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準備は終了。
といってもインナーのプロテクターを確認し、スティックを背中のアタッチメントに取り付けるだけ。
再度パトロールコースもチェック。
迷うようなルートではなく、まずは一番近いフロアの廊下を往復するだけ。
時間もないし、それだけで終業時間になると思う。
自警局のブースを出て、生徒会のブースも後にする。
この先は普通のフロア。
ふと蘇る、昔の感覚。
あの時は当たり前で、意識もしていなかった。
誰かの役に立ちたいとか、何かをしたいとか。
気持ちばかりが先行して、もしかすれば少しの思い上がりがあったのかも知れない。
今は遠い、新鮮な思い。
ただ、本質的な部分は変わらない。
目の前で困っている人がいるなら、それを助ける。
私の行動原理はそれだけだ。
時間が遅いせいか、廊下に生徒の姿はまばら。
見かけても帰る準備をしているか、帰って行くのかどちらか。
のんきにパトロールしている自分が少し虚しく思えてくる。
「あーあ」
だるそうに伸びをするケイ。
言いたい事は分かるが、今更戻るのもかなり虚しい。
何より今は、無駄なほどの開放感を味わっている。
お昼休みにも思ったが、やっぱり外に出て正解だ。
「帰ろうか」
とうとう口に出した。
勿論頷く事はなく、スティックを抜いて廊下の行く手を示す。
「帰らないの。もう終わるから」
「こんな時間に暴れるなんて、相当の馬鹿だぞ」
彼が示したのは腕時計。
終業時間の少し手前で、確かにそれは通り。
ただ彼が言うように馬鹿なら、終業時間も何も考えないだろう。
「大体……」
大きな笑い声にかき消される彼の声。
廊下は依然として、人の姿はまばら。
どうやら教室のドアから、声が漏れてるらしい。
「仕事だな」
軽く肩を回すショウ。
不満は一言も聞かれず、そのまま忍び足で壁に沿って歩きながらドアへ張り付く。
中を覗き込んだ彼が、手の平をこちらへと向けてきた。
つまり、5人いるという事か。
「応援でも呼ぶ?」
気のない口調で尋ねるサトミ。
その必要もないと分かってはいるが、ここは正確に言えば私達の管轄外。
つまりここを管轄するガーディアンは別に存在をするので、彼等の頭越しに行動する事になってしまう。
「連絡だけ入れて。ここを管轄するオフィスに」
「分かった」
端末で事務的に状況を伝えるサトミ。
私もスティックを抜き、ショウの後ろに付く。
久し振りの感覚。
高揚感と言おうか。
あまり良くはないが、5年以上慣れ親しんだ行動。
自然に体が動くと同時に、私の中でスイッチが入る。
「ここまでこれないって。もう、帰り支度を始めてるそうよ」
当然といえば当然の答え。
ただ帰り支度はともかく、これないというのは多少引っかかるが。
「ショウ、構わないから中へ入って。大した事はやってないでしょ」
「騒いでるだけだ」
「責任は、私が取る」
「俺が取るんだろ」
軽く頭を撫でるショウ。
さっきの事を、まだ覚えていたらしい。
それに少し気分を良くして、つい笑顔を浮かべてしまう。
「恋愛至上主義って、この宇宙から消え失せれば良いと思うんだ」
後ろから聞こえる陰気な声。
彼の言いたい事は分かったが、至上主義でもないと思う。
制裁は保留にして、ショウを先頭に教室内へと入る。
彼が言うように、人数は5人。
床にはペットボトルとお菓子の袋。
煙草の匂いも少しする。
「下校時間よ。ゴミを片付けて、早く帰りなさい」
自分としては、穏やかに言ったつもり。
抑制をした方だ。
とはいえ、常にこちらの意志が伝わる訳でもない。
馬鹿騒ぎは収まらず、気付いているはずなのにこちらを見ようともしない。
この時点で、抑制も何もなくなった。
「全員、外へ放り出して。ケイはゴミを片付けて」
「分かった」
無造作に騒いでいる連中へ近付くショウ。
それは少し意外な行動だったらしく、数人が慌てて身構えるがもう遅い。
彼は襟首を掴み、床を引きずるようにしてまずは二人廊下へ放り出した。
逃げ出そうとする残りにスティックを突きつけ、動きを制する。
その間にショウが戻ってきて、やはり襟首を掴む。
最後の一人は私がスティックを突きつけたまま、廊下へ案内。
