エピソード(外伝) 40 ~真田さん視線~
正義
自警局局長。
つまりは元野さんの机に収まり仕事を始める小谷君。
それを確認し、自分の真正面に座る遠野さんと視線を交わす。
「何、真田さん」
地味に感じるプレッシャー。
先輩達を部下にするという発案に対し、小谷君が出した結果が彼女。
容姿端麗で能力も抜群。
仲間思いの良い先輩である。
「どうして前に座るんですか」
「机がそう配置されているからよ、真田さん」
それは確かにその通り。
ただ机は他にもあり、敢えて私の前を選ぶ必要はない。
「何か問題でも?」
「いえ」
静かに答え、自分の仕事をチェック。
今のところ、ここに留まる必要は無さそうだ。
「総務課へ戻るので、後はよろしく」
「ああ、ご苦労様。遠野さん、この資料の過去データを全てお願いします」
「分かったわ」
特に苛立った様子も見せず、指示に従う遠野さん。
変わったな、この人も。
総務課課長執務室に入ると、元野さんと北川さんに出迎えられた。
別な意味で遠野さん以上のプレッシャーではあるが、それに臆している場合でも無い。
「しばらくの間、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
「よろしく」
にこやかに挨拶をしてくる二人。
私も微笑み返し、席について改めて仕事を確認する。
急を要する仕事はなく、日常的なルーティーンワークが大半。
元々局長補佐をやっていたので、内容もある程度は把握。
自分の分かる範囲で指示を出し、仕事を進めていく。
二人は黙って私を見ているだけ。
小谷君は気軽に仕事を振っていたが、それは少し気が引ける。
何より自分一人でやった方が楽である。
彼女達を選んだのも深い理由は無く、総務課だからという曖昧な理由をみんなが挙げたから。
小谷君が遠野さんを引き受けた以上、私が二人を拒否をする権利はその時点で消えた。
「お茶どうぞ」
そっと差し出されるマグカップ。
そういう仕事は止めて欲しいと思いつつ、元野さんに礼を言ってお茶を飲む。
「取りあえず、今のところ問題はありません」
「そのようね」
にこりと笑う元野さん。
やりにくいな、これは。
元野さんは否定していたが、今回の配置換えは私達の適性判断も含まれているはず。
また上に立った時の立ち振る舞いも、当然見られている。
その意味において、私は落第。
どうしても自分一人で終わらせたくなり、上手く指示も出せそうにない。
「お二人は、少し休んでいて下さい」
「分かった」
大人しくソファーへ座る元野さん。
対して北川さんは、机の上に散乱する書類を視線で追い始めた。
元野さんと違い、かなり生真面目な性格。
言いたい事はかなりあるだろうが、それを喉の辺りで押しとどめているように見える。
「北川さん、私は大丈夫ですので」
「そうみたいね。ただ……。いや、なんでもない」
言葉を無理矢理飲み込む北川さん。
これは誰が得をする配置換えなんだろうか。
プレッシャーに耐えていると、卓上端末に連絡が入る。
相手は予算局。
今月の予算申請額が多いので、削減するようにとの内容。
元野さんを見るが、彼女は我関せずと言った態度。
つまり、私の裁量。才覚で判断しろと言っている。
「削減は出来かねます」
言葉に出しつつメールで返答。
元野さんは依然として反応無し。
北川さんは、私と卓上端末を交互にチェックする。
すぐに次のメールが到着。
予算局から見た無駄な部分が逐一報告され、その部分を削除するよう指摘される。
まずはガーディアンの手当削減。
次いで、備品。
夜食の買い置きまで指摘された。
「……削った方が良いでしょうか」
さすがにこれ以上は自分の手に追えず、北川さんに質問。
彼女は目を閉じ、顎に手を添えた。
「どちらの立場に立つかよね。生徒会としてなら、予算は少しでも削りたい。ただ自警局としてなら、もらえるだけもらいたい」
「落としどころはあるんですか」
「相手の面子を立てて削除するのは手っ取り早いわよ。ただ従順な姿勢は相手の気分を良くするけれど、増長させる原因でもある」
暗に削除するなと言われているようにも聞こえる。
とはいえ私達は生徒会の一員。
無駄に予算を使って良い理由は無い。
今度はソファーでくつろいでいる元野さんの前に座り、同じ質問を彼女にも向ける。
「削除すべきでしょうか」
「北川さんの言うように、正解はない。だからこそ難しく、やり甲斐もある」
