあまりいないタイプ。

 思い付くのは、木之本君くらいかな。

「彼女、転校してこないの?」

 希望の込められた口調で尋ねてくるモトちゃん。

 彼女も、私と同じような考えを抱いたようだ。

「転校はしてこない。さっき聞いた」

「残念ね。ああいうタイプ、貴重なのに」

「まあ、いないよね」

 私が言う事でもないが、本当にいない。


 私やサトミは論外。

 モトちゃんは彼女寄りだが、指導者としての立場が求められるし裏方に徹しきれもしない。

 渡瀬さんは、私と同じ。

 神代さんも変な好き嫌いがあるし、人への距離感を生みやすい。

 緒方さんは、それへ輪を掛けた感じ。

 それこそ、お茶を頭から掛けそうなタイプ。

 真田さんも大人しいが、心の内ではという性格。

「あの人、転校してこないんですか」

 モトちゃんと同じ質問をするエリちゃん。

 この子も出来なくはないが、モトちゃんと同じ。

 裏方には徹しきれないし、意外に性格は過激。

 そう考えると、私達はろくでもない集団だな。




 少し気持ちが沈んできたので、ソファーから起き上がり体を動かす。

 やっぱり、じっとしてるのが良くないな。

「出かけるの」

「うん」

「はい」 

 手渡されるスティックとタオル。

 スティックは背中へ付けて、タオルで軽く顔を拭く。

 これで準備万端。

 後は出かけるだけだ。

「帰りは?」

「すぐ戻る」

「行ってらっしゃい」

「行ってきます」

 つくづく、夫婦じみてきたな。




 自警局を出て、生徒会のブースを眺めながら廊下を歩く。

 さすがにここで暴れている生徒はおらず、もしいたとしたらかなり末期的。

 私も、草薙高校のあり方なんて事を考えたくなる。

 ただ以前は薄れていたエリート意識。

 自分達は選ばれた存在であり、普通の生徒とは違う。

 そんな態度を示す生徒が、また増え始めている感じ。

 仕方ないと言えば仕方ないが、そんなに面白い話でもない。


 生徒会はその名の通り、生徒の集まり。

 矜恃を持つのは構わないが、それが過剰になりすぎるのはどうかと思う。

 とはいえ自分も生徒会の一員。

 案外、陰ではそう非難されているのかもしれない。



 やがて生徒会のブースと、一般の教室があるその境目へと到達。

 そこでつい、声が出てしまう。

「……何、これ」

 いわば入り口に当たる部分。

 ドアや仕切りがある訳ではなく、単に「生徒会」とプレートが壁に掛かっていただけの場所。

 少なくともさっき通った時は、それしか見なかった。

 でも今は、その隣に一枚の注意書きが追加されてある。

「一般生徒の立ち入りを禁ずる」と。


 すぐに注意書きへ手を伸ばし、それを丸めてポケットに入れる。

「何してるの」

「ふざけすぎてるから、捨てる」

「勝手に決めないで」

 小さくため息を付くサトミ。

 ただ誰が何を言おうと、これをこのままにしておく訳にはいかない。

 この先見かければ何度でも破る。

 せっかく新しく生まれ変わったこの学校を汚すような事は、断じて見過ごせない。

「だってこれ何よ。誰が決めたの」

「そういう組織なのは分かってるでしょ」

「分からないし分かりたくない。あー」

 壁を手の平で叩き、思わず叫ぶ。

 ここまでの怒りというか苛立ちは久し振り。 


 生徒同士のトラブルも、勿論楽しい事ではない。

 だがこれはまた、違う性質。

 より精神の奥に突き刺さる不快感。

とにかく、我慢が出来ない。

「こういう事を無くそうって考えないの?」

「それは、自警局としての仕事ではないでしょ」

「ああ?」

「そういう声を出さないで」

 額を抑えてため息を付くサトミ。

 まるで、人が問題児とでも言いたそうだな。

 もしくは、言ってるな。



 ざわめきと足音。

 それに反応し、後ろを振り向く。

