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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第41話
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     41-9




 お土産のお菓子を少し持って、自警局へと戻ってくる。

 ここも購買同様、相変わらずの賑わい。

 いや。賑わいという言い方も少しおかしいか。

 それでも絶えず人が行き来しているのは確か。

 大変だなと人ごとのように思いつつ、文庫本を読んでいるサトミへお菓子を渡す。

「仕事、良いの?」

「少し休憩してるだけ。今日は、もう帰ったら」

「まだ終わる時間でもないでしょ」

「遅いわよ、多分」

 壁の時計へ流れる綺麗な切れ長の瞳。

 名古屋港高校なら、とっくに下校時間を過ぎている。

 そしてサトミの視線は、私の隣にいる女の子へと向けられる。

「慣れない所に来て、疲れてるんじゃなくて」

「まあ、少し」

「という訳」

「なるほどね。じゃあ、駅まで送る。行こうか」



 すでに日は落ち、正門へ続く並木道にも街灯が灯る。

 左右の雑木林は闇の中で、正直一人では歩きたくないな。

「今日は案内してくれてありがとう」

「ばたばたしてて、ごめん」

「いつも、あんな感じ?」

「それ程の違いはないのかな。多少の波はあるにしろ」

 風が吹き抜け、枯れ葉の目立ち始めた街路樹が音を立てて揺れる。

 情緒と言えば聞こえは良いが、あまり楽しくない情緒だな。

「怖いの?」

「暗いのはちょっとね」

「あんなに大きい男の子には平気なのに?」

「人間はいいけどさ。お化けはちょっとね」 

 何となく静かになる空気。

 改めて吹き抜ける風。

 確かに、お化けはなかったか。



 正門を抜ければ、薄気味の悪さも少しは薄れる。

 街灯の数も増えるし、民家や店の明かりが道に溢れる。

 道路には車が走っていて、そのヘッドライトや走行音が夜の静寂を薄れさせてくれる。

 それこそ情緒はないが、怯えて暮らすよりはましだと思う。

「……どこ行くの」

「どこって」 

 私が向かっているのは、通りから外れた路地。 

 通い慣れた、意識もしないルート。

「近道?」

「いや。寮への道。勘違いしてた」

「寮」

 少し高くなる声のトーン。

 名古屋港高校は自宅から通うのが普通。

 下宿生はいるかも知れないが、寮は存在しなかったはず。

 一人暮らしや寮に憧れるのは、この時期なら当然とも言える。

「行ってみる?そんなに遠くないし」

「良いの?」

「私の部屋も、一応あるから。最近は使ってないけどね」



 警備員さんに挨拶をして、女子寮の敷地に入る。

 久し振りという程でもないが、今は自宅から通っているので少しの感慨はなくもない。

「えーと」

 建物の前まで来たが、そこから先へ進めない。

 寮へは時折来ていたけど、自分の部屋には殆ど行っていない。

「前と同じなら、覚えてるんだけどな」

「大丈夫?」

「記憶が確かならね」

 自分でも少し不安になりつつ、記憶を頼りに建物へ入る。


 廊下を歩く、パジャマ姿の女の子。

 リラックスしたその姿に懐かしさを感じつつ、記憶を辿る。

「……こっちは食堂か。ご飯食べる?」

「部屋は?」

「それは大丈夫」

「何が大丈夫なの?」

 それは私も聞いてみたい。



 さすがにお昼ほどの混雑はなく、また女子寮なのでがさつさもない。

 その分声が甲高いというか、華やいだ雰囲気。

 デザートで盛り上がる声が聞こえたりして、ついつい自分もチェックしてしまう。

「遠野さん達は、まだ仕事?」

「だと思うよ。前は泊まり込んでた事もあったけど、今は止めたみたい」

「泊まり込むの」

「どうしても忙しい時はね。……えーと、和食にするか」

 お昼も和食だったけど、それ程動いていないのであっさりした物を体が求めている。

 トレーニングを少し多めにした方が良いのかな。


 鴨ソバをすすり、鶏のささみの薄焼きを半分食べる。

 後はもういらないと言いたいが、食べてくれる人が見当たらない。

