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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第6話
43/596

6-1






     6-1




「だるい」

「文句言わないで、ちゃんと前見て」

「あのさ、文句とか……」

「いいから」

 ガムを差し出し、前を指差す。

「こんなのでごまかして」

 そういう割には、しっかりとガムを持っていくケイ。

 今私と彼は、空港へと向かう高速道路を走っている。 

 お父さんとお母さんが旅行から帰ってくるので、そのお出迎えという訳だ。 

 ちなみに運転はケイ。

 ショウは実家、サトミは例のシスター・クリスを出迎える準備で忙しくてパス。

 私は助手席で、欠伸をする。


「俺、運転苦手なんだ」

「分かってる。でも私は、今ちょっと眠いのよ。だから」

「ったく」

 鼻を鳴らし、ケイはオートドライブモードへセットした。

 こうすれば、少なくとも事故をする心配はない。

 現在の設定はセミオートなので、簡単なアクセルワークくらいは必要だけど。

「大体、何で俺が出迎えるの」

「暇なんでしょ」

「予定はある」

「マンガとかゲームは却下だからね」

 押し黙る男の子。  

 だが苛立ちは収まらないらしく、指がハンドルを突く。

「隣に女の子が乗ってるんだから、もっと楽しそうにしなさいよ」

「人の彼女乗せて、何が楽しいって」

 鼻を鳴らし、後ろから来たバイクに道を譲る。

「誰が、誰の」

「聞きたい?」

 今度は私が押し黙る。

「全く、おじさんが聞いたら泣くんじゃないの。「僕の優が」なんて言って」

「下らない」

「そうかな。今は笑ってるけど、結婚なんて話になったらさ。優が欲しいなら、僕を倒して行くんだっ」

 何がおかしいのか、一人で笑ってる。

 自分で自分のツボにはまったようだ。


「私がどうだっていいでしょ。それに、まだ付き合ってないんだし」

「だからある日突然、綺麗な女の子連れてくる可能性だってある」

「仕方ないんじゃない、その時は」

 肩をすくめシートに倒れる。

 大体、そうなってみないと自分がどうするかなんて分からないから。

 私の気持ち以前に、相手の気持が大事だし。

 という具合に割り切れたら、どれだけ楽だろうか。

「ただ、色恋話はどうでもいいけどね」

「どうでも良くないと思うけど。少なくとも、私は」

「女の子だから、ユウは」

「あなただって、男の子でしょ」

 知らない顔をして、ケイは窓の外を眺めだした。

 この子から、色恋沙汰を聞かされても困るけどね。


 東海エアポートへと続く、伊勢湾海上高速道路。

 視界には、きらめく海がどこまでも広がる。

 小さく見える釣り船があちこちに浮かび、釣果を競っている。

 沿岸部はともかく、沖へ少し出れば結構大きな魚が釣れるとの事。

「寒いのに、よくやるよ」

「でも、魚が食べられるじゃない」

「釣れればの話だろ。それに船をチャーターする事を考えたら、買ったほうが安い」

「ロマンのない子ね。自分で釣った魚を食べるってのが面白いの」

「そうですか」

 「へっ」と笑い、オートドライブを切る。

 空港が近付き少し混んできたので、せっかくの機能も意味をなさなくなってきたのだ。

「それで、おじさん達どこに行ってたの」

「シベリアだって」

「……訳の分からん夫婦だな」

 反論のしようがない。

 私にも、どうしてなのかはよく分からないので。

 確か何年か前にも、そっちの方へ行ったはずだ。

「まあいいわい。お土産さえもらえれば、俺は」

「誰があなたに買ってくるの」

「雪野さん。人に出迎えさせておいて、ガム一個で済ます気ですか」

「分かったわよ」

 ポケットを探り、触れた物を差し出す。

「あの、福引き補助券って」

