エピソード(外伝) 39-1 ~浦田永理(ケイの妹)視点~
目標
1
挨拶を呼びかける集団。
それへ自分も挨拶を返し、正門をくぐる。
先日まで通っていた草薙中学はすぐ隣。
そのまま繰り上がって高校に通う生徒が大半で、新鮮味には多少欠ける。
高校生という自覚も、やや薄い。
成長しきれない自分の心が、そんな事を思わせるのかも知れないが。
「浦田さん」
声を掛けられ、振り向くと男の子が一人立っていた。
大丈夫とは思うが、それとなく警棒が届く範囲に手を持って行く。
表情はあくまでも笑顔で。
油断して、床を舐めた後では遅いのだから。
「浦田さんって、自警局だよね」
「ええ」
愛想良く答え、相手のプロフィールを頭の中で確認。
草薙中学からの繰り上がり組ではなく、編入試験を突破した生徒。
ただ以前より編入基準は緩和されているため、寄付金以前に本人の能力はさほど必要とされない。
「俺も入れるかな」
「生徒会資格を取得すれば、大丈夫じゃなくて」
ありがちな会話。
草薙高校の生徒会は他校からも特別視されている。
部署によっては公務員扱いで、将来の進路まで約束される。
そこへ配属されるためには、本人の高い資質が求められる。
ただ自警局は学内での地位こそ高いが、将来ともなれば望み薄。
その点だけを考えるなら、むしろ損な部署とも言える。
「いや。入るのは簡単なんだ。親に頼めば」
軽く言ってのける、男子生徒。
資格取得や生徒会参加に関しては、学校の意見にもかなり影響を受ける。
どうしてこんな生徒がというケースもしばしばで、彼もその口らしい。
「予算局か情報局に入りたいんだけど、どうにかならないかな」
「さあ」
どちらも公務員扱いの、人気が高い部署。
そこにもコネで入っている生徒は多いが、彼にそこまでの力は持ってないらしい。
正確には、その親が。
狡猾に緩む口元。
警棒に手を掛けて正解だったと思いつつ、あくまでも笑顔で受け答える。
「何か」
「お前、自警局の局長と知り合いなんだろ。そいつに頼めよ」
「どうして」
「俺が優しく言ってる……」
言っている間に吹き飛ぶ男子生徒。
私の手は、警棒に添えたまま。
しかし彼は地面に倒れ、青い顔で震えている。
優さん。
無謀な行動に、一瞬愛すべき先輩の顔を思い出す。
しかし彼女はその無謀な行動の結果、退学処分を受けた。
いずれ復学するとの噂もあるが、今はどこを探そうとその姿は見つからない。
「誰、こいつ」
男の鼻に足を乗せながら尋ねる七尾さん。
ガーディアンの筆頭を勤める、北地区出身の先輩。
理由を聞くより先に手を出したところが、優さんと重なったんだろう。
「コネで、予算局か情報局に入りたいようです」
「仕事熱心な奴だ。焼却炉の中にも入ってみるか」
凛々しい顔に浮かぶ酷薄な表情。
男子生徒は悲鳴を上げ、周りにいた生徒にぶつかりながら私達の前から逃げ去った。
「訳が分からん。大体、燃やすかよ」
鼻を鳴らして不平を漏らす七尾さん。
実際そうとは思うが、この人ならやりかねない雰囲気を持ってはいる。
それこそ、一度くらいはありますと答えられても納得する者は多いだろう。
彼は私を見ると、突然肩を揺すって笑い出した。
見とれる程の顔ではないが、笑われるような顔でもないと思っていたが。
「君って、浦田君の妹だったよね」
「ええ」
「彼は、今どこに?雪野さん達とは行動を共にしてないと聞いたけど」
「私もそこまではちょっと」
珪君は草薙高校を退学後、名古屋市内の高校には通わず学校外生徒として活動してるのは知っている。
しかし今現在の居場所は把握出来ず、先日まで北海道にいるとだけ聞いた。
「お兄さんや雪野さんが見たらどう思うのかな、今の学校を」
「さあ」
やはり曖昧に答え、納得はしないだろうなと心の中で呟く。
優さん達は生徒を縛る規則改正に反対。
実力行使にまで及び、関係者を学校から放逐した。
結果自分達も退学処分を受けた。
