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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第39話
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39-1






     39-1




「授業?」

 つい声が高くなり、机を叩く。

 サトミはそんな私を冷静に見つめ、時間割表を机に置いた。

「今日からは午後も授業。いつまでも夏休み気分でもないでしょ」

 なんか、教師みたいな事を言い出すな。

 しかし午後からも授業か。

 慣れればどうって事はないけど、夏休みの後が午前中までの授業。

 逆に今は、休む事に慣れている状態。

 いきなり寝そうな気もするな。




 昼休み明け。

 早速始まる5時限目の授業。

 さすがにいきなり机に伏せる不届き者はいないが、自分がその第1号にならないとも限らない。

 少し意識を集中しよう。

 しすぎて疲れて、後で眠くならないようにもしよう。

「では、教科書の83ページから」

 落ち着いた静かな声。

 言われた通り教科書を開き、何となく目を通す。

 一応予習はしたが、半分くらいは忘れている。

 予習をしたという事に、今は価値を置いてもらいたい。


 淡々と進む授業。

 さらさらと聞こえる、ペンを走らせる音。

 私語は少しも聞こえず、静寂と緊張感が保たれる。

 だからこそ余計になんというか、眠くなる。

 ある意味矛盾しているが、眠くなるのは理屈じゃない。

 いっそ膝に、ペンでも突き立てた方が良いのかな。

 絶対やらないけどさ。




 結局は、半分寝たまま授業が終了。

 食後に数学は、さすがに堪える。

 それは教師の台詞かも知れないけどね。

「あーあ」

 小さく欠伸をして、そのまま机へと倒れ込む。

 とにかく今は、いつまでも寝ていたい気分。

 いっそ、明日の朝までとか。

 本当に、そこまで寝ても困るけどさ。

「起きて」

 体を揺すられ、不機嫌さを隠さず顔を上げる。

 でもって、それ以上の不機嫌な顔でサトミに睨まれる。

「何よ。休み時間なんだから、寝てても良いでしょ」

「次、体育よ。恥をかいても良いの」

「年中かいてるだろ」

 即座に飛び起き、脇を掴んで戻る。

 今ので、一気に覚醒したな。

 代わりに床へ寝そべってる人がいるのは、ともかくとして。




 着替えを済ませ、武道館へ集合。

 グラウンドでもなければ体育館でもなく、この時期ではプールでもない。 

 床はやや堅めのマット。 

 隅にはサンドバッグが吊されてたり、鏡張りの壁があったりもする。

 やや特殊な作りというか、日常においてあまり訪れない場所。

 私の日常には、普通に溶け込んでいる場所ではあるが。


 何しろ床がマット敷き。

 すぐに倒れ込んで、目を閉じる。

 タオルケットが欲しい所だな。

「ちょっと」

 体を揺すってくるサトミ。

 その振動が逆に心地よく、軽くあやされてる感じ。

 彼女の子供は、こんな気分なのかも知れない。


「む」 

 頬をつままれ、強制的に起こされた。

 子供には、こういう事はして欲しくないな。

 いや。私は子供じゃないけどさ。

「恥ずかしいから寝ないで」

 聞こえてくるのはサトミの台詞だけ。

 男子は少し離れて集まっているため、ケイの突っ込みは聞こえない。

 ただ目線で「馬鹿め」と言ってるように見えるので、後で制裁は加えよう。

「疲れてるの?」

 細い目をさらに細め、頬に手の甲を添えるモトちゃん。

 そういう気遣いをされる体調ではないが、その気持ちは素直に嬉しい。

「大丈夫。食後で眠いだけ。体の調子は問題ない」

「あなた、たまに不安定だから」

「そうかな」

「そうよ。もう少し、自分を労る事ね」 

 優しく撫でられる頭。

 それに身を任せ、彼女にすり寄る。

 いっそ、喉でも鳴らしたい心境。




 しかし、和んでいられたのもつかの間。

 すぐに、若い女性の体育教師がやってくる。

 そちらは過去に授業を受けた事のある人で、別に問題はない。

 問題と考えたのは、その後ろ。

 道着姿の、やたらに大きい男。

