エピソード(外伝) 39-2 ~浦田永理(ケイの妹)視点~
目標
2
自警局内の一室で、卓上端末を使いデータベースを確認。
スタッフのプロフィールを読んでいく。
参加する段階で身元は調査してあり、露骨な不審者は事前に排除されている。
とはいえ全員という訳でもなく、どこかのひも付きもいなくもない。
「何見てるの?」
会議室で、一人卓上端末と向き合う私。
誰が不審者と言って、今の私。
元野さんが声を掛けてくるのも不思議ではない。
「矢加部さんから、お話を伺いまして。自警局内に反乱分子がいるとか」
彼女に隠す必要はないし、もしかすれば事前に情報を掴んでいるかも知れない。
より深く考えれば、私を試すための忠告だったとも。
「そうなの」
しかし返ってきたのは、至ってのんきな返事。
元野さんらしくないというか、逆にらしいというか。
さすがにキーボートから手を離し、姿勢を正して彼女を見上げる。
「放っておくんですか」
「好きにさせておけば良いんじゃなくて」
「好きに」
「懐の大きさって事」
自分で言って自分で笑う元野さん。
血気にはやっていた自分を戒めるように。
だがそれは、彼女だから言える言葉。
何の力も無く立場もなく。
成果も実績も無い自分が言える事ではない。
「その反乱分子とかを特定して、どうかするつもり?」
「最低限、監視はしても良いのでは」
「手間だし、多分つまらないわよ」
別に、面白さは求めていない。
そう答えそうになるのを堪え、小さく頷く。
急速に削がれる決意。
矢加部さんから忠告された時の思いがしぼみ、消え失せていくのが自分でも分かる。
自分のふがいなさ、頼りなさもまた同時に。
「そういうところは助かるんだけど」
「え」
「私が止めてと言えば、止めてくれるところが」
苦笑気味に告げる元野さん。
そんな事は当たり前だと思いながら、彼女を見つめる。
元野さんは自警局局長。
私はその部下。
中等部以来の後輩であり、彼女の指導があってこそ今の自分がいる。
そんな彼女に逆らってまで行動する程、無軌道な生き方はしていない。
「ユウやサトミなら、今頃終わらせてるかもしれない」
まさかと言いかけ、それもそうかと心の中で頷いてしまう。
理屈より行動。
それが彼女達の信条。
本人達はそうとは思ってないようだが、感情と行動がほぼ直結してる。
知性と理性を標榜する聡美姉さんですら、例外ではない。
むしろ彼女の方が、より感情に走りやすいくらいだ。
元野さんは空いていた席へ座り、机の上に指を組んでそこに口元を寄せた。
「あなたの気持ちは分かるけれど。思いとどまってくれると助かる」
「好きなようにさせるんですか」
「させないだけの自信はある」
柔らかく、誇りを込めて微笑む元野さん。
数多くの試練をくぐり抜け、今もいくつもの難題を抱え。
それでも彼女は笑っていられる。
本人が冗談めかしていった、懐の深さ。
それを、心の底から理解する。
ここまで言われて、彼女に逆らう理由はない。
情報を集める程度に留めるのがせいぜいか。
「悪いわね。せっかく頑張ってたところに」
「いえ」
「そういうやり方の方が解決は早いし、分かりやすい。受けも良い」
だったらと言いたくなるが、彼女の言葉はなおも続く。
「世の中、自分の意に沿わない事。気にくわない人間はいくらでもいる。それを常に排除出来る訳ではないし、そこまでの力を常に震えるとも限らない」
「だから我慢するんですか」
「我慢というか、受け入れるというか。気にくわないからと言って、片っ端から捕まえてもきりがないわよ。ゲロゲロうるさいからと言って」
不意におかしな事を言い出す元野さん。
ただ当の本人は気付いてない様子。
今のは、私の聞き間違いにしておこう。
とにかく言われた通り、調査は止める。
納得は出来無いが、彼女に逆らってまで行う勇気も理由もない。
「意外に気弱なのね」
笑い気味に話しかけてくる緒方さん。
元傭兵と聞いているが、態度は気さく。
綺麗な先輩というイメージが先行する。
「それが賢い生き方よ。馬鹿にしてる訳ではなくて」
「傭兵としてはどうなんですか」
