38-10
38-10
自警局へ戻ったところで、サトミに出迎えられた。
でもって、床を指さされた。
「汚れてるの?」
「座ったら」
「床じゃない」
「他に、座る所はある?」
あるって、見るまでもなく椅子はいくつだってある。
床に座る理由は何もない。
ただ、彼女には座らせたい理由があるようだが。
「また、活躍したみたいね」
「別に、何も」
「スタンガン、調子良い?」
さすがに耳が早いな。
というかいつも思うけど、どこから情報が漏れてるのかな。
つい隣を見るが、そこには格好良い顔があるだけの事。
それに少し見入り、首を振る。
間違えても告げ口をする人ではないし、多分そういう発想自体無い。
というか、正座しないでよ。
「……あなたは座らなくていいの」
「初めからそう言ってくれ」
「何も言ってないでしょ。ただ、真似でも蹴らないで」
「好きでやった訳じゃない。多少のデモンストレーションは必要と思っただけだ」
これはショウらしくないというか、意外な発言。
力の見せ方。
使い方を、彼なりに分かってきているようだ。
「私だって、当ててないわよ」
「服が焦げたって」
「燃えるより良いじゃない。大体20人くらいで押し寄せてきて、黒沢さんを一方的に責めてるんだよ。それを見過ごせっていうの?そんな事、出来る訳無いじゃない」
床を踏みつけ、怒りを露わにする。
今になってあの光景が思い出され、もう一暴れしたい心境。
とはいえ当たる相手が見つからず、壁を拳で叩き続ける。
「あー」
「もう、止めて」
「だって。あー、あー」
怒りは収まらないが、拳が痛くなったのでさすがに止める。
何が馬鹿馬鹿しいって、自分の行動全てだな。
「それで、どうだった」
苦笑気味に近付いてくるケイ。
結果はすでに分かってるだろうが、一応私の口からも聞きたいようだ。
「あんなの改革派でも何でもない。単に黒沢さんが気にくわないだけでしょ。もう絶対に許さない。絶対に。ああいう連中は」
「分かったよ、もう。ただ、意見としては俺達寄りなんだ。それは覚えておいてくれ」
「覚えたくもないし、関わりたくもない。あー」
「話にならん」
ため息を付き、首を振るケイ。
しかしこちらは未だに怒りが収まらず、それを爆発させないだけで精一杯。
というか何か無いと、本当に怒りが吹き出しそうだ。
吹き抜ける涼しげな風。
ドアが開き、綺麗に日焼けした少女が満面の笑みで飛び込んでくる。
「ユウユウ」
私の腕を取り、そっと体を寄せるニャン。
私も彼女の体を抱き寄せ、懐かしい感覚に浸る。
小等部の頃は、もっと普通に触れあっていたなと思いながら。
「ありがとう」
飲んでいたお茶を吹き出すケイ。
ニャンはそんな事は構わず、私の顔を覗き込んできた。
「黒沢さんを助けてくれて」
「別に、お礼を言われる事でも」
「ユウユウ達は、改革派寄りというか。そっち側の意見だと思ってたから」
「私は黒沢さん寄りの意見なの」
もう一度軽く抱き合い、くすくすと笑う。
このぬくもり、この笑顔。
私の判断は間違っていなかったと、今こそ思う事が出来る。
ただ気になるのは、青木さんがいない点。
少し不安を覚えつつ、その事を尋ねてみる。
「ああ。彼女は、内局に出向してるから。向こうにいる事も多いの」
「意見としては?」
「言うまでもないでしょ」
そっと触れられる頬。
その手を握りしめ、心の底から安堵する。
仲間が別れ、仲違いする事こそ悲しい話はない。
そうならなかった事に、今はただ喜びたい。
「感動してる所悪いけどさ。俺達、改革派寄りなんだ」
陰気に告げるケイ。
ニャンはだからという顔で、彼を見る。
「俺が間違ってるとか言いたい?」
「意見としては合ってるんじゃないの。ただ、人間としてどう?」
「おい」
「自警局の立場や意見には賛成する。ただ、SDC内の改革派は名前だけ。協力するに値しない」
きっぱりと言い切るニャン。
それを聞いたケイは表情を薄くして、彼女に聞き直した。
「値しない?黒沢さんも同じ意見?」
「間違いない」
「ああ、連中は敵と見なして良いんだ」
論理の飛躍ともとれる発言。
ニャンが曖昧に頷くと、ケイは酷薄に笑って頷いた。
「それならこっちもやりやすい。木之本君、反黒沢派のリストは」
