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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第37話   2年編最終話
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37-13






     37-13




「わっ」

 慌てて顔を上げ、口元を拭う。

 悪い夢を見た。

 学校を退学になった、悪い夢を。

 欠伸をしながら部屋を見渡すと、ハンガーに制服が掛かっているのが見えた。

 退学したのなら、制服はもう必要ない。

 最近色々あったので、それが夢になって現れたんだろう。



 階段を下り、リビングで新聞を読んでいるお父さんに挨拶をする。

「特に、これといったニュースもないね」

「平和で何よりだよ」

 そう言ってお茶をすするお父さん。

 それもそうだと思いつつ、炊飯ジャーからご飯を注いで席に付く。

「さっき、怖い夢を見てさ」

「怖いって、どんな」

「学校を退学する夢」

 明るく笑い、焼き魚をおかずにご飯を食べる。


 リビングに響く笑い声。

 ただし、笑っているのは私だけ。

 お母さんはキッチンへ消え、お父さんは新聞を顔まで上げて返事もしない。

 おかしいな、なんか汗が出てきたぞ。

「ちょっと、冗談でしょ。制服は部屋にあったじゃない」

「何が冗談なの。大体、どうしてあなたは家にいるのよ」

「どうしてって、寮を追い出されたから」

 キッチンから聞こえるお母さんの言葉に返事をして、少しずつ記憶を辿る。

 洗い立てのように濡れた箸が手から滑り、顔から血の気が引いてきた。


「だって夢、でしょ」

「寝てるの、あなた」

 果物ナイフ片手に現れるお母さん。

 慌てて逃げだそうとしたら、リンゴを剥きだした。

 だけど、今はちょっと近付かない方が良さそうだ。

「ちょっと、お父さん」

「熱でもある?」

 新聞越しに、不安そうな視線を投げかけてくるお父さん。

 額に手を当てるが別に熱くはないし、少し寝たりないだけ。

 時計を見ると、いつもならもう学校へ出かける時間。

 そんな時間にのんびりご飯を食べている自分に、ようやく事実という物が理解出来てくる。

「あれ?」

「あれじゃないわよ。これ、見なさい」

 テーブルの真ん中に置かれる一枚の書類。


「退学通知書。草薙高校理事会は、雪野優を退学処分とする。多年制学校法人草薙グループ高等部理事会」


 素っ気ない、要旨だけを伝える書面。

 だからこそ、その事実がはっきりと伝わってくる。

「ティッシュ、ティッシュ」

「泣きたいの?」

「鼻が出た」

 我ながらひどいとは思うが、出る物は仕方ない。

 眼科の前に、耳鼻科に行った方がいいのかな。

「ああ、思い出した。理事長からもらった気がする」

「気がするじゃないわよ。お父さんからも何か言って」

「怪我が無くて良かったよ」

 のんきな事を言って、お母さんに睨まれるお父さん。

 とりあえずお父さんは味方だと分かったので、椅子をずらして近くによる。

「他に、誰が退学になったっけ」

「優と、聡美ちゃん。後は四葉君。珪君は、退学してるから無関係とか言ってたわね」

「モトちゃんは?」

「他の子は全員停学止まり。どういう事かしらね」

 果物ナイフの峰で、リンゴを叩くお母さん。

 その行為こそどういう事か知りたくもあり、知りたくもないな。


「モトちゃんは退学じゃなかったんだ」

「全員退学にしたら、まとめる人がいないでしょ」

「私はまとめられないと思ったのかな」

「荷物でもまとめる気」

 どうにもとげとげしいお母さん。

 ただそれは当たり前の話で、昨日も謝ったとは思うが改めて頭を下げる。

「どうも済みませんでした」

「私達に謝っても仕方ないでしょ」

「誰か、他にいるっけ」

「そのためにお父さんも仕事を休んでるの。今日は一日挨拶に回るわよ」

 なにやら厄介な事を言い出すな。

 退学をしただけで、もう十分責任は取ったような気もするんだけど。

「ご飯を食べたら、まず病院へ行くわよ」

「見えてる。すごい見えてる」

「知りません。太い注射でも打ってもらいなさい」




 さすがにそういう事はなく、いつもと同じ検査だけを受ける。

 診断結果もいつもと同じ。

 徐々に良くはなってきているが、特に治ってもいないとの話。

「怪我は大丈夫ですか?派手に暴れたようですが」

 苦笑気味に私の拳を手に取る女医さん。

 服を脱げば微かにアザくらいはありそうだが、目に見えて分かるのは頬の擦り傷くらいだろう。

「特に、これといって」

「昨日はかなり搬送されてきましたからね。手首が粉砕骨折してた人もいましたよ」

 後ろから感じる刺すような視線。

 ここで言い訳はしないが、私がそうならなかった事を喜んでもらいたい。

「何かあれば、すぐ来て下さい。お大事に」



 病院を後にして、玲阿家の本邸へとやってくる。

 駐車場にはいつもより車が多めに止まっていて、その上でコーシュカが丸まっていた。

 3月とはいえ、まだ風は冷たい。

 ボンネットの余熱で暖を取っているのかも知れない。

「おはよう。調子どう」

「ふっ」

 鼻を鳴らし、車を降りてどこかへと歩いていくコーシュカ。

 尻尾を掴んでやろうかと思ったが、今はそういう状況ではないので放っておく。

 これは明日以降に保留だな。

「ばう」

 代わってすり寄ってきたのは羽未。

 この子は私に挨拶をしてくれたので、その頭を撫でて背中に乗る。

「……何それ」

「乗る?」

「乗るって、犬じゃない」

「お母さんなら体重も変わらないでしょ」

