38-5
38-5
心機一転。
かどうかはともかく、晴れやかな気持ちで登校する。
多少バスが混んでいても気にならない。
充実しているとまでは行かないが、少し前向きに慣れたのは確か。
若干波はあるにしろ、底まで沈み込む事はない。
正門の前では相変わらず、生徒と職員が挨拶をしてくる。
七尾君は嫌がっていたが、これはそれ程悪くないと思う。
強要をされたり、あまり大声で叫ばれるのはさすがに困るが。
私も軽くその挨拶に答え、正門をくぐる。
一日は挨拶から始まるとは言わないが、しないよりはした方が良いはずだ。
「声が小さいっ」
私に対してではない。
すでに私は正門をくぐって、かなり先へ行っていた。
つまりそのくらい大声での叱責。
やり過ごすのは簡単で、何より人ごと。
関わる理由は何もない。
ただ、関わって悪い訳でもない。
すぐにきびすを返し、正門を再びくぐる。
叫んでいたのは、年配の教師か職員。
こういう教師はすぐ淘汰されるのだが、後から後から湧いてくる。
教師が絶対的な権限を持っていた頃の名残。
生き残りとサトミ達は言っている。
前の学校にも、こういう手合いは何人かいた。
ただ紙一重と言おうか。
生徒を思って、思わず熱くなる先生はまだ許せる。
問題は、声を上げる事自体に重きを置く人間。
声が大きければ、それで良いと思ってるような。
すでに挨拶という目的は失われ、声量だけが全て。
そこに何の意味があるかと問いたくなるし、聞きたくもない。
今怒鳴られているのは、小柄な女の子。
見た感じ1年生か。
とても教師に言い返す勇気はないらしく、また逃げ出そうとする意志ももてない様子。
サトミに見つかれば余計な事をと言われそうだが、これを見過ごす方が私にとっては問題だ。
「いい加減にしたら」
ジャージ姿の教師と女の子の間に入り、彼女をかばう。
しかし今気付いたが、明らかに彼女の方が大きいな。
それを言い出すと、誰もが私よりも大きいんだけど。
教師は陰険な目で私を見下ろすと、担いでいた竹刀を軽く振った。
牽制。
それも、性質の悪い物理的な。
管理案の時ですら、こういう教師は出てこなかった。
自分の権限と暴力を重ね、威圧する者は。
最低な教師も過去何人もいたし、暴力的な人間もいた。
ただ、ここまで露骨なのは久し振り。
何より、そういう人間が正門にいる事が。
普通の生徒なら、謝るか逃げるかそのどちらか。
ただこの教師は巧みに逃げ道をふさぎ、それを許そうとはしない。
顔に嗜虐性に満ちた表情が浮かび、竹刀の切っ先が時折こちらへと向けられる。
いつでもお前を打てるとばかりに。
「こんな馬鹿がいるとは思わなかった」
「何」
自分の事を言われるとは分かってないのか、聞き返してくる教師。
それに構わず背を向けて、女の子の体をチェックする。
少し震えているが、怪我はない。
ここにいては巻き込みそうだし、こんな事で遅刻しても馬鹿らしい。
「早く教室へ行って」
「え、でも」
「大丈夫。こんな馬鹿、放っておけば良いから」
軽く背を押し、彼女を正門へと送り出す。
少しよろけながらも彼女は前へと進み、軽く頭を下げてすぐに他の生徒へ紛れて正門をくぐり抜けた。
「貴様。何してる」
人混みをかき分ける度胸はなかったのか、数歩前に出て諦める教師。
私はもう用はなく、やはり正門をくぐるだけ。
こっちだって、一応は授業が待っている。
「聞いてるのかっ」
目の前に振り下ろされる竹刀。
目を閉じていても避けられる速度。
何より竹刀で、当たっても少し痛いくらい。
勿論当たる気は、一切無いが。
その行為にはさすがに周囲もざわめき出す。
彼等が行っているのは、あくまでも挨拶の励行。
それを力尽くで従わせる事ではない。
ただ世の中には色んな人間がいて、こういうタイプも少数だが存在はする。
周りが何を言おうと改めず、自分の考えが全てと思いこむ人間が。
別にそれをただそうとは思わないし、関わりたくもない。
しかし自分に火の粉が掛かるとなれば、話は別。
後悔だけを、その胸に刻むしかない。
竹刀を上段に構える教師。
一応剣道はかじっているのか、それっぽい格好。