 大勢の生徒を引き連れて歩いてくる、矢田総務局長。

 向こうも私達に気付いたようで、しかし今更引き返す事も出来ない様子。

 自然と、破れたポスターの前ですれ違う事となる。

 ポスターにも気付いたみたいだが、それを口には出さない。 

 ただそちらへ意識を向けたのなら、これの存在を知っていたという事。

 聞きたくはないが、聞かずにはいられない。

「このポスター、何」

「私は知りません」

「張り出した人間を探してる訳じゃない。どういう意味で張ったのかを聞いてるの」

「無用な混乱を招かないためです」

 さらりと答える矢田局長。

 何だ、混乱って。

「ユウ、落ち着いて」

「私はいつでも落ち着いてる」

「へぇ」

 平坦な口調で感心するサトミ。

 大丈夫だっていうの、まだ。


 総務局長達は、生徒会のエリア。

 私達は、一般教棟のエリア。 

 自分達の立場を示すとは言わないが、結果的に対峙する恰好となる。

「とにかくポスターは認めない。立ち入りは自由。襲撃でもされてない限り、基本的に制限は設けない」

 これは絶対に譲れない一線。

 元々私が生徒会に抱いていた不満でもある。

 前は結局、それを言いっぱなしで終わるだけだった。

 でも今は、それを実行するだけの力もある。立場にいる。

 だとすれば、その力をふるうのにためらいはしない。

「今でも生徒会は、十分に開かれた組織です」

「ポスターは、二度と張らないと考えて良いの」

「生徒会全員の行動は把握出来ません」

 あっさりと不可能だと告げる矢田局長。

 彼の後ろから漏れる失笑。


 いかにもといった雰囲気の連中。

 それこそ、口を聞くのもおこがましいと言わんばかりの。

「一連のお話は、生徒会の総意と考えてよろしいんですか」 

 静かな口調で尋ねるサトミ。

 総務局長は首を振り、「ただ」と付け加えた。

「先日襲撃があった事からも、ある程度の制限を加えるべきとの意見はあります。立ち入り禁止はやり過ぎにしろ、ドアやIDチェックは必要でしょう」

「生徒が生徒を疑うんですか」

「今は仕方ありません」

「では、解決する目処があるとでも?」

 皮肉とも言えるサトミの質問には答えない総務局長。

 実際答える気もないだろう。


 彼自身が、生徒会と一般の生徒との分離を求めてるとまでは思わない。

 ただその流れに乗っているのなら同じ事。

 結局はそちら側の人間に過ぎない。

「我々は忙しいんだ。局長、お時間が」

「え、ああ。そうですね」

「そんなに暇なら、自分達で書いたらどうだ。一般生徒も自由にお立ち入り下さいって」

 集団のどこからか聞こえる声。

 そして哄笑。

 馬鹿馬鹿しくて相手にならないと言いたげな。


 ただそう思ったのは、私の主観。

 違う捉え方をした人間もいたようだ。

 それは彼の主観というより、曲解だろうけど。

「浦田君」

「お急ぎなんでしょう。お早くどうぞ」

「おかしな真似は、絶対しないように」

「まさか。そんな滅相もない。僕は常に、生徒会の事しか考えてませんよ」

 へらへらと、へつらうように笑うケイ。

 それに再び失笑が起き、総務局長は集団に押し流されるように私達の前から去っていく。



 そして残ったのは、未だに笑っているケイ。

 悪魔が人間から言質を取ったら、こういう顔になるのかも知れないな。

「ペンキが良いか、それとも削ってみるか。どうすればいいと思う」

「ポスターで良いんじゃないの」

「破られるだろ。それだと」

 少し膨らんだ、私のポケットを指さすケイ。

 それもそうか。

 ただペンキも削るのも、おおよそ常軌を逸してると思うが。

「取りあえず、専門家を呼ぼう」



 連絡を受けて駆けつけたのは木之本君。

 話を聞いた彼は曖昧に笑い、じっとケイを見据えた。

「冗談、だよね」

