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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第6話
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6-2






     6-2




 月日が経つのは早い物。

 という程でもないけれど、ついにその日がやってきた。

 聖なる修道女、シスター・クリス来校の日が。

 数日前から、授業は完全にストップ。

 学校には警察や軍関係者が訪れ、連日入念なチェックと警備のリハーサル。

 私達生徒もまた、自分達の役目に奔走する日々でもあった。

 公開授業や懇談会など、公式スケジュールの準備。

 会場設営、備品、説明や質問項目のマニュアル最終チェックなどなど。

 かくいう私もガーディアンという立場から、警備のリハーサルに何度か刈り出された。

 警備は軍や警察と協力というか、彼等の仕事を妨げない様に行うのが基本。

 向こうにしてみれば自分達だけでやりたいのだろうけれど、色々問題がある。

 第一に、この学校は生徒の自治によって運営されているという点。 

 次にシスター・クリスとその取り巻きの性格上、いかめしい軍関係者に警備されたくないという事。

 平和と愛を説くような人達が、銃に守られるのは確かに違和感がある。

 他にも幾つかあるけれど、大きな問題はこの二点。 

 全部軍の人達に任せた方が安全だと、私は思うんだけど。



「久し振りだな」 

 制服のネクタイを締めていたショウが、感慨深げに呟く。

「中等部の卒業式以来じゃない?」

 同じく制服のリボンを直しながら、くすくす笑うサトミ。

 紺のジャケットとスカート、中はベストに白のブラウス。

 胸元には臙脂の細いリボンがあしらわれ、足元は白のソックスに濃茶の革靴。

 私はそれの、小さい版。

 中等部の入学式に着たのを、そのまま流用しても問題ないくらい。

 世の中、まだまだ不思議が一杯だ。

「俺は、いつ着たっけ……」

 ネクタイを締めるのに、悪戦苦闘しているケイ。

 本当、不器用なんだから。

 自分で言っているように、彼も珍しく制服。

 やはり紺のジャケットとスラックス、中は白のシャツ。

 胸元のネクタイはダークグレーで、足元は黒の革靴。

 ショウも同じだけれど、おまけが付いている。

「曲がってるよ」

 高い所にある彼の襟に手を伸ばし、ネクタイを直す。

「あ、悪い」

「どうしたしまして」

 ははっと笑うショウと、へへっと笑う私。

 こういうのに、少し憧れてた。

 彼は普段ネクタイをしないから、余計。


「おうおう。いいご身分ですな、玲阿君は」

 変な笑顔を見せてくる浦田君。

 相変わらずネクタイは締めてない。

 締められないと言った方が正しいんだけど。

 私は顔を伏せたまま彼の前に立ち、その襟へ手を伸ばした。

 そして、ネクタイを締めてあげる。

「ほら」

「あ、あ……」

 見る見る間に顔が赤くなっていく。

 照れている訳じゃない。

 締め上げてるから。

「ユウ、そのくらいにしなさいよ。頭に血が行かなくなるわ」

 これ以上おかしくなったらまずいので、手を離す。

「ば、馬鹿……」

 しゃがみ込んで、ぜいぜい言う男の子。

 仕方ないから、少し背中をさすってあげた。

 そうしたら、えづき始めた。

 こっちまで気持ち悪くなるので、やっぱり離れた。

「無茶苦茶だな」

「いいじゃない。まだ死んでないんだから」

「そういう問題か」

 苦笑して、机の上に置いてあった漆黒のマントを取るショウ。

 この学校の制服や、ガーディアンとしての備品ではない。 

 シスター・クリス側から渡された、彼女を直衛する5名だけに与えられる大切な品だ。


 その5名の組み合わせが何組かあり、彼等がローテを組んで彼女を直衛する事になっている。

 そんな栄誉ある一握りの中に、ショウも選ばれたという訳。

 これは自警局からの推薦者を、シスター・クリス側が選抜したのだ。

 条件は体格、格闘技の実力、語学力、礼儀作法など。

 そして内密だけど、外見というのもあるらしい。

 確かに、格好いい人達だけで周りを固めた方が絵にはなる。

 見栄えでは申し分ないサトミも選ばれたのに、彼女はそれを断っている。

 「おそれ多い」んだって。

 頭が良いんだか、悪いんだか。



「準備出来た?」

 私達と同じ格好をした、モトちゃんと沙紀ちゃんが入って来る。

 二人ともガーディアンとしては責任者の地位にあるので、警備の事を軍の人達と打ち合わせしていたのだ。

