39-8
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SDC代表執務室。
応接セットに収まり、各クラブの説得を続けるエリちゃん。
元々こういう事が得意というか、向いてるタイプ。
間違っても脅して、なんて真似もしない。
その様子を、苦い顔で見ているサトミとは違い。
個々の才能、資質を見ればサトミの方が上。
ただそれの生かし方や、そもそもの性格が二人では異なりすぎる。
サトミはあくまでも自分のために。
その範囲はせいぜい、私達のためにくらい。
エリちゃんも無論自分のためや私達のためもあるにしろ、視野はもっと広いはず。
今ならSDCのため。
もしくは学校のためなんて意識を持っていてもおかしくはない。
それは元々持って生まれた資質であると同時に、先輩の影響も強いだろう。
彼女の先輩は、私達というよりはモトちゃんや木之本君。
視野の広い二人から学べば、自然とそういう人間が育っていく。
ずっと間近にいた私が、どう育ったかはともかくとして。
端末を置いて小さく息を付いたエリちゃんは、ペンを手にしてクラブの名前が並んでいる表に一つずつ丸を付けていった。
どうやら、説得が成功したクラブにチェックをしている様子。
「すごいわね」
「いえ。黒沢さん達の説得活動が、実を結んだだけですよ」
至って謙虚に答えるエリちゃん。
その後ろで、歯ぎしりしそうなサトミとは対照的に。
「私だって、説得くらい簡単よ」
「聡美姉さん、すぐ脅すからな」
「解釈の違いね」
「違いは全然無いと思うけど。多分、向いてないんだって」
かなりの鋭い指摘。
サトミに対してここまで言えるのは、私達か彼女くらい。
何よりこうして、彼女にとって耳の痛い事を言ってくれる人は彼女にとってもかけがえのない存在である。
ただそれは、周囲の意見。
サトミ個人の意見ではない。
「何をして、私が向いてないというの?」
「性格、かな。世の中、理屈通りには行かないから」
「理屈以外の何が必要かしら。人間の感情ですら、突き詰めれば微細な電気信号でしかないのよ。イレギュラーな反応も、いくつもの事象の積み重ねでしかないんだから」
「理屈ではね」
軽く受け流すエリちゃん。
ただサトミは表情を険しくはするが、彼女に怒りを怒りを向けはしない。
エリちゃんはやはり、モトちゃんの直系。
彼女ほどの包容力は無いが、逆にモトちゃんにはない強硬な面も持つ。
優しさだけではなく、力の行使をためらいはしない。
またサトミ自身も、今の怒りが理不尽なのは理解している。
ここでエリちゃんを責め立てても、何も解決しないと。
とはいえ、怒りは怒りとして湛えたまま。
だとすれば、どうなるか。
何となく私に向けられる視線。
雷は高いところに落ちるって言うけど、あれは嘘だな。
「ユウは、どう思う訳」
「まあ、サトミが悪いんじゃないの」
肌を通じて伝わってくる、サトミの怒り。
ただ、そんな事は今更という話。
角が生えても尻尾が生えても、慌てたところで始まらない。
しかしサトミの場合、尻尾と言っても悪魔のそれとは少し違う気もする。
顔立ち、雰囲気は猫。
もしくは、狐。
尻尾は多分、ふわふわモコモコした感じだと思う。
それなら生えるのを、一度くらいは見てみたい。
のんきな私の考えとは別に、何とも張り詰めた空気の代表執務室。
そこへ、遠慮気味に神代さんが入ってきた。
「あの、済みません。浦田さんって」
「あ、はい。私に何か」
爽やかな笑顔を浮かべ、神代さんを招き寄せるエリちゃん。
神代さんは彼女と目を合わせ、それこそ尾っぽでも降りかねない勢いで彼女に近付いた。
「これ、元野さんからです」
「……分かりました。私の方で処理しておくとお伝え下さい」
「はい、分かりました」
妙にかしこまった態度。
この子、こんな性格だったかな。
「私には、何もないの」
「無いよ」
一転して、この態度。
ちょっと一言言わせてもらおう。