 耳はさほど潰れて無く、ただ拳はタコが盛り上がっている。

 空手か、それに類する格闘技の経験者。

 これで、バスケを教えますと言われても困るけど。


「全員いるわね。今日は、講師をお招きして空手の練習を行います」

 多少不満げに説明する教師。

 その不満は空手に対してなのか、後ろでにやけている男に対してのか。

 また生徒達はもっと露骨に、ブーイングを巻き起こす。


 突然響く足音。

 即座に押し黙る生徒達。

 男が足を振り上げ、床を激しく踏みつけたのだ。

 不安、怯え、恐怖。

 空気が一気に重くなり、男の顔だけがにやけていく。

「女の子ですので、もう少し丁寧に」

 苦い顔で注意する教師。

 男はおざなりに謝り、胸を反らしてこちらを見てくる。

 当然それを見返す女子生徒などいる訳が無く、気配を消すように目を反らすだけ。


 一歩前に出掛けたところで、サトミに腕を掴まれる。

 目が付けられないように、声は掛けられない。

 ただ言いたい事は理解したので、踏み出していた足の位置を元へと戻す。

 時間の問題という気もするが。



 軽くウォーミングアップを済ませ、再び集合。

 今度は、男が前へと出て来る。

「素人に何を言っても分からないだろうから、言われた通りに動け」

 再び足が前へ出そうになるが、かろうじて我慢。

 大きく肩で息をする。

「指を握り込んで、足を肩幅に開け。腰を入れて、拳を前に」

 正拳の連中。 

 それ自体に不満はないが、生徒の間を巡回し出した男の目付きは気にくわない。

 隙あれば生徒の体に触れようという意図が、ありありと伺える。

 教師もそれは分かっているのか、完全に男へついて回る。


 幸いふざけた事もなく、次の練習へと移る。

 移るが、私の我慢にも限界はある。

「本当、落ち着きなさいよ」

 小声で注意するサトミ。

 それは私に言われても仕方なく、相手の出方次第。

 しかし最近、こういう教師がやたらと目に付く。

 中等部の頃は結構いたが、高等部ではここまでは目立たなかった。

 だが復学した途端、すでに二人目。

 学校が変質している事の分かりやすい例ではある。



 男の指示を受け、今度は二人一組にとなる。

 サトミとモトちゃんを組ませ、私は近くにいた女の子と組む。

「お手柔らかに」

 異様に怯えて頭を下げる女の子。

 なんか誤解してないか、この子。

「別に、殴り合う訳じゃないんだからさ」

 軽く構え、相手が打ち込んでくる拳を腕で受け流す。

 そしてその動作の流れで、今度は相手へ打ち返す。 

 後ろから、「痛い」という声が同時に聞こえるけど気にしない。

 一体、何をやってるんだか。


 当たり前だが、勢い余って相手の顔を打ち抜くなんて事はしない。

 私だって加減という物は知ってるし、一応インストラクター希望。

 またRASレイアン・スピリッツで、多少は指導経験もある。

 こういう事も慣れているし、何より非力。

 普通に打つ分には、むしろ頼りないくらい。

 それが意外だったのか、女の子も表情も少し和む。


「腰を入れろ、腰を」

 いつの間にか竹刀を持っていた男が、それを近くにいた女の子の腰へと当てた。

 振り下ろすという程ではないが、感心はしない行為。

 周りを見渡すと、女性教師の姿がない。 

 肝心な時に、役に立たないな。

「腰だ、腰」

 とうとう手を伸ばし、女の子の腰へ触れようとする男。

 単なる指導の域を超えているのは、男の顔を見るまでもない。

 だけど女の子は恐怖で、体が全く動かない。

 彼女自身は、対処をする術がない。

「ユウ」

 聞こえてくるモトちゃんの声。

 これは、制止の意味ではない。

 また制止されたとしても、止まる気はない。




 床を踏み切り、一気に距離を詰めて足を振り上げる。

 女の子の腰へ触れようとしていた手を蹴り上げ、たじろいだどころで二人の間に割って入る。

「何だ、お前」

 露骨に怒りを露わにして、私を見下ろす男。

 普通なら謝るか、泣き出すか、逃げ出すか。

 しかしこちらからすれば、ゲームの向こうで悪役のキャラが吠えてる心境。

 気にもならないし、微かにも不安を感じない。

 その間に女の子は、サトミとモトちゃんが連れて行く。