彼女達が犠牲を払った結果、この学校はどうなったか。
規則は、当時に比べれば緩んだという。
ただ硬直した規則の運用や、横暴な教師はかなり目に付く。
これが優さん達の願った学校の姿ととは到底思え無い。
他校から進学した生徒にすれば、ごく普通の学校。
むしろ規則が緩いと思うくらい。
でもここは、草薙高校。
その事を、何人の人が理解しているだろうか。
「戻らないのかな、雪野さん達は」
「退学ですからね」
「良いね、退学。俺もしたかったなー」
そう詠嘆し、鼻歌交じりに去っていく七尾さん。
この人はこの人で、いまいち掴み所が無く思考原理の読めない部分も多い。
ガーディアンとして優秀なのは間違いないが、筆頭というポジションを任せて良いのかは少し判断に苦しむ。
切り込み隊長なら、適任だろうが。
とにかく事態は一応解決し、その足で自警局へとやってくる。
中学でも自警局に所属していたので、感覚としては当時の延長。
所属する生徒も知った顔が多く、ここに来るとむしろ落ち着くくらい。
連合の消滅には、一抹の寂しさを感じなくもないが。
「元気ないわね」
顔を合わせるなり、そう声を掛けてくる元野さん。
一瞬の物思いを、あっさりと読み取る彼女。
かつての連合議長にして、現自警局局長。
生徒会長との呼び声もあるようだが、停学処分を受けた身。
本人は、明確にそれを否定している。
「少し疲れただけです。それより、七尾さんに優さん達の復学を聞かれたんですが」
「前期は難しい」
ため息混じりに答える元野さん。
何しろ理事以下、職員を大量に追放した張本人。
破損した施設や機材も数限りない。
彼女の待望論は未だに根強いが、いくら学内の体制が変わっても彼女を呼び寄せたいと思う職員は少ないはずだ。
ふと本棚へ視線を向けると、木之本さんが資料を年次別に整理していた。
彼がするべき事ではないが、それをする人がいない以上彼は進んで買って出る。
元野さんがずぼらなのではなく、ここで彼女はリーダーとしての強さをより求められる。
リーダーが資料を整理していても良いが、ガーディアンを率いる以上過剰な強さを見せる必要も時にはある。
ただ木之本さんの場合はリーダー云々という話以前に、性格的にこういった細々した事に気が付くタイプなのだが。
「大体、戻ってきたら戻って来たで大変よ。ねぇ、木之本君」
「そうは思わないけどね」
言葉とは裏腹に、何となく硬い笑顔を浮かべる木之本さん。
人が良すぎるのも程々にだな、本当。
「いなければいないで、困るけどね。七尾君一人でガーディアンを率いるのにも無理があるし」
「その分、御剣君や渡瀬さんが頑張ってるよ」
優しい笑顔でフォローする木之本さん。
確かにあの二人は、以前の優さん達並の働きをしているかも知れない。
ただこれは彼女達に聞けば分かるが、本人達はそれを否定する。
結局のところ、優さん達には敵わないと。
ガーディアンとして。
格闘技の腕前としてなら、もしかして優さん達を上回るかも知れない。
それは、御剣さん達に限らず。
ただ人間として、彼等は別格。
優さんは、その中でも一際抜きんでている。
彼女の存在感は。
昨年度の学校との戦いでのリーダーは、元野さん。
ただどうしてあれだけの人数が集まり、あそこまで大規模な運動になったのか。
それは言うまでもなく、優さんがいたから。
逆に彼女がいなければ勝利は無かったか、仮に勝ったとしても学校は大きく変質していたはず。
現状を良しとは私も思わないが、この状態に留めたのは彼女の功績。
優れた人材は、この学校には大勢いる。
個々の資質では彼女を上回る人もいるだろう。
だがその存在感、輝きに敵う人は一人もいない。
とはいえ、彼女がいないのもまた事実。
復学するのは、元野さんが言うようにおそらく後期。
それまで私達は、踏みとどまり耐えるしかない。
学校からの圧力。
他校から編入した生徒との軋轢。
虚脱感に苛まれている、元からの生徒達。
その全てから。