「あるけどね」
「大丈夫。悪い事には使わない」
苦い顔でリストを渡す木之本君。
根本的に日本語を間違えてる気もするが、それは今更指摘しても始まらない。
「少し楽しくなってきたな」
「何をする気」
目を細め、静かに尋ねるモトちゃん。
ケイは軽く笑い、リストを振った。
「敵なら、それ相応の対応を取るだけさ」
「改革派と協力するんじゃなかったの」
「値しないんだろ。だったら、仕方ない」
何が仕方ないか知らないし、どうも彼に都合良く利用された気がしないでもない。
ただあの連中と協調してやっていくよりはましで、この際は目をつぶるしかないか。
陰気な笑みを浮かべている男から離れ、ニャンを見送りに教棟の外へ出る。
日差しは依然として強烈で、じっとしていても汗が噴き出てくるくらい。
この中を走るなんて、私には到底不可能だと思う。
「今日も練習?」
「試合もあるし、日々練習よ」
「偉いね」
「黒沢さんや青木さん達みたいな事も出来ないし、私は走るだけで精一杯だから」
自嘲気味な発言。
その走る事だけで十分すごいんだけど、それは私の主観。
彼女からすれば、黒沢さん達を手伝えない自分への苛立ちやもどかしさを感じてるかも知れない。
「大丈夫。ニャンの分は、私が頑張るから」
「ありがとう。でも、程々にね」
「何よ、程々って」
「言った方が良い?」
くすくすと笑い逃げるニャン。
その後を追いかける私。
日差しは強く、伸びる影は濃い。
それでも風は少し乾き始め、空も高くなっている。
そんな青空に、私達の足音と笑い声は登っていく。
……はしゃぎすぎた。
結局ニャンに付き合い、炎天下の中100走を3本。
今すぐ倒れてもおかしくはなく、冷たいお茶を飲んでも体は火照ったまま。
サトミが何か言ってるが、半分も耳に入らない。
「熱中症は大丈夫なのね」
「だと思うよ」
「体温計は」
苦笑気味に体温計を差し出す木之本君。
サトミは私の耳元の髪をかき上げ、センサーを耳に差し入れた。
「……少し高いわね」
「平熱だろ」
数値を読み取り、鼻を鳴らすケイ。
サトミは彼を睨み付け、やたら大きいペットボトルを目の前に置いた。
「全部飲みなさい」
「冗談でしょ」
笑ってみるが、反応無し。
だけど飲みなさいって、これは私が一週間掛けて飲み干すくらいの量じゃないの。
もしくは、私の体を構成する水分と同量かも知れないな。
当然一人では飲みきれず、ペットボトルはショウに譲る。
「……何してるの」
「飲めば良いんだろ」
3Lのペットボトルを抱え、そのまま飲み出すショウ。
別に悪くはないけど、良くもないと思う。
行儀以前の問題だな、これは。
「あーあ」
とはいえ暑いのは確か。
という訳で、それとは別にアイスを食べる。
クリーミーさとひんやりした口当たりが、体の熱や疲れを一気に消し去る感じ。
実際そこまで簡単な事ではないにしろ、気分的にはそんな所。
まだまだ夏は終わらないようだ。
「お茶はどうしたの」
変なチェックシート片手にやってくるサトミ。
もしかして、ノルマがあるんじゃないだろうな。
「飲まないわよ、もう。大体、あんなに飲めないって」
「飲むか飲まないかは、私が決めるのよ」
また訳の分からない事を言い出したな、この人は。
それでも仕方ないと思ってショウに目を移すと、ペットボトルは半分くらい飲み干されてた。
馬でも、もう少し控えめだと思うけどな。
「全部飲む気?」
「飲んで良いなら」
軽く答えられた。
とはいえお腹が膨れる訳でもなく、実際まだまだ入る様子。
まあ体重だけで私の倍以上。
必要なカロリーや栄養、水分も桁違いなんだと思う。
一気に飲み干す必要があったかどうかはともかく。
さすがにこれを傾けるのは危険なので、グラスにお茶を注いで飲む。
間接キスだな、分かってたけど。
そう思うと何とも照れるというか、にやけるというか。
取りあえず、ささやかな幸せをしばし楽しむとしよう。
グラスへ口を付けようと思ったところで、テーブルの上にあった端末が着信を告げる。
何ともタイミングの悪い。
もしくは、嫌な予感をさせる間。
正直今は出たくないが、着信音が鳴りやむ気配もない。
「出ないのか」
やいやいとうるさい端末を指さすショウ。