「なに、それ」

 驚いた顔で、床に崩れているケイを指さすモトちゃん。

 「それ」という言い方が、ある意味彼女らしい。

「ユウに、殺されかけたのよ」

「変な事言わないで。ネクタイ締めただけじゃない」

 サトミのリボンを締めようとしたら、とっくに逃げられてた。

 私の考えなどお見通しという顔で。 

 やっぱり、頭は良いようだ。

「慣れない事するから」

 それでも沙紀ちゃんはケイを助け起こし、近くの椅子に座らせた。

 そして、彼の好きな紅茶を入れてあげる。

「あ、ありが……」

 そこまで言って、紅茶をむせ返す男の子。

「大丈夫、おじいちゃん」

 沙紀ちゃんが、笑いながら彼の背中をさする。

 言い返す事も出来ず、ケイはそのまま背中を丸めてしまった。


「もう少し軍とか警察が来ると思ってたんだけれど。意外と少ないわね」

「学内自治という建前があるから。それに彼等が目立つと、シスター・クリスのご機嫌が斜めになるんですって。もう少し度量が広いっていうイメージがあったのに」

「結構人間が小さい……」

 サトミに睨まれ、慌てて口を塞ぐ沙紀ちゃんとモトちゃん。

 余計な事を言うケイは死んでるので、これ以上は揉めない。

「それよりショウ、あなたはそろそろ行かないと」

「何かするの?」

「直衛する人は、一足先に彼女をお出迎えするの。彼等の護衛で、この学校に入って来るというスタイルを取るためにね」

 昔シスター・クリスが10名の兵士に守られた出来事に由来する、簡単なセレモニーだとか。

 どんな出来事かは、彼女の伝記にも書かれてはいない。

 だからサトミも、理由は知らないとの事。


「いるか」

 のんきに入ってくる名雲さん。

 その隣には、いつも笑顔の柳君も。

 二人とも、やはり制服。

 格好いいし可愛いから、何着ても似合う。

「玲阿、そろそろ行くぞ」

「ああ」

 名雲さんも、直衛を任ぜられた一人。

 ショウとはローテーションが違うから、一緒に護衛する事にはならないらしい。

 ちなみに柳君は、「恥ずかしいよ」と言ってパスしている。

 ショウも、最初はそう言ってたな。

「よくやる」

 鼻を鳴らし、近くにあった椅子へ腰掛ける舞地さん。

 池上さんも肩をすくめ、彼女と向かい合う格好で机に腰を下ろした。

 二人とも制服で、綺麗というか可愛というか。

 多分、この学校に来て初めて着るんじゃないかな。

 後で、みんなの写真を撮ろう。

 私は小さいから、当然最前列だ。

 特権というか、哀れというか……。


「聞いてよ、優ちゃん。真理依さん達、今日はもう帰るんだって」

「え?警備しないの?局長から言われてるんでしょ」

「軍や警察の邪魔になるのが分かっていて、周りをうろつきたくない」

「少しだけシスター・クリスを拝んで、後はアパートで寝てるわ」

 サトミが震えそうになっているが、二人は気にした様子もない。

「それに、沢君もいないでしょ。塩田君や大山君も」

「教育庁へ呼ばれたそうです。私も、詳しくは知らないんですが」

 Dブロック責任担当者である沙紀ちゃんには、一応告げたらしい。

 塩田さん達の方は、そのお供として同行を命じられたとか。

 こんな時だから、却ってここにいた方がいいと思うんだけど。

 でも、お上には逆らえない。

 大袈裟か。


「ケイ君、どうかした?」

「別に。まだ、喉が苦しいだけ」

 モトちゃんに軽く手を振るケイ。

 私に皮肉を言っている訳でもないようだ。

「みんな不真面目過ぎるわよ。私達はガーディアンなんだから、与えられた仕事をきちんとこなさないと」 

 そんな話で火が付いたのか、サトミが突然燃え出した。

 変に口を挟むと長いので、何も言わない。

「彼女を警備するという、名誉ある任に付けるのよ。人は一人で生きるのではなく、また多くの人はそれに気付かない。だから彼女は……」

「遠野さんって、クリスチャンだった?」

 ぽつりと洩らす柳君。

 首を振るサトミ。

 そう、この人はクリスチャンだから燃えている訳じゃない。 

 単にシスター・クリスが好きだから、ここまで気合いを入れているのだ。

「ふーん。そう言えばシスター・クリスって、二代目だよね。遠野さんは、どっちが好きなの?」

 あ、それはまずい。

 しかし柳君は、例により可愛らしい笑顔。

 罪がないだけに、こっちも辛い。


「難しいわね。今の彼女も素敵なのだけど、先代は先代で素晴らしいのよ。噂では彼女が前回の大戦終結に、大きな役割を果たしたと言われているわ。でも大事なのは、彼女達はどちらも愛と平和を説く使者であるという事。与えるのではなく、それを実践するの。分かるかしら、つまりは……」

