41-1
41-1
お母さんに言われ、庭を掃除。
大して広くはないし、落ち葉というほどの量もない。
だけどこの白樺とドングリは、いつ持って行くのかな。
「うなー」
塀を器用に歩き、私を見下ろす黒白の猫。
もしくは、白黒。
どっちでも良いんだけどさ。
「おはよう」
挨拶するが、返事無し。
そもそも、もうこっちを見ていない。
猫にそういう事は通用しないし、それ程相性も良くはない。
これはお母さんの遺伝かな。
ただ構いたくなるのは、私の性格。
ホウキの先で、猫に触れる。
「にゃっ」
甲高い声を出し、手で叩く猫。
本当に愛想がないな。
「遊ぼうって言ってるんじゃない」
「ふぁーっ」
とうとう毛を逆立てて、目を怒らせてきた。
ちょっと上の場所にいるからって強気だな。
「あなたね。ここは曲がりなりにも、雪野家の敷地内だよ。そういうのは良くないよ」
「はぁーっ」
やはり聞いていないし、腰を落とし始めた。
明らかに良くない兆候で、放っておけば飛びかかって来ると思う。
掃除を止めて。
ではなく中断して、家に戻って窓をしっかり閉める。
「優。掃除はどうなったの」
「一旦休憩。猫が来た」
この時点で、さっきの猫より目付きの悪くなるお母さん。
相性が悪いどころの話じゃないな。
「それより、お昼まだ?I
「今作ってる。あなた、いつ寮に戻るの」
そんな事、すっかり忘れてた。
とは言わず、薄くドレッシングを和えられたレタスをかじる。
「ほら。一人娘が家にいると安心するとか」
「誰が言ったの、それ」
そんな冷静に尋ねられても困る。
だからという訳でも無いが、その寮へとやってくる。
休日とあって、寮の前は待ち合わせ風の生徒が結構多い。
彼氏なのか車やバイクで来ている男の子もいて、ちょっと羨ましくも思う。
そのまま建物へ入り、一応私用に割り振られた部屋の前に立つ。
カードキーでロックを解除。
万が一に備え、慎重にドアを開ける。
「何もない」
いや。多少荷物は運び込んだが、人が住んでいる雰囲気。
生活感が感じられない。
住んでないんだから、当たり前なんだけど。
「あーあ」
備え付けのベッドに倒れ、目を閉じる。
元々やる事もなく、何より休日。
たまには自堕落に過ごすのも良い。
年中自堕落という指摘は気にしない。
はらぺこぺこりを読んでいると、玄関から物音がした。
咄嗟にスティックを握ったところで、パジャマ姿のサトミが現れる。
「何をしてるの」
「だらだらしてる。自分の部屋だしね」
「自分の部屋だからといって、だらける理由にはならないでしょ」
だったら,、そのパジャマはなんなのよ。
とは言わず、はらぺこぺこりを本棚へ戻す。
「暇よね、今」
「忙しくはないと思うよ」
「頼まれ事があるの。ちょっと来て」
連れてこられたのは、寮内のラウンジ。
休日のせいか、サトミのようにパジャマ姿の生徒も多い。
中にはネグリジェなんて猛者もいて、ちょっと感心してしまう。
「あれって、寝てる内に脱げないのかな」
「なんの話をしてるの。それより、あれ」
サトミが指を指したのは、ラウンジの高い天井。
それと柱の交差する部分。
前より視力が落ちているのではっきりは見えないが、何かが引っ掛かっている。
「軟式のテニスボール。誰かがふざけてる内に、引っ掛かったみたい」
「私じゃないよ」
「そうじゃなくて、あれを取って」
テーブルに置かれたペットボトルみたいな言い方をするサトミ。
しかし手を伸ばして届く距離では勿論なく、跳んだところでそれは同じ。
天井の照明を交換するには、背の高い脚立が必要。
つまりはそういう事だ。
「業者に頼めば良いでしょ。照明を変える時、ついでにやってもらえば」
「それまで放置しておけと」
かすかに動く眉。
結局誰かに頼まれた訳ではなくて、あくまでもサトミの美意識の問題か。