これで教室からは、誰もいなくなった。
呆然とする連中の足元へ放られるリュック。
中には、彼等の散らかしたゴミも入っているはずだ。
「言いたい事があるのなら、今聞く」
そう言ってみるが、反応はない。
見たところ、それ程悪そうな印象は感じない。
あくまでも外見上で、騒いでいたのは事実。
煙草を吸っていた形跡もあり、許す気はさらさら無いが。
どうも、たがが緩んでいる。
ケイの言い方を借りるなら、風紀が乱れている。
何となく、そんな印象を受けた。
「言いたい事は」
改めて聞くが、反応は無し。
何が起きたのか、まだよく分かってない顔。
そこでふと、ある事実に気付く。
誰の肩口にも、ガーディアンのIDが付いていない。
草薙高校に着いた時点で、すでに夕方。
向こうでは当然IDを付けていなかったし、サトミやケイは元々付けていない。
私とショウは今でもガーディアン扱いなので普段は付けているが、今日は普通に忘れていた。
ガーディアンでもない人間が突然押しかけ、問答無用で廊下に叩き出されたら不思議に思うのも無理はない。
とはいえこれは、ガーディアン以前の問題。
自分を正当化する訳ではないが、文句を言われる筋合いではない。
「これに懲りたら、二度と騒がない。分かった?」
「わ、分かった」
オウム返しのような、固い返事。
スティックで廊下を指し示すと、連中はリュックを抱えて飛ぶように走り去っていった。
IDがないなら、それこそ不良グループと思われても仕方ない。
それにしては言う事がこれ。
最後まで疑問を残したのかも知れないな。
さすがに終業時間も迫ってきているため、それ以上のパトロールは止めて自警局へと戻る。
ここでもやはり帰り支度をする姿が目立ち、ただとてもそれどころではない雰囲気の人もちらほらといる。
こんな遅くになってもまだ仕事か。
泣くに泣けないというか、ただこういう人が生徒会を支えてるのかも知れないな。
「どうだった」
笑い気味に声を掛けてくるモトちゃん。
サトミが簡単に事情を説明。
彼女はそれに頷き、卓上端末で私達が向かったフロアの見取り図とガーディアンの配置情報を表示した。
「まあ、この時間に仕事をしろと言われてもね」
「風紀の乱れはどうなの」
「乱れ。高校生は、こんなものでしょ」
随分悟った意見。
言いたい事は分かるが、私は現場を見た後。
そこまでの理解は示せない。
いまいち納得出来ないまま、自分も帰り支度をする。
支度といっても、リュックを背負う事くらいだが。
「お疲れ様でした」
にこやかに挨拶をしてくる、さっきの女の子。
相変わらず丁寧で、礼儀正しい。
ただ妙に固いというか、距離を感じなくもない。
「総務局だった?」
「ええ」
「そうすると、矢田局長の部下って事」
「そうなります」
これで何となく、彼女の態度が理解出来た。
何しろ、上司が上司。
生真面目を絵に描いたような人。
後輩がこうなるのも必然か。
「どうかしました?」
「ん、別に。疲れない、総務局って」
「やり甲斐はありますよ」
すぐに返ってくる、頼もしい答え。
私もたまには、こういう事を言ってみたい。
「聞いた、今の?」
「貝の事なんて知るか」
今のは聞きたくなかったな。
終業時間と共にいくつかの明かりが消され、半ば強制的に仕事を止めさせられる。
これは結構効果的で、嫌でも帰りたくなる状況。
悪くはないと思う。
「終わらないんだけど」
陰気な顔で告げてくる神代さん。
何が終わらないか知らないし、私に言われても困る。
「モトちゃんに抗議してみたら。呼ぼうか」
「よ、呼ばなくて良い。何考えてるのよ」
「何って、自分が終わらないって言ったんじゃない。だったら、そんな仕事をさせるモトちゃんが悪いんでしょ。おーい、モトちゃん」
サトミと話し込んでいたモトちゃんは何がという顔で、私達の方へと歩いてきた。
神代さんは逃げたそうだが、それは私が許さない。
「仕事が終わらないから困ってる。どうにかしてやってよ」
「ごめん。それは、私か木之本君が明日手伝う」
「い、いえ。滅相もない。そんな事は」
「あなた、ちょと真面目過ぎるのよね。少しはユウを見習ったら」
褒められた。
訳は無いだろうな、多分。
良いけどさ、別に。
その様子を不思議そうに見つめている女の子。
どうやらこの雰囲気、気さくさが気になったようだ。