 羽未を屈ませ、嫌な顔をするお母さんをまたがらせてみる。


 この辺は礼儀をわきまえているというか、暴れる事もなく静かに歩き出す羽未。

 そこに、何故か木刀を担いだショウのお祖父さんが現れた。

 場違いどころの騒ぎではなく、ただお母さんは降りられないのか私を振り向いてぎっと牙を剥いてきた。

「怒らないでよね。羽未、屈んで」

 言われた通りに腰を下ろし、すぐ私のところへ戻ってくる羽未。

 車の陰からこっちの隙を窺っているコーシュカとは雲泥の差だな。

「ようこそ。みんな集まってますよ」

「このたびは大変申し訳ありません」

 頭を下げようとしたお父さん達を笑顔で制し、母屋へ促すお祖父さん。

 このくらいの鷹揚さがお母さんにあると助かる。

 仮に私がお母さんの立場なら、逆さ吊りくらいにはしてるだろうが。




 母屋のリビングにいたのは、瞬さん達以外に水品さんと御剣さん。

 この二人には確かに迷惑を掛けたし、お世話にもなった。

「あの戦闘機はどうしたんですか」

「練習機が出払ってましてね。余ってる機体を借りました」

「俺も似たようなものかな。天崎さんに理事長を連れてこいって言われたから、一番足の速い奴を借りた」

 そう語る水品さんと御剣さん。

 理事長の登場で理事を追い詰められたのは事実だが、それが誰の考えかまでは聞いてなかった。

 私達の知らないところで、生徒だけではなくこうして大人達も協力をしてくれていた。

 だからこそ昨日の出来事は、まさにみんなで勝ち取った物だと言える。

「でも学校って市街地ですよね。戦闘機が飛んで良いんですか」

「都合良くレーダーの具合が悪くなったらしい」

 お腹を抱えて笑う瞬さん。

 月映さんも苦笑気味に、その様子を眺めている。

「小牧基地で一暴れしてやった。陸軍を舐めるなって話だぜ」

「何したんですか」

「私は管制室で話をしていただけですけどね。私は」

「特殊部隊も大した事無いな。俺はまだまだ現役だ」

 どうやら、これ以上は聞かない方が良いらしい。

「四葉君は?」

「道場で反省してる」



 道場の手前から中をこっそり覗くと、畳の上に人が倒れていた。

 反省どころか、立ち直れないといった雰囲気。

 呼吸を整え、気持ちを落ち着け道場へと足を踏み入れる。

 そのくらいの心構えが必要な場所だと、私は思っているから。

「何してるの」

「倒れてるんだ」

 反省しているという言葉は出てこず、上げられた顔にアザが浮かんでいる。

 それを押さえる手も震え気味で、手首も赤い。

「反省してるって聞いたけど」

「反省させてやるって、殴りかかってきた」

 よろけ気味に立ち上がり、足を引きずりながら歩くショウ。

 そういえば、瞬さんの頬も赤かったな。

「やっぱり退学が原因だよね」

「ああ」

「でも、瞬さんは小牧基地に殴り込んだんでしょ。納得してるんじゃないの、退学の事も」

「それとこれとは話が別らしい」

 顎を押さえ、何度か噛む素振りをするショウ。

 幸い抜けた歯が口から出てくる事はなく、ただ表情はかなり痛々しい。


「大丈夫?」

「骨は折れてない」

 それが多分、大丈夫という意味らしい。

 つまり彼等はそれくらいの状況になって、ようやく大丈夫ではないと言うんだろう。

 そう考えると私のお母さんは怒っていても、私を気遣って病院に連れて行ってくれるしこうして付き添ってもくれる。

 自分で言うのもなんだけど、やっぱりお母さんは優しくて私を愛してくれてるんだろう。

「確かに退学はまずかったよね」

「今更なんだよ」

「色んな人に迷惑を掛けたみたいだしさ。私なりに反省してるの」

「俺はもう、嫌という程したぞ」

 左足を引きずりながら道場を出て行くショウ。

 まさかとは思うが、この後リビングで第二試合が始まるんじゃないだろうな。



 幸いそういう事はなく、そのまま玲阿家を後にする。

 反省ではないが、お父さんの代わりにショウが運転手を務めて。

「悪いね」

「いえ。それで、どこに」

「えーと。ナビに入力したはずだから、そこへ行ってくれるかな」

 表示される地図。

 記憶にある順路だが、どうも思い出せない。

 もしかすると、思い出したくないのかもしれない。



「お気になさらないでください。ええ、本当に」

 口元に手を添え、たおやかに微笑む矢加部さん。

 今いるのは彼女の実家というか、大邸宅。

 ショウの家も相当だけど、この家はそれすらかすむ。

 多分棚の上にある調度品一つで、雪野家の一軒や二軒は軽く建つと思う。

「気にしないで良いって。帰ろうか」

 そう言った途端、矢加部さんに刺すような目で睨まれた。

 どうやらお母さん達は気にしなくても良いが、私は気にしないといけないようだ。

「四葉さん、そのお怪我は。昨日は、なんともなかったはずですが」

「稽古でちょっと」 

 曖昧に誤魔化すショウ。

 反省ついでにお父さんと殴り合ったとは、さすがに口にはしない。

「それで優ちゃんは、これからどうするつもりかな」

 珍しくスーツ姿のおじさんが、にこやかに尋ねてくる。


 どうというのは、やはり私の今後についてだろう。

「理事長が系列の高校を幾つか紹介してくれたので、サトミ達と相談してそこに通おうと思います。自宅から近いところで」

「そうなの?てっきり北海道にでも行くと思ってたわ」

「何で北海道なの」

「逃亡者は北に逃げるのよ」

 誰が逃亡者なんだ、誰が。

 いや。言いたい事は何となく分かるけどね。

「そうかね。まあ、草薙高校については矢加部家としてもバックアップするから安心してて良いよ。出資企業は幾つか手を引いたが、舞地さんとも相談して今までの水準を維持するようには努力するから」

