37-2
37-2
教壇に立ち、椅子に座り、窓から外を見て、掃除道具の入ったロッカーを空ける。
でもってホワイトボードに落書きをして、教室を飛び出て戻ってくる。
「ちょっと、落ち着いてよ」
「いいじゃない。少しくらい弾けたって」
ころころと笑い、落書きの続きを始めるお母さん。
今日は日曜で、授業も何も無い。
それなのにこの人は学校へ来て、好き放題している。
「父母会は、まだ始まらないよ」
「だから暇を潰してるんじゃない。お菓子無いの」
「え?」
「お菓子。お菓子ちょうだい」
「ちょうだいって」
どちらにしろ収まりが付かないので、ポケットからガムを取り出しお母さんに渡す。
するとそれを全部引ったくり、教室の後ろに座っていたお父さんへと持っていった。
「ユウそっくりね」
おかしそうに笑うサトミ。
私としては何一つ笑い事ではなく、お母さんの行動に加えて日頃の自分がなんだったのかを反省したくなる。
「いるね」
半笑いで現れる瞬さん。
だから、まだ早いって。
「雪野さん達の方が早かったのか。優等生ですね」
「真面目だけがとりえですので」
おほほと笑うお母さん。
真面目なのはお父さんだと言いたいが、もう教室を飛び出ているので何を言っても無駄になる。
「この会合って、俺も発言していいの?」
「常識の範囲内でなら」
やんわりと釘を刺すモトちゃん。
瞬さんは殆ど聞いてない顔で、スーツの懐に手を差し入れ素早く引き戻した。
スーツの左側はわずかだが膨らんでいて、そこに何かを仕込んでいるのは間違いない。
「大丈夫。所持許可は得てる」
「学校ですよ、ここは」
「流衣達の頃は、いきなり撃たれたけどね」
何の話をしてるんだか。
「こんにちは。……少し、遅かったですかね」
穏やかに微笑みながら教室に入ってくる木之本君の両親。
落ち着きは私のお父さん以上で、何より怒ったところや感情を荒げるような場面を見た事が無い。
木之本君がああ育ったのも非常に頷ける事で、親の影響は大きいなとつくづく思う。
そう思っているところに、お母さんから通話が入る。
「……はい、何」
「ちょっと、ここどこよ」
知らないわよ。
私が探しに行っても二次遭難になるので、サトミとモトちゃんを押し立て先へと進む。
「ええ。もう近くだと思います」
お母さんと端末で会話を交わしながら居場所を判別するサトミ。
私はすでにここがどこだかもよく分かっていなく、教棟のどこかというくらいの説明しかしようがない。
「あ、いたいた」
廊下の端の方で手を振るお母さん。
以前は多分ぼやけた影くらいにしか見えず、目が良くなってきたんだと実感出来る。
「本当、参ったわよ」
小走りで駆けて来て、サトミにお礼を言うお母さん。
その一方、私に視線が向けられているのは気のせいか。
「何」
「あなた。自分の学校でしょ」
「ここは広いから、どこに何があるは誰も覚えてないの。サトミが例外なの」
「本当?」
「そういう事にしておきましょう」
曖昧に濁すモトちゃん。
実際学内で迷うのは新入生や転校生くらいで、2年も通いつづけて迷うのは私だけだと思う。
ただ他の生徒も普段利用していない場所の事は殆ど知らないはずで、迷わないのは自分の行動範囲においての話。
それ以前に私は、行動範囲でも迷うんだけど。
「そろそろ父母会も始まりますので、講堂へ行きましょう」
「望むところよ」
それこそ、腕まくりでもしかねない勢いのお母さん。
どうもこの前のTV出演で、味をしめたな。
「発言するなとは言わないけど、恥ずかしい真似はしないでよ」
「私はいつでも冷静よ」
ちょっと熱が出てきそうだ。
もしかして普段サトミ達は、こういう気分を味わってるのかな。
瞬さん達と合流し、第1講堂へと移動。
席はすでに半分以上埋まっていて、通路には列も出来ている。
このままだと座る場所もなくなりそうで、別の会場に行った方がいいかもしれない。
生徒と父兄。
人数とすれば、普段の倍以上。
また参加は義務ではないので、それだけこの会合に関心があるという事か。
もしくは、現在の学内の状況に。
「端に座ろう。帰りも大変だし」
「こちらへどうぞ」
物静かな口調で話し掛けてくる前島君。
何をやっているのかと思う前に、肩へ担いでいるショットガンが目に入った。
「首になったんじゃないの」
「そうなんですが、警備だけはするよう局長に言われまして」
「断ればいいじゃない」
「そうは行きません」
すぐに帰ってくる生真面目な答え。
私なら土下座されても断りたいが、この辺りは人間性の違いらしい。
「面白い物持ってるな」
軽く食いつく瞬さん。
彼は前島君からショットガンを受け取り、舞台へと銃口を向けた。
「軽いな。いまいちホールドしにくい」