「いつも、こんな感じですか」
「連合の体質を受け継いでるからじゃないの。元々上司も何もない組織だったから。横のつながりって言うのかな。というか、総務局だって矢田君に仕事をさせれば良いだけじゃないの」
「はは」
笑われた。
そんなに面白い事を言ったかな、今。
「あの人はあの人で頑張ってると思うわよ」
それとなくフォローをするモトちゃん。
頑張ってるかも知れないが、私とは相容れない。
草薙高校に戻ってきて、その事実を再確認した。
「まあ、いいや。向こうの学校も片付いてきたし、そろそろ戻る」
「大丈夫なの?」
少し物言いたげに尋ねるモトちゃん。
確かに片付いては来たが、あまり後味は良くない状況。
疎まれたまま、逃げるように学校を後にする気分。
沢さんが言っていたように、決して感謝ばかりされる仕事ではなかった。
そう考えると彼や舞地さんは、よくこんな事を続けてられたなと感心する。
私はあの程度の事で、泣き言を言いそうなくらい。
つくづく自分の甘さを痛感する。
取りあえずは何でも無いと告げ、目元へ手を添える。
視界が暗くなっている事はなく、精神的な不安定さが視力に影響する事はない。
治るのはまだ先だが、最悪な時期はすでに脱したんだろう。
とはいえ、油断は禁物。
出来るだけ負担は掛けないに限る。
「モトちゃんは?」
「帰る。率先して帰る」
周りに聞こえるような声で話すモトちゃん。
自警局のトップである彼女が帰るなら、他の人が残る理由はない。
残れない、と言うべきか。
ただ学校に泊まり込んで仕事をするのも、冷静に考えればかなり不自然な話。
良い考えではあると思う。
その帰り。
学校近くのファミレスに立ち寄り、少し遅めの夕食を食べる。
正確に言うと、私がここへみんなを誘った。
「私、決めたから」
「シーフードピザか」
メニューを見ながら尋ねてくるショウ。
今、チキンドリアを食べたばっかりだっていうの。
「そうじゃない。パトロールは出来るだけやるって決めた」
「熱でもあるのか」
醒めた視線を向けてくるケイ。
発言が多少突飛と言うか、唐突なのは分かっている。
でも、今はこの考えを撤回するつもりはない。
「やっぱり、外に出ないと分からないんだって。というか、外に出るべきじゃないの」
「それは他の子に任せられないの?」
「任せても良いけど、私も出る。自警局にこもっていても、何も解決しない。まずは外に出る。それから始める」
「困ったわね」
お米が切れた主婦みたいな言い方をするモトちゃん。
私って、そんなにみんなを困らせてるのかな。
そんな間に、チョコソフトが到着。
まずは一口。
クリーミーな食感と濃厚なチョコの風味。
ご飯を食べて暖かくなった体が引き締まる感じ。
「それに思ったんだけど、風紀が乱れてるんじゃないの」
「さっきも言ってたわね」
「だって、ああいう普通っぽい子が騒いでたりしてさ」
「時間帯もあるでしょ。あの時間なら、さすがにガーディアンもパトロールしないし」
妙にその辺は好意的というか、問題視しないモトちゃん。
彼女からすれば些末な事だと写ってるのか、実際些末な事なのか。
実際、単に教室で騒いでただけの話。
ゴミを散らかした以外は何もしてないが、その散らかすという行為自体が私は引っかかる。
「でも生活態度って、一番問題じゃないの」
「管理案みたいな事言い出すのね」
「じゃあ、その部分に関しては認めても良いかもね。管理案も」
「本当に大丈夫?」
怪訝そうに見てくるモトちゃん。
体調は問題ないし、ソフトクリームも美味しく食べられる。
私は何も問題ない。
ただ全体的に空気は冷ややか。
変な事を言い出したという雰囲気が漂っている。
「木之本君はどう思う」
「え、僕?」
話題を振られて困ったなという顔。
そんな露骨に嫌がらなくても良いじゃないよ。
「雪野さんの話は分かるけどね。元野さんは、大所高所って話をしてるんだと思うよ。そういう視点で物事見ようって」
「それはモトちゃん達に任せる。私は下から見る」
はっきりとそう答え、残ったソフトクリームはショウへ渡す。
言うべき事は全部言った。
後は帰って寝るだけだ。
その時ふと視界に入るサトミの姿。
すぐ目の前にいるけどね。
珍しく何も言わないというか、黙って食事を取っている。