とはいえまともにやり合う気にもなれないレベルで、それ以前に相手にもしたくない。
「誰も止めないの」
教師や職員、生徒会らしい人間に声を掛けるが反応は無し。
当たり前だが、こういうタイプには強く出られないらしい。
だからこそ助長し、つけあがる。
最悪の循環としか言いようが無く、そんな人間が自分に関わっている。
あまりにも馬鹿馬鹿しく、情けない。
草薙高校の誇り、なんて言葉をつい考えたくなってしまう。
見たところ七尾君やガーディアンの姿も今日は無い。
ローテーションか、偶然いないのか。
ただいないいない人間は頼りにならず、自分で対処するしかない。
まともに戦う気にはなれないので、適当にあしらうだけだが。
「今更、おじけづいたか」
私の台詞を曲解する教師。
ますます馬鹿らしくなり、その横を通って正門へと向かう。
行く手を遮るように伸びてくる竹刀。
その根本を肘で押さえ、膝を跳ね上げる。
乾いた音がして竹刀は根本から二つに折れる。
柔らかい材質だが、タイミングさえあればやってやれない事はない。
地面に転がった竹刀をまたぎ、束だけ持っている教師を無視して正門をくぐる。
何が馬鹿馬鹿しいって、自分の行為が一番馬鹿馬鹿しいんじゃないのかな。
教室に入ると、サトミが先に待っていた。
それも満面の笑顔を湛えて。
結構正門にはいたので、もしかするとあのやりとりを見ていたのかも知れない。
「朝から、大活躍ね」
「悪い?」
「大人しくするって言葉、知ってる?」
優しく、優しすぎるくらいの口調で尋ねてくるサトミ。
それは竹刀どころか、真剣の切っ先を思わせる威圧感。
背中に冷たい汗が走るのを感じつつ、しかし机を叩いて反論する。
「どこから見てたのか知らないけど、ああいう人間をのさばらせてて良いの?」
「……ちょっと視点を変えて話すわよ。あそこは、学校の敷地外。つまり学校の規則や慣習が及ばない場所。警察を呼ばれたらどうするの」
「悪い事はしてないんだもん。呼ばれようがどうしようが、問題ないじゃない」
「つくづく、すごいわね」
褒められた。
もしくは、馬鹿にされた。
間違いなく、後者の意味が強いけど。
二人で睨み合っていると、モトちゃんが苦笑気味に現れた。
「また活躍したみたいね」
「だって、ああいう人間を放っておけないでしょ」
「学校の体制が変わって、他校からも教師が流入してるの。古いタイプの教師も結構多いのよ」
「だからって、あれはないでしょう」
そう叫んでみるが、サトミは「あなたこそ、あれはないでしょう」と言いたげな目付き。
それはそれで、不満を感じる。
「だったら、どうすれば良かったの。見過ごした方が賢いって事?」
「言い方とか行動の事を言ってるの。竹刀をへし折ったり教師を馬鹿呼ばわりしても仕方ないでしょ」
「無くないね」
「少しは変わったら?」
変わるも何も、これは絶対に譲れない部分。
こういう生き方を変えるようなら、それは私ではない。
確かに、あまり賢い生き方とも思えないけれど。
「腹が痛い」
実際にお腹を抱え、私の横を通り過ぎるケイ。
笑いをかみ殺した、嫌な顔で。
「何よ」
「あの小さい女は誰だって、ここへ来る間みんなが噂してた」
「私が悪いって言うの?」
「悪くはないだろ。賢くもないけど」
はっきり言うな、この人も。
ただ彼は、ああいう人間に対しては私と同意見。
もしくは、もっと過激なくらい。
サトミやモトちゃん程、穏健ではない。
彼女達の場合はより視野が広いというか、大局から物事を見ているんだろうけど。
私にとっては、目の前の事が全て。
それに対処出来なくて、大局も何もない。
まあ、物事の全体を見通す事自体出来ないんだけど。
少し苛々していると、ショウと木之本君が登校してきた。
別に私をからかう事はなく、自然に隣へと座る。
話を知らないのか、そんな事もあると捉えているのか。
少なくとも、普段と変わりはない。
「正門で、何かあった?」
「いや。特には」
「竹刀が転がってたよ」
彼の後から来ていた木之本君が、苦笑気味に告げる。
ショウは彼を軽く睨み、それ以上言うなという顔をした。
「どう思う?」
「見てないから何とも言えないけど。竹刀を折るくらいなら、良いんじゃないのか」