また後期に優さん達が復学したとしても、来年になれば必ず卒業する。
そこからはもう、頼れる相手は誰もいない。
いるとすれば自身。
それを、私は彼女達から教わった。
昼休み。
人の流れに乗って食堂へと向かう。
食堂内は相変わらずの活気で、立ち入るのをためらってしまうくらい。
こればかりは学内の状況がどうなろうと、変わる事無い光景だろう。
「こんにちは」
「ん、ああ。こんにちは」
素っ気なく挨拶する御剣さん。
ショウさんがいない今、学内最強との呼び声も高い男の子。
隠れたファンも意外と多く、確かに以前よりは落ち着いてきたとも思う。
元野さんや木之本さんの薫陶のせいもあるし、人間年を取れば自然とこうなる。
復学したら、優さんもきっと以前とは違ってる彼女になっているはず。
それは楽しみでもあり、少しの寂しさを覚えなくもない。
私にとって彼女は、絶対的なアイドル。
いつまでも変わらない、天真爛漫さと豪快さを兼ね備えていて欲しい。
あくまでも私の勝手な希望。
元野さん達からすれば、豪快さは絶対に兼ね備えないで欲しいだろうが。
カウンターに出来る列。
そこに並ぶ、私と御剣さん。
粗暴と思われがちだが、ルールは守るタイプ。
間違っても人を押しのけ、先頭に立ちはしない。
いわゆる配慮の無さは、幼さ故。
中等部から時を経た今は、そういう部分も薄れている。
その分精悍さが協調され、女子生徒に評価を受けつつあるのだろう。
そんな彼の側へ集まってくる、柄の悪い男達。
これはもはや、仕方のない事。
彼が彼である以上。
名が売れ、実力が知られ、そこにいる。
本人が望まなくても、周りが彼を放っておかない。
わざわざこんな場所でとも思うが、連中からすればこんな場所だから。
人が多ければ注目が集まり、自分達の力を誇示出来る。
誇示出来ると思いこんでいるだけなのだが。
彼等の行為は、虎の寝床に忍び込むようなもの。
休んでいるところを邪魔されて、寛容な虎などいる訳がない。
食事前ともなれば、余計にだ。
男達が何か言いかけたところで御剣さんの手が伸び、前の方にいた男の襟を掴んで上に上がった。
ハンガーに掛けていた上着でも取るような感じで。
ただ相手は、無駄にと言いたくなるくらい成長した男子高校生。
普通なら、片手で上がるようなものではない。
何より、上げようとは思わない。
そんな彼越しに見える、隣の列。
異様な光景に誰もが注目する中、半笑い気味に列を進んでいく可愛い女の子。
髪はセミロングで、体型は若干小柄。
どこか優さんを思わせる、ただ彼女にはない落ち着きを備えた少女。
御剣さんが男達に構ってる間に隣の列は一気に進み、少女はトレイを持って引き返してきた。
「元気良いね」
「俺は何も」
「せいぜい頑張って」
明るい調子で声を掛け、そのまま去っていく少女。
御剣さんは男を放り投げ、今にも食い殺しそうな目付きで彼等を睨んで列へと戻った。
自分の行為の虚しさに、ようやく気付いたようだ。
トレイを持って、私と御剣さんもテーブルへと向かう。
先程声を掛けてきた少女の座るテーブルへ。
「こんにちは」
「こんにちは。ご飯より大切な事って無いよね」
至って朗らかに言ってのける渡瀬さん。
その辺は異論が無くもないが、この笑顔には思わず頷いてしまうだけの説得力がある。
雰囲気としては、優さんに近い彼女。
ただ立ち振る舞いや性格はよりしとやかで、落ち着きを感じさせる。
以前はもっと弾けていたらしいが、それは以前の話。
今は成長の階段を上り続ける女性が、私の目の前にいる。
「雪野さんは、まだ戻らない?」
デザートのプリンを食べながら尋ねてくる渡瀬さん。
これは誰しも関心がある話題。
とはいえ彼女達のように、優さんの帰還を待ちこがれる人ばかりではない。
それを望まない者も、学校には多い。
単なる不良グループだけではなく、今ここで勢力を伸ばしている連中も。
「後期までは難しいと、元野さんが」