「それで、何か当てなさい。言っておくけど、3等以上は山分けだからね」

 すごい嫌な目付きで券を持っていった。

 小さい子だな。

 素直に、「ありがとう」っていえば良いのに。

 私だったら、言わないけど……。



 むすっとしている男の子を連れて、空港のロビーを駆けていく。

 お父さん達の乗っている飛行機が、少し早く到着したというアナウンスが入ったのだ。

 別に走る必要はないんだけどね。

「あ、いたっ」

 入国ゲートの所で順番を待っているお父さん達に手を振る。

 向こうもこっちに気付き、手を振ってくる。

「恥ずかしいんだけど」

「いいの」

 一気に駆け出そうとしたら、突然周囲から歓声が沸き起こった。 

「なんなの?」

 私の肩越しに、別な出口を指さすケイ。

 黒ずくめの男性達と、真っ白なローブを身にまとった女性達。

 人の輪が、ゆっくりと動いている。

 その周囲をさらに取り囲むカメラや人の群。

「あれか、例の修道女」

「え、何でこの空港に来るの?東京じゃないの?」

「スケジュールの関係で、最初にこの辺のどこかへ行くのかも。しかし、まずいな」

 ケイは苦い顔をして周囲を見渡した。

 私も取りあえず、もう一度人の輪へと視線を移した。

 遠いし人が多くてはっきりと見えないけれど、確かにいる。

 シスター・クリスが。


 幼い頃から修道女として育てられ、各地の紛争地帯や災害地域を慰問する聖なる修道女。

 彼女が収めた紛争は両手で足りず、宗教の枠を越えて心酔する国家首脳も多数いる。

 サトミに言わせれば、神が使わしめた光の珠だとか。

 よく分からないけど、その影響力はすごそうだ。 

「でも、VIP用の出口から出ていけばいいのにね」

「特別扱いは嫌いなんじゃないの。おかげで、空港の機能は麻痺してる」

「サトミが聞いたら、怒るよ」

「いないから言ってる。とにかく、このままだとまずい」

 人の輪と報道陣の数は、ますます増えていく。

 警備関係者が必死に押しとどめているけれど、それが却って人の流れを止めてしまっている。

「このままだと、おじさん達が出てこれないな」

「えー。もう、すぐそこまで来てるじゃない」

「下手したら、一時全手続きを停止するかも。混乱に乗じたテロを警戒して」

「えー」

 テロにじゃなくて、手続きが遅れる事に不満を申し出る。


「仕方ない」

 するとケイはポケットをまさぐり、カード型のDDを取り出した。 

 容量が小さい代わりに小型化軽量化が進んでいる、音楽用のプレイヤー。

「どうするの?」

「まずは、おじさん達をこっち側に連れてくる。行こう」

「うん」

 ため息を付いたケイの後を付いていく。

 珍しいな、この人がこんな態度を取るなんて。

 つまりは、いい予感がしない。



 人の列をさばいている、I空港管理官。

 お父さん達は、後10組くらい後ろ。

 IDのチェックだけなんだけど、みんなシスター・クリスに気を取られていて流れが悪い。  

「あの、急いでもらえますか」

 ぼそっと話しかけるケイ。

 シスター・クリスの輪を眺めていた空港管理官は、戸惑いの顔で彼を見つめた。

「急いでと言われても、IDのチェックをしているだけだ。君こそ、仕事の邪魔をしないでもらえるかな」

「分かってます。ただ、出来れば急いで欲しいので」

「ホストへ照会する時間があるから、少しは待ってもらうよ。悪いけど、少し下がって」

 しかしケイは、何故か彼の耳元へ顔を寄せた。

 周りが騒がしいので、私も顔を寄せる。

 一体、何を話す気なんだろう。


「……俺の知り合いに航空局の関係者がいるんです。その人から聞いたんだけど、職員の規律チェックをする検査官がいるんだとか」

「そ、そんな仕事、聞いた事無いな」

「勿論、内密な仕事なんでしょうね。その話だと今日明日くらいに、この空港を検査するんだとか。ほらシスター・クリスが来るから、それで職務がおろそかにならないようにって」