「お願いします」

 もう私は草薙高校の生徒ではないが、その行く末はやはり気になる。

 今言ったように企業は手を引き、また生徒の自治も今まで通り守られるかは分からない。

 そこで学校を離れるのは心苦しいけど、自分で撒いた種である。

「高校は行かずに、この家で遊んでればいいじゃない」

 何やら怖い事を言い出す矢加部さんのお母さん。 

 この家の財力なら私が100人いても平気だろうが、そこまで甘える理由が無い。

「私、可愛い女の子が欲しかったのよねー」

「私は可愛くないとでも」

 目を尖らせてこちらを睨む矢加部さん。

 綺麗とか美形という形容詞は付けてもいいが、可愛いという定義には当てはまらないと思う。

 何より、私を見る目付きは刃そのものだ。

「私じゃなくて、おばさんが言ったんでしょ。大体高校にはまだ通う……」

 胸の奥で引っかかる何か。


 高校生。

 いや。今の私は無職。

 とりあえず、家事手伝いとしておこう。

 それを気にする感覚とはまた違う。 

 何かやり残した事があったはずで、それが出てこない。

 テストは全く関係ないし、陸上部はもうニャンに勝てないと分かっている。

 後は4月までのんびり過ごして。

「分かった。分かった。分かったよ」

 ソファーから立ち上がり、お母さんの肩を叩いて感動を告げる。

 そのままドアへ向かって走り出し、すぐに戻ってショウを呼ぶ。

「車、車。いや、その前に上着」

「落ち着けよ」

 非常にもっともな事を言い出すショウ。

 とりあえず差し出されたお茶を飲み干し、お父さんを目を合わす。

「ちょっと出かけてくる。車は……。ああ、使うよね」

「僕達はバスで帰ってもいいけど」

 非常に人の良い事を言い出すお父さん。 

 さすがにそういう訳には行かず、端末で時刻表を確かめる。


 自宅からだと間を置かずに次から次へと来るんだけど、ここからは一本乗り過ごすと次までが長い。

「車が必要なら、余ってるのに乗っていけばいいよ。いや、バイクの方が早いかな」

「早い?」

「この間メーカーが、数台持ってきてね。私はとても乗れないが、四葉君なら問題ないだろう」

 そこまでは急いでいないが、日が上がって外はかなり温かい。

 言ってみればツーリング日和で、おじさんの厚意に甘えるとしよう。



「どこに行くんだ」

「すぐ着くから」

 アクセルを開き、行く手をふさごうとしたセダンをあっさり追い抜く。

 見た目はビッグスクーターだが、エンジンはレーサーレプリカの最上位車と同じ物を搭載。

 馬力制限や速度制限のリミッターもなく、しかもギアも無いためアクセル一つで簡単に操作出来る。


 ただこれはかなり特殊な車種で、市販化は無理。

 乗りやすいがスピードも出やすいので、走り出した途端転ぶ人が続出すると思う。

「どうして、ユウが運転してるんだ」

「たまにはいいじゃない。これなら、ギアもフットブレーキも必要ないからね」

 ハンドルの位置も変更が出来、ブレーキを操作しようとして指がつりそうになる危険は無い。


 気持ちよく走っていた所へ、横から無理矢理幅を寄せてくる赤のスポーツカー。

 こうして自分が運転していると、こういう存在がいかに気に障るか良く分かる。

 交通事故のいくつかは、この手の精神状態が影響しているかもしれないな。

 さすがに危ないから追い抜こうとした所で、それに合わせて向こうも加速。

 さらに幅を寄せて来た。

 ショウの真似をして蹴ろうとしたが、全く持って届かない。 

「蹴るなよ」

「自分はいつも蹴ってるじゃない」

「そういうのを、大人気ないっていうんだ」

 反省した人は言う事が違う。


 ただ蹴る必要がないのも確かで、アクセルをさらに開いてスポーツカーをはるか後方へと追いやって済ます。

「それで、どこに行くって」

「もう着いた」

 都市高速のインターを降り、制限速度通りに一般道を走る。

 すぐに見えてくる熱田神宮。

 そして懐かしい、草薙高校。

 昨日も来たので懐かしいという表現は当たらないかもしれないが、感覚的には遠く感じてしまう。

 自分はここの生徒ではないという気持がそうさせるんだろうか。

「お礼参りでもするのか」

「誰にするのよ。ちょっと様子が知りたくてね」

「様子?」

「いいから」

 この辺は曖昧にごまかし、正門までスクーターを走らせる。



 今日は正門からも業者の出入りが多く、また警備員が車を誘導すると共に道路を行き交う人へも視線を配らせる。

 勿論、正門前で止った私達にも。

 ヘルメットのシールドを上げたところで私達に気付く警備員さん。

 中に入りたい旨を告げると、少し考える素振りをしてどこかと連絡を取り出した。

「……いいよ、入って。ただ、暴れないでね」

「それは勿論」

 さすが私も、昨日の今日でそこまでする度胸は無い。

 何より昨日が停学だけで済んだのは異例中の異例。 

 本来なら警察の拘置所で、鉄柵の掛かった窓を眺めていてもおかしくは無かった。

「ああ、いいよ。スクーターのままで」

「いいんですか?」

「最後の思い出だからね」




 何やら怖い台詞を聞いて、スクーターのまま並木道をゆっくり走る。

 桜が咲くにはまだ早く、ただ少しずつだが芽が息吹きつつある。