 憂いは無くなり、後は男の出方次第。

 下がれば良し。

 下がらなければ、私の怒りを一点に向けて放出するだけだ。


 当然と言うべきか、男が下がる気配はない。

 その間に教師がようやく戻ってきた。

 数名の体育教師を連れて。

 どうやら、自分一人でこの男を抑えるのは無理と判断したようだ。

「何をしてるの」

「この女が、私に逆らいましてね」

「逆らった」

 男の手にある竹刀。

 重さを増している武道館内の空気。

 モトちゃんにすがり、震えている女の子。

 教師は首を振り、男に帰るよう促した。

「私は是非にと言われて、道場を休んできたんですよ。それが、この仕打ちですか」

 逆にごね出す男。

 教師は改めて、帰るように声を掛ける。

「それは職員と話して。少なくとも、私はあなたを必要としていない」

「そんな口を聞いて良いのか」

 おおよそ人を指導する立場の人間とは思えない台詞。

 この時点でこの場にいる資格どころか、学校に立ち入った事すら許し難い。



 一気にきな臭くなる空気。

 連れてこられた男子教師達が前に出るが、男は意に介した様子もない。

 体格の良い彼等の一人や二人、どうという事はない顔。

 その自信があるからこその、この態度。

 そして、増長。

 だが、世の中そんなに甘くはないと教えてやろう。

 世界が決して狭くはなく、空は思っているほど低くはないと。


 無造作に進み出て、教師の前に立つ。 

 それが視界に入らないのか、少しの間男と男子教師の間で言い争いがある。

 疎外感は感じないが、虚しさは十二分に感じるな。

「……下がりなさい」

 いつの間にかという顔で肩に手を掛ける体育教師。

 女性教師もすぐに駆け寄り、私を下げようとする。

 こっちは私を心配してなのかは、分からないが。

「こんな馬鹿、今すぐ追い出せばいいでしょう」

「馬鹿?大人に向かって、よくそんな事が言えるな。根本的な教育が必要じゃないのか」

「自分こそ、もう一度小学校からやり直したら。ちょっと強いからって、勘違いしてない?」

「ちょっとだ?」

 男の口から漏れる失笑。

 本人からすれば、この武道館にいる全員を相手にしても勝てるつもり。

 多分、それだけの実力はあるんだろう。

 もしくは、自信が。

 だがそれは、本人の思いこみ。

 現実ではないし、現実にさせる気もない。



 何の警告もなく振り下ろされる竹刀。

 半身になってそれを避け、床を踏み切り真上から足を振り下ろす。

 臑で竹刀の中央を捉え、そのまま足を一気に打ち抜く。

 床に転がる竹刀。

 竹刀のなれの果てと言うべきか。

 男が手にしているのは、竹刀の束の部分だけ。

 その先は、哀れに床へ転がっている。 

「何だ?」

 まさか、私が蹴ったくらいで折れたとは思えないらしい。

 元々壊れていたのか、床へ叩き付けた衝撃で壊れた。

 そんな考えに辿り着いた様子。

 相手の力を測るのも実力の内。

 私は自分が強いとは思わないが、勝てる相手と勝てない相手の区別くらいは付く。

 それでも戦わなければならない場面があるにしろ、今はそういう時ではないだろう。

 引き時が分からない時点で、男の底も知れる。


 いきり立った顔で竹刀を投げ捨てる男。

 今度はさすがにいきなり突っ込んでは来ず、すり足で慎重に前へと出てきた。

 こっちはそこまで身構える相手とは思っていなく、軽くステップを踏んで男の横へと回り込む。

 右、左、右右。 

 小さくフェイントを入れ、徐々に距離を詰める。

「貴様、俺が誰だか」

「知らないわよ。名乗りたいなら、勝手に名乗れば」

「後で、道場に連れて行ってやるからな」

 陳腐な脅し。

 思わず鼻で笑いそうになり、さすがに気持ちを引き締める。

 まさか、私の油断を誘ってる訳でもないだろうが。


 強引な前蹴り。

 当たれば一瞬にして吹き飛ばされるのは明らか。

 当たらなければ、単なる無駄な動き。

 サイドステップでそれを避け、軸足にロー。

 バランスを崩させ、即座に飛び膝。

 顔に膝を叩き込み、鼻血を避けて前方宙返り。

 男の手をかいくぐり、後ろから背中へ跳び後ろ蹴り。

 後ろへ回った所で、水面蹴り。 

 足を完全に払う。

 再び跳び上がり、倒れ込んでくる男を回避。

