39-6
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反抗的にしろ何にしろ、成長しているのは確か。
進歩がないよりはましだろう。
御剣君についてはそう考える事とする。
突然姿勢を正す受付の女の子。
偉い人が来たのは間違いなく、私も慌てて身構える。
姿勢を正さないところで、彼女との気構えとか生き方の違いを感じるな。
「ご苦労様」
現れたのは北川さん。
局次長という肩書きで、自警局としてはモトちゃんに次ぐ地位。
それに沙紀ちゃんを加えた3人が、この組織の長と呼ばれる存在。
受付の女の子が姿勢を正すのも当然だ。
「別に私は何もしてないけどね」
数歩下がり、退路を探す。
本当に何もしてないなら、逃げる必要は一切無い。
ただ過去の経験上、こういう場面で良い思い出はあまりない。
「怒ってないわよ、私は」
「ならいいけどさ。モトちゃんは」
「今回は大目に見るですって」
今回はという部分は引っかかるが、取りあえずは助かった。
後は、お茶でも飲んで帰るとするか。
のんきに受付のパンフレットを読んでいたら、受付の子に睨まれた。
「お仕事は良いんですか」
「今してきたよ」
「いつも、暇そうですよね」
「いや。いつもって事は無いけどね」
敬語を使ってくるくらいなので、多分年下。
つまりは後輩。
しかし北川さんには姿勢を正し、私には怒ってくる。
この組織での私の立場がどんな物かよく分かる。
「私は先輩を見習って行動してるの」
「丹下さんや北川さんは、真面目にやってますよ」
「……それ、何かの冗談?」
「あれ、私と同級生?」
根本的に噛み合わない会話。
いや。少し考えれば理解出来る会話。
今更過ぎて、文句を言う気にもなれないな。
何となく見つめ合っているところに、息を切らせて沙紀ちゃんがやってくる。
そういえばこの子、体育館で全然姿を見なかったな。
「どこ行ってたの」
「体育館にいたじゃない。あはは」
テンションも変に高いと来た。
それと頭は撫でないで欲しい。
「木村君と会ってた?」
「まさか。ファンクラブも、もう脱退してるわよ」
少し上ずる声。
そういえば、昔彼のファンクラブに入ってたという話は聞いた事がある。
嬌声を上げて応援する沙紀ちゃんの姿を想像するのは難しいが、今の雰囲気なら十分あり得る話。
それに彼が格好良いのは間違いない。
ショウには及ばないけどね。
などと一人で浮かれていても仕方なく、受付の子は直立不動。
局次長と自警課課長が揃っていれば、私でもそのくらい身構える。
いや。今は身構えて無いけどさ。
「どうかした?」
「私は全然。警備も無事に済んだしね」
「無事?」
声を裏返して私を見てくる沙紀ちゃん。
そこまで驚くような事を言ったかな。
「だってガーディアンに怪我人は出てないでしょ」
「相手校は?」
「あれだけ暴れて、無事に済むって事はないんじゃないの」
「へぇ」
乾いた声で感心された。
私が変わったって御剣君は言ってたけど、どうやらあれは彼の勘違い。
実際は何も変わってないらしい。
「クレームの件は、聞いてるわよね」
「聞いたよ。でも、そんなの今更じゃない。第一、私が悪い訳でもないんだしさ」
「……北川さん、今の聞いた?」
「これが南地区の考え方なのよ」
地味に馬鹿にされてるような気もするな。
大体南地区で何が悪いのよ。
「どの地区だって良いじゃない。とにかくああいう連中は許せないの」
「当分、警備はしなくていいから」
「それが良さそうね」
大幹部二人からのお達し。
別に警備をしたいとは思わないけど、なんか納得出来ないな。
「モトちゃんは何も言ってなかったよ」
「麻痺してるのよ」
「そうかも知れないわね」
随分な言われよう。
ただそれはもしかしてしれず、一応モトちゃんの真意は確かめた方が良い。
「私、仕事があるのよね」
そう言いつつも受付まで出てきてくれるモトちゃん。
女の子が敬礼しようとするが、彼女は柔らかい笑顔でそれを制止する。
「規律が保てないんじゃないの」
「ユウがいる時点で、保ててないわよ」