 ショウの存在って、ある意味私に不可欠だな。

「食べる?」

「もういらないの?」

「体型に応じた食欲なの」

「デザートは食べるんだ」

 鶏のささみを箸で掴みながら、ぽつりと呟く取手さん。

 痛いところをついてくるな。


 プリンを食べ終え、お茶を飲んでちょっと一息。

 時計を確認し、これからのスケジュールを思い描く。 

「泊まっていく?」

「え、ここに?」

「私の部屋でも良いし、空いてる部屋でも良いし。用事があるなら、地下鉄の駅まで送るけど」

 時間としては、結構遅くなってきた。

 私達にすればまだこれからだが、一般的な女子高生としてはやや気になる時間帯だと思う。

「家に連絡するね」

 端末を取り出し、短い会話を交わす取手さん。

 了承はすぐに取れたらしく、OKサインが作られる。




 ラウンジでまったりしていると、思い詰めた顔の集団がやってきた。

 あまり良い予感はせず、お茶の紙コップに顔を付けてやり過ごす。

「雪野さん、お願いがあるんです」

 名指しでご指名と来た。

 こうなれば逃げる訳にも行かず、紙コップを置いて顔を上げる。

「廊下で騒いでる子達がいまして」

「警備員さんを呼べば?」

 寮でのトラブルは私の専門外。

 警備員は外部からの防衛と共に、治安の維持も求められる。

 と、思う。

「生徒間のトラブルには、余程の事でない限り介入しないと言われて」

「余程の事じゃないんでしょ」

「困ってるんです」

 まなじりを上げてすごまれた。

 私も困るんだけど、そういう事は考えてないのかな。


 ため息くらいは付かせてもらい、取りあえず席を立つ。

「どこ。で、何人」

「正面玄関の近くで、10人くらいです。ただ男子もいて」

「つまりは、調子に乗ってる訳ね。渡瀬さんは、……いないか」

 私は早く戻ってきただけで、彼女はおそらくまだ学校。

 それでも騒いでれば、誰か知り合いもやってくるだろう。

 今はそう願いたい。



 とはいえ、頼まれたからにはそれを成し遂げる必要が生じる。

 小走りで廊下を駆け抜け、正面玄関前に到着。

 ラウンジで聞いたのと同じ光景。

 男女が廊下にしゃがみ込み、ペットボトルとお菓子の袋を散らかして騒いでいる。

 学校でもこんな光景を見たけど、流行ってるのかな。

「どうにか、なります?」

 不安そうに後ろから聞いてくる女の子。

 どうにもならないと言う訳ににはいかないし、どうにかするのが私の仕事。

 巻き込まないように彼女達は廊下の角の向こう側に隠れさせ、私一人で近付いていく。


 耳が痛くなるような馬鹿騒ぎ。

 私の足音にも気付かない。

 それでも後ろまで来れば、一人くらいは顔を上げる。

 あくまでも、音への反応として。

 顔を上げ、私を見る子が増えていく。

 ただの通行人。

 興味も関心もない態度。

 しかし全員がそうという訳でもない。


 突然立ち上がり、ゴミを拾い出す男。

 それを失笑する仲間。

 だが彼に付き合って、別な女もゴミを拾い出す。

「何してるのよ」

「真面目ちゃんだな」

 廊下に響く馬鹿笑い。

 虚ろな、とでも付け加えようか。

 笑い声が収まり、妙な沈黙が彼等の間にたれ込める。

 視線は私へと流れ、小声でささやき合い始める男女。

 やがて全員が立ち上がり、無言でゴミを拾い出す。

 こちらを見はしないが、痛い程に私を意識しながら。



 ゴミは全部拾い終わり、全員壁際へ整列。

 どうやら、私の言葉を待っているらしい。

「喋るなとは言わないけど、そういうのはラウンジや自分の部屋でやったら。それと、ゴミは全部持って帰って」

「は、はい。済みませんっ」

「私に謝られても困るから。こういう真似はしないよう、友達にも言っておくように」

「ぜ、絶対に。も、もう二度としません。済みませんでしたっ」

 それこそ、土下座でもしそうな勢い。

 本当、こっちが謝りたくなってくる。

「もう良いから。解散して」

「は、はい。今すぐにっ」

 どたどたと廊下を走っていく男女。 

 しかしそれもまずいと思ったのか、すぐに速度を緩めてしずしずと歩き出した。

 こっちが走って逃げたくなるな。



 それでも仕事は済んだので、角を曲がってその旨を告げる。 