漠然とし過ぎた解答。
参考にしづらいとも言える。
「削除した方が良いんですよね」
「予算局は喜ぶわよ。元々自警局は予算を使いすぎてると批判を浴びてるから」
「分かりました。一度、他の課に連絡をしてみます」
「それはいい考えね」
メールを送った途端、一斉に戻ってくる反対意見。
削除など言語道断。
これでも少なめに予算を要請したと言い返された。
当然と言えば当然で、もらう側からすれば少しでも余分にもらいたいのが心情か。
連絡したのは明らかに失敗。
自分で判断し、その結果だけを伝えるべきだった。
「……こうなると分かってたんですか」
「予想と結果はまた別でしょ。それに、彼等の意見が正しいとは限らない」
「では、削除すべきだと」
「難しいわよね、本当に」
曖昧に答える元野さん。
北川さんに視線を向けるが、彼女は口を閉ざすだけ。
言いたい事は山のようにあっても、それは自分の意見。
ここで押しつける訳には行かないと思っているようだ。
仕方なく他の課へ直接出向き、事情を説明。
その3倍くらいの説明をされ、削除は出来ないと改めて抗議を受ける。
意見を聞かず削除すれば良かったのか、それとも要求を押し切れば良かったのか。
しかし正答などどこにもなく、ただ少し疲れてきた。
「とにかく要求しただけの予算は必要ですから。消耗品分は確保しないと大変な事になりますよ」
切羽詰まった顔で話す備品課の女の子。
私からすれば備品は潤沢にあると思えるが、それは外部の意見。
管理する側からすれば、少しでも余裕を持ちたいのだろう。
「分かりました。ただ予算局が拒否し続ければ予算は降りないので、妥協は必要だと思います。削れる部分からリストアップして、データを提出して下さい」
「削る事前提なんですか」
「予算局次第ですからね、この話は」
「はぁ」
あまり納得していない顔。
元野さんや北川さんなら違っていたと言いたそうにも思える。
次に訪ねたのが自警課。
大きな机に収まっていた渡瀬さんは椅子から降りて、明るい笑顔を見せてきた。
「良いんじゃないの、削れば。お金のためにやってる訳でも無いんだし」
朗らかに言ってのける渡瀬さん。
この子も相当な器の持ち主だ。
「それは、自警課としての意見かしら」
「そうだよ。何か言われたら、私の責任にしておいて」
逃げ道も断つ覚悟と自信。
普段は軽い雰囲気だが、その芯は強く気高い。
彼女は削減に賛成。
本音を言ってしまえば、私も賛成。
予算局におもねる訳では無く、必要のない予算を得ても仕方ない。
余剰金をプールする制度もあるが、それが良い事に使われるとは限らない。
無いなら無いなりに創意工夫が行われ、意外とどうにかなるもの。
何より連合の頃に比べれば、今は資金が潤沢。
この半分でもやっていけるだろう。
「どうかした?」
「昔。連合の頃を思い出してた」
「雪野さんの事?」
きらきらと眼を輝かす渡瀬さん。
貧しさを振り返っていたとは言えそうにない雰囲気。
取りあえず頷いて、肯定の意思を示す。
彼女にとって雪野さんはヒロイン。
おそらくは丹下さんの影響が強く、また高等部に入学後本人に出会ってその思いを寄り強くしたのだろう。
彼女が類い稀なる人物なのは、誰もが認める所。
ただそれに比例し、災厄も引き起こす存在。
彼女が一方的に悪い訳では無いのだが、原因の一端を担う事も多い。
しかしそういった部分こそが、丹下さんや渡瀬さんなど。ファンの多い理由。
余人には絶対真似の出来ない事を、当たり前のようにやってのけるから。
とはいえ復学して以来は、比較的穏やか。
もっと言ってしまえば、昨年度から。
あの混乱はともかく、以前ならセーブ無しに理事達をなぎ倒して終わっていたはず。
それが今回は、曲がりなりにも一応は手順を踏んで物事を進めて行った。
人間が大きくなったとでも言おうか。
「雪野さんって、昔からああ?」
「昔はもっとひどかった。今は、かなり落ち着いてる」
「ポールに吊したって話は本当なの?」
「さあ」
その辺は曖昧にして、視線を逸らす。
私も迂闊に口を滑らせ、屋上より上には行きたくない。
反対意見はあったが、やはり削減するのがベター。
予算局に尻尾を振る必要はなくても、友好的な態度を示して不利な事は無い。
「そう」
削減の事を告げると、その一言で終わらせる元野さん。
とはいえ何かあれば、責任を取るのは彼女。
私が行った事とはいえ、局長が彼女なのは揺るがない事実なのだから。