彼女の後ろで呟くサトミ。
なるほど、良い事言うな。
なんて感想を漏らせば良いんだろうか。
「二人とも落ち着いて。それと警備の件は、あの程度なら抑止力と考えて。やり過ぎなのは認めるけど」
「ああ?」
「変な声出さない。恥ずかしいじゃない」
私の頭を撫でながらたしなめるモトちゃん。
それは、私が恥ずかしいので止めて欲しい。
でも気持ちいいから、止めなくても良いかな。
猫のように彼女へすり寄っていると、受付の子が気味悪げに私を見ていた。
それはすり寄ってる行為だけではなく、私という存在に対してものようだ。
「誰、なんですか」
「ただのガーディアン」
そう答え、それが間違っている事に自分で気付く。
今は自警局の局員。
自警局所属の場合はガーディアンの資格を持ってはいるが、実際のガーディアンとはやはり一線を画する。
現場に出る事はないし、警棒を携帯しない人も多い。
そう考えれば、のこのことあちこちに出掛けている私の行動は結構問題なのかも知れない。
「彼女は自警局の大幹部よ」
やはり、頭を撫でながら話すモトちゃん。
これが幹部への接し方だろうか。
「ちなみに役職は、自警局自警課特別警備室室長」
「何、それ」
「ユウの肩書き」
そんなの初めて聞いた。
第一部屋もないしさ。
「特別警備室って。局長直属班ですよね。……もしかして、雪野さん?」
「もしかしなくても雪野さんだけど」
「し、失礼しました」
真っ青な顔で敬礼をする女の子。
モトちゃん達のように敬意を込めてではなく、自分で言いたくはないが恐怖から。
御剣君に対してでも、もう少し控えめだったと思う。
「そんなに私って評判悪い?」
「悪くはないわよ。ユウは良くやってる。やってるって」
二回言わなくても良いと思うけどね。
それと沙紀ちゃんと北川さんは、苦笑いしてるし。
多分身内以外からの評価は、私には聞かせられないんだろう。
受付から完全に身を引き、遠巻きに私の様子を窺う女の子。
どうでも良いけど、結構嫌だな。
「私が悪いの?」
「良くはないでしょ」
真顔で答える北川さん。
これが偽らざる真実の声って奴か。
「北地区でも雪野さん達の評判はすごかったから。丹下さんは感心してたけど」
「すごいって、何が」
「教師をポールに吊したとか、教室を爆発させたとか。屋上から飛び降りたとか」
遠くから聞こえる、「嘘っ」という声。
しかしそれを否定出来ないんだから、結構困る。
「今日だって、何人倒した?」
「私一人でやった訳じゃないしさ」
「倒したでしょ」
「ガーディアンだからね」
ここは反発気味に答え、やはり自分の答えが多少間違っている事に気付く。
厳密に言うと、今はガーディアンではないから。
「そういう事よ」
どういう事かは知らないが、大きくまとめる北川さん。
現段階では反論のしようがなく、受付の上を爪でひっかくのがせいぜいだ。
「これからは、もう少し控えめにね」
「控えて良い事あるの。大体、十分控えてるって」
「……今のは聞かなかった事にする」
ため息混じりに去っていく北川さん。
そんなに変な事は言ってないと思うけど、それは私が私が思ってるだけなんだろう。
改めて受付をひっかいていると、北川さんと入れ替わるようにして今度は黒沢さんがやってきた。
笑ってはいるが愛想が良すぎて、あまり近付きたくはない。
「雪野さんっているかしら」
いるかしらって、目の前にいるじゃない。
などとは答えず、彼女に背を向けパンフレットを整理する。
「もう少し、押さえて行動出来ないの?」
「十分押さえたって。怪我人も殆ど出てないでしょ。大体あれは暴れた相手の方が悪いんじゃない。それとも私が悪いって言うの?」
受付のカウンターを叩き、吠えて、もう一度叩く。
無条件に受け入れられるとは思ってないが、何もここまであれこれ言われる事をやったつもりもない。
誰のためという訳でもないし、勿論自分が絶対的に正しいとも思ってない。
それでも私には私なりの考えがあり、理屈がある。
私はそれに従って行動しただけで、少なくとも恥じる事は一つもない。