「あくまでも、ゴム弾を射出するだけなので」
「に、してもさ。ストックも少し短いんだよな。短期的な近接戦闘になら使えるだろうが、あまり実戦的でもないな」
ゴム弾だよ、ゴム弾。
「撃っても……」
「駄目です」
私とサトミとモトちゃんで一斉に制止して、すぐにショットガンを取り上げる。
放っておくと、駄目だと言っても撃ちかねないからな。
「つまらん。ちょっと出かけてくる」
「もう始まるんですよ。それに出かけるってどこに」
「堅苦しい場所は苦手でね。気が向いたら、戻ってくるよ」
スラックスに手を突っ込み、鼻歌交じりに出て行く瞬さん。
じっとしていられないのは子供の証拠だけど、ある意味うちのお母さん以上だな。
「今の方は」
「ショウのお父さん」
「ああ。前大戦の英雄」
「英雄なのかな、本当に」
「昔、映画で見ましたよ。3人で爆弾を抱えて、敵陣めがけて走っていくのを」
それは違う映画じゃないの。
やがて舞台上の照明が灯り、スーツ姿の男性が用意された席へと付いた。
その中の一人に目が止まり、血液が沸騰しそうになる。
席の中央へ、横柄な態度で座る壮年の男。
椅子の前にある机には垂れ幕が下がり、「学校問題担当理事」と書かれている。
「ショットガンは」
「誰か、不審者でも」
「壇上を狙う」
「今のは、聞かなかった事にします」
私を見捨てて去っていく前島君。
だったら代わりに、スティックでも投げてやろうかな。
「あなた、何を熱くなってるの」
私が飛び出していくと思ったのか、手首を掴んで制止するお母さん。
そこまで短慮ではないと思うが、手を掴まれてなかったら最低限通路には出ていただろう。
「あの真ん中に座ってる男が張本人なの。悪の元凶、諸悪の根源。この世の災厄の全てをもたらしてるのよ」
「お酒でも飲んでるの?」
「至って冷静よ。あー」
スティックで床を突いたら、前の人が振り向いて怖い顔で睨まれた。
それをすぐさま睨み返し、顔を青くさせて前を向かせる。
本当、何が冷静かって話だな。
「本日はお忙しい中お集まり頂き、誠にありがとうございます。ただいまから、草薙高校父母会臨時集会を行います。まずは昨今の状況についての報告。今後の展望及び対策。その後、質疑応答を行いたいと思います」
淡々と進める司会役の男性。
ただし講堂内は水を打ったように静まり返り、今からの発言に対して全員が集中をする。
「ではまず、昨今の状況に付いてご説明申し上げます。一部マスコミの報道と重複する個所があると思いますが、ご了承下さい」
少し引っかかる言い方。
今からの発言は、草薙高校としての公式なもの。
取材に応えたという事もあるだろうが、ああいった報道内容を事実だと押し通すつもりかもしれない。
「現在一部生徒の身勝手な振る舞いから騒乱が起き、学内全体で授業が行われていません。学校としては警備員を多数動員すると共に、問題のある生徒に関しては断固処分をしていくつもりです。また父兄の皆様は、お子さん達にこの騒乱に関わらないようご指導して頂けると幸いです」
混乱している状況は分かった。
ただ肝心の、どうして混乱しているの理由は語られない。
これから言うつもりか、それとも全てを私達に落ち着けるつもりか。
一部マスコミの報道と重複するのなら、後者になるだろう。
「ちなみに騒乱の首謀者である生徒達は学内の規則に対して異議を申し立てていますが、これはすでに生徒会が認め採用されたものです。生徒会は、生徒の総意。その組織が認めている以上、彼らの主張はごく例外だと思って下さい。若干規則が厳しすぎるという意見もありますが、規律を乱した者には当然何らかの対処が必要です。ただ真面目に授業を受け生活態度を整えていれば、生徒達には今まで以上の待遇を我々は保障しています。その点を良くご勘案下さい」
随分勝手な言い分。
ただ学内にいなければ、具体的な事は何も分からない。
私達が混乱の原因と言われれば、それは確か。
また大人しくしていれば、待遇が良くなるのも事実。
今の学校の雰囲気、状況、やり方に耐えられるのならだが。
私達はそれに不満があるからこそ立ち上がり、混乱を承知で戦っている。
目を閉じてやり過ごすのはたやすいし、楽な生き方だ。
私だってその方が良いと思わなくも無い。
だけどそうした中で傷付く人がいて、虐げられる人が現れる。
それを見過すくらいなら、この学校自体無くなった方が余程ましだ。
「それで今後の対策に付いては、今申したように警備員と監視システムの増強。また問題のある生徒は厳罰に処していきます。勿論生徒達の言い分は十分に聞きますが、学校に通う以上その規則に従うのが前提です。今のところ退学者を出してはいませんが、今後は事務処理を早め即日の退学も可能にしていきますのでご了承下さい」