「俺はいつだって、真剣に生きてるよ」

「ペンキは良くないよ。削るのも論外だと思う」

「でも、立ち入り禁止は良くないだろ」 

 ぎこちなく。

 しかし、それでも頷いてしまう木之本君。

 間違いなく、術中にはまったな。

「そこで、何か良いアイディアは無いかなと思って。無いなら無いで良いけどね」

「ペンキも、削るのも無いよ」

「だから聞きたい。これはというアイディアを」

「……特殊な接着剤を使えば良いのかな。専用の溶液以外では剥がされないようにして。ただそれの上に張られると思うから、張り合いになる気もする」

 控えめに提案されるアイディア。

 どちらにしろ、私もこのままでは済ます気はない。



「持ってきました」

 次に現れたのは、細長い筒を担いだ御剣君。

 ケイはにやりと笑い、床へ広げるように告げた。

「何かやるんですか」

「御剣君、習字は」

「浦田さんよりは上手いと思います」

 至って普通に答える御剣君。 

 実家は古武道の宗家だし、多分私よりも上手い気がする。

「今から言う文章を書いてみて。一般生徒、大歓迎。ただいまサービス期間中」

「……何ですか、それは」

「言った通り書いてくれればいい。バランス良く頼む」

「はぁ」

 マジックを手に取り、床に広げられた大きな紙と向き合う御剣君。

 頭の中でイメージが出来たのか、右端から勢いよく大きな字で書き始めた。


 書き上げられた文章は、ケイが言った通りの物。

 ただこれが床にあると、相当に邪魔だと思う。

 というか、むしろ逆効果じゃないの。

「木之本君、このサイズで壁に貼れる?」

「出来なくはないけどね」

「じゃあ、これで行こう。御剣君、それは仮に張っておいて。後で、正式なのと張り替える。それと、署名も頼む」

「はぁ」

 相当納得いかないという顔で、しかし自分の名前を書き込む御剣君。

 彼の名前は、多分相当に絶大な効果を生むはず。

 今やショウより知名度が高いんじゃないかな。



 ポスターは彼等に任せ、私達はパトロールへと戻る。

 しかし、あそこまで露骨な真似をするとは思わなかったな。

 敵は身内にありではないが、ああいうのはとにかく許せない。

 私達の存在理由を根本から……。

「ん」

 至って普通の教室のドアに張られた、「臨時即売会」と書かれたポスター。

 こういう物なら大歓迎。

 むしろどんどん頑張って欲しい。

「何売ってるのかな」

「今、パトロール中でしょ」

「それも含めてパトロールなの」

「都合のいい話ね」

 そう言って、自分から先に入っていくサトミ。

 人の事言えないじゃないよ。



 机の上に並べられたアクセサリー。

 小さなビーズをつなぎ合わせた物で、意外に凝った作り。

 私なら紐へ通すたびに、ビーズを落としていくと思う。

「よろしかったら、手にとって見て下さい」

 愛想良く微笑む、売り子の女の子。

 取りあえず目に付いた一つを手に取り、かざしてみる。

 暖色系のビーズを組み合わせた、シンプルなデザイン。

 ちょっと可愛いな。

「これ、どうだろうか」

「派手じゃないの」

 私の顔とビーズを見比べるサトミ。

 何か勘違いしてないか、この子。

「私用じゃなくて、あの子へのお土産」

「ああ、そういう意味」

「どれが良いと思う?」

「寿司でも買って帰れよ」

 私は酔っぱらったお父さんか。



 結局初めに選んだビーズを買って、それを大切に抱えて自警局へと戻る。

 私は似合うと思うんだけど、本人はどう思うだろうか。

 いらないなんて言われたらどうしようか。

「おい、ライバル出現だぞ」

「何が」

 至って不思議そうに尋ね返すショウ。

 ケイは鼻を鳴らし、その大きな背中を軽く叩いた。

「君はとことん鈍いね。雪野優さんは、もう君の事は眼中にない。爽やかな春の風みたいな女の子に夢中なんだよ。君は捨てられたんだよ」