カウンターごとひっくり返したくなってきたが、完全に床へ固定されていてそれは不可能。
固定されて無くても不可能だけどね。
スティックで壁を叩いて回りたい心境で、さすがにそれは自重する。
なんか、一気に馬鹿馬鹿しくなってきたな。
「帰る」
「ユウ、拗ねないの」
「拗ねてはない。怒ってるだけ」
「同じでしょ」
モトちゃんの言葉を聞き流し、彼女達の間をすり抜けて受付から立ち去る。
文句を言われるのは慣れているし、それ自体は大して気にならない。
元々報われない仕事でもある。
ただ私の考えは、仲間内でも主流ではない。
それ自体が否定される事への不満と苛立ちが高まっただけ。
このままでは本当に壁を叩いて回る事になりそうで、それなら逃げた方がましと思っただけだ。
とはいえ逃げただけで気分が収まる訳もなく、なによりリュックを忘れてきた。
短気は損気って、よく言ったよな。
「忘れ物だぞ」
自警局のブースを出たところで放られるリュック。
それを両手で抱えると、ショウが笑い気味に近付いてきた。
「モト達に怒ったんだって」
「怒ったというか。いつもの事よ。やり過ぎだとか、落ち着けとか」
一瞬沸点に到達し、拳を壁に叩き付ける。
怒りが上回ったのか痛みは殆ど感じず、拳も赤くはならない。
かなり重症だな。
「落ち着けよ」
「落ち着いてられないから怒ってるんじゃない」
「なるほど」
苦笑気味に感心するショウ。
ただ彼が苛立ってる様子はなく、またこういう状況で怒る事はあまりない。
彼には彼の信念があってそれは私と共通してる部分もあるが、一歩下がる事。
冷静さを彼は持ち合わせている。
人の意見を受け入れる度量とでも言おうか。
つまり私にはそれがないため、こうして一人怒ってる訳でもある。
「文句を言われるなんて、今更だろ」
「そうだけどね。それこそ、今更言われると腹が立つ。だったら何もしなければよかったのかって言いたくなるじゃない」
「向こうと俺達では、やっぱり違うからな」
「まあね」
私達は結局今でも現場感覚。
紙に書いてある規則や口で唱える理屈だけでは片付かない問題があると分かっている。
彼女達はその逆。
まずはその規則や理屈ありき。
勿論彼女達がそれを無視して行動しては困るけど、そういった考え方や意識のズレがこういう結果に繋がってくる。
虚し空回りと言おうか。
ショウが言うように今更だが、それが余計に不満を募らせる。
「結局、自分の信じるようにするしかないだろ」
「それで良いと思う?」
「嫌々やるよりは良いんじゃないのか」
「そうだけどね」
自分の信念、他の人の信念。
結局そのせめぎ合いでしかないんだろうか。
自分を何が何でも押し通そうとは思ってない。
今までも譲るところは譲ってきた。
ただそれでも、絶対に譲れない部分もある。
投げやりになる気はないが、張り詰めていた糸が切れた感覚。
こういう事があると、自分はガーディアンに向いてないのかとも思ってしまう。
「あまり考えすぎるなよ。また負担になるぞ」
優しく声を掛けてくれるショウ。
それに頷きつつ、目へ手を添える。
嫌な兆候は特にない。
しかしこの調子だと、時間の問題という気すらしてくる。
「少し休んだらどうだ」
「休んで良くなるの」
「ガーディアンだけが全てじゃないだろ」
何か、らしくない発言。
それに反発を抱きつつ、完全に否定も出来ない。
体や心に負担を掛けてまでガーディアンをやり続ける理由が、今は見あたらない。
勿論今すぐ止める気もないが、気持ちが切れかけているのも事実。
少し距離を置いた方が良いのかも知れない。
「取りあえず、帰る」
「帰らなくてどうするんだ。もう、終業時間だぞ」
それもそうか。
頭に血が上りすぎて、時間の感覚もおかしくなってるようだ。
すぐに家へ戻る気にもなれず、ハンバーガーのチェーン店で食事を取る。
チーズカツバーガーとポテトにジュース。
ポテトは正直もてあまし、少しだけ食べてショウに譲る。
やけ食いをする事も出来ず、虚しさが募るばかり。
どうにも疲れてきた。
「ぱっとしないな」
私とは違い、普段と変わらない調子でハンバーガーを平らげていくショウ。