それでもこの態度、そしてこの余裕。
雪野さんとは違う意味で、あまりにも存在が大きすぎる。
「このまま勧めて構いませんね」
「ええ。それと、小谷君にはその旨を伝えておいて」
「分かりました」
「はい、ご苦労様」
にこりと笑い、雑誌を読み始める元野さん。
至って余裕な態度で、全てを私に委ねているのがよく分かる。
「……根回しは済んでるの」
我慢しきれなくなったらしく、とうとう尋ねてくる北川さん。
予算の削減は影響の及ぶ範囲が広く、彼女でなくとも気になる話。
元野さんの余裕が、むしろおかしいともいえる。
「各課には連絡済みで、了承を得ています。現段階での備品の発注や手当には影響を及ぼしません」
「始めに申請した額を要求した理由はあるんだから、それは分かってるわよね」
「ええ」
「だったらいいけれど」
彼女からすれば私は、綱渡りをしている子供のように見えているのかも知れない。
実際それに近い事をやっている気は、自分でもするが。
それでも大きな案件が1つ終了。
こちらは、中等部の研修か。
自警課に連絡を取り、スケジュールと要項を確認。
その内容を内局と外局へ連絡。
高校と中学の事務局にも連絡を入れ、取りあえず形を付けておく。
「……普通にこなすわね」
「ありがとうございます」
北川さんに一礼し、次の仕事をチェック。
学外からのクレーム処理で、半分は単なる嫌がらせ。
それらには定型文を送り返し、残りを精査。
多いのは、試合を警備している時のトラブル。
ガーディアンは草薙高校の生徒だけでなく、秩序を乱す者全てに対応をする。
それが他校の生徒であれ、一般の人であれだ。
中でも少し気になったのが、サッカーのリーグ戦でのトラブル。
抗議している相手は市議。
名前からプロフィールを確認し、個人情報をさらに調査。
どうやら本人が参加していた訳では無く、名前を貸しているようだ。
「元野さん、市議からクレームが入ってますが」
「そういう事もあるでしょうね」
さらりと流す元野さん。
北川さんは何か言いたそうだが、私に任せるという態度を一応は貫いた。
「外局と学校へ連絡を入れてみます」
「市議とか弁護士とか議員とか。名前だけ聞くと、焦るわね」
雑誌をめくりながらの台詞。
誰が何を焦るのか、私には分からない。
当然外局や学校にも、市議からのクレームは入っていた。
それぞれ個別に対応をしており、取りあえず学校へ一任しておく。
丸投げではないが、個別に行う理由も無いので。
「安い権力に酔いたがってるのでしょうか」
「厳しいわね。北川さんはどう思う?」
「権威主義というか、持ちつ持たれつというか。お互いに利用しているんでしょう。クレームを入れた者も、依頼された市議も」
辛辣に告げる北川さん。
少なくとも彼女は、市議や弁護士におもねるつもりはないようだ。
他の仕事を片付けていると、卓上端末に着信。
市議が、トラブルに関わったガーディアンに謝罪を求めているとの内容。
自警課の調査を見ると、ガーディアンは特定出来ないとの事。
当時警備に関わったのは50名程度で、また観客同士が小競り合いを起こした試合。
ガーディアンも、細かな状況までいちいち覚えてはいないだろう。
「全員に謝罪させろと言ってきていますが」
「謝って済むのなら、それこそ安い話ね」
肩をすくめる北川さん。
謝ればプライドは傷付くが、それ以外で失う物は無い。
プライドこそ大切な人間には、耐え難い話かも知れないが。
「……まさかと思うけれど、雪野さん達は関わってないでしょうね」
「そういう名前は載っていません」
「それならいいけど」
安堵のため息を漏らす北川さん。
彼女からすれば、雪野さんが様々な問題を引き込む要因に思えているのかも知れない。
改めて自警課へ出向き、その内容を渡瀬さんへと伝える。
彼女は資料に目を通し、小さく何度も頷いた。
「頭を下げるのは良いけど、それだけで終わるかな」
「それ以外の要求はされていない」
「私がやった事にして、謝りに行っても良いけどね」
「それには及ばない」
そう告げて、軽く机を叩く。
替え玉を差し向けるのは簡単で、おそらくそれなら早く物事は解決する。
ただそれは、ルールの改変。
必ずしも、正しい方法とは思えない。
「真面目なんだね、意外と」
「意外と言われても困るけれど、相手を受け流すばかりでも仕方ない」
「まあ、それはそうなんだけど。だったらガーディアンを探し出すか、全員で謝る?」