「それは違うだろ」

「馬鹿だな。そんな事言ってると、書き置きをして捨てられるぞ」

 何の話をしてるんだか。

 ただ、多少誤解を招く行動なのは確か。

 一応、一言断ってはおくか。


「そのさ。別に今言ったような事じゃなくてね。あの子とは、ただの友達だから。いや。ただって事はないけど」

「分かってるよ」

「そう?なら良いけど。ちょっと誤解してるかなと思って」

「俺はいつでも、ユウの事を信じてる」

 頭に置かれる大きな手。 

 伝わってくるほのかなぬくもり。 

 自然に心が癒され、温かくなる。

 背後から感じる、じっとりした視線はともかくとして。




 自警局へ着くと、すぐに彼女が出迎えてくれた。

 やはりタオルを手渡され、それで顔を拭くと今度はお茶。

 まずは一口飲んでソファーへ座る。

 後ろに回って肩を揉まれ、そのまま目を閉じて一休み。

 極楽って、結構身近なところにあるんだな。

「……いや、違う」

「え、もっと上?」

「そうじゃなくて、これ。お土産」

 さっき買ったビーズの入った紙袋を取手さんへ渡す。

 自分の顔とビーズを交互に指さす彼女。

 それに頷き、袋を開ける所をじっと見る。

「あら、可愛い」

 爽やかな笑顔を浮かべ、ビーズを手首にはめる取手さん。

 その笑顔が一際輝き、私の肩にそっと手が添えられる。

「ありがとう」

「良いよ、安物だし」

「その気持ちが嬉しいの」

「あはは」

 私も思わず笑い、彼女の肩に手を触れる。

 幸せ。

 そう、幸せな気持ちに満たされて。

 物言いたげな、背後からの陰気な視線は無視する事にしよう。


 その後は気分良く仕事を進める。

 つまりは気分が良ければ仕事もはかどる。

 といっても、回覧されてきた書類に目を通すだけだが。

「……これ、さっきのか」

 文面としては簡単な物。

 生徒会のエリアに関して、警備を強化。

 立ち入りのチェックを行う事も検討すると書いてある。

「モトちゃん、これって決定事項?」

「決定ではないけれど、そういう流れになってるのは確かね」

「私は反対してる」

「頼もしい事ね」

 軽く笑われた。 

 笑い事ではないと思うが、多分笑うしかないんだろう。

 実際、私一人が異議を唱えてどうなる物でもない。

「取りあえず、変な張り紙は捨てた」

「それ、クレームがあったわよ」

「立ち入り禁止なんて、冗談じゃないでしょ」

「まあね。木之本君達が何かやってたけど。あれは大丈夫?」

 そういえば、さっき何か頼んだな。 

 そんな事、すっかり忘れてた。



 私の部屋に行くと、机の上に張り紙が置いてあった。

 部屋といっても殆ど使っていないし、私物も無いが。

「これを張るの?」

「それはバランスが悪いから候補から外す。もう一度お願い」

 腕を組み、筆を走らせている御剣君を見下ろすサトミ。

 どういう立場から物を言ってるのかな、この人は。

「印刷すれば良いんじゃないの」

「サイズが大きいから、ここにあるプリンターだと無理なんだよ」

 御剣君の前に置かれている紙を指さす木之本君。

 確かにサイズはかなりの物で、さっき廊下で広げた物ほどではないがそれなりの大きさ。

 インパクトとしても申し分ない。

「……まあ、良いでしょう」

 ようやくOKを出すサトミ。

 その基準は分からないが、良いというからには良いんだろう。

「じゃあ、俺はこれで」

「ご苦労様。もう少しバランス良く書けるよう、練習しておいて」

「はぁ」

 肩を落とし、とぼとぼと部屋を出て行く御剣君。

 疲れてるな、人生に。


 彼が残した紙には、「どなたでも、ご自由にお入り下さい」とある。

 当たり前だが、サービス期間中は削ったようだ。

「ラミネート加工して、薬剤を塗って乾燥させてからだね。貼るのは」