「賛成って事?」
「駄目と言ったら、止めるの?」
「止めない」
「だったら、言わない。私も少し学んだわ」
おほほと、勝ち誇ったように笑うサトミ。
いや。実際おほほとは笑ってないけど、私の感覚的に。
でもって今の言い方は、ちょっとむっと来たな。
「黙って見過ごすって意味?」
「止めないんでしょ、何を言っても」
「止めないよ。絶対にね」
「だったら止めても無駄じゃない。大体分かってる?あなたが自警局を離れてる間に、モトの警備が必要になったらどうするの?周りの人間も気を遣うし、パトロール先を管轄するガーディアンも同じ。とにかく、一旦考え直しなさい」
止めないんじゃなかったのか。
というか、聞くんじゃなかったな。
結局賛同を得られないまま家に帰る。
寮では無いので部屋にまで押しかけられる事はなく、その意味では実家暮らしも良いと思う。
まずはお風呂。
今日の授業の復習をして、草薙高校から出されている課題をやって、後は宿題と予習。
……二校分というのは、地味に負担だな。
とはいえこれも、自分で言い出した事。
今更止めるとは言えないし、向こうの学校へ通うのもあとわずか。
もしかしたら、明日で最後かも知れない。
一応、自分なりに成果は残したつもり。
傭兵の駆逐には成功した。
ただ生徒達に歓迎された印象はなく、むしろ疎まれているくらい。
それはもう、考えるのはよそう。
私は、自分に出来る事をやる。
ただそれだけだ。
翌日。
朝ご飯を食べ終えて食器を片付けていると、お母さんにじっと見つめられた。
「どうかした」
「それは私の台詞なんだけど。その恰好で行く気?」
「その恰好って、普通に制服じゃない」
いつものブレザーに、襟元のリボン。
別におかしな所は何もない。
「止めたの?」
「止めないよ。学校もね」
「意味が分からないけど、それで良いの?」
「言ってる意味が分かんない」
時計を見ると、結構な時間。
遅刻はしないだろうが、のんびり話してる余裕はないと思う。
お母さんとの会話もそこそこに家を飛び出し、地下鉄の駅へと歩いていく。
同じ方向へ向かって歩いていくサラリーマンや学生。
黒髪をなびかせているセーラー服の女子生徒に何となく見入りつつ、信号を渡る。
こつこつと足音の響く地下鉄の構内。
通勤通学の時間帯とあって、構内は結構な混雑具合。
色とりどりの制服が咲き乱れ、そういう楽しみ方は出来るが。
こうして眺めていると、意外に色んな学校があるんだなと気付かされる。
市内の生徒は草薙高校へ通うのが普通だが、専門学科のある高校や私立に通う子も結構多い様子。
私は深く考えずに草薙高校へ進学したが、もしかするとそういう選択肢もあったんだろうか。
名古屋港駅へ到着し、再び地上へ。
一瞬目の眩むような眩しさ。
それに目が慣れるより先に吹き付ける潮風。
肌に感じる柔らかな日差し。
秋の心地よさを体で実感しつつ、目が慣れてきた所で歩き出す。
私の前を歩く、セーラー服の生徒。
冷たいものが、背中の辺りをつっと走る。
教室に入り、はっきりと気付く。
制服を間違えた事に。
名古屋港高校の制服はセーラー服。
間違ってもブレザーではない。
お母さんも、言ってくれれば良いのにさ。
いや。何度も言ってたか。
「それは、何かのアピール?」
怪訝そうに私を見てくるサトミ。
間違えたと言うのも今更面倒で、口元で適当にもごもご答える。
「それとも、もうこの学校から去りますってアピール?」
「ん?ああ、それ」
「良いアイディアね、みたいな顔しないで」
私の頭に手を置くサトミ。
制服を間違えたのは、すでにお見通しらしい。
それ以外の理由も無いと思うけどね。
とはいえ制服など、些末な事。
私などに関係なく、授業は淡々と滞りなく進んでいく。
些末だと思ってるのは、私だけかも知れないが。
1時間目の授業が終わったところで、いつものように取手さんが近付いてくる。
「それ、草薙高校の制服?」
「まあね」
「どうかしたの?」
勘違いしてた。
とは答えず、適当にもごもご言ってその場をごまかす。
もしくは、ごまかした気になった。
「ブレザーだったんだ、草薙高校って」
「服装は何でも良いんだけどね。ただ、ブレザーを着てる子は多いかな」
「へぇ」
憧れを抱いた瞳。
だったら着てみる?