「状況を調べてから、結論を出すわ」
そこまでする必要があるのと言いたそうな顔。
彼女が言うように、替え玉を使った方が早いし面倒も少なくて済む。
だがそれは、全て手を尽くした後の話。
今取るべき手ではない。
ソファーに座り、試合のビデオをチェック。
市議が指摘しているのは、試合後の混乱。
そこでガーディアンに罵倒され、軽く突き飛ばされたとなっている。
映像を見る限り、そういう状況は観客席のあちこちで発生。
市議から送られてきた個人データで当該本人を捜し、その部分をクローズアップ。
確かに突き飛ばされてはいるが、殴りかかるのを止めたようにも見える。
「……ガーディアンの特定は出来た。本人に話を聞いてみたい」
クローズアップしたデータを渡瀬さんに示し、同意を得る。
彼女はこくりと頷き、リストからそのガーディアンを抜き出した。
「調査した時は分からないって結果だったよ」
「詳しく調べるのが面倒だったんでしょ。色々と」
分かりませんで済ませ、うやむやで終わらせるつもりだったのかも知れない。
またその方が賢いやり方ともいえる。
私のやっている事は無駄で、どうでも良い事を蒸し返しているようにも。
執務室にやってきたのは、顔も知らないガーディアン。
1年生で、他校からの編入組。
プロフィールに不審な点は無く、特に問題となる履歴も記載されていない。
受け答えも至って普通。
トラブルを押さえようとしただけで、行きすぎはあったかも知れないけれど危害を加えるつもりは無かったと答えられた。
謝罪要求に対しては、受け入れるとも。
「相手は市議で、違う要求をされる可能性もあります」
「え」
声を裏返す男の子。
要求以前に市議という言葉が引っかかったらしい。
「そ、それは大丈夫なんでしょうか」
やはりごく普通の反応。
彼自身に、特別な背後関係は無さそうだ。
「それはこちらで対処しておきます。その時の対応は、決して過剰では無かったんですね」
「軽く押し返す程度はしましたよ。集団が押し寄せてきているんですから」
「武器は」
「バトンを背負ってたけど、使ってません」
映像と同じ証言。
彼は問題ないと見て良いだろう。
「分かりました。謝罪は、場合によってはお願いします。どうもありがとう」
「いえ」
不安と不満の混じった表情で帰って行くガーディアン。
もう少し、情報を精査してみるか。
ガーディアンの責任者である七尾さんを呼び、一般的な対応について尋ねる。
「外部の人間には危害を加えないよう、指導してるよ。相手が攻撃をしてこない限りはね」
「今回程度なら、その範囲に含まれると」
「人数は多いけど、武器は持ってない。押して下がる程度だから、それで済ませてる。マニュアル通りの対応で、これは草薙高校の対応として以前から他校にも通達している」
ガーディアンの職務としても問題は無し。
こちらの不利益となる条件はない。
「市議がごねてるって?俺が言おうか」
「いえ、結構です。今の責任者は私ですし」
「意外と真面目なんだね。雪野さん達の後輩にしては」
意外と言われては困るが、私が固くマニュアル的な行動を取るのは確か。
だがこれは、性格なので仕方ない。
「北地区的な行動だと思いますが」
「まあ、そうなのかな。渡瀬さんはどう思う?」
「確かに北地区的であって、雪野さん的ではないですね」
ずいぶんな言われようの雪野さん。
とはいえ、言われるだけの人でもあるのだが。
「楽しい話?」
薄い笑みを湛え、静かに忍び寄る浦田さん。
本人は普通に歩いてきたつもりだろうが、私の印象として。
「大した事でもありません。市議がクレームを付けてきているだけです」
「市議のクレームが、大した事無いか。さすがだね」
真面目な顔で頷く浦田さん。
この人に言われるようでは、私もどうかしているようだ。
「雪野さんならどうすると思いますか」
きらきらと眼を輝かせて尋ねる渡瀬さん。
すると浦田さんは、私達の目の前にあるペンを指さした。
「ペンって、当たり前にあるだろ。それがある事にも気付かないくらいに」
「はあ」
「ユウなら、そういう対応をするって事。市議が来れば、地獄を見せる。でも本人は事の重大さを理解しないし、それは闇から闇へと隠蔽される」
地獄を見せるのは雪野さんかも知れないが、隠蔽するのは遠野さんか浦田さん。
とにかく、この人達には関わらせないに限る。
「この件は、私が処理しますので」