 側転で体勢を立て直し、反撃に備える。



 しかし男が起き上がる様子はなく、だらしなく手足が動くくらい。 

 この程度であんな態度を取れるとは、おおよそ理解がしがたいな。

「なんですか、この男は」

「学校から推薦されたのよ、是非にって」

 倒れたままの男を、蔑んだ目で見下ろす女性教師。

 彼女の意志ではないが、学校の意志が介在したのは確かである。

「事前の審査とかチェックとか。何か無いんですか」

「あるだろうけど。私達には書類が渡されるだけだから」

 仕方なそうに肩をすくめる彼女。

 ただ、その結果がこれではどうしようもない。

「教務担当とか主任とか。どこにいるんです」

「ユウ」

 後ろからサトミが声を掛けているが、もう止まらない。

 止まりたくない。



 教えられた、体育教官室へひた走る。

 走って止まる。

 どうして正門が見えてくるのか、知りたいけど知りたくないな。

「何がしたいんだ」

 苦笑気味に声を掛けてくるショウ。

 追いついてきたのは彼一人。

 他の子は追いついてこないか、そもそも追いかけてこなかったか。

 多分、後者だろうな。

「体育教官室」

「曲がるところが、全然違うぞ」

「じゃあ、止めてよ」

「勢い良く曲がるから、近道を知ってるかと思ってた」

 軽く笑われた。

 まあ、笑う以外にやる事もないだろうけどさ。

「とにかく、体育教官室」

「何言うんだよ」

「行ってから決める」

 またかという顔をするショウ。

 仕方ないじゃないよ。

 今は、怒りの感情しかないんだから。




 ただそれは、さっきまでの話。

 歩いている内に、少しずつ冷静さが戻ってくる。

 体育教師が悪い訳ではなく、何より体育教官室に言っても意味はない。

 いや。そこで文句を言えば、少しは気分が軽くはなるだろう。

 でも根本的な解決には繋がらず、自分の怒りを発散させて終わるだけ。

 つまり、意味のない行動でしかない。


「止めた」

「そうか」

 特に呆れもせず、静かに頷くショウ。

 そういう彼に八つ当たりする心境でもなく、そこまで子供でもない。

 もやもやした、やり場のない感情は残ったままだけど。

「で、ここはどこ」

「昔のJ棟近くかな。大学の前だ」

 日差しにきらめく緑越しに、建物を指さすショウ。

 私からすればJ棟もI棟も、何もかも同じ。

 あれを「中等部だ」と言われても、そうなのかと頷いてしまう。

「よく分かるね」

「普通だろ。分からないと迷う」

 だから、分からないんだって。

 それと、私も普通だって。




 とはいえ単独で歩くのは危険。

 木漏れ日の差す木々が連なる小道を、ショウと一緒に並んで歩く。

 ちょっとしたデート気分で、勝手に気分が良くなってきた。

 災い転じて福となすだな。

「あーあ」

 別に不満から声を出した訳ではない。

 程よい幸福感に満たされ、それが心の中から溢れた言葉。

 いや。言葉じゃないけどさ。

 いっそこのまま、しばらく歩いていたい気分。 

 ただ先日倒れかけたばかりで、何よりサトミがうるさそう。

 それにも、声を漏らしたくなる。


「ようよう、楽しそうだな」

 チンピラまがいの台詞を受け、思わず足を止める。

 ただ声質は澄んでいて、不快感を感じない。

 肩に担いでいる木刀はともかくとして。

「鶴木さん。何してるんですか」

「大学の敷地よ、ここは。自分達こそ、何してるの」

 それは答えようが無く、むしろ私が知りたいくらい。

 木刀を担いでる彼女も、明確な答えは持ち合わせてないようだが。

「高校生は大学の敷地に入らないようにって言われなかった?」

「横切るくらいはいいでしょ」

「どうかしら。最近あれこれうるさい人間も多いしね」

「取り締まりがあるとでも?」

 まさかと思い少し笑うが、鶴木さんは真剣な表情のまま。

 これにはさすがに、浮ついていた意識も一気に吹き飛ぶ。



「大学ですよね。高校以上に、自治制度は守られてるんじゃないんですか」

「守られてるのかな。昔はそうだったかも知れないけど、今は自治なんて意識してる学生はいないんじゃなくて。まとまりも何もないし、みんな自分の事しか考えてないわよ」

「自分の事」

「それも究極の自治といえば自治だけど」