「あのさ。神代さんって何年生?」
「2年」
「私って、何年生?」
「3年だろ。あんた、何言ってるの」
怪訝そうに尋ね返す神代さん。
答えは何一つ間違ってない。
それ以外は、根本的に間違えてる気もするが。
「エリちゃんは敬語で、私にはあんたって。何か、おかしくない?」
「どこが」
そんな真面目な顔で聞かれると、こっちが困る。
もしかして、別におかしくないのかな。
「神代さん、私に敬語は良いですから」
苦笑気味に声を掛けるエリちゃん。
しかし神代さんは、滅相もないという顔で首を振る。
「まさか、そんな」
「本人が良いって言ってるんだから、良いじゃない」
適当に言って、テーブルの上を漁ってみる。
書類と書類と書類と書類。
私が処理する訳じゃないけど、結局この手の物とは離れられない訳か。
いや。待てよ。
「これはともかく、それ以外の書類はネットワーク化出来ないの?」
「SDCは、ほぼネットワーク化してるわよ。これは、あくまでもメモ用ね」
さらりと答える黒沢さん。
そんな物かと思いつつ、神代さんに視線を向ける。
「自警局は、まだまだ」
「何、それ。誰が文句付けてるの」
「やっぱり、学校かな」
かなの時点で立ち上がり、スティックを抜く。
いや。そこまで怒る事でもないけど、なんか納得出来ないな。
「まあ、いいや。これはこれで片付ける」
「そんなに抱え込んで大丈夫?」
「何が」
そう答え、全員に醒めた目で見つめられる。
そんなに変な事言ったかな。
一人首を傾げていたら、目の前に真っ白な紙が一枚置かれた。
そしてサトミはペンを持ち、「1」と書き込んだ。
その横には、「自警局(生徒会)改革」と付け加えられる。
次に、「SDC内紛」、「書類電子化」と続いていく。
「この中で、解決した物は?」
「無いんじゃないの」
「それで、あなたは何をする気」
「何とかする気」
我ながら上手い事を言った。
気になったのは、私だけ。
空気は、さっきまで以上に醒めきっている。
「何よ」
「いえ。私は、優さんの言う通りだと」
肩を振るわせ、口を押さえるエリちゃん。
感動に打ち震えて、それ以上言葉も出ない。
という事ではなさそうだ。
「馬鹿じゃないの」
ばの時点で手を伸ばし、脇腹を掴んで悲鳴を上げさせる。
この時点で、私の馬鹿決定は間違いないが。
サトミが書いた箇条書きを読み、一人頷く。
「どちらにしろ、何とかしない事には始まらないでしょ」
「理屈としてはね」
「さっき、理屈が全てって言ったじゃない」
「あなた、意味が分かってる?」
分かってはない事は分かってる。
とは答えず、適当にむにゃむにゃ言ってこの場をごまかす。
「今はSDCにいるんだし、SDCの事を片付ける。この前襲ってきた連中って、何部」
「逆に襲う気?」
「じゃあ、放っておくの」
「そう言われると困るんだけど。基本は話し合いよ」
ここまで来て、なおもそんな事を口にする黒沢さん。
呆れるというか感心するというか、私には絶対にない思考。
人の上に立つ人はやはり、器の広さが根本的に違うようだ。
「努力はする。ショウは」
「さっき、何か運んでましたよ」
「運ぶって何を」
「段ボールとか、本とか。あの人こそ、変わりませんね」
くすくすと笑うエリちゃん。
神代さんも、それに釣られて軽く笑う。
褒めてるんだとは思う、多分。
代表執務室と同じフロア。
廊下の突き当たりの薄暗い部屋。
その中で、もぞもぞと動いている人影。
「仕事だよ」
「ああ」
古い雑誌を器用に紐で縛り、ドアの前に積み上げるショウ。
この人の能力はもっと違う面で発揮されるべき。
なんて思う一方、こういう事ばかりしていられるのもまた幸せだとも考える。
彼や私が四六時中暴れ回ってる状況は、少なくともこの学校にとって決して良い事とは思えないから。
「次は、どこだ」
「部屋の片付けじゃない。この前襲ってきた連中の様子を確認する」
「そっちの話か」
軍手を外し、本の上へと置くショウ。
こっちはこっちで、止める気は無いようだ。