「未来の弁護士のお手並み拝見だ。何かあれば、俺も手伝うよ。なんなら、市議に土下座でもしようか?」
「結構。一切手出し無用です」
「後輩の成長が眩しいばかりだね」
何とも皮肉っぽい口調。
とはいえ昔は、彼等の後を追うので精一杯。
今でもその背中に追いついてはいないが、昔よりは距離が縮んだと思う。
それもまた、私の主観でしかないが。
浦田さんを帰らせ、改めて情報を精査。
証言と映像、ガーディアンの職務権限と慣習。
七尾さんが言ったように、この件はごく通常の対応。
過去の例を参考にしても、ガーディアンが規則を逸脱はしていない。
また他校への通達においても、この手の小競り合いではある程度の実力行使が認められている。
一つ一つを見ていけばこちらに非はなく、それは全体で見ても同じ事。
相手が市議を持ち出してこなければ。
とはいえ相手がルールを逸脱しているからと言って、自分がそれに倣う必要もない。
私は私の考えを貫くだけで。
とはいえこの件ばかりに関わっている訳にも行かず、総務課へ戻り残りの仕事を片付ける。
日常的な業務からまずこなし、次に突発的な出来事に対応。
総務課は全体の調整役で、日常の業務と言っても仲裁や仲介。
今回のようなクレーム処理がかなりのウェイトを占める。
権限は大きいだろうが、ストレスもたまりそうなポジション。
高校生が担う仕事なのかと、少し疑問にも思う。
それでも与えられた仕事はこなし、気付けば終業時間。
私物を片付け、バッグを持ってドアへと向かう。
「では失礼します」
まだ残っている元野さんと北川さんに挨拶。
二人も残業をしていくつもりはないだろうが、終業時間で即帰るつもりもないようだ。
私の行動が空気を読んでいないとも言える。
それでも学校を後にし、真っ直ぐ寮へと戻る。
まずは着替え、そして食事。
宿題と予習復習を済ませ、本棚から参考書と法律関係の本を持ってくる。
東京にいる時に比べ、勉強時間はかなり減ってしまった。
当時は学校のカリキュラムに、司法試験対策の時間があったくらい。
その点だけを考えれば、東京に残っていた方が得策。
だから中学卒業と同時に、東京の系列校へと進学した。
そこで分かったのは、勉強だけではどうにもならないという事。
無論弁護士になるには勉強が必要で、大学院まで進み司法試験に受かる必要がある。
ただそれは、資格の話。
車の免許を持っていても、良いドライバーであるとは限らない。
東京の学校には優れた人間が多く集まり、熱意や信念を持つ者も多かった。
弁護士、判事、裁判官、司法書士。
目指す道は違えど、志は高かった。
しかしまともな人間ばかりではなく、また知識に片寄りすぎていたのも事実。
地に足が付かないというか、現実に伴わない考えも目の当たりにした。
法律が全てであり、その厳密な解釈こそが正義。
つまりは自分の考えから一歩たりともはみ出す事は許されず、その解釈は絶対。
それも信念と言えば信念。
だが世の中には自分以外の人間がいて、法曹界に足を踏み入れても同じ事。
自分達が相手にするのは、その人間。
自分の考えを押し通して済むとも思えない。
東京の学校で学べる知識と、草薙高校で育まれる感性。
それを考えた時、私は後者を選択した。
少し回り道になるかも知れない。
それでもいつか実を結ぶ時が来ると思って、私は戻って来た。
などと考えてしまう時点で、まだ迷いが残っているのかも知れない。
民法を丸暗記していると、端末に着信。
電源を切っておくべきだったと思いつつ、通話に出る。
「……いえ。……ええ。……分かりました」
相手は雪野さん。
ラウンジにいるから、顔を出すようにとの事。
少し早いが、休憩時間にしよう。
ラウンジにいたのは彼女一人。
その前にはジュースのペットボトルと数冊の本。
「こっちこっち」
小さく手招きをし、本を指さす雪野さん。
全て草薙高校の生徒会規則やそれに関する物。
珍しい取り合わせだなと思いつつ、席に付く。
「今ちょっと読んでるんだけど」
誰がと言いそうになるのを堪え、取りあえず頷いてみせる。
「これって、草薙高校内で通用する規則だよね」
「ええ」
無論一般常識も書かれてはいるが、様々な制限や制約は草薙高校内での話。
もしくは、草薙高校の生徒に適用される内容。
とはいえ雪野さんも、そんな当たり前の事を聞きたい訳ではないようだ。
「これと法律と、どちらが優先されるの?」
ようやく私を呼び出した理由を理解。