「私達は契約で行動するのが殆どだから。お金さえ払えば、不満分子だった?追い出すくらいは出来るわよ」
そしてお金が払われてない以上、彼女が行動する事はない。
結局話は、そこへ行き着く。
契約。
契約か。
「ではお金を払うので、一つお願いします」
「何」
「お茶、買ってきて下さい」
差し出したカードと私を交互に睨む緒方さん。
流石もと傭兵だけあり、その迫力だけで涼しくなってくる。
「ほうじ茶をお願いします」
「あなた、後で話があるわよ」
文句を言いつつ、自警課の受付から消える緒方さん。
今回はともかく、彼等の力を借りるのも手。
とはいえ、そうするだけの資金は無いが。
ややあって、仏頂面の緒方さんが到着。
律儀に、ほうじ茶のペットボトルを携えて。
「ありがとうございます。傭兵って、どこまでやってもらえます?」
「気にくわない相手を倒すとか、気にくわない相手を追放するとか、気にくわない相手を晒し者にするとか」
私を鋭い目で見据えながらの説明。
誰が気にくわないのかは、あまり考えないでおこう。
「今、学内に傭兵は?」
「以前程はいないでしょ。能力的にもばらつきがあるし、雇えば済むって事でも無いわよ」
これは気に留めておいた方が良さそうだ。
彼等が味方に回る際も、敵に回る際にも。
「不穏分子だった?それをあぶり出したいなら、やっても良いわよ」
「元野さんが、その必要は無いと言ってましが」
「……じゃあ、私は知らない」
あっさり前言を翻す緒方さん。
元野さんが怒る事は基本的にないし、誰にも分け隔てなく優しい人。
ただ、物の道理を大切にする人でもある。
自分の意見を無視されて面白い人間も、またいない。
何より彼女に逆らえる人間が、この学校には存在しない。
それは物理的な意味ではなく、精神的に。
緒方さんも傭兵時代は強面でならしたそうだが、元野さんの前では借りてきた猫のようなもの。
ただ不穏分子なる存在は、完全に見過ごす訳にも行かない。
「お願いがあるんですけど」
「お茶なら、もう買ってきたでしょ」
「いえ。不穏分子の特定をお願いします」
「あなた、今の話の流れを分かって言ってる?」
当然尋ね返してくる緒方さん。
空気を読んでいない発言なのは承知済み。
それでも、何もしないのは性分に合わない。
これもまた、元野さんの手の内で踊ってる気がしないでもないが。
詳細なプロフィールを確認するため、情報局へとやってくる。
受付前に並ぶ卓上端末の一つを使い、パスを入力。
まずは自警局の身分で調べてみる。
基本的に、今年度からの転入生。
ただ全員ではなく、中等部からの繰り上がり組もいる。
決して外部から流入してきた生徒だけが悪いとは限らないが、そういう傾向があるのも事実。
その理由が単なる権力志向か、元野さんへの反発か。
理由すらない、衝動的な物か。
元野さんは好きにさせれば良いと言っていたが、私はそこまでおおらかにはなれない。
次のプロフィールに移ろうとしたところで、背後に気配を感じる。
そういう事に敏感なタイプではないが、真後ろに立たれれば嫌でも気付く。
「何かご用でも」
腰へ下げた警棒へ手を触れながら、慎重に後ろを振り返る。
それだけの余裕がある状況とも言えるが、だからといって油断する理由は何もない。
「浦田さん、ですよね」
丁寧な物腰で尋ねてくる、眼鏡を掛けた男子生徒。
胸元には顔写真入りのID。
これを付けているのは、生徒会でもごく一部の幹部のみ。
虚栄心で付ける場合もあるが、例えば局長クラスは全員が義務づけられている。
元野さんが付けていないのは、ともかくとして。
「総務局長が、何かご用ですか」
あまり友好的とは言えない私の答えに、少し表情を硬くする総務局長。
総務局長は情報局局長が兼任するのが慣習で、立場としては生徒会のナンバー2。
全局長の筆頭であり、立ち回り方によっては生徒会長を上回る権力を有する事も出来る。
この人にそういう野心があるとは思えないが、前年度の戦いの経緯を聞く限り私達の味方とも思えない。
背後にいる取り巻きは敵意とも取れる態度で私を囲むが、この程度梅雨の間に差し込む頼りない日差しのような物。
