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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第6話
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6-4






     6-4




 オフィスに戻ると、人数がかなり減っていた。

 舞地さん達がいないのだ。

 別にワイルドギースだからといって、どこかへ渡っていった訳ではない。

 少々調子を崩した舞地さんがアパートへ帰り、池上さんがその付き添い。

 柳君も一緒に。

 池上さんはともかく、彼はどうしてか。


「鬼が学校にいたら問題だから」

 鼻で笑うケイ。

「ちょっと荒れてたの。だから、帰って休んだ方がいいと思って」

 しかし、あの柳君が荒れるとは。 

 いつもニコニコしてるけど、彼でもやっぱりそういう時があるんだ。

「あなたは、その時何やってたの」

「見てた」

「他には?」

「それ以外、何しろって?」

 当然のごとく語るケイ。

 何か言いかけたサトミは、すぐに首を振り机へとうつ伏せになった。

「シスター・クリスに会いたい」

「あなた、自分で直衛断っておいて。今さら何言ってんの」

「それは恐れ多いもの。だけど、会いたいのよ」

 訳の分からない事を言ってくれる。 

 禅問答じゃないんだからさ。

 しかも、モトちゃんを委員会へ置いてきたまま。 

 彼女が、天満さんに気に入られたというのもあるが。

 大変だな、あの子も。

 私のお守りもあるし……。 


「だったら、警備に行ってくればいいだろ。遠巻きになら、見ら

れるんだから」

「彼女を、クマネコみたいに言わないで」

「それは失礼」

 素っ気なく言って、ゲームを始める男の子。

 ちなみにクマネコとは、数年前見つかった珍しい山猫。

 噂では二本足で立つから、クマネコという話もある。

「大体さっきまで、俺達に警備行けとか怒ってたのに。自分は何やってんだ」

「そんな風に、彼女を見たくはないの。まるで見せ物よ、今のままでは」

「そういうのも含めて、彼女はシスター・クリスなんだろ」

 さすがのサトミも、ふと我に返った顔をする。

 私だって、不意を付かれた思いだ。

「たまにはいい事言うのね」

 くすっと笑う沙紀ちゃん。

「別人が来てるんじゃない、今日は」

「本当は三つ子で、ここにいるのはヒケル君とか?」

 大笑いするサトミ達。

「誰がヒケルだ。俺はいつでも、浦田珪なの」

「蒲田珪でしょ、あなたは」

 沙紀ちゃんに指摘され、黙りこくるケイ。

 その、蒲田君こそ誰よ。

「帰ろう、もう。ここにいても、仕方ないじゃない」

「駄目よ、ユウ。私達はシスター・クリスの警備を……」

「自分だって、何もしてないくせに。いいから、終わり終わり」 

 文句を言いたそうなサトミを押して、部屋を出る。

 ケイ達もテレビを消して付いてくる。

 そうだよ、最初からこうすれば良かったんだ。

 さっさと帰って、のんきに過ごしてればさ。



 ぐずるサトミを引きずって、どんどん歩いていく私達。

「あ、忘れてた」

 端末を取り出し、コールする。

 ……繋がらない。

 おかしいな、私達の端末は通信可能になってるはずなのに。

「来た、降って来た」

 困惑する私をよそに、手の平を上へ向けるケイ。

 空に立ちこめる黒雲、湿った西風。

 小道に並ぶ背の低い常葉樹が、幾つもの音を立てる。

 霧のような雨が、さらさらと舞い降りてきた。

「ガーデンパーティの中止は、当たりだね。ご褒美貰わないと」

「軍からも何か貰えるって聞いてるわ。さすがに、勲章は無理だろうけど」

 興味なさそうに言うサトミ。

 例の爆弾騒ぎを収めたので、そのお礼に何かしてくれるらしい。

 とはいえここに軍は存在しない建前になっているので、シスター・クリス達が帰った後になるのだが。

 当然爆弾騒ぎ自体、絶対に秘密の出来事。

 いくら憂いが無くなったとはいえ、それが一般生徒に知れたらパニックは免れない。

 そう何度も、ケイを殴り付ける訳にも行かないし。

 それはそれで、面白いけど。


「後は……。あ、来た」

 今度は、雨ではない。    

 例のマントを小脇に抱えた、玲阿四葉君がやってきた。

「どうした」

「帰るの」

「私は……」