 鼻で笑い、木刀を担ぎ直す鶴木さん。 

 大学を過去何度か訪れた事はあるが、確かに一体感は感じられなかった。

 人は人、自分は自分。

 彼女の言うように、個人の自由は保障されて主張もされていた。

 しかしそれを守るための努力が行われていた様子はなく、あくまでも個人の自由が保障されれば良いという意識が彼等からは伝わってきた。

 河合さんや屋神さんも大学で活動をしていると聞いた事はないし、実際何もしていない。

 大人になったと言えばそれまでだが、釈然としない部分はある。

「暇なら寄っていく?」

「いえ、用事あるので」

「相変わらず、学校とやりあってるみたいね。それも懐かしいというか、なんというか」

 遠い目で語る鶴木さん。


 今の彼女は、明らかに暇をもてあましている感じ。

 元々自治制度に対して熱心だったとは思えないが、彼女なりに思う事もある様子。

 私も卒業すればこんな風に、切なく過去を振り返るようになるのだろうか。

 あの頃は、下らない事で燃え上がっていたなと。

 それにどんな意味があったのかと、自問しながら。




 鶴木さんと別れ、大学を大きく横切って自警局のある建物へと戻ってくる。

 どうして大学内を横切ったのかは、私には不明。

 ただショウに聞くと、その方が近道との事。

 直線のルートを考えると遠回りに思えるが、それは森も藪も突っ切っての話。

 また教棟間を結ぶ通路は、大学内の敷地に組み込まれている。

 結果そちらを通った方が早いらしい。

「色々面倒だね」

「まあ、取り締まられる訳でもないし」

 肩をすくめ、自警局のドアをくぐるショウ。

 実際私達も大学内で咎められはしなかったし、何より高校生と大学生の判別は実質的に不可能。

 制服を着ているならともかく、私服では見分けようがない。

 顔立ちや体型は、この年代ではほぼ同一。

 大学4年生と高校1年生なら、さすがに違ってくるだろうけど。


「体育教官室は?」

「止めた。文句を言っても、意味はない」

「そう」

 安堵の笑顔で出迎えてくれるモトちゃん。

 一方その横にいたサトミは、刺すような目付きで出迎えてくれる。

「何よ」

「少しは落ち着きなさいって、何度も言わなかった?」

「聞いたかもね。ただ、ああいう人間は許せないの」

「あなた、来年は大学生よ。それと、成人になるのよ」

 そんな事、今知った。

 というか、意識してなかった。

 大学生はともかく、成人の方は特に。



 床から聞こえる笑い声。

 腹を押さえ、涙を流して笑うケイ。

 笑ってるのは彼くらい。

 別に何も面白くないし、こちらはむしろ不快なだけだ。

「せ、成人。大人かよ」

「18才で成人でしょ、日本では」

 この場合の成人、大人とは法律上の事。

 選挙権も18才からで、大抵の事はこの年齢から権利が生じてくる。

 その分義務も、この年から生じてくるようだが。

「確かに実感はないけどさ」

 サトミが言ったように、成人であるとともに大学生。

 実際に大人になったと意識するのは、大学卒業後。

 自分で働き出した後だと思う。

 学生である以上、まだ庇護され指導される存在。

 権利自体は発生しても、それを行使する機会は殆ど無いと思う。




 ただ、今はまだ高校生。

 また来年になって、突然大人の自覚が芽生えてくるとも思えない。

 という訳で、お菓子を食べながらお茶を飲む。

 本当に仕事をしないな、私は。

「ちょっといいかな」

 書類を抱え、私の前に置いてくる神代さん。

 良くないよとは言えず、上の方を数枚めくる。

 どうやらガーディアンの報告書。

 前はこれを書いていた側で、まさか読む側に回るとは思わなかった。

「問題があった分だけ、抜き出して」

「主観で?」

「……規則に照らし合わせて」

 怖い声で怒られた。

 まずは、先輩後輩という部分から考えた方が良さそうだ。

「仕方ないな。ショウ」 

「俺もこういうのは苦手なんだが」

 教本を数冊持ってきて、私の隣に座るショウ。

 教本か。

 以前の規則はまだ多少記憶に残っているが、これはどうなんだろう。


 今年度板と書かれた、規則だけが書かれている本を適当にめくる。

 特に変わった箇所は無い様子。

 ただ殆ど読み込んでいないし、規則自体を読む事も希。