「薬剤って何」

「接着剤が着かないような素材。上に張られないように」

「その時は、もっと大きい紙を貼られるんじゃないの」

 その質問には答えず、いつの間にか持ち込んでいたラミネート用の用紙に紙を挟む木之本君。

 これもサイズ的には機械を使えないので、アイロンか何かで熱処理するらしい。

 ただ彼の表情は優れず、作業もゆっくり。 

 もしかしてこの先の結果。

 次々に大きい紙を張り合う、なんて事を想像してるのかも知れない。


 ラミネート加工はすぐに終わり、糊みたいな薬剤が刷毛で塗られる。

 それを洗濯ばさみで挟み、壁際へ吊す。

 後は乾くのを待って、張りに行くだけか。

「ここまでやる必要あったのかな」

 私の疑問に、ぎょっとして振り返る木之本君。

 別に、そこまで変な事を言った覚えもないけどな。

「木之本君」

「僕、忙しいから」

 でもって、目も合わせないと来た。

 そこまで露骨に逃げなくたって良いじゃない。



「お茶は?」

「頂きます」

 取手さんが差し出したマグカップを受け取り、それに口を付ける木之本君。

 沈んでいた顔に浮かぶ安堵の表情。

 良いんだけど、ちょっと嫌だ。

「雪野さんは」

「お茶は、許容量に達した」

「だったら」

 笑顔と共に差し出されるふ菓子。

 それはありがたく受け取り、すぐにかじる。

 お茶とお菓子はモトちゃんとサトミとショウにも配られ、空気も和んでくる。


 何か特別な事をやっている訳ではない。

 ごく普通の、言ってみれば誰にでも出来る事。

 それを自然に、相手に気を遣わせずにやっているだけ。

 だけと言っても。それが誰にでも出来る訳でもない。

 気の遣い方だけを見れば、多分木之本君が似たタイプ。

 とはいえ彼女は、昨日この学校へ来たばかり。

 それでこれだけとけ込めるのは、才能というか人柄だろう。


 あまり認めたくはないが、敵を作りやすい私達には無理な話。

 サトミに至っては、論外だと思う。

「何よ」

「別に。さてと、そろそろ乾いたかな」

 干していたポスターを眺め、乾き具合を確認。

 見た感じは大丈夫だが、薬品を塗っている時点で手を触れたくはない。

「木之本君」

「大丈夫だと思うよ。でも、本当に貼るの?」

「貼るよ。許せないからね」

「貼ってくれるなら、まだ良いよ」

 嫌な妥協の仕方をする木之本君。

 まあ、良いけどね。




 ポスターをショウに持たせ、生徒会と一般教棟の境界線に到着。

 やっぱり壁だろうな。

「一般教棟側から見て、左手にお願い」

「意味あるのか」

 別にないけど、感覚的な問題だ。

 とは言わず、黙って壁の表面を手で払う。

 汚れもないし、大丈夫そうだな。

 何より、立ち入り禁止のポスターも貼ってない。

 後は手早く仕事を済ませて帰るだけだ。

「そもそも、貼る事に意味はあるのか」

「無いかもね」

 木之本君が聞いたら卒倒しそうな事を言い、貼る場所を指定。

 どこに張っても良いけど、やっぱり視線が届きやすい位置が良いと思う。


「……ちょっと待って」

「もう貼ったぞ」

 一度張れば、剥がすのはかなり困難。

 木之本君は、そう言っていた。

「いや、それは張ったままで良い」

「他に何かやるのか。……絵を描くとか言うなよ」

「あのね。そうじゃなくて」

 今貼ったポスターを書いたのは御剣君。

 署名欄は、生徒会自警局。 

 でも、それだけでは物足りない。

 少し弱い。

「自警局へ戻る」

「というか、これは武士が貼るんじゃなかったのか」

「そんな事はどうでも良い。ほら、早く」

「たまにひどいぞ」

 小声で言わなくても良いじゃないよ。




 走って自警局へ戻り、息を整えながら奥へと進む。

「早かったのね」

 差し出されたのは、タオルではなく良い匂いのするハンカチ。