一冊を手に取り、草薙高校と書かれた部分に指を触れる。
「今雪野さんが言った通りです。あくまでも草薙高校内で通用する規則。優先度は、法律が勝ります」
「法律より厳しい規則の場合は?」
「これらの規則は、組織のルール。法的に従う理由は無くても、組織から排除される可能性はありますね。つまりは退学や停学です」
「なるほどね」
一人頷く雪野さん。
まさか抜け道を探している訳では無いだろうが、彼女と規則という取り合わせは若干意外。
むしろその外にいる人間だから。
私の考えを知るはずもなく、本をめくり始める雪野さん。
昔はこういうのに一切興味を示さず、むしろ拒否していたくらい。
月日は流れる物だと、つくづく実感する。
「どちらにしろこの学校にいる限りは、そのルールに従う必要があります」
「まあね」
あまり聞いてない。
もしくは、聞きたくないといった態度。
この人の場合は、本質的に自分がルール。
本来ならそれは否定される事柄だが、彼女のルールは誰もが内心思ってるような事。
またそれを実行し成し遂げるだけに、始末に困る。
結果の善し悪しはともかくとして。
「規則がどうかしましたか」
「ガーディアンとは何かと思ってね」
「はぁ」
やはり、おおよそ彼女とは似つかわしくない台詞。
いや。意外と内向的な面もあるので、あると言えばある概念か。
問題はこの人が、極端から極端へ走る事。
それだけは、注意深く見守っておこう。
もう二、三質問をして、家へと帰る雪野さん。
彼女が置いていった草薙高校のパンフレットを手に取り、表紙をめくる。
「生徒の自治」
大きく書かれる校是。
草薙高校を草薙高校たらしめる根拠。
これは問題を起こす材料ともなれば、生徒の成長をも促す。
本人の資質も、大いに関係あるとは思うが。
ただ雪野さんは草薙高校だからああなったのか、元々ああなのか。
世の中、まだまだ分からない事がいくらでもあるようだ。
翌朝。
頭の中で刑事訴訟法をランダムに想起しては文章を暗唱。
無駄な作業だとは思うが、司法試験に合格するには仕方のない事。
前提となる知識が膨大すぎるため、理念や信念以前に断念してしまう人もいるだろう。
「おはようございます」
元気良く。
過剰なくらい声を張り上げる生徒。
正門前を見ると、いつも通り生徒会の生徒が列を作っていた。
中には職員や教師も混じり、使命感に燃えた表情をこちらへと向けている。
若干の反感を覚えつつ、適当に挨拶。
その場をやり過ごす。
だがやり過ごせたと思ったのは、私だけ。
向こうは良いターゲットと思ったらしく、私の周りに集まってきた。
小柄で、どちらかと言えば幼い顔立ち。
活発さは欠片もなく、内向的。
もしくは陰気に見えるタイプ。
それでは、彼等が与しやすいと思うのも仕方ない。
あれこれ言ってくるが、それを聞き流し刑事訴訟法の過去問題を思い出しつつ解答を想定。
事件に対す認識、法解釈、当然法律その物の知識。
記憶力もだが、読解力、理解力も必要。
また解答時間は有限であり、一つの問題に詰まっている余裕も無い。
大げさな言い方をすれば、一分一秒を争う世界。
だからこそ、登校中でもこんな事をしている自分がいる訳だ。
「分かりましたか?」
何とも悟った顔で尋ねてくる男子生徒。
彼が何を言ったかは分かっておらず、それでも適当に頷きやり過ごす。
ここで彼等に関わる理由は何も無く、今は過去問題をに取り組む方が優先される。
辞令の解釈によって適応される罪名が変わってくるため、惰性に任せては解けない問題。
だからこそ面白く、やり甲斐もある。
「聞いてますか?」
若干苛立った声。
さすがにここまでぼんやりしていれば、気付かれるか。
「聞いてますよ。では、失礼します」
生徒達の隙間を縫って正門へ向かうが、すぐに行く手を阻まれる。
ガーディアンの資格こそあるが、所詮は真似事。
自分こそ素人で、彼等を突破する事すら出来はしない。
「困りますね、そういう態度は」
どうしてと尋ねるのも馬鹿らしく、彼等に私の足を止める権限などありはしない。
ただ彼等を言い負かすのはたやすいが、物理的に彼等を倒す事はまず不可能。
だとすれば、のらりくらりと逃げるより他ない。
とかくままならないのがこの世の中。
それは私にとってか、それとも彼等にとってなのか。
突然影が差したかと思うと、大男が私の前に立ちはだかった。
背中が見えているので、その表現は妥当ではないのだが。
「お前も、朝から何やってるんだ」