 空港管理官の顔が、一気に青ざめる。

 対してケイは、淡々と話を続ける。

「手際の良さが見たいって、その人言ってましたよ」

「俺は、そんな話今まで聞いた事無いけど……」

 その割には、コンソールを操作する手付きが一気に滑らかになる。

 列が一気にさばかれ、あっという間にお父さん達の番が回ってきた。


「ん、やばい」

 舌を鳴らしたケイが、さっきのカード型DDを足元へ落とす。

「どうしたの?」

「見ない方が良い。下手したら、射殺される」

「ええ?」

 苦笑して、顎をシスター・クリスの輪へと向けるケイ。

 あまりの人混みに、完全に動きを制されている。

 周囲のSPや警備関係者は、お互いに目配せをしてどこかと連絡を取り始めた。

「これ以上こっちに来ると、多分全手続きを停止させられる。最悪、空港の全機能を停止させるかも」

 今私達がいる場所は、様々なカウンターや入出国ゲートがある場所。

 確かにここで混乱が起きれば、騒ぎはさらに広がりそうだ。

「そんなの、やだ」

「だから、手を打つんだよ」

 足元にあったカード型DDが、軽く蹴り付けられる。

 それは磨き込まれた床を滑り、人混みへと消えた。

「おじさん」

「ん?」

「お土産。出来れば、小さな人形を」

「民芸品でいいなら、可愛いのがあるよ」 

 ポケットから、犬をかたどった木彫り人形を取り出すお父さん。

「悪いけど、それ俺にもらえますか」

「いいよ」 

「どうも」 

 犬が宙を舞い、ケイの手に収まる。


「さてと……。みんな、俺とは関係ないって事にしておいた方が良い」

「え?」

 どこからか、物悲しい音楽が聞こえてくる。

 お父さんの顔色が変わる。

「ロシア民謡?」

 手でそれを制するケイ。

 そこには、DDのリモコンが握られている。

 ざわめきが巻き起こるロビー内。

 よく見えないが、シスター・クリスの様子がおかしい。

 身動きが取れないのはさっきからだけど、しきりにその音楽のする場所を探しているのだ。

「おまけ」

 ケイはお父さんから受け取った犬の人形を床に置き、またもや足で蹴飛ばした。


 音もなく飛んでいく人形は、人混みの中に消える。

 そして、誰かが声を上げる。

「何だ、これ」

 人形を手に取ると、人の輪が大きく動き出した。

 どうも、シスター・クリスがそれに反応したらしい。

「済みません、手続きを急いで下さい」

「あ、はい」

 呆然としていた管理官が、慌ててお父さん達のIDをチェックする。

「お、終わりました」 

「どうも」

 ケイは一緒に出てきた荷物を担ぎ上げ、空港出口を指差した。

「今の内に出よう。あれに気を取られてる間は、こっちにこないだろうから」



 私達が駐車場を出ると、空港一時閉鎖のアナウンスが車内のスピーカーから流れてきた。

「危機一髪。あそこで足止めされたら、1時間は待たされた」

 おかしそうに笑って、バックミラーを直すケイ。

 すると、車の速度が急に落ちた。

「どうかしたの?」

「おかしな連中が見えた」

 路地を曲がり、ぐるっと道を回ってくる。

 出たのは、今私達が走ってきた道路。

 少し、戻ったくらいか。

 軽くクラクションをならすと、歩道を歩いていた女の子達が怪訝そうに振り向いた。

「ケイ君の知り合い?」

「まさか」

「じゃあ、どうして鳴らしたんだい」

 それには答えず、車は彼女達の横へと止まる。

「何、歩いてるんですか」

 ドアウインドウを開け、彼女達に声を掛けるケイ。

「空港が閉鎖されたから、バスや電車が出ないのよ」

「近くの駅まで歩こうと思ってな」

 キャップ越しに、微笑む舞地さん。

 その隣にいる池上さんも、うしゃうしゃ笑っている。

「元気いいね」

 ケイは車を降り、彼女達の手からバッグを取った。

 そして、いつの間にか開けていたトランクにそれを入れる。

「あら、送ってくれるの」

「報酬次第で」

「お前には、貸しが……」


 そこまで言いかけて、舞地さんがキャップを取った。

 池上さんも、佇まいを直す。 

 ケイにではなく、車を降りてきたお父さん達に対して。

「舞地真理依と申します」

「私は、池上映未。いつも、雪野さんにはお世話になってます」

 丁寧に会釈する二人。

 お父さん達も、一緒になって頭を下げる。

「二人とも、乗って下さい。優、後ろのシート戻して」

「うん。何なら、私がお父さん達の間に入ってもいいよ」

「子供じゃないんだから、そういう事言わないの」 

 といって、私を押し込めるお母さん。

 その前には、お父さんがいる。

 結果、私は間に挟まれた。

 自分だって、人の事言えないじゃない。


 大きいワンボックスなので、8人くらいは乗れる。

 でも助手席は空いたまま。

 舞地さん達は、一番後ろのシートでくつろいでいる。

「あんたら、何して来たんですか」

「ちょっと、絵をね。たまには、遠出して描くのもいいかと思って」

「私は、それに付き合わされただけ。疲れた」

 何となく、ぐたっとシートに倒れている舞地さん。

 池上さんは、ニコニコしてスケッチブックを眺めている。

「素敵な趣味ですね」

「いえ。下手の横好きですから、私は」