 それで額の汗が拭われ、にこりと笑われる。

 私もにこりと笑い返し、その手を持って歩き出す。

「思い出を作りに行こう」

「はい?」

「この学校に来た思い出を作りに行くの」



 到着したのは、私の執務室。

 机には、さっきと同じ紙と習字の道具が並べられる。

「全く意味が分からないんだけど」

 珍しく困った顔をする女の子。

 その様子を見ているサトミは、また始まったという顔だが。

「さっきと同じ文章を書いて。いや。同じじゃなくても良いから、似たような事を書いてみて」

「どうして私が」

「この学校の生徒でなくても、立ち入りが自由。つまりは、一番目的に合ってる」

「ほんとに合ってる?」

 何とも怪訝そうな表情。

 深く考えると、私もそこは疑問が残る。

 私以外の人は、疑問しか残ってないようだが。

「難しく考えなくて良いから」

「同じ文章で良いの?」

「それは良くない」

「え」

 筆を持ったまま固まる取手さん。

 サトミの瞳が鋭く光ったようにも思えるが、気にしないでおこう。


 まずは下書き。

 試しに数枚書いてもらう。

 正直言えば、文章はそれ程凝らなくても良い。

 彼女の書いた文章がこの学校に残る。

 それが大切なんだと思う。


「……これでいいかしら」

 控えめに差し出されるポスター。

 文章は、御剣君の物とそれ程大きな違いはない。

 ただ文字はもっと繊細で、柔らかいタッチ。

 多分これを見るたび、私は思い出すんだろう。

 彼女がこの学校にいた事を。

 わずかの間でも、この学校で共に過ごした事を。

「……駄目だ」

「え、何か間違えてる?」

「署名。名前が入ってない」

「ええ?」

 声を裏返して驚く取手さん。

 これにはサトミも、さらに眼光を鋭くする。

 鋭くしたまま、とうとう口を出してきた。

「いくら何でも、名前はないでしょう」

「思い出だよ」

「……だったら、雪野優って書いてみたら」

「それはちょっと」

 さすがに私でも、自分の名前入りなのは抵抗がある。

 だったら人に強要するなという話だが、それとこれとは意味合いが違う。 

 そういう事にしておこう。



 結局署名は取りやめ。

 文章も別な物にして、これもラミネート加工。

 薬品を表面に塗って、乾くのを待つ。

「本当に貼るの?」

「誰が何と言っても貼る。絶対に剥がされないようにする」

「剥がされた方が、むしろ助かるんだけど」

 最後の台詞は聞かなかった事にして、乾き具合を確認。

 大丈夫そうなので、洗濯ばさみを外してポスターを手に取る。

 勿論、彼女の手も。

「行こう」

「止めない?」

「大丈夫」

「その言葉って、本当にどういう意味があるの?」 

 それは私も興味があるな。




 手を繋いだまま生徒会と一般教棟の境界線に到着。

 さっきのポスターは、張った時と同じ状態。

 悪戯書きも出来ないと木之本君は言っていたので、上から張られない限りは大丈夫なんだろう。

 そうされたらされたで、改めて張るだけだが。

「隣に貼ればいいのかな。でも、それだと重なるか」

「重なっても良いじゃない」

「……分かった」

 取手さんの手を引き、境界線をまたいで生徒会のエリアに戻る。

 引き返すと思ったのかその表情が一瞬ほころぶが、私がすぐに足を止めたので笑顔が薄れる。

「ここにしよう」

「生徒会じゃないの、ここは」

「問題ない。少し奥に入っただけだから」

「その言葉もたまに聞くけど、どういう意味があるの?」

 非常に不思議そうな顔。 

 あまり深く突っ込まれると困るので、ポスターの裏に貼ってあるシートを剥がして貼る位置を確認する。

「目線だよね、やっぱり」

「天井でも構わないけど」

「私が構うの。……上、お願い」

「草薙高校に来たの、失敗だったかしら」

 なにやら呟いてるが、それも聞こえなかった事にしよう。