ただそれは、私が見習わなければ行けない部分かも知れない。
つまりこの程度で腹を立てたりめげていても仕方ない。
彼は今までさんざん周りから言われ続けても、平常心を保っている。
もしくは、保てるようになった。
私も少しはそうなった方が良いのだろうか。
「やった」
突然歓声を上げるショウ。
どうしたのかと思ったら、ハンバーガーの包装紙を裏返して見せてきた。
そこには「当たり」と書いてあり、どうやらもう一つ好きな物を頼めるらしい。
とはいえすでに5つ食べていて、なにが「やった」なのか全く不明。
でもって、自分の怒りや苛立ちが非常に馬鹿らしくなってくる。
「もう、食べるの止めたら」
「俺に死ねって言ってるのか」
真顔で言い返された。
さすがにどうでも良くなり、包装紙を奪ってレジへと向かう。
そして彼が追いつく前に、勝手にオーダー。
テイクアウト用の袋へ入れてもらい、お土産にする。
「おい」
「包装紙は私のだから、私が持って帰る。大体、食べ過ぎだって」
「この倍は行けるぞ」
ぎょっとした顔で見てくる店員さん。
彼がどれだけオーダーしたかは当然知っていて、その倍食べると聞かされれば当然の反応。
この人も、結構大人になりきれてないな。
ハンバーガー屋さんを出て、駅前のロータリーにしばし佇む。
夜ともなれば気温も下がり、風も出てきてかなり過ごしやすくなってくる。
昼間のうだるような暑さが嘘のようで、空に瞬く星がその涼しさを一層演出する感じ。
足早に家へ向かう人もいれば、私達のようにただこの場で時を過ごす人の姿も意外と多い。
別に家へ帰りたくない訳ではなく、ここに留まる理由や目的もない。
強いて言えば何となく。
その時点であまり良くない兆候だとは思う。
改めて目元に手を近づけ、感覚を確認。
以前より暗くても見えるようにはなったが、指先はやはりおぼろげ。
結局は、まだ治ってはいない。
何もかもが不完全で中途半端。
自分の限界、なんて事を考えてしまう。
「そろそろ帰るぞ」
軽く私の肩に触れるショウ。
その後には付いていかず、足を止めて彼に声を掛ける。
「今日は帰りたくないの。なんて言ったらどうする」
「野宿は結構怖いぞ」
……結構真顔で返された。
乙女の機微とか心の動きとか、そういう事って知らないのかな。
とはいえ、これもあまり真剣に取られても困るけど。
どっちなんだとは自分でも思うが、そのくらい今は不安定。
もう少し子供なら、甘い言葉に引っかかって騙されているのかも知れない。
「もういい、帰る」
「ああ。野宿するには、ちょっと時期が遅いよな」
もう良いんだって。
とはいえ暗いのが気味悪いのは、彼の言う通り。
一人で帰るのも怖く、結局家まで送ってもらう。
「大丈夫か」
完全に彼へしがみつき、慎重に路地を歩いていく。
暗くて見えづらいのと、考えすぎて少し怖いせい。
甘酸っぱい感覚は微塵もなく、多分相当の力を込めて彼の腕にしがみついてると思う。
それでもショウは嫌な顔一つせず、私の事を気遣ってくれる。
多少ずれたところはあるにしろ、その優しさは本物。
私には、それだけで十分だ。
「もうすぐ卒業だよな」
「何が」
子供からの卒業とでも言い出すのかと思ったら、ショウは笑い気味に自分と私の顔を指さした。
「高校を」
「……ああ、そうか」
今は3年生。
あと半年すれば、私達は卒業する。
退学する予定はないし、留年する程のひどい成績も取らないはず。
だとすれば、卒業するのはすでに決定。
当たり前の事ではあるが、それにあまり深く意識を向けていなかった。
卒業となれば私は大学へ進学。
彼は軍へと進む。
こうして一緒に帰るどころか、会う事すら難しくなる。
そんなのは、ずっと先の話だと思っていた。
でも半年後には、それは現実の事となる。
今まで意識しなかった。
しようとしなかった事実。
勿論私の感情などとは無縁に、時は過ぎていく訳だけど。
自宅へと到着し、着替えを済ませてリビングで佇む。
ショウは私の前に座りお茶を飲んでいる。
彼はすぐ近くにいて、少し手を伸ばせば届くくらい。