 勿論、見てただろうけどね。

「帰って良いかな」

「ありがとうございました。これ、少ないですけど」

「良いよ、別に」

「いえ。私の気持ちが収まりません」

 強引に押しつけられる紙袋。

 これがお金なら相当の額だと思うけど、何となく甘い匂いが漂ってくる。

 100%クッキーだな。

 というか、どういう気持ちが収まらないんだか。




 ラウンジは良い事がないので、自分の部屋を探し当ててそこにこもる。

 荷物は少し運び込んできているし、ベッド自体は備え付け。

 毛布もやクッションもあって、寝泊まりに困る事はない。

「取りあえず、宿題でもやるか」

「真面目なのね」

「普通じゃないのかな」

「まあ、そうだけど」

 苦笑気味に笑う取手さん。

 そういえば向こうの学校では、宿題の出る率は低め。

 生徒の自主性に任される部分が多かった。

 その分やる生徒とやらない生徒の差が激しかったようにも思う。


 一方草薙高校は、勉強に関してはある意味強制。

 予習復習は当たり前で、宿題は言わずもがな。

 授業について行けなければ、そのまま置いて行かれる。

 なんて甘い事もなく、補習に次ぐ補習。

 授業に付いてくれるレベルまで、徹底的に指導される。

 それでも試験の成績が悪ければ、休みを返上してさらに補習。

 嫌なら事前に勉強をするより他無く、その意味では自主性は養われる。

 という理屈はともかく、勉強をしない事には始まらない。

 ただそれだけだ。



 宿題と予習復習も簡単に済ませ、軽く肩を回す。

 少しトレーニングもした方が良いかな。

「ちょっとジムに行ってくるけど、一緒に行く?」

「本当、追いつかないのね」

「毎日の習慣だから」

「へぇ」

 感心するように頷く取手さん。

 彼女の前。 

 つまり名古屋港高校へいる間は、ちょっとすばしっこいくらいの女。 

 程度の印象しかなかったはず。

 実際目立つような行動は取らず、とにかく頭を低くして生きてきた。

 そういう行動を取る場面がなかったとも言える。

 そう考えると、今の自分。

 草薙高校のあり方が正しいのか、という事へ考えが巡ってしまう。




 ただ、それはそれ。

 周囲の状況がどうであれ、体を鍛えて損をする事もない。

 鍛える程の素養も無いんだけどさ。

「……そんなに小さいの?」

「これが限界だからね」 

 トレーニングジムで私が手にしたのは、小さなダンベル。

 小学生でも軽く片手で持つような、ショウ辺りだと持っているのも意識しない程度の軽さ。

 私にとっても軽いが、これ以上は手首や肘への負担に繋がる。

 また筋力のアップは、私にとっては重要ではない。

 あくまでも体力の維持程度として考えている。


 適当に負荷を掛けたところで、ダンベルを置く。

 次に柔軟。

 マットへしゃがみ、胸まで付けてその姿勢を保つ。

 逆に柔軟性は、私にとっての長所であり武器。

 これと瞬発力があるからこそ、人並み程度に戦える。

「すごいのね」

「毎日やれば、このくらい出来るよ。サトミは絶対やらないけどさ」

「私でも?」

「勿論」

 女の子を座らせ、足を伸ばして後ろから軽く押す。

 すぐにつま先へ指が付き、膝に額が触れる。

 これ以上はちょっときついかなと、背中の弾力から判断。

 力を抜いて、体を引き戻す。

「ここまで出来るなら、後は毎日やるだけ。少しずつやれば、一ヶ月くらいで出来るようになるよ」

「出来るのは良いけど、それでどうするの。私、ケンカなんてしないし」

「私もしないけどね。柔らかければ、怪我はしなくなる。無理な姿勢を取っても耐えられるから」

 サトミも柔軟性さえあれば、転んで鼻を打つなんて事はない。

 というか、そもそも鼻を打つ理由が分からない。




 柔軟な筋肉を作るらしい器具の使い方を見ていると、顔に影が差した。

「お時間、よろしいですか」

 よろしくはないよと言いたいが、時間に追われてる訳でもない。

 マニュアルを元の場所へ戻し、相手を見る。

 空手か、ボクシングか。

 打撃風の立ち姿で、かなりの長身。

 思わずため息を付きそうになってきた。

「よろしければ、お相手願いたいんですが」