「良くないわよ」
後ろから届く、低い声。
それは聞こえなかった事にして、ショウと話を続ける。
「怒ってる?」
「俺が怒る理由はないけどな」
何となく小さくなる声。
もしかすると、同罪か。
「程々にね」
厳しい顔でたしなめる木之本君。
その途端、ケイが椅子から転げ落ちた。
「は、腹が痛い」
床を転がり、お腹を押さえるケイ。
知ってる者でも、奇異な行動。
知らない人からすれば、気味が悪いとしか言いようがない。
「静かにしなさい」
教室に入って来るや、低い声で彼を叱る村井先生。
それでもケイは、お腹を抱えて床を転がす。
さすがに彼女が詰め寄るが、笑うだけ。
というか、少し下品になってきた。
「何よ」
「神様はいるんだなと思って」
ミニではないが、彼女はスカート。
下から見れば、見える物もあるだろう。
取りあえずスティックを鳩尾に叩き込み、馬鹿げた笑い声を止める。
今度は泣き声が聞こえてくるけど、そこまでは構いたくもない。
「あなた達、何がしたいの」
「私は笑ってませんよ」
「正門の事を言ってるの。木刀を折ったんでしょ」
「私は竹刀を」
それは今知ったという顔。
すぐに口を閉ざし、教科書を開く。
「……二人とも、後で職員室に来なさい」
「ああ?」
「二度は言わないわよ。本当、頭が痛いわ」
ため息を付いて教壇へと戻る村井先生。
頭が痛いのはこっちの方で、何より怒られる理由がない。
少なくとも私自身は、そう思ってる。
一時限目が終わった後で、職員室へとやってくる。
ショウと二人ではなく、みんな揃って。
私を思ってと言うより、サトミ辺りは監視かも知れないな。
「もう一度聞くわよ。何がしたいの」
椅子に座ったまま、私達を見つめる村井先生。
彼女は足を組み、きつい目付きで睨んでくる。
対抗上こちらも睨み返し、モトちゃんに軽く袖を引かれる。
「何って、あんな教師がいる事自体問題でしょう」
「ユウ」
サトミとモトちゃん、同時に声を掛けられる。
確かに、職員室で叫ぶ事では無かったか。
「……過渡期だから、おかしな人間も紛れ込んでるのよ」
その言葉を受けて、自然とケイに集まる視線。
過渡期じゃなくても、この人は元々どうかしてるけどな。
ただこの、過渡期だからという理由が分からない。
いや。人の入れ替わりや出入りが多いのは認める。
でもだからといって、おかしな人間を自由にさせておく理由にはならない。
「前もいなかったとは言わないけど。最近は見かけませんでしたよ、ああいうのは」
「それは知らないわよ。組織には色んな人間がいて、出来の悪い人間も当然出てくるんだから」
「俺を見るな」
先手を打つケイ。
しかし彼はともかく、ああいう手合いの人間を見なかったのは事実。
逆に見たからこその反応でもある。
「どうしていないかって聞きたいの?」
簡単に私の考えを読み取るサトミ。
それに頷き、彼女と視線を合わせる。
あまり言いたくはないという顔の彼女と。
「つまりは、そういう人間を駆逐してきたからでしょ」
「駆逐?誰が」
「誰って。さっき、その教師を脅したのは誰だった?」
「……私かも知れない」
推測で語り、全員から睨まれる。
良いじゃないよ、少しくらいは逃げたって。
サトミはそれきり口を閉ざし、話は終わったという顔をする。
でも、待てよ。
「今回に関しては私でも、毎回私がああいう人間を脅してる訳じゃないでしょ。その都度その都度、目に付いた人が駆逐してるんじゃないの」
「言ってる意味が分からないわ」
「だから、サトミだってそれに関わってるって言いたいの」
「そういう事もあるのかしら」
わざとらしくとぼけるサトミ。
結局自分も同類じゃないの。
ただ、ようやく理由が分かっては来た。
さっきの教師みたいな人間は、多分世の中のどこにでもいる。
それは駆逐されたというより、私達の周りからいなくなっただけ。
いや。私達が遠ざけたと言うべきか。
だからこそ普段は目にもとまらず、意識もしない。
存在はしても、私達の側には近付いてこないから。
そして学校では学校全体が私達の行動圏内で、そういう人間にはいづらい場所。
結果ああいう人間は、学校からいなくなる。