「よくやるよ」
物置と言って良いんだろうか。
部屋の隅で雑誌を読んでいたケイが、欠伸混じりにそう呟く。
「何が」
「何もかもが。結局上が甘いと、組織は緩むな」
鼻先で笑うケイ。
彼が言う上は、黒沢さん。
組織はSDCと言う事か。
彼女への侮辱として怒りを覚える一方、全てを否定出来ない自分もいる。
それは彼女の甘さという部分。
物理的な力で攻められている以上、対抗しうる力を持つのは当然。
理屈。
理念として話し合いで解決するというのを掲げるのは、まだ良い。
だが現実問題、相手は問答無用で彼女達に襲いかかっている。
それに対処する事。
つまりは力を持ち、振るう事もまた大切だと私は思う。
話し合いだけで全てが解決するなら、それに越した事はない。
しかし実際は解決しない以上、力の行使をためらうべきではないと私は思う。
無論黒沢さんもそれは分かってるだろうが、認識が私達とは少し違う。
それがケイの言う、甘さにつながるんだろう。
物置を出て、サトミと合流。
今日は黒沢さんも付いてくるようだ。
「エリちゃんと神代さんは?」
「青木さんと一緒に、他の部を説得してくれてる」
今にもため息を付きそうな黒沢さん。
そちらは彼女の望む、ねばり強い交渉。
だがこれから向かう先に、それは多分待っていない。
彼女の表情が重くなるのも当然だろう。
「どうして、代表になろうと思ったの?」
「特に理由は無いけど。陸上選手としても平凡だし、他の形でみんなの役に立てないかと思って」
「役」
「自分、一人生きていれば良いって訳でもないでしょ」
なにやら目の覚めるような事を言ってくる黒沢さん。
奉仕の精神とでも言うのか。
改めて、彼女の事を見直した。
私達は全員とは言わないが、やはり自分中心。
みんなの役に立ちたいと思ってる。
もしくはそれを実践してるのは、モトちゃんや木之本君くらい。
サトミは結局、自分の理屈や信念が全て。
モトちゃんの下にいるから周りの人にも目を向けているが、本来は研究室にこもってるようなタイプ。
以前よりましになったとはいえ、他人にそれほど意識を払ってはいない。
ショウもある意味似たような物。
人の良さから奉仕の精神に満ちあふれていると思われがちだが、それもやはりモトちゃんの下にいるから。
彼の基本的な考えは、強くなる事。
モトちゃんの下におらず、またガーディアンという制約が無ければ担ぎ出されない限り表舞台にすら出てこない可能性もある。
ケイに至っては論外で、何を考えてるのかすら不明。
結果としてそれが人の役に立っているだけとしか思えない。
それは私も同様で、私が意識するのは自分の手が届く範囲くらいでしかない。
一人で勝手に感心しつつ、トレーニングセンターの前に立つ。
「総合格闘技のクラブよ」
大きなドアの脇に掛かる、いくつかのクラブの名前。
ここを使用するクラブの一覧らしく、サトミはその中のいくつかを指さした。
「大体集まってるわね。逆にここが、連中の根城と言うべきかしら」
「昔の旧クラブハウスみたいなもの?」
「そこまで単純だと良いけど」
単純、か。
確かに彼等は、非常に分かりやすい形で存在をしていた。
学校の外れに集い、自分達が一般の生徒とは異質な存在である事を常にアピールしていた。
そのため非常に警戒がしやすく、距離を置いたり遠ざかったりするのは簡単。
またその線引きが非常にしやすかった。
しかしここは普通の生徒も利用する武道館。
そして一見すれば、ごく普通のクラブ。
一般の生徒に紛れていれば判別は難しく、実際こうして学内に彼等は溶け込んでいる。
無論旧クラブハウスにいた人達も問題はいくつも抱えていて、彼等を手放しで容認する来もないが。
大きなドアの脇にある、通行用の小さなドアを潜って中へと入る。
よく冷えた空気。
軽快なBGM。
汗を流して練習する生徒の姿はどこにもない。
マットの上に座り、だらけている男女の姿はどれだけでも目に入るが。
「部長は」
ややきつめの声を出す黒沢さん。