「そうかしら」

 身を乗り出し、スケッチブックを覗くお母さん。

 止めてよ。

 私が見るのに、邪魔だから。

「二人とも、ちゃんと前向いて」

「はーい」 

 お父さんの言葉に、仲良く声を合わせる私達。

 でも、前は見ない。

 だって、こんな素敵な絵を見てるんだもの。

「お父さんも見てよ」

「そうそう。ほら」

 二人して、お父さんを後ろに向かせる。

「あのさ、あんまり動かないでくれるかな」

「いいじゃない。雪野家の車なんだから」

「運転してるのは、俺だ」

 なるほど。

 それはそうだ。

 という訳で、シートを後ろに向かせる私達。

 これなら、体勢も楽だ。

「だから、動くなって……」



 海上高速を降りて、車はようやく一般道へと入ってきた。

 風景も徐々に見慣れた物となり、自然と気分も良くなってくる。

「……なんだ?」

 一人黙々と運転していたケイが、声を上げる。

 池上さんの絵を見て騒いでいた私達も、彼が指差す方向へ目を向けた。

 神宮駅前。 

 相変わらずの賑わいと、人の流れ。

 活気、笑顔。

 笑い声までは聞こえないけれど、ドア越しにその楽しげな雰囲気は伝わってくる。

 それだけなら、ケイがわざわざ声を上げる訳はない。

 かなりのスペースが置かれている、駅前のロータリー。 

 信号待ちをしている私達の位置からは、その周囲がはっきりと見える。

 道端で友達と話し込んでいる男の子や女の子達。

 そこに近寄り、声を掛けている集団。 

 すると男の子達は、まるで逃げるようにしてその場から去っていった。 

 女の子達も同様に、どこかへ行ってしまう。

 額に巻かれた赤いバンダナ。

 画一的な無表情。

 この間、私達に文句を付けてきた連中だ。


「何やってんだか、あいつら」

 車を道路の端に止め、その様子を見入るケイ。

 バックミラー越しに見える視線は、普段以上に醒めている。

「駅前の風紀を正してるんだろう」

「知ってるの、舞地さん」

 それまで半分くらい寝ていた舞地さんが、眠そうに頷いた。

「ディフェンス・ラインという名前だったと思う。最近都市部で、ああいう事をしているらしい」

「やな感じね。私は、嫌いだな」

 露骨に嫌な顔をして、ドアの窓をかきむしる池上さん。

 この人こそ、何やってるんだか。

「真面目そうな人達に見えるけど、僕には」

「外見と内面は、また別です。それに彼等は、自分達の価値観を絶対と信じている人間だという事を覚えておいて下さい」

 静かに語る舞地さんに、お父さんもはっきりと頷く。

「舞地さん、うちのお父さんをあまりいじめないで下さいね」

「お母さん、何もいじめてないって。ねえ」

「ん、ああ」

 小さくあくびをして、舞地さんは池上さんの肩にもたれた。

 おい。

「寝ぼけてるんじゃない、この子。ほら、真理依」

「ん、まだ着いてないだろ」

「どこへ」

「空港」

 そして、小さな寝息が聞こえてくる。

「寝てないのかしら」

「ええ。今朝は、少し早かったので」

「優もとぼけてるけれど、彼女も相当ね」 

 後ろのスペースからタオルケットを取り、舞地さんに掛けるお母さん。

「あ、済みません」

 お礼を言ったのは、当然起きている池上さんだ。


「おうおう。ビラ配りだしたよ、あいつら」

 ケイが、ため息混じりにハンドルへと倒れ込んだ。

「配るのは勝手けど、ゴミになったビラを誰が片づけるんだか。全く、貴重な森林資源を何だと思ってるんだ」

「浦田君は、大事にしてるの?」

「マンガを立ち読みする事で、無駄を出さないようにしてます」

 馬鹿だ。

「こっちに来たね」

 そんなケイとは違い、脳天気に言うお父さん。

 反対側でパトロールめいた事をしていた連中が、ビラ片手に車のドアを叩いたのだ。

 するとケイが車を降り、彼等の方へ歩いていった。

 私と池上さんも、一緒に降りる。


「何か」

 髪をかき上げ、彼等を見据えるケイ。

「これ、私達の活動が書いてあるパンフレットです。よかったら、どうぞ」

 差し出されたビラを無造作に取り、足元を指さす。

「まず。その辺に散らかってるビラを片付けたら」

 彼等が配り、そのまま捨てられたビラ。

 風に飛ばされ、はるか遠くまで飛んでいっている物もある。

「清掃活動は、この後で行います。今は、パトロールと啓蒙活動の方が大事なので」

 何の疑念もない返答。 

 その間にも、ビラは道路の上を飛んでいく。

「無駄よ、浦田君。この人達に、何を言っても」

「浦田?」

 がっしりした体格の男性が、池上さんに視線を送る。

 そして仲間内で、何やら話し込み始めた。

「どうしたんだろ」

「予想はつく。この間俺達が揉めたから、連中のブラックリストに載ってるんだよ」

「君は、どこでも評判の悪い子ね」

「目立たないように生きてるつもりなんですが」

 冗談めいて答えたケイは、パーカーから手を出して端末を操作していた女の子を指さした。

「草薙高校1年、浦田珪。学内では生徒自警組織、ガーディアン連合に所属。成績は上の下。中等部の時点で、特待生として入学。得意科目は文系。それとも、もっと内面的な情報が欲しいかな」