 残念ならが今年は桜吹雪の中を歩く事は出来そうに無く、さっきの警備員さんの言葉を思い出す。

「あーあ」

「帰るのか」

「まだまだ、これから」

「全く意味が分からん」 

 スクーターから降りて、横を歩き出すショウ。

 スタビライザーが付いているため、徐行していてもスクーターがふらつく事は無い。 

 私も彼のペースに合わせてスクーターを走らせ、最後かもしれない並木道を歩いていく。

「こういう景色だったんだね」

「ああ」

「今まで何も考えずに通ってたから、全然覚えてなかった」

 いや。記憶には勿論残っている。


 ただどこに何があり、どんな木が植えられ、教棟のどの部分が見えているか。

 細かく全てを覚えてはいなく、ただイメージとして捉えていた。

 ここに来れば学校の正門前の道だというのには気付くけど、何があるかまでは覚えていない。

 そこまで覚える理由は何も無かったから。

 心にこの光景を焼き付けようとしても、それにはあまり身が入らない。

 この学校を去る事への後悔を、今更ながらに感じてしまっているのかもしれない。

「行こうか」

「ああ」



 記憶を頼りに通路を抜け、第1講堂へとやってくる。

 業者が忙しそうに机やら花を搬入し、ダンボールが玄関の前に山積みされている。

「この前は、入学式の準備って言ってたからね」

「ああ、卒業式か」

 今頃気付いてくれるショウ。

 ただあまり早く悟られると私としても多少気まずさがあった。

 それは私の、気の回しすぎかもしれないが。


 スクーターを降り、業者の人達の邪魔にならないよう講堂の中へと入っていく。

 私が立っているのは一階の観客席。

 すでに壇上はセッティングが終わり、今はリハーサルをしている様子。

 その後ろを花を抱えた業者が忙しく走っていくのが、いかにもといった気にさせられる。

「何か用事でも」

 苦笑気味に歩み寄ってくる前生徒会長。

 彼はインカムをつけ、首には端末を3つくらいぶら下げている。

「ちょっと見学にね。なんか、忙しそうじゃない」

「一応全体の責任者を任された。ああなったから、次点繰り上がりだ」

「生徒会長って、そういうものなの?」

「他になり手もいない。元野さんは、停学中だからな」


 そう言ってインカムで指示を出していく前生徒会長。

 いや。次期生徒会長か。

「あのさ。明日、私達は出席出来ないかな」

「出席。……ちょっと待ってくれ」

 そう言って端末に向かって誰かを呼び出す会長。

 少しして現れたのは、やはりインカムをつけた矢田君。

 何もしない人が一番賢いというが、この人はその典型だな。

「警備は彼に一任してある。ただ、私としては君達の出席を断る理由はない。君達がいたからこそ、明日の卒業式がある訳だから」

「ありがとう」

「後は矢田君と話してくれ。私からはそうとしか言えない」

 そう言って去っていく会長。

 後は当然だが、私達と矢田君だけとなる。

 気まずい空気が流れ、ただそれを気に掛けている場合ではない。

「今聞いた通り、明日の式に出席したいんだけど」

「在校生としては無理ですよ。お分かりでしょうが」

「立場はどうでもいいの」

「ちょっと待って下さい」

 腕を組み、難しい顔をする矢田君。


 会長のように即決はせず、なにやらあちこちと連絡を取り出した。 

 そんなに私達が危険だと思ってるのかな。

 昨日の事を知ってるのなら、当然といえば当然の対応かもしれないが。

「……分かりました。大人しくしてくれるのなら、会場に来てもらっても構いません」

「本当?」

「ただし、絶対人目には付かないように。混乱する可能性が高いですし、誰もが皆さんに好意的ではありませんから」

 はっきりと釘を刺してくる矢田君。

 それは今更という話で、ただ条件付でも許可は出た。

「ありがとう。じゃあ、また明日」

「くれぐれも言っておきますが」

「分かってる。絶対に目立たない。じゃあね」



 鼻歌気分でスクーターを走らせ、男子寮へとやってくる。

 すると玄関先にダンボールが詰まれ、それにケイが腰掛けていた。

「何してるの」

「退学したのなら荷物を片付けて下さいって言われた」

「こんなにあった?」

「本当、不思議だよな」

 そう言って、鼻で笑うケイ。

 ダンボールを良く見ると、その中の半分は「玲阿四葉」と書かれている。

「ああ、悪い。忘れてた」

「それは良いんだけど、学校は」

 さすがにこの辺りの情報は早いな。


 出席の許可は得たと彼に告げ、その反応を待ってみる。

 だけど喜びの声を上げるとか肩を叩き合うという事にはならず、白けた顔でダンボールに座っているだけ。

 この先100年経っても、状況は発展しそうに無い。

「何か言う事はないの?」

「別に。俺は出ないし」

「全員出席なのよ」

「おい。俺達は退学してたり停学中なんだぞ」

「そんな事関係ないのよ」

 我ながら理不尽な台詞だとは思うが、それが私の本心。


 病気や都合が悪いのならともかく、この卒業式に出ないという選択肢はありえない。

 しかしケイは露骨に不満そうな顔で、ダンボールを叩き出した。

「そんな眠そうなのに出たって仕方ないだろ。それとも何か、最後に敬礼でもするか?ああいう恥ずかしい真似を」