 言わんこっちゃない。

 聞いてもないのに、勝手に彼女達の功績や説教を話し続けるサトミ嬢。

 今の姿見たら、誰もこの子を醒めてるんだなんて思わない。

 神様、助けてよ。



「……という訳で、彼女はそれ程までに大事な手袋を渡したの。分かる?飾るんじゃないの、手袋は手にはめる物なのよ。だから……」

「分かった、もう分かった」

 メモまで取らされていた柳君と名雲さんが、深く頭を下げる。

 舞地さんはこっそり寝ていて、池上さんはメモを取る振りをして落書き。

「そんなに好きなら、直衛を断らなくてもよかったのに」

 ほっと一息ついて、メモをポケットへしまう沙紀ちゃん。

 聞き飽きているモトちゃんは、明日の献立を書いたメモをしまう。

「駄目よ。私みたいな人間が、彼女の側へ侍るなんて。……おそれ多いわ」

「俺や名雲さんは、近付くんだぞ」

「あなた達は、私とまた感覚が違うもの。可愛い女の子を守るくらいの気分でしょ」

「外れてもないな」

 髪をかき上げ、渋い笑みを見せる名雲さん。

 彼の本心がどこにあるのかは、それからは読み取れない。

「まあ、どうでもいい。とにかく、俺達は行ってくるから」

 ショウの肩を軽く触れ、部屋を出ていく。

「ど、どうでもよくは……」

「興奮するな、サトミ。じゃ、俺も行ってくる」

「気を付けてね」

「ああ、またな」

 廊下に出た二人の笑い声が、ドア越しに聞こえる。

 大役だとは思うが、緊張はしていないようだ。


「なってない、なってないわ」

「気になるなら付いていけば。あなたは歓待委員で、元々直衛に選ばれてるんだし」

 モトちゃんの言葉にサトミの顔が揺らぐが、すぐに首を振る。

「それはよくない。私のせいで、誰かがはみ出したら悪いじゃない。それに、やっぱりおそれ多いわ」

「分かんないわね。シスター・クリスも女の子、聡美ちゃんも女の子でしょ」

「彼女は、違うんです」

 はっきりと言い切り、サトミもドアへと向かう。

「委員会へ行って来るわ。少ししたら戻るから、後はよろしく」

「はいはい。天満さんによろしくね」

「ええ」

 ドアが閉まったところで、室内に安堵の空気が流れる。

 ふう。

「あんな熱い遠野さん、初めて見た」

「それだけ好きなのよ。ああなりたいっていう、サトミなりの憧れもあるのね」

「憧れ……」

 柳君は煙るような眼差しを、モトちゃんへ向ける。

 彼女はただ、穏やかに微笑むだけだ。

「例えば丹下さんは、そういう人いる?」

「私?そうね……。憧れじゃないけど、会いたい人はいるかな」

 何故か、はにかむ沙紀ちゃん。

 好きな男の子でも、思い浮かべてるのだろうか。

 でも「いいかもしれない」ケイは、すぐ目の前にいる。

 じゃ、誰。


「恥ずかしいんだけど、夢の中で私を助けてくれた人がいたの。その人に、もう一度会えたらなって思ってる」

「あん。ロマンチストね、沙紀ちゃんは。真理依といい勝負だわ」

「ポエミさんとですか」

 突然笑い出す池上さんとモトちゃん。

 何、ポエミって。

「下らない事言うな、元野」

「ねえ、それ何」

 顔を伏せている舞地さんを揺らす。

「子供には関係ない」 

「自分だって、私と大差ないじゃない」

「例え1mmでも、その差は歴然として存在する。だから、私の方が大人だ」

「どっちもどっちと思いますけどね」

 私と舞地さんに睨まれ、こそっと逃げる沙紀ちゃん。

 全く、少しそのどれかを分けてよ。

 背でも、胸でも、体格でもいいからさ。

 だけど、この身長で胸だけ大きいと違和感があるかな。

 やっぱり胸はいいや。

 悲しいけど、諦めよう。

 最初から、手に入らないって分かってるけどね……。


 下らない事を言っていても仕方ない。

 私達はオフィスを出て、校門の手前に整列していた。

 前列は生徒会や歓待委員会、後列はガーディアン。

 希望した一般生徒も、校門側の一角に整列している。

 シスター・クリスを出迎えるために。



「姿勢……」

 その声はあっさりと掻き消され、唸りのような拍手が巻き起こる。

 控えめながら、多くの歓声も同時に。

 整列は崩れない。

 あくまでも今の体勢を保ったまま、全体の感情が高まっていく。