ため息を付き、通話ボタンを押して端末を耳へと添える。
「はい。……え?」
いきなり秘書を名乗る相手。
ヒカルがいれば、夏休みですかとでも言う所か。
さすがにそんな事は言わず、ただあまり聞きたい肩書きでもない。
少なくとも身近に秘書は存在せず、親しい関係。
もしくは、友好的な相手とは思えない。
「はぁ。……分かりましたけど。……はぁ」
通話を終え、テーブルの上にあった学内の簡素な地図を広げる。
出来れば一生迷っていたいが、そんな訳にも行かないか。
どちらにしろ迷いそうなので、この際地図片手に学内を歩く。
そんな生徒はどこにもおらず、これでは転校したてか見学者といった雰囲気。
ただ到着が遅いとあれこれ言われる可能性もあり、出来るだけ早足で歩いていく。
さすがに地図があれば迷うなんて事はなく、すぐ目的の建物に到着。
だからといって常に地図を持って歩く真似もしたくなく、この辺はもどかしいな。
スーツ姿の職員だか教員の間をすり抜け、先を急ぐ。
すでに案内板があちこちにあり、この先は地図も必要なさそう。
地図が間違っていなければの話だが。
「優ちゃん」
不意に声を掛けられ振り向くと、天崎さんが立っていた。
この人も、まだここに詰めているようだ。
「元気そうだね」
「おかげさまで。校長室って、この先ですよね」
「ああ。間違いないよ」
別に、間違えてるとは言ってない。
この辺は、日頃の信用をつくづく考えてしまうな。
「私も用事があるから、一緒に行こうか」
「お願いします」
天崎さんの案内で、校長室へと到着。
さすがに彼と言えども勝手に中へ入る訳にも行かず、ドアの前で許可を待つ。
「校長に用事でも?」
「私は何も無いですけど、向こうはあるみたいですよ」
「なるほど」
軽く笑う天崎さん。
私からすれば笑いごとではなく、サトミでも連れ来れば良かったと思うくらい。
ただ話では、私一人で来いとの事。
この辺がすでに、面白くない。
ようやく中へ通され、秘書らしいスーツ姿の綺麗な女性に挨拶をされる。
「雪野さんですね。校長がお待ちしております」
待たなくも良いけどね。
とは言わず、こちらも儀礼的な挨拶をして彼女に続く。
天崎さんは、私の後ろから。
まさかと思うが、逃げないようにしてるんじゃないだろうな。
「校長、雪野さんをお連れしました」
「ありがとう」
椅子から立ち上がり、ゆとりのある笑みを浮かべる理事長。
いや。今はそう呼ばれているように、校長か。
名前は村井。
じゃなくて、高嶋。
「高島瞳よ」
自分から名乗ってくれる校長。
その校長が何の用かと思いつつ、応接セットに座るよう勧められる。
出来れば立ち話の方が嬉しく、ゆったり話し込みたくはない。
とはいえ天崎さんはすでに席へ着いた後。
校長も腰を下ろし、私が座らない理由は存在しない。
「何か、私に用事でも」
「妹から色々聞いてるけど。まだ、暴れてるみたいね」
結局これか。
ただ決して間違えてもいなく、誤解とは言い切れない。
言い切れないが、暴れている理由自体を否定されたくもない。
「私はこんな学校に戻ってきたつもりではありません」
「どんな学校に戻ってきたつもりか知らないけど。まずは現状を認める事ね」
「認めてますよ。でも、規則規則規則って。こんなの、前の嫌な時と同じじゃないですか」
「同じではないし、生徒からの同意も得てる。反対意見を述べてるのは、あなた達の仲間だけよ」
「だったら、その仲間が正しいんでしょう」
飲んでるお茶を吹き出しそうになる校長。
しかしこちらは間違った事を言ってるつもりは微塵もない。
別に、自分達の全てが正しいとは思わない。
でも前の戦いで私達が支持を得た理想と、今の学校の現実はあまりにもかけ離れている。
それは学校を離れていた私が、記憶を美化しているからだけではない。
もしそうなら、モトちゃん達が現状に対して否定的な理由がない。
「つくづく困った子ね」
私ではなく、天崎さんに視線を向ける校長。
ちなみに彼の娘は、元野智美。
母方の旧姓を名乗ってはいるが、血縁上も戸籍上も彼の娘。
そして私達のリーダーといえば、彼女以外にない。
「娘に問題があるとでも?」
いつになく、感情を込めた口調。