「残念だな」
しみじみと呟く渡瀬さん。
彼女も私同様、優さんをアイドルに思う一人。
タイプ的に近いだけに、より思いは強いと思う。
「まあ、いたらいたで俺はちょっと」
否定はするが、はっきりとは言わない御剣さん。
彼も優さん達に憧れ、共に行動をしてきた。
嫌う理由は何もないが、同時に畏怖を抱く相手。
彼女達は元野さんとは異なり、直接的に御剣さんを叱責する。
彼を叱責出来る人間など、この学校には何人もいはしない。
そして退学した4人は、彼を叱責出来る数少ない人達。
御剣さんが言葉を濁すのも当然と言える。
そう考えると、優さん達は一体何者かとも思えてくるが。
放課後。
自警局へ赴き、資料を揃える。
元野さんの補佐的な仕事を任されているが、私には荷が重いと思わなくもない。
言われた事をしていれば良く、元野さんの指示は的確。
仮に私が失敗しても、木之本さんがそれをフォローしてくれる。
例えば中学生でも、仕事自体はこなす事は出来る。
ただ本当に彼等の役に立つためには、もしくは望むべき期待に応えるためには。
今の私では力不足。
能力、経験、実績。
何一つ足りてはいない。
「大丈夫?」
優しく声を掛けてくれる元野さん。
やはり私の浮かべた表情で、物思いの影を読み取ったようだ。
「ええ。暑くて、少し疲れただけです」
「程々にね。ユウを見習って、気楽にやったら」
明るい笑い声。
彼女を見習ったらどうなるか、言った本人が想像したようだ。
難しい顔で資料を読む元野さん。
正直学内の治安はあまり良くなく、またガーディアンの質も以前に比べて落ちているという。
問題はそれだけではない。
現在の自警局の立場。
元野さんの立場と言おうか。
彼女は生徒会や、今の学校の方針に異議を唱えている。
規則改正を阻んだはずが、結局は規則で縛られつつあるこの学校の現状に。
それを学校や生徒会が嬉しく思う訳もなく、彼女達への圧力は裏に表にと掛けられる。
そんな状況におかれている彼女を支えられるだけの力を、今の私は持っていない。
しかし、それを嘆くつもりもない。
力が無くても、出来る事はある。
泣いてる間に、力を磨けば良いだけの事。
諦め、背を向け、逃げ出して。
そうして得る物など、何もない。
自警局の仕事も終わり、寮へと戻る。
少し遅い食事を食堂で取っていると、周りを女子生徒に囲まれた。
優さん達の事を聞きに来たにしては物騒な顔。
何より、警防をちらつかせながらというのはあり得ない。
「顔貸しなよ」
凄みのある声。
とりあえずチャーハンを一口食べて、お茶を飲む。
「取り外せないから、貸せないわ」
面食らった顔をする女達。
元野さんほどではないが、人当たりは良いと言われている。
軽く脅せば、たやすく言う事を聞く。
そんな印象を抱かれる自分。
とはいえこちらも、一応ガーディアンとして3年間勤めてきた。
それなりの修羅場も潜り抜け、今の立場に上り詰めるだけの努力もした。
ずば抜けた能力はないけれど、この程度で慌てる様な生き方もしていない。
「……ふざけるな」
周りを気にしてか、小声で恫喝してくる女。
この時点で、相手の意図。
いや。覚悟が知れる。
本気なら、周囲の目を気にする理由は一切ない。
私を見つけた時点で襲い掛かるか、すぐに連れ出すか。
しかし連中は、悠長に私を脅してくれている。
こんな事をしていれば、いずれ誰かが気付き寮に常駐する警備員を呼びにいく。
その程度も分からないからこそ、こうした頭の悪い行動に走るともいえるが。
背後関係をちらつかせ、どうにか私を外へ連れ出そうとする女達。
どうやら生徒会の構成員。
そして、幹部に知り合いがいる様子。
自警局で大きな顔をしているらしい私が、どうも気に触ったとの事。
勝手に触られても困るし、それに付き合う程暇でもない。
備え付けのティッシュで口を拭き、おもむろに立ち上がってグラスの水を女に掛ける。
意外に可愛らしい悲鳴。