SDC代表として、この状態は一言言わずにはいられなかったようだ。
休憩中、もしくは練習が終わった後ならこれも分かる。
しかしどう見てもそうは思えず、床にはペットボトルや雑誌が無造作に転がっている。
常日頃からこういう利用の仕方をしているとしか考えられず、また黒沢さんが訪ねてきてもその態度を改めない。
こうなるとつい、人間の質なんて事を考えてしまう。
顔を上げた拍子にショウが見えたのか、さすがに数人が姿勢を正す。
「ぶ、部長は今、その」
「お話があるので、呼び出して下さい」
「……済みません。代表が来てるんですけど。……ええ、はい」
うろたえ気味の男の子が端末で連絡を取り、少し間があって奥にあったドアから人が数人出てきた。
赤ら顔で、服は半分抜いた状態。
それが男女共と来れば、呼び出すのもためらうだろう。
「お話があるんですが」
彼等が何をしていたかは、敢えて聞かない黒沢さん。
私としては、聞きたくもないが。
「改めて申し上げますが、現在のSDCの」
「水くれよ」
そう言うなり床に座り込む男。
周りにいた男女も同様で、酒も飲んでいる様子。
処置無しとしか言いようがない。
「彼等に水をお願いします」
さすがに私達には頼まず、部員に告げる黒沢さん。
数人が慌てて駆け出し、ペットボトルを抱えて戻ってくる。
だらだらと水を飲む男女。
黒沢さんは根気よくそれを待つ。
水を飲んだくらいで急に目覚めるとも思えないが、彼女が待つ以上仕方ない。
「プールに沈めて終わりだろ」
珍しく、苛立たしげに呟くケイ。
ただ今回は、私も彼に同意見。
相手が明らかに話を聞く意志も、能力も持ち合わせていない状態。
今ここで話す事は何もないと思う。
それでも黒沢さんは、黙って彼等が水を飲み終えるのを待っている。
自制心というか、その心の強さはただ感心するばかりだ。
ようやく顔を上げ、彼女を見上げる部長。
焦点は多少定まったが、意識はまだ半分も覚醒してない様子。
黒沢さんが声を掛けても、反応は薄い。
「ユウ」
前に出かけた私を止めるサトミ。
そういう場面ではないと言いたいのは、私も分かっている。
だが彼女が誠心誠意言葉を尽くしても、相手はこれ。
聞く耳どころか、初めから聞こうという意志がない。
しかし黒沢さんは、根気よく言葉を続けていく。
まさしくねばり強く、諦めず。
相手のふざけた態度に苛立つ事もなく。
心を込めて言葉を重ねていく。
ペットボトルが空になったところで、黒沢さんが笑顔を浮かべる。
「それで、いかがでしょうか」
「あ?誰だよ」
話を聞かない以前に、黒沢さんが話していた事すら気付いてない部長。
思わずスティックを抜きそうになるが、やはりサトミに制止される。
「どうして」
「見てなさい」
「何を」
「何もかもをよ」
拳を固め、自分の体に押しつけるサトミ。
私達が前に出れば、もしかすれば一瞬で解決するかも知れない。
だけどそれは、黒沢さんの思いを無にする。
力はあっても、それを振るう事は出来ない。
彼女が侮辱され、傷付いていても。
私は前に出られない。
無闇に暴れ回って、結果だけを出す。
それで良いと思っていた。
今も考え自体は、多分変わってはいない。
だけどサトミの言うように、ここは私の居場所ではない。
何も出来ない自分。
ただもどかしさと虚しさだけが、心の中に積もっていく。
「では、もう一度話させて頂きますね」
自然な笑顔を浮かべ、そう声を掛ける黒沢さん。
彼女だって怒りもすれば、感情が高ぶる時だってある。
だけど今は、決してそんな態度を見せようとはしない。
相手が何を言おうと、どう彼女に接しようと。
根気よく、粘り強く。
その説得を試みる。
今は徒労に終わっても、次へつなげるために。
もし駄目でも、その次に。
それを笑うのは簡単で、でも真似をするのは難しい。
報われる事のない努力を積み重ねるのは。
だからこそ彼女の姿は、尊く気高い。
未だ眠ってるような相手へ、繰り返し同じ話をする黒沢さん。