言われて気付くというレベルでしかない。
物理的な圧力も、精神的な圧力も。
そもそも話があるなら一人で来れば良く、徒党を組む理由はない。
少なくとも私一人相手に揃える人数ではない。
一気に不穏になる空気。
警棒を振るうつもりはないが、相手の出方次第。
突破口くらいは見定めるべきだろう。
「少しお話がありまして」
取り巻きを後ろへ下がるよう促す総務局長。
矢加部さんも自身のプライドを重んじるタイプではあるが、取り巻きを引き連れる時とそうでない時の分別は付けている。
だからこそ先日は一人で私に会いに来た。
些細な事ではあるが、それが余計に気に掛かる。
「自警局内の内紛ですか」
貴重な時間を無駄にするのも馬鹿らしく、こちらから話を進める。
何人かの生徒がこちらを見てきたが、それも今更。
矢加部さんには、悪い事をしてしまったとも思うが。
ただ幸か不幸か、周りにいた生徒へはすぐにこの件について他言しないよう口止めがされる。
それは余計に、自警局内の内紛が真実だと告げる事にもなるが。
「あまり、大きな声では言わないようにお願いします」
苦い顔で注意する総務局長。
こうなるとつい、組織のトップ同士を嫌でも比較してしまう。
彼と元野さんを。
勿論元野さんも、何もかもが完璧ではない。
ただ彼女は自分自身でそれを分かっているし、否定もしない。
体裁を取り繕い、体面ばかり気にする事などありもしない。
「失礼しました」
相手は総務局長で、私は自警局の一課員。
それこそ、礼を失しても仕方ない。
つい、感情が先走ってしまったようだ。
「この件に関しては総務局でも調査していますので、特に何もしなくて結構です」
「何もしないとは」
「1年生が口を出すなと言ってるんだ」
横やりを入れてくる取り巻きの一人。
出させるような事態にするなと言いたいが、やはり殊勝に頷き受け流す。
年齢、学年で相手を評価する程度の人間。
言い争う必要すらない。
「雪野さん達は、いつ復学するのでしょうか」
切望するでもなく、単調な口調で尋ねてくる総務局長。
過去の経緯も聞いているが、彼からすれば復学しない方が助かるのだろう。
「明日には戻ってくるかも知れませんね」
「え」
決して冗談とは告げず、席を立って彼の前から立ち去る。
しばらくは、見えない影にでも怯えていればいい。
情報局のブースを出たところで、再び周りを囲まれた。
相手はさっきの取り巻き。
総務局長はいないが、止めに入らない時点で同罪だ。
「貴様、その態度は何だ」
下らない言いがかり。
警棒へ手を触れるが、ここで暴れては相手の思うつぼ。
ここはやはり頭を下げ、適当に謝罪の言葉を継げる。
「以後、気を付けろ」
「済みません」
頭を下げるのも謝罪するのも、失う物は何もない。
プライドをこの程度で失うなら、そもそも持ってないのと同じ事だ。
馬鹿笑いが遠ざかるのを、床に視線を向けながら聞く。
あの中に自警局の不穏分子の同調者がいる可能性もある。
引いては、生徒会の不穏分子。
現体制を、元野さんとは違う形で覆そうとする人間が。
「……緒方さんですか。捜査範囲を拡大。生徒会全体でお願いします。……ええ、勿論お支払いします」
気持ちの良い返事を端末で聞き、まずは彼女の報告を待つ。
次は、支払う報酬をどうするかだ。
かなり苦い顔で出迎えてくれる矢加部さん。
彼女は総務局の幹部でもあり、私の話はすでに伝わっているようだ。
「内密な話と申し上げたつもりですが」
「済みません。つい、かっとなってしまって」
「あなたが感情だけで行動するとも思えませんが。どういったご用件ですか」
「資金を融通して頂きたいのです。学校のために」
彼女に必要な物は大義。
学校のためという言い方は誇張しすぎとも思うが、決して間違えてもいない。
矢加部さんは思案の表情を一瞬浮かべ、それでもカードを一枚差し出してきた。
「履歴は全て残しておいて下さい。使ったお金は、返却しなくて結構です」
「ありがとうございます」
情報網と資金は手に入った。
後は力になってくれる人間か。
「まだ調べるつもりですか」
総務局長や元野さんから注意を受けているのは知っている様子。