「脚立もないし、暗くなる訳でも無いでしょ」
「明るい暗いは関係無いのよ。天井に照明以外の物が存在する理由は、この世の中に幾つあると思う?」
知らないわよ、そんな事。
ただそう思ってるのは私だけで、遠くから脚立が近づいてくるのは気のせいか。
私もさすがに今は上る気にならず、外部に委託をする。
「悪いわね」
「いえ。全然」
ジャージの袖をまくり、爽やかにほほ笑む渡瀬さん。
それは良いけど、私に申し訳ないとの言葉はなかったな。
「ユウ、どうかした?」
「いや。全然。渡瀬さん、大丈夫そう」
「脚立が固定されていれば、なんとか」
そう言いながらすでに上り始めている渡瀬さん。
気づけばその姿は天井の真下にあって、柱との間に挟まっているボールを難無く手に取った。
「雪野さん」
真上から落ちて来たボールを受け取り、テーブルに置いて脚立を掴む。
万が一の事があっても大丈夫とは思うが、気持ち的に。
幸い何事もなく、脚立を降りきる渡瀬さん。
それには自然と、ラウンジにいた生徒から拍手が起きる。
「御苦労様」
ねぎらいの声を掛け、ジュースを渡すサトミ。
この子とは結構長い付き合いだけど、こうして私をねぎらってくれた事があったかな。
「どうかした」
「全然、気にしてない」
「意味の分からない子ね。次は屋根よ」
意味が分からないのは、どっちなのよ。
これは危険度が高すぎるので、さらに外部へ委託。
すぐにショウが駆けつける。
「サトミがわがまま言い出してさ。屋根の上にのぼるんだって」
「分かった」
素直に頷くショウと、すごい顔で睨んでくるサトミ。
だって、本当の事じゃない。
「あなた達、何してるの」
眠そうにあくびをしながら現れるモトちゃん。
そして寮の屋根を見上げ、サトミへ視線を向ける。
「掃除は業者に頼むって言わなかった?」
「いないんだから仕方ないでしょ」
「それと急ぐ事でもないし、誰も困ってないわよ」
「言ってる意味が分からないわ」
多分それはモトちゃんの台詞だと思うが、ショウは腰に例のワイヤーを装着した後。
つくづくもの悲しいな。
ワイヤーの先端を掴み、屋根に向かって投擲するショウ。
仕組みは相変わらず分からないが先端がどこかに張り付き、ウインチを始動させると彼の体が浮き始めた。
「屋根の上で、何するんだ」
「ゴミがあるから、全部下へ落として」
「屋根の上にゴミ?」
不思議そうな顔をしながら昇っていくショウ。
そう言われてみると、何があるのか興味が湧いてくる。
「えーと」
一応持ってきていたワイヤーを私も投げて、ウインチを始動。
後は勝手に体が浮き上がる。
「渡瀬さんも来る?」
「落ちません?」
露骨に嫌そうな顔をする渡瀬さん。
ワイヤーの強度は、それこそ車が吊り上げられるくらい。
ただ私の腕力は、中型犬を持ち上げるのもやっと。
「上から、ワイヤーを戻す」
「落ちませんよね」
「屋根から落ちても、別に困らないでしょ」
「済みません。聞き間違えたので、もう一度言って下さい」
真顔で尋ねてくる渡瀬さん。
どうやら屋根から飛び降りるのは、一般常識とはかけ離れているようだ。
という訳で、寮の屋根に到着。
上は緩やかな傾斜の三角形。
中央にはアンテナがいくつか立っていて、木之本君が見たら喜びそうだな。
「落ち葉と、普通のゴミか」
あらかじめ持ってきていたゴミ袋にゴミを詰めていくショウ。
ワイヤーは私が付けているので、彼は全く無防備な状態。
それでも臆した様子もなく、庭のゴミを拾うみたいに歩いていく。
「どうでも良いけど、落ちないでよ」
「捕まればいいだろ、その辺に」
「私に捕まって、一緒に落ちるってオチじゃないの」
「それも良いかもな」
何も良く無いじゃない。
なんて言ってる間に、渡瀬さんも到着。