結束の大切さ。
現状を守り続ける理由。
自分自身も、改革を目指している事を。
トレーニングセンターには彼女の声だけが、いつまでも響く。
どれだけ時が経ったのか。
いつしか天窓からの日差しが消え、窓の外は暗闇に覆われている。
黒沢さんは諦める事無く、それでも説得を続けようとする。
「……分かった」
唐突に呟く部長。
姿勢が改まり、その頭が微かに下がる。
「明日、話は改めて聞く」
「では、同じ時間にまた」
「いや。俺の方から本部へ出向く。今日は、申し訳無かった」
謝罪の言葉と共に、再び下げられる頭。
周囲にいた部員もそれに倣い、黒沢さんへ頭を下げる。
協力するとは一言も口にはしていない。
ただ、彼女の話に耳を傾ける姿勢を見せたのは確か。
まだ終わってはいない。
それでも一歩前進はした。
わずか一歩。
その積み重ねがいつか実を結ぶと、彼女は信じている。
遠い、気の遠くなるような道のり。
近道などどこにもない、平坦で長い道。
彼女はそこを、静かに歩いてる。
私には描けない、辿り着く場所を心に抱いて。
「まあ、偉いには偉い」
皮肉っぽく呟くケイ。
これはおそらく、黒沢さんの態度に対して。
彼の考えは、やはり力や策略にによる反対勢力の制圧。
言葉による説得が尊い事くらい、彼も理解はしている。
ただ現状、それが通用しないのも。
「私達が間違ってるって事はないの」
「今更、何を。話し合って全て丸く収まるなら、退学してないだろ」
「そうだけど。今は違うとか」
「生き方考え方はいくつもある。こういうやり方もあるにはある。悪いとも思わない」
ただ、自分の考えとは異なる。
暗にそう匂わせるケイ。
もしくは、私達と言うべきか。
部長と明日の事について打ち合わせている黒沢さん。
私達に出来る事は何もなく、そもそも私達がこの場にいるのがおかしいのかも知れない。
SDCにガーディアンがという意味ではなく、思想的に。
あくまで話し合いを貫く黒沢さん。
それは間違いなく、私達の考えとは一線を画する。
モトちゃんも話し合いを貫く姿勢は持っている。
ただ、それだけで解決しない事があるとも考えている。
だからこそ私達はガーディアンという道を歩んでいる。
そう考えると、SDCとガーディアンの違いでもある訳か。
改めて考えさせられる、自分達の行動。
それが正しいのか。
いや。今の学校に合っているのか。
胸を張って、頷ける自信は私にはない。
SDC本部へ戻ると、代表執務室ではエリちゃんがまだクラブの説得を続けていた。
書類には丸の数が増えていて、今は改革派が少数。
間違いなく、地道な説得が実を結んでいる。
「お帰りなさい。どうでしたか」
「アポは取った」
「ご苦労様です」
笑顔で労うエリちゃん。
黒沢さんは、説得が成ったとは言っていない。
あくまでも、話し合いのテーブルに着くと告げただけ。
それでもエリちゃんは、それもまた成果だと思っている様子。
着実な、一歩一歩の歩み。
私には、何も口を挟む事は出来そうにない。
執務室の隅に佇み、自分のふがいなさを痛感する。
意気込んでここに乗り込んでおいて、結局は混乱を招いただけ。
後から来たエリちゃんはここのやり方に順応もして、なおかつ成果も出している。
どちらが立派かは、改めて言うまでもない。
「元気ないわね」
私と大差のない、頼りない表情で話しかけてくるサトミ。
彼女の気持ちも、どうやら私と同じよう。
居心地の悪さ。
居場所の無さを、彼女もまた感じ取っているようだ。
「私達は、必要とされてないって事かな。こういうやり方が主流なら」
「どうかしら。違うと言いたいところだけど」
その言葉通り、違うとは言わないサトミ。
少なくともこの場においては、私達は必要ない。
何より、求められてはいないだろう。
変わったのは私達自身よりも、学校。
より穏やかで、常識的な方向へと。
私達はそれに乗り切れず、昔に固執してるだけ。
今の学校にとっては異質であり、異端。