 サトミの脇に指を突き立て、口を封じる。

 そして、やられる前に逃げる。 

 動きでは私の方が断然上なので、逃げなくてもやられない。

 それ以前に、サトミが鈍いし。

「きゃっ」

 思ってる側から、小さな段差で転びそうになっている。

 私の手が届かない距離。

 誰か、サトミを……。

「っと」

 彼女の手を掴み、そっと立たせる男の子。

 そして何も言わず、雨を避けるように近くの教棟へ足を向ける。

「駄目だわ」

 艶やかな髪をかき上げ、大きなため息を付くサトミ嬢。

「何が」

「ケイに助けられるなんて」

 真顔で言ってきた。

 冗談だとは思うけど、それは私も同感だ。

「無茶苦茶言うな、サトミ」

「だったら、あなたは平気なの」

「俺?んー、やっぱり駄目だな」

 どっと笑ったら、雨がどっと降ってきた。

 天罰とは思わない。

 偶然だ。

 大体罰が当たるなら、ケイの方が先だから。

 ほら。


「わっ」

 濡れた枯れ葉を踏んで、すっ転んでる。

 あの子も、結構鈍いから。

 でも、危ない。

「面白いわね」

 彼の手が掴まれ、結構強引に立ち上がらせる。

「あ、どうも」 

 ぎこちなく礼を言う男の子。

「どういたしまして」

 何となく笑いを堪えている女の子。

 そんな二人の姿が、教棟の中へと消える。

「ちょっと、おかしい」

「そうね」

「いいんじゃないのか」

 それぞれの感想を洩らし、私達も彼等の後へと続いた。

 ずっとそんなの見てたから、大分濡れたんだよね……。



 タオルが欲しくて、購買部を目指す私達。  

 それ程濡れていないけど、このままだと少し寒い。

 春雨ならともかく、秋雨は濡れて帰る様な物じゃない。

「雨、か」 

 廊下の窓から見える雨模様に、小声で洩らす沙紀ちゃん。

 その表情は黄昏ているようにも、懐かしんでいるようにも見える。

「丹下ちゃん、雨が好きなの」

「ん、別に。よく降るなと思って」

「思い出あり、って顔よ」

 サトミに茶化され、その凛々しい顔が少し柔らかくなる。

 視線が一瞬ケイを捉えたようにも見えたが、気のせいだろう。

 あの子は確かに、雨の日と同じでジメッとしてる。

 でも、沙紀ちゃんの思い出と重なる様な人間じゃない。

 少なくとも、今彼女が浮かべている素敵な表情とは関係ない。

 あったら、私が許さない。

 多分、舞地さんや池上さんも同意してくれるだろう。

「ど、どうした」

 怯えたような顔で、ショウがこちらを見ている。

 何、と思って自分の胸元を。

 両手の拳を胸元で握り締めて、震わせていた。

 どうも、感情を高ぶらせ過ぎていたようだ。

「そ、その。雨乞いを」

「は?」

「か、神様に、お願いしてたの。早く止んでって」

 ぐずぐずな言い訳をして、ずぶずぶと埋まっていく。

 助けて、神様……。


「人が、いないな」

 階段を上ったところで、ショウが呟く。

 そう言えば、さっきから誰ともすれ違っていない。

 いくら警備が厳重とはいえ、その警備の人間とすら会わないのは少々変だ。

「また、爆弾があったりして」

 妙に楽しそうなケイ。

 所詮他人事だと思ってるから、こう笑っていられるんだろうけど。

 さっき殴られたのも、さほど気にしてる様子もない。

 本当、この人の頭の中はどうなってるんだろう。

 その内、覗いてみたい。 

 方法が無いけどね。

「ピリピリするんだよな」

 対照的にショウは、嫌な顔をしてあごの辺りを撫でている。

 これは本当に感覚的な部分なので、多分理解出来ないだろう。

 沙紀ちゃんなら、私と同程度には分かってくれてるにせよ。

「ショウ、何がピリピリするの?」

 不思議そうに尋ねるサトミ。

 ケイも、「何言ってんだ」という顔。

「聞かれると、俺も困る」

「困るって、あなた。霊感でも芽生えたの」

「そうじゃないけど。口で説明出来るような物じゃなくて、ぞろっとした感覚が……」

 もうサトミは遠い眼差しで、ケイなんかあくびしてる。

「おい。聞けよ」

「聞かれても困るんでしょ」

「あ、ああ。だけどな」

 自分でも無駄だと思ったのだろう。

 ショウは「何でもない」と言い終え、やるせなさそうに肩を落とした。


「お、お化けでもいるのかな」

「え。何言ってるの、優ちゃん」

「丹下ちゃん、放っておいて。その子、どうかしてるのよ。いい年して、お化け信じてるんだから」

「信じてるとかじゃなくて、いたら嫌だなって思ってるの」