それは現実で、ただ彼が半年後にはいなくなるのも現実。
結局のところ、私は何もかもに目を背けていただけか。
今更、そんな事を言い出しても仕方はないが。
何か言って席を立つショウ。
それが帰る事を告げたのだと分かったのは、玄関先で彼を見送った後。
心はついて行かなくても、体は勝手に反応をする。
機械的、反射的な反応で。
今日の別れは、また明日会う事の出来る別れ。
半年後の別れも、勿論永遠に会えない訳ではない。
いくら何でも休暇はあるだろうし、士官学校にしてもいつかは卒業する。
その間が、あまりにも長すぎるだけで。
例えば塩田さんは卒業して、もう草薙高校にはいない。
ただ会おうと思えば、思ったその時に会う事も一応は出来る。
大学へ行くか、彼の住むアパートへ行けば。
でもショウは軍に進めば、住むのは遠い九州の地。
また自分の都合で、自由に外へも出られないはず。
今までの会う会わないとは、本質的に異なってくる。
それもまた、今更の話ではあるが。
翌朝。
寝る前に色々考えすぎたせいか、いまいち寝覚めが悪い。
目の前が暗いので慌てて手を動かし、視力を確かめる。
それは暗い中でもそれなりに見えていて、どうやら部屋の中が暗いのだと気付く。
窓の外は灰色の雲が見え、その窓を雨が伝う。
ただ、これも考えよう。
ここまで深く沈み込んでも、視力には今のところ影響はない。
絶対とは言い切れないが、この先も余程の事がないと視力の低下は無いのかも知れない。
とはいえ別段気分が良くなる訳ではなく、何も解決はしていない。
解決と言っても、半分以上は自分の気持ちの問題でもある。
自分の気持ちを切り替えない限りは、解決のしようもない。
簡単に朝食を済ませ、時計を確認しながらお茶を飲む。
学校であれこれするべき事はあるが、どうでも良いような気分。
勉強をして、後は言われるままに動けばいい。
今はそんな心境。
気概も気力も無い。
時の経過を、ただ眺めてさえすればいい。
「まだ、間に合うの?」
「何が」
「時間」
時計を指さすお母さん。
確かに少し遅い時間。
ただ近所のバス停は、この時間なら間を置かずにバスが到着をする。
それ程慌てる必要はない。
勿論、のんきにお茶を飲んでる場合でもないが。
「行ってくる」
「雨降ってるから気を付けなさいよ」
「分かった」
外へ出て、雨に降られ、家に戻る。
何も分かってなかったのだけ、よく分かった。
すぐに傘を手に取り、それを開いて慎重に路地を歩いていく。
雨脚は大して強くなく、人によっては傘無しでも平気なくらい。
水たまりに落ちる雨の波紋も控えめで、そこに写り込む周りの景色も大して揺れはしない。
中途半端。
雨を見て思う事でも無いなと、心の中で自嘲する。
バスの車内は、それなりの混雑。
席もさすがに開いて無く、手すりにつかまり傘を床に突き立てバランスを保つ。
それでも信号のたびに体が揺れ、周りの乗客に軽く押される。
こういう時は寮の方が良いとも思うが、いまいちきっかけが掴めない。
荷物は殆ど運び込んでいて、後は自分がそこに住むかどうかだけ。
それを自分であれこれ言い訳を付けて、家に留まっている。
家の居心地が良いのは確か。
そこで生まれ育ち、家族がいて、学校へも近い。
逆を言えば、敢えて寮で住む理由は無い。
寮で住むというのは、今考えると自立への意思表示。
虚勢とまでは言わないが、周りへのアピール。
そして、自分への叱咤だったのかもしれない。
結局自立などはしておらず、寮でも生活も周りに頼り切り。
家にいた時と大差ない。
それでも一応は一人暮らしで、自立したような気にはさせてくれる。
生活自体は、実家にいる時以上に気楽だとも思うが。
突然の急制動。
車内に悲鳴が走り、さすがに私も派手によろめく。
どうやら前に車が割り込んだらしく、運転手が謝っている。
何にしろ、事故が無くて良かった。
そう思ったところで、再びの急制動。
運転手もやはり謝るが、明らかにおかしな状況。
乗客の声を聞くと、前を走る車がわざとブレーキを掛けているらしい。