「他にいるでしょ、たくさん」

「是非とも、雪野さんとお手合わせ願いたいんです」

 あくまでも低姿勢で懇願する女の子。

 悪意は感じないし、後ろに控えていた友達だか後輩も頭を下げだした。

「良いけど、軽めにね。ルールは?」

「なんでもありで」

「……本当に、軽くだからね」



 トレーニングジムの中央へ進み、開けている場所で向かい合う。

 オープングローブの具合を確認。

 軽く肘を伸ばし、息を整える。

「もう一度言うよ。軽くだからね」

「はい」

 私の言葉はもう聞こえてないのか、瞳に強烈な力がこもりだしている。

 敵意はないが、やる気は十二分にあるようだ。

「購買へ、お菓子買いに行かせた?」

「え、何の事ですか」

「こっちの話」

 それとはまた別口の様子。

 何にしろ、私も今は集中をした方が良さそうだ。


 小さく息を付き、アップライトに構える。

 体も小さいので、ディフェンスはそれだけで十分。

 何より打たれ弱いため、防御ばかりに力を割いてはいられない。

「せっ」

 斜め上から振り下ろされる回し蹴り。

 当たればKO必至。

 当たらなければ、大きめの扇風機でしかない。

 下がるのは簡単だが、それを誘うための動きと判断。

 振り下ろされる軌道に合わせて前に出て、太ももの付け根に軽く膝蹴り。

 上体を反らして蹴り自体はかわし、そのまま軸足にロー。

 バランスを崩しながらの肘打ちを受け流し、倒れてきた体を抱え込む。

 その勢いを利用して、自分も体を回転させてテイクダウン。

 左腕を右足で絡め取り、右腕を上から膝で押しつけてホールド。

 がら空きとなった喉へ、軽く拳を突きつける。

「という訳」

 戦意を喪失した相手から飛び退き、ただ構えは解かない。

 そういう振りをしているだけ。

 全ての可能性を考えるのが、戦いにおいての基本。

 少なくとも私は、そう教わってきた。


 背後に気配。

 などと理解したのは、後ろ回し蹴りで木刀を叩き落とした後。

 このくらいはごく普通。

 卑怯と言う程でもない。

 スポーツや試合ならともかく、今は自分の力を尽くして戦う時。

 何かを語りたいなら、勝利を掴み取る。

 などと、悠長に考えている余裕もないが。


 木刀二本での、左右からの突き。

 スェーでかわし、臑に飛んできた木刀の上に飛び乗る。

 そのまま木刀の上を駆け上り、相手のバランスが崩れたところで飛び後ろ蹴り。

 肩に軽くヒットさせ、そこから跳び前蹴り。

 振り下ろされた木刀をはね飛ばし、空中でキャッチ。

 それを今度は自分で振り下ろし、前方にスペースを確保。

 空いた空間に舞い降りて、正眼に構える。

 スティックほどではないが、武器の扱いには慣れている。

 重さを考慮しても、短時間なら段持ちの相手とだって戦える。



 ただ、そう思っているのは私くらい。

 襲ってきた子達は全員マットの上に倒れ、腕を押さえているか肩を押さえているか。

 今度は全員、戦意を失ったようだ。

「す、済みませんでした」

 平身低頭する女の子達。

 謝られる理由はないと言いたいが、それは私の常識。

 一般的に考えれば、謝られる条件は揃っている。

 申し出からして、一対一と考えるのが普通。

 加えて、背後からの攻撃。

 しかも武器の使用ときては。

「ん、別に気にしてないけど。なんでもありだからね」

 これは皮肉でも何でもない。

 また仮にこれが厳格なルールの元手の戦いでも、私の意識は変わらない。

 目の前の戦いに全力を尽くす。

 ただそれだけだ。


 打撃系のクラブとも思ったが、武器を使っている所から見て実戦系剣術部か。

 これはもう、首謀者は決まったな。

「その。前の部長が」

「言わなくて良い。事情は分かったから。ただ、私以外にこういう事は止めてね」

「そ、それは勿論」

 そこで納得されると、ちょっと困る。

 というか、私だとどうして良いんだろうか。


「本当に、申し訳ありません」

「良いよ。たまにはこのくらいやらないとね。お互い本気でもないんだしさ」

「え」

 声を裏返す、初めに声を掛けてきた女の子。

 ちょっと誤解を招いたかな、今のは。

「つまりさ。骨を折るとか、そういう事までは考えてなかったでしょ」