 作業的には、ポスターを張って軽く上から押さえるだけ。

 それもすぐに終わり、最後に剥がれてこないのを確認する。

「大丈夫そうだね」

「もう、剥がれない?」

「まず無理だって言ってた」

「そう」

 虚ろな笑顔。

 そこまで落ち込む事でも無いと思うんだけどな。

「じゃあ、戻ろうか」

「ええ」

 自然と結ばれる手。

 歩き出す私達。


 彼女を無理矢理引き立てる理由は、もう無い。

 共に過ごせる時間も、また。

 お互いそれを分かっているからこそ手を伸ばし、そのぬくもりを確かめ合う。

 話す内容はいつもと同じ。

 とりとめない、たわいもない事ばかり。

 昨日もしたような、普通の話。

 それを今日も繰り返す。

 明日も同じ事を話すはず。

 その日は、もう来ないとは分かっているが。




 自警局へ戻った所で帰り支度を始める取手さん。

 名古屋港高校なら下校時間を過ぎた頃。

 彼女は自警局の子達に挨拶をして回り、最後に私達の所へとやってきた。

「色々ありがとう。楽しかった」

「こちらこそ。いつでも来てね」

 優しい笑顔を浮かべ、彼女の肩に触れるモトちゃん。

 彼女も薄く微笑み、顔を伏せながら頷いた。

「ユウ。送ってあげて」

「大丈夫。ここで良いから」

「そう?」

「迷わないから、私は」

 くすりと笑いながらそう告げる彼女。

 それが私への言葉と分かり、みんなはひとしきり笑う。

 私も少し笑う。



 せめて学校の正門までとも思ったが、それも断られる。

 結局生徒会と一般教棟の境界線の所でお互い足を止め、向かい合う。

 私は生徒会側に。 

 彼女は一般教棟側に。

 そこには何も無い。

 プレートが掛かり、ポスターが二枚貼られているだけで。

 だけど今の彼女は、誰よりも遠く感じてしまう。

「また、連絡するわね」

「私もそうする」

「みんなによろしく。さよなら」

「さよなら」

 小さく手を振り、笑顔で去っていく彼女。

 永遠の別れではないし、会おうと思えば明日にだって会える。

 同じ学校に通わないというだけで。


 遠ざかる背中。

 その姿は、廊下を行き交う生徒の中へとすぐに消える。

 手を振る事も切なくて、追いかける事も出来ず。

 私は、ただその背中を見送った。  




 いつにも増してやる気が出ず、ソファーに座って時を過ごす。

 肩が揉まれる事もなければ、お菓子も出てこない。

 自然な表情で微笑みかけられ、心が安らぐ事も。

「それで、ポスターは」

 こちらも普段とあまり変わらない、静かな口調で尋ねてくるサトミ。

 少し冷たいなと思いつつ、張ったと告げる。

「剥がされないようにした?」

「初めに貼ったのと同じ。剥がすのは無理でしょ。ね、木之本君」

「特殊な溶剤を使わないとね。完全に剥がれるまでは3日くらい掛かると思うよ」

「隠される可能性は」

 声のトーンはあくまでも静か。

 ただ、質問を止めようとはしない。

「……上から張られる可能性はあるかもね。それは、初めから分かってたけど」

 さすがにそれを防ぐ手だてはないし、出来るとすればせいぜいこまめに見て回るくらいだろう。

 つまり実質的に、打つ手だてはない。

「アイディアはないの」

 私にではなく、ケイに振るサトミ。

 彼は鼻で笑い、通路側。

 つまりは自警局の外を指さした。

「何かあるの」

「総務局長様々さ。総務局へ行こうか」

 漂っている魂を追いかける悪魔って、こんな顔をするのかな。




 総務局局長執務室。

 ケイの申し出に、疑いの視線で応える矢田局長。

 ただ初めに提案したのは局長側。

 断る理由は何もない。

「では、境界線に警備の人間を常駐させてよろしいんですね」

「勿論。当然警備に関しては、自警局で行わせてもらう」