 今度は、改正された箇所が抜き出してある小冊子を読んでみる。

「武器の使用対象、か」

 緩和したような事も書いてある一方、過剰な攻撃に対する罰則も書いてある。

 これは、読まなかった事にしよう。



「さてと」

 上から一枚手に取り、目を通す。

 良くある、廊下でのトラブル。 

 まずは文章に目を通し、次に添えられた資料を確認。

 今分かったが、読みやすい読みにくいがありそうだな。

 前は、適当に書いてたけど。

 手書きだと、字の綺麗汚いもかなり大きい。

 昔の自分に、もう少し丁寧に書いた方が良いと注意したくなる。

「問題なし」

 近くで作業していた神代さんが見てくるが、別に主観の判断ではない。

 これでも一応5年間、最前線でガーディアンを経験してきた。

 規則も一通り頭には入っているし、文章の作成も少しは経験した。

 文章の形式も、ある程度は把握している。

 それを全て踏まえて、問題ないとの発言。

 彼女は、あまり信用してなさそうだが。


 私だけだとずっと監視されそうなので、助っ人を呼ぶ。 

 ショウもいるけど、彼は私と同レベルに扱われそうなので。

「お呼びですか」

 くすくす笑いながら現れるエリちゃん。

 まずは隣の席を勧め、お茶を出す。

「お菓子。お菓子」

 机を叩き、ケイを呼ぶ。

 彼は陰険な目で私を睨み、それでもスナック菓子の袋を投げてきた。

「食べ物を投げないでよ」

「じゃあ、返せ」

「投げないから、返せない」

 屁理屈を言って、袋を開ける。 

 でもこれって、手が汚れるな。

「書類が汚れる。違うのはないの」

「指でもしゃぶってろ」

 改めて飛んでくる、チョコバー。

 これなら、袋に入ったまま食べられる。


 甘さ控えめ。

 中にはナッツが入っていて、チョコの風味にナッツの脂肪分が上手く絡み合う。

 一気に食べるのは惜しく、一口一口味わって心ゆくまで堪能する。

 幸せって、こういうところに隠れてるな。

 ちまちまかじっていると、また神代さんに見つめられた。

「仕事すれば良いんでしょ。細かいな」

「あ?」

「神代さん、すぐに片付けますから」

「あ、はい」

 私には怒って、エリちゃんには恐縮か。

 誰が先輩で後輩か、一度学生名簿を見たくなるな。

「……この辺は大丈夫と」

 私やショウが目を通した書類を、エリちゃんが再チェック。

 彼女も特に問題がないと判断し、処理積みの箱に入れられていく。

 やれば出来るんだって、私でも。


 なんて気を良くしてると、視線が首筋に突き刺さる。

「何してるの」

「見ての通り、仕事してる」

「どうして、永理がいるの」

 私の肩に手を掛け、上から覗き込んでくるサトミ。

 恋人気分で浮かれるような顔ではなく、ホラー映画を思わせる顔で。

「良いじゃないよ。エリちゃんも後輩なんだから」

「この子は、私の補佐なの」

「私の補佐でも良いんでしょ。ねえ、モトちゃん」

「まあ、広い定義ではね」

 ぼかした表現をするモトちゃん。 

 狭い定義をすると、私の補佐では良くないという事か。


 とはいえそれは、そっちの話。

 私の話ではない。

「3人以上での武器使用は、隊長の許可を求める事とする。何、これ」

「今年度から採用された規則です。過剰な攻撃は慎むようにとの事ですね」

「じゃあ、このケースはどうなの」

「隊長自身が参加してるので、該当しません」

 淀む事無く、丁寧に教えてくれるエリちゃん。

 本当、サトミとは大違いだな。

 というか、定規持たないでよね。

「仕事あるんでしょ」

「まずは、あなたを監視する。仕事はいつでも出来るわ」

 多分逆だと思うが、一気にプレッシャーが掛かってきた。

 取りあえず、お菓子を食べてリラックスするか。 

 でもって、余計に睨まれるか。



 ぺらぺらと適当に書類をめくり、明らかに不備がありそうなのを抜き出していく。

 それ以外のは軽く目を通し、問題がないかを確認。

 慣れてくると、見るポイントが何となく分かってくる。

 細かく追求すれば切りはないし、書けてればそれで良い。

 サトミは明らかに不満そうだが、これは私の仕事。

 取りあえず、口を挟んでは来ない。

 目では、これでもかと言うほど訴えてるにしろ。