その隙に、漫然と警棒を握っていた隣の女の腕を掴んで横へ振る。
先端が叫んだ女の鼻先に当たり、再び悲鳴。
鼻血は出ていないと思うし、そこまで構う義理もない。
「私はあなた達に用はないし、付き合う気もない。どうしてもと言うなら、明日の放課後自警局へ来て」
「ば、馬鹿に」
「本当、私でよかったわよね」
これが優さん達なら、すでに倒れているか逃げ出しているかのどちらか。
なんて言うと、彼女は否定するかもしれないが。
連中が呆然としてる間に警棒を奪い取り、床にうずくまった女の首筋にそれを添える。
即座に周囲から集まる注目。
何より突然の出来事に、女達の気は完全に削がれてしまう。
「続きをしたい人は?」
返事もなければ、視線を合わせる者もない。
その程度の気概で良く襲ってきたと笑いたくもなるが、気概がありすぎれば倒れていたのは私の方。
むしろ、そちらを喜ぶべきか。
女達が逃げていったところで、途中だった食事を続ける。
少し冷めたが、食べられない程ではない。
周囲の視線の冷ややかさはともかくとして。
今の草薙高校の雰囲気は、穏やかであり従順である事が求められる。
今のような粗暴とも取れる行動は厳に慎むべきという空気が強い。
暴れる生徒に目をつぶっているだけの気もするが、私一人が異議を唱えたところで何かが変わる訳でもない。
そこまでの影響力も実力も、私は持ち合わせてはいないから。
「ここ、空いてますか」
遠慮気味に声を掛けてくる神代さん。
それに笑顔で答え、前の席に座った彼女を眺める。
精悍な顔立ちの美少女といった風情だが、性格はどちらかと言えば大人しめ。
後輩の私に敬語を使うような人でもある。
「さっき、変なのが走って逃げていったけど」
「夏ですし、おかしい人もいるでしょう」
「はぁ」
あまり納得していない顔。
明らかに、彼女達と私を関連づけて考えているようだ。
もしくは私を、優さん直系と考えているせいか。
「遅い食事ですね」
「仕事が片付かなくて」
彼女は私同様、元野さん達の補佐。
現場に出る事はなく、事務的な仕事が中心。
外見からすると先頭を切って暴れ回りそうだが、体力的には私より下回るくらい。
何より、そういう性格ではない。
そのためつい内側に抱え込む時もある。
大丈夫とは思うが、念のため聞いた方が良いだろう。
「誰に頼まれた仕事ですか」
「え、北川さんですけど」
出てきた名前は、総務課課長。
役職としてはナンバー2。
また元野さんが集団指導体制を明言してる今、実質的なトップと言っても良い。
仕事には厳しいが理不尽な人ではなく、特に問題はなさそうだ。
「よろしければ、お手伝いしましょうか」
「え、いえ。でも、それは」
「せいぜい宿題をやって寝るくらいですから」
「済みません」
丁寧に頭を下げる神代さん。
仕草としては簡単だが、後輩に頭を下げるのは決して簡単な事ではない。
私は良い先輩達に恵まれているようだ。
女子寮の多目的ホールに資料を広げ、書類の不備をチェックしていく。
半分くらいは、正直廃棄しても誰も困らないもの。
ただ規則で決められている以上、書類によっては5年間保管する必要すらある。
無駄が極まったとしか言いようがない。
細かい数字のチェックに手間取っていると、神代さんが声を掛けてきた。
「お茶、お持ちしましょうか」
「良いですよ、私が持ってきますから」
「いえ、そんな。滅相もない」
大きく手を振り、走るように去っていく神代さん。
何となく、優さん達の心境が分からなくもない。
「随分、怖がられてるわね」
特に笑うでもなく、淡々と語る真田さん。
彼女も神代さんと同じ2年生。
南地区出身で、私にとっても親しい先輩の一人である。
「怖がられるというか。気を遣う人なんでしょう」
「そうだけど。あの子が敬語を使う人は、限られてるわよ」
「例えば?」
「元野さん達とか、学校の教職員とか。大体、雪野さん達にも敬語を使ってないでしょ」
「へぇ」