「その際、おかしな行動は取らないように」

「信用がないな。あそこに立つだけだよ。何もする訳無いだろ」

 わざとらしく笑うケイ。

 局長は信用ならないと言いたげに彼を見上げ、それでも了承したとの旨を告げた。

「これは決定事項で、後から取り消す事は出来ませんからね」

「当たり前だろ。境界線は、自警局の管轄下になるんだから」

「え」

「名目上だよ、名目上。深い意味はない」

 きびすを返し、早足でドアへと向かうケイ。

 局長の声も、もはや彼には届かない。

 油断したというか、見誤ったと言うより他無いな。




 監視カメラとマイクを設置。

 生徒会側にある境界線に一番近い部屋を開放し、ガーディアンの常駐場所に変更。

 ここに詰めるガーディアンのローテションも決める。

「カメラは好きじゃないんだけどな」

「無いよりましだろ」

「まあね」

「……映るよ」

 カメラに向かって手を振る木之本君。

 その映像が、私の端末にも送信されてくる。

「ポスターが映るようにしておいて」

「名目は、警備用なんだけどね」

 苦笑しつつ、ポスターを映像のセンターに据える木之本君。

 これで私も一安心。

 今日ばかりは、ケイに感謝しておこう。

 彼の真意とか、その悪辣さはともかくとして。



 端末の画面から目を離し、直にポスターへ目を移す。

 そこに書かれたのは、簡単な文章。

 御剣君が初めに書いたのと大差ない内容。

 ただ末尾の署名は少し違う。

 彼女の名前でもないし、私の名前でもない。


 名古屋港高校。


 この学校では無意味な、意味の通らない署名。

 だけど私には、何よりも価値を持つ言葉。

 あの学校に戻る事は、もう無いかも知れない。

 それでも、通っていた証しはここにある。

 彼女がここに通ってい証しとしても、また。

 私はそれを守ってみせる。





                  第41話   終わり










     第41話     あとがき




 名古屋港高校編でした。

 最近再設立された高校で、草薙高設立による統廃合で一度廃校になってます。

 「生徒の自治」以外の方向性を目指すため、草薙グループが再設立。

 つまりは草薙高校の系列校になります。


 で、取手さんの事を簡単に。

 名古屋港高校3年。

 大人しめの外見で、また大人しめの性格。

 強く自己主張をする事は無く、ただ非常に気が効く。

 押しつけがましいタイプでは無く、気付いたらやってくれていたという感じ。

 他人に対する理解度が深く、しかし押しに弱い。


 草薙高校で言う、木之本君タイプ。

 彼のように、苦悩する事は無さそうですが。

 こういう落ち着いたこの方が、ユウにはマッチするんでしょう。

 もしくは、反発し合わないと言いますか。


 ユウは何と言ってもスーパーヒーロー。

 仲間以外の人間からすれば、圧倒的に眩しく。もしくは嫉妬、敵意の対象。

 自分には敵わないと思うだけに、どうしても距離を置くか反発しがち。

 その辺を受け止める度量があるか(モトちゃんタイプ)、受け流せるか(ケイタイプ)。

 そういう人もいるんだと思えるか(木之本君タイプ)。

 逆にそれ以外の人は、ユウ達と合わせるのは大変だと思います。


 作中でケイが言っているように、ユウ達の能力は二桁くらいレベルが上。

 比較の対象になりません。

 本人達は、そういう自覚がないようですが。

 そのため勝負は常に圧倒的。

 苦戦はあり得ず、今後もそういう展開は無いと思って下さい。

 つまらんと言ってしまえばそれまでですが、中央政府をバックにする草薙高校と真正面から戦った生徒達。

 その辺の高校生が敵う相手ではありませんので。


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