この人も人の親なんだな、としみじみ思う。
「天崎先生には言いにくいのですが。彼女が扇動していると申し出る職員もいますので」
「それはないだろう」
無い訳がないでしょう。
などと、学校では彼より身近にいる自分は思う。
ただそこは親の欲目。
子供可愛さとでも言おうか。
それ自体は、むしろ微笑ましくも思える。
親だったらまずは自分の子供を信じて、かばってほしい。
今はもういないあの理事と息子しても、その点は共感出来ていた。
だからといって、頭ごなしに何でもかばっても意味はないが。
校長は苦笑気味に顔を緩め、ため息を付いて背もたれに崩れた。
「以前は経営を中心に見ていましたが、今は学校運営全般が私の職務です。生徒個人の行動にまで口を出す気は無いですけど、全てを見過ごす訳にも行きませんから」
「そこまで娘が問題だと?」
少し不安げな声を出す天崎さん。
校長は首を振り、汗をかいているグラスに手を伸ばした。
「規則を逸脱した行動を起こしたり、一部職員の言う扇動をしている訳ではないようです。あくまでも全体のとりまとめ役ですね」
「だったら、問題はないと言う事かな」
「無いとは言えないんですが。取りあえず、保留です」
曖昧な結論を出す校長。
ただ天崎さんはそれで納得したらしく、席を立った。
もしかして、この人も呼び出された口か。
「私は、もう帰って良いのかな」
「見捨てるんですか」
「え」
ぎょっとして私を見てくる天崎さん。
どうやら自分の事。
もしくはモトちゃんの事に精一杯で、私の事は気付いてなかったようだ。
「天崎先生はお引き取りを。彼女とは、私一人で」
「そういう事らしい。優ちゃん、またね」
それこそ逃げるように去っていく天崎さん。
この件こそ、保留にしておきたいな。
という訳で、校長と一対一。
いや。別に戦う訳ではないが、状況としてはそうなってしまう。
間を保つためにグラスを手にして、口を付ける。
そう言えば、さっきのお茶はどうなったかな。
まさか捨てられたとか。
それとも、誰かが代わりに飲んでるとか。
なんか、今すぐ帰りたくなってきた。
「……聞いてるの」
「え」
気分的には廊下を全速力で走っていた所。
だけどここは、未だに校長室。
私の体は、わずかにもこの場を離れていない。
「目の調子は」
「ああ。大丈夫。普通に見えてます」
暗くなる事は、この半年殆ど無かった。
つくづく以前は、ストレス掛かっていたんだとと思えてくる。
後は時間の経過も、大きな理由の一つ。
各数値も少しずつは回復してきて、不調は脱却しつつある。
「それでも暴れるの?」
気を遣ってもらって喜ぶのもつかの間。
話はすぐに、元に戻った。
だけどこれって、個人的に呼び出して聞くような事なのか?
「意味もなく暴れ回ってる訳じゃありません」
「意味があれば暴れて良い訳でもないでしょう。今の学校に合わせた行動を取りなさい」
「合わせたって。合わせるって。合わして何を」
一瞬にして怒りに火が点き、しかし言葉が空回りする。
とにかくそれは納得がいかず、グラスを力一杯握りしめて怒りを逃がす。
幸か不幸か私の力ではグラスはびくともせず、それを割って怒りの度合いを示す事は出来ないが。
「現状を受け入れられないからこそ、モトちゃん達は活動してるんですよ。私みたいに復学した人間ではなくて、学校に残った人達が」
「だから天崎先生にも注意をしたの」
「……退学にするとか」
思わず声が低くなり、少し首をすくめてしまう。
何よりこちらは、前科一犯。
今何が聞きたくないって、退学という言葉を聞きたくない。
ただ校長は首を振り、それを否定した。
「退学にする程の事ではないわ。今は」
「将来的にはあるって事ですか」
「前みたいに破壊活動をしなければ、大丈夫でしょ。停学は分からないけど」
助かったのか助かってないのかよく分からない話。
とはいえさすがにあそこまでの事をする理由はないし、そこまで力尽くで押さえられてる訳でもない。
取りあえず、退学の危機は脱したと見て良いだろう。
席を立ってドアに向かって歩き出すと、低い声で呼び止められた。
「誰が帰って良いと言ったの」
「だって、話は終わったでしょう」
「……それを、どうしてあなたが決めるの」
それもそうだ。