あまり楽しそうな顔ではないので、ショウのワイヤーは彼女へ付けたままにする。
「結構落ちてますね」
「風で飛ばされてくるんだろ。……ゴミ、下ろすぞ」
「え?」
「ゴミ」
ゴミ袋を振って、下を指さすショウ。
まだ耳をこっちに向けているサトミ。
ちょっと狙いたくなるけど、多分後で地獄を見る。
「あまり安定しませんね」
完全に腰を下ろし、出来るだけ身動きしないようにする渡瀬さん。
それを見ていると、ひょこひょこ動き回っている私やショウは何なのかと思う。
「高いところ、苦手だった?」
「そうでもないですけど、ここまで高いのはちょっと」
「宙返りくらいなら出来るスペースだよね」
「はぁ」
いまいち薄い反応。
私も好き好んでやりたいとは思わないが、やって出来ない事はない。
「足場は悪いけど、広いからさ」
「やりませんよね」
妙に真剣な顔で聞いてくる渡瀬さん。
そんな無鉄砲に見えるのかな。
あまり楽しそうではない渡瀬さんを降ろそうとしたら、視界の隅にピンク色の影がよぎった。
「風船?」
風にでも飛ばされて来たのか、風船はふらふら漂いながらこっちへと近づいてくる。
済ました耳に聞こえる子供の泣き声。
視力が低下しているので、目をこらしても姿は確認出来ない。
ただ、出来る事はある。
屋根の頂上まで駆け上がり、ワイヤーの接続状況を確認。
軽く息を整え、そのまま一気に走りだす。
「雪野さんっ?I
「ワイヤー見ててっ」
「見てどうするんですっ」
それはちょっと気づかなかった。
と、屋根の端から勢いよく踏み切ったところで思う。
一気に開ける視界。
足元に地面がないのは、かなり不思議な気分。
サトミとモトちゃんが何か言っているけど、今更戻りようもない。
ふらふらと揺れながら宙を舞うピンクの風船。
フリッカージャブ気味に腕を伸ばし、紐を掴んで手首を返す。
風船は確保出来た。
後は落ちて行くだけだ。
いくら私が小さいとは言え、風船一つで浮き上がる程ではない。
ワイヤーをフリーにして、まずは屋根から引っ張られる事を防ぐ。
急激なショックは緩衝してくれるが、それでもこの勢いでは何が起きるかさすがに不安なので。
ただフリーにした分、飛び出した勢いのまま寮から遠ざかって行くが。
胸のすくような落下の感覚。
景色は一瞬にして上へと流れ、足元には地面が迫る。
今度はウインチを作動。
落下の速度に近いスピードで巻き上げる。
軽く腰を引っ張られ、負担を感じない程度でウインチの速度を上げる。
後は振り子のように後ろへ下がり、つま先が地面をなでて滑って行く。
「よっと」
壁にぶつかる寸前で私を抱きとめるショウ。
しばしその感触に甘えていたいが、周囲からの視線がすごい。
サトミやモトちゃんに至っては、今にも飛びかかって来そうな顔である。
「風船飛んでたからさ。子供の声も聞こえたし」
「だからって飛び降りる事ないでしょ」
「勢いでつい、ね」
風船をショウへ渡し、子供に届けてもらう。
彼は多分、見えていただろうから。
「無理するなよ」
「ワイヤーがあったからね。渡瀬さんは?」
「まだ上です」
屋根の上から聞こえる声。
つまりワイヤーは、彼女がつけっ放し。
「ショウはどうやって降りたの」
「普通に飛び降りた」
言葉の意味がおかしくないだろうか。
私のためにしてくれたのは、素直に嬉しいが。
風船は無事子供に届けられ、気分よく午後の一時を過ごす。
なんだかんだといって、寮は落ち着くな。
お母さんに怒られないしさ。
「っと」
ベッドに転がしてあった端末が着信を告げる。
やはり寝転がっていたので、手を伸ばし相手を確認。
少し胸が熱くなる。
相手は、以前通っていた高校のクラスメート。
疎遠になった訳ではないが、端末でその名前を見るたびに向こうでの生活を思い出す。