そう考えると中等部の頃は、嫌な教師が多かった。
でも気付くとそれが減っていたけど、何の理由もなくではない。
思い返せば、彼等に対して私達が何か行動を起こした結果。
それが、今回程軽い警告だけでないのは間違いない。
「でも高校に入学した時は、何もなかったじゃない」
「高校自体が自由な気質で、ああいう人間にはいづらい場所だったんでしょ。それに私達自身も忙しくて、周りに構ってられなかったのもある」
簡単に説明するサトミ。
忙しいというのは学校とのトラブルか。
確かにそれに追われ、教師の行動を一つ一つ気にしてる暇はなかったかも知れない。
余程目に余る場合はともかくとして。
それと私達も若干は大人になり、自制するようにもなったんだろう。
あくまでも、若干。
どちらにしろ、これで一件落着。
後は教室に戻るだけだ。
「どこにいくの」
「え、もう終わったから」
「……どうしてあなたが、それを決めるの」
低い声で尋ねてくる村井先生。
そう言えば、怒られるために呼び出されたんだったな。
別に、疑問を解決するためではなくて。
「この前から思ってたんだけど、どうしていちいち怒るんですか」
「あなた達の行動がふざけてるからでしょ」
「だからって、いちいち呼び出さなくても」
「私はあなたの担任で、顧問でもあるのよ」
顧問?
なんだ、それ。
顔を上げて周りを見るが、ショウは首を振っている。
「じゃあ、サトミ」
「悪かったわね、二番目で」
「良いから」
「村井先生は、生徒会自警局の顧問を勤めていらっしゃるの」
さらっと答えるサトミ。
そうだったんだ。
などと、軽くは聞き流せない話。
何だ、顧問って。
「不満なの」
「だって前は、顧問なんていなかったし」
「私だって、やりたくはないわよ。というか、好きでやってると思うの」
「じゃあ、辞任するというのは」
そう答え、バインダーを構えられる。
よく分からないけど、彼女の怒りに触れる部分を刺激したようだ。
「村井先生には、私達から顧問に就任して下さるようお願いしたの」
後ろから肩を揉んでくるモトちゃん。
それは気持ち良いけど、また余計な事を頼んだな。
「他にいなかったの」
「私達に理解のある先生は、結構少ないのよ」
「そうかな」
職員室を見渡すが、周りにいた教師は一斉に視線をそらしてきた。
そこまで嫌われてるとも思わなかったな、これは。
ただ理解があるなら、こうして呼び出さないでもらいたい。
向こうからすれば、呼び出すような事をしないでもらいたいかも知れないが。
「とにかく前とは体制も人も違ってきてるんだから。少しは大人しくしなさい」
「私が悪いって言うんですか。だったら、あの教師をここに連れてきて下さいよ。そこでどっちの言い分が正しいか、聞いて下さい」
「もう辞めたわよ」
少し離れた机を指さす村井先生。
そこだけ荷物が何一つ無く、隣の机の本が崩れてきている。
辞めたというより、逃げたと言った方が正確に思える情景。
しかし逃げるくらいなら、初めからやらなければ良いのにと思う。
再びふつふつと怒りが込み上げ、机を拳で叩き出す。
でもって、改めて睨まれる。
「あなたって自制とか、落ち着くって言葉を知らないの」
「あの教師の振る舞いを見れば、誰だって落ち着いてられません。竹刀を振り回して、生徒を脅してたんですよ」
「自分だって、その棒を振り回してるじゃない」
「自分から使う事はありません」
自信を込めてそう答え、多分と胸の中で付け加える。
過去は振り返らない主義なのよ。
後ろもね。
教室へ戻るまでの間、ずっと後ろを着いてくるケイ。
「痛いなー」とか「突かれれた」とか、うるさい事この上ない。
いっそ黙らせてやろうかとも思ったが、それは相手の思うつぼ。
自分の発言を、根底から否定する事になる。
「よう、嘘つき」
私が席に付いた所で、とうとう声を掛けてくるケイ。
即座に脇腹をスティックで付いて、ストレスを逃がす。
前言撤回。
自分から使う事も、たまにはある。
「こ、この」
「うるさいな。遊んでる暇があったら、村井先生を追い出す計画でも立ててよ」
「あのな、モトも言ってただろ。あの人は、俺達の行動には好意的なんだ」