「え、ええ。まあ」

「そういう意味で、本気じゃないって事」

「まあ、それはそうですが」

 いまいち納得していない顔。

 実際木刀が体に当たれば、打撲は必至。

 骨の細い部分、例えば肋骨なら骨折も十分あり得る。

 そう考えれば、それなりに本気だったのかも知れないが。

「このお詫びは、後日改めてさせて頂きます」

「気にしなくて良いんだけどね」

「本当に、申し訳ありませんでした」

 そこまで謝るのなら、どうして襲ってきたのかな。



 体は十分動かしたので、シャワーを浴びて部屋へと戻る。

 実戦の勘を養うためには、たまにはあのくらいやった方が良さそうだ。

「あーあ」

 ベッドに倒れ込み、クッションに顔を埋めて目を閉じる。

 今ならこのまま夢の中へ入っていける。

 宿題もやったしトレーニングも済ませたし、後は寝るだけ。

 少し早い気もするが、今日はもう寝るとしよう。

 体が揺れてるみたいだけど、気のせいだ。




 窓から差し込む白い日差し。

 室内にたれ込める甘い香り。

 少しずつ覚醒する意識。

 顔を上げ、口元を確認。

 無言でティッシュを手に取り、口を拭く。

「あー」

 まずは小さく欠伸。

 ぼやけた視界で、室内を見渡す。

 ローテーブルにおかれたホットケーキとマグカップ。

 ホットケーキの皿には、小さなウインナーとポテトサラダも添えられている。

 確か昨日は、寮の自室に泊まったはず。 

 まだ、夢でも見てるのかな。



「おはよう。コーヒー?紅茶?それともミルク?」

「ホットミルク」

「了解」

 用意がされてあったらしく、こぽこぽと音を立てて注がれるホットミルク。

 もう一度欠伸をして、ローテーブルの前に座りミルクをすする。

 熱すぎず、冷たすぎず。

 寝起きには丁度良いくらいの温度。

 ミルクの温かさを味わった所で砂糖を入れ、味を変える。

 今度は体に滋養が染み渡っていく感覚を味わい、バターを少し付けてホットケーキをかじる。

「メイプルシロップは?」

「少しだけ」

 渡された小瓶からシロップを注ぎ、ホットケーキを一口。

 そのままソーセージをかじり、ポテトも頬張る。


 一通り食べ終え、時計を確認。

 ゆっくり支度をしても、十分学校には間に合う時間。 

「顔、洗った?」

「まだ」

「シャワーは?」

「いらない」

 洗面所へ行き、少し冷たくなり始めた水で顔を洗う。

 歯を磨いてトイレを済ませて、後は着替えるだけだ。

「ブレザーで良い?」

「うん」

 パジャマを脱いで折り畳み、ハンガーに掛けておいたシャツを着てスカートを履いて。

 えーと、後は靴下か。

「……何してるの」

「どっちが似合うかなと思って」

 黒の靴下と、猫のワンポイントが付いた靴下を見比べてる取手さん。

 ……そういえば、昨日ここに泊まったのか。

 今の今まで、あまりにも普通に流れすぎて気付かなかった。



 もう一度顔を洗い、改めて目を覚ます。

 その間に準備は万端。

 食器は全部片付けられ、後は私が外へ出るだけだ。

「まだ早い?」

「いや、大丈夫」

 そう答え、玄関へ行って靴を履く。

 大丈夫でないのは、自分の意識くらいだろう。

 まだ半分夢の中を彷徨ってる心境で、自宅でもここまで至れり尽くせりではない。


 寮を出て、全身に柔らかな朝日を浴びる。

 体が外側からもじんわりと温かくなり、より覚醒が促される。

「ありがとう」

「え、なにが」

「ご飯」

「ああ、あのくらいは普通でしょ」

 さらりと答えられた。

 何が普通かは不明で、ただ助かったのは確か。

 新婚生活ってこんな感じかな。

 知らないけどさ。


 路地を抜け、草薙高校に面する大通りへと到着。

 他の生徒に混じりながら歩道を歩き、そこでふと気付く。

「学校、どうする?」

 草薙高校は、もう目の前。

 すでに塀が見えている。

 ただ彼女は、ここの生徒ではない。

 まだ早いので、地下鉄に乗れば十分に間に合う時間。

「……もう一日だけ、通ってみる」

 少し間を置いての答え。

 喜んででもなく。

 かといって、私に気を遣ってでもない。

 何か彼女なりの意図が感じられる態度。