途端にざわめく講堂内。
今までの話は生徒でなければ捉えどころの無い、そういう事もあるんだろう程度の話。
深刻ではあるが実感は無く、具体的に何が起きているのかは分かりにくい。
しかし退学という言葉は、何にもましてインパクトがある。
それが即日ともなれば、余計に。
親からすればそれだけは絶対に避けたい事態。
そのためになら少しの犠牲くらい仕方ないと思う人もいるはずで、規則がどうだろうと関係ないと考えるのが普通。
厳しくても辛くても、それはせいぜい3年間の事。
今ここで退学になれば、一生を棒に振る可能性すらある。
親に対して、ここまで効果的な脅し文句も無いだろう。
言ってみれば生徒を人質にとっているようなもので、「気に食わなければ退学にする」と言われているのと同じ。
これを聞いて逆らいたくなる親がどれだけいるだろうか。
「説明としては以上で、大体は以前書面でお伝えしたのと同じ内容です。それではやや早いですが、質疑応答に入りたいと思います。ご意見のある方は、挙手をお願いします」
「え」
いきなり横から上がる手。
短くて低い位置だが、上に伸ばせば嫌でも目立つ。
何より、誰も手を上げていなければ余計に。
すぐさまマイクが持ってこられ、お母さんは立ち上がって一礼した。
「名前を言った方がよろしいでしょうか」
「それはご自由に」
「では。2年、雪野優の母親です」
おい。
名前って、私の名前の事か。
「高校生くらいの時期は無軌道な行動に走りがちで、多少規則を厳しくするのは仕方ないと思います。が、どうして生徒達が反対するのか学校では調査していますか」
「規則の厳しさに耐えかねているという結論を、私達は得ています。今までが自由すぎた分、そのギャップに戸惑っているようですね」
「規則ではなく運用に問題があると聞いてますが」
「運用は生徒会と学校が連携し、非常にスムーズに行われています」
平然と答える司会役。
お母さんも愛想よく微笑み、マイクを持ち直した。
「一部生徒が特権的な立場にあり、それ以外の生徒を支配下に置くような振る舞いがあると聞いています。それに対しての反発だとも」
「そういう事実はありません」
「どうして無いと言い切れます?先日マスコミで話題になったデモをTVで見ましたけど、今の話に似たシュプレヒコールを挙げていましたよ」
「それこそ一部生徒が混乱を招く為に行った行為です。特権的な地位を生徒に許可をした事はありませんし、学校も後押しはしていません」
あくまでも撥ね付ける司会役。
なおも言葉を続けようとするお母さんに、後ろに座っていた木之本君のお父さんが手を差し伸べてきた。
マイクは後ろに移動し、木之本君のお父さんが立ち上がる。
「2年、木之本敦の父親です。特権的な立場は無いと仰ってましたが、私の息子はその特権的な立場の生徒に逆らったという事で停学になっています。これについては、どうお考えですか」
「……データベースで確認します」
苦い顔で舞台袖に視線を向ける司会役。
彼は何度か会話を交わし、無理やりな笑顔を作って正面に向き直った。
「息子さんは学内の治安組織に対して反抗的な態度を取ったため、停学となりました」
「その経緯を息子から聞いていますが、非は相手側にあるように思えます」
「それはあなたが親だから、そう思うのでないのですか」
「子供の話を信じるのが親の勤めでしょう」
静かに語る木之本君のお父さん。
その何気ない言葉は講堂内に静寂を呼び、どこからとも無く拍手が起きる。
控えめで落ち着いた、胸の奥まで染み入るような拍手が。
「またその後停学処分自体が撤回されています。これは、学校側が非を認めた証拠ではないんですか」
「見解の相違とさせていただきます。時間が無いので、他の方にお譲り下さい」
強引に打ち切る司会役。
しかし逃げたという印象が強く、その方法はあまり効果的とは言えない。
「ご静粛に。次の方、お願いします」
「2年、丹下沙紀の母親です」
「ご質問をどうぞ」
「娘はガーディアンという生徒の治安維持組織に参加しているのですが、生徒会の命令に従わないという事で再三圧力を掛けられていると言っていました」
「生徒会の下部組織と聞いていますし、その意見に従うのは当然でしょう」
「退学や停学をほのめかす発言もあったそうです。それも、生徒から。これこそ、特権的な立場ではなくなんなのでしょうか」
「生徒会に退学や停学をさせる権限は無く、それは一部生徒の誤解です。発言内容も当事者同士しか分からないので、ここでは議論しませんが」
またもや逃げる司会役。
自然と空気は悪くなり、司会役は焦りが目立ち始める。
「次の方は」
「3年。塩田丈の祖父」
なんだ?