 大体片付いた所で、今度は問題がある書類を確認。

 担当者の名前を見て、鼻を押さえる。

「御剣って書いてるけど」

「じゃあ、御剣さんなんでしょうね」

 さらりと答えてくれるエリちゃん。

 しかし自分達の身内がこうでは、示しが付かないな。

「本当、泣けてくるわよね」

 しみじみと呟くサトミ。 

 昔は私がそうだったと言いたげに。

 それは構わず、端末で御剣君を呼びつける。

 なんか、本格的に管理職になってきたな。



 別にサトミのように、正座はさせない。

 立たせたままにもしない。

 それは、こっちがプレッシャーに感じるので。

 取りあえず私を挟んで、サトミとエリちゃん。

 その正面に、御剣君が座る。

「これ、何」

 空欄の目立つ書類を突きつけ、答えを待つ。

 彼はそれに目を通し、何がという顔でこっちを見てきた。

「所持品とか、状況とか、時間とか。書いて無いじゃない」

「結果が書いてあれば良いんじゃないんですか」

「は」

 思わず声を裏返し、席を立つ。

 なんか、頭が痛くなってきた。

「規則なんだから、規則通りに行動して。それに結果じゃなくて、経過も大事なの。大体これは統計を取ってるから、詳細な情報を書いてもらわないと」

「昔と、言う事が違いますね」

「どう違うのよ」

「こんなの書く奴は馬鹿だって言ってました。……、それは浦田さんだったかな」

 この時点で机をひっくり返したくなるが、物理的に不可能なので自重する。

 そういう間違いは、絶対に止めて欲しい。



 お茶を飲み、少し気持ちを落ち着ける。

 大丈夫だと思う、多分。

「とにかく、書き直し。話にならない」

「ふーん、変わったな」

 なにやら醒めた目で見てくる御剣君。

 それには対抗上、こちらもすぐに睨み返す。

「何が」

「昔の雪野さんなら、そんな事は言わなかったと思って。別に、良いんですけどね」

「何が良いのよ」

「いえ、こっちの話です。書き直しますよ」

 妙に反抗的な態度。

 これにはさすがに、むっとくる。


「私に言いたい事でもあるの」

「まさか、滅相もない」

 大げさに首を振り、書類を持って立ち去ろうとする御剣君。

 椅子を蹴って机を飛び越え、すかさずその行く手を阻む。

 後ろで誰かが悲鳴を上げてるけど、聞こえなかった事にする。

「待ちなさいよ」

「まだ、何か」

「私が見せてやろうじゃないの。ガーディアンの手本を」

「はは」

 笑われた。

 彼一人じゃない。

 少し離れた所からも笑われた。

 そっちは、後で制裁を加えるとしよう。

「何がおかしいの」

「いや。それでこそ雪野さんですよ。書類なんてどうでも良いじゃないですか」

「……どうでも良くはないの」

 かなり勘違いされてるが、こうして机にかじり付いているのも正直飽きた。

 何より後輩に、先輩としての威厳を示す必要がある。

 私も今は彼等を率い、導く立場なんだから。



 準備という程持って行く物もないが、装備を揃えて一度確認。

 苦笑しているエリちゃんに声を掛ける。

「来る?」

「いえ。止めておきます。嫌な予感がするので」

「予感って何」

「何でしょうね。自分の築いてきた立場が崩れるような予感です」

 さらりとひどい事を言って来るな。

 でもって、ちょっと汗が出てきたな。

「私の行動に問題があるとでも?」

「滅相もない」

 それはもう良いんだって。

 しかし、彼女も後輩。

 私が導く一人ではある。

「エリちゃんも来て。これは命令」

「本気で言ってます?」

 極端に嫌がるエリちゃん。

 なんか、ますます汗が出てくるな。

「大丈夫。私も成長した。昔とは違う」

「今は連合ではなく、自警局の幹部である事をお忘れ無く」

「幹部?誰が」

「……準備をしてきますね」

 寂しげに笑い、背を丸めて去っていくエリちゃん。

 そんな事、今言われて気付いたよ。

 でもって、手の平にまで汗が噴き出てきたな。




 久し振りのパトロール。

 特別に何かをする訳ではなく、周りに注意をしながら廊下を歩くだけ。

 それでも書類と向き合ってるよりは気分が良く、私の性には合っている。

 生徒の笑い声。

 軽快な足音。

 いくつもの笑顔。

 学校が変わったと思う事もいくつかあったけど、この光景は少しも変わらない。