「いないよ、そんなの」

 限りなく冷静に指摘するケイ。 

 言い切れるのか、君は。

 あの存在を。

 ふわっと、ひらっとやってくる彼等を。

 彼女達かもしれないけど。

 本当にいないと、言ってしまえるというの。

「大体、見た事あるのか」

 呆れた口調で、ショウが聞いてくる。

「な、無い。でも、見えないからっていないとは限らないでしょ。空気だって見えないけど、現に存在するんだから」

「ふーん。一度、医者に行ったら」

 うっ。

 まさかケイに、そんな事を言われるとは。

 さっきのサトミじゃないけど、「駄目」だ。

 とはいえ、お化け存在説は否定しない。

 というか、みんな分かってないのよ。

 何が分かってないのかは、ともかくとして。



 そんな下らない事を言っている間にも、人を見かける事はなかった。

 気配自体が、感じられない。

 それに代わって肌がひり付くような感覚は、ますます高まってきている。

 もう、お化けがどうとか言っている場合でもない。

「……テロ、かな」

 ケイが、さりげなく呟く。

 別段本気ではなく、そうだったら嫌だなというくらいの顔付き。

 これだけ警備が厳重なら、まずあり得ないだけに。

「例えばさ。警備関係者を全員眠らせて、この教棟を掌握。シスター・クリスの動きを監視ししつつ、どうにかここへ引き込んでくる。後は建物ごとでも、彼女個人でも」

「そんな簡単に行く?」

「さあね。俺は素人だから、素人なりの下らない推測」

 彼の視線が、近くのドアへ向く。 

 「警備本部第4指令所」と、臨時のプレートが掛かっている。

「歩哨くらいいると思うんだけどな」

 訝しげにドアを見つめるショウ。 

 人もいない、音もない。

 別な意味で張りつめた、あまりにも違和感がある雰囲気。


「トラップで、ドアに爆弾があるとか。異変に気づいた他の警備関係者がドアを開けたら、大爆発って」

 笑いながら、ドアへ手を掛けるケイ。

 自動ではないらしい。

 爆発はせず、すんなり開くドア。

 そして、笑いながら振り返る。

「予言者になれたりして」

「え?」

「大爆発しそうだから」



 全員の顔から血の気が引く。

 ドアの後ろに付いている、小さな箱。

 どこからどう見ても、爆発物だ。

 しかも室内には、人が何人も倒れている。

 他のトラップが怖くて奥には入れないが、多分同じ様子だろう。

 幸いなのは、彼等が微かな寝息を立てている事。

 ドアが吹き飛べば、どうなるかは別にして。

 室内やドア周囲のセキュリティは、どうやら無効状態。

 疑似データなり映像なりを、本部へ送っているかもしれない。

 何にしろ、素人の私達にはどうしようもない。

「どう思う」

「動かない方が無難だろ」

 爆発物らしき箱を見て、顔をしかめるショウ。

 ケイは小さく肩をすくめ、自分の腕を揉んだ。

「誰か呼ぶなり、連絡するなり……・。もしかして、この教棟の出入り口にもあったのかな」

「どういう事?」

「入った後で、爆発物ありって気が付く仕掛け。いきなり爆発するとテロがばれるから、俺達みたいな馬鹿は取りあえずここに閉じこめる」

「それで」

「マンガだと、大抵そういう連中は始末される。もう相手方のセンサーは反応してるよ」

 最も爆発物の側にいる割には、妙に落ち着いているケイ。

 慌てても仕方ないけど、こっちの方が参ってくる。


「逃げた方がいいんじゃない、みんなは」

「浦田はどうするの」

「後で逃げる」

「……分かったわ」

 はっきりと頷く沙紀ちゃん。

 ヒーローぶっている訳ではない。

 彼自身、逃げられると思っている。

 私達への気休めや、その場の思い付きでは言葉。

 それに応えるには、私達はこの場から離れるしかない。 

 沙紀ちゃんのように。


 その後を追おうとした私達の視界に、人影がよぎった。

「下がれ」

 壁に張り付くショウ。

 私達は、ドアを開けたままにしているケイの後ろへ逃げ込んだ。

「どうかした」

「人が来たの。あなたが言ってた、始末する人かも」

「銃はないし、他の武器は……。トラップが仕掛けてあるかな」

 ケイは顔をしかめ、その手をドアに取り付いている小さな箱へと伸ばそうとした。

 しかし、それはすぐに戻される。

「……これは最後か」  

「大丈夫だ、向こうは銃を手にしてない」

 ドア越しにショウの声が届く。

 それなら、勝機はある。