しかし今更座る気にもなれず、出来るだけドアの方に体を向ける。
「あなたは、落ち着くという事を知らないの」
「落ち着いてますよ。いつだって」
これこそ誤解というか、勘違いというか。
私だって子供ではないし、いつまでも無軌道な行動ばかりしてる訳ではない。
と、自分では思う。
「……ええ、お通しして」
「じゃあ、私はこれで」
「だから、誰が帰って良いと」
「お客さんが来たんでしょ。それなら、私は帰っても」
走りかけた所でドアが開き、老人が一人入ってきた。
鋭い眼光と、威厳ある佇まい。
体格は決して大きくはないが、存在感は十分に感じさせる。
それに、どこかで見た顔だな。
「お祖父様。何かご用でも」
「学校の様子を観に来ただけだ」
「案内の者を呼びます」
「すぐ帰るよ」
だったら私もと思い、ドアへと向かう。
校長が後ろで叫んでいるが、もう聞こえない。
まさか、こんな事で退学になるとも思えないし大丈夫だろう。
多分。
歩くたびに、後ろから足音。
止まると止まり、動くと聞こえる。
お化けではないと思うけど、振り返った先に一つ目小僧がいても困る。
いないのは分かっているが、万が一という事もある。
「おい」
「ひゃっ」
突然の呼びかけに思わず跳び上がり、空中でスティックを抜いて身構える。
天井にぶつかるかと思ったよ、一瞬。
「猫か、お前は」
後ろにいたのは一つめ小僧でもなければ、すねこすりでもない。
和服姿の老人だった。
まさかと思うけど、ぬらりひょんじゃないだろうな。
「久し振りだな」
お化けに知り合いはいないし、いて欲しくない。
いや。目の前にいる人が、お化けならの話だけどね。
「どちら様ですか」
「……覚えてないのか」
覚えてるも何も、人の顔を記憶するのは苦手。
ただそう言われてみると、どこかで見た気はしないでもない。
考える事しばし。
ふと、さっきの会話が思い出される。
「ああ。この学校の創業者」
そう言えば、前に何度か会ったかな。
あまり、思い出したくない記憶もあるような気はするが。
「案内してくれ」
「私、忙しいんです」
この人の孫娘は、明らかに鬼門。
そうなれば、この人も多分同類。
近付かないに限る。
そう言って逃げてみるが、やはり後を付いてくる。
このまま撒きたいが、そうすれば迷うのは必至。
仕方なく、真っ直ぐ自警局へと向かう。
「無駄に広いな、この学校は」
「じ、自分が作ったんじゃない」
「わしが設立した頃は、普通の高校だった。意味があるのか、この規模は」
「孫に言ったら、孫に」
これでも前に比べれば、半分の広さ。
確かに、広いのは間違いないけどね。
「余ってるなら、ちょうだいよ」
「孫に言え、孫に」
そのまま返された。
別に半分とは言わないけど、緑が多いところの隅っこくらい譲ってくれても良いと思う。
何が良いのかは知らないけどさ。
自警局へ付いたところで、サトミに出迎えられた。
だけど後ろに付いてきた創設者を見ても、特に反応はない。
少し笑顔が鋭くはなったけど。
「何か、ご用ですか」
「学校を見てみようと思ってな。生徒会か、ここは」
「ちなみに生徒の自治が保たれていますので、それを踏まえてお入り下さい」
「自治?そんな物……、大切だな。ああ、大切だ」
汗を垂らして言い直す創設者。
何をやってるんだか、一体。
「誰か、お茶をお持ちして」
「ただいま」
卑屈な笑みを浮かべ、お茶を運んでくるケイ。
毒でも盛ってないだろうな、まさか。
彼の本性を知らないからか、特に疑う様子もなくお茶をすする創設者。
突然呻いたり倒れたりする事はなく、至って普通。
大丈夫だろう、多分。
お爺さんは彼女達に任せておいて、自分はさっきのお茶を探す。
「……お茶は」
「飲んだ」
空のペットボトルを振り回すショウ。
よく飲めたな、あんな量。
「グラスのお茶は」
「飲んだ」
それ以外の言葉を知らないのか。
「まあ、いいや」
さすがに体も冷えてきて、怒ったせいか意識も覚醒してきた。
そう思った途端、足下がふらつきだるくなる。
怒りすぎて、体調の変化に気付かなかったらしい。
念のため目の前に手をやり、視力を確認。
幸い暗くはなっていなく、その点では安心する。
「大丈夫か」