「好きでやってる訳じゃない」
「まあいい。ちょっと下がってろ」
腰の警棒を抜き、それで肩を叩き出す御剣君。
体格の時点で大抵の物は圧倒され、棍棒を思わせるその警棒に誰もが恐怖心を抱く。
昔ならこの時点で一人や二人地面に倒れていたが、彼も少しは成長したようだ。
「話なら俺が聞く。言え」
町娘を脅そうと思ったら、突然山賊の頭目が現れた。
彼等からすれば、おそらくはそんな心境。
とはいえこちらからすれば頼りになる存在であり、若干粗暴ではあるが信に足る人間。
それは雪野さん達の教え以前に、彼の人間性によるものだろう。
山賊にすごまれて敵う高校生がいるはずもなく、あっさり退散。
周囲の目は気になるが、世話にはなった。
「ありがとう。でも、昔より穏やかになったのね」
「いつまでも暴れるばかりが能じゃない」
「それ、雪野さん批判?」
「冗談でも、その名は口に出すな」
真顔で言われても、結構困る。
教室に付くまで、今の出来事について考える。
ああいう問題が起きるのは、秩序が乱れているから。
規則が厳格に適応されていないとも言える。
無論裁量や融通を効かせるのは良いが、それにも限度があるはず。
後は都合の良い解釈。
当然それは、自分にとってのだ。
「朝から難しい顔してるわね。いつもの事だけど」
人の顔を見るなり、そんな事を言ってくる緒方さん。
そこまで無愛想ではないと思いつつ、手鏡で確かめてみる。
……当たらずとも遠からず。
それ程にこやかな顔はしていない。
「正門前で、挨拶をしている集団。あれは傭兵?」
「傭兵にどういう印象があるのか知らないけれど、あれは単なる転入生だったはずよ。偏見は良くないわね」
「傭兵は、この学校の規則に準じて行動してる?」
「何事にも、例外はあるわ」
雑にごまかす緒方さん。
少し考えた方が良さそうだ。
放課後。
自警局へ到着した所で、元野さんを探す。
「済みません、ちょっと良いですか」
「どうかした?」
いつも通りの穏やかな笑顔。
彼女の本質はともかく、その態度はいつも穏やか。
だからこそ、話が切り出しやすい。
本当に、彼女がこの通りの人間ならば。
「少々規律が乱れてると思います」
「自警局が?それとも生徒会?もしかして、学校?」
「学校です。規則を厳格に適用しろとは言いませんが、箍が緩んでいる気がします」
「ユウも、復学した時はそう言ってたわね」
その部分は色々突っ込みたいが、今の学校が歪んだ状態なのは確か。
規則自体は比較的厳しく、堅苦しい。
ただ肝心の運用が問題。
曖昧で都合の良い解釈が横行し、せっかくの規則が無意味な物となっている。
「意外と正解だったかも知れないわね」
「何がですか」
「あなた達に、権限を移した事が。そうして広い視野で物事を見てくれている」
穏やかに笑い、私の肩に手を触れる元野さん。
そんな物かと思いつつ、改めて運用について尋ねてみる。
しかし表情は穏やかだが、それ程納得している様子はない。
彼女の思慮深い部分。
奥深さが現れ始めたとも言える。
「方法は二通りよね。運用を規則に合わせるか、いっそ規則を緩くするか」
「規則は問題ないでしょう」
「ユウは逆で、規則緩和を求めてたわよ。それと規則は良いけど、市議の方はどうなってる?後、予算の削減」
「……今すぐ」
もう一度肩に手が置かれ、瞳が真っ直ぐ見据えられる。
「あなたは問題に目を向けるのが得意だけど、それを同時並行してこなしていかないとね。でなければ、結局どれも実を結ばない」
「はい」
「一つずつ、確実にこなす事。出来ないなら、すぐに出来ないと伝える事。自分一人で空周りしない事。以上」
逆に諭されてしまった。
やはり私は後輩で、彼女は先輩。
たった2年の差でも、この差は一生埋められそうにない。
まずは市議の件。
こちらに非がない事を改めて確かめ、その旨を相手に連絡。
返事が来る間、予算の削減も同意書を送付。
これも返事待ちと、自警局内からのクレーム待ち。
最後に規則その運用。
これは雪野さんに会いに行く。
彼女は例のソファーに座っていて、スティックを磨いていた。
これは軍の特殊部隊が使うような物らしく、その威力は私も目の当たりにした事がある。
それを私に向ける事は無いと思うが、一応は慎重になろう。
「済みません、今よろしいですか」
「良いよ」