 例え相手が、特殊部隊クラスの人間だとしても。

 ショウだったら。

 玲阿四葉なら。



 無言。

 規則正しい足音。

 爆発物や、火器系統の乾いた音はしない。

 それが却って、気を焦らせる。

 彼を信頼する気持と、心配する思い。

 胸が締め付けられる……。


「どうした」

 だがその苦しみは、すぐ癒された。

 聞き慣れた、落ち着きのある声。

 ドアを回ってきた、引き締まった顔をした男性。

 ダークグレーのスーツ姿が、よく似合っている。

「あ、あなたは」

「このブロックとの連絡が、若干不自然だったんでな。部下を派遣する前に、少し見に来た」

 警備本部で私達の話を聞いてくれた壮年の男性は、ケイの肩へ軽く触れた。

「大丈夫か」

「腕が、多少痺れてきました」

「少し待ってくれ。今処理する」

 小さなスプレー缶を取り出し、ドアに付いた箱へ何かを吹き付ける。

 箱は一気に霜を降ろし、あっけなく床へと落ちた。

 思わず飛び退いたが、何事もない。

 後ろから私の肩を抱き止めたサトミが、くすっと笑う。

「簡単に言えば、物質が動かない温度まで下げたのよ。動けなければ、爆発のしようもないわ」

「その通り。もう、手を離してもいいぞ」

「あ、はい」

 ぎこちない動きでドアから手を離すケイ。

 緊張というより、ずっと同じ体勢を取っていたためだろう。


「さて、君達はどうしてここにいる」

「雨宿りをしようと思いまして」

「なるほど。運良く、向こうの警戒が途切れた時に入って来れたんだな」

「え?」

「今は、完全に封鎖されている」

 厳しい顔で、私達を見渡す。

 軍人として、私達民間人を守る人の顔として。

「私の端末は通信可能だが、おそらく傍受されている。ここへ踏み込むよう連絡すれば、結果はどうなる事か」

 彼は、私達より以前からこの教棟に入っていたとの事。

 そして行動を開始しようと思ったら、私達を発見したという。

 まさかこれ程の事になっているとは彼も思っていなかったらしく、装備も簡単な物だけ。

 彼の連絡が遅れれば、自動的に警備本部の方で怪しむだろう。


 しかしそれは喜ぶべき事態ではなく、さっき言ったように待ち伏せの対象にもなりかねない。

 また例の爆弾騒ぎも、警備本部を油断させる手の一つらしい。

 所詮高校生の悪戯と思わせて、その後に本物が爆弾を仕掛けるという。

 さっきの高校生自体かなり怪しい連中で、最近転校してきたとも分かっている。

 以上の話は、あくまでも彼の推測だけど。



「どちらにしろ、連絡は取った方がよくないんですか」

「傍受されたら、建物ごと行きかねない。もしかしたら、学校ごと」

 話している内容は相当だが、落ち着いた口調は崩さない。

「ただ君達だけなら、この建物から逃げられない事もない」

「自分が囮になるとか、言わないで下さいよ」

 彼以上に落ち着いた口調を取るショウ。 

 その眼差しが、激しくぶつかる。

「君の名は」

「玲阿と言います」

「なるほど。父親の名は」

「瞬、ですが……」

 すると男性の視線が緩み、その手がショウの肩へと伸びた。

「すると、父親譲りの性格だな」

「え?」

「私は北陸防衛戦に、突撃隊として参加した人間だ」

「ああ……」

 ショウは曖昧に返事をして、微かに視線を落とす。

 だが彼の肩は力強く揺すられ、その顔が上げられる。

「気にする必要はない。君の父親は、間違いなく勇敢だった。詳しい話は、ここを切り抜けてから話してあげよう」

「あ、はい」

「それにしても、君がいればかなりの戦力が期待出来る。玲阿流を修めているんだろう」

「修めるまでは行きませんが、幼い頃から学んでいます」

 二人の会話が理解出来ないのか、サトミとケイは顔を見合わせている。


「知らないのか、彼等は」

「あの二人は、そういうのに興味がないので。彼女は別ですが」

 ショウの視線を辿り、男性が私を見てくる。

 値踏みよりは、戦いの素養を測っているような雰囲気。

「ただ彼女は玲阿流の人間ではないので、俺程の事は出来ません」

「一つ、聞いてもいいかしら」

「ああ。玲阿流がどうしたかって事だろ」

 頷くサトミに、ショウは気まずそうな顔を見せる。

 私は彼の側に寄りそった

 何の意味もない、ただの気休めかもしれない。 

 でも、だけど……。


「要は、どこまで戦えるかって事さ」

 普段より押し殺した声で、ショウが話し始める。

 体に押し付けている拳が、小刻みに震えている。