慌てて駆け寄ってくるショウ。
大丈夫と言う前に体を抱き寄せられ、そのまま彼に抱きかかえられた。
「あのさ」
「目は」
「それは大丈夫。暑い中うろつき回ったのが良くなかったみたい」
「水だな」
私を抱え、キッチンへ向かうショウ。
でもって冷蔵庫からお茶を出し、グラスに注いで氷を入れた。
「飲めるか」
「そこまで弱ってはないよ」
両手でグラスを持って、まず一口。
体の奥に染みこんでいく冷たさ。
彼の優しさも含めて。
そのまま医療部へ連れてこられ、医師の診察を受ける。
「……軽い熱中症ですね。良ければ、点滴を打ちましょうか」
何も良くないので、それは断る。
でもって、やはり水を飲むよう指示をされる。
「しばらく病室で休んでいて下さい。後、目の方は?」
「普通に見えてます」
「一応、夜にでも第3日赤へ行って下さい。大丈夫とは思いますが、念のため」
久し振りに、定期検診以外にか。
でもって、良くない兆候だ。
草薙高校に戻って、少々調子に乗っていたのかも知れない。
これも久し振りな、医療部の病室。
無機質な白い壁と白いカーテン、綺麗なシーツ。
どうしても鼻を突く消毒の香り。
ベッドサイドに腰を下ろし、よく冷えたお茶に口を付ける。
草薙高校に戻って数日。
いくつもの出来事が立て続けに起き、それも影響しているのだろう。
感情の高ぶりと、環境の変化、そして精神的肉体的な疲労。
サトミではないが、落ち着く事も必要か。
ただこうして一人きりになるとあれこれ考えしまい、それはそれであまり良くない気もする。
どうしても思考が内向きになり、気分が沈んでくる。
勿論普段でも一人きりになる機会はあるが、病院というのが良くない。
とはいえ飛び出す訳にも行かず、ここにいるのも自分の行動が原因。
自業自得だ。
気付けば窓の外は茜色に染まり、病室にも夕日が差し込んできた。
元々白一色の部屋だけに、室内もその色にすぐ染まる。
完全に日が暮れれば暗闇に落ち、朝日が昇ればまた白に戻る。
その時々によって移ろい、変わる。
だけど元々の、白い色自体が失われた訳でもない。
私もそうでありたいとは思うが、それは理想。
今の学校の変化にすら、私は付いていけないし馴染めてもいない。
完全にそれへ逆らいきる事も出来ない。
自分の限界をどうしても感じてしまう。
少し休んだせいか、軽くなった。
その分、意識に上乗せされた気分。
ベッドサイドに座っていると、看護婦さんが病院を訪れた。
「体温を測りますね」
耳の穴に体温計を添える看護婦さん。
体温は正常らしく、端末で連絡が取られる。
「退院して良いそうです。荷物を忘れないようにして下さいね」
「あ、はい」
荷物はここには何もなく、空になったペットボトルだけ。
それは看護婦さんが持って行ったので、結局は何もない。
自分は、体一つで帰るだけだ。
夕暮れの学校を歩き、ふと猫とすれ違う。
日が暮れて涼しくなった分、彼等には過ごしやすいのかも知れない。
悩みがあるのか無いのか、気ままに歩くその姿からは分からない。
仮にあったとしてもそれは私の悩みとは次元が異なっているはず。
別に自分の悩みが高尚という意味ではない。
彼等の悩みは、生死にそのまま直結する事ばかり。
寝る場所、食べる物、体調の変化。
それに比べれば、私の悩みなど悩みの内に入らない。
自警局へ戻ると、全員で私を出迎えてくれた。
「お茶は」
「もう良いよ」
サトミが出したペットボトルを苦笑気味に受け取り、一口だけ口を付ける。
彼女の優しさの分だけ温まったお茶を。
「帽子を被った方が良いんじゃなくて」
「ああ、帽子か」
そう言えば、忘れてた。
リュックを漁り、奥の方にあったキャップを手に取る。
今は夕方で被る必要もないが、これもまた気持ちの問題だ。
「ちょっと緩いかな」
キャップの後ろでサイズを調整するが、依然として緩いまま。
舞地さんが言った通り、首紐が必要かも知れない。
「どうして被ってなかったの。前は毎日被ってたじゃない」
「ばたばたしてたから、忘れてた」
それだけ、前とは違う生活を送っていた事になる。
体調よりも、そういう精神的な部分が体調を崩した原因だろう。
その事を意識して、キャップを深く被り少し気持ちを引き締める。