 途中で言葉が途切れ、そのまま地面へ転がるケイ。 

 彼の後ろから現れた塩田さんは、足を引いてその喉元につま先を突きつけた。

「誇り誇り。塩田さんは俺達の誇り」

「お前が言うな。それで、式に出席するって?」

「雪野さんは本気らしいですよ。止めて下さいよ」

「止めてと言われても困るんだが。まあ俺も、今回は浦田に賛成だぞ。無理して出る必要は無いし、お前達にも負担だろ」 

 何やら寂しい事を言ってくる塩田さん。

 確かに好奇の目に晒されるのは間違いなく、また矢田君の言う通りそれが混乱を招く原因にもなりかねない。


 ただそれは理屈であって、私は感情の話をしている。

 塩田さんの卒業式に出席しないなんて事はありえない。

 私達の先輩に。

 この胸に熱い思いを抱いた人に。

「大体お前、退学したんだろ」

 非常に傷付く事を言ってくる塩田さん。

 彼に悪意は無いだろうが、分かってる事を改めて言わなくてもいいじゃない。

「それはそれ、これはこれです。舞台の袖からでも見てます」

「そうか。色々迷惑掛けて悪いな」

「いえ、そんな事は」 

 その一言で気分が晴れて、沈んでいた心も浮き立ってくる。

 ついでにショウの肩を叩き、その感激を彼と分け合う。

 あくまでも、私の一方的な分け方に過ぎないが。


「でも、全員卒業出来るんですよね。昨日の事は、大丈夫なんですか」

「卒業後に課題を提出するのと引き換えにな。何が卒業かって話だ」

 げんなりした顔でため息を付く塩田さん。

 ただ卒業出来ると聞いて、その部分においては安心した。

 特に塩田さん達はほぼ主力として学内で戦っていたため、それこそ退学になってもおかしくは無かったと思う。 

 それを課題だけで許してくれたのは、理事長の温情と言って良いだろう。

 残念ながら、その温情は私には届いてないみたいだが。

「俺よりも、お前達はどうなんだ。これからどうする」

「サトミと話して、決めようかと思ってます。……あの子はどこ?」

 家にはいなかっし、ここにもいない。

 そう言えば昨日から見てないな。

「例の高級マンションにいるんだろ」

「ああ、そうか。全然忘れてた」

 逃げ込むにはいい場所で、私も私物を置きっぱなし。

 様子を見がてら、一度言ってみるか。




 重い空気。

 物音しない室内。

 モトちゃんが雑誌のページをめくると、その音が当たりに響き渡るような錯覚を覚えるくらい。

 サトミはその後ろのソファーに寝転がり、タオルケットを頭まで被っている。

「どうかしたの」

 風邪でも引いたのかと思い、小声でモトちゃんに尋ねてみる。

 すると彼女の方が、逆に尋ねてきた。

「ユウこそ、元気良いわね」

「やっぱり風邪?」

「……ちょっと座って」

 言われるがままに座り、額に手を当てられる。


 大きくて柔らかくて暖かくて。

 お母さんってこんな感じかもしれないな。

 いや。私のお母さんは生きてるし、もっと手は小さいけどさ。

「熱は無いようね。自分の立場って、分かってる?」

 子供に物を尋ねるような口調。

 それに頷き、ショウとケイ。そしてサトミと自分を指差す。

「退学になったんでしょ」

「それで?」

「それでって、なったものは仕方ないじゃない」

「すごいわね」

 褒められた。

 もしくは、相当呆れられた。

 比率としては、1:9だろうな。


 突然タオルケットが跳ね上がり、疲れ切った顔のサトミがモトちゃんにすがりついた。

「私はね。今まで真面目とは言わないまでも、それなりには頑張ってきたつもりなのよ」

「分かってるって言ったじゃない」

「それを今の何?仕方ないじゃないって。じゃないって何」

 相当混乱してるな、この人。

 というか、これだから生真面目な人は困るんだ。

「サトミは退学になっても別に困らないでしょ。今から大学にだって大学院にだって行けるんだし」

「これからの履歴書に、草薙高校退学って書かないと行けないのよ。必ず書かないと行けないのよ」 

 どうして二回言わないといけないかは知らないが、それは確かに気になるな。


 ただやはり、仕方ないとしか言いようがない。

「もっと勉強してタイムマシンでも発明すれば。それで、あの時のサトミに言えば済むじゃない」

「もういい。もういいわ。私の人生はこれで終わりなのよ」

 悲観的というか大げさというか。 

 大体自分は被害者みたいな事を言ってるけど、理由も無く退学になる訳が無い。

「聞いたんだけどさ。警察の無線が全然使えなかったんだって」

「それと私の人生と、どう関係があるの」

「妨害電波じゃなくて、暗号システムが使えなかったからだって。心当たりは無い?」

「私はただの女子高生よ。その私に一体何が出来るって言うの」

 間違いなくこの子が主犯だな。

 多分共犯が木之本君といった辺りで、ヒカルが実行犯かもしれないな。


 それでもサトミはモトちゃんにしがみついたまま、小声で何やら愚痴っている。

 目が少し赤いけど、まさか泣いてないだろうな。

「もう分かったから。ユウ、謝って」

「あ、謝る?誰が、誰に」

「ユウが、サトミに」

 聞くまでも無いでしょという顔をするモトちゃん。

 明らかに、何かが根底から間違ってないか?