「私には、非好意的じゃない」
「誰が悪いと思う?」
笑い気味に尋ねてくるケイ。
誰って、それは私からは答えようがない。
「何より創設者の孫で、校長の妹だ。多少の無茶も聞く」
「創設者はともかく、校長って何」
「前の理事長。あなた、本当に何も知らないのね」
とうとう出てくる、入学のしおり。
サトミはそれをめくり、冒頭に載っている顔写真を指さした。
そこには草薙高校の理念や校是と共に、理事長の顔が載っている。
いや。この場合は、前理事長か。
「前はあくまでも経営がメインだったけど、今度からは教育にも携わるそうよ」
「この姉妹とは、相性が悪いんだけどな」
「それはユウが、でしょ」
そう言われると答えようもないが、悪い物は仕方ない。
お嬢様体質が駄目なのかも知れないな。
例えば矢加部さんのように。
あの人の場合は、それ以前の問題という気もするが。
「でも、顧問って何。責任でも取ってくれるの」
「アドバイスをしてくれるの。責任は私達が取るしかないわね」
苦笑気味に語るモトちゃん。
しかし私はアドバイスを受けた事はないし、特に受ける事もない。
単に厄介な重しが上にのし掛かってきたくらいの認識しかない。
「いくら創設者の娘とか理解があるって言っても、他にいなかったの」
「今更学内を混乱させるような事は、誰も望んでないみたいね」
「だからって、こんな堅苦しい学校のままでいいの?」
「そんな私達の意見に賛同してくれたのが、村井先生よ」
笑いながら頭を撫でてくるモトちゃん。
ここでようやく、話を理解する。
サトミは、何度も説明してるじゃないと言いたげに睨んでいるが。
「まあ、いいか。別に四六時中顔をつきあわせてる訳でもないんだよね」
「あくまでも、名義ね。一応報告書は提出するけど。特に用がない限りは、こちらから働きかける事はない。先生は先生で、忙しいだろうから」
用があっても働きかけたくはないが、常時同じ場所にいないと分かっただけでも助かった。
そこまでいっては、すでに生徒の自治ではないとも思うし。
授業は昼で終わり。
食堂でご飯を食べて、後は帰るだけ。
昼までっていうのは、何とも言えない開放感があるな。
「自警局で会合があるから、全員出席してね」
サンドイッチ片手に声を掛けてくるモトちゃん。
何人かは顔を合わせているが、自警局としては初めて。
どんな人がいるかは、興味もある。
「基本的に昔と同じ。ユウ達も戻ってきたから、一度意思統一もしたいの」
「何、意思統一って」
「現在の校則や学内での慣習について、再検討するべきかどうか」
「するべきでしょう」
私の意見は決まっている。
というか、現状を受け入れる要素がない。
多少の制約は構わないし、前の学校でも規則に従って行動をしていた。
ただ一部の人間が妙に力を持ったり、押しつけがましい規則や慣習に従う気はない。
それが理不尽なら、なおさらに。
「前も言ったけど、生徒会としては現状を維持する立場。私達は、相当異端だと考えて」
「分かった」
「本当かよ」
ラーメンをすすりながら、げらげら笑うケイ。
スープが何度あるか、顔で測らせてやろうかな。
そういう事は取りあえず止めて、自警局へとやってくる。
今日はいつもの小さな会議室ではなく、もっと大きな部屋。
机が長方形に重ねられ、その上座にモトちゃんが座る。
どうやら、自警局の序列や役職によって場所が指定されているようだ。
局長であるモトちゃんの隣が、沙紀ちゃんと北川さん。
彼等の後ろに小さな机がもう二つあり、サトミと木之本君が並んで座っている。
局長、自警局課長、総務課課長。
そして、局長補佐までが上座の机。
後は課長が左右を順番に占めていく。
私達は末席というか、かなり後ろ。
課長待遇とはいえ、新参者なので当然か。
「こんにちは」
にこりと笑って、椅子を引いてくれるエリちゃん。
彼女はサトミの補佐だが、気を利かせて私の側にいてくれるようだ。
サトミの能力的に言って、補佐は必要ないと言えば無いとも言えるし。
「ここにいるのは、幹部だけ?」
「ええ。私は違いますけどね」
にこにこと笑い、お茶を勧めてくれるエリちゃん。
彼女が幹部でなかったら、私など存在意義すら疑われるな。