「え。私達はそんなつもりで」

「だったら、こそこそカメラを向けるのを止めなさい。でもあなた達の映像は、もう学内のホストへ送ってあるけれど。草薙グループのデータベースを通じて、あなた達一人一人のデータをこちらへ転送中よ」 

「え……」

 ざわめきが起き、操作している手が止まる。

 池上さんはストレートのロングヘアを後ろになびかせ、そのままケイの耳元に口を寄せた。

「君のデータ、消す?」

「いえ。これを取っかかりにする必要があるかもしれないので」

「分かった」

 表情のないまま離れる二人。

 よく分からないが、先を見通した話をしているのは間違いない。

「まだ、俺達に何か用?」

「い、いえ」

「結構。俺には何やろうと勝手だけど、もしその他の人に何かやる気なら」

 言葉をため、パーカーに手を戻す。


「殺すよ」

 自然な口調。

 何の気負いも感情もない。

 ただその言葉だけが、耳に残る。

「冗談だと思うなら、今ここで試しても良いけど」

 パーカーのポケットが、おかしな格好で膨らむ。

 まるで、拳銃かナイフでも隠してあるかのように。

「い、いえ。私達に、そんなつもりは」

「お、俺達はその……」

 バタバタと逃げ出す彼等。

 ビラがその後を、転々と追っていく。

「確かめろって言うの」

 ポケットから手を出し、私があげたガムを胸元で振るケイ。

「また君は。懲りないわね」

「軽い冗談です。あのくらい脅せば、俺達に関わろうとしなくなると思いまして」

「却って、目を付けられたかもよ。私は関係ないのに、巻き込まないでもらいたいわ」

 人の事を言えない池上さんは、足元にあったビラをまとめて近くにあったゴミ箱へ捨てた。

「あれ。それ捨てないの」

「どうせ、また悪用する気なのよ。ほっときなさい、雪ちゃん」

 ケイは「へっ」と笑い、さっき渡されたビラをポケットへしまった。


「さてと、帰えろうか。舞地さんもおねむだし」

「あの子、まだ寝てるのかしら」

 ふと車に目を移す私達。

 そこには、お母さんにもたれて完全に寝入っている舞地さんの姿が。

 起きてよ、これだけ騒いでたんだから。

 私達が車に戻ると、お母さんが口に手を当てた。

 静かに、という意味らしい。

「済みません、ご迷惑お掛けして」

「いいんですよ。優も似たような物ですから」

「私、そんなに寝ないけどね」

「その代わり、すぐ甘えるじゃない。ねえ、お父さん」

「僕には、甘えてくれないよ……」

 拗ねるお父さん。

 そうでもないと思うけど、私にだって娘としての気遣いって物がある。

「はいはい、分かりました」

 という訳で、お父さんの隣に座る私。

 呆れたのか、池上さんは一旦降りて助手席へと移動した。

「先に舞地さんの家に行った方が近いのかな。私、はっきりと場所覚えてないんだけど」

「いいんですか」

「ええ、構わないですよ」

 お父さんは鷹揚に頷き、頭を下げた池上さんに向かって手を上げた。

「俺に聞いてくれ……」

 やるせないため息を付いて車を走らせるケイ。

 そう言えば、この子が運転してるんだった。

 いいじゃない、人から頼りにされて。 

 こき使われてるとも言い換えられるけれど。



 という訳で、舞地さん達とお父さん達を送り届けた私達。 

 後は寮でお土産を配って、私も家に戻るだけだ。

 「疲れた」と言い残し、ケイは自分の部屋に。

 車を運転しただけじゃない。

 しかも半分以上は、オートドライブで。

 なってないな、あの子は。 

 一度北海道くらいまで、一人で走れば良いんだ。

 バイクなら平気でやれるんだから。

「おーい」