「規則についてですが。私は規則自体を改正するより、運用の問題。つまり今の規則に則した運用を心掛けるべきだと思うんです。多少窮屈になるとは思いますが、これは生徒の不利益になる物ではありません。また今の規則は学校が無理矢理押しつけて以前の物で派はなく、生徒の意見も取り入れて」
「ごめん。もう少し短くお願い」
軽い注意。
どうやら、興奮しすぎたようだ。
頭の中で内容を整理。
もう一度、始めから説明をする。
「まず規則は、運用の見直しで対応。それは、今の規則に則した形で」
「私、今の規則は好きじゃないんだけど」
「それは運用の問題で、実際に読んで頂ければその良さが分かります。また生徒の意見も取り入れられていて、学校からの一方的な押しつけではありません」
「誰もが納得はしてないよね」
相変わらず頑なな態度。
自分の意見は基本的に変えない人で、信念とも言えるし頑固とも言える。
「勿論全ての規則が正しいとは思いません。ただ改正するとなれば、雪野さんが卒業するまでには終わりませんよ」
「だからって、自分の考えを曲げる理由にはならないでしょ」
非常に正論。
とにかく、こういうところの融通は利かない。
「良いですか。まず全文を読んでみて下さい。草薙高校の校是は生徒の自治であり、同時にそれは義務を生ずる。我ら高校生は快闊であり、真摯たるべし。他者の意見に耳を傾け、しかし己の意見も持ち、お互いを融和させる事こそが寛容」
「サトミに似てきたね」
「……良いですか。以前の規則ですと生徒の権利はより大きく、例えば施設の管理では」
「それって、弁護士の勉強をしてるから?それとも、素なの?」
遠野さんの気持ちが、今なら非常によく分かる。
分かったからといって彼女を説得出来る訳もなく、こちらのストレスがたまるだけなのだが。
一旦休憩し、いつの間にか置かれていたマグカップに手を伸ばす。
それと同時に、端末へ着信。
市議からの返答で、文章の表現こそ厳しいが今回の抗議はこれで終わらせるとある。
「良い事でもあった?」
「トラブルが一つ片付きました」
「良かったね」
人の良い笑顔を浮かべ、ふ菓子をかじる雪野さん。
こちらもそれに少し和み、次の着信をチェック。
今度は予算の削除について。
予算局からは、感謝の文章。
自警局からは、抗議の文章が舞い込んでいる。
「忙しいんじゃないの」
「片付きました。今は雪野さんの説得がメインです」
「分かった。分かった。だったら、運用の見直しで良い」
「適当に、この場の空気だけで言ってませんか」
「厳しいね、どうにも」
そう言って、またふ菓子。
とはいえ後輩との約束を反故にする人ではなく、後はこちらの問題だ。
「当然問題のある規則に関しては、私も改正には賛成です」
「お互いに融和された?」
「おそらくは」
差し出された小さな手を握り、お互いに微笑みあう。
私の仕事も、どうにか完了。
かなり頼りなく先輩に助けられてばかりだが、それもまたいいだろう。
今はまだ、彼女達がいるんだから。
席を立って礼を告げると、雪野さんがスティックで肩を叩き出した。
「どうして戻って来たの?」
「力不足を感じたからです。勉強ここでも出来ますし」
「そもそも、どうして弁護士になろうと思ったの?それ、聞いた事無かったよね」
それには答えず、頭を下げて彼女の前から立ち去る。
それは正義を見続けてきたから。
雪野さん達が示してきた、人としての正しさを。
それをまた見るために戻って来たなんて、言える訳がない。
了
エピソード 40 あとがき
御剣君と共に、ユウ達直系の後輩。
司法関係への就職を希望しているだけあり、生真面目な性格。
そのため遊びの要素が少なく、どちらかと言えば原理原則派。
ユウとは少し相容れない部分もあり、中等部の頃はそれに伴う衝突もあったかも知れません。
とはいえユウ達には絶対敵わないと思っているのは、御剣君と同じ。
自分が彼女達の後輩であるという意識は、常に持ってます。
それは誇りと共に。
作中であるように司法関係へ進むため専門課程のある東京の学校へ行っていたんですが、結局草薙高校へ戻ってきました。
正確には、ユウ達の元に。
現実を無視して法律論に終始する同級生達に、いまいち馴染めなかったようです。
得意分野は、事務処理。
極端に目を引く外見ではなく、また物静かなため内偵も行う事が多いです。
それは彼女にとっての「正義」のために。
ユウ達直系と書きましたが、所属していたのはモトちゃんのオフィス。
御剣君同様、四六時中ユウ達の側にいるのは疲れるのでしょう。