ただ彼女は私に忠告をしてきたように、この件に関しては否定的。
資金を援助してくれるくらいである。
どちらかと言えば分かりやすい秩序、正義を求める性格。
不穏分子といった存在を許す気にはなれないんだろう・
「ご迷惑はお掛けしませんので」
「あまり過激な行動には走らないように」
「気を付けます」
頭を下げて、その事について考える。
私の取るべき行動。
その限度をどこまでにすべきかを。
自警局へ戻り、仕事をしながら端末に視線を向ける。
緒方さんから送られてくるデータは、ほぼ予想通り。
自警局に関しては、目星を付けていた人間ばかりである。
また幹部は殆どおらず、末端が大半。
ただこれは、当然とも言える。
自警局はトップが元野さん。
次いで北川さんと丹下さん。
そして七尾さん。
幹部同士の結束は強く、またお互いに親しい関係。
仮に不満があっても、それは彼等の中で自然に解決されていく。
また結束が強い分、不穏分子の入る込む余地はない。
それが逆に身内ばかりで集まると思われ、周囲の不満を高める理由の一つになってるかもしれないが。
彼等を即処断するのは、今の私では力不足。
ただ、このまま見過ごす訳にも行かない。
協力者を募って体制を整え、改めて元野さんに掛け合うべきか。
候補となる人達を頭の中で思い浮かべる。
頼りになる人達ばかりではあるが、私に協力してくれるかどうかは別。
不穏分子と言っても、まだ何かあった訳ではない。
元野さんのように、そのくらい気にする事もないと考える人もいるだろう。
実際私が、一人気に病みすぎているだけかも知れない。
元野さん以外。
出来れば自警局以外で、頼りになる人に相談をしたい。
この事態をどう見るか。
私はどうすべきかを。
不意に肩へ触れられ、慌てて顔を上げる。
その反応は相手も意外だったらしく、声を上げてのけぞられた。
「ごめん、寝てた?」
「いえ、ちょっと考え事を」
「ふーん」
日に焼けた可愛らしい顔を緩め、私の頭を撫でてくれる明日香さん。
優さんの、小等部以来の親友。
時折自警局へ顔を出しては、彼女がいないかを探しに来る。
ただ彼女が復学すると決まれば、優さんは真っ先に明日香さんへ伝えるはず。
つまり連絡がないからには、ここに優さんがいる事はない。
それでも彼女はここへ来て、彼女を捜す。
その気持ちは、私も痛い程分かるつもりだ。
「済みません、ちょっとお話があるんですけど」
「私に相談?多分、頼りにならないよ」
自分から先に言ってくる明日香さん。
確かに相談事を引き受けたり、人に助言をするタイプには見えない。
孤高であったり人を避ける性格ではないが、一人で生きる事を前提にしてる感じ。
ただ、彼女は優さんの親友。
私が今、最も聞きたい答えを知ってると思う。
小会議室へ場所を移し、改めて彼女に話を聞く。
この事態をどうすべきかを。
「私はガーディアンでもないし、そういう緊迫した場面にも縁がないから。ただ、ユウユウなら」
私の意図を汲み、優さんの視点で語ろうとしてくれる明日香さん。
こちらは固唾を呑んで、その言葉を心待ちにする。
「多分、全員に正座させてるんじゃないの」
「正座、ですか」
「あの子、何も考えてないから」
朗らかに笑ってお茶を飲む明日香さん。
予想していた通りの答え。
だが、彼女の話はさらに続く。
「エリちゃんも、何も考えずに行動したら」
「そういう訳にも」
「だよね。真似する必要はないよ、ユウユウの行動は」
改めての笑い声。
笑い事ではないが、笑うしかないのが本音だろう。
何も考えず、思いのままに行動をする。
それが出来れば、誰も苦労はしない。
だけど彼女は、それを実践している。
非難を浴びる事もあるが、それが彼女の彼女たる所以である。
「反面教師にでもする?」
「私は、優さんの行動が全て間違えてるとは思ってませんが」
「ふーん。そうなんだ。へー」
妙に感心された。
確かに、優さんの行動は問題が多い。
ただそれが支持されるのは、シンパシーを感じる人が多いから。
私もまた、その中の一人である。
「ガーディアンとしては良いのかも知れないけど。普通に考えたら、かなり変でしょ」