 インターフォンを押し、のんきに呼び出す。

 ……出てここない。

 何やってるんだろ。

 いないはずはないんだけど。

「おーいって」

 ドアを叩き、さらに呼び出す。

 すると急にドアが開き、赤らんだ顔が見えた。

「ど、どうした」

 焦った様子で、もじもじしているショウ。

 動揺しているようだが、構わず紙袋を渡す。

「別に。お父さん達からお土産もらったから、それ渡そうと思って」

「そ、そうか」

「何慌ててるの」

「あ、慌ててない」

 声を上擦らせて、後ずさる。

 それ見て、誰が信用するのよ。

「中、入っていい?」

「え?」

「駄目?」

「そ、そんな事はないけど」

 埒が開かないので、わずかに空いたドアの隙間から滑り込む。

 小さくてよかったと思える、貴重な瞬間だ。


 シックな色合いでまとめられた家具と、室内用のトレーニング機器。 

 配置もいつも通りで、特におかしな物は無い。

 女の子でも隠れてるのかなとも思ったけれど、そんな雰囲気もしない。 

 少なくとも、知らない香りは感じられない。

 犬のように鼻を利かせている訳ではなく、コロンやシャンプー類という意味で。

「コーヒー飲む?」

 気を遣ってくる。 

 普段でもそんな事は言ってくるけど、表情に余裕がないんだ。

「ただなら、飲む」

「金取る訳無いだろ」

「春先に、コーヒー買いに走らせたの誰よ」

 覚えてないという顔。

 やらせた人はともかく、やらされた私はいつまでも覚えてる。

「テレビ見てたの?」

「ん。暇だったから」

「ふーん」

 私も暇なので、取りあえずスイッチを入れる。

 お昼を過ぎた辺りで、ラグビーの中継をやっていた。

 そこまで燃えたくない気分だ。

 音楽番組は、と。

 えーと、これかな。

 ブロンドヘアの綺麗な女性が、マイクを前に歌っている。

「綺麗だね、この人」

「誰」

「知らない。でも、歌も綺麗」

 スペイン語だろうか。

 早口で、意味は勿論分からない。

 その雰囲気を楽しむといったところだろうか。

「あれ。DDデジタルディスク見てたんじゃない」

「あ、ああ」

「そうならそう言ってよ。何、これ」

 だけど、やけに大きいな。

 こんな機種、持ってたっけ。

 厚さはないけれど、サイズはルーズリーフくらい。

 映像用のプレイヤーと比べれば、2、3倍はいく。


「あ、分かった」

「な、何が」

「これの中身。この間道場の物置で、風成さん達と捜してたのこれでしょ。戦前がどうとか言ってたから」

 そうだ。

 それでこんなに大きいんだ。

 というか、それ以上に中身が気になる。

「何が入ってるのかなー」

 答えは返らず、コーヒーのかぐわしい香りがキッチンから漂ってきた。

 いいや、見ちゃえば。

「もしかして、いやらしいのじゃないで……」

 再生ボタンを押した私の指が固まる。

 やや小さな画面が、しかし圧倒的な迫力を持って迫る。

 指先からの震えが全身に伝わり、頭の中を痺れさせる。

「な、何よこれっ」

 水着を脱いで砂浜に寝そべっている綺麗な女の子達に向かって、私は思いっきり吠えた。



 怒れるというか、呆れるというか。

 一体、何見てるんだ。

 おかしな映像はとっくに消して、少年少女合唱団みたいなのに変えた。

 あーっ。

「あ、あの……」

 隅っこで正座しているショウが、恐る恐る声を掛けてくる。

 私は膝を抱えたまま顔を逸らし、深くため息を付いた。

 やるせなさと脱力感が、全身を覆う。

「こんにちはー」

 元気に部屋へ入って来るモトちゃん。

 鍵を掛けずに、ドアを開けっ放しにして置いたのだ。