中継かと思ったが、司会役の視線から見て最上階にいる様子。
というか、本物かな。
「この質問は、そちらへ座っている理事にお答え頂きたい」
「では」
マイクを渡す司会者。
理事は一応愛想のいい顔をして、姿勢を正した。
「基本的に人間は失敗をするもので、高校生ともなればそれすらも糧になる。何より騒乱を起こしていると言われている生徒達は私利私欲のためではなく、学校のためであり生徒のために行動をしているらしい。方法については問題があるやもしれんが、その心意気は良し。何よりここは学校。彼らに悔い、改めて挑戦する機会を与えるべきでは?」
「仰る事は最もですが。彼らが引き起こした事態は学内全体に波及し、ご承知のようにマスコミで報道されるまでになっています。今までは温情を掛けていましたが、事がここにまで及べばいつまでも甘い顔はしていられません」
「やり直す機会は与えられないと」
「我々はすでにその機会を与えてき続けましたし、常に彼らを受け入れる準備もしていました。しかし彼らは混乱を望み、自分達の要求を振りかざすだけ。機会を与えるのも重要ですが、規則の大切さもご理解下さい。秩序無くしては、何も成り立ちません」
筋の通った。
彼という人間性を知らなければそう思う発言。
なんとなく講堂内の空気が理事側へ傾いたところで、塩田さんのお祖父さんが口を開く。
「孫から聞いたんだが、以前も似たような騒ぎが学校であったようですな」
「ええ。その際は生徒達を厳罰に処分し、首謀者はほぼ全員を退学させました」
「彼らは自主退学。学校がさせた訳ではないと聞いていますが」
「退学に変わりはありません。それだけ自分達の罪の重さを悔いているんでしょう」
今にも笑い出しそうな理事。
つい拳を固めて体が前のめりになる。
退学した人達、転校した人達こそ学校を思っていた。
責任は混乱に対してよりも、自責の念。
何も成し遂げられなかった事への後悔。
自分達の力の無さへの悔い。
仲間のために自分達を犠牲にした結果。
嘲笑まがいに口にされるような人達ではない。
「なるほど。しかし、その際学校を去ったのは生徒だけでは無いだろうが」
「はい?」
「お前も責任をとって、左遷させられたと言ってるんだ。自分の事を棚に上げて、どの面下げて生徒を批判する。教育者が聞いて呆れるわ」
「な、なんだとっ」
さすがに声を荒げる理事。
上の席が騒がしくなり、激しく人が行き来する。
「忍者は闇に消えるのみ。ドロン」
なにやらふざけた台詞がして、騒ぎはドアから講堂の外へ移動した様子。
遠くから叫び声が聞こえ、それもやがて収まっていく。
なんとなく白けた空気。
舞台上で汗を拭く理事の姿が嫌でも目立つ。
「本物なの、今の?」
「どうかしら。ただ、お父様が出てこないだけましじゃなくて」
苦笑しながらそう言うサトミ。
塩田さんのお父さんは、北米のホワイトハウスに潜入して戦死した事になっている。
しかし未だに生きているという説も根強いらしく、何より忍者。
私の目の前に座っていても不思議ではない。
場を収めるため、一旦休憩へと入る質疑応答。
初めはどうなるかと思ったけど、こちらの主張が出来たのはかなり良かった。
それが支持されたのか、主張が通るかは別としても。
「あの爺」
手首を押さえながら、私達のところへとやってくる塩田さん。
頬には擦り傷もあり、腰には見慣れない鞘を提げている。
「なんですか、それ」
「警棒だ」
「鞘ですよ」
「鞘に入った警棒だ」
かなり無理やりな理屈。
しかしそれを指摘するような雰囲気ではなく、いつに無く殺気立っている。
まさかとは思うが、切り合ったんじゃないだろうな。
「結局あれは本物だったんですか?さっきのお祖父さんは」
「忍者かぶれの馬鹿祖父さんだ。久しぶりに街中へ出てきて舞い上がったんだろ」
「忍者って言ってましたよ」
「ぼけが始まってるんだ……。いてっ」
首筋を押さえ、舌を鳴らす塩田さん。
よく見ると指の間に細い刺のようなものが挟まれている。
これってもしかして、吹き矢じゃないの。
「あんな祖父さんの事はどうでもいい」
「良い訳あるか。その祖父さんのせいで余計に混乱を……」
そこまで言って床に倒れるケイ。
やはり首筋には針が刺さっていて、人を倒すくらいの何かが塗られているようだ。
「馬鹿が。比較的生徒寄りの発言が多かったし、ムードとしても悪くない。予想上に、反発は大きいらしいな」
「成果が実を結んだのではないのでしょうか。私達のではなく、屋神さんや河合さん達の代からの努力が報われつつあるんだと思います」