「変」
「いきなり殴り込みを掛けて、相手を全員倒して。自分は無傷。何者よ、一体」
そう言って、改めて笑う明日香さん。
ガーディアンだから通用する、優さんの行動。
彼女の言うように普通の生徒。
もしくは社会人なら、何もかもが成り立たない。
だからこその支持であり、人気。
彼女の魅力とも言える。
「学内平和のためには、いない方がいいんじゃなくて」
「明日香さんとしてはどうなんです」
「私はいつでも、ユウユウの味方よ」
何の気負いも無く、さらりと言ってのける明日香さん。
自分の事以上に彼女を理解する彼女故の言葉。
私はただ、その言葉に感じ入るしかない。
「でも参考にするなら、モトちゃんとか丹下さんとかがいるでしょ」
「それはまあ」
「何しろ退学するような子だから。参考のしようがないんじゃない?」
どうにも答えにくい言葉。
実際その通りなだけに、本当に困る。
「あなたのお兄さんは、何してるの?」
「さあ。学校外生徒として活動をしているようですが」
珪君の行動こそ不明。
いわゆる傭兵と共に行動をしていて、優さん達と一緒にいないのは知っている。
全国を転々と回っているのも。
しかし今どこにいるのか、具体的に何をしているのかは全く不明。
連絡をしてもはっきりとは答えず、他の人にも伝えてない様子。
このまま失踪するのではと思うくらいだ。
参考になったかどうか分からないまま、明日香さんと別れて寮に帰る。
すると玄関先に緒方さんが待っていて、DDを渡してきた。
「レポート。ほぼ全員のリストが載ってる」
「助かります」
矢加部さんからもらったカードで報酬を支払い、DDをチェック。
自警局内は、前回の報告と同じ。
ただ生徒会内にも、不穏分子なる存在はかなり浸透している。
これは反元野さんというより、利権絡みの連中。
上手い汁さえ吸えれば何でも良いタイプの。
「傭兵のリストも、これに入ってます?」
「確認出来た分はね」
「契約は、私個人でも?」
「お金さえあれば。それと、本人の信念に沿うのなら」
むしろ問題は後者か。
これは今すぐの話でもなく、今度の事。
取りあえず、覚えておくに留めよう。
次は仲間を集める事。
傭兵のように不確定要素を含む存在ではなく、それこそ信念に基づいて行動してくれる人を。
この際3年は除外するべきか、それとも頼るべきか。
自分がどこまでを目指すかによって、それも違ってくる。
DD片手に廊下を歩いていると、元野さんが正面から歩いてきた。
終業時間を過ぎたとはいえ、いつもより早い帰宅。
珍しいなと思いながら、挨拶をする。
「自警局の件は、片付いたから」
「はい?」
「全員に話をして、しばらくは大人しくするよう伝えておいた」
あっさりと。
何事も無かったように伝えてくる元野さん。
こちらはただ口を開けるだけで、返す言葉も見つからない。
彼女は少し口元を緩め、私の手元を指さした。
「緒方さんの資料は、後で私か木之本君のところに。矢加部さんにもお礼を言っておいて」
「はぁ」
「私も一応はあなたの先輩なんだから。何をしてるかくらいは気にしてるわよ」
にこやかな笑顔。
私もぎこちなくそれに微笑み返し、DDを渡す。
「それとも、もっと過激な事でも考えてた?」
「いえ。まだこれからどうしようかと思ってただけで」
「ならいい。今回の件で色々考えただろうけど、あまり無茶はしないでね」
「はぁ」
出てくるのはやはり、生返事。
反発する気力すら湧いてこない。
「今更暴れる、なんて事は無いわよね」
「まさか」
「それなら良いわ。じゃあ、また明日」
DDを振りながら廊下を引き返す元野さん。
私は呆然とその背中を見送るだけ。
DDのバックアップを取るのを忘れていた事にすら、気付いていなかった。
自室に戻り、緒方さんに連絡。
DDの同じデータを転送してもらい、卓上端末でチェックする。
結局は元野さんの手の平の上で踊っていたような物。
何かをするどころか、その計画にすら至らなかった。
自分の力不足が原因なのか、踏み出す勇気が足りなかったのか、彼女達に私が及ばないだけなのか。
理由はいくつもあるだろうが、事実は一つ。