と言いたいが、どう考えてもサイズが合わない。
いや。待てよ。
「明日、草薙高校に行ってみる?」
「誰が」
「自分が」
「え」
噛み合っていないというか、いまいち意思の疎通が取れてない。
そんなに意外な事を言ったつもりも無いけどな。
「明日、平日よ」
「一日くらい良いでしょ。授業を振り替えてもらえば」
「怖くないの、草薙高校って。あまり良い話を聞かないけど」
「どういう話か知らないけど、普通だと思う」
私が草薙高校に通っていたのは、彼女にはあまり話していなかった。
一部では報道もされたので薄々分かっていたとは思うが。
ただその話題に触れる事はなく、自分の口からはっきり伝えたのは転校前だったはずだ。
逡巡の表情を浮かべる取手さん。
確かにいきなり言われて、すぐに分かったという話でもない。
「行っても良いけど、本当に大丈夫?」
やけに念を押してくるな。
というかどういう評判が立ってるのか、ちょっと怖くなってきた。
「ユウの側にいれば、何があっても安全よ」
「そうなの?」
「それでも不安ならショウの側にいるとか。何しろ、学内最強だもの」
くすくすと笑うサトミ。
私の側はともかく、ショウの側はどうだろうか。
何より、私の精神的に。
ただ、彼女以外のクラスメートは相変わらず。
極端な敵意を示される事はないが、近付いてくる事もない。
結果私から声を掛けるのもためらわれ、自然とお互いに距離が開く。
もしかすると、この学校に通うのも今日が最後。
後味の悪さは否めず、とはいえ今更事態が好転するとも思えない。
結局は自業自得。
自分が悪いだけだ。
授業中も、その空気は同じ。
教師は私達をいないかのように扱っている。
無視ではなく、出来るだけ刺激しないように。
ここまで来ると笑うしかなく、かなりどうでも良くなってくる。
投げやりなのは良くないと自分でも思いはするが、ここまで来ると自分で出来る事もない。
傭兵もいないようだし、まさに潮時なんだろう。
昼休み。
学校の外へ出て、水族館へとやってくる。
時間帯としてショーはやってないが、スタンド席での飲食は自由。
空いている席へ座り、コンビニで買ったおにぎりを食べる。
「開放感はあるな」
立ったままでサンドイッチを頬張るケイ。
私達がいるのは、スタンド席の最上階。
普通の建物なら、5階くらいはある高さ。
そしてスタンド席の前は、巨大なメインプール。
今は数頭のシャチとイルカが、ゆったりと水面を漂っている。
「このまま帰っても良いだろ」
冗談ぽい口調。
ただ表情は少し真剣味を帯びている。
彼が思ってるように。
また私が実感しているように、多分あの学校に私の居場所はない。
半年前の安らぎも暖かさも。
それを自分で壊したでの事。
自分では当たり前に振る舞った。
よかれと思って行動した結果は、自分の居場所を壊しただけ。
守るつもりだった。
あの学校を。
自分の過ごしていた学校を。
でもそれは、私の独りよがり。
望まれなかった行動でしかない。
あの学校の生徒にとっては、私も傭兵も同じ。
穏やかな日常を乱す部外者でしかない。
「帰らないよ。私は、あそこの生徒だから」
はっきりとそう答え、席を立つ。
居場所はない。
求められてもいない。
でも、逃げ出さない。
たった一人でも私を必要としてくれた人がいた。
だから、私は最後まで残る。
もうそれが、今日限りだとは分かっていても。
後数時間残ったところで、何が変わる訳でもないけれど。
私は私を貫き通す。
正門をくぐり、教棟へ続く通路を歩く。
すれ違う生徒達は目を反らし、誰もが道を空けていく。
ここで余計な事を言っても逆効果。
こちらもそれに、無反応で返すしかない。