「例えば、目を付く場合。玲阿流だと、眼孔に指を掛ける。そしてそのまま相手を引きつけ、顔ごと膝で砕く。蹴るんじゃない、砕くんだ」

 淡々と語られる、玲阿流の戦い方。 

 正直耳を塞ぎたくなるような話もある。

 現にサトミの顔は蒼白く、ケイは一言も言葉を挟まない。

 私はただ彼に寄り添い、話を聞くだけだ。

 ショウの辛い、でも現実の姿を確かめるように。



「……という訳さ」

 小さく息を洩らし、窓の外を見つめるショウ。

 後悔よりも、もっと悲しい顔。

 自分が背負っている現実。 

 人を殺すために磨かれた技を持ち、日々それを精進している。

 でも彼は、その辛さや苦しさを分かっている。

 だから私は、彼の側から離れない。

 何があっても、絶対に……。

「別に、普通なんじゃない」

 そんな私の思いを吹き飛ばすような、あっさりしたケイの言葉。

「玲阿流は古武術だから、それがはっきりしてるだけでさ。どの格闘技だって、基本は相手を殺すための物じゃないの」

「理屈ではな」

「だったら、いつどういう時に使うかよ。違う、ショウ」

 青ざめた顔はまだ戻っていないが、ショウを見つめるサトミの眼差しは真剣だ。

 怯える気持と、彼への思い。

 私の抱く物とは違うかもしれないけど、でもサトミだって。

「さっきの爆弾だって、人を殺す事にも土砂崩れの岩を砕く事にも使える。それをどう使うかは、あなた自身に掛かっているんじゃなくて」

「ああ……」

 真っ直ぐ拳を伸ばすサトミ。

 小さく頷き、ショウはその正拳を受け止める。

「それに私としては、どうして優ちゃんが驚かないのかに興味があるけど」 

 私の頬をつつく沙紀ちゃん。

「ユウには、大分前に話してあったから」

「出会った頃だったっけ。ショウの実家へ行った時」

「ああ」

 それを聞いて、「ふーん」と頷くみんな。

 私達に注がれる視線の意味は、取りあえず気にしない。


「いい仲間を持っているようだな。端から見ていると、少々恥ずかしいが」

 一歩引いた所にいた男性が、笑っている。

 渋い、大人の笑顔。

 私達を見る瞳は、限りなく優しい。

「それで、話を戻すがいいかな」

「あ、どうぞ」

 慌てて頭を下げるショウ。 

 さっきまでの重苦しい雰囲気はもうそこにはない。

 でも消えたり、無くなりはしない。    

 それは、彼が玲阿四葉である限り付いて回る物だから。



 男性は今回の警備責任者の一人で、階級はやはり中佐。

 彼、山峰さんが言うにはテロリストの数は、決して多くはない。

 チェックは完璧で、生徒、職員、当然軍や警察関係者にまで及んでいる。

 だから推測だが、内通者もしくは寝返った人間がいたと睨んでいる。

 とはいえチェック自体は厳しく、警備関係からではない。

 仮にいたとしても1、2名。

 すると結論は、シスター・クリスのSPからという結論に辿り着く。

 確かにそれなら、人数は少ない。

 そして、武器は持ち込める。

 小火器なら、ほぼフリーパスで。

 出入りも自由。

 ただ自分の安全を確保する必要もあるから、表だっては彼女の警備に徹するはず。



 らしい。

 私は、話を聞いただけなので。

 その推測が当たっているかより、自分達の身の危険が気になるのだ。

 はっきり言えば死にたくない。

 過去も何度か、危ない目に遭った事はある。

 その時は助かったけど、今度も助かるとは限らない。

 命は一つで、勇気と無謀は違う。

 出来れば何もせず、この場から逃げたい。

 彼はともかく、私達のような素人がプロにかなうはずがない。

 唯一素手ならショウが何とかなるだろうけど、向こうの経験を考えたら無茶な真似はさせられない。


「とにかく、連絡を取るか」

「え、どうやって」

「君達の回線は、まだ生きている。向こうも高校生の会話まで聞く程暇じゃないはずだ」

 山峰さんに指を差され、ケイが自分の端末を取り出す。

「繋がる相手で、信頼に足る人間は」

「全員です」 

 簡単にアドバイスを受け、ケイが連絡を取る。

 その端末は、サトミへと渡された。

 どうして私が、という顔のまま受け取る彼女。

「……あ、真理依さん。私よ。……シスター・クリスはどうなってる?……はは、名雲さんによろしく。……近くに行ったら、サイン頼んでね。……SPに怒られるかな。……あ、ごめん。回線の調子が悪いみたい。……雨がすごくて、外に出られないの。……よろしく」