私が何もしなくても事態は解決した。
ただそれに尽きる。
助言、忠告、サポート。
みんなの力を借りながら、結果がこれ。
所詮私には、この程度が限界なのだろう。
何事も程々。
目立つ欠点もない代わりに、突出した点もない。
良くも悪くも中庸。
元野さんに反発して、今更行動を起こす気概もない。
何より今は、ただ虚しさが募るだけでしかない。
翌日。
いつも通りに学校へ登校し、正門で挨拶を浴びせかけられる。
多少押しつけがましくはあるが、健康的で爽やかな一時。
ただ緒方さんのリストには、この挨拶の発起人の名前も載っていた。
単なる押しつけがましい爽やかさの影にある、人の悪意。
殆どの人はそれに気付く事もなく、この挨拶を受け入れていく。
朝から感じる不快感。
挨拶をまともに返す気もなく、足早に正門をくぐり抜ける。
教室へ到着して筆記用具を揃えていると、数名のクラスメートがこちらを見ていた。
それ程友好的な眼差しではなく、ただこちらも穏やかな精神状態ではない。
自然視線が悪くなり、そのまま彼女達を睨み返す。
「何よ」
声を荒げて近付いてくる女達。
それはこちらの台詞だと思いながら、警棒に手を掛ける。
「生徒会だからって調子に乗ってるんじゃないの」
「大体生意気なのよ」
「先輩が偉いからって、自分も大物のつもり?」
一斉に浴びせかけられる罵倒。
正門での挨拶とも違う不快感。
咄嗟に警棒を抜いたところで、それを床へ落とす。
相手にすれば、むしろ助かった状況。
しかしその表情には、悔しさが滲み出る。
連中の後ろに立っている数名の男子生徒。
シャツの襟元から覗く、小型のカメラ。
私個人を狙ったとも考えられるが、最近の行動から考えて自警局内。
生徒会というレベルで考えた方が良いだろう。
警棒を落とした事で一気に白ける空気。
それを拾い上げている間に親切なクラスメートが仲裁に入り、私も席へと戻る。
背中に嫌みをぶつけられるが、それは半分も聞いていない。
真意を、改めて考えるべき。
そう。真意というものを。
体育の授業。
友達の会話に上の空で返事をしながら、考えを深くする。
自分の成すべき事。
出来る事。
置かれている状況を、一つ一つ精査する。
おぼろげに見えるいくつもの意志。
そのどれに乗るかは、自分次第。
また自分の目的によって、道はいくつも存在する。
誰の意志に従うかは。
不意に飛んでくるハンドボール。
肘を回してそれを受け流し、投げてきた相手を一瞥もせず再び思考に耽る。
今は自分の思考のみが全て。
馬鹿げたやりとりに時間を割いている暇はない。
すぐ側で聞こえる罵倒の声。
突かれる肩。
友人が私の腕を引いてその連中から遠ざけるが、なおも彼女達は付いてくる。
上手く立ち回れば、そもそもこういう無用なトラブルすら存在しない。
だけど私は焦りすぎ、あまりにも考えすぎた。
人の意志、他の人のやり方。
自分がどうあるべきかを。
感情ではなく理屈での行動。
それが間違っていたとは思わない。
ただ、こういった連中を増長させたのは確か。
自身が招いた状況ではある。
肩を付いてきた女の顔を掴み、足を払って床に倒す。
そのまま顔を床へ押しつけ、体重を掛けていく。
喉から漏れる、声にならない声。
構わず馬乗りになって、床がきしむのも気にせず力を込める。
「や、止めなさいっ」
金切り声を上げ、私を羽交い締めにする体育教師。
立ち上がり様足で女の脇腹を蹴り、手を踏みつける。
静まりかえる体育館内。
女の呻き声だけが不気味に響く中、私は体育館を後にした。
職員室へ連れてこられ、生徒指導主任なる体育教師の説教を受ける。
中学校。
もしくは前年度までの高校なら、こういう場合に指導するのは生徒会の誰か。
そういう経験が今は通用せず、ただ頭を低くする。
「分かってますか。本来なら退学や停学になってもおかしくないんですよ」
「済みません」
「とにかく、二度とこういう事はしないように。相手の子にも、よく謝っておきなさい」
その言葉に、隣の教師が首を振る。
どうやら、以前から高等部にいる教師。
こういう場合に謝ったら、相手がどう思うかには詳しいようだ。