邪魔者でしかないのかも知れない。
気が晴れないままSDCの建物を後にする。
説得活動が実を結んでいる以上、私達の役目はもう無いはず。
黒沢さん達が多数派になれば、危険を冒してまで襲ってくる連中もいないだろう。
ここへ通うのも、そろそろ終わり。
何のために来たのかと、つい自問したくなる。
街灯に照らされ、薄く伸びる自分の影。
夜更けの冷たい風が、薄着の今は少し辛い。
正門へ続く並木道に響く、乾いた靴音。
その音の分だけ、虚しさが募っていく感覚。
失敗とは言わないまでも、無意味だった事は自分なりに理解している。
私が何もしなくても、黒沢さん達は成果を出していた。
むしろいない方が良かったのではと思えるほどだ。
自分自身のあり方を、今一度考え直した方が良いのだろうか。
気付くと家に着き、服を着替えて食事をしていた。
茶碗は空で、おかずも殆ど残っていない。
重症なのか良好なのか、ちょっと微妙だな。
目の前で手を振り、視力を確認。
普段と変わらないように見えていて、特に問題はない。
少なくとも、自分ではそう思う。
「調子悪いの?」
さすがに尋ねてくるお母さん。
それに首を振り、大丈夫だと告げる。
取りあえず、視力に関しては。
「次の診察って、いつだった?」
「来年じゃないの」
「冗談は聞いてないのよ」
少し怖い声を出し、カレンダーを確認するお母さん。
まさかと思うけど、今日じゃないだろうな。
「来月まで、予定はないわね」
少し残念そうな顔。
これは私を思っての事。
ただ私からすれば、本当に来年まで通いたくないが。
自室へ戻り、念のため目薬を差して眼鏡も掛ける。
眼鏡は無くても困らないが、目への負担が減るのは確か。
夏の日差しを避けるためにも、サングラスの方が良いかも知れない。
「えーと、ここか」
引き出しを開け、ケースからサングラスを取り出す。
思い出す事はいくつもあるが、あって困る物でもない。
復学して浮かれすぎていた気がしなくもなく、自分を戒めるためにもしばらく掛けた方が良さそうだ。
「わーっ」
階段を踏み外し、慌てて手すりにしがみつく。
本末転倒どころの騒ぎじゃないな。
「優っ?」
血相を変えて階段の下から顔を覗かせるお父さん。
今はバランスを立て直したので、サングラスを直しながら軽く手を振る。
「暗くて、踏み外した」
「調子悪い?」
「そうじゃないけど。日差しも強いし、また掛けようかなと思って。でも、部屋の中では止めた方が良いみたい」
「僕もそう思うよ」
お父さんが伸ばしてくれた手を掴み、慎重に階段を降りていく。
甘え過ぎという気もするが、親に甘えて悪い理由は何一つ無い。
手を繋いでリビングにやってくると、じっとりした目でお母さんに睨まれた。
子供に焼き餅を焼くとは、若いというか何というか。
勿論、全く無関心よりは良いけれど。
「言った通りでしょ」
「ああ」
「何が」
「優の悲鳴よ。どうせサングラスを掛けて、階段を踏み外しかけたって。この子は転げ落ちても平気で着地するから、大丈夫だって言ったのに」
猫の子じゃないんだからさ。
いくら私でも、階段から落ちれば怪我くらいする。
今はお母さんの言う通り、しなかったけどね。
ソファーに座り、サングラスをテーブルにおいて目元に触れる。
久し振りに掛けたせいか、若干疲れる感じ。
圧迫感も、まだ慣れない。
気にもしなくなる頃には、学校を卒業してるかも知れないな。
「調子が悪くないなら、掛けてなくても良いんでしょ」
サングラスを手に取りながら話すお母さん。
それはその通りで、医師からも強く言われてはいない。
日差しの強い日や、自分で辛いと思う時以外は無理に掛ける必要はないと。
今回は自分で辛いと思える程の体調ではなく、あくまでも気持ちの問題。
口では多少説明しづらい。
「掛けて悪い理由もないんだしさ」
「階段から落ちかけたじゃない」
「慣れれば、目を閉じてても問題ない。少し、気を抜きすぎてた」
これはさっき、階段を降りた時だけではない。