モトちゃんの言葉に塩田さんは鼻を鳴らして、視線を反らした。
「それは違うな。俺達、と言える程俺は当時何かした訳でもないが。あの頃は結局生徒会の幹部だけが舞い上がって行動していたに過ぎない。今でこそ当時の話は評価されもしてるが、あの頃は独断専行だとも言われた。一般の生徒を巻き込むのを避けたというより、自分達だけでどうにかなると勘違いしてた。その部分が、根本的に違うさ」
「そうでしょうか」
「屋神さんや河合さんの人気は高いが、それは個人的なものだ。対学校や対生徒会で盛り上がっての支持じゃない。本当、お前達は偉いよ」
苦笑気味に褒めてくる塩田さん。
褒められるような事をした覚えは無いが、そう言ってくれるからには喜んでいいんだろう。
「案外、俺達が卒業する前に方がつくのかな。それとも、付ける気なのか」
「さて、どうでしょう」
曖昧に笑うモトちゃん。
塩田さんは肩をすくめ、スラックスに手を突っ込み背を向けた。
「まあ、せいぜい頑張れ。俺はもう大した事も出来んが、お前達を巻き込んだ責任くらいはいつでも取れるからな」
「その際は是非とも期待していますので」
「そこは、私達に任せて休んでて下さい。くらい言えよな」
笑いながら去っていく塩田さん。
そう言えるのが理想ではあるが、今の私達はまだ力不足の部分もある。
彼の力、先輩達の力を頼る必要もまだあると思う。
また彼らの力を借りてこそ、成し遂げるべきだとも。
この学校のために戦い、傷付き、犠牲を強いられた人達。
本来なら彼らこそが、その立場にいたのだから。
休憩時間が長引いたので、教室へ戻って一息つく。
にこやかな表情で話しているお父さんと木之本君の両親。
その側をうろうろと歩き回るお母さん。
年代としては全員同じくらいで、誰でも落ち着きを見せ始める頃。
しかしお母さんは何をするでもなく教室内をうろつき、戻ってきてはまたどこかへ行ってしまう。
「少し、落ち着いたら」
「私は至って冷静よ」
「だったら、どうしてうろうろしてるの」
「探してるのよ。昔、書いたんだけどな」
何の話か知らないが、自分の高校時代の事じゃないだろうな。
「あのさ。通ってたのは別の高校でしょ。落書きも何もある訳無いじゃない」
「机は寄贈したのは知ってるのよ。でもってこれが、同じタイプ。おかしいな」
おかしくないわよ、何も。
というか、恥ずかしい事書いてないでしょうね。
「好きな人の名前でも書いたの?」
「そういう子供みたいな真似はしないの。……これっぽいな」
「冗談でしょ」
腰を屈め、机の裏を覗き込むお母さん。
でもって笑い出したので、私も腰を屈めて机の下に潜り込む。
「……白木沙耶。これを見る頃には、幸せな人生を送っている」
どうやら予言というか、目標は達成出来たらしい。
何故こんな事をと思ったが、お母さんが高校生の頃は、そろそろ戦争の影が忍び寄っていた時期。
平凡な幸せが貴重な時代だったのかも知れない。
「だけど、都合良くこの教室にあったね」
「世の中、偶然の積み重ねで成り立ってるのよ」
「じゃあ、お父さんとの出会いも?」
「それは必然よ」
なんだ、それ。
でも、そう言ってくれて娘としては助かった。
つまりは私という存在も偶然ではなく、必然として二人の間にいる訳だから。
「木之本君のお父さん達は何もしなかったんですか?」
「タイムカプセルは埋めたよ」
「それで?」
「埋めた場所を忘れてね。ビルが建ってると思う」
なんか、良く分からない話だな。
とはいえ世の中には忘れ去られたタイプカプセルは相当数あるはずで、何千年後に発掘される物もあると思う。
そういう時に恥を掻かないためにも、何を埋めるかは慎重に検討した方が良さそうだ。
「瞬さんは、何かやりました?」
「卒業式に校庭を吹き飛ばして、教師を生き埋めにしてやった。案外、まだ埋まってるんじゃないのかな」
聞くんじゃなかったな。
再開される父母会。
空気は先程よりも熱を帯びた感じ。
挑発的な発言に触発されたのか、それとも真実を知ったからか。
しかしこの空気に水を刺す発言が、司会役から放たれる。
「ここからは会場ではなく、会場外の皆様の質疑応答に応じたいと思います」
一斉に上がる不満の声。
しかし向こうが決めてしまえば、こちらが叫ぼうが怒鳴ろうがそれは決定事項。
つまりは今の学校そのもののように。
「何名か発言したい方がいらっしゃいますので、つないでみたいともいます。では、どうぞ」