 とはいえ今日も一日一緒に過ごせるのは確か。 

 今はそれを、私自身が喜ぶ事にしよう。




 普段通りのHR。

 そして授業。

 真面目に教師の話を聞き、時に彼女に分からない所を教え。

 時には私が聞く側に回る。

 平穏で、何の憂いもない。

 かつて名古屋港高校で味わった、あの感覚。

 波乱もなく、穏やかに時だけが過ぎていく。

 それはもう取り戻せないと分かっているからこそ、そのきらめきはあまりにも眩しい。

 今のこの時間が、かりそめだとも分かっているからこそ。



 世界史の教科書をリュックへしまい、次の授業を時間割で確認。

 現代国語の教科書を取り出して、ページをめくる。

「呼んでるわよ」

 後ろから、背中をつついてくるサトミ。

 もう少し上が良いなと思いつつ、後ろを振り向く。

「誰が」

「廊下」

 そのまま戻される顔。

 初めから、そう言ってよね。


 教室の前のドアに見えたのは、生徒の集団。

 その中に一際目立つ存在がある。

 顔立ちや体格がではなく、雰囲気として。

「私は、用はないんだけど」

 席を立ち、ため息混じりに歩き出す。

 正直関わりたくないが、教室までこられては仕方ない。

「どうかしたの」 

 あまり愛想の良くない態度でそう尋ねる。

 集団の後ろからささやき声が聞かれ、それとなく敵意も感じる。

 ただそれはお互い様。

 敵意のぶつけ合いになりそうになる。


「何か問題でもあるのか」

 私の肩に手を掛け、集団を真上から見下ろすショウ。

 一瞬にして空気は収まり、静まり返る。

 そんな彼の気遣いに感謝しつつ、私からも問い直す。

「何か用事でもあるの」

「君は常に攻撃的だな」

「相手によるけどね。それとも、生徒会長にはこびへつらえばいいの?」

 苦笑でそれに応じる生徒会長。

 ただモトちゃんにならともかく、私は彼に用事はない。

 つまりは向こうも、私に用事はないはず。

 あったとしても、あまり楽しい要件ではないだろう。

「たまたま、側を通りかかっただけだ。友達が来てるようだな」

「……それがどうかしたの」

 一段低くなる声。 

 文句を言われるような事はしていないし、彼女に関してクレームを付ける気なら私にだって考えはある。


 背中のスティックへ手を伸ばしたところで、生徒会長は一歩後ろへと下がった。

 その分かりやすい態度にこちらも応え、スティックからは手を離す。

「攻撃的な所は改めた方が良い」

「生徒会長が大勢人を連れてくれば、誰だって身構える。自分こそ、そういう自覚を持ったら」

「君。生徒会長に向かってそういう口の利き方はなんだ」

 生徒会長自体に悪い感情は持っていない。

 私自身彼に助けられた事もあるし、それについては感謝もしている。

 ただ結局は、周りがこれ。

 生徒会長という立場。

 生徒会という存在を勘違いして捉える人間がいる。

 そういう人間とは相容れないし、分かり合いたいとも思わない。


「口の利き方がどうしたんだ」

 前に出かけた私を遮るように手を伸ばすショウ。

 視線は真っ直ぐ前を見据えたまま。

 私を注意した男子生徒は何も答えず、黙って集団の奥へと消えた。

「俺達は良い生徒じゃないし、言われっぱなしで黙ってるほど人間も出来てない。話す時は、もう少し考えてからにしてくれ」

「今日は饒舌だな」

「不要な混乱を招きたくないだけだ。ただ、招いたなら招いたで構わない。その時は、俺達のやり方で解決をする」

 生徒会長が言うように、いつになく積極的に話すショウ。

 ただそれは彼個人の感情ではない気もする。


 振り向けば取手さんが、不安そうにこちらを見ている。

 私が暴れて彼女に心配を掛けるより、自分が矢面に立った方が良い。

 そんな彼の気遣いに、心が温かくなっていく。

「ショウ君、落ち着いて。ユウも」

 私達の間にすっと入り込むモトちゃん。

 ショウもさすがに彼女へは逆らわず、さっきの生徒会長同様一歩後ろへと下がる。

 つまりは攻撃の意志がない事を示す。

「今更だけど、生徒会長なら自分の置かれている立場や権力の大きさを自覚して。特に私達は、そういう事には過敏だから。あなたが挨拶だと思っても、そう思えない時だってある」

