エピソード(外伝) 37 ~ユウ視点~
気持ち
重い。
何が重いと言って空気が重い。
壁に掛かった制服。
だけど、それに袖を通す事はもう必要無い。
机の上に置かれた退学通知書。
勿論、こうなる事は当然予想された。
覚悟の上での行動で、それを悔いるつもりはない。
ただ、退学になったのも事実。
それを喜ぶ理由も、何一つ無い。
……駄目だ。
一人でこもっていると、どうしても考えが悪い方へ悪い方へ流される。
外へ出かけよう。
まずはそれからだ。
服を着替え、自室を出て階段を降りていく。
すると、リビングで雑誌を読んでいたお母さんと目が合った。
何というのか、親の敵を見るような顔だな。
私の親なんだけどさ。
「出かけるの」
「こもってると、考えが暗くなる」
「謹慎したら、しばらくは」
そうしたいところで、確かに出歩く立場ではない。
とはいえ家にこもっていたら、限りなく気持ちがめいってくる。
「それは、また明日考える」
「つくづく困った子ね。それと、目は」
自分の目元に触れるお母さん。
怒っていてもそういう気遣いをしてくれるのは、素直に嬉しい。
親だから当たり前なのかも知れないが、だからこそ余計に。
「目は大丈夫。多分、もう問題ないと思う」
「なら良いんだけど」
いまいち納得をしていない顔。
実際ついこの間までは、事あるごとに病院へ行っていた状態。
突然治るような物でも無く、危ぶまれるのは仕方ない。
ただ先日から精神的に切り替えたのが良かったのか、不安定感は少なくとも自分の中からは一掃された。
逆を言えば、家にこもって暗くしていると目にあまり良いとは思えない。
と、自分自身にも言い訳をする。
「夕方までには戻る」
「どうでも良いけど、あなた遊んでる暇はあるの?」
「編入試験は、受けるだけで合格するんだって」
「当日、テスト用紙を見て青くなっても知らないわよ」
脅さないでよね。
内心、それは気にしてるんだから。
すでに3月も下旬。
お昼ともなれば気候は春その物で、吹いてくる風はぬるく日差しもすっかり柔らかい。
公園の花壇は花が咲き誇り、アイスクリーム屋さんの売店には列が出来ている。
「なー」
足元を抜けて行く黒い猫。
冬が終わり、彼等にとっても過ごしやすい季節。
外で生きていく事がどれだけ大変かは知らないが、今はきっと彼等も幸せなんだと思いたい。
「ふっ」
鼻で笑われた。
いや。猫は草の匂いを嗅いだだけだけど、鼻が鳴ったのは確か。
あまり感情移入しすぎるのも良くないな。
家から歩いてきたせいか、少し暑くなってきた。
私もアイスクリームを買おうかな。
そう思って移動式の売店に向かい、列の後ろへ並ぶ。
「春はやっぱりさくらんぼ。ただいま限定販売中」
ちょっと珍しい味。
ここは一つ挑戦したいところである。
列がさばけ、次は私の番。
カウンターの前に立ち、車の横ではためいているさくらんぼ味の旗を指さす。
「この、さくら……」
「俺、チョコ」
「私、何にしようかなー」
いきなり横からオーダーをする、派手な服装のカップル。
店員さんは困った顔をして、それでも愛想良く二人に声を掛けた。
「済みません。こちらのお客様が、先に並んでいらっしゃいますので」
「ああ?俺達二人だぜ。売上が多い方を優先しろよ」
「常識で考えなさいよ、常識で」
凄い論理を展開する二人。
ここまで来ると相手にもしたくないな。
「私は良いですよ、後で」
「済みません」
ここで強硬に意見を述べても馬鹿馬鹿しいだけ。
私も少しは成長をしてる。
変なカップルをやり過ごし、さくらんぼ味のアイスクリームをオーダー。
それを受け取り、落とさないよう慎重に歩き出す。
「おっと」
わざとらしくよろめくさっきの男。
その先にいたのは、中学生くらいの女の子達。
アイスが顔をかすめ、悲鳴を上げたのを見てカップルが馬鹿笑い。
自分の事はともかく、こういう行為までは見過ごせない。
「これ、どうぞ」
「え」
「まだ、食べてませんから」