復学してからの自分そのものが。
以前とは違う事を。
良くも悪くも違っている事を、強く認識しなければならない。
そうすれば無用な衝突も避けられ、苛立つ事も少しは減る。
自分の向かうべき道も、いずれは分かってくるだろう。
翌日。
家を出ようとしたところで、お母さんに呼び止められる。
「優、眼鏡は」
「……ああ、そうか」
サングラスと眼鏡を両方受け取り、少し考えてサングラスの方を掛ける。
視界は当然暗くなるが、日差しが弱まる分体感的に楽な感じ。
屋外では、しばらく掛けた方が良いかも知れない。
「転ばないでよ」
「大丈夫だって。行ってきます」
当たり前だが転ぶ事もぶつかる事もなく、バス停に到着。
そのまま列に付き、到着したバスへと乗り込む。
制服姿にサングラスは若干注目を集めるが、世間体を気にしても仕方ない。
それは、今更という話でもある。
タイミング良く目の前の席が空き、そこに腰を下ろす。
特に譲られた訳ではなく、座っていた若い女性はバスの外に姿が見えた。
そういう気遣いも精神的には多少負担なので、バスに乗る前は外した方が良いかも知れない。
ぼんやり外の景色を眺めている内に、草薙高校に到着。
倒れる事も無ければ、衝突される事もない。
平穏な内に、全ては終わりを告げる。
単に、学校へ着いたばかりだけど。
すぐに聞こえてくる、大声での挨拶。
正直迂回したくなるが、やってる事自体は悪くない。
私の捉え方が、単におかしいだけで。
これもまた、今の草薙高校では当たり前の話。
それを面倒に思う自分が間違っている。
もしくは、ずれているんだろう。
何にしろ、強要されなければそれ程気にもならないか。
教室へ着き、筆記用具を並べてサングラスも外す。
ここからは眼鏡に変えて、一度顔の前で手を振る。
見え方は、当たり前だがこっちの方がクリア。
ただ日差しを考えると、外ではやはりサングラスだろう。
少し荷物が増えたなと思いつつ、目元に手を触れ位置を直す。
「どうしたの、それ」
不安げな顔で尋ねてくるサトミ。
何の前触れもなく眼鏡を掛け出せば、こう反応するのが自然。
ただその反応が、素直に嬉しい。
「負担を減らそうと思ってね。まだ、日差しも強いし。視力自体は問題ないよ」
「掛けて負担は和らぐの?」
「精神的には多少。それに日差しは間違いなく遮るから」
眼鏡を彼女に見せ、改めて目元に触れる。
こちらは特注だけあり、掛けた瞬間を除けば全く意識すらしない。
言われてみて、自分が眼鏡をしていると気付く時もあるくらい。
ただ動けばずれたりもするし、今時眼鏡を掛けてる人もそう多くはない。
何も問題がないという訳でもない。
その後登校してきたモトちゃんも同様の反応を示し、サトミと小声で話し合い出す。
そんなに大げさな事ではないと思うが、多少唐突すぎたか。
「大丈夫なのよね」
改めて念を押すモトちゃん。
実際問題はないので、すぐに頷く。
「病院は?」
「定期検診は、まだ先。今は行く理由もないよ」
「無理はしないで」
「してないけどね」
どうも掛けてきたのは失敗だったかも知れない。
とはいえ今更止めると言い出せる雰囲気でもなく、思慮の浅さに自分で呆れる。
ショウと木之本君も、やはり同じような反応。
それでも心配してくれる気持ちは、ただ嬉しい。
「大丈夫なら、良いけどね」
「前はずっと掛けてたじゃない」
「そうだけど。それを掛けるのは、何か理由があると思って」
若干踏み込んだ事を言ってくる木之本君。
単に視力に付いてではなく、それ以外の事もという意味だろう。
「少し気持ちを引き締めようと思ってね」
「引き締める」
「まずは、自分の目の悪さも認識しようって事。気を緩めすぎてても仕方ないじゃない」「確かに」
生真面目な顔で頷く木之本君。
隣にいるショウは、何も言わず私の顔の前で手を振った。
「だから、普通に見えてるって」
「無理してる訳じゃないんだな」
「する理由がないからね。こんなに暑いなら、休みたいくらいだし」