平穏で、楽しく過ごしていた毎日を。
「久しぶり、取手さん」
「ええ。雪野さんも元気?」
少し重い声。
それについて尋ねようとしたところで、向こうから切り出して来た。
「雪野さんは今、草薙高校に通ってるのよね」
「そうだよ」
「ガーディアンって、知ってる?」
知ってるも知らないも、私がそうだ。
ただ向こうでは、普通の生徒として過ごしていたしガーディアンと名乗ってもいなかった。
彼女がこんな質問をするのも、不思議ではない。
何故してきたのかは、また別だが。
「ガーディアンは知ってる。でも、そっちの学校は大丈夫でしょ」
向こうにも不良はいたが、人数的にはごくわずか。
暴れるようなタイプでもなく、ファッションに近いと思っていた。
またガーディアンに似た自警組織も、小規模ながら存在したはずだ。
「それが最近、変な生徒が転校して来たの」
「変」
「友達は、傭兵って言ってた。学校で暴れたり物を壊したりして、ちょっと怖いのよ。そのガーディアンって、こっちに来てくれないのかな。そんな都合の良い話はない?」
「一度、友達に聞いてみる。後で、こっちから連絡するから」
通話を終え、まずは深呼吸。
本棚から地図を取り出し、場所を確認。
半年間通った場所。
忘れる訳がない。
私の、もう一つの母校を。
制服を取りに寮を出たところで、サトミに呼び止められた。
「どこ行く気」
「家に戻って、学校へ行く。制服取りに」
「今日は休みよ」
「ああ、そうか」
だからこそ私も、こうして遊んでいられる。
今の今まで気付かなかったな。
「制服がどうかしたの」
「前の学校に戻る。向こうが荒れてるんだって」
「侠客なの、あなた」
そういう言い方をされても困るが、間違ってもないと思う。
何より困ってると聞かされて、黙っている訳には行かない。
ラウンジへ引き戻され、モトちゃんと沙紀ちゃんも交えて話をする。
ただ誰が何を言おうと、私の気持ちは決まっている。
学校へは戻るし、暴れている馬鹿連中は片っ端から排除する。
それで退学になろうと停学になろうと構わない。
いや。構うけど、そのくらいの心境ではある。
「名古屋港だった、場所は」
「そう。普通の平凡な学校で、荒れてなかったんだけどね。私達が通ってた時は」
「それは、傭兵?」
「友達はそんな事言ってた。というか、傭兵でも誰でも関係ない」
彼女達を困らせるような輩は、誰だろうと叩きのめす。
ただそれだけだ。
「……眠いんだよ、俺は」
気だるそうに近付いて来るや、座った途端机に伏せるケイ。
そう言えばこの子、立場としては傭兵だったな。
「前の学校に、傭兵が来てる。どうにかしてよ」
「そんなイルカ臭い学校の事なんて知るか」
取りあえず脇腹をひと掴み。
悲鳴を上げさせ、改めて話を振る。
大体イルカ臭いって、どんな匂いよ。
「もう一度言う。どうにかして」
「俺は子供相談室じゃないんだ。……あそこは港署のすぐ側だろ。警察へ頼れ、警察に」
「自治はどうなるの」
「草薙高校だけだ、警察権力の介入を拒んでるのは」
なるほどね。
そう指摘されると、確かに変わった学校なのは間違いない。
ケイが寝息を立て出したので、もっと頼りになる人を呼ぶ。
「女子寮って、結構抵抗があるんだけどね」
そう言いつつ、声を掛けてきた女の子に愛想良く笑っている七尾君。
如才ないというか、そつがないというか。
相変わらず、バランスの取れてる人だな。
改めて友達から聞いた事を彼に説明。
どうすればいいかを教えてもらう。
「やっぱり警察に頼るか、放っておくか。結局、草薙高校の話じゃないからね」
「ユウにとっては、向こうの学校も母校。今の言葉で、地雷を踏んだ」
突然聞こえる陰気な声。
七尾君は軽く咳払いをして、額に手を当てた。