 だって、あんなの見た後だもの。

 何かされるという事ではなくて、空気を入れ換えるために。

「機嫌、悪そうね」

 私は無表情のまま、無記名のラベルが貼られたDDを指さした。

「中身は?」

「そ、その。戦前のやばい物が少し」

「ふーん」 

 モトちゃんはDDをデッキに入れ、再生を始めた。

 顔を逸らしていても、音声だけは聞こえてくる。

 シーンはさっきと違うらしく、聞いていて恥ずかしくなってくるような声。

 猫じゃないんだから。

「なるほどね」

 画面を切り替え、私の隣へ座るモトちゃん。


「別にいいじゃない。ユウが映ってる訳じゃないんだから」

「そ、そうだけど。だからって……」

 一瞬ショウと目が合い、私の方から目を逸らす。

「こんにちはー」

 またもや明るい声。

 今度は沙紀ちゃんだ。

「私にも見せて」

「どうぞ」

 モトちゃんからリモコンを受け取り、例の映像をチェックし出す。

「ふーん」

 とだけ言って、映像を切る。

「確かに、あまり褒められた物ではないわね」

「で、でしょ。沙紀ちゃんも、そう思うでしょ」

「ユウ。私だって、いいとは言ってないわ。自分の彼氏がこれを見てたら、それは気分悪いもの」

 私達に見据えられ、さらに小さくなるショウ。

「それで、これの出所は?」

「知らない」

「ショウ君」

 モトちゃんはいつもの穏やかな笑顔を、彼へ向けた。

 でも、答えない。

「男同士の約束とでも?」

「ま、まあ。そういう事もある」

「隠さなくてもいいと思うけど。どうせ、浦田じゃないの」

 ショウは口をあうあうさせて、落ちつきなく体を触れだした。

「知ってたの、丹下さん」

「この間玲阿君達と物置を片付けてた時に、会話が少し聞こえてきたのよ。全く、男の子っていうのは」

「同感」

 頷きあうモトちゃんと沙紀ちゃん。

 私は膝を抱えたまま、上目遣いでショウを見つめた。

 肩を落とし、しょんぼりしている彼を。

 ちょっと可哀想だけど、でも納得はし辛い。


「だから、今呼んで……」

「俺、疲れてるんだよ」

 よろよろと、そのケイが入ってくる。

 そして、正座をしているショウを見て大笑いする。

「あなたも座るのよ」

「はいはい」

 ショウの隣で壁にもたれるケイ。

 私が何か言おうとしたら、モトちゃんに制された。

「面白いDDを、見つけたの」

 彼の顔がわずかに固くなる。

 視線がショウへと動き、口元を手で覆う。

 すぐに悟ったようだ。

「……言い訳じゃないけど、ショウも15才の男なんだから。熱い血潮が騒ぐ時だってある。下らない事を言えば、それを邪魔する権利は誰にもないんじゃない」

「それで、気分を悪くする人がいるとしても?」

「だったら、ショウに男を止めてもらうしかない。だろ」

 からかうような眼差しが、私へと向けられる。

 対抗上、こっちも睨み返す。

「刃物と火があれば、もうこんな事は起きなくなる。えーと……」

 キッチンから、包丁を持ってくるケイ。

 もう片手には、水の中でも付けられる高火力のライターが。

 彼がいつも持ち歩いている、軍用品だ。

「どうするつもり」

 訳が分からないのは一緒だろう。

 沙紀ちゃんが、怪訝そうに尋ねる。

「切るんだよ」

「え?」

「だから、切るんだって。それで、切った跡を火で……」

 聞きたくもない事を、延々と説明してくる。


 話が術後に及んだところで、ようやくモトちゃんが口を挟んだ。

「そんな事、出来る訳無いでしょ」

「ショウだけじゃなくて、俺達もそうだよ。見るのを止められる訳がない」

 達?

 他にも、これを持ってる人がいるって事?