それはそれですごいというか、私には真似の出来ない事。
逆を言えば、親しさの表れとも言える。
「何の話」
大きなペットボトルと紙コップを運んできた神代さんは、薄い笑顔を浮かべている真田さんに視線を向ける。
「別に。それより、仕事は」
「今やってる。見てるなら、手伝って」
「大変ね」
ペットボトルから自分の分だけを注ぎ、書類を眺める真田さん。
変わらないな、この人も。
彼女も事務方で、ガーディアンとして現場に出る事は滅多にない。
仕事をさせれば優秀だが、若干人との距離があるというか醒めている。
情より現実を優先するタイプとでも言おうか。
神代さんは険しい顔で彼女を睨み、それでも仕事に取りかかった。
「……何。この、備品使用状況書って」
抜き出される、一枚の書類。
内容は、その名称通り。
備品の使用状況が書かれている。
神代さんの言う通り、だからどうすればいいのかという書類。
これを後で見返す事があるとも思えず、経費削減の参考にするというのも疑わしい。
「廃棄するのは、問題ですか?」
「え」
「それはちょっと」
私を身ながら戸惑う二人。
言ってしまえば、たかが書類。
それも、誰も必要としていない。
これがあってもなくても、気にする人は誰もいない。
ただ、そう思ったのは私だけ。
比較的過激論者の真田さんですら、嫌そうな顔をする。
「いらない書類ですよ」
「そうだけど。今回は、提出したら」
「分かりました」
それこそ強硬に主張する事ではないので、すぐに意見を引っ込める。
議論すらさせないとは、つくづく厄介な書類だと思う。
「雪野先輩みたいだな」
ぽつりと呟く神代さん。
取りあえずこの件に関しては、そういう言い方は止めて欲しい。
仕事を終え、自室に戻って宿題をこなす。
次いで、復習と予習。
数式をどうにか片付け終え、教科書を閉じる。
寝るには、まだ少し早い時間。
喉も渇いたし、ラウンジへ行くとしよう。
かなり遅い時間だが、ラウンジには生徒の姿も多少見える。
男子生徒と楽しそうに過ごしてる子もいて、羨ましいなと思ったりもする。
ただ、それはそれ。
今は喉の渇きが優先される。
自販機でお茶を購入。
空いているテーブルについて、口を付ける。
近付いてくる足音。
それは私の隣を通り過ぎ、窓際で泊まった。
テーブルは、空いている場所の方が多いくらい。
しかし彼女達はわざわざ人のいるテーブルへ向かい、そこをどくよう強要する。
指定が無くても、いわゆる「自分の場所」は存在する。
ただそれは、その席なりテーブルが空いていた場合。
空いていなければ、違う席に座ればいいだけ。
世の中には、それが出来ない人間も存在する。
言ってしまえば、存在しなくても良いような人間が。
結果、強引に席を移動させられる女性生徒達。
単純な人数さもあるが、移動した理由はその相手。
何人かは、生徒会で見た顔。
借り物の権力を自分のものと勘違いした、程度の低い振る舞い。
相手にしないのが一番。
そう割り切れる程、賢い考え方も持ってはいない。
席を立ち、ペットボトル片手にその集団が収まっているテーブルへと向かう。
「ここ、私の場所なんだけど」
今の彼女達と同じ内容の台詞。
一瞬意味が分からないという顔をして、すぐに何人かが立ち上がった。
その空いた席へと座り、足を組んでお茶を飲む。
我ながら、ひどい態度とは思う。
「誰よ、あなた」
「自分達こそ誰。このテーブルって、予約席だった?」
たわいもない皮肉に押し黙る女達。
ただその分敵意は増幅され、私にのし掛かってくる。
いつになっても、こういう連中は無くならない。
それでも以前は多少なりとも数が減るか、もしくは影を潜めていた。
これも言ってしまえば、秩序の崩壊。
とはいえ、そこまで優さん達に頼る訳にも行きはしない。
私もこの学校に通う生徒であり、ここの寮生。
秩序を維持する者の一人でもある。
「意外に血の気が多いのね」
颯爽と現れ、私と女達の間に立つ丹下さん。