「あのさ。私も悪いかもしれないけど、サトミも問題があったから退学になったんでしょ」

「そういう事は言ってないの。ほら、謝って」

 じゃあ、どういう事を言ったんだ。

 私は、まだ夢の続きを見てるのかな。

「ユウ」

「分かったわよ、もう。謝ればいいんでしょ、謝れば。……どうもごめんなさい」

 床に手を付き、深く頭を下げる。

 本当、私の人生こそなんだったのかと考えたくなってきた。

「謝って済む問題じゃないのよ」  

 おい。もうそろそろ私も限界だ。

 猫なら背中の毛を逆立てて、間合いを計ってるところだな。


「じゃあ、どうすれば済む問題なのよ」

「誠意を見せて、誠意を」

「お金は無いよ」

「一筆書いて。雪野優は今回の問題に対して全ての責任を負い、今後一切遠野聡美に従う事を」

 遠野の辺りで飛び掛り、脇を掴んで押し倒す。

 泣いてもわめいても関係ない。

 揉んで揉んで、揉みまくる。

「ちょ、ちょっと。どこ触って。や、止めて」

 構わずきゃっきゃと笑うサトミを攻めまくり、そのまま二人で床に倒れる。

 でもって向こうも私の脇に手を差しいれ、激しく指を動かしてきた。

「や、やめっ。ひゃ、ひゃっ」

 二人してしばしもみ合い、どちらからともなく疲れ果てて床に伏せる。

 これ以上無駄な時間の過ごし方も、そうはないだろうな。


「あの、帰って良いかな」

 白けきった顔で私達を見下ろすケイ。

 でもってすぐに私の意図を悟ったらしく、素早く後ろへ飛び退いた。

「下らん。そんな事ばかりやってるから、退学になるんだ」

「自分だって退学してるじゃない」

「俺は、自分の意志で退学したの。この違いは大きいね」

 鼻で笑い部屋を出て行くケイ。


 追い掛けようとしたが体に力が入らず、また追い掛けて特に言う事もない。

 それに彼の気が進もうと進まなかろうと、明日の式は出席してもらう。

 しなかったら今のサトミどころではない目に遭わせるだけだ。

「俺も帰って荷物を片付けるか」

「分かった。バイク、持って帰ってね」

「乗らないのか、もう」

「乗らないよ、二度と」

 別に矢加部さんのバイクだからという理由ではない。

 止まろうとしたら、足が着かなかったからだ。

 ショウがいなかったら、一生乗り続ける羽目になっていた。




 何となくサトミと牽制しあいつつ、時間を過ごす。

 卒業式は明日で、後はそれに出席するだけ。

 それ以外の予定は何もなく、実際何もない。

 本来なら新学期の準備をしていたり旅行に出かけて春休みを満喫している時期。


 だけど今は、無駄と言ってしまいたくなるほどに時間がある。

 学校が無ければどれだけ楽しいかと思う時もあったが、実際無くなってみるとそれが勘違いだったと気付かされる。

「神代さん達の処分はどうなってるの?」

「4月に処分が明けるかどうかは微妙ね。御剣君は無期限停学で、多分一番重い」

「悪い事したな」

 私はどうなのというサトミの視線は気にせず、彼女達に迷惑を掛けてしまった事に後悔を感じる。


 塩田さん達は以前からの確執があり、責任を取るだけの覚悟も理由もあった。

 だけど神代さん達にはそこまでの理由はなく、巻き込んでしまったという意識が先に立つ。

 例え自分の意志で参加をしていても、やはり申し訳ないという気持ちになる。

「モトちゃん、あの子達の事頼むね」

「ええ。それで、自分はどうするの?」

「自宅から通える学校が良いんだけど」

 理事長から渡された資料をめくり、市内の高校をチェックする。

 大半が商業科や工業化に特化されていて、普通科は殆ど無い。


 つまり市内に住んでいれば、明確な目的がない限りは草薙高校に通うのが普通。

 ただその草薙高校を追い出された以上、別な道を探す必要がある。

 商業科や工業科はあまり関心が無く、サトミもショウも通いたいとは思ってないだろう。

「……ここ、普通科がある」 

 地図を確認すると、自宅からも十分に通える距離。

 かなり草薙高校から近く、こんなところに高校があったのは全然知らなかった。

「とりあえず、第一候補かな。サトミはどう思う」