側を通りかかったスーツ姿の若い女性にアイスを渡し、自分は肩を回す。
こういう真似はしたくないが、しない事にはどうしようもない。
「いい加減にしたら」
「あ?」
「ふざけるなって言ってるのよ」
売店の店頭にあったストローを手に取り、男の目元に近づける。
その寸前。
手首を少しでも動かすか、男が動けば当たるくらいの距離に。
「こ、この」
「私に倒れてきたら?それとも、私が倒れようか」
「え、いや。それは」
「今度やったら、ためらわない」
私の言葉から何を感じ取ったのか、自分が悲鳴を上げて逃げていく男。
後ろ盾がいなくなれば、女の方も途端に意気消沈。
体を小さくして、慌ててその場から立ち去った。
これで一件落着。
ただ、やり過ぎはやり過ぎ。
私にとっても、周囲の視線はそれなりに痛い。
「では、失礼します」
ストローをゴミ箱へ捨て、一礼して私も走り出す。
本当、何をやってるんだか。
結局アイスは食べそびれ、余計に暑くなっただけ。
ジュースでも買おうかな。
「報道部にでも行こうかな」
真上から聞こえる笑い気味の声。
見上げるまでもなく、それがショウだと分かる。
「何してるのよ」
「それはこっちの台詞だ。時期が時期なんだし、少しは自重しろ」
「見過ごす訳には行かなかったの」
「俺、バニラ」
殺意って、結構簡単に芽生えるな。
違う売店で改めてアイスクリームを購入。
ここにもさくらんぼ味は売っていて、私もようやく春の風味を楽しむ事が出来る。
「謹慎して無くて良いの?」
「何だよ、それ」
「いや。お母さんが言ってたから」
「退学なった時点で、もう全て終わりだ。終わり。俺達は終わったんだ」
嫌な事を言ってくるな。
そういう事実からは、出来るだけ避けていたいのに。
「試験勉強してる?やっぱりお母さんが言ってたけど、テスト用紙を見て青くなるかも知れないって」
「受ければ合格なんだろ」
「本当にそう思う?」
アイスを持ちながら見つめ合う私達。
春は間近いけれど、時折冷たい風も吹く。
アイスを食べたせいか、体の芯も冷えてきたな。
でもって、背筋も寒くなってきた。
ブックセンターへ寄り、高校受験の問題集を手に取ってみる。
答えは書き込まないが、大体は頭に浮かんでくる。
正答を見ると、思い浮かんだ通りの答えが書いてある。
取りあえずは助かった。
「私は大丈夫みたい」
「俺も、まあどうにか」
二人で曖昧な結論を導き出し、ようやく一息つく。
少し良くなる気分。
奇妙な高揚感とでも言おうか。
今までが沈んでいた分、反応で平均以上に浮き上がった感覚がある。
という訳で、ブックセンターと同じ施設内にあるゲームセンターへやってくる。
最近は日頃の生活に追われて足を運ぶ機会もなく、久し振りに来たという印象。
良くあるクレーンゲームの間を通り抜け、大型筐体をチェック。
このゲームセンターは初めてだが、見慣れた機種もちらほら置いてある。
「良く当たるよね-」
「怖いくらいだよねー」
「怖いよねー」
きゃっきゃとはしゃぎながら、筐体の前を離れる女の子達。
どうやら占いのゲーム。
いや。ゲームではないが、とにかくその類のもの。
怖いくらい当たるのなら、少し興味はなくもない。
「やってみる?」
「あんまり俺、興味ないけどな」
素っ気なく答えるショウ。
目を輝かせて、乗り気になられても困るけどね。
周囲の目を遮れるように、筐体はカプセル上になっている。
それ程広くはない空間に二人きり。
仲の良い子同士。
もしくはカップル専用かな。
「では、パットに手を置いて下さい」
正面には大型画面。
その前には台があり、指定されたパットの上に手を添える。
「質問がいくつか出てきますが、言葉に出す必要はありません。心の準備はよろしいですか」
ちょっと怖い入り方。
それに頷き、スタートボタンに手を触れる。
「第1問。相手の顔を見て下さい」
いきなりだな。
でもって、一気に顔が赤くなった。
「第2問。幸せですか?」