「良いなー、こういう空気」
嫌みではなく、楽しそうに呟くケイ
この人は性格上、敵意をエネルギーに変えるタイプ。
それに少し励まされながら、校舎へ入る。
廊下でもやはり、他の生徒の反応は同じ。
逃げ道がない分、露骨に廊下へ張り付く生徒もいる。
「まさに傭兵だな」
「舞地さん達も、いつもこうだったの?」
「俺はそう聞いてる。毎回って訳じゃないけど、こうなる率は高い。逆を言えば草薙高校に傭兵が居着いたのも、あそこの居心地の良ささ。なんだかんだといって、度量は広い」
それは確かに、その通り。
元々転校生が多いのもあるし、傭兵程度の生徒は初めからいた事もある。
無論軋轢がない訳ではないが、それは傭兵に限った話でない。
編入組と繰り上がり組の確執の方が、むしろ根深い気もする。
教室に到着したところで、ようやく一息つく。
空気自体はさほど変わらないが、外よりは多少まし。
これは怯えより、戸惑いが強いのかも知れない。
夏休み前までは、私達は普通の生徒としてここに通っていた。
今でも自分が、それ程突飛な事をしているとは思わない。
だけどギャップとしては十分で、それもやはり自分が悪いんだろう。
「戻ってきたのね」
少し安心した顔で話しかけてくる取手さん。
何しろ昨日の今日。
リュックを持って外へ出たので、帰ったのかと心配してくれたようだ。
「一応。でも、今日で最後かな。明日からは、草薙高校へ戻る」
「そう」
私がそう答えるのは分かっているのか、驚きはしない女の子。
それでも少し寂しげで、ただそう思ってくれる人がいる事に気が安らぐ。
「明日の事、考えてくれた?」
「え、うん。良かったら、案内して」
「ありがとう。大丈夫、本当に普通の学校だから」
「雪野さんの普通って意味が、ちょっと私は分からないんだけど」
気になる事を言い残して去っていく取手さん。
普通は普通。
それ以上でもそれ以下でもない。
少なくとも自分では、そう思ってる。
重苦しかった午後の授業も終わり。
リュックを背負い、改めて取手さんに確認をする。
「迎えに行こうか」
「それは大丈夫。ただ、どこかで待ち合わせた方が良いと思う」
「待ち合わせ」
思い付くのは正門前だけど、人通りが多いし今は挨拶の励行中。
正直、あそこに留まっていたくはない。
「地下鉄で来る?」
「そのつもり」
「だったら、改札か駅の出口で待ってる」
「分かった」
端末を取り出し、神宮西駅構内の見取り図を表示させる女の子。
改札は一つで、駅の出口は4つ。
草薙高校に近いのは、1番か。
「迷ったら連絡して」
そう言った途端、私に集まる視線。
自分が言うなと指摘するように。
「何よ」
「別に。ユウがいなかったら、私か元野さんへ連絡して。私達は寮だから、駅の近くなの」
「ありがとう。じゃあ、また明日。さよなら」
「さよなら」
笑顔で教室を出て行く取手さん。
彼女がいないなら、私もここに残る理由はない。
最後に挨拶をして出て行く気にもなれはしない。
私に出来るのは、せいぜい忘れ物を確認するくらいか。
とはいえ、傭兵を駆逐するのは私の仕事。
それは彼女から頼まれた、私がなすべき事。
責めてそれだけは、全うして帰ろう。
まずは傭兵が溜まっていた場所を全部見回り、それ以外の不審そうな場所も見て回る。
柄の悪い生徒はいるが、いかにも傭兵といった雰囲気の人間はいない。
どんな雰囲気かは分からないし、見て分かるのなら苦労もしないが。
「取りあえず、鍵でも掛けるか」
このために用意しておいた南京錠をプレハブ小屋のドアに取り付け、鍵を掛ける。
本気で開けようと思えば、開けられない事はない。
ただこれは、私が付けた鍵。
念のため、書いておくか。