長い黒髪は後ろで束ねられ、手にはキャップを持っている。
彼女はさすがに有名人なのか、何一つ争う事無く女達の方から逃げていく。
捨て台詞どころか、振り返る余裕すらなく。
組んでいた足を元へ戻し、彼女に頭を下げる。
「済みませんでした」
「謝らなくても良いんだけど。そういうタイプだった?」
タイプと聞かれれば、おそらく違う。
あの状況を見過ごす事は出来ないが、ここまで挑発的に振る舞うの柄ではない。
何より、あれだけの人数と戦って勝てる自信もない。
だが今は、そういった過剰な振る舞いが必要と判断したまで。
自分の羽を、出来るだけ大きく見せる必要があると。
「優ちゃん達の代わり?」
「そんなところです」
全てとは言わないが、半分以上はそんな意識。
秩序が崩れつつある今、分かりやすい力を振るう以外の解決法を私は取れない。
彼女達のように、その存在だけで人を黙らせるなど夢のまた夢だ。
丹下さんは小さく息を付き、私の隣へ座った。
「分からなくもないけど、そうするとあなたが的になるわよ」
「それ自体は、大した事ではありません」
「その辺は、お兄さん似なのね」
おかしそうに笑う丹下さん。
これは、あまり嬉しい評価ではないな。
「確かにみんなが好き勝手にやってるから、思う事もあるだろうけど。それだけ自由だって考え方も出来るから」
「自由と無秩序は違いますからね」
ちなみに丹下さんは、自警局自警課課長。
ガーディアンの統括責任者で、元野さんや北川さんと並ぶ自警局のトップ。
本来なら、私が気安く反論出来る相手ではない。
よって周囲の生徒は彼女に畏怖の視線を。
私には薄寒い視線を向けてくる。
幹部に逆らう、おかしな少女がいると言いたげに。
それは否定出来ず、実際頭の良い行動ではない。
だが、言わずにはいられない。
せずにはいられない事もある。
憎まれようと疎まれようと、誰かがやらなければならないのなら。
それを避けて通る理由は、私にはない。
特に結論も出ないまま、ラウンジを出て自室へと戻る。
丹下さんはキャップを指先で回しながら、私の少し前を行く。
ポニーを止め、少し短くして後ろで束ねる髪型に。
またキャップも被ってはいなかった。
今はこれを手放す事はなく、常に携帯をしている。
卒業した先輩からの贈り物らしく、それもかなりの思い入れがあるようだ。
「これ?優ちゃんも同じのを持ってるわよ」
「キャップをですか」
「同じ先輩からもらったの。私はその人に敬意を表して、同じ格好をしてるだけ」
苦笑しながら説明する丹下さん。
暗に自分のポリシーの無さを告げながら。
私からすれば、彼女はそれだけ柔軟。
変化に対応し、受け入れる事が出来る人に思える。
頑なに自分を貫き通すのも良いが、適度な変化も世の中には必要。
人の中で生きて行くには、余計に。
自分の意志ばかり押し通しても、それは単なるわがままに過ぎない。
格好良いと思っているのは、せいぜい本人くらいだろう。
「私はその先輩達の足下にも及ばないんだけど。だからせめて、格好くらいはと思って」
「足下」
「能力とか実績以前に、人間としてね」
「丹下さんは今でも十分だと思いますよ」
これはお世辞ではなく、本心から。
気が付き、視野が広く、締めるところは締める。
人当たりも良いし、感情も豊か。
その能力や実績も申し分なく、自警課課長になるべくしてなったといったところ。
そんな彼女が尊敬するというのだから、余程立派な先輩なんだろう。
「ありがとう。でも私は、平凡な人間だから」
「平凡で結構じゃないですか。ヒーローヒロインだけで、この世の中が成り立ってる訳でも無し」
「なるほどね」
おかしそうに笑う丹下さん。
ただ、彼女の言いたい事は分かってもいる。
優さん達の側にいれば、嫌でも思い知らされる。
自分達の小ささ。
そして彼女達の大きさを。
それを頼もしく思うか、疎ましく思うか。
ただ残念ながら、後者の意見も意外と多い。