「以後気を付けよう。他意はないつもりだったが」

「つもり」

 一瞬鋭くなるモトちゃんの視線。

 私もスティックへ、再び手を伸ばす。


「ちょっと不用意だったな」

 苦笑しながら、軽い調子で近付いてくるケイ。

 彼は生徒会長越しに、後ろへ控えてる生徒達を指さした。

「自分から気付いたんじゃなくて、誰かに言われたんだろ。ここ、元野さん達がいますよ。挨拶でもしたらどうですかって」

「それで」

「そこまで言われて通り過ぎるのも不自然。でも結果はこの通り。生徒会長のメンツは潰れるし、俺達は神経質で性質の悪い連中扱い。めでだしめでたし」

 虚しく響く彼の拍手。

 めでたいのは私達でもなければ、生徒会長でもない。

 彼の推測した筋書きを書いた人間だろう。

「会いに来るなら、もう少し自分の立場を考えた方が良い。思ってるほど軽くないよ、生徒会長は」

「君に言われると、いまいち信じがたいんだが。ここは、私の対応がまずかったようだ」

「分かってくれれば結構。何か不満がある人は、今すぐ前に出てくればいい。殴り合いでも話し合いでも、好きな方法で解決する」

 すっと前に出るショウ。

 その隣に無言で寄り添うサトミ。

 この二人の前に立ちふさがろうという人間がいる訳もなく、返事どころか物音一つ返ってこない。

「では、お引き取りを」




 生徒会長の一行が帰ったところで、教室内の雰囲気は元へと戻る。

 静かになったのは、私達の会話を妨げないため。

 怯えやおそれという空気は特にない。

 以前はあったはずだけど、人間は慣れる生き物。

 何事もなかったかのように、クラスメートは思い思いに休憩時間を過ごしている。

「今のは、生徒会長に逆らったって事?」

「逆らってはないけどね。少し意見を言っただけ」

「大丈夫なの?」

「気にした事もない」

 言われてみれば気付くが、言われなければそれまで。

 相手が生徒会長でもその辺を歩いてる生徒でも関係はない。

 敵意を示すのなら、それに応えるだけだ。

「この子は特別だから、深く考えない方が良いわよ」

 人の頭を撫でながら笑うモトちゃん。

 さっき、生徒会長を睨んだのは誰だった。




 昼休み。

 相変わらずの混雑を見せる食堂で、今日はゆっくり昼食を取る。

 余計なトラブルもないし、ご飯は美味しいし、みんな揃ってるし。

 幸せって、多分こういう時の事を言うんだろうな。

 山菜ソバの残りをショウへ譲り、デザートのヨーグルトを一口。

 程よい酸味とアプリコットジャムの控えめな甘さ。

 ふっと心が軽くなる感覚。

 本当、安上がりな体質で助かった。


 特に何事もなく、そのまま午後の授業。 

 少しの眠気を覚えつつ、教師の話に耳を傾ける。

 平穏に過ぎていく時間。

 それが当たり前と言えば、当たり前。

 本来は考える必要も、維持しようと努力する必要もないはずの。


 そう。分かってもいる。

 この時が、決して長く続かないと。

 だからこそ、貴重なのだとも。




 帰りのHR。

 今日は何もなかった思いながら、ぼんやりと村井先生の話を聞く。

 何もあって欲しくないという、私の願いかも知れないが。

 とりとめて意識するような連絡事項はなく、そのHRもすぐに終わる。

 一斉に席を立つクラスメート達。

 私も席を立ち、リュックを背負う。

「外、出られないんだけど」

 廊下へ出ようとしたクラスメートが引き返し、そう呟く。

 周囲の喧噪と距離のため、はっきりとは聞き取れない。

 また、私に向かっての台詞でもない。

 ただ、その声が聞こえたのは確か。

 だとすれば、それを確かめる必要はある。


 ドアの前で立ち往生するクラスメート達。

 その脇を通り過ぎ、警戒をしつつ外へ出る。


 バリケートがあるとか、乱闘が起きているとか。

 そういう事は無い。

 むしろ廊下は静かなくらい。

 静かすぎると言うべきか。


 左右に分かれて睨み合う生徒の集団。 

 片方は、いかにも不良といった雰囲気。