 明るい声でそう言い、連絡を終える。

「後は、向こうで分かってくれるかどうか」

「問題ない。池上さんもいるし」

「そうね」

 頷き合うサトミとケイ。

 私は小首を傾げ、ケイに手渡された端末に見入った。

「壊れてないのに、どうして端末叩いたの」

「この建物の場所を、それとなく入力したのよ。多少暗号めいてるけど、簡単に」

 さらっと言ってのけるサトミ。

 普段使わないような軽い調子で今の異変を告げ、会話の端々に情報を織り込んでいく。

 私にやれと言われても絶対に出来ない、彼女だから出来る事。 

 しかも本人は、それを何とも思っていない様子。

 さすがは、遠野聡美。



 私達は部屋の奥に入り、全員が防弾ベストやパンツを身につけた。

 フェイスカバー付きのヘルメットも、ついでに被る。

 小火器なら多少は防げるが、大口径の弾や爆発物には気休め程度らしい。

 他にトラップは仕掛けてなかったようで、山峰さんはまだ室内をうろつき回っている。

「警棒以外は何も持っていないのか」

「高校生ですから」

 至って真面目に答える沙紀ちゃん。

 彼もふと気付いた顔になり、一人で頷いている。

「銃は、私のが予備を含めて二丁ある。一つは私が持つとして、もう一つは」

 首を振る女の子達。

 残るはショウとケイ。

 ここは無難に、ショウで決まりだろう。

 そう思っていたら。


「君が持ってくれ」

 ケイへと視線が向けられる。

 銃のグリップも。

「扱った事無いし、彼の方がいいと思いますよ。海外でなら撃った事あるそうですし」

 やんわりと拒否するケイ。

 ショウは困惑気味に、二人を見つめる。

 まさか彼だって、持ちたいとは思わないだろう。

 とはいえ、ケイよりは自分の方が扱い方に詳しいとも分かっている。

 しかし。

「当てる技術は、確かに彼だろう。だが、撃つ事が出来るかどうかはまた別だ」

「撃つって、トリガーを引けば」

「人を撃てるかどうか。さらに言うなら、人を殺せるかどうかだ」

 何のためらいもなく、そう口にする山峰さん。

「彼は玲阿流を修めていて、人を殺す技術はある。しかしそれは、手加減が聞く物だ。そして銃に手加減なんてものは、存在しない。例え指先でも、当たれば死ぬ事がある」

「俺に、人殺しをしろと」

 感情を交えない、静かな声。

 醒めた眼差しは、机に置かれた銃へと注がれている。


「要は、それに耐えられるかどうかだ。見たところ、君なら大丈夫だと思ったんだが」

「血が通ってないとでも?」

「それだけ強い、という事さ。心配しなくても、そういう真似はさせない。最悪の場合は、君の判断で発砲してもらうが」

「結局撃つんじゃないですか」

 ぎこちない手付きで銃を手にするケイ。

 山峰さんは軽く手を添え、彼に構えを取らせた。

「トリガーを引けば、弾が出る。ゲームと同じだ」

「何発入ってるんです」

「15。それと、弾倉を持っておいた方がいい」

「そんなに撃ちませんよ。大体、込め方が分からない」

「こうすればいい」

 どこかを押すと、グリップの下から小さな箱が落ちてきた。 

 それが、今入っていた弾倉のようだ。

「後は、その隙間にはめれば終わりだ。装填や薬莢の排出は必要ない」

「よく分からないけど……」 

 構えを取っているが、やはりぎこちない。 

 多少の緊張と、意外に重いのだろう。

 腰にホルダーを付けられ、ますます固くなる。

 いや、固くなっているのは私の方か。 

 まさかとは思うけど、彼が発砲した場合を考えて。

 もし、それが当たったら。

 とはいえ、向こうから撃たれたらこっちに当たる。

 どちらにしろ、辛い状況だ。



 結局この建物から脱出する結論を出した山峰さん。      テロリスト、そう確定は出来ないが、が見逃すとは思えないけど、戦ってどうにかなる相手でもない。

 外部には連絡は取ってあるので、警部本部が手を打ってくれているという前提を踏まえてでもある。

 脱出の方法は簡単で、爆発物のない窓から出るだけ。

 下の階はともかく、上の階は大丈夫だろうと考えて。

 逃げないでここに止まるという考えは、誰も持っていない。

 シスター・クリスを暗殺する人間が、私達を殺さないという保証はないから。


 慎重でもないが、周囲に気を配りつつ廊下を走っていく。

 どこからか見られている雰囲気はない。

 各種のカメラやセンサーは、山峰さんの持ってきたジャミング装置で無効状態になっている。

 却って危険かもしれないが、こちらの行動を全て監視されるよりはましだろう。

「こっちはこっちで、幾つかトラップを仕掛けてある。時間稼ぎ程度だが、私達が脱出するだけなら十分だ」

 そう言っている先から、廊下の壁に何かを貼り付ける山峰さん。

 それはすぐに壁と同化して、姿を消した。

 化学反応を起こす特殊なシートで、催涙ガスが出るとの事。

 逆に向こうが神経ガスを撒く可能性は、おそらくない。

 シスター・クリス個人だけならともかく、普通の高校生を多数巻き込んだ無差別テロはやらないという事。

 要人の暗殺も高校生への殺人も、人の罪としては同列だ。

 むしろ要人の方が、一般社会では重く罪を問われるだろう。

 ただ何もしていない高校生への無差別テロとなると、話は違ってくる。

 それは時として、国家首脳の暗殺よりも重要な意味を持つ。

 しかし私達となると、話はもう一度違ってくる。

 これだけの少人数なら、死体を始末する事が出来る。

 後は行方不明にでも、シスター・クリス暗殺の実行犯としてでっちあげてもいい。

 そういう訳だから、出来るだけ早くこの建物から脱出する必要がある。



 見つかっているのかいないのか。

 とにかく3階までたどり着いた私達。