 私が守りたいと思った、最も大切な事は。

「だるいな」

 真後ろから聞こえる不平不満。

 スティックで脇を突き、それを強引に黙らせる。

「こ、この」

「パトロール中でしょ。集中して」

「俺は忙しいんだ。先輩ごっこに付き合ってる暇はないんだ」

 なかなか面白い事を言ってくるケイ。

 もう一撃加えようとしたが、さすがにスティックの届かない所まで逃げられた。

「先輩は先輩なんだから、こういう事をやっても良いでしょう。ねえ、サトミ」

「どうかしらね」

 枝毛を探しながら、気のない返事をするサトミ。

 非常に分かりやすい、否定的態度。

 四面楚歌って、結構身近に体験出来るんだ。


 ただ、本当に孤立無援という訳でもない。

「たまにはパトロールしたって良いよね」

「ああ。そうだな」

 あっさりと同意してくれるショウ。

 彼が一人認めてくるなら、私はそれだけで十分。

 足取りも一気に軽くなり、鼻歌でも飛び出しそうな程。

 草薙高校万歳だ。

 いや。意味は全然分からないけどさ。

「でも、どうして俺達も連れてきたんだ」

「前は4人で動いてたんだから。ありのままの私達を見せないと」

「偉いな、ユウは」

 褒められた。

 そんなに大した事は言ってないと思うが、少しは良い事を言ったらしい。

 露骨に嫌な顔をしている男も、いるにはいるが。




 ケイに制裁を加えようとしたところで、エリちゃんが肩に触れてきた。

「前に、いますけど」

 少しペースを落として歩くエリちゃん。

 私達もそれに倣い、慎重に歩く。

 彼女がいると指摘したのは、ジャケットを着た細い男。 

 まだ夏とはいえ廊下はエアコンも効いていて、冷え性の人は上着を着てもおかしくはない。

 それが男性であったとしても。

 ただ着ている人間の雰囲気や素振りから、違和感を感じる時もある。

 単に寒いから着ているのではないと。

 これが分かるのは元々の素養も重要だし、経験も必要。

 また彼女の指摘に、異議を唱える者は誰もいない。

 それはサトミ達の素養や経験をも、自然と物語る。



 見た感じ、仲間はいない様子。

 一旦すれ違ってやり過ごし、今度は後ろから付いていく。

 いきなり何かをするかどうかは、分からない。

 またしてからでは遅く、ショウと御剣君で男を挟むように歩かせる。

 突然左右に現れる大男。 

 男が突然走り出すが、ショウが即座に腕を掴む。

「は、離せ」

「急ぎの用でもあるのか」

「だ、誰だ。お前」

「ガーディアンだ」

 肩口のIDを示すショウ。

 男は顔を青くして、しかしすぐにジャケットの懐へ手を入れた。


 それが抜き切られる前にスティックで腕を突き、動きを止める。

 床に落ちたのは、よく見かける警棒。

 ガーディアンの装備よりも質の落ちる、ただ威力としては遜色のない物。

「俺もガーディアンだとか、言うなよ」

「ひ、拾ったんだ。拾っただけだ」

 非常に良く聞く言い訳。

 そんなはずは勿論なく、ただ警棒に名前が書いてない以上それで押し通すのも可能は可能。


 スティックを振り上げ、男の喉の下に突き立てる。

「どこで、いつ、どうやって拾ったの」

 顎を押さえているので、話しようもない。

 それ以前に話させる気がない。

「拾った?拾ってどうする気だったの。逃げた理由は、上着を着てる意味は」

 矢継ぎ早に質問をして、スティックを一旦喉から離す。

 男は喘ぎつつ床に崩れ、ぼたぼたと汗を流し出した。

「何が拾ったよ。そんな訳無いじゃない。IDは」

 震える手で渡されるID。

 端末でそれをチェック。

 記録を自警局へ送り、男へ投げ返す。

「消えて」

「え」

「消えてと言ったの」

 スティックを振り上げる間もなく走り去る男。


 規則を厳密に適応すれば、拘束をしてどこかのオフィスにでも連れて行くケース。

 しかしそんな事をしていればきりはなく、この程度のトラブルはいくらでも控えている。

 素早く処理をして、次に備えた方が早いし効率も良い。

 ガーディアンとしては、私もまだまだ十分通用するようだ。 











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