路線バスへの嫌がらせとは意味が分からず、ただそれは嫌がらせ自体意味が分からない。
ただこのままでは事故の可能性もあり、車内の空気は重くなる。
バスを降りて、その車を注意する。
それは、昨日の二の舞。
また非難をされ、嫌な思いを味わうだけ。
何より人が多すぎて、とても外には出られない。
バスは停留所へ着くたびに止まるし、馬鹿もその内飽きる。
せいぜいそれまでの辛抱だ。
少ししてバスの動きがスムーズになり、どうやら車もいなくなった様子。
何もしなくたって、放っておけば解決する。
無理に行動する必要は何もない。
ただ時が経つのを待ってさえすれば。
突然の振動。
完全に停車するバス。
信号どころか、道路の中央。
何かと思ったら、後部座席にいた乗客が大声で騒いでいる。
信じがたいが、さっきの車が後ろから追突したらしい。
軽く当たった程度で、乗客に怪我はない。
ただ、とてもではないが冗談では済まされない行為。
悪ふざけとか悪戯とか、そういうレベルは超えている。
しかしそういう、粗暴で考えのない輩。
相手にして良い事は何一つ無い。
「ちょっとどいて」
「え」
窓際に座っていた女の子達の前を通り、窓を開けて外を確認。
車が走ってないのを見てから、外へ飛び出る。
後ろに付けていたのは黒いスポーツカー。
名前は知らないが、いかに高級車という風情。
まずはスモークシールドの貼られているサイドガラスを、スティックで叩き割る。
いや。割ろうとしたところでバイクが私と車の間に割って入り、その足が伸びてきた。
伸びた足はそのままサイドガラスへ突き刺さり、ガラスの破片が当たりに飛び散る事となる。
昔、こんな光景をよく見かけた。
それは後ろからだったり、隣からだったり。
真正面から見るのは、もしかすると初めてだろうか。
「何してるんだよ」
ヘルメットのシールドを少し開けて尋ねてくる。
それは間違いなく、私の台詞だろう。
「丁度このバスに乗ってたの。何、これ」
「想像は付く。乗れよ」
放られるヘルメット。
それを被り、小さく飛んで走り出しているバイクのリアシートにまたがる。
後は彼のお腹にしがみつけば良いだけ。
車は遠い彼方へと消え去り、胸のつかえも消えていく。
「結局、なるようにしかならないよね」
「何の話だ」
「こっちの話」
ぎゅっと彼にしがみつき、そのぬくもりを確かめる。
この暖かさもまた、現実なんだなと。
教室に付いて筆記用具を取り出していると、村井先生が入って来た。
HRはまだ先。
でもって視線は、真っ直ぐ私を捉えている。
「職員室に来なさい」
「どうして」
「他校の生徒が怒鳴り込んできたの。ここの制服を着た、小柄な女の子と大柄な男の子に車を壊されたって」
「ふーん」
席を立ち、スティックを背負って息を整える。
ショウの言っていた理由は、すぐに分かった。
昨日の一件が、間違いなく尾を引いてるな。
「やってやろうじゃないの」
「……どうしてケンカ越しなの」
「向こうがその気なら、こっちもそれに対抗するだけです。大体故意に追突するなんて、明らかに犯罪ですよ。あー」
「……遠野さんと元野さん。彼女を厳重に監視して」
ため息混じりに教室を出て行く村井先生。
代わって二人が、私を挟んで歩き出す。
この程度で私が止まるくらいなら、今まで誰も苦労はしてない。
後は野となれ山となれだ。
本当になっても困るけどね。
職員室の隅にある応接セットにいたのは、学ランを着た生徒。
頬に傷が付いているのは、多分ショウの足が通り過ぎた後。
この程度で済んで助かりましたとでも言いに来たのか。
前に出かけた私の腕をサトミが掴み、モトちゃんが行く手を遮る。
ここは二人の気持ちを汲むとしよう。
今は。
男が来た理由は、予想した通り。
昨日の件に対するクレーム。
バスの事は知らないの一点張り。
ここで窓の話をすれば、当然そこを突かれてしまう。
だったら突いてもらおうと言いたいが、サトミが怖い目で睨むので口を閉ざす。
「人の車を壊して、生徒を怪我させて。謝罪の一つも無しか。それが草薙高校か」
一方的に罵倒する男。
さすがに前へ出かけたところで、サトミに後ろへ下げられる。