 黒い影が、校門をくぐる。

 それに守られる格好の、白い姿の一団。

 その中で、一際目を引く存在。


 深い山々を流れる河のような、淡いグリーンの瞳。

 鍾乳石を思わせる白い肌と、良く通った鼻梁。

 小さく形の整った口元は、可憐な花のつぼみのよう。

 頭に被ったベールから覗くロングヘアは、秋の日差しに輝く見事なブロンド。

 ローブに隠れて見えないその体も、女性らしいシルエットを何となく映し出す。

 しかしそれは、本当に些細な事。


 拍手や歓声は小さくなる。 

 でも、終わらない。

 シスター・クリスという名ではなく、その本人に向けられているから。 

 彼女の体からたなびく淡いかげろうのような、暖かな何かに感銘を受けて。

 まるでそこにだけ、天から光が射し込んでいると錯覚しそうな程。

 神の加護、光の珠、その御使わしめ。

 彼女を評する様々な言葉が真実であると理解出来る。

 今、すぐそこで微笑んでいる彼女を目の当たりにすれば。 

「これが、シスター・クリス……」

 隣にいたサトミが、思わず呟く。

 崇拝していた彼女ですらこうだ。

 立派な人だという曖昧な概念しか無かった大勢の人にとって、その印象は計り知れない。

 中には感極まって、涙を流している人までいる。


 彼女を守っていた護衛の生徒達が、一歩下がる。

 代わって前に出る、シスター・クリス達。

「Очень приятно.Я рад с вами познакомиться.」

 滑らかな発音と、優雅な物腰。

 床に片膝を付き、シスター・クリスの手を額に頂く。

「Благодарю вас.ですが、日本語で結構です。今は、日本語の方が得意ですので」

「承りました」

 柔らかに立ち上がり、胸元に手を当て一礼する生徒会長。

 今回のシスター・クリス歓待委員会の委員長。

 そして、彼女のエスコート役でもある。

「皆様、お出迎えありがとうございます」

 可憐に微笑み、道の左右に並ぶ生徒達へ手を振るシスター・クリス。

 再び起こる拍手。

 圧倒的な歓迎の意志と、それに応える笑顔。

 表現のしがたい不思議な空気が、その場を支配しつつあった。


「……お姫様にでもなったつもりかね」

 小さなささやき。

 誰が言ったのかは、去っていく背中で分かった。

「何て言ったの、今」

「私も、聞こえなかった」

「そう」

 さすがに、サトミには聞かせられない。

 ケイの言葉を胸へしまい、私は気高い笑みを浮かべるシスター・クリスを眺め続けた。



 教室へと場所を移動するシスター・クリスの一行。

 修道会、財団、学校など、彼女達が関わる分野は多岐に渡り、シスター・クリスはそれらの頂点に立つ。

 だが実際には合議制を取っていて、彼女を補佐する幹部会が実質的な運営母体との事。

 私が調べた訳じゃなくて、全部サトミから聞いた話。 

 他にも色々聞いたけど、それも全部忘れた。

 今は公開授業が始まったところで、やや緊張気味の教師と生徒が向かい合っている。

「……歴史観というものは、人それぞれでして。特に詳細な情報が少ない時代に関しては、その人の考え方が良く現れる訳です」

 それでも先生は、普段通りの授業を進めている。

 いつも私が受けている授業ではなく、ケイが選択授業として取っている日本史B。

 何度か潜って出席した事があり、覚えるよりも考える事を中心にした授業を行っている。

 教室に入れる人数は限りがあるので、私は別室のモニターで見学中。

 隣では食い入るような眼差しを、サトミが送っている。


「知識の積み重ねがない考えは想像でしかなく。意見のない知識の積み重ねは、情報にしか過ぎません。無論その二つを兼ね備えるのは、たやすい事ではないのですが」

 こうして聞いていると、日本史の授業とは思えない。

 歴史的な事実や人物名は殆ど出ていないし、参考書やデータベースも一切使わない。

「どこかで戦いが起き、国が滅んだという知識。それを基にした、戦いや滅んだ理由の推測。一般的に正しいと言われる歴史観を、私も支持します。ですが、真実は一つなのかという事。歴史の授業が理数系とは根本的に異なる点が、そこにあります」