「……俺がフリーガーディアンの研修を受けた事と関係ある?」
「ある」
「結論から言うと、他校へ出向するのは難しくないよ。草薙高校は、研修制度も取り入れてるしね。他校で受けた授業を、そのまま単位に振り返る事も出来る。相手校が受け入れてくれれば」
「フリーガーディアンの権限で、どうにかならないの」
「俺は研修を受けただけだから」
ああ、そうか。
どうも、思ったようにスムーズには行かないな。
「駄目って事?」
「相手校に寄るね。ただ草薙グループの系列校なら、難しくはないと思う。校長にでも頼んでみれば」
「校長、ね」
彼の言う校長とは、前理事長。
正直あまり相性の良い相手ではなく、出来れば会いたくはない。
だけど、それは私の都合。
友達を助けるためなら、気にするような事ではない。
という訳で、校長室を訪れる。
そこにいたのは校長と村井先生。
姉妹揃って私の話に耳を傾け、じっと顔を見つめてきた。
「それは、あなたがする必要な事なの」
「必要だから頼んでるんです。大体系列校なら、二人にも関係はあるでしょう」
「そういう報告は受けてないわよ」
「周りがイエスマンばっかりで、悪い話は届かないだけじゃないの」
そう言った途端、刺すような視線で睨まれた。
確かに、本人の前で言う事ではなかったか。
「そういう事は認められているの?」
「他校への研修といった形式にすれば問題はないと聞いてます」
「頭が痛いわ」
そう言って、実際に頭を抑える校長。
私って、そんなに問題児かな。
「元野さん、あなたは付いて行けるの?」
「ご指示があるのなら」
「だったらお願い。彼女を監視して」
「分かりました」
分からなくていいし、頼まなくても良い。
そのまま事務局へ移動。
研修用の書類が揃えられ、誓約書や承諾書にサインを書いていく。
これだけで、一仕事した気分。
もう、疲れて来たな。
「書類、まだあるわよ」
机の上に、等間隔で書類を並べていくサトミ。
仕方ないので署名欄にペンを走らせ、ため息を付く。
「前に滋賀へ行った時は、もっと簡単に済んだじゃない」
「あれは池上さんが手続きを事前に済ませてくれていたの。はい、次」
今度はIDの番号か。
そんなのいちいち覚えてないし、何のために必要かも分からない。
「IDカード自体に番号が書いてないんだけど」
「偽造されないようによ。カードを端末で読み込んで、パスを入力して」
パスってなんだ。
でもって、どうしてこの子が入力してるんだ。
手続きが全部終わったのは、夕方過ぎ。
茜色の空を鳥が舞い、長い鳴き声をたなびかせながら西へと飛んで行く。
東かもしれないけど、それはこの際どうでもいい。
「手続きを踏まずに、学校を休んで行けばよかったな」
「それだと、向こうの学校に入れてもらえないでしょ」
「授業中は保健室にでも隠れてて、何かあった時だけ外に出るとか」
「あまり賢くはない方法ね」
そんな真剣に言われても困る。
ただこれで、正式な手続きは完了。
晴れて、向こうの学校へ向かう事が出来る。
「連絡するの忘れてた」
端末を取り出し、取手さんのアドレスをコール。
すぐに通話がつながり、いつものように挨拶をかわす。
「それでガーディアンの事なんだけど。どうにかなった」
「本当?100人くらい来てくれるの?」
一体どんな状況になってるんだろうか。
不安になる気持ちは、分からなくもないけどね。
「行くのは数人だけ。ただ学校同士は近いから、呼ぼうと思えば応援はすぐに呼べる」
「数人で大丈夫なの」
「多分ね」
始めは自分一人で行こうと思ってたくらい。
それでも片付ける自信というか、意気込みはあった。
相手が虎や狼でない限りは問題ないと思う。
少なくとも私は、そう思う。
家に戻り、自分の部屋で制服を探す。
しかしクローゼットの中には見当たらず、出てくるのは草薙高校のものだけ。