「えーと、勝手に開けるな。草薙高校自警局」
「ひどいわね、あなた」
「だからって、雪野優とは書けないでしょ」
さすがにドアへ直には書かず、張り紙を貼る。
はがされないようにラミネート加工したいけど、さすがにそこまでの手間も掛けられないか。
「こんな所かな。もう帰ろう」
「名残は惜しまないの?」
「特に、ね」
夏休み前。
転校すると決めた時も、学内をしばし散策した。
切なさと悲しさを抱きながら、思い出を噛み締めながら。
今も気持ちとしては変わらない。
ただその思い出が、少し苦いだけで。
翌日。
普段より少し早めに家を出る。
バスではなく地下鉄に乗り、神宮西駅で下車。
改札は大勢の人が出入りするため、正直その流れに乗ってしまいそう。
結局流れに乗って、駅の外へ出る。
正面に見えるのは草薙高校。
振り向けば熱田神宮。
私にとっては見慣れた景色。
心が落ち着く景色、とも言える。
腕時計で時間を確認する間もなく、後ろから声を掛けられた。
「ごめん、待った?」
いつも通りのセーラー服。
いつも通りの落ち着いた笑顔。
そんな彼女に笑顔で応え、指を差す。
私の母校。
草薙高校を。
大勢の生徒の流れに乗り、学校へと歩いていく。
それまでの笑顔が少し固くなり、口数も減り始める。
「どうかした?」
「いや、本当に大丈夫かなと思って」
「セーラー服?別に、普通だよ。いない訳じゃないしね」
「目を付けられない?
昨日同様、不安を呈す取手さん。
そんなに草薙高校って、誤解されてるのかな。
「仮に文句を言ってくる人がいるなら、私とかサトミとか、ショウに言って。すぐ追い払うから」
「追い、払う」
不思議そうに小首を傾げられた。
向こうの学校で私がどんな人間が多少は分かったと思うが、それと私がいまいちイメージ的に結びついてない様子。
実際小学生くらいの子供に胸を張られても困る。
などと、ケイ辺りなら言うだろう。
やがて正門が見えてきて、例の挨拶も聞こえてくる。
強要さえしなければ悪いとは思わないし、挨拶自体はむしろ奨励しても良いくらい。
ただ押しつけがましいのが問題なだけで。
「こういう事もやってるんだ」
「最近始めたんだって。無理矢理って言うのが、私は好きじゃないけどね」
「ふーん」
やはり不思議そうな表情。
一体どういうイメージを、彼女は草薙高校に抱いてるんだろうか。
「おはよう、ございます」
私が姿を見せた途端、声のトーンを落とす生徒と職員達。
そこまで露骨にやられても、あまり面白くはない。
「おはようございます」
それでも儀礼的に挨拶は返し、正門をくぐる。
制服を着ろとか、声を大きくとか言われないだけましか。
「友達?」
警棒を肩に担いで尋ねてくる七尾君。
以前通っていた学校の友達だと告げ、余計な事は言わないようにと目でも告げる。
大丈夫だとは思うが、沙紀ちゃん曰く意外と軽い性格らしいからな。
「七尾と言います。俺も雪野さんには、いつもお世話になってます」
「はぁ」
恐縮半分、照れ半分と言った態度。
見た目は良いからな、取りあえず。
「困った事があったら、いつでも声を掛けて下さい。俺に出来る事なら、何でもしますから」
でもって、如才もないと来た。
「彼女の面倒は私が見るから良いの。それより、他の人に広めて回らなくて良いからね」
「雪野さんの友達なら、草薙高校を上げて歓待しないと」
「冗談、だよね」
「ん、そうそう。はは、まさか」
明るく笑い飛ばす七尾君。
何かあったら、まずは彼に制裁を加えるか。
その後は幸い、何事もなく教室に到着。
適当な席へ座り、筆記用具を用意する。
「私は、えと」
「取りあえず、私の隣で良いんじゃない。席は指定されてないから」