「謝罪させないとでも仰るんですか」
「二度も嫌な思いはしたくないでしょう。やりすぎると、相手の方が退学しますよ」
「そういう事がないように、私達が指導監督するのでは」
この台詞を聞く限り、他校から赴任した教師。
生徒の指導監督権は、草薙高校も教師や職員が有している。
あくまでも建前上は。
「彼女も十分反省したでしょう。それにこの子は、元野グループですよ」
半笑いで指摘する男性教師。
そういう呼称初めて聞いたが、確かに私は元野グループの一員。
いわゆる不良グループとは、別な意味で有名なんだろう。
「どの生徒も平等に扱うべきではないんですか」
「まあ、理屈としては。どうしてもというのなら、元野を呼びますが」
「是非。私から話をしてみます。こういう子を野放しにしているなんて、そのグループは大体なんです」
一人いきり立つ女性教師。
その辺は、私も一度聞いてみたい。
大して待ちもせず、元野さんが現れる。
気配を消して机の下にでも入りたいが、勿論そんな真似など出来る訳もない。
「どうもご迷惑をお掛けしました。私の方で厳しく指導しておきますので」
凛とした表情で女性教師に告げる元野さん。
身だしなみは整っていて、仕草もたおやか。
ぞろぞろと仲間を引き連れる事もなく、注意するところは何も見つからない。
少し調子が狂ったのか、女性教師は曖昧に頷き彼女のプロフィールを卓上端末で確認した。
「生徒会の幹部のようだけれど。いつもこういう事をやっているの」
「自警局という組織の性質上、手荒な行為に及ぶ場合はあります」
「学内の治安を守るのは、警備員の仕事でしょう」
「生徒の自治は校是ですので」
やんわりと反論する元野さん。
これは職員室にも、大きな額でその文字が飾られている。
私達はそれを言葉でも理屈でもなく、感覚として理解する。
普段は気にも留めはしないが、時折それに気付く。
その大切さも含めて。
いまいち噛み合わない、元野さんと女性教師の会話。
前提としている理論が違う時点で、当たり前ではあるが。
「とにかく、こういう事は二度と無いように。暴力を振るうなんて、言語道断ですよ」
「それは勿論」
「大体……」
突然響く轟音。
何事かと思ったら、ドアが開いて爆竹が投げ込まれていた。
「職員室にとは、珍しいな」
未だに炸裂している爆竹をのんきに眺める男性教師。
女性教師の方は青ざめた顔で、端末を握りしめている。
「消防車。いや、警察を」
「すぐ消えますよ。それに、実弾よりはましだ」
意味の分からない事を言い、ホウキを手にしてドアの前へ向かう男性教師。
これが元野さんが対象なのか、それとも私か。
または教師に向けられた物か。
分かるのは、こういう振る舞いをする者が学内にいるという事実。
ただそれだけに過ぎない。
「大丈夫ですか」
優しく声を掛ける元野さん。
女性教師はぎこちなく頷き、微かに震えながら椅子へ座った。
「本当、暴力は良くないですよね。私も力の行使は出来るだけ控えるべきだと思っています」
「え、ええ」
「ただ今のようなケースで弱腰になって、良い事は何もありません。解決すべき手段を知らないと言いますか。先生は、どうお考えですか」
「さあ」
気のない、心ここにあらずと言った顔。
もはや私達の存在など気にもしていないのは明らか。
暴力を否定し、それを憎むのは良い。
ただ自分に向けられた時。
自分の周りに対して向けられた時どうするか。
怯えて震えるばかりでは、何の解決にもなりはしない。
小さく肩をすくめ、私に笑いかける元野さん。
確かに、この辺りが潮時か。
「では失礼します」
「ええ」
「行くわよ」
早足で歩いていく元野さん。
私もすぐにその後を追い、爆竹の後片付けをしている男性教師に頭を下げる。
職員室を出たところで、改めて考える。
いかにも暴力沙汰には慣れている雰囲気の男性教師。
そして怯えるだけの女性教師。
事態への対処と考えるなら、男性教師の方が優れてはいる。
ただそれは、常に緊迫し荒れた状況に置かれている事の現れ。
対応としては良くても、本当に良い人生を過ごしてきたとまでは言い難い。