 つい、モニター越しに頷く。

 そしてモニターの向こうにいた、シスター・クリスを警護する生徒の一人も頷いていた。

 ショウだ。

 最前列で授業を受けている彼女を妨げないよう、直衛の警備班は壁際にいる。


「……少し、よろしいですか」

 軽やかな仕草で手を上げるシスター・クリス。

 先生は小さく頷いて、彼女を促した。

「そこで立たれている方達も、座って頂いたらどうでしょう」

 壁際にいる警備のガーディアンへ視線を送る彼女。

 教室内にどよめきが起き、それはすぐ拍手へと代わる。

「せっかくのお申し出ですので、みなさんどうぞ」

 にこやかな笑みで同意する先生。

 黒のマントをまとった5名のガーディアン達は、シスター・クリス達のために用意された開いている最前列へ照れ気味に収まった。

「ここ、空いてますよ」

 自分の隣を指さすシスター・クリス。

「よろしいんですか」

「ええ。私の隣でよろしければ」

 場を和ませる軽い冗談だろう。

 教室内を暖かな笑い声が包む。

「それでは、失礼します」

 マントを脱ぎ、一礼して席に着くショウ。

 その前に、彼女がノートとペンを差し出した。

「よろしければ、お使い下さい」

「あ、どうも」

「どちらがこの学校の生徒か分かりませんね」 

 先生が軽口を叩く。

 再びの笑い声。

 私のいる教室でも、同じく。


 微かな胸の乾き。

 視線がモニターから逸れる。

「優ちゃん、どうかした」

「ん、別に。ちょっと、姿勢が悪かったから」

 胸に当てた手を離し、屈みかけていた体を起こす。

 授業は当然シスター・クリス中心に行われ、笑いや笑顔もそこから広がっていく。

 自然と隣にいるショウへも話題が振られ、二人が楽しげに会話を交わす場面も増える。

 反対側にいる生徒会長が時折冗談を言い、それを受けてショウがうろたえる。

 綺麗な転校生を隣にした、初な少年のように。


 灼け付く程の胸の乾き。

 手で押さえても、深く呼吸しても。

 収まらない。

 ペンを取ろうとしたショウの手と、シスター・クリスの手が微かに重なる。

 どっと沸く教室。

 授業が中断し、先生が苦笑して生徒達をたしなめる。

 乾きが痛みにまで代わっていく。

 でも乾きや痛みは、一体どうすれば癒されるのか。

 下がってくる視線と、周りの笑い声。

 世界が狭くなり、自分一人になってしまいそうな気分。

 胸が、苦しい。

「……ごめん、私も帰る」

 席を立ち、サトミに小さく告げる。

「分かった」

 そうとだけ答えるサトミ。

 彼女の視線も、今は辛い。 

 シスター・クリスへ思いを寄せる、その眼差しは。

 避けるように顔を伏せ、ドアへと向かう。

「大丈夫、ユウ」

 モトちゃんの声に、後ろ向きで手を振る。

 何度目かもしれない笑い声を背に、私は教室を後にした。



「ん、君は」

 スーツ姿の男性が、怪訝そうに声を掛ける。

「外に、出たくて」

「警備の関係上、立ち入り禁止になってるんだけど。シスター・クリスを狙撃されたら、大変だから」

「そうですか……」

 言っている意味は理解出来なかった。  

 分かったのは、ここにはいられないという事。

「済みませんでした」

 頭を下げ、階段を下りていく。

 乾いた靴音。

 胸の中の乾きと、どう違うのだろう。

 照明の映す影が、虚ろに前を行く。

「……参ったな」

 何か呟いたようだ。

 理解出来ないので、階段を下りてゆく。

 すると目の前に、先程の男性が見えた。

 いつの間にか、私の隣を駆け下りたらしい。

「ボディチェックだけするよ」

 遠慮気味に、体のラインを触れていく。

 そして、私の後ろを指さした。



 ドアを開け、胸一杯に空気を吸い込む。

 乾きは癒されない。

 青い空と白い雲が、今は眩し過ぎる。

 自動小銃を担いだ人があちこちにいるが、あまり気にならない。

 手すりに体を寄せ、もう一度空を見上げる。

 秋の柔らかな日差し。

 眩しい……。

 視線が下がり、グラウンドや通路が見える。

 間近な熱田神宮、霞む瀬戸や多度の山々、そびえるビル街。

 その存在だけが、目に飛び込んでくる。

 何も、感じられない。

 小さな自分の体を、全てが通り過ぎていく気分。

 ため息を付いたら、近くにいた男性がこちらを見てきた。 

 同情、それとも憐憫。

 いつもなら、多少の反発を思うのかもしれない。

 私はもう一度ため息を付き、顔を手すりに伏せた。


 日が陰り、風に冷たさが混じる。

 どれだけ時間が経ったのだろうか。

 冷えた手を口元に寄せ、息を吹きかける。

 白くなるにはあまりにも早く、それで暖まるには弱過ぎた。

 力無く顔を伏せ、目を閉じる。

 分かっている。

 彼女に惹かれない人はいない。

 一目見ただけで、女の私ですら強い感銘を受けた。

 外見、その雰囲気、実績。

 国家首脳さえ従わせる聖なる修道女と、ただの高校生。

 何もかもが違う。

 人は違って当たり前だけど。

 比較の対象にすらならない。

 悔しさや嫉妬も抱けない。

 私には、ふさわしくない。

 彼女を見て思った。

 彼の隣で微笑んでいる彼女を見て。

 私が何を思っても、それは仕方ない事実……。



 ふと風が遮られる。

 肩に感じられる、大きな感触。

「風邪引くぞ」 

 はにかみ気味の、優しい口調。

 顔を上げ、言葉に詰まる。

 それ以上に照れた顔が、そこにあった。            

「立ち入り禁止だろ、ここ。入ったら、駄目なんだぞ」

 そう言って、私に掛けてくれたマントの襟を閉じるショウ。

「俺も無理矢理入ってきたから、人の事は言えないんだけどな」

「……どうして」

「ローテが交代したんだ。お役ご免って訳さ」

 屈託のない、いつもの爽やかな笑顔。

 それが却って辛い。

「……どうして」 

 同じ言葉を繰り返す。 

 本当に聞きたい事を知るために。

「そのさ、捜したんだ。サトミ達に聞いたら、途中で帰ったって言うし。それで聞き込んでいったら、小柄な女の子が屋上へ行ったって」

 伸び始めた髪をかき上げ、日差しに目を細める。

「心配させるなよ、あんまり」