「座れない人が出てこない?」
「余分に用意されてるから大丈夫」
これも多分、他校にはない特色。
名古屋港高校でも席は完全指定で、基本的に空いてる机はない。
気分で前にとか、今日は窓際と選ぶ事は出来なかった。
無論草薙高校でも前ほどフリーな状況ではなく、ある程度クラスが固定化されているので大体座る場所は決まってきている。
それでもやはり大体で、どこへ座るかは自由。
どうしてもというのなら、早めに来て目当ての席を確保すればいい。
背後に気配。
なんて思う間もなく、頭を軽く撫でられた。
「新しい友達?」
そう言ってくすくす笑う、髪全体にウェーブを掛けたお嬢様っぽい子。
なんか、私のお姉さんみたいな態度だな。
まあ、外見的にはそうなんだろうけどさ。
「前通ってた学校の友達」
「は、初めまして。取手と申します」
「こちらこそ、よろしく。雪野さんが迷惑を掛けてごめんなさい」
どうして初めから、迷惑前提で謝るのかな。
大して間違えてはないけどさ。
「この子の側にいない方が良いわよ。問題児だから
「え」
「雪野優があるところ災厄あり。もしくは、雪野優がその物だって主張する人もいるから」
眼鏡を押し上げながら笑う、清楚な顔立ちの女の子。
それって、自分の事を言ってるのか。
「変な事言わないで。私は至って真面目で、迷惑は誰にも掛けてない」
「友達の前だし、そういう事にしておきましょう」
しておききましょうって、今更何言ってるんだか。
つくづく頭が痛いな。
「何にしろ悪い子ではないから、よろしくね。疲れるかも知れないけど、一緒にいて困る事はないわよ」
私の頬を撫でながらフォローしてくれる、前髪にウェーブを掛けた優しそうな子。
言っている事は嬉しいが、この撫でる行為に何か意味はあるのかな。
きゃっきゃと笑いながら席へ着く女の子達。
人ごとだと思って、勝手な事ばっかり言って。
「あの子達は?」
「1年生からのクラスメート。見たまま、あんな感じの子」
「いかにも草薙高校の生徒よね」
「そうなの?」
よく分からないが、うっとりした表情で彼女達を見つめる取手さん。
確かに明るくて前向きで、影が無くて。
でもって優秀だけど、気取った部分はない。
そう言われれば、そうなのかな。
「おはよう。今のところは大丈夫?」
「ええ。雪野さんの交友関係に、少し驚いてるくらいで」
「この子、顔は広いから。後で、理事長にでも会う?」
「あはは」
サトミの言葉に明るく笑う取手さん。
冗談だと思ったようだけど、ちょっと気を付けておいた方が良さそうだ。
「問題、なさそうね」
「ええ。特には」
「困った事があったら、私かサトミに言って」
「ありがとう」
さっきより安堵感の増した表情。
なんだかんだと言って包容力はモトちゃんが一番。
私だって、気が楽になる。
「おはよう」
「あ、おはよう」
少し頬を赤らめて挨拶をする取手さん。
ショウは私の隣が埋まってるのを確認して、そのまま後ろへと向かう。
変な主張をしないのが彼らしくもあり、多少もどかしくもあるが。
「おはようございます。雪野さんから、話は伺ってます。何か分からない事があれば、遠慮なく僕達に仰って下さい」
固い挨拶から入る木之本君。
女の子も席を立ち、慌てて頭を下げる。
「二人とも、そんな気を遣わなくて良いから。……挨拶は」
「してたまるか」
そんな、胸を張って言うような事か。
制裁を加えようと思ったけど、取手さんが怪訝そうに私を見ているので取りあえず保留。
ケイはそのまま黙って、後ろの席へと着いた。
いつも通りのメンバー。
いつも通りの光景。
戻ってきたという意識。
心地良い、だからこそ振り返ると痛む胸の奥。