「先輩、こんにちは」
爽やかに挨拶をするエリちゃん。
誰かと思ったら、渡瀬さんと神代さん。
エリちゃんは1年生で、彼女達は2年生。
確かに、先輩と後輩という関係になる。
「こんにちは」
朗らかに挨拶する渡瀬さんと、ぎこちなく挨拶する神代さん。
どうやら私の事は、二人とも見えてないようだ。
「お茶、いかがですか」
「あ、はい。頂きます」
何故か敬語で答える神代さん。
この人って、私敬語を使った事ってあったかな。
「あのさ。エリちゃんは後輩でしょ」
「だから何よ」
先輩には、この台詞。
この世の矛盾の全てが、この場に凝縮されてるな。
それはそれとして、私も紙コップに注がれたお茶を飲む。
程よく冷たく、けれど風味は失わない。
「もう一杯飲みますか?」
「ん、飲む」
今度注がれたのは、ちょっとぬるめ。
なんか、石田三成みたいだな。
「最後は熱いのが出てくるの?」
「ご所望なら、干し柿も添えて」
この辺の機転や切り返しも軽妙で、さすがとしか言いようがない。
神代さんが思わず恐縮するのも頷け、私など彼女にただ頼るだけだ。
「……ちょっと待って」
「何か」
ちびちびお茶を飲みながら返事をする渡瀬さん。
その手を取って立ち上がらせ、自分の頭から彼女の頭へ手を伸ばす。
「背、高くなった?」
「成長期ですからね」
さらりと答える渡瀬さん。
多分私も去年は彼女と同じ年。
でもその頃に、成長期なんてあったかな。
見上げる程ではないが、見て分かる程には高くなってる。
同年代の子に比べればまだ小柄。
ただ私からすれば、遠い彼方へ行ってしまった心境。
というか、成長期ってなんなのよ。
「先輩は、成長しないね」
余計な事を言う子の脇を握り、悲鳴を上げさせる。
精神的には成長してるのよ、多分。
「相変わらずですね」
くすくすと笑うエリちゃん。
何が相変わらずかはともかく、昔の自分と今の自分は変わってないんだろう。
きっと、良い意味において。
「私としては、もう少し変わりたいけどね」
「何も問題ないですよ、優さんは」
「そうかな」
「そうですよ」
力強い笑顔。
釣られるように私も笑い、彼女に頷く。
神代さんが敬語を使う理由もよく分かる。
人間の器が、根本的に違うんだと思う。
彼女に敵う人間がいるとすれば、私達の中では多分モトちゃんくらい。
あの子の器は果てしなく、だからこそ私みたいな人間も今まで生きて来れたようなもの。
将来の自警局長や生徒会長という話も、あながち冗談ではないようだ。
後輩の成長に感じ入っている間に、モトちゃんが会合の開始を告げる。
やはり私達の簡単な自己紹介があり、話はすぐに本題へと進む。
「前期から話しているように、私達の立場をより鮮明にしようと思っています。つまり現在の規則についての、異議申し立て。ただし前回のように暴力へ訴える訳ではありません」
一斉に集まってくる視線。
私一人が訴えた訳じゃないっていうの。
「署名を提出してもらうまでもありません。今の意見に賛成の方は、挙手をお願いします」
全員がすぐに手を挙げ、モトちゃんは満足げにそれへ頷いた。
ただこの場合は今の意見に賛成と言うよりは、賛成だからここにいるのだとも思う。
そうでなければ他の局に移っているか、自警局を辞めているはず。
反対意見を持ちながら、ここに留まる理由も無い。
その意味でも、この集団はより反生徒会色が強い訳か。
「では、改めて今後の活動方針を検討します。何か意見のある方は」
私は特に何もないが、隣でいきなり手が上がる。
「遠野さん、どうぞ」
「今後のスケジュールについて簡単にまとめましたので、よろしければ目を通して下さい」
目の前に置かれた卓上端末へ送信される、サトミの言うスケジュールと活動方針。
意見と言うよりは、ほぼ固まった内容。
この通り行動しなさいと言われてるように思えなくもない。
「規則の再改正を最終目標として、行動をすべきだと思います」
「残り半年ですが、可能でしょうか」
「後輩に責任を押しつけるよりはましかと」
苦行気味に語るサトミ。
確かにこの規則に関しては、導入された経緯には責任がある。