「3年、舞地真理依の父です」
つなぐのはいいけど、またすごいところにつないだな。
これってもしかして発言者の選別を誰かが操作してるんじゃないだろうか。
「若い頃の苦労は買ってでもしろと言いますし、多少理不尽だろうと我慢するのも勉強の一つだと思います。ただ草薙高校は、生徒の自治を標榜していたのではないんですか」
「自治と無軌道な行動とは違います」
「弾圧めいた事が今の学校で行われているとも聞いています。押さえ込みすぎれば子供は反発をするもの。今の学校のやり方は、あまり賢くは無いですね」
一方的に切られる通話。
それに対する観客席からの拍手。
舞台上に並ぶ人達の顔は苦くなる一方だが。
「……次の方どうぞ」
「匿名でお願いします」
静かで落ち着いた声。
ただ聞いた記憶のある声でもある。
それもつい最近、間近で。
「私も皆さん方同様、ある程度規則を厳しくしそれに生徒が従うのは当然と思っています。それが教育目的で行われているのならですが」
「どういう意味でしょうか」
「生徒を従順に飼いならし、将来草薙グループの押す政治家への支援行動に誘導するという話を聞いた事があります」
「それは事実誤認です。支援しているのはあくまでもボランティアであり、強制はしていません」
騒然となる空気。
その中を静かな声がさらに続く。
「教育庁には特殊班が編成され、どこまでの処分が生徒に反発を引き押すか統計を取っているとの話もあります。これは人権問題にも関わるのではないでしょうか」
「そういう事実はありません」
「ちなみに私は、その統計データを閲覧するよう依頼された一人です。データは全て記憶していますので、後日公開します。それでは」
やはり一方的に終る通話。
これにはさすがに怒号が飛び交い、席を立って叫び出す者もいる。
草薙グループへの協力については私も屋神さん達から聞いていたし、多分噂としては比較的有名な部類だと思う。
しかし生徒の弾圧を統計に取り、それへの反応を情報として蓄積してるのは知らなかった。
いや。知っている人は誰もいないと思う。
ごく一部の人間。
政治家か、官僚。
もしくは学者でなければ。
「どういう事」
「さあ」
特に何も語らないサトミ。
今の声は秀邦さんではない。
記憶に間違いが無ければ、サトミのお父さんの声。
彼女を捨てたと言う。
そしてこの前は名古屋まで着ながら、会わずに帰ってしまった。
データの閲覧者はおそらく相当限られていて、今の発言から人物を特定するのは大して難しくないはず。
リスクは大きいがメリットは無い。
情報漏洩として処罰を受ける可能性もある。
それでも彼は、この場で発言をした。
何のために。
いや。誰のためにというべきか。
サトミの表情は何も変わらない。
変わらないようにしているとも見える。
騒然とした空気の中閉会が告げられ、その横顔も通路の彼方へ消えていく。
その後全員で連れ立って、尹さんの焼肉屋さんへとやってくる。
サトミは特に変化は無く、怒った様子も無ければ喜んでいる訳でもない。
それが逆に不自然だとは思うが、不意に爆発しそうな気配も無さそう。
とりあえず、そっとしておいた方がいいのかもしれない。
「あーあ。俺も何か言いたかったな」
サラダを頬張りながら呟く瞬さん。
多分この人は何も言わなくて正解で、むしろあそこで打ち切られて助かったくらいだと思う。
「自治ね。自治って何」
ビールのジョッキ片手に尋ねてくる尹さん。
何って言われても難しく、私も漠然とした概念しか持っていない。
「自分達の手で運営していくって事じゃないんですか」
「ふーん。子供は勉強してればいいんじゃないのかな」
「それはそうですけど。何もかもを学校に任せきりにするんじゃなくて、自分達の守るべき権利を主張するって事です」
私の言葉へ適当に頷く尹さん。
「親からすれば、勉強さえしてくれればいいんだけどね」
「それは親の理屈でしょう。大人の」
「まあ、そうだ」
大笑いして私の頭を撫でる尹さん。
別に面白い事を言った気は無いが、彼の心の中にある何かを刺激はしたらしい。
「あーあ」
そのまま畳敷きの床へ寝転び、欠伸をして目を閉じる。
自分では何もしていないが、少し疲れた。
騒ぎが大きかったし、人も多かったのでそれに疲れたのかもしれない。
「寝るの」
ビールジョッキ片手に聞いてくるモトちゃん。
そう言えば、この子の親は来てなかったな。
「天崎さんは来なかったの?」
「東京に行ってるみたい。最近長官と揉めてるみたいだし、首が涼しいんじゃないの」