言うまでもない。
言う必要もないけどさ。
「第3問。ここは戦場。周りは敵だらけ。一緒にいるのはあなたと隣の方だけ。その隣の方が、ボートに乗って一人逃げ出しました」
質問とは違うが、状況は理解出来た。
そういう事はあり得ないとはいえ、これは仮の話。
逃げられたのなら一人で切り抜けるだけ。
状況が状況なので、仕方ない。
「そこに、隣の方が武器を持って持って戻ってきました。銃口は、あなたに向けられています」
これもあり得ないけれど、そうならそれを受け入れるだけ。
そもそもあり得ないので慌てないし、そう言う理由が何かあるんだろう。
質問はその後もいくつか続き、最後に名前を入力して終了。
テスト結果がプリントアウトされる。
筐体の外へ出た所でそれを読み、一人納得。
相手への信頼が最高となっている。
多分手を添えた部分で血圧や脈拍を読み取り、精神状態を推測してるんだろう。
「どうだった?」
「悪く無い」
プリントアウトされた紙を丁寧に畳み、ポケットへしまうショウ。
悪く無いので、悪い事は書いてないんだろう。
私もこれを彼と交換して見せ合う程の度胸はない。
気分が良いまま、同じ施設内の飲食店街で食事を取る。
私はハンバーグセット。
ショウはステーキセット。
鉄板の上で脂が飛び跳ね、ソースの焦げる香りが何とも食欲をそそる。
「みんな、何してるのかな」
「反省してるんじゃないのか」
怖い事を言ってくるな。
確かに私達は反省どころか、遊びほうけてるけどさ。
「でも今って、本当なら春休みだよね」
「本当なら」
今の私達は高校生ですらなく、春休みどころか年中休みの状況。
笑うに笑えないとは、まさにこの事だ。
「食べないのか」
「え、ああ。少しだけ」
食欲が無くなった訳では無いが、高揚感が薄れたのは確か。
少なくとも、浮かれてる場合ではない。
「私も家に戻ろうかな」
「食べないのか」
それはもう良いんだって。
家に戻ると、リビングから楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
その前を通ってキッチンへ向かうが、私に気付かないのかお母さん達ははしゃぎっぱなし。
誰とはしゃいでいるかと言って、サトミと一緒。
大丈夫かな、この家は。
もしくは、私の立場は。
手を洗って着替えを済ませ、もう一度リビングへとやってくる。
「ただいま」
「お帰りなさい」
静かに返してくるサトミ。
この子にとって編入試験は、お茶を飲むような物。
敢えて意識する事でも無いし、失敗するような事ではない。
テスト用紙を見て青くなる事は無いんだろう。
「試験勉強は大丈夫?」
「さっき、高校受験の問題集を見てきた。それは大体解けた」
「中学生レベルでしょ、それは」
なるほど。
そう言われてみればそうだったか。
とはいえ編入試験用の問題集を見た事は無いし、一応は日頃からそれなりに勉強もしてる。
今更ここで失敗しましたという事にはならないと思う。
多分。
それでも不安になり、自室へ戻って教科書を適当にめくる。
全てとは言わないが、大体は把握出来る内容。
冷や汗は特に出て来ない。
「なんだ」
再び気が楽になった所で、机の本棚からアルバムを手に取る。
日付は高校入学当初から夏くらいまで。
まだ夢と希望に満ちあふれていた時期。
全てには無限の可能性があると信じていた時期とでも言おうか。
この頃は憂いをあまり感じてはいなかった。
そんなのを抱えながら過ごす高校生活もどうかとは思うけど。
時系列順にアルバムをめくり、当時の記憶を追体験する。
この頃は楽しい思い出ばかり。
憂鬱な思い出を、わざわざ写真に残してないからとも言える。
「何か楽しい事でもあるの」
肩越しにアルバムを覗き込んでくるサトミ。
彼女は特に、それへ対しての感慨はない様子。
そもそもこの子って、アルバム自体持ってるのかな。
その事を尋ねると怪訝そうな顔をされた。
「何のために」
随分根本的な質問も返された。