 小さな、風に掻き消されそうな一言。

 側にいた私にだけ聞こえた。

「ごめん……」

 いつもこうだ。

 また迷惑を掛けてしまった。

 結局私は、この人の役には立てない。

 私より、もっと他の……。

「ただ、ユウを守るのは俺の役目だから」

「え?」

「いつもそうだったろ。中等部の頃から」

「う、うん」

 戸惑い気味に頷く。

 彼も、ぎこちなく頬へ手をやる。

「だから、俺に気を遣わなくてもって事だよ」

「だけど」

「俺が好きでやってるんだ。ユウがどう思おうと」

 風に乗り、空へ舞い上がる。

 胸の乾きを乗せて。 

 潤してゆく。


 喉まで言葉が出かかった所で、私はそれをため息に変えた。

 理由は無いけれど。

 急ぐ事はない。

 モトちゃんが前、そう言ってくれたように。

 その場の感情だけで動くのも悪くない。 

 だけど、今はこれだけで十分だ。

 この温もりだけで。


「……あのさ、そういうのはよそでやってくれるか」

 自動小銃を担いだ男の人達が、私達を取り囲む。

「え?」

「俺達、一応緊迫してるんだ」

「だから、そういうのは困る」

「青春、か」

 やや年上の男性が、遠い目で呟く。

 同時に上がる笑い声。

 顔を見合わせる私とショウ。

 そして、即座にその意味を悟る。

 た、確かに人前で話し合う内容ではなかった。

 しかもよりによって、こんな場所で。

「し、失礼しました」

 二人して頭を下げ、ドアへと走る。

 マントがたなびき、床をすりそうになる。

「これ、大きい」

「俺に後ろ持って走れって?結婚式じゃないんだぞ」

「いいから」

 強引にショウを後ろへ回らせ、汚すのを防ぐ。

 大体これって……。

「これって、シスター・クリスから預かってる物でしょっ」

「分かったら、早く走れよ。本当に摺るぞ」

「あーっ」

 感慨も恥ずかしさも全てを置き去りにして、私は屋上を駆け抜けた。

 今なら、ニャンにも余裕で勝てる……。



 何となくいい気分でオフィスのドアを開ける。

「こんにちはー」

「何が、「こんにちはー」よ」

 醒めた緯線が飛んでくる。 

 机に頬杖を付いているサトミから。

「だって、お昼が近いじゃない」

「そうですか」 

 素っ気ない反応。

「愛想無いわね」

「それはさっきの自分でしょ。人と目も合わせないで」

「は、はは。もう大丈夫、大丈夫」

「見れば分かるわ。ユウの事なら、何でも」

 眼差しは暖かい。

 そうして、いつも私を見守ってくれている。

 きっと、私が教室を出ていた時も。

「それで、ユウはどうしてマントを羽織ってるの。それ、ショウ君のでしょ」

「寒いから。今はいいんだけど、屋上がちょっとね」

「そうですか」

 さっきのサトミと同じ事を言うモトちゃん。

「一体、何があったんだか」

「別に、何もないよ。ねえ」

「ああ」

「そうですか」

 やはり沙紀ちゃんも。

 止めてよね。


「さて、これからどうする?」

「警備に戻れば。移動中は、ガーディアンが警備する事になってるんだから」

「面倒だね」

「そういう事言わないの。彼女を護衛出来るという……」

「遠野ちゃん、もういいって」

 全員の意見を代表する沙紀ちゃん。

「嫌な子達。私は、委員会へ戻るわ。そっちの方は、さすがにお飾りじゃないから」

「私も付き合う」

 サトミの視線を感じたらしく、モトちゃんが棒読みで追随する。

「頑張ってー」

「丹下さんは、指揮に戻らないの」

「私がいなくても、全ては滞り無く進行しています」

 沙紀ちゃんはI棟Dブロック全体を統轄するポジションにいる訳だけど、今日は先輩に任せてきたとの事。

 確か、山下さんと阿川君。

 どちらかが、Dブロックの副隊長だと思った。 

「私は後からDブロックに来たんだし、こういう時は遠慮してもいいかなと思って」

「栄誉を譲るって?」

「まさか、先輩に甘えてるだけよ。元野さんだって、警備して無いじゃない」

「私も、先輩にお願いしてあるから」

 モトちゃんの方は、実際に気を遣っているようだ。

 多分、木之本君も頑張ってるのだろう。

 本当、いい子だ。

 でも、うちの悪い子がいないな。

「ケイ君だったら、面倒事から逃げたって言いそうだけど」

「あいつ、寮に帰ったんだって。何やってんだ」

 だけど、舞地さん達も帰ったんだよね。

 合理的という点では似てる両者。

 でも、それ以外では全然違う。

 それこそ、何もかもが。

 なのに、彼等とは気が合ってる様子だ。

 特に柳君とは。

 騙されてないかな、彼。

 一度、舞地さんに相談しよう。

 今なら傷は浅いですよって。 


「……ん」

 端末を取り出すショウ。

「……ええ。……いえ。……でも、俺のローテは。……そうですか。……問題がなければ。……はい。……はい」

「どうしたの」

「再呼び出し。シスター・クリスが食事するから、付き合えってさ」

 食事、呼び出し。

 何だろ、一体。

 私の疑問はみんなの疑問。

「さっき隣に座ったのを、呼んで欲しいって。俺が言ったんじゃないからな」

「当たり前でしょ」

 みんなを代表して突っ込む私。

 ふーん、御指名か。

 ショウを見れば、そうしたくなるのも分かるけど。

 そうですか。

「大変ね」

 ショウにではなく、私へ視線を向ける沙紀ちゃん。

 ドアを出ようとしていたサトミとモトちゃんも。

「礼儀作法とか、大丈夫かな」

 私の呟きに「そういう事じゃない」、と目で語るみんな。

 分かってる。

「大丈夫、だよね」

「ん、ああ。いざとなれば、向こうの真似すればいいだけだろ」

 とんちんかんと言われても仕方ない会話を交わす私達。

「あなた達が、そういうなら」

 懸念半分、笑い半分で去っていくサトミ達。

 沙紀ちゃんはポニーのリボンを結び直し、首を振っている。

 本当、大丈夫。

 多分。


「玲阿君も早く行ったら」

「丹下さん達も一緒に来たらどうだ」

「遠野ちゃんじゃないけど、おそれ多い。それに、私達は同席出来ないわ」

「いや。友人の方も、よろしければどうぞって。サトミは断ると思って、言わなかったんだけど」

 え?