「大丈夫なの?」
「早期退職で、退職金は上乗せされるでしょ」
あまり真剣には答えないモトちゃん。
それが逆に今の天崎さんを知らしめる。
改めて思うが、戦ってるのは私達だけでは無いようだ。
「……あんまり食べないね」
もそもそとサラダを食べているショウに声を掛け、彼の隣に座る。
いつもなら空になった皿が積み重ねられていくが、今日はゆっくりとしたペース。
普通の人の食べる量とあまり変わらない。
「待ってるんだ」
「何を」
私を、とは言わないだろう。
というか、この場で待たれても少し困る。
「お待たせしました」
ウェイトレスさんが運んできたのは、綺麗に霜が入った高そうなお肉。
ショウはそれをじっと見て、一切れとって網に乗せた。
「尹さん、これ高いんですか」
「かなりレアな部分でね。純銀と同じくらいの値段かな」
「へぇ」
思わず頷きかけたが、少しの違和感を感じる。
綺麗に霜は入っているが、脂が多すぎる気がするしそれほど肉質がいいようにも思えない。
つまり見た目は最高級でも、肉としてはやや疑問符がつく。
それでもショウは焦げ目のついた肉を頬張り、一人満足げに頷いている。
「美味しい?」
「高いと違うな」
至って幸せそうな顔。
少なくとも彼は納得しているし、この幸せは大切にしてあげたい。
「……結局、なんなんですか」
「合成肉って言うのかな。戦時中、よく出回ったんだ。豚とか牛とかとにかく肉をミンチにして、型に入れる。味はともかく、見た目はいい」
「味はって」
「ミンチの肉と同じ味って事さ。勿論、まずくは無いよ」
苦笑して、その合成肉を焼き始める尹さん。
彼の場合は過去への郷愁だろうが、ショウの場合は本物だと信じての喜び。
何が幸せかという定義は、本当に難しいな。
「……食べないの、あのお肉」
「貧乏舌なんでね」
そう言って、ウインナーを網の上で転がすケイ。
もしくは掴もうとしているのかもしれないが、ウインナーは逃げていくので同じ事だ。
「さっきの最後の話。あれって」
「情報漏洩にはならないだろ。というか高校生を弾圧した際のデータなんて、それ自体違法。むしろ告発者としての立場になる」
「そう、なんだ」
「ただ当然教育庁からはマークされるし、本人にもその圧力が向かうって事になる。何がいいのかは分からん」
ウインナーを転がし続けるケイ。
自分のリスクと引き換えに、学校の欺瞞を暴く。
誰のために。
それは私には軽軽しく言えはしない。
「ケイの両親は?」
「さあ。父母会がある事すら知らないだろ」
全く興味も無ければ、これ以上話すつもりもないといった態度。
明らかな壁が、彼と私の間に現れる。
「……ちょっと待って」
「まだ焼けてないぞ」
「そうじゃない。さっき名前を出してたけど、あれって問題じゃないの」
「問題だろ、それは」
あっさりと答えるケイ。
彼に確認しなくても分かる話。
さっきは少し浮かれていたが、今度は父兄の前で公然と学校を批判した格好。
問題にならない訳が無い。
「本当、大変だよね」
そう言って、脇から箸を伸ばしてソーセージを持っていくヒカル。
今までのケイの努力はなんだったのかと思いもするが、美味しそうに食べてるのでいいとしよう。
「お前な」
「よく焼けてるよ」
「よく焼いたんだ」
「頑張ったね」
褒めたよ、この人は。
さすがに馬鹿馬鹿しくなったのか、ケイは別なソーセージを網に乗せて箸で転がし始めた。
「それって掴もうとしてるの?転がそうとしてるの」
「転がしてるに決まってるだろ。まだ焼けてないんだから」
「だったら、掴んでみてよ。今みたいに、手でじゃないよ」
「下らんな」
そう言って箸を開くケイ。
でもって逃げていくソーセージ。
結果的には転がすのと同じで、多分一生掛かっても彼が食べる事はない気もする。
「刺せばいいんだ、刺せば」
「刺してみてよ」
「本当に下らんな」
箸をつきたてた途端、ころころと転がるソーセージ。
本当、よくこれで今までこれで生きてこられたな。
「大丈夫。最後は僕が食べるから」
「どいつもこいつもふざけやがって」
ふざけてるのは自分じゃない。
見ている内に食欲も湧いてきたし、私も何か焼こうかな。
「イセエビだって」
「ザリガニじゃないのか」
そう言って鼻で笑うケイ。
どうやら、さっきの合成肉の事は知っているようだ。
「まずくは無かったけどね。前食べた時は」
「ザリガニにはいるぞ」
低い、喉元から聞こえる笑い声。
こういう事になると楽しそうだな。
「尹さん。これは本物ですよね」