夜はともかく、昼間の日差しは依然として強烈。
前より多少弱まりはしたが、未だに心地よさとは縁遠い。
みんなの気遣いに感謝しつつ、猫背で現れた男に声を掛ける。
「おはよう」
反応無し。
席について机に伏せたところで、上から声を掛けてみる。
「おはようって言ってるじゃない。朝だよ、朝。気持ちの良い朝」
「朝なんか、一生来なければ良いんだ」
何を言ってるんだか。
もう少しからかおうとしたところで、村井先生が入ってきた。
そして私に目を留め、少し笑う。
「何、それ」
「目が悪いんです、私は」
「良かったわ、ファッションとしてではなくて」
おい。
おおよそ教師にあるまじき台詞というか、言い得て妙というか。
私だって、似合わない事くらい分かってるっていうの
「それで前も伝えたように、文化祭や体育祭が近いです。出場や出店を考えてる子は、事前に準備や届け出をするように」
文化祭に体育祭か。
どうにも待ち遠しい訳ではないが、楽しいイベントなのは確か。
リレーは何かと不評だったので、今度は単純に100m走でニャンと戦おうかな。
ぼんやりしてる間に、HRは終了。
睨まれてたような気もするが、済んでしまえばどうという事もない。
「えーと、ニャンはと」
授業が始まるまでの間を利用して、端末でニャンに連絡を取る。
彼女は陸上部のエースで、試合で授業を抜ける事も多いためそういう子達が集まったクラスに所属している。
個人的には一緒のクラスが嬉しいけど、こればかりは仕方ない。
「……私。……いや、体育祭で100m走に出場する?……だったら、私から言う事は何もない。……はは、あり得ないでしょ」
すぐに通話を終え、決意を固める。
まずは今日から走り込み。
スパイクも新調した方が良いのかな。
「まさか、猫ちゃんに勝つつもりじゃないでしょうね」
「私はいつでもそのつもりだよ」
「相手は、オリンピック候補よ」
「だから何よ」
儚げに笑い、顔を伏せるサトミ。
そういう反応も無いだろうよ。
端末で、取りあえずニャンの記録を確認。
高校生記録に、参考の日本記録とアジア記録。
へぇ、すごいな。
「感心してないでしょうね」
後ろから、耳元でささやいてくるサトミ。
これを見て感心しない人はいないと思う。
挑もうと思う人も、多分。
「スパイク欲しいな、新しいスパイクが」
「他にする事は、いくらでもあるんじゃなくて」
「あるかもね。でも、スパイクは欲しい」
「兄さんに聞いてもいいけど。その前に、猫ちゃんに頼んでみたら?」
なんだ、それ。
敵から塩を送ってもらえって事か。
休憩時間と同時に教室を飛び出し、廊下を走って違う教室へと飛び込む。
「スパイク、スパイク」
怪訝そうに私を見てくる生徒達。
だけどニャンは笑い気味に頷き、パンフレットを見せてきた。
私の行動くらい、とっくの昔にお見通しか。
「高いわよ、言っておくけど」
「お金はないよ」
「言い切らないで。私はスポンサーから資金援助してもらってるから、大丈夫なんだけどね」
「スポンサー、ね」
そんな相手がいる訳もないし、いても困る。
やっぱり、自分で買うしかないのかな。
「いいや。少し考える」
「いつも考えた方が良いと思うわよ」
「考えてるって、色々と」
さっきのサトミ同様答えないニャン。
親友とは、良く言った物だ。
自分のなすべき道は、まだ見えないけれど。
共に進むべき人達は見いだしている。
今は、その事をただ喜ぶだけで十分なのかも知れない。
第39話 終わり
第38話 あとがき
という訳でSDC編でした。
以前は相互不干渉という不文律があったものの、それはかなり緩んだ様子。
黒沢さん達がユウ達寄りなのが、関係もしているとは思いますが。
また彼女達は、言論重視派。
力の行使を否定はしませんが、第一に話し合いを考えています。
それが弱腰などとも思われる理由。
世間一般では当たり前の彼女達の考えも、混乱期にある草薙高校では異端。
つくづく変わった学校のようです。