それが例え学校の都合で、自分達が関与出来ない時期があったにしろだ。
サトミの言う通り、それを渡瀬さん達に任せる訳には行かないだろう。
「という事ですが、何かご意見は」
「こんな都合良くスケジュールが進むとは思わないんですが」
明確な反対意見。
それを述べたのは、サトミの隣にいたケイ。
サトミは刺すような目で、彼を睨み付ける。
「何が問題だと」
「問題って。思った通り進むなら、世の中誰も苦労はしてないでしょう」
「スケジュールに併せて行動すれば問題ありません」
「規則を変えるのが大事なのか、スケジュール通りに行動するのが大事なのか。どっちなんだ」
苦行気味の指摘。
それにはサトミも押し黙り、ただ視線だけは彼を捉え続ける。
この子も、結局は何も変わってないな。
モトちゃんも笑いを堪えつつ、話を先へ進めていく。
「そういうご指摘もありますが。このスケジュールや内容に異論がある方は?」
いくつか上がる手。
サトミは机に爪を立てそうな顔をするが、これもケイの言う通り。
世の中、自分の都合だけでは動いてくれない。
指名されたのは、体格の良い男の子。
見た事の無い顔で、転校生か後輩かもしれない。
「おおむね問題は無いと思うんですが。今言われたように、スケジュール通りに進まなかったらどうするんでしょうか」
「無論その場合の二次案三次案も用意してあります」
すぐに表示される、トラブルの場合の処理方法。
それはかなり多岐に渡り、いくつもの状況を想定している。
処理後は再び元のスケジュールへ戻るともある。
「そこまで上手く行きますか?」
「まあ、無理だ」
げらげら笑うケイ。
サトミは彼の足を軽く蹴り、しれっとした顔で男の子に微笑みかけた。
「私も自分の考え通りに全てが進むとは思ってません。これはあくまでも意見の一つで、絶対ではありません」
「修正の余地はあると」
「ええ」
こくりと頷くサトミ。
やれるものならやってみろと言われたような気にもなるが。
また男の子は実際そう思ったらしく、首をすくめてそのまま席へ付いた。
脅さないでよね、全く。
この先も何人かが質問をするが、サトミの壁はやはり厚い。
内容自体がかなり確立されてるのと、理屈で彼女に敵う人間はいない。
またそれ程問題のある内容ではないし、問題点はみんなが言うタイトなスケジュール内容くらい。
それ以外は、私が見る限りは問題の部分は見あたらない。
「これを採用するかは別として。他に意見のある方は」
静まりかえる会議室。
半分くらいは顔を伏せ、半分くらいは無関心。
つまりは私達の知り合いでない人と、知り合いの構図。
サトミに反論しても仕方ないので、私達があれこれ彼女に言う事はない。
「では。これは案の一つとして留保しておきます」
「なんですって」
小声で呟くサトミ。
モトちゃんは何食わぬ顔で、彼女に視線を向ける。
「遠野さん、どうかしましたか」
「いえ。広く意見を募集して、それを踏まえて検討すべきだと思います」
「ご理解ありがとうございます」
いたな。サトミに反論も出来れば、たしなめる事の出来る人間が。
モトちゃんも多分この内容で問題は無いと思ってるはず。
ただすぐに採用すれば、それは前回の繰り返し。
私達の中だけで全てが決まり、進んでいく。
実際はそうでないにしろ、周りからはそう思われてしまう。
例え形式となっても、もっと意見を集めて話し合う事も必要だろう。
一旦休憩に入り、サトミが画面を見ながら文句を言う。
彼女にすれば、手直しする事自体許せないといったところ。
それこそ、句読点の位置すら触りたくないんだろう。
「訳の分からん女だな」
お茶を飲みながら、鼻を鳴らすケイ。
サトミは彼を改めて睨み、卓上端末のモニターを叩いた。
「何が問題なの」
「カレンダーじゃないんだし、そう都合良く進まないんだよ」
「進めるように努力するべきでしょう」
「もういいよ」
さすがに呆れるケイ。
これは多分、この場にいる全員の意見。
そこまで理想が現実になれば、彼の言うように誰も苦労はしない。
サトミの考え。
あくまでその理想に向かって突き進むべきだという意見も、分からなくもないが。
「ちょっと、タイトすぎないかしら」