「ここまで言われて、黙ってろって言うの?」
「言うのよ。少し大人しくしてなさい」
「何のために」
「あなた、つくづく自分の立場を分かってないわね」
しみじみと呟くサトミ。
私達がいるのは職員室のドアの前。
男が調子に乗って叫んでいる応接セットからは距離があり、こちらに気付く様子はない。
その辺の物を叩いて注意を喚起しようとも思ったが、あまりにもサトミが止めるので我慢をする。
ただそれにも限界があり、もう通り過ぎた気もしてくる。
何となく騒がしくなる職員室内。
男の来訪を受けてにしては、肝心の男には誰も近付かない。
人の出入りが激しくなり、消防車という単語が聞こえても来る。
「どうかしたんですか」
側を通りかかった年配の教師に尋ねると、彼は窓の外を指さした。
「火事だよ。といっても、車だけどね」
「車」
「火柱が上がって、教棟の上まで達したとか。もうすごかったらしいよ。灼熱と真っ赤な色で。二度とは見られない光景だったらしいね」
それこそ、妙に熱を込めて語り出す教師。
ただ、火事という出来事には引っかかりを覚える。
車が燃えたという点に関しても。
やがて一人の教員が男に歩み寄り、一言二言声を掛けた。
男は血相を変えて立ち上がり、一目散に職員室を飛び出していった。
「なんだろうね」
「さあ」
気のない返事をするサトミ。
私達の側にいた村井先生は、は咎めるような視線を彼女へ向ける。
「あなた達、冗談じゃないわよ」
「私は何もしてませんよ。私達も行きましょう」
黒髪をなびかせ、颯爽と職員室を出て行くサトミ。
モトちゃんもため息を付き、その後に付いていく。
この先の展開を予想するようにして。
晴天の空。
それにしてはずぶ濡れの地面。
鼻を突く嫌な匂い。
目の前にあるのは黒い車。
原型はもはや留めておらず、ボンネットが溶けてエンジンが剥き出しになっている。
シートはどこにも見あたらなく、シルエットでこれが以前は車だったんだと理解出来る。
そんな車の残骸の前で立ちつくすさっきの男。
怒るとか嘆くとか、すでにそういう事を通り越した雰囲気。
確かに何の前触れもなく車が燃えて、消し炭のような残骸になっていれば誰でもこうなるだろう。
「本当、人が乗って無くて良かったよ」
野次馬の中から聞こえる声。
それに反応して体を揺らす男。
ここまで激しく燃えれば、中の人間がどうなっていたかは想像に難くない。
「草薙高校の七不思議だな。自然発火する車って。これって、持ち主はどうなるんだったかな」
そんな七不思議は初めて聞いたが、男は真に受けたらしく青白い顔をさらに青くして車の前から姿を消した。
代わって現れたのは、車の残骸に冷ややかな視線を注ぐケイ。
そんな彼に、村井先生は刺すような視線を注ぐ。
「あなたが燃やしたの?」
「まさか。放火は犯罪ですよ。それに火を付けたくらいでは燃えません。特にこの車は、防火機能に優れてるので」
まるでそれを試したような発言。
証拠は今のところ何もない。
心証は、限りなく疑わしいとしか言えないが。
「先生、落ち着いて下さい。もし彼が燃やしたのなら、先生にも累が及びます」
そっと彼女の背中を押すモトちゃん。
これ以上の追求は不要。
誰にとっても不利益になるという事か。
「こういうやり方が通用すると思ってるの?」
「バスに衝突するよりは、まだましでしょう。当然あの男の言い分は、私は一切認めませんから」
胸を張り、力強く言い放つモトちゃん。
昨日はあんな事があったけど、彼女の気持ちはずっと同じ。
仲間を思い、学校を思うその気持ちは。
それを私が、自分の身勝手な思いで勘違いしてただけで。
ただそれは私達の話。
村井先生は叫び出しそうな顔で車の残骸を指さし、口だけを動かした。
感情が高ぶり、言葉が付いていかなかったようだ。
「……もういい。昼休みに、改めて集まりなさい」
そう言い残し、駐車場から立ち去る村井先生。
嫌な事を後回しにしただけの気もするが、そこはそれ。
気分は一気に晴れやかになった。
「でも、こんなのどうやって燃やしたの。防火がどうこうって言ってたじゃない」