 窓の下は芝生。

 私とショウなら、何も無しで下りられる距離。

 無論、多少のアクションは要求されるが。

 山峰さんと沙紀ちゃんも、おそらく大丈夫だろう。

 例の箱とロープがあるので、一応それを使うけど。

「……おかしな物は付いてない。追っ手もまだ来ないようだから、どうにかなったな」

 精悍な顔を少し緩ませ、窓を開ける山峰さん。

 冷えた秋の風が吹き込んでくる。

「警備の連中は、まだ来てないか。最初は誰が……」

 最後まで言葉が続かない。 

 突然窓ガラスが砕け、破片が周囲に飛び散ったのだ。

「くっ」

 最も間近にいた山峰さんに、それが降り注ぐ。

「大丈夫ですかっ」

「ああ」

 ヘルメットやベストのおかげで、怪我はないようだ。

 しかし、どうして。

「窓ではなくて、反対側の建物に何かあるようだ。低出力の熱源装置か、光学機器が」

「レーザー?」 

「ああ。どうも、窓からの脱出は不可能だな。今ので、私達の居場所も完全に把握されただろう」

 引っかけようとしたラインやロープは、跡形もなく溶けている。

 火力は大した事無かったけれど、細い物なのですぐに燃え尽きたのだ。

 表情が一気に苦くなる。 

 彼のミスではないが、今私達を率いている責任は全てその肩に掛かっている。


「……ん?」

 端末を取り出すケイ。

 さすがに音はしなく、バイブ機能にしてある。

「……あ、はい。……え、シスター・クリスが?……俺達ですか?ちょっと、照明が眩しくて。……ええ。彼女が見えるまで、もう少し休んできます」

 端末がしまわれ、彼の顔が珍しく強ばる。

「シスター・クリスが、スケジュール外の視察場所を回るようです」

「ここか」

「おそらくは」

 一気に空気が重くなる。

 床に散らばる破片が虚しく光り、窓からの冷たい風が頬を打つ。


「とにかく脱出しよう」

 静かに告げる山峰さん。

 下手をすれば私達を人質にして、シスター・クリスを狙う可能性だってある。 

 彼女の性格上、場合によっては人質交換なんて言いかねない。

 または、私達を解放する代わりに自分を撃てとか。

 どちらにしろ、状況は芳しくない。

「時間が無いですね。彼女はもう、すぐそこまで来ているそうです」

 端末をしまい終えたケイが、顔をしかめる。

「ここで騒ぎを起こして、シスタークリス側の注意を促しますか」

「危険だな。彼女にとってではなく、君達が。ただ上手くいけば、どちらにも……」

 サトミの提案を考慮しつつ、山峰さんが腰から銃を抜いた。

 叫び声と共に。

「……伏せろっ」


 乾いた音がして、ドアが激しく揺れる。

 それに続く、炸裂音。

 特殊合金で作られたドアは壊れこそしなかったが、いつまでも耐えられる物ではない。

 だが幸いな事に音はすぐに止み、再び静けさが室内に戻ってきた。

「頑丈だな、相当に」

「昔の教訓だろ」

 床から顔を上げたショウとケイが、安堵のため息を付く。

 戦争が終わってもしばらくは廃棄処分されなかった武器は、当時高校生の間にも出回っていたらしい。

 過去それに絡んだ事件が幾度かあり、建物の強度はかなりになっている。

 この学校はお金があるので、余計に。

 たまに困る時もあるけど、今回は助けられた。


「無理だと分かって、一旦引いたな。私は外で応戦するから、君達は隙を見て他の教室に逃げろ」

「でも……」

「軍人は、人を守る事を本分とする」

 山峰さんは言葉を挟もうとする私達を手で制し、ドアへ手を掛けた。

「私だって、ここで死ぬ気はない。それにこの程度は、修羅場でもなんでもないさ」

 強がりや見せかけの勇気ではない。 

 彼の確かな自信、強さが伝わる。

 ここで頑張るのは他の誰でもない、自分なんだと。

「君、撃ち方は覚えたな」

「はい」

「それと玲阿君は、みんなを守ってくれ」

「はい」

 素直に頷くケイとショウ。

 山峰さんは二人の肩に手を置き、わずかに開けたドアの隙間から廊下へと出た。



 音は何も聞こえない。

 銃声も、炸裂音も。

 時間の経過が理解出来ないが、おそらく1分も経っていないだろう。

 気分的には、何時間にも思えるけど。

「……いいぞ。外へ出ろ」

 廊下から、落ち着いた声がする。

 ショウを先頭にして、慎重に出ていく私達。

 廊下にはドアの破片やプラスチックケースが、散乱している。

 しかしさほど威力は無かったのか、ドアの損傷は大した事がない。

「私はこのまま上に行き、敵を引き付ける。君達は出来るだけ下の階へ行って、大人しくしていろ」

 山峰さんは銃を胸元へ構え、近くの階段を上っていく。

 わざと足音を立て、壁や手すりを叩きながら。

 それを確かめ、私達は彼と反対側へ走りだす。

 素人なのでどうやっても足音は立つし、それなら最初から走った方がましだから。

 カメラやマイクは山峰さんがジャミング装置を使っているので、この際は無視していい。

 とにかく今は、逃げるしかない。


 何度か階段を上り下りして、一つの教室に入る。

 おかしな仕掛けも無く、室内は静かで特に嫌な感じもしない。

「後は彼がどうにかしてくれるか、警備が助けに来てくれるのを待つだけね」

 また熱源で撃たれると大変なので、窓辺には立たない。

 私達は窓際の机の下に身をひそめ、時折顔を出しては外の様子を窺っていた。

 少しして、スーツ姿の人達が駆けてくる。

 おそらくは軍と警察。

 いきなり入ってこないのは、連絡が上手く伝わっているからだ。

 あくまでも、シスター・クリスの警備を装っている。 

 私達ももどかしいが、彼等はもっともどかしいだろう。

 今すぐにでも助けを求めたいが、そうすると建物が吹き飛びかねない。 