「私はどこでも良いわよ」

 サトミも別に投げやりになっている訳では無い。


 この子のレベルから行けば大学院でも生ぬるく、言ってみれば草薙高校だろうと草薙中学だろうと大差はない。

 それこそ、机と筆記用具さえあれば満足とでも言いかねない。

「名古屋港高校。……なんか、言いにくいな」

 概要を見ると、草薙高校に統廃合された高校の一つ。

 歴史的に存続を望む声が多く、先年設立されたとある。

 草薙高校とは目の鼻の先で、ただ生徒もそれなりにはいる様子。

 これ以外の選択肢もなさそうだし、ここをまずは受験するか。

「あーあ」

 受験といってもどうやら理事長が便宜を図ってくれるらしく、受ければ合格するとの事。

 張り合いもなくやる気もなく、なんかどうでも良くなってきた。


「さてと」

 突然テーブルの前に座り、手に長い定規を持つサトミ。

 瞳は鋭く輝きだし、気付くと参考書が山積みされている。

「座りなさい」

 嫌な予感を感じつつサトミの前に座り、定規でテーブルを叩かれる。

 来たよ、この人は。

「日本史、数学、英語、現国、古文、物理、生物、地理。この順番で進めるわよ」

「どこに進むのよ」

「冗談は必要ないの。35ページを開いて。まずは応仁の乱についてまとめてみなさい。キーワードは室町幕府、守護大名、戦国大名、武家と公家。さあ、書きなさい」

 書くって、試験勉強は必要ないって分かってるだろうに。

 とりあえず猫の絵をノートに書いたら、ものすごい勢いで定規がその上に振ってきた。

「今度書いたら、手に落とすわよ」

「あ、あのさ。試験は受ければ受かるんでしょ」

「だからどうしたの。それが手を抜いて良い理由になるとでも?なる訳ないでしょ」

「いや。十分になるって」

 定規が振り上げられたので、慌ててシャープを手に取る。

 本当、やる事がないって言ったのは誰だったかな。 




 翌日。

 欠伸をしながら学校の正門をくぐる。

 緊張で眠れなかった訳ではなく、サトミが夜中まで定規を振り回していたため。

 1聞けば10教えてくれるし、出来の悪い私を馬鹿にする事もない。

 真面目で良い先生ではあるけど、少なくとも私が理想とする教師像ではない。

「眠いのに」

 なんて言語道断の事を言ってるサトミを引っ張り、第1講堂までやってくる。


 卒業生は勿論在校生の姿も見当たらず、インカムを付けたスタッフが数名壇上に見える程度。

 サトミが壁により掛かるのも仕方ないくらいの早い時間。

 この時間は学校というか、生徒会の指定。

 他の生徒が来るより早く会場入りして、見つからないよう姿を隠すために。

「下らん。どうして俺が」

 不機嫌さを隠しもせず、椅子に座るケイ。

 でもってそのまま寝始めた。

「ショウ。起こして」

「ああ」

 頭を掴んで真上に引っ張り上げるショウ。

 私の言った意味とは違ったけど、目が覚めたのは間違いなさそうだ。

「こ、この野郎。この」

 怒りはするが、それ以上言葉が続かない様子。


 これ以上は埒が開かないので、やはり指定された二階の控え室へと移動する。

 そのままソファーへ寝転ぶケイ。

 サトミは多少なりとも覚醒したのか、机の上に置かれているスケジュール表に目を通し始めた。

「大体去年と同じね。大山さんが代表で答辞を読む事になってる」

「ふーん」

 何と言っても副会長として1年以上この学校を引っ張ってきた人。

 それについて異論を挟む人はいないだろうし、また他の人はちょっと想像出来ない。

「襲撃計画とかないのかな」

「私服の警官がかなり混じるらしいわよ。何と言っても、昨日の今日だから」

「なるほどね」

 背中のスティックに触れていた手を離し、もう一度手にして背中から外す。

 これに目を付けられるとは思わないが、何もないなら付けている必要もない。

 とはいえこれがない事には始まらず、ショウに渡して身軽になる。


 ちなみに女の子は全員制服。

 男の子も全員。

 塩田さんを見送るには、私達に出来る正装をするのが礼儀だから。

「結局、どこで見るんですか」

「舞台袖。私はこれを被る」