「優ちゃん、頑張って」

「やだ。死なばもろともよ」

 がしっと腕を掴み、絶対逃げられないようにする。

 いくら何でも、一人で行くなんて心細過ぎる。

 でも、この胸があれば一安心だ。

 母の懐に抱かれるような気分。

 うちのお母さんは、こんなに大きくないけどね。

「あ、あの優ちゃん。何してるの」

「気にしない気にしない」

「何やってるんだ、二人とも。行くぞ」

「はーい」 



 という訳で、食堂へやってきた。

 生徒用ではなく、来校者でもVIPのみに使用される非常に立派な所。

 広い室内、落ち着いた装飾と調度品。

 高級レストランの個室という佇まいで、いい感じ。

 時間的にはまだ早く、それ程お腹は空いていない。

 それ以前に、周囲の人達に圧倒される。

 食事という事で遠ざけられているけれど、その眼差しが普通じゃないから。

 シスター・クリスのお供である、修道会の幹部達。

 彼女達を守る、財団のSP。

 一応生徒の振りをしている、幼い顔立ちの人達を集めた軍や警察関係者。

 正直、食事をしたくなる雰囲気ではない。

 荘厳さとはまた違う、静かな重さが漂っている。

 テーブルにはエスコート役の会長、歓待委員会のメンバー。

 かなりの倍率をくぐり抜けて、彼女とお相伴する事が出来た幸運な生徒。

 そして、シスター・クリスとその取り巻き。

 彼女は、勿論テーブルの中央。

 右に会長、正面にショウ。

 ちなみに私は、彼の隣。


「き、緊張する」

 小声で、隣にいる沙紀ちゃんに呟く。

 大きい二人に挟まれているので、私はますます小さく見えるだろう。

「わ、私だって」

 少し声が震えている。

 でも、表情は笑顔。

 さっきなんて「お目通りがかない、光栄に存じます。またお招きもなく、席を同じくする事をお許し下さい」

 とか言って、優雅に座ったからね。

 私も同じ様な事言ったけど。


「もし……」

「は、はい?」

 声が裏返りそうになった。

 柔らかい、光のような笑顔。      

 シスター・クリスが、私を見つめている。

 な、何だろ。

「よろしければ、どうぞ」

 差し出される、パンの切れ端。

 彼女が朝食で出された物を、取っておいたのだ。

 質素倹約を旨とする人達なので、今日の昼食はこれらしい。  

 当然私達もがつがつ食べる訳にはいかなく、同じ様なパンと牛乳。 

 せいぜい、バターやマーマレードがあるくらいだ。

 後はチーズが少し。

 私の所でかごに入れていたパンが無くなったので、気を遣ってくれたらしい。

 待っていれば追加は来るんだけれど、彼女の行為はそれとはまた違う意味を持っている。

「あ、ありがとうございます」

 両手で、食パンの切れ端を押し頂く。

 ショウと沙紀ちゃんが、必死で笑いを堪えているのが分かる。

 よく見ると食べ差しなので、余計笑う二人。

「私の食べかけで失礼とは思いましたが」

「い、いえ」

 サトミなら、涙を流すような品ですよ。

 とは言わず、お皿に載せる。

 出来る事なら、あの子のために持って帰りたい。

 食べるのが嫌とか言う理由ではなくて。


「どなたかの、妹さんですか」

「いえ。私に兄弟はいません」

「すると、中等部から一人でいらしたんですか」

 真顔の問い掛け。

 何が、中等部?

 誰が、中等部?

 何故、中等部?