「木之本君達も、っていう意味?」

「さあね。聞いて回れば。いやらしいDD持ってますかって」 

 ひいひい笑うケイ。

 今なら、この人のを切れる気がする。

「もうすぐシスター・クリスが来るって言うのに。浦田は、こういうの持ってて罪悪感とか無いの」

「汝エロDDを見る事なかれ、なんて説教聞いた事無い。大体そういう真面目な生活を送るのは、俺の性にあって無い」

「呆れた」

 処置無しという風に首を振る沙紀ちゃん。

「ただ、私もショウ君を責める気はないわ」

「同じく。でも、いい気持もしないわよ」

「DDは没収じゃない、普通は」

 しっかりショウ達にくぎを差した二人は、私の肩に触れて部屋を出ていった。

 後は、私に任せるという顔で。

「さてと、俺も帰ろ。玲阿君、昼からそんなのを見ないように」

 忠告なのか、からかっているのか。

 ショウに手を振って、ケイも部屋を出ていく。


 残ったのは、私と彼。

「……たまにはいいのかな」

 DDを取り出し、何となく触ってみる。

 そして自分の足を横に崩し、それを指さす。

 ショウに、正座を解くようにという意味を込めて。

「ふぅ……」

 疲れきったため息を付き、足をさするショウ。

「聞いてた、今の」

「たまにはって、言うの?何が、いいんだ」

 きょとんとしている彼に、DDを放る。

「男の子なんだから、たまにはこういうのを見てもいいのかなって事」

「あ、ああ」

 嬉しいのか恥ずかしいのか、ぎこちなく頷いた。

 そしてDDを、こそこそと後ろのタンスへしまう。

「それと、お土産」

 虎をかたどった木彫りの人形をテーブルへ置き、もう一つの女の子の人形をその横へ並べる。

「シベリア名物って訳じゃないけど、可愛いでしょ」

「虎、シベリアタイガーかな」

「さあ。虎は虎でしょ。猫じゃないよ」

 そう自分で笑って、ふと思い出した。

 空港でケイが蹴飛ばした、犬の人形。

 あれは、狼だ。

 そうだよね、犬なんておかしいもんね。

「狼なんだよ」

「え、なにが」

 女の子の人形を優しい顔で見つめていたショウが、顔を上げる。

「そ、その。男の子は、狼じゃないの?」

「俺が聞いてるんだけどな。それに、狼は正座しないぞ」

「ふん」

 そういう事言ってると、天罰が下るからね。

 例えば、DDの中身が全部消えるとか。

 一体、どうしてあれに触ったと思ってるのよ。

 本当、我ながら……。



 その翌日。

 朝から何となく元気のないショウはともかく、私は元気全開。

 ちょっと悪いかなとも思ったけど、どうせコピーしてもらえるだろう。

 と、自分に言い訳する。

 自警局から戻ってきた私は、オフィスのドアを開け室内を見渡した。

「あれ、ニャン来てない?」

「さあ。ネコさんはまだ見てない」

 彼女の苗字は、猫木ねこぎ

 それを取ってケイは、ネコさんと以前から呼んでいる。

 私は昔から、「ニャン」と呼ぶ。

「おかしいな。今日来るっていってたのに」

「ロッカーに入ってるかも。ネコちゃんは」

「いくらあの子でも、そこまでとぼけてないわよ」

 取りあえずおそるおそるロッカーを開け、荷物を放り込む。

 やっぱりいない。

「何やってるのかな……」 

 椅子を引き、時計を見ながら腰掛ける。

 すると、足元に妙な感触が。


「うわっ」 

 突然私の足を伝って、何かが上ってきた。

 慌てて飛び退き、即座に構えを取る。

「ははっ、驚いた」

 がしっと抱きついてきて、にこっと笑うショートカットの女の子。

 少し日に焼けていて、私よりも大きな瞳。

 背格好は彼女の方が、やや上か。

 陸上部短距離のエースであり、私にとっては小等部以来の親友は。

「ニャン、何やってるのよ」

「冗談、冗談」

「もう。ネコは性質悪いわね」

「私は、人間です」

 明るく笑って、机の端に腰掛けるニャン。

「ね、ショウ君」

「答えようがないな。普通の女の子は、机の下には隠れない」

「君が、そうしろって言ったんでしょ。ロッカーはすぐばれるからって」

 知らない顔をしてスクワットを始めるショウ。

 みんなして、人をからかっていたようだ。

「でも残念。体育祭が中止になっちゃって。せっかく人が楽しみにしてたのに」

「でしょ。私も、せっかくニャンに勝てると思ってたのに」

「ふっ、笑止」

 薄く微笑み、私の髪を撫でるニャン。

 中3辺りからは彼女が連勝しているので、余裕なのだ。

 そして負け続けている私は、何も語る資格がない。


「あれよ。そのシスター・クリスが来るから駄目なのよ。今から断ったら?」

「そんな事は、絶対に出来ません」

「そ、そう。そうよね……」

 きっぱりとそしてはっきりと言い放つサトミに、ニャンは気圧されたように頷いた。

「じゃ、私帰る」

「またトレーニングか。大変だな、エースは」

「好きでやってる事だから。それじゃ、ユウユウまたね。サトミちゃん達も」

「うん。私も、今度陸上部へ行くから」

「ネコちゃん、頑張ってね」

 手を振りながら、軽い足取りで出ていく彼女。

 私を「ユウユウ」と呼ぶのは、何とかしてほしいにせよ。

 まあ向こうも「ニャン」と呼ぶのを止めてと言ってるから。

「相変わらず元気ね、彼女」

「ニャンだもん」

 サトミにニッコリ微笑む私。

 まるで、自分の事を言われたみたいに。

 そのくらい、私は彼女が好きだ。

 今目の前で苦笑しているサトミと同じくらい。

 二人とも私にとって、大切な人。

 もし彼女達に何かあれば、自分を省みず行動するだろう。

 少なくとも、そのくらいの気持は持っている。

「陸上か。俺も少し走るかな」

 狭い室内でストレッチを始めるショウ。 

 この人も大切な人だけど、意味合いが少し違うかな。

 理由は、……別に考えなくてもいいや。

「なるほどね。みんなよく頑張る」

 鼻で笑ったケイは、リュックから取り出したマンガを読み始めた。

 自分こそ頑張ってよね。






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