笑い気味に話しかけてくる沙紀ちゃん。
さっきの場面では一言も話さず、それは北川さんも同様。
これは意見がないというより、彼女達の立場。
自警局トップとしてはモトちゃんに意見を一任し、彼女達の間で齟齬を来さないようにしてるのかもしれない。
「不可能ではないわよ」
あくまでもそう主張するサトミ。
沙紀ちゃんは軽く頷き、しかしモニターを指さした。
「例えば今年中に、生徒の2/3の署名を集める。これ、大丈夫?」
「何か、難しいかしら」
「私達も一応署名は集めようとしたの。でも、1/10ね。集まったのは」
いきなりの冷や水。
サトミは不敵に笑い、首を振った。
「キャンペーンも行うし、集会もする。ビラも撒くし、お昼には放送をしても良いわね」
「誰がやるんだ、誰が」
ケイの突っ込みを無視して、広報の内容も表示するサトミ。
良くこんな所まで作る暇があったというか、想定してるな。
沙紀ちゃんはそれに目を通し、頼りなく首を振った。
「私達も広報活動には力を入れてるけど。それ程浸透はしてないわよ。現状に問題がないと思ってる人が多いのよね」
「それこそ問題じゃなくて」
なにやら意見を飛躍させ出すサトミ。
その内、自分に従わない生徒を取り締まるとか言い出しそうだな。
「ただ、絶対不可能とも思わないけど」
一転意見を翻す沙紀ちゃん。
何となく顔つきが悪いというか、目付きが悪い。
それも、私達を見る目付きが。
「アピールする材料が乏しかったのよね。人がいなかったとも言える」
「それは問題ない。この3人が、全面に立って広報をする」
あっさり私達を売り飛ばすケイ。
沙紀ちゃんもそれが言いたかったのか、にこりと笑う。
ただそれは、決して悪くはない考え。
サトミやショウに呼びかけられれば、誰だって悪い気はしない。
それが感情的な物だとしても、この際は目をつぶりたい。
「私は意味無いと思うけどね」
この二人はともかく、私が何を呼びかけようと声は届かない気がする。
ケイは鼻で笑い、会議室のドアに顎を振った。
「外に待ってたぞ、何人か」
「あの教師の仲間?」
「お礼参りじゃないの。雪野ファンが」
「冗談ばっかり」
今度は私が鼻で笑い、ドアを開ける。
するとそこには、何人もの女子生徒が硬い表情で立っていた。
そして私を見ると、ぎこちなく紙袋を差し伸べてきた。
「よ、よろしかったら」
「何これ。サトミに?」
「い、いえ。雪野先輩に」
誰だ、その雪野先輩って。
いや。私の事だけどさ。
「ありがとう。私に、何か頼み事でも?」
「い、いえ。失礼します」
飛ぶように去っていく女の子達。
紙袋の中身はクッキーか。
また随分甘いな。
色んな意味で。
にやけるケイを無視してクッキーを机へ置く。
見た感じ手作り。
ただこういうのを受け取る習慣がないため、どうして良いか非常に困る。
「これって、私に?」
「今言ってたじゃない。雪野先輩にって」
ごく普通に答えるサトミ。
それは私も聞こえていたが、どうして私なのかが全く不明。
今までショウやサトミ宛ばかりだったので、それが自分に回ってくるとは思っても見なかった。
「ユウは管理案廃止の英雄だから」
「まさか」
「本当よ」
私の頭を優しく撫でてくれるモトちゃん。
その心地よさに身を委ねつつ、疑問にも思う。
「サトミとかショウも退学になったじゃない」
「この二人は元々でしょ」
「なるほどね」
世の中、常に新しい物を求めている訳か。
私に求められても、非常に困るんだけど。
「とにかく、こんなに食べられない」
自分用に一つだけ手に取り、後はショウへ渡す。
厚意は十分受け取った。
ただ、意外とこういうのが重いのも理解出来た。
今までは人ごとだから笑っていられたけど、色々考えさせられるな。
気持ちがこもった贈り物の意味。
相手の気持ち。自分はそれに応えられる人間なのか。
なんて、柄にもない事を考えてしまう。
楽しそうにクッキーを食べるみんな。
それを少し離れて眺めつつ、自分もクッキーをかじる。
甘い、程よい食感。
これを受け取れるだけの資格が私にあるのか。
それに見合うだけの人間なのか。
みんなの笑い声を聞きながら、一人自問する。