「あ、あの。紹介が遅れましたが、彼女は私と同級生です。そちらにいる彼女も」

 歯を食いしばり、丁寧に説明するショウ。

 沙紀ちゃんはぷるぷると震えている。

 それが緊張のためでないのは、はっきりとしている。

「そうですか。失礼致しました。あまりにも可愛らしいので、てっきり」

「いえ、良く間違えられますので」 

 全く悪気のない、限りなく純粋な笑み。

 こっちもぎこちなく頭を下げ、「あー」と心の中で叫ぶ。

 ちなみに「可愛らしい」とは、外見よりも体格だと思う。

 今までの、経験上。


 はっきり言えば、何を食べてるのかも分からない。

 分かるのはせいぜい、甘いとか熱いくらいだ。

 シスター・クリスは神様と自分達の関係について、丁寧に話をしてくれる。

 緊張と馴染みのない内容に、「はあ」としか答えられない私。 

 生徒会長は「ゴスペルはトランス状態と……」、「存在を認識するのではなく、そうであると……」、「マタイによる福音書の28章ですが、後半は後世の付け足しだと……」

 などと、十分に理解してさらに質問までしている。

 新カリキュラムは伊達じゃない。

 しかも知識だけではなくて、皮肉めいた冗談を挟むのも忘れない。

 これは生まれついての性格だろう。

 何にしても、すごい。

 改めて見直した。


「そうですね。解釈ではなく、共にあるという確かな事実。無論そうでない方には理解し辛い概念でしょうが、ただ言えるのは……」

 熱弁を振るっていたシスター・クリスの腕が、水の入っていたグラスに触れる。

 倒れるグラス。

 水がテーブルを濡らし、彼女の方へと伝っていく。

「あっ」 

 慌てて立ち退くシスター・クリス。

 幸い、軽く水滴がかかった程度のようだ。

 周りにいた人達が、彼女へ渡すハンカチを取り出そうとしている。

「済みません、つい……」

 手で水滴を払おうとしている彼女に、ハンカチが差し出される。

「え、ですが」

「お気になさらずに」

 彼女の手へ、そっとハンカチを置くショウ。

「済みません」

 シスター・クリスは小さく会釈をして、丁寧に水滴を拭った。

「……可愛いですね、これ」

 ハンカチをテーブルへ広げ、その隅を指さす彼女。 

 小さな刺繍が施されている。

「клевер。幸運を呼ぶという、四つ葉ですね」

「ええ」

 するとシスター・クリスはそのハンカチを胸元へ持っていき、小首を傾げた。

 妖精でもそこまで可憐では無いという、愛くるしい笑みと共に。

「よろしければ、これを頂けませんか。無論、代わりになる物を差し上げるという上でのお話ですが」

 周りから、感嘆の声が漏れる。

 彼女に所望されるという事が、どれだけの意味を持つのか分かっているのだろう。

 しかも、それに代わる物まで下さるという。

 言ってみれば、身に余る光栄。

 それこそ、喜捨の心を持ってその申し出を受けるべきだ。

 少なくとも室内の雰囲気は、そうなっている。

「……申し訳ありませんが、それは致しかねます」

 丁寧に頭を下げるショウ。

 空気が、一気に凍り付いた。


「あなた。せっかくのお申し出を断るとは、どういうつもりです。彼女は物質的な価値から、今のお話をした訳ではありませんよ」

「お考え直しなさい」

 流暢な日本語を操る、青や茶の瞳の修道女達。

 思わず威圧され、ただひれ伏してしまいそうな。

 神々しさと、強い意志。

 人を導く崇高さが、形を変えて向けられる。

「申し訳、ありません」

 しかし、あくまで頭を下げるショウ。

 さらに彼を責めようとした幹部達を、シスター・クリスが手で制する。

「私のわがままだったようですね。これは、お返しいたします」

「ありがとうございます」

 丁寧にたたまれたハンカチを、ショウはもう一度頭を下げて受け取った。

「……私にとって、大切な人から貰った物なので。お申し出を断るのは失礼と承知でしたが。どうか御容赦下さい」

 落ち着いた、真摯な語り掛け。

 卑屈さも、緊張も何もない。

 ただその気持を、素直に伝えるショウ。

 与えこそすれ、人の物を所望するはずのない彼女の申し出。

 それを断る事が、どれほどの意味を持つのか。 

 幹部達の眼差しを見ていれば、一目瞭然だ。 

 まるで彼を悪しき者とでもいうかの様に、見下している。

 その政治的影響力から、大国の国家首脳ですら恐れるという彼女達が。

 だけどショウは、態度を変えない。


「……あなたが謝られる必要はありません。先程も申しました通り、私のわがままなのですから」

 優しく語りかけてくれるシスター・クリス。

 ただその表情には、微かな揺れが見られる。

 彼女自身、それには気付いていないだろう。

 きっと、今まで殆ど無かったのだと思う。

 自分の申し出を断られるなんて。

 それが、小さな苛立ちとなって現れている。

 みんなもそれに気付いているのかどうか。

 何も言わないのは、どういう意味なのか。


 声なき私の疑問に答えるはずもなく、シスター・クリスが口を開く。

「ところで、これはどうして四つ葉なのでしょうか」

 ハンカチを指さし、小首を傾げる。

 言葉に詰まるショウ。

 私も、勿論何も言えない。

「……彼の名は四葉。つまり、четырелйстныйと掛けてあるのでしょう」

 すると流暢な発音を交え、会長が説明をし始めた。

「ご承知のように、四つ葉のクローバーは幸せの象徴。刺繍を施した人は、そんな意味を込めたのだと思います。彼に幸せであってほしいと。一針一針に、思いを込めて……」

 シスター・クリスは深く頷き、瞳を閉じてテーブルの上で指を組んだ。

 他の幹部、つまりはシスター達も黙祷する。

 それはともかく、私はその隣を眺め見た。

 優雅な仕草でティーカップを傾けている生徒会長を。

 まるで見てきた様な事を、さらりと言ってくれた。 

 勿論私もショウも、彼には何も告げていない。

 まして彼が、何かの情報網を使った訳でも。 

 この人の事を、私は殆ど知らない。

 でも少し、彼の事が分かった気がする。


 それと、もう一つ分かった事がある。

 改めて言われると、結構恥ずかしいなと。

 頬の熱さに心地よさを感じながら、私はショウをちらりと見上げた。

「だって」

「さあね」

 訳の分からない会話を交わす私達。

 勿論私は、その意味を分かっている。

 そして彼も、きっと。

 それは私の希望だろうか、それとも。










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