一階へ駆け降り、ご飯を作っているお母さんに声を掛ける。
「制服、どこにある?」
「優の部屋でしょ」
「あれじゃなくて、夏休み前に着てたの」
「また退学になったの」
怖い顔で振り向くお母さん。
包丁を持ったままなのは、止めてもらえないかな。
出来上がったカレーを食べながら、事情を説明。
それでもやはり、嫌な顔をされる。
「優がいかないと駄目な訳でもないんでしょ」
「友達が困ってるのに、見過ごす訳にはいかないの」
「何者よ、あなた」
「優は優しいね」
同じ親でもこの違い。
私なら、お母さんと同じ反応をするだろうけど。
「でも、危なくないの?」
「草薙高校より危ない学校もあまりないと思うよ」
治安が乱れている学校は、多分どれだけでもあるはず。
ただ私がガーディアンである以上、草薙高校内においては決して安全な立場にいるとは言い難い。
食事を終え、デザートに梨を食べる。
瑞々しくて、控えめな甘さ。
しゃししゃりした食感が、なんとも秋を思わせる。
「お昼はどうするの」
「ああ、そうか」
お父さんに指摘されて、今頃気づく。
向こうの学校にも学食はあるが、とりあえず食事を出しますといったレベル。
食事をする場所としてなら問題ないが、充実した食生活とは程遠い。
「お弁当持ってく。買うのも面倒だし」
お昼時には食事を求める生徒が学食へ殺到。
私が入り込む余地などなく、少しでも出遅れれば売れ残りのアンパンを手に入れるのがせいぜい。
だったらあらかじめ買っておくか、作っていった方がむしろ楽である。
「行くのは、優だけ?」
「モトちゃんは来るよ」
「監視でしょ」
にやりと笑うお母さん。
どうにも鋭いというか、私は浅いな。
「聡美ちゃん達は?」
「聞いてない。ショウは多分来てくれると思う」
「楽しそうで結構ね」
「そうでもないんだけどね」
単に訪問するだけなら、きっと楽しいはず。
でも今回は、目的が目的。
楽しい事ばかりが待ってる訳ではない。
翌日。
バスを降りて正門へ向かうと、いつものように大声の挨拶が聞こえてきた。
向こうの学校でも月に一度くらいはこんな事をやっていたが、あくまでも一時的。
ここまで執拗というか、継続的ではなかった。
そう考えると、やってる事はともかく偉いとは思う。
声をもう少し小さくして、強要してこなければ。
正門をくぐったところで、仁王立ちしていたサトミと出会う。
いつもは私より遅いのに、珍しいな。
「遅いわよ」
「普段通りのバスに乗ったし、多分定刻に着いたと思うよ」
「予定より遅れてるという意味。定刻に到着すると信じていたら、次の行動に支障が生じるでしょ。だからこそ日程表やスケジュール表には、余裕を持った時間が記載されてるの」
また嫌な事を言い出したな。
そんな物は無いと言おうとしたら、小冊子を渡された。
一日で作ったな、この女。
「大体の事は書いてある。今日中に、目を通しておいて」
「臨機応変に振る舞えば良いんじゃないの。というか、サトミも来るの」
「私が行かなくて、誰が行くの」
「知らないけどさ。ふーん」
他人に関心が無いとは言わないが、積極的に関わるタイプではない。
向こうの学校でもその態度はあまり変わらず、こんな熱心になるとは思わなかった。
勿論、いないよりは良いけどね。
教室で筆記用具を揃えていると、未だに半袖のショウが現れた。
さすがに、そろそろ自重して欲しいな。
「名古屋港の学校、行くよね」
「ああ」
なんの躊躇もなく頷くショウ。
単純に恰好良いな、この人は。
だてに半袖を着てない訳だ。
いや。関係無いけどさ。
「木之本君は?」
「僕は取りあえず、こっちにいるよ。みんながいなくなって、何かあったら困るからね」
「そう」