みんなと別れ、そのまま八事の第3日赤へ。
学校の医療部から連絡が行っていたのか、殆ど待たずすぐに名前を呼ばれる。
多少緊張しつつ診察室に入り、診察前に採血をされる。
「症状を聞く限り大丈夫とは思うんですが。念のため」
この痛みも恐怖も、自業自得。
自分自身が招いた事で、誰を非難する事も出来ない。
こういう思考自体、かなり意識が沈んでいる証拠とも言える。
採血の検査結果がすぐに出て、問題は無いと告げられた。
「指を、目で追って下さいね」
医師が動かす指を、目線だけで追う。
自分でも特に違和感は感じない。
「大丈夫ですね。まだ暑い時期ですから、水分補給をこまめにするように」
何か子供に戻った心境。
こういう注意は、小学生の頃だけだと思っていた。
「後は、ストレスを溜めすぎないように。一度、心理テストも行ってみますね」
「はぁ」
この言葉に何となく身構えてしまう。
ただ、ストレスが溜まっているのも確か。
今のところ視力に影響は出ていてないが、時間の問題という気もしてくる。
何となく、心の中に聞こえるささやき。
そこまで負担を掛けてまで、今の草薙高校にこだわる必要があるのかと。
私がいなくても、当たり前だが学校は普通に運営されていく。
実際この半年、私は学校にいなかった訳だから。
まさか私がいなかったからこの状態になったはずもなく、ある意味これは仕方のない流れ。
私達が目指したような学校にならなかったのは、それが間違っていたから。
間違っていたというのは私の意見ではないが、私達は停学や退学処分を受けた。
つまり世間や学校から見れば、私達は異端であり異分子。
今の学校には不必要で、存在する理由がないのかも知れない。
家に戻り、まずはお茶を飲む。
そこまでの必要はないかも知れないが、今は気持ちを落ち着けるためにも。
「これ、何」
「何って、何」
「これよ」
キッチンの隅を指さすお母さん。
そこに積まれている、段ボール。
中身はお茶とミネラルウォーター。
大地震にでも備えてるのかな。
「どうしての、これ」
「私が知りたいわよ。さっき届いたんだけど」
「良く運べたね」
「そういうサービス付きみたい。お送り主が高嶋になってるけど、これって校長先生じゃないの」
さすが保護者、よく知ってるな。
冷蔵庫に入れてある冷えた分を取り出し、お茶を飲む。
どうにも飲んでばっかりだ。
「校長のお祖父さんって人に会ってね」
「何かやったの。それで倒れたの?」
信用もないと来た。
大体出会って倒れる原因ってなんだ。
「ちょっと日に当たって疲れただけ。目の調子も悪くない」
「最近、不安定じゃない?」
鋭い指摘をされ、ここは思わず口をつぐむ。
そんな事は無いとは言い切れず、何より今がこの状態。
不安定なのは間違いない。
「色々あってね。精神的にも少し疲れてるかもしれない。まだ、学校にもあまり慣れてないし」
「無理しないでよ。ご飯は」
「軽く食べる」
鍋敷きの上に置かれる小さな土鍋。
ふたを開けると、甘く懐かしい香りが湯気と共に漂ってくる。
「おかゆ」
すぐに添えられるレンゲ。
そして梅干しとそぼろ。
確かに、体調が悪い時にはこれが一番か。
「頂きます」
手を合わせ、レンゲで少しすくって口へと運ぶ。
優しい、心が和む味。
お米から煮込んだためか食感もわずかに残り、お母さんの思いが染みこんでくる気分。
数口おかゆだけで食べ、小さくため息を付く。
最近忘れていた感覚。
穏やかで静かな気持ちが、ふと蘇ってくる。
あれこれ考えすぎていたり、焦りすぎていたり。
元々そういう傾向はあったが、少し度が過ぎたのかも知れない。
それにこの暑さと慣れない環境。
体調を崩すのも仕方ない。
勿論仕方ないでは済ませられないが、なるべくしてなったんだと思う。
一気に何もかもを飛び越えるような気持ちでいたけど、それはやっぱり無理な話。
一歩一歩確実に、ゆっくりと進んでいこう。
気負わず、焦らず、落ち着いて。
それが出来るかどうかはともかく、それを意識して。
おかゆを食べ終え、残っていたペットボトルに目を向ける。
多分これを飲み干す事こそ、無理がある。
また変な義務感を抱いて飲む事こそ、むしろ体に悪いと思う。
その場合は多分、胃薬が必要になるだろう。