ここまで普通に言われると、私がおかしいように思えてくる。
「何のためじゃなくて。持ってるでしょ、普通」
「記憶してるわよ、ここにある出来事は」
指を差されるアルバム。
まさか、心のアルバムなんて言い出さないだろうな。
名古屋市内を車で横断。
田園風景の中を走っていく。
開けた窓から吹き込む風は心地良く、春がすぐそこまで来てるのだと改めて実感が出来る。
「大丈夫?」
不安そうに尋ねてくるサトミ。
その理由は、私の運転の仕方。
ハンドルは可能な限り手前へ移動。
シートも出来るだけ前へ移動。
シートの下にはクッションを敷いて運転しているから。
「私が代わりに」
「もう見えてきた」
サトミの言葉を途中で遮り、道を右折。
見えてきたのは洋菓子屋さん。
別に用は無いが、サトミが運転するよりはましだ。
サトミの陰気な視線を浴びつつ、ようやく目的地に到着。
お土産のロールケーキを携え、車を降りる。
「どうしたの、急に」
苦笑気味に出迎えてくれるモトちゃん。
まずはロールケーキを渡し、次いで事情を話す。
「アルバム。ユウほどではないけれど、私も持ってるわよ」
「まさか」
一笑に付すサトミ。
こっちがまさかだっていうの。
縁側に腰掛け、紅茶を飲みながらモトちゃんのアルバムをめくる。
基本的には、私が持っている写真と同じ。
モトちゃんがいて、サトミがいて、私が写っている。
中等部に入学して以来、殆ど同じ時を共有しているので当たり前と言えば当たり前。
私の歴史は彼女達の歴史。
などと大げさな事も言ってみたりする。
「げこげこ」
今の感慨とは程遠い、嫌な音。
でも、これが出てくるにはまだ早いと思うんだけどな。
「普通、まだ寝てない?」
「早起きしてるのよ。叩き起こされたのよ」
「誰に」
庭を流れる小川。
そこのほとりに腰を屈め、コード状のセンサーを垂らしているモトちゃんのお母さん。
犯人はこの人か。
私もそれ程好きではないので、慎重に小川へと歩み寄る。
「もういるんですか?」
「種類によるわね。ヒキガエルとかは、少し早めに起きてくる」
小川を覗き込むと、確かに卵が浮かんで見える。
つまりはこれが、全部孵化する訳か。
「げこげこ」
それはもう良いんだって。
カエルとは距離を置く意味も込め、モトちゃんの部屋へとやってくる。
「試験勉強?名前だけ書けば受かるって、聞いてるわよ」
「本当に?」
「さあ。当日になってみないと分からない部分もあるから。それに日頃から真面目に勉強していれば、問題ないんじゃなくて」
さらりと言ってくるモトちゃん。
真面目か不真面目かはともかく、勉強自体は一応やってきた。
余程ひねくれてたり難しくなければ、敢えて試験勉強をしなくても良いくらいには。
「大丈夫、かな」
「高校はいくらでもあるし、資格試験もあるんだから。そんなに心配しなくても良いわよ」
そっと頭を撫でてくれるモトちゃん。
持つべき者は、やっぱり友達。
我関せずと言わんばかりにアルバムをめくってる人とは違う。
とはいえアルバムには興味があるので、私もそれを改めて見る。
さっきのと同じ、私達が映っている写真。
それを見ているだけで、その頃の出来事が思い返される。
「これより古い写真はないの」
手にしているアルバムを軽く振るサトミ。
これというのは、中等部の頃撮影されたもの。
それより前となると、小学生の写真に当たる。
モトちゃんは小首を傾げ、オレンジ色の小さな本棚に収まっている本の背表紙を撫でだした。
「……これかな」
背表紙に書かれている年号は、大体その頃。
サトミが開いてみると、小さいモトちゃんが写っていた。
「同じじゃない」
私とは違う感想を漏らすサトミ。
何が同じかと思って、改めて写真に見入る。
「どういう事」
「今と、顔が変わってない」
「そんな訳は」
アルバムを見て、モトちゃんを見て、またアルバムを見る。
同一人物なので、顔が同じなのは当たり前。
それでも年齢の分だけ変化があるのも普通。