こういう細々した事をしてくれる人がいないのは、こっちが困る。
当てが外れたので、誰か代わりを探さないと。
猫背でよろめきながら入ってきた男は論外として。
昼休み。
食堂で焼きうどんを食べながら、リストを見る。
「エリちゃんは?」
「木之本君とエリちゃんは残ってもらわないと」
「小谷君は?」
「同じ」
あっさり却下するモトちゃん。
そういう系統の人は、初めから選ぶ権利がないようだ。
「御剣君は、揉めないと必要ないしな」
「傭兵がいるだろ」
「……ああ、緒方さんか」
リストの一番上にあったので、逆に見逃してた。
すぐに彼女のアドレスをコール。
同じ食堂内にいたらしく、ホットドッグとハンバーガーを持って現れる。
「何か用事でも」
「仕事の依頼。前の学校に行くから、付いてきて」
「報酬は?」
「ケイが払うって」
机を指で叩く音が、私の声をかき消そうとする。
でも、もう言ったから遅すぎる。
「傭兵が暴れてるとは聞いてますけど」
「さすがに詳しいね」
「昔の知り合いが教えてくれたんです」
「知り合い」
そう聞くと、少し嫌な予感がする。
まさかとは思うが、確かめた方が良さそうだ。
「大内さんじゃないよね」
「恭夏さん?ええ、違います。彼女なら、もっとスマートにやりますよ」
「じゃあ、舞地さん達が暴れてるとか」
「大学生でしょ、彼女達は。それに私も用事があるので、先輩達だけで頑張って下さいよ」
色々と否定された。
ただあの人達ならやりそうだから、結構困る。
それは、向こうの台詞かも知れないが。
名前も教えてもらったが、聞いた事もない連中。
元傭兵の彼女も知らないとの事で、無名な存在なんだろうか。
「現役としての意見は?」
パスタのフォークをケイへと向けるサトミ。
この人も、一応は傭兵と呼ばれる立場。
純粋なそれとは違うが、私達の中ででは一番そちら寄り。
また彼等の動向には元々詳しく、知っている事の一つや二つはあるだろう。
「誰だろうと、所詮小物。真面目に言えば、ユウやショウが相手にするレベルじゃない」
「舞地さんとか、伊藤さんとか。森山君達とか。あの人達は、ずば抜けてるじゃない」
「あっちは渡り鳥で、荒らす人間を取り締まる側。傭兵を怖がるのは慣れてないからで、この学校に来た傭兵のレベルを見れば大体分かるだろ」
そう言われてみれば、ここで出会った傭兵は単に柄が悪いだけ。
正直ガーディアンの敵ではなく、多少手強かったのが例の金髪達くらい。
それでも粗暴で残忍な性格以外は、取り立てて気にするような相手でもなかった。
「他には」
「言っただろ、気に留める程の相手じゃないって。むしろ、この学校へ来ないのが気になるね。規模も知名度も全然違う。傭兵が来るなら普通はこっち。橋頭堡代わりかもな」
「橋頭堡?」
「向こうを足場にして、こっちへ攻め込むってつもりじゃないの」
あまり。
というか、全く面白くない話。
ここへ攻め込むのもだが、向こうをそういう目的に見ている事自体が許せない。
「冗談じゃないわよ。誰、その傭兵って」
「だから、名もない連中だって。その辺のチンピラと大差ない」
「居座ってるのは確かなんでしょ」
「橋頭堡とも言った。まずは先兵を送り込んで、後から本隊が来るんじゃないの。どっちにしろ、小物だよ」
端から取り合わないケイ。
言いたい事は分かるが、傭兵が来ているは確か。
普通の生徒なら、恐怖の対象でしかない。
「本当に大丈夫なの?」
「終われば分かる。ああ、下らない連中を相手にしたなって。一度、自分のランクを知った方が良い」
「ランクって、私は普通の女子生徒だよ。ショウは知らないけど」
「虎の子供も、そう思ってる。あたし子供だから、うふって。でも、虎だ」
意味が分からないし、気持ち悪いのよ。
放課後。
自警局で、向こうの高校の見取り図を広げる。