その反発が彼女達の復学を阻んでいるとの噂もある。
私達が彼女を望むのと同じ強さで、それを望まない者もいるのは間違いない。
多くの人に影響を与える存在。
本人が意識せずとも、周りは自然と彼女達に左右される。
その最たる例が、前年度の抗争劇。
あれの是非はともかく、もし彼女達がいなければいわゆる管理案が未だに施行された状態。
私達は今以上に窮屈な生活を強いられていたはず。
とはいえ、自分達を卑下するつもりもない。
私は自分に出来る事をするだけで。
またそれは、彼女達も同じだと思う。
その影響力や、出来る事の大きさが違うだけで。
後は、本人達が自覚をしていないだけでしかない。
翌日。
いつもと変わらない正門での挨拶。
それに愛想良く答え、教棟へ続く並木道を歩く。
私が成すべき事は何もない。
優さん達の戻る場所を守る。
ただ、それくらいしか。
春の日差しは穏やかで。
だからこそ、人の気持ちを削いでいく。
それは悪い感情だけではなく、高ぶった思いをも。
自分なりに描いた未来図。
こうであるべきだという学校の姿はあった。
でも今は、情熱も何も持てはしない。
憧れていた高校の変わり果てた姿。
そこに漫然と通い、何の疑問も持たない生徒達。
何より問題なのは、それを受け入れている今の自分。
現状を維持する事しか出来ず、今の場所に留まる事で満足をしてしまっている。
自分一人で何が出来るのかという気持ち。
変えようとする意思がないだけだという気持ち。
そんなせめぎ合いも、春の穏やかな日差しにかき消されていく。
空は心地良く晴れ、風は暖かい。
学校を二分した争いも、今は遠い昔の出来事のよう。
その事を語る生徒は殆どおらず、今という時を過ごしている。
決して、未来に向けた時ではなく。
そして自分も、また。
昼休み。
いまいち気分が優れないまま、食堂へとやってくる。
すると袖を軽く引かれ、振り向くよう促された。
「元気、ありませんわね」
やや甲高い、品の良い声。
そこにいたのは矢加部さん。
疎遠という訳ではないが、親しく語り合う関係でもない。
つまり、私を呼び止めるだけの理由があるのだろう。
トレイをテーブルへ置き、大して食べたくもないうどんをすする。
矢加部さんは優雅にオムライスを頬張りながら、私をじっと見つめてきた。
「元気、ありませんわね」
さっきも聞いた言葉。
年中弾けてなんていられない。
とは言わず、曖昧に笑っておかずのコロッケを食べる。
「少し、場所を変えましょうか」
食事を終えて彼女に連れてこられたのは、教棟の裏手。
雑草の茂る、人気のない場所。
悪い事をするのにも、秘密の話をするにも都合の良い場所。
とは思えず、生徒会の会議室で話せば良いだけ。
セキュリティはそちらの方が数段優れているし、猫が足下を歩いてはいない。
「ここなら、誰も来ませんから」
声を潜め、薄く微笑む矢加部さん。
秘密の話は教棟の裏で。
なんてシチュエーションに憧れていたようだ。
こちらは、足下をうろつく猫が気になって仕方ないが。
「聞いてますか」
「え、はい。大変ですね」
「まだ、何も言ってません」
何だ、それは。
取りあえず猫の頭を撫で、柔らかな手応えを楽しむとするか。
「猫はどうでも良いんです。自警局内で、動きがあるみたいです」
「クーデターでも?」
別に冗談で言ったつもりではない。
矢加部さんがわざわざ私を呼び出し、自警局の異状を告げた。
だとすれば、結論は自ずと導き出される。
「具体的には何もないですけど」
「生徒会長と総務局長は、どう仰ってますか」
「特には。総務局長は、様子を見るとだけ」
「分かりました」
軽く頭を下げ、彼女の忠告に謝意を告げる。
その下で口元を緩め、笑顔を浮かべる。
目前に迫る危機に、難題とも言える事態に。
だからこそ、心の中に火が宿る。
青く、醒めた炎が。
向けられる刃にひるむ気持ちなど微塵もない。
それに立ち向かう意志以外は、何も。