 舞地さんからもらった赤のキャップを被り、顔を隠す。

 勿論顔を隠していても全身が見えれば、身長で気付かれると言われそうだが。  

「へろー」

 馬鹿げた台詞と共に部屋へ入ってくる池上さん。

 彼女も今日は制服で、胸元には白い花が咲いている。

 そう言えば、この人も卒業生だったか。

「生徒じゃないのに学校へ来て良いの?」

「いいのよ。何があろうと今日は絶対に出席するの」

「ヒロインは言う事が違うわね」

「何も考えてないんだろ」

 無愛想に告げ、ケイをソファーから引きずり下ろして寝転ぶ舞地さん。

 でもってしわになると言われ、池上さんに引き起こされる。

 最後の最後までどうしようもないな、この人は。


「苦しいな」

「緩めないで下さいね」

 ネクタイを締めている襟元へ指を差し入れた名雲さんは、それを引っ張る事無く引き抜いた。

 しかも指摘したのはモトちゃんではなくサトミ。

 なんだかな。

「初めてだね。卒業式なんて」

 そう言って、舞地さん達の周りを眩しそうに見つめる柳君。

 高校で迎える卒業式は当然だが今日が初めて。

 また中学校の頃は渡り鳥として色んな学校を点々としていたはず。

 そんな彼等もこうして卒業式を迎える日が訪れた。

 舞地さんや名雲さんはそれ程喜んではいなさそうだけど、柳君は嬉しそうなので彼等を連れ出してきた甲斐はあったと思う。


「おはよう」

 緊張した面持ちで部屋へと入ってくる天満さん。

 モトちゃんが気を利かせて席に座らせ、すぐにお茶を渡す。

 それに軽く口を付け、天満さんはため息を付いて机に伏せた。

「出たくない」

「はい?」

「中等部の時も、謝恩会の準備やスケジュール調整で式には出なかったの」

 ここにもいたか、初体験組が。

 彼女はそうやっていつも裏からみんなを支えてくれていた人。

 だからこそ今日は気持ちよく式に出席してもらいたい。

 と言いたいんだけど、この様子を見るとかなり重症だな。

「中川さん」

「少し緊張するくらいが丁度良いのよ」

 沙紀ちゃんに肩を揉ませながらそう言う中川さん。

 で、緊張がどうしたって。


 しかし人数が増えて少し手狭になってきた。

 というか、ここを控え室代わりに使わないで欲しい。

「謝恩会、どうしよう」

「どうしようって、何かあるんですか」

「楽しめってみんな言うけど、何を楽しむの」

 すごい根本的な事を言ってくる天満さん。

 この人はいつももてなす側であり、盛り上げる側。

 それが楽しみであって、もてなされる側に回る経験が本当に少なかったんだろう。

 ただそのくらいの方が、より新鮮な気分で楽しめるとも思う。

「後はよろしくって言いたかったけど、無理みたいね」

「済みません」

 中川さんに頭を下げ、自分達の不明を恥じる。


 昨日の事を後悔はしていないし、同じ状況になれば私はまた同じ事をする。

 ただ後を託されたのに、自分達もこの学校を去るのは少し心が痛む。

 勿論彼女達はそれを責めはしないが、この点においては後悔以外は何も感じない。

「私達がふがいなかっただけよ。結局のうのうと卒業したのは私達だけなんだから」

「まあ、ね」

 仕方なそうに笑う二人。

 彼女達は河合さん達の退学を見送り、間さん達の退学も見送っている。

 それに対する後悔の念は、おそらく私達以上に強いはず。

 くわえて私達の退学。

 これは本当に、申し訳ないとしか言いようがない。

「済んだ事は仕方ないじゃない。雪ちゃんの分まで、私が頑張ってあげるから」 

 何やら強引にまとめ出す池上さん。 

 どうでもいいけど、卒業式に頑張る事ってなんだ。




 ただ彼女の気持ちは十分に理解出来た。

 今後悔しても嘆いても、時は元には戻らない。

 だったら笑顔で彼女達を送り出すの が、私のするべき事だろう。

 胸に幾つもの思いは交錯するけれど、今はそれを忘れよう。

 彼女達を笑顔で見送り、その姿を心へ焼き付けよう。





  







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