「飲む?」
「飲むけど、優は」
「お腹一杯」
「聡美ちゃんの手紙が添えてあって、寝るまでに必ず一本とか書いてあったわよ」
最後の言葉は聞かなかった事にして、部屋を出る。
栄養ドリンクのCMでもやってるのか、あの子は。
窓を開け、縁側に腰掛け庭を眺める。
視力のせいもあるが、庭は一面の闇。
部屋から差し込む明かりが、かろうじて窓の形だけ明るくなっているくらい。
今日は猫の姿も見えず、また闇の中にいれば今の視力では気付かない。
あまり広くない庭へ降り、それでも高くそびえている木の幹に触れる。
一本は白樺で、もう一本はドングリ。
結局残ってるな、これは。
「大体、どうやって外に出すんだろう」
穴を掘って、取り出す事自体は可能だと思う。
ただ庭から玄関前に続く部分は非常に狭く、人一人が通れるくらい。
木の幹はそこまで太くないにしろ、高いし重い。
彼等が自分の意志を持って歩いても、かなり苦労するはず。
勿論意志を表す兆候はなく、そういう事は無理。
後は塀越しに運ぶのか。
まさか塀を壊すとは思えないので、クレーンかな。
そう考えるとかなり大がかりな話。
あの場では勢いで決めたけど、お父さんが渋る理由はそこにもあるかも知れない。
また、ここに二本の木が育っていても特に問題はない。
2階の私の部屋に枝が伸び始め、多少景色が遮られつつはあるにしろ。
家を倒すとか、落ち葉が困るとか。
実害は殆ど無い。
言ってみれば、今のままでも構わない。
またこれは、ここにあるのが普通。
他所に移る事自体考えられないというのが、お父さんの考えかも知れない。
もしかして今学校にいる生徒達も、それに似たような気持ちを抱いてるのだろうか。
彼等には、今の状況が当たり前。
無理をして変える必要はないし、問題とも思っていない。
ただ私もこの木をそれ程問題とは思ってないので、一概に同じとも言えないが。
少し考え方を変える必要はあるのかも知れない。
この木に関しても、学校の事に関しても。
何となく目に手を添えて、見えているのを確認。
また、思い詰めすぎていたようだ。
これもまた、今の私。
普通の生活の一部。
病気とも折り合いを付け、付き合っている自分。
問題があっても、それをやり過ごす事が出来る一例でもある。
だとしたら私達の行動は、本当に正しいのか。
正しかったのか。
再び自問する。
暗い庭を見ながら、自分の心の中へと沈んでいく。
第38話 終わり
第38話 あとがき
3年生編、第1話ともなります。
結局は、草薙高校へ復学。
その意味においての、3年生編とお考え下さい。
改めてそれぞれの役職を書き出しますと
元野智美 自警局局長
北川 総務課課長
丹下沙紀(沙紀ちゃん)自警課課長
ここまでが、最高幹部。
自警局内の全執行権を有すると同時に、全責任を負う。
総務課課長、自警課課長は、局長の継承順位第1位と2位。
七尾未央 A棟隊長(ガーディアン筆頭・旧F棟隊長)
執行権は有せず、また課長待遇だが局長の継承権も有しない。
雪野優 局長直属班隊長
玲阿四葉 隊長補佐
言わば、局長の私兵。
幹部の護衛及び、緊急時の応援。
課長待遇だが、やはり継承権はない。
浦田珪 自警課課長補佐
幹部待遇で、継承権を有する。
遠野聡美 局長補佐
木之本敦 同上
課長待遇だが、継承権を有しない。
という訳で、全員生徒会入りを果たすと同時に幹部扱い。
一気に状況は変化しました。
ここの人間性や性格が変わった訳では無いんですが、状況はご覧の通り。
今までのように、一方的に力を振るえば済む訳でも無い事に。
また分かりやすい敵も消滅。
カタルシスのない展開が、今後は続くと思って下さい。
加えて、傭兵組は殆どが転校。
元の生活に戻ったようです。
残ったのは緒方さんくらいですね。
柳君も同様で、また今はプロ格闘家。
そちらを優先しているため、学校には通ってないようです。
そういう意味においての外伝であり、「おまけ」
2年生編までとは、別物と思って頂いた方がよろしいかと。
今後は生徒会内の対立や改革が主なテーマ。
それ程ぱっとした話にはなりません。
そんな訳ですが、よろしければ今しばらくお付き合い下さると幸いです。