その変化が、モトちゃんは少ない気もするが。
「老け顔って言いたいの」
笑顔を浮かべつつ、しかし低い声を出すモトちゃん。
私なら、とっくに飛びかかってるけどな。
「そこまでは言わないけれど。多分、昔から変わってないのね」
「どうせ私は変化のない生活を送ってるわよ。平凡な人生を。平凡で良いじゃない。波瀾万丈な人生って何よ」
知らないわよ。
というか、私を見ないでよ。
ついでという訳では無いが、一階に下りて元野家のアルバムを開いてみる。
写っているのは、当然元野家の人間。
この場合は当たり前だがモトちゃんだけでなく、天崎さんやモトちゃんのお母さんの写真も多い。
となると、天崎家の写真と呼んだ方が良いのかな。
「……これは」
まだ若い天崎さんとモトちゃんのお母さん。
そしてもう一人、女性。
彼等に囲まれる恰好で、勝ち気な顔立ちの少女が写っている。
「高嶋さん。ほら、今理事長の」
ティーカップを傾けながら微笑むモトちゃんのお母さん。
そういえば、教師と教え子だって言ってたな。
「……これは」
何とも目付きが悪い天崎さん。
すれてるのではなく、鋭さと厳しさが写真からも伝わってくる。
「研修に来た頃の写真。その頃は、尖ってたみたい」
そんな話も聞いた事がある。
今でも時折、その片鱗は垣間見る事も出来るしね。
対してモトちゃんのお母さんは、それ程の変化はない。
大体の写真は穏やかに笑っていて、モトちゃん同様今と同じ。
将来のモトちゃんがここにいるのかも知れないな。
「これは?」
「ああ、戦争中の写真。お父さんは当時教育庁の官僚だったけれど、軍へ出向してた事もあったの。新兵の教務担当として」
「へぇ」
軍服に軍帽。
腰には銃。
ちょっと見慣れない姿ではある。
「本当、平和になって良かったわ」
「そうですよね」
「退学しても生きていけるんだから、気にしなくても良いわよ」
気にはしてないし、そんな事は忘れてた。
なんか、却って気が重くなってきたな。
逃げた訳でないが、元野家を離れて名古屋へ戻る。
景色は田園風景から住宅街、そしてビル街へと変わっていく。
普段は気にもしないけれど、ああいう場所から戻ってくるとやはり雑然とした感じは否めない。
畑の真ん中で暮らすのは、私はちょっと辛いけど。
道が混んだり入り組んでいても、生活の利便さには代えられない。
「っと、ここか」
通りから路地へ入り、そのまま直進。
後は真っ直ぐ行って行き止まりに到着。
玄関の前で手を振ると、大きな門が自動的に開く。
そのまま駐車場へと移動し、車を降りて外に出る。
「なー」
足元にまとわりついてくる大きな猫。
その頭をそっと撫で、母屋へと歩いていく。
「どうかしたのか」
「アルバム、アルバム」
「意味が分からん」
上半身裸で、滴る汗を拭いているショウ。
で、どっちが分からないって。
リビングでお茶を飲みながら待っていると、ショウがアルバムを持って来た。
彼のではなく、ここでもやはり玲阿家の物。
写っているのは当然、玲阿家の人間。
出だしがいきなり、日本刀を両手に持った瞬さんの写真。
「何、これ」
「組事務所に乗り込んだ時って聞いてる」
「何のために」
「さあ」
考えたくもないと言いたそうなショウ。
次をめくると、軍服の月映さん。
スナップショットで、夕暮れが迫る噴水前で腰を下ろしている。
「これは?」
「ヨーロッパで活動してた頃らしい」
「へぇ。……誰、これ」
敵意というか、殺意すら感じさせる表情。
高校生くらいの男の子で、右腕を肩から三角巾で吊っている。
「水品さんだよ。玲阿家へ初めて来た頃じゃないかな」
「怪我は?」
「父さんか伯父さんか、とにかく誰かに折られた」
今の穏和な先生とはまるで別人。
ただ昔は荒れていると聞いた事もあるので、つまりはそういう時期なんだろう。
「人に歴史ありだね」
「それで、アルバムがどうかしたのか」
「いや。特にどうも……」
ページをめくると、建物を前に整列している軍人達の写真が現れた。