「志摩半島から今日届いた。刺身でも食べられる。大体、そんな大きいザリガニはいない」
どうやら私達の会話は聞こえていた様子。
確かにこれは頭付きで、いかにもイセエビでございますといった感じ。
逆に頭さえあれば、下が何エビでもごまかされそうな気はするが。
「さてと」
頭ごと網に乗せ、立ち上る香りに目を細める。
生きたまま焼く場合もあるらしく、本当エビに生まれなくて良かったと思う。
後は、アサリとか蜆かな。
「随分贅沢なもの食べてるわね」
「ソーセージなら焼けてるよ」
「そう」
あっさりとソーセージを掴み、それを頬張るサトミ。
ケイの目付きが悪くなるが、どうせ掴めないので誰が食べようと同じ事だ。
「もういいかな」
「生じゃないの」
「生くらいがいいんでしょ」
頭ごとエビを掴み、実を解して口へと運ぶ。
独特の甘味と濃厚なコク。
さすがに普通のエビとは違う。
もしくは、そう思わせるだけのインパクトがこの頭にはある。
「さっきのって、どうなの?」
「声は似てるわよ。でも、どうかしら」
曖昧な質問に、曖昧に答えるサトミ。
それでも私の聞きたい事は理解しているようで、それを無視したり無かった事にはしていない。
それだけでも私は十分だ。
視線を奥のテーブルに移すと、木之本君が両親と楽しそうに話しこんでいた。
彼の実家は岐阜で、距離としては近いものの帰るのは月に数度あるかないか。
私のように気が向いたら帰る訳ではないので、積もる話もあるんだと思う。
反抗期とはおおよそほど遠いが、それを経験しなくても彼は何も問題なさそうだ。
「デザート下さい。杏仁豆腐、甘さ控えめで」
なにやら勝手な事を言ってる人がいる。
子供みたいな顔だけど、一児の母が。
「何よ」
「少しは遠慮したら」
「だから甘さ控えめにしてるじゃない」
誰が体を気遣えと言った。
大体今は、杏仁豆腐の気分じゃないんだよね。
「チーズケーキとシュークリームがあるんですが。有名な店の」
「じゃあ、それを」
あっさりと乗り換えるお母さん。
本当、これで大人というんだから恐れ入る。
甘さは控えめ。シットリとした触感。
それでいて香りは芳醇で、かつ胃にもたれない。
有名なチーズケーキらしいが、この味なら納得だな。
「こっちのはオレンジリキュールが入ってるとか」
尹さんの説明もそこそこに聞き、シュークリームにかぶりつく。
こちらも甘さ控えめ。
濃厚なコクがありながら、しかし変なしつこさも無い。
口の中に清涼感が広がり、爽やかな気分になってくる。
後からほのかにオレンジリキュールが後を追ってきて、その爽やかさに彩りを添える。
ちょっとびっくりな味だな、これは。
「さてと。私達はそろそろ帰ります。電車の時間もありますので」
「今タクシーを呼びますよ」
壁に向かって話す尹さん。
多分100年経ってもタクシーは来そうに無いので、木之本君のお父さんは自分でタクシーを呼んだ。
案外お酒に弱いんだよね、この人は。
「じゃあ、私達も失礼します」
「まだいいじゃないですか」
それはお母さんじゃなくて、徳利だ。
見た目、似て無くも無いけどね。
「優は」
「ん、もう少し残る」
「程ほどにしなさいよ」
そう諭し、木之本君の両親と店を出て行くお父さんとお母さん。
尹さんは壁に向かって手を振っていて、瞬さんは床に寝たまま。
「さてと」
テーブルの上を片付け、空いた場所からふきんを掛ける。
営業時間もそろそろ終わりで、従業員の人は明日の仕込みや厨房の中の片付けて忙しい様子。
ご馳走になった分、食べた後くらいは片付けたい。
「これ、片付けて」
「ああ」
皿に残っていたキムチやチャンジャをまとめて掻き込むショウ。
厨房へ持っていってという意味だったんだけど、片付いたからいいか。
「さっきのお肉、どうだった?」
「高いだけはあるな」
「どんな味?」
「食べやすいというか、親しみやすいというか」
意外にまともな感想。
結局は合挽きのミンチなので、当然なんだけど。
「幸せでいいね」
「ああ」
本当、この先一生幸せだろうな。
「とりあえず、食器は全部運んで。それと、おじさん達を端に寄せて」
「ああ」
尹さんを床へ寝かせ、その上に上着を乗せるショウ。
瞬さんにも座布団を乗せ、端へと寄せる。
本当優しくて人が良くて、格好良くて。
それでも、何か損をする人生の人だな。
そういうところが彼の良さであり、私が好きな理由の一つでもあるが。
などと、座布団を運ぶ彼を見ながら思って見ても仕方ない。