そんな事を考える余裕があったのも、自警局へ到着するまでの話。
すぐに局長執務室へ連れて行かれる事となる。
そこに待っていたのは、丹下さんと北川さん。
そして私を伴って来た元野さん。
自警局のトップ三人。
北川さんは明らかに怒っていて、それを丹下さんがなだめる格好。
元野さんは職員室の時から雰囲気は変わらず、いつも通り。
だからこそ、真意が掴みにくい。
「何がしたいのか言ってみて」
今にも角を生やしてきそうな北川さん。
特に理由はなく、感情的になっただけだと告げる。
「あなたは高校1年生とはいえ、中等部では自警局の幹部だった。つまりは全体の模範になる立場でしょう。もう少し考えて行動しなさい」
「済みません」
「北川さん、その辺で。エリちゃんも分かってるわよね」
苦笑気味にフォローしてくれる丹下さん。
北川さんはそれ自体が気にくわないらしく、丹下さんにも食ってかかりそうな勢いである。
そして元野さんは、一応殊勝な態度を見せている私をじっと見つめたまま。
叱りもしないし、フォローもしない。
とはいえ無関心でもない。
「元野さんはどう思うの」
私の疑問をストレートにぶつけてくれる北川さん。
元野さんは髪を撫で付け、少しの間を置いた。
「処分は必要よね」
「当然でしょう」
今にも牙をはやしそうな北川さん。
典型的な北地区出身者というか、生真面目で厳格。
悪い人ではないが、自由に生きてきた南地区の人間からすると正直怖い。
「……しばらく、局長代理でどうかしら」
「はい?」
同時に尋ねる私と北川さん。
丹下さんはなおも苦笑したままである。
「上に立ってみれば、分かる事の一つもあるんじゃなくて」
「それはそうだろうけど。……浦田さん。言っておくけど例えこれが仮の処置だとしても、代理は代理よ。あなたにはそれだけの責務と義務が生じるの。出来ません、済みませんでは済まない事は承知しておいて」
いきなりのプレッシャー。
何を考えてるのかとこの場にいる3人に聞いて回りたいが、私が口を開く雰囲気ではとてもない。
でもって、代理のプレートとIDがすでに用意されてるのはどういう事だろうか。
執務用の机に収まり、途切れる事無く飛び込んでくる案件に目を通す。
即判断を判断を下す必要のある内容は少なく、まずは内容を理解……。
「何をしてるんですか」
「え、何が」
壁を警棒で叩きながら振り返る元野さん。
でもって、もう片手に持っていたふ菓子をかじりだした。
どうやら、優さんの真似をしているようだ。
「落ち着かないので、止めて下さい」
「つまんない子ね」
結構すごい事を言い、今度は私の後ろに回り込んできた。
さすがに指導をしてくれるのかと思った途端、警棒の代わりに定規が飛んできた。
「ここ、違う。数字はより厳密に。データベースを一度見直して、小数点3桁まで記入して」
「いや。十分誤差の範囲内で、収まるかと」
「あなた、私に口答えする気」
定規を振り上げながら、低い声を出す元野さん。
今度は、聡美姉さんの真似をしているようだ。
ソファーに座らせ、一旦彼女を遠ざける。
上に立つ者の責任は理解出来ないが、元野さんの気苦労は少し分かった気がする。
何にしろ、机に積まれた書類はわずかにも減りはしない。
その間にもメールは次々届き、端末は着信の連続。
どこから手を付けて良いかも分からない。
「燃やせば良いじゃん」
いつの間にか目の前に立っている元野さん。
でもって、手には火の点いたライターを持っている。
当然そんな訳にも行かず、息を吹いて火を吹き消す。
「お腹空いた。お腹」
今度はショウさんの真似か。
でも、それはちょっと違うと思うんだけどな。
机の上にあったお菓子を渡し、改めて彼女をソファーへ戻す。
どうにも、ため息しか出てこないな。
「僕には荷が重いよー」
突然叫び出す元野さん。
今度は多分、木之本さんの真似。
ただ間違っても、彼がそう叫ぶ事は無いと思うが。
「静かにして下さいっ」
「この程度で怒るなんて、まだまだね」
「まだまだで結構です」
「あー」
最後に意味のない一叫び。
だけど、叫びたいのはこちらの方。
本当、優等生も楽ではない。