 言いたくはないが、シスター・クリスさえ話を分かってくれたら。 

 警備本部の意見を聞くか、この建物に近づかないか。

 それとも自分の周りに、SP以外の警備関係者を配置するか。

 そうすれば、彼女自身が安全になる。

 私達だって、危険がこの身に及ぶ可能性が少しは減る。

 シスター・クリスがこの建物に近付かなければ、私達の存在はさして意味がないから。

 ケイが言ったように、馬鹿が入ってきたくらいの事だ。

 警備の人間同様、眠らせでもしておけばいい。

 でも彼女がl来れば、状況は一変する。

 私達が脱出しようと騒げば、彼女の暗殺に支障をきたす。

 だから騒がれる前に口を塞ぎに来るだろう。

 それは睡眠ガスで事足りるのか、それとも。



「今騒げば、シスター・クリスも気づくかしら。ここが本当に危ないって」

「あの人も言ってたけど、五分五分さ。上手くいけばシスター・クリスは逃げられて、警備の人間がこの建物に強行突入する」

「悪くすれば私達は居所を知られて、テロリストに狙われる。でも……」

 サトミが続けようとした言葉は、きっとこうだ。

 「でも、シスター・クリスが助かる可能性は増える」

 彼女一人なら、もしかするとそう出来るかもしれない。

 だけどここには、私達がいる。

 シスター・クリスに心酔していない私達を、彼女を救うためとはいえ危険に晒せるのか。

 無理だ。

 勿論同じような条件だとして、私達だって。


「……狙うなら、この位置だよな」

 斜めになって窓の外を見ていたショウが、難しい顔で呟く。

 雨は上がっていて、濡れた通路を人がごったがえしている。

 シスター・クリスの姿はまだないが、確かに悪くない。

 建物に凹凸があり、所々死角が出来ている。

 無論軍や警察はそれが分かっているので、ここに警備関係者を駐在させていた。

 今は眠らされているのはともかくとして。

 誰でも味方だと思っていた人間には、油断するだろう。


 現にシスタークリスのSPは落ち着いているが、警備担当者はしきりに建物を睨んでいる。

 爆発、狙撃、ガス、電磁波……。

 この建物に異変が起きているのは、すでに連絡済み。

 当然警備担当者は、シスター・クリスを絶対にここへ近付けたくない。

 それなのに、建物の下には人が集まってきている。

 シスター・クリスを出迎えるために。

 それすらも制止出来ない警備本部。

 生徒達のパニックを恐れてだけではない。

 警備を不必要と考える彼女は、自分の行動に口出しされるのを好まないらしい。

 世界のどこにいても危険なのは変わりがない。 

 だから警備される事にどれだけの意味があるのか、と。

 理屈ではそうだ。


 しかし、現実は違う。

 今彼女には確実な危機が迫っていて、それに自ら突き進んでいる。

 最悪の事態すら覚悟している彼女はまだいい。

 でももし、テロリストの攻撃が生徒に及んだら。

 故意ではなくても、この状態だ。

 わずかな事で、思わぬ事態になりかねない。

 今すぐ引き返して欲しい。

 自分自身の行動が、どれほどの影響力を持つのか。

 それを、分かって欲しい。

 みんなを巻き込むという事だけではなくて。

 あなたに何かあったら、サトミがどう思うか。

 それを防ぐために、彼女が何かしないか。

 正直に言えば、私はそれの方が心配だ。

 シスター・クリスの安全より、サトミの彼女への思いが。

 今は耐えているけれど、もし彼女の姿が見えたら。

 サトミの、熱い心が動かされたら……。



「ショウの言うように位置がいいから、この部屋に自動の狙撃装置があったりして」

「どこにもないじゃない」

「素人に分かるような場所へは設置しないだろ。大体、そんな装置が実在するかどうかも知らない」

 素っ気なく答えるケイ。

 サトミの視線がめまぐるしく室内を動くが、勿論何も無い。

 仮に見つけたとしても、それを防ぐ手だてが私達には無い。

 つまりは、大人しくしている他無いという事だ。

「……何の音?」

 廊下側の机に隠れていた沙紀ちゃんが、小声で尋ねてくる。

 私は耳を澄ませ、外の歓声を意識的に消した。

「足音、かな」

 ショウも頷いている。

「猛烈に嫌な予感」

 顔をしかめるケイ。 

 沙紀ちゃんが、不安げな視線をサトミに送る。

 明らかに思い詰めている彼女へ。

「俺が見てくる。みんなは、ここで待ってろ」

 サトミが言い出すより先に、ショウが動き出す。

 慎重にドアへと近付け、オフにしてあった開閉のセンサーをオンに。


「まずい。誰か来た」

 一気に緊張が走る。

 ケイは銃を取り出し、ぎこちない動きでショウの元へと移動した。

「一つ一つドアを開けて調べてるぞ。ここへ来るのも、時間の問題だな」

 山峰さんが引きつけているといっても、全員は無理だろう。

 何人かは、侵入者である私達を捜しに来た訳か。

「……向こうがドアに入ったところで、俺が外に出る。銃さえ持ってなければ、何とかしてその辺の部屋に放り込む。その間にユウ達は逃げろ。ケイは一応俺の後ろに」

「分かった」

 この時ばかりは、ケイも素直に返事を返す。

 私達も、余計な事は言わない。

 ただ自分達に出来る事を、彼等の邪魔にならないよう動くだけだ。 



 ドアの左右に張り付く私達。

 ショウは防弾用のグローブの具合を確かめている。

 集中力を高めているのが分かる。 

 瞳は閉じられ、呼吸は深くなっていく。

 後は意識を研ぎ澄まし、戦いにその全てを賭けるだけだ。

「俺が出て、1分後に」

「了解」







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