軍人と言っても全員若く、私達と何才も変わらないと思う。
よく見ると右下に、「士官学校卒業式記念」とある。
「卒業、か」
今までいくつもの思い出を刻んできて、卒業にまつわる事も勿論ある。
小学校、中学校。
この間の、塩田さん達の卒業式。
ただ卒業式に関しては、そこまで。
草薙高校の卒業式に関しては、もう縁がない。
思わず出るため息。
下げた視界の先によぎる影。
「春は眠いな」
欠伸をして、私の前に座るケイ。
そういえば、この家に泊まってるとは聞いていたが。
「私達って、もう卒業出来ないんだよね」
「何が」
「草薙高校を」
「ああ、そういう事」
だからなんだと言いたそうな表情。
そういう感慨は薄いタイプなので、あまり共感はしてもらえなかったようだ。
ソファーに深くもたれ、テレビを見始めるケイ。
流れているのは、シスター・クリスを扱ったドキュメンタリー。
中米の紛争地帯で、対立する組織の仲介役を務めているシーン。
周りは武装した男達で、今にも相手へ銃を向けそうな雰囲気。
そのなんな中でも彼女は物怖じせず、リーダーらしい男達を叱咤している。
「偉いね、この人は。私は退学になったのに」
「この人は、そもそも学校に通ってないだろ」
素っ気ない返事。
ただそれに、なるほどとは思えない。
私は高校すら満足に通えず、彼女は世界をまたに活躍している。
比較にすらならない存在。
ため息が改めて漏れるのも仕方ない。
たまらない重苦しさ。
押しつぶされて、息が出来ないくらい。
吹き出る脂汗。
思わず叫び声を上げそうになり、大きく手足を伸ばす。
「むなー」
聞き慣れた声。
何がと思ったら、背中が軽くなって目の前にコーシュカの顔が現れた。
どうやらソファーで寝入り、コーシュカが上に乗っていたようだ。
テーブルにあったグラスのお茶を飲み、小さく一息。
なんか、どうでも良くなってきたな。
「みんなは」
「なー」
甘い声を出してよじ登ってくるコーシュカ。
膝の上に彼女を乗せ、背中を撫でる。
柔らかい手触り、暖かい体。
気持ちも自然と和らいでいく。
「まあ、なるようにしかならないか」
「な?」
「よし、帰ろう」
コーシュカをソファーの上へ置き、立ち上がって玄関を目指す。
過去を懐かしんでいても、未来を憂いても仕方ない。
大切なのは今。
この時を生きる事だから。
「ただいま」
靴を脱ぎ、階段を駆け上がって服を着替える。
そしてリビングに入り、テレビを見る。
「……暇なの、あなた」
夕食の準備をしていたのか、包丁片手に尋ねてくるお母さん。
私が見ていたのは、はららぺこぺこりのアニメ。
絵本のそれとはかなり違うが、これはこれで面白い。
「高校生が見る物でも無いでしょ」
「そんな事はない。面白い物は、世代を超えるの」
「マンガでむきになられてもね。それより、お皿運んで」
アニメより現実優先か。
当たり前だけどさ。
ご飯の用意が出来たところでお父さんが帰宅。
良いタイミングで夕食を食べ始める。
「今日はどうだった?」
ビールのグラスを持ちながら尋ねてくるお父さん。
それに笑顔を浮かべ、こくりと頷く。
「充実してた」
「それは良かったね」
優しい、暖かい笑顔。
私も改めて頷き、ご飯を食べる。
「幸せな性格してるわね、あなた」
苦笑して私の顔を指さすお母さん。
幸せ、か。
退学になり、編入試験もまだ受けていない状態。
高校生でも何でもなく、非常に曖昧な立場。
それでも幸せと言っていれば、確かにのんきとしか思えない。
だけど思う。
過去が辛くても、未来の先行きが見えなくても。
今という時を虚しく感じる理由にはならない。
だから私は、精一杯生きる。
この瞬間を、心の底から楽しみたい。
了
エピソード 37 あとがき
特に内容の無い内容。
冒頭部分が、エピソード1をなぞってるくらいですね。
色々あったけど、これからもやっていこう。
くらいに思って下されば幸いです。