「油を掛けて火を付ければ、大抵の物は燃える。防火と言っても燃えにくいだけさ」
さらりと言ってのけるケイ。
放火犯間違い無しだな。
「それで、あの男は一体何」
「雪野さんと玲阿君に文句を言いに来たけど、逆に車を燃やされて泣いて帰っただけ。本当、悪い事したよな」
随分人ごとみたいに言うな、この人は。
ただ、わざわざ乗り込んでくる理由がいまいち分からない。
「一人で乗り込んでくるんだから、よっぽど自信があったのかな」
「もしくは馬鹿か、親が大物か。なんか、一気に楽しくなってきた」
手の中でライターをもてあそぶケイ。
その親の車も燃やすつもりじゃないだろうな。
「で、親は?」
ケイの質問にサトミは形式上といった仕草で端末に視線を落とした。
「地方議員ね。会社もいくつか持ってるみたい」
「子供も増長する訳だ。世の中の厳しさって奴を、骨の髄まで分からせてやりたいな」
多分もう十分すぎるほど分かってると思う。
後はこっちが分かるのような気もするが。
「それで、これはどうする気」
苦い顔で、車の残骸を指さすモトちゃん。
どうするもこうするも、焦げた鉄クズに用はない。
「業者が引き取って終わりじゃないの。一応は金属だから、買い取ってくれるでしょ」
「他人を介したら、警察に通報されるわよ。それで、どうするの」
改めて聞いてくるモトちゃん。
だったら、自分で運ぶしかないんじゃないのかな。
放課後。
クレーン付きのトラックを用意し、荷台に車の残骸を載せる。
ついでにいらないゴミもいくつか載せる。
「俺は違うぞ」
いち早く私から離れるケイ。
この辺の読みは鋭いな。
「不法投棄する訳じゃないよね」
「死体じゃないんだ。捨てる場所はいくらでもある」
嫌な否定の仕方。
とにかく載るのは見届けたし、後は家に帰ってご飯でも食べるとしよう。
そう思って引き返そうとした途端、全員からの冷たい視線を浴びせかけられる。
「分かったわよ。乗れば良いんでしょ、乗れば」
ステップを登り、高い助手席にはい上がってショウの隣に座る。
車の残骸を積んだトラックでドライブとは、随分枯れたデートだな。
やがて日は落ち、遠くに見えていた山の姿も闇へと消える。
それは暗さのせいだけではなく、トラックが山に入ったのもあるだろう。
緩いカーブが続き、気温も一気に下がってくる。
つい暖房を入れてしまったくらいで、何より外は黒一色。
街灯を外れればヘッドライトしか頼る物はなく、今置き去りにしたらと想像するだけで背筋が寒くなる。
「出ないよね」
「狸くらいは出るかもな」
ヘッドライトに照らされる道路を指さすショウ。
私の聞きたい事とは違ったが、お化けが出てこられると言われても困る。
大きな右へのカーブ。
それが終わると急に揺れが激しくなり、代わって明かりが灯り出す。
「産廃処分場さ」
「夜でもやってるんだね」
「いや。本当はやってないんだが」
苦笑気味に呟くショウ。
どうやら玲阿家の、特殊な力が働いたようだ。
ヘッドライトとわずかな照明に照らされ、クレーンで下ろされる車の残骸。
周りは廃材だらけで、旧クラブハウスへ続く道を思い出す。
つまりは気味が悪い。
「終わった。帰るぞ」
「帰らなくてどうするのよ」
「それもそうだ」
私の軽口を明るく笑い飛ばすショウ。
その声が周りの闇に響いて跳ね返り、私としては何一つ面白くない。
「でも、これで良いのかな」
「我慢すれば良いって訳でも無いさ。やるかやられるかだ」
「そんな考え方だった?」
「口ではそのくらい言いたい時もある」
なにやらもの悲しい話。
彼は基本的に我慢をするタイプで、間違っても弱肉強食を良しとする考えは持ってない。
ただ我慢をするのは、何らかの不満なりストレスが貯まっているから。
復学して以降、彼は彼なりに思う事もあったんだろう。
「明日から、どうなるのかな」
「普通に学校へ通って、普通に勉強する。それだけだ」
「だと良いけど」
「たまには夢くらい見てもいいだろ」
普通の事が、夢の話か。
それが夢ではなくなる日を目指し、私達は今を生きているんだろうか。