規模しては、草薙高校の1/10以下。
教棟も二つしかなく、生徒も500人程度。
その分アットホームというか、まとまりのある良い学校だ。
「確かに、ガーディアンを設立する程の規模ではないわね」
「それが仇になったんでしょう」
レポートでも審査してるようなモトちゃんとサトミ。
私は改めて間取りを確認。
侵入経路は多いが、学校が小さい分守りやすい。
カメラとセンサーをいくつか付ければ、大して難しくはないだろう。
「片っ端から叩きのめして終わりじゃないの」
「それはユウに任せる。背後関係を、私達はもう少し考えてみる」
「所詮傭兵ってケイは言ってたよ」
「どちらにしろ、ここに来ない時点で不審な点は多い。そう甘くもないわよ」
「ふーん」
意外に慎重というか、当たり前だけど色々考えているらしい。
のんきにゲームをやってるケイとは全然違うな。
背後関係というのはモトちゃん達に任せ、私は装備品を確認する。
スティック、ゴーグル、予備の警棒。
「プロテクターはどうする?こっちの大きい方」
「後から持ち込めば良いだろ。俺は持っていく物も、別にない」
革のグローブをひらめかせるショウ。
この人は武器も扱うが、素手で戦うのが基本。
それ以外の持ち物は、普通の生徒が持ち歩くのと同じ物。
改めて確認する必要はない。
「じゃあ、警棒持って行って。後は、何が必要かな」
「別に要らないだろ。体一つで十分じゃないのか」
「ここなら欲しい装備をすぐに取りに来れるけど、向こうに行ったらそういう訳にもいかないでしょ」
「最悪、バイクで走る。こっちから武士に届けてもらって俺が受け取れば、それ程時間のロスもないだろ。持っていくと、持ち帰る方が面倒だぞ」
意外に力説するショウ。
もしかして、自分が持ち帰る事前提で話してるのかな。
実際問題、私にプロテクターを運べと言われても困るけどさ。
次は、装備品とは別な物をリュックに詰める。
友達へのお土産、向こうで食べるお菓子、缶詰。
食べ物ばかりだな、どう見ても。
「遠足にでも行くのか」
小声で突っ込んでくるケイ。
言いたい事は分かるが、向こうはそれ程購買や学食が充実はしていない。
欲しいからと言って手に入りはしないので、ある程度は持ち込んだ方がいい気がする。
「そんなイルカ学校へ行くからだ」
「何よ、イルカ学校って。大体、自分は何持って行くの」
「おい、誰が行くって言った」
ゲームのコントローラーを放り出して近付いてくるケイ。
それに構わず、キャラメルを隠しポケットに入れる。
こういうのが後から見つかると嬉しいんだ。
「俺は色々忙しい。遊んでる暇はない」
「ゲームやってるじゃない。それに傭兵が暴れてるなら、責任とってよ」
「俺の知り合いでもなければ、何一つ接点もない。誰かこの子供に言ってくれ」
「用がなければ帰ればいいでし。とにかく、これは決定したから」
机を軽く叩き、彼の申し出を却下。
何か唸ってるけど、聞こえない事にする。
それで後は何をやるか。
別になにもないか。
いや。あるのかも知れないけど、いまいち思い付かない。
「暇そうだな」
私が渡した予備の警棒で肩を叩くショウ。
この人も、人の事を言えないな。
「元々やる事もないしね。いっそ、向こうの学校にいた方が良かったのかなとも思う」
「それはそれでどうなんだ」
「さあ」
少し沈みがちに声を返す。
戻ってきて失敗とは思わないが、やる事がないのは確か。
頼りにされてない気がする。
自分が、そうしようと思ってないだけかも知れないが。
私がなすべき事。
友達の窮地を助けるのは、その一つだとは思う。
では、この学校で私のなすべき事はなんだろうか。
出来る事はいくつでもあるはず。
なすべき事、進むべき道。
見えるようで見えないその先の果て。