 もう片方は、クラブ生だろうか。

 一触即発。

 いつ何が起きてもおかしくない空気。

 ただ理由は知らないし、ここで睨み合われても困る。

「邪魔だから、他に行って」 

 お互いに返事は無し。

 私の声だけが、廊下に虚しく響き渡る。

「もう一度言う。邪魔だから、外に行って」

「ガーディアン程度が出しゃばるな」

 ようやくの返事。

 そして私が誰かは知っている様子。

 それなら話が早い。


「ガーディアンとして言ってる訳じゃない。この廊下を使う生徒として言ってる。それとも、ガーディアンとして話して欲しい訳」

 スティックを抜き、スタンガンを作動。

 電圧を上げ、軽く振り抜く。

 たなびくようにして正面へ飛んでいく火花。

 それは正面の壁に当たり、きな臭い匂いを残して四散した。

「悠長に、一人一人に構ってる暇もない。全員同時に倒されたいなら、それでも良い」

 息を整え、意識を集中。

 戦いに無駄な考えをそぎ落とす。

「5秒数える。その後は、一切話は聞かない。5、4、3」

 2に辿り着く前に走り去る二つの集団。

 この後で彼等がどこで何をしようと、さすがにそこまで関わりたくはないし興味もない。


 廊下から緊張感が無くなったところで、教室に閉じこめられる恰好になっていた生徒が外へと出てくる。

 そこから先は、普段の放課後。

 楽しげな笑い声と軽快な足音。

 和やかな空気が廊下を包み込む。

「どこが、ガーディアンとしての発言なのよ」

 私の頭に手を置くサトミ。

 それもそうだと今は思うが、私個人の発言で暴れ回る方が問題だと思う。

「丸く収まったから良いじゃない」

 スタンガンを停止させ、スティックを背中に戻す。

 使わないに越した事はなく、ただその時が来ればためらいはしない。

 不用意に躊躇して傷付くのは避けたいから。

 自分も、そして仲間を守るためにも。




 自警局へ到着し、いつものソファーへ座る。

 今日も特にやる事はなく、パトロールの準備。

 地図を広げ、どこへ行くかを考える。

「頼られてるのね」

 お茶を出しながら、くすりと笑う取手さん。

 何がと思いながらマグカップを受け取る。

「さっきの事もそうだし、昨日から見てきてそう思った」

「勝手に私が先走ってるだけで、頼られてはいないんじゃないの」

 直接言われたならともかく、あれは完全な独走。

 やりすぎたと言われるケースである。

「でも、文句を言う人はいなかったでしょ」

「あそこは私のクラスだからね。私の行動には慣れてる」

「そう、ね」 

 少し寂しげな笑顔。



 そこで私も、失言に気付く。

 名古屋港高校でも、似たような場面は何度もあった。

 教室でも、また。

 初めは私の行動を素直に喜んでくれた。

 でも時が立つにつれ、その感情は不安と恐怖。

 疎ましさへと変わっていった。

 悪いのは自分。

 それを否定はしない。


 ただ草薙高校では受け入れられていた。

 そのやり方が当たり前だと思っていた。

 都合の良い、独りよがりの解釈で。

 気付けば私達は孤立して、学校を去るしか選択肢が残されなかった。

 その事を彼女が悔いているのは知っていたのに。

 発言が不用意すぎたか。

「ごめん」

「謝られると、私も困るんだけど。雪野さん達を追い出したのは、私達なんだから」

「それは別に」

「やっぱり、この学校の方が合っているのよね。雪野さんには」

 遠い目で語る女の子。

 寂しげに、切なげに。


 名古屋港高校を去る前に、私は彼女に提案をした。

 一緒に草薙高校へ通おうと。 

 でももしかして彼女も、思っていたのではないだろうか。

 この先も、一緒に名古屋港高校へ通おうと。


 二つの学校、二人の生徒、二つの思い。

 それは重なるようでいて、だけと近